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問題解決への出発点とは

  • 優れたプロマネはどんなタイプか

プロジェクト・マネージャー」という職種のイメージは、人によってまちまちだ。ある時、職場で専門誌の記者に取材を受けていた。会社の総合受付を見下ろす場所の会議室で、沢山の人が出入りするのが見える。しばらく話した後、帰りがけに、その記者はいった。「あんまり、プロマネ的なタイプの人を見かけないですね。」

ーーえ、そうですか? と、わたしは聞き返した。プロマネ・タイプって、どんな人を想像されていますか。

聞いてみて分かったのだが、この人はプロマネというと、赤ら顔で、声が大きくて、威嚇的な態度をしていて、すぐに他人を怒鳴りつけそうな、いわゆる「現場監督」タイプの人だと思っていたようだ。そういう人がわたしの勤務先にゼロだとは言わないが、決して多くないし、プロマネには少ない。

わたしの知る限り、エンジニアリング業界で優秀なプロマネとして知られる人たちは、海外企業を含め、例外なく紳士的である。知的で、物腰柔らかく、相手の話をちゃんと聞く。相手の話も聞かずに、いきなり怒鳴り倒すような人はめったにいない。

そもそもプロマネの仕事は、自分たちの目的を達成するために、人に働いてもらうことだ。怒鳴りつけるだけでは、他人は望むとおりに動かない。人びと(それも多くの人びと)に、自発的に動いてもらうためには、相手と共通目的を持っていて、協働意識のもとで働いてくれるよう、コミュニケーションしなくてはならない。

この人と一緒だったら安心でき、この人について行けば、良い事がある。そう、皆に感じてもらわなければ、プロマネはつとまらない。だから、紳士的な物腰が必要になるのだ。むろん、柔らかい態度と、優柔不断は別である。決めるときはちゃんと決め、主張すべきときは主張する。丁寧な言語だが、少し考えると結構手厳しい内容のことも、言う。タフな交渉者だ。


  • ある交渉の現場から

昼下がり、あるベンダーのオフィス。チーム・メンバーでの打合せを終えて、帰国便に向かう前に、わたしは相手側のプロマネの個室に招かれ、机をはさんで座った。儀礼的なあいさつを交わすと、先方ほこう切り出してきた。

「さて、ミスタ・サトウ。あなたは、午前中のミーティングで、これこれこんな風におっしゃった。我々の見解は、しかし、こうです。あきらかに、我々の間にはギャップがありますね。」

——うん。そのようだね。

「じゃあ、このギャップをどう埋めるか、一緒に考えませんか?」

——いいですよ。

出発便までに残された時間は、約1時間ほど。このタイミングをつかまえて、先方は、わたしにネゴをかけてきた訳だ。目の前に居るうちに、発注者である我々から、何らかの譲歩を引き出したいのだろう。わたしも懸案事項を残したまま、本社に戻りたくない。ポイントは、我々が持ち出した新しい要求事項にあった。

——ダン。今回の件についてだったら、我々は妥協するつもりはないですよ。

「まあ、そう結論を急がないでください。わたし達はお互い、この仕事をうまくやり遂げたいし、納期通りに御社の客先に収めて、満足していただきたい訳です。いや、もう少し率直に言えば、あの治安の不安定な国の現場に、あまり長くエンジニアを貼り付けておきたくないのです。そこは、御社も同じじゃあないですか?」

——そりゃあ、もちろんそうです。

「だったらお互い、どうすれば一番早くシステムを納品できるか、考えてみませんか。今回の仕様を追加すると、新規のハードの調達を含めて、10週間も納期が延びることになります。我々のシステムだけでなく、御社のプラントの立ち上げ納期にも影響が出るでしょう」

——それはもちろん、こまる。何とか急げませんか?

「ハードの外部調達期間は、ご承知の通り我々ではコントロール不能です。これが6週間はかかります。その後の実装・調整・試験が4週間ですが、人数を投入しても3週まで縮められるかどうか。そして我々の客先との、出荷前の工場立会検査もリスケジュールが必要です。」

——リスケはお互い、客先からの信用をなくすから、避けたい。・・そうだ、御社の手持ちのハードを、いったん出荷前検査まで借りられないですか? 客先サイトへの最終納品時には、本物のハードを納めることにして、工場検査は代替機でしのぐ、と。実装調整だって、手元の代替機だったら早く始められるでしょう。

「まあ、代替機を借りられるかどうか、工場にチェックしてみましょう。ただ、いずれにせよ調整試験の時間が必要で、1-2週ほど遅れますが。」

——出荷前試験はどうせ2週間以上かかるんだから、この仕様のテストは最後に持っていきませんか? そうすれば試験期間も並行して作業できるでしょう。

「考えてみましょう。たしかに、それならなんとか納期は守れます。ただ、代替機の貸与も含めて、金額的なインパクトは残りますが」

——わかってますよ。そして、時刻同期はMESの基本仕様だ、追加ではない、というのが我々の理解です。しかし金額については、他の追加請求も含め、後で再度話すことにしませんか。


  • 説得力の不等式:意見 < 事実 < 数値的な事実

前回の記事「おじさん的議論に負けないために」(https://brevis.exblog.jp/30189360/) で、わたしは、プロフェッショナルな議論の対極を、『おじさん的議論』と名付けて紹介した。おじさん的議論(じっさいには男女・老若の区別なく陥りがちなのだが)の特徴とは、定性的・実感的で、かつ、妙に断定的なことだと書いた。言っている本人は自分で納得しているのだが、相手を説得できているかはお構いなしである。

では、説得力とは何で決まるのか。ネゴシエーションの能力とは、すなわち説得力に他ならない。では、それはどうしたら構築できるのか。

これについては以前、「なぜ事実と意見を区別して話すべきなのか」(https://brevis.exblog.jp/21221308/) (2013-10-20)で取り上げたことがある。かなり前の記事なので、もう一度、再掲させていただこう。こんな対話があったとする:
「中東の社会って、女性の地位が低いのよ。」
「本当かい。たとえば?」
「サウジアラビアじゃ、女性は車の運転さえ禁止されているのよ!」
「でもサウジでは、高級車レクサスの所有者の6割は女性だそうだよ。」
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最初の発言「中東の社会って、女性の地位が低いのよ」は、意見(推測)の陳述である。正しいかもしれない。正しくないかもしれない。ただ、ここには主観的な印象や、そうした社会への評価感情、そして同意への期待などが込められている。同意するの? しないの? という訳だ。

それに対して、「サウジアラビアじゃ、女性は車の運転さえ禁止されているのよ」という発言は、検証可能な事実だ。これが正しいか、正しくないかは、調べてみれば分かる。そして調べてみれば、この発言は昨年までは正しかった事がわかる(今年、法律が改正されて、ようやく女性の運転が解禁された)

そして「サウジでは、高級車レクサスの所有者の6割は女性だそうだよ」という発言は、数値的な事実である。この数字自体は、わたしが10年前にサウジのトヨタ系ディーラーの幹部から聞いたものなので、今はもう変わっているかもしれないが、こちらはより精度の高い事実を表している。そして、自分でハンドルは握れなくても自動車は所有でき、そうしている女性が実は多いことも分かる。

中東におけるジェンダー不平等を論じるのが当サイトの目的ではないので、これ以上の議論の深入りはしない。ここで言いたいことは、相手への説得力は以下の順に大きくなる、という不等式だ。

『意見』<『事実』<『数字に基づく事実』


  • 交渉とは問題解決のための共同作業だ

意見とはなにか。それは、主観的な判断、推測・印象、良し悪しの評価、自分の損得や優劣といった事柄を含む。こうしたものは、人によって変わりうるからだ。変わりうる物事は、無条件に同意しにくい。

事実とは、すなわち検証可能な叙述である。むしろ、検証可能な形で述べたものが事実だと言っても良い。検証は、客観的なもので、第三者に頼みうる。

そして数値に基づく事実が、もちろん、もっとも強い。「うちのお父さんは背が高い」は、事実かもしれないが、背が高いとはどこからを言うかで、多少、議論の余地がある。だが「うちのお父さんは背丈が182cmある」となると、議論の余地はない。

議論の余地が大きいほど、言い合いの種になりやすい。だから、交渉は数値的な事実に基づく事実認識から出発する、が定石なのである。上の会話で、「仕様追加は10週間の納期インパクトが有る」と相手が言っているのは、そのためだ。10週は、検証可能である。

そして、その点に入る前に、相手が「納期を短くするのが共通の利益だ」と言った点に注目してほしい。共通目的の再確認から、入る。ここは合意しやすい。次に、事実認識から出発する。ここで数値的な事実を述べる。そして両社が共通認識の土俵に立った上で、解決案を模索するのである。

交渉のネタとなる問題は、たいてい、性能・金銭・納期・信用など、さまざまな側面を持っている。1つのモノサシ(たとえば金銭)だけに着目し続けると、ゼロサムゲームに陥ってしまい、解決不能な水掛け論に陥る。だから解決可能な面から、先に考える。こう考えると、上の会話での相手方の進め方は(実際はもっと込み入っていたが、要点だけを簡略化した)、じつに交渉の定石をふまえたアプローチだったと感じる。

「ネゴシエーションとは、共同の問題解決である」という見方を初めて知ったのは、『ハーバード流交渉術』(https://amzn.to/3HIFekO) という本だった。ただ、もっと前から言われていたことなのかもしれない。交渉を、金銭を巡る単なる綱引きだと考えると、工夫の余地の少ない、力自慢の場になってしまう。それを、もっとプロフェッショナルな、知恵を駆使する議論の場にすることもできるのだ。

そして話は交渉に限らない。協力して問題解決に当たる場合、大事な出発点は、客観的な事実認識の共有なのである。


<関連エントリ>
 →「おじさん的議論に負けないために」 (https://brevis.exblog.jp/30189360/) (2022-12-05)
 →「なぜ事実と意見を区別して話すべきなのか」(https://brevis.exblog.jp/21221308/) (2013-10-20)




# by Tomoichi_Sato | 2022-12-14 17:45 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

おじさん的議論に負けないために

「奈良旅行に行ってきましてね。お土産です、一ついかがですか。」

——ほほう、お煎餅ですか。じゃあ、いただきます。(ぱりっ)ふむ、歯ごたえがありますが、美味しいですな。・・うっ・・むむっ、こ、こりゃ辛い!

「ちょっと辛口なんです。」

——よく見ると、この裏側の赤い色、唐辛子の粉じゃないですか。こりゃ辛いはずだ。奈良の人って、こんな辛い物好きなんですか?

「(キッパリと)そうなんです。行ってみて分かったんですが、奈良の人たちは、あれは渡来人系ですな。だから辛いものにも強い。」

——それはまた初耳です。どうしてそう思われるんですか?

「奈良の町を歩いていますとね、女性が案外、美人が多い。それも鼻筋が通って、目鼻立ちがキリッとしている。あれは日本人の顔じゃない。渡来系です。」

——・・・。


わたし達は日々、議論を繰り返している。多くはさほど、大層な議論ではない。会話の中での、ちょっとした意見交換だ。相づちを打つ代わりに、軽く反論してみる。すると相手も言い返してきて、ちょっとの間、キャッチボールになる。だが特段、新たな気づきや結論もないまま、過ぎていってしまう。普段の対話でも、ネットでも、それを繰り返している。

ただ、仕事における議論は、それだけではまずい。会議をしたが結論も出ないまま散会、という訳にはいくまい。何かを共通認識し、何らかのアクションを決めるために、わたし達は議論をする。仕事の場での議論の多くは、問題解決を目的としているからだ。

とはいえ仕事の場で散見されるのが、冒頭にあげたような、ひどく雑な議論である。かりにこれを、「おじさん的議論」と呼ぶことにしよう。その特徴は、定性的かつ経験(実感)ベースなことである。さらに断定的で、一足飛びに判断を下す。しかも頑固で、意見を変えたり引っ込めたりするのは「負け」だと思っている。

「おじさん的」と書いたが、無論、中年男性だけがやっている訳ではない。若くても女性でも、この種の議論を得意とする人は少なくない。おそらく学歴や教育、理系文系にかかわらないのではないか。

おじさん的議論の対極にあるのは、「プロフェッショナルな議論」の態度だ。医師や弁護士なら、仕事では実証的で丁寧なロジックを積み上げる。技術者だって、自分の専門領域については、より論理的で慎重なはずだ。ただ、いったん専門分野を外れると、急におじさん的議論を始める人は、少なくない。

もちろん冒頭の問答くらい乱暴なロジックだと、さすがに同意してついていく人は少ない。でも、わたし達が目にするのは、もう少しだけ丁寧な、あるいは「巧言令色」的な物言いによる主張だろう。たとえば、こんなのはどうだろうか:


「世の中は不確実性の高い、VUCAの時代に入っています。こんな中、御社が取られるDX戦略には、二つのポイントが必要です。」

——ほお、と言うと?

「一つ目はアジリティ、すなわち俊敏性です。市場とユーザの変化に、敏感に追随できるシステムが必要でしょう。そのためには、アジャイル開発の手法の導入が必須です。」

——それは、今までのやり方と、何が違うんです?

「これは2週〜1ヶ月程度の短いサイクルで設計と開発を回し、ユーザからのフィードバックを得て改善し、機能追加をしていくやり方です。顧客のインボルブには、UXすなわちユーザ・エクスペリエンスが最重要なのです。それにアジャイル開発ならば、失敗してもすぐに軌道修正できます。イノベーションでは失敗を怖れぬフェイル・ファーストの態度が大事ですから。」

——なるほど。で、もう一つのポイントとは?

「製品アーキテクチャのモジュール化です。これがデジタル化によるイノベーションの鍵だと、我々は信じます。」

——モジュール化した設計、ですか。

「はい。これまで御社の製品は、顧客の要望に沿って、ゼロから『すり合わせ型』で設計されてきました。個別設計ですから、たしかに最適化はされているでしょう。しかしその分、設計も購買も納期が長くなります。

——たしかに。

「しかも数値制御など、いくつかの機能部分は、技術革新の速い分野です。ですが、一部機能だけを入れ替えるのは、設計的には至難の業だったはずです。しかしモジュール化したアーキテクチャなら、他の部分とのI/Fさえ互換性を担保すれば、入れ替えによる進化が圧倒的に速くなります。」

——理屈は確かにそうだが・・

「実例もあります。半導体製造装置の業界をご存じですか。かつてステッパーと呼ばれる露光装置は、日本のキヤノンとニコンの独壇場でした。しかしオランダのASMLという会社は、モジュール型のアーキテクチャをひっさげて登場し、市場をさらってしまったのです。レンズやステージなどのモジュールは専門企業に外注し、自社はプラットフォームとソフトウェアに特化する戦略で、オープンイノベーションの見事な成功例と言っていいでしょう。御社もぜひDXで、この戦略を見習うべきです。」

——なるほど。そうかもしれないな・・


どうだろう。こちらはなんとなく、説得力がありそうな気がする。少なくとも、「奈良=渡来人説」に比べ、専門用語に満ちていて実例もついているではないか。

だが、落ち着いて考えてみると、いろいろと腑に落ちない点が出てくる。顧客のインボルブ(巻き込み)にはUXが最重要、というが、それは消費者向けのB2Cビジネスならば、そして無償提供のアプリ等ならば正しいだろう。だがB2Bや企業内システムでは、機能や信頼性など、別のファクターがきいてくる。また複雑で深い業務プロセスや、多数のDBの連携など、アジャイル開発向きでない要件を持つシステムも存在する。

製品アーキテクチャの議論も同様だ。ステッパー市場に当てはまる事が、すべての市場に当てはまるのだろうか。また比較的構造が単純な製品では、モジュール部分に分けることが困難なものも多い(あなたの会社の製品がアルミ缶だったら、どうモジュール化するだろうか?)。

もちろん、わたしがここで論じたいのは、アジャイル開発やモジュール化設計全般の是非ではない。どちらも必要な場所に適切なタイミングで正しく適用すれば、優れた効果を上げることは分かっている。方法論とは、そういうものだ。

ここで注意を向けてほしい点は、結論に向かうスピードの速さ、議論での前提条件や論証のすっ飛ばし方である。「おじさん的議論」の特徴の一つは、定性的なくせに、結論にいやに自信があることだ。わたし達は不確実性の時代を生きている、で始まるのに、結論だけは不思議と断定的である。なぜなら、相手を説き伏せて、その方向に動かすことが、議論の目的になっているからだ。

さまざまな外来語や最新のキーワードがちりばめられているのも、この種の議論の特色だ。世の中のものごとに、キーワードをぺたぺたとラベルのように貼って、分類・思考したがる、一種のキーワード依存症である。さらに、相手が知らないことを自分が知っていると、「自分の方が頭がいい → だから自分の議論の方が優位だ」、という風につながっていくらしい。知識偏重教育の弊害だろうか。

その一方で、エビデンス=検証の少なさも、特徴の一つだ。製品アーキテクチャであれ何であれ、重要なテーマの甲乙を論じるなら、少なくとも双方3つぐらいずつ例証をあげるのが、客観的な態度というものだろう。だから実は、すごく主観的かつ定性的な議論の進め方になっている。

ちなみに上の対話は架空のものだが、わたしが2年前、当サイトで4回にわたって連載した、製造業のDXをめぐる対話劇を補足するものだ。あの対話劇では、その場に登場しない「専務」と「戦略系コンサルタント」が、当事者であるDXチームの悩みは全部すっ飛ばした形で、急に方向性を決めてくる。その専務とコンサルが、オフラインで交わしていた会話を、再現してみたものだ。

といっても内容的には、この数年来、勤務先のIT戦略立案を担当していたわたし自身に対し、来訪したコンサル企業や大手ITベンダーが、入れ替わり立ち替わり提案してきた事柄を、煎じ詰めて書いている。皆がみな、あきれるほど同じ話をするのだ。一種の世界宗教であるに違いない。

くりかえすが、議論というのは、共同で問題解決にあたるために、するものである。なので、良い結論が出るか、少なくとも、より明確な共通認識に立てれば、議論は成功と言える。最終結論を誰が出したかとか、反対者を折伏できたかとかは、関係のない話だ。議論はバトルではない。だから、そもそも議論を「勝ち負け」で考えること自体が、おじさん的なのである。

おじさん達にとって、議論は勝つためにあるらしい。そこで「理屈の通るフィールド」では知識で優位を示し、「理屈のないフィールド」では、自分の実感を、権威によって押し通してくる。

わたし達は、そんな相手と議論で「勝つ」ことを、目指すべきではない。単に「負けない」ようにすること。すなわち、より多くの客観的な事実やデータを用意しようと提案すること、最新知識やキーワードには敬意を示しつつも鵜呑みにはしないこと、実際の現場をよく見る(見せる)こと、などが肝要だ。

ちなみに、わたしがここに書いている主張自体、かなり定性的だし、統計的なエビデンスなどは示せていない(ビジネスにおける議論についての調査統計が沢山あるかどうかは、脇におくとして)。そしてわたしが年齢・性別的に「おじさん」であることは、ゆるぎない事実だ。だから読者諸賢がどう評価するかは、お任せするしかない。

とはいえ、別に読者に勝とうと思ってこれを書いている訳ではない。単に『議論の仕方』というものに、光を当てたかったのである。議論の仕方こそが、わたし達の思考や発想を導いていく。それがあまりに、個人や組織間の優位性競争に陥りがちな現状を、少しは打開してみたいのである。


<関連エントリ>


# by Tomoichi_Sato | 2022-12-05 14:42 | 考えるヒント | Comments(1)

工場デジタル変革のためのプロジェクトマネジメント・セミナー開催のお知らせ

お知らせです。来る12月23日(金)に、「スマート工場 構想企画人材 育成セミナー」を開催します。これは(財)エンジニアリング協会の主催の研修セミナーで、一応有償ですが非常に廉価です。1日コースで、工場のデジタル化のための基本を学び、最後に演習として「改革プロジェクトのキックオフシート」を作成してみます。いわば、変革の初日に臨む心構えを得るわけです。

講師は、ゴールシステム・コンサルティングの渡辺薫氏(元・日立製作所)、日本電気の岡野美樹氏、そして小生で、午前1コマ・午後2コマの講義をそれぞれが分担した後、最後のグループ演習は講師全員で協力して進めます。

それにしても、今、なぜ工場のデジタル化を進めなければならないのでしょうか? この点の説明をおろそかにすると、どんなに技術論的に立派な内容でも、組織を動かす事はできません。スマート工場などというバズワードに踊らされているだけだ、と皮肉られたり、そんな金があるなら最新の加工機でも買ったほうが役に立つ、と反論されて終わってしまうでしょう。

むろん中には、「工場(生産)をDX化しろ」と上から言われたから、という方もおられるでしょう。でも、その場合さえ、いざ導入計画を建てて予算承認を得ようとしたら、上が首を縦に振らないという話をよく聞きます。それは上の人が「なぜ」「何を」「いかに」変えたいのか、曖昧だからです。

だからこそ、本セミナーは「なぜ」という問いから始めるのです。工場スマート化とは、デジタル技術を活用したオペレーションの課題解決です。そしてなぜ、データが重要なのか、なぜ、勘や経験値による判断だけでは、今後を乗り切るのに不足なのかを考えていきます。この部分は、TOCの分野で著名な渡辺薫氏が、分かりやすく説明される予定です。

わたしの担当講義では、製造業における情報の流れと、全体をデジタル化した場合のITアーキテクチャーについて説明します。その中核に位置するのは、製造マネジメントシステム(MES/MOM)で、多くの業種にとってはまだ耳慣れないこの仕組みが、なぜ必要で、何の機能を持ち、どう課題解決に役立つかを解説します。

ただ、理屈だけでは人は動きませんし、自社における解決策もなかなか見えてきません。そこでNECの岡野美樹さんから、数々の自社及び客先事例の中から、これぞと思われる事例を、その苦心談なども含めてご紹介頂く予定にしています。

想定する主な受講対象者は、工場の中堅リーダー層です。しかし、製造業にかかわる仕事をしておられるITエンジニア・制御エンジニアの方々も大歓迎いたします。本コースのねらは、スマート工場を作るプロジェクトのリーダーを育てることにあるからです。そのため、この研修はエンジ協会の「プロジェクトマネジメント」セミナーの一環として位置付け、PMP研修向けのPDU単位も発行します。

工場スマート化は、製造とIT/OT技術の交点にあります。この分野が弱いことで、日本企業は欧米どころか、アジア新興国にも追い抜かれつつあります。講師陣のわたし達は、なんとかしてこの流れを逆転したいと願い、このような研修の取り組みを始めた次第です。

こうした「考える」研修は、なかなかオンラインだけでは実効性が上がりにくいため、今回はあえてリアルを中心としたハイブリッド形式で開催します。ただし遠隔地の方の利便に配慮し、オンライン版も価格を下げて提供しますが、対面の方がより効果が高いでしょう。

これだけの内容を1日で供するため、かなり中身の濃い講義となりそうです。都合により日程が、年末のクリスマスイブ直前の金曜日という、若い方にはいささか不都合な(笑)設定になりましたが、ぜひこうした問題に自分で取り組んでみたいとお考えの皆様のご来聴をお待ちしております。

<記>

「スマート工場 構想企画人材 育成セミナー」(エンジニアリング協会主催)

日時: 2022年12月23日(金) 9:30~17:15 事前登録制、ハイブリッド形式。

講演者と内容:(敬称略)
本セミナーのプロジェクトマネジメント観点 ・・・ エンジニアリング協会技術部・川村 武也
スマートファクトリー実現のための必要な知識を学ぶ ・・・ 講師:渡辺 薫(ゴールシステム・コンサルティング)
システムとしての工場~その機能とデータの流れ ・・・ 講師:佐藤 知一(日揮ホールディングス)
スマートファクトリー ユースケース・プロジェクト事例紹介 ・・・ 講師:岡野 美樹(日本電気)
自社の課題整理と質疑応答 ・・・ 全講師

セミナー詳細: 下記をご参照ください

以上

スマート工場にご関心を持つ方のご来聴を、心よりお待ちしております。

佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


# by Tomoichi_Sato | 2022-11-28 17:07 | 工場計画論 | Comments(0)

書評:「ロボ・サピエンス前史」(全2巻) 島田虎之介・著

(Amazon)

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今年読んだ、いや、近年読んだマンガの中で、もっともインパクトある読後感を与えてくれた傑作。そして異色作だ。

島田虎之介という漫画家は、この本ではじめて知った。1961年生まれというから、もう60代に入っている。デビューが2000年、39歳のときというのも、ずいぶん遅い。そして2008年に「トロイメライ」で、手塚治虫文化賞・新生賞。そして2019年に発表した本作で、文化庁メディア芸術祭マンガ部門の大賞を受賞する。まことに遅咲きというか、大器晩成型の作家である。

それにしても、この作品。どう紹介しようか。まことに説明の難しいマンガだ。
いや、別にストーリーが難解だとか、絵が複雑で読みにくい作品という訳ではない。タイトルから連想されるように、SFジャンルに属する。だが、なんだか単純なカテゴリー分けをしても説明にならないような、場合分けを拒絶するかのようなマンガなのだ。

島田虎之介という作家の描線は、あたかも製図用のロットリングで引いたような、強弱のないニュートラルな線である。そしてスクリーントーンも網掛けも全く使わず、白黒二値だけの画面を作る。コマ割りも垂直と水平のみの四角形だけで、必ず枠線がある。今日のマンガが得意とする、ダイナミックで凝ったコマ割りとは無縁だ。

そして構図もある意味、古典的だ。カメラの視線は遠近自在、俯瞰もあればクローズアップもあるが、大事なコマは安定感のある構図でできており、しかもこの作家は結構、シンメトリーを好む。

ふつうマンガでは、細い描線やシェーディングで、対象物の立体感や距離感を表す。しかし中太の均質な線と、白黒だけでグレーのない画面で、奥行きを表現するには、消失点のある遠近法を用いるしかない。この人の絵には比較的、直線が多く使われるが、ただし定規で引いた線ではなく、ハンドライティングの味をわざと残している。手書きの直線による、正確な遠近法。これだけでも絵描きとして相当な力量と分かる。

いわゆる「漫符」も、ほとんど全くない。漫符というのは、現代マンガで人物の気分やモノの動き、そして場面の状況などを表す、一種のシンボル記号である。顔の汗マークとか、頭からのぼる湯気とか、静寂を表す「シーン」という書き文字など。こうした記号は、普通の絵画では描かれないものだ。

漫符に頼らずに、人物の感情やモノの動きを表現するには、よほど注意深く、ある動的な瞬間を切り取る必要がある。島田虎之介というマンガ家は、そういう制約を課することで、本作を一種の心理的なファンタジーとして見せることに成功している。本サイトの書評で以前紹介した、川原由美子「ななめの音楽」も、漫符を一切使わない、非常にストイックな技法で、マンガのある種の到達点を示していたが、本作も別の意味で、ある種のマンガ表現の極点を見せてくれたと言っていい。

では、そのような描画が映し出すストーリーはどんなものか。出版社の宣伝文句を引用すると、

「ロボットの捜索を職とするサルベージ屋、誰の所有物でもない『自由ロボット』、半永久的な耐用年数を持つ『時間航行者』……。さまざまな視点で描かれるヒトとロボットの未来世界。時の流れの中で、いつしか彼らの運命は1つの大きな終着点に向かって動きだしていく」

となるのだが、うーん。たしかにその通りだけれど、この文章を書いたライターさんも悩んだろうな。

本作は全部で13のエピソードからなる。出てくるのは、人間とロボットたち。サルベージ屋とか、「時間航行者」ロボットの開発者とかは人間なのだが、ほとんどのエピソードは、ロボットの側の視点から描かれる。ロボットといっても、いかにもSF機械的な見かけのものばかりでなく、人間と区別のつかないアンドロイド風のものも多い。

人間とロボットの唯一最大の違いは、人間は老いることである。その事実を、このマンガは最初の方で繰り返し描く。時間の経過を描写する手腕は卓越している。本作は「時間」をテーマとした作品だと言ってもいい。

それを象徴するのが、半永久的な耐用年数を持つ『時間航行者』ロボットである。その一人、マリアと呼ばれるロボットは、原子力核燃料廃棄物最終処分場に入って監視を続けるミッションを与えられる。期間は20万年である。処分場の名前は「オンカロ」(これはフィンランドに実在する、地球上で今のところ唯一の最終処分場で、『洞窟』の意味)。マリアは処分場名にちなんで、「恩田カロ子」さんという新しい名前をもらい、施設に密閉される。

ちなみに人間はロボットと違い、原始的で、野蛮でもある。それも本作では繰り返し、暗示的に描かれる(とはいえ暴力的なシーンは一切無い)。もちろん原始的であることは、生命力にあふれる可能性の面も、持っている。しかし老いを怖れ、刹那的になる面もある。有限の時間の中を生きる人間は、その両面の中で、慎重にバランスを選ばなければならない。

これに比して、ロボットは理知的だ。そして少しは感情もあるらしい。感情は主体に、生きる意味を与えるものだ。だが、彼らは道具として作られたので、「ミッション」というものが与えられ、それに従わなければならない。彼らはミッションに、その感情を従属させることになる。

そして、SFとしてお定まりではあるが、野蛮な人間たちには、あまり明るい未来がやってこない。その宿命を予見した科学者が、『時間航行者』ロボットに与える秘密のミッションこそが、本作のストーリーの中心をなしている。老いない生命を持つ者に、本当に託すべきミッションとは何なのか。

ここでは人間は朽ちる身体を、ロボットは朽ちない心を、それぞれ象徴しているようにも見える。

人間であるわたしが、それなりの年数、生きてきて分かったことがある。それは、「心は老いない」という事実だ。いや、むしろ心は、幼いままなのだ。自分の中の気持ちは、いまだに10代半ばの頃とたいして変わらない。さほど成長もしていない。そりゃあ、知識や経験は増えた。また、年齢や地位や父母といった役割にふさわしい(はずの)ふるまい方も、身につけた。だが、肉体は成長し老いても、気持ちの中身は殆ど変わらぬままなのだ。

本作のロボットは、老いない。ボディの経年変化はするが、メンテナンスで入れ替え可能である。彼らは本質的に、老いない。なぜなら彼らの本質は、データ=記憶であるからだ。だからこそ、「身体は朽ちても、魂は永遠に生きる」というイメージに満ちたラストシーンが印象的なのである。

島田虎之介という作家は、2000年のデビューから今日に至るまで、出した単行本がわずか8冊。きわめて寡作である。ペンネームは江戸時代の剣豪の名から、とったのだろうか。途中で、琉球舞踊の「加那よー」を、(ロボットの)伊藤サチオが踊るシーンが、かなりていねいに描かれているのを見ると、沖縄と縁がある人なのかもしれない。しかし作風はアーシーというより、コスモポリタン的である。

そして何より、静謐な絵画空間の中に、ポエジーを感じさせる。言語的というよりも、視覚的な詩情である。そういうマンガ家は、そうそういる訳ではない。マンガというメディアの可能性に興味のあるすべての人に、本作を強くお勧めする。


# by Tomoichi_Sato | 2022-11-22 12:41 | 書評 | Comments(0)

スマートな台所は可能か・その(2)〜スマートなのは人間である

(前回から続く)
あなたは中堅ハウスメーカーの主任エンジニアだ。新しい「スマートなキッチン」の開発を指示されて、悩んでいる。最新式のスマートな調理器具を揃えたって、センサやIoT・AIでデータを集めたって、それだけで真にスマートなキッチンが実現しそうに思えないのだ。気分転換のためにカフェテリアにきて、厨房の中のトラブルを見ながら、あなたには急に気づいたことがあった。

そもそも炊飯器にマイコンがついていようがいまいが、一番大事な判断は、料理する人間がしているのだ。つまり、人間という、感覚も記憶も判断もそなえた、高度な情報処理機能をもつ存在が、システムの中心に居るのだ。マイコンのない単純な機械では、人間が情報処理の全ての役割を負っていた。センサとPLCを抱いた機械は、そのある部分を、機械側が代替してくれる。だが、それでも「スマートさ」の主要な部分は、まだ人間にあるのだ。

そして、そのスマートな人間が、様々な機械設備や道具類、そして什器や建築空間といった様々な要素の、インテグレーション=統合の中心にあるのだ。つまり、「システムとしてのキッチン」を考えたとき、それを統合するのはユーザとしての人間である。そして、その人間の『統合能力』というか、統合の強さは、その人間自身がどれだけ主要な情報処理に集中できるかにかかっている。つまり、人間がスマートに、創造的に働ける場こそ、真にスマートなキッチンと言えるのだ。

そのためには、神経系統に相当する通信が大事なのだ。そのことは、客とのトラブルでバタバタしている厨房を見れば分かる。それぞれのオーダーの調理の状態を知るには、現場を見て回らなければならない。末端の状態を知るために使える情報媒体は、視覚と、せいぜい音などの聴覚しかないのだ。

とすると、通信でキッチン内の各種デバイスからモニタリング・データを取る仕組みが、やはりほしくなるな。それをタブレット画面に表示して「見える化」するアプリだって可能だろう。じゃあ、センサの設置が必要なのだろうか。あるいは調理機械との通信が。ただ、調理機械に通信I/Fなんてあるのだろうか。LANケーブルのコネクタなんて見たことがないぞ。

仮にあったとしても、それでユーザの情報処理の負荷を下げられるのだろうか? 家のキッチンの広さなら、見渡すだけで状況把握には十分ではないか。どこかで、思考がどうどう巡りになっている・・なんで自分はこんな奇妙な難題で、頭を悩ませているのだろう。それよりまずは、「スマートな役員」を開発してくれよ。あなたはそう叫びたい気持ちになる。

そのうち、カフェテリアの客とのトラブルは収束に向かったように見えた。どうやら料理のできばえにクレームがつき、別の料理を慌てて作って出し直したらしい。こういうクレームって、やはり日報とかに記録するのかな。ただ、メニューの品目は多くても、働く人はすべてのレシピを覚えていて、瞬時に対応できるのだ。

そうか。キッチンというのは、ほぼ究極の多品種少量なのだ。その日の天気と、材料と、気分と、家族の体調で、作るものを考えなければならない。それにあわせて材料も買い出しに、つまり調達に行かねばならない。

幸い最近は、レシピはネットでいくらでも検索できるようになったが、それでも、それぞれのレシピで、ちょうど良い火加減や時間と、味(つまり品質)との関係を覚えていかなければならない。また、作るまでの手順と、どれくらい時間がかかるかも推定する必要がある。料理とは、とても頭を使う仕事なのだ。

現状の把握と、過去の記憶と、出来上がるまでの手順と予測。つまり、現在・過去・未来が見えている事こそが、スマートであることの中核なのではないか。

だとしたら、ユーザに対して、現状把握・履歴記憶・手順表示などを助けられれば、料理を作る仕事に、より集中できるようになるのではないか。また、その時どきの材料・調味料の量、調理時間や温度などを、自動的に記録してくれたら、新しいレシピを工夫するといった、創造的な行為だってやりやすくなるはずだ。

とはいえキッチンの全ての機器や道具に、いきなりセンシングや通信機能を求めるのは無理だ。手をつけるべきはどれだろうか。やはりガスレンジと、それと冷凍冷蔵庫かも知れない。冷蔵庫は中が見えないし、何が入っているかも分かりにくい。レンジも温度は目に見えないから。

そして、そこから得たデータを処理するCPUとソフトが、必要になる。台所に置くならタフな工業用PCが良いかもしれない。ソフトのことは素人だが、ある程度クラウドに連携して、UIの表示画面はスマホに出せれば、なんとかなるかもしれない。現状の在庫、過去の調理の履歴、そして完成予定時間を入れれば自動的にレシピの手順を表示してくれるようなソフトにしよう。

ソフトには何か名前が必要だな。やはりお母さん(MOM)かな。いや、それでは性差別だといって抗議されそうだから、別の名にしよう。それと、料理は案外孤独な作業だ。ソフトが、キッチンの外にも、SNSなどにもつながるといいな。

あなたはオフィスに戻って、早速関連する技術者達とブレストを始めることにした・・

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ここまでお読みいただいた読者諸賢には、キッチンという隠喩でわたしが何を指しているか、すでにご想像がついていると思う。ただ、少しだけ補足しておこう。

単純な道具に、センサと通信系統とPLCなどの情報処理機能を付加したものを、世間では「スマート××」と呼ぶことが多い。スマートメーターなどがその代表例である。プログラムを動かせるので、従来よりも多機能になる。UIも改善できる。スマートフォンと従来型携帯(ガラケー)を比べてみれば分かる。

ただしそれは、道具レベルのスマート化である。じゃあ部分的に「スマートな」道具を集めて足し合わせたら、スマートな全体システムが現れるだろうか? スマートな人が集まったら、スマートシティが出現するのか。それはNOだろう。全体とは部分の単なる集合ではない。

システムという言葉自体は多義語だが、かりにも「スマート」なシステムというからには、そこに情報処理の機能が必要である。そして、ほとんどの場合、それを担うのはユーザとしての人間になる。

つまり、人間をその中核要素とするシステム、「システム=道具+人間」という見方ができるかどうかが、スマート化の鍵になるのだ。そしてスマートなシステム設計とは、ユーザという人間のふるまいも含めた全体の、機能と構造と制御を考える仕事なのである。

そしてこのような全体システムの設計を支える工学は、まだ確立されていない、というのがわたしの意見である。従来のソフトウェアSE流の設計理論では不十分だし、欧米におけるSystems Engineeringもまだまだ、発展途上に思える。こうしたシステムの設計(デザイン+エンジニアリング)を助ける、真に新しいシステム工学を、少しでも築いていけたらというのが、いささか大げさだが、わたしの課題意識なのである。

スマートな台所は可能か・その(2)〜スマートなのは人間である_e0058447_15021178.png


<関連エントリ>
「システムの科学理論は、はたして確立できたのか」 https://brevis.exblog.jp/29844619/ (2022-02-20)

# by Tomoichi_Sato | 2022-11-17 15:02 | ビジネス | Comments(0)