人気ブログランキング | 話題のタグを見る

モダンPMへの誘い 〜 出費が予定を超えなければ大丈夫?

もう10年以上も前のことになるが、ある大手システム・インテグレーターに呼ばれて、そこの有力なプロジェクト・マネージャーさん達の話を聞いたことがある。プロマネさんの1人は、こんな話を切り出した。

PDCAサイクル、なんて言ってもさ、それって大体、絵に描いた餅じゃないか。そもそも最初に計画なんか、ふつう立てないだろ? プロジェクトに飛び込んだら、最初はまず、様子を観察するはずだ。顧客やメンバーに話を聞いて、これまで使った費用とかを確認して、状況を理解する。その上で方針を決めて、やるべきことをやっていく。これが現実のサイクルじゃないか。」

その時は、ふーん、と言う気持ちで聞いていたのだが、後になって、この人はいわゆる「OODAループ」の説明をしていたのだと気がついた。PDCAはPlan, Do, Check, Actionの略だが、OODAはObserve, Orient, Decide, Actの頭文字だ。OODAは「ウーダ」と発音し、米軍発の意思決定手法だが、ここでは詳しい説明を省かせていただく。興味があれば、ネットにいくらでも情報はある。

わたしが、ふーんと思ったのは、感心したからではない。この会社の人たちは、最初に計画を立てないのが当たり前なのかと、驚いたからだ。計画なしに、集団で仕事をしていて、不安にならないのか? 羅針盤も海図も持たずに、一緒に船出して、よく平気でいられるものだ。

それに、有能なプロマネが、途中から急にアサインされると言う状況も、よくわからない。大事なプロジェクトなら、なぜ最初からこの人たちをリーダーに立てないのか。どうやら、優秀なプロマネたちは、しばしば火消し人として、途中からプロジェクトに送りこまれるものらしい。

まぁ、それはこの会社の方針、ないし組織文化なのだろう。よその人間が批評しても、はじまるまい。それに、これだけ立派な規模の会社だ。ならば、プロジェクト計画だって、少なくとも最初に大枠ぐらいは決めているはずだ。そうでなければ、途中でプロジェクトに入り込んで、これまで使った費用を確認したって、予定の金額と比較しないことには、状況判断もできないではないか。

ただし、である。念のため書いておくが、プロジェクトの途中の時点で、それまでに使った実際の出費と、当初想定していた予定の出費と比べて、本当にそのプロジェクトの状況がうまく判断できるだろうか。

モダンPMでは、実績出費の額を、Actual Costの頭文字をとって、ACと略す。また、予定出費の方は、Planned Valueの略でPVと呼ぶ、約束になっている。

ここで問題にしたいのは、
AC < PV
という集計結果が出たとして、それで、「このプロジェクトはうまくいっている」と言う状況判断をして良いかどうか、という問いだ。

ちょっと分かりにくいかもしれないので、図で解説しよう。

横軸は、プロジェクトの開始日から終了日までの時間軸だ。縦軸は、出費の金額を表す。点線は、プロジェクト計画に基づく、ベースライン(予定)の線である。どんなプロジェクトも最初はゆっくり立ち上がり、途中から活況に入る。

モダンPMへの誘い 〜 出費が予定を超えなければ大丈夫?_e0058447_12285111.png


たとえばSI系プロジェクトの場合、初期は要件定義や基本設計業務で人数も少ないが、実装からテストフェーズに移るに従い、関わる人数も増え、協力会社の仕事も多くなるし、ハードの出費もあるだろうから、出費の金額が増えていく。

しかしテストも終盤に差し掛かり移行作業に移る頃は、しだいに出費もなだらかに戻る。かくて予定出費の線は、全体がローマ字のSに見えるので、「Sカーブ」と呼ばれる。大手企業なら、そのS字の線のパターンだって、標準的に持っているかもしれない。

さて、プロジェクトが始まって、実際の出費を集計してプロットしてみたら、図の青い実線のようになったとする。これを見ると、実績出費は計画線を下回っている。だとしたら、このプロジェクトはうまく進んでいると考えていいだろうか?

モダンPMへの誘い 〜 出費が予定を超えなければ大丈夫?_e0058447_12284253.png

この質問を大学の講義ですると、院生たちは慎重で微妙な答え方をする。予定より実績が小さいのだから、なんだか自明に見えるのに、講師は意地悪だから引っかけがあるのだと勘ぐるようだ(笑)。で、あえて「いや、うまく進んでいないと思います」などと答えてきたりする。たとえば青線の最近の立ち上がり方が急カーブすぎる、といった理由をつけて。

でも、「うまく進んでいる」も「進んでいない」も、正解ではない。じつは、正解は「分からない」なのだ。なぜ、分からない、が正解なのか? それは、このような状態になる原因が2つ考えられるからだ。すなわち、

(1) 実際にうまくコストをマネージできている
(2) 仕事が予定より遅れているため、出費もまだ小さいままである

そして、この2つのどちらであるのかは、実はこの2本の線だけを眺めても分からないのである。もちろん、個別の出費伝票や個人個人のタイムシートまで戻って分析すれば、把握できるかもしれない。だが、プロジェクト全体のSカーブというマクロな観点からは、判別できない。

もしも読者の皆さんが顧客の発注責任者の立場だったとして、受託側のSIerがこの2本のSカーブで毎月の報告を出してきたら、どう判断するだろうか? あるいは、最初の会社の例のように、プロジェクトの途中からアサインされたプロマネの立場だったら? このプロジェクトの状況の良し悪しは、2本の線をいくら観察したって、ひと目でわからないのだ。

だが、これを一目で判別できるようにする方法がある。ただしそのためには、この図に3本目の線を引く必要があるのだ。少し長くなってきたので、その解説は次回に続く、とさせていただこう。

<関連エントリ>
→「??モダンPMへの誘い ? この質問の意味が分かりますか???」 https://brevis.exblog.jp/30687052/ (2024-01-14)


# by Tomoichi_Sato | 2024-01-22 12:29 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

モダンPMへの誘い 〜 この質問の意味が分かりますか?

あなたは、ある化学企業の経営者だ。自社の業容拡大をはかりたいが、日本の国内市場はすでに飽和しているため、海外の新興国に権益を得て、新しく化学プラントを建設することにした。

そして、これはと思う部下をプロマネに任命し、現地に派遣する。しかし、プラントはなかなか完成しない。それどころか、現地のパートナー企業の不満の声も、あなたの元に届いてくる。そこでTV会議で現地のプロマネを呼び出し、話すことにした。では、あなたがまず質問すべき事は何だろうか?

・・これは、わたしが大学などでプロジェクト・マネジメントを教える際に、よく最初に出す問いかけだ。出席者に尋ねると、いろいろな答えが返ってくる。例えば「工事はどこまで進んでいるのか」「資材は十分に足りているのか」「労働者の質はどうか」などなど。

ここでは、プロジェクトに問題が起きている時、その全体状況を把握するには、どんな事柄を確認すべきか、を聞いている。そして、こうしたプロジェクトの状況把握の必要は、どんな業種の仕事でも、時々起こり得る。

わたし達の社会で、大きなプロジェクトにトラブルが生じた時、メディアや世間の人々が問題にするのは、どんなことか。典型的には、以下の3つの問いになるだろう。

− いったい今まで、いくらのお金を使ったのか?
− その仕事は、いつ完成するのか?
− そもそもこの仕事のリーダーは、どういう人物か? はたして信用できるのか。

例をあげよう。何年か前になるが、新国立競技場の建設プロジェクトが、世間の耳目を集めた。建築家ザハ・ハディドの超モダンなデザイン案が、国際コンペの結果、選ばれたが、当初からその実現が危ぶまれた。はたして、ほどなく経たぬうちに、建設コストの見積もりがみるみる増えていき、当初の予算を大幅に超えることが判明した。

建設工事的にも、極めて難易度が高い。本来この新国立競技場は、2020年に予定されていた東京オリンピックではなく、その前年・2019年のラグビー・ワールドカップに間に合うべく、建設する構想だった。果たして、本当に間に合うのか? そして、そもそもこの事業を引っ張っているのは、どこの誰なのか。

一体いくらのお金の話をしているのか、いつになったら終わるのか、リーダーは果たして信頼できるのか・・こうしたことが世間で問題とされ、メディアで識者と呼ばれる人たちが指摘しあった。日本では経営資源を人・モノ・カネ、そして時間、と考える傾向が強いけれども、プロジェクトの金と時間と人を問うているのだから、まあ、平仄はあっているのかもしれない。

ところで、この3つの問いは、プロジェクトという大きな仕事を、丸ごと全体として捉えている。全体でいくら、全体でいつ、全体を誰が、と言うわけだ。こうした物の見方は、現代のみならず、戦前でも、あるいは江戸時代でも、さらに遡れば中世や古代でだって、同じだったはずだ。平安京の建設は、古代のビッグ・プロジェクトだった。そこで、問題が起きたら、人々は同じ3つの問いを語り合っていただろう。

だが、今は21世紀だ。わたし達は1000年前の人たちと同じような議論をしていて、いいのか。

それではまずい、と考えた人たちがいた。21世紀中盤、アメリカでの事だ。化学企業・デュポン社で、プラント建設プロジェクトに携わっていた人たちは、プロジェクトを丸ごと全体で捉えるだけでは、らちがあかないと気づいた。彼らはプロジェクトを、より小さな、コントロール可能な単位要素の作業に、分解することを思いついた。

逆の言い方をすると、大きくて複雑な仕事も、単位要素の作業(Activity)の連鎖によって表現(合成)できる。そしてActivity間には、論理的な順序関係(Aが終わらなければBが開始できない、等)がある。そして、Activityの連鎖によって作られた一過性の仕事を「プロジェクト」とよぶのだ、と彼らは考えたわけだ。

ほぼ同じ頃、海軍でPolarisミサイルの開発プロジェクトに関わっていたコンサルタント会社ブーズ・アレン・ハミルトンの人たちも、同様の概念にたどり着いた。「大きすぎる問題は分解して考えろ」という大数学者ガウスの格言があるが、こうした西洋の合理的思考の系譜に従ったのかもしれない。

ともあれ、プロジェクトを「Activityの連鎖からなる一過性のシステム」とモデル化したことから、真に現代的なプロジェクト・マネジメントの考え方が始まったのである。これを『モダンPM』と呼ぶ。プロジェクトまるごと全体を、「リーダーの資質」「カネと時間」「気合いと根性」などで動かそうとする、旧来のマネジメントのやり方と区別するための用語である。

モダンPMへの誘い 〜 この質問の意味が分かりますか?_e0058447_23283700.png

モダンPMは1950年代にアメリカで現れ、’60年代のアポロ計画などによって育てられ、以後、成長と発展を続けている。その中心になっているのは、システム工学の理解=システムズ・アプローチだ。そして定量的な理論と技法が付随している。

もしも、あなたが現代の化学企業の経営者で、部下のプロジェクト・マネージャーに対して、モダンPMの考え方で状況把握をしたいならば、上に挙げた3つの問いに代わって、次のような質問をするはずだ。

・プロジェクトの『スコープ』はどうなっているのか。WBSを見せろ。
・このプロジェクトの『クリティカル・パス』は何か? Activity networkの上で示せ。 主要なリスクは何か?
・現在までのPV, AC, そしてEVはいくらか。完成時のCost EACを計算せよ!

これらの質問の意味が、おわかりだろうか。ここに現れる用語や概念が、現代のモダンPMの柱なのである。プロジェクト・マネジメントを学ぶとは、いいかえれば、この質問の意味を正確に理解して、きちんと答えられるようにすることなのだ。
モダンPMへの誘い 〜 この質問の意味が分かりますか?_e0058447_23283742.png

モダンPMなど知らなくても、もちろんプロジェクトは運営できる。実際のところ、数人がかりで数ヶ月程度の社内プロジェクトだったら、気合いと根性だけで回していけるだろう。しかしプロジェクトの複雑性が増したり、規模が大きくなり、あるいは制約条件がきつくなったら、そうはいかない。単なる出金管理以上の、何らかの定量的な考え方と道具立てが必要になる。

大規模で複雑なプロジェクトに関しては、少なくとも、わたしの勤務先の経営者だったら、(言葉遣いは多少違うかもしれないが)上のような3つの問いを発するだろう。だが、こうしたことを、経営者はおろか実務レベルのマネージャー層でさえ、理解していない組織が、わたし達の社会にはたくさん存在するのである。このような面での知的貧困が、わが国の産業競争力を大きく阻害しているとさえ、言えるだろう。

そこで本サイトではこれから時々、モダンPMのいくつかのトピックを取り上げ、わかりやすい簡潔な解説をしてみたいと思っている。題して、「モダンPMへの誘い(いざない)」。拙著『世界を動かすプロジェクト・マネジメントの教科書』https://amzn.to/2FFXbkf のサプリメント版と思っていただいても良い。

小規模のプロジェクトに携わる人でも、モダンPMの基本的な理解を持っているのといないのでは、それなりの違いが出る。そしてキーとなるのは、システムズ・アプローチ=システム工学の理解である。システムとプロジェクトに関心のある方々への、興味を引けば幸いである。

(→この項つづく

# by Tomoichi_Sato | 2024-01-14 23:31 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(1月24日)開催のお知らせ

明けましておめでとうございます。2024年第1回の「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」開催をご案内します。
昨年は主査である小職の多忙のため(あるいは怠けすぎて?)、6月以降に例会を開催できずにおり、まことに申し訳ありませんでした。

さて、新製品開発・新事業開発プロジェクトは、どの組織にとっても非常に重要な、しかし同時になかなか成功しにくい仕事です。とくに成熟市場を相手にした我が国の製造業は、自社の生き残りと成長をかけて取り組む訳ですが、途上には多くのハードルがあります。

今回は、航空機業界における新製品開発プロジェクトについて、(株)SUBARUの野中剛志様にお話しいただきます。周知の通りSUBARU(元・富士重工)は、中島飛行機の流れを継承する企業で、自動車のみならず、航空機とヘリコプターの製造事業も柱として続けておられます。

航空機開発は、巨額の費用と長い年月がかかり、その成否が企業自体の存続や成長を左右することは、欧米の有名航空機メーカーの例を見ても明らかです。しかも部品点数は、自動車の100倍(!)という複雑さです。こうしたプロジェクトにいかに取り組むべきか、どこが難所かを、実務経験に基づいて語っていただきます。ぜひご期待ください。


<記>

■日時:2024年1月24日(水) 18:30~20:30 (オンライン形式)


■講演タイトル:
航空機開発におけるプロジェクト・マネジメント

■概要
 航空機の開発は、大規模かつ長期間のプロジェクトになることが多く、プロジェクトマネジメントの重要性は高い。しかし、大きな開発は10年に1度程度と間隔も広く、過去のノウハウや実績データの継承、およびPM人材の育成などの面で課題も多い。
 このような航空機開発におけるプロジェクトマネジメントの実態と課題を、実務経験を踏まえてご紹介いたします。


■講師:野中 剛志 様 (株式会社SUBARU 航空宇宙カンパニー)

■講師略歴:
SUBARU航空宇宙カンパニー調達部担当部長。2002年から約10年間、P-1/C-2開発においてSUBARU分担部位(主翼等)のプロジェクト管理に約10年間従事。その後も一貫して生産管理畑。現在は調達部でSCMのDXに取り組む。


■参加希望者は、小職までご連絡ください。後ほど会議のリンクをお送りいたします。

■参加費用:無料。
ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。

以上、よろしくお願いいたします。



佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2024-01-05 18:59 | プロジェクト・マネジメント | Comments(3)

クリスマス・メッセージ:あらためて、平和を祈ろう

Merry Christmas!!

3年前の秋、コロナ禍の真っ最中に、息子夫婦が結婚式を挙げた。ちょうど緊急事態宣言が解除され、外出自粛が緩んだ頃だった。その後また感染の波がぶり返していくのだが、ほんの短い、奇跡のような自由な期間に、友人親戚が集まって、(マスクは必須だったが)二人の前途を祝福することができた。

その少し前、息子から式場の相談を受けたとき、わたしは一つだけお願いをした。日時も場所も、二人の望むように決めてくれていい。ただ、西洋風の結婚式をするなら、ちゃんと信者も聖職者もいる、普通の教会であげてほしい。カトリックでもプロテスタントでも構わない。ともかく、毎日毎週、信者が来てミサや礼拝をする、本物の教会でしてくれないか。結婚式場に付随したチャペルに、どこからか説教師を招いて、そこで神の前で誓ったりするのはやめてほしい。

そう言われて、息子も、いささかこまったに違いない。場所の選択肢も限られるし、カトリック教会などでは、信者以外が式を挙げる際は、「結婚講座」なるものに何度も通わなければならない。

結局、息子達は「人前結婚」を選んだ。結婚式場の付属のチャペルで、でも、臨席した大勢の友人知人の前で、愛を誓ったのだ。

それでいい。わたしはこの事に関して、今も息子たちに深く感謝している。二人は宗教というものに、ちゃんとリスペクトを払ってくれたからだ。リスペクトしたからこそ、無宗教を選んだ。わたしは宗教的な祭礼を、商業的ビジネスの下に従属させることが、好きではない。外形だけ宗教をなぞっていても、そこには天の配剤に対する謙虚さが、足りないではないか。

こう言っていいなら、結婚とは、賭けである。結果は、誰にも分からない。でも、集まる皆は、なんとかうまく行ってほしい、幸せになってほしい、と願う。人と人の関係もこわれやすいものだから、固めの儀式をおこなう。その儀式に重みを持たせるために、神聖な場所で、大事なものの前で、本人たちに誓わせるのだ。

息子は特段、神仏を信じているわけではない。わが連れ合いも、そうだ。息子はたまたま、私立のキリスト教系の高校に通っていたし、連れ合いは大学がミッションスクール系だったが、信心にひかれたという風ではない。だが、2人とも宗教というものの重要性については、一目置いている。少なくとも、宗教を大切にしている人の前で、その宗教を馬鹿にするようなことはしない。これは、今の世界を生きていく上で、とても必要なことだ。

そして祭礼は、宗教の大事な役目である。日常生活のルーチンを回していくだけなら、必ずしも神仏は必要ない。大抵のものごとは、習慣通りに、あるいは決まったとおりに、進んでいく。

だが時折、そうした日常生活の輪がしぼんで、時間の大きな節目がやってくる。それは新年やお盆のような暦の上での変わり目だったり、あるいは、結婚や入学、就職や出産といったイベントだったりする。

はじめての子供が産まれそうで、病院に急ぐ時、大事な入学試験の会場に向かう時、そして、誰かと結婚しようと心を決めた時、あなたは何を思うだろうか。先の事は誰にもわからない。自分の願いや才覚だけで、世の中全てが決まるわけでもない。誰にとっても、人生はむずかしい。大事な事はしばしば、自分以外の環境、あるいは「」としかよべないものに左右されるのだ。

そういうとき、わたし達は自分を超えた何者かに、加護を祈りたくなるのではないか。そうした「祈りの心」こそが、宗教的なものの原点なのではないか。自分自身の人生に対して、自分はちっぽけな力しか持っていないと感じるとき、それでもわたし達を助けてくれそうな何者かに、希望をかけるのではないか。

その希望を心の中で言葉にする時、なぜか知らないが、ある種の感覚的・身体的な手順が助けてくれるのだ。別の言い方をすると、何らかの美学が必要になるのだ。多少、型にはまった伝統的美学かもしれないが、そうした所作を通じて、わたし達は心をしずめ、自分の本当の望みを見つめる。

そうしたことを集団で行うのが祭礼だ。わたし達は、感情を他者と共有したいと、いつも無意識に願っている。祭礼とは、そうした感情の共有を、皆に与える場なのだ。そして宗教は、祭礼の主催者である。

ところが現代では、人の集まる祭礼は商業主義に吸収されがちだ。スポーツの「祭典」であるはずのオリンピックを、このところ、あまり好んで見たいと感じないのも、このためかもしれない。

祭礼は元々、わたし達の力がおよばない部分の助けを神仏に祈る、謙虚な行事だったはずだ。だが、あらゆる望ましいものは金銭で買えると信じる商業主義は、謙譲さの正反対である。「神とお金という、二人の主人に同時に仕えることは誰もできない」という古い聖句は、このことを示している。

もちろん宗教にも、良い面とそうでない面がある。人間が作り出すものは、なべてそうだ。宗教には、社会を維持する機能と、社会を刷新する機能の、両面がある。この二つは、社会のありように応じて、働き方が変わる。不安な時代には、安定が望ましい。淀んだ時代には、刷新が好ましい。

この秋に中東で起きた不幸な戦争について、きちんと論じようとすると長くなりすぎるから避けるが、宗教が対立の重要なドライバーであることは否めない。だったら宗教がなければあの対立は起きなかったのか? 残念ながら話はそれほど単純ではない。だが火に注ぐ油の役割を果たしたことは、事実だろう。

わたし達は(とくに都会に住む者は)、日本を非宗教的な社会だと思っている。初詣くらいは行くが、たいていの人は、神仏を真面目に信心している訳でもない。それはある意味で、我々の生活のルーチンが、文明の仕組みによって守られているからだ。その代わりにわたし達は、予見可能な範囲内でしか暮らせていない。そして予見不可能な社会に暮らす人ほど、宗教への信頼が深くなる。

世の中には数多くの宗教があるが、ほとんどに共通していることが2つある。それは、人間の「思い」が、何らかの形で現実世界に力を及ぼし得ると信じる点だ。純粋な物理法則では説明できない何かが、この世に働き得ると考える。つまり、祈りの力を信じているのだ。

もう一つは、人々のむやみな欲望や暴力を抑制しようとする点だ。禁欲や節制を進め、いたずらな殺生を避けるべきとする(すべての暴力を、ではないところが面倒なのだが)。いいかえると、平安を求めるのである。それは心の平安であり、現実社会の平安でもある。

だとすると、平和を祈ることは、宗教的な心の中核にあるのではないか。そのような行動は、経済からも、政治からも、科学からも、導出されない。この3つは、それぞれの方法で、社会に働きかけてくる。ただし経済も政治も科学も、人間に全能感を与えがちだ。「先のことは分からないのだから、心を静めて、希望に思いを馳せるべきだ」と人間に説くのは、宗教だけである。

「祈ったって、それで世界が変わるわけないさ」という疑念の声は、わたし自身の中にもエコーのように存在している。それでも人前結婚の式で、わたし達は心の中の誰かに、若い二人の平和な暮らしを願った。同じように、世界が冬景色に暮れていくこの季節に、世の中の無益な戦争が早く終わることを、あらためて祈ることにしよう。
クリスマス・メッセージ:あらためて、平和を祈ろう _e0058447_09493540.jpg

<関連エントリ>
「クリスマス・メッセージ:男の子の育ちにくい時代に」
https://brevis.exblog.jp/29343530/ (2020-12-24)


# by Tomoichi_Sato | 2023-12-21 09:55 | 考えるヒント | Comments(0)

書評(冬休みの課題図書)3冊:「サーチ・インサイド・ユアセルフ​​」「『SCM計画立案・遵守』の疑問」「経営改革大全」

もうすぐ待ちに待った、年末・年始の冬休み。ということで、今回はビジネスマン必読、というと言い過ぎだろうが、読むと少しは得するかもしれない3冊をご紹介します。冬の夜長のお供にどうぞ。


「サーチ・インサイド・ユアセルフ」 チャディー・メン・タン著


Amazon


honto
サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法

「 Googleの陽気な善人」——これが著者チャディー・メン・タンの、名刺に書いてある肩書らしい。 なかなか面白い肩書きではある。 従業員番号が107と言うのだから、同社のかなり初期からのメンバーだったのだろう。そのITの専門家が、なぜ瞑想=マインドフルネスに関する本を書くのか?

それはもちろん、瞑想が、理知的な仕事に携わるエンジニアの生産性や心理的安定性に、非常に良い効果をもたらすからだ。 そのことが数値的なデータとして実証されているのでなければ、Googleが会社として取り組むはずはない。

本書のタイトルとなっている「Search inside yourself」(SIY)は、 著者が中心となってGoogleで開発した、マインドフルネスとEQ(情動的知能)の自己育成プログラムだ。 自己の内面をサーチせよとは、いかにも検索エンジンの巨人らしいネーミングではないか。

ちなみにEQとは 心理学者ゴールマンが『EQ こころの知能指数』 で提唱した概念で、Emotional quotientの略だ。Emotionとは感情・情動のことだから、その活用能力を示す指数という意味になる。これは通常の知能指数 IQ (Intelligence quotient)と対比して使われる。

わたし達人間は、実はとても感情的な存在だ。それにもかかわらず、ビジネスは、特にテクノロジーに関わるビジネスは、合理性だけで進められているかのような感覚(錯覚)がある。 実際には仕事は人と人との間で協力しながら進めなければならない。そこに情動の果たす役割は大きい。

ところが、わたし達を内部からつき動かす、この感情・情動に関する「取扱い説明書」に類するものは、なかなかお目にかからない。というのも感情は、押さえ込もうとすると、別の場所から噴出したり、無視しようとすると、かえって注意を奪われたりと、なかなかコントロールしにくい厄介な性質があるからだ(なお、本書ではemotionを感情ではなく情動と訳しているが、ほぼ同義の言葉としてここでは使っておく)。

ではどうしたらいいのか。心を静めて、感情や思考の波が通り過ぎるのをゆっくりと観察し、自然な流れに任せて、余計な心的エネルギーを放出するのである。これを「瞑想」とか「マインドフルネス」と呼んで、一種のプラクティスに発展させたものが本書のテーマだ。

じつは、わたし自身、本書を読む以前から、3年ほどになるが、ほぼ毎日瞑想している。それで何か顕著な効果があったのか、素晴らしいひらめきでも生むようになったのか。実は自分でもよくわからない。あるような、ないような、である。ただ、以前の自分は、かなり怒りやすかったし、感情にしばしば動かされていたのに、自分でそれが見えていなかった。そのことに、自分で少しは気がつけるようになったのかもしれない。

ともあれ、我流のやり方では限界がありそうだ。そこで本書を読んでみることにしたのである。さすが、アメリカのテック企業生まれであるだけに、「サーチ・インサイド・ユアセルフ」は、非常に構造化され、順序だてて身に付くよう出来上がったプログラムである。座って行う瞑想だけではなく、歩く瞑想や、「マインドフルな会話法」など、日常生活で役に立ち、感情的なレジリエンスを高める方法論がたくさん載っている。

「マインドフルネスの練習を積むと、痛みと嫌悪が別個の経験であるのがわかる」(第5章)と著者は書く。これは賢帝マルクス・アウレリウスの言葉「なんであれ外界のものに苦しめられているなら、その痛みは、もの自体のせいではなく、それに対する自分の評価のせいだ。そして、その評価なら、いつでも取り消す力を私たちは持っている。」にぴったり対応している。

また、著者は人間が求める幸福感について、
・「快楽」
・「情熱」(フローとも呼ばれる)
・「崇高な目標」(自分より大きくて、自分にとって意味のあることの一部になる)
の3種類に分ける。その1番の違いは、持続性の違いだ、との指摘はとても鋭い。

瞑想と言うと、なんとなく宗教がかった、胡散臭いものに感じる人が多いと思う。だが、そうした捉え方は少しずつ変わっている。自分の心に向き合い、自分が制御しがたい感情とうまく付き合い、人との関係性を、よりストレスの少ないものにしていくためにも、ぜひ学ぶべきプラクティスだと思う。

「誰も教えてくれない『SCM計画立案・遵守』の疑問」 本間峰一・著


Amazon


honto

良書である。著者の本間峰一氏は昔からの研究会仲間で、知人の本の批評をするのは難しいものだが、本書は安心してお勧めできる。

もともと、本書はPSI計画をテーマにする本として企画されたが、出版社が「SCM」をタイトルに入れたいとの意向で、こうなったらしい。

PSI計画とは、Production(製造)・Sales(販売)・Inventory(在庫)計画の略で、正販在計画ともよばれる。つまり製造業のサプライチェーンを横串に束ねた上位計画のことであるが、あいにく日本では、この用語や概念が、あまり普及していない。その一方で、コロナ禍や半導体問題など、サプライチェーンの混乱はかなり、ビジネス界の頭痛となっている。そこで、こうしたタイトルになったのだろう。

もともと90年代後半に、「サプライチェーン・マネジメント」の概念を、日本に紹介した先駆けの1人が、著者・本間峰一氏であった。1998年に、中村実氏(日本IBM・当時)や、わたし自身との共著で、SCM研究会名義の『サプライチェーン・マネジメントがわかる本』(日本能率協会マネジメントセンター刊)を上梓した。

しかし、米国発の需要予測や計画系ソフトウェアを中心としたSCMは、2000年の.comバブル崩壊とともにブームが去り、日本ではあまり語られなくなってしまった。「日本にはトヨタ生産方式という、立派なSCM文化がある」との思い込みもあって、海外での動向もあまり紹介されなくなった。

しかし、トヨタを真似た大手企業らが、製品在庫や資材在庫の削減を、強引に追求した結果どうなったか。過去2、3年のサプライチェーンの混乱が、欠品と言う形で製造を直撃することになった。

加えて著者は、販売計画の精度が、以前に比べ、かなり落ちたことを指摘している。その理由は、営業の仕事内容の変化である。第二章「販売計画を過信してはいけない」に詳しく述べられているが、商物分離の進展や、EDIの普及によって、卸売業者や営業マンが販売・物流に関与することが減り、そのため市場の需要に対する感度が、落ちたのである。加えて、大企業が出してくる先行内示の精度の低さ、さらにサプライチェーンのブルウィップ効果(半導体がその典型)等により、需要予測が極めて難しくなった。

加えて著者は、日本の製造業が過度に多品種化してきていることを問題に挙げている。これは極めて重要な指摘だが、このことを言う論者はとても少ない。品種数が増えれば増えるほど、需要の予測は難しくなり、在庫のコントロールも、適切な発注も、困難になる。もちろん、製造における段取り替えや切り替えロスも、顕著に増えていく。この問題に早く気づき、適切な手が打てるかどうかが、実は製造業のパフォーマンスを大きく左右するのである。

本書はさらに、一般的な生産管理システムが、実は日本の製造現場であまり有効に使われていない理由についても、わかりやすく説明している。ここら辺は姉妹篇の「誰も教えてくれない『生産管理システム』の正しい使い方」 のエッセンスを書いており、そういう意味でもお買い得な本である。

トヨタを表面的に真似しただけの、「ジャスト・イン・タイム購買」の問題点については、以前から著者は警鐘を鳴らしてきた。それは要するに在庫リスクを、大手がサプライヤーに押しつけるだけであり、結果としては見えないコスト高と、需給変動への対応能力低下を招く。

SCMのテーマは、「ジャスト・イン・タイム」から「ジャスト・イン・ケース」に移ってきている。それはグローバルなサプライチェーンの、予見不可能性が高まったからである。そこから身を守るためには、バッファーとして在庫を積極的に活用するしかない。そのための道しるべとして、PSI計画を学び、確立するべき時代が来たのである。


「経営改革大全」 名和高司・著


Amazon


honto
経営改革大全 企業を壊す100の誤解


わたしの信頼する、ある経営者から勧められて、本書を手に取った。読んでみるとたしかに非常に面白く、読み手の思考を刺激する、英語風に言えば“Inspiring”な本だ。

著者の名和高司・一橋大学教授は、元々マッキンゼー出身のコンサルタントである。その著者が、まず経営にまつわる「通説」を紹介し、それを「真説」で掘り下げ、論駁するというスタイルになっている。

その通説がまた、巷間の旧来の経営論よりも1レベル上の、いかにも外資系戦略コンサルタントが言いそうな内容なのである。例えばESG投資を重視せよとか、ワーク・ライフ・バランスの実現が大切だ、とかいった主張だ。

それらを的確に批評しつつ、より高い見地から結論づける所が、本書の真骨頂だろう。上の例で言えば、ESGのG〔ガバナンス〕はまだ他律的だ、もっとパーパス(志)を内在化しなければダメだとか、ワークとライフを切り分けて対置するのではなく、ワーク・イン・ライフの視点を持つべきだ、という。つまり、通常の経営論よりも、2レベル上まで読者を連れていく訳​​である。

ROEを高めるためには、B/Sに現れない無形資産にもっと投資すべきだ、との議論も説得力がある。また、将来ビジョン策定では、2050年が重要だ、それは世界人口100億人とカーボンニュートラルとAIのシンギュラリティとの交差点だから、との指摘も虚をつかれた思いがする。

ちなみに著者の思想の中核には、センター(中枢)よりもエッジ(周縁)、仮想・デジタルより実物・現場、という発想があり、そこが英米系との違いを際立たせる。本書を読むと、日本で通用している経営思想が、いかに流行りものの輸入品であるか、を感じてしまう。

経営にはサイエンスとアートの二つの要素があると言われる(科学とセンスとも言い換えられる)。だが、コンサルはサイエンスのことを言いたがる。そうすると、どうしても中枢側・仮想側に引き寄せられるので、警鐘を鳴らしているのだと理解した。

加えて、著者・名和教授には、システム・ダイナミクス(SD)の考え方が、発想のベースにあるように感じる。ローマクラブ『成長の限界』はSDに基づいているが、若い頃、SDに関わったと書いておられるので、その時の体験が根底にあるのだろう。

本書は、先人の書物や発言への引用量がすごい点も印象的だ。もっとも、いささか言葉だけが踊っている箇所もあり、特に後半のリベラルアーツ的な内容の部分に、それを感じる。

とはいえ、扱う範囲は広く、視点も高く、経営問題を勉強するにはとても有意義な本である。安心しておすすめする次第である。


# by Tomoichi_Sato | 2023-12-17 00:16 | 書評 | Comments(0)