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『次世代スマート工場のエンジニアリング研究会』が目指すこと

かれこれ5年ほど前から、『次世代スマート工場のエンジニアリング研究会』https://www.enaa.or.jp/research/smart という研究組織を、一般財団法人エンジニアリング協会の中で立ち上げ、幹事を務めてきた。小さな研究会だが、それでもスマート工場化に関心を持つ約20社・50名以上の、企業および個人の参加を得て、それなりに活発な活動を続けている。

とはいえ設立から5年以上もたち、最近参加された会員も増えたため、研究会が何をねらい、どういった経緯で育ってきたかを、再度お伝えする方が良さそうだと、最近感じている。また、(財)エンジニアリング協会(略称ENAA)という機関は、いわゆるプラント・エンジニアリングの業界団体組織である。なぜプラント屋の集団の中で、一見無関係な工場作りの話をしているのか、といぶかる向きもある。そこで、当研究会のねらいと目標について、あらためてお伝えすることにしたい。

仕事柄わたしは、国内外のさまざまな製造業の工場を訪問してきた。ただ、国内に限っていうと、どこも悩んでいることは二つ、共通している。それは「人材不足」と「設備の老朽化」だ。

なぜ人材不足なのか。それは端的に言って、「工場で働きたい」という人が少ないからだ。国内工場の多くは大都市圏ではなく、地方にある。働き口は、限られている。それでも人が集められない。明るい職場というイメージが薄いのだろう。

それは、老朽化した設備とも関係がある。建物は地味で古くさく、中で動かしている機械設備も年代物ばかり。20年前、30年前の機械をメンテしながら、大切に使い続けている姿勢には、頭が下がるが、東アジアの競合相手の工場は、最新鋭の装置を導入したりしている。どうしてこうなのか? それは、製造業が国内の工場に、十分な設備投資をしてこなかったことを示す。

投資不足が、人手不足を生んでいる。人手不足なので、工場の生産性やパフォーマンスが上がらない。競争力が上がらないから、国内工場に投資などしてもムダだ、と本社側は考えて、投資不足になる・・ここには悪循環のループが生じている。このループを切らない限り、日本の製造業が元気を取り戻し、雇用を生むことなど考えられない。

ついでながら、自分の勤務先の都合も、ここで正直に申し添えておこう(笑)。エンジニアリング会社とは、製造業やエネルギー産業の顧客に、工場を作って納めるのが仕事である。ところで、日本の製造業が国内工場に投資してくれないので、わたしの勤務先もライバル企業も、ずっと海外売上比率が80%以上だ。グローバルに活躍するエンジ企業、などといえばカッコよく聞こえるが、本音を言えば為替リスクとも地政学リスクとも無縁な国内で、もっと仕事をしたい。だから、国内工場の競争力が低いままでは、とってもつらいのだ。

さて、日本の工場の大半を占めるのは、機械加工・組立系の業種である。自動車産業や電機産業が高度成長を引っ張ってきた結果、こういう産業構造になったのだろう。そうした工場に入り込んで現状調査をしてみると、気づくことが3つある(以下の図は研究会内部で使ってきたチャートだが、説明の都合上、下から上に向かって見てほしい):
『次世代スマート工場のエンジニアリング研究会』が目指すこと_e0058447_23214954.jpg

(1)現場依存の見えにくい運用: 工場内の操業状態が、各現場任せになっていて、どのオーダーがどこまで進んでいて、部品材料がどこにあり、人がどこであまりどこで不足しているかが、全体として見えにくい。見えにくいから、問題発見が遅れがちで、適切な手が打てない

(2)つながらない機械・工程の集合: 工場内が各工程・機械ごとにばらばらに運用されていて、流れやつながりが乏しい。単一製品を大量生産していた時代なら、一定のタクトタイムでモノが流れていったのだろうが、多品種少量化した今日、工場内が「乱流状態」になりやすい

(3)働きにくいレイアウト・空間: 工場のレイアウトが、まるで温泉旅館のように複雑化していて、人と物の流れが錯綜している。その上、建築空間が快適でなく、美しくもなく、働く人を引きつけない。

そして、こうした弱点の背景には、さらに共通する二つの事情があるように思われる。一つ目は、日本企業に特有な、「管理技術」=マネジメント・テクノロジーへの無理解だ。在庫理論だとか、スケジューリング理論だとかを、よく知らないまま、過去の延長線上で生産をマネジメントしようとしている。変化の多い時代に、それでうまく行くわけがない。

もう一つは、生産技術部門の弱体化である。これは2008年のリーマン・ショック時代に顕著になった動きだ。生産技術部門は、工場を拡張したり新設したりするときに必要な機能である。成長が見込めない時代には「不要」に見える。おかげで、一説によればほぼ1/3程度に人員が削減された。営業そのほかの部門に配置転換されれば、良い方だったろう。首を切られた技術者たちは、やむなく中国や東南アジアやインドの企業に再就職して、そこで身につけた知識・ノウハウを相手に移転していった。そういう技術者を、何人も知っている。

それにしても、こうした事情が、複数の業界をまたいで、同じように生じるのは、何か共通の原因があるからである。では、それは何か?

それは、「工場をシステムとして理解・設計し、操業する能力の欠如である」というのが、わたし流の解釈である。ここでいう『システム』とは物理的実体や人を含む仕組み、の意味であって、コンピュータ・システムのことではない。

なぜそんな風に考えるのか。それはわたしが元々、プラント屋だからだ。化学や石油などのプラントには、「プロセス・システム」という概念が中核にある。反応だとか蒸留だとか吸着だとかいった機能を持つ、複数の装置・工程を、配管でつないで動かす仕組みを、プロセス・システムという。

これを設計するのが、「プロセス・エンジニア」という職種だ(これは世界共通の用語である)。プロセス・エンジニアは、最初に、プラント全体を、プロセス・システムとして設計する。そこから、反応器や蒸留塔といった、個々の要素の設計に降りていく。プラントには装置のアウトプットを上流側に戻す、リサイクルの流れがそこかしこにあるから、個別の装置の積み上げで、全体を作ることはできない(そんなことをしたら計算が発散してしまう)。わたしも駆け出しの頃、プロセス・エンジニアの端くれだった。

そういう元プラント屋から見ると、機械加工・組立系の工場の作り方は、不思議である。まず生産技術者が、中核となる加工・製造のための工作機械などを設計する。そうした機械を注文して作らせ、ポンポンと並べる。その器としての建物を、(これは総務部門などが出入りの建築業者を使って)設計させる。そして必要なら、マテハン装置などを補助的に入れていく。いわば、足し算の論理で作られていく。

だが工場の中で、多品種の物の流れが全体としてどうなるのか、どこで保管・滞留するのか、能力はバランスするのか、検討する職種は不明確である。わたしのようなプラント屋の目には、工場はモノの流れる場、モノを変化させて流していく仕組み=「システム」に見えるのだが、多くの顧客では、原料から製品出荷まで、全体工程を把握している人は、ほとんどいないのだ。

機械加工・組立系、いわゆる「ディスクリート型」の工場が、なぜシステムとして捉えにくいのか、その理由は明確にあるのだが、長くなるので説明は別の機会に譲ることにする。ともあれ、そこに変化のトリガーとして登場してきたのが、IoT技術であった。

IoT技術は、個別の機械稼働状況などを、遠隔モニタリングすることを可能にする。そこで運転データを蓄積分析して、工程の運転に活用する「スマート化」が、2015年頃からブームになり始めた。経産省なども、スマート工場実証事業などの形で予算をつけて普及にいそしんだ。

ところで、「ミクロを積み上げても、マクロにはならない」とは、亡き父の台詞であった(→前回記事 参照のこと)。これはシステムというものの本質を洞察した、すぐれた言葉だと思う。これにならうと、(工程単位の)「ミクロなスマート化を積み上げても、工場レベルのマクロなスマート製造は実現しない」と言うことができよう。

工場レベルのマクロなスマートさとは、どういう状態か。そこでプラント屋がすぐ思いつくのは、「中央制御室」の存在である。高度な石油・化学プラントには、必ずと言って良いほど中央制御室が存在し、そこから工場全体の状態を把握し、必要に応じて制御をかけることができる。少なくとも、現場で何が起きているのか分からない、といった状態にはない。

同じように、ディスクリート型工場にも、遠からぬうちに「中央管制システム」が登場するだろうし、するべきだ。ちょうど、空港や高速道路に管制システムがあるように、工場の中の動きをモニタリングし、問題があれば解決するような仕組みである。

そして、こうした潮流を放置すれば、必ずや欧米企業が新技術や標準規格化などで、主導権を取りに来るだろうと、わたしには思えた。むしろ、この流れを先取りし、日本の中小企業を含めた製造業の、次世代の工場づくりの指針となり得る基本コンセプトを研究すべきだろう、と考えたのである。

このような取り組みは、当然ながら、わたしの勤務先の単体でできることではない。仲間作りが必要だ。

ちょうどその頃、経産省の「ものづくり白書」に、『ラインビルダー』という言葉が登場した。これは工場の製造ラインまるごとを設計し製造して納めるような、一種の機械設備インテグレーターを指しているらしい。こうした業種が広まることは、生産技術部門の弱体化した日本の製造業にとって、とても大事ではないか。工場作りをアウトソーシングする際の受け皿として、また海外に工場作りの仕事を輸出していくためにも、重要であろう。

その「ラインビルダー業界」の勇として、平田機工 という会社が熊本にある。わたしは野村総研の藤野直明氏のご紹介で、平田機工を訪問し、わたしが感じていた問題意識を平田社長に訴えた。突然の訪問にもかかわらず、最初30分だった面会枠を1時間半にひろげて、意見交換させていただいた。たしか2016年のことだったと思う。

今でもよく覚えているが、その帰り、熊本空港への車を待っている間のことだ。藤野さんに、これからどう動くべきかと意見を聞いたら、「佐藤さん、こういうことは日本では、お上を動かす必要がありますよ」という。なるほど、そうか。それから東京に戻って、藤野さんの手引きで、霞ヶ関を(初めて)訪れた。何度か通ううちに、ようやくこちらの問題意識が通じたらしい。「経産省内の私的な勉強会としてだったら、はじめても良いでしょう」という言葉を、担当された参事官から得ることができた。

それからは、当社トップの理解もあり、不思議なご縁などもあって、少しずつ研究会のメンバーが集まり、2017年に研究会が発足した。ただ1年ほど活動して、やはり根無し草では限界があることに気づいた。そこで、エンジニアリング協会を訪問し、唐突なお願いだが、研究会として軒先を貸していただけないか、広い意味ではエンジニアリング産業の育成につながるから、という理屈で、なんとか同意を得たのが18年の秋だった。

それからの経緯もいろいろとあるが、ここでは省こう。会としてラッキーだったのは、すぐれたメンバーの人材を得たこと、そして毎年それなりの仕事を受託して、運営費用を捻出することができたことだった。MESをテーマとしたシンポジウムを企画し、今年は3回目を実施できた。

わたしたちが目指していることは、ある意味、単純である。それは「次世代の」スマート工場なのだが、スマート工場に学問的定義があるわけではない。それを支えるものとして、スマートな運用管理技術、インテグラルな設備システム、フレキシブルなレイアウト空間、などという技術要素を並べることは、もちろん可能だ。

ただ、どうしても必要な条件が一つだけ、ある。それは、「見た人が『ここで働きたい』と感じる工場」であることだ。それがなかったら、どんなにITや自動化機械を並べても、むなしい。工場とはその企業が、「働く」とはどういうことかと考えている事の、表われだからだ。

そしてこの日本に、「働きたい工場」を一つでも、増やしていく。そのために、わたし達の研究会は活動しているのである。

(付記)当研究会は誰にも開かれたオープンな組織であるが、(財)エンジニアリング協会の会員企業の場合と、それ以外の場合で、参加の方式が少し異なる(活動内容に区別はない)。ご興味のある方は、協会事務局にお問い合わせいただくか、あるいは佐藤までご連絡ください。


# by Tomoichi_Sato | 2023-11-26 23:19 | 工場計画論 | Comments(1)

強すぎるリーダーシップは、その人自身にとって危険である

その手紙を見つけたのは、父の執務室の机の中だった。わたし達はその日、遺品を整理するため、亡き父が通っていた本社のオフィスを、初めて訪問していた。机の広い引き出しの奥のほうに、他の文房具などに混じって、小さな封書入りの手紙があった。切手も、宛先住所もない。おそらく職場で人づてに、あるいはもしかしたら直接、渡されたのだろう。

父は機械屋だった。大学で機械工学を学んだが、学生運動に加担していたため、大企業ではなく、創業したばかりの小さな機械メーカーに入った。創立時のメンバーは6、7人ほどだったと聞く。幸い戦後復興と高度成長の追い風もあって、次第に中堅メーカーへと成長していった。まだ50代の若さで病没した時、父はその会社の常務になっていた。

わたしの考え方は、父に非常に影響されている。化学工学を専攻したわたしに、就職するならエンジニアリング会社が良い、と勧めてくれたのも父だ。人が生きていく上では哲学が必要だ、という考えも、ビジネスの仕組みを「システム」と捉える観点も、全て父から学んだ。

東京の西郊にあった小さな工場を、近代的な機械工場に作り直したのも父の功績だった。個別受注生産で、極めて多品種少量な産業機械を、いかに生産性高く、合理的に作るか。その鍵は、モジュール化とGT(グループ・テクノロジー)化、以外にない。そのためには設計自体の見直しが必要だ。本社技術部で設計のリーダーだった父は、そう、見定めていたらしい。

それまで、米国企業のライセンス技術で生産していた製品ラインナップを、自社設計モデルで一新した。技術上の斬新な創意工夫もあった。だが、再設計を進めていた2年間は、東京オリンピック後の泥沼のような不況の時期でもあった。損失の責任をとり、社長以外の役員は全員降格、会社が生きるか倒れるかの瀬戸際だった。何とか開発し世に出した新製品を見て、米国企業はライセンス継続を断念し、日本市場から去っていった。

父が東京郊外に作った新工場は、当時ようやく普及期に入ったNC加工機械を1ダースも並べた、最新鋭の自動化工場だった。ほとんどの会社が、おっかなびっくり1台か2台のNCマシンをテスト評価用に入れている時期に、父はNCを生産ラインの中心に置いた。「NCマシンの本質的な革新性を生かすには、1台や2台では全く足りない」が父の考えだった。

さらに生産管理と部品の購買・在庫管理を目的として、当時はまだ珍しいコンピュータを工場に導入した。メインメモリ512KB、ディスク34MB x 2、紙テープ入力という、最新鋭の電子計算機である。GT化した部品群を、部分形状単位にロットまとめし、NCマシンに加工させるには、それが必要だったのだ。父はそれ以外の用途、給与計算や経理計算にはコンピュータを使わせなかった。そんなことをすれば導入の意図がぼやける、従業員数百人の工場経理などソロバンで十分、と言ってのけた。

父は生前、一冊の本を書き残している。技術評論社から出た佐藤隆一・著「実践的NCマネジメント入門」である。父の思想はこの本の中に集約されており、わたしも随分この本から学んだ(あいにく機械エンジニアでないため、まだ十分理解しきれぬところがあるが)。「標準化とは、標準以外のものの使用を断固禁止することだ」など、徹底した、ほとんど過激とさえ聞こえる父の主張は、かなりの程度まで自分の骨肉となっている(ちなみにわたしの最初の単著「革新的生産スケジューリング入門」の題名は、お気づきの通り、父の本にならったものだ)。

父が亡くなったとき、わたしはまだ30代そこそこだった。病床で父は、自分が残した仕組みについて、「これで会社の将来は心配がない」と語っていたという。手紙を遺品の中に見つけたのは、しばらく後のことだ。中を読むと、元部下からのものだった。おそらく、父が嘱望していた若手だったらしい。

文面は、会社を辞めていくことへの陳謝にはじまり、それから、職場について述べていた。強すぎるリーダーには、イエスマンが取り巻いていく、そんな意味のことが書かれ、最後に、新職場では工場作りの仕事に携わる予定で、自分が飛躍できるかどうかを賭けたい、といった言葉で、手紙は短く終わっていた。

わたしはその手紙を捨てずに、ずっと机の中にとっておいた父の気持ちを思った。父は傑出した人間だったと、ひいき目を抜きにして、今も考えている。あれだけの仕組みを構想し、開発し、実現し、会社を引っ張って成功に導いたのだ。ただし工場には、「常務のワンマン会社」という声もあったことを知っている。

強すぎるリーダーの周りには、イエスマンだけが取り巻いていく。これはある程度、やむを得ない、自然な成り行きだといえる。だが、その結果どうなるか。組織では現場から、良い情報もまずい情報も、上がっていく。だがイエスマン達は、良い情報しか上に伝えなくなる。正しい情報が入ってこなくなったら、どんなに優秀で傑出した人間であっても、正しい判断ができなくなる。そして組織を、間違った方向に連れて行く。これが、強すぎるリーダーシップの危険性なのだ。

ワンマン経営者がどのようなものか、わたしも経験上、多少は知っている。ワンマンになれるのはすなわち、それなりの実力があるからだ。だが組織の力学は恐ろしい。権力とはすなわち、強制力である。部下の人事評価や昇進や配置や、予算執行の権限を左右することで、部下を強制的に動かす。

相手が自分の考えに同調しているかどうかは、関係ない。自分こそが、正しい答えを知っている。ワンマンは、そう考える。だからこそ、自分の考えに同調する部下を、重宝に思うのだ。そうした組織で上に行きたければ、トップの考えに「イエス」というしかない。

今の世の中には、強いリーダーシップを待ち望む声が充満している。変革期や緊急時には、それも必要だろう。平時なら、凡庸なトップが御神輿に乗っていても、なんとか日常は回っていく。でも何かを決めて賭けなければいけないときは、それではこまる。みな直感的に、そう感じているのだ。

しかし強いリーダーシップが長期化すると、次第に見えない弊害が出てくる。長期とはどれくらいの期間か。それは組織のポジション入れ替わりのスピードにもよる。とはいえ米国大統領が2期8年以上の再選を禁止しているのは、参考の指標になるのではないか。連邦政府よりずっと小さな企業では、もっと短い年数かもしれない。取締役会や株主総会のガバナンスがききにくい日本企業は、トップの在職期間も長くなりがちだ。

そんなことは余計な心配だ。真のリーダーなら、情報の偏りにだって適切に対処できる。そうした反論もあるかもしれない。だがそれが「役員会でオープンな議論を」みたいなかけ声だけなら、実効性に疑問がある。まして、独裁国における秘密警察や密告制度のようなものだとしたら、わたしはノーサンキューである。情報の偏り問題を修正したければ、客観的批判的な立場の意見を、制度的にビルトインするしかないのではないか。

その手紙のことは、一緒にいた連れ合い以外、これまで誰とも話したことはなかった。だが今や、当時を知る人々もすでに同社にはおられないと考え、あえてこの話を書くのである。

父の遺徳を述べたたえる文章を、このようなタイトルの下で綴ることは、まことに申し訳ないと思う。だが世の中に、完全な人間はいない。そして父の信じていたとおり、どんなシステムも、それ自身への矛盾をはらむものである。だからこそ、父は強すぎた自分への教訓として、またそれ以上に、うぬぼれの強い不肖の息子・わたしへの警告として、この手紙を残しておいてくれたのかもしれない。


(追記)
父の著書「実践的NCマネジメント入門」はすでに入手困難だが、わたしは手元にスキャンした電子版を個人的に持っている。上梓から40年以上たつが、内容のエッセンスはまだ有益と感じられる(その分、日本が進歩していないのだ)。ただ上に書いたとおり、機械分野に明るくないわたしには、理解しきれぬ箇所も少なくないため、いつか、機械工学に詳しいエンジニアを交えて、少人数の私的な勉強会を開催したいと考えている。そういった機会にご関心のある方は、どうかご連絡いただきたい。


# by Tomoichi_Sato | 2023-11-11 18:12 | 考えるヒント | Comments(2)

リーダーは愛されるより、恐れられるべきか

C・N・パーキンソンといえば、かつてベストセラー『パーキンソンの法則』 で、一世を風靡した経営学者だ。元はアカデミックな歴史学者だったが、行政組織の研究に転じ、「役人の数は仕事の量にかかわらず、一定の率で増えていく」と言う法則性を示して有名になった。社会における矛盾を、思いもよらない角度から、機知に富んだ文体で描き、読んでいて非常に面白い。

わが国に紹介された3冊目の本『パーキンソンの成功法則』(原題:In-laws and Outlaws)は、彼が明確に経営論に踏み出す意図をもって、それもアメリカ流の経営学を意識して書いた本だ。とは言え、読んでいると時々、英国風のエピソードが出てきて、いかにもと思ってしまう。

本書は、読者(「君」)を架空の主人公にして、企業で下から上に出世し、上り詰めていくストーリーを骨格に持っている。日本版には「はだかの経営学」とサブタイトルがつけられているが、ウィットに満ちた語り口で、ある意味、著者の最良の本なのではないかと思う。今は絶版で入手困難のようだが、図書館などで見かける機会があったら、ぜひ手に取ってみることをお勧めする。

その本の最後のほうに、企業のナンバーワン、すなわちトップになるための3つの資格、ないし条件が書かれている。その一つが、部下の首を切らなければならないときの冷酷さだ。少し長くなるが、以下引用する。


「君はジョー・ウィッターリングをクビにする覚悟がおありですか? どんな組織でも、ジョーみたいな男はいる。(中略)ジョーが、評判のいい女房と学校へ行っている五人の子供のいる気のいいグズおやじだということは誰でも知っている。ジョーを会社に残しておく口実もあるかもしれないが、ここではそれができず(中略)ジョーをクビにしなければならない。 ジョーを呼んで次のように言ってやるのは、ナンバー1としての君の仕事であって、君以外のものの任務ではない。

『この会社では君は用がないんだ。 十月一日限りで、君を解任する。それまでに別の仕事をみつけたまえ。 及ばずながらできるだけお力になるよ』。

かれの顔はまっさおになり、手はふるえだす。 どもりながら自分のこれまでの仕事のこと、女房や子供たちのことを言いだす。それに対して君はこう答える、『お気の毒だが、ジョー、この決定はもう変えるわけにはいかんのだ』。

君はこういう覚悟をおもちですか? しかも、これはテストの全部ではない。ジョー・ウィッターリングにむかって『君はクビだ』と言ったあとで、うちへ帰ってぐっすりと眠り、くよくよと考えてはならない。

よきナンバー2となるためには、知識、技術、才能、気転といったものがいるが、ナンバー1となるためには、このほかに何か別のもの、つまり、長たることを示すこうした一種のドライで非情な気質が必要なのだ。対岸にまだ、味方の兵隊が残っているとわかっていても、橋を爆破するよう命じるのは将軍の責任だ。船長は、火夫をとじこめても防水壁を閉めねばならぬことがあるかもしれぬ。

『おれは間違ったことをしたんじゃなかろうか?』などと考えてはならないし、ウィッターリング一家がどうなるかなど考えてもならない。すぐに次の問題に考えをきりかえねばならない。そして、やりきれぬ話だが、それはまた別の男をクビにすることかもしれないのだ。」(同書「ナンバー2の技術」P. 219)

* ーー * ーー * ーー *

リーマンショックの少し後のことだったと思うが、久しぶりに旧友と会った。彼はある中堅企業の副社長で、父親の後を継いで、会社を統率する地位を嘱望されている。いつも通り闊達な感じだったが、目の色がさえない。やがてどうやら、彼はリストラの責任者になっているようだと分かった。

リストの対象者を一人一人会議室に呼んでは、「この会社に居続けてもあまり明るい未来は描けないので、他のチャンスを探すべきではないか」といったことを伝え、辞職するよう説得する。彼はそれを、もう一月も二月も、続けているらしかった。それは父親が彼に課した、一種の試練のようなものであって、経営者となるためには、そこも通る必要がある、と信じているらしかった。

世の中には「帝王学」という言葉を好んで使う人たちがいる。普通、歴史学と言えば、歴史を研究し、経営学と言えば、経営を研究する学問を指す。だが帝王学とは、学問ではなく、将来の帝王を育てるために、王子達に授ける教育プログラムのことを指すらしい。もちろん、現代世界に帝王などゾロゾロとは居ない訳で、実際には組織の長を育成するための、エリート・ ジュニアたちへの教育を意味するようだ。と言う事は、旧友が経験していたことも、その社長が考えた帝王学の一部だったのかもしれない。

経営者の仕事の中には、あまりやりたくない、嫌な仕事もある。それは事実だ。特に、社員の首を切る仕事など、その典型だ。日本企業は社員の雇用を守りすぎる、欧米の経営者はもっとドライだーーそんな議論もよく聞く。だが上記の本を読むと、彼らだって感情的には、わたし達とそれほど大きな違いは無いことがわかる(少なくとも同書が書かれた20世紀中盤の頃は)。

15世紀イタリアのニッコロ・マキャベリは「君主論」で、君主は愛されるべきか、恐れられるべきか、と言う問題を論じている。マキャベリの結論ははっきりしていて、愛されるよりも恐れられるべきだ、と主張する。そもそも人間は恩知らずで、偽善者で、欲得のために、いつ裏切るかわからない存在だ。そうした現実を正視し、君主は意志を持ってふるまえ。

「君主論」のテーゼを好む人は現代にも多い。「リーダー」と「非情 ないし 冷酷」を組み合わせて検索すると、驚くほどいろいろ出てくる。別に、自分の上司が冷酷で困る、と言った話を書いてるのではない。むしろ、リーダーを目指す人に、非情さを進めるタイプの言説がほとんどだ。

ところで皆さんは、プロジェクト・マネージャーと会社の経営者の一番の違いをご存じだろうか? あるいは、プロジェクト組織と会社組織の最大の違いと言っても良い。それは、プロジェクト・マネージャは、部下の首を切る必要がない、と言う事実である。

なぜなら、プロジェクト組織は一時的で、テンポラリーなチームだからだ。ほとんどのプロジェクトは少人数から始まり、次第に活況になると大勢を動員するが、集結段階ではまた少しずつ、人数を絞っていく。人が減っていく時期には、プロジェクトに従事していた人たちは、普通、元の所属の組織に戻っていく。無論、派遣社員の契約を切ることはあるだろう。しかしもともと、派遣契約は有期的なものだ。

これに対して、社員の雇用契約は永続的なものだ。これが通常の合意である。それに従って皆、生活設計を立てる。だから首を切られば、みんな困るし、首を切るのは避けるべき、嫌な仕事なのだ。人員整理が進んでいく職場がどういう雰囲気か、実はわたし自身にも経験があって、よく知っている。

経営者が非情にならなければならない喩えとして、上にパーキンソンが挙げた2つの例は、軍隊と船乗りの話だった。この2つの職業には共通することがある。それは現場に生命の危険の、可能性があることだ。軍隊は言わずもがなだが、船乗りも「板子一枚下は地獄」のシチュエーションで働いている。

それ故、これらの組織では、非常時にリアルタイムで人を動かさなければならない時がある。そういう場合は、メンバーのモチベーションだの何だのを、ごちゃごちゃ言っている暇は無い。緊急で有無を言わさぬ、リーダーシップが必要なのだ。

では、あなたの職場では、どれほどの頻度で、こうした緊急事態が生じるだろうか。それを乗り切るために、どれほど強く恐れられるリーダーが、望まれているだろうか。

中世末期の戦乱時代の君主や武将を、安易にリーダー論の模範とすべきではないとわたしは考える。その時代、身分制の壁は厚く、主従関係は隷属的だった。転職市場などと言うものは想像もできなかった。幸い今は、そうではない。命と引き換えに、武勲や名誉を家族に残す義務もない。

それでも、経営トップが、時に非常な決断を下さなければならないことがあるのは、わたしも理解している。だが非情さとか、冷酷さについて、1つ知っておかなければならないことがある。

実は冷酷になるのは、ある意味、簡単なのだ。残念ながら、人間の持って生まれた性質の中には、冷酷さのような部分もあるらしく、特に敵に対しては、ほとんどいくらでも冷酷になれる。これは現代にも歴史にも、いくらでも例がある。自分の部下を、自分の真の仲間だと思っていない人は、部下に対しても、冷酷になれるだろう。

だが一番難しいのは、非情でありながら、なおかつ、頼られるリーダーになることなのだ。これは離れ業のようなもので、このレベルに達した人は、わたしも本当に数えられるほどしか知らない。

マキャベリは愛されることと恐れられることが、並び立たない。2つの別々の事象であるように論じた。愛と言う言葉が、当時の地中海世界でどれだけの広がりを持っていたのかは知らないが、普通は「より頼む」ことも含む。そして信頼される・頼られる事は、組織を率いる上で、死活的に重要である。頼られなければ、平時の組織は動かせない。ましてイノベーションなど、恐れだけが支配する組織に生まれるわけがない。

ではどうしたら愛され、かつ恐れられる人間になれるのか。それはわたしには説明できない。そんなノウハウがあるかどうかも、わからない。だが、優れた経営者に必要なのは、この2つを、絶妙なバランスの上で両立させることなのだ。だからパーキンソンは、そうでない普通の経営者が会社を運良く成長させても、それは決して永続的ではないことを、「第3法則」の最後で示したのだ。


<関連エントリ>
 「大企業病の作り方、治し方」 https://brevis.exblog.jp/21981951/ (2014-05-11)


# by Tomoichi_Sato | 2023-11-03 12:44 | ビジネス | Comments(0)

乱世にこそ、フェアネス(公正さ)の感覚が必要となる

1985年5月。カリフォルニアにあるアップル本社では、緊急の役員会が開かれていた。その前年、社運をかけて開発し発売した新製品Macintoshの、販売不振による経営悪化の責任を問うて、CEOのJ・スカリーが、創業者であるスティーブ・ジョブズから、経営権限を剥奪する動議を出したのだ。

周知の通りスカリーは元々、ジョブズがペプシコーラからスカウトしてきた経営のプロだ。だが、会社が傾きつつある中、2人の間の確執が強まる。そしてジョブズは、スカリーの中国出張の間にクーデターを起こし、彼を追放しようとした。しかしスカリーはジョブズの計画をつかんで、逆に緊急の役員会を招集し、役員達に彼とジョブズのどちらを選ぶのか、選択を迫った。

役員会のメンバーは、ジョブズ以外の全員が、スカリーを選ぶほうに手を挙げた。

「あの時の光景は、今でも忘れられない。」スティーブ・ジョブズは晩年になっても、そう述懐している。「自分が設立した会社から、追い出されるなんて信じられるか?」とも、スタンフォード大学の卒業式スピーチで語っていた。当時のアップルには彼が育て、彼が動かし、彼のおかげで功績を上げ富を得た人間が、大勢いた。その部下達に、彼は裏切られるのである。

アップル社は現在、時価総額で世界最大の企業である。同社をここまで成長させたのはもちろん、97年に復帰したジョブズのリーダーシップのおかげだ。ジョブズが傑出した人間だったことは疑いがない。彼がまだ50代で亡くなったのは、本当に惜しいことだったと思う。

しかし、彼が万人に好かれていたわけではない。特に若い頃の彼が、経営者として、部下たちから好かれ、慕われていたかどうかと言うと、相当に怪しい。

それはアップル上場前後の彼の行動を、共同設立者だったスティーブ・ウォズニアックと比べるとよくわかる。株式を初期の従業員の誰に、どれだけ分け与えるか。多くの人の目にとって、ジョブズの配分は人々の貢献に対して、不公正に思えた。

もちろんジョブズには彼なりの、従業員に対する評価基準があったのかもしれない。だが、それが他の人間に不可解で予見不可能だったら、彼が気ままに、恣意的に決めているのだ、としか思えなかっただろう。

ジョブズは実の娘に対してさえ、アンフェアだった。ずっと私生児として認知さえしなかったくせに、社運をかけて開発した世界初のGUI搭載パーソナルコンピューターに、娘と同じLisaと言う名前をつけた。そしてそれはLocally-integrated system architectureの略だ、などという説明にならない説明をした(ここらへんのエピソードは、映画『スティーブ・ジョブズ』(→映画評)で、非常に印象的に描かれている)。

米国のビジネス文化では、人々はフェアネス(公正さ)に関して非常に敏感だ。これは彼らの思考習慣を支える、座標軸的な事がらだと言ってもいい。

念のために書いておくと、フェア(公正)であるとは、「平等である」こととは全く別である。米国は全然、平等な社会ではない。平等というのは通常、結果がイコールであることを意味する。これに対して公正とは、チャンスがイコールで対等であること、あるいは秤が傾いたら、元に戻すことをいう。

それは例えば、何かを借りたら、必ずそれを返すと言うことだ。ものを買ったら、代金を払う。ものを売るときには、必要な情報を説明する。情報はチャンスの重要な要素だからだ。契約ならば、権利を得たら義務を負う。契約当事者は互いに対等だから、お互いに権利を請求できる。

そして、上司が部下を動かして、何か益を得たら、それに応じて、部下に報いる。部下は上司の所有物ではない。両者は基本的に対等だからだ。これがフェアネスの感覚である。

したがって人の上に立つものは、下の人間に対して、公正な、フェアな評価をしなければならない。信賞必罰である。そうでないと下の人間は、リーダーを疑い、いずれは命令を聞かなくなる。あるいは、リーダーの座から放逐しようとさえ、するようになるだろう。

米国は基本的に移民と入植者の社会である。物資の乏しい中、借りたものは必ず返す事は、基本的な信頼のベースだったろう。また、移民たちは、出身国の家柄や地位とは関係なく、対等であった。

ちなみに、もっと歴史をさかのぼると、アングロサクソンを含むゲルマン民族全体が、もともと大移動によって中央アジアからやってきた移民であった。彼らは、基盤の乏しい社会にあって、自分たちでルールを作ることに心を砕いてきた。その根底にあったのが、フェアネスの感覚だろう。

そしてその感覚は、乱世を生きたわたし達の父祖にも、共通していたに違いない。戦国時代の主従関係は、江戸時代などと違って、もっと契約的な、今風な言葉を使えばドライなものだったことが知られている。世を圧する巨大なルールがないところでは、お互いがお互いを頼ったり縛ったりする、相互的な信義のルールが必要だったのだ。

今の世の中には、公正さなど、弱視や偽善者の論理だ、弱肉強食の世界では、たとえアンフェアでも強い者勝ちなのだ、などと信じている人たちもいる。とんでない思い違いだ。借りた物は返す、貸した物は返してもらう、約束は守る、部下の貢献や無能には信賞必罰をもって報いる――こうした事は、乱世にこそ誰もが行動基準とするのだ。

後醍醐天皇が足利尊氏らに権力を奪われたのも、織田信長が明智光秀に謀反を起こされたのも、元は功績への報奨の不満が原因だった。平和な時代、強大な権力が安定を支えている社会では、多少の不正は秩序の見返りに見過ごされることも多い。だが乱世では、そうはいかない。

自分の作ったベンチャー企業から追い出されたくなかったら、部下にも協力先にもフェアでなければならない。フェアネスが単なる建前論だという考え方こそ、じつは太平ボケの典型なのではないだろうか?


<関連エントリ>
 「映画評:★★★ 『スティーブ・ジョブズ』」 https://brevis.exblog.jp/24505542/ (2016-07-04)
 「言葉の二重の壁を乗り越える」 https://brevis.exblog.jp/30467903/ (2023-10-14)


# by Tomoichi_Sato | 2023-10-22 17:00 | ビジネス | Comments(0)

言葉の二重の壁を乗り越える

拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」https://amzn.to/3ZTfx8g にも書いたことだが、自分が海外プロジェクト部門に出たのは、39歳の時だった。それまでは主に国内向け業務の部門におり、半分はIT系の、残り半分は新規分野の事業開発的な仕事をしていた。しかし「このままでは、せっかくエンジニアリング会社にいるのに、本流であるプラント系の海外プロジェクトを知らないままになる」と、自分のキャリアに危機感を抱くようになり、思い切って手を上げ、全く未経験の部門に移ったのだった。翌年は不惑。遅すぎるかもしれないとの不安をいだきつつの決心だった。

移った先では、すぐにプロジェクト・チームに配属された。英国・米国と自社の3社ジョイント・ベンチャーで、ある中東の大型LNGプラント案件の基本設計と見積を行っていた。右も左もわからないど素人が、プロジェクトの真っ只中に放り込まれたのだった(それだけ人が足りなかったのだと、ずっと後になって気がついた)。

移った先の状況は、今でもよく覚えている。アマルガム(合金)チーム方式、と呼ばれ、米国人と我々日本人が、文字通り机を並べて、隣合わせで仕事をするのだ。彼らは我々の横浜オフィス(当時、上大岡にあった)に駐在していた。座った初日から、米国人のプロマネに呼ばれ、小さな4人がけのテーブルで(彼らは体が大きいので狭そうだった)、この先の仕事の流れとわたし自身のアクションを打合せた。もちろん英語である。

大型プラントの基本設計と見積は、それ自体で1年以上かかるプロジェクトだ。基本設計は一応、有償で受託して英国で実施していたが、プラントEPC(実装)は国際入札と決まっていた。その見積作業自体、数億円の費用がかかる。競争入札で受注できなければ、丸損である。しかも提出期限は厳しい。1日を争う仕事だった。読み書きするメールも、作成する書類や図面も、すべて英語。そうでなければ、海外の顧客やベンダーとやり取りできない。

このときの1、2年ほど、自分の英語力が伸びた時期はなかった。実を言うと、20代の終わり頃、会社から派遣されて1年間、米国で暮らしたことがあった。大学に隣接した連邦政府設立の研究機関だ。しかし、お勉強で行った20代の1年間より、仕事で攻められた40歳前後の1年間の方が、はるかに実力がついた。真剣勝負だからだ。

「英語をきちんと仕事で話せるようになるには、およそ700時間の勉強が必要だ。」そう、若い時に聞いたことがある。毎日1時間ずつ勉強して、約2年。まあそんなものだろうな、と今でも思う。読み書きや文法に関して、中学から大学まで一応勉強している訳だが、それでも実地の訓練が必要なのだ。それは聞いて理解し、考えを組み立てて話すことを、リアルタイムに行わなくてはならないからだ。

外国語の会話能力はスポーツの運動技能ににている。筋力トレーニングと同じで、訓練すれば誰でも能力が上がる。もちろん生まれ持った筋力の差とか、運動神経の違いはある。しかしスポーツだって、それぞれ動きの型や使う筋肉にちがいがあり、生まれつきの素質だけではプレイできない。生まれつき言葉を喋れる人がいないように。

外国語会話も、スポーツ同様、しばらく離れて使わないでいると、能力が落ちる。しかし落ちても、またトレーニングすれば、少しは元に戻る。

言葉の習得に王道は無い。言葉はある種、ディスクリートな存在で、文字1つ違っても、前置詞1つ違っても意味が変わってしまう。一つ一つ覚えるしかない。だから反射神経的に使えるようになるまで、時間がかかる。

さて、ここに朗報がある。生成型AIの登場である。文章を書かせると、もちろん自然でスムーズな英語を書く。翻訳もしてくれる。リアルタイムの翻訳も、かなり能力が上がってきた。

だとしたら、700時間もの訓練を積まなくても、手元の画面に同時通訳が表示されるようになるではないか。世界中の人とウェブ会議ができる今日、どこの国の誰とでも意思疎通ができ、仕事もできるようになる。もう海外プロジェクトで言葉の壁に苦労することもなくなる。そう考える人も多いだろう。

だが、わたしはそこまで楽観的ではない。言葉の壁の向こうには、もっと高くそびえる壁がある。それは思考習慣の違い、という壁である。この壁は、半透明で目に見えづらく、言葉の壁と隣接して立っているので、我々はなかなか気がつきにくい。

思考習慣の違いとは何か。それは例えば「事実」ということに対する認識・態度の違いだ。西洋の思考習慣では、事実とは誰にとっても共通で、皆の主観の外側に、つまり客観的に存在している。だから事実を認識することが、皆の共通の議論の土台になる、と考える。

したがって彼らの議論は、まず事実の客観的かつ正確な記述から始まる。ここには話し手の感情や、聞き手の損得は介在させない。その上で、問題解決なり交渉なりに話を進めていく。

事実は、数字で記述する方がより正確だと彼らは考える。そこで「先週の来客数は114人でした」「この種の事故が前年より23%も増加しています」みたいな話し方をする。広告宣伝さえ、「お客様の81%が、このサービスに満足しています」風の言い方を好む。

ところが、わたし達の思考習慣はそうではない。物事の記述は、まったりと円滑な形が好まれる。「先週もたいへん大勢の来客がありました」「最近は、事故が急増しているように感じます」と言う方が、自然に聞こえる。細かい数字をあげつらうのは、どことなく角が立つ。

そして日本で問題解決を話し合うときには、困っている自分たちの感情を込めて話を始める。好調なときには嬉しさの感情、不当なときには怒りの感情を込めて、物事を表現する。「心がこもった言い方でないと伝わらない」と信じるからだ。結果として事実と話し手の感情・損得が、混然と不可分になる。だが、こういう表現を聞いた西洋人は、何だかイライラするだろう。「それは貴方の主観ではないか」と。

他にも違いはある。疑問・質問に関する態度だ。西洋や中洋(中東・南アジア等)の人たちを相手にスピーチやレクチャーをすると、最後に必ず大勢の手が上がり、いろいろと質問をしてくる。しかし同じ内容を日本人相手にした場合、おとなしく聞いているだけで、ほとんど質問が出ない。

これは日本人の方が理解能力が高いから、ではない。その証拠に、後で感想やレポートを提出させると、いろいろと質問が出てくるのだ。だが、人前では聞きたくない。なぜなら、我々の社会は「受信者責任の原則」、理解するのは聞く側の責任、という習慣で動いているからだ。また、質問=批判だ、という見方も強い。だから皆の前で質問する人は、講師に批判的であるか、そもそも頭が悪いか、あるいは自己顕示欲の強い奴、と思われがちだ。

もう一つだけ例を挙げよう。西洋の思考習慣では、個人は皆、対等ということになっている。無論、社会には力関係の差が、歴然とある。だが弱い側にも、一応なにかを主張する権利はある、と考えられている。なぜそういう思考習慣なのかは、知らない。一神教の影響なのか、それとももっと昔からそうなのか。ともかく、どちら側にも主張する時間は与える。

ところが我々には序列ないしタテ社会の論理が、無意識に染み付いている。商取引にだって、対等という感覚は、あまりない。発注者は受注者より、上だ。そして階層が下の者に与えられるのは、「権利」ではなく「分際」である。・・こういうスタンスの差は、リアルタイム自動翻訳がいくら発達したって、消すことはできない。

(念のために言っておくが、世界中どこでも、だいたい発注者の方が受注者よりビジネスでは強いのである。だが西洋では、弱い立場の側も一応主張はした上で、たいていは強者が弱者をなぎ倒す結果になる。でも主張の「事実」は残るので、本当にフェアだったかどうかは、検証可能になると考えられる)

こうした思考習慣の違いについての洞察は、上記の700時間の学習に含まれるのか? そこは微妙だろう。誰について、どう学ぶかが重要になる。39歳のわたしにとってラッキーだったのは、一緒に仕事をした米国人メンバーたちが、単にロジカルなだけではなく、文化・思考習慣のことなる外国人とのプロジェクトに慣れていたことだった。

現代の世界では、好むと好まざるとに関わらず、英語がメジャーな言語である。ビジネスの英語は西洋的な思考習慣、つまり論理重視のモードで話される。ただし一つだけ、はっきりしていることがある。自分の母語できちんと論理的に説明ができない人は、外国語でできるわけがないのだ。かりに自動翻訳AIが発達しても、リアルタイムで論理性までは補ってくれない。だからわたし達に本当に必要なのは、発音やリスニングの訓練ではない。思考習慣の方のトレーニングなのである。

<関連エントリ>
「海外プロジェクトの障壁は文化や言語ではない」 https://brevis.exblog.jp/30456889/ (2023-10-07)


# by Tomoichi_Sato | 2023-10-14 17:51 | 考えるヒント | Comments(0)