「ゲノム医学入門」 西村肇・著(Amazon) 名著である。ずいぶん前に著者から拝領したのだが、前半少し読んだだけで本棚に置いたままにしていた。ゲノム(分子生物学)と医学の本だから、自分の専門とはあまりにかけ離れていて、読んでも分からないだろうと思っていたのだ。しかし今回、機会があったのであらためて手に取り、全部を読み通して、自分の不明を恥じた。これは、自分の身体や生物学に多少の関心があり、病気の治療のあり方がどの方向に進むかを理解したい人すべてにお勧めできる書物だ。いや、医学には無縁でも、システム工学に関心がある人はぜひ、読むべきだ。高度な前提知識はいらない。そして文章も構成も上手く、面白い。 ところで、上述した「機会」とは何か。じつは、さる4月12日、東大本郷キャンパス山上会館で、故・西村肇東大名誉教授を「偲ぶ会」が行われた。昨年11月に91歳の天寿を全うされた故人の遺徳を慕って、全国各地から弟子達(多くは現役の大学教授ないし名誉教授だったが、わたしのような実務界の人間も含む)が参集した。わたしは幹事の一人として開会の挨拶をすることになり、そのために改めて著書を再訪したという次第である。 ちなみに偲ぶ会では、皆が故人を「西村先生」ではなく「西村さん」と呼んでいた。教員になった若い頃から、対等な「さん」づけを好み、「先生」と呼んだ人からは100円の罰金を取る、という研究室のポリシーがあったからである。 西村さんの大学人としてのキャリアは、大きく3つの時期に分かれる。最初は、東大の機械工学を卒業し、化学工学で修士をとってから、航空宇宙研究所で博士号を取得し、化学工学科に呼び戻されて、初期のプロセスシステム工学を確立するまでの第一期。その後、東大紛争を転機として公害と環境の研究に転じた、第二期。そして東大から公害の研究を事実上禁止され、バイオテクノロジーと生命工学の研究分野を新たに切り開いた第三期。それぞれ、ざっくりと10年くらいずつの期間である。 (ちなみに東大から公害の研究を禁止され、地方大学に追い出されそうになった時のいきさつは、最後の著書「気品あるアタマと冒険ある実践」 に記されている。ただし、この事件のあった当時は研究室の誰にも告げることができず、弟子達は、“なぜだか分からないが方向性の急カーブを切っている”と感じていた) 本書「ゲノム医学入門」は定年退官後しばらくたった2003年の発刊で、内容としては第三期の仕事の系譜に属する。『医学入門』とタイトルにあるが、著者は無論、医学者ではない。東大工学部で初めてバイオテクノロジーの研究の先駆けとなり、数年間で雑誌Natureに論文を載せるまでになったが、工学博士である。ではなぜ、彼はこんな本を書くことを思い立ったのか? それは西村肇という学者が、終始一貫して、システム工学の人だったからである。東大に、『システム工学科』という学科はない。ずっと無かった(システムという言葉が入っている学科はあるが)。東大とは、国の文部科学行政の考え方を映す鏡だ。だから日本では、システム工学という学問は正式に認知されていない、という事が分かる。仮にもしもそれが確立されていたら、西村さんは確実にそのリーダーのひとりだったろう。 そして本書は、人間を対象とした医学という分野を、システム工学の観点から分析したら、こんな見取り図になるという、類例のない解説書である。医学はもちろん、数千年にわたる長い歴史をもつ学問であり、また実技の体系でもある。ただゲノム解析という革新的な道具を手にしたのは、20世紀も終わり近くになってからだった。それは医学の考え方も、医薬品のあり方も、根本から変革する力を持っている。著者の言い方を借りれば、それは「医学がエンジニアリングになる」事である。 だが、そうした医学の重要な変革を、大所高所から(もう少し戦略用語を使うなら「管制高地から」)記述した本は、内外にほとんど無かった。なぜ、戦略用語を使うか。それは西村肇という人が、学者として極めて優れた戦略家だったからである。良い学者・研究者に必要な資質はいろいろとあるが、戦略性は優れた業績を上げるための必須の能力である。戦略性とは何をターゲットにどのようなルートからアプローチすべきかを、長い射程距離から考え、順に決めて進んでいく力である。そのことは初期のプロセスシステム工学でも、中期の公害研究(たとえば柳沢幸雄氏と進めた大気汚染研究など)でも、遺憾なく発揮された。 その医学のシステム工学的な見取り図として、本書では具体的に、肥満症・糖尿病・ガン・アルツハイマー病・スキゾフレニア(統合失調症)が取り上げられる。序章として「ヒトゲノム解析」の経緯と意義が語られ、最終章は「全体像をつかもう」となっている。 システム工学的な見取り図とはどんなものか。著者は「遠景・近景・拡大図」という言葉を使って、それを説明する。具体例を挙げた方がわかりやすいと思うので、第3章から「図3-1 化学プロセスとしての糖尿病」を見てみよう。 ![]() #
by Tomoichi_Sato
| 2025-05-19 19:21
| 書評
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ある市場調査によると、日本国内では、PLMの方がERPよりも、売上高が大きいのだそうです。PLMとはProduct Lifecycle Managementの頭文字で、主に製品開発・設計業務の統括に使われるソフトです。22年の売上高は約2,900億円とのことで、あの高価なERP(統合業務パッケージ、同年度で約1,600億円)よりも市場規模が大きいというのです。ERPは全業種で使うのに対し、PLMは自社で製品を開発する製造業だけが対象ですから、ちょっと驚きませんか。 つまり製造業では、それだけ設計開発業務を大切にし、そのIT化・DX化にお金をつぎ込んでいる訳です。もちろんそれ自体は結構なことですが、一方で、PLMの実際の適用範囲はCADデータ管理が中心だ、との声も聞こえます。PLMが本来うたい文句とする、設計から生産準備、生産、そして保守・廃棄まで、「製品のライフサイクル全体」とのギャップが大きいのは、なぜでしょうか? 前回の記事で、「長引く日本社会の低迷の理由は、考える力と決断する力の低下にある」と、書きました。それでは日本の製造業の、長引く低迷の理由は何か。いろいろな仮説がありうるでしょうが、わたしなら、これを挙げます:
量産型・見込生産のマインドセットとは、具体的に何でしょうか。それは、たとえばBOM/部品表でいうと、「一つの製品には一種類のBOMが対応し、なおかつ、BOMはあまり変わらない」という考え方です。 一つの製品モデルにオプションも仕様のバリエーションもないのなら、たしかにBOMはワンセットあれば済みます。また滅多に変わらないのなら、別に変更管理の仕組みもいりません。ややこしいデータベース化などしなくたって、Excelの表でも仕事は回るでしょう。 そういう時代が過ぎてしまったことに、ようやく気づいたから、最近は「150%BOM」だとか「逆展開」だとかを実現できるPLMシステムに、ニーズを感じるようになったのかもしれません。でも、ちょっと待ってください。エンジニアリングチェーン側で必要だからと、一つの製品にマルチのBOMを登録できても、サプライチェーン側はどうなるでしょうか。製造部門は、製造に不要な多数の部品まで、部品展開で出てきたらこまってしまいませんか? 製造業において、BOMは幅広い業務部門が関わる、一種の『情報のハブ』的な存在です。BOMをデータベース化し、その構成や機能を考える際には、多面的な業務視点からの考察が必要です。ところが多くの製造業では縦割りのサイロ化した組織が、これを阻んでいます。上で述べた、「考える力」の低下です。それはどこから生じたかというと、サイロ化です。では組織がなぜサイロ化したかというと、「決める力」が弱まったから、責任回避のために役割単位で自己防衛しようとしてきたためです・・ わたし達はこの不毛なサイクルから脱却し、よりスマートで、環境変化に適応能力の高い製造業への道を、進み始める必要があります。設計は設計、製造は製造、お互い自己都合の中で最適化、という状況を終わらせて、組織全体に必要なBOMの情報構造は何か、一緒に考えませんか。 なお、わたしが行うBOMのセミナーには、一つの特徴があります。それはBOMだけでなく、その根本である部品マスタ=マテリアル・マスタについて、きちんと理解してもらうセクションがあることです。マテリアル定義のために必要な概念と原則、ならびに品目コード化について、演習を含めたディスカッションを行います。ここが高度成長時代のセンスのままだと、じつはBOMが社内でガタつくのです。他のセミナーにない特徴だと自負しています。ぜひご来聴ください。 <記> 「BOM/部品表の基礎とBOM構築のポイントおよび応用テクニック」 日時: 2025年6月19日(水) 10:30 ~ 17:30 主催: 日本テクノセンター 会場: 〒163-0722 東京都新宿区西新宿二丁目7番1号 小田急第一生命ビル22F セミナー 内容詳細および申込み: 下記をご参照ください (コンテンツ項目および説明順序は、参加者のニーズに応じて多少変える場合があります) 有償のセミナーですが、大勢の方のご来聴をお待ちしております。 佐藤知一 #
by Tomoichi_Sato
| 2025-05-11 13:43
| サプライチェーン
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1997年のある日、わたしは出張先の中東の産油国・カタールで、衛星テレビを見ながら1人で夕食をとっていた。インド人のコックが作った日本食で、味噌汁はやたらと濃厚な、謎の味がした。見かけだけは日本風だが、断じて和食ではない。味噌汁を生活の中で味わったことのない人には、味噌汁の「イデア」=本質はわからないのだろう。レシピをなぞり、外側を真似ることができるだけだ。 テレビをつけて、日本語放送にチャンネルを変えると、背広姿の年配の男性の泣き顔が大写しになっていて、仰天した。山一証券社長の記者会見の様子だった。名門証券会社が何兆円もの負債を抱えて、経営破綻したのだ。日本のバブル崩壊を象徴する出来事だった。蒸し暑い中東ドーハの宿舎、謎のインド味噌汁、そしてテレビカメラの前で泣いている、日本人社長。この異様な組み合わせを、わたしは決して忘れない。それはピースがはまらなくなって、崩れ始めたジグソーパズルの絵を思わせた。 日本のバブル期の馬鹿騒ぎを、わたしも少しは覚えている。拝金主義の時代だった。だが、もっと馬鹿げていたのは、人が努力して学んだり働いたりすることの価値よりも、運良く生まれつくことの方がずっと得になると、皆が思い始めたことだった。『東京家付き娘を探せ』という週刊誌の連載コーナーがそれを象徴していた。 日本のバブル時代は1988年頃から始まり、92年頃にはピークを過ぎる。95年の阪神淡路大震災で崩れ、97年の大手金融機関倒産が決定的に終わりを告げた。絶頂期は短かったのに、その後の低迷期はひどく長い。30年経っても未だに抜け出せずにいる。 長引く日本社会の低迷の理由は何か? いろいろな説明が行われてきた。だが定説と言えるものはない。だから、わたしがここで自分流の説明を、もう一つ付け加えても、誰にも咎められはするまい。わたしの説明はこうだ。 「日本社会の低迷の理由は、2つの能力の低下にある。それは、考える力と、決断する力だ」
マネジメントという語のコアの意味は、人を動かすこと、人に働いてもらって結果を出すことだ。 その事は本サイトで繰り返し何度も書いてきた。そしてマネジメントを担う者の一番大切な仕事は判断、決めることである。 『判断』はさらに、『判別』と『決断』に因数分解することができよう。 このうち判別とは、一種のパターン認識に基づく推論能力である。男性の顔と女性の顔を判別する、良品と不良品を見て識別する、求人の応募者に自社の求める能力があるかどうかを判定する。 これらはいずれもパターン認識に、多少の測定やルールを組み合わせて行われる仕事だ。 パターン認識分野は10年ほど前から、深層学習を用いたAI技術によって、機械の能力が飛躍的に向上した。 今では人間のパターン認識能力をはるかに超える、人工知能の応用分野がたくさんある。これをもって、「マシンの知能は人間を超えた」と考える人たちも少なくない。判別と推論が知能の中核だったら、その主張は正しいだろう。 これに加えて2年ほど前から、生成AIが時代の寵児として踊り出た。生成AIは自然言語の入出力インターフェースを備えて、ネットで手に入る言語情報・非言語データを膨大な知識ベースとして蓄え、パターンと確率に従って「自然な」(人間風の)出力をすることができる。 世の中に流通している言語的な知識を検索し判別し、集約・編集して、推論として出力してくれる。 だから、このような種類の仕事をしてきたホワイトカラーの人たちの仕事はかなりの程度、生成AIによって代替可能となった。 ただし繰り返すが、AIが上手にできるのは「判別」の部分であって、「決断」ではない。決断のためには、別に必要となるものがあるからだ。
日本社会は高度に工業化した社会である。そこでは主に「会社」という集団が単位となって、生産や流通の仕事をになっている。 かつての素朴な農業社会の時代、働く人はせいぜい、自分の家族の生活維持を考えればよかった。何を作り育てるかは、土地と気候とでほとんど決まり、選ぶ余地は少なかった。 しかし工業化社会は違う。何を作るか、いつ作るか、 どこでどれだけ作るか。技術のおかげで、選択肢は非常に広がった。そして、どの選択肢を選ぶかによって影響を受ける人の数も、桁違いに大きい。決断の重要性は、飛躍的に高まったのだ。 仕事における問題解決も同じである。何事も全て予想通り、何の問題も生じないビジネスなど存在しない。マネージャーの仕事の半分は問題解決にある。問題に直面した時、私たちはどうするか? このまま進むか、止まるか。 Aの手段を用いるか、Bの対策に頼るか。右に行くか、左に行くか。いろいろと考えて頭を絞って出てきた複数の選択肢の中で、最善と思われるものを選び出して、それで人を動かす。これが決断だ。 前例があり、ルールにのっとった行為なら、決めるのは難しくない。 新しいチャレンジ、先の見えない問題解決こそ、決める力がいる。決めたことに従い、実行して、うまくいけば新しい経験や能力を身に付けることができる。うまくいかなかったら、そこから学びを得る。だから決断しない人間や組織は、学びも成長もない。 考える力がなければ、進歩も成長もない事は自明だろう。しかし、たとえ頭が良くて、知識も豊富で判別能力や推理能力が高くても、決める力がなければ、どうなるか。新しいことに踏み出す決断ができなければ、人も組織も社会も、同じところを堂々巡りし、低迷を繰り返すのみになる。あの証券会社だって、もっと早く簿外債務の対策を決断していたら、廃業に追い込まれずにすんだかもしれない。低迷から抜け出したかったら、わたし達の「考える力」と「決める力」を高めなければならない。
そこで改めて、読者諸賢に問おう。 皆さんはご自分の「決断力」を、5点満点で採点したら何点だと思われるか? そういう角度から、自分や他者の能力を評価しようとしたことが、あったろうか? わたしの自己評価は、正直に言って、残念ながら相当に低い。だが低いままで、社会人を終わりたくはないと思う。では、どうしたら「決める力」を高めることができるのか? そりゃあ、わたしだって人並みに、決断には直面してきた。仕事上のことも、進学も、住む場所を決めるのだって、そうだ。もちろん勤務先を選ぶのだって、結婚だって、決断だ。そうした決断に直面して、決められずに迷うシチュエーションを思い返してみると、二つ大事な要件があったように思えてきた。 その一つは、価値観である。迷いは、トレードオフ関係が生じるときに、おきやすい。お金か、時間か。評判か実質か。利便性か快適性か。成長性か安定性か。あちらを立てればこちらが立たず、トレードオフ関係があると、決めるのに悩む。そうした迷いの糸の「結ぼれ」を断ち切るのが、価値観である。 何が自分にとって一番大切なのか。何が家族にとって、社会にとって、大切なのか。そのつながり、まとまりを、価値観と呼ぶ。決断力には、価値観が必要なのだ。 そしてもう一つ。決めるには、『勇気』が必要なのだ。勇気というのは、理性の回路からだけでは、決して出てこない。頭が良くても臆病で気の弱い人間は、いくらでもいる。勇気は一種の感情的能力だ。 ただし、後先構わずに何でも決めてしまうのは、「蛮勇」と呼ぶ。蛮勇と勇気は違う。勇気をもつ人には、自己に対する信念と、他者への信頼がある。だから、リスクある決断を下すことができるのだ。 『知能』とは、過去の知識や自己の経験から学んで、自分のできること=能力を拡大し、自分の属する家族や社会集団の生存確率と価値を上げるためにある。つまり、知能とはより良い決断のためにある。犬や猫を見て、知能が高いと感じるのは、彼らがより賢い判断と行動をしたときだ。決断の役に立たなかったら、どんなに判別や推論が上手でも、どんなに見かけ上は自然な文章を作れても、ムダに知能が高いだけとしか思われないだろう。 無論、誰でも決断を間違うこともある。間違ったら、次は賢くなろうと努力すれば良い。人工知能は自分が間違ったことを言っても、恥ずかしいとも、自分は無能だとも考えない(そういう意味で、AIはある種の人間に似ている。頭の良い、自己中な人たちだ)。それでも問題構造がシンプルで評価も単純な問題なら、AIに決めてもらうのもありだろう。だが、複雑で重要な問題には、向かない。いかに人間の知能の外見を真似ることができても、自らの生存の中で決断が磨かれなかったら、「知能」のイデア=本質に近寄ることはできないからだ。決断力は現実世界に生きる人が、自ら獲得すべき領域なのである。 <関連エントリ> 「決める力、決めない力」 (2012-11-09) #
by Tomoichi_Sato
| 2025-05-03 22:03
| 考えるヒント
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本シリーズの前回記事「モダンPMへの誘い 〜 クリティカル・パス法は役に立つのか?」 (2025-03-31)では、プロジェクト・スケジュールの基本的な技法であるクリティカル・パス法(Critical Path Method、以下"CPM"と略す)の基本的な弱点について議論した。CPMが使えない、役に立たないと感じられるのは概ね、以下の3つのケースである:
今回はこのうち、(2)のケースについて、まず考えてみたい。 そもそもCPMの大きな特徴、ないし重要な限界とは、それが「決定論的な手法」であることだ。工学において決定論的とは、答えが最初から確定していることを指す。体重100kgの人が、重さ10kgの荷物を持ったら、合計の荷重は110kgになる。これが決定論である。仮に入力変数や計算プロセスがもっと複雑でも、手順に従っていけば、一つの答え(ないし複数でも限定された答え)にたどり着く。 「決定論」に対比すべき手法とは、「統計的」ないし「確率的」な推計手法である。男性の方が女性より背が高い、というのは統計的な傾向だが、ある男性がその配偶者の女性より背が高いかどうかは、確実には言えない。調べたことはないが、90数%くらいだろう(試しに生成AIに聞いてみたが、はかばかしい答えは得られなかった)。あるいは、今日の気温が23℃だとして、今が春の4月だからといって、明日の気温がそれ以上になるかどうかは、確実ではない。だから天気予報は、確率ベースでしか予想しないのである。
現実にわたし達が取組むプロジェクトにおいて、作業期間をあらかじめ精度高く見積もれるかというと、たしかに難しい。「やってみないと分からないこと」はあまりにも多いからだ。 たとえば設計期間を取ってみよう。読者の中には、(わたしがエンジニアリング会社勤務なので)「お前のところのプラント設計なんか、ガチガチっとしているから期間は読みやすいだろ」とお思いの方もいるかもしれない。たしかに蒸留塔とか熱交換器とかの設計手法は、決定論的で、しかも半世紀も前から大して変わっていない。入力パラメータを計算ソフトにぶち込めば、段数だとか伝熱面積だとか、基本的な数字はすぐ出してくれる。 ところが、である。複数人で取組むプロジェクトという仕事では、ほぼ確実に『設計変更』というものがついて回る。変更の理由はいろいろだ。客先からの要望、法規や基準の解釈変更、設計ミスやコミュニケーション・ミス、発注先の都合・・。結果として設計作業のやり直しが生じる。全部で熱交換器10基だから、1日2基設計できるとして、設計期間は1週間ね、などとは決まらないのだ。 もちろん外発的要因だけでなく、担当者・担当組織の能力やスキルのばらつきという要因もある。能力が高ければ、期間も短い。でも(完全な繰返し的仕事ならいざ知らず)初めて取組むプロジェクトにおける能力や生産性を、精度高く見積るのは難しい。
だからアクティビティの期間は、そもそもばらつきのある分布形として考える方が、リアリティが高いと言える。実際、そう考えて推算手法を構築した人たちがいた。前回も少し名前を出したが、1950年代に米国海軍でポラリス・ミサイル開発プロジェクトを支援した、ブーズ・アレン&ハミルトン社の人たちである。 ほぼ同時期にプロジェクト・スケジューリングに取組んでいたデュポン社の技術者は、アクティビティ・ネットワークを構成して、プロジェクトの開始と完了を結ぶ最長経路としてのクリティカル・パス概念を見いだしていた。ただし、アクティビティ期間は確定的な推定値がある、という前提だった。しかしブーズ・アレン&ハミルトンの人々は、コストやスケジュールにはばらつきがあるとして、そこに分布関数を当てはめようと考えた。 ばらつきの分布形として、すぐ思いつくのはガウス分布(正規分布)である。ご存じの通り、これは平均値を中心に、左右対称な釣り鐘型のグラフになる。ただ、ガウス分布をアクティビティ期間に適用すると、都合のわるい点が出てくる。まず、左右対称というのが気に食わない。プロジェクトの実務に携わる人は皆、実感していると思うが、想定より早く終わるケースが少ないが、遅れるケースは多い。これは「想定」自体に問題があるとも言えるが、短くなる方には限界があるのに、長引く方は無際限に遅れることがある。だから分布形は、左右対称ではなく、右側にロングテールな形になるはずだ。 正規分布のもう一つの不都合は、値がマイナス無限大からプラス無限大まで広がっていることだ。つまり、最小値とか最大値がない。でも期間というのは最短がゼロで、マイナスにはなり得ないのだから、数学的に見てまずいことになる。 かわりに彼らが採用したのは、数学で『ベータ分布』と呼ばれる関数系だ。 上の式で、xが期間、f(x)は確率密度関数である。ここにはαとβの2個のパラメータが出てくる。その値の組合せによっていろんな形になる。たとえばα=2, β=4とすると、次のような右側にふくらんだ形になる。 (「生活や実務に役立つ計算サイト」 https://keisan.casio.jp/exec/system/1161228837 による出力例)
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by Tomoichi_Sato
| 2025-04-27 22:14
| プロジェクト・マネジメント
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生産管理の世界には「タクト・タイム」という言葉があります。生産ラインが何分周期で動いているかを示す用語です。例えば自動車の最終組立ラインは、普通の乗用車なら1分のタクトタイムで動いています。すなわち1分間で1台のペースで製品を生み出しているわけです。 1万点の部品からなる、あれだけ大きな製品を、1分に1台ずつ生産するのは大変な仕事です。そして販売価格を考えれば、1分間止まれば数百万円、10分間止まれば数千万円のロスになります。自動車業界の人たちが、一瞬たりともラインを止めないことに命がけになるのも当然でしょう。 自動車、そして家電製品の業界は、こうしたタクトタイムの概念で動いてきました。この2つの業界は、日本の高度成長を牽引し、製造業の考え方に大きな影響を与えています。ちなみにこの2業界は、薄利多売の論理で動いています。薄利だから量産する必要がある。量産することで安いコストを実現し、薄利でも売ることができる。 ところが同じ組立加工でも、一歩その2業界から外に踏み出すと、ずいぶん違った光景に出会います。量産的でない製品、多品種少量の組立加工工場では、タクト・タイムは存在しません。工場の中をじっと見ていても、時間あたり何台位のペースで製品ができていくのかよくわかりません。 そういう工場では、しばしば、よく似た問題に突き当たります。コンピュータの中にある生産計画と、製造現場の作業が、合っていないのです。これは特に中堅以上の企業に多いようです。零細な工場ではそもそも、生産計画をコンピュータで作ったりしません。社長が現場を見渡して、何をどう作るべきか、頭の中と指示が合っているからです。 ところが、それなりの工程数と規模をもつ複雑な工場では、現場を一目で見渡して、すべてを判断し、動かせる人間などいません。そうした企業でよく見かける光景は、生産管理システムの計画と現実とのギャップを埋めるために、誰かがExcelで生産スケジュール表を作り、毎朝現場のチームに配ったりする姿です。 元々、タクト・タイムの『タクト』とは、指揮者の振る指揮棒のことです。日本の多くの工場は、指揮者のいないオーケストラに似ています。オーケストラに弦楽器や管楽器、打楽器といった専門職種があるように、工場には機械加工、溶接、熱処理、組み立てなどの専門工程があります。各工程は皆、それなりに優秀です。立派な機械設備を持っていることも多い。だが、全体として協調して動けず、不協和音があちこちから響いてくるのです。 その結果として生まれる事象は何でしょうか。まず、誰も、個別の製品の納期を正確に答えることができません。計画があてにならないので、部品や材料も調達もうまく生産とマッチできず、あっちでは欠品が生じているのに、こっちでは当面使う予定のない資材で溢れています。 そこで、何が必要なのかを工場に尋ねると、たいていは「立派な製造機械を新設したい」との答えが返ってきます。工場の人は機械が好きなのですね。でもそれは、ちょうどオーケストラに解決策をたずねて、立派な楽器が欲しい、と答えるのに似ていませんか。本当の問題の原因はそんなところにはないのに。 どうしてこうなるかと言うと、答えは簡単で、全体を見る有能な指揮者がいないからです。多品種少量では、決まったリズムのタクト・タイムはありません。しかし各セクションへのタイミングの指示は、要ります。いや、むしろ、決まったタクト・タイムが無いからこそ、指揮者が必要なのです。 もちろん生産管理と呼ばれる仕事は、一応あります。ところが生産管理の仕事は、少なからぬ企業で、工場のブルーカラー業務の延長と見られているようです。また生産管理は文系の仕事だ、と考えているところも多いのです。「管理」は文系の仕事だから、と言うわけです。文系理系の差をとやかく言うつもりはありませんが、数式や計算を敬遠し、ルールや人柄や気合いを重んじる「管理」だけで、複雑な工場という仕組み(システム)のタクトが振れるでしょうか? オーケストラの指揮は、棒さえ振れれば、誰にでもできるように見えます。しかし、指揮は立派な専門職です。音楽大学の指揮科で専門の勉強をし、プロの先輩について修練を通じて、次第に指揮者になっていくのです。同じように、米国には生産マネジメントを専門的に教える大学・学科があり、資格制度と相まって、大勢のプロを生み出しています。それに必要な理論や知識も、専門の学者が研究し蓄積しています。 生産マネジメントには、基礎となる理屈・理論の体系があり、蓄積された技術やノウハウがあります。その事をこれまで毎年、大阪府工業協会の1日セミナーで話してきました。ただし時間の制約もあって、エントリーコース的な内容に限っていました。今回、幸いにも一種のアドバンストコースを作る構想があり、お声がけいただいて、全4回のコースの冒頭を受け持つことになりました。 ちなみに、「世界標準のビジネスプラクティス」を名乗るERPパッケージをはじめ、生産管理用のITシステムは世の中に多数あります。しかし製造DXの一環として、立派なツールを導入しても、上手に使いこなすためには、いわば「魂を入れる」ことが必要なのを、ご存じでしょうか? 生産マネジメントでは、何を重視し何を目指すかが、大事です。それはいわば、会社の価値観ないし戦略です。立派な自動車を買っても、どこを目指してどんな運転をするかで、大きな違いが生まれます。それは売り手のベンダーには、決められぬこと。決めるのは、皆さんなのです。 大勢の方のご参加をお待ちしております。 <記> 日時: 2025年5月14日(水) 9:45~16:45 テーマ: 生産管理 実務力強化 レベルアップコース「1 生産計画の実践」 主催: 公益財団法人 大阪府工業協会 会場: 大阪府工業協会 研修室 セミナー詳細・申込み: 下記Webサイトをご参照ください 佐藤知一 #
by Tomoichi_Sato
| 2025-04-18 21:21
| サプライチェーン
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