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BOMデータのマスタと履歴を区別する


どんな会社にも、従業員台帳というのがある。従業員の氏名・誰それ、その住所、生年月日、入社年度、職種といった情報が記されている台帳だ。同姓同名の場合もありうるから、普通は従業員番号も振られているはずである。
同じようにどんな会社にも、給与台帳と言うものがあるはずだ。従業員誰それに支払うべき月給はいくらいくら、といった金額が書いてある。

もっとも、従業員に支払う月給は毎月、異なるだろう。残業代もつくだろうし、手当の金額も変わり得る。だから2019年8月には、誰それに給料をいくらいくら支払った、という履歴も、台帳に残しているはずだ。

月々支払うべき基準としての給与と、毎月実際に支払うべき金額のリスト。どんな会社もこの2つを持っている。

それだけではない。会社によっては、実際にいくら支払ったかの履歴を、さらに別に持っている場合もある。例えば手当の一部が外貨建てである場合は、給与計算をした日と、実際に支払う日では、換算レートが違ったりする。だから、支払おうと決めた金額と、実際に支払った金額に若干の差が出るのである。外貨建て以外にも、現物支給などがあると、やはり実際の支払額が変わりうる。

標準としての給与額。支払おうと決めた決済の金額。そして、実際に支払った金額。この3種類は別のデータだ。だからコンピュータでこのデータを管理したいときには、3種類の別々のテーブルに、記録することになるだろう。

ITエンジニアは、標準としての給与額を記載したケーブルを、「マスタデータ」と呼ぶ。そして月々の支払い金額を消した2種類のテーブルは、あまり聞き慣れない名前かもしれないが、「トランザクション・データ」と呼ぶ。

マスタデータとトランザクションデータの違いは何か? マスタデータは、基準値だから、一旦登録するとそう頻繁には変わらない。給与台帳を更新するのは普通、年に1回位だ。

トランザクションデータの目的は、取引履歴の記録であることが多い。したがって取引が発生するごとに、頻繁に追記される。そのかわり、一旦記録したデータは、基本的には更新されない(例外はあるが)。「取引」と言う言葉を使ったが、これは商取引の意味には限らない。社内的な指示や報告は、データのやり取りであって、データ論的には取引にあたる。

それでは、部品表(BOM)データは、マスタだろうか、トランザクションだろうか?

ある種の人々にとっては自明なこの問いが、しばしば別の人々にとっては混乱の元となる。今回はこの問題を考えてみたい。

「生産とは、設計情報をモノ(媒体)に転写する活動である」、という言い方がある。ちょうど、生物の細胞の中で、DNAに書かれた遺伝情報が、分裂増殖のたびに転写され、新しい細胞が作られていくように。これは、元は東大のものづくり研究で著名な、藤本教授の発言である(たとえば、「ものづくり経営の今後」https://www.panasonic.com/jp/corporate/technology-design/ptj/pdf/v5503/p0202.pdf参照)。

そして、製造業にとってDNAにあたる「設計情報」の、中核にあるのがBOMデータだ。

である以上、BOMデータは製品の「あるべき姿」を示す基準であって、そうそう頻繁に変更されるものではない。だから、マスタデータに他ならない・・こう考える人が多いだろう。

果たして、そうだろうか?

ためしに、個別受注生産(受注設計生産)の場合を考えてみてほしい。造船だとか、産業機械だとか、宇宙ロケットといった、もの作りの分野だ。金型とか鉄骨建材なども、この部類に入る。こうした業種では、正式に受注してから、詳細な設計作業が始まる。顧客の要求する仕様は、毎回、個別だから、それに合わせて、機能や構造や制御方式を考え、決めていく。当然ながら個別受注生産では、受注時点でBOMが確定しておらず、設計が進むにつれてBOMが出来上がっていく

このような業種のBOMは、マスタデータだろうか。もちろん、この設計情報が、工場でモノに転写され製品と化していく訳だから、一種の「基準情報」であることは間違いない。しかし、このBOMをデータベースに登録するとして、これはマスタだろうか。

マスタデータの条件は、頻繁に内容が更新されない事、だった。さて、この条件はどうか。いったん設計が確定し、出図されたら、そう簡単には変更されるべきではないし、変更されたら皆が困る。購買部門は注文したものを変更しなければならないし、製造部門は作りかけたものを手直ししなければならない。うん。だから、変更は少ないはず、と。

実際にこの業種に従事する人がここを読んだら、苦笑いするだろう。そんなことはない、現実には、ありがたくない変更が次から次に起こって、そこから発生する問題をどうボクメツするかが、生産管理の仕事の中心にあるのだ、と。

この事情は、ITエンジニアの読者の方には、受託開発のSIの仕事に類似している、といえば分かっていただけるだろう。SIプロジェクトでは、個別の要件に従って、毎回、要件定義と基本設計を行う。だが、上流工程で固まったはずの仕様が、しばしば実装テスト段階になっても変更を余儀なくされ、それとの闘いが仕事の後半戦の中心になるのだ。SIerの人達に、あなた方の設計図(たとえばモジュール構成図)は、マスタデータですか、と問うたら、どういう答えが返ってくるだろうか。

それに、上記の説明では、まるでBOMデータが設計の完了とともに、一気にワンセット出力されてくるようなイメージで書いた。しかし、現実はそうではないのだ。個別受注生産ではしばしば、コアとなる長納期部品があって、その周囲の部分から先に設計を固めていく。そして中核部分のBOMデータから順次、アウトプットされていく。そうしないと、購買手配が間に合わないからだ。

ある部分はすでに調達が走っているのに、別の部分はまだ設計作業を続けている。そういう並進フェーズがしばらく続く。その間は、BOMデータは順次、追加されていく。既存部分の変更も起きる。

しかも、こうした業種では、部品・材料自体、毎回、個別仕様で購買することが多い。さすがに汎用の材料を使う部分もあるが(とくにケーブルやパイプ・継手など)、こちらは長さ・個数など数量が、毎回、まちまちである。

したがって、こうした個別受注生産の業種では、BOMデータはマスタとして登録しがたいことが分かる。この分野のBOMデータは、購買や製造部門に対する指示であって、いわばトランザクションデータなのである。

しかも個別受注生産では、製造段階で思わぬ問題が生じ(主に設計変更に起因する)、その対応のために、最初の設計図とは違う形で、製造がおこなわれることも、しばしばある。そこで、出荷納品時に、あらためて設計図や設計情報を更新することも多い。これを「As-built」データと呼ぶ。世の中は「As-Is」と「To-Be」の2種類のモデルで割り切れる、と信じている類の人には、驚きだろうが。

As-builtのBOMデータは、「こう作りました」という製造実績を記録する履歴データ=トランザクションである。これは、「こう作ってほしい」という設計のBOMデータと対になっている。個別受注生産の業種では、基本的に、
「製造指示のBOMデータ」
「製造実績のBOMデータ」
の2種類のトランザクション・データが存在し、もしもITシステムでデータベース化する際には、この2種類のテーブルを構築する必要がある。

では、マスタデータはないのか? BOMのマスタデータは、ない。毎回異なるのだから。毎日違う人を雇って、実働時間に合わせて日給を支払う、日雇い労働の会社に、給与台帳など存在しないのと同じだ。

ただし、個別受注生産の業種でも、品目マスタ(部品材料マスタ)は作れるし、作るべきだとわたしは考えている。それは、調達業務や原価(=見積)業務のコントロール水準を向上するために、役に立つからだ。もちろん、設計基準情報の共有・再利用という面でも、省力化に利するだろう。

しかし現実には、たとえそれなりの大企業であっても、品目マスタを持っていないケースを、しばしば見かける。毎回、個別仕様でまちまちの部品・材料の数量表を作って、調達やコスト見積を追いかけていくが、出荷して仕事が終わったら、誰かの机の中にファイルされて朽ちていく。データの使い捨てである。余談だが、個別性に生きるこの業界では、データの再利用とか、標準化の意識が低いように感じられる。過去の設計結果(履歴)のコピペで、もう十分「省力化」ができてると思っていたりする。

・・以上のような話を読んでも、「それは特殊な業界の話だろ」と思う読者は多いかもしれない。日本の製造業の花形は、自動車と家電、その周辺業界だ。こうした業界では、あらかじめきちんと設計された製品を、繰り返し量産していく。だからBOMデータはまさにDNAであり、マスタであるはずだ。一部の特殊な業種の病的な事例を挙げても、参考になるのか、と。

たしかに、繰返し生産型の工場では、ふつう、BOMデータはマスタとして保持している。それを元に、資材購買の手配や、部品在庫からのピッキングや、各工程への製造オーダーが発行される。個別の数量やタイミングは、需要(受注数)と在庫や進捗に応じて変わるだろうが、本来、製品が必要とする部品材料の員数は、不変である。

そしてBOMマスタは、設計に変更生じた時にのみ、更新される。設計は、何らかの仕様に変更が生じた時(ふつうは製品開発に伴って)に起きるだけのはずだ。これが正常なBOMデータの姿である、と。そう思われるかもしれない。

では、お伺いしたい。貴方が新品の自動車を買うとき、いろいろなオプションを指定し注文しなかっただろうか。新しいPCをネットで注文した時、ストレージやCPUやメモリを選ばなかっただろうか。これはすべて、個別仕様ではないか?

そう。個別仕様だ。だが、そのために、自動車メーカーやPCメーカーが、いちいち設計図を起こすようなことはしない。塗装の色もエアバッグもミッション部分も、すべて標準モジュール化され、組立て段階で選んで組みつければ良いようになっている。これを受注組立生産(ATO=Assemble to Order)による「マス・カスタマイゼーション」と呼び、先進的な業界の姿である、と。きっと新進気鋭のコンサルタントなら、そう反論するだろうなあ。

それで、個別仕様への対応を、オプションとモジュール構成で実現するATOの工場では、BOMデータはどうなっているのか。オーダー番号ABC0987の、佐藤氏の注文したPCは、どの部品とどの部品を組み合わせて作るのか。当然ながら受注システムから製造システムに対して、オーダー番号に紐づいて、データが受け渡される。内容は、使用すべき部品のリストである。これは、BOMのトランザクションそのものではないか。

見込生産・繰返し型受注生産で量産型なら、たしかに生産活動はBOMマスタの単純な転写と言っていい。しかしATO(受注組立生産)では、明らかに、個別のBOM指示が必要で、その履歴はトランザクションデータになる。(ついでに言うと、ATOでは、月度生産計画や部品調達計画のために、モジュラー型BOMも必要になるのだが、この話をすると長くなるので、興味がある方は拙著『BOM/部品表入門』 第8章を参照してほしい)

そして、さらに言うならば、単純な繰返し型の生産形態は、今日の日本では少なくなった。単純な量産は、海外に出てしまって、日本国内に生き残っている工場の多くは、個別仕様だとか、試作品だとか小ロット特級品だとか、ちょっと厄介な仕事に対応することで稼いでいる。

そして、個別仕様を受け入れ始めるやいなや、必要とされるBOMデータは、マスタに登録されている標準品からずれていく。それを、個別のオーダーに紐づけて、記録していく必要が生じる。だから、BOMはマスタ以外に、製造オーダーに紐づくトランザクションデータも、持っておかねばならない。

BOMがマスタであるべき、という一種の思い込みは、現在の構造型BOMが、MRPという生産管理方式と一緒に生まれたことから生じているらしい。だが、本家欧米のMRPさえ、個別仕様に対応せざるを得なくなってきているし、実際、SAPの生産管理モジュールでさえ、ずいぶん以前(R/3の時代)から、生産オーダーにBOMを添付して発行する機能を持っていたと記憶する。

それだけではない。実際には、生産オーダーを受け取った製造現場側が、さまざまな理由から、その通り作れずに、部品材料を変更することがある。よくあるのは、サプライヤーの変更に伴い、部品材料が変わってしまうとか、部品のストック切れを待って、新しい仕様の部品に切り替えていくとかいった状況である。ほかにも、リソース(生産資源)の変更(加工機械を変える、など)もありうるし、工順の変更(外注に出す、など)もある。

こうしたことは、すべて、指示されたBOMデータからの変更であり、実績として別途、記録しておく必要がある。そうしないと、出荷後に品質問題が見つかったり、保守サービスの要求をもらった際に、実際に何と何でどう作っていたかを、追えなくなってしまうからである。

かくして、いわゆる繰返し受注生産型の業種であっても、結局、
・設計の姿としてのBOMのマスタデータ
・製造指示としてのBOMの履歴(トランザクション)データ
・製造実績としてのBOMの履歴(トランザクション)データ
3種類のBOMデータベースが必要になる訳である。

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そして、これこそが、いわゆる「E-BOMとM-BOMの乖離問題」を防ぐ、予防線の一つなのだ。E-BOM/M-BOMの乖離が生じる原因はいくつかあるが、その重要な一つが、設計図と、実際の製造にズレが生じることにある。ズレの原因は、上述のように、個別仕様への対応の場合もあれば、部品在庫の都合もあるし、様々だ。だが、ズレが生じるのが、現実だ。その現実を、BOMマスタ一つだと、救いきれなくなる。

だから、BOMデータベースには、原則として、3種類が必要になる、と最初から考えてDB設計する方がいい。これは、落ち着いて考えれば当たり前の話であって、だからわたしは『BOM/部品表入門』の冒頭、プロローグにこの図を入れたのである。

だが、BOMデータのマスタとトランザクションの区別(併用)という考え方は、未だに必ずしも普及していないようだ。つい最近も、ある大手IT企業の資料の中に、「E-BOMとM-BOMの乖離問題は、見込生産や繰返し受注生産に起きやすい。個別受注生産ではこの問題は生じない」という見解が書いてあって、驚いた。わたしの誤解かもしれないけれど、この会社は、E-BOM/M-BOM問題と、マスタ/トランザクションの区別を、なんだか一緒くたに論じているのではないかと思えたのである。

こうした議論の混乱が生じる一因は、マスタデータというものが、「再利用可能なデータの格納場所である」という理解が不足していることにもあるのではないか。マスタデータは、単に更新頻度が少ないデータの置き場所ではないのだ。データを「再利用可能」な姿にブラッシュアップして、それを皆が共有し参照できるようにするため、台帳としてのマスタを作るのである。

マネジメントとは、PDCAサイクルを回すことだけではない。個別性の高い仕事を、繰り返し可能にし、再利用可能にし、標準化することもマネジメントなのだ。もちろん、そのためのデータのマネジメントだって含まれる。

マネジメントとは、結果(製品)だけ出せば良いのではない。仕事を個人に依存しない、インパーソナルな仕組みに作り上げることである。仕事を、個人の知識や経験値に依存した、属人的なものに留める段階にとどまっているならば、その組織は、いつまでたっても、新しい能力を共有することができないだろう。

では、製品種別が増え、個別仕様が増え、受注設計生産を余儀なくされている現代の製造業にとって、BOMデータのマネジメントはどうあるべきか。それを考えるための有償セミナーを、12月にもう一度、アンコールで実施することになった。長い記事の最後に、宣伝めいた終わり方で恐縮だが、もしこの主題に関心がおありになる方がいたら、下記のURLをのぞいて、ご検討いただきたい。

2019年12月17日(火) 10:30 ~ 17:30
BOM/部品表の基礎と効果的な活用ノウハウ

もちろん、佐藤の考え方には賛成できない、反論を述べたい、という方も大歓迎である(笑)。ちゃんと議論して、わたし達の社会の製造業のレベルアップに、ぜひ一緒に寄与しようではないか。


<関連エントリ>
 →「E-BOM(設計部品表)とM-BOM(製造部品表)の関係を考える」 https://brevis.exblog.jp/24157732/ (2016-02-21)
 →「オプションが多数ある製品のBOMは、どう構成すべきか」 https://brevis.exblog.jp/21404200/ (2013-12-02)


by Tomoichi_Sato | 2019-08-28 23:24 | サプライチェーン | Comments(0)

BOMデータのマスタと履歴を区別する

どんな会社にも、従業員台帳というのがある。従業員の氏名・誰それ、その住所、生年月日、入社年度、職種といった情報が記されている台帳だ。同姓同名の場合もありうるから、普通は従業員番号も振られているはずである。
同じようにどんな会社にも、給与台帳と言うものがあるはずだ。従業員誰それに支払うべき月給はいくらいくら、といった金額が書いてある。

もっとも、従業員に支払う月給は毎月、異なるだろう。残業代もつくだろうし、手当の金額も変わり得る。だから2019年8月には、誰それに給料をいくらいくら支払った、という履歴も、台帳に残しているはずだ。

月々支払うべき基準としての給与と、毎月実際に支払うべき金額のリスト。どんな会社もこの2つを持っている。

それだけではない。会社によっては、実際にいくら支払ったかの履歴を、さらに別に持っている場合もある。例えば手当の一部が外貨建てである場合は、給与計算をした日と、実際に支払う日では、換算レートが違ったりする。だから、支払おうと決めた金額と、実際に支払った金額に若干の差が出るのである。外貨建て以外にも、現物支給などがあると、やはり実際の支払額が変わりうる。

標準としての給与額。支払おうと決めた決済の金額。そして、実際に支払った金額。この3種類は別のデータだ。だからコンピュータでこのデータを管理したいときには、3種類の別々のテーブルに、記録することになるだろう。

ITエンジニアは、標準としての給与額を記載したケーブルを、「マスタデータ」と呼ぶ。そして月々の支払い金額を消した2種類のテーブルは、あまり聞き慣れない名前かもしれないが、「トランザクション・データ」と呼ぶ。

マスタデータとトランザクションデータの違いは何か? マスタデータは、基準値だから、一旦登録するとそう頻繁には変わらない。給与台帳を更新するのは普通、年に1回位だ。

トランザクションデータの目的は、取引履歴の記録であることが多い。したがって取引が発生するごとに、頻繁に追記される。そのかわり、一旦記録したデータは、基本的には更新されない(例外はあるが)。「取引」と言う言葉を使ったが、これは商取引の意味には限らない。社内的な指示や報告は、データのやり取りであって、データ論的には取引にあたる。

それでは、部品表(BOM)データは、マスタだろうか、トランザクションだろうか?

ある種の人々にとっては自明なこの問いが、しばしば別の人々にとっては混乱の元となる。今回はこの問題を考えてみたい。

「生産とは、設計情報をモノ(媒体)に転写する活動である」、という言い方がある。ちょうど、生物の細胞の中で、DNAに書かれた遺伝情報が、分裂増殖のたびに転写され、新しい細胞が作られていくように。これは、元は東大のものづくり研究で著名な、藤本教授の発言である(たとえば、「ものづくり経営の今後」https://www.panasonic.com/jp/corporate/technology-design/ptj/pdf/v5503/p0202.pdf参照)。

そして、製造業にとってDNAにあたる「設計情報」の、中核にあるのがBOMデータだ。

である以上、BOMデータは製品の「あるべき姿」を示す基準であって、そうそう頻繁に変更されるものではない。だから、マスタデータに他ならない・・こう考える人が多いだろう。

果たして、そうだろうか?

ためしに、個別受注生産(受注設計生産)の場合を考えてみてほしい。造船だとか、産業機械だとか、宇宙ロケットといった、もの作りの分野だ。金型とか鉄骨建材なども、この部類に入る。こうした業種では、正式に受注してから、詳細な設計作業が始まる。顧客の要求する仕様は、毎回、個別だから、それに合わせて、機能や構造や制御方式を考え、決めていく。当然ながら個別受注生産では、受注時点でBOMが確定しておらず、設計が進むにつれてBOMが出来上がっていく

このような業種のBOMは、マスタデータだろうか。もちろん、この設計情報が、工場でモノに転写され製品と化していく訳だから、一種の「基準情報」であることは間違いない。しかし、このBOMをデータベースに登録するとして、これはマスタだろうか。

マスタデータの条件は、頻繁に内容が更新されない事、だった。さて、この条件はどうか。いったん設計が確定し、出図されたら、そう簡単には変更されるべきではないし、変更されたら皆が困る。購買部門は注文したものを変更しなければならないし、製造部門は作りかけたものを手直ししなければならない。うん。だから、変更は少ないはず、と。

実際にこの業種に従事する人がここを読んだら、苦笑いするだろう。そんなことはない、現実には、ありがたくない変更が次から次に起こって、そこから発生する問題をどうボクメツするかが、生産管理の仕事の中心にあるのだ、と。

この事情は、ITエンジニアの読者の方には、受託開発のSIの仕事に類似している、といえば分かっていただけるだろう。SIプロジェクトでは、個別の要件に従って、毎回、要件定義と基本設計を行う。だが、上流工程で固まったはずの仕様が、しばしば実装テスト段階になっても変更を余儀なくされ、それとの闘いが仕事の後半戦の中心になるのだ。SIerの人達に、あなた方の設計図(たとえばモジュール構成図)は、マスタデータですか、と問うたら、どういう答えが返ってくるだろうか。

それに、上記の説明では、まるでBOMデータが設計の完了とともに、一気にワンセット出力されてくるようなイメージで書いた。しかし、現実はそうではないのだ。個別受注生産ではしばしば、コアとなる長納期部品があって、その周囲の部分から先に設計を固めていく。そして中核部分のBOMデータから順次、アウトプットされていく。そうしないと、購買手配が間に合わないからだ。

ある部分はすでに調達が走っているのに、別の部分はまだ設計作業を続けている。そういう並進フェーズがしばらく続く。その間は、BOMデータは順次、追加されていく。既存部分の変更も起きる。

しかも、こうした業種では、部品・材料自体、毎回、個別仕様で購買することが多い。さすがに汎用の材料を使う部分もあるが(とくにケーブルやパイプ・継手など)、こちらは長さ・個数など数量が、毎回、まちまちである。

したがって、こうした個別受注生産の業種では、BOMデータはマスタとして登録しがたいことが分かる。この分野のBOMデータは、購買や製造部門に対する指示であって、いわばトランザクションデータなのである。

しかも個別受注生産では、製造段階で思わぬ問題が生じ(主に設計変更に起因する)、その対応のために、最初の設計図とは違う形で、製造がおこなわれることも、しばしばある。そこで、出荷納品時に、あらためて設計図や設計情報を更新することも多い。これを「As-built」データと呼ぶ。世の中は「As-Is」と「To-Be」の2種類のモデルで割り切れる、と信じている類の人には、驚きだろうが。

As-builtのBOMデータは、「こう作りました」という製造実績を記録する履歴データ=トランザクションである。これは、「こう作ってほしい」という設計のBOMデータと対になっている。個別受注生産の業種では、基本的に、
「製造指示のBOMデータ」
「製造実績のBOMデータ」
の2種類のトランザクション・データが存在し、もしもITシステムでデータベース化する際には、この2種類のテーブルを構築する必要がある。

では、マスタデータはないのか? BOMのマスタデータは、ない。毎回異なるのだから。毎日違う人を雇って、実働時間に合わせて日給を支払う、日雇い労働の会社に、給与台帳など存在しないのと同じだ。

ただし、個別受注生産の業種でも、品目マスタ(部品材料マスタ)は作れるし、作るべきだとわたしは考えている。それは、調達業務や原価(=見積)業務のコントロール水準を向上するために、役に立つからだ。もちろん、設計基準情報の共有・再利用という面でも、省力化に利するだろう。

しかし現実には、たとえそれなりの大企業であっても、品目マスタを持っていないケースを、しばしば見かける。毎回、個別仕様でまちまちの部品・材料の数量表を作って、調達やコスト見積を追いかけていくが、出荷して仕事が終わったら、誰かの机の中にファイルされて朽ちていく。データの使い捨てである。余談だが、個別性に生きるこの業界では、データの再利用とか、標準化の意識が低いように感じられる。過去の設計結果(履歴)のコピペで、もう十分「省力化」ができてると思っていたりする。

・・以上のような話を読んでも、「それは特殊な業界の話だろ」と思う読者は多いかもしれない。日本の製造業の花形は、自動車と家電、その周辺業界だ。こうした業界では、あらかじめきちんと設計された製品を、繰り返し量産していく。だからBOMデータはまさにDNAであり、マスタであるはずだ。一部の特殊な業種の病的な事例を挙げても、参考になるのか、と。

たしかに、繰返し生産型の工場では、ふつう、BOMデータはマスタとして保持している。それを元に、資材購買の手配や、部品在庫からのピッキングや、各工程への製造オーダーが発行される。個別の数量やタイミングは、需要(受注数)と在庫や進捗に応じて変わるだろうが、本来、製品が必要とする部品材料の員数は、不変である。

そしてBOMマスタは、設計に変更生じた時にのみ、更新される。設計は、何らかの仕様に変更が生じた時(ふつうは製品開発に伴って)に起きるだけのはずだ。これが正常なBOMデータの姿である、と。そう思われるかもしれない。

では、お伺いしたい。貴方が新品の自動車を買うとき、いろいろなオプションを指定し注文しなかっただろうか。新しいPCをネットで注文した時、ストレージやCPUやメモリを選ばなかっただろうか。これはすべて、個別仕様ではないか?

そう。個別仕様だ。だが、そのために、自動車メーカーやPCメーカーが、いちいち設計図を起こすようなことはしない。塗装の色もエアバッグもミッション部分も、すべて標準モジュール化され、組立て段階で選んで組みつければ良いようになっている。これを受注組立生産(ATO=Assemble to Order)による「マス・カスタマイゼーション」と呼び、先進的な業界の姿である、と。きっと新進気鋭のコンサルタントなら、そう反論するだろうなあ。

それで、個別仕様への対応を、オプションとモジュール構成で実現するATOの工場では、BOMデータはどうなっているのか。オーダー番号ABC0987の、佐藤氏の注文したPCは、どの部品とどの部品を組み合わせて作るのか。当然ながら受注システムから製造システムに対して、オーダー番号に紐づいて、データが受け渡される。内容は、使用すべき部品のリストである。これは、BOMのトランザクションそのものではないか。

見込生産・繰返し型受注生産で量産型なら、たしかに生産活動はBOMマスタの単純な転写と言っていい。しかしATO(受注組立生産)では、明らかに、個別のBOM指示が必要で、その履歴はトランザクションデータになる。(ついでに言うと、ATOでは、月度生産計画や部品調達計画のために、モジュラー型BOMも必要になるのだが、この話をすると長くなるので、興味がある方は拙著『BOM/部品表入門』 第8章を参照してほしい)

そして、さらに言うならば、単純な繰返し型の生産形態は、今日の日本では少なくなった。単純な量産は、海外に出てしまって、日本国内に生き残っている工場の多くは、個別仕様だとか、試作品だとか小ロット特級品だとか、ちょっと厄介な仕事に対応することで稼いでいる。

そして、個別仕様を受け入れ始めるやいなや、必要とされるBOMデータは、マスタに登録されている標準品からずれていく。それを、個別のオーダーに紐づけて、記録していく必要が生じる。だから、BOMはマスタ以外に、製造オーダーに紐づくトランザクションデータも、持っておかねばならない。

BOMがマスタであるべき、という一種の思い込みは、現在の構造型BOMが、MRPという生産管理方式と一緒に生まれたことから生じているらしい。だが、本家欧米のMRPさえ、個別仕様に対応せざるを得なくなってきているし、実際、SAPの生産管理モジュールでさえ、ずいぶん以前(R/3の時代)から、生産オーダーにBOMを添付して発行する機能を持っていたと記憶する。

それだけではない。実際には、生産オーダーを受け取った製造現場側が、さまざまな理由から、その通り作れずに、部品材料を変更することがある。よくあるのは、サプライヤーの変更に伴い、部品材料が変わってしまうとか、部品のストック切れを待って、新しい仕様の部品に切り替えていくとかいった状況である。ほかにも、リソース(生産資源)の変更(加工機械を変える、など)もありうるし、工順の変更(外注に出す、など)もある。

こうしたことは、すべて、指示されたBOMデータからの変更であり、実績として別途、記録しておく必要がある。そうしないと、出荷後に品質問題が見つかったり、保守サービスの要求をもらった際に、実際に何と何でどう作っていたかを、追えなくなってしまうからである。

かくして、いわゆる繰返し受注生産型の業種であっても、結局、
・設計の姿としてのBOMのマスタデータ
・製造指示としてのBOMの履歴(トランザクション)データ
・製造実績としてのBOMの履歴(トランザクション)データ
3種類のBOMデータベースが必要になる訳である。

そして、これこそが、いわゆる「E-BOMとM-BOMの乖離問題」を防ぐ、予防線の一つなのだ。E-BOM/M-BOMの乖離が生じる原因はいくつかあるが、その重要な一つが、設計図と、実際の製造にズレが生じることにある。ズレの原因は、上述のように、個別仕様への対応の場合もあれば、部品在庫の都合もあるし、様々だ。だが、ズレが生じるのが、現実だ。その現実を、BOMマスタ一つだと、救いきれなくなる。

だから、BOMデータベースには、原則として、3種類が必要になる、と最初から考えてDB設計する方がいい。これは、落ち着いて考えれば当たり前の話であって、だからわたしは『BOM/部品表入門』の冒頭、プロローグにこの図を入れたのである。

だが、BOMデータのマスタとトランザクションの区別(併用)という考え方は、未だに必ずしも普及していないようだ。つい最近も、ある大手IT企業の資料の中に、「E-BOMとM-BOMの乖離問題は、見込生産や繰返し受注生産に起きやすい。個別受注生産ではこの問題は生じない」という見解が書いてあって、驚いた。わたしの誤解かもしれないけれど、この会社は、E-BOM/M-BOM問題と、マスタ/トランザクションの区別を、なんだか一緒くたに論じているのではないかと思えたのである。

こうした議論の混乱が生じる一因は、マスタデータというものが、「再利用可能なデータの格納場所である」という理解が不足していることにもあるのではないか。マスタデータは、単に更新頻度が少ないデータの置き場所ではないのだ。データを「再利用可能」な姿にブラッシュアップして、それを皆が共有し参照できるようにするため、台帳としてのマスタを作るのである。

マネジメントとは、PDCAサイクルを回すことだけではない。個別性の高い仕事を、繰り返し可能にし、再利用可能にし、標準化することもマネジメントなのだ。もちろん、そのためのデータのマネジメントだって含まれる。

マネジメントとは、結果(製品)だけ出せば良いのではない。仕事を個人に依存しない、インパーソナルな仕組みに作り上げることである。仕事を、個人の知識や経験値に依存した、属人的なものに留める段階にとどまっているならば、その組織は、いつまでたっても、新しい能力を共有することができないだろう。

では、製品種別が増え、個別仕様が増え、受注設計生産を余儀なくされている現代の製造業にとって、BOMデータのマネジメントはどうあるべきか。それを考えるための有償セミナーを、12月にもう一度、アンコールで実施することになった。長い記事の最後に、宣伝めいた終わり方で恐縮だが、もしこの主題に関心がおありになる方がいたら、下記のURLをのぞいて、ご検討いただきたい。

2019年12月17日(火) 10:30 ~ 17:30
BOM/部品表の基礎と効果的な活用ノウハウ

もちろん、佐藤の考え方には賛成できない、反論を述べたい、という方も大歓迎である(笑)。ちゃんと議論して、わたし達の社会の製造業のレベルアップに、ぜひ一緒に寄与しようではないか。



by Tomoichi_Sato | 2019-08-28 23:18 | サプライチェーン | Comments(0)

ミニレビュー:ポータブル・オルクハンガー



以前も書いたことだが、冷房が苦手である。若い頃に、南国に1年ほど暮らしたことがあったが、その時に冷房病にかかってしまった。それ以来、体温調節の機能が低下したらしい。もともと汗かきの方だったが、冷房の効いた場所に入っても、しばらく首から背中にかけての汗が止まらず、それが冷えて風邪をひく原因になりやすい。

自衛のために、夏は、替えの下着を持って歩くのが常である。おまけに、冷風による「冷え」から体を守るために、薄手のベストや上着を持って歩くことも多い。まして客先を訪問する時ともなれば、なおさらだ。かくして、夏場はかえって荷物が増える、という奇妙なことになる。

ことに面倒なのは、上着の扱いである。サラリーマンなので、上着を持って歩かなければいけないことが、結構ある。上着というやつは、畳んでバックに入れるとしわくちゃになるし、かといって、腕にかけて持ち運ぶのはけっこう面倒な上に、腕にも汗をかいてしまって、汚れやすい。

どうしたものかと悩んでいた時に、携帯型の小さなハンガーを、知人が見せてくれた。伸縮可能なステンレス製のポールに、ストラップのついただけの簡単なハンガーだが、小さいし、持ち歩きやすい。たたむと20センチ以下だが、伸ばすと40センチ位になる。小さな袋が付属していて、使わないときにはたたんで、バッグの中で邪魔にならないように、しまうこともできる。

上着を持って歩くときは、ボールを伸ばし、上着を2つ折りにし、そこにかけて、外側のストラップを引っ張る。すると、内側のストラップがボールに密着して、上着がずれて落ちないようになっている。簡単だが巧妙な仕掛けだ。
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このままストラップを肩にかけて、持ち歩くのでもいい。だが、わたしはあえて、トートバッグの口に、このハンガーの両端を引っ掛けて、上着が外から見えないような形で持ち歩くことにしている。

新幹線の中などでも、上着をこのハンガーにかけて、自分の座席の前にかけておくと、シワになりにくく、扱いが楽である。上に述べた小さな袋を使うと、リュックやバッグの外側に、このハンガーを固定して、一体で持ち運ぶこともできる。なかなか小技が効いているのは、ユーザのことをよく考えている証拠だろう。

この頃は毎年、暑い夏が続いている。本当は、日本のような高温多湿な地域で、夏も冷涼な英国発のスーツ・ワイシャツ・ネクタイの風俗に従っていることに、無理があるのだ。近年はお上の主導で、ようやく夏場のネクタイをしなくて済むようになり、少しは助かった。

しかし、米国ハワイ州のように、気候風土に適した服装(=半袖のアロハシャツ、女性ならムームー)が『正装』の地位を占めるようになるまでは、まだ時間がかかるのだろう。あそこの島では、知事だろうが州議会議員だろうが、アロハ姿で仕事をしえいるのだが。そして、冷房抜きで過ごせる気持ちの良い夏は、日本の大都会には望みようもないらしい。だとしたら、しばらくは、こうして上着を持ち歩く道具に、少しばかりの知恵を注ぐのが賢明なのだろう。



by Tomoichi_Sato | 2019-08-17 19:45 | ビジネス | Comments(0)

敗北から何を学ぶか 〜 その2・結果よりもプロセスに学べ

--敗北から学ぶために必要な方法にも、いくつかある。ここでは4つぐらいあげようか。

まず第一に、勝敗の結果だけではなく、プロセス中間目標を設定しておく。本当はこれは、戦う前に、やっておく必要がある。その上で、個別の戦局や、あるいは全体における達成度を吟味する。

「どういうことですか?」

--つまりさ、ローマは1日にしてならず、というだろう。たとえば何でもいいけど、大学受験を例に取ろうか。難関の名門校に入りたい、と。そうしたら、受験科目のどれが得意か、どう勉強するのか、予備校には行くのか、考えるだろう? また、模試を複数回受けるとして、現役1回目は何点くらい、2回目は何点、と想定して、直前模試でA判定になればいいはずだ。

こう言う風に、単なる勝ち負けだけでなく、プロセスと中間目標を設定する。そして、途中途中で、目指した通りに進んでいるか検証する。うまくなければ軌道修正する。仮に現役では合格できなくても、もう一度チャレンジするべきか、考え直す。そして反省点を翌年の試験に生かそうとするだろう・・それなのに、受験生のときにはできていたことが、ビジネスマンになるとすっかり忘れてしまうとしたら、奇妙なことだ。

「確かにそうですね。でも、その中間目標というのは、実際にはどう立てたらいいんでしょう。ビジネス上の戦いは、受験ほど単純じゃありません。偏差値の表もなければ、予備校の模擬試験もありませんし。」

--もちろんだ。だから2番目に大切なことは、適切な戦略を選んでから、中間目標に落とし込むと言うことだ。

「戦略を選ぶ、ですか? 戦略って、毎回個別に考えるものかと思っていました。」

--もちろん、そうさ。そうだけれども、戦略にはある種の定石ないしパターンがある。まあ、戦略論は多岐に渡るから、ざっくり簡単なパターンに絞って説明することにしようか。

たとえば市場における競争戦略は、その会社の立場によって異なる。チャンピオンの戦略と、挑戦者にとっての戦略と、ニッチプレイヤーの戦略は異なる。あなたのところの会社は、チャンピオンかな、それとも挑戦者か、ニッチプレイヤーなのかな?

「えーと・・あまり考えたことがありませんでした。今回の戦いに限って言うと、トップ企業じゃないから、チャレンジャーかなぁ。」

--なるほど。どんな業界も大体、少数のトップ企業と、それに次ぐチャレンジャーたちと、多数の小さなニッチプレーヤーからなる、いわばピラミッド構造になっている。

業界のトップ企業は、その規模を生かして、製品もフルラインナップを揃えているし、営業ネットワークもあるし、物量を生かしてローコストで大量生産ができる。だから最終的には価格競争に持ち込んで、顧客を囲い込む。これを『コストリーダーシップ戦略』という。戦争に例えるならば、正面攻撃の戦術といってもいい。

「はい。」

--一方、チャレンジャーたちは、正面から価格競争を挑んでも、勝てそうもない。そこで普通は、『差別化戦略』を考える。大手が販売する製品とは、かなり異なった特徴のある製品を売り出して、価格とは別の面で顧客に訴求する。側面攻撃の戦術と言っていいだろう。

「確かにある意味で、僕らが戦う上でとっていた方策は、差別化を志向したと言ってもいいかもしれません。意識してやったわけではありませんが。」

--なるほど。そして大多数の、中小零細規模のプレイヤーたちは、ある狭い局地的範囲内のみに、自分たちの持てる経営資源を集中して、そのニッチなマーケットだけは死守しようとする。例えば顧客との長いつながりで商売を続けている、地方の老舗の商店を考えればわかるかな。あるいはごく特殊な製品のみを扱う、その分野でのみ全国的に名の知られている企業なんかも、これに近い。いわば局地戦、ないしゲリラ攻撃の戦術だ。これを『集中戦略』という。

そしてこの3つの戦略ごとに、立てるべき方策も、中間目標も異なっている。
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「なるほど、そういう風にロジックを持って考えると、中間的な目標も立てやすいですね。」

--ただしね、ここに挙げたのはパターンに過ぎないから、実際には具体的に何をどうするかを考えないと、戦略の名に値しない。戦略とは、固有名詞が入って初めて、役に立つものだ。

たとえば第二次大戦中、ドイツ軍に占領されたフランスを奪還するために、連合軍が作戦を考えるとしよう。その時、側面攻撃しよう、フランスの大西洋岸から上陸だ、だけでは戦略とは呼べない。具体的に、カレーを攻めるのか、ノルマンディーから上がるのか、それとも別の攻略ポイントを探すのか。具体的な地名と、時期と、兵力と、方法がなければ、戦略にならないし、準備もできない。わかるだろう?

「たしかに。」

--もしも、あなたの会社がチャレンジャーで、差別化戦略を志向するなら、どのような訴求点を持つべきか。どの程度他社を引き離すべきか。それによって得られる金銭的なアドバンテージはいくらぐらいか・・といったことについて仮説を立て、目標設定して、検証していくんだ。

戦略とは仮説だ。「こう戦えば、きっと勝てるはずだ」という仮説だ。だがしばしば、仮説には間違いがある。だから途中途中で検証しながら進む必要がある。人間は誰だって、自分たちが有利であると言う思い込みにとらわれやすく、そこから間違った仮説が生まれやすい。したがって、仮説を文字に残しておくことがとても重要だ。

「でも、方針というのは、いったん書面にすると、仮説どころか、絶対化されやすいですが。」

--そうだね。だから、3番目に大事なのは、戦いを始める前に、状況を客観的・数値的に分析しておくことになる。たとえばマーケットの戦いならば、敵は誰と誰で、どういった商品を揃えていて、どんな販売チャンネルを抱えているのか。これまでの売上高や、受注確率はどれくらいなのか。顧客はどんなセグメントからなっており、どういう好みを持っているのか。こうしたことを事前に分析しておかなければいけない。

「具体的には、例えばどんなことですか?」

--そうね。例えば営業における受注競争なら、過去の勝率はどうだったのかという事さ。もしも自社の平均的な勝率が約3割で、今期の受注目標が10億円だったら、最低でも合計33億円以上の可能性のある競争案件を、営業リストに載せなければ、目標は達成できない。また、既存顧客には強いのか、大型の案件には弱いのか、といったことも分析の対象だ。

「それってでも、案件ごとに条件が違うと思います。確率なんか言われても、個別の現場担当として役に立ちません。問題はむしろ、勝敗の質じゃないか、って感じるのですが。」

--勝敗の質ね。そう言いたい気持ちはわかるよ。でも、あなたは製造業の人だから、あえて尋ねるけれども、じゃあ不良品はモノの質が低く、良品はモノの質が高い、と言えるだろうか。むしろ、検査結果にデコボコがあって、予測し難い点に、問題があるのではないか。つまりモノの質ではなく、プロセスの質を上げるべきではないか。

同じように、個別の戦いの勝ち負けだけが問題なのではなく、勝敗が予見し難いことが問題ではないのか? そうなると、自社の体制や人材も、前もって適切に準備できないだろう。それはやはり、プロセスの問題なのではないか?

「つまり、事前にもっと計画しておけ、ってことですね。でも、ウチのボスは、『どうせ計画した通りには現実なんか運ばないんだから、計画を立てるなんて時間の無駄だ。現場を見て状況に応じて考えればいい』と、つねに言っています。」

--もちろん現場を見て考えるのは、いつでも大切だ。しかし、計画抜き・現場判断、というやり方が通用するのは、ごく小さな戦局か、あるいは自社がリーダーで、戦い全体を自分たちの思惑通りに運んでいるときに限る。連合軍がノルマンディーに上陸するか、カレーに上陸するかを、現地を見て決められると思うかい? 上陸する兵士や機材を動員するのに、数カ月はかかる。上陸地点によって、必要な装備も違うだろう。数字に基づいた計画がいるんだ。

第二次大戦の英雄だった米国のアイゼンハワー大統領は、「計画通りに現実は動かない。しかし計画を立てるプロセスは絶対に必要だ」と言っている。君の上司との違いがわかるよね。

「たしかに、違いはありますね。」

--計画のための情報収集と分析は、分担を分けた方が良い。なぜなら分析は、総合的な情報を集めて行うべき仕事だからね。個別の情報入手した時点で、勝手にローカルな分析を行って解釈した結果を、中央に集めたりするのはあまり良いやり方ではない。データ収集には、必要ならば第三者の知恵を借りることも、するべきだろう。市場調査会社とか、コンサルタント、エージェントといった人たちだ。

そして、戦いの中間の要所要所で、データを集めて状況を分析し、戦略を補正する。ターゲットとすべきセグメントが間違っていることもある。あるいは顧客の要求を読み間違えることだってある。それを一つ一つ、データによって検証する。ときには、撤退を考えなくてはならない場面もある。

前に「マジックナンバー=5」という話をしたのを覚えているかなあ。対等だと思った勝負に5連敗したら、もう対等だという仮説は捨てたほうがいい、という数学的法則だ。こういう判断は、データを積み上げないと出てこない。

「データを集め、数字から学ぶ、ってことですか。確かに、ウチに一番欠けていたのはそこかもしれません。」

--そして最後の4番目は、戦いが終わったら、根本原因(Root cause)の分析を行うことだ。Root causeの定義とは、「論理的に見つけられる基本的原因で、かつ、マネジメントによって解決可能であるもの」だ。

表面的に、客が悪いんだとか、運がなかったとか、不況や円高などの環境のせいにしては、いけない。それは自分たちには解決可能でない。だから根本原因に選んではならない。選ぶなら、なぜ客筋をきちんとアセスしなかったのか、なぜ為替リスクのヘッジを怠ったのか、運不運で決まるような案件に、なぜ大きな勝負を賭けたのか、を問題にすべきだ。

「リーダーの責任というのは、どうなるんです?」

--根本原因分析をするときに気をつけるべき点は、「責任追及の場にしない」ことだよ。もし責任追及が主目的だったら、誰もが自分をかばって、本当のことを言わなくなる。本当のことがわからなかったら、根本原因分析なんて、どんな意味がある? 

根本原因分析の最大の目的は、同じ種類の間違いを繰り返さないこと、つまり再発防止にある。そのために、自分たちの仮説や行動に足りなかった点は、どこかを明らかにする。そして教訓を文字に残す。

敗北などのトラブル事象を、リーダーとか誰かの責任、で説明してしまうと、対策はその人間をポストからはずす、しかなくなる。じゃあ、他の人間をそのポストに据えたら、同種の間違いは決して起きない、と言えるのか? それに、失敗したら責められる、という組織では、だれが新しい創造的な仕事に挑戦するだろうか。

「ふー。結構大変ですね。とくに、勝負の前にやっておくことが多いですし。・・これ、ウチでやりきれるかなあ。」

--まあ、わたし自身だって、正直言って、いつも全部はできていなかったさ。ただ、こうすべきだったと思うから、偉そうに聞こえたかもしれないけれど、あえて喋らせてもらった次第だ。

「でも、自分のところは、計画立案能力も弱いし、データ活用も、からきしダメです。片方だけでも大変なのに、両方なんて到底無理かな。」

--でもないさ。計画とデータ活用は、じつはワンセットの能力だから。

「そうなんですか?」

--うん。計画を立てない組織には、ちゃんとした「ふり返り」もない。客観的なふり返りを知らない組織は、後で活用するためにデータを蓄積する、と言う姿勢もない。最初に用意しないまま、あとになってからデータを分析しようとするのは、予算も立てずに決算だけするようなものだ。

「その財務の喩えは、よく分かります。計画とふり返りが、データ蓄積の基本なんですね。」

--計画とは、いいかえれば具体的なアクションの塊だ。そして計画を立てられないようなビジョンは、と言う。夢を見ているだけでは、現実は近づかない。

夢に近づきたかったら、まず事実と経験から学ばなければ。たとえそれが、痛い経験であってもね。昔の人も言ったじゃないか、「過ちて学ばざる、これを過ちと言う」ってね。


<関連エントリ>
 「失敗の無限ループから抜け出すマジックナンバー『5』」 https://brevis.exblog.jp/15454723/ (2011-09-15)


by Tomoichi_Sato | 2019-08-07 23:12 | ビジネス | Comments(0)