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書評:「日本的マネジメントの感性」 八巻直一・著

日本的マネジメントの感性 ―幕末夜話より― (静岡学術出版教養新書)    八巻直一・著(Amazon.com)


好著である。短く平易な新書版で、読みやすく、しかも内容は知識の面でも分析考察の面でも、非常に啓発に富み、優れている。テーマは題名の通り「日本的マネジメント」を支える感性と特性は何か、であり、それを近現代史の技術的・社会的エピソードから探っていく。サブタイトルに「幕末夜話より」とあるが、話は万葉集の古代から新幹線の現代まで、縦横自在である。

著者の八巻直一・静岡大学名誉教授の専門は本来、オペレーションズ・リサーチと数値解析である。そして静岡大学のMOT(技術経営論)大学院の立役者でもあった。とはいえ本書はアカデミックなスタイルとは無縁であり、文体も柔らかく、数式も一切出てこない。随筆のような形をとりながら、じつは周到に、メインテーマの問題に多方向からアプローチしていく。

 わたしが八巻先生との面識を最初に得たのは、たしか2006年頃、経営工学会の「経営システム」誌の編集委員会でのことで、当時すでに斯界の大家であった。その後、スケジューリング学会長をされているときに、ご縁があって「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」立ち上げのスポンサーになってくださったのである。この春には、八巻先生ご自身にもご講演をお願いした。その時の話題であった日本の蒸気機関車技術開発に見るマネジメント論も、この本にカバーされている。

日本の蒸気機関車の製造と運行は「世界に冠たる」レベルであった。C51やC62はその完成系である。しかし、「遂に、蒸気機関車時代には、我が国は真の意味での先進国には到達できていなかった」(p.69)と著者は書く。なぜか。それは導入技術の改善だったからである。技術導入は先進国にキャッチアップするための最も効率的な手段だ。しかし「試行錯誤の経験の機会を失うこと、独自の発想が制限されれること」の弱点がある(p.68)。後者の弱点は、留学帰りの技術者が頂点に君臨する階層的組織で、技術的冒険をリスクとして忌避する傾向を生み出していく。

たとえば、欧州留学者が「動輪の回転数の技術的限界とされていた数値」(p.67)を、学んで帰ってくる。以後、それが国産設計の目標値になってしまうのだが、その数値の本当の由来を知らないため、「これを打ち破って、さらに高い回転数に挑戦することはなかった」(p.67)。その一方、「南アフリカなどでは、(日本と同じ)狭軌でありながら、C62を大きく凌駕する先進的機関車を生み出している。」(p.69)事実がある。

では、日本の鉄道技術者達は独創性に欠けた人々だったのか? そんなことはない、と著者はいう。その好例として出してくるのが、旧満州鉄道の傑作「特急あじあ号」であり、また60年代の東海道新幹線開発である。これらはいずれも、独創技術というより既存技術の組み合わせであったが、その『システム思考』と、大勢の技術者たちの協力が素晴らしかった。とくに「新幹線の登場は、衰退気味だった世界の鉄道の再生をもたらし、高速鉄道を今日の世界的隆盛に導いた救世主となった」(p.83)、世界史的な意義を持つ仕事であった。

「我が国の技術者たちは、旧弊な組織に束縛されている中では、閉塞的な考え方からなかなか抜け出せなかった。しかし、束縛から解放されると、一気にエネルギーを爆発させた」(p.71)。そこにあるのは、突出した個人の独創性よりも、全体をまとめる総合力の強みらしい。

それは集団主義的な日本文化の特質なのだろうか? 著者は必ずしもそうは考えないようだ。「いわゆる日本的なもの」には、昔から続いている部分と、明治時代になって強まったところがあると見ている。

ちなみに、この文章を書きながらたまたまTVをつけたら、高野陽太郎・東大教授が「認知のバイアス」の話をしていて、「日本人が集団主義的だ・異質だ」という見解は80年代の日米貿易摩擦の頃から欧米に広まり、輸入される形で国内でも流布したが、心理学的な実験では否定される、と話していた。人間の行動は外的環境条件によっても、内的な要因によっても左右されるが、他人の行動を「内的要因」(つまり文化だとか性格だとか民族性だとか)ばかりで解釈したがるバイアスが、わたし達には強いらしい。

本書からもう一つ、印象にのこるエピソードをあげよう。蒟蒻(コンニャク)にまつわる技術史と社会史である。栽培が難しく物流にも制約があった蒟蒻芋の市場を拡大したのは、茨城の中島藤右衛門という人のすぐれた技術開発だった。芋から有効成分を精製し「荒粉」という中間製品の形で流通可能にしたのである。江戸時代後期のことだった。荒粉を仕入れて大都市に運ぶ仲買人は大きな利益を得るようになり、芋栽培の不安定と相まって相場商品となっていく。

そうなると、農民も黙ってはいない。時期を見て高値で売ろうとする。「隣の農家さえも敵となる相場の世界に、蒟蒻を通して足を踏み入れる醍醐味であり、困窮を極めていた農家が、巨万の富を得る可能性が開けた瞬間であった。」(p.141)

そうした農家のチャンスはしかし、昭和40年代に入ってからの工業技術の発展で大きなインパクトを受ける。日数のかかる天日干しのかわりに、機械乾燥が現れ、生産リードタイムが劇的に短縮する。しかし同時に、加工の仕事は農家から、機械設備を所有する企業に移るのである。さらに品種改良によって、平地での蒟蒻芋の栽培が容易になる。

「農家は荒粉で儲けることができず、ひたすら蒟蒻芋の生産性を上げるしか収入の道がなくなった。それよりも、蒟蒻マーケット自身が格段に拡大した訳でないのに、それを超える生産性を達成した副作用は、安定供給の達成によって相場のうまみが抹消されたことと同時に、市場価値の下落を招いたのである。」(p.142)

そこで著者は問う。生産性の向上は、産業の発展に結びついたのか。「プレーヤが善を求めて活動することが、結果的に全体の幸福には必ずしもならない。このことこそが、マネジメントの大きな課題なのではないだろうか?」(p.143)

「日本的マネジメント」の評価については、日本社会の中でも、'70年代以前の後進論、'80年代の《ジャパン・アズ・ナンバーワン》風な絶賛論、そして2000年以降のグローバリストによる特殊性批判、という具合に極端から極端へ、振り子のごとくふれ続けてきた。だがそろそろ、全否定でも全肯定でもない、もっと客観的な視点が必要になってきたのではないか。欠点を咎めるのではなく、長所を認め、違いを伸ばす形での見直しが大事な時期に来ていると思う。

幕末の英傑たちの自由闊達も、明治政府の位階権威主義も、ともに日本人の生み出したものである。束縛を離れた技術者たちの総合力も、官僚的な縦割り・縄張り主義とリスク忌避も、ともに日本的な姿ではある。では、どのような外的条件が、違いを生み出すのか? それを考えるには、自分たちの過去の歴史に学ぶしかないのだ。だとしたら、それを考えるに絶好のヒントを与えてくれるのが、本書なのである。
# by Tomoichi_Sato | 2015-07-15 23:33 | 書評 | Comments(0)

プロジェクト・スポンサーシップが足りない

アメリカにNeal Whittenという著名なプロジェクト・マネジメントのコンサルタントがいる。何年か前に、ボストンで彼の講演を聴いたことがあった。彼はその中で、プロジェクトが失敗する三つの主な原因を挙げていたのだが、それがずっと頭にひっかかって残っている。彼のいうプロジェクトの三つの失敗理由とは、以下のようなものだ:

(1) プロマネのハード・スキル不足
(2) プロマネのソフト・スキル不足
(3) プロジェクト・スポンサーシップの不足

プロジェクトの失敗の理由がプロマネに帰されるのは、ある意味、当然のことだ。Whittenはプロマネの能力を、ハード・スキルとソフト・スキルとに分解する。ハード・スキルとは、知識や技法など、いわゆる座学で習得できる種類のものである。WBSだとか、PERT/CPMだとか、パラメトリック見積法だとかいった事柄で、これらは技術として移転可能なものである。わたしの言い方では「マネジメント・テクノロジー」であり、これを使いこなせる能力を、ハード・スキルと呼ぶ。

二番目のソフト・スキルとはむしろ、座学では学びにくい、より属人的な習熟を要する能力だ。交渉力だとか、指導力だとか、問題解決力だとか、後進育成とかコミュニケーションの能力など。わたし達の社会ではよく「人間力」などと称される。いわゆるリーダーシップとも、重なる点が多いだろう。

ところで、三番目の「プロジェクト・スポンサーシップの不足」という指摘には、意表をつかれた。プロジェクトの失敗の、いわば1/3は、プロマネ以外のところが原因で起きる。彼は経験をもとに、そう主張する訳だ。では、プロジェクトのスポンサーシップとは何か。

米国のPM関係の大会では、物事を理解するデフォルトの枠組みはPMBOK Guideと、PMP資格である。わたしもPMPは持っている。だが、PMOのメンバーとして社内のいろいろなプロジェクトを見ていくうちに、それだけでは次第に物足りない点を感じるようになっていた。

PMBOK Guideはたしかに、「プロジェクト」という枠組みの中で、それをいかに効率的に遂行するかを教える。しかし、そもそもプロジェクトの枠組みを与えるのは誰か。またプロジェクト・マネージャーを任命するのは誰なのか。プロジェクトがうまくいかなくなり、たとえ完遂しても価値を生み出さないことが明白になったとき、プロジェクトを止める権限があるのは誰か?

それは、プロジェクト・スポンサーである。

プロジェクト・スポンサー(業界によっては「プロジェクト・オーナー」ともいう)は、上級マネジメント層を代表して、プロジェクトをウォッチする。だから、重要なプロジェクトの場合は、役員かそれに準ずるレベルの人がなる。中小規模の場合は、プロマネの所属する部門長がやるだろう。
(もしプロジェクトが上位プログラムの一部である場合は、通常はプログラム・マネージャーがその役割を果たすか、あるいは自分のプログラム・オフィスのスタッフにその権限を委譲するはずである)

わたしは勤務先でPMOの仕事を何年間もやってきた。それなりの数のプロジェクト・レビュー会議に参加し、またプロマネ達のマンスリー・レポートをウォッチもした。念のためにいうと、社内にいるベテランのプロマネ達は、わたしなんかよりずっとマネジメント能力があり、技法などについても熟知している。なのに、なぜPMOによるウォッチや助言が必要なのか?

それはスポンサーのためなのだ。多忙なプロジェクト・スポンサーに、配下のあのプロジェクトはきな臭い煙が出ています、近いうちに火の手が上がるかも知れませんよ、と告げる。それがPMOの重要な仕事なのである。ちょっとPMとじっくり話してみてください、と。

なぜ、プロマネが直接、スポンサーに自分のピンチを告げないのかというと、通常は、問題を押さえ込めると自分で思っているからだ。わざわざ報告の要はない、と。プロマネという人種は楽天的で、自信家だ。そうでないと、プロマネはつとまらない。まあ、たまにはプロマネが自分のプロジェクトで問題が起きているのに気づかない場合もある。PMOは全部のプロジェクトを横並びで数値的に比較しながら見ているから、そのような異常に敏感になっている。むろん、異常がつねに病気とは限らないのだが、アラームはならすことになる。プロマネから見れば、自分が十分マネージしているつもりなのに、横で小うるさいことをスポンサーに進言する心配性のPMOなんか、うるさい限りだ。スコアラーは黙って試合を見てろ--そういう気持ちにもなるだろう。ある意味、PMOはせつない役回りである。

むろん、本来はPMOがいようがいまいが、プロマネと、それを管掌するスポンサーとの間には、定期的なコミュニケーションがなければいけない。
スポンサーはプロマネを任命し、支援する。
プロマネはスポンサーに報告し、相談する。
--これが両者の間の役割だ。

そしてプロマネの悩みとはたいてい、予算が足りないか、人が足りません、なのだ。(時間が足りません、ということもあるが、通常はお金か人をかければ期間は短縮できる)。そこでスポンサーは、トップ層を動かして、予算をつけたり、他部門から必要な人を持ってくるような働きが必要とされる。つまりスポンサーもまた、「実力」がないといけないのだ。

逆に言うと、プロジェクトにおいて、プロマネだけの能力と努力でできることには、一定の限度があるということだ。わたしの実感でも、プロジェクトの成否のうち、プロマネの権限内で達成できる部分はせいぜい2/3程度である。場合によっては、もっと少ない。それ以外の部分は、プロマネが任命される以前に決まっていた枠組み(契約条件等)とか、プロマネがコントロールできない社内の配員や、外部環境の変動(たとえば為替リスクだとかベンダーの倒産だとか)などで、成功か失敗かが決まってしまう。

つまり、与えられたプロジェクトという枠組み、所与の制約条件(予算・納期・スコープ)の中だけで、プロジェクトの成功率を上げることはできないのだ。したがって、プロジェクトの成功率をもっと向上したかったら、会社が本気でプロジェクトを支援する仕組みづくりが必要となる。

受注型プロジェクトの場合は、受注側のプロマネの上に、プロジェクト・スポンサーがおり、発注側にも本来はプロマネとスポンサーがいる。したがって、両者のスポンサーが定期的に(たとえば年4回とか隔月とか)で会合を持ち、プロマネのレベルでは解決できなかった問題(イシュー)を話し合い、なんとか解決に持ち込むことが望まれる。少なくとも、わたしが知る限り、エネルギー系の海外プロジェクトでは、そういう仕組みが常識化している。

では、プロジェクト・スポンサーという役割の人が、具体手にするべき仕事の内容は何か?

わたしの知る限り、ISOをはじめとして、米国PMIや英国OGC、日本のP2Mなどでも、スポンサーについて定めた標準書はほとんど存在しない。唯一知っているのは、GAPPS Initiativeの定めたStandardである。昨年、GAPPSのワークショップが日本で開催されたとき、わたしも手伝ったのだが、そのときはまだスケルトンだった。今年はドラフト段階まで来ている。
http://globalpmstandards.org/tools/gapps-pm-standards/project-sponsors/
これによると、スポンサーの役割は大きく三つある:

(1) プロジェクトのAccountabilityを引き受ける
(2) プロマネを支援する
(3) プロジェクトを支援する

最初の「(1) プロジェクトのAccountabilityを引き受ける」、とは、プロジェクトの意義を明確にし、有効なガバナンスを確立し、プロジェクトの生み出すアウトカムと便益が現実に役立つよう計画する、などを含む。Accountabilityとは『説明責任』などと訳されることも多いが、ふつうは説明行為だけではなく最終的な責任を引き受けることを指す(わたしは『面目責任』と訳した方がいいと思っている)。

つぎの「(2) プロマネを支援する」は、プロマネに時間を割いてやり、プロマネレベルでは解決しにくい紛争や問題について助けてやり、またプロマネ自身のパフォーマンスについて率直に評価・助言してやる、が含まれる。そして「(3) プロジェクトを支援する」とは、リソース(配員や資金など)面で助けてやり、ステークホルダーにプロジェクト状況を見えるようにし、適切なプロジェクト・レビューと意思決定がなされるよう組織を動かす事を指している。
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もっとも、こうしたスポンサー制度の説明をすると、そんな風に上からプロマネを支援するなどしたら、プロマネの「甘え」を助長するからよくない、といった論議をする人が出てくる。何を甘えたことを言っているのか、寝言を言うな、と。

たしかに自分の判断を放棄して、すべてをスポンサーに相談し依存してくるプロマネがいたら、「甘えるのもたいがいにしろ」と叱るべきだろう。ある程度は厳しくしてこそ、育つ責任感というものもある。だが、そもそも組織がプロジェクトを遂行する目的は、何だろうか。一切の助言や支援を「甘え」の名前でシャットアウトして、本当に企業としてそれでいいのか。顧客やステークホルダーに迷惑をかけ、赤字を増大し、自社の信用を毀損するようなプロジェクトを放置してまで、プロマネの「甘え」を拒絶することで得られるものは何があるのか? 物事にはどこかに、適切な限界があるべきだろう。イエスかノーか、0か100かで決められるほど、マネジメントとは単純な仕事ではないはずだ。

ご存知の通り、日本におけるプロジェクト・マネジメントの普及とブームは、2000年以後におきた。その中心はIT産業、とくにSI(システム・インテグレーション)と呼ばれる受託ソフトウェア開発の分野である。SIerと呼ばれる業種において赤字プロジェクトの頻発が問題となり、業界全体の悩みとなったし、その結果生まれた労働環境の劣化は、優秀な人材をリクルーティングする障害になった。

PM論がはやる以前のキーワードは、『リーダーシップ』だった。「お前はプロジェクト・リーダーなんだから、リーダーシップを発揮しろ! それでなんとか困難を切り抜けろ!」と号令することで、赤字や納期問題を解決しようとしていた。意地わるくいえば、上司は問題を、部下であるリーダーに、リーダーシップなる魔法の言葉で、『丸投げ』していた訳である。

さいわい、プロジェクト・マネジメントという概念と知識体系が普及することによって、そうか、プロマネには、身につけるべきスキル・セットがあるのだな、という認識が進んだ。多くのSIerが社内でPMP資格取得を奨励したのも、こうした理由が大きい。こうした活動の結果、10年間で、PM論に対する認識はかなり普及したといっていい。また、社内レビューなどの制度的な前進もあって、赤字プロジェクトはある程度、減少したという調査結果もある。しかし、では業界の悩みは解消したかというと、わたしの聞く限りは、そうではない。

そして、なまじPM論の知識が広まったが故に、「プロジェクトの失敗は、プロマネのマネジメント能力不足である」という認識も、妙に広まってしまったように思える。つまり、問題解決を部下であるプロマネに丸投げする上司の体勢自体は、あまりかわっていないのだ。単にキーワードが、曖昧なる『リーダーシップ』から、舶来風の『プロジェクト・マネジメント』に昇格(?)しただけである。人によっては、PMの最大のポイントはプロマネのリーダーシップである、と論じて、わざわざ論点をプロマネ個人の資質に引き戻したりしている。

ここで最初のN. Whittenの「プロジェクトの三つの失敗理由」を思い出してほしい。プロマネ個人のリーダーシップは、もちろん非常に大切だ。だが、それはプロマネの「ソフト・スキル」である。また、PMBOK Guide的な知識と技法の習得も、必要である。それはプロマネの「ハード・スキル」部分だ。だが、それらと並んでもう一つ、プロジェクトへの「スポンサーシップ」も、企業にとっては必須なのである。

スポンサーは、トラブルがひどくなったら自分で出て行って混乱を食い止め、プロマネが倒れそうになったら支え、顧客やステークホルダーを説得して終結まで持ち込むだけの、覚悟が求められる。逆にプロジェクトがうまくいったら、部下であるプロマネを賞賛する。つまりスポンサーという仕事は、良いときは部下を誉め、まずい時は自分が責任をひっかぶる、割にあわない商売である。そういう役割なのだ。そのおかげで、部下であるプロマネが育っていく訳だ。

そして、スポンサーのさらに上位にいる経営層は、スポンサーがきちんと自分の仕事をして、プロマネを育成しているかどうかを評価する。成功したらプロマネの功績を横取りし、失敗したらプロマネに責任をかぶせるような、本来とは逆のことをしていないか、監視する。これが、あってほしい企業の姿だろう。

もう一度いうけれども、プロジェクトは、プロジェクト・スコープという枠の中だけで評価してはいけない。プロジェクトを取り囲む、企業のより大きなコンテキスト(文脈)の中に位置づけて、考えるべきなのである。プロマネに文脈を与えて、上位の戦略や外部環境とアライメントをとるのが、スポンサーシップの役目であろう。
# by Tomoichi_Sato | 2015-07-08 19:52 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

トヨタのグローバル・サプライチェーン・マネジメントを理解する鍵

「生産革新フォーラム」の6月例会では、明治大学の富野貴弘教授を迎えて「トヨタのグローバルSCM」について、講演していただいた。全世界に生産と販売の拠点を持つ巨大企業・トヨタのSCMの全貌について、非常に分かりやすく、かつ示唆に富む解説をしていただいたので、おさらいをかねてここでご紹介したいと思う。もちろん聞き書きであるので、間違いがあれば責任はわたしにある。ちなみに「生産革新フォーラム」(通称『MIF研究会』)は、生産情報系に関心を持つコンサルタントや企業内診断士の集まる会で、わたしも幹事の一人を務めている。

富野教授の講演は、「生産システムの第一の目標は、納期短縮と在庫削減の両立にある」という点から始まる。一般的な理想は、短納期型受注生産である。

だが、それは生産側が「顧客の注文を言われるままに必死に作る」だけで実現できるわけがない。自動車は多数の複雑な部品群からなる製品であり、その生産には一定の時間がかかるからだ。作る時間の方が買い手の望む納期よりも長ければ、何らかの形で「読み」が必要であり、また需要のコントロールが求められる。そのためには生産と販売の連携が大事になる。にもかかわらず、製販連携は、「リーン生産研究でわりと手薄だった」と富野教授は指摘する。今までの研究者は、生産なら生産、マーケティングならマーケティングをそれぞれ専門家的に研究し、システムの全体像を把握しようとする視点が薄かったのだ。

自動車業界は、グローバルに広がった生産販売の姿の典型である。ちなみに統計によると、2013年度における各社の国内生産に占める輸出分の比率は下記の通りだ:
トヨタ 55%
日産  58%
ホンダ 10%
マツダ 81%
富士重工業 77%
全体で 46%
つまり、世界で作り売っているといっても、じつはかなりまだ日本国内で製造し輸出しているのである。

ただ、上の表を見て、「トヨタはホンダに比べて、かなり海外生産へのシフトが遅れているから、問題だ」と考えるのは早計である。それについては後で述べる(それどころか、ホンダは必死になって日本生産に戻している)。

「海外生産、現地生産が進めば進むほど、グローバル化した良い企業だ」と考える単純な経営観の持ち主も、日本には多い。そういう人たちは、トヨタの生産リードタイムが、現地で生産しても日本生産と変わらないくらい長いと聞いて、驚くに違いない。以下の表は、富野教授の調査結果である:

生産地→消費地
・日本→日本 1ヶ月
・日本→米国 3ヶ月
・米国→米国 3ヶ月
・中国→中国 3ヶ月
・日本→南ア 3ヶ月
・南ア→南ア 4ヶ月

ここでいう生産リードタイムとは、ディーラーの注文を受けて基準生産計画を立ててから、ディーラーに納品されるまでの期間をいう。日本→日本が最短なのは当然として、米国や中国で売る車は、現地生産でも日本生産でも変わらない。それどこから、南アの場合は現地生産の方が日本で作ってえんえん船で運んでいくより、長くかかる!

この理由は、部品手配がネックになるからだ。現地生産と言っても、すべての部品を現地で調達できるわけではない。品質の問題もある。とくにハイブリッド系の部品は日本から作って配っている。だから結局、船積み輸送期間は同じようにかかる訳だ。では、このようなサプライチェーンを、トヨタはいかにマネジメントしているのか?

ここで、(順序がやや逆になったが)富野先生について少しご紹介する。明治大学の商学部で、主に経営学を教えておられる。専門は自動車業界の仕組みであり、とくに「生産システムの市場適応力」が研究テーマだ。同名の著書も出されている(「生産システムの市場適応力 -時間をめぐる競争-」)。富野教授は世界各地の自動車メーカーを、ていねいに実地訪問していて、トヨタについても社員が驚くくらい、内実を正確に調査しておられる。

じつはトヨタ社員でも、トヨタのグローバル・サプライチェーンの全貌を知っている人は、ほとんどいないらしい。計画は日本本社が集中的に立案しコントロールしているのだが、担当者は地域別に分担しているためである。

ついでに、世界の自動車市場について理解すべき事をいくつか書いておく。日本の常識が必ずしも世界の常識ではないからだ。たとえば日本では、個別仕様を顧客が決めてから納車を待つのが普通だ。だからディーラーでの店頭在庫はほとんど不要である。(もっとも例外として、トヨタ系の大手ディーラーの中には、色は白ですべてトヨタから仕入れ、自社の塗装工場で顧客の望む注文に色を仕上げる所がある。こうした企業は在庫を多少持っている)

ところが米国・中国などでは、基本的に店頭販売である。顧客はディーラーにやってきて、そこにおいてある車をその場で買って、乗ってかえる(米国の場合、ナンバープレートはあとで送り届けられる)。もし、店頭に気に入った車がなければ、ぷいっと別の店に行ってしまうだろう。だから、ディーラーはたっぷり店頭在庫を持つ必要がある。これはいいかえると、見込生産で作りだめが必要だということである。「作りすぎのムダ」を避けるよう、系列企業に対して口を酸っぱくして説いているトヨタ本体が、外国では見込みで生産し、在庫しているのだ。

さらにいうと欧州(ドイツなど)では、社用車の市場が非常に大きい。これは、給与以外の目に見えないフリンジ・ベネフィットととして、社用車を管理職に支給する慣習があるからだ。こうなると、市場に入り込むには相当な労力がいる。トヨタをはじめとして、日系メーカーが欧州で今ひとつ振るわないのは、この理由による。

さて、トヨタの世界生産拠点は27カ国、52拠点にのぼる(部品メーカーは別) 。年間販売台数を見ると、日本228万、米国208万、アジア168万、欧州80万である。米国での生産は、1988年からケンタッキーで開始した。直近ではメキシコ新工場が2019年に生産開始予定だ。販売面で言うと、米国はリーマンで落ちたが、最近また少し復活している。

このトヨタのグローバル生産システムを理解するにあたっては、まず日本国内での仕組みについておさらいしておこう。

トヨタには「月度生産計画」と呼ばれるものがある。多くの会社では月間生産計画と呼ぶものだ。ただし生産計画という名前だが、これは同時に販売計画でもある。そしてこれは、トヨタ社内で一番重要な計画である、という。

富野教授によると、月度生産計画を作るおおよその手順はこうだ:
(1) 月初に、向こう3ヶ月分の販売予測値を販売会社から入手する。この数値は、製品の大分類(製品ファミリー)単位で入ってくる。
(2) つぎに、メーカー自身の予測などを加味して、基準となる計画を立案する。ここで、販売側の情報だけでなく、メーカー自身の意思が入ってくる点が重要である。
(3) その後、トヨタが旬毎に配車台数枠(=ファーム)をディーラーに提示し、引き取り台数をすりあわせる。ただ、この時点では色やシートなどオプションはまだ決まっていない
(4) ここに海外輸出分が加味される。輸出分は、この時点でほぼ確定受注(最終仕様展開)が多い。
(5) 車種別の生産計画を、予測にもとづいて最終仕様まで展開し、部品サプライヤーへの内示の基本材料になる
(6) 直近1ヶ月分に関しては、毎月20日過ぎに、車種別生産枠(工場別・ライン別)を決定する。
(7) ディーラーは、最終仕様レベルでの旬間オーダーを、見込み発注する。ただし、一部の小さなディーラーと車種は、随時発注(デイリーオーダー)を許している。その場合は、トヨタ自身が在庫を持つ。
(8) なお、生産日の3日前までは、仕様変更が可能(デイリー変更)。この先は仕様固定となる。

では、アメリカではどうなっているのか。米国はトヨタの稼ぎ頭である。トヨタのシェアは14%だ。その7割が現地生産、3割が日本生産である(レクサスブランドは7割が日本製)。北米の完成車生産拠点は
カナダ、ケンタッキー、インディアナ、ミシシッピ、テキサス、メキシコにある。販売についてみると、カリフォルニアのトーランス市にTMSという販売統括会社がある。トーランス市はいわゆる西海岸のモータータウンで、日本人も多い(ただしTMSは近い将来、テキサス州のダラスに移る予定らしい)。

販売側を見ると、全米を12地域に分け、1,468ディーラーを抱えている。ディーラーはすべて独立系で、基本的に1ディーラー1店舗、という点が米国風だ。上に述べたように、その日のうちに買って帰る客が8割である。だから店頭在庫を多く持っている。トヨタで40日分の店頭在庫がある(日本ではせいぜい2週間分)。でも ビッグスリーは3ヶ月~半年分も持っているから、これでもかなり善戦している方だろう。

米国市場では、販売の3ヶ月前に計画を立案している。その手順を下図に示す。ディーラーからの発注をTMSが統括会社としてまとめ、トヨタに伝える。その後のプロセスは現地生産車と、日本生産車に分かれるが、いずれも日本からの物流に1ヶ月かかる点がネックになり、2ヶ月かかって生産され現地に配車される。ディーラーの発注というのは、まだ顧客がついていない段階での見込発注であるから、その翌月までは、色やオプションなどの仕様変更は受け付ける。その後は確定である。トヨタはディーラーの注文をそのまま受けるのではなく、ある程度の調整を加えた上で、部品・完成車の生産計画に展開していく。
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ご存じの通り、日本ではトヨタはサプライヤーに対して先行内示を向こう3ヶ月分与え、これに対して当月はカンバンで分納の量とタイミングを指示していく。では米国生産の場合はどうかというと、先行内示を与える点は同じだが、カンバンによる引っ張りではなく、週次のバケットによる確定注文になっている。納期も、日本のような納入時間指定ではなく、工場出荷(FOB)である。国内輸送に1日〜数日かかるのがザラで、日時指定など非現実的だからだろう。日本に比べるとのんびりしている。

富野教授はもう一例として、中国の広汽トヨタを説明された。この会社のスタートは2004年9月で、中国で一番新しい。現在は2つの生産ラインだが、第3ラインを増強中で、2017年生産開始予定である。生産能力は38万台。187万m2の面積に従業員1万人を抱える巨大工場である。ここはサプライヤーパークが工場に隣接して立地している点が特徴で、現地調達部品の輸送リードタイムは短い。なお現地調達率は約70%(一次部品)であるが、それでもエンジン、ミッション、そしてボルト・ナットは日本から持ってきている。ボルト・ナットのたぐいが日本製というのが面白いが、それだけ品質や長期耐久性などがまだ低いと言うことだろうか。

中国では「SLIMシステム」と呼ばれる、サプライチェーン可視化のための情報システムが動いている。これは豊田章男氏の肝いりで作られたもので(ちなみに氏はMBAだ)、2008年4月から稼働している。ほぼ壁いっぱいの大きさに液晶パネルが並んでいるシステムで、縦に販売店、横軸にサプライチェーンが上流から下流までならんでいて、そこに星の光のごとく多数の点が表示されている。点の一つ一つが、個々の車のオーダーに対応する。中国では車にRFIDがついていて、これで生産から流通まで、すべてをトラッキングできるようになっているのである。どこで滞留しているかも、すぐわかる。そこで中国トヨタでは、週1回、幹部がこの前に立って会議する「SLIM会議」をやっている(詳細は「日経情報ストラテジー」2010年4月号に紹介されている)。

もう一つ、TOSS(Total Order Support System)と呼ばれるシステムも特徴的だ。こちらは2009年1月から稼働している。TOSSはディーラー別に、販売実績からみた適正な基準在庫量を算出し、現在庫量との差を見せてくれる。そして、車種別の推奨オーダーを出してくれる。中国のディーラーは米国などと比べて経験が浅いため、適正な販売予測に基づく発注ができないため、トヨタ側でそれを支援する目的で開発したのだ。ちなみに中国でも店頭在庫販売が主流で、現金販売である。TOSSのような情報収集の仕組みが可能だったのは、中国の広汽トヨタが、生産と販売の同時立ち上げをしたからだ。ディーラーは320社で、車種も5車種のみに限られている。

このTOSSは、セブンイレブンの発注システムを参考にしたと言われている。セブンイレブンは、各店舗の側に仕入れ発注権があるが、店の仕入れ発注をサポートする情報を、たくさん本部から送ってくる。その日の天気や気温から始まり、運動会や道路工事などのイベント情報まで。

中国においては、2ヶ月前に、月度生産計画をたてる。米国よりは1ヶ月短い。それでも2ヶ月前なのは、主要部品を日本から持ってくるためだ。生産計画後のプロセスは上図の米国と似ており、ただ生産や物流のリードタイムが半分の2週間になっている姿である。なおディーラーから見ると、発注後の仕様変更は可能だが、店頭在庫販売なのであまり多くない。仕様変更後、日本支給部品を出荷する。

部品のリードタイムが2週間のため、2週間の計画サイクルである。トヨタとしては週次のサイクルにしたいが、その場合は部品在庫を抱えることになる。部品メーカーに対してはかんばんとは別に、2週間分のまとめロットのオーダーを流している。

この中国の仕組みは、トヨタのSCMの基本形である、と富野教授はいわれる。基本的な発想は、プロダクトアウトで見込生産である。販売店には引き取り枠と在庫責任を持たせる。在庫責任を持つ部署が発注権を持つ、というのがトヨタの思想だ。ただしメーカー側からディーラーに対する発注支援と仕様変更の仕組みを提供している。これにより、予想と実需の乖離をできるだけ防ぐ。「超インテグラル」なプロセスだ、と表現できるだろう。

そして、日本本社で作る月度生産計画は、世界中の工場のための計画になっている。この点がトヨタのグローバルSCMの最大の特徴である。「月度」は英語でもGetsudoと呼ばれており、すべての計画の要である。マクロに見ると、プッシュ的な面が強い。その方が作りやすいし、安く作れるからだ。そしてトヨタの「市場適応力」は、生産と販売の泥臭い調整によって支えられている。プッシュを支えるために営業力がある。「客に言われたとおり作るなら、営業はいらない。」と、トヨタの別のOBからもきいたことがある。客がほしいという商品ではなく、トヨタの売りたいものを買ってくれるよう誘導する。これが営業の仕事だと。

ここでちょっと注釈を入れると、先に述べたように、日本の自動車工場ではどこも国内向けと海外向け製品が混在している。これは言いかえると、見込生産と受注生産の混在である。純粋に個別仕様の受注生産ばかりを受けると、工場が平準化できず苦しい。そこで自動車メーカーでは、海外分(見込生産分)に自由度があるため、生産の平準化と効率化のために、海外分を潤滑油として使っているのである。だから、ホンダのように国内生産比率を下げてしまったメーカーが苦戦することになる。単に、ホンダは円安にふれたから苦しいという単純な話ではない、とMIF研の本間峰一会長は指摘している。

それにしても、なぜトヨタの正しい姿が世間につたわらないのだろうか。トヨタのグローバルSCMの仕組みをまとめると、次の3点に集約されると思う。

(1) トヨタ生産システムとは、じつは「トヨタ生産・物流・販売システム」である。
10年ほど前から、「トヨタ生産物流システム」という言い方を社員から聞くことはあった。だが、上図を見ても分かるように、三つの機能をすべてカバーしたSCMとなっている。

(2) 営業と生産が共通の月度計画で協力して動いている。
営業と生産の連携が、SCMの鍵となっている。トヨタ自身はよく「ウチは営業と生産に壁があって」などと言うが、これは例のトヨタ節であって、「トヨタに壁があるなら、他の普通の会社など、営業と生産は別会社も同然」と富田教授は言われる。

(3) トヨタのグローバルSCMははDRPシステムである
これは講演を聴いたわたしの所感である。本社がグローバル全体の計画を立てて、プッシュしていく。これはトヨタが中央集権思想だからというより、コア部品を日本から供給せざるを得ない現状から生まれた姿かだろう。(DRP=Distribution Requirement Planningとは何かについては、すでに長くなりすぎたので、項を改めて解説したい)

トヨタ自身は、計画中心で見込生産で、世界中に在庫を持ってビジネスをしている。にもかかわらず、「自分で妙に計画など立てて見込生産するな。作りすぎのムダを省け。受注に即応できる生産体制を作れ」と、トヨタは系列企業にずっと説いてきた。おそらく、ここが世間の誤解の源なのだろう。トヨタの作り上げた自動車のサプライチェーンとは、唯一メーカーのみが計画立案し、それに沿って販売側と生産側を動かす仕組みだ。そのためにリアルタイムで正確な情報を、メーカーに集中しなければならない。少なくとも、これがトヨタにとっての、現時点での現実解なのだ。

だがもちろん、あなたやわたしの業界における現実解が、これと似た姿になるかどうかは、分からない。MIF研による共著のサブタイトルにあるように、「トヨタの真似だけでは儲からない」のだ。答えはわたし達自身が、自分の頭をつかって考えなければならないのである。

<関連エントリ>
 →「Pushで計画し、Pullで調整する」(2014/02/25)
 → 富野教授の論文「トヨタのグローバル・サプライチェーンマネジメント」(東京大学ものづくり経営研究センター ディスカッションペーパー No.463)
 →生産革新フォーラム・著「“JIT生産”を卒業するための本―トヨタの真似だけでは儲からない
# by Tomoichi_Sato | 2015-07-01 12:31 | サプライチェーン | Comments(0)

OSを持つ、ということ

海外の外注先とトラブルが発生した。発注書で決めていた納期が守れそうもないというのだ。我々から彼らにインプットすべき仕様情報が不正確だったし、予定より遅くなったせいだ、と彼らは、いう。こちらから見ると、彼らが出してきた設計承認図や仕様書の品質が低く、かなりコメントをつけてやり直しさせる必要があった。おまけに、両者共通の悩みとして、われらがエンドユーザーである顧客がぐずぐずとなかなか決めず、リサイクル的コメントをつけてくる問題があった。だが、まだ設計の中盤なのに、じりじりとスケジュールが遅れていった。このままだと、下流工程の仕事にも影響が出かねない。

担当者は、プロマネに相談にいくつもりだった。だが、彼のチームのベテランは、それを制した。そのベテランは別プロジェクトに従事していたが、担当者のことはよく面倒を見ていた。
「いったい何を相談に行くんだ?」
--このままだと2ヶ月近く遅れそうです。下流部門の仕事に影響がでそうなので、まずは報告に行きます。それで、どうすればいいか相談しようと思います。
「報告ってお前、対策案はあるのか。」
--いえ。だから相談しようかと。
「そんな相談があるか。相手は忙しいプロマネだぞ。お前が、対策案をいくつか考えて、中ではこれが一番良いと思うので、これで行きたいと思います。ご承認お願いします、って持って行くのが筋だ。」
--・・はい。
「そもそも、スケジュール遅れの原因は何なんだ?」

担当者は、上に書いた事情を説明した。こちらのインプットの遅れ、向こうの低品質、エンドユーザの不決断。それで、外注先の設計作業の生産性が落ちたんじゃないかと。

「ずいぶん曖昧だな。これまで何度も使ったことのある外注先だろう? 向こうの品質だって分かっているし、ウチのやり方だって慣れているんじゃないのか。この顧客とだって、はじめてじゃない。何かもっと別の原因があるはずだ。」
--何でしょう?
「それをつかむのがお前の仕事だろ! 根本原因が分からなかったら、この先でまた同じ遅延問題が何度もぶり返すぞ。外注先に行って自分で見てこい!」

出張から帰ってきた担当者は、ベテランに報告した。

--あの外注先は、コストダウンのために、今回から一部の設計業務をインドに再外注していることが、行ってみて分かりました。それがうまくコントロールできていないんです。
「やっぱりか。今回急に崩れたのは、何か原因があると思った。それで、どういう対策がある?」
--向こうのマネジメントと話し合ってみたんですが、二通りしか策はないようです。つまり、向こうに時間を与えてちゃんとやらせるか、それとも依頼した仕事の一部をこちらが引き取るか・・

これはまあ、10年以上も昔に経験したことである。上の会話は分かりやすいようにレンダリングしたが、実際にはこんなにテンポよく進んだ訳ではなく、数週間以上かかり、いったりきたりした結果である。でも、全体の雰囲気はつかめたと思う。このベテランが担当者に諭したのは、二つのことだ。

・自分の中に対策をもたずに、上に相談に行ってはいけない。たとえ自分の案が不完全でも(その可能性は高いが)、自分はこうしたい、という意思を持って行くこと。

・問題が起きたら、応急的な対処だけでなく、その問題の根本原因をきちんと調べなくてはいけない。さもないと同じようなトラブルがまた発生する。

最初の点については、以前も「あなたは、どう考えるの?」(2014-09-28) に書いたことだから、ここではこれ以上、繰り返さない。二番目の点は、問題解決における基本的な態度についてだ。

そもそも問題解決とは、次のような4つのステップを踏む必要がある。
(1) 問題の直接原因と影響範囲をつかむ
(2) 問題の波及を止める(応急措置)
(3) 問題の根本原因をしらべる
(4) 再発を防止する

このうち(3)(4)は、忙しいさなかには同時にできないかもしれない。だが、再発の可能性があるうちは、やはり根本的な解決が必要だから、放置はできない。上のベテランは、このことを指摘した訳だ。一度トラブルを乗り切ったと思っても、似たようなことが再三起きる。それは最初の原因解明が不十分だったからだ。

そして、何よりも大事なことは、上の4つのステップが自分の中で言語化されて、いつでも反射的に取り出せるようになっていることである。トラブルに遭遇し、問題事象に巻き込まれたら、この4つのステップが頭に思い浮かぶこと。それが『OS』化された姿なのだ。

問題解決には、とたえばRoot Cause AnalysisとかLogic Treeとか、いろいろな技法がある。有名なKJ法やブレーンストーミングだって、問題解決技法として登場した。だが、これらはいずれもツールであり、計算機にたとえればアプリケーション・ソフトに相当する。こうした技法を活かすかどうかは、じつはその下のレイヤーにきちんとOSが動いているかどうにかかっている。

OSとは、組織化され体系化された思考態度・行動習慣の集合である。それは個人レベルでも持ちうるし、組織内で共有するものでもある。組織内で、先輩から後輩に必ず受け継がれ、ブラッシュアップされていく仕組みができていれば、それは組織のOSと呼べるだろう。ただし、きちんと伝達され、受け継がれていくためには、(当たり前だが)それが言語化されていなければならない。そうしないと意識の層に上がってこないからだ。単なる職場の慣習で、後輩は先輩の背中を見て覚えるのみ。学ぶも学ばぬも、その当人次第、という状態ではOS化されているとはいえない。

OSがどういうものかは、OSがない状態を考えてみれば分かる。たとえばトラブルが起きる。それに対処する。そしてまた、次のトラブルが起きる。また対処する。つまり、外部からのインパクトやイベントに振り回され、必死に適応するだけの状態になる。つねに受け身で、後手後手の行き方、イベントドリブンな仕事のしかたになる。自分で先を見通せなくなる。

別の例を挙げようか。よく工場の製造現場では「5S」とよばれる標語が壁に貼ってある。5Sとは「整理・整頓・清掃・清潔・習慣化」の略だ(「習慣化」のかわりに「しつけ」という語が使われている場合もある)。5Sというのは、組織化され体系化された態度・習慣の集合で、典型的なOSである。何か材料を加工するとか部品を組み立てるといった作業や、そのための工具装置の操作は、アプリケーションである。このアプリがきちんとスムーズに動くためには、5SというOSが確立していることが望ましい。5Sが働いていないと、しょっちゅう材料のモノを探し回らなければいけないし、作業動線がぎくしゃくして怪我をしやすいし、機械は清掃不足で故障しやすくなる。だから、工場では口やかましく、5Sの徹底ということがいわれるのだ。

同じ事は、本当はオフィスワークでもなされていなければならない。あなたは書類がどこにあるか探し回ったことはないだろうか? そもそも設計書や提案書に、すべてファイリングNo.は発番されているだろうか? サーバの中を電子ファイルを探し回ったことは? あるいは床に変なモノが置いてあるおかげで、つまずいたことはないだろうか。飲み物をこぼしてPCや書類をダメにしたことはないだろうか? なぜ知的なるオフィスでは、そういう習慣は不要だと信じられているのか。

もう一つだけ、例を挙げる。わたしの勤務先では、顧客や発注先や誰とであれ、打合せを行ったら必ず議事録(MOM = Munites of Meeting)を書く。議事録には、打合せ内容、出席者、決定事項、アクション事項と期限、などが簡潔に記載されている。それをプリントアウトして、出席した客先や業者に、「たしかにこの通りの内容で間違いない」と確認のサインをもらう。後になって、言った・言わないのくだらない水掛け論を防止するためだ。

とくに客先との打合せMOMは表現に神経を使うので、1時間の打合せの議事録作成に1時間以上かかるのはザラだ。非常に面倒くさい。しかし、少なくともわたしの勤務先では、面倒だからといって省略する者はまずいない。むしろ、議事録がないと落ち着かない気分になるだろう。それが言葉を大切にする『記録重視』のOSとして、習慣化されているからだ。会社に入って、最初にしつけられる作業の一つでもある。

(以前書いたかも知れないが、何年か前、わたしは専務によばれて30分ほど製品開発プロジェクトについて相談した。わたしが席に戻るか戻らないかのうちに、当のその専務からメールが入ってきた。開けてみると、「さっきの打合せの結論はこれこれだったよな。」という、3行ほどの念押しの内容だった。腕利きのプロマネ上がりの専務は、忘れっぽい佐藤に頼らず、自分でMOMを書いてよこしたのだ^^;)

OSとは何か。それは、自分が行う行動を、毎回個別の、単独の行為として終わらせずに、繰り返し可能なシステマティックな行動習慣とする仕組みだ。トラブルが起きたら、「問題解決」の思考ルーチンを立ち上げること。打合せを持ったら、「記録」の行動ルーチンを回すこと。モノを生み出したら、「整理」のルーチンに入れること。

それは思考や行動の抽象化とも言えるだろう。標準化といってもいい(ただし「標準化」というと、全然別の杓子定規なものを連想する人もいるから、わたしはあまりOSの説明にはつかわない)。ともあれ、いったん身につけたら、いつでも、ほぼ同じレベルで繰り返せるようにすること、それによってムラなく効率よく実行できるようにすること。これがOSの力だ。

そういう意味では、「5S」の最後の用語は「しつけ」とするよりも、「習慣化」の方が適当だ。「しつけ」ではなんだか、働いている大人をまるで子ども扱いしているかのように感じる人もいるだろうし。

ただし。世の中の物事には、つねに両面がある。すぐれたOSを持つことは良いことだし、組織がOSを確立する事は、とても大切だ。だが、いったんOSが確立してしまい、パターンやルーチンができあがると、人はしばしば、なぜそのシステムが生まれたのかを深く考えなくなる。とにかく習慣だから、そうするんだ、と考える(深いレベルでは思考停止する)可能性が高くなる。おまけに、組織のOSをバージョンアップしようとなると、途方もなく大変な労力がかかる。みんな、習慣化しているからだ。

それでも、OSレベルの仕組みは非常に大事である。このサイトのテーマは「計画とマネジメントの技術ノート」で、ずっとEVMSだのAPSだのといったアプリケーション・レベルの話題をくわしく紹介してきた。しかし、最近わたしは、おおくの職場で抱えている問題はもっと深層の、OSレベルの問題ではないかと感じることが多くなってきた。それはとくに、いったん自分たちの得意な土俵の外に出たとき、顕著になる。

わたしは現在、海外プロジェクトのマネジメントをテーマとした新著を準備中だ。その本の中でも、知識や技法レベルだけではなく、OSレベルの思考・行動習慣について、あらためて光を当ててみたいと思っている。

<関連エントリ>
 →「あなたは、どう考えるの?」(2014-09-28) 
# by Tomoichi_Sato | 2015-06-24 23:41 | ビジネス | Comments(0)

講演のお知らせ(7月1日)

直近のお知らせになり恐縮ですが、7月1日(水)午後3時30分より、東京・神谷町で下記の通り講演を行います。

サプライチェーンのグローバル化に伴い、海外プロジェクトに取り組む製造業が増えていますが、どこに難しさがあるのか、その成功要因は何かについて、ポイントをしぼってお話ししたいと思います。

なお、主催者の「ものづくりAPS推進機構」(略称APSOM)は、わたしも理事を務める団体で、生産スケジューリングを中心とした製造業の情報化と相互連携のための標準化規格策定と普及を目的とした団体です。
  http://apsom.org/index.html

今回の総会は、「新産業革命『つながる工場』と日本のものづくり」をテーマに、話題のインダストリー4.0に関する基調講演なども行われます。
この問題に関心のある方のご来聴を期待しております。


<記>

ものづくりAPS推進機構 総会講演会

プロジェクトの価値とリスク
  ~グローバル・サプライチェーン構築のために理解すべき原理


 日時: 7月1日(水) 15:30~16:15
 場所: 機会振興会館 B3F 研修1号会議室
     〒105-0011 東京都港区芝公園3-5-8
      http://www.jspmi.or.jp/kaigishitsu/access.html     TEL TEL:03-3434-8216

 参加費用:講演聴講のみは無料、懇親会参加の場合は3,000円
 参加申込み:下記のURLからお申し込みください。
      http://apsom.org/contact/application.html


以上
# by Tomoichi_Sato | 2015-06-22 18:30 | ビジネス | Comments(0)