人気ブログランキング | 話題のタグを見る

スマートな台所は可能か・その(1)

あなたは、ハウスメーカーの主任エンジニアだ。会社は今度、新しく中部地方にできる『スマートシティ』に参入するべく、新製品の開発に取り組んでいる。そのあなたに与えられた命題は、「スマート・キッチン」の開発だった。我が社が生み出す次世代住宅の目玉になるはずだ、ライバル企業が考えもしないような、斬新かつ有用な台所を開発しろ。プロジェクトを取り仕切る専務に、あなたはそう厳命された。

しかし、スマートなキッチン、って一体何だ。あなたは席に戻って、いささか途方に暮れる。建築学科出身で、建築設備については空調も給排水も熟知しているつもりだ。チェーン店のセントラル・キッチン設備だって、設計を手伝ったことはある。排気や消毒清掃に、独自の工夫が必要だった。しかしスマート化なんて掛け声は、当時なかった。ましてあなたが取り組むのは、普通の家庭向け住宅なのだ。

たとえばそれは、ロボットの働くキッチンだろうか。ロボットに何か料理を命じると、すべて自動的に調理して配膳してくれる、ロボティクス・キッチン。しかしそんなこと、技術的にまだ無理だ。特定の料理だけなら、まあ可能かもしれない。それでも材料の野菜や魚肉類の、大小や鮮度に応じた下ごしらえなど、不可能に近い。ある程度、半加工した材料を支給しなければなるまい。それに、特定のわずかなメニューしかできない全自動の台所など、誰がよろこぶだろうか。

それでは、スマートな厨房機械を並べるのは、どうだろう。ガスレンジ、オーブン、冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器、食洗機、フードプロセッサー。考えてみると現代のキッチンは、機械類のオンパレードだ。そうした機械は、たいてい前面のパネルから、スイッチをひねったりボタンを押したりして入力するようになっている。そうだ、これらをすべて統一して、スマホやタブレットからリモコン操作を可能にしたら良いのでは? ベストなUX(ユーザ・エクスペリエンス)を提供できるキッチンに・・

いや、だめだダメだ。キッチンなど端から端までほんの数m、手を伸ばせば届くのに、わざわざスマホから操作するまい。まさか出先からスマホで、家のガスレンジに火をつける訳にも行かないし。それに料理には必ず、包丁や盛り付けなどの手作業が残る。そこはスマホでは代用できないのだ。

そもそも、スマホによるUXにこだわるから、おかしな方向に行くのだ。むしろ最近の調理器具は、独自にいろいろと進化してきている。ガスレンジは揚げ物の温度調節ができるし、空だき防止機能もある。電子レンジは簡単な調理メニューをボタンで提供するし、冷蔵庫だって内容量と用途に応じて、細かな冷温制御をしている。だとしたら操作性、安全性、省エネと低炭素化をそなえた、スマートなキッチンにすれば・・

しかし、それって要するに、最新の調理機械が並んでいるだけで、まるで総合電機メーカーのショウルームではないか。そこに自分たちハウスメーカーとしての独自性が、どこにあるのか。我々の存在意義は住宅空間のプロデューサーであり、設備と建築のインテグレーターだ。ただ調理器を並べるだけでは、何もインテグレーションしていないことになる。

あなたは気分転換のために、カフェテリアにやってきた。そしてカップを片手にしながら、ついキッチンの中を眺めてしまう。広々と明るい厨房では、大勢の人たちが、キビキビと働いている。清潔さと明るさは、機能性と並んで、キッチンの命だ。だったら、いっそのこと家の中心にキッチンを置いて、トップライトで天井から自然光を入れたら? いやいや、それは意匠設計家の考えること。自分の仕事はキッチンの中の構成を決めることではないか。

いったい、スマートとはどういう意味のことなのか。センサやマイコン・PLCを内蔵した調理器をスマートと呼ぶのは、機械メーカーの自由だ。だが、単体でスマートなものを並べたからって、それで全体がスマートになるのか? 全体こそが、すなわち「システムとしてのキッチン」である。それって、システム・キッチンか・・いやいや、それとは断然、別のものだ。あれは什器や建具に統一した外観を与え、サイズ的に標準化したという商品だし。

ふむ。では、こうしたらどうか。各調理器具に、温度センサや重量センサをつける。まな板・流し台・配膳台の回りには、天井カメラを設置する。そして、センサのデータやビデオ画像を、WiFiとIoTでクラウド上のサーバに蓄積するのだ。そして、それをAIで分析すれば、美味しいレシピのパターンが発見できるかも知れない。この材料は、この温度が最適だ、というような。うむ。これなら、たしかにスマートなキッチンと言えるはずだ。いっそ、「データ・ドリブンなキッチン」と名付けても良いくらいだ。

ただし・・そのデータって、誰が分析するのかな? ご家庭の主婦だろうか。それはムリがあるな。じゃあデータ・サイエンティストを、我が社から配員するか・・しかし、稀少な人材はすでに社内でも取りあいになっているのに、そんなサービス業務で外に出せるだろうか。また、そもそも「美味しかった」という品質データは、どう入力するのか。まさか、ダイニングテーブルにもカメラをつけて、家族の笑顔をデータ化するのだろうか。

第一、ガスレンジのような単純な燃焼装置に、温度センサとPLCとデジタル表示パネルをつけ、記憶デバイスとプログラムによる制御機構をつけて「スマートです」と称するのだって、どうかと思う。それだったら、自分の専門分野だったビルのセントラル空調だって、十分スマートではないかと、技術者のあなたは思う。あれだって多数の温度センサーと制御用のサーバをそなえ、自動制御してくれる立派なシステムである。

センサという感覚器官と、通信という神経系統と、CPUボードという記憶と判断機構があれば、なんでもスマートと言い得るのだろうか? 

・・そんな風に考えているうちに、何やらカフェテリアの厨房で人がばたばたと行き来して、フロア係と深刻な顔で相談している。どうも客とのトラブルが発生したらしい。おそらく注文が遅いとか順番が違うとかで、短気な客がクレームしたのだろう。ありがちなことだ。

ただ、夕方にむけた仕込みの忙しい時間帯だから、どのオーダーがどこまで進んでいるのか、フロアの主任も厨房のシェフもつかめないのだろう。ワークロードも見えないので、オーダーを受けてもいつ出来上がるか、確約できないにちがいない。

これじゃスマートなキッチンとは言えないよな。そう思って一人笑いをしながら、あなたには急に気がついた事があった。
(この項つづく)



# by Tomoichi_Sato | 2022-11-13 08:10 | ビジネス | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(11月15日)開催のお知らせ

各位:
Web 3.0という言葉が、不安定になった今の世界を駆け回っています。今のわたし達が利用しているネット世界はWeb 2.0と言われ、この概念は2005年頃から使われるようになりましたが、3.0にバージョンアップされるまで、15年以上かかったことになります。ドッグイヤーの速さで進化する、と言われたインターネットにしては、ずいぶんゆっくりしたスピードに思えます。逆に言うと、それだけ現在のWeb 2.0の状態が大成功し、誰も大きな変革を求めなかったのでしょう。

「Web 3.0」とか「メタバース」「NFT」「DAO」などの用語を聞くと、“新しい技術だ、面白そう!”と感じて寄っていく人と、“ふん、どうせまたIT業界のバズワードさ!”と、斜に構えて批判的に見る人に分かれがちです。でも、なぜこんな今風のトピックを、我らが『プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会』で取り上げようと考えたのか、説明が必要かもしれません。

プロジェクトは、人と人が協力して成し遂げる営為です。したがって、コミュニケーションのあり方が非常に重要になります。わたし達が情報や意思を伝達するには、(テレパシーでも使えない限り)あって話すか、手紙を書くしか、長らく方法はありませんでした。そして、その目的のために、自然言語だとか、文書・図面だとかが発達したのです。

今のわたし達は、面談や手紙の代わりに、ネットによる伝達にもっぱら頼っています(このメール自身がその良い例です)。そしてネットで、言語のテキストや、Word/Excel/PDFなど文書ファイルを送り合っています。もちろんパンデミック禍のせいもあって、Web会議が急速に普及し、研究部会も活用するようにはなりました。ただリアルの会議に比べて、なにか足りない、どこか不便だ、と感じているのも事実です。それは何でしょうか?

90年代に出てきた、最初のWeb 1.0は、主にテキスト+静止画像の世界でした。ホームページと言われた初期の時代、どこのサイトも文字情報の羅列でした。Web 2.0の時代になると、スマホの普及とともに、動画とストリーミングが主流にかわりました。そしてWeb 3.0のメタバースでは、皆がアバターの衣をまとって、3次元的な場を共有するようになります。つまり、1.0から3.0に進むにしたがって、「感性的な情報量」が圧倒的に増えたのです。中核にある知的な情報量は、それほど変わっていないにもかかわらず、です。

もう一点。今のWeb 2.0は、ユーザに一見、利用が無料に見えるような「広告モデル」によって拡大しました。検索エンジンに広告を連動させたGoogleが良い例です。しかも現在のインターネットは、じつは認証(本人確認)も、決済の仕組みも、内蔵していません。なりすましや、カード情報の盗用が可能なのは、これら機能が後付けだからです。そういう意味で今のネットは、本当のビジネス基盤にはなっていないのです。その上でプロジェクトやギグワークをするって、リスクがあると思いませんか?

今回は、Spatialというメタバース基盤の活用について、草分けの一人であるweb活用経営(株)の小野晴世様に、最新の取り組みをまじえて解説いただきます。小野様は日本人として初めて、Spatial.io公式ガイドのクリエーターになられた方です。そして、メタバースの場を活用し、あっという間に世界レベルの最新の活用体制を構築しておられます。まさにアジャイル開発プロジェクトの、活きた実例でしょう。

なお今回は、Web会議によるオンライン形式で行いますが、もしかすると途中で、皆さんをSpatialのメタバースに引率してくれるかもしれません(もちろん無料で体験できます)。ぜひ積極的にご参加ください。


<記>

■日時:2022年11月15日(火) 18:30~20:00 (オンライン形式)

■講演タイトル:
メタバース×NFTプロジェクトのマネジメント 〜正解がない、未知への向かい方〜

■概要:
対面で会ったことのないアバターを通じたメタバースプロジェクトを2022年4月より実施。国境が存在しなく、体験を共有できるメタバースで、どのような働き方が可能か、体験をもとにお話しします。

■講師:小野 晴世 様
 web活用経営株式会社
 中小企業診断士
 Spatial公式ガイドクリエーター 

■講師略歴:
1998年、オンラインショップ制作会社として創業。2015年頃よりBtoBに特化し、デジタルマーケティング、営業DXを推進。現在はDXの延長として、メタバース×NFTの可能性を模索。メタバース経済圏の可能性を実験するSUSHI DAOを準備中。

■参加希望者は、三好副幹事までご連絡ください。後ほど会議のリンクをお送りいたします。

■参加費用:無料。

ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。


# by Tomoichi_Sato | 2022-11-03 14:29 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

わたし達には安心して議論できる場が必要だから(+オンライン・セッションのご案内)

わたし達には安心して議論できる場が必要だから(+オンライン・セッションのご案内)

  • AIに関する、ある対話(の不成立)

一昨年のことだが、ある方のご紹介で、東京・本郷にあるT大学(特に名は秘す)発のAI系ベンチャー企業数社の方々と、Webで面談した。先方から保有技術や事例の紹介を、まず受けた。当方がプラント系企業だからか、異常予兆やロボット系の事例が中心だった。異常予兆は自社内にも開発実績があるし、実はそれほど注目していなかった。こちらとしては、エンジ会社として設計問題の自動化(先月書いた開発プロジェクトの件)についてアイデアを求めたのだが、議論はすれ違いだった。

相手はみな、AI=深層学習こそ万能の道具と信じていて、実績データを分析すれば答えが見つかるからやらせてくれ、という。機械学習なんてパターン認識に過ぎないんだから、科学法則の支配する設計問題には向かない、と説明したが理解できない風だった。探索的な強化学習なら可能性があるので水を向けてみたが、それは制御問題のツールだろう、という理解しかなかった。本当は離散的組合せ問題への強化学習などの可能性を議論したかったのだが、まったくかみ合わない。

全員とも、「AI=機械学習」「プラントへの適用=故障予兆保全問題」「強化学習=制御向け」という、問題設定の枠組み(思い込み)が強くて、その外の観点から問題をとらえる気が無いらしかった。まあいかにも、試験問題を解いて優秀大学に入った人達らしいな、と思いつつ、Web会議を終えた。

  • 長い不況の根本原因 〜 考える力の低下

頭の良い人たちは、世の中にたくさん居る。頭の良さには色々な種類があるが、ともかくこの国には考える能力の高い人が大勢いる。それなのに、いつまでたっても経済は低迷状態から抜け出すことができずにいる。なぜなのか。自分たちを重用しないからだ、と頭の良い人達は言うかも知れないが、わたしの考えは少し違う。

前回の記事で、コンサルタントの故・今北純一氏と日本の長い不況について話した時のことを書いた。では、不況の根本原因は何だと佐藤さんは思われますか、とたずねられた。わたしの答えは、考える力が落ちている事です、とお答えしたと思う。考える力が落ちている、あるいは時代にそぐわなくなっている。それがわたしの認識だ。

頭が良いと言っても、世を見渡すと、多くは与えられた問題を解決する『問題解決型』の人ばかりで、自分から課題を設定する『課題設定型』の人が少ない。別の言い方をすると、解決へのアプローチには、問題事象に近寄ってクローズアップし細かく分析して解決する方法と、カメラを引いていって最初の枠組みよりも大きなフレームで考えるやり方の、二種類がある。どちらも必要なのだが、どうも前者を得意とする人ばかりが多いようだ(統計的エビデンスまでは示せないが)。

問題解決型の思考は分析や手順化が中心であるのに対し、課題設定型は構築的ないし発散的な思考が必要だ。だが、多くの人は、与えられた問題の枠組みの中で考えることは上手でも、枠組みを広げ、あるいは枠組みを疑って、もっと高い観点から問題を捉え直すことが下手だ。

高度成長期までは、問題の枠組みが決まっていた。戦後復興から、先進国に追いつけ追い越せで社会は動いていた。だから目前にある(せいぜい1〜3年の)課題解決を考えればよかった。

しかしバブル崩壊後は、新しい産業社会の姿を探さねばならなくなった。だが、各社各人は自分の生き残りに必死だった。そうなると直近・目の前の問題視か見なくなる。そのためには、内外に適切な「ベスト・プラクティス」を探して、真似れば良い。与えられた試験問題を解いて、正解を答えれば報奨される教育制度が、このような思考習慣を強化したのだろう。

  • 日本の教育制度の問題

日本の教育制度は、富国強兵時代にできあがった仕組みで、主に『競争と選別の論理』でできている。問題を与えて解かせ、ペーパーテストの成績で進路を決める。旧来の企業では、ながらく大卒と高卒でキャリアが隔絶していた。だから大学入試合格が教育の最終目的になった。

大学教授達の意識の中では、大学は主に学問研究の場であって、教育の場ではなかった。大学教育とは、大講義室での一方的な知識の伝達か、「学問する教授の背中を見せる」式の徒弟制度しかなかった。

しかも産学間で人材の行き来が乏しいため、学問研究と実務分野とが乖離していった。そのため企業は大学の教育機能を信頼せず、新卒採用してから社内教育を行ってきた。そのうち不況が続くと企業の体力も衰え、社内教育ができなくなって、「即戦力」を求めるようになった。

といっても企業側でも業務プロセスを業界内で標準化する、といった努力を怠ってきた(というか、そういう方向に頭を使わなかった)。このため、たとえ同一職種でも業界内で用語・手順がバラバラで、共通の育成カリキュラムなど組みようがない。「即戦力」がどういう意味で、社会でどう育てるべきかを、産業界は真剣に考えてこなかった。教育界に丸投げした形である。

その結果、就活生向けの、社会人としての基礎的トレーニングは、民間教育産業(=受験産業)の格好の草刈場になった。念のために書いておくが、「社会人基礎力」なる概念は、2006年に経済産業省がご親切にも提唱した言葉であり、「『前に踏み出す力』、『考え抜く力』、『チームで働く力』の3つの能力(12の能力要素)から構成」されているのだそうだ(https://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/参照のこと)。「なんだか自分は会社の中で評価されていないなあ」と感じている方は、ぜひこの「社会人基礎力」を学び直されると良い。ちゃんと検定試験制度まである。きっと社内で出世できること請け合いである・・んじゃないかと、思う。

  • 考え抜くためには、他者との議論が必要である

この経産省・産業人材政策室の「社会人基礎力」には、素晴らしいことに『考え抜く力』が含まれている。資料によると、その要素として以下の3つがあげられている。

  • 課題発見力:現状を分析し目的や課題を明らかにする力
  • 計画力:課題の解決に向けたプロセスを明らかにし準備する力
  • 創造力:新しい価値を生み出す力

最初に課題発見力がきて、それは現状から出発し、分析し目的や課題を明らかにする力だ、と書いてある。ものすごく問題解決型・分析型の思考方法であることがお分かりいただけるだろう。自分の意思を持って目的や目標を設定し、そこから行動を導き出す、といった課題設定型の思考習慣は、あまり求められていない。

(なお、以前このサイトで書いたように、わたしは「問題」と「課題」という言葉は、区別して使っている。しかし世間ではそうではないため、ここではそのまま引用した)

わたしにとって「考え抜く」とは、カメラを引いたり寄ったりしながら、ある一つの問題を3日でも1週間でも1ヶ月でも、考え続けることだ。ブレークスルーが見つかるまで、仕事をしているときもメシを食っているときも、歯を磨いているときも寝ているときでさえ、意識か無意識かを問わず考え続けることだ。

それをやるにはまず、体力がいる。睡眠不足が続いたら、できない。感情的な負荷が高すぎても、できない。何もせずにじっと考え続けている(=はたから見ると「何の仕事もせずぼおっとしている」)時間を取れる職場環境が必要だ。

そして何より、他者との対話を通じた思考の活性化が必須なのだ。答えは自分が見つけるかも知れないが、それでも他者の存在と、知的・感情的な両面での刺激やサポートが大事になる。

  • なぜ議論(対論)が必要か、なぜ難しいのか

囲碁に「岡目八目」という言葉がある。傍で見ている人間の方が、よりすぐれた手を思いつきやすい、との意味だが、至言だと思う。なぜなら、戦っている当事者はしばしば、これまでの自分の思考の経緯にしばられ、枠組みに しばられるからだ。

したがって、本当に思考を活性化したかったら、他人と議論することが必要なのだ。ただし、そのためには、互いに自由に考え発言できる、「心理的安全性」が必要だ。だが、これがむずかしい。

というのも、議論は優劣を競う競争の場になりやすいからだ。知識の多さ、口のうまさ、頭の良さの比べっこに陥りやすい。問題解決と創発が目的なのに、勝ち負けに目的がすり替わってしまうのである。さもなければ、居酒屋談義の無責任にもなりがちだ。

対等な立場での創発的な議論を、ここではあえて「対論」と呼ぶことにしよう。優劣に基づかない、優劣を決することが目的ではない議論=対論が、わたし達には必要なのだ。

そして、会社の中では議論(対論)が難しい。タテ社会においては、「対等な関係」で話し合うことが困難だからだ。どうしても職位が上の、あるいは発言力の強い方が、議論を仕切っていってしまう。だとしたら、わたしたちは、自社のサイロの外に、対論の場をもとめていかなければならない。

  • 対論の場を作る試み

わたしが5年ほど前から、(財)エンジニアリング協会で「次世代スマート工場のエンジニアリング研究会」を始めたのも、一つには、そのような場を作りたかったからだ。それが成功しているかどうかは、分からない。だがとりあえず、いろいろと議論して、少しは何かを生み出してきたことはたしかだ。

研究会を始めて3年目に、コロナ問題による都市封鎖の時代がやってきた。今それは終わりつつあるが、顔を合わせた自由闊達な議論を、オンラインによるやりとりに、置き換えるしかなかった。オンラインには良い点もいろいろとあるが、時間差による発言のタイミングの取りづらさ、相手の表情の分かりにくさなど、制約も多い。

とはいえ昨年10月と今年9月には、MES/MOM(製造実行システム)に関する大規模なオンラインシンポジウムも企画し、数百人もの方にご参加いただいた。ただ、今年はほぼ丸1日の時間を取ったが、やや盛りだくさんすぎて、肝心のQ&Aに十分な時間を取れなかったとの反省がある。

そこで当日も案内したことだが、フォローアップのためのオンライン・セッションを別に企画することにした。具体的には、以下の日時に開催する予定である。

11月10日(木)17:00-18:30 Zoom形式
(申込みはhttps://forms.office.com/r/X74w9i6C2uよりお願いします)

本当は、シンポジウムの講演者の皆様をお呼びできれば理想的だったが、それはなかなか難しい。そこで研究会の主要メンバー(何人もおられるが、ここでは野村総研の藤野直明氏・藤浪啓氏、平田機工の神田橋嗣充氏、エンジ協会の川村武也氏のお名前をあげさせていただこう)が中心になり、皆さんからのご質問やご意見に応対する、という形にする。

なお、当日に多数のご質問を受けると対応が難しいため、できれば上記申込フォームに、質問や意見を事前に書いていただく形にした。ただし、内容を当日ご紹介する際には、お名前やご所属は出さないようにする。なので、「こんな質問をすると自社の実情がライバル会社にわかってしまうのではないか」「ベンダーの売り込みが来るのではないか」などのご心配は無用だ。まあ、社外コミュニティのための心理的安全性の試み(笑)である。多くの方のご来聴をお待ちしている。

(注:ちなみに今回は、9月のMESシンポジウムに申込みをされた方を原則対象とするが、都合で申込みできなかった方は、個別にご相談ください)


<関連エントリ>
「意思を持つために――未来はわたし達の意思がつくる」 https://brevis.exblog.jp/30153969/ (2022-10-25)
「超入門・問題解決力 - 問題とは何か、課題とはどう違うか」 https://brevis.exblog.jp/12188859/ (2010-02-21)
「Auto Plot PATHFINDER ~ 多目的最適化エンジンを用いたプラント・レイアウトの自動設計 (1)」 https://brevis.exblog.jp/30133387/ (2022-09-26)


# by Tomoichi_Sato | 2022-10-31 09:32 | 考えるヒント | Comments(0)

意思を持つために――未来はわたし達の意思がつくる

  • 今北純一さんのこと

故・今北純一氏は、日欧をまたにかけて活躍する経営コンサルタントとして著名な方だったが、わたしの研究室の大先輩でもあった。年齢差があったため、大学時代はお会いする機会が無く、ただ、ずば抜けて頭の良い人との噂を聞いていた。それが、たまたま20年ほど前からご縁があり、謦咳に接するようになった。

お目にかかる度にいつも非常に刺激を受け、勉強になったが、残念なことに2018年の暮れに急逝された。72歳だったという。あいにく訃報に触れたのが遅く、せめてお線香をと思いつつも、なかなか果たせずにいた。しかしようやく今月、以前からの知人のGさんの導きで、東京・本郷にあるお寺にお参りすることができ、ほっとした思いでいる。

今北さんにはじめてお目にかかったときのことは、今でもよく覚えている。パリ16区、トロカデロにある今北さんのオフィスを訪ねた。2001年だったと思う。ちょうどその頃、わたしはプロジェクトの仕事でフランスに駐在していたのだ。今北さんはCorporate Value Associatesという欧州系の戦略コンサルティング会社の上級パートナーだった。

欧米で活躍してきた方はたいていそうだが、今北さんもムダな儀礼や美辞麗句がきらいで、単刀直入にいきなり切り込んで来られる。すすめられて椅子に座り、自分の名前と今の仕事を紹介すると、「お名前は先生から伺っていました。それで、最近日本はどうですか?」と聞かれる。わたしはとっさに答えた。「廃墟です。」

「そんなにひどいですか?」今北さんは驚いたようにたずねられた。じつはわたし自身、とっさの答えに自分でも驚いたのだ。が、ともあれ、言葉を重ねた。「ひどいです。若い人に、希望がありません。」すでに中年にさしかかっていたわたしは、こう答えた。「世の中の仕組みはがんじがらめになっており、新しい良いことを思いついても、参入するスキマもありません。これで、どうやって希望が持てますか。」

  • 希望について

今の日本はどうか、というような大きな問題設定を、それまでちゃんと考えたことはなかった。一介の技術者で、会社員なのだ。だが今北さんは、それを求めた。そこでとっさに考えたのが、日本には希望がない、ということだった。そして20年後の今でも、その状態は同じだと思っている。

希望とは何だろうか。いろいろな定義が可能だろうが、「人生は運不運だけで決まるのではないはずだ、と信じること」だと、わたしは考えている。すなわち希望とは、自分にとってより良い未来を期待し、自分が働きかけてそれを創りだしうる、という感情だ。努力すれば報われる可能性がある、と信じることだ。

自分の努力が関わらない願望、例えば「今年は宝くじに当たりますように」「白馬に乗った王子様にプロポーズされますように」は、たんなる夢である。夢を見るのは自由だ。だが、夢は希望ではない。未来に自分で働きかける方法がないとき、人は夢を見るのだ。

個人的なこと、たとえば結婚や家族や趣味・健康に関する希望も、もちろんあるだろう。ただ人は一人で生きていくのではないから、社会との関わりにおける希望のあり方こそ、社会の実情を示すと考えることができる。公務員や学者になる人を除けば、多くの人はビジネスに関わる。じゃあ、そこにはどのような希望の相があるのか。

日本における起業の数が少ないこと、またスタートアップや中小企業の成長する比率が小さいことは、いろいろな統計で示されている(たとえば経団連は5年後までにスタートアップを10倍にしたいといっている)。べつに起業だけがビジネスにおける希望の姿ではないが、社会への新規参入のしにくさを示す指標の一つではあろう。

  • 意思のあるプロダクト、意思のない戦略

そもそも、わたし達がワクワクするのは、新しいユニークな製品に接したり、そうしたものを開発しようとするときではないか。ところで、あるプロダクトが面白いと感じるのは、そこに作った人達の意思を感じるときだと思う。iPhoneでもTeslaの車でも良い。Dysonの掃除機でも良い。そこには設計し生み出した人の「こういうものを作りたい」という強い意志を感じる。

たまたま挙げた例はどれも、ジョブズやマスクやダイソンといった個人にひもづく製品だが、別に作り手の固有名詞はなくてもいい。英仏海峡トンネルは誰か個人の「作品」ではないが、それでも一度は列車で通ってみたいと思う。「もはや英国は島国ではない」と言わしめた一大プロジェクトには、やはり意思を感じる。

海底掘削工事の90%は単調で苦労の多い、面白くない作業の連続だったろう(そして事業はひどい赤字だった)。それでも完成できたのは、誰も達成したことのないプロダクト(海底トンネル)と、その生み出すアウトカムを、プロジェクトに関わる人達がイメージして、意思を持ち続けられたからだ。面白くないプロダクトを作るプロジェクトに燃えることは、誰もできない。

そして意思のない、数字目当ての戦略は面白くない。これは今北さんがよく言われていたことだ。よくある日本企業の、経営数字目標だけの『中期経営計画』。そこにどんな意思があり、どんな意味があるのか。こうした経営計画を、今北さんは有害無益と批判しておられた。

経営にはミッション、ビジョン、そしてパッションが必要だ、というのが今北さんの持論だった(このことはビジョン・ステートメントなどがビジネス界で流行り出す、ずっと以前から言われていた)。そのパッションとは、すなわち意思のことに他ならない。

  • 意思なき社会の病理

ところで周囲を見渡すと、わたし達の社会には、与えられた課題解決が得意な人ばかりだ、と感じることが多い。日本のビジネスマンは真面目だし、現場でもオフィスでも勤勉に働き、PDCAでの改善や、目標達成のための問題解決には能力を発揮する。しかし、自分で課題設定するのは不得意である。

わたしはプロジェクト・マネジメントを教えるとき、時間が許す限り「ゴール・目的・目標設定」の演習をする。自分が関わる身近なプロジェクトをとりあげて、当事者として、何を作ったら完了と言えるのか(ゴール)・なぜそれをやるのか(目的)・どうなったら成功と言えるのか(目標)、を言語化するエクササイズだ。

だが、学生だけでなく多くの社会人が、「なぜ=目的」と「どう=目標」について、うまく答えられない。

就活のゴールは? 内定をもらうことです。じゃあ、なぜ就活するの? だってもう、3年生ですから。あなたの目標は? それは・・内定をもらうことです。——この問答は、ゴールが目標になっている典型例である。本当のことを言うとこの学生は、周囲が就活しているから、自分もしなきゃと思っているだけだ。社会に出て何をしたいのか、肝心な自分の意思がよく分かっていない。たぶんまだ、ないのだろう。

こんな学生の答えを笑う社会人に、じゃあ、あなたの職場のプロジェクトの目的は何?とたずねてみる。もちろん、良いプロダクトを作って納品することです。そんな答えがかえってくる。でもそれは、ゴール(完了条件)なんじゃないの? 良くないプロダクトだったら、そもそも顧客は受け取らないでしょう?(ここでも、ゴールが目的・目標になっているのがお分かりと思う) 

じゃあ、どんなプロダクトだったら「良い」と言えるんですか? それは、顧客が示した仕様条件を満たして、不良のないものです。——すなわち、言われたものだけを、作る。言われなければ、作らない。課題は与えられるもので、そこには特段、自社の考えや意思はない。ゆずれぬ設計上のスタンスも無い。このどこに、未来を作り出すワクワク感が生まれるだろうか?

  • 意思というものの正体

言われたことだけをやる、与えられた課題だけを解決する、そんな思考習慣の人びとは、しばしば未来予測に頼りたがる。誰か予測の上手な人が考えた、所与のものとしての未来予測をベースに、自分たちの“戦略”を立てたがる。未来は意思を持って作り出すものではない。いつのまにか周囲が(「世のトレンドが」)決めるものなのだ。自分たちはほんのちょっと、先回りして適応すればいい。それが正解のはずである、と。

意思とは何だろうか。それは、目の前の傾斜に逆らってでも、未来に向けた行動をとろうとする気持ちである。わたし達は、体育館で単調に見えるトレーニングをいつまでも繰り返している子を見ると、「あの子は意志が強いな、良いプレーヤーになるだろう」と思う。それは目の前の楽な休息状態を避けてでも、自分のありたい姿を目指すからだ。

生物学に走光性という言葉がある。単純な生き物が、光のある方向にむかう性質だ。誘蛾灯や魚群集光機はこれを利用している。だが高等動物は、おとりの餌が仕掛けてあっても、あえて避けることができる。判断力と意思の力があるからだ。人が単に外界の刺激に反応し、自分にとってベターと感じる方向に向かうだけなら、原始的な動物と変わらない。

好き嫌いはある、もしかしたらワガママかもしれない、だが意思がない。こういう人が周囲に居たら、扱いにくいのは想像できるだろう。何をしたいのか、自分でも分からないので、満足させることが困難だ。こういう人が顧客だったら、あるいは上司だったら、途方に暮れてしまう。わたし達の社会が無用のストレスに満ちているのは、じつは意思の足りない人が多すぎるからかも知れない。

  • 自分の意思を持つために

今北純一氏は、学部時代は応用物理だったが、大学院で化学工学に進学した(当時はそういう人が結構いた)。化学工学とはプラントの設計論である。そして複数の熱交換器のネットワークに関する最適化理論を打ち立てて、卒業した。いったん化学会社の研究部門に就職し、米国に留学する。帰国後、今度はオックスフォード大学の経済学の招聘教員として渡英。だがそこは短期で終わり、スイスの有名なシンクタンクであるバッテル記念研究所にいく。

このバッテル・ジュネーブにおける5年近くの体験が、その後の今北さんを作ったらしい。今北さんの著作は多数あり、「仕事で成長したい5%の日本人へ 」「交渉力をつける 」「ビジネス脳はどうつくるか 」「西洋の着想 東洋の着想」など、どれも面白いが、最も今北さんらしいのは、初期の「孤高の挑戦者たち」ではないかと思う。ここではバッテル時代のことが、個性的な同僚達の群像とともに活き活きと描かれている。

今北さんはその後、仏ルノー公団にスカウトされ、パリに移る。そして国際的企業エア・リキードに転じて、アジア・パシフィックの代表取締役になる。ここまで登りつめれば、普通のビジネスマンだったら、あとは余勢を駆って栄達・引退までを思い描くだろう。

でも、彼はそうしなかった。50歳を過ぎて、今度はCorporate Value Associatesという経営コンサルティング会社に転じる。移った理由は、自分自身への挑戦である。ご自身ではそれを、「はい上がりのプロセス」とよんでおられる(「国際マヴェリックへの道」 P.16)。それはつまり、目の前の楽な、だが何かに依存した状態から、もっと標高の高い状態へと、ご自身の「知的対決」の技法を駆使して、進んでいく強い意志の表れである。

今北さんの生き方を見ると、自分の意思とは自分で育てるものである、という事が分かる。必要なときには自分を背水の陣に置くこと。それによって新たな道を切り開くこと。それが未来をつくりだす秘訣なのだろう。それはずいぶん孤独な営為だろうとも思う。きっと、意思とは孤独なものなのだ。人と群れるのは楽だが、流されやすい。流されないことが、意思の証明なのだ。

「経営者とは孤独なものなのだよ、佐藤君。」とおっしゃった今北さんの言葉が、忘れられない。そのころ、日本を代表する重工メーカーH社の経営者と、毎月あって話し合うのが、仕事の一つときいていた。孤独だから、利害関係の無い誰かと、本音で語り合いたいのだ。意志の強い人同士はたぶん、お互いに分かるのだろう。長年、流されるように生きてきたわたしだが、混沌とした時代の今、もう一度今北さんと話し合いたかったと、強く思うのである。


<関連エントリ>


# by Tomoichi_Sato | 2022-10-25 07:00 | 考えるヒント | Comments(0)

エンジニアリングチェーンと製造の間に架ける橋 (+オンライン講演のお知らせ)

大学を卒業し、エンジニアリング会社に就職して最初に配属されたのは、設計部門だった。技術系の人間の配属先としては、設計部門、調達部門、建設部門、プロジェクト・マネジメント部門などがある。だが「エンジ会社」というだけあって、過半数は設計部門に配属される。ちなみに同期の大卒・院卒で総合職は100人居たが、事務系は10数名だった。そういう会社なのだ。

ところで『エンジニアリング』という言葉には、狭義と広義の二つの意味合いがある。狭義はもちろん「設計業務」の意味だ。だが広義には、プラントなどの対象物の「全体を実現する」意味にも使われる。その場合は、設計のみならず、調達・建設・PMなどの機能も含んでいる。だからこそ、「エンジニアリング会社」と呼ばれるのだ(この用法は、少なくともプラント・エンジニアリング分野では欧米など世界共通である)。

さて、新入社員のわたしは、設計部門、それも最上流の基本設計部門に配属された訳だが、数ヶ月も経たぬうちに、がっかりすることを知った。少なくとも石油精製プラントの世界では、中核となる反応等の製造設備の基本設計は、「ライセンサー」と呼ばれる欧米の技術開発型企業が、先に行ってしまうのだ。

じゃあエンジニアリング会社は何をするのか。その基本設計をデベロップする、あるいは中核設備を支える周辺的な設備を設計する。そして設計に基づいて資機材を調達し、工事会社に建設させる。全体プロジェクトをマネージする。これはこれで、重要な価値ある仕事だ。そう説明された。でも、うーん。基本設計は欧米がやるのかあ。わたしはちょっぴり、落胆した。(ちなみにこの事情は、対象分野によっていろいろ異なる。ただわたしの配属された部署は石油系がメインだった)

職業は何ですかと聞かれたら、「エンジニアです」と今でも答える。だが、わたしが次第にプラント設計の仕事から脱落(?)して、スケジューリングだとかプロジェクト・マネジメントだとかの仕事にシフトしていった最初のきっかけは、そこにあったのかもしれない。

設計部門は重要であると、たいていの製造業は考えている。新卒の最優秀な人材は設計部門に配属する企業も多い。ところで、その最優秀な若手にきくと、設計の仕事は案外つまらない、という感想がかえってきたりする。なぜか。たいていの企業では、すでに過去の多数の設計資産があるからだ。新規の仕事は、その流用設計である可能性が多くなる。あるいは発注先の仕事のチェックとデータの転記入力であるとか。

設計者の醍醐味とは、自分の知恵と創造力を発揮して、新しい製品の仕組みを構想するところにある。もちろん、それが可能になるためには、それなりの分野知識と経験が必要だ。新人が急にできる仕事ではない。だが、そういうキャリアパスが必ずしも見えないのが、多くの若手の悩みではないのか。それはとくに、基本技術を海外から導入した企業ほど、強いかも知れない。

ところで設計部門と製造部門との力関係は、企業や業界によって違う。設計部門が強くて、役員に上がっていくのは設計部門出身者ばかり、というところもある。逆に製造部門が強くて、下手な設計図を出したらボコボコにされる会社もある。

ちなみに欧米のエンジ会社は設計が強く、建設部門(=製造業の製造部門に相当する)は、出された図面と材料で働くだけ、という感じが強い。逆に日本のエンジ会社は、建設から逆算して、作りやすい設計を、必要なタイミングに出図する習慣が強い。後者の方が、プロジェクト全体としてはまとまりが良く、納期もコストも圧縮できる。

ただしそのかわり、複数部分の設計作業を並行して進めたりするので、上手にやらないと設計変更だらけになって、調達も建設も混乱し、全体が破綻する。錯綜した設計活動をまとめる業務を、「エンジニアリング・マネジメント」と呼ぶ。エンジ業界にはそのプロである「エンジニアリング・マネージャー」職種が存在する。

そういう眼から、製造業の情報化構造を規定した国際標準「ISA-95」を見ると、非常に奇妙なことに気づく。ISA-95には製造にまつわる様々な業務機能が定義され、その関係が規定されているのだが、その中に設計がないのだ。しいていえば、「製品開発」の中に含まれるといえるが、じゃあ工作機械や半導体装置メーカーや造船業が、注文を受ける度に設計する作業は、何なのか? あれを製品開発と呼ぶのだろうか。

ISA-95はERPとMESの界面を定めているが、設計はそのどちら側に位置するのか? そしてエンジニアリング・マネジメントの位置づけは? まことに不思議ではある。

国際標準ISA-95は米国生まれなので、おそらくその背後には、米国流の製造業観があるのだろう。それは何かというと、「エンジニアリング・チェーンとサプライチェーンは独立している」、という考え方である。製品企画から始まって、設計、量産準備、生産、そして改廃までの、製品のライフサイクルをつなぐエンジニアリング・チェーンと、受注から調達、生産を経て保守までのサプライチェーンは、独立した業務サイクルで動いており、両者は生産の一点でクロスする、という発想だ。

エンジニアリングチェーンと製造の間に架ける橋 (+オンライン講演のお知らせ)_e0058447_12162788.png
このような発想は、iPhoneだとか電気自動車だとかコーラだとか、米国の得意とするB2C製造業の分野では、正しい。だが日本の得意とする工作機械・産業用ロボット・半導体製造装置・制御システムだとかいったB2B分野では、当てはまらない。

サプライチェーン全体を統制する基幹業務システムはERPである。その中で、製造業務の実行段階を担うITシステムがMESである(ISA-95の用語ではMOM)。エンジニアリングチェーンを統括するのはPLM(Product Lifecycle Management)と呼ばれる、設計系のツールである。部品表BOMは、ここから出てくる。

米国流の発想ならば、調達や生産の前に設計はもう終わっているから、ERPとMESだけが同期して連携すれば良い。BOMは事前にERPがPLMから受け取っている(だからISA-95では明示されない)。しかし、日本型のビジネスでは、受注後に個別に設計が関わるケースが多い。そしてその設計が、(たとえ流用設計だらけであったとしても)競争力のベースとなるのだ。だとしたら、エンジニアリングチェーンとサプライチェーンの統合、架け橋は、どのような姿であるべきか?

・・というような問題意識を持ちつつ、今年の6月にドイツのErlangenという街にあるSIEMENS社の工場を訪問した。SIEMENSはご存じの通り幅広い製品ラインを持つ重工メーカーだが、この工場ではまさに問題となる制御システム装置を作っていた。SIEMENSは、PLMソフトウェアも自社で持っている。MESも自社で売っている。ERPはもたないが、SAP社と提携し導入している。

そして彼らも、同じ悩みを持って、製造現場でこの問題に取り組んでいることを知った。なのでエンジニアリング協会で9月に開催したMESに関するシンポジウムでは、オンラインでドイツとつなぎ、その一端を紹介してもいただいた。ということで、そのお返しに(?)、SIEMENS社のオンライン・セミナーで講演させていただくことになった。いや、なりました(ここから急に「ですます調」になります、はい(^^))。

<記>

シーメンス 【サムライDX】Webinar 第4弾
 『次世代スマート工場を実現するために 〜 MESとエンジニアリングチェーンの重要性

 日時:2022年10月26日(水) 15:00-16:10
 費用:無料

いつものように、直前のお知らせになり申し訳ありません。
ただ、製造業における個別設計と生産の関わりについて、そしてまた製造のデジタル化について問題意識を持っておられる方に、ぜひ聞いていただきたい内容とするつもりです。シーメンス社のセミナーですが、わたし自身が同社のプロダクトを説明する訳ではありません(できませんし)。お伝えしたいのは、この問題の内包する難しさと、悩みつつも解決に前向きに取り組んでいる会社が、洋の東西にいるという心強い事実です。

関心ある大勢の方のご来聴をお待ちしております。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)

# by Tomoichi_Sato | 2022-10-15 12:27 | サプライチェーン | Comments(0)