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書評(巣ごもり読書のための):「経営戦略全史」「三体」「浄瑠璃を読もう」

連休である。ただし緊急事態宣言の下、行楽も映画もパーティも自粛要請で、家に「巣ごもりGW」を余儀なくされている方も多いと思う。そういう方々のために、少し厚めで読みごたえのある、でも案外スイスイ読み進められてしまう本を3冊、ご紹介しよう。いずれも最近、面白く読んだ本ばかりである。


1. 「経営戦略全史」 三谷宏治・著

テレビのニュースを見ていたら、今回の世界的パンデミック危機に対して、ニュージーランドと台湾が、素晴らしい対応力を発揮したと報じていた。ニュースキャスターと解説者は、ニュージーランドの女性首相が国民に切々と協力を訴えるビデオを紹介しながら、成功の最大の理由は、この首相のリーダーシップにあると断じた。

やれやれまたか、とわたしは思った。ニュージーランド政府がどのようにこの問題を把握監視し、どういった体制を組んで、どのような政策をとったのかは、ほとんど報じない。つまり危機対応の戦略については、何も触れないのだ。

組織が成功したら、それはリーダーのおかげだと考える。リーダーシップとは、やる気によって決まると、この国では理解されている。つまり成功したら、やる気のおかげだと考える。失敗したら、やる気が足りなかったのだと考える。

このような社会では、自他の経験から何も学ぶことがないので、何の進歩もない。もちろん、何の戦略論も生まれない。

経営学と言う学問が生まれたのは、ほぼ100年前だ。米国のテイラー、フランスのファヨールらから始まって、特に1960年代以降、米国で隆盛した。その中心テーマは、経営戦略。そして経営戦略コンサルタントと言う専門職も発した。

著者の三谷宏治氏は、名門ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)でキャリアを積み、現在はビジネススクールの教授と著作業に勤しんでいる。複雑な経営戦略論の広大な地平を、わかりやすい見取り図にまとめて、示してくれる能力は大したものだ。

著者によると、経営戦略論は大きく2つの系譜に分かれる。「ポジショニング」派と「ケイパビリティ」派だ。これはとてもうまい切り取り方だと思う。経営学における科学主義と人間主義の2つの見方を代表させ、2つの陣営(「大テイラー主義」vs.「大メイヨー主義」)の対抗するドラマのように描き出す。

日本ではアカデミアの経営学と、実業における経営層との間に、大きな分断があるため、本書のような良い解説がとても価値を生む。また、経営戦略に関心を持ち始めた若手中堅層のビジネスマンにとっても、とても面白い入門書になっている。もちろん著者は、最後に、自分の編み出した手法の詳しい解説を付け加えることも忘れない。

戦略論を編み出した学者やコンサルタントたちの人物像と似顔絵をつけているのも、この本の良い点だ。架空対話も含めて、学問のダイナミズムを、活き活きと描き出している。

本書を読むと、自分まで頭が良くなったような感じになり、経営戦略を自家薬籠中にしたような気持ちになれる。ただ読者が注意すべきところがあるとすれば、これら戦略論のほとんどが、分析と解釈のための道具であって、発明と発想の方法論ではないことだ。

コストリーダーシップとか、ブルーオーシャンとか、定石の枠組みを知ることは大切だ。だが具体的な戦略は、やはり自分の頭で考え出さなければならないのでる。



2. 「三体」 劉 慈欣・著

1967年春、北京。「文化大革命」に沸く若き紅衛兵たちの狂乱的状態と殺戮から、いきなり小説は始まる。長年続く飢餓と貧困と圧制に、当時の中国の若年層は、怒りの感情を内心たぎらせていた。そのガソリンにも似た感情に火をつけたのが、毛沢東の文化大革命キャンペーンだった。彼らは徒党を組んで『紅衛兵』等を自称し、競い合いながら、暴力による「反動的分子」狩りを都市の内外で始める。

その悲劇に巻き込まれた一人が、大学教授の葉哲泰だった。コペンハーゲン解釈やビッグバン理論などの「ブルジョア的反動的」科学理論を講義したという理由から、大勢の目の前で、父親が愚かな若者達に殴り殺されるのを見ているしかなかった、娘の葉文潔。彼女がこの小説の前半の主要人物だ。

「三体」は、物理学者の物語である。天体物理を専攻したがゆえに、遠い寒村に下放され、さらに「紅岸」と呼ばれる電波基地に幽閉された彼女が、どうやって文革時代を生きのびたかは、次第に明らかになるが、ストーリー自体は序盤が終わると、いきなり40数年後の現代に飛ぶ。ナノマテリアルの専門家・汪淼は、トップクラスの物理学者が、次々と謎の自殺を遂げるという事件に巻き込まれ、その背後を探りはじめる。

高エネルギー粒子加速器プロジェクトに関わった、天才女性物理学者・楊冬の遺した「物理学は存在しない」という、不可思議な遺書の意味を探る内に、彼は『三体』と呼ばれる、他の星の歴史を、追体験できる参加型ゲームへとはまり込んでいく・・

互いに引力を及ぼし合う三つの質点系の運動は、一般には解析的に解けず、数値的な予測も至難である。では、三重星系を周回する惑星に生まれた知的生物にとって、宇宙はどのように見えるのか。この小説の中心テーマは、決定論的な宇宙観への挑戦だ。それを、複数の主要人物が織りなす、群像的なストーリーで、きびきびと描き出していく。

物語は密度が高く、テンポも早い。1963年生まれの著者・劉慈欣は、天性のストーリーテラーである。2006年に発刊された本書は、英訳されて、2015年にヒューゴー賞を受賞し、その名声が世界的に確定する(英語以外の作品がヒューゴ—賞をとるのは史上初めてだった)。ただ、物理学者達が主要人物といっても、この小説は、科学的考証を核としたハードSFではない。作中人物が「三体」ゲームを称していうように「時代考証は結構いいかげん」で、科学の面でも該博な知識のかたわら、随分と楽しい空想が膨らんでいる。

それにしても、わたし達、現代日本の読者にとって、この小説の面白さの大きな要素は、現代中国のメンタリティを知ることにあるだろう。中国というのは、「英雄たち」と「その他大勢」が、くっきり二つに分かれる社会らしい。そこでは庶民は、要するに「虫けら」である。めまぐるしく権力者の入れ替わる中国社会の支配層を見上げる彼らは、ちょうど予測不能な三つの太陽の動きを見上げる異星人たちに、似ている。ただ、その庶民達にも、強い上昇志向がしばしば湧きあがる。そうした反エリート感情を代弁する、私服刑事・史強のキャラが、この小説に複雑なひと味をつけ加えている。

本書は、波に乗っている現代中国を象徴するような、波瀾万丈のエンターテインメントだ。だが、そのストーリーの背後には、文化大革命の深い傷跡がある。それは、危機に陥った独裁者が、社会の最弱層の怒りに火をつけて、政治に利用しようとした、暴力と狂気の時代だった。だからこそ著者は、1967年の北京から話を始めたのだ。抑圧された人間社会の行く末を予言することは、三体問題を解く事よりも、難しいらしい。

 「三体」劉 慈欣 (Amazon)
 「三体」劉 慈欣 (honto)


3. 「浄瑠璃を読もう」 橋本治・著

橋本治は、鑑賞の名手である。鑑賞とは、我が国語の世界にのみ存在する特殊なジャンルで、引用を中心とした肯定的解説であり、かつ、それ自身が良質な文学となっていなければならない。つまり文章の下手な人は、良い鑑賞が書けないのだ。批評の1ジャンルと言うこともできるが、欧米の批評 Critiques とは全く異なる。批評は、対象との間に距離を取り、その客観的価値を分析しようとする。だが、自分が対象と同一化することこそ、日本文学の鑑賞における重要な要件なのだ。

とはいえ、1年前に亡くなった作家・橋本治は、現代日本を代表する知性の一人であった。彼は浄瑠璃の物語世界に、深い愛情を示すが、それを生み出した社会の有様や、矛盾に満ちた江戸時代の倫理観を、冷静に見通すことも忘れない。

浄瑠璃とは、人形浄瑠璃(いわゆる文楽)の台本テキストである。「丸本」と呼ばれた浄瑠璃の台本が江戸時代は多数出版され、貸本屋経由で読まれていた。もちろん、歌舞伎のドラマも、かなりの部分は浄瑠璃によっている。近代日本人のメンタリティを築いた浄瑠璃の物語群は、しかし今日は忘れ去られ、出版物さえなかなか入手できない。

本書はその中から、代表的な8作品:
  • 「仮名手本忠臣蔵」(かなでほんちゅうしんぐら) 作:竹田出雲・三好松洛・並木川柳(1748年)
  • 「義経千本桜」(よしつねせんぼんざくら) 作:竹田出雲・三好松洛・並木川柳(1747年)
  • 「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ) 作:竹田出雲・三好松洛・並木川柳(1746年)
  • 「本朝廿四孝」(ほんちょうにじゅうしこう) 作:近松半二(1766年)
  • 「ひらかな盛衰記」(ひらかなせいすいき) 作:文耕堂(1739年)
  • 「国姓爺合戦」(こくせんやがっせん) 作:近松門左衛門(1715年)
  • 「冥途の飛脚」(めいどのひきゃく) 作:近松門左衛門(1711年)
  • 「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん) 作:近松半二(1771年)
を紹介してくれる。

18世紀前半のおよそ60年間をカバーする上記8作品は、人形浄瑠璃という高度な芸能ジャンルの盛衰を表している。初期の立役者・近松門左衛門の時代、人形は一人遣いだった。人形が複雑微妙な感情表現のできなかった当時、太夫の語る台本こそが、文学性を差配していた。だからこそ、日本生まれの日中ハーフの英雄・鄭成功を主人公とする「国性爺合戦」のような、外国を舞台とするスペクタクルもヒットしたし、実在の心中事件に取材した「冥途の飛脚」の、非情なストーリーも生まれたのだ。

近松門左衛門の没後10年経った1734年に、はじめて現在と同じ人形の「三人遣い」が現れた。この技術的イノベーションによって、一挙に人形の感情表現が豊かになり、浄瑠璃の隆盛を招く。竹田出雲らトリオの作になる忠臣蔵、源義経の悲劇、そして「寺子屋」シーンで有名な、菅原道真の3人の家来達の物語が、円熟期の代表作となっていく。

しかし、時代は下って、近松半二の頃(彼は近松門左衛門の孫弟子にあたる)になると、浄瑠璃はもはや、人間が演じる派手な歌舞伎に押されて、衰退期に入っている。彼の巧みなドラマ性で一旦は息を吹き返すが、彼以後の浄瑠璃はもう、新作が現れずに「古典化」し、演奏の芸術として生きながらえる。

浄瑠璃の台本は長くて複雑で、細部がバロック的に装飾され、どんでん返しも多くて、全貌が分かりにくい。現代では「通し」でなく、部分単位でしか上演されず、橋本治もストーリー全部を紹介するようなことはしない。彼が解説し鑑賞するのは、封建社会に生きる人達の、メンタリティと死生観である。それはたとえば、こんなものだ:

「今となっては見過ごされたやすく忘れられてしまう『人形浄瑠璃を貫く価値観』というものがある。(中略)その最大のものは、『きっぱりと決断出来ない人間はだめだ』である。ぐずぐずしているのはバカで、人は、きっぱりと決断すべき時にはさっさと決断していなければだめなのであるーーこの前提があって、その先にもっと重要な『心構え』がある。それは『バカはだめ』である。

 きちんとした結論を出すのに必要なのは、情報収集とその分析である。江戸時代で情報収集などということは簡単じゃない。伝聞と噂話だけで、この確認が容易にはできない。だから情報分析の方が重要で、自分に関わりのある人物の情報であればこそ、その断片を耳にしただけで『核心』にピンとこなければならないーーつまり『人に聡い』のである」(P.191-192)

また、こうも書く。

「『明確な状況認識があれば、事態は必ず打開される』というのは幻想で、そうだったら、頭のいいサラリーマンは会社を変革できているのである。明確な状況認識があったって、事態は打開されないーーこれは、封建的な江戸時代管理社会でも、現代管理社会でも、同じである。

 だからといって、『明確なる状況認識』を放棄してもいいという理由にはならない。だから、『明確なる状況認識』をして分析し、その後に『覚悟』が訪れる。(中略)状況認識の結果『こりゃだめだ』をひそかに理解した人は、だからこそ、孤独の内に覚悟を決める。」(P.193)

浄瑠璃の登場人物たちは、今日の我々の目から見ると、あっけないくらい、すぐに死んでゆく。彼らも我々も、命が惜しいのは同じだし、色や欲に惑わされやすいのだって、同じだ。違いがあるとすれば、聡さへの希求と、覚悟のあり方であろう。窮屈な封建時代は、また、庶民階級でさえ、大人と大人でない者の区別が、はっきりしていた時代でもあった。かの時代の「大人」とは、今のカタカナでいう「オトナ」とは、まったく別のものだ。人に聡く、決断でき、密かに覚悟を持てる大人になれ。浄瑠璃の劇は、そう、我々観客に指し示しているのである。

 「浄瑠璃を読もう」橋本治 (Amazon)
 「浄瑠璃を読もう」橋本治 (honto)


by Tomoichi_Sato | 2020-04-29 23:36 | 書評 | Comments(0)

サービス経済から、ふたたび実物経済の時代へ

私のプロファイル」 にも書いているとおり、ここ数年は勤務先での中長期的なIT戦略の立案と遂行に、たずさわっている。世の中は少し前からDigital Transformation、略してDXというバズワードが席巻しており、わたしのような者のところにも、戦略コンサルやらITベンダーが入れ代わり立ち代わりやってきては、DXの話をしてくれる。何事も勉強と思い、ありがたく拝聴させてもらっているが、だんだん耳にタコができたような気がしてきた。だって、皆が同じ話をするのだ。

その最大のキーワードは、経済の『サービス化』である。サービタイゼーション(Servitization)という、あまり聞き慣れない英語もついている。これまでの世の中は、せっせとモノを作っては売る、物の経済の時代であった。しかしその時代は終わりを告げ、いまやサービスを中心としたソフトなビジネス・モデルに転換すべき時である。そう、来客の方々は力説される。

モノを作って売り切り、その時点で顧客と縁が切れ、しかも安値競争にさらされるような旧式のビジネスは捨て、これからは、顧客から継続的に収入を得る「サブスクリプション・モデル」に転換するべきである、らしい。すなわち経済のサービス化であり、これがなぜか、DXと共に語られている。御社もぜひDXを進められるべきです、それには、センサーとIoTとビッグデータ解析とAI(機械学習)の活用が必要で、という風にセットで売ってくださる話になっている。

さらに上記に加えて、「デザイン思考」と「アジャイル開発」と「MVP」が、おまけについてくる。MVPって誰のことかと思ったら、Minimum Viable Productの略で、実用になる最小限のプロダクト(といってもモノとしての製品ではなく、ECサイトのようなITシステムを指す)のだそうだ。デザイン思考を使ったグラフィックなファシリテーションをすると、驚くような素晴らしいアイデアが次々と生まれるから、それをベースに、アジャイルなチームが最小限のMVPシステムを短期間にローンチする。そこから顧客接点のデータを収集して、AI分析で製品改善に加速度をつければ、驚異的なスピードでビジネスが成長する、らしい。

あのー、ウチはプラント・エンジニアリング会社で、顧客の数はごく限られていて、一つの受注プロジェクトは終えるまでに3年も4年もかかるんですけど。顧客接点のMVPって言われても、何作ったらいいか想像もつきません。そうお答えしても、なにせ新しき良き便りをたずさえて来られるエバンジェリストの方々には、馬耳東風のようだ。

ご訪問いただく各社とも、いかに自社がユニークな顧客サービスに特化しているかを訴えるくせに、ほぼ同じ提案をしてくる点は、感心するくらいだ。外資系戦略コンサルタントも、欧米ITベンダーも、国内大手SIerも、ドイツ人も日本人もアメリカ人も、全員が似たようなことをいう。こういうのがグローバリゼーションというのだなあ。それとも世界宗教と呼ぶべきかな?

経済のサービス化こそ、救いにいたる道です。そういう話を聞いているうちに、ときどき瞼の裏に、ある工場の部品倉庫の姿が浮かんでくる。中規模な電子機器の組立工場だったが、真ん中にとても立派な部品倉庫を持っていた。そこに部品在庫を、16週間分も保持していると、説明者から伺った。つまり4ヶ月分である。在庫回転率にすれば、わずか年3回。会計士や経営コンサルが聞いたら、目をむきそうな数字だ。

その会社の名前は、Beckhoff Automation。ドイツの制御機器メーカーである。本社は北ドイツの小さな地方都市にあって、わたしは日本法人のご厚意で、3年近く前に、そこを訪れる機会をいただいた。同社は産業用のIPC(Industrial PC)を中心とした高性能な製品群を、開発販売している。

わたしは同僚と一緒に、同社の開発部門のエンジニアと、石油ガス系プラントでの応用についてディスカッションした。石油プラントは爆発性で危険なものを扱うため、安全計装には特別厳しいところがあり、さらにプラントの中はDCSが支配する世界だが、井戸元に近い領域では有用だろう。技術的な内容は省くが、そんな議論を交わした後に、本社の近くの工場の一つを見学させていただくことになった。

その工場の様子については、以前すでに一度書いたので、繰り返さない。平屋造りで天井は高く、内部も明るいし、ドイツらしく清潔で、良い工場だった。夕方近かったので、働いている人たちにもリラックス感があった(なにせ基本は、残業などしない人たちなのである)。でも一番印象に残ったのは、部品在庫を16週間分、持っている、という話だった。

なぜ、そんなに在庫を抱えているのか。それは、「日本に学んだ」からだ、というのだ。といっても、日本企業が得意とする、在庫ミニマムの“JIT生産”や“JIT納品”に学んだのではない。まるで逆である。あの恐ろしかった3.11の震災時に、サプライチェーンの途絶を見て、これは危険だ、と思ったらしい。部品がたった一つ欠けても、製品はちゃんと機能しない。だとしたら生産を継続するためには、部品を保つ必要がある。

ドイツには地震なんて起きないじゃないか。ま、それはその通りだろう。だが、どのような事態が起きて、外部からの供給が途絶するか、誰もわからない。現にドイツは数週間前から、東側との国境を閉ざしており、すでに自動車工場が操業停止に追い込まれた。今年のはじめ、誰がそんなことを想像しただろうか?

Beckhoff社の製品は、高機能・高信頼性が売り物の、産業用システムである。壊れたら、納入先の製造ラインや工場全体が止まりかねない。だから、すぐに代わりの製品やスペアパーツを納入できる体制が大事なのだろう。4ヶ月分の部品在庫は、それを保証するための担保なのである。

供給責任』という考え方がある。顧客が頼りにするモノは、継続して供給できるようにする責任が売り手にも生じる、との意味だ。医薬品や医療機器・材料の業界では当然とされる考えだが、他の業界ではあまりポピュラーではない。だが同社は、この考え方に立って経営判断をしていると、わたしは感じた。

産業用の製品は、当然ながら性能と信頼性が大切だ。ただ、「信頼性」には、製品の品質的な信頼性(故障率の低さ)以外に、供給の信頼性も含まれる。在庫という「実物」が、彼らの信頼性を保証する。だから、わたし達のような来客に、それをちゃんと見せて説明してくれるのだ。

もちろん、だからといって、バリエーションの多い製品の形で在庫を持つのは愚かだろう。同社は賢いから、そんな事はしないはずだ。部品の共通化をはかりやすい設計思想のもとで、共通部品を在庫するようにしていると思われる。そしてこれは、経営判断の結果である。Beckhoff Automation社はドイツの典型的な中堅企業(Mittelstand)で、創業者がオーナーの同族企業だ。だから、経営者が自分でリスクを取って、決めることができる。

ひるがえって、JIT納品を誇る日本のメーカー各社は、どうやって供給の信頼性を約束するのだろうか? たしかに日本のメーカーは、JITで在庫をギリギリまで削減したおかげで、内部留保のキャッシュはいっぱい持っている。サプライヤーも、忠実だ。だが、供給の継続は、手形のような「約束」でしかない。

いうまでもないが、パンデミックが世を覆う今は、不安の季節である。そして不安の反対語は、信頼ではないか。あなたは口約束と実物と、どちらを信頼するのか。

別の言い方をしてもいい。経済学風にいうと、世の中には実物資産と、金融資産がある。実物資産は目に見えて、その使用価値もはっきりしている。金融資産は紙の上の数字(あるいはどこかの計算機上のデータ)であって、実物資産との交換可能性を示しているだけだ。それが債権であれ手形であれ、あるいは銀行口座であれ、何らかの手段で、実物と交換できるはずだから交換価値があるのだ。

ただ債権も手形も、いや、たとえ銀行口座でも、貸し倒れになるリスクが必ずついて回る。いや、貨幣そのもの無リスクだろうって? でも、お札をよく見てほしい。「日本銀行券」と書いてあるはずだ。あれは実は、譲渡可能な銀行預金証書の一種なのだそうだ。え、日銀はつぶれない? うん。わたしもそう信じたい。だが、インフレでお札の交換価値がみるみる下がっていく可能性は、ゼロではない。実物資産の利用価値のほうが、むしろ安定してる。

ちなみに経済のサービス化におけるサブスクリプション・モデルは、モノの所有権を売買するのではなく、モノの利用権をベースに商売しよう、という思想だ。その事例を、わたしもずいぶん教えてもらった。

たとえば、ジェットエンジンというモノを売るのではなく、エンジンの稼働時間を売る。これは英ロールスロイス(Power by the Hour)、GEもやっている、賢いやり方だ。あるいは、タイヤを売るのではなく、走行距離を売る。これはミシュランとか、ブリジストンなどが試みている。IoTとセンサー技術で、データを取って分析し、活用もできる。かくして、モノを売るのではなく、成果を売るビジネスに転換が進んでいるのだ、と。

またゼネコンは、建物を売るのではなく、建物のサブスクリプション型ビジネスを、一斉に志向し始めた、とも聞いた。すなわち、不動産というアセットを所有し、保守メンテ付きで賃貸する訳らしい。これって、PFI事業と同じに聞こえたが、まあ顧客が民間の場合はPFIとは言わないのかもしれぬ。

あるいは、その昔、計算機メーカーがやっていた、大型ホストコンピュータのレンタルも、一種のサービタイゼーションだったのだろうか? TSSサービスも利用料モデルだった(まあ、こんな化石時代の話を知っているITエンジニアなんて、もうほとんどいないだろうが・・)。

サブスクリプション事業の利点は、大きく3つほどある、という話である。すなわち、

(1) 顧客からみて試しやすい。なにせ資産を買うより、ちょっとだけの期間の利用料を払って、試しに使ってみることができるからだ。言い換えると、新規顧客開拓が容易だ、ということである。

(2) 顧客の囲い込みで安定収入を得やすい。売り切りはワンタイムの収入に過ぎず、安定しないが、サブスクリプションならば継続的に日銭を得られる。

(3) 顧客と継続した関係を築きやすい。なんといっても、良い顧客体験(UX)を売ることで、フィードバックを得て、さらにベストなUXへと磨きがかけれられるし、新しいニーズを知ることもできる。

そういう風に、良い事だらけだと、推薦者たちはおっしゃる。だが、どうして光のあたっている良い面ばかりを見て、反対側を見ないのだろう? 物事には必ず両面がある、というのは基本的な常識、思考習慣だと思うのだが。

新規顧客を得やすい、ということは、顧客が離れやすい事をも、同時に意味している。それは当然だろう。隣にもっと魅力的なサービスを提供するライバルが出たら、顧客はそちらもすぐに試して比較できるのだ。したがって、上記のメリットは、スイッチング・コストが高くて、顧客の囲い込み(ロック・イン)が可能でない限り成立しないはずである。

スイッチング・コストとは、他の製品に替える際のコストである。たとえば、ジェットエンジンは、そう簡単に取り替えられない。だからロールスロイスやGEのサービスは成り立つのだ。

まあ仮に顧客を囲い込めても、まだ問題がある。

このサイトでは何回も書いているが、サービスとは、リソース提供ビジネスである。自社が保有している、人的リソースや、物的リソースの利用料(占有権)を、お金に変える商売だ。そして、リソース提供である以上、その稼働率が、収益性の最大の鍵になる。リソースの維持には、固定的にお金がかかる。だから、つねに高稼働率の状態で回っていないと、利益が出ない。

いいかえると、サービス業は、急激な需要減少に弱いのだ。今回のパンデミックの事態で明らかなように、航空機需要が落ち込んで、エンジンが地上で寝ている間は、サブスクリプションでは一銭もお金が入ってこないことになる。

もう一つ、サービス経済でまずい点がある。それは、需要回復のスピードだ。今回の危機が去って、世の中の需要が元に戻ったとしよう。その時、実物経済ならば、たしかに需要もV字回復するだろう。たとえば医療機関では、マスクその他が足りずに在庫が底を打った。もしもマスクの供給が無事に復活したら、元の在庫レベルまで補充・回復するため、沢山買うだろう。あるいは今後のことを心配して、もっと買いだめするかもしれない。つまり、需要はV字回復する。

しかし、サービスの場合はどうか。あなたは外出自粛要請が終わったら、たくさんの場所を旅行しまくるだろうか? ホテルに泊まりまくるだろうか? 映画を見まくるか? 飲み会を10件、はしごするか? それはちょっと、無理だろう。

低迷期が終わっても、サービス業の需要はV字回復しない。これがサービス経済と実物経済とで、最も違う点である。サービスは「同時性」(リアルタイム性)という特性があるからだ。サービスでは占有時間に応じて、料金ををチャージする。そして、誰にとっても時間は有限だ。1日は24時間しかない。

つまり、サービスは在庫できないのだ。

今回の騒ぎが終わって、パンデミックが去ったあと、どんな世の中になるのか、いろいろな予想がある。ただ、全くもとのままの姿には、もう戻らないだろうと、多くの人が予測している。その理由の一つは、リーン(在庫最小)でグローバルに伸び切ったサプライチェーンの、脆弱性が明らかになったからだ。

だとしたら、供給の信頼性を再び高めるために、また配下のサプライヤーに事業を継続してもらうためにも、ある程度の部品在庫を持っておく選択肢もあるのではないか。もちろん全部の会社が、4ヶ月分も部品在庫を保つ必要は、ない。だが幸にも、大企業の多くは、すでに無借金経営で、キャッシュを持っている。だったらそのお金で、国内のサプライヤーに発注し、自社の常備在庫を増やしてはどうか。むしろ今なら、良い買い物ができる可能性が高い。

このご時世に、金融資産の数字だけ積み上げたって、リターンはそれほどは多くあるまい。むしろ天下の回りものとして、実物経済に寄与するほうが、少しは役に立とうというものだ。お魚券の論議じゃないが、今の大企業は、貯蓄性向が妙に高すぎないだろうか。お金とは、生きた使い方をしてこそ、ご利益(りやく)があるはずなのである。


<関連エントリ>


by Tomoichi_Sato | 2020-04-23 22:48 | サプライチェーン | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(5月14日)開催のお知らせ

来る5月14日(木)に、2020年の「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」第2回会合を開催します。今回は、PMにおける感情のマネジメントを社会心理学の視点から考えるため、東洋大学の北村英哉教授をお招きしました。昨年から継続的に議論している、『感情』シリーズの第3弾です。

プロジェクトとは不安定なもので、良い方向であれまずい方向であれ、いったん転がりはじめると加速度がつきやすい傾向があります。こうした不安定さには、プロマネ自身やチームのメンバーがもつ、無意識の『感情的バイアス』が、大きな役割を持っていると想像されます。しかしプロジェクトにおける感情の問題は、これまであまり注意を向けられたことがなく、せいぜい組織のモチベーション・アップや報奨とからめて論じられる程度でした。

北村先生の『偏見や差別はなぜ起こる?』によると、偏見などのバイアスは、社会心理学的には「態度」の一種であり、そこには認知・感情・行動の3つの側面がある、のだそうです。無意識のアンコンシャス・バイアスは、認知的には「ステレオタイプ」として現れ、感情的には「偏見」となり、結果としてコミュニケーションを阻害していきます。そして行動面では、社会的差別にまでつながりうる訳ですが、最近のコロナウィルス禍で、わたし達はあらためて、差別がいかに起こりやすいかを実感しています。

プロジェクト・マネジメントの基本は、現実を客観的に見ることにあります。もちろん、だれしも無意識の思い込みから完全に自由にはなれませんが、そのメカニズムがどう働くかを知ることはできます。社会心理学という耳慣れない研究分野の知見が、わたし達の仕事において役立つヒントを提供してくれると期待しております。大勢の方のご来聴をお待ちしております。

(なお、現在の緊急事態宣言と外出自粛要請が、どのような形で明けるかは、まだ不明です。場合によっては、リアル会合+Web会議、あるいはWebのみでの研究会実施とする可能性もありますので、ご了承ください)


<記>

■日時:2020年5月14日(木) 18:30~20:30

■場所:田町キャンパスイノベーションセンター 
 5F スペース:509AB
 (JR田町駅の芝浦口から右方向の階段をおりて、50mほど先の右手の建物です)

■講演タイトル:
「無意識の思い込みの弊害: 感情の社会心理学の観点から」

■概要:
組織内でも対外的にも役割に伴い、人はステレオタイプ的なイメージをもち、それが無意識のうちに働くことでコミュニケーションの阻害要因となることがあります。
こうした無意識の思い込みともいえる「アンコンシャス・バイアス」について近年の知見と、具体例、実践的な対処などをめぐって、感情研究の観点から議論したいと思います。

■講師:東洋大学教授  北村 英哉
 
■講師略歴:
東京大学大学院社会学研究科博士課程中退 博士(社会心理学)、
関西大学教授などを経て、現在、東洋大学社会学部社会心理学科教授。
専門は、社会心理学、感情心理学。 
主要著作:『偏見や差別はなぜ起こる?』(ちとせプレス、共編著、2018年)、『心の中のブラインド・スポット』(北大路書房、共訳、2015年)、『進化と感情から解き明かす社会心理学』(有斐閣、共著、2012年)など。

■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。
 参加を希望される方は、確認のため、できましたら前日までに三好副幹事までご連絡ください。

 以上、よろしくお願いいたします。


佐藤知一@日揮ホールディングス(株)


by Tomoichi_Sato | 2020-04-14 23:21 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

誰が決断を下すのか? 〜タスクフォース組織のすすめ

先週は入社式のシーズンだった。しかし今年はコロナウィルス禍の影響で、式自体を延期したり、全員集合の形式をやめて、オンライン配信にした企業も多かったはずだ。新入社員の側も、さぞや不安だったろうと思う。通常であれば、入社式のあとは、しばらく集合研修の形で新人教育を行い、その後に正式に部門配属になる。だが、今年はそれも分散型でオンライン教育が中心になるに違いない。

なにせ「人の和」を重視するのが、わたし達の社会の文化だ。だから顔と顔を突き合わせ、親しさを重ねることで組織を作り上げていくスタイルが、好まれる。そして一斉採用なので、「同期」という絆も生まれる。米国の会社のように、個別採用で、入社したら1時間程度の簡単なガイダンスがあるだけ、あとは業務マニュアルをポンと渡されて、割り当てられた仕事をしていく、という風ではない(もちろん米国にだっていろいろな企業があり、これは一部の例だが)。

日本では、民間企業を始め、官庁・公的機関などほとんどの組織が、『機能型組織』(Functional organization)と呼ばれる形態をとっている。だから、入社して組織に配属されるとは、何らかの機能を担う部署の、ピラミッドの一番下に所属することを意味する。

機能型組織とは、図に示すように、上に役員層(エグゼクティブ)がいて、その下に部門長(ミドル・マネジメント)がおり、さらにその下に部員がいる構造になっている。各部門は、それぞれ異なる機能的な役割を担う。たとえば図では、「設計」「調達」「建設」の例を示したが、もちろん業種業態によって、「営業・製造・物流」だったり、「診療・看護・医事」だったり、いろいろだろう。自分の業種で、読み替えて見てほしい。
誰が決断を下すのか? 〜タスクフォース組織のすすめ_e0058447_07534120.jpg
各機能は、さらに、インプット・業務プロセス・アウトプットが、だいたい決められている。設計ならば、設計の予条件や顧客要求などがインプットで、設計計算や結果のチェックや作図・仕様書作成などの作業を経て、2D/3D-CADの製作図面やモデル、技術仕様書、操作マニュアル、部品表(BOM)のリストなど、アウトプットを生み出す。

こうした機能型組織の特徴は、機能(要素技術)をベースとして、分業によって業務を進めていくことだ。部門(部署)ごとに、担当する仕事の種類が異なる(営業/会計/製造など)。各部門は、その機能的な能力・技術を磨くことで、最大効率を目指す。そして部門内では、能力・スキルや経験年数により、序列がつくられ、秩序をもって運営されていく。

機能型組織の長所は、技術蓄積・継承・業務改善が行いやすい点だ。セールスならば営業部門、設計ならば技術部門、経理ならば会計部門、という風に、仕事を進める技術やスキルの、オーナーシップが明確になっている。そして、とくに製造業の場合、権限(予算執行や人事評価)は、ライン部門長に集中している。

ただし、欠点もある。分業によって部門間に壁ができやすい、部門を超えた人材の流動性が抑えられがち、といった事がそうだ。しかし最大の問題は、複数の部門が協力して当たらなければならないような、緊急の課題や、期限付きの活動が、進めにくい点にある。

拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』 では、そうした例の一つとして、新製品開発の事案をとりあげた。ある製造業の社長が、たまたま訪問した先の海外企業のトップと意気投合して、その新興国の市場向けに、共同で製品を開発する約束をして帰ってくる。主人公はその会社で働く若手のエンジニアで、技術部門に属しているが、まだ製品開発をリードできるような立場ではない。ただ、明らかに複数部門が関わらなければ、成功しないことぐらいは分かる。

開発案件の担当メンバーの一員となった彼は、その案件の行く末を心配して、大学時代の大先輩にどうしたらいいか、アドバイスをもらいにいく、という設定である。

だが、なぜ主人公は、そういう心配をしたのか? もう一度、図を見てほしい。こういった組織図の、縦横を結ぶ線のことを、英語でなんと呼ぶか、ご存知だろうか。答えは、"Reporting line”だ。つまり、文字通り、レポート(報告)する関係を示す線である。具体的に、誰がどの人に対して報告するか(あるいは逆に、指示がおりるか)を、この線があらわしている。

会社の公式なコミュニケーションは、全部このReporting lineに沿って動かすのが、ルールである。線が結ばれていない人同士は、直接、指示や報告のやり取りはしない(食堂や部活でおしゃべりするような、非公式なコミュニケーションは別として)。ある部門の担当者が、別の他の部門の担当者と、なにか依頼や相談をしたい場合は、線に沿って、部門長を経由して伝達する必要がある。

たとえば設計の担当者は、設計部門長にまず書類や事案を上げ、設計部門長はそれを、調達部門長に渡す。調達部門長は、それを担当者に下ろす。これが会社組織の、公式なルールである。それをバイパスしたりショートカットしたりすると、部長から「俺は聞いていないぞ。勝手なことを決めてくるな!」と叱られたりする。なぜなら部門長は、部内の業務すべてに、一応責任を負っているからだ。

ところで、このような会社に、複数部門にまたがって緊急対応が必要な事案が、何かふってわいたら、どうするか? たとえば拙著にあげたような製品開発でもいい。あるいは今回の、コロナウィルス禍への対策などでもいい。

たとえば図の一番下の点線で囲まれた部分のように、ある事案なりプロジェクトに関わる担当者たちが、何か調整をしなければならなくなったとしよう。その際、彼らは公式なレポーティング・ラインを通してしか、やりとりができない。組織のルール上は、直接お互いに話をすることができないからだ。

しかし、個別の事案の個別の調整を、全部、部長を通して行うのは、果たして現実的だろうか? 部長同士の会議(部長会)なんて、どこの会社でも、せいぜい週に1回か、2週に1回程度だろう。当然ながら、コミュニケーションのスピードが非常に遅くなる。

じゃあ、設計部長が個別事案の相談のために、調達部長や建設部長のところに出向いていって、話すのではどうか? かりに部長同士が、ちょうど空いている時間をうまく取れたとしても、話し合いの結果、意見が対立したら、どうするか。

日本企業はコンセンサス(合意)で進むのが、基本だ。しかし、それでも合意できなかったら、誰が最終的に決断を下すのか? まさか、物理的に声の大きい人か? いや、そんな事はあってはならない(はずだ・・たぶん)。

もちろん組織図上には、「役員」がいる。だが多忙な役員が、個別の事案の調整まで全部、面倒など見きれる訳がない。

ちなみに、具体的な完了条件(ゴール)があり、複数の人が協力する必要があり、そしてリスクがあるような種類の仕事を、『プロジェクト』と呼ぶ。機能型組織では、結果として、複数の機能部門にまたがるようなプロジェクトを進める際に、問題が発生しやすくなる。部門間の課題について、誰が決断を下す人なのか、不明になるからだ。これが、機能型組織の限界だ。

いいかえると、部門横断的に(これをクロス・ファンクショナルといったりする)進めるべき事案が生じても、プロジェクト・マネージャーが存在しないのである。プロマネがいないのだから、プロジェクトの期限(納期)や必要なコストについて、全体を見て判断し、責任を負う者がいないことになる。したがって、プロジェクトの遂行スピードが遅く、誰も終了時期を確約できない状況になりがちだ。

日本の製造業は、機能型組織が強い。逆に言うと、複数の事案やプロジェクトを効率的に回すのには、あまり長けていない、といえるだろう。そしてこの事が、日本企業の競争力を阻害する大きな原因になっているのである。というのも、新製品開発競争や、新市場の開拓、そしてサプライチェーンの海外展開など、部門間を超えて対応しなければいけない課題が、今日では目白押しだからだ。

では、どうするべきなのか? その答えが、『タスクフォース』型チームの組成である。

タスクフォース(Task force)という言葉は、元々米軍が使い始めた、軍事用語である。日本語で言えば「機動部隊」に相当する。すなわち、特定の課題(Task)に対応するために、臨時で動員した人員組織(force)を意味する。

タスクフォースにアサインされた人は、原則として、もともと所属していた部署の仕事は中断して、その特定課題の仕事に専任する。通常は、執務場所も移動して、タスクフォース・チームとして同じ場所に顔を合わせる。そしてチームのリーダーやサブリーダーの指示の下に、仕事をする。そうして、最終的に所定の任務を達成したら、チームは解散となり、メンバーは元の部署に戻っていく。だからタスクフォースは、時限的な組織である。

これに対して、機能部門はパーマネント(永続的)な組織である。永続的だから、若手の教育研修とか、技術蓄積とか、業務改善といったことにも取り組む。タスクフォース・チームでは、原則としてこういった事は行わない。そもそも、仕事のできない、「使えない」人材は、普通タスクフォースにはアサインされない。きちんと能力をもった選りすぐりのメンバーを、一時的に集めて、機動的に課題に当たるのである。

なお、「タスクフォース・チーム」と、「プロジェクト・チーム」は同じものか、違うのか、という問いがある。ネットを調べると、タスクフォースは短期的で、プロジェクト・チームは長期的な仕事に使う場合が多い、などという解説が出てくる。

だが上に述べたように、時限的(有期的)で明確なゴールがあり、複数の人間が協力して当たらないと成功しないような仕事は、原理的にすべて『プロジェクト』である。だから基本的に、両者は同じものだ。実際、欧米のメジャー企業では、Project task force(PTF)という言い方も、よくしている。

タスクフォースの特徴は、とりくむ特定課題について、責任を任されている事だ。必要な権限と、予算と、人員をつけられている。だからこそ、機動的に判断して動けるのである。逆に言うと、細かいこともいちいち上の判断を仰がなければいけなかったり、予算の執行権がなかったり、勝手に人を引き剥がされたりするようでは、タスクフォースは課題解決の責任を負えない。

無論、予算枠が足りない、人が足りない、といった問題は現実にはありがちだ。しかし、だとしたらタスクフォースのリーダーは、その事実を上位マネジメントに訴えるべきだし、逆に上位の管理者(会社の重要なタスクフォースだったら普通は役員層)は、タスクフォースがちゃんと任務を果たせるよう、支援する責務がある。

タスクフォースでは、リーダーが、強いリーダーシップを持つことが大事だ、といった解説もよく見かける。もちろん、それは大切だ。だが、もっと大切なことがある。それは、

 「チームのメンバーは、自分の元の部署の利害や部門長の命令ではなく、タスクフォース・のリーダーの判断に従う

という行動習慣を全員が持つことだ。それを周囲も認めることだ。

たとえば自分が物流部門出身だったとしよう。ある時のリーダーの指示・判断が、どう見ても物流コスト的に余計かかりそうだったとする。仮にたとえそうだとしても、タスクフォースにいる限りは、その指示に従う必要がある。もちろん、リーダーに意見を言うことはあっても良い。しかし、最終的な判断の権限は、リーダーにある。

そこで、出身母体の物流部門の価値基準を優先して、指示を実行しなかったり、あるいは物流部門長にかけあって反論したり、してはいけない。タスクフォースのリーダーと、もとの所属部門の部長の意見が異なったら、タスクフォースの指示で動くべきだ。そうしないと、部門間の合意で決めていたスローなやり方と、何も変わらなくなってしまう。

リーダーはいろいろな角度から、課題の全体像を見て、判断するはずだ。もしかしたら、かりに結果として物流コストが上がっても、製造リスクが下がるのかもしれない。どちらにしても、結果に対する責任は、タスクフォースのリーダーが負うからだ。責任と権限範囲は、対応しなければならない。これが組織の原則である。

時限的で、緊急度が高く、集中して取り組まなければならない課題については、ある程度、権限もタスクフォースのリーダーに移譲(集中)する必要がある。それは、一時的な処置である。安定した時期は、部門間のコンセンサスと、公式なレポーティングラインだけで仕事を動かしてもいい。緊急時は、そうはいかない。

ところが、長らく機能型組織の中だけで生きていると、この原則が見えなくなりがちだ。部門間のバランス・オブ・パワーで生きていると、誰かに一時的に権限が集中するのを、反射的に嫌う傾向がでてくる。これが、タスクフォース組織を活かせるかどうかの、一番のボトルネックなのだ。

もちろん、これは、物流のことをろくに知りもしないリーダーが、何でも勝手に決めていい、という意味ではない。そのために、物流部門から「仕事のできる」メンバーをタスクフォース・チームに入れてもらったのである。そのメンバーも、物流の観点から課題を考え、影響を考慮し、リーダーに提案しなければならない。

つまり、タスクフォース組織を組む際には、影響のありそうな関連機能の部門から、なるべく広くメンバーを入れる必要がある。課題やプロジェクトに利害関係を持つ人のことを『ステークホルダー』と呼ぶ。タスクフォース・チームは、外部のステークホルダー(つまり社内の関連部署の部門長たち)から、やいのやいのと助言だの苦言だのをもらって右往左往せずにすむように、あらかじめステークホルダーの技術や知見を「内部化」しておくのである。

逆に言うと、機能部門長は、タスクフォースに人を出してほしいと要請された場合、余っている人を出すのではなく、ちゃんとした能力を持つメンバーを出す必要がある、ということだ。これもまた、多くの日本の組織では、言うは易く行うは難し、である。部門長は、自部門の都合を第一に考える習慣が強いので、有力なメンバーを割かれるのに抵抗感を持つからだ(それに、大抵の組織では、そもそも有能な人が足りない)。

また、上記に関連して、タスクフォースは、独立した予算枠と執行権を持たなければならない。特定課題に関連する物流コストがアップしても、それは物流部門の成績に集計されるのではなく、タスクフォースのコストになる。こうして、外部からの独立性を担保するのである。

上に述べた拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』のケースでも、本当は、共同製品開発のためのタスクフォース・チームの設置を、すぐに社長が命じるべきだったのだ。だが、社長はそういう事をしないで、案件を、ただ機能型組織に任せた(丸投げした)だけだった。誰がプロジェクト・マネージャーで、どう決断していくのかすら、分からない。そういう状況下にあって、主人公がどう動くか、またそれを助けるための組織的な形態は何か(著者としては実はこの部分の解決に苦労したのだが)、ご興味があればぜひお読みいただきたい。〜以上、コマーシャルの時間でした(笑)。

ともあれ、まとめよう。タスクフォース・チームとは、特定の課題を解決するために、時限的に集められた組織である。それがちゃんと機能して活きるためには、守るべき条件がある:

(1) タスクフォース・チームは、独立した権限と予算執行権を持つ
(2) 幅広い関連部署から有能なメンバーを集める
(3) 各メンバーは(出身部署の利害代表者として動くのではなく)、タスクフォース・チームのリーダーの決断に最終的に従う

このようにして、機動的な部隊を動かし、「誰が決断を下すのかわからない」状態を避けるのである。

ただし上記の「幅広い関連部署」を考える際には、ある問題や対策が、どこまで広い影響範囲を持つのかに関して、きちんと豊かに想像力を働かせる必要がある。想像力と書いたが、それは、物事の依存関係(連鎖的な因果関係)を、幅広くたどっていける論理的な思考能力である。

いいかえると、タスクフォースを成功させるためには、『システムズ・アプローチ』が大事だ、という事だ。じゃあ、そのシステムズ・アプローチとは何か、という話になるが、これはまた深い議論が必要なので、別の機会にまた書こう。


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by Tomoichi_Sato | 2020-04-07 08:18 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)