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通常のリーダーシップ教育だけでは、プロマネ育成はできない

  • プロジェクトとは何か〜その定義

先週の金曜日、京都経済フォーラムで「関西設計管理研究会」(略称KEAC)に呼ばれて講演させていただく機会を得た。テーマは『エンジニアリング・マネジメントの役割と価値 〜 プロジェクトの視点から設計をとらえ直す』である。幸い活発な質疑を得て、それなりに好評だったのではないかと感じている。

テーマは設計業務をたばねるエンジニアリング・マネージャーの仕事だったが、前提として、プロジェクトとは何か、という説明から入った。設計という仕事には、厳密な意味での繰返し性がない。すくなくとも、全く同一の図面を繰返し作成するということは、決してしない。これは工場の製造業務と対照的である。工場では同一の部品を繰返し作る。その繰返し性が、PDCAサイクルによる改善の基礎となっている。

ところで、世界で最も通用している「プロジェクト」の定義は、PMBOK Guide(R)による、「独自の製品、サービス、所産を創造するために実施される有期性の業務」という定義だろう。冒頭の『独自』の原語は Unique で、これはつまり、全く同一のものは他に無い、という意味である。だとすると設計業務は全て、プロジェクトといえるのだろうか?

わたしの答えは、留保付きのNOである。ある種の条件がそろえば、設計業務はプロジェクトとなる。上記の抽象化されたプロジェクトの定義では分かりにくいのでは、わたしは普段、学生などにはこう説明している。「プロジェクトとはある種の活動で、次の三つの条件を満たすものである」

  • 達成すべきゴールが決まっている (完了条件)
  • 複数の人間が協力して行なう (協力条件)
  • 失敗のRiskを伴う (リスク条件)

これらがなりたてば、その活動はプロジェクトと考えることができる。そして、プロジェクト・マネジメントの手法を適用すると、効果的である。


  • プロジェクト vs. 定常業務:ここが違う

プロジェクトの最大の特徴は、達成すべきゴールが決まっている、終わりがある仕事だ、という点だ。これをPMBOKなどはTemporary(有期性の・時限的な)と表現している。言いかえるとプロジェクトは、終わるために努力する仕事である。ところが、ふつうの仕事(これをプロジェクトと対比するために『定常業務』と呼ぶことにする)は違う。定常業務とは終わらないために努力する仕事である。我々の毎日の仕事は、会社が終わってしまわないように努力している。方向性が真逆なのだ。

ゴールがあるために、プロジェクトには『進捗』の概念が必要になる。これも定常業務との違いだ。定常的な業務をしている、例えば銀行の窓口に行って、「今日の進捗はどれくらいですか?」と聞いても、答えは返ってくるまい。だがプロジェクトでは、進捗を正確に、できれば数値化して、把握したい。

またプロジェクトは1回限りのユニークな存在であるため、通常の意味PDCAサイクルが成り立たない。改善すると言っても、前回と条件が違うのだから、何を比べるのか。

加えて、プロジェクトのチームは「その場限りの」(Temporaryな)組織である。 普通の会社の部門は、基本的に全て永続的な組織だ。 実際には組織改編などもあり得るが、設計を担当する技術部門が、来年は急に消失するかも、などとは誰も考えない。永続的な組織では、人の育成や人事評定、昇進などが非常に重要になる。 その場限りのプロジェクトチームでは、これらは必ずしも重要ではない。大事なのは各人の現在の技量とパフォーマンスである。どんなに優秀でも、「終わるための努力」に役に立たなければ、プロジェクトチームにとって価値は無い。


  • 定常業務のマネジメント研修は役に立たない

1つ目の条件だけでも、これだけの違いが見えてくる。プロジェクトは定常業務とは相当に異なる仕事だとわかる。それなのに製造業を始め、多くの企業では、定常業務とプロジェクトの違いを理解しないまま、様々な施策を進めてしまう。

新たに部下を持ったり後輩を指導する立場になったりした中堅層に対して、新任管理職研修やリーダーシップ教育を行う企業も多い。内容としては、ビジネス系の知識教育と、「心構え」「人間力」系のスキル教育の組合せだろう。知識教育といっても経理と設計と営業では業務知識が全く異なるので、集合研修では主に、会社経営とか財務などの共通知識になる。無論、KPI目標設定をしてPDCAサイクルを回せとか、部下の育成評価手法といった、共通的なマネジメント論も含まれる。

しかし、こうした定常業務のマネジメント手法が、プロジェクトにうまく当てはまらないのは、上に述べたとおりだ。プロジェクト・マネジメントに固有の、スコープをWBSに構造化するとか、チーム組織と役割・責任マトリクスを作るとか、実行予算表を作って実績出費と進捗率とETCを追いかけるとかいった、特有のマネジメント手法の知識は手薄なままだ。

そもそも会社自体が、そうした領域のマネジメント技術の存在をよく理解していない場合も多い。知らなければ教えることはできない。教わらないから、プロジェクトのリーダー達も、PDCAサイクルとKPI測定とか、部下の動機付け(プロジェクト・チーム員はプロマネの部下とは限らないのだが)といった手法で立ち向かうことになる。

だが、当然ながら各人が真面目に一所懸命に頑張っても、なぜだか成果が上がらなかったり、度重なる変更やスケジュール遅れでモチベーションが下がったりしていく。プロジェクト・マネジメントとして必要な対策を、適切なタイミングで打てていないからだ。それはちょうどオーケストラに対して、指揮者が適切なタクトを振れずに、演奏がバラバラになっていくのに近い。これを、「気合いと根性」で解決できるだろうか?


  • PMに必要なハード・スキルとソフト・スキル

プロジェクト・マネジメントの能力は、じつはプロマネ個人の能力だけでなく、プロマネを支える組織全体の能力である。図は以前の記事からの再掲だが、プロマネが仕事を進めるためには、プロジェクトに向いた業務手順やWBS体系、適切なPMソフトウェア、そして過去プロジェクトのデータなどが必要だ。これはプロマネ個人の頑張りでカバーできるものではない。

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かりにプロマネ個人の能力に限っても、そこには知識中心のハード・スキル面と、「人間力」みたいに総称されるソフト・スキルの面がある。ハード・スキルは座学で伝えやすい。だから育成ではまず、こちらを勉強してもらうべきだ。わたしは複数の大学でPM講義をしているが、75%以上の時間は、この知識面を伝えるのに使う。拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」も、ストーリー仕立てにはしたが、この面が中心だ。

しかし「人間力」的なソフト・スキルは違う。コミュニケーション、交渉、決断、問題解決といったソフト・スキルは、知識伝達だけでは不十分で、繰返し練習しないと身につかない。その練習の場は、職場が用意する必要がある。

もちろん一般のリーダーシップ教育でも、ソフト・スキル面はある程度、カバーするのが普通だ。コミュニケーション、信頼関係構築などは定常業務でも必要だからだ。しかし、プロジェクトのアウトカムから適切なアウトプットを導き出す「構想力」や、必要なアクション群とリソースを導出する「計画力」などは、おそらく十分ではない。

普通の会社のための、普通のプロジェクト・マネージャーはどうあるべきか。最近はこの問題を考え直している。旧著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」についても、できれば改訂版ないし続編を構想しようと思っている。通常のリーダーシップ教育だけでは、プロマネ育成には不十分なのだ。多くの企業がプロジェクトの進め方について悩む中、わたしのささやかな知見が役に立てられれば、と願っている。


<関連エントリ>

# by Tomoichi_Sato | 2026-03-29 23:25 | B プロジェクト・マネジメント(PM) | Comments(0)

書評:「毎日あほうだんす〜横浜寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界」 トム・ギル著

「毎日あほうだんす〜横浜寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界」(Amazon)(版元:キョートット出版

書評:「毎日あほうだんす〜横浜寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界」 トム・ギル著_e0058447_09280715.jpg
(キョートット出版HPより画像引用)

この本をどこで知り、入手したのか、今ではよく思い出せない。手元の本の奥付を見ると、第1版が2013年出版、そして2021年に「完全版 第2刷」とある。だからコロナ禍の最中に、どこかの展示会で買ったかネットで注文したのだろう。発行所は「キョートット出版」という、半分冗談みたいな名前の、京都市北区にある出版社だ。ペーパバックの簡易な装丁。決して高級感のある作りではない。


しかし、わたしにとってこの本は衝撃だった。本書は、英国出身の社会人類学者Tom Gill氏(現在は明治学院大学教授)による、「一人民族誌」である。ある特定の一人に密着し、その生活史から民族や社会のあり方を記述する。彼はこれを、横浜寿町に住む日雇い労働者・西川紀光という人に依って行う。(本の表紙の後ろ姿、左が西川紀光、右が著者)


西川紀光は、陋巷に居る無名の賢者である。彼が最初に著者トム・ギルと会ったときに、こうたずねる。「ね、ハロルド・マクミランが首相を辞めた後、誰が継いだ? ハロルド・ウィルソン? それとも、エドワード・ヒース?」 1993年のことだ。ちなみにマクミラン、ウィルソン、ヒースの3人は60年代の英国の政治家であるが、読者はご存じだろうか。そして彼は、相手が英国人だからこの質問をしたのであって、フランス人だったらきっと別の質問をしただろう、と著者はいう。


紀光はさらに、寿町の喫茶店で、著者にハイゼンベルクの不確定性原理を、ΔxΔp ≧ h/2という式を使って説明する(hはディラック定数なので、hの上には横棒が入る)。そこから彼は、「社会不確定論」を語る。


横浜の寿町は、日本でも有名なドヤ街である。港町横浜の港湾労働者がたむろし、住む街であった。寄せ場ともいう。「ドヤ」とは「宿」をひっくり返した隠語で、いわゆる簡易宿泊所を指す。日雇い労働者が寝泊まりする場所。敷金もいらず身分証明も求めない。今日の寿町を歩くと、あまり周辺地区との顕著な違いが分かりにくいが、昔を知っている人は、随分変わったという(本書の最後の方で著者も詳しく書いている)。港湾労働の需要自体が減ったので、現在住んでいる人たち(ほとんどが高齢者)は福祉の対象である。


しかし、昭和時代はそうではなかった。地方の農村社会が、人口増加と工業化によって、余剰となった人びとを吐き出し、都会に吸い寄せられていった時代だ。西川紀光は熊本出身。1940年に生まれ、5歳で敗戦を経験。高校を出て自衛隊に入るが、任地の北海道で怪我をして指が少し不自由になり、隊をやめて横浜に行く。ただし人を刺して2年半刑務所に入っていたこともある。ずっと独身で、ドヤに暮らし、必要なときに働いて、好きな本を読み、焼酎を飲む。晩年は病気だったが、なくなる2年前の2013年に本書の初版を見ている。


本のタイトルにある「あほうだんす」は、哲学用語のアフォーダンスAffordanceである。最初、著者のギルは「阿呆ダンス」かと誤解したらしい。Affordとは、提供する、の意味で、デザイン心理学では機能的な価値や与えられた可能性を指し、もう少し広げると個人を取り巻く環境の全体像をいう。少し言い方を変えれば、運命ともいえる。紀光は主にこの意味で使っていたらしい。毎日が、生きていくので精一杯。これが「毎日あほうだんす」の内容である。


それにしても、博識とは何なのだろう。西川紀光は三畳一間の狭い空間に本を積み上げて、よく読んでいる。理解力と記憶力にも恵まれている。人間の頭の良し悪しと、一流大学を出た出ないは、さほど強い相関がないと、わたしはよく感じる。それよりも、与えられる正解に頼らず、自分で考える意思があるか、自分で学ぶ覚悟があるか、の方が大事だ。彼は体系だった思想家とは言えないにしても、鋭い視点をもつ批評家である。だからこそ、英国出身の若い学者を引きつけたのだろう。


だが、彼のような人間が片隅で暮らせる場所は、今の日本に無くなってきている。アフォードの余力が、社会になくなっているのだ。リベラル・アートとか人文知といった言葉も流行りはじめているが、彼が自分を守る力になっただろうか。


知識が、徳への指向と結びついたものを教養と呼ぶ。教養とは、有徳への道の一つだ。知識が教養にならない人を、オタクという。西川紀光という人は、自分が有徳者とはけっして思わなかっただろう。人を刺してムショに入った経験も持つ(ただし彼は自分のためでなく、他人が被った盗難の犯人と信じて暴力に及んだのだが)。では、今の世の中に教養は存在するのか。一流大学を出て舶来のバズワードを振り回すだけの無教養な人間が、大手を振って歩く社会が、今の日本ではないか。そういう愚かな社会への鋭い針先として、彼のような存在が光るのである。



# by Tomoichi_Sato | 2026-03-18 09:37 | G 書評 | Comments(0)

インフレとサプライチェーン途絶時代の資材調達・在庫を考える

  • サプライチェーンの危機とエネルギー・インフレのリスク

この文章を書いている現時点で、ホルムズ海峡は事実上の閉鎖状態にある。いつまでこの事態が続くか、予測は難しい。少なくともわたしには、分らない。中東の事態は毎日急変しており、WTI原油価格は100ドルを超えたり乱高下している。わたしは石油よりむしろ、中東の現場で勤務している同僚や仲間達の安全を、何より危惧している。

しかし多くの人々の関心事はやはり、エネルギー価格の高騰や、サプライチェーンの不安定化にあると思う。中東産の原油や石油製品・LNGの国際輸送の出口は、ほぼペルシャ湾にある。そのボトルネックに位置するのが、ホルムズ海峡だ。ここを迂回するための陸路パイプラインも存在はするが、キャパシティはずっと小さい。

日本にとって深刻なのは、それなりの備蓄量を持つ石油よりも、むしろ電力用のLNGだろう。いったん液化したLNGは、普通のパイプラインでは送れない。LNGは燃焼カロリーあたりの二酸化炭素排出量が石油より小さく、比較的クリーンだが、極低温で超高圧のため、輸送も貯蔵も特殊設備を要し、簡単に増強できない。したがって元々、LNGサプライチェーンはフレキシビリティが小さい。供給途絶に弱いのである。

その性質は、電力網ともすこし似ている。大規模発電所と高圧送電網を中心とした系統電源もまた、ルートや設備が固定されていて、かつ、備蓄が難しい。そして肝心な原料は輸入依存だ。そういうインフラの上に、我々の産業社会は成り立っている(データセンターで動く生成AI等を含めて)。


  • インフレ時代の、ある企業の事例から

ここまで書いて、思い出したことがある。日本のあるメーカーが過去、似た状況下でとった行動だ。今から半世紀近く前の1979年、第二次石油ショックが世界を襲った。このときも、震源地はイランだ。革命によって旧体制が倒れ、石油供給が停止したため、原油価格が倍以上に跳ね上がった。シャー・パーレビ(日本ではパーレビ国王と訳されているが、シャーは「皇帝」の意味)の旧体制がどういうものだったか、ここでは書かない。イランとアラブの区別すらつかない人が大多数の日本で、中東の社会や政治を手際よく説明するのは難しい。

ともあれ、世界は急激なインフレの波に襲われた。インフレとは資材価格が上昇するだけでなく、入手までの納期が長く、見えにくくなる状態を指す。これに乗じて、生活必需品などの買い占め・売り惜しみに動く連中が出るから、逼迫は一層ひどくなる。

このとき、日本のある機械メーカーは、自社に必要な部品材料を、短期間に大量発注した。相場的投機のためではない。専用の機械部品や鋳物などは、転売しにくい。生産確保による自衛のためだ。大量発注といったが、個別の量は少ない。ただ品種が多いのだ。多品種少量の機械製品だったからだ。

当時、まだERPなどというパッケージソフトはない。そもそも、生産管理や資材購買に汎用コンピュータを使うこと自体、珍しかった。だがこの会社は、自社開発でシステムを持っていた。だから大量の発注伝票を一気に出せたのだ。これが他の会社のような手書き伝票では、数千数万もある部品群から、適切な品目を選んで、倉庫に入りきる量を計算して発注するなど、それだけで一月も二月もかかったろう。その間に、資材などどんどん値上がりしていく。


  • インフレ時期の調達・在庫行動とは

インフレの時期には、原材料・購買部品の在庫を、早め・多めに抱える必要がある。単価も上がり、納期も伸びるからだ。デフレの時代は、その逆になる。単価は落ち気味、納期も早い。だから極力、生産に引きつけて発注する。いわゆるJIT(ジャスト・イン・タイム)納品やJIT購買は、価格安定期や不況期に成り立つ方策だ。インフレになったら、別の方針をとらなければならない。だが、この政策変更を機敏に行える経営者は、決して多くあるまい。

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上記の会社の経営者は、「在庫をミニマムにする計算機システムを逆に使って、在庫最大化を図った」と、外部には説明していた。しかし在庫管理システムの内部構造を考えると、話はそれほど単純ではないはずだ。どの品目をどれだけ抱えるか、平均使用量と金額と倉庫キャパシティを考えて、特別にプログラムを書く必要があっただろう。ともあれ、それを指示して、短期間に発注をかけることで、たしかこの会社はインフレ期間を減収増益で乗り切ったと記憶する。

たいていの生産・在庫管理システムには安全在庫量や発注点の設定機能がある。だが、この機能を活かしている企業は、決して多くないという印象がある。わたしが生産計画の入門セミナーをする際には、最初の方で必ず、在庫の話をする。在庫にはストック在庫とフロー在庫があること、また計画在庫と偶発在庫があること、そして在庫には3つの機能がある事、などだ。こういう基本的な理解抜きに、在庫を「管理」しようというのは無謀な話だ。だがこうした基本抜きに、「在庫削減」の掛け声だけまかり通る企業が、いかに多いことか。

意図せぬ欠品を防ぐための「安全在庫量」には、もちろん在庫理論の計算式がある。経済的発注ロットサイズ、いわゆるWilsonの経済的発注ロットサイズの計算法もある。ただ、これらをよく知らない企業は案外多い(残念ながら「管理」は文系の仕事だと思っているらしい)。かりに知っていても、サプライチェーン混乱期に、これらを単純に適用すると、かなり多めの数字になってしまう。だからこそ、主要なストック在庫ポイント(カップリング・ポイント)の位置決めや、在庫や調達手配のノウハウの有無が、利益に直結するのだ。


  • 日本企業にとっての二つのハードル

それでも10年前に比べると、在庫に対する考え方は、明らかに変わってきた。2010年代は「在庫は悪」と単純に信じる人がほとんどだった。しかしコロナ禍とウクライナ戦争等のサプライチェーン脆弱期を経て、ようやくその思い込みは、原材料・購買部品には必ずしも当たらない、と感じる人が増えたのだろう。とはいえ日本の製造業が、上記の企業のように機敏に動くためには、大きく二つの障害があるように思えて仕方がない。

その一つは、JIT生産が良い、在庫は悪、という信条である。これは、有名なトヨタ生産方式を、前提や状況の違いを無視して、無批判に真似ようとする態度に支えられて広まった。しかし、生産マネジメントの世界では、つねに複数の相反する目標値が存在し、状況に応じて優先度を変えなければならない。

そして元祖のトヨタ自動車自身が、各部品の調達条件を踏まえて、実は1~4カ月分の在庫を持っていると公表する(2020年度第3四半期の決算会見)に至って、ようやく「在庫=悪」の信条は揺るぎ始めた。

ただし、インフレ下で適切な在庫・調達に動くムーブを止める、もう一つの要因がある。それは、工場がコストセンターとして別会社化されているケースが多いことだ。在庫を増やすには、資金が要る。在庫は、マクロ経済的には投資である。だが、このような投資的判断を、工場自身が決められないのである。ミクロな会計的に見ると、原料部品在庫の積み増しは、コスト増加要因でしかない。それでも本社は、「一時的なコスト増は容認するから、早く購買手配を掛けろ」と指令を出すだろうか? 減点主義の官僚組織から、そのような指示は出てきそうもない。

見かけ上、いったんは損になっても、長期的な得を目指すような策は、「戦略」である。貴方のところに、経営者からそのような戦略指示は下りてきているだろうか。調達サプライチェーンを見通して、そのような戦略的判断ができる経営層がどれだけいるのか。それが製造業にとって、この先の分かれ道になるはずだ。


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# by Tomoichi_Sato | 2026-03-11 18:48 | A3 在庫・調達計画 | Comments(0)

大日程・中日程・小日程計画と、生産スケジューリングのレイヤーとの関係を理解する

  • 大日程・中日程・小日程計画とは

世の中には、教科書に書いてあるのに、実務ではあまり出会わない用語が時々ある。「生産統制」なる言葉は、その一つだ。わたしは 毎年大阪で「生産統制」を テーマとしたセミナーを行っているが、生産統制部とか統制課とか統制係という所属肩書の人は、参加者に過去1人もいなかった。そういう名前の部門は、製造業にはほとんど存在しない、としか思えない。生産管理の教科書は、「 生産管理=生産計画+生産統制」だと書いてあるにもかかわらず、である。

似たような違和感を、わたしは「大日程・中日程・小日程計画」なる言葉に対しても感じている。自分の経験した範囲では、この3種類の名前で計画を使い分けている企業は、ほとんどなかったからだ。なぜだろうか?

教科書的には、大日程・中日程・小日程計画は、計画対象期間のスパンと目的によって、下記のように分類されている。

  • 大日程計画:半期〜1・2年程度。予算計画とも。目的は生産資源(人・設備等)の戦略判断
  • 中日程計画:1ヶ月〜半期程度。月次計画とも。目的は個別納期や在庫量の管理
  • 小日程計画:1週間〜1ヶ月程度。日程計画とも。目的は作業順序の判断調整

本や情報源によって、多少のブレはあるが、ざっとこんなところだ。 計画のスパンだけでなく、粒度(目の細かさ)でいうと、大日程=月単位、中日程=日・週単位、小日程=時間・日単位、みたいなことが書かれている。

でも本当だろうか? わたしは産業機械や航空機製造業界とも仕事をしているが、こうした分野では、1つの製品や大型の部品モジュールを作るまで、1年半とか2年かかるような場合が結構ある。 では、こうした製品を受注して、日程展開をかけた結果は、大日程なのだろうか、中日程なのだろうか? 上記のような区分は、製品を作り上げるまでのリードタイムが1〜2ヶ月程度の、自動車業界や家電業界の感覚から来ているのではないかと感じる。


  • 多くの工場には二種類の生産計画があり、しかもズレている

日本の製造業のものの考え方は、昭和の高度成長期を牽引した自動車産業や家電産業の影響を、強く受けている。 生産管理の教科書の記述にも、そうした影響が現れており、典型例がここにあげた生産計画の3分類ではないか、とも思う。しかしそれはすべての業界に合致するわけではない。自動車業界で大成功した生産方式があるからといって、他の業界が無批判に取り入れて真似る傾向については、当サイトでも以前から批判してきた通りだ。

ところで、中日程・小日程といった用語は必ずしも使わないとしても、わたしが 見た限りでは、工場の内部に2種類の異なった生産計画が動いているケースを、非常に多く見かける。しかもほとんどは、両者の不整合に苦心しているのだ。一つは、生産計画システムとかERPとかの内部にある、生産計画である。もう一つは、Excelで作成されたり、現場のホワイトボードに手書きされたりしている、より詳細な生産スケジュールだ。

前者はいわば、公式の計画であり、工場の製造部門だけでなく 営業部門や本社の管理部門もそれを参照できる。後者は逆に非公式なスケジュールで、しかし実際の現場はそれに従って動いている。前者はふつう、日単位の計画である。後者は日単位だったり、より詳細な時間単位だったりする。 多くの現場では、1日に複数の品目を製造するので、後者は順序計画の機能も兼ねている。

その二つが、すなわち中日程と小日程計画を指すのだと、教科書を学んだ人は思うだろう。 ではなぜ、この二種類の計画には、ズレとギャップがあるのだろうか? ある品目は、前者の公式計画では月曜日に製造することになっているのに、現実には後者の非公式計画で金曜日に作られたりしている。大日程・中日程・小日程の関係は、粒度を上げて詳細化したものだ、と言う話ではなかったのか。内容が異なっても良いと、教科書には書いてあるのだろうか。


  • なぜ両者は合わないのか?

公式な計画から非公式な現実がずれていく理由は様々である。例えば、部品材料の納入が予定よりも少し遅れた、機械のトラブルで終わるべきタイミングがずれてしまった、特急割り込みがあり後ろにずらさざるを得なかった・・などなど。 そのたびごとに、現場のチーフたちは、非公式の計画を現実に合わせて書き換えているわけだ。

営業担当者たちも、工場が公式な計画通りには動いていないことを知っている。だから、自分が担当する顧客の重要なオーダーについては、納期が実際にはいつになるのか、工場にいちいち連絡して確認せずにはいられない。Excelの日程表や ホワイトボードは、工場の外からは見えないからだ。 納期が遅れそうだったら、他の品目を後回しにして、自分の顧客を優先してくれとねじ込むだろう。その営業マンの発言力が強い場合、現場はそれに合わせて、また非公式な計画を書き換える。実にすりあわせ型のビジネスだ。かくて公式な計画と非公式な現実はどんどんずれていく。

だったら、公式な生産計画の方をちゃんと書き直したらいいじゃないか。あなたがもし、工場から遠く離れたところで働く、しかも論理的な人だったら、そう考えても不思議ではない。でも、それはできない。そこには簡単な理由がある。公式の計画は、既にリリースして、製造指図や購買発注書などの「オーダー」を、現場や サプライヤーに対して、発行してしまったからだ。


  • ズレが生じる根本の理由=確定と発行

「計画」と我々が呼ぶものには、実は2種類のステージがある。 1つ目は、まだ机上の検討プランである状態だ。だから変えることができるし、何ならば複数のプランを作って比較することもできる。その中から、1番良いと思われる「実行計画」を選ぶ。ここまではいわば、工場の生産計画プランナーの、机の上での仕事だ。

ただし実行計画を決めたら、それを実行する現場の人たちに伝達しなければならない。 そしていったん伝えてしまったら、その計画は「リリース済みの確定計画」と言うステージに変わる。もう勝手に変更することはできないのである。

生産計画を製造現場に伝えるにあたっては、通常、部品単位・工程単位に分解した『製造オーダー』の形で伝える。伝え方は紙の伝票の場合もあるだろうし、電子的に表示する場合もあるだろう。そこには、どの工程で、どの部品・材料から、どのような中間部品を、どの製造仕様に従って、いつまでに何個作るべきか、が書いてある。(なお製造オーダーは、製造指図とか生産指令とか、会社によってまちまちな呼び方がされるので、自社の用語に翻訳して理解してほしい)

サプライヤーに対しても同様だ。『購買オーダー』(英語だとPurchase Orderなのでこう訳したが、ふつうは発注書ないし注文書とよぶ)を発行し、そこに、どの部品を、どの製造仕様に従って、いつまでに何個作って納めてほしいか、が指定してある。

そこで、あなたがサプライヤーの立場になったと想像してみて欲しい。一旦発注書を受けた品目が、納入先の工場の都合で、必要になる日にちが前後に少しずれたからといって、毎度毎度、発注書を差し替えられたら、たまったものではない。 自分の工場にはそれなりの都合と予定があって、スケジュールを組んでいるからだ。だから普通、いったん発行した注文書は、よほど大きな変更がない限りは改訂し再発行はしない。でも実際の納入日は、顧客と別途連絡を取りながら、前後に動かしたりするのが常だ。

工場内の製造現場であって同じことである。上流側の工程が遅れたから、月曜日に着手すべき品目の完成予定日が水曜日にずれたとしても、一旦発行された製造オーダーは、普通は変更しない。生産管理システムの中の日程をずらして、再発行すればいいじゃないかと思うかもしれないが、既に一度発行した製造指図書は、部品に添付されて、既に工場の中をどこかに移動中である。それを全部差し押さえて、紙を張り替えることが現実的だろうか? 出庫してしまった材料を、いちいち倉庫に戻し入れろと指示するだろうか? 2日後にはまた出庫しなければいけないのに。

これが、工場内に2種類の生産計画が存在する理由である。一度、「リリース済みの確定計画」となって、指示が伝達されたものは、簡単には変更できないのだ。


  • 基準生産計画、生産スケジューリング、ディスパッチング

確定版の生産計画から、製造オーダーや発注書を切り出して、現場とサプライヤーに発行する仕事を『ディスパッチング』とよぶ。日本語で「差立て」などとよぶ企業も多い。複数のオーダー間の順序などもここで決めたりする。欧米企業ではディスパッチングは工場管理者側の仕事だが、現場の裁量の大きな日本企業では、現場側のチーフが実質的に行う例も多いと思われる。

そして実を言うと、本社側の計画と工場側の計画との間にも、似たような関係が存在する。本社側のいわゆる「基準生産計画」(PSI計画のPの部分)は、製品単位に、必要な数量と期日を規定するプランだ。複数の工場がある場合は、それを工場単位に切り分けて、工場に伝達する。これを『生産オーダー』とよぶ。工場側は生産オーダーを受けて、製品単位の必要量を、BOMやBOPを基準にして 工程単位・部品単位に展開し、工場の生産スケジュールを作成する。本社が「基準生産計画」を毎日ぐるぐる変えてきたら、工場側はたまったものではない。

生産計画の機能はいくつかあるが、最重要な目的の一つは、需要と供給を合致させることである。需要のないものを供給すれば在庫の山ができるだけだし、需要があるのに供給しなければ欠品と失注の穴が深まる。そして需給の一致は、企業レベルでも、工場レベルでも、各工程レベルでも大事だ。ただし工場も現場も、それなりの自律性を持つ。だから指示と伝達が必要になるし、いったん指示した事は、みだりに変えられない。

製造業では、「本社」「工場管理者(製造スタッフ)」「製造現場」の3つのレベルで判断・決定が行われる。これが、業務の3層モデルである。それぞれの層の間で、指示と報告の伝達がある。だから、計画も3層に分かれていて、その間で実行指示が出されていく。それは会社レベルの「基準生産計画」、工場レベルの「生産スケジューリング」、そして工程レベルの「ディスパッチング」(製造オーダー・スケジュール)を示すのだと理解すべきであろう。この観点から見ると、大日程・中日程・小日程といった期間のスパンによる区別は、あまり有用ではない。

そしてこの3者の間には、本質的にズレが生じやすい。需要や生産が安定しているなら、ズレは小さいから、無視してもいいだろう。だが昨今のようなサプライチェーンの乱れがある場合や、有力顧客の需要にひどく変更が多い場合には、ディスパッチング・レベルの現実を、なるべくリアルタイムに把握し共有できる仕組みが必要である。その詳細は今回は省くが、多くはMESとAPSの連携がキーになるはずだ。だからこそ今、多くの企業がMESに目を向けるようになっているのである。
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<関連エントリ>
IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (1) MES普及を妨げたもの」 (2017-08-19)・・業務の3層モデルを解説している

# by Tomoichi_Sato | 2026-02-28 22:04 | A2 生産計画と生産スケジューリング | Comments(0)

お知らせ:関西設計管理研究会KEACで、設計のプロジェクト・マネジメントについて講演します(3月27日)

お知らせです。来る3月27日(金)に、関西設計管理研究会(KEAC)の例会で、設計業務のプロジェクト・マネジメントについてお話しします。場所は京都の四条烏丸に近い京都経済センターで、午後1時40分からの予定です。年度末の時期ですが、関西であまりPMの講演をする機会がないので、ぜひお越し下さい(研究会員企業限定ですが、体験参加も可能とのことですので、ご興味のある方は佐藤までご連絡ください)。

ご存じの通りプロジェクトとは一回限りの、ユニークな仕事(=他に同一なものが無い仕事)を指します。PMBOK Guide(R)の、「独自のプロダクト、サービス、所産を創造するために実施される有期的な業務」という有名な(そして難解な)定義もまさに、『独自の』『有期的な』という言葉(原語はuniqueとtemporary)で、それを表現しています。

考えてみると設計という仕事は、まさにそのようなプロジェクト的性質を最初から持っています。それは製造業の他の業務と比べると分かります。工場の製造現場では、技能員が全くおなじ部品を繰り返し繰り返し、作っています。しかし技術者が、全くおなじ設計図面を何枚も何枚も作ることは、あり得ません。設計のアウトプットは、必ず(少しであれ)従来のものとは違っていて、つまりユニークです。そして設計業務は基本的に、出図すれば終わりとなる、一過性の業務です。だとすると設計業務は、すべてプロジェクトだと言えるでしょう。

では、設計業務をプロジェクト・マネジメントの視点から動かそうと考える企業は、どれだけいるのでしょうか? 実はこの3月の講演に先立って、KEACの研究会員に簡単なアンケートをしてもらいました。会員メンバーの多くは製造業の設計部門の技術者です(ちなみに、名称には「関西」とありますが、関西以外からの参加者も、それなりにおられるとのこと)。そこから、興味深い事実が見えてきました。

たとえば会社に公式な役職として「プロジェクト・マネージャー」がいるかどうか。皆さんは、どれくらいの比率だと思われますか? 研究会にとっていただいたアンケート結果をここで勝手に公開できないので、数字は当日お話ししますが、かなり少ないのです。プロジェクト的業務なのに、プロマネがいない。その結果、何が起きるでしょうか?

ちなみに、日揮のようなプラント・エンジニアリング業界では、必ず『エンジニアリング・マネージャー』という職種の人たちがいます。プラント系プロジェクトは、大まかに言うと設計(エンジニアリング)のフェーズ、調達フェーズ、建設フェーズに分かれます。その設計フェーズのプロジェクト業務をとりまとめる責任者が、エンジニアリング・マネージャー(略称EM)です。この職種はある意味、プロマネの右腕であり、EM職はプロマネへの登竜門とも言われます。

このエンジニアリング・マネージャーの養成教育について、少し前に調べたことがあるのですが、米国にはちゃんとEM教育のためのコースを持つ大学が存在します。しかし、日本には調べた限り皆無でした。(まあプロマネ教育の専攻コースだって、国内の大学には皆無ですから、推して知るべしですが)

音楽にたとえてみるならば、日本にはヴァイオリンやチェロや金管といった、各種専門分野の教育は存在するけれど(これらが工学部で言う電気とか機械とか土木に相当します)、指揮者を養成教育するコースだけが存在しない訳です。

なぜか? それは、不要だと思われてきたからでしょう。実際、西洋のオーケストラには指揮者がいますが、日本の雅楽とか能楽の演奏団には、指揮者なんていませんしね。横目でちらと見て、阿吽の呼吸であわせる、と。それで済んできたのです。

しかしそれは小規模で、ゆったりした曲調の場合の話です。曲が複雑・大規模化してスピード感を求められたら、やはり誰かタクトを振るう役割が必要になります。設計もおなじでしょう。複雑化し大規模化し、スピードを求められたら、やはり専門のマネジメントが必要になるのです。日本の製造業の多くは、この変化にまだついて来られずにいるのではないか、と危惧します。じっさい、PLMソフトウェアのベンダーからは、単なる図面管理をこえた、設計進捗管理やBOM展開などの機能を、使いこなせているユーザはまだ少ないと聞いています。

では、設計のプロジェクト・マネジメントとは具体的にどんな仕事なのか。どういう技量が必要なのか。それについて、限られた時間ではありますが、ご説明しようというのが今回の講演です。昨年夏に引き続き、講演にお呼びいただいた関西設計管理研究会(KEAC)さんに、あらためて感謝いたします。


<記>

講演タイトル(仮):「エンジニアリング・マネジメントの役割と価値 〜 プロジェクトの視点から設計をとらえ直す

日時:2026年3月27日(金) 13:15 ~ 17:00
(わたしの講演は13:40 ~ 15:10の予定です)

開催方法:ハイブリッド開催(リアル70名+オンライン70名)、研究会員限定
 【リアル会場】京都経済センター   6階 6-C 会議室

主催団体:関西設計管理研究会(KEAC)

開催案内はこちらのページです(注:3月2日に更新されました


このテーマに関心のある方のご来聴をお待ちしております。


佐藤知一@横浜


# by Tomoichi_Sato | 2026-02-22 21:57 | E2 設計のマネジメント | Comments(0)