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「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(1月24日)開催のお知らせ

明けましておめでとうございます。2024年第1回の「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」開催をご案内します。
昨年は主査である小職の多忙のため(あるいは怠けすぎて?)、6月以降に例会を開催できずにおり、まことに申し訳ありませんでした。

さて、新製品開発・新事業開発プロジェクトは、どの組織にとっても非常に重要な、しかし同時になかなか成功しにくい仕事です。とくに成熟市場を相手にした我が国の製造業は、自社の生き残りと成長をかけて取り組む訳ですが、途上には多くのハードルがあります。

今回は、航空機業界における新製品開発プロジェクトについて、(株)SUBARUの野中剛志様にお話しいただきます。周知の通りSUBARU(元・富士重工)は、中島飛行機の流れを継承する企業で、自動車のみならず、航空機とヘリコプターの製造事業も柱として続けておられます。

航空機開発は、巨額の費用と長い年月がかかり、その成否が企業自体の存続や成長を左右することは、欧米の有名航空機メーカーの例を見ても明らかです。しかも部品点数は、自動車の100倍(!)という複雑さです。こうしたプロジェクトにいかに取り組むべきか、どこが難所かを、実務経験に基づいて語っていただきます。ぜひご期待ください。


<記>

■日時:2024年1月24日(水) 18:30~20:30 (オンライン形式)


■講演タイトル:
航空機開発におけるプロジェクト・マネジメント

■概要
 航空機の開発は、大規模かつ長期間のプロジェクトになることが多く、プロジェクトマネジメントの重要性は高い。しかし、大きな開発は10年に1度程度と間隔も広く、過去のノウハウや実績データの継承、およびPM人材の育成などの面で課題も多い。
 このような航空機開発におけるプロジェクトマネジメントの実態と課題を、実務経験を踏まえてご紹介いたします。


■講師:野中 剛志 様 (株式会社SUBARU 航空宇宙カンパニー)

■講師略歴:
SUBARU航空宇宙カンパニー調達部担当部長。2002年から約10年間、P-1/C-2開発においてSUBARU分担部位(主翼等)のプロジェクト管理に約10年間従事。その後も一貫して生産管理畑。現在は調達部でSCMのDXに取り組む。


■参加希望者は、小職までご連絡ください。後ほど会議のリンクをお送りいたします。

■参加費用:無料。
ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。

以上、よろしくお願いいたします。



佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2024-01-05 18:59 | プロジェクト・マネジメント | Comments(3)

クリスマス・メッセージ:あらためて、平和を祈ろう

Merry Christmas!!

3年前の秋、コロナ禍の真っ最中に、息子夫婦が結婚式を挙げた。ちょうど緊急事態宣言が解除され、外出自粛が緩んだ頃だった。その後また感染の波がぶり返していくのだが、ほんの短い、奇跡のような自由な期間に、友人親戚が集まって、(マスクは必須だったが)二人の前途を祝福することができた。

その少し前、息子から式場の相談を受けたとき、わたしは一つだけお願いをした。日時も場所も、二人の望むように決めてくれていい。ただ、西洋風の結婚式をするなら、ちゃんと信者も聖職者もいる、普通の教会であげてほしい。カトリックでもプロテスタントでも構わない。ともかく、毎日毎週、信者が来てミサや礼拝をする、本物の教会でしてくれないか。結婚式場に付随したチャペルに、どこからか説教師を招いて、そこで神の前で誓ったりするのはやめてほしい。

そう言われて、息子も、いささかこまったに違いない。場所の選択肢も限られるし、カトリック教会などでは、信者以外が式を挙げる際は、「結婚講座」なるものに何度も通わなければならない。

結局、息子達は「人前結婚」を選んだ。結婚式場の付属のチャペルで、でも、臨席した大勢の友人知人の前で、愛を誓ったのだ。

それでいい。わたしはこの事に関して、今も息子たちに深く感謝している。二人は宗教というものに、ちゃんとリスペクトを払ってくれたからだ。リスペクトしたからこそ、無宗教を選んだ。わたしは宗教的な祭礼を、商業的ビジネスの下に従属させることが、好きではない。外形だけ宗教をなぞっていても、そこには天の配剤に対する謙虚さが、足りないではないか。

こう言っていいなら、結婚とは、賭けである。結果は、誰にも分からない。でも、集まる皆は、なんとかうまく行ってほしい、幸せになってほしい、と願う。人と人の関係もこわれやすいものだから、固めの儀式をおこなう。その儀式に重みを持たせるために、神聖な場所で、大事なものの前で、本人たちに誓わせるのだ。

息子は特段、神仏を信じているわけではない。わが連れ合いも、そうだ。息子はたまたま、私立のキリスト教系の高校に通っていたし、連れ合いは大学がミッションスクール系だったが、信心にひかれたという風ではない。だが、2人とも宗教というものの重要性については、一目置いている。少なくとも、宗教を大切にしている人の前で、その宗教を馬鹿にするようなことはしない。これは、今の世界を生きていく上で、とても必要なことだ。

そして祭礼は、宗教の大事な役目である。日常生活のルーチンを回していくだけなら、必ずしも神仏は必要ない。大抵のものごとは、習慣通りに、あるいは決まったとおりに、進んでいく。

だが時折、そうした日常生活の輪がしぼんで、時間の大きな節目がやってくる。それは新年やお盆のような暦の上での変わり目だったり、あるいは、結婚や入学、就職や出産といったイベントだったりする。

はじめての子供が産まれそうで、病院に急ぐ時、大事な入学試験の会場に向かう時、そして、誰かと結婚しようと心を決めた時、あなたは何を思うだろうか。先の事は誰にもわからない。自分の願いや才覚だけで、世の中全てが決まるわけでもない。誰にとっても、人生はむずかしい。大事な事はしばしば、自分以外の環境、あるいは「」としかよべないものに左右されるのだ。

そういうとき、わたし達は自分を超えた何者かに、加護を祈りたくなるのではないか。そうした「祈りの心」こそが、宗教的なものの原点なのではないか。自分自身の人生に対して、自分はちっぽけな力しか持っていないと感じるとき、それでもわたし達を助けてくれそうな何者かに、希望をかけるのではないか。

その希望を心の中で言葉にする時、なぜか知らないが、ある種の感覚的・身体的な手順が助けてくれるのだ。別の言い方をすると、何らかの美学が必要になるのだ。多少、型にはまった伝統的美学かもしれないが、そうした所作を通じて、わたし達は心をしずめ、自分の本当の望みを見つめる。

そうしたことを集団で行うのが祭礼だ。わたし達は、感情を他者と共有したいと、いつも無意識に願っている。祭礼とは、そうした感情の共有を、皆に与える場なのだ。そして宗教は、祭礼の主催者である。

ところが現代では、人の集まる祭礼は商業主義に吸収されがちだ。スポーツの「祭典」であるはずのオリンピックを、このところ、あまり好んで見たいと感じないのも、このためかもしれない。

祭礼は元々、わたし達の力がおよばない部分の助けを神仏に祈る、謙虚な行事だったはずだ。だが、あらゆる望ましいものは金銭で買えると信じる商業主義は、謙譲さの正反対である。「神とお金という、二人の主人に同時に仕えることは誰もできない」という古い聖句は、このことを示している。

もちろん宗教にも、良い面とそうでない面がある。人間が作り出すものは、なべてそうだ。宗教には、社会を維持する機能と、社会を刷新する機能の、両面がある。この二つは、社会のありように応じて、働き方が変わる。不安な時代には、安定が望ましい。淀んだ時代には、刷新が好ましい。

この秋に中東で起きた不幸な戦争について、きちんと論じようとすると長くなりすぎるから避けるが、宗教が対立の重要なドライバーであることは否めない。だったら宗教がなければあの対立は起きなかったのか? 残念ながら話はそれほど単純ではない。だが火に注ぐ油の役割を果たしたことは、事実だろう。

わたし達は(とくに都会に住む者は)、日本を非宗教的な社会だと思っている。初詣くらいは行くが、たいていの人は、神仏を真面目に信心している訳でもない。それはある意味で、我々の生活のルーチンが、文明の仕組みによって守られているからだ。その代わりにわたし達は、予見可能な範囲内でしか暮らせていない。そして予見不可能な社会に暮らす人ほど、宗教への信頼が深くなる。

世の中には数多くの宗教があるが、ほとんどに共通していることが2つある。それは、人間の「思い」が、何らかの形で現実世界に力を及ぼし得ると信じる点だ。純粋な物理法則では説明できない何かが、この世に働き得ると考える。つまり、祈りの力を信じているのだ。

もう一つは、人々のむやみな欲望や暴力を抑制しようとする点だ。禁欲や節制を進め、いたずらな殺生を避けるべきとする(すべての暴力を、ではないところが面倒なのだが)。いいかえると、平安を求めるのである。それは心の平安であり、現実社会の平安でもある。

だとすると、平和を祈ることは、宗教的な心の中核にあるのではないか。そのような行動は、経済からも、政治からも、科学からも、導出されない。この3つは、それぞれの方法で、社会に働きかけてくる。ただし経済も政治も科学も、人間に全能感を与えがちだ。「先のことは分からないのだから、心を静めて、希望に思いを馳せるべきだ」と人間に説くのは、宗教だけである。

「祈ったって、それで世界が変わるわけないさ」という疑念の声は、わたし自身の中にもエコーのように存在している。それでも人前結婚の式で、わたし達は心の中の誰かに、若い二人の平和な暮らしを願った。同じように、世界が冬景色に暮れていくこの季節に、世の中の無益な戦争が早く終わることを、あらためて祈ることにしよう。
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<関連エントリ>
「クリスマス・メッセージ:男の子の育ちにくい時代に」
https://brevis.exblog.jp/29343530/ (2020-12-24)


# by Tomoichi_Sato | 2023-12-21 09:55 | 考えるヒント | Comments(0)

書評(冬休みの課題図書)3冊:「サーチ・インサイド・ユアセルフ​​」「『SCM計画立案・遵守』の疑問」「経営改革大全」

もうすぐ待ちに待った、年末・年始の冬休み。ということで、今回はビジネスマン必読、というと言い過ぎだろうが、読むと少しは得するかもしれない3冊をご紹介します。冬の夜長のお供にどうぞ。


「サーチ・インサイド・ユアセルフ」 チャディー・メン・タン著


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サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

「 Googleの陽気な善人」——これが著者チャディー・メン・タンの、名刺に書いてある肩書らしい。 なかなか面白い肩書きではある。 従業員番号が107と言うのだから、同社のかなり初期からのメンバーだったのだろう。そのITの専門家が、なぜ瞑想=マインドフルネスに関する本を書くのか?

それはもちろん、瞑想が、理知的な仕事に携わるエンジニアの生産性や心理的安定性に、非常に良い効果をもたらすからだ。 そのことが数値的なデータとして実証されているのでなければ、Googleが会社として取り組むはずはない。

本書のタイトルとなっている「Search inside yourself」(SIY)は、 著者が中心となってGoogleで開発した、マインドフルネスとEQ(情動的知能)の自己育成プログラムだ。 自己の内面をサーチせよとは、いかにも検索エンジンの巨人らしいネーミングではないか。

ちなみにEQとは 心理学者ゴールマンが『EQ こころの知能指数』 で提唱した概念で、Emotional quotientの略だ。Emotionとは感情・情動のことだから、その活用能力を示す指数という意味になる。これは通常の知能指数 IQ (Intelligence quotient)と対比して使われる。

わたし達人間は、実はとても感情的な存在だ。それにもかかわらず、ビジネスは、特にテクノロジーに関わるビジネスは、合理性だけで進められているかのような感覚(錯覚)がある。 実際には仕事は人と人との間で協力しながら進めなければならない。そこに情動の果たす役割は大きい。

ところが、わたし達を内部からつき動かす、この感情・情動に関する「取扱い説明書」に類するものは、なかなかお目にかからない。というのも感情は、押さえ込もうとすると、別の場所から噴出したり、無視しようとすると、かえって注意を奪われたりと、なかなかコントロールしにくい厄介な性質があるからだ(なお、本書ではemotionを感情ではなく情動と訳しているが、ほぼ同義の言葉としてここでは使っておく)。

ではどうしたらいいのか。心を静めて、感情や思考の波が通り過ぎるのをゆっくりと観察し、自然な流れに任せて、余計な心的エネルギーを放出するのである。これを「瞑想」とか「マインドフルネス」と呼んで、一種のプラクティスに発展させたものが本書のテーマだ。

じつは、わたし自身、本書を読む以前から、3年ほどになるが、ほぼ毎日瞑想している。それで何か顕著な効果があったのか、素晴らしいひらめきでも生むようになったのか。実は自分でもよくわからない。あるような、ないような、である。ただ、以前の自分は、かなり怒りやすかったし、感情にしばしば動かされていたのに、自分でそれが見えていなかった。そのことに、自分で少しは気がつけるようになったのかもしれない。

ともあれ、我流のやり方では限界がありそうだ。そこで本書を読んでみることにしたのである。さすが、アメリカのテック企業生まれであるだけに、「サーチ・インサイド・ユアセルフ」は、非常に構造化され、順序だてて身に付くよう出来上がったプログラムである。座って行う瞑想だけではなく、歩く瞑想や、「マインドフルな会話法」など、日常生活で役に立ち、感情的なレジリエンスを高める方法論がたくさん載っている。

「マインドフルネスの練習を積むと、痛みと嫌悪が別個の経験であるのがわかる」(第5章)と著者は書く。これは賢帝マルクス・アウレリウスの言葉「なんであれ外界のものに苦しめられているなら、その痛みは、もの自体のせいではなく、それに対する自分の評価のせいだ。そして、その評価なら、いつでも取り消す力を私たちは持っている。」にぴったり対応している。

また、著者は人間が求める幸福感について、
・「快楽」
・「情熱」(フローとも呼ばれる)
・「崇高な目標」(自分より大きくて、自分にとって意味のあることの一部になる)
の3種類に分ける。その1番の違いは、持続性の違いだ、との指摘はとても鋭い。

瞑想と言うと、なんとなく宗教がかった、胡散臭いものに感じる人が多いと思う。だが、そうした捉え方は少しずつ変わっている。自分の心に向き合い、自分が制御しがたい感情とうまく付き合い、人との関係性を、よりストレスの少ないものにしていくためにも、ぜひ学ぶべきプラクティスだと思う。

「誰も教えてくれない『SCM計画立案・遵守』の疑問」 本間峰一・著


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良書である。著者の本間峰一氏は昔からの研究会仲間で、知人の本の批評をするのは難しいものだが、本書は安心してお勧めできる。

もともと、本書はPSI計画をテーマにする本として企画されたが、出版社が「SCM」をタイトルに入れたいとの意向で、こうなったらしい。

PSI計画とは、Production(製造)・Sales(販売)・Inventory(在庫)計画の略で、正販在計画ともよばれる。つまり製造業のサプライチェーンを横串に束ねた上位計画のことであるが、あいにく日本では、この用語や概念が、あまり普及していない。その一方で、コロナ禍や半導体問題など、サプライチェーンの混乱はかなり、ビジネス界の頭痛となっている。そこで、こうしたタイトルになったのだろう。

もともと90年代後半に、「サプライチェーン・マネジメント」の概念を、日本に紹介した先駆けの1人が、著者・本間峰一氏であった。1998年に、中村実氏(日本IBM・当時)や、わたし自身との共著で、SCM研究会名義の『サプライチェーン・マネジメントがわかる本』(日本能率協会マネジメントセンター刊)を上梓した。

しかし、米国発の需要予測や計画系ソフトウェアを中心としたSCMは、2000年の.comバブル崩壊とともにブームが去り、日本ではあまり語られなくなってしまった。「日本にはトヨタ生産方式という、立派なSCM文化がある」との思い込みもあって、海外での動向もあまり紹介されなくなった。

しかし、トヨタを真似た大手企業らが、製品在庫や資材在庫の削減を、強引に追求した結果どうなったか。過去2、3年のサプライチェーンの混乱が、欠品と言う形で製造を直撃することになった。

加えて著者は、販売計画の精度が、以前に比べ、かなり落ちたことを指摘している。その理由は、営業の仕事内容の変化である。第二章「販売計画を過信してはいけない」に詳しく述べられているが、商物分離の進展や、EDIの普及によって、卸売業者や営業マンが販売・物流に関与することが減り、そのため市場の需要に対する感度が、落ちたのである。加えて、大企業が出してくる先行内示の精度の低さ、さらにサプライチェーンのブルウィップ効果(半導体がその典型)等により、需要予測が極めて難しくなった。

加えて著者は、日本の製造業が過度に多品種化してきていることを問題に挙げている。これは極めて重要な指摘だが、このことを言う論者はとても少ない。品種数が増えれば増えるほど、需要の予測は難しくなり、在庫のコントロールも、適切な発注も、困難になる。もちろん、製造における段取り替えや切り替えロスも、顕著に増えていく。この問題に早く気づき、適切な手が打てるかどうかが、実は製造業のパフォーマンスを大きく左右するのである。

本書はさらに、一般的な生産管理システムが、実は日本の製造現場であまり有効に使われていない理由についても、わかりやすく説明している。ここら辺は姉妹篇の「誰も教えてくれない『生産管理システム』の正しい使い方」 のエッセンスを書いており、そういう意味でもお買い得な本である。

トヨタを表面的に真似しただけの、「ジャスト・イン・タイム購買」の問題点については、以前から著者は警鐘を鳴らしてきた。それは要するに在庫リスクを、大手がサプライヤーに押しつけるだけであり、結果としては見えないコスト高と、需給変動への対応能力低下を招く。

SCMのテーマは、「ジャスト・イン・タイム」から「ジャスト・イン・ケース」に移ってきている。それはグローバルなサプライチェーンの、予見不可能性が高まったからである。そこから身を守るためには、バッファーとして在庫を積極的に活用するしかない。そのための道しるべとして、PSI計画を学び、確立するべき時代が来たのである。


「経営改革大全」 名和高司・著


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経営改革大全 企業を壊す100の誤解


わたしの信頼する、ある経営者から勧められて、本書を手に取った。読んでみるとたしかに非常に面白く、読み手の思考を刺激する、英語風に言えば“Inspiring”な本だ。

著者の名和高司・一橋大学教授は、元々マッキンゼー出身のコンサルタントである。その著者が、まず経営にまつわる「通説」を紹介し、それを「真説」で掘り下げ、論駁するというスタイルになっている。

その通説がまた、巷間の旧来の経営論よりも1レベル上の、いかにも外資系戦略コンサルタントが言いそうな内容なのである。例えばESG投資を重視せよとか、ワーク・ライフ・バランスの実現が大切だ、とかいった主張だ。

それらを的確に批評しつつ、より高い見地から結論づける所が、本書の真骨頂だろう。上の例で言えば、ESGのG〔ガバナンス〕はまだ他律的だ、もっとパーパス(志)を内在化しなければダメだとか、ワークとライフを切り分けて対置するのではなく、ワーク・イン・ライフの視点を持つべきだ、という。つまり、通常の経営論よりも、2レベル上まで読者を連れていく訳​​である。

ROEを高めるためには、B/Sに現れない無形資産にもっと投資すべきだ、との議論も説得力がある。また、将来ビジョン策定では、2050年が重要だ、それは世界人口100億人とカーボンニュートラルとAIのシンギュラリティとの交差点だから、との指摘も虚をつかれた思いがする。

ちなみに著者の思想の中核には、センター(中枢)よりもエッジ(周縁)、仮想・デジタルより実物・現場、という発想があり、そこが英米系との違いを際立たせる。本書を読むと、日本で通用している経営思想が、いかに流行りものの輸入品であるか、を感じてしまう。

経営にはサイエンスとアートの二つの要素があると言われる(科学とセンスとも言い換えられる)。だが、コンサルはサイエンスのことを言いたがる。そうすると、どうしても中枢側・仮想側に引き寄せられるので、警鐘を鳴らしているのだと理解した。

加えて、著者・名和教授には、システム・ダイナミクス(SD)の考え方が、発想のベースにあるように感じる。ローマクラブ『成長の限界』はSDに基づいているが、若い頃、SDに関わったと書いておられるので、その時の体験が根底にあるのだろう。

本書は、先人の書物や発言への引用量がすごい点も印象的だ。もっとも、いささか言葉だけが踊っている箇所もあり、特に後半のリベラルアーツ的な内容の部分に、それを感じる。

とはいえ、扱う範囲は広く、視点も高く、経営問題を勉強するにはとても有意義な本である。安心しておすすめする次第である。


# by Tomoichi_Sato | 2023-12-17 00:16 | 書評 | Comments(0)

お知らせ:『第4次産業革命ものづくりビジネススクール』でSCM導入戦略コースをレクチャーします

お知らせです。文科省の進める社会人向けリスキリング教育の一環として、わたしが幹事を務める(財)エンジニアリング協会「次世代スマート工場のエンジニアリング研究会」 が中心となり、『SCM導入戦略コース』全20コマのレクチャーを行います。

これは文科省の委託を受けて、北九州工業高専が実施する『第4次産業革命ものづくりビジネススクール』の一環として設置する、社会人向けコースの一つです。開催場所は北九州市ですが、ハイブリッド形式ですので、全国どこからでもリモート参加できます。しかも今年度に限り、無償です。製造業のサプライチェーン・マネジメントに関心ある方は、ぜひご参加ください。→(申込み先リンク

この第4次産業革命ものづくりビジネススクールとは、HPにもあるように、製造業の課題解決のために、「デジタルものづくりによるバリューチェーンの⾼度化」を⽬指す、製造マネジメント⼈材の育成スクールです。サプライチェーンとエンジニアリングチェーンを包括した「バリューチェーン領域」を網羅的に学習できるカリキュラムになっており、ものづくり企業のDXを加速させるマネジメント⼈材を育成することを目指しています。

カリキュラムの全体は、3コースにより構成されています。
①学習レディネス醸成コース(10時間): 野村総研+PTCジャパン
②SCM導入戦略コース(20時間):エンジ協会(ENAA)研究会メンバー
③PLM導入戦略コース(20時間):ダッソー・システム+シーメンス

修了認定を受けられる「正規受講」は、上記①(必修科目)に加えて、②③のいずれか、ないし両方を受講します。ただし②や③のみの部分受講も可能です(いずれも無償)②SCM導入戦略コースの受講申込期限は来年1月10日です。(ちなみに正規受講の申込期限は12月7日でした)

SCM導入戦略コースの授業実施日は、下記の4日間となる予定です。週末(金曜午後~土曜終日)の短期集中型で社会人が受講しやすい授業方式をとっています。
1/26(金) 13:00~17:30
1/27(土) 9:00~16:40
3/1(金) 13:00~17:30
3/2(土) 9:00~16:40

前半の2日は、主にサプライチェーン・マネジメントの概要と理論を、また後半の2日は業界別事例やソリューション紹介に加え、グループ演習でSCMの理解を深めます。演習にはゲーム要素も加えることを考えています。

講師陣としては、松本卓夫様(M2テクノロジー代表・元雪印メグミルク)、松川弘明教授(慶應義塾大学管理工学科)、鍋野敬一郎様(フロンティアワン代表)、川村武也様(ENAA・三菱重工より出向)、小生(佐藤知一)のほか、アカデミアと実務に詳しいメンバー約10名で担当する予定です。

ちなみに、すでに本サイトでもご案内したとおり、当研究会では今年、W・ホップ著『サプライチェーン・サイエンス』 を共同で翻訳・刊行しています。この本の背後にあるのは「工場物理学」と呼ばれる科学で、工場や拠点をまたぐサプライチェーンのみならず、工場内でも十分活用すべき考え方です。米国の製造業の実務層では、かなり普及しているにも関わらず、日本ではほとんど知られていない状態のままでした。今回のSCMコースでは、その内容のエッセンスもお伝えすることにしています。

繰り返しになりますが、本コースは無償でオンライン受講できます。製造業のサプライチェーン・マネジメントに関心ある大勢の方のご参加をお待ちしています。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2023-12-08 22:13 | サプライチェーン | Comments(0)

スマート・ファクトリーとはMESを活用する工場である

前回の記事では、「スマート工場に学問的な定義はない」と書いた。この条件を満たせばスマート工場だ、と世界のアカデミアが共通して認めるような基準は存在しない、という意味だ。

だから、既存の機械や設備に、何かちょっとした新しいデジタル技術的な要素を付け加えれば、誰でも「うちの工場はスマート工場です」と主張できることになる。”そんな程度じゃスマートとは言えないだろ”、と他者が批判することも、難しい。そうした状況が、何年も続いてきた。

しかし、ここであえて、わたしは新しい定義を提案したい。それは、こういうものだ:

「スマート・ファクトリーとはMESを活用している工場である」

このような主張に、多くの人が賛同してくれるかどうかは、知らない。MESベンダーはまあ、それなりに賛成してくれるだろう(反対はするまい)。だが、IoTセンサーやエッジシステムのベンダー、ロボットメーカーやマテハン設備メーカーは、顔をしかめるかもしれない。彼らの製品を導入すれば、スマートな情報化や機械化が進む、との営業トークと、相容れないからだ。

もちろん、わたし自身はIoTセンサーや、エッジ、ロボット、マテハン設備の普及に水を差すつもりは、さらさらない。勤務先の仕事でも、必要に応じて顧客にそうした仕組みを提案してきた。ただ、それらを入れれば「スマート工場です」と言いうるか、が問題だ。台車を手で押していく代わりに、AGVが部品を運べば、スマートなのか。つまり、スマートとはどういう意味か、を問うている。

それは、人間をはじめとする生き物を考えれば、分かりやすい。我々には脳があり、中枢神経系があって、それが末梢神経を通じて、筋肉を動かし触覚視覚などの情報を得ている。つまり、集中した情報処理機能があるわけだ。脊椎動物はみな、そうだ。

これに対してもっと原始的な動物類では、全体を統括する情報処理機能がない。体の各部分が、ローカルに反応や運動指示をしている。だがそうした仕組みでは個体が、経験から学んだり考えたり、ということが難しい。つまり、あまりスマートとは言えない。ここまでは同意いただけると思う。

さて、仕事柄いろいろな工場を訪問してきたが、日本のマジョリティをしめる機械加工・組立系(ディスクリート型)工場には、かなり共有する問題がある。それは、モノの扱いである。材料や仕掛品など、工場の中で扱うモノは、それが固体である限り、どこにでも置けてしまう。置けてしまうから、「探す」ということが生じる。所在管理が必要になる。そのために、全体の在庫数量が把握しにくくなる。

しかも場所や数量だけでなく、モノの動きも捉えにくい。これが流体を動かすプラントなら、配管に流量計や調整弁がついている。だが、ディスクリート型工場では、そうしたモノの動きや速度を、総括して捉える方法がない。もちろんコンベヤやAGVですべてを運ぶなら別だが、大抵のモノは手でも運べてしまう。

そしてモノの動きが捉えにくいということは、工場内物流の無駄が生じても、分かりにくいことを意味する。

その結果、我々エンジ会社にとって困るのは、工場設計、特にレイアウト設計の良し悪しが、分かりにくいということだ。工場レイアウトは、工場内のモノの動きを規定する。良いレイアウトは、ムダな動きを低減する。しかし、ムダかどうか分からないなら、良し悪しも言えない訳だ。

わたしのよく使うたとえだが、もし家庭の台所が1階と2階に分かれていて、冷蔵庫と流しは1階にあり、ガスレンジが2階にあったら、いかに使いにくいか想像できるだろう。ところが日本の工場は、敷地の問題で多層階になっているところが多いのだが、そういう風に物流動線が分断され錯綜していても、それを問題と感じにくい。なぜなら、そこの工場は、もともと最初からそうなっていて、働いている人たちも、そんなものだと思いこんでいるからだ。

そして、モノの所在や動きが捉えられないという状態は、結果として、工場の操業状態が全体として見えにくい状況を生み出す。各工程の進捗や負荷状況も見えにくい。生産性や品質向上のデータもとりにくい。だから適切な指示や変更が出しにくい、ということになる。

そうした工場では、しばしば現場に「進捗追っかけマン」という職種が必要になる。生産管理において、何がどこまでどう進んでいるかを、中枢神経的につかめないから、現場を走り回って、状況を調べて追いかける職種がいるのだ。

 スマート・ファクトリーとはMESを活用する工場である_e0058447_10153886.png

工場において、生産管理とか生産技術、品質管理や購買などのスタッフ・技術職は、しばしばフロアを見下ろす、中2階のオフィスにいるので、「中2階の人々」と呼ばれる。中2階の人々は、本社から来る計画・指示を、各工程・現場・業者に展開して「つなげる」のが仕事だ。そして各現場の情報を総合して、納期や進捗や在庫を本社に返す。工場の中枢神経の役割といってもいい。

その中枢神経が、末梢神経とデータでつながっていない。だから「進捗追っかけマン」が必要になる。ここでいう末梢神経とは、個別の工作機械や製造装置、ロボットやマテハン設備など(に装備されているPLC)を指す。というのも、日本の多くの工場では、製造のための設備や工作機械は、それなりにNC化ないし自動化されているからだ(なお、上の図では勤務先のグループ企業のHPから機械設備の例を引用させていただいた)。もちろん手作業の多い現場では、働く人の目と脳が、末梢神経に相当する。

そして本社はいわば、大脳の前頭葉だ。それが工場の中2階にいる中枢神経系を通して、現場とつながっていて、状況がほぼリアルタイムに分かる。それが、製造業がスマートな状態であるといえる、最低限必要な条件ではないか。

現状、日本の多くの工場では、現場の各工程と中2階が、データ通信の形でつながっていない。つなげるのは人間系だ。だから設備や材料に大きなトラブルが生じたとき、あるいは需要に変更があったとき、対応に時間がかかることになる。もちろん対応自体はできている。ただ、時間がかかる。そして、ひどく工数がかかる。スタッフも人手が足りないのに。

せんじつめると、こうした工場のあり方は、工程の集合体であって、スマートなシステムではない、ということになる。

では、中枢神経と末梢神経をつなげるのは何か。それがMES(Manufacturing Execution System = 製造実行システム、あるいはMOM: Manufacturing Operations Manangementともよぶ)なのである。

現場の末端の情報が、中枢神経系に運ばれ、判断や予測に使われる。そして脳からの指示は神経系を通して、末端に降りていく。この双方向の情報伝達によるサイクルが、きちんと、それなりのスピードと正確性を持って、回っている。これがスマートであることの必要条件ではないか?

とはいえ、こうしたことはバランスの問題でもある。MESのようなITシステムばかりが立派で、現場は生産性の低い単純労働だらけ、という工場は、別の意味でスマートとは呼びたくないだろう。ただ、日本では逆のケース、つまり現場業務は立派だが、情報系が弱いケースの方が圧倒的に多いから、こう書いているのだ。

もちろんMESがかりに入っていても、活用されていなければ、価値は乏しい。ある人のスポーツ能力(たとえばゴルフでも何でもいいが)を測るのに、その人がどういう立派な道具を持っているかだけでは、評価できない。その人が、その立派な道具をちゃんと使いこなしているかどうかが問われるのだ。

ということで、あらためてここで主張しておこう。スマート・ファクトリーである必要条件とは、MESを活用している工場であることだ。


(追記)
わたし達の『次世代スマート工場のエンジニアリング研究会』では、現在、日本の製造現場の実情に即した、MESの標準機能の再定義、という活動を始めている。これは現在、しばしばRFPなどで引用されている「MESの標準11機能」というリストが、使いづらく、かえって導入時の混乱の原因にさえなりかねないからだ。

この11機能のリストは、20年以上前にMESA Internationalが策定したものがベースになっており、問題点については以前もこのサイトで指摘したことがある。

ただ、批判だけしていても世の中は前に進まないので、あえて自主的に提案を作ろうと考えている次第だ。こうした活動に興味のある方は、研究会までよろしくご連絡ください。


<関連エントリ>
「『次世代スマート工場のエンジニアリング研究会』が目指すこと」

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# by Tomoichi_Sato | 2023-12-02 10:18 | 工場計画論 | Comments(0)