先週の5月26日に、「アジア・シームレス物流フォーラム」https://mf-p.jp/aslf/ のパネル・ディスカッションに参加してきた。このフォーラムは日本マテリアルフロー研究センター(JMFI)が主催する展示会で、国内外の大手物流関連企業が集まっている。コロナ禍が過ぎて3年ぶりにリアル展示となり、来場者数も多くかなり盛況だった。物流関係の催しなので、本サイトの読者からは縁遠いかと考え、とくにお知らせもしていなかったが、SCMの関連テーマもあり、広報すべきだったかもしれない。
という豪華メンバーだった。ここに日揮の佐藤が加わったわけだが、わたし自身はエンジ会社の社員としてではなく、(財)エンジニアリング協会「次世代スマート工場エンジニアリング研究会」の幹事として呼んでいただいた、と認識している。 さて、ディスカッションのテーマである、「物流の高度人材」とは、何を意味しているのか。じつはその背景に、国交省が2021年に発表した、「総合物流政策大綱 2021年度~2025年度」 という文書がある。この中で、国は2025年までの政策方針として、以下の3点をあげている:
この①「簡素で滑らかな物流」の中で、物流業務のデジタル化や自動化・機械化の推進、標準化の取組み、データ基盤の整備、などと並んで、「高度物流人材の育成・確保」をサブテーマとして掲げているのである。 デジタル化・機械化・標準化・データ基盤・・と並ぶのを見ると、ほとんどまるきり「スマート工場」ないし「製造業のスマート化」の課題と同じではないか。これはつまり、主に経産省の配下にある製造業のスマート化と足並みをそろえて、物流センターや輸配送事業のスマート化を、監督官庁である国交省が進めようとしている、と捉えられるだろう。 ちなみに「総合物流政策大綱」は数年おきに制定されているが、この最新版の検討が始められたのは、ちょうどコロナ禍による都市のロックダウンが深刻化した、2020年の半ばからであった。グローバル化したサプライチェーンが寸断され、消費財や原材料もアジアから入ってこなくなりそうな段階だった。加えて、すでにトラックドライバー不足による「2024年問題」が社会課題として認識され始めていたときだった。
ところで政策大綱では「高度物流人材の育成・確保」の主なKPIとして、「大学・大学院に開講された物流・サプライチェーンマネジメント分野を取り扱う産学連携の寄附講座数」をとりあげ、2025年度までの目標値=50講座としている。つまり、大学における物流研究と教育のコースを増やそう、大学で物流人材を育てよう、というのである。 国の政策の実現を、民間の寄付講座に頼るというのは、なんだか素人目からすると奇妙に思えるが、それはおいておこう。ともあれ、物流講座を大学に設置しよう、というのである。 実際、東京大学では2020年度から、先端科学技術研究センターに「先端物流科学」 寄付講座が開設された。指導されるのは、今回のパネラーでもある渋滞学の西成活裕教授である。スポンサー企業は、ヤマトホールディングス、SBSホールディングス、鈴与、日本政策投資銀行、モノフルの5社だ。 ちなみに西成先生によると、東大に物流の講座を作ろうと考えてから実現するまで、10年かかった、という。「途中で2回挫折して、もう不可能かと思ったときもあります」と言われていた。それでもなんとか実現できたのは、もちろん西成先生のリーダーシップによるところが大きい。 他に、ネットで調べると、京都大学、大阪大学、横国大、早稲田、青山学院、法政、明治、上智、中央など、それなりの数の大学で物流関連寄付講座が開設されていることが分かる。学科としては、多くが商学部ないし経営学部のように見える。つまり物流の仕事とは、日本の分類では「文系」だと理解されているようだ。東大のように理系に置くのは、例外である。 ところで読者の皆さんに質問したい。かりに「スマート工場」実現の人材教育を設置するなら、皆さんは理系に置くだろうか、文系に置くだろうか。寄付講座のためにお金を出す経営者の立場になって、考えてみてほしい。また勉強して、就活に活かしたいと願う学生の立場だったら、どう思うか。 世の中の物事を「理系・文系」に強引に分割して、平気でいる日本文化のおかしさについては、以前も批判しているので繰り返さない。だが、もし「工場スマート化」は理系だが、「物流スマート化」は文系の仕事だ、と思っているのだとしたら、どこか何か奇妙だと感じるセンスが、肝要だ。
もう少し踏み込んで、あえて聞くことにしようか。読者諸賢は、皆さんの子女や知り合いの学生が、大学で物流を学んで、『高度人材』として物流業界に就職したら、「おめでとう! これで将来は立派な物流プロフェッショナルとして嘱望されるね!」と、お祝いするだろうか。MBA(経営学修士)の資格を取ったとか、それよりは大分落ちるが工学修士(笑)とか、と比肩するような期待をかけるだろうか? わたし自身だったら、きっと、そう伝える。だが、そんなわたしが世間で少数派であることも、知っている。わたしは物流マネジメントが、生産マネジメントやプロジェクト・マネジメントと同様に、重要かつ難しい仕事であると信じている。でもそう思っていない人が、世間ではおそらく大半なのだ。 あなたの会社では、物流部門への配属は、栄転だとみなされるだろうか。なぜ世間では、まるで江戸時代の「士農工商」みたいに、ある分野・業界を他より、低く見るのか。その原因を考えるのが、今回の記事の主題だ。 パネル・ディスカッションでは、物流人材とはどこに所属する人か、という問題を提起した。つまり、物流業務を発注する荷主企業側なのか、それとも受託する物流事業社側なのか、という問いかけだ。 じつは物流人材の問題は、IT人材の問題と相似形になっている。最近では広く知られるようになったが、日本ではITエンジニアの7割はIT業界、すなわち受託側に属していて、発注側の事業会社にいるのは3割でしかない。しかしアメリカではこの比率はほぼ逆転していて、事業会社側に7割、IT業界は3割である。 事業会社にIT人材の多い米国では、したがって経営戦略とIT戦略の距離が近いし、ITプロジェクトのマネジメントも、発注者側のプロマネが要件定義から実装まで、全体を把握している。IT開発はITベンダーにお任せ、の日本とは随分違う。そしてこの差が、近年におけるデジタル化やDXにおける日米の進度の違いをもたらした、と言われている。 日本では、「情報システムはコストセンター部門」という位置づけが多い。コストセンターだから、金食い虫のように言われ、運用費も開発費もギリギリまで抑えられる。ITベンダーへも値切り発注が手柄になる。そればかりか、そもそも社内の情シス部門自体が「コスト」だから、IT子会社化して人件費を抑えるのが良い経営戦略だ、みたいな動きが90年代後半から続いてきた。だから今になって世の中が、やれDXだ2025年の崖だ、と言いだしても対応できないのだ。 それと似たことが、物流分野でも起きていた。物流業務は「コストセンター」だから、物流部門は子会社化され、さらに3PLなど外部業者にアウトソースする流れが続いてきた。今になって世の中が、サプライチェーンの脆弱性だの、トラック輸送の2025年問題だ、と言い出しても手の打ちようがないのである。
パネル・ディスカッションでは、物流の範囲の定義についても議論になった。高度物流人材を育てるのなら、そのカリキュラムの範囲はどこまでをカバーすべきか、当然の質問である。 これについては、『物流の5大機能』という概念がある。それは、輸配送、保管、荷役、包装、流通加工の5つの機能を指す。だから、物流人材とはこの5大機能を熟知したプロフェッショナルだ、という風に通常は理解されるのだろう。(ただし、例によって、この概念は日本独特のものである。米国でLogistics key functionsというと、少し異なる答えが返ってくる。そもそも日本の「物流」と英語の"Logistics"の概念自体が、対応していない) ところで、わたしの物流理解は違う。そもそも、物流はなぜ必要か。物流の提供する、本当の基本機能とはなんだろうか? それは、「需要と供給のギャップを埋める」である。とくに、地理的なギャップと、時期的なギャップを埋める機能だ。供給(生産)される場所と、需要(消費)される場所が違う場合に、輸送が必要になる。そして供給の時期と、需要の時期がズレている場合に、保管が必要になるのだ。 たとえば農産物である米や麦を考えてみればいい。収穫(生産)の時期は1年のうちで決まっている。だが消費(需要)は年間を通じてある。だから米や麦の保管が必要になるのだ。また、とれる場所は農耕地だが、消費地は人口集中する都市などに多い。だから輸送が(まさに江戸時代から)必要になったのだ。荷役、包装、物流加工などは、この二つに付随する機能である。 そして、需要と供給のギャップを埋めるための機能は、他にも存在するのだ。たとえば需給の量的なギャップである。ふつう、生産は大口だが、消費は小口だ。そのギャップを埋めるのは、流通業の仕事である。 また、モノの性質(品質)のギャップを埋めるのが、製造業である。脱穀とか、精米とか、はたまた米粉・小麦粉に製粉するのは、すべて広い意味で製造の仕事だ。 ということで、輸送や保管は、製造や流通と機能的に対等なのである。サプライチェーン全体で需給ギャップを解消したいなら、この4種類の機能を適時組み合わせて使うべきだ。だから運送業界や倉庫業界は、製造業界や流通業界と、対等な機能を提供する業種なのだ。このように理解したほうが、明らかにサプライチェーン全体について、より洞察がきくようになる。 ![]() では、なぜ世の中には士農工商のような、業界への偏見じみた考えが蔓延するのか? それは、現在の財務諸表と会計制度に問題があるからだ。 「物流業務は付加価値を産まない」と言われる。わたし自身も『工場管理』の最近の原稿で、一応そう書いた。なぜなら、モノをA地点からB地点に運んでも、財務的な価値は変わらないからだ(正確に言うと輸送費の分だけ原価が上がる)。 でも、本当にそうだろうか? 消費地に近いところにある商品と、遠いところにある商品は、ほんとに同じ価値でいいのか? 消費者であるあなたにとって、家の台所にあるお米、近所の店にあるお米の方が、どこか遠い生産地にあるお米よりも、明らかに価値が大きい。仮にあなたが製造業の経営者だったとしよう。工場倉庫の手元にある部品材料と、海を隔てた隣国の倉庫に預けてある部材と、同じ価値だろうか。隣国の独裁政権が突然、輸出を全部差し止めたら、どうなるのか。 現在の財務諸表と会計制度には、明らかに問題がある。それはリスクを評価において考慮していないことだ。あるいは、アジリティ(俊敏性)やサステナビリティ(継続性)も、ちゃんとは評価しない。今、台所にあるお米と、秋になったらとれるはずのお米とは、同じ価値ではない。 それなのに、保管しようが輸送しようが、モノの価値は変わらないという頑迷な思想が、「物流は付加価値を生まない」という蔑視をつくりだす根底にあるのだ。 運べば、価値が上がる。保管すれば、価値が上がる。そしてその対価を、プロフィットセンターとしての物流に支払う。そうならなくては、誰が物流を立派な仕事だと認めるだろうか。そして誰が、自分も物流を学んで「高度物流人材」になろうと志向するだろうか? ・・ああ、また長くなってしまった。長い記事は、ネットでは誰も読まないよと、最近もアドバイスされたばかりだったのに。だが、上に書いたのは一つながりの論理なのだ。ここまで辛抱して読んでくださった、読者諸賢に感謝する次第である。 <関連エントリ> 「SCMにはアウトバウンドとインバウンドがある」 https://brevis.exblog.jp/30282813/ (2023-03-29) 「理系でもなく文系でもない」 https://brevis.exblog.jp/11439704/ (2009-10-25) #
by Tomoichi_Sato
| 2023-06-04 19:31
| サプライチェーン
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お知らせです。以前もご案内しましたが、日刊工業新聞社の雑誌「工場管理」に、『ゼロから始める新工場づくり ~人材の集まる工場ができるまで~』という連載記事を書いています(丸山幸伸氏と共著)。新しい工場を作る際のステップを、構想から始まり、マスタープランづくり、投資判断を経て、工場設計・資機材調達・建設・試運転まで、勘所とプロジェクト・マネジメントについて解説する記事です。 連載は昨年8月からスタートし、今月発売の6月号で第11回目を迎えます。とくに第8回以後は、工場設計に関して、製造機械・物流設備・建築・空調・電気エネルギー・用役設備・制御ITシステム、といった多面的な分野に関し、エンジニアリング会社ならではの知見を込めた記事を続けますので、まさに連載も佳境に入った感があります。 参考までに各回の章立てと内容を以下に紹介しましょう(来月分まで予告を兼ねて載せておきます)。
HPなお上記の記事は、雑誌発行を順次追う形で、日揮(株)ネクストファクトリー・ソリューション部のHPに、PDF版を掲載していきます。こちらは登録いただければ、無料でダウンロード可能です(現時点では第7回まで掲載済み)。 なお、日揮は「プラント・エンジニアリング会社」として知られていますが、本連載記事はむしろ、化学プラントのような「装置産業」ではなく、主に機械・電気・食品・日用品など固体の製品を扱う、組立加工系=「ディスクリート系」の工場を対象として、書いています。これは日本国内における工場の大半が、こうした人手の多く介在する職場だからです。 とはいえ工場とは、人と設備と物品とツール群からなる、きわめて複雑な仕組みです。それを計画し設計し実現するために、つねに全体からの視点が必要です。本連載では、エンジ会社のシステムズ・アプローチを通して、あらためて工場づくりという仕事の勘所と面白さを感じていただけるのではないかと、自負しております。大勢の方に読んでいただければ、まことに幸いです。 <関連エントリ>
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by Tomoichi_Sato
| 2023-05-25 10:07
| 工場計画論
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昨年後半から何回か、スマート工場に関連し、製造実行システムMESに関するレクチャーをしたり、人前でお話しする機会があった。その中でいただいた質問やコメントについて、ここで少しばかり解説を補足させていただこうと思う。 最初の論点はMESとMOMの違いである。私が幹事を務める(財)エンジ協会「次世代スマート工場のエンジニアリング」研究会 では、一昨年、そして昨年と2回にわたって、MESに関するシンポジウムを開催した。そのシンポジウムでは、あえてMESとMOMをあまり区別せず、一括してMESと呼ぶことにした。また、野村総研・経産省に提出した「国内工場におけるMES(製造実行システム)導入動向等調査レポート」 では、MES/MOMという書き方をした。つまり、あえて両者を区別しなかったわけだ。しかしこの2つは同一の概念だろうか? 本当は、両者は違う。MESとMOMは、それぞれ別のグループの人たちが、異なった時期に、違う概念を指して作った造語だ。MESの方が先に提唱された用語で、MOMはより広義な概念として、後から作られた。だから{MES} ⊂ {MOM}という風に理解してもいいのだが、MESという言葉が先に普及し、業界によってはかなり広い用途に使われている。だからMES ≒ MOM だったりもする。 Manufacturing Execution System = MESは、もともとIT系の調査コンサルティング会社の米国AMR Research社の造語であった。彼らは多くの企業で、現場を制御する制御系システムと、本社におけるビジネス系システム(ERP)との間をつなぐ仕組みが欠けているとして、その『ミッシング・リンク』をMESと名付けた。この用語はその後、MESA Internationalという団体に引き継がれ広まっていった。 他方、自動制御工学の標準化団体であるISA (International Society of Automation)は、生産に関わるビジネス系と、現場の機械制御を橋渡しするために、ISA-95と呼ぶ技術標準の制定を90年代後半に始める。その中で、ビジネス系とショップフロア制御の間の業務領域として、Manufacturing Operations Management = MOMという概念を規定する。
ここでMESはITシステムの種類をあらわす語なのに、MOMは業務の種類を示す語である点に、注意して欲しい。だから、製造マネジメント業務を助けるシステムは、本来はMOM Systemとよぶのが正しいはずだ。だがERPとかPLMも、本来は業務領域の概念だったが、今ではシステムの略号として、皆が使っている。ということで、MOMも通常はシステムの種類を著す用語になっているのだ。 なお、ISA-95(後にIECの標準となり、IEC 62264という番号でもよばれる)では、MOMの業務領域の中に、製造、品質、在庫、保全に関わる業務があるとしている。そして、世の中的には、これら4種類をカバーするシステムとして、下記の用語が普及してきた:
したがって、{MES} ⊂ {MOM} という関係だと見ることはできる。ただし、上記の4つの略語は、ISA-95の規定する用語ではない。業界によっては、そもそもMOMという用語が普及していない(半導体業界など)。という訳で、まあ MES ≒ MOM という風に捕らえておくのが、無難なのだとわたし個人は思っている。
この問題には、関心を持たれる方が多い。MESはそもそも、上で述べたように、ビジネス系システムであるERPと、現場の制御システムをつなぐ役割なのだから、そのつなぎ方や役割分担に関心が向かうのも、当然である。 ところで、前述の通りMES・MOMの概念は、いささか幅を持っている。ERPはある意味、守備範囲がもっと混沌としている。ERP = Enterprise Resource Planningはもともと、SAP社の造語であった。ではSAP社のプロダクトを使っていたら、ERPを使っていると言えるのか? そんな事はない、とSAPのライバル会社達はいうだろう。 ちなみに、わたしの勤務先もSAP社のS4/HANAを使っているが、対象業務は財務会計のみである。プロジェクトのコスト・コントロール業務さえ、SAPの外側でやっている。これでERPを使っているといえるのか? それとも、人事や労務やプロジェクト・マネジメント系システムまで含めて、当社のERPです、と呼ぶべきなのか? とりあえずここでは、後者の言い方でいくことにしよう。つまり、ここでいうERPとは、財務・人事・販売・調達、そして上位系の生産管理等の機能をカバーするITシステム群を指す、とする(単一のパッケージであるか、自社開発システムかは問わない)。 次なる(やっかいな)問は、「じゃあ『上位系の生産管理』って、何?」という疑問だろう。それと製造実行系システムは、何が違うのか。うーむ。きっと多くの製造業で、皆が経営層への説明に困っているのだろうなあ。上の人達も、ITには苦手意識があったりするから、突っ込んで理解しようという気持ちも薄い。「生産管理ステムなら、もうあるじゃないか!」と、(営業畑上がりの)事業部長あたりに担当者がドヤされている姿が目に浮かぶようだ。 そこで簡単に区分してしまうと、配下にある複数の工場(生産機能)と、外部とのインタフェースをとりもつのが、上位系の生産管理なのだ、と考えることにしよう。具体的には、受注と出荷である。あるいは製品の在庫である。また調達と外注である。各工場と、顧客やサプライヤーとの間で、そして物流センターとの間で、受発注や入出庫や請求などを滞りなく行う機能を提供するのが、上位系の生産管理システムである。
ERP層の生産管理システムが重視するKPIは、したがって、まずコスト(原価)であり、そしてデリバリー(納期)である。これらは注文書で確約するからだ。品質はまあ、不良率などの形でマクロに捉えればいい(部品の発注量に影響するので)。部品表も、購買部品表P-BOMがあればいい。 そしてERP層では、製造がどのようなプロセスで、どんなスケジュールで進んでいくかは、ラフにしか捉えない。極端に言えば、生産オーダーを工場に発行してから、製品ができあがってくるまで、全くトンネルの中で進捗が見えない、という例も珍しくない。それでもとりあえず、納期遅れが頻発しない限り、本社業務に影響は与えないからだ。 ところが、製造実行システムMESは、そうは行かない。現場の機械制御や人への作業指示に落とし込むためには、きちんとした製造部品表M-BOMと工程表BOPデータが必要だ。トレーサビリティのためには、製造ロット番号の発番や、工場内の物品の識別子も必要だ。上位系の生産管理では、品目別にマクロな在庫数量があれば用はすむが、MESでは物品のカタマリの識別やロケーションまで追いかける必要が出てくる。 ・・こう書いていくと、ERPとMESの間で、共通するマスタデータがいろいろあるのが見えてくる。マスタデータの対象となる代表選手は、4M(作業者Human・物品Material・機械Machine・製造手順Method)である。と同時に、マスタデータの粒度や構造が、ERPとMESで結構、違いそうだということが分かる。その違いは、誰が面倒を見て、どう同期化するのか。これがERP-MESの分担の一つのポイントだ。
もう一つのポイントは、計画系機能のあり方である。具体的には、生産スケジューリング機能だ。現在どこの工場でも、頻発する顧客の納期変更や部品の納入遅れなどに、手を焼いている。そのたびに生産スケジュールを組み直す必要があり、そこに手間がかかっている。指示がしょっちゅう変わるので、現場も混乱しがちだ。 ところで、ほとんどのERP/生産管理パッケージは、MRPをベースにした生産計画機能を実装している。MRPについては、このサイトで何度も書いているので繰り返しになるが、計画変更に弱い。また能力負荷の上限といった制約条件を考慮したり、BOMの一時的代替といったフレキシビリティにも乏しい。 そこで生産オーダーは一応、生産管理システムから帳票発行するが、そこに記されている日程は目安に過ぎず、実際の日程はExcelで、工場の誰か担当者が毎日更新して現場に配る、といった運用が広く見られる。 では、MESにスケジューリング機能はないのか? 高級なMESパッケージは、その機能を持っている。ただしここで、厄介な問題がある。部品の調達である。生産スケジューリングにしたがって、部品も納期を決めて発注したい。そして納入状況を見て、スケジュールを調整したい。 ところが「購買・調達はコスト管理にかかわるから、ERP層で行うべき仕事」という暗黙の前提が、多くの企業にはある。集中購買方式を取っているなら、なおさらだ。かくて、ERPの生産計画と、現場Excelスケジュールとの乖離が続くことになる。 もう一つの解決方法は、ERPとMESとは別に、生産スケジューラAPSを導入することだ。幸いにも我が国にはAsprovaとかFlexscheといった、優れたスケジューラ・パッケージがある。 APSで詳細な生産スケジュールを作成し、ERPには部品購買の納期を送ってやり、MESには工程別の製造オーダーを発行する。MESからは進捗データをAPSに持ち帰り、次のスケジュール作成に反映する。生産実績や在庫データはMESからERPに報告する。大変スマートなやり方だ。 実際に、このような3つのシステムの組合せで運用している会社にヒアリングしたこともある。いずれも非常に明確なIT化の指針を持って、仕組みを構築しておられた、レベルの高い企業だった。 ただし、このような仕組みを運用するとなると、マスタデータを3種のシステム間で連携しなければならない。BOM/部品表データを取ってみても、決して簡単でないことは想像がつこう。まして、受注後に設計業務が介在するような、受注設計生産形態だったりすると、難しさは大きい。 ということで、残念ながら「ERPとMESの連携・分担はどうあるべきか」という問題については、どの企業もこれでオッケー、という『銀の弾丸』はないのである。自社の生産形態、BOM/BOPの複雑さ、計画系機能の重さ、そして運用組織のあり方、などを勘案しながら、個別に考えていかなければならない。 そして、このような本社と工場の両方にまたがる製造分野に詳しいコンサルタントが、我が国では足りないのだ。本社系に強い戦略コンサル、現場改善に強い個人コンサルは、それなりに沢山、活躍しておられる。だが本社から現場まで、ERPからMES・制御システムまで、全体を見る能力のある人は極めて限られている。 だから、という訳ではないのだが、やはりこうした問題に悩むエンジニアが集まって、可能な範囲で情報共有や意見交換できる場が、必要だと思って、数年前からエンジ協会の下に研究会組織を立ち上げたのだ。 今年度から、従来の会社単位の参加という枠組みを超えて、個人レベルでも参加できる「スマート工場エンジニアーズ・フォーラム」制度を作る。当研究会の有償セミナー・シンポジウムのどれかに参加することが、唯一の条件となる。正式な募集はこれからだが、エンジ協会のHPを経由して広報する予定にしている。この種の問題に頭を悩ませている大勢の方々の、ご参加をお待ちする次第である。 <関連エントリ> →「MES(製造実行システム)を理解したいエンジニアのために 〜 この6編の記事で全体像が必ず分かる」 https://brevis.exblog.jp/30070564/ (2022-08-12) →「なぜ生産管理システムはちゃんと機能しないのか」 https://brevis.exblog.jp/23748681/ (2015-10-07) #
by Tomoichi_Sato
| 2023-05-16 22:38
| サプライチェーン
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直前のお知らせになり恐縮ですが、今年度第2回のP&PA研究部会を開催します。 先月の例会でも少し予告いたしましたが、今回は(株)構造計画研究所の野本真輔さんをお迎えして、サプライチェーン・マネジメント改善プロジェクトの実際についてお話しいただきます。
サプライチェーン・マネジメント(SCM)という言葉が登場し、日本で注目されるようになったのは'90年代後半でした。その頃、米国のSCMソフトベンダーであるi2 TechnologiesやManugisticsといった会社のパッケージが華々しく登場し、期待を集めたのです。従来のMRPベースの硬直的な生産計画を革新した先進的スケジューリング・ツールや、経験値ベースではなく数理モデルに基づく需要予測などが売り物でした。(ちなみに2000年に出版した、佐藤知一「革新的生産スケジューリング入門」でも、i2社のFactory Plannerを題材に取り上げました)
しかしサプライチェーン・マネジメントの変革は、たとえ企業内のサプライチェーンだけに限っても、多くの部門やステークホルダが関わります。ましてサプライヤーや取引先が絡めば、それがたやすい取組でないことは、容易に想像がつきます。何かソフトウェア・パッケージを買ってきて導入すれば済むような仕事ではないのです。
そうこうする内に、i2やManuは米国のドットコム・バブル崩壊に巻き込まれ、失速していきました。日本の製造業は長引く不況に内向きになり、改革よりも守りの姿勢に徹するようになったのは、ご承知のとおりです。
しかし市場における需要の変化は、ますます激しくなるばかり。同一社内で製造と販売がバラバラに動いていては、在庫と欠品問題は解決しません。加えて、近年の半導体その他部品の、サプライチェーンの混乱です。お手本だったはずの自動車産業さえ、見えないコストと機会損失に困惑しています。やはり、もう一度SCMのあり方を見直すべきだ。そう考える企業が増えてきてるのは当然でしょう。
(株)構造計画研究所は、SCMソフトウェアの分野では'90年代からパイオニア的な存在でした。そこで長年、SCM分野に関わってこられた野本さんから、最近の製造業におけるSCM改革プロジェクトの具体的事例をお伺いします。非常に示唆に富んだお話になるだろうと期待しています。ぜひふるってご参加ください。
<記> ■日時:2023年5月25日(木) 19:00~20:30 (オンライン形式)
■講演タイトル: 「SCM改善プロジェクトの事例紹介」
■概要 生産管理、SCMの改善は困難だと思っている方が多いかもしれません。 在庫の大幅な低減、リードタイムの短縮、納期遵守率の向上などの、大きな成果を上げた3社の事例を紹介します。 共通する考え方、手法、経緯 など、各社の方のインタビューや資料を交えて紹介します。 キーワードは、「つながりの見える化」です。
■講師:野本 真輔 様 (株式会社構造計画研究所)
■講師略歴: 1987~1995 日産自動車 追浜工場(IE、生産管理) 1995~ 構造計画研究所 (最適化、シミュレーション、システム開発) 2012年ころから、生産管理システム 開発・販売・導入支援
■参加希望者は、三好副幹事までご連絡ください。後ほど会議のリンクをお送りいたします。
■参加費用:無料。 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(\1,000)は免除されます。
以上、よろしくお願いいたします。
佐藤知一@日揮ホールディングス(株) #
by Tomoichi_Sato
| 2023-05-12 10:56
| プロジェクト・マネジメント
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「森林がサルを生んだ―原罪の自然誌」https://amzn.to/3M28hSd (Amazon) 河合雅雄と伊谷純一郎は、日本のサル学を作り上げた今西錦司の高弟である。ともに京都大学教授となり、霊長類のフィールド研究と社会構造の理論構築に長年、従事してきた。 河合雅雄「森林がサルを生んだ」は1979年、伊谷純一郎「チンパンジーの原野」は、1977年に出版された。どちらも学術書ではなく、一般書の位置づけで、雑誌「アニマ」の連載を元にしている。だが内容もアプローチも、とても対称的だ。2冊を読むと、ちょうど複眼視のように、人間社会の成り立ちが立体的に(ただし、まだ朦朧としているが)見えてくる。 現代の生物学研究は、ネオダーウィニズムと分子進化論のパラダイムの中にあり、擬人的な解釈や表現は、科学にふさわしくないとして排除される。しかしサルは、社会的にも知的にも、かなり高度なものを持っている。その研究者は、彼らの感情や動機などを想像せざるをえない。だから河合雅雄は、(ゴリラが)「死んだゴリラの上に葉っぱをかけて去っていったという現象の中に、宗教に通じる何ものかを見出そうとするのは、擬人的に過ぎるという非難を甘受しなければならないだろうか」(P. 12)と書く。 もっとも本書の主対象は文化現象ではない。もっと原初的なサルをふくむ霊長類の進化を、動物生態学のパースペクティブでとらえようとする。哺乳類は、爬虫類が開拓した生態的地位(ニッチ)をそっくり受け継いだが、「サルは森林の中に生活の場を開拓していった。爬虫類の中で、森林の樹上をすみ場所にしたものはなかった」 (P. 18)わけで、新しい開拓者なのである。そして、森林の樹上生活者を脅かす捕食者はほとんどなかったため、サル類は適応放散して分化していった、ととらえる。これが本書の出発点である。 サルは森林の遊動生活を通じて、豊富な食物を手に入れ、食性により次第に個性化を強めていく。また樹上生活のため出産数を1頭にまでへらし、出産間隔を長くしていく。 ところで、生まれてすぐに巣を離れる離巣性の動物は、行動を子孫に伝えるためには、遺伝しか方法がない。しかし群れ生活は、伝播できる行動のバラエティーを、大きく広げた。それにより、行動の模倣と、初期的な文化(有名なイモ洗い行動のような)が発生していく。無論、人間のような言語文化は、さらにそれを広げた訳だが。 その先に続くのは、道具であった。「人類とは道具を使う動物である」とかつては言われたが、「野生チンパンジーの道具使用と製作が明らかにされたことによって、この定義はあえなく廃棄される運命になった」(P. 119) では、道具の主な目的は何か。欧米系の学者は、闘争における武器ではないか、と考えるようだ。ただ、著者は反論する。「ゴリラ、チンパンジー、ホエザルなどいくつかの種で、外敵に対して棒をふりまわす、木の枝を投げる、落とす、石をけとばすなどをして、威嚇や攻撃を試みることが観察されている。(中略)しかし、武器としての道具使用は、霊長類でも極めて貧困であり、むしろ食物獲得の問題に基盤を置いていると考える方が妥当なようだ」(P. 124) すなわち、道具の使用は、種としての食性的な適応能力の拡大にあった、との立場である。ある意味、たしかに適応能力の拡大こそが、進化の歴史だろう。もっとも、「適応は、生物の進化を可能にする原動力であるが、実は適応とは一体どういう性質のものなのか、生物学はまだその実態を明らかにしていない」(P. 142)とも釘を差している。 さて、河合雅雄の研究上の大きな業績の1つは、ゲラダヒヒの社会が重層的な構造を持っていることを明らかにした点だ。ゴリラやチンパンジーなど霊長類でさえ、複雑だが単層的な社会構造しか持たない。しかしゲラダヒヒは小さな群れの上に、それを束ねた大きな群れ集団を持つ。まるで人間の氏族と地域社会みたいだ(無論、これは喩えである)。 この社会構造のあり方は、「なわばり制」と関係があるらしい。「なわばり制を持つ種は、すべて単層の社会であることに注目する必要がある」(P. 181) なお、欧米の学者は、なわばりの原理をもとに、集団の形成から、人類の国家の起源までをつなげて考える傾向があるらしい。そこに貫通するのは、互いの生存競争と集団間の闘争の視点である。しかし著者はこの見解に批判的だ。狩猟採集民の調査によって、彼らの社会には、なわばり制がないことが明らかになってきたからだ。 そして結局、本書の関心は、サルの集団構造と、個体間の闘争や殺し合いの問題に収斂していく。「集団を作る肉食獣は、仲間を殺したり食べたりすることがかなり一般的であるようだ。この理由はまだはっきりしないが、1つの解釈はポピュレーションの自己調節と言うことに求められるだろう」(P. 240)。本書の副題が「原罪の自然史」となっているゆえんだ。 著者がなぜこのような問題意識で本を書いたかについては、あとがきでようやく明らかになる。当時、著者は日本政府の援助を得て、エチオピア南部に国立公園を建設し、調査を行うプロジェクトを進めつつあった。しかし、エリトリア及びソマリアとの内戦が激化し、涙をのんで中止の決断をせざるを得なかった。「私は効果不幸か、ウガンダとエチオピアの革命の際に現地にいた。そしてアフリカの政情や、今回のエチオピアの紛争でも、人間の計り知れない闘争性と権勢欲を如実に感じてきた。(中略)また、開発途上国と言われる国の人々が、西洋文明を摂取することによって、いかに素朴な人々の心をすさませて行くかを、肌で感じてきた」(P. 252) 人類という、様々な長所を持ちつつ、強い攻撃性も内包した生き物が、なぜ出現したのか。人類は霊長類から分岐して進化したわけだが、霊長類は他の哺乳類とはかなり異なった特性を内包している。その理由は、森林を生息場所にしているという生態学的背景から考察してみたいというのが、本書の目的意識である。その問いに、必ずしも決定打となる答えを出してはいないが、数多くのヒントが散りばめられている。そんな求心力のある本である。
「チンパンジーの原野―野生の論理を求めて」 https://amzn.to/3VMb19O (Amazon) 伊谷純一郎の「チンパンジーの原野」は、非常に不思議な本である。サルに関する研究の本かと思って本書を開くと、第1章から第2章、第3章と、ずっと西部タンザニアの調査紀行が旅行記風につづられ、現地のトゥングウェと言う人々の文化人類学的な記述が続いていく。チンパンジーの話が出てくるのはようやく前半3分の1を過ぎてからである。 ただし、この文化人類学的な分析が、淡々と書かれている割に、半端な深さではない。著者はトゥングウェの言語と習慣に精通し、彼らの生活を取り巻く多様な動物・植物が、その言語空間の中でどのように定義され分類されているかを、学名との対比の形で、精緻に洗い出す。これは生物学者としての訓練を受けた研究者でなければ、できない仕事だ。 さて、4章からしばらくは、チンパンジー集団の観察方法と分析の実践がつづく。移動性の高い野生動物群の観察というのは、とほうもなく時間と工夫と忍耐力のかかる仕事だが、GPSもデジカメもない時代のアフリカで、著者らはそれを実現する。研究の主題はなにか。それは、サルと人間の、社会構造の分析である。 「霊長類の社会構造の発展の歴史は、より多くの個体との交渉を保とうという傾向と、特定の集団の安定した結びつきを達成しようという、背反する2本の糸に操られてきたということができる」(P. 148、傍線は筆者)と著者は書く。これはまさに、体系的理論家でもある伊谷純一郎がこの問題に対して引いた、見事な補助線であろう。 チンパンジーの社会構造を調べつつ、群れがオス同士の結びつきを媒介にして、安定して継承されていくことに着目する。それは世代間の継承のない、ゴリラなどとの違いでもある。 本書は第8章から再び、ムブティ・ピグミーという森に住む狩猟採集民との交流と記述になり、最後に「損失の社会学—孤猿・仔殺し・カニバリズム」「混交の社会学—混群・交雑・収斂」の2章の考察でまとめられる。 霊長類には子殺しや同族を食べるカニバリズムの現象も多くの観察が積み上がっている。「人類の祖先の化石の中に、おびただしいカニバリズムの痕跡が残されていることも思い起こさなければならない。(中略)同時に、この一連の現象が、高等霊長類に至って目立って増えていることにも注目する必要がある。それは、進化を遂げたが故に、本能の絆から半ば解かれたが故に、現れてきた現象だと言うことを意味している」(P.300)。そして、ローレンツらのエソロジーが、進化した霊長類に単純にその論理を外挿する傾向をいましめている。 著者はさらに、サルにはしばしば異なる種からなる群れが存在し、その交雑が見られることを手がかりに、「高等霊長類の進化は、種の分化だけではなく、いくつもの種の収斂が大きな役割を果たしてきた事はまず間違いがない。そして、我々人類も、混交に混交を重ねながら、ホモ・サピエンスへと収斂していった歴史をもっているにちがいない」(P. 319-320)と、かなり大胆な推論をする。 分子進化と自然選択によって生物のありようが説明できる、というのがネオ・ダーウィニズムのパラダイムである。しかし高度な知能を持つ霊長類の場合、記憶・判断・意思・推測・感情など複雑な脳の内部状態を持っているため、単純な外界反応のメカニズムだけでは行動を説明するのが難しい。とくに集団(社会)と文化(伝承される習慣)を持ち始めれば、なおさらである。そこを動物社会学の切り口で、ほとんど構造主義のような視点を持って挑み続けているのが、日本のサル学の面白さであろう。 それと同時に、河合雅雄や伊谷純一郎らの著書をよんで感じるのは、英米の研究者達が無意識に前提する、「生存競争となわばり闘争」中心の視点への違和感である。サルや人の社会に、様々な形での同族への攻撃性が存在するのは、研究からも明らかだ。しかし同時に、継承されサステイナブルな集団社会を形成する能力も発達してきたことも、見過ごしてはならない。おそらく、社会には存続と刷新の、両面の力がつねに必要なのだ。その両面を見る視点こそ、日本のサル学のポテンシャルなのだろう。 #
by Tomoichi_Sato
| 2023-05-09 15:12
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