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Web連載記事のお知らせ

技術評論社のWebマガジン「エンジニア・マインド」に、連載「タイム・マネジメントの心得」第7回 『仕事の工程表をつくる』を掲載しました。どうぞご覧ください。
# by Tomoichi_Sato | 2008-11-20 23:24 | 時間管理術 | Comments(0)

超入門・在庫管理 在庫ゼロは危険な目標

Kさん。丁寧なご返事、ありがとうございました。しだいに工場の生産部門になじんで、活躍を開始されているご様子、何よりです。また、生産管理とは何かという問題について、ホワイトカラーの役割は命令でなく支援である、という小生の考えに賛同いただき、うれしく思っています。

さて、前回の「超入門・生産管理」にも書きましたとおり、私は在庫量ないしリードタイムが生産システムの重要な性能指標である、と考えています。最小の在庫(ならびに最小の欠品)で、顧客の需要にミートすることは、まさしく生産管理の重要課題です。そして最小の在庫量はすなわち、着手から完成までのリードタイムを短縮する重大な手段です。しかし、この課題認識と、「在庫をゼロにすべきだ」という目標設定は、似て非なるものだというのが私の考えです。

あらたに副工場長として赴任されてこられた方が、『在庫ゼロ』を目標として掲げられたとのことですが、Kさんの感じられた“一抹の不安”、私も文面から同じ様に感じました。この方は技術畑出身で、IT関係の実績はお強いけれども、あまり製造現場のキャリアをお持ちでないとのこと。それだけで判断すべきとは思いませんが、『在庫ゼロ』目標が、ご自身で現場を見て歩かれた判断として出てきたのではなく、どこかよそのセミナーやコンサルタントから聞いて持ち込まれたスローガンだとしたら、たしかに心配です。

その副工場長さんがおっしゃるように、「旧来からの慣習の元に、何かを“必要悪”だと規定してしまうと、それ以上改善する意欲がなくなってしまう」という見解それ自体は、まことにごもっともなことと思います。日本の会社ではあまりにも多くのことが、形骸化したまま慣習として墨守されてしまいます。「だから“在庫は必要悪だ”という思い込みを捨てなさい。」という主張も、その通りかと思います。

ですが、さらに「工場は在庫ゼロを目指すべきだ」とつづく論理には、私はまったく賛成しかねます。その方とちがって、私は意図的に置く適正な最小限の在庫は「必要」であり、「善」である(必要悪という言葉と対比するならば)と考えるからです。私が排撃するのは、意図せざる在庫、いわゆる“できちゃった在庫”のみです。では、その必要善の在庫とは、どのようなものでしょうか?

そもそも在庫(棚卸資産)には、製品在庫・仕掛在庫・原材料在庫の三種類があること、これはご存じだと思います。このうち、個別受注生産品には製品在庫(作りだめ)はあり得ませんから、製品在庫があるのは見込生産品か繰返し受注生産品のいずれかだ、ということになります。(繰返し受注生産に製品在庫があるのはおかしいとお思いですか? しかし、生産に必要とするリードタイムを顧客が与えてくれない場合は、ある程度作りだめをしておかなければ急な注文に応じられません。よければ拙稿『受注生産という名前の見込生産』をご覧ください)。

それで、需要見込を元に作りだめした製品在庫は、工場の判断のみで生じるでしょうか? 多めの需要を見込んで、生産依頼を出してきた営業部門にも責任はあるのではないでしょうか。さらに、製品在庫をゼロにして、本当に営業活動が成り立つかどうかも疑問です。需要は変動するものだ、という基本認識に立てば、その変動に適正な範囲内で対応すべく、製品在庫を持つことは決して責められるべきことではない、と考えます。つまり、在庫の第一の意義とは、予期せぬ需要の変動に対応するためのバッファーなのです。

ただしこの「適正」の範囲については、いろいろ議論はあるでしょう。在庫管理理論の教科書をひもとけばわかるとおり、「需要のばらつき」(分散)をどう見るか、がここでのポイントです。また、「予期せぬ」需要の変動と書いた点にもご注意ください。需要をすべて完璧に予期できる企業なら、たしかに製品在庫は不要になります。

仕掛在庫はどうでしょうか。いうまでもなく、材料部品に対して何らかの作業に着手してから、製品として完成するまでの間のモノは、それが中間品倉庫に鎮座ましましていようが組立場にころがっていようが、すべて仕掛在庫です。加工・製造時間がゼロでないかぎり、仕掛在庫はゼロにはなりません。ときどきこの点を誤解して、うちはコンベヤを捨てて一人屋台生産すれば仕掛ゼロになるはずだ、などという方を見かけますが、生産管理の基礎的な概念をご存じないのでは、と思ってしまいます。

つぎに、原材料在庫に目を転じてみましょう。外部から仕入れる部品類も同じです。これらはどうでしょうか。工場で使う原材料や部品は、発注手配してから納品されるまで、ものにもよりますが日数がかかります。サプライヤーがKさんの会社の系列で、かなりの量を継続して仕入れている場合ならば、今日言って明日持ってこさせる、あるいは数時間単位での納品も可能かもしれません。が、そんな材料部品ばかりではありません。いま、手元のストックが底をついたとします。そこであわてて発注する。入ってくるのは一週間後だと仮定しましょう。その一週間の間に、この部品を使う製造オーダーが一つでも飛び込んできたら、材料欠品になりますね。製品の納期遅れは必定です。

原材料は、最低でもリードタイム期間の日数分は確保しておく必要があります。その日数分を切ったら、発注する。いいかえるなら、原料在庫は、仕入れの発注リードタイム期間中のストック切れを防ぐためにあるのです。

ちなみに、在庫量をはかるときは、個数や金額も大事ですが、いつも「日数分」ではかる習慣を持つことをおすすめします。在庫数量を、毎日の平均使用量(平均需要)で割って得られる値です。これは、在庫回転数や発注点の計算が楽になるだけではなく、“継続的に平均需要をチェックしなおす”習慣にもつながるからです。

そして、在庫にはもう一つ重要な意義があります。それは、在庫によって、注文を受けてから納入するまでのリードタイムを短縮する機能を持つことです。いいかえれば、在庫とは需要の読みにもとづく「時間の缶詰め」なのです。よく、食堂で注文した品が遅いと、「おーい、材料の魚を釣りに行ったのかな」などと冗談で冷やかすことがありますね。注文のたびに、すべて元から作っていたのでは、リードタイムが長くなってかないません。だから需要を見込んで在庫するのです。

まとめましょう。在庫の意義は三つあります。
(1)在庫とは、予期せぬ需要の変動に対応するためのバッファーである
(2)在庫は、手配リードタイム期間中のストック切れを防ぐためにある
(3)在庫とは、需要の読みにもとづくリードタイム短縮を可能にする「時間の缶詰め」である

おわかりですか。在庫は必要なのです。需要に関して完全な予知ができず、かつ、市場の変化速度より生産システムの追随速度が遅い場合は、在庫なしでは済まされません。在庫とは、ある意味では保険です。だれしも保険は払いたくない。しかし、保険なしで自動車を運転することは許されません。あるいは、在庫とは潤滑油です。気まぐれな市場と御社の生産システムをつなぐギアボックスの潤滑油です。Kさん。あなたは潤滑油なしでギアボックスを回せますか? 副工場長さんが指示しているのは、そういうことではありませんか。

むろん、上に述べた3つの意義に対応する在庫は、「意図して置く」在庫です。しばしば工場においては、「意図した結果」なのか「できちゃった結果」なのか、区別せずに議論されます。どうか、適正な意図在庫を配置し、意図せざる在庫はボクメツするよう、努力されることを望んでやみません。
# by Tomoichi_Sato | 2008-11-13 18:53 | サプライチェーン | Comments(0)

労働装備率とは何か

生産システムの効率性は生産性付加価値生産性)によって測ることができ、生産管理の一つの目標は生産性を向上させることにある、と私は何度か書いてきた。では、目標達成のために、生産管理の担当者はなにをすべきか。具体的にどのようにしたら、付加価値生産性は上げることができるのだろうか。そこがわからないと、生産システムの議論など単なる抽象論、絵に描いた餅に終わりそうである。付加価値生産性=(付加価値額)/(従業員数)で定義されるが、この分子・分母とも、そう簡単には変えられそうにないように思われるからだ。

むろん、正社員の労働者の首を切って、派遣労働者に入れ替えれば、見かけ上は分母である雇用数は下がる。しかし、分子の付加価値額とは、(製品の売上額)-(外部支払額)で定義されている。この外部支払額には、社内人件費や減価償却費など、社内の<リソース>にかかわる固定費(社内振替費用)は入っていないことに注意して欲しい。もし正社員を派遣労働者に切り替えると、それは社外への支払額を増やすことになるから、すなわち付加価値額が減ってしまう。つまり分母と分子の間にはトレードオフの関係があって、そう簡単に一方だけをかえることはできない相談なのである。

また、今日の多くの製造業では、工場の人員よりも、営業部門の販売員や本社人員がずっと多いため、直接工の首を多少切っても、分母はたいして減少しない(さらに言えば、こういう無意味な数字操作の影響を排除するため、分母を「従業員数」ではなく「従事者の総労働時間数」で分析する方法もとられるようになってきた)。分母が大して変わらないのに、分子だけが小さくなるのだから、派遣労働者への切り替えによる原価低減策は、あきらかに生産性向上には逆行する施策だということができそうだ。

ちなみに、ご存じかどうかは知らないが、わが政府はつい1年半ほど前に、経済財政政策担当大臣が「今後5年間で労働生産性の伸び率を50%アップさせる」と経済財政諮問会議で発表した。たいしたものである。我が国の過去10年の年平均伸び率は1.6%だから、2.4%にしたいということらしい。1980年代は平均3%だったから、その水準まで戻りたい、ということだろう。だが、その大臣の国会答弁によると、付加価値生産性の中に技術進歩率が入っていると思っているらしい。なんだか定義自体が曖昧な、不思議な経済政策ではある。

IE的手法を用いて製造労働者の動作時間のムダとりを行い、総労働時間数を下げる、というのが、ふつうは生産性向上の王道である。しかし、そこで削減された分だけ、すぐさま人減らしできなければ、結局分母はかわらないことに注意して欲しい。動作時間のムダとりは、ボトルネックとなっている工程以外では生産性向上にはあまり寄与しないのだ。

では、どうするべきか。ここで登場するのが『労働装備率』である。労働装備率とは、(有形固定資産額)/(従業員数)で定義される指標だ。製造業の場合、有形固定資産とは、工場の建物や機械設備などが大きな割合を占めている。つまり、この指標は、労働者一人あたり、どれほど機械化が進んでいるかを大まかに示すと考えて良い。

じつは付加価値生産性は、労働装備率と密接な関係がある。同一の業種に属する日本の製造業数社をとり、横軸に労働装備率、縦軸に付加価値生産性をとって、グラフにプロットしてみると、両社の間には有意な正の相関があることが見て取れる。付加価値生産性の高い企業は、面白いことに労働装備率も高いのだ。

これは、ある意味では当然のことかも知れない。同じ製品を作る場合、より機械化され自動化された工場の方が、労働者は少なくてすむ。従来人間がやっていたことを、機械装置がやってくれるのだから、一人あたりの生産性は高くなるはずだ。そういう意味で、この「労働装備率」という言葉はいささかミスリーディングな用語であって、本来ならば、たとえば「機械装備率」とか「資本装備率」と呼ぶ方が分かりやすい。

そして、この労働装備率は、計画的に変えていくことが可能だ。たとえば、それまで人間が手作業で箱詰めしていた包装ラインがあったとする。ここに、自動包装機を導入する。あるいは、包装材料を倉庫から人間が運んで補充する作業を、天井走行車による自動供給にかえる、といった施策は労働装備率をアップさせ、それで手の空いた労働者を、よりマンパワーがタイトな工程に適切に配置転換すれば、付加価値生産性の向上にも寄与するはずである。

こう書くと、二つの疑問が浮かぶかもしれない。まず第一に、よくJITコンサルタントが“コンベヤラインや自動倉庫を捨てろ、人間を活かして使え”という指導はどうなのか、という点。また、機械化するとしたら、どの部分を機械化するのが良いのか、という点。

じつは、この二つの疑問は、同じ問題を両面から見ているのである。'90年代の初め頃、バブル経済に浮かれていた頃の日本の工場は、「人減らし・機械化」をスローガンに、むやみやたらとコンベヤや自動機械を導入した。しかし、頭の中は「見込・大量生産」時代の発想のままに行ったのである。大量高速生産の機械装置は、たいてい融通がきかない。その結果、単一製品をずっと作るには良いが、需要変動には弱い工場ができあがった。生産システムの機能は「需要情報を製品というモノに変換しアウトプットする」ことなのに、ひどく有効性の低いシステムができあがったのである。人間は柔軟だから、人間力を使え、というのはその意味では正しい。

ただし。いくら人間が柔軟といえども、工場の中には人間がやりたくない/やるべきではない作業がある。危険・汚い・きつい、いわゆる3Kの仕事である。判断基準としては、あなた自身が(あるいはあなたの子ども達が)、その作業を一生続けてやっても良いと思えるかどうかがポイントだ。工場の中の作業を分類すると、

A 人間しかできない、かつ人間がやりたい作業
B 人間しかできない、しかしやりたくない作業
C 機械でもできる、しかし人間がやりたい作業 (←これはあまりない)
D 機械でもできる、かつやりたくない作業

がある。機械化するならば、まずDから着手し、それからBにチャレンジする。これが本来の生産技術というもののあり方であろう。そのようにして労働装備率を改善していくことが、最終的に付加価値生産性の向上につながっていくのである。
# by Tomoichi_Sato | 2008-11-04 23:22 | サプライチェーン | Comments(0)

お知らせ:Lean-Manufacturing-Japanに英文インタビュー掲載

日本型生産管理思想の海外向け紹介サイト「Lean-Manufacturing-Japan」に、生産システムの計画と管理についての考え方をインタビューQ&A形式で解説した『Production Management and Planning (Part 1 & 2)』を発表しました。英文ですが、ご興味があればぜひご覧ください。
# by Tomoichi_Sato | 2008-11-02 23:20 | ビジネス | Comments(0)

生産システムの性能を測る

製造業における生産活動をささえる仕組み全体を、私は『生産システム』とよんでいる。生産システムの機能とは、何か。それは「需要情報というインプットを、製品というモノ(あるいは製品に実現された付加価値)に変換してアウトプットする」ことである。そのための副次的なインプットとして、原料・部品と用役・副資材などを利用する。また人員・機械設備・作業空間などは、生産システムを構成するリソースの要素である。さらに計画指示および実績情報の伝達ルートがあり、これらをもとに「判断」する機能がある。これが生産システムの成り立ちだ。

生産システムの中心には、人間系がある。ここが、機械的な仕組みとちがって、一筋縄ではいかないところだ。人間系を中心としたシステムをつくり、運転し、維持する仕事を総括してマネジメントと呼ぶ。人間系のない、機械的なシステムの運転は、たとえそれがジャンボジェットや原子力発電所のように複雑なものであっても、「マネジメント」とはいわない。運転、制御、あるいはコントロールと呼ぶのがふさわしい。

マネジメントの目的とは何だろうか? 世の中の外部環境が安定して変化が少なく、システムが一応のアウトプットを出しているときは、マネジメントの目的はシステムの安定維持だけになる。組織の存続だけが自己目的化する--これは、多くの硬直化した古い組織に見られることだ。こういう組織では、機能的な見方は、あまりいらない。このシステムは良い性能を発揮しているか、といった疑問は、よけいなことだ。前例と慣習にしたがって動いていればよい--これを別名、官僚主義ともいう。官僚主義においては、過去の経験をたくさん知っているかが能力のすべてだ。だから、年功序列だけが幅をきかせる。そして、ピーターの法則にしたがって、組織全体が次第に機能不全に陥っていく。

機能不全に陥りかけた生産システムに、外部環境(市場)の急な変化が襲いかかったら、ひとたまりもない。需要情報というインプットに、製品というアウトプットがついていけないのだ。これが10年以上にわたる長い不況の間、日本の製造業が直面した問題だった。技術も人材もあり、立派な製品や資産を持ちながら、多くの企業が苦しんだのは、生産システムのマネジメントという基本的な理解が欠けていたからだ。何かの仕組みをマネージしたかったら、その仕組みの性能を測る尺度を持たなければならない。では、生産システムの性能を測るものとは、いったい何なのか? 製造ラインの能力か? あるいは原価率か、はたまた在庫レベルか?

いずれの答えも、直接にはNOである。こうした問に答えるには、一度問題を抽象化してとらえる必要がある。この抽象化というのが、多くの日本の企業人には苦手らしい。だが技術屋にとって、問題解決の一番のヒントは、『抽象化』と『類推』だ。管理技術もその例外ではない。

システムの性能を測る尺度として最低必要なものは、三つある。有効性と、効率性と、安定性の三つである。それは、自動車のような仕組みを考えてみればわかる。思った方向に早く進めるか(有効性)、燃費よく走れるか(効率性)、そしてすぐに揺れたりこわれたりしないか(安定性)、の三つだ。これらのどれか一つでも満たさないものは、自動車として実用の役に立たない(飾っておくだけの趣味なら別だが)。それでは、これらを生産システムに適用すると、どのような尺度になるだろうか。

有効性(Effectivieness)とは、あるべき方向に向かっているか、また向きをすぐに変えられるか、を示す。これは、生産システムにおいては、需要にたいして供給が数量・タイミングともにうまく一致しているかどうか、に相当する。これは、横軸に時間を取り、縦軸に製品数量(累積値)をとって、需要と供給のグラフを書いてみたときに、需要カーブと供給カーブが極力一致することをしめしている。供給カーブが需要を大きく上回れば、それは在庫過剰(作りすぎ)を意味する。供給カーブが需要を下回れば、それは納期遅れ(欠品)を意味する。両者が常に一致していることが、理想だ。二つのカーブの差は、それを数量軸で見れば、在庫量になるし、時間軸で見れば、リードタイムになる。

したがって、リードタイムの短さが第一の指標:有効性の尺度だといっていい。

効率性(Efficiency)とは、燃費の良さを示す。これはすなわち、投入量(リソースの消費量)に対する産出量の比率を表すといってもいい。生産システムの主要な投入リソースは人間であり、主要なアウトプットは、製品の付加価値(販売価格マイナス外部購入費)である。つまり、いわゆる「付加価値労働生産性」が効率性の指標になることがわかる。もっとも、生産システムに機械設備の占める割合が高い業界(よく「装置産業」などと呼ばれる)の場合は、投入リソース量を補正するために、「労働装備率」を同時に参照すべき場合も多い。

さて、三番目の指標が安定性(Stability)、あるいは別名頑健性(Robustness)だが、これは生産システムの何に相当するのだろうか。工場の機械設備がこわれないことか? --たしかに、それも必要なことだろう(とくに、この頃のように保全活動が軽視されている時代には)。

しかし、もっとずっと大事なことがある。生産システムの中核をなすのは人間、それも直接作業に従事する、ふつう「労働者」と十把一絡げにされる人間達である。この人達が、安心して快く働き続けられなかったら、生産システムなどすぐにバラバラになる。人間を交換可能な部品としてしか見ない“モダンな管理思想”が幅をきかす今日、人が最低限のよろこびを持って働けるようサポートすることが肝要だ、などと主張したら時代遅れ扱いされかねない。しかし、私はあえてここで書いておきたい。人はパンのみに生きるにあらず、である。生産システムの頑健性とは、その職場の事故率や離職率の逆数で測られねばならない(「誰のための生産管理」2007/5/6)。

そして、この生産システムの頑健性は、有効性や効率性とは相反する、トレードオフの関係にあるのだ。有効性や効率性は、短期的に上げることも一応可能だ。だが、そのような方策は頑健性を長期的には損なってしまう。だから、マネージャーは、これらの同時の実現とバランスに、細心の注意を払わなければならない。三本脚の鼎は、どれか脚の一本でもひびが入ったら、倒れてしまう。私たちは、立体的な視野の中で、生産というものをとらえる必要があるのである。
# by Tomoichi_Sato | 2008-10-27 08:14 | サプライチェーン | Comments(1)