人気ブログランキング |

製造業のデジタル化におけるミッシング・リンクとは + オンライン講演のお知らせ(10/30)

2000年の4月に、共著で「MES入門」(中村実・正田耕一編)という本を上梓した。わたしは第3章「MESを中核とした垂直統合 -プロセス産業のケース-」を執筆し、その中でMES/ERP/SCM/DCSなど、製造業の生産物流活動に関わるITシステム群の機能関係と構造を図解した、一種のソリューション・マップを提示した。それが下図である。
製造業のデジタル化におけるミッシング・リンクとは + オンライン講演のお知らせ(10/30)_e0058447_23220930.jpg

この図は、プロセス産業を念頭に置いたものだが、今眺めても、それほど違和感はない。本社にあるSCMシステムが広域の生産・物流計画や需要予測などの計画系業務を受け持ち、ERPが受発注や販売・財務・人事など取引と管理系業務を受け持つ。中央にMESがあって、製造のスケジューリング・指示や製造実績・品質・技術図書(図面)・保全などを差配する。そして、製造のレベルでは、DCSが様々な現場のサブシステムをコントロールしている

念のために、主要な略号を説明しておこう。
SCM: Supply Chain Management(サプライチェーン・マネジメント)
ERP: Enterprise Resource Planning(基幹情報システム)
MES: Manufacturing Execution System(製造実行システム)
DCS: Distributed Control System(中央制御システム)

なんだか英語と日本語が対応していないじゃないか、と思うかもしれない。とくにDCSなど、英語と日本語が、よく見ると真逆の意味になっている(笑)。だが、これでいいのだ。英語ではいろいろな経緯を背負って用語が成立してきたが、日本に翻訳される際には、そのエッセンスで紹介されるので、日本語のほうがむしろ、実情にあっている。(図には、他にもESDだのMMSだの見慣れない用語が並んでいるかもしれないが、ここでは説明は割愛する)。

そして図にあるように、複数のソリューションからなる全体が、きちんと統合されて動いている。もちろん、図はモデルを示したもので、現実の統合の度合いは、会社や工場によって違いがある。だが、目指す方向が概ねこのような姿であることは、業界内の暗黙の合意だ。

過去20年で目指す姿があまり変わっていないのは、石油や化学などのプラント分野の技術変化が遅い証拠だ、と思うかもしれない。だが、それだけプロセス産業は、他の組立加工系などの製造業よりも、先に進んでいたのだ、という解釈も成り立つだろう。

プラントは大型の装置や配管などの中を、原料や製品の流体が動いていくので、基本的に製造の様子が外から目に見えない。したがって、プラント内の随所に、温度計・圧力計・流量計など、各種の計器・センサーが多数、設置されている。そして、そこから継続的に得られるリアルタイムのデータを元に、中央制御室から、プラントの主要な決断や指示や制御を下すことになっている。相手が流体なだけに、手作業の介在も少なく、機械化が進んでいる。

つまり、ある意味では最新の「スマート工場」を、20年以上も前からプロセス産業は実現している訳だ(なので、この産業に働く皆さんは、いまさら「Industry 4.0」だの「製造業DX」だのの言葉にびっくりせずに、もっと胸を張っていいのに、とも思う)。

ただし、プロセス・プラントにも泣き所が一つある。それは品種切り替えとか多品種少量化に弱いことだ。そもそもプラントは24時間連続運転を前提に作られている。そこにはバッチ的な仕組みも混在しているが、順次切り替えて、擬似的な定常運転を作り出すタイプが多かった。

ところが化学産業が、付加価値の高いファインケミカルに特化していくと、次第に顧客別の仕様の受注生産形態が入ってくる。そして多品種化してくる。プラントはあちこちの装置が配管でつながっているので、品種切り替えに伴うレシピの管理、といった問題が出てきた。連続変数だけで制御できていたシステムに、離散変数が入り込んでくる。そして、このようなプロセスを制御する方式を、業界内で共通に記述する方法が必要になった。

この問題を解決するために、『ISA-88』(略称S88)という標準規格が、計装制御の国際組織 ISA(International Society for Measurement and Control)によって策定された。1988年に始めたので、この番号がついている。詳細はここでは説明しないが、興味のある方は、ジャパン・バッチ・フォーラムが「S88入門」という非常に分かりやすい小冊子を出しているので、ぜひ参照されたい。

S88の誕生によって、DCSやSCADAなどの制御システムの設計・運転は、格段に分かりやすくなった。他方、受注生産におけるオーダーや在庫量などの扱いは、本社でERP(基幹業務システム)が受け持つ。あとは、両者をインタフェースでつなげば、これでオッケー、と思われた。

だが、実際にやってみると、話はそんなに簡単でないことが、次第にわかってきた。90年台前半のことだ。なんといっても、客先からの受発注の業務と、製造現場における制御の指示では、粒度が全然違うのだ。受発注は製品単位である。納期だって日単位だ。ところが制御の世界では、相手はバルブや計器などデバイス単位で、流れるモノは工程ごとのバッチ(ロット)単位、そして時間は秒単位だ。この両者を、どうやってつなぐのか。

明らかに、両者をつなぐ輪が、欠けている。ここにミッシング・リンクがあった、という認識が次第に広まって、ISAでは、それをつなぐための新しい標準、『ISA-95』(S95)の策定が始まった。S95は、プロセス産業のみならず、製造業全体における、ERPと現場制御の間をつなぐ業務プロセスをカバーするという、野心的な構想のもとに、進められた。

そして、製造業における汎用的な階層モデルの記述のために、Purdue Modelが参照された。パデューは、米国の生産分野研究のメッカの一つ、インディアナ大学のある場所の名前だ。階層は下から、
 Level-0(物理的処理)、
 Level-1(インテリジェント・デバイス)、
 Level-2(制御システム)
 Level-3(製造オペレーション・システム)
 Level-4(ビジネス・ロジスティックス・システム)
と分類さている。

では、ミッシング・リンクとはどこなのか。それはLevel-3のところにある。パデュー・モデルでは製造オペレーション・システムとよんでいるが、これはいわゆるMESの層にあたる。本社系ERPと現場の制御系をつなぐもの=それがMESなのだ(最近はLevel-3を表す「製造オペレーション管理」ソフト、英語でManufacturing Operetions Management = MOMという用語もよく使われる)。

そこで、前回の記事の図を思い出してほしい。製造業における情報とデータの流れの、中段に「工場管理者レベル」があった。じつはこれが、ISA-95におけるLevel-3を表している。だから、製造業の生産システムを上から下まで、ちゃんとデジタル化したかったら、真ん中にMES(MOM)が必要だ、ということがわかると思う。前回記事の図は、業務と情報の流れだった。それを、あえてシステムとデータの流れに翻訳し、さらにS95のレベルを追記したのが、次の図だ。
製造業のデジタル化におけるミッシング・リンクとは + オンライン講演のお知らせ(10/30)_e0058447_23252433.jpg

次世代スマート工場にはMESが必要だ」というわたしの主張は、ここが立脚点なのである。もちろん、MESは工場スマート化の必要条件であって、十分条件ではないから、MESを入れてもスマートでない操業はありえるが、MESがないスマート工場なんて考えられない。

ところが。このISA-95のカバーする概念領域自体が、日本ではほとんど知られていない。なんといっても、80年代後半から90年代初頭まではバブル絶頂期で、「ジャパン・アズ・ナンバー1」=日本的経営の絶賛の頃だ。「もう欧米に学ぶこと無し」と言われていた時代だった。だから90年代の終わり頃まで、日本の製造業には、欧米発の経営思想やIT思想がほとんど輸入されなかった。S88もS95も、流行らなかった。

ERPやSCM、そしてTOCなどが知られるのは、ようやく90年代も終わり近くだった。その頃にはバブルが崩壊し、製造業は不況で生き残りに必死モード、今度は情報投資どころではなくなってしまった。かくて、欧米企業とは20年分のギャップが空いたまま、Industry 4.0やら製造業DXやらの潮流を迎えたわけだ。

このギャップ、経営思想の認識の違いに根ざしているから、お金で最新IoT技術を買ってくるだけで、簡単に埋まりはしない。回り道でも、概念レベルから学び直す必要がある。ただ、幸い日本企業の基本的なオペレーションの水準は高いので、ちゃんと理解さえすれば、キャッチアップは可能だろう。

その一つの手がかりが、ISA-95のいうLevel-3の領域である。ISA-95には問題点もあると個人的には考えているが、知っていて使わないのと、知らないのではぜんぜん違う。もっと普及と認知が必要であろう。

ということで、このような問題意識を共有する人たちと、下記の通りパネル・ディスカッションを開催することになった。テーマは、スマート工場と経営システムのギャップ、つまりまさにミッシング・リンクとしてのLevel-3領域の話だ。出席者の藤野直明氏、水上潔氏、藤井宏樹氏はいずれも、この分野で名を知られた論客ばかりである。


<記>

(1) ダッソー・システムズ『DELMIA Operations World Tour 2020 Japan』(オンライン・セミナー)

日時: 2020年10月30日(金) 14:00 ~ 17:30
   (小生の出席するパネル・ディスカッションは16:30~17:30の時間帯です)

テーマ:「デジタル変革を支える持続可能な製造システムの再考」

主催: ダッソーシステムズ(株)

登壇者: 野村総合研究所 主席研究員 藤野直明氏
     RRI(ロボット革命・産業IoTイニシアティブ協議会)統括 水上潔氏
     日揮ホールディングス(株) チーフ・エンジニア 佐藤知一
     (司会)ダッソー・システムズ ディレクター 藤井宏樹氏

セミナー詳細: 下記からお申し込みください(無料、定員なし)

急に決まったので、かなり直前の案内になってしまったが、オンライン形式なので、もし時間があったら少しでもご参加いただけると、大変うれしい。


<関連エントリ>

 →
 (2012-10-12)


# by Tomoichi_Sato | 2020-10-19 23:56 | 工場計画論 | Comments(2)

製造業のデジタル化に必要な、情報とデータの基本的流れを理解しよう

製造業のデジタル化をめぐる動きが最近、活発である。理由は、DX(デジタル・トランスフォーメーション)という言葉がバズワード化してきたからかもしれないし、あるいは経産省が「2025年の崖」というレポート を発表して、日本企業のデジタル化の遅れに警鐘を鳴らしたことも、後押ししているかもしれない。とにかく企業の経営層が、『デジタル』なる言葉を、普通に口にする世の中になったようだ。世の中全体は不景気だが、そして不景気になるとIT予算が真っ先に切られるのが常だったが、状況が少しは変わったらしい。

まあ、デジタル化の「動きが活発」といっても、今のところはまだ、議論が活発なだけで、実装はまだまだかもしれない。ともあれ、こうした状況は、IT業界にとっては慶事だろう。また、コンサル業界にとっても嬉しいに違いない。しかし製造業各社がこぞって、デジタル化のバスに乗り遅れまいと走り出すと、今度はもう一つの崖というか、ギャップがあらわになってくるに違いない。

そのギャップとは、製造業の情報化に強いITエンジニアやコンサルタントが、とても少ない、という事実である。日本のITエンジニアは、知っての通り3割がユーザ企業の情報システム部門に、残る7割がIT業界に働いている。そして製造業の情シス部門は、ふつう本社にあって、人事・財務・販売・IT基盤など、いわゆる本社と営業部門系のシステムを面倒見ている。工場に情シス部門がある企業は、少数派である。

IT業界の方だって、発注権のあるユーザ企業の情シス部門に顔を向けて、仕事をとってきている。だからいきおい、生産に関わる分野が、不得意になる。製造業向けと言っても、せいぜい製品企画設計部門(これはたいてい本社にある)に、CAD/PLMなどの技術系システムを売り込むくらいだ。泥臭い製造現場に入り込んで、機械騒音の中をあちこち調整して回るような仕事を好むSEは、めったにいない。その証拠に、「設計製造ソリューション展」のような展示会にいっても、設計系と製造系は、感覚的に8:2くらいで、製造系が少ない。

それでは工場の側はどうするか。しばしばあるのが、生産技術部門か製造部門の中に、「パソコン好き」なる若手がいて、自発的に現場が便利になるツールを、ExcelやAccessなどで作り始めるケースである。するとそのうち工場長の目に止まって、いつの間にか「製造IT担当」に昇格し(あるいは命令されて)、生産管理システムなども面倒見るようになる、という姿だ。

こういう人は現場のニーズを肌身で知っているから、作ったけど使われないようなシステムは、生み出さない。しかし、もう少し大きな会社レベルの視点で、あるべきITのグランドデザインを考え、それに合わせて業務のあり方を変えるような訓練は、もちろん受けていない。

こういう状態でいきなり、専務から「生産を含めた全社DX」の指令がおりたら、どうなるか? 専務だって技術屋で、設計開発部門の出身かもしれないが、ITのことも製造現場のことも、たいして知らないダンナである。本社に急遽集められた「DXプロジェクト・チーム」は、さきの現場の元パソコン青年・現「製造IT担当」をはじめ、営業、設計、購買、製造、物流など各部門の、若手中堅の面々である。情シス部門の次長が一応、事務局を務める。

キックオフ・ミーティングで、まずは当社の「あるべき姿」To-Beと、「現状の姿」As-Isを把握して、ギャップ分析をもとに、デジタル改革すべきである、というような話になる。とはいっても、製造業の業務プロセスは、複雑で奥が深い。多数の部署にまたがっている。この全体像の、どこをどう突っつくと、どう改善できるのか。そもそも、As-Isの業務だって、全貌を知っている人など、社内に一人もいないのだ。

一方、専務のオフィスには、おいしそうな匂いを嗅ぎつけた高級戦略系コンサルや、外資系ITベンダーが入れ代わり立ち代わり、訪れる。彼らはDXの通り相場の処方箋、すなわち「デザイン思考+アジャイル開発+MVP(minimum viable product) × AI」で、サイクルを超高速に回せば驚くような成果が現れる、というような話を吹き込んでくる。だが、その気になった専務から紹介されて、彼らとDXチームが対話を始めるが、なんのことはない、製造のことなんかロクに知らないことがすぐに分かってくる・・

あ、念のため、これはフィクションですよ、フィクション。あなたの会社がもっと上手にやられていることは、よく承知しております。

ただ、こうした混乱がときおり生じているのは、製造業における基本的な情報とデータの流れが、あまり整理されていない(少なくとも社会の中で共有されていない)ためだ。だから、どこにどのようなソリューションを当てるべきかについて、ユーザ企業とITベンダーの間にコミュニケーションのギャップが生じる。

実務とITのギャップ、マネジメントと現業のギャップ、本社と工場のギャップ・・わたし達の社会にある
こうしたギャップを埋めるための、概念と技術を提供し、議論の土台を作りたいというのが、このサイトの基本的な願いである。もちろんわたしは会社員だから、エンジニアリング会社と顧客企業とのギャップを埋めたい、という気持ちももって、やっている(笑)。

そもそもソリューションとは、本来は「解決法」であって、課題ありきで発明され開発されたものだ。課題は、A-IsとTo-Beのギャップから生じる。そして製造業における課題とは、個別の企業・業種を超えて、かなり普遍性があるのである(そうでなければパッケージ・ソリューションなるものも、生まれる訳がない)。

そこで、ITエンジニアと実務者のギャップを埋め、両方の人が理解できるよう、製造業における情報とデータの基本的流れを説明してみよう。

まず、製造業の持つ生産の仕組みを、『生産システム』ととらえてみる。システムであるから、インプットと、プロセスと、アウトプットを持つ。以前の記事にも書いたとおり、「生産システムとは、需要情報というインプットを、製品というモノに(あるいは製品の形に具現化された付加価値に)変換してアウトプットする仕組みである」。

では、インプットをアウトプットに変換する仕組みの、中身はどうなっているのか? それは抽象化していうと、直接的な業務である製造プロセスと、間接業務として製造を支援し方向づけるマネジメント・プロセスからなる。

図を見てほしい。左側は、小さな製造業のケースを描いている。経営者がいて、現場で製造をする人がいる。そして企業内では、Plan-Do-Seeの基本的な経営サイクルにそって、情報が流れていく。まず需要情報(受注かもしれないし需要見込かもしれないが)を受けて、経営者が計画を立てて(Plan)、現場に指示を出す。現場はそれを実行し(Do)、その結果を報告する。経営者は生産量・在庫などを把握評価し(See)、顧客への出荷指示を出すと共に、次の計画に反映する。かくして、指示と報告の情報は、両者の間を反時計回りに流れていく。

製造業のデジタル化に必要な、情報とデータの基本的流れを理解しよう_e0058447_18220566.jpg
しかし零細企業を脱し、中堅あるいは大企業になると、企業は本社と工場に分かれる(図右)。工場内は、工程・作業区単位に分業化が進む。とうぜん、工場の中を束ねるために、スタッフ部門(オフィスにいる工場管理者)が必要になる。工場も社内に複数、あるかもしれない。

本社と各工場との間の情報の流れは、基本的に左の図と同じである。一方、工場内での工場管理者と現場の実行者との間も、よく似たマネジメントのサイクルが作られる。ただ、現場とやり取りする情報は、本社とやり取りする情報とは、粒度や中身が少し異なる。

本社から各工場に降ろされる指示情報は、製品単位が基本だ。製品に、数量と納期が付随している。Whatだといってもいい。ところが、工場管理者から各現場に出される指示は、製品を構成する部品表をもとに、工程展開された、工程(作業区)単位の製造指示に、詳細化される。そこでは工程単位の期限と、必要な人員・機械・金型等の製造資源と、さらに製造仕様や作業手順など、詳細化されたHowが必要である。

逆に、各工程・作業区から上がってくる報告情報も、製品単位や工程レベルで集約して、何がどこまで進捗し、あるいは完成したか、そして品質はどうかを、まとめなければならない。本社を通じて顧客に出荷できるのは、品質がOKとなった完成品だけだからだ。

このように、ふつうの製造業では、業務は3階層になっていて、その間の情報の流れは、それぞれが反時計回りに、2つのサイクルが重なって、いわば「8の字」のように動いていく。

これをもう少し粒度を上げて描いたのが次の図だ。なお、煩雑を避けるため設計業務は略したが、個別受注生産では設計プロセスも入る。また購買と入荷は、サプライヤーとの情報のやり取りだから、サプライヤーの生産業務が、製造の下側に並ぶ。実際には、その中身は、これと似たような三層構造になっている。そして、さらにサブサプライヤーにつながっていく。このように、複数のサプライヤーが鎖やネットワークのようにつながって、サプライチェーンを形成していく。
製造業のデジタル化に必要な、情報とデータの基本的流れを理解しよう_e0058447_18230886.jpg
さて、ここまでの話では、指示情報・報告情報のように、すべて「情報」と表記してきた。ところで、「情報」と「データ」は別物であり、わたしは意識して区別して使っている。

情報は人に意味をもたらすもので、不定形なものだ。それ自体は紙に書いてあっても、口頭で言ったものでも、かまわない。データは、定型化された記号の並びであって、電子媒体、あるいはゆずっても、せいぜい紙のカードなどでハンドリングされる。データは蓄積・ソート・検索・集計など、機械的処理に向いている。

零細企業では、指示も報告も、口頭や紙の伝票の「情報」だけで、十分、回るだろう。しかし、企業規模が大きくなり、扱う量が増えると、必然的に機械処理に向いた「データ」化していく必要がある。これが『デジタル化』の基本的モチベーションだ。そしてデータを扱う仕組みを、ITシステムとかソリューションと呼ぶ。

しかし、人間が生み出した情報を、定型的な「データ」に転換するためには、ある種の標準化・コード化が必須である。機械に「あれ持ってこい」では通じない。「棚番1234にある品番XYZを、コンベヤ搬出ステーションに置け」になる。そのためには、品目や機械や人員や倉庫棚に関する、台帳を整備しなければならない。

製造業の場合、その中心に来るのは、品目の台帳(マテリアル・マスタ)と、品目間の関係を規定した部品表(BOM)になる。ここができていないと、8の字のサイクルを、データがスムーズに流れず、あちこちで人間が介在しなければならなくなる。人間が介在した途端、スピードは落ちるし、ミスも混ざるし、状況も見えなくなりがちだ。

そして、この情報とデータの流れが、いかにシームレスに統合されているかが、その企業の「デジタル化」を図る尺度となるのである。


<関連エントリ>
 →「データと情報はこう違う」 (2012-07-24)


# by Tomoichi_Sato | 2020-10-12 08:15 | サプライチェーン | Comments(0)

価格リスクと豊作貧乏を解決する、サプライチェーン・マネジメントの知恵

前回の記事「経済学を疑う — 価格リスクと豊作貧乏は本当に不可避か?」で、わたしは、農産物のサプライチェーンに「在庫・納期」による調整機能が存在しないため、需給のアンバランスは価格メカニズムのみに頼ることになると書いた。その結果、豊作になると供給過剰で価格が下落し、それが生産者を直撃する仕組みになっているのである。

ちなみに、昭和時代にできあがった、従来型の農産物のサプライチェーンは、図のような形をしている。生産者(農家)はとれた作物をJA(農協)に集める。JAはそれを青果市場に送り出す。青果市場は、それ自体は在庫機能を持たない。一日に入荷した商品は、原則としてその日のうちに、全量をさばききってしまう。供給過剰の時は、価格を下げてでも売り切る。そして、仲買や二次卸等を通じて、青果店やスーパーなどに卸していくのである。
価格リスクと豊作貧乏を解決する、サプライチェーン・マネジメントの知恵_e0058447_22431001.jpg

経済学者は、「市場メカニズムは人類最大の発明」と信じている人達だ、だから、価格メカニズムで需給が一致すれば一件落着、それで何がまずいんだ、均衡点が経済効率の最大値となる状態なのだし、と考えるかも知れない。でもそれは、農業という天候と自然に左右されがちな産業の安定性を損ない、働く人達のモチベーションを傷つけることになる。

誰も農業をやらなくなると、社会全体の経済効率は、今より案外、もっと最大化するかも知れない。だが、われわれは皆、飢え死にしてしまう。だとしたら、この問題を解決する方法を考える必要があろう。

解決策の一つは、「在庫ができない」という商品性質をどうにか改善する事である。

事実、たとえばコメという作物は、昔から貯蔵がきく。芋類なども、比較的長持ちする。だからこうした作物は、少なくとも在庫による需給調整が、ある程度までは可能だ(コメには価格制度という別の問題があるが、ここでは深入りしない)。

冷蔵ないし冷凍の物流も、多少その助けにはなっている。冷凍・冷蔵の物流技術は、「鮮度の高い商品の遠隔デリバリー」が主目的で開発されてきたが、在庫機能を拡大しうる面ももっている。いいかえると、優れた貯蔵・保管方法の考案は、サプライチェーン・マネジメントにおける、最大の技術的イノベーションなのである。

他にも、在庫の方法が無いではない。それは、「畑に在庫する」方法だ。これについては以前、埼玉県深谷の農業生産者の方に関する記事「農業のサプライチェーンを考える」 (2011-07-05)で書いたことがある。深谷ネギは、植え付けは1ヶ月以内だが、収穫期間はなんと9ヶ月間もある。その間、注意深い栽培方法を用いて、少しずつ平準化して出荷していくのだ。だから1反あたりの収入で比べると、米に比べて、ネギは断トツに高くなるときいた。

もちろん、この栽培方法は、誰もがすぐ真似られるような簡単な技術ではない。また、すべての作物に使えるわけではない。だが、明らかにヒントにはなる。生産量をできるかぎりピークの小さい、平坦化(平準化)した形にすること。かつ、市場の需給状況を見ながら、生産量を調整できる能力を持つこと。それは、農業の高度化の、一つの方向性だ。

在庫以外に、もう一つの需給ギャップの解決方法がある。それは長期契約や直販といった、別な販売チャネルを構築するやり方である。これも以前から、様々な形で工夫されてきた。長期契約である程度、事前に供給量と価格を合意することができれば、価格変動の直撃を避けることができる。

これは、上の図に示した、JA(農協)と青果市場と仲卸をバイパスして、生産者と流通を(場合によっては消費者を)ダイレクトに結びつける方策だ。基本的に当事者同士の相対取引(「あいたいとりひき」)だから、市場メカニズムのような、その日その場で、多数の候補から最適な相手を探し合うことは、できない。事前の合意が必要であり、そのためには、供給者と需要者との間で、双方向の信用が必要である。

ただ、知り合いの専門家・河野律子氏によると、青果市場には「商品の目利き」能力という、独自の提供価値があるという。それを全部スキップしてしまうのは、せっかく過去から蓄積された仲買・卸のノウハウを、社会的に捨ててしまうことになりかねまい。また、直販といっても、個別の生産者がマーケティングできる能力には限界がある。職人的な作物作りの能力と、商売人の才覚は、別物だ。両者を兼ね備えるのは、なかなか難しい。

そうした課題はあるが、たしかに販売チャネルの多様化は、サプライチェーンにおけるリスク回避の定石の一つである。

また、この方策のバリエーションとして、「農産物の加工用途開発」も有用であろう。農業のいわゆる「6次産業化」が提唱されて10年以上になるが、ここで提案されているのは、1次産業の農業に加えて、食品への加工という第2次産業(製造業)、そして第3次産業(流通業)の機能をも、かねそなえたビジネス形態を目指すべきだ、という主張である。

もしも農業生産者が、自分で製造業及び流通販売業も兼ねることができるなら、それは販路の拡大、かつ付加価値の拡大につながる。また、自分で製造販売も行えるなら、在庫・平準化生産の意義もかねることになろう(自分でやらない場合は、この機能は薄れてしまう)。たしかに、これはチャレンジする価値のある事業だと言えるだろう。

(ところで余談だが、この「第6次産業」というのは、1+2+3=6、という足し算ではなく、1×2×3=6、という掛け算を表しているのだそうだ。まあ、言いたいことは分からないでもない。だが、普通の理工系の感覚では、1m x 2m x 3mの直方体の体積が、6mではなく6になるように、1次×2次×3次を計算すると、6次^3になるはずである。提唱者は理科系の人ではないのだろう)

さて、第3の需給ギャップ解決方法は、需給情報の共有である。これは、サプライチェーン・マネジメントでは良く知られた定石でもある。生産側で、供給量の予定(直近の収穫量の見込)の総量を可視化し、自律的な生産調整をできるようにする。

そのために必要なことは、生産品種別(作物別)の生産者の全国レベルの連合体、一種の組合の組織化だろう。現在のJAというのは、地域単位で組織されている。これは農業共同体(ムラ)の歴史から生まれた姿かと想像する。だが、サプライチェーンの視点からいうと、物流の発達した今日では、地域単位の物流集荷機能よりも、作物単位での全国レベルの情報交換機能の方が、重要になっているのではないか?

このような作物別の組合が作れれば、農作物の輸出についても、有用だろう。現在の輸出は、県単位での取り組みになっているようだ。そうやって海外でも地域間で競合するのは、もったいない。全国をまとめたマーケティング機能を持つべきであろう。そうなれば無論、チェーンストア等との長期契約上も、有用だ。

チェーンストアとの長期契約は、個別の小規模生産者単位では、あまり実質的メリットが大きくない(買い手側の方が強い)だろうが、全国レベルの組合となれば、状況はかわる。地域単位での収穫量の変動を、別の地域とのバーターで吸収することができる。交渉力も上がるだろう。

情報の共有という点では、本当は需要側の情報も可視化できるといいのだが、こちらは飲食店と家庭の集合体だから、まずムリだ。でも、少なくとも生産者側が見えるだけでも、サプライチェーンのマネジメント力はかなり向上するはずである。

* * *

まあ、わたしは農業分野については素人だし、上述の案にも、さまざまな現実の障害はあろうと想像する。ただ、本当にめざすべきビジョンがあれば、乗りこえられない障壁はない。障壁はたいてい、人間がつくったものだからだ。

そして、サプライチェーンにおいて農業に当てはまることは、それ以外の産業にも同様に当てはまるのだ。労働力需要にピークと谷があって、不安定な産業。サービス業的で在庫のきかない産業。こういう業種を、あなたは知らないだろうか? あるいは、似たような製品を作っているのに、地域単位で競争していて、情報共有や輸出に目が向かない産業。こうしてみると、たとえば受託ソフトウェア開発のSIerなど、案外よく似た特性を持つ業界がありそうではないか。

前の記事のはじめに書いた、北フランスのシャンパーニュ地方では、ブドウが豊作でできすぎると、シャンパンの価格を維持するために、収穫せずに畑でつぶしてしまうのだという。その話を聞いたときに、「賢い」と賞賛すべきなのか、「愚かしい」と断ずべきなのか、正直、胸の内で二つの感情が入り交じった。お金が儲からなければ生活は成り立たない。だが、作物を育てる人は、ただお金のためだけに、太陽の下で働いているのではあるまい。

葡萄の木々と毎日対話している人達を、列車の車窓から見つつ、経済社会の知恵がもっと働く人のためになればいいのに、と思わずにはいられなかった。


 <関連エントリ>

  (2020-09-28)



# by Tomoichi_Sato | 2020-10-05 08:15 | サプライチェーン | Comments(0)

経済学を疑う — 価格リスクと豊作貧乏は本当に不可避か?

随分前のことだが、北フランスのシャンパーニュ地方を列車で通ったことがある。車窓の外に広がる、なだらかな丘陵地帯には、整列したような緑の低木がずっと連なる。葡萄畑だ。有名なシャンパンは、この地で栽培され、収穫されたブドウだけから作られる。それ以外の土地でできたものは、「発泡性ワイン」と呼ばなければならない。

シャンパーニュ地方の中心地エペルネは、パリを抜いて全国で最も一人あたりの収入の多い、豊かな町だという。ふーん、そうですか。ただ、美しく広がる田園地帯の風景を見ながら、「ここに住む人々は、きっと毎年、天気に一喜一憂しているんだろうなあ」と思った。

農産物とは、天の恵みと、労働の実りとが、かけ合わさってできるものである。どちらも、必要だ。そして天候は、太古の昔から、決して人の願いだけでは左右できない、気まぐれなものだ。つまり、今風に言えば「リスクが大きい」のである。リスクとは、自分たちが簡単にコントロールできない事象の可能性を言う。そして、農業収穫のリスクは、近年の温暖化と異常気象のせいで、さらに抑制が難しいものとなっている。

農業生産物は、需給の面では、もう一つの難しさをもっている。それは、ある季節に一度にできてしまう性質だ。もちろん、稲作の世界で、「早稲(わせ)」「晩稲(おくて)」という言葉があるように、多少のシフトは可能である。また同じ作物でも、品種により、収穫できる季節が違ったりもする。とはいえ、どうしても作物ごとに『旬(しゅん)』の季節がある。

このため、農業ではどうしても、労働力の需要に、山と谷が生じる。仕事のピーク時、つまり「農繁期」には、立って動ける者が総出で働かなければならないし、村中で互いに協力する必要がある。「村八分」という言葉があるが、これは10種類ある交際のうち、「火事」と「葬式」以外の付き合いを、すべて断つ、という意味らしい。これをされると、農家は、非常にこまる。日本は横並びで協調原理の強い「ムラ社会」だ、とよく言われるが、その根底には農業社会における労働需要の問題があった。

農産物は、1年間をならして「平準化生産」したりすることは、できない。ここが工業製品との最大の違いだ。市場に対する供給量に、波があるということだ。

他方、人間は毎日、お腹のすく生き物である。ある季節だけたらふく食べて、あとは寝て過ごせたりすると楽なのだが、そうはいかない。市場への需要量は、比較的一定だ。むろん、季節によって食べたいものの種類が変わる、ということは多少はあるだろう。だが、とんかつ屋は付け合せのキャベツを、季節によって白菜や水菜にかえたりするだろうか? 時季によって主食をお米から、パンやうどんにかえる家庭があるだろうか? 

だから、農産物の市場には、基本的に需給のギャップが生じやすい。

需給にギャップが生じたら、どうなるか? 経済学は、よく下のような図を描いて、価格メカニズムを説明する。横軸には、市場を通じて取引される商品の量をとる。縦軸は、価格だ。そして需要線と供給線の、2本の線を描く。
経済学を疑う — 価格リスクと豊作貧乏は本当に不可避か?_e0058447_03004584.jpg
需要線は、右下がりの、下に凸のカーブである。価格が安ければ、買いたいと思う人が増え、高ければ、逆に買いたいと考える人が減る。いわば、需要者全体のお財布の中の金額は一定だから、需要量と価格は、おおむね反比例の関係にある、とするわけだ。(ふつうの数学の感覚では、横軸に独立変数をとり、縦軸に従属変数を取る。上記の関係は、価格が決まると需要量が定まるのだから、縦横の軸が逆のような気もするが、昔からこう書く習慣である)

供給線は、逆に右肩上がりのカーブである。つまり、価格が高くなれば、供給量が増える(それを作って売りたい人が増える)、という傾向を表している。

そして両者の交わるところが均衡点であり、市場価格はそこで決まる、と考える。売り買いは、当たり前だが同じ価格で合意するのだし、需要量と供給量が一致する点だから、という訳である。これが通常の経済学の価格モデルである。

これに従うと、市場に対する供給量が全体として増えた場合は、供給線が右にずれることになる。そうなると、均衡点は現在よりも右下に動き、価格が下がってしまう。逆に供給量が下がると、均衡点は左上にずれて、市場価格が上がる。このように、需給量のギャップは、価格によってコントロールされる、というのが、経済学の教えるところだ。

以前、農業生産者の方に話を伺ったことがある。農業をやっていて、何が一番つらいかというと、「豊作になりすぎて、価格が暴落するとき」だという。ひどいときは、それこそ、できた作物を収穫せずに、畑で潰したりすることもある。天の恵みと労働の実りで得た産物を、捨てなければならない。これほど情けないことはない、という。聞いていて、たしかにそうだろうな、と感じた。

そして、それは農業が本質的に、気候に左右されやすい生産量の不安定な仕事であることに起因しており、経済学でいう市場価格のメカニズムがある限り、それはかわり得ないと、普通は解釈される。これに従うと、農業はつねに「せつない産業」であり続ける宿命を背負っていることになる。

だが、それって何だかおかしくないだろうか? いや、別に農業を批判しているのではない。わたしが変だと言っているのは、経済学の方である。

今、ある工業製品の市場取引量が、だいたい1日1万トンだったとしよう。そして価格は、簡単のため1トン10万円とする(キロ100円である)。取引額は1日あたり10億円だ。年間で3千億円の商品市場である。

さて、ある日、何らかの理由によって、供給量が1割増えて、1.1万トンになったとする。で、生産側はどうするか。値段を1割下げてでも、売り切ろうとするか? ふつうの経営者なら、そんな事はしない。余剰の1千トンは、『在庫』にするのだ。在庫1千トンはずいぶん多いように見えるが、各社の持つ在庫の送料だ。そして日数基準で測れば、0.1日分、つまり2時間ちょっとの間に、消費されていく量である。需要も供給も、実際には日々、小さな変動がある。だからこの程度の量ならば、1週間か2週間も経てば消化されて、価格は均衡点のあたりに留まるだろう。

逆に、供給量が1割落ちたとする。すると、どうするか。需要量に対して、供給量が足りない訳だ。これ幸いと、価格を釣り上げる? そうは問屋が下ろすまい(ここは市場だしね)。おそらく需要家の方は、「じゃあ、足りない分は明日以降に持ってきて」と言うだろう。つまり、「納期」が延びるのだ(バックログが増えると表現してもいい)。

市場で需給にギャップが生じたら、「在庫」と「納期」で調整する。これが、ふつうの企業における取引の方策である。そして価格が、妙にブレないようにコントロールする。

ちなみに納期とは、一種の「マイナスの在庫」である。だから、サプライチェーンにおける需給のギャップは、短期的には在庫によって調整されるのだ。そして、在庫(納期)がかなり大きくなりすぎて、短期的な調整の範囲を超えるとき、いいかえると需給変動の通常の時定数をかなり超えてしまった際に、価格による調整メカニズムが働きだす。

ミクロ経済学の教科書に書いてある需給曲線の図は、株式や債券のような金融資産の取引から発したのだろう。金融資産は、実質的には一種の権利の取引だから、移動は即時性があって、「出来すぎちゃったから在庫しておく」「不足分は後で届けます」といった、通常の在庫・納期の概念があてはまらない。同様に、サービスの取引の場合も、同時性の原則により、在庫できないため、需給ギャップは価格のみで調整される。

さて、農産物の話に戻ろう。従来の農業の仕組みでは、農業生産者は取れた作物をJA(農協)に納める。JAはそれを集積して青果市場に送る。青果市場では仲買を中心に取引が行われ、一日に入荷された商品は原則、その日のうちにさばいて、売り切る。そして食品の一次卸、二次卸、あるいはスーパーや一般の八百屋さんを通して、消費者の手に渡る。もちろん、一部は飲食業に卸される。

問題は、このサプライチェーンの中に、自らのリスクで在庫を持ち、需給調整の役割を受け持つプレイヤーが、どこにもいないことだ。いや、そもそもその前に、葉物野菜を中心とした多くの農産物は、鮮度が命だ。収穫から消費までの賞味期限が数日しかない。物流の時間を差し引くと、ほとんど在庫できない種類の商品である。

おまけに、ふつうの消費者は、納期(バックログ)も許してくれない。え、キャベツが品切れなの? じゃあ、今日は別の料理にするわ、という訳だ。

つまり、既存の農産物のサプライチェーンには、基本的に「在庫・納期」による調整機能が存在しないのである。だから、生産量が変動し、需給にギャップが生じると、価格変動が最上流までさかのぼって、生産者を直撃する仕組みになっている。天候にも恵まれ、頑張ってたくさん作ったのに、その結果が自分に全部、逆向きにはね返ってくる。豊作貧乏が起きたりして、農業は引き合わない仕事と言われる根本理由は、このようなサプライチェーンの姿にあるのだ。

それでは、どうすべきか? 解決の方向性は、三つほどあるのではないかと思う。

(この項つづく)


 <関連エントリ>



# by Tomoichi_Sato | 2020-09-28 12:48 | サプライチェーン | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(10月8日)開催のお知らせ

各位:

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2020年第3回会合を開催いたします。COVID-19感染症問題がなかなか落ち着きを見せないため、研究会日程が定まらず、前回からまた間が空いてしまいました。今回もオンライン開催といたしますので、ご了承ください。

現在のモダンPM論は、設計のマネジメントという重要な仕事について、ほとんど何も語っていません。この問題は、以前から指摘してきたとおりです。エンジニアなら誰でも知っている通り、設計は構築・実装のあり方の大勢を決めます。ですから、きちんとプロジェクトを進めたければ、まず良い設計をすることが先決です。ダメな設計を受け取って、「あとはよろしく」と言われたって、プロマネとしてできることは限られているからです。

しかし、この自明の理に正面から向き合って、プロジェクト・マネジメントを論じる人はわずかです。PMBOK Guide(R) の規定している10のマネジメント知識エリアにも、『設計のマネジメント』は含まれていません。PMBOKの次期・第7版は、従来の構成を根底から変え、プロセスベースから原則(Principle)ベースに転換すると言われています(10の「知識エリア」は、なくなる見込みです)。しかし、現時点では、プロジェクト・デリバリーの原則の中にも、設計論は見当たらないようです。

プロジェクトの成果物が価値あるアウトカムを生み出すためには、その設計が重要です。しかし現実のエンジニアは、過去の事例のコピー&ペーストや、外注先との折衝・チェックといった仕事に忙殺されているようです。設計の業務プロセス自体が、個別化・属人化している事の現れかもしれません。まして、肝心の設計ロジックの構築や、その伝承理解に使える時間は限られています。

今回は、自動車メーカーの設計部門を経験した後、大手ITベンダーでPLM等のコンサルティングに従事してこられた西本明弘様に、設計プロセスの分析・最適化技法である「Design Structure Matrix (DSM)」手法についてご講演いただきます。
昨年12月の梓澤様のご講演に続いて、「設計論シリーズ」の第2弾となる企画です。どうぞ、ぜひご期待ください。


<記>

■日時:2020年10月8日(木) 19:00~20:15

■講演タイトル:
「Design Structure Matrix(以下DSM)の概要と応用~テレワーク時代のプロジェクト管理手法~」

■概要:
設計・開発プロセスは暗黙的かつ多職種連携で、手戻り要因も判りづらい。また、テレワーク時代で細かなコミュニケーションもとりづらく、プロジェクト運営のリスクは増している。
そこで、設計工学手法DSMを応用し、設計プロセス全体を俯瞰してプロジェクトを最適計画&省力運営(PMの負担軽減)する方法について解説する。

■講師:プロセス設計塾 代表 西本 明弘
 
■講師略歴:
三菱自動車にて小型トラック・バスのシャシーフレーム設計。   
IBMにて金融・POSプリンター、自動改頁機構、漢字OCRスキャナーなどの開発。    
IBMにてPLMコンサルタントの後、プロセス設計塾を開業。
2003年より研究しているDSMを用いて、複雑な業務プロセスの改善を支援中。

■シスコシステムズさんのご厚意により、WebExを用いた、オンライン開催となります。
 研究会への参加は、下記のURLからご登録ください。

 はじめてWebexに参加される方は、下記の説明資料も御覧ください(Dropboxへのサインインは不要です)。

 なお、オンライン形式のため、リアルの研究会よりも講演時間は少し短縮しています。ただし、講演とQ&A終了後、希望者だけで別途、オンライン懇親会を行う予定です。

■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。
 
 以上、よろしくお願いいたします。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2020-09-24 18:18 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

農業に還ろう

今回のパンデミック禍は、世界中が手こずり、当初皆が想像していたよりも、長引いている。そして、パンデミック後の「ニュー・ノーマル」どころか、5年後、10年後の社会のあり方について、あまり前向きで積極的なビジョンが語られないところに、今の世の心理的な病の深さを感じる。

今回の事象は、現代の三つの側面を、大きく痛打した。まず、世界規模にストレッチしたサプライチェーンである。それから、都市への人口集中と濃厚接触型に依存した業務・サービスであり、さらに、レジリエンスのための仕組み(とくに医療資源)を削減してしまった社会であった。この三種類に近い領域ではたらく人ほど、影響を受けた。

そして、影響を受けた職種といえば、独立自営業者と、非正規雇用の労働者である。わたしの身の回りで見ても、一番苦労しているのはこの層だ。他方、若干不思議ではあるが、大企業はそれなりに忙しいように見える。コンサルティング業界などに聞いても、そういう返事だ。景気は悪いが、忙しい。

結果として、社会の格差は確実に広がった。

ただし、グローバリズム的な思想は、影響力を少し弱めたとも思う。グローバリズムとは、「ビジネスは国や場所に関わりなく移転可能であり、だから、もっとも経済効率の高い国際水平分業が望ましい」、という考え方だ。そして、ビジネスにおいては、働く人間の国籍も文化も問わない、とする(ただし、英語ができることは必須の条件らしい)。こうした姿がカッコいい、というトレンドは、各国が国境を分断している今、たしかに魅力度を下げている。

とはいえ、わたし達の社会はあらためて、望ましいビジョンを必要としている。それは、日本人に向いている職種、産業はなにか、という問いだ。日本はこの先、何で食べていくのか。そして、わたし達が働いていて、本当に楽しいと感じられるのは、どんな業種の、どんな仕事なのか? 

それは、「職人的な仕事」であろう。これが、最近のわたしの考えだ。職人的な仕事、すなわち自分の目と手を使い、自分の五感を駆使して、具体的な対象を最新に作り上げていくような働き方。これが、日本人にはとても向いているのではないか。

そのことを、3年前の新潟で、なぜかわたしは急に悟ったのだ。「新潟・酒の陣」というフェアで活躍する、造り酒屋の人たちを見ていたときのことだった。それまで漠然と感じていたことが、自分の中で言葉になった。「職人の国の生産性を上げる、最良の方法」 (2017-07-23)という記事にも書いたから、ここでは繰り返さない。

職人的な仕事に長けている、とは、その逆のタイプの仕事は苦手ということだ。それは、たとえば目に見えない「コト」や仕組みを作り、回していく仕事である。あるいは、抽象的な概念や論理を展開していく仕事だ。こういう事ができる人たちも、もちろん一定数はいる。だが、多数派ではない。

日本の高度成長は、じつは職人的な仕事が支えていた。高度成長を支えたのは日本の技術だと、わたしより上の世代は信じている。だが、多くの製造業を訪れ、その仕事ぶりを見るにつけ、次第に疑問を感じるようになってきた。技術者がラフな図面や仕様を与えても、製造現場がキチンと仕上げてきたというのが現実ではないだろうか? そうでなければ、なぜ今になって、現場の熟練工が引退していなくなる前に、「AIで匠の技をデジタル化すべし」などという議論を、慌ててしているのか。

農業に還ろう。

それがわたしの、提案である。自然の中で植物を育て、眼と手と五感を使って作物と対話する、そういう農芸職人的な生き方のほうが、ずっと日本人には向いている。自分たちが大して好きでも得意でもない、『技術イノベーションだ』の『デザイン思考』だの『データ・ドリブンな経営』だのに、無理して取り組むふりをして経済成長を志向するのは、もう、やめにしよう。

日本は世界第5位の農業大国である。わたしはこのことを、浅川芳裕著「日本は世界5位の農業大国、大嘘だらけの食糧自給率」という本で知った。これによると、2011年FAO数値による世界の農産物生産額ランキングでは、1位・中国、2位・アメリカ、3位・インド、4位・ブラジル、と広大な大陸を占める国が並んでいる。だが、5位はなんと、国土の狭い我が日本だ。ブラジルとの差は、2割以下しかない。ちなみに6位はフランス、7位がドイツである(なお、数値のとり方の差によるのか、7位ないし8位という統計もあるが、農業において有力な国であることは変わらない)。

たしかに国土は狭い。でも、日本は温暖湿潤な気候と、肥沃な山野に恵まれている。世界でも稀に見る、農業の適地と言うべきではないか。大げさに聞こえるかもしれないが、実際に砂漠やツンドラ、乾燥した大地の国々を巡ると、その違いが分かる。
農業に還ろう_e0058447_22571797.jpg
(小豆島の千枚田)

日本人の職人芸的な仕事ぶりは、農産物の品質に、すでに結実している。日本の農産物は、そのクオリティ(味)の良さと安全性により、すでに中国を始め、アジア各国で定評を得つつある。忍耐強い丁寧な仕事ぶり、出来栄えへのこだわり、いずれも日本人の性格的特徴が生きる部分ではないか。

そして、農業は成長産業である。これも同書で知ったのだが、世界の農産物貿易額は、過去半世紀の間に約30倍に膨れ上がっており、とくに21世紀に入ってからは、年平均10兆円の勢いで伸びている。だからこそ、米国を始めとして各国が農業貿易を重視するのだ。

だとしたら、都会での勤め人の仕事に倦み疲れた人々は、サラリーマン稼業など見切りをつけ、農業に転身したほうが向いているのではないか。満員電車に長時間揺られて、都会に通うオフィス仕事のストレスよりは、自然と生き物を相手にした仕事のほうが、多少きつくても心理的には健康だろう。

外気の下で働く農作業は、「コロナ」や「三密」とも、ほぼ無縁である。

ちなみに、農業は工業や商業よりも、広い土地を必要とする。だから農業にシフトすれば、都市の人口集中問題は、そして地方の過疎問題も、自然に解決する。

農業は、工業や金融業よりも、参入に必要とする資本も小さくてすむ。これも利点の一つだ。製造業を始めようとすると、工場建屋と機械を買い揃えたら、たとえ町工場の規模だって、下手をすれば億の金がかかるのだ。
(もちろん世の中には、ノートPC1台、いやスケッチブック1冊抱えて商売できる、インテリジェントでノマドな職種だってある、との意見もあろう。ごもっとも。ただし、PCやノートが、直接、お金を生み出してくれる訳ではない。そうした仕事は、たいてい、成果物や仕事にかけた工数の対価を、顧客企業が支払ってくれるだけだ。つまりPCやノートは間接的な道具であって、それさえあれば経済的に自立できる生産手段、とは言えないのである)

こうした状況を予感してだろうか、若い人たちの中には、工業よりもむしろ農業に積極的な興味を持つ人が増えている。それは、たとえば東京農工大の農学部と工学部の偏差値を見るとわかる。その昔は、工学部のほうがずっと難関だった。今は、農学部のほうが偏差値が高い。それだけ、農学を志す人が増えたのだ。

農業に適した国土がある、高度な農業を志す人達もいる。それなら、なぜこの国には耕作放棄地がたくさんあるのか? 日本全国で450万haの農地面積があるが、耕作放棄地はその約1割にも及ぶのだ。そして農業は、なぜ、「過去の産業」として、低く見られてきたのか。

それは大きく3つの要因があるように思われる。

第一に、農業が規制産業であり、参入障壁があることだ。具体的には「農地法」の規制があり、農地を売り買いするには「農業委員会」に届け出と許可が必要なのである。言いかえると、農家の子弟でない限り、簡単には農地を取得しにくいのだ。数年前に多少、規制緩和されて、企業は参入しやすくなった。だが、肝心の個人事業主(いいかえると自作農)を、増やす方向には進んでいない。

むしろ、日本の農業の生産性が低く農家が貧しいのは、各戸が所有する農地が狭く、機械化に向かないからだという、「農地のスケールメリット論」がずっと根強くあり、国や財界は大企業の参入と所有農地の拡大を歓迎する方向にある。でも、これでは、農業に興味のある人に、「だったら雇われて小作農になれ」と言っているようなものではないか? また、JAの新規就農者への「農業融資」にもいろいろと制限がついている。

第二に、農業政策自体が歪んでいて、ビジネスとして育ちにくいことが挙げられよう。周知の通り、長らくこの国では、コメの買取制度を中心とした農政だった。それは、農村が長らく保守政党の「票田」だったことの結果でもある。さらに、農水省が奇妙な「カロリーベースの食料自給率」を目標とした政策を、取り続けていることもある(この問題は上述の本がかなり詳しく批判をくわえている)。さらに言えば、農産物のサプライチェーン自体に問題があることも加えていい。

そして第三に、世の中の人の持つマインドセットの問題があろう。農家は、「カッコいい」職業ではないと思われてきた。「田舎」「百姓」という言葉に象徴されるイメージが、長らく広まっていたのだ。実際、昭和時代(とくに戦後の昭和20-30年台)は、現金収入を得られる「サラリーマン」こそが、近代的でカッコいい職業だった。だが、令和の今、サラリーマンがカッコいいと思っている人は、どれだけいるだろうか?

いや、そもそも「サラリーマン」対「専業農家」、という問いかけ自体、おかしいのだ。現代では、兼業農家という生き方こそ、主流なのである。地方の兼業農家には、豊かな生き方をしている人が、じつは少なくない。

ウィークデイは地元の工場なり役所なりでサラリーマンをして給料をもらい、週末だけ自分の田畑を手入れする。当然、収入も比例して大きくなる。安定性と職人性を両立できる生き方である。そして、それで農業ができるくらい、今の農業技術も進歩している。小さい農地だって、ちゃんと機械化できるよう、それこそ日本の技術は進歩したのだ。
 
実際それは数字を見れば分かる。年間の農業GDPは約8兆円だ。そして農業従事者は日本に160万人いる。ということは、一人年間500万円という計算になる。え、500万円じゃ一家4人は養えない? いや、これは収入ではなく付加価値額で、収入から外部経費を差し引いて手元に残る額を示している。ちなみに日本の全産業の平均の一人あたり付加価値額は、約800万円だ。つまり、これは兼業が多いことを示している。事実、全国平均で農家の81%が、兼業農家である。

もちろん、わたしは何も、日本の国全体が農業で食っていけるとか、製造業や流通業を全部やめて農業にもどれ、といった極端な提案をしているわけではない。また、農業が誰でもできる簡単な仕事だ、などと主張するつもりもない。ただ、新たに農業を志す人達が今や一定数いて、その人達のニーズを今の仕組みが救いきれない点を改善すべきだ、そうすれば数十万人単位の雇用が創出できよう、と言っているのである。

兼業という生き方が広がれば、むしろ地方の工場や流通での人手不足だって、少しは緩和されるはずである。家族を含め数十万人が農業に関わるようになれば、農政その他のおかしな点も、必然的に議論の的となるし、それだけの人数がいたら、政治家たちだって無視できないはずだ。

***

COVID-19のパンデミック禍が地球を覆うまで、グローバリズムの思想が、世の主流だった。その世界観の下では、人は巨大なグローバル企業の経営者になるか、あるいは社員として働かされるか、2つに1つを迫られる。そこには、自分自身の生産手段を持つ、自立した自営業者の姿がない。

実際、地方の個人商店は淘汰されて、ロードサイドのチェーン店ばかりになった。町工場も淘汰されて、廃業するか大企業の傘下に入るか、いずれかを選択するケースが多かった。職人もまた「一人親方」という名前の、契約労働者に過ぎなくなってきている。本当にこれが、わたし達の気質にあった、働く幸せの姿だろうか?

わたし個人は技術者で、プロジェクトが好きだから、企業の組織人でいる。だが、これは自分の選択の結果である。誰もが同じ選択肢をとるべきとは、わたし自身、思わない。会社員という生き方以外に、「経済的に自立可能な生産手段を持つ、職人気質の独立自営業者」が社会にたくさんいる姿の方が、ずっと日本らしい、とわたしは信じるのである。

だから今、あえて言おう。「農業に還ろう」と。


<関連エントリ>
 (2017-07-23)


# by Tomoichi_Sato | 2020-09-15 23:04 | ビジネス | Comments(2)

設計の知恵を、リアルな価値に変えるために 〜 競争的基本設計(Competitive FEED)とは何か

前回の記事「設計の知恵を、リアルな価値に変えるために 〜 問題の所在」 (2020-08-22)で、わたしは「設計で知恵を出しても、ビジネスとして評価されにくい」点に、SI業界を始め、多くの業種が抱える問題の根本原因がある、と書いた。

製品のコストと品質の殆どを決める設計段階でこそ、知恵を出すことが重要である。一般消費者向けのB2Cビジネスでは、製品・サービスの評価や売れ筋から、設計の良し悪しが、すぐ分かる。良い設計はビジネスの結果にダイレクトにつながって現れる。

だがB2Bビジネス、たとえばSI業界の分野などでは、顧客要求をもとに設計をした後、その基本設計書からRFPを作って複数社に引合いを行うのが通例だ。たとえ良い設計をしても、それは価格競争というレース場への、入場券にしかならない。結局は安い単価で実装をオファーできるところが勝って、利益を得る構図になる。SI以外の業界でも、受注産業のB2Bでは、似たような事例を見かけることが少なくない。

だとしたら、誰が好き好んで設計の技を磨こうとするだろうか。良い設計が、利益という形で自分たちのビジネスの評価につながらないなら、誰がエンジニアなどという職種を目指すだろうか? 日本の産業の技術力が下がっていく一因は、ここにある。

とはいえ、このような問題は、必ずしも日本だけで起きるわけではない(日本社会の固有の特殊性については、後で触れる)。設計段階と実装段階が分離され、途中に価格競争のプロセスが挟まるような慣習のある分野では、どこでも生じがちである。わたしの働いているエンジニアリング業界だって、そうだ。

プラント・エンジニアリングの業界の仕事の流れは、ある意味、SI業界とよく似ている。図を見てほしい。エンジ業界におけるプラントの基本設計は、FEED (Front-end engineering design)と略称されるが、IT業界における「要件定義」段階にほぼ、相当する。顧客はどんな製品を年産何万トンほしいか、程度のイメージしかなく、どのようなプラントの機能構成で、どう実現するかは、この基本設計=FEEDの段階で決まる。
設計の知恵を、リアルな価値に変えるために 〜 競争的基本設計(Competitive FEED)とは何か_e0058447_14365220.jpg
FEEDの作業が終わり、基本設計書が出来上がると、それをもとに投資額を見積もる。これは通常、複数のエンジニアリング会社をよんで、競争入札の形で行う。その上で、(普通は最安値をオファーした企業の価格をもとに)投資判断であるFID (Final Investment Decision)を行う。これは、SI分野で、FRPを元に複数SIerから提案価格を受け取り、その中から1社を選んで、投資判断するのと同じである。

そして、次に実装の段階が来る。プラントの場合は、詳細設計・調達・建設の仕事になる。Engineering, Procurement & Constructionの略をとって、EPCと呼ぶ。SIでいう開発段階、すなわち設計・実装・テストの各段階に相当する。この段階は、一括請負契約で行われるケースが通例だ(例外もあるが)。

プラントの場合、建設を終え、溶接などの品質検査と機能テストを終えると、このEPCの構築段階は終了になる。これをMechanical Completion = MCと呼ぶ。ちょうどITシステムの結合テスト・総合テストの完了にほぼ相当する。ここでプラントは顧客に引き渡され、立上げ(Start-up)段階に入る。そして実際の原料をプラントに導入し、操業の人員を配置して、100%稼働になるまで立ち上げていく。パフォーマンス・テストなどもここで行われる。

いわゆるエンジニアリング会社が活躍するのは、基本設計(FEED)段階と、詳細設計・調達・建設(EPC)段階である。ただ、前者は設計なのでほとんどが人件費なのに対し、後者は資機材を買って現地で工事するので、報酬の対価はかなり大きくなる。したがって、ビジネス的な利益は、EPC段階の方が魅力的に見える(赤字リスクだって大きいが)。

前者のFEED=設計段階で仕事を得るポイントは、もちろん設計能力である。他方、後者のEPC段階で仕事を勝ち取る主な要因は、価格競争力とプロジェクト・マネジメント能力だ。そして設計段階で、いかに良い設計アイデアを出しても、その成果は入札書類の形で、ライバルを含む入札企業全員に共有されてしまう。もちろん、価格競争に勝てなければ、どんなに良い設計をしても、EPC構築段階は受注できない。

このような慣習が続いた結果、何が起きたか。プラント業界の仕組みを見ると、いかにも「設計能力に秀でた企業に基本設計をやらせ、コスト・マネジメントに強い企業に構築段階を任せるのだから、ベストな設計のプラントを一番安く手に入れられる」ように見えるだろう。

だが、現実には、違う結果が生み出されるようになっていった。実際にしばしば起きたのは、品質の低下とスケジュールの遅延だった。なぜか?

まず起きたのは、エンジ会社の専門分化(すみ分け)だった。欧米系のエンジ企業は、設計には秀でているが、人件費が高いので、コスト競争力が弱い。彼らの中には、FEED段階の仕事のみに特化するものが増えてきた。他方、韓国を含むアジアのエンジ会社などは、技術的差別化よりも価格競争に強みを見出して、EPC段階をもっぱら狙うようになった。

その結果、構築段階での経験が、基本設計に反映されにくくなった。当たり前だが、本当は「建設しやすい設計」「立上げ・運転しやすい設計」こそが、真の意味でコストダウンにつながる。だから建設や試運転部門から、いろいろ文句をつけられてはじめて、設計技術者も育っていくのだ。

だが自分で実装・構築しない会社が、設計だけやるようになると、そのフィードバックループが切れてしまう。設計図面が「絵に描いた餅」になりやすい。こうした危険性は、実装を知らないアナリストが作る要件定義書の危なっかしさ、という点でIT業界の人にも理解できると思う。

かくして、基本設計に隠れた品質問題を抱えながら、熾烈な価格競争でEPC構築段階の契約を勝ち取ったエンジ会社は、どうなるか。もちろん、途中でどんどん設計変更問題が生じる。人も足りなくなる。だが、全体は一括請負契約になっている。追加交渉だって時間がかかる。かくして、赤字と納期遅延がしばしば生じるようになった。

こうした状況の遠因は、基本設計と構築実装の分業化にある。基本設計でいくら知恵を出しても、それが構築ビジネスにつながらず、直接の利益にもならない。誰が苦労して、良い知恵を出そうとするだろうか?

ところで、(ようやく本題に入るが)プラント・エンジニアリング業界で近年行われている『競争的基本設計』(Competitive FEED)という方式は、この壁に風穴を開けるものだった。

『競争的基本設計』では、まずエンジ会社を2〜3社選び出し、彼らに並行して基本設計(FEED)を行わせる。無論、ライバル同士がどのような設計をしているかは、お互いに知りえない。基本設計がおわったら、各社に、自分たちの設計をベースにしたコスト見積を行わせる。そして、技術面およびコスト面で優れた方を選び、そこにEPC構築を任せるのである。敗退した方にも、基本設計の費用は支払う。

この方式のメリットは明らかだろう。設計で良いアイデアを出した企業が、構築段階の仕事を受注できる。構築をよく知らないと、プラントを要求性能通り、しかし安価に作る設計はできない。しかも自分の基本設計を自分が実装するのだから、ヘマな設計をしたら自らの首を絞めるだけだ。また、コスト競争と言っても、単なる単価の安値だけではなく、設計能力を含めた総合力が問われるのである。

ちなみに、こういうやり方をすると、調達・建設コストダウンを追求するあまり、実際の運転段階にはいってからの操業コストや保全コストがかえって高くつくような設計が、生まれる可能性がある。そこで顧客は、投資額(Capital expenditure = CAPEX)と、運転コスト (Operational expenditure = OPEX)の両方を見積らせ、総合的に勘案して比較を行うのが通例だ。

なお、『競争的基本設計』が行われる背景として、プラントの基本的な技術(プロセス・ライセンス)を比較選定したい、というニーズも強い。たとえば液化天然ガス(LNG)分野では、APCIとかPhilipsとかLindeといったライセンサーがいて、競い合っている。IT業界でいうと、SAPやOracleなどパッケージ・ソフトウェアの選定に相当する。そこで、ぞれぞれを得意とするエンジ企業を1社ずつ選んで、競争的基本設計を行わせるのである。

こう書くと、いい事ずくめのように聞こえるかもしれない。だが、このやり方にも限界があることは、指摘しておこう。

一番の問題は、発注する顧客側の手間がかかることである。基本設計を二重・三重に進めるのだから、当然である。基本設計をするためには、顧客側の技術者がかなり、はりついてインプットを与え、適時レビューし、注文をつけなければならない。それを公平に、かつ同時に進めるのだ。

そして基本設計費用だって、2倍ないし3倍かかるわけである(大型プラントの場合、基本設計だけで数億から十数億かかる)。良い知恵を得るため、とはいえ、構築段階のコスト競争で差があまり出なかったら、何を得したのか分からなくなってしまう。

また、ある程度分業化の進んでしまったエンジ業界において、このような『競争的基本設計』を発注できる相手もまた、限られてくる。日本のエンジ会社は比較的、設計も構築も両方できるが、世界を見渡すと、そういうプレイヤーばかりではない。基本設計はあまり得意でないが、価格競争では非常に突っ込んでくる新興国のエンジ企業を、うまく使って安く仕上げたい、と考える購買責任者だって、発注側には、いるだろう。

ひるがえって、日本のSI業界で、この競争的基本設計の方式を取れるかと言うと、なかなか微妙だと思える。要件定義を二重、あるいは三重に、進められるだけの発注側企業が、どれだけいるだろうか。また基本設計費用をダブルで・あるいはトリプルで払う案を、経営者はのめるだろうか。そして、何よりも、出てきた基本設計書と見積書を、きちんと適切に比較できるだろうか? いずれも可能性はあるが、ハードルは高い。

こうして書いていくと、<設計の知恵を、リアルな価値に変える>ための、真の障害がどこにあるか、分かってくる。それは、実は発注者側の技術的能力にあるのだ。発注者側の能力が高く、設計にもちゃんと口を出せ、コストや納期を決める技術要因も熟知し、かつ、きちんと構築・実装段階のプロジェクトを、発注側としてうまくマネージできる能力があれば、たしかに、望ましい結果を得られるだろう。たとえ競争的基本設計方式をとらずとも、技術の目利きがあるのだから、良い設計にはきちんと評価とビジネス的なリワード(継続的な発注と育成など)を工夫できるはずだ。

だが、発注者側に技術能力が欠けていて、自分が何を望んでいるのかもよく分からず、提案の技術評価もうまくできないまま、業者選定に入るようだったら、どうなるか。技術の目利きの不足の代わりに、購買のコストダウン交渉が上手ならいい、と経営が考えている場合、どういう結果が生じやすいか。読者諸賢ならば想像がつくだろう。

設計の価値というのは、対象が単純で、結果が目の前にできあがっており、かつ自分が使い方に熟知しているものほど、分かりやすい。設計の良し悪しが、B2Cの消費財やサービスで、すぐ結果に出るのはこのためだ。

逆にいうと、対象が複雑なシステムであり、かつまだ設計書の段階で、しかも機能や使い方が広範囲でイメージしにくいものほど、設計の良否を評価するのは難しくなる。B2Bでは基本要件は顧客から与えられるから、設計の自由度もおのずから絞られる。では、これを正しく評価できるのは、どんな人間か?

当たり前だが、設計の価値が一番良く分かるのは、優れた技術者なのである。優れた、というのは、それがどう作られ、どう使われるかも熟知した技術者、という意味である。発注者の側に、そうした技術者がいることが、実は業界全体の技術レベルを上げるためには、死活的に重要なのだ。

良い技術者をを育てるには時間がかかる。職場環境という土壌を整え、仕事という水をやり、報酬という肥料を与えても、技術の花が咲き、知恵の実がなるまでは年月がかかる。それを惜しんで、「技術がほしければ、世界中の良い技術をカネで買ってきて使えばいいじゃないか」とする気短な発想だけでは、自国の社会の中から技術がしぼんでいくのだ。ちょうど肥沃な耕適地を耕さずに、海外から安価な商品作物だけ輸入すればいい、と考えている国のようだ。

技術とは自らの能力を増強するイネーブラーである。もし産業界がそれを必須と考えるならば、技術の価値をビジネス上の報いに直結させる仕組みを、ぜひとも工夫すべきであろう。そして、そうした知恵を出すことこそ、経済団体や官界の仕事ではないだろうか?


<関連エントリ>
 →「設計の価値」(2006-01-01)


# by Tomoichi_Sato | 2020-09-05 15:00 | ビジネス | Comments(0)

お知らせ:BOM/部品表とPMに関するオンライン講演を行います(9月10日・9月17日)

えー、前の記事では「この項続く」と書いたばかりですが、ここでスポンサーからお知らせです(笑)。
9月に2件のオンライン講演を行います。前者はエンジニアリング・チェーンとPLMに関する話題(無料)で、後者はスケジューリング学会シンポジウム(有償)でのプロジェクト・マネジメントに関する研究発表です。

実はつい最近、拙著『BOM/部品表入門』の増刷が決まりました。おかげさまで累計1万2千部です。2004年に上梓した一種の専門書が、16年後まで現役で売れ続けているのはとてもうれしいこですが、逆にそれだけBOM関係の情報のニーズが高いのだろうなと想像します。結局、設計から製造への機能的な橋渡しに悩む企業が多いからでしょう。同書の中国語版も売れ続けていますので、悩んでいるのは海を隔てた向こう側も変わらないようです。

今年の『ものづくり白書』でも、「サプライチェーン」と「エンジニアリング・チェーン」が生産で合流する、という概念の説明が出てきます。サプライチェーンは物づくりの順番に従い、受発注から始まって、生産計画→生産→流通・販売→保守・アフターサービス、とつながっていきます。これに対して縦軸は、研究開発→商品企画→製品設計、という製品開発の「エンジニアリング・チェーン」がぶつかり、両者が『生産』で合流します(より正確に言うと、製品設計の後には、工程設計→試作→量産準備→がはさまってと生産につながる訳ですが)。

エンジニアリング・チェーンを統合的に支えるソフトウェアは、PLM(Product Lifecycle Management)と呼ばれます。現時点では、その主力製品は欧米製です。複数部署をまたいで、データ中心に業務プロセスを統合する取り組みは、欧米製造業の方が先を走っているのでしょう。その統合の要は部品表/BOMデータベースで、その中にE-BOM→M-BOMが整合性をとって格納される姿になっています。

ところが現実には、PLMソフトの導入と、 SCM/生産管理系との統合は、なかなか一筋縄ではいきません。もともとPLMは、量産型の製造業を念頭に置いて作られたからです。他方、日本の多くの企業は受注生産、とくに個別性の強い受注設計生産の形態に取り組んでいます。こういう状況下で、BOMのあるべき姿について、皆が頭をひねる必要が出てきている訳です。

ここで登場するのが、設計という業務にまつわる「個別性の罠」です。どんな設計作業でも、つねに一度限りの営為です。これをどうマネージするかに、多くの組織が悩んでいます。

そして、そこで鍵となるのがプロジェクト・マネジメント(PM)の技術です。プロジェクトは、つねに個別性との戦いです。そこでは繰り返し型業務における、お得意の「PDCAによるカイゼン」が、うまく働かないからです。そうした意味で、製造業におけるPMの有用性は非常に高まっています。

しかし、現代のPM手法にも大きな課題があります。とくにプロジェクトが大規模化すると、「崩壊現象」と呼ぶべき事象が、ときおり起きるのです。人員を追加しても生産性が上がらず、いわゆるデスマーチ状態に陥って、いつ全体が終わるか誰も見えない、そういう状況です。モダンPM理論は、EVMSとかクリティカル・パス法などの技法で、プロジェクトの先行きを予測・計画していきます。しかし、それが機能しなくなる状況が生じるのですから、今の理論にはまだ、足りていない部分が残っている訳です。

2つのセミナーはテーマも内容も異なりますが、ここに述べたような問題をめぐって、皆さんと一緒に議論できればと思っています。関心のある方のご来聴をお待ちしております。


<記>

(1) 「BOM/部品表とエンジニアリング・チェーンのマネジメント」

日時: 2020年9月10日(木) 13:30 ~ 16:45(小生の講演は13:35~14:35の時間帯です)
テーマ: 「BOMで改善! 中小企業の設計効率を上げる業務改革」
主催: エスツーアイ(株)+ダッソーシステムズ(株)
セミナー詳細: 下記をご参照ください(無料、定員なし)
  なお、セミナータイトルには「中小企業」と書いてあるのですが、中堅あるいは大企業の方も歓迎です。
  むしろBOMマネジメントの問題は、ある規模以上の組織の方が難しい面がありますので。


(2) 「プロジェクトのコスト超過と崩壊現象のシミュレーション」

日時: 2020年9月17日(木) 14:30~15:45
主催: スケジューリング学会 「スケジューリングシンポジウム2020」
    オーガナイズドセッション「プロジェクト・マネジメントの教育と実践をめぐって」講演(1)
概要:
プロジェクトの完了日予測と、完了時点でのコスト予測は、プロジェクト・マネジメントにおける重要な課題である。従来、完了日はPERT/CPMのクリティカル・パス分析と、各アクティビティの進捗から計算してきた。また完了時点のコスト予測(Cost EAC)はEVMS手法により推定した。これらの手法はいずれも確定的予測であって、リスクと不確実性を反映することが難しい。他方、プロジェクトの実践現場においては、大きな納期遅れとコスト超過を伴う「崩壊現象」が、時おり生じることが知られている。本発表では、プロジェクトのアクティビティ・ネットワークにおける遅延とコスト超過の連鎖反応のパターンについて、シミュレーションを元に考察する。

シンポジウム詳細: 下記をご参照ください(有償です)


以上、よろしくお願いします。
               (佐藤知一)


# by Tomoichi_Sato | 2020-08-27 22:25 | サプライチェーン | Comments(0)

設計の知恵を、リアルな価値に変えるために 〜 問題の所在

エンジニアだったら誰もが、「自分の出した知恵で、評価されたい」と思うだろう。優れたアイデアを出せば、それが高く評価される。逆に、つまらぬ設計しかできない者は、たいして評価されない。世の中は、そういう風であってほしい、と感じている人は多いはずだ。

評価という言葉には、いろいろな意味がある。同僚や周囲からリスペクトされるのも、評価だ。新しい重要な仕事のリーダー格に取り立てられたり、昇進するのも、評価だ。もちろん、給料やボーナスに反映されるのも、評価だ。ともあれ、優れた知恵を出したら、尊敬され、リーダー役に抜擢され、ちゃんと経済的にも報われるべきだ。つまり、良い設計の知恵は、リアルな価値に、ちゃんと具現化されてほしい。

だが、そうあってほしいと感じる人が多いのだとしたら、それは逆に、世の中はそうなっていない、という事の証拠であろう。自分の身の回りを見る限り、あんまりそうなっていないな、なんとも世の中アンフェアだ。それが多くのエンジニアの実感ではないか?

*** *** ***

「SIer」という業態は、本当に将来性があるのか、という質問を、SI業界の人に会うたびに、何年も前からするようになっている。説明の要はないと思うが、SIとはシステム・インテグレーションSystems Integratrionの略で、ITシステムの受託開発ビジネスを指す。そしてSIer(エスアイヤーと読む)は、それを業としている会社のことだ。将来性があるのかという質問は、もう少し今風に表現するなら、『サステイナブルなビジネス』なのか、ということだ。

こういう質問をすると、SI業界の人はたいてい、苦笑いしたような表情になって、「そうですねえ・・」と言葉を探す。「もちろんですよ!」という希望と自信にあふれた答えがかえってくることは、まずない。「正直、将来性は無いんじゃないでしょうか」と、ぼそっとつぶやかれることもある(もちろん会社の会議室ではなく、懇親会の席上であったりはするが)。そういう状況だから、優秀な若手人材も、なかなか集めにくいという問題が生じる。

ITとかデジタル技術とかいうのは、時代の先端をゆく技術分野である。そして知恵のカタマリであるはずのシステムを作っている。なのに、なぜ、将来性があるかという質問に、前向きな答えが来ないのか。なぜ有能な若手にそっぽを向かれるのか? それは、受注型プロジェクトで金を稼ぐ、この業界の構造ないし行動習慣に問題があると、多くの人が認識しているからだ。

日本のIT業界の特徴は、ITエンジニアの大半(約7割)が、ITベンダー側に属していて、ユーザ企業側にはそれほどいない事である。これについては、元日経コンピュータ編集長の谷島宣之氏が『ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国』 という興味深い本を著して以来、広く知られるようになった。つまり、企業内の業務システムの殆どは、自社内で作るのではなく、外部のIT企業に作らせるのである。そこで、ITシステム開発(システム・インテグレーション)は、受注型プロジェクトとして遂行されることになる。

別に内製ではなく外注でもいいじゃないか、大規模なシステム開発プロジェクトなんて、普通は何年に一回しか無い。その時のために、ITエンジニアを大勢、社内に抱えておくのはもったいない。――そういう意見だって、もちろんあるだろう。

ついでにいうと、上述の谷島宣之氏の著書によると、米国では日本と逆に、ITエンジニアの7割がユーザ企業にいて、自社のシステム開発プロジェクトに携わっていると書かれている。それはそのとおりだが、米国では企業間の転職が多く、プロマネ職種の人達も、渡り鳥のように案件単位であの会社からこの会社へと、わたっていくことが少なくない。ある意味、彼らだって「外の人」なのである。

だから、日本のSI分野の問題は、内製か外注かにあるのではない。実は、「設計で知恵を出しても、ビジネスとして評価されにくい」点に、根本原因があるのだ。エンジニア個人の評価が、最終的にはポジションや給料で決まるように、企業の評価は、利益を出したり、継続的に良い条件で仕事をもらえるか、という点で測られる。つまり、ビジネスとしてのサステナビリティである。

今日のITシステムの開発は、ふつう「要件定義」段階と、「実装」段階とで、契約フェーズを分けて、進められる。これは、たとえば製造業やエンジニアリング産業における、「基本設計」と「製造・構築」に相当すると思えばいい。当然ながら、要件定義(=基本設計)段階は、全体に占める割合は小さい。そして実装(=製造・構築)段階は、はるかに金額が大きくなる。まあ、一桁くらい違っても不思議ではない。

ちなみに、現在の業務系システム開発の多くは、まるきりゼロからプログラムコードを書く、いわゆる「スクラッチ開発」をするケースは多くない。しばしばパッケージ・ソフト、ないし開発フレームワークがあって、それをベースにFit & Gap分析などをしながら、要件定義を進め、コンフィギュレーションやアドオンで実装をする、というスタイルだ。

「要件定義書」が出来上がり、それを核とした提案依頼書(RFP=Request for Proposal)がワンセット揃ったら、複数のSIerに競争見積を出す、というのが今の主流のスタイルだ。

要件定義段階は、いわゆる「準委任契約」で進められる(これは製造・エンジニアリング産業における「実費償還契約 Reimbursable contract」とほぼ同じだが、日本のIT業界はなぜか、準委任という民法用語を好んで使う)。だから受注側に赤字リスクは小さいが、金額も小さいので、旨味が少ない。

ビジネス的に売上が大きくなり、かつ、うまくやれば利益も大きくなるのは、実装段階の一括請負契約である。だからSI業界では、要件定義はある意味、「海老で鯛を釣る」ためのエビであって、本当の狙いは、実装というタイを釣り上げることにある。

SI業界は「人月商売」、と揶揄されることもある。人月(man-month)とは、作業量の単位だ。これに単価をかければ、すなわち売上額になる。だから、なるべく受託側としては要件定義段階で、開発に要する規模=人月を大きくした上で、実装の仕事を一括請負型プロジェクトで受託し、そこで売上と利益を確保したい、という思考習慣が強い。

もちろん発注側としては、それではたまらないので、同じスコープ(役務範囲≒作業量)ならば、なるべく単価の安いところに発注しようと考える。だから複数のSIerに引合いを出し、価格競争に持ち込もうとする。そして受託側は、単価を下げるために、たとえばオフショア開発などの比率を上げて価格競争力確保にいそしむ、ということに相成る。

以上のプロセスの、どこに「知恵を価値に変える」部分があるだろうか。要件定義段階で良い基本設計をして、少ない労力で開発できたり、運用保守のコストが低減できたりしたとして、それはどこで誰が評価してくれるのだろうか?

図を見てほしい。これは経産省の『ものづくり白書』2020年版の、第1部第1章3節に掲げられた図だ(ちなみに、今年の「ものづくり白書」は例年以上に、面白い)。
設計の知恵を、リアルな価値に変えるために 〜 問題の所在_e0058447_19171340.png

これは製造業におけるものづくりのプロセスを例に取っているため、横軸は「企画→製品設計→工程設計→製造」となっている。読者諸賢は、SIその他、ご自分のよく知っている分野に置き換えてみてほしい。

ともあれ、仕事のプロセスの進展とともに、設計の自由度は減っていき、逆に出来上がるアウトプットの品質・コストはどんどんと確定度が上がっていく。そして、設計段階で品質・コストの8割が決まる。設計の終わりをどこに置くのか、8割という数字が妥当かどうかは議論の余地があろうが、この傾向自体に反論する技術者は少ないだろう。

だから、製品のコストと品質の殆どを決める設計段階で、知恵を出すことが重要なのだ。そして、そこで出した知恵こそが、利益や、リカレントな受注という、ビジネス上のリアルな価値に直結してほしい。それが、エンジニアの共通の願いである。

ここまで、SI業界を俎上に上げて、人月ボリューム志向のビジネス慣習が、いかに設計の価値を阻害し、最終的には優秀な人材の離反を招いているか、論じてきた。SI業界の読者の中には、不快に思った方もいるだろう。じゃあ、お前のいるエンジ業界はどうなんだ。あるいは、製造業や、他の業界はどうなんだ、と。

実は、その問題構造は通底している、というのがわたしの認識である。プラント・エンジニアリング業界のプロジェクトのあり方は、意外なほど、SI業界のあり方に似ている。だから、わたし達も実は、よく似た悩みを抱えている。

そして製造業、とくに日本が得意とする部品・素材業界も、やはり設計の知恵をリアルなビジネス価値に結びつける点で、悪戦苦闘しているように思える。部品・素材業界は、多くは受注ビジネスだ。顧客である自動車会社や電機会社の要望する特性・品質の材料部品を、個別の要求に応じて設計し、毎月の注文に応じて生産している。つまり、同じようにB2Bビジネスをしている訳だ。

そして、製品の企画・設計段階から、ユーザ企業に呼ばれて、いろいろ要望を出され、対応するために知恵を絞って、部品材料を設計提案する。もちろん試作もする。でもって、めでたく採用かと思った段階で、購買部門が出てきて、他社との価格競争に巻き込まれるのだ。設計の知恵は、ようするに価格競争というレース場への、入場券でしかない。こういう事例を、ときおり耳にする。

このような状態が、あちらの業界でもこちらの業界でも生じているのだとしたら、誰が喜んでエンジニアなどという職種になりたがるだろうか? 知恵を出しても、会社の利益にもならず、当然、自分の評価にもつながらない。

経済団体やら識者らが、ときおり、日本の技術力の低下について、嘆くことがある。まあ、世のおじさん達の頭の中では、未だに日本は「技術一流、政治三流」みたいな信仰が残っているらしいが、技術の現場で走り回っている若手中堅の実感とは、相当に開きがあるだろう。今、日本のIT技術が、世界で超一流と思っているITエンジニアって、どれだけいるだろうか?

本来、経済団体などは、そういう業界構造やビジネス慣習を改革するためのイニシアチブを取るべき立場にあるはずだ。だが、どうやら、日本の技術をめぐる、根本問題の所在に気づいていないらしい。

では、問題の在り処を理解したとして、具体的には、どうすべきか。

システム開発の外注をやめて、全部内製化し、それもアジャイル開発でMVP(Minimal viable product)を短期間にローンチし、UI/UXを磨いてユーザをひきつけ、新しいビジネスを切り開けばいい、というのが、現在出回っている回答の一つだ。いわゆるデジタル・トランスフォーメーション(DX)戦略である。

なるほど、確かに、設計や実装におけるアイデアを、すぐにビジネス価値につなげられる方法である。ただし、このやり方、万能ではない。まず、すべての業務システムがアジャイル開発に向いている訳ではない。また、とくに、B2B業界でのカスタマーとの関係のあり方を考えると(←まさにこの点が、上述した問題の根本原因なのだ)、カッコいいUXだけでビジネスを引きつけられる訳でもない。

では、どうしたら良いのか。他に何か、良い知恵はないのか。長くなってきたので、わたしの業界における一つの取組み、『競争的基本設計』(Competitive FEED)について紹介した上で、この問題の出口について考えてみることにしよう。

(この項続く)


<関連エントリ>


# by Tomoichi_Sato | 2020-08-22 20:18 | ビジネス | Comments(1)

『佐藤、お前は傲慢だ』 〜 あるいは、経験から学ぶことの困難ついて

「佐藤。お前は傲慢だ。」

−−随分昔、上司のSさんに言われた。言われたが、自分がなぜそんな事を言われるのか、よく分からなかった。

たしかその時、わたしは顧客の要求事項について、Sさんに説明していた。客先は、こことここを、こうしてほしい、と言ってきています。でもそれって、元の設計の方針とは少し、ずれてきています。客先の意図と背景を推測すると、実はこれこれこういう要望事項が、隠れているんじゃないでしょうか。だとしたら、顧客の真のニーズに合わせた開発をするべきでしょう。

「顧客が『欲しい』と口で言うことを、ただ実現するよりも、顧客が自分でも気づかない真のニーズを満足させることが、設計者の使命だと思います。」

という意味のことを言ったら、Sさんに

「佐藤。お前は傲慢だ。」

と叱られたのだ。上司に言われたので引き下がったが、内心わたしは納得していなかった。顧客が欲しがる解決手段(How)としての「ウォンツ」ではなく、顧客が何故それを必要とするのか(Why)を示す「ニーズ」にフォーカスすべきだ、と、今でも思っている。

しかし、その時、Sさんがわたしに諭した「お前は傲慢だ」という指摘は、それでも正しかったのだ。ただ、それが分かるまでには20年以上の時間が必要だった・・


この文章を書いている今日は、8月15日、いわゆるお盆の日だ。終戦記念日でもあり、西洋キリスト教社会では、聖母被昇天の祝日(≒聖母マリアの命日)でもある。先祖を追悼し、昔のことを想う日だ。なので、ここにいささか恥ずかしい、自分の反省の記録を書いておく。

2週間前の日曜日である8月2日、本来わたしは演奏会のステージに立って、合唱を歌っているはずだった。曲目はJ・S・バッハ『マタイ受難曲』。指揮は佐々木正利(声楽家・岩手大学教授)、演奏は「佐々木バッハセミナー合奏団および合奏団」。だが、周知の通り、現下の状況では、とても合唱演奏会を開ける状況にない。わたし達は涙をのんで、演奏会の中止・延期を決めた。

この合唱団の母体となったのは、毎年夏に、池袋・目白にある「自由学園明日館」で4日間に開催される、「佐々木バッハセミナー in 明日館」 というセミナーの参加者だ。このセミナーは後援団体のない自主セミナーで、中心となるTさん・Kさん・Tさんらが、佐々木先生をお迎えし、2002年から毎年手作りで開催してきた。曲目は、佐々木先生のご専門であるバッハの声楽曲がほとんど。わたしも一応、運営スタッフの末席にいるが、大したことはしていない。
『佐藤、お前は傲慢だ』 〜 あるいは、経験から学ぶことの困難ついて_e0058447_15043391.jpg
自由学園明日館(本館)

このサイトの読者諸賢は、合唱、ことにバロック時代の合唱曲など、興味のない方がほとんどだろう。だからくだくだしい説明は省略するが、多作家だったバッハの作品の中でも、「マタイ受難曲」は最高峰とされている。長大で(演奏すると全部で3時間半くらいかかる)、編成も大きく(二重合唱でオーケストラも二手に分かれる)、名曲のほまれも高いが、演奏技術面でも難曲かつ大編成なので、簡単には演奏できない(費用が相当にかかるからだ)。

だが、バッハの音楽を好む人にとっては、「一生に一度はチャレンジしてみたい」大曲でもある。それは「バッハセミナー in 明日館」の面々も同じだ。とはいえ、わずか3日半のセミナーで、全部を仕上げるのは不可能だ。そこで、段階的なアプローチをとった。まず2017年夏は、マタイの第1部。翌2018年夏に、第2部を、それぞれセミナーで勉強する。その上で、2019年から希望者を募り合唱団組織を作って、月2回の練習を続け、2020年夏に、全曲演奏会を行う、というプロジェクトである。

ところでその第一歩、2017年の夏のセミナーで、わたしはとんでもない経験をした。ゲネプロの舞台の上で、自分のソロの箇所で、立ち往生したのだ。

ゲネプロというのは本番直前の総練習をさす。セミナー最終日の、事実上の仕上げ段階だ。それなのに、自分が歌うべき箇所を、わたしは歌えなかった。それも、長い曲ではない。全部でわずか、7小節である。でも、歌えなかったのだ。緊張であがって歌えなかった、のではない(そんな可愛らしい年齢ではないよね)。拍の長さを、数え間違えたのだ。

わたしは合唱が趣味だが、別に歌がうまいわけでもないし、声量があるわけでもない。この明日館の夏のセミナーで、ソリストとして舞台に立つのは、たぶん7年ぶり、2度めだったと思う。ちなみにセミナーでは、器楽演奏家はプロの方をお願いするが、歌のソリストは毎回、参加者の中から希望を募り、オーディションで決めることになっていた。希望者が多い場合は、1曲を分割し、リレーして歌い継ぐ。ただ参加者は上手な歌い手が多く、それでも競争は厳しい。わたしはあえて、ソロは希望してこなかった。

でも3年前、セミナーの始まる初日に、家を出る前、連れ合いに「今年はテナーのオーディションを受けようと思う」と告げた。第1部には20番という、比較的短いテナーソロ(合唱のオブリガードつき)があり、そこなら歌えそうに思ったのだ。すると連れ合いは、「度胸だけじゃなく、ちゃんと猛練習しなきゃ恥ずかしいわよ。このごろ、仕事は度胸だけで乗り切っているでしょ」と言い返してきた。図星なところがあってドキリとした。

2017年度のセミナー参加者は、過去最高の103人。自由学園明日館の講堂は、F・L・ライトの流れをくむ名建築で文化財だが、このときばかりは狭く見えた。これじゃソリストへの競争は厳しいな。だが不思議なことに、20番のソロの希望者はわたしを含む2名のみで、佐々木先生は「時間がもったいないから」オーディションは省いて、当選ということになってしまった。

セミナー3日目に、器楽とソリストの合わせ練習が始まる。わたしが分担する箇所は7小節。歌詞なんかワンセンテンスで、「わがイエスのそばで、わたしは目覚めています」だけだ。だが、なぜか、わたしは間違えてしまい、恥ずかしい思いをした。第25小節目(楽譜の印のある箇所)で、シの♭(ドイツ音名でB)を、八分音符で6個半分の長さ、伸ばさなくてはいけない。それを、短く切り上げてしまったのだ。
『佐藤、お前は傲慢だ』 〜 あるいは、経験から学ぶことの困難ついて_e0058447_15102412.jpg
その日の午後には、器楽演奏者が全員揃い、舞台配置で再度練習があった。伴奏してくれるのは、チェロ・田崎瑞博氏、オルガン・能登伊都子氏、といった当代一流の演奏家たちである。それなのに、また切れ目を間違えてしまい、2回やり直してもダメ、3度目の正直で、ようやくなんとか通った。家に帰ってピアノで曲をさらい直した。気づきはもちろんあったが、音型自体は単純なのだ。なのに、なぜ間違えるのか?

そして最終日。午前10時からのゲネプロでも、自分のソロの部分を見事に間違えてしまった。今度は逆に、1拍遅れた(伸ばしすぎた)のだ。その後のダメ出しで、お願いしてもう一度やらせていただき、ようやく成功。しかし単なるまぐれで、薄氷だったことは、自分でわかっていた。

本番前のお昼休みの時間に、講堂の裏でもう一度、一人で練習をしなおした。昨日のリハの録音を聞きかえしているうちに、自分のどこが間違えていたのか、ようやく少しずつ分かってきた。練習の時、肝心の25小節に入ると、なぜか器楽が妙に遅くなったように、いつも感じていた。だが、もちろんプロがそんな事をするわけがない。実はその前の23〜24小節の、メリスマ(早い動きの箇所)で、焦ってしまい、自然に自分の側のテンポが早くなっていたのだ。だから音を伸ばす25小節目に入ると、オケが遅くなったように感じたのだった。

ようやく原因がわかった。だとしたら23〜24小節を、ちゃんと正しいテンポで歌えるようにするしかない。昼休みの残りの時間、たぶん20回以上、その箇所を録音とともに繰り返して歌った。

本番の修了演奏会では、幸いなことにソロの部分も、指揮する佐々木先生の顔だけを見ながらテンポをおっていたおかげで、ちゃんと歌い通すことができた。本当にラッキーだった。天の助けだと思った。

あの日の修了演奏会の後の打ち上げパーティのことは、はっきり覚えている。明るい盛夏の午後だった。明日館本館の、ライト自身が設計した食堂に皆が集まって、おいしい食事と飲み物を取りながら、互いに感想を述べるのだ。そして何人もの人に、「ちゃんと歌えて良かったですね」「アルトは皆、数を数えて応援していましたよ」などと声をかけられ、ありがたく感じるとともに、顔から火が出そうな気がしたのだった。

さて、興奮がぬけた翌朝、もう一度、冷静に考え直してみた。Q1:なぜ、わたしはあの簡単な箇所で伸ばし間違えたのか?

答えは、A1:その直前の小節で歌い急ぎすぎたからだ。

ではなぜ、Q2:前の小節で歌い急いだのか? 答えは、A2: 指揮のテンポや器楽の音に注意が向かなかったからだ。

では、Q3: なぜ、指揮や器楽に注意が向かなかったのか? そんなの、音楽演奏の基本じゃないか、とわたしの中の声がいう。もちろん、そうなのだ。でも、A3: あそこは細かい動きの続くメリスマの箇所だった。

なるほど。だが、Q4: なぜ、メリスマで急いだのか。そのメリスマの箇所はそんなに難しかったのか? −−そう言われると、やや答えに窮するのだ。だって、バッハはメリスマの作曲家と言っても過言ではない。彼のカンタータや受難曲は、長大で困難なメリスマが山のように詰まっている。その中で、この20番など、平均的なものでしかない。

だとしたら、答えははっきりしている。A4: 練習が足りないからだ。

普通なら、ここで自問自答は終わる。だがわたしは、もう一歩だけ先の扉を押した。

Q5: だったら、なぜ練習が足りないのに、お前はソロのオーディションにエントリーしたのか?

A5: 自分が傲慢だからだ。

ここで初めて、わたしは本当の答えを得たように思った。あの歌がちゃんと歌えなかった根本原因は、自分が傲慢だったからなのだ。

曲のオーディションに受かるかどうかなど、結果に過ぎない。大事なのは、自分が納得できるまで練習したかどうかなのだ。それをせずに、ノリで受けるだけだとしたら、それは、誠実に準備してきた他の人達を侮辱することになる。わたしがしたのは、そういうことだった。「佐藤。お前は傲慢だ。」という元上司のSさんの声が、そのとき耳に蘇った。

わたしはその月、すぐに尊敬する声楽家の門を叩いて弟子入りし、歌の勉強を一からやり直すことに決めた。今までも、発声指導の先生についたことはあった。だが長い間、合唱が趣味だと言いながら、ちゃんと歌を習ったことがなかった。それがそもそも、怠惰なのだ。

翌2018年夏のバッハセミナーで、わたしは再び、「マタイ受難曲」第2部の34番、短いテナーのソロに応募した。わずか10小節のレチタティーヴォだ。2人で分け合うことになり、わたしの割当は前半6小節だった。本番当日は風邪気味で、十分な出来ではなかったが、少なくとも今度は間違えずにちゃんと歌えた。その1ヶ月半くらい前から、家でずっと繰り返し練習してきたからだ。家族は(またその曲か、いい加減にしてほしい)という顔をしていたが、我慢してもらった。

それに、歌の先生についたことで、少しは進歩もあったようだ。自分では何が変わったのかよく分からないのだが、佐々木先生からは練習時に、「知一さん、例年に比べて声が出るようになったな。」といわれた。それが一年前のつぐないに思えた。

これでわたしの、短い思い出語りは終わりだ。まことに無様な失態から、ようやくひとつの学びを得たということだ。

それにしても、「お前は傲慢だ」と上司に言われてから、20年近くたって、やっとその意味が分かるとは。これは、「学び」の深さと、難しさを示している。わたしのような自惚れの強い人間が、何かを学ぶには、痛い思いをしなければ、きっかけを得られないらしい。

おまけに、学ぶためには、乗り越えなければならない障害、ないし敵がある。

学びの第一の敵は、傲慢なのだ。傲慢だったら、何も学ぶ必要はないと、うぬぼれる。それでも、たまたま運が良ければ、あまりひどい失態を経験せずにすむ。あるいは、自分の失敗を見ないふりして、生き続けることも、できるだろう。

ただ、それでは、周りが迷惑だ。わたし達の社会は、互いに支え合いながら、できあがっている。どこかに傲慢な人間や組織があると、その負荷を周囲が担っていくことになる。傲慢な人間たちは学ばないから、同じような失敗を何度でも繰り返す。繰り返しつつ、糊塗していく。そのツケは、結局、社会の周囲に回されていく。

わたし達の社会は、わたし達の父祖が苦労して築いてきたものだ。傲慢さは、それを蝕む。もし、わたし達が先人たちの魂に何か感謝を示したいのなら、まず、謙虚になって、「わたし達は経験から学びます」と誓うべき事であるはずなのだ。


<関連エントリ>


# by Tomoichi_Sato | 2020-08-15 15:18 | 考えるヒント | Comments(0)