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蒸しタオル法による花粉症対策の有効性、ならびに心の免疫力を少しは高める試みについて

今年は冬が寒かったせいか、春の花の訪れが遅い。ただ、横浜あたりでも先週くらいから、花粉症の季節になってきたらしく、春の鼻の悩みがまた戻ってきた。

6年前にこのサイトで、わたしは『蒸しタオル法』という花粉症対策の方法を紹介した。寝る前に、蒸しタオルで鼻を温めるだけ、というひどく簡単な方法である。具体的なやり方を、その時の記事から再掲する。

「蒸しタオルと言っても、まあ、おしぼりのようなものだ。ただ、普通の湯沸かし器の40℃くらいのお湯では、ぬるくてすぐに冷めてしまう。60℃くらいがいいようだが、お湯をいちいち沸かすのは面倒なので、わたしは電子レンジで1分前後チンすることにした。そして熱くなったタオルを、仰向けの顔の上にのせる。最初、湯気が鼻腔を通るようにする必要があるのかと思ったが、鼻筋が温まって血行が良くなることが大事らしい。わずか3分。タオルを用意する手間をふくめても5分だ。」

この方法で、しばらくは花粉症の薬も飲まずにすみ、順調だった。

ところが一昨年の春頃から、どうも頭痛がひどくてつらい日が増えた。わたしの場合、花粉症の主症状は、くしゃみ・鼻水よりも頭痛なのである。それも眼精疲労のような症状と連動している。一応、考えることが仕事だし、PCでの読み書きも避け得ないので、生産性が落ちて閉口した。心配だから脳ドックも受信してみた。でも、加齢現象は認められるが、まあ異常なしだった。やむなく、一昨年はアレルギー薬のお世話になった。

だが、やはり薬は飲みたくない(眠くなるし、なぜか血圧も上がるのだ)。そこで蒸しタオルを顔に乗せる時間を、3分から9分に伸ばすことにした。昨年3月に、その中間報告をした訳だが、その後も一応、花粉症の薬は飲まずに、なんとか昨年はしのぎ切った。今年もとりあえずまだ、飲まずにいる。

ところで昨年秋に、気づいたことがあった。秋も若干、花粉症気味になるのだが、どうもこの頭痛は、単に鼻のアレルギーだけでなく、メンタルなストレスも関係しているらしいのだ。具体的に言うと、読まなければいけないメールが多数溜まってイライラしている時に、頭痛が起きやすい。仕事が重なっているときも、そうだった。

そういう訳で、寝る前の蒸しタオルの時間を長くしたことに加えて、なるべくストレス感情を和らげてリリースすることを、試みるようになった。

具体的には、思考の回路をいったん止めて、自分の中に怒りとか不安といった感情があることを、まず認める。次に、深呼吸しながら息を落ち着けて、その感情が「そこにいてもいい」「流れにまかせる」などと、心のなかで自分に言ってみるのである。ネガティブな感情を抑制したり、コントロールしたりするのではない。森田療法などでも語られることだが、感情はそれ自体に、高まっては消えていく自然な流れのサイクルがある。それなのに、無理やり押し殺そうとしたりすると、逆に暴れるらしいのだ。

これをすると魔法のように頭痛が消えていった、と書きたいところだが、今のところ、そこまでの効果はない。ただ、少し楽になる。あるいは早めに治ることが多い、とは感じている。

わたし達は日々、ストレスにさらされている。仕事だけでもストレスなのに、この2年間というもの、コロナウィルス禍に怯えてきた。この2週間は加えて、戦争やインフレにも怯えている。もうちょっと勘弁してよ、という気持ちの人は多いと思う。

ストレス感情は、ある種の情報過多からもたらされる気もする。わたしは普段からTVをあまり見ないし、電車の中ではスマホも見ないようにしている(目にもわるいからだ)。新聞も、あまり熱心に読まない。経営企画部門の人間がそれでいいのか、と怒られそうだが、いろんなチャネルから入ってくる情報量は実に多いのだ。

わたし達は、情報中毒になりかけている。だが情報は、あなたを癒やさない(ほとんどの場合は)。氾濫する情報の多くは、知的経路を通って、感情を刺激するばかりだ。だから怒りっぽい人が、世には非常に多い。

感情のリリースに加えて、1年ほど前から、毎日短い瞑想の時間を取るようになった。最近のはやり言葉で言えば「マインドフルネス」である。座っていると、しばしばいろんな思考や雑念が浮かぶが、ふと我に返り、シンプルな感覚の世界に戻るのを待つ。

効果は? よく分からない。スポーツジムに通ってやっている、ヨガみたいなものだ。どちらも効果は、よく分からない。ただまあ、感情のキャパが小さいわたしでも、少しは心が落ち着く、とは言える(そもそもヨガというのは、瞑想のための準備運動だった)。

エンジニアの仕事というのは、知的労働のように見えて、その中に感情労働の部分が、かなり含まれている。脳の中の記憶や判別といった知的処理機能を酷使しているのに加えて、じつは感情面の機能もずいぶんすり減らしているのではないかと思う。それなのに、ビジネスの中の「感情」という側面に、わたし達は無頓着でありすぎる。

中毒は不安を燃料にして、燃え盛るものだ。そして不安な情報はさながら感染症のように、人の中で思考によって増幅され、伝染していく。だが、わたし達の感情は、わたし達の身体と同じように、大切にすべきもので、消耗させてはならない。そしてそのためには、たぶん自律性が必要なのだ。心身の免疫力を少しでも高めるために、過度に知的になりすぎないことが大事らしいと、顔に蒸しタオルを乗せながら、春に思うのである。


<関連エントリ>


# by Tomoichi_Sato | 2022-03-10 23:18 | 考えるヒント | Comments(0)

プロジェクトのゴールと目標と目的は、どこが違うのか?

西暦の紀元を、さらに遡ること5百年前。古代中国の呉王は、斉(山東省)出身の孫武という男を召しかかえた。知略に優れた武人との話であった。王は彼の書を読んで感心し、謁見した後、彼の実力を見るため、模擬演習で兵を指揮してもらいたい、といった。そして宮中の女達180人を呼び集め、左右の二隊に分けると、自分の愛姫二人をそれぞれの隊長に任命した。

孫武は一同に矛(ほこ)を持たせると、「お前たち、いいか。左の合図をしたら自分の左手を、右の合図なら右手を、前の合図では自分の胸を、後ろの合図で背中を見よ。」といいわたした。そして再度訓令して何度も申し伝えてから、さて大太鼓で「右!」の合図を打ったところ、うら若き女達はどっと笑いこけた。

「取り決めが徹底せず、命令が行きとどかないのは、将軍たるわたしの責任です。」孫武はそういって、再三訓令し、何度も伝えさせてから、今度は「左」の合図を打った。ところが女達はまたどっと笑った。

「すでに取り決めが徹底している以上、決まりの通り動かないのは、これは監督の隊長の罪だ」と孫武はいい、二人の隊長を斬り殺そうとした。台上から見ていた呉王は、自分の愛姫が殺されそうになったので、あわてて伝えた。「将軍が立派に軍隊を指揮できるのは、もう分かった。しかしこの二人の女は殺さないでほしい」

しかし孫武はこう答える。「自分は命を受けて将軍となりました。軍中にあっては、王の命令といえどもきけないときがあるのです」。そして見せしめのために、本当に二人の女を切り捨てた。青ざめた女達は、さすがに次の太鼓では定め通り整然と動いて、声もなかった。

「軍はすっかり整いました。王よ、おいでください。お望み通りに、たとえ火の中といえども動かせます。」奏上した孫武に対して、呉王は「・・予は気分がすぐれない。将軍は休息を取って宿舎に帰られたい。」と答える。すると孫武はこう言い放つ。

「王はただ兵法の言葉づらを好まれるだけで、実際の運用はおできにならないのですね。」

——司馬遷が「史記」に伝える、孫子の逸話である。呉王は深く恥じ、孫子を実戦の将軍に任命すると、西の大国・楚を撃破し、北の斉や晋にも威勢を示したという。

ずいぶんと剣呑なエピソードだ。だが「孫子」13巻は、今読んでも確かに面白い。「戦わずして人の兵を屈するのが善の善」(=戦争をせずに勝つのが最上)だとか、「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」とか、有名な言葉だが、まことに含蓄がある。

また結構数字に詳しい点も、興味深い。孫子はきちんとデータにもとづいて考え、数字をベースに作戦を立てた人だと分かる。「(謀で戦わずに勝つことなどに比べて)最もまずいのは城攻めである。櫓など城攻めの道具の準備に3ヶ月かかり、土塁の土盛りにさらに3ヶ月。その間に将軍が待ちきれずに総攻撃をかけたりすれば、兵の三分の一を戦死させて、しかも城が落ちなかったりする。これが攻の災いだ」などという。

(なお、本稿の引用は、金谷治訳注「孫子」岩波文庫版に依っている。といっても、かなり自由に改編させていただいたが、非常に読みやすい訳文で、お勧めである)

孫子が生きていたのは、春秋戦国時代の動乱期であった。古代国家・周の力が衰え、諸国乱立で戦争の絶えなかった時代である。もっとも、それから2千5百年経っても、人類は相変わらず戦争をやめないのだから、この間の進歩とは何だったのか(・・なんだか、前回記事でも似たようなことを書いたなあ)。

少なくとも、この、戦争がやめられない問題に関しては、人類のメンタリティの設計自体に、何かバグが内在しているのではないか、という疑念が生じてくる。だが、今はこの問題には深入りしないでおく。

ここで考えたいのは、Why、すなわち、なぜ戦(いくさ)をするのか、という事である。戦争目的といってもいい。最近の流行の言い方ならば「パーパス」かもしれない。

孫武は将軍だが、斉の出身者で、呉国の人ではない。呉王とは、いわば契約関係で結ばれているだけである。つまり、傭兵隊長のようなものだ。古代中国の帰属意識がどうなっていたのか、わたしは詳しくはない。だが、呉国と命運を共にする必要はないし、そのつもりもなかったろう。もちろん、実際の戦闘は命がけだが、彼が命をかけるのは自分の任務、あるいは自分の名誉のためであって、呉への愛国心ではない。

孫子の、最高の兵術家として名をなしたい、という個人的パーパスと、呉国の、領土を拡大し支配を安定させたい、という組織のパーパスが、たまたま重なり合うところに、彼の働きが成立した。傭兵隊長としての孫子、いわばプロジェクト・マネージャーとしての彼にとって、個別の戦争というプロジェクトで成功することだけが、求められる。

戦争をプロジェクトととらえ、将軍をプロジェクト・マネージャーにたとえるのは、いささか不穏当な形容だろうか。まあ、少なくともわたし個人は、ビジネスの用語や概念に、「戦略」だの「戦術」だのといった軍事用語を持ってくるのは、本当はあまり好きではない。争いが苦手な、臆病な性格だという事もあるだろう。だが、冷徹で合理的な判断を要するビジネスに、戦争用語の持つ奇妙な高揚感やヒロイズムが紛れ込むのが、いやだからかもしれない。

ただ、現代プロジェクト・マネジメントの技法や概念が、主に米国のミリタリー分野の周辺で発達してきたことも事実である。その典型例が、1950年代にポラリス・ミサイルの開発に伴って、米軍シンクタンクのRAND研究所で考案された、PERT計画手法であろう。

また、米国NASAによるアポロ計画も、モダンPM論の枠組みを推し進めるのに、大きな役割を果たした。

たとえば、「アポロ計画」全体は、プログラムである(アポロ計画の英語はApollo Program)。その下に、アポロ1号・2号・・といったロケット打ち上げという、個別のプロジェクトが並ぶ。それぞれのプロジェクトの下は、さらにロケットの設計から始まって、打ち上げ後の回収まで、フェーズがある。プログラム>プロジェクト>フェーズ、という周知の階層構造は、このときに概念が定まった。

アポロ計画が1961年のケネディ大統領の演説で始まったことは、以前の記事 にも書いたし、良く知られていることだ。ケネディが宣言した、「'60年代のうちに、人を月世界に送る」という目標については、当時これを聞いた多くの専門家が、「そんなの無理だろう」と思ったらしい。

「一見不可能な目標設定をすることで、人びとの挑戦心を引き出し、イノベーションを実現するのが、ブレークスルー手法である。」みたいなことを、よくコンサルタントが、ケネディを引き合いに出して述べる。だが、実際に米国人達を駆り立てたのは、このままでは宇宙競争でソ連に負ける、という危機感だった。事実、50年代終わりの時点で、ソ連は米国を宇宙開発技術で一歩も二歩も引き離していた。

だが、なぜ宇宙競争に後れを取ることが、そんなにも米国にとって重要だったのか。威信? それもある。だが、もっとシリアスな理由があったのだ。

人類を月に送り込む、というは、ケネディがアポロ計画に設定した『ゴール』である。ゴールというのは、マラソンのゴール地点を思えば分かるとおり、そこに到達したら仕事が終わりになる地点である。

プロジェクトとかプログラムとかは、一過性の仕事だ。一過性とは終わりがあるという意味で、その終点、いいかえれば「完了条件」を定めるのがゴールだ。ゴールは、プロジェクトが何を(What)生み出すか、とか、どこに(Where)到達するか、といったことで決められる。

ちなみに、ふつうの仕事、いわゆる定常業務というのは、銀行の窓口にせよ、営業のセールスにせよ、工場での生産にせよ、毎日続けるものである。定常業務には、終わりがない。むしろ、終わらないために努力するのが、ふつうの仕事である。

ところがプロジェクトとかプログラムは、「終わらせるために努力する仕事」である。そういう意味で、定常業務とは、性質が全く違う。とうぜんながら、マネジメントの方法も相当に違う。

プロジェクトやプログラムがどういう終わり方をしたら、成功と言えるかを測る基準が、「目標」である。目標は、時間・コスト・性能など、客観的に測れる形で定義する事が望ましい。アポロ計画の目標は、「60年代内に」という時間的な期限が目標だった。コストでも、送り込む人数でもなかった。

だがケネディは、なぜ(Why)アポロ計画を始めるのか、本当の理由は言わなかった。彼は単にアメリカ人の競争心を刺激しただけだ。ある意味、多くの米国人にとっては、それで十分なのだろう(なにせ単純な人達なのだから)。

では、アポロ計画の真の目的とは何だったのか。それは軍事にあったのだ。

第一次世界大戦は、欧州を広範囲に巻き込んだ戦争だった。アメリカも途中から参戦した。そして、第一次大戦の勝敗を決したのは、『制海権』=海上の支配権、だった。英語で、Mastery of the seaという。

それまでの戦争は主に陸地戦で、歩兵や機動部隊、そして補給線が問題だった。その点では、孫子の時代から本質はあまり変わっていない。だから地形が重要になり、地政学などと言う学問が欧州で育った。しかし戦域が欧州全体から米国まで広がるに及んで、海上輸送による補給の重要性がはるかに増した。そのため、海を支配する側が、戦争に勝つことになったのだ。

ところで、第二次世界大戦のときには、すでに状況が変わってしまった。その間の四半世紀で、一番大きな軍事上の変化は、飛行機の発達だった。戦闘機や爆撃機が、機動的な攻撃の中心になった。そして、第二次大戦の勝敗を決したのは、『制空権』=空の支配権だった。制空権を持つ側は、陸上・海上の軍隊の移動や補給を、空からの攻撃で牽制し断ち切ることができる。したがって、敵地の防空網を破壊し、空域を支配することが、絶対的に重要なのだ。

では、きたるべきソ連との第3次世界大戦で、勝敗を決するのは何か。それは『制宇宙権』だというのが、当時の米国の認識だった。だから彼らは、宇宙技術を進めるために、アポロ計画をはじめたのだ。

アポロ計画の目的は決して、人間を月に送り込むことではなかった。それは当面のゴールに過ぎない。なるほど、ロマンチックなゴール設定ではある。純真な科学者・技術者を駆り立てるには、適切なゴールだ。だが、真のねらいは、米国が宇宙の支配権を確立すること、それによってソ連と戦争し打ち負かすことであった。

プロジェクトのゴールはWhat(あるいはWhere)を示す。目標は、成功基準としてのHowを示す(how fastとかhow muchとか)。

そしてプロジェクトの目的・パーパスとは、なぜそのプロジェクトを行うか(Why)を示すものだ。

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目的はたいていの場合、ゴールよりもずっと先を見ている。短距離走者にとって、ゴールは100m先のテープだ。だが、陸上競走の目的は、100m先のゴール地点にたどり着くことではない。そんなことは、二本足を持つ健康人なら誰だってできる。だから走者にとっての目標(成功基準)は、たとえば「12秒台で走る」とか「自己記録を更新する」になるのだ。

孫武が将軍として兵を率いた西の大国・楚との戦いの、目的はなんだったのか。「勝つこと」は目的ではない。それはゴールに過ぎないのだ。成功基準は、「勝つ」ないし「有利な条件で停戦協定を結ぶ」だったろう。「戦争に拙速はあっても、巧久(うまくて長引く)は無い」と、孫子は書いている。

じつは、傭兵隊長である孫子には、戦争の目的を決めることはできないのだ。だから、戦争を始める権限も無く、勝手におしまいにする権限もない。たとえ戦いが無益に見えても、勝手に休戦したら、それは投降を意味する。プロジェクト・マネージャーは、プロジェクト目的を決めることはできない。彼/彼女には、与えられたミッションを上手に遂行することだけが、求められる。

目的を決めるのは、傭兵隊長の上司である国王(経営者)である。プロジェクトの開始も終了も(あるいは中止・撤退も)、すなわちプロジェクトの全体的な価値判断は、プロマネではなく、その上が決める。「上」とは、経営者かも知れないし、ステアリング・コミッティーという組織体かもしれない。いずれにせよ、プロジェクトを発進させ、プロマネを任命する権限を持つものである。

もちろん孫子は、単に兵術家であるだけでなく、すぐれた思想家であった。春秋戦国時代にすぐれた武将は大勢いたが、彼の名が残ったのは、深い思想を持っていたからだ。彼自身は、従事する戦争の目的についても、内心吟味していたに違いない。

「軍中にあっては、王の命令といえども聞けないときがあります」という彼の冒頭の言葉は、通常は「現場の状況は現場にいる者が一番知っているのだから、権限委譲が必要だ」という意味でとられる。もちろん、その通りだろう。だが、王の愛姫を承知で斬り殺そうとしたとき、彼は自分も無事ですむと思っただろうか。覚悟を決めて、柔弱な王を目覚めさせなければ、いくらでも命が無駄になると悟ったのではないか。

「戦争は国家の大事で、よくよく熟慮せねばならぬ」と、孫子は冒頭に述べる。孫子は戦略家だが、決して好戦家ではなかった。彼はWhatやHowの前に、Whyの方がずっと重要だということを、よくよく知っていたのである。


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  (2021-11-04)
 (2022-02-19)


# by Tomoichi_Sato | 2022-02-28 23:43 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

システムの科学理論は、はたして確立できたのか

3年ほど前のことだ。MITのシステムズ・エンジニアリング分野を率いるCameron, Crawley & Selvaによる大著「Systems Architecture」(2016)を取り寄せて、期待を持って読み始めた。この分野の最新の進歩が学べると思ったのだ。

ところが、表紙をめくって1ページ目で、がっかりした。そこには重要な原則一覧が並んでいるのだが、冒頭に『創発Emergenceの原則があげられていて、こんなことが書いてあったのだ。

「創発の原則:システムのエンティティーが合わさると、それらの相互作用が機能、ふるまい、パフォーマンス、およびその他の特性を創発させる」

(ちなみに同書は現在、東大の稗方和夫准教授による邦訳も出ており、上の文はそちらから引用させていただいた)

うーん、創発かあ。システムには創発的特性emergent propertiesがある、というのは、よく言われる主張だ。だが、本書をめぐっても、創発がどのようなメカニズムで起き、どう予測できるかについての法則性は見つからなかった。

なお、ここでいう「エンティティ」entityとは、システムの構成要素のことだ。ちなみに、彼らのシステムの定義は、(原文では)こうなっている:

A system is a set of entities and their relationships, whose functionality is greater than the sum of the individual entities.

システムの機能は、その構成要素の機能の単なる合計よりも大きい。まぁ言いたい事はわからないでもない。だが、機能って足し算できるものなのか? 頭の中に疑問符が飛び交った。そして彼らのこの主張は、2千年以上前に、ギリシャの哲学者アリストテレスが主張したテーゼを思い出させる。

全体は部分の寄せ集め以上の存在である」(アリストテレス)

2千年間、言うことが変わらない西洋人たちもすごいが、ではこの2千年間の進歩とは一体何だったのか。MITのキャメロンらは工学の研究者で、彼らのテーマは設計方法にある。だが工学の基礎にあるのは、対象物に関する科学である。システムの科学理論は、どう発展してきたのか。現状、どうなっているのか。振り返ってみるのも、無価値ではあるまい。

近代科学が急速に発達した18世紀から20世紀前半まで、科学は「還元主義」の強い影響下にあった。還元主義とは、物事の性質やふるまいを、その構成要素に帰することで説明しようとする態度だ。物質の性質は、それを構成する分子によって説明し、分子の性質は、構成する原子から説明し、原子の性質は、電子や中性子といった素粒子で説明する。

このように深く細かく分け入って対象を分析すれば、全体を説明できるようになるはずだ、というのが還元主義の態度である。

20世紀前半は、このような近代科学を生み出した欧州の貴族社会と文化が、二度の世界大戦を経て、崩壊していく時代だった。同時に、行き着くところまで行った論理主義が、見直される時代でもあった。

こうした流れの中で出てきたのが、オーストリアの生物学者ベルタランフィ L. von Bertalanffyによる「一般システム理論」 (1968)である。ウィーン学派に属する彼は、40年代ごろから構想を発表し始め、54年には数学者ラボボートや経済学者ケネス・ボールディングらと、一般システム理論協会を設立する。

ベルタランフィは、「全体は部分の寄せ集め以上である」というアリストテレスの観点を支持しながらも、アリストテレスが理由としてあげた「生気論」を、神秘的として棄却し、「有機体のシステム論」を提唱する。生物の特徴は、ホメオスタシス(恒常性)があることだ。生物的システムを、環境と相互作用しながら定常状態(動的平衡)を維持する解放系ととらえ、かつ階層性の視点も取り入れた点で、現在のシステム理論に大きな影響与えた。

科学的還元主義への疑問が、物理学ではなく生物学から出てきたのは、興味深い。生き物はやっぱり不思議だからだ。その不思議さに感動しなければ、生物学者にはならない。

生物学の系譜を見ると、1950年代に、米国のオダム E. P. Odumらが、物質循環を基礎とした生態学を確立する。主著は「生態学 Ecology」(1963) 。いわゆる生態系=エコシステム論である。これは後に、ローマクラブの「成長の限界」などの議論と合流し、いわゆるエコロジー運動、すなわち環境保護主義にも結びついていく。

オダムの理論に欠けていた空間的な視点を、エコシステム研究に持ち込んだのが、理論生態学者のレヴィン S. Levin(米)である。わたしはたまたま、この人と縁あって知り合いなのだが、京都賞を受賞する頃に出した一般向けの「持続不可能性 Fragile dominion」 (1999)はなかなか読みやすい。この中で彼は、最近の「複雑系」の研究成果も引きながら、自己組織化臨界の概念を用いつつ、生態系の進化を考えている。

生態学は生物集団の学問だが、生物それ自体の機能研究からも、「オートポイエーシス」なる概念が出てくる。チリの 生物学者マトゥラーナ H. R. Maturanaらが、1970年代に提唱した。「知恵の樹 El arbol del conocimiento」 (1973)などで、彼らは生命システムは、自己の構成要素を自ら生成する、自己言及的なネットワークとして規定する。これは、機械論的なシステムとは異なる性質である。自動車は複数要素からなるシステムかも知れないが、部品を自分で生み出したりはしない。こうしたシステムは「アロポイエーシス」と呼ばれる。

ところで生物学と並んで、物理的な還元主義と折り合いが悪いのが、人間集団を研究する社会科学であった。

1950年代に、米国の社会学者パーソンズ T. Parsonsは、大著「社会体系論 Social Systems」(1951)を書く。彼は人間社会の行動を功利的に説明する、それ以前の社会学を批判し、社会システム論を考える。そして社会システムの各部分に関して、その「機能と構造」で分析する研究アプローチを提唱した。生態学者オダムも、生態系の機能と構造を明らかにするのが生態学の目的だといっているが、この時代の問題意識をよく表している。

ただし、当時の日本の学会では、Social systemの訳語を「社会体制」とすべきか「社会体系」とすべきか、といった議論がなされていたという。いかに「システム」概念が日本のアカデミック世界に乏しかったかが想像される。

パーソンズは後に、サイバネティックスの理論を取り入れた。彼の弟子筋に当たる、ドイツの社会学者ルーマン N. Luhmanは、「Soziale Systeme」(1984)などで、 オートポイエーシス論を取り入れる。

この系譜に入れるべきかは分からないが、「世界システム論」というのも70年代に出てくる。歴史社会学者ウォーラステイン E. Wallersteinの「近代世界システム The Modern World-System」(1974)である。彼は、大航海時代以後の世界全体が、政治・経済・社会的に機能する一つの資本主義的システムとなった、というパースペクティブを提唱する。

人間集団としては、企業組織も重要である。経営学の分野では、早くも1930年代に、米国のバーナード C. I. Barnardが、有名な古典的名著「経営者の役割 The functions of the executive」 (1938)を書く。バーナードは通信会社の経営者で、学者ではなかったが、すぐれて抽象度の高い「協働システム」としての組織論を展開する。彼はある意味で、今日の組織論研究の先駆けだと言ってもいい。

ある意味で、彼の系譜を継ぐのが、経営学者として初めてノーベル経済学賞を受賞したサイモン H. A. Simonである。彼の主著「システムの科学 The Sciences of the Artificial」 (1969)などで、階層的システムの意思決定論を、情報の限定性などの観点から作り上げていく。

さて、生物学・社会科学と見てきたが、科学的還元主義の中心にいた、肝心の物理学・数学においてはどうなのか。

実はこの分野においても、第二次大戦直後に、大きな変化が現れる。それは情報と制御に関する新しい研究の進展だ。その牽引役となったのが、ウィーナーとシャノン、そしてフォン・ノイマンだった。

米国の数学者ウィーナー N. Wienerが「サイバネティクス Cybernetics, or Control and Communication in the Animal and the Machine」(1948)を出したのと、通信工学者シャノン C. E. Shannon(米)が「通信の数学的理論 A Mathematical Theory of Communication」(1948) を出したのが同じ年だ、というのが興味深い。

ウィーナーはフィードバック制御機構を伴うシステムとして、機械と生物に共通性を見いだし、共通の研究方法論としてサイバネティックスを提唱する。今日、サイバネティックスを標榜する大学の学科は存在しないが、この概念は社会的に広範な影響を及ぼした。サイバー空間などの言葉は、ここから来ている。シャノンの通信理論は、後に情報理論に衣替えし、計算機科学の1つの基礎となる。

ただし、現代の計算機科学の中核を作ったのは、数学者であり物理学者でもあったノイマン J.von Neumann(ハンガリー/米)である。彼はプログラム自体をデータとして扱う、ノイマン型コンピュータを開発する(1945-52)。電子計算機はコンピュータ・システムと呼ばれ、結局のところ「システム」といえばコンピュータのことだ、と思う現代の偏った社会的理解を生むもとになった。

この系譜の発展系に入れてもいいのだろうが、数学的なシステム研究も60年代頃から盛んになる。たとえば、ワイモア A.W.Wymore(米)の状態機械論である。彼は後に、システムズ・エンジニアリングの国際団体であるINCOSEの初代Fellowにもなった。あるいは、クリア G.J.Klir(チェコ/米)のシステム分類論、メサロビチ M.D.Mesarovic(セルビア/米MIT)の数学的階層システム論などだ。ここら辺の研究者の名前はわたしはあまり馴染みがなく、「 世界大百科事典」の 市川惇信(東工大名誉教授・国立環境研究所長)の記事によっている。

最後に、ある種そこから派生したと言っていいのが、システム・ダイナミクスの研究であろう。システム・ダイナミクスの生みの親は、電気工学者で後に経営学者になった、フォレスター J. Forester(米)である。彼のこの分野の最初の著書は「Industrial dynamics」(1961)だ。

フォレスターはさらに社会問題のモデル化にも手を広げ、ローマクラブと出会う。ローマクラブはイタリア人実業家ペチェフィが設立したシンクタンクだ。彼らは1972年に「成長の限界」 を発表する。この中で、システム・ダイナミクスにもとづく地球規模の人口・経済・資源・環境のシミュレーションを行い、このままでいけば人類の成長は100年以内に限界に達する、と予測した。

このショッキングな報告書は世界でベストセラーになり、社会に衝撃を与えた。シミュレーションを手伝ったメドウズ夫妻は、後に「世界はシステムで動く」 などの啓蒙書を出して、半定性的なシステム・ダイナミクスの見方の普及につとめる。その系譜につながるのが、経営学者センゲの有名な「学習する組織――システム思考で未来を創造する」 であろう。

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以上、大きく生物学系、社会科学系、そして数学・物理学系のアプローチによる、システムの科学構築の努力を見てきた。ここに挙げた人たちの名前だけが全てだ、と言うつもりはない。ただ、彼らの多くに共通する問題意識は、システムが持つ特性やふるまいを、その構成要素のレベルとは異なる次元で、予測し説明したいと言うことにある。

その狙いは成功したのだろうか。科学的還元主義は死んだのだろうか。難しい点である。

冒頭に挙げた創発の議論は、この点に関係している。創発という現象に関連して、私が読んだ中で1番驚いたのは、「塩素とナトリウムから、食塩ができあがるが、その塩味と言う性質は、元の塩素にもナトリウムにもないから、創発である」との説明だった。出典は今、覚えていないが、確か欧州かどこかのサイトだったと思う。

分子が「システム」と呼べるかどうかは、さておこう。塩化ナトリウムの性質は、完全に予測し説明できるものだ。通常の科学が予測できる現象は、「創発」と呼べるだろうか。

この論者は、塩味の元素をまぜて化合したら、塩味の物質が生まれるはずだ、逆に言えば、塩味の物質は、その構成要素も塩味のはずだ。なのにそうなっていないのは不思議だ、と主張しているに過ぎない。これは論者の単純な「足し算の思考」、つまり思考の線型性を示している。

創発という現象は、対象としてのシステムに生じるのではない。実は、観測し予測する人間の側の、思考の線型性に、直感的に反するような結果が生じたときに、「創発」と感じられるだけなのだ。

現代のシステム論は、もうそろそろ創発論を離れた方が良いと、わたしは思う。還元主義が全てではないのは、その通りだ。足し算思考に限界があるのも、確かだ。だが、工場やプラントというシステムの性能を上げるのには、構成要素の機械の性能を良くする以外にも、その組合せや流し方を改善する、つまりシステム・レベルでできることがいろいろある。

システムのレベルにおいて、固有の原理や法則性、技術があることは、明らかだ。だがそれに、創発などという、頭の良さそうな説明書きは、要らない。むしろ逆である。わたし達自身の思考に内在する線型性という、わたし達の頭の悪さを意識してとりはらう努力こそが必要なのである。


<関連エントリ>
 →「システムズ・エンジニアリングとは何か」 https://brevis.exblog.jp/25682507/ (2017-04-09)

# by Tomoichi_Sato | 2022-02-19 15:10 | 考えるヒント | Comments(2)

ActivityとTaskはどう違うか 〜 ガントチャートと課題管理表から考える

最近、ある読者の方から久しぶりにメールをいただいた。工場のマネジメント職についたのだが、社内プロジェクトを進めるにあたって悩みがあり、アドバイスいただきたいとの内容だった。

その方が率いておられているのは、自発型かつ小型のプロジェクトらしい。だったら、大げさなモダンPM手法を持ち出さずとも、各種リーダーシップ論でカバーできる範囲だ(と、わたしは拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」に書いた)。だが、リーダーシップで引っ張る以外、何かないのだろうか? ——そういうご質問だった。

この方が本当はどんな点で悩まれているのかは、現場に行って仕事の実際を見てみないと、よくわからない。しかし昨今の時勢では、それもなかなか叶わないことなので、わたしはこんなふうに、ご返事した。

「自発型で小規模なプロジェクトを引っ張るのは、実は見かけほど簡単ではありません。受注型ならば結局、顧客との契約で『やらなきゃならない』し、お金をもらってビジネスをしている以上、誰かに頭を下げるのだって我慢できます。

しかし社内のボランタリーな仕事の場合、『つまんないから自分は手を引く』とか『あいつにだけは頭を下げたくない』とか、ヒューマン・ファクター(別名、感情的対応)がまかり通ります。感情は理屈ではマネージできないのは世界共通で、だから面倒なのです。

とはいえ、自発型で小規模のプロジェクトを引っ張るならば、最低限、

工程表(ガントチャート)に、大きなアクション項目とマイルストーンを引いたもの
課題管理表に、細かなTo Doを並べたもの

の二つを作成し、チーム内で共有されることをおすすめします。工程表は大きくプリントして、プロジェクトチームの部屋(もしあれば)の壁に貼っておくと、もっと良いでしょう。」

(ちなみに工程表と課題管理表のサンプルは、「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」のP.165とP.216に、それぞれ掲載している)

そうしたら、「ガントチャートと課題管理表は、既に作ってありますが、壁に貼ると言うのは忘れていました。早速やってみます」との事だった。

このアドバイスがどれほどお役に立ったのかは、よく知らない。ただわたしにとっては、1つのことを考え直すきっかけにはなった。それは、工程表に描かれるアクティビティと、課題管理表やTo Do リストに書くタスクとは、何が違うのかと言う問題だ。

念のため、用語について再確認しておく。PMBOK Guideをはじめ、現代のPM理論の教科書では普通、プロジェクトは複数のアクティビティから成り立つ、と定義している。プロジェクトを構成する要素、プロジェクトの直下にある仕事は、アクティビティと呼ぶ約束である。

これに対してタスクとは、日々の細々としたやらなければならない仕事を指す。これがPM標準の世界の約束である。

そんなバカな。自分の所では、プロジェクトを構成するのがタスクだし、WBSのバーチャートの線の1本1本も、タスクと言うのが普通だ。そんな感想をお持ちの方もいらっしゃるに違いない。少なくとも日本のIT業界では、そういう言葉の使い方が珍しくない。

これは業界の習慣の問題なので、それが正しいとか間違っているとか、議論するつもりはない。ただこのサイトでは、誤解がおきないよう、PM標準的な用語に準拠して、話を進めることにさせていただく。

アクティビティとタスクでは、仕事の粒度が違う。つまり、粒の大きさである。工程表の顔とチャートに書いてあるアクティビティの線は、数日とか数週間、ときには月単位の長さだろう。例えば基本設計であるとか、要件定義であるとか、ハードウェアの調達だとか、そういった項目が並んでいるはずだ。

これに対して、日々のタスクは、ずっと細かい。次回の会議日程を調整するだとか、入力上のある項目を確認するとか、出力時に見つかった計算ミスを修正するとか、そういった事柄だ。数10分、数時間、あるいは数日といった時間尺度で動いている。

期間の長さ、あるいは時間尺度の違いだけが本質だろうか? じつは関わる人数も違うかもしれない。要件定義のアクティビティには5人が、基本設計には10人が関わる。しかし会議日程の調整をする人は多分1人だし、計算ミスの修正も担当者が自分でやるだろう。つまり人数が多いか少ないか、工数の違いである、と。

では、期間や工数を基準にして、アクティビティとタスクの間に線引きをすることができるだろうか? 例えば1週間以上をアクティビティとし、それより短いものはタスクと呼ぶとか、5人日以上の工数がかかる作業をアクティビティとし、それよりも軽いものをタスクと呼ぶ、など。

そんなふうに問い詰められたらきっと、大抵の人は、そもそもアクティビティとタスクの区別なんて、不要じゃないの? と答えるに違いない。タスクはさらに、サブタスクに分解することができるんだし、それこそWBSは “Work Breakdown Structure” の略だ。プロジェクト全体の仕事をどんどん分解し、階層化していける、というのが、モダンPMの発想なのだから。

それにアクティビティもタスクも、「やらなければならない仕事」である点には変わりがない。だとしたら本質的な区別は無いのではないか。

じゃぁ現実問題として、プロジェクトに関わる人々は、会議日程の調整だとか、インプット項目の確認だとか言った作業を、全部ガントチャートに書き加えていっているだろうか? 多分そんなことはしない。ガントチャートが煩雑になりすぎるのは目に見えている。

だからこそ、課題管理表の登場なのである。そういった細かなタスクというか、サブ・アクティビティを、まとめて共有するための道具立てが課題管理表だ。つまり、工程表のガントチャートに描かれる線が、主要なアクティビティであり、課題管理表で登録するのがタスクである、と。

でもこれでは、問題が堂々巡りであるような気もしなくもない。ガントチャートに書くべき作業と、課題管理表に書くべき作業は、どこで線引きをするのか。基準は期間なのか工数なのか人数なのか。

そろそろ察しの良い読者の方は、答えがお分かりになったと思う。両者の区分は、粒の大きさでは無いのだ。本質的な違いは、それが計画された作業かどうか、にある。アクティビティとは計画された作業であり、タスクとは随時発生してくる作業なのである。

ガントチャートの工程表は、プロジェクトの計画時点で作成する。これは計画の表現である。別の言い方をすると、「プロジェクトのモデル」だと考えても良い。

ところが、課題管理表は、計画時点で作りようがない。単にブランクフォームが存在しているだけだ。プロジェクトの成功とともに、だんだんと埋まっていくのである。

なぜ遂行段階で課題管理表が必要なのか。それは、計画時点では全てを見通すことができないからだ。

プロジェクトが全体でやるべき仕事を、日本地図に例えてみよう。日本全体は、北海道、東北、関東など地方に分けることができる。各地方はたとえば、青森県、岩手県、秋田県などのように県単位に分けることができる。県はさらに、市区町村に分かれる。つまり階層的なブレイクダウンである。

そこで、県単位に線引きした地図を用意して、それぞれの県の面積を測ることにする。面積がスコープの大きさを表す、と思って欲しい。50都道府県で面積の大小は多少あるけれども、概ね似た粒度で表現されている。

さて、この地図を色分けして正確に塗りつぶすのが、プロジェクトのミッションである。ところが実際にやり始めてみると、最初に描いたラフな日本地図では、細かな県間の境目の凹凸が、正確には表現しきれないことがわかる。離島もある。

ラフに引いた線と、現実の細かな凹凸の差を埋めるのが、課題管理表の役割である。ラフな線は、最初の計画を表す。

ActivityとTaskはどう違うか 〜 ガントチャートと課題管理表から考える_e0058447_19261524.jpg
プロジェクトは決して計画通りには進まない。これは誰もが知っていることだ。計画と言うのはある種の見通し、ないしは初期の近似である。でも、これがないと、全体の納期や、工数や、コストが見積もれない。だから、プロジェクトが計画通りに進まないことを知りつつも、計画は絶対に必要なのだ。

計画を現実に合わせるために必要な、細かな調整的作業がタスクである。最初の計画で引いたラフな線が、アクティビティなのだ。この2つは必ずセットになる。どちらか一方だけで済む事は、まずない。だから私は、最初に挙げた読者の方の質問に、「ガントチャートと課題管理表が必要です」と答えたのだ。

ちなみに、課題管理表は英語で “Issues Log” と呼ぶ。Issueとは問題のことで、直訳すると「問題登録簿」である。それを日本語ではかっこつけて、課題管理表と呼んでいるだけのことだ。さらに言うと、課題と問題は別のことなのだが、ここでは深入りは避けておく(「超入門・問題解決力 - 問題とは何か、課題とはどう違うか」 参照のこと)。

チケット管理システムとして知られるRedmineの元の英語版では、登録する単位的作業を、Issueと呼んでいるらしい(最近、自分の主催する研究会で、小川明彦さんから伺った)。これはRedmineが元々、課題管理表ソフトとして出発したためなのだろう。

もっとも、計画が必要だからと言って、プロジェクトでは必ずガントチャートと、課題管理表のツールの二本立てが必須だと言うつもりはない。ある種のプロジェクト、例えば、比較的小規模なアジャイル開発プロジェクトなどは、タスクボードだけで回すことができる。

でもそれは計画が存在しないとか、計画が不要だとかの意味ではない。「アイタレーション単位で回していく」と言う計画が、タスクボードの外側に存在しており、それはわざわざ複雑なガントチャートに書く必要がないだけのことである。アジャイル開発は決して、計画のない(言い換えると行き当たりばったりな)プロジェクトではない。その点は誤解を避けるべきだろう。

そして、それぞれのタスクについても、ミクロに計画を回す事は可能である。だからこそ課題管理表には、合理的な期限を設定するのである。しかしこうしたタスクは、プロジェクトの出発時点で見通して計画することができない。

最初の計画でおおまかな線を描き(Push)、実行段階で現実と合うように細かな調整とコントロールを行う(Pull)。このようなプッシュとプルの関係は、トヨタ生産方式の考え方にも通じる。トヨタ生産方式では、月度計画でプッシュし、かんばん等のプル型の仕組みで、現実と調整する。プッシュとプルは車の両輪で、どちらも必要なのだ。

あいにくわたし達の社会には、ある種の「現場力」信仰みたいなものがあって、計画軽視の文化が強い。計画というものに、何となく中央集権の管理思想みたいな匂いを感じる人もいるのだろう。自律分散、臨機応変。たしかに、いい言葉だ。だが、それだからこそ、わたし達の社会は、大きな環境変化に対応して、組織を変革する力が弱いのではないか。

冒頭の読者の方がリードされていたプロジェクトも、おそらく工場の変革に関わる事では、と想像している。縦割り組織に横串を指すような変革なのであろう。そうでなければ工場長が自ら、引っ張る必要はない。そしてきっと、計画抜きで、調整だけで進む仕事ではないはずだ。


<関連エントリ>
  (2021-07-07)


# by Tomoichi_Sato | 2022-02-10 19:31 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

透明な燃料アンモニアに、なぜ青(ブルー)や緑(グリーン)の色があるのか?

1.はじめに

アンモニアを燃料に使うという話をはじめて聞いたのは、10年以上前のことだ。東大の平尾雅彦教授と話しているときに、トヨタが興味を持って研究していると聞いたのだ。

なるほど、アンモニアは可燃性ガスで、液化もたやすいから、自動車燃料の代替にできる可能性はある。だが毒性もあるし、燃焼過程でNOxも生じやすい。なぜアンモニア? とたずねたら、「カーボンフリーですから」という答えだった。

うーん。わたしはうなった。たしかにアンモニアを燃やすと、原理的には水と窒素ガスが発生するだけだ。分子に炭素を含まないから、CO2は排出しない。

ちなみに平尾先生は、日本におけるライフサイクル・アセスメントの大家で、技術の社会コストや環境影響に詳しい(ついでに、わたしの学位論文の指導教官でもある)。問題はコストでしょうね、というのが先生の見解だった。炭素税のような制度が取られない限り、普及は難しいと思います、と。


2.化石燃料はサステイナブルか

ところで石油ガス関係のプラントビジネスで、長年働いてきたわたしがいうのも何だが、地下から化石資源を掘り出して燃やし続ける、現在の社会のあり方がサステイナブルだとは思えない。石油を燃やすと発生するCO2が温暖化ガスだから、という理由だけではない。そもそも、地下資源は有限だからだ。

わたしがプラント業界に入った頃、石油の埋蔵量は「あと30年」だと言われていた。だが、その後、何年経っても「あと30年」と言われ続けた。

主な理由は、原油の値上がりだ。30年の埋蔵量とは、経済的に引き合う可能採掘埋蔵量の意味だった。原油の値段が上がれば、それまで引き合わなかった地層や海底の油田も、採掘可能になる。加えて、シェールガス革命に代表される、採掘技術の進歩もあった。

この結果、2010年頃から、業界では「ピークオイル説」(そのうちに石油産出のピークがあり、そこを過ぎたら先細りになるという予測)は、語られなくなった。かくて石油業界全体が楽観ムードに包まれたわずか数年後、脱炭素問題という猛烈な逆風が吹き始めた。

その後は知っての通りだ。昨年秋のCOP26で、多くの国がカーボンニュートラルを目標として宣言する時代になった。そして石炭や石油を燃やして発電する者は、人類の敵であるかのようにいう環境アクティビストが増えた。

しかし元々、地下にある炭化水素資源は有限なのだ。それを無限であるかのごとく見なすのは、一種の思考停止だった。今、わたし達は我に返って、新しい将来の姿を、思考回路を全開にして考え抜かねばならないタイミングに来ている。

ちなみに炭素という物質それ自体は、価値のある元素である。わたし達の身体を作っている、主成分の一つでもある。もちろんダイヤモンドから、樹脂、炭素鋼まで、様々な物質・素材の構成要素として活躍している。固体でいる限り、かなり有用な物質なのだ。問題なのは、二酸化炭素となって、大気中に拡散した時だけである。

わたしの個人的な意見では、地下の炭化水素化石資源は、燃料として燃やしてしまうのではなく、化学産業の大切な原料として、全量を活用するのが望ましい姿だと思う。


3.本当に水素燃料の社会は来るか

さて現在、新しい時代の燃料の主役として語られているのは、水素である。

しかし、技術的に見ると、水素ガスは危険、かつ極めて扱いにくい物質だ。貯蔵するには高圧タンクが必要で、液化するためには超低温まで冷やさなければならない。シクロヘキサンと化合させて貯蔵する方法もあるが、逆反応で得られる水素ガスは、純度が下がってしまうため、そのままでは燃料電池などには使えない。

水素が 燃えるときは、無色透明な炎になる。つまり、燃えているかどうか目によく見えないのだ。プラントで漏洩した水素が燃えているのに気づかず、手を出して指を落とした人もいると、先輩から聞いた。

しかも水素脆性という問題がある。容器や配管の鋼材に吸収されると、そこを脆くしてしまう性質があるのだ。だから、現在の都市ガス配管設備を、そのまま水素ガスに転用することは難しい。ガスコンロのスイッチをひねると、ぱっと水素の明るい炎が点ったりするシーンは、つまり夢物語なのだ。

ここで登場するのが、水素キャリアとしての燃料アンモニアである。アンモニアは、燃料としての水素の技術的難点を回避する有力な手段として、現在注目を浴びている。水素キャリアとは、水素を運ぶ(含む)担体という意味だ。

アンモニアは純粋な水素に比べると、はるかに扱いやすい。液化しやすく、液体にすれば貯蔵も輸送も、比較的安価に行える。既存のタンクや配管等の転用もやりやすい。

もっともアンモニアの重量比発熱量は、メタン(天然ガスの主成分)の4割程度だ。重さの割にカロリーが低い。だから航空機などの燃料などにはきびしい。だが、それでも発電用タービンなどへの混焼では、有用と考えられる。たとえば(株)JERAは、2025年から碧南火力発電所で、アンモニア混焼の商業規模での実証を予定している(ちなみにJERAとは、東京電力と中部電力の共同出資による世界最大級の発電事業会社だ)。


4.アンモニアや水素はどこから来るのか

ところで、そのアンモニアはどうやって作るのか。これは、大気中の窒素と、水素とを原料とするのだ。約100年前に、ドイツの化学者であるハーバーとボッシュの2人が、いわば空気を原料に、水素と反応させてアンモニアを作る方法を開発した。アンモニアは窒素肥料の主成分なので、2人の発明は、20世紀の食糧生産を支えたとも言える。

別の言い方をすると、水素さえあれば、いつでもアンモニアを合成することができる。できたアンモニア(NH3)を燃やすと、窒素分Nはまた窒素ガスに戻る。水素Hは燃えて、水になる。

では、その水素はどこから来るのか? 何を原料に、どうやって水素を製造するのか。特にCO2ガスを発生させない、クリーンな水素の作り方は。

すぐに思いつくのは、再生可能エネルギーの電力による水の電気分解であろう。あるいは、原子力の電気を使った水の電気分解も、可能性としてはありだろう。

だがそれで現在の燃料需要を賄い切れるだろうか。なにせ途方もない量である。仮に自動車を全てEV化したとしても、他にまだ工業的な加熱炉から、飛行機や船の燃料、そして地域的な暖房まで、燃料の需要は幅広い。

水素を作るには、他にも1つの方法がある。工業化学でよく取られる方法、すなわち炭化水素(石油・天然ガス)からの水素の製造だ。

たとえば天然ガスの主成分であるメタンCH4に、水2分子を加えると、水素ガス4分子と二酸化炭素の混合物ができあがる。
 CH4 + 2 H2O → CO2 + 4H2

正確に言うと、これはメタンの水蒸気改質反応(CH4 + H2O → CO2 + 3 H2)と、水性ガスシフト反応(CO + H2O → CO2 + H2)の二段階の組合せなのだが、上の化学式はそれを合算して書いている。

出発する原料がメタンではなく、メタンやプロパン、その他の炭化水素であっても、同じように水素を得ることができる。工業化学的に言って、炭素Cは水素Hの原料なのである。ただし、バイ・プロダクトとして、二酸化炭素ができてしまう。

できてしまうのだが、このCO2は比較的扱いやすい。化学プラントの中で発生するし、濃度も高い。なので分離しやすい。これが大気中のCO2だとか、エンジンの排ガス中のCO2だったりすると、集めるのも難しいし、濃度も希薄で、分離濃縮は極めて困難である。

分離回収したCO2をどうするか。一番良いのは、何かに吸収あるいは化合させて、固体化・固定化することである。ただしCO2は燃えカスみたいなもので、化学ポテンシャル的に自由エネルギーの準位が低く、合成原料には使いづらい。次善の策は、地中かどこかに埋めてしまうことだ。これをCCS (Carbon Capture & Storage)と呼ぶ。


5.ブルーなアンモニアと、グリーンなアンモニア

結局まとめると、アンモニアを作る方法には、2種類あることになる。一つは、クリーンで再生可能なエネルギーによって、水を電気分解し、その水素から作る方法。もう一つは、石油ガスなどの化石資源を原料にした水素から作り、副産物のCO2はCCSで回収処理をして、大気に出さないようにする方法。

前者の方法で作るものを、『グリーン・アンモニア』と呼ぶ。環境負荷のないやり方だからだ。他方、後者の方法で作るものを、『ブルー・アンモニア』と言って、区別する。CO2は発生するが、一応分離回収するので、環境負荷が少ないやり方と言える。
透明な燃料アンモニアに、なぜ青(ブルー)や緑(グリーン)の色があるのか?_e0058447_23482964.png
回収したCO2は、例えば油田に再圧入する。油田では地層からの原油の回収率を上げるために、あえて地上から、圧力をかけたりする方法がとられる。これをEOR (Enhanced oil recovery)とよぶ。CO2を、このEORに利用するのである。

もっとも、油田が近くにない場合も多いだろう。その時は代わりに、単純に地中に封入貯留したり、あるいは海底に、水和物として貯留する方法も検討されている。

ちなみにCO2を分離回収しないで、大気中に放出するのが、現在の主流のやり方である。これを『グレー・アンモニア』と言う。グレー(灰色)からブルー(青)→グリーン(緑)になるにつれて、だんだんキレイに(?)なると考える訳だ。

透明なはずのアンモニアを色分けするのは、このような理由によっている。もちろん作り方がこれだけ違うのだから、コストも当然ながら異なる。グレー・ブルー・グリーンの順に、高くなると考えられている。

地球はかけがえのないものだから、可能な限り環境負荷の小さいエネルギー源で、社会を動かすべきだと言う主張があるのは事実だ。他方、この世は経済原理第一で動いているのも、事実だ。全く同じ商品である燃料アンモニアを、作り方によって、異なる値段をつけた場合、普通は安い方に流れるだろう。

もしそのような状況を防ぎたければ、値段の順序が逆になるような方法を考えるしかない。その1つの手段が、原料としての石油・天然ガス(=化石資源)から生じる二酸化炭素に税金をかける、「炭素税」なのである。あるいは、より一般的な言い方として、カーボン・プライシングと言う市場的メカニズムを導入することなのだ。冒頭に平尾先生が言われたのは、この意味である。

ご存知の方も多いと思うが、今年に入ってから、EUの「タクソノミー」(分類基準)が、天然ガスと原子力を条件付きで容認する方向になった。これはいわば、妥協の産物である。天然ガス資源は有限だし、ウラン資源だって有限だ。どちらも、真の意味ではサステイナブルではない。しかし従来のように、石炭や重油を燃やし続けるのに比べれば、よりクリーンである、と言う意味で容認している訳である。

こうした状況下で、産油国で製造するブルー・アンモニアも、一種の経過措置として、しばらくは有力であると思われる。いわば産油国と消費国の思惑が合致した形だ。ただし、天然ガスが容認されたおかげで、ガス・パイプラインで資源国とつながっている、欧州や米国、中国、東南アジアなどは、天然ガスのまま利用を継続拡大できる見通しになった。

したがって、燃料アンモニアは天然ガス資源のない、日本のような島国の燃料にとどまる可能性もないではない。カーボン・フリーではあるが、世界的な燃料の中心の座を占めるかどうかは、今のところ不明である。もちろん不明でも、技術開発の努力は続けるべきだろう。上に述べたように、純粋な水素燃料への道は、ハードルがかなり高い。かといって全てを電化することも現実的ではない。エネルギー・トランジション(転換)の選択肢を広げるためにも、いろいろな色の燃料にトライすべきなのである。


# by Tomoichi_Sato | 2022-01-31 23:54 | ビジネス | Comments(0)