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拙著『革新的生産スケジューリング入門』の内容を順次公開します

2000年に刊行した拙著『革新的生産スケジューリング入門』 は、ご承知の通り、長らく版元品切れ状態になっています。本書はわたしの初めての単著でもあり、また類書がなかったため、それなりに広く受け入れていただいた、思い入れ深い書籍です。おかげさまで10年以上にわたり売れ続け、今も問い合わせを時折いただいていますが、次第に入手が難しくなってきました。

では生産スケジューリングについて、他にお薦めできる分かりやすい入門書があるかというと、あまり見当たらない状況ではあります。加えて昨今、製造業の方とセミナー等でお話しすると、決まって「計画系に悩んでいます」「スケジューリングをどうにかしたくて」という声を聞くようになりました。

幸い、日本にはアスプローバ、フレクシェの2大巨頭をはじめ、すぐれた生産スケジューラを開発・販売している企業が複数あり、ツールの技術面では、世界のトップ水準を走っていると言えます。

しかし生産スケジューラは高性能・多機能ゆえに、買ってきたらポンと使えるような道具ではありません。工場への導入と使いこなしのためには、生産計画やスケジューリングの基本的な原理原則や、注意すべき点などを、ユーザがあらかじめ、よく理解しておく必要があります。そのためには、やはり適切な入門書が必要です。

そこで、『革新的生産スケジューリング入門』を何らかの形で公開できないかと考えるようになりました。ただ本書の版権は、まだ出版社が保有しています。著者とはいえ、かってにPDFやテキスト・図表などを配布することはできません。

そこで、著者による朗読の形で、拙著『革新的生産スケジューリング入門』の内容を、無償で順次公開することにいたしました。各章をそれぞれ、10分内外の長さになるように分けて、youTubeにアップしていきます。サンプルのurlを以下に記します

プロの制作動画ではないため、多少手作り感のあるコンテンツにはなっていますが(笑)、内容はきちんと理解いただけると思います。

なお当面の間、上記に続く各章の朗読ビデオのurlは、当サイトの新ニュースレターのみでお知らせすることにいたします。

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ちなみに当サイトのニュースレターについても、わたしの宣伝不足のため、ご存じなかった読者も多いかと思います(苦笑)。こちらに登録いただくと、新しいサイト記事を毎回、メールで受け取ることができます。なおBenchmark Emailのメーリングリスト・サービスを利用しているため、利用する際はご自身のメールシステムで、@benchmarkemail.comからメールを受信可能にしていただく(迷惑メールに振り分けられないよう設定いただく)ことをおすすめします。

『革新的生産スケジューリング入門』は20年以上前に書いた本ですが、内容的にはそれほど古びていないと信じています。とはいえ自分で朗読していると、直したい点も出てきました。たとえば用語です。PERTとCPMの用語は、現在のわたしは違う使い方をしていますし、EPSTはESと略すのが普通になりました。ですが、原則として出版時のまま、朗読しています。

また第6章で紹介する生産スケジューラのソフトウェアは、i2 Technologies社のFactory Plannerですが、もうこの会社もソフトも、そのままの形では存在していません。まったく別のソフトで解説し直すことも考えましたが、やはりオリジナルの形のままお届けすることに決めました。パッケージソフトは、いずれにせよ時間とともに変わっていくものですし、Factory Planner自体はこの分野の原型の一つを作ったソフトだからです。

朗読ビデオは数本ずつ順次、ニュースレター経由で公開していきます。朗読・制作にもそれなりの手間がかかりますので、試聴する方が増えてくれれば、それなりに、はげみになります。できるだけ多くの方のご登録を、お待ちしております。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2023-09-13 16:00 | サプライチェーン | Comments(0)

企業経営のガバナンスとシナジーを再考する

わたしの勤務先は数年前、ホールディングス体制に移行した。ご存知の通り、ホールディングス体制と言うのは、親会社が持ち株会社となり、子会社がそれぞれの事業を担う形で、企業体を運営していく方式だ。従来ひとつの会社だったものが、事業分野ごとに分社化したとも言える。

たまたま、わたし自身は、ホールディングスの所属となり、経営企画部門で仕事をしている。分社化する前から、足掛け10年位にわたり、経営企画とIT戦略の仕事を行ったり来たりしていたので、仕事の内容自体に大きな違いはない。

ただ、一つだけ変化した点がある。事業部門との距離感が微妙に、しかしはっきりと、遠くなったのだ。言い換えると、より気を使わなければならなくなった(佐藤に「気を使う」ようなセンスがあるのかどうか、とのご批判はさておくとして)。その代わり、事業部門側の意思決定が速くなった面もあるはずだが。

さて、経営企画部門の仕事には縁遠い読者諸賢も多いと思うので、念のために書いておくと、日本企業の経営企画のおそらく一番重要な仕事は、「中期経営計画」の立案とモニタリングだろう。

「中期」がどれくらいの期間を指すのかについては、会社によって幅がある。多分一番多いのは3年間だろうか。ただし、わたしの勤務先は5年間としている。大型のプラント建設プロジェクトは、4〜5年かかるものも多いので、3年間では1つのプロジェクトさえ終わらないからだ。

経営計画だから、当然ながら向こう3年なり5年間の、売上高や利益額を規定することになる。会社全体の計画数値があり、事業分野・事業会社単位の計画値も当然並ぶことになる。

計画を立てたら、当然、その実行も追いかけなければならない。つまり毎年ないし半年ごとに、計画通りの売上や利益額を上げているかどうか、モニタリングするのである。そして、計画から乖離していたら、何か是正策をうたなければならない。

ここら辺はまぁ、ちょっとプロジェクト・マネジメントに似ている。最初にプロジェクト計画を立案する。そして遂行段階に入ったら、ベースライン計画と実績を比較する。進捗や費用が乖離していたら、是正策を講じる。

実際には、外部環境が色々と変化するから、計画通りいかないのもプロジェクトと同じだ。ところでプロジェクトなら、プロマネが週次ミーティングで、メンバーに対して、ここをこうしろ、あそこをああ変えろ、と指示することができる。

ところが、ホールディングスと事業会社との関係では、ここにちょっと厄介な面が生じる。一般にホールディングス体制では、事業会社は事業の成績、すなわち売上や利益に対して最終的責任を持つことになっている。事業会社の役員や社員の賞与なども、普通はその会社の業績に連動する。他の姉妹会社が黒字でも、その会社の業績が赤字だったら、それなりの報酬しかもらえないことになる。こうしたことも含めて、業績に責任を持つわけである。

そうなると、もしもあなたが事業会社の社長だったとしたら、親会社のホールディングスがああしろ、こうしろと指示してきた場合、どう感じるだろうか。「貴重なご助言、ありがとうございます。しかし当社の業績には、わたしが最終的な責任を負っています。したがって、それに従うかどうかは、わたしが決めたいと思います」と言いたくなるかもしれない。

プロジェクトでは一応、プロマネがメンバーに対する指示の権限を持っている。プロジェクトの最終結果に責任を負うのはプロマネだからだ。ところがホールディングス体制では、個別の事業に責任を負うのは事業会社と言うことになる。すると、親会社であるホールディングスは、ルールやモニタリングのプロセスを決めることができるが、事業に対してはアドバイスできるだけで、従うかどうかは、事業会社側の一存である、ということになる。・・でも、本当にこれでいいのだろうか?

マネージャーをマネジメントすることを、ガバナンスと呼ぶ。マネージャーにはそれぞれ、独立した権限と責任が与えられている。そして、自分で判断する能力もある。そういう自主性・独立性の高いマネージャーを、どのようにマネージするかというのが、ガバナンスの本質だ。財務ガバナンスとか、ITガバナンスとか、データ・ガバナンスとか、いろいろな種類があるが、その点は共通している。

ではガバナンスには、ルールやプロセスを決めるだけで、何の強制力は無いのか? もしそうなら、そもそもガバナンスにはどういう実効性があるのか?

この問題のヒントは、実は意外なところにある。M&A=企業買収である。経営企画部門に入ると、実にいろいろなところから、M&Aの案件が持ち込まれる。秘匿性が高いので、社内でもごく一部の人間しか、その検討内容は知らされない。ともあれ、「こんなところが、売りに出ているのか」といった世の中の実情が、結構あらわにわかる仕事である。

おまけにM&Aの仲介業は、現在最も年収の高い職種の1つであると言われている。M&Aに関わる仕事は「かっこいい」と受け取る人たちも少なくないようだ。

そんなに素晴らしい仕事かどうかはともかく、M&Aでしばしば使われる言葉が「シナジー」だ。シナジーとは、買収や合併によって、事業価値が増大する効果を指す。つまり、1 + 1が2以上になる、そういう働きをシナジーと呼ぶ。

例えば、自社が持っていない製品を相手先が複数持っていたりすると、製品ラインナップを総合的に強化する働きが生まれる。あるいは、自社の得意とする販売先の業界や地域エリアが、相手先と重なっていない場合には、互いの製品を販売できるルートが増えることになる。こうしたことをシナジーと呼ぶ。

さらに、調達面でのシナジーもあり得る。単純に購入量が増大するから、仕入れにボリュームディスカウントが聞きやすくなると言うこともあるし、異なるサプライヤーと信頼できる関係を築いているのならば、調達における自由度や安定性が増す。

お互いに持っている知識・経験や技術などを共有できるメリットも大きい。さらに、人材や生産設備・物流設備など、経営資源を共有化することで、オペレーションのフレキシビリティーや効率性を上げることが期待できる。

時期的なものもあるかもしれない。自社は半導体のシリコンサイクルに売り上げが影響されるが、相手先は別の業界サイクルによって動いていれば、売り上げの総合的な安定性が増す面もある。さらに、ブランド面での相乗効果も期待できるかもしれない。

このようにシナジーは、いろいろな面で起こり得る。したがって、M&A =企業買収においては、どのようなシナジーが期待できるかが、買収価格決定における大きなファクターとなる。

もしもシナジーが全く期待できなければ(そういうこともしばしばあるわけだが)、その買収は「単なる足し算」と呼ばれる。売上も利益も単に合算されるだけ。まぁ、売り上げが見かけ上、増加するだけで喜ぶ株主もいないわけではないが、M&Aには、相当な費用と労力と、しばしば双方の苦痛を伴うので、それだけのコストを支払って、単なる足し算で一体何を得たのか、と問われることになる。

さて、このような観点で、ホールディングス体制と言うものを見つめ直してみると、気づくことがある。それはまさに、自社グループの事業会社間に、シナジーがどれだけ働いているのかと言うことである。もしも全く他とのシナジーのない事業会社があるのならば、その会社はグループ内にとどまっている価値がほとんどない。

逆に言うなら、コアの事業会社は、その企業グループ内において、他と大きなシナジーを生んでいるわけである。他のグループ会社を助けているわけであり、他から助けを得ているわけでもある。

こう考えてくると、事業会社の社長が、損益に最終的責任を持つ、と言うことの意味が少し変わってくる。その会社が、外とのシナジーを置き去りにしてまで、自社の利益を追求した場合、どうなるか。企業グループ全体では、価値を毀損するかもしれない。

シナジーと言うのは、『協力』の別名である。兄弟会社との協力をながらないがしろにして、自分だけの損得を優先するのでは、次第に信頼を失っていくだろう。そのようなふるまいは、中長期的にはサステイナブルとは言えない。

ガバナンスは、だから必要なのである。ガバナンスは、グループ内のシナジーを維持強化するために必要なのだ。事業会社の自由度を多少減らしても、シナジーの働きを確保すること。これがガバナンスの重要な目的の1つである。ガバナンス上の要請は、単なるアドバイスにとどまらず、事業会社に従ってもらわなければいけない場合もあるのである。

ところで、このシナジー効果について、リストを作ったり、客観的に大きさを測ったりすることができるのだろうか? この点は率直に言って、現在の経営学ではまだあまり手付かずの状態らしい。

ネットなどを調べてみるとわかるが、シナジーの分類についても、ずいぶんと諸説ある。例えば、三井住友銀行は、以下の3つを挙げている(三井住友銀行「ビジネスにおけるシナジーとは?効果やメリット、生み出す方法を解説」)。

<以下引用>
  • 事業シナジーは、事業の推進に関するものです。売上の増加、コスト削減、スケールメリットの増大、人材の獲得・活用、ノウハウの統合によって付加価値が高まるといったものがあります。
  • 財務シナジーは、お金や税金に関するものです。合併などで増加した余剰資金の有効活用が可能になることや、単年度で所得が赤字だった際の繰越欠損金の税控除やグループ法人税制を利用した節税効果などが挙げられます。
  • 組織シナジーは、組織に関するものです。互いに協力してアイディアを出し合うことによる生産性の向上や事業部門の集約による業務効率化、高いパフォーマンスを発揮できる環境が整うことによる従業員のモチベーション向上などがあります。
<引用終わり>

ところが、日本M&Aセンターと言うところは、シナジーを、仕入れ・製造・物流・販売・事業・財務の6つに分類する(日本M&Aセンター「シナジーとは?企業経営におけるシナジー効果、企業事例を解説」)。他にもいろいろな分類の仕方があり、英語にまで検索を広げてみると、もっとバラエティーが増えてしまう。これはつまり、経営学の中で、まだ定説がない状態であることを意味している。

M&Aと言えば、現代の経営論の花形である。それなのに、なぜ、その重要なファクターであるシナジーについて、かくも未整理な状態なのか。

ここから先はわたしの単なる推量だが、現代の経営学には、企業の機能と構造を、システム工学の観点から見るアプローチが、欠落しているからではないか、と思われる。システムとは、それを構成する要素が、互いに支えあったり、強めあったりすることによって、特定の機能なり目的を果たす仕組みである。機能要素の助け合いの中には、しばしばループ的な強め合う関係も生じる。それが安定なシステムの特徴だ。

シナジーとは、まさに、このシステムとしての特徴を指す言葉ではないか。

ただし、人工衛星や携帯電話といった機械的なシステムと違い、企業とはそれぞれ思考能力も思惑も欲望を持った人間群から、成り立っている。そして意思決定は、組織の中の職員に従って階層化されている。こうした複雑性があるので、単純な機械論的アプローチでは、なかなか経営のシステム分析が進まないのだろう。

中期経営計画とは、いわば経営のシミュレーションである。定量的なモデルがあって、それを回すと結果が出てくるならば、ありがたい。しかし何しろ、外部環境にも内部状態にも不確定性が多く、そう単純にはいかない。ただ、中期経営計画は、投資家に対するコミットメントと言う性格も持つ。そこで計画から乖離した場合には、何らかの挽回処置が必要になる。

この時、企業グループ内の全体をハーモナイズさせ、より良きシナジーを見出そうとするのが、本社としての役割である。シナジーが期待される以上、グループの構成員は、完全に独立した自由裁量を持っているわけではない。

そしてこの関係は、もう少し一般化すると、社会と個人の間にも言うことができる。社会は、企業のような経済活動を目的とした組織ではないが、互いに支え合う協力関係によって成り立っている。だから各個人は、たとえ法律に明文化されてないとしても、社会の中で、お互いの振る舞いにある程度の制約を受ける。というより、このシナジー=協力関係こそが、個別の法律の根底にあるのかもしれない。

現状のわたし達の社会は、まだまだ成熟から程遠いのかもしれないが、「損得だけで動き、何をやっても自由」と言う論理だけでは、サステイナブルな社会は築けないのである。

<関連エントリ>
「ガバナンスの最適設計を考える​​」 https://brevis.exblog.jp/19964608/ (2013-03-18)

# by Tomoichi_Sato | 2023-09-04 19:13 | ビジネス | Comments(0)

書評『データで読み解く中国経済』 川島博之・著

「データで読み解く中国経済―やがて中国の失速がはじまる」


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社会にとって経済成長とか経済発展とは、どういうプロセスなのだろうか。そのことを時々考えている。そういうことを考えるのは、本来、経済学の仕事だろう。だが、この10年間ほど、経済学が人々からその信用を失った事はなかった、と感じる。

なるほど、今でもエコノミストや経済学者は、論壇で活躍し、国の舵取りの指南をしている。でも、その結果、わたし達の社会は10年前に比べて、豊かになっただろうか。豊かさの方向に向かって、波しぶきを切って進んでいるだろうか。今ほど、わたし達の社会が、経済に関して自信喪失に陥った時期は無いのではないか。

本書の著者・川島博之氏は東大農学部の先生である(本書執筆当時)。もともとの専門は化学工学で、工学博士の学位を環境工学の研究で得られた。専門はシステム分析、特に農業生産に関するシステム分析的な研究で知られる。経済学者ではない。

そして本書の出版は、2012年11月。今から10年以上前の本だ。ちなみに本書の帯には、「中国は『失われた20年』へ突入した!」との煽り文句が、出版社によって描かれている。とりあえず今までのところ、この予言はあまり当たっていないように思われる。

だとしたら、今、この本を読むのはなぜか。そして書評に書き、読者諸賢にも、手に取って見ることをお勧めする理由は何だろうか?

答えは簡単だ。ここには普通の経済学者がやらない、経済成長に関するシステム工学的な分析が描かれているからだ。それも手に入りにくい、かつ信頼性に乏しいデータをもとに、いかに複雑な対象のシステムをモデリングしていくかについて、誠実かつ克明に記されている。この点が、本書の最大の価値である。

ただし、ほとんどの読者は、この本を「中国論」の文脈で読むだろう。そして著者もそういう意図で書いている。今や中国を理解せずに、現代世界の動きを理解することはできない。だが「中国の理解」と言う時、これまでのほとんどの論者は、自分の得意とする分野や視点に限り、定性的に論じることがほとんどだった。中国政府が公開する統計データが信頼に足りないことも、大きな一因だ。それ故、多くの論者たちは、中国に対する自分たちの価値観や願望やら敵意をもとに、議論の弱さを補強してきた。

しかし著者の川島氏は、あえてその方法をとらず、手に入り得る限りのデータをもとに、極めて多角的・多面的な分析を加えることで、立体的な中国像を描こうと努力している。

その真骨頂は、第2章の、エネルギー消費量から始まる各種統計数字の分析である。90年代後半から2000年にかけての、中国のエネルギー消費量の数字には不自然な点がある。そこで一人当たりのエネルギー消費や、経済のエネルギー効率(石油換算1トンのエネルギーを使用して生産できるGDP)などのグラフを作って国際比較を行い、中国の石炭依存と、朱鎔基の国営工場改革から、実像を割り出していく。

また、農業生産額・工業生産額やサービス生産額がGDPに占める割合と、一人当たりGDPの関係を他国と比較し、開発途上国としての中国における一人当たり農業生産が、都市住民に比べて、12.3%程度にしかならないことを指摘する。これはこの後の本書の論点に対する、重要なフックになっている。

さらに、政府支出額がGDPに占める割合の分析から、社会主義国であるにもかかわらず、中国は大きな政府とは言えないことも指摘する。ただ、GDPに占める消費と投資の比率では、中国は44%が投資によっており、突出して高い比率であることを示している。「日本の高度成長も投資によって牽引されたものであったが、1970年頃になると低下し始めている。それに比べると、中国の投資の割合は高い水準を維持しており、(中略)奇跡の成長の秘密はここにあるようだ」(P.99)

続く第3章では、著者は「中国統計年間」のデータをもとに、成長から取り残される農村社会について、いろいろな角度から分析する。周知の通り、中国の戸籍制度(「戸口」)は、都市戸籍と農村戸籍に分けられている。「農村戸籍の人は、年金制度や医療保険において、都市戸籍を持つ人よりも著しく不利になっている。」(p.109)。年金もなく、医療保険についても差別される。「都市に出た農民工が都市で、農民戸籍の女性と結婚しても、生まれた子供は農民戸籍になってしまい、都市の学校に通わせることができない」(p.109)。そのかわり、農民に対する農業収入には税金が課されない訳だが。

中国における工業の発展と、農村生活が決して豊かとは言えないことから、農村から都市への人口流入が大きく続くことが見て取れる。では、その人達への住宅供給は、誰が行うのか?

「中国の土地は公有制になっている。個人や企業が土地を所有することはできない。農地は多くの場合、村が所有している。農民は村から農地を借りて耕作を行う」(P.165)。ここに、もう一つのポイントがある。

日中戦争の末期、日本軍が大陸から敗退し、「共産党は延安を根拠地にして、解放区と呼ばれる支配地域を少しずつ広げていった。解放区において、地主から土地を取り上げて、小作人に分配したのだが、このことは共産党が中華人民共和国を建国する上で、極めて重要な役割をになった」(P.167)

何億人もの人口が農村から都市に流入する。その際の都市のインフラや住宅は、誰がどのように投資し供給してきたのか。それをコントロールしてきたのは、地方の共産党幹部であった。著者は土地開発公社が、100ヘクタール程度の都市近郊住宅造成の開発を行う場合の、不動産価格等の分析を行って、ほとんどタダ同然の値段で手に入れた農地が、1500億円相当の儲けを生み出すと推算している。ブルームバーグが推定する中国の裏マネーの総額は、この土地取引に関わる金額とほぼ同額になる。

農業中心の社会が、近代化とともに、工業中心の社会に変わっていく時、農村から都市への大きな人口流動がある。そしてそれに伴って、鉄道、港湾、道路、河川等のインフラの整備が必要になる。教育、医療、スポーツなどのサービス施設も必要だ。それは高度成長期の日本でも求められたことだ。

こうした実物資産、言い換えると社会資本がビルドアップしていく時、そこに経済価値が生まれる。このプロセスを整合性を持って進められるかどうか、また意思決定に透明性を持てるかどうかが、社会の成長や発展にとって致命的に重要になるのだろう。

本来、これはまさに「プログラム・マネジメント」の領域である。そして、経済政策・産業育成政策は、投資プロジェクトのポートフォリオと、産業連関と、その効果測定によって計画され、コントロールされるべきなのだ。だが、これが一部の権力を持った政治家と開発業者たちの、私的な利潤追求の物語にすり変わってしまいがちなのが、現代社会の病根だろう。そうした権力者たちは、経済政策と言われると、不動産開発やイベントしか思い付かない、思考の欠乏症に陥りがちだ。

本書の最後の部分は、中国における土地インフラ開発による経済成長が、ある種の踊り場にたどり着き、不動産のバブル崩壊が始まっていることから、中国の経済停滞が起きるだろうとの予測に紙数が使われている。ただし、中国共産党の支配体制は、そう簡単には崩壊しないと著者は予測する。

「地方政府が農地の転用に際して、不当に手に入れた資金が奇跡の成長の原動力であった。しかしそれによる成長は行き詰まりつつある。それがバブル崩壊を引き起こしている」(p.301)――これが本書の基調をなす論点だ。

しかし現実を見ると、著者が予言したような中国経済の失速は、あまり劇的な形では起きてこなかったように思う。コロナ禍による経済停滞はあったが、それは中国だけの現象ではない。

このことは、システム分析による予測のある種の難しさを示している。システムがビルドアップしていくときは、比較的予測がしやすい。順々に発展していくからだ。ところがシステムの崩壊現象は、何らかのきっかけで短期間に突然起こる。こちらは具体的にいつ、どこが崩れるかを、正確に予測する事は難しい。ちょうどテーブルに荷重をどんどんかけていった場合に、いつどこの脚が重みで座屈するかを予測するのが難しいのに似ている。

川島氏は、本書のいわば続編として、2015年に「データで読み解く中国の未来―中国脅威論は本当か」https://amzn.to/45LUSVC も出版しておられる(こちらは未読)。これもデータに基づくシステム分析のアプローチを展開しているようだ。川島氏には、わたしが主宰する「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」でも、ずいぶん以前だが、一度講演をお願いしたこともある。その時のテーマは文字通り、『システム分析』であって、著書「戦略決定の方法」https://amzn.to/3PdBQ4X で展開された方法論を解説いただいた。

システム分析とかシステム・アナリストといった職種・専門分野を名乗る人は多い。しかし、そのほとんどがIT分野における業務プロセスの分析とかITシステム要件の定義の仕事である。複雑でわかりにくい対象をモデリングし、価値観をもとにどのようなアプローチの戦略を立てるか、といった問題を論じられる人は少ない。まして、それをプログラム・マネジメントの視点に立脚して構築できる人は、ほとんど皆無に近い。

だが、エコノミストの職分を含めて、私たちの社会で本当に必要とされるのは、結局のところ、そういった専門家=本当のシステム分析家ではないだろうか?


<関連エントリ>
「書評:「『戦略』決定の方法 〜ビジネス・シミュレーションの活かし方」 川島博之・著」 https://brevis.exblog.jp/22891611/ (2015-03-19)


# by Tomoichi_Sato | 2023-08-27 19:04 | 書評 | Comments(0)

お知らせ:9月28日(木)にプロジェクト・マネジメントに関する1日オンラインセミナーを開催します

プロジェクト・マネジメントの研修と言うと、読者諸賢はどんなイメージをもたれるだろうか? 大学の授業やネット配信の教育コンテンツのような、座学と確認テストを組み合わせた形のものだろうか。それともテーブルを囲んでグループでにぎやかに議論したり、イメージ図を書いたりするようなタイプだろうか。あるいは、合宿形式の新兵訓練トレーニングのような、肉体的にハードな管理職強化訓練プログラムだろうか。

それは研修に何を求めるかによって、異なるはずだ。知識伝達型の座学は、資格試験の合格を目指すケースに多い。資格制度ではなくても、社内や業界内で確立されたプロジェクト・マネジメントの手順や書式について、伝授するような目的にフィットしている。

テーブルを囲んで議論するグループ演習タイプの研修は、 もう少しソフトで不定形な、 もやっとした種類のプロジェクトを、どうやって乗り切るかが主題になる。テーマは、デザイン思考だったり、ステークホルダー対応だったり、リスク対策だったり、あるいは部下の使い方一般に関することだったりする。新兵訓練型トレーニングは、PM界では最近ほとんど見かけないので、略そう。

ちなみに、座学で伝達可能な情報や技法を中心としたスキルを「ハード・スキル」と呼び、 創発的でやや定性的な問題解決などの能力を「ソフト・スキル」と呼ぶ。 後者は「人間力」などと呼ばれたりもする。ハードスキルは、ペーパーテストでの評価に向いている。後者は、状況の個別性に依存する分が大きいので、ペーパーテストで判定するのは難しく、経験した時間数や年数等でおよそ推察されることが多い。

もう少し言い方を変えれば、座学による情報伝達中心の教育プログラムは、「インプット学習」のためのものだと言える。 他方、グループ編集による問題解決の研修方法は、「アウトプット学習」に向いている。 そしてインプット学習とアウトプット学習の2つは、本来上手に組み合わせて使うべきものだ。

わたしは15年ほど前から、大学でプロジェクト・マネジメントの講義をずっと続けている。法政を皮切りに、東大、静岡大学、そして筑波大学と、都合により時期や場所を変えつつ、学部や大学院で1学期単位の授業を持ってきた(他の先生と2名で分担するケースもあるが)。いずれのコースでも、全体の前半はインプット学習、後半〜最後の部分は、グループ単位でのアウトプット学習を活用している。

悩ましいのは、むしろ社会人相手の研修だ。大学生よりも、社会人の方が、ずっと研修意欲が高い。 実際のプロジェクトで苦労した経験があるだろうから、当然のことだ。しかしその代わりに、研修を受けるまとまった時間がなかなか取れない。 丸1日か、せいぜい丸2日。それが限度らしい。

だがこれでは、大学1学期分の講義を教えることはできない。PMBOK Guideが長らくカバーしてきた、10の知識エリア・5つのフェーズを、本当ならば全部触れておきたい。そうしないと、10エリアの中心に位置する「プロジェクト統合マネジメント」が、うまく理解できないからだ。そしてここがわからないと、プロジェクトで良い決断を下すことができない

プロジェクトになぜ、「統合マネジメント」が必要なのか? それは、プロジェクトにおけるスコープやコスト、スケジュール、品質、リソース、リスクといった要素が、お互いに関係し、あるいはトレードオフを形成しているからだ。

つまり端的に言って、プロジェクトとは「システム」なのだ。システムだから、その中の1つの要素は、他とつながりあいながら機能している。ただしプロジェクトと言う名のシステムは、携帯電話や人工衛星と違って、目に見えない。アクティビティ(単位作業)のネットワークによって構成される、一過性のものだからだ。

この「システム的なプロジェクトの見方」を理解してもらうには、二つのアプローチがある。一つは、プロジェクト計画立案のステップを順次追いながら、それぞれの関係性を学ぶ方法。もう一つは、自分の目や手を動かしつつ、議論を通して、体得する方法。前者は座学セミナー的な枠組みになんとかはまる。後者は、リアルなグループ演習の方が望ましい。

わたし自身は、1日オンラインセミナー形式で前者を、そして2日間のリアルセッション形式で後者を、カリキュラム開発して提供してきた。今年も、9月28日に1日オンラインセミナーを、そして10月25日と11月3日に浜松で2日間リアルセミナーを開催することになった。

今回はまず、9月28日のお知らせをさせていただこう。浜松のセミナーについても、近々詳細が固まるはずなので、決まり次第こちらでご案内するつもりだ。



来る9月28日(木)に、プロジェクト・マネジメントに関する1日セミナーを行います。プロジェクト計画と遂行の基本となる、PM「7つ道具」をはじめ、プロマネが身につけるべき基本的なスキルと技術について、解説します。

オンライン形式ですが、グループ演習などもできる限り取り入れて、具体的な学びにつながるセミナーにするつもりです。遠隔地の方も参加しやすいと思いますので、ご検討ください。

プロジェクトを成功させる実践マネジメント技法とそのポイント」(9月28日)

日時: 2023年9月28日(木) 10:30 ~ 17:30
主催: 株式会社日本テクノセンター
セミナー詳細: 下記のURLをご参照ください(受講申込もここからできます)

大勢の方のご来聴をお待ちしております。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)




# by Tomoichi_Sato | 2023-08-20 22:26 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

『特殊病』それは日本の病気です

自分のプロフィールに「国内外の製造業及びエネルギー産業向けに、工場作り・生産システム構築の仕事に従事してきた」などと書いているためか、「日本の製造業は、海外に比べて特殊なのですか?」という趣旨の質問をされることが、時々ある。「なぜ日本と海外はこうも違うのでしょうか?」といった聞き方の場合もある。

こうした質問は、日本と海外で同等なはずのものが、なぜか違っていた、との事例とともに、語られることが多い。例えば、同じ企業のグループに属しながら、生産管理系のパッケージソフトを、海外工場ではノンカスタマイズでスムーズに導入できたのに、国内工場では苦労したあげく、失敗したという事例。あるいは、国際標準に従ったサプライチェーンの仕組みが、日本国内だけどうしても使えなかった事例。

さらに、国内では立派なプロジェクトマネジメントの実績を持つ会社が、海外に出て行って遂行したら、赤字や納期遅延で痛手を被ったケース、など、似たような事例は案外多い。かくして『日本特殊論』みたいな疑念が生まれてくる。それは果たして本当だろうか、という訳だ。

この種の質問に対する、わたしの答えは、イエスでもありノーでもある。海外と言う時、具体的にはどこを指すのか。一口に海外といっても、米国と欧州では事情もかなり違うし、中国、韓国、東南アジアでも状況はそれぞれ異なる。南アジアや中東のややこしさは言うまでもない。それなのに十把一絡げに、「海外はああだが、日本はこうだ」と対比して言えるのか?

さらに「特殊」という言葉には、一種の価値判断的な響きがある。特殊はまずいことで、普通が良いことであるかのような。そこで、グローバル標準を背負って推進する立場の人に、「日本は特殊だ」と主張されると、なんだかお前は劣等生だ、と言われてるみたいな反発心も芽生えたりする。

一方、「特殊」という用語は、「差別化された」「専門的な」とのニュアンスで、ポジティブに使われることも多い。特殊陶業とか特殊鋼板といった言葉を含む社名は、もちろんそれなりのプライドを感じつつ選ばれたに違いない。むしろ「特別」という形容に近いのだろう。

なので、海外と比べて日本は特殊か、と問われても、わたしの答えは「場合による」となってしまう。違っている点はいろいろある。ただ、それは日本だけのことなのか、他にも同様の国はないのか、吟味が必要だ。もちろん、世界の8割がある傾向に属していて、日本が2割の側だとしたら、さすがに「日本は少数派だ」とは言えるだろうが。

それでもわたしの経験から、日本企業にかなり共通する特徴的な点を一つ、挙げることができる。それは、「自分たちの業務は特殊である」という自己認識が、非常に多い点だ。

仕事柄いろいろな企業と付き合ってきたが、どこの会社を訪れても、「ウチの業務は特殊です」「うちの業界は特殊です」という。人の命を預かる医薬品を作っているから特殊だ、爆発物や危険物を大量に扱うから特殊だ、人の口に入る食品を作っているから特殊だ・・という訳だ。

どこの会社に行っても、「うちは特殊です」と、判で押したように言われる。この点は驚くほど共通していて、普遍的である。おかしなことに、ほぼ正反対の理由でも、特殊性の説明になる。曰く、ひどく高価で少量な製品を扱うから特殊だ、ひどく安価でバルキーな商品だから特殊だ・・。そして(わたしの限られた経験ではあるが)、このような特殊性の言明を、欧米企業やアジアの企業から聞いた覚えがない。

「自分の業務は特殊だ・特別だ」という自己認識が、日本企業に限っては普遍的である。まことに奇妙なパラドックスと言わざるをえない。そして、特殊なるが故に、「自社の仕事は難しい」「他の業界や他社の事例は、参考にならない」という反応につながっていく。

この特殊性の主張は、業界や企業個社だけでなく、部門の業務に降りていっても、現れる。この部の業務は他に比べて特殊で、という枕詞が、たいていの説明の頭につく。さらに、「この業務を担えるのは⚪︎⚪︎さんだけで」との、属人的な分担にまで行き着く。これをわたしは、『特殊病』と呼ぶことにしている。

ちなみに「特殊」を表す英語は、”Special”である。もちろん欧米企業にも、specialな業務は色々ある。そして、それを担う職種は「スペシャリストSpecialist」だ。会計にも設計にも物流にも、スペシャリストがいる。彼らは、一種の敬意の対象でもある。だがそれは、彼らの仕事が属人的であることを意味しない。

むしろ、設計のスペシャリストなら、どこの会社に移っても、専門家として通用することが期待される。スペシャリストの技量は普遍的である、というのが彼らの認識であって、特殊な仕事だ、とは見なされない。この点が、日本における『特殊病』との違いだ。

『特殊病』はなぜ、立ち現れるのか。「特殊である」という説明は、日本企業や当事者にとって、どのようなメリットがあるのか?

そのヒントは、先に述べた「差別化」にある。特殊な会社・特殊な業務とは、差別化された存在であることを暗示している。差別化されているが故に、他社や他の業界からは学ぶことができない、という訳だ。

もともと差別化戦略は、単純な競争を避けるための手段として、発展してきた。同じような性能・仕様での、コスト競争のガチンコ勝負を避けるため、ライバルにはない機能・特徴を加味し、それをユーザにアピールする。これが差別化だ。

差別化とはつまり、単純比較から逃れるための手段である。他業界とのベンチマーク、他社とのベンチマーク、そして他の部署や従業員との比較競争から、少しでも逃れ出るために、無意識に差別化=特殊化を選ぶ。

普遍化とか標準化という思考は、物事を定型的に比較しやすくする作用を持つ。差別化・特殊化は、それに対抗する方向性だ。つまり『特殊病』とは、比較からの無意識の逃走である。これは無意識的な傾向であって、別に業務の特殊性を、戦略として会社が意識して選んでいる訳ではない。たいていの社内業務はユーザとは無縁のところで働いており、アピールする意義もないからだ。

業務の細部が属人化していく傾向もまた、その仕事を担う個人の、ジョブ・セキュリティを守る意義がある。彼(彼女)しかできない仕事があって、それが重要なら、簡単にはクビにできないことになるからだ。「この業務は特殊」派の人々は、現場業務に現れる例外的な事象をよく知っていて、ああいう事象もある、こういう例外もある、と指摘するのが得意だ。

では、特殊病が企業にもたらす病状とは何か? こたえは簡単、「学ぶ能力の喪失」である。なにせあらゆる存在、あらゆる業務が特殊で、比較できる対象が無いのだから、外を見て学ぶことはできない。そればかりか、特殊性は新規業務や新規製品にともなっても現れるから、昔と今を単純比較することも難しくなる。つまり、製造業お得意のPDCAサイクルさえ、十分機能しにくくなっていく。「最近の状況は特殊」だからだ。

企業が学ぶ能力を喪失したら、前進していける訳がない。日本企業を覆う『特殊病』が、重大な病状であることはお分かりいただけると思う。

そしてこの『特殊病』は、ある意味、単純なグローバリズムに対峙する局面で現れやすい。グローバリズムを単純に一括りすることは難しいが、少なくともその中心に、規模拡大志向と標準化思考があることはお分かりだろう。秦の始皇帝や豊臣秀吉が、度量衡の統一を重要な施策としたのは、彼らが標準化の力をよく理解していたからだ。

現代のグローバリズムはもっとソフィスティケートされた仕組みで、標準化のローラーを世界中にかけていこうとする。そして、もちろん日本国内にも、欧米の最新の方法論を輸入して、強引に展開していこうとする人たちがいて、政財界やメディアに一定の影響力をもっている。

ここまで来ると、なんとなく、学生時代に読んだ丸山眞男『日本の思想』 における、「理論信仰と実感信仰」の議論を思い出す。丸山は日本文化における、二つの無意識的傾向を指摘する。一つは「理論=公式」に寄りかかって、万事にそれを適用しようとする、理論信仰派である。もう一つは、現実世界に対する自分の実感が全てで、それによって理論を拒絶する、実感信仰派だ。前者の方が少数だが口数は多く、後者は多数派で無言の抵抗をする。この書物は今でも必読の文献だと思う(昭和の思想史の文脈を多少知らないと読みにくいが)。

・・さて、以上の書き方でお分かりの通り、わたし自身はどちらの側にも組みしない。グローバルな公式を無邪気に振り回す理論信仰派には共感できないが、現場業務の特殊論で身構える実感信仰派も、問題があると感じる。『特殊病』のスタンスは所詮、守りでしかなく、将来のビジョンを生みにくいからである。

特殊か普通か、個別か普遍か、といった議論は元々、相対的なものだ。それは西洋哲学を知るとよくわかる。もちろん、日本と欧米の製造業の商慣習はいろいろと異なるが、どちらが特殊でどちらが普通かといった議論よりも、経済社会という大きなシステムの中で、どれが合理的かというふうに考えるべきだと思う。

そしてわたしは、現状肯定に陥りやすい特殊性への着目よりも、より広いパースペクティブでの『抽象化』能力を育てることの方が、現代の日本企業には必要ではないかと考えている。

わたしのよく使うたとえだが、在庫理論とは業種業界を問わず普遍的で、ストックする対象がダイヤモンドであろうが、トイレットペーパーであろうが適用できる。それは在庫理論が、対象を抽象化した上で得られた、マネジメント・テクノロジーだからである。ダイヤモンドとトイレットペーパーでは、単価も、売り方も、生産技術も、なにもかも違うように思える。だが、在庫として抽象化してしまえば、共通の考え方とツールが使えるのだ。

『特殊病』が日本ではびこっているのは、経済の下降局面で守りのスタンスにいるからだろう。だが特殊化思考だけでは、未来は切り開けない。わたし達の社会の個性や伝統を生かしながらも、外に打って出られるだけのビジョンを得るには、抽象化する能力が必要なのである。


<関連エントリ>
 「特別な我が社」 https://brevis.exblog.jp/10565262/ (2009-07-06)
 「必要な人はいつもたった一人しかいない」 https://brevis.exblog.jp/2916445/ (2006-03-06)
 「書評:「反哲学入門」 木田元・著」 https://brevis.exblog.jp/23954340/ (2015-12-12)


# by Tomoichi_Sato | 2023-08-12 21:00 | ビジネス | Comments(3)