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自社の生産形態をデザインする

ときおり頼まれて、生産スケジューリングの話を人前でする。生産計画やスケジューリングについて困っている方が、製造業には多いのだろう。中堅中小の工場はいうに及ばず、結構な大企業の工場に行っても、Excelの生産日程表を現場に配って、現場のリーダーたちが個別に指示采配しているケースを、よく見かける。

Excelだから悪いと決めつけるのは早計かもしれないが、現場の状況に応じて臨機応変に修正するには、どうしたって時間がかかる。だから納期や機械稼働に変動の多い工場では、機動的に指示変更が出せない。出せないと、需給のタイミングがずれて、欠品や在庫が増えることになる。かくて納期遅れが多いのに、無駄な在庫も多い、という現場ができ上がる。

そこで、何か良い知恵はないかとお集まりの皆さんに、わたしが必ず最初にする話が、『生産形態』の種別の説明だ。なんだか肩透かしを食らったような気がすると思う。生産方式と生産形態というテーマは、生産管理の教科書なら、最初に出てくる概念だ。だが、セミナーに集まる多くの方は、あまり生産管理の理論をキチンと学んだ経験がないようにも、見受けられる。奇妙なことだが、これが日本の製造業の実態らしい。

生産方式とは、モノの作り方と工程のあり方に関する分類だ。たとえばプロセス型生産とか、組立加工型生産といった類型がある(後者はディスクリート型ともいう)。組立加工型はさらに、フローショップ型とかジョブショップ型などに分かれる。作る製品の量と質によって、生産方式はおのずと制約される。牛乳は旋盤で削らないし、豪華客船は反応釜では作れない。だから生産方式は、主に生産技術部門が考え、結果は工場レイアウトなどに現れてくる。

他方、生産形態とは、需要(顧客注文)に対してどのように応じるかを分類した概念である。たとえば見込み生産とか、個別受注生産といったタイプがある。生産形態は生産方式がどうであるかにかかわらず、独立して決まる事柄で、むしろ生産管理(とくに生産計画)と関係する。だからスケジューリングの話の最初に説明するのだ。生産形態をどう選ぶかによって、リードタイム・在庫量が大きく変わる。

では、生産形態はどこの部門の誰が決めるのか? そう。ここが問題なのだ。

多くの企業では、自社の製品の生産形態を、主体的に決める人がいない。なんとなく、従来の行きがかり上、現在の形態に落ち着いているだけで、それがベストかどうかを吟味する人もおらず、責任部門も存在しない。少なくとも日本では。これがたとえばアメリカの先進的企業なら「サプライチェーン・マネージャー」あたりが決めるのだろう。だが、そうした職位は、わたし達の社会では希少だ。

自社の生産形態は、日本人お得意の全員コンセンサスで決める? わたしは違うと思う。そういう問いを、誰も立てた事がないのではないか。

もっとも先ほど、「生産管理の教科書なら最初の方に書いてあるはず」といったが、そもそも率直に言って、生産管理には良い参考書があまりないようだ。この国では現在、生産管理関連の本は、超初心者向けの易しいものしか、出版社が出さない状況になっている。数式が出たら売れない、「××学」はダメ、とにかく(IT本を除けば)エンジニアは専門書を買って読まない・・これが出版界で信じられている常識のようである。

話を戻すが、それでは、生産形態にはどのような種類があるのか。

これについては、わたしはこのサイトで何回も、もう10年以上前から書いている。でも、未だにネット上に情報源は限られているようだから、もう一度書く。

わたしは生産形態を、基本的に4種類に分類している。学問的にはもっと細かく5〜7種類に分ける流儀もあるのだが、分かりやすさが大事なので、4つとしている。以下の図は、2007年に書いた記事の図を少し手直ししたものだ。
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4つの生産形態の図
ATO、BTO、CTO」(2007-11-09)

4つの生産形態

ものづくりはどんな分野でも、最初にモノを「設計」し、それから部品材料を「調達」して、加工・組立・検査などを通して「製造」し、最後に「出荷」して客に届ける必要がある。すなわち、生産とは
 (1)設計 → (2)資材調達 → (3)製造 → (4)出荷
の4つのステップからなるプロセスを必ず通る。これは乳製品だろうが、豪華客船だろうが同じことだ。

この、設計→資材調達→製造→物流、という4ステップのうち、どこまでを先に準備しておき、どこからを需要情報(顧客注文)に合わせるか、によって、生産形態は大きく4種類に分かれる。

わたし達の社会で、皆が一番イメージしやすいのは、「見込生産」だろう。英語ではMTSと呼ぶ。MTSはMake to stockの略語で、ストックするために作る(=生産して在庫しておく)形態をいう。英語の表現の方が、実質をわかりやすく示している。「見込み」という日本語には、何を見込むのかという曖昧性が残るので、わたしの所属する中小企業診断士協会「生産革新フォーラム」(略称MIF研究会)は、「需要予測生産」と呼ぶことを提案し、共著『“JIT生産”を卒業するための本』 でも、そう書いた。

MTS(見込生産)という生産形態は、この(1)設計から(3)製造までを、自分たちの需要予測に基づいて事前に行っておき、出来上がった製品をストック在庫の形にしておき、実需に応じて流通経路に配する。いわば、顧客の需要(注文)と、生産による供給が、(3)と(4)の間にある製品在庫でマッチする(調整される)形になっている。

顧客から見ると、注文したらあとは出荷のみだから、入手までのリードタイムが短いし、メーカーの立場から見ると、予測に基づく計画生産で工場を動かせるから、すごく生産性もコスト効率も良い、ということになるはずである。ただ、その代償として、陳腐化リスクの高い製品在庫を、たくさん用意しなければならない。

このMTS(見込生産)の代表的業種は、家電・自動車・食品・日用品などの製造メーカーである。これらの業界はほとんどがBtoC(消費者向けビジネス)の企業だから、盛んに広告宣伝をするので目立つし、特に自動車と家電業界は長らく、日本の製造業をリードしてきた業界だった。だから、なんとなく「ものづくり産業」というと、このMTS(見込生産)形態が日本の主流のように、皆が思い込む時代が長く続いた。

しかし日本の電機メーカーは、知っている人は周知の通り、海外市場では見る影もなく落魄し、日本はむしろ電子材料・部品メーカーとしての面だけが生き残っている。部品が強いというのは、航空宇宙業界などでも似ていて、日本製旅客機はいつまでたっても空に雄飛しないが、航空機部品メーカーは海外でもそれなりに存在感を示している。

こうした電子材料・部品や機械部品メーカーの業界は、ほとんどが「繰返し受注生産」(MTO = Make to Order)の形態をとっている。英語のOrderは注文を意味し、MTOとはつまり、注文に応じて作る、の意味である。ものづくりのプロセスでいうと、(1)設計だけは事前に行っておく。注文が来たら、(2)資材調達→(3)製造→(4)出荷、というステップを進める。

MTO(繰返し受注生産)の形態では、MTSと違って、製品在庫という形のリスクを負う必要はない。注文を受けてから資材を手配すれば良いからだ。まあ、正確にいうと、注文に応じて調達する資材(引当品)の他に、注文がなくても常備しておく資材(常備品)も抱えている場合が多いが、在庫リスクはMTSに比べて小さい。

その代わり、MTO(繰返し受注生産)では、注文してから手に入るまでのリードタイムが長くなる。仮にあなたが年末ジャンボ宝くじの特等にあたって、海外メーカーのディーラーに行き、念願通りカタログにある最上等の豪華なスポーツカーを注文したとしよう。もちろんカタログに載っているからには、設計は済んでいる。だが、店頭に在庫はあるまい。十中八九、注文生産になる。そして何ヶ月も待たされることになろう。在庫リスクは小さいが、リードタイムの長さが、この種の生産形態のネックだ。それでも、先に述べたように、今日の日本の製造業のかなりの数が、この生産形態をとっている。

ところで自動車のケースについていうと、あなたが冬のボーナスで普通の乗用車を買うためにディーラーに行った場合、仮に車種はすでに決まっていたとしても、エンジンの排気量や外装・シートの色から、エアバッグ装備、カーナビ等電装品の配置等まで、相当数のオプションを選べるはずである。あなたが選んだオプションは、隣のテーブルで同じ車種を買おうとしている客とは、きっと全然違う。これもまた、注文生産ではないのか? では、自動車メーカーは何ヶ月も待たせる代わりに、どうやって数週間で配車してくれるのか?

それは、国産車メーカーの多くが、自社の主力商品について、じつはATOという生産形態をとっているから可能になるのだ。ATOはAssemble to Orderの略で、日本語では「受注組立生産」と呼ぶ。

ATOでは、受注したら詳細な仕様やオプションに従って、組立に必要な部品やサブアッシーを選び出す。そうした各種部品やサブアッシーは、すでに(1)設計し(2)資材調達して、常備在庫としてストックを持っている。だから工場では組立てして検査するだけで、すぐ(4)出荷できる。MTS(見込生産)ほどではないが、注文から出荷までのリードタイムはかなり短い。そしてMTS(見込生産)に比べて、在庫リスクも小さい。

こうした業態は、PCのようにオプションが多数ある製品に向いている。早くから、この生産形態を徹底化したのがデル・コンピュータ社だ。彼らは自分たちの生産形態をBTO(Build to Order)と呼んで、普通のATOより進化したものと主張している。

事実、デル・コンピュータ社は、工場に常備品を多数ストックするようなことはしていない。そもそもPC用の電子部品(特にチップ系)は数ヶ月単位に値段が下がっていくので、常備すると陳腐化リスクが大きい。だから、彼らは現物として工場にストックする代わりに、部品市場で価格と需要を先読みしながら、先行手配をして、実需ニーズにほぼ合致するようにしている。実物在庫ではなく、サプライチェーン全体の供給予定(一種のエシェロン在庫)で、正確にコントロールする能力が、彼らの強みである。

ここまでに、MTS(見込生産)、MTO(繰返し受注生産)、ATO(受注組立生産)の3種類を説明した。では、残りの1種、図の一番上にあるETO(受注設計生産)とは何なのか?

あなたが仮に、豪華客船を手に入れるべく、造船所に注文に行ったとしよう。豪華客船の購入は、年末ジャンボ宝くじ程度では無理だが、まあ、遠縁の叔父の遺産のおかげで、クルーズ会社の経営者の立場を引き継いだことにしようか。いや、何だったらあなたは投資会社の辣腕役員で、これからは特殊なLNGタンカーの需要が高まると睨んで、造船所に掛け合うのでもいい。

豪華客船であれ特殊タンカーであれ、こうした船は通常、注文を受けてから(1)設計し、(2)資材調達し、(3)製造して、(4)出航(出荷)する、という4ステップを踏むことになる。これをETO = Engineer to Order(受注設計生産)と呼ぶ。特殊な船だけでなく、航空機や産業機械といったものも、この範疇に入る。顧客の仕様があまりにも個別ないし特殊なので、設計が都度必要になるのである。

このETO(受注設計生産)形態は、したがって、注文から出荷までのリードタイムが最長となる。その代わり、ETO企業はふつう、一切ストック在庫を持たない。毎回、個別に必要な資材だけを調達する。工場内にある在庫は全て、仕掛り中のフロー在庫である。

お分かりだろうか。生産形態の選択は、その製品に関して抱えるストック在庫の量と、リードタイムの長さを規定する。一般にリードタイムの短さと在庫量の少なさは、相反の関係にある。短納期を武器にするのか、それとも低在庫リスクのコストメリットを追求するのか? 自社の強みと競争力を、どこに置くのか。したがって、どの生産形態をとるべきかは、製造業における戦略の重要なポイントになるのである。

そして戦略である以上、それは一種の仮説、ないし賭けである。戦略が適切であるかどうか、継続して検証していかなければならない。検証するためには、しかるべきKPIを設定して、測定していく必要がある。とるべき生産形態(戦略)によって、重視すべきKPIも異なるはずである。

ちなみに、上の説明を読むと、何だかATOが一番良さそう(リードタイムと在庫のバランスが取れている)との印象を受けたかもしれない。だが、ATOを実現するためには、
(1)顧客がバラエティ豊かなニーズを持ち、それを受け付けられれば営業上の優位となること、
(2)バラエティを、モジュール化したサブアッシーや部品の組み合わせで実現できる製品アーキテクチャになっていること、
の2条件を満たせる必要がある。つまり、生産形態の選択には、設計部門や営業部門を巻き込んだ検討が必要なのである。

営業、設計、製造の3部門がそれぞれ分権化(あるいは分社化)し、「分業病」の高い壁で隔てられているような企業では、どのような生産形態が望ましいか、といった問題設定を立てること自体が難しくなっている。結果として、「なりゆき」思考で生産形態が決まってしまう。だが競争力を取り戻したかったら、生産形態に関する適切な戦略が必要なのだ。

もっとも、このサイトを読んでくださる読者諸賢の多くは、おそらく3部門を統括する社長でも事業部長でも、ないだろう。でも、そのような問題意識にあふれた貴方こそは、会社の将来、あるいは日本の産業の将来を担うはずの人材なのだと思う。だったらまずは、こうした分業病の限界に気づいて、一人一人が「なりゆき思考」から、脱却するべき時なのである。


by Tomoichi_Sato | 2019-02-24 15:00 | 工場計画論 | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(3月13日)開催のお知らせ

前回から少し間が空いてしまいましたが、「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2019年第1回会合を開催いたします。

皆さんは、自分や人の『感情』がマネジメント可能だと考えたことがおありでしょうか? あるいは、プロジェクトにも感情があるのでは、と思うことはありませんか?

プロジェクト・マネージャーの仕事の半分以上は、コミュニケーションにあてられています。チーム員や顧客・外部のステークホルダーとのやりとりに時間が割かれ、しかもその多くは、単なる情報伝達以上の、説得や交渉や動機付けといった難しい仕事です。難しい理由は、自分や他人が内心抱えている「感情」が、伝えるべき「理路」を左右してしまうからでしょう。おまけに、感情には一種の共鳴性ないし伝染性があり、チームの中でどんどん広がっていきます。

では、そもそも、感情にはどんな種類があるのか。自分や他者が抱えている感情に気づくには、どうしたら良いか。そして感情はどんなダイナミクスに従って動くのか。こうした感情に関する教育やトレーニングは、ほとんど受けたことがない人ばかりだと思います。

今回はPM関係の教育・コンサルティングに従事しておられるアイシンク(株)の丸山奈緒子様に、感情マネジメントのスキルについて、入門編をお話いただきます。目からウロコの話題がたくさん出ること、請け合いです。プロマネの仕事は技術をリードすることだ、だから優秀な技術者がやればいい、と信じている組織が世間ではほとんどでしょうが、本当は感情とリスクのマネジメントがその8割以上なのではないかと、皆さんもきっと思われるようになるはずです。

大勢の皆様のご来聴をお待ちしております。

<記>

■日時:2019年3月13日(水) 18:30~20:30

■場所:慶応大学三田キャンパス 研究室棟B
※キャンパスマップの【10】

■講演タイトル:
「プロジェクトマネジャーが高めたい『感情マネジメント』スキル」

■概要:
 感情の取り扱い能力は、個人やチームのパフォーマンスを高めるうえで大変重要です。
 一方で、ネガティブな感情に振り回されたり、むやみに抑え込もうとしたりと、
 どのように扱うべきか学ぶ機会がなかった方が少なくありません。
 本講演ではプロジェクトマネジャーなどチームを率いる方に知ってほしい、
 感情とのつき合い方についてお伝えします。

■講師:アイシンク(株)
丸山奈緒子(まるやま・なおこ)

■講師略歴:
 お茶の水女子大学 生活科学部 発達臨床心理学卒
 桜美林大学大学院 心理学研究科 修士課程修了
 日本健康心理学会認定 専門健康心理士
 米国PMI®認定PMP®
 東京大学特別講師
 心理学をベースにしたヒューマンスキル系講座の開発・講師担当。ストレスマネジメント、
 アサーション、コーチング、交流分析、ファシリテーションなど、PMのニーズに即した講座を提供。

■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥1,000)は免除されます。
 参加を希望される方は、確認のため、できましたら前日までに三好副幹事までご連絡ください。

 以上、よろしくお願いいたします。


佐藤知一@日揮(株)


by Tomoichi_Sato | 2019-02-17 15:00 | プロジェクト・マネジメント | Comments(3)

書評:「菊と刀」 ルース・ベネディクト著

平凡社ライブラリー「菊と刀」 (Amazon.com)

昨年読んだ中で、インパクトのあった本のTOP 3を挙げろ、と言われたら真っ先に挙がるのが本書「菊と刀」であろう。1946年に刊行された日本文化の研究書であるが、未だにその輝きを失っていない。むしろ今日、現在の日本の姿を念頭に置いて読むと、いよいよその切り口の鋭さと洞察の見事さに驚き、感動さえ覚える。

「合衆国がこれまで総力をあげて戦ってきた敵のなかでは、日本はいちばん異質な相手だった。」−−本書は、こう始まる(p.9)。文化人類学者である著者ルース・ベネディクトは、1944年6月に、米国戦時情報局(OWI)からの依頼で、日本文化について研究する任務を与えられた。

'44年(昭和19年)6月といえば、日米開戦後2年半が経ち、すでに戦局は大きく米国側に傾いていた時期である。米国はすでに戦争の最終段階と、その後の占領政策について考え始めていた。(日本は)「本土に侵攻しないでも降伏に応じるだろうか? 皇居空爆は断行すべきだろうか?・・日本人はいつまでも軍政下に置いておかないと大人しくできない民族なのか? わが軍は、山岳地帯のありとあらゆる天然の要害に閉じ籠り、捨て鉢な徹底抗戦を繰り広げる日本兵を相手に、戦闘をする覚悟をしなければならないのか?」(p.12)・・これが、彼らの直面した問いだった。

この問題に取り組むにあたり、文化人類学者に研究を依頼する、というのがアメリカ人らしいアプローチであった。異質な相手と取り組むには、その思考と感情の習慣を、科学的・客観的に理解しなければならない。これが西洋流の合理思考だ。

しかし、当然ながらルース・ベネディクトの仕事は困難を極めた。何より、文化人類学の基本は、フィールドワーク調査にある。戦争中の相手だから、当然それはできない。彼女は代わりに、米国内にいる日本人・日系人へのおびただしいインタビューと、先行研究の徹底サーベイによって乗り切った。現地・現場・現物に接することなく、知性はどこまで異文化を理解できるのか。本書はその精髄である。

『菊と刀』とは、「日本文化=恥の文化、西洋文化=罪の文化」という二項対立的な図式で日本を論じる本だ−−そう信じている論者は、今も多い。恥の文化とは、他者の目を意識して自分の行動規範とする、いわば他律的な文化であり、一方キリスト教を背景とした西洋文化は、絶対的な善悪の基準によって行動規範を持っている。だから西洋は日本よりも優れている。そういう主張の本だ・・という風に誤解しているようだ。

いや、正直に言おう。わたし自身、そう思い込んでいた。だが、そういう人は、この本をちゃんと読んでいないのだと、思い知った。「恥の文化」という有名な言葉は、分厚い本書の後半になって、それも日本人論ではなく一般的概念として、初めて出てくる。それまではもっぱら、「忠」「孝」「義理」などが日本人の人生観を支配している、という話が続く。特に重要な要素として、「」の感覚が詳しく記述される。

「日本人にとっては、恩の返済こそ徳目なのだ」(p.143)。これは、無償の愛で他者に恩を与えることが徳目とされる米国の倫理とは、随分異なっている。また中国では最高の徳目である「仁」(親や支配者が示す博愛)は、日本では無法者の道義に堕ちている。ベネディクトは、日本人における恩を、一種の貸し借りとして、いわば貸借対照表のように理解できる、と説明する。そして恩の返済に関連して、「義理」が登場する。

恥の文化という概念が登場するのは、汚名をすすぐ、そして自重する、といった徳目に続く章においてだ。「西洋人は、因習への反逆や障害を乗り越えて幸せをつかむことを、強さの表れと考える傾向がある。しかし日本人の見解では、強者とは個人的な幸福を顧みず自らの義務を全うする者のことである。」(p.254)

このような強い自制心への方向づけは、いわゆる罪と罰の概念による行動規制とは別物だ。それゆえ、日本人は、「この世は善悪の闘争の場」などではないと考え、「人間の生活では肉体と精神という二つの力が互いに相手を凌駕しようと絶え間無く争っているという西洋の人生観」(=非常にピューリタン的な人生観)とは無縁だ(p.232)と、著者は驚く。

ただし、彼女は単純に米国と日本を対比して比較評価している訳ではない。あくまで文化人類学的な相対主義の立場に立って、日本文化を多面的に理解しようとしている。例えば中国文化との相違点もいろいろと書かれている。忠孝の概念は中国から来た。だが、中国の祖先崇拝と大家族主義の元では、伯父や伯母への関係も「孝」であるが、日本では普通「義理」にすぎない。日本人の祖先との結びつきは、せいぜい3世代さかのぼる程度であり、むしろフランスの家族制度に近いという。

もう一つ、ルース・ベネディクトが日本の重要な価値観として指摘するのは、階級序列の感覚である。個人は誰もが社会における(あるいは家族内における)序列のいずれかに位置し、その場所に応じて、果たすべき役割と義務、享受すべき権利と責任を与えられる。彼女はこれを、教育勅語の中にある「各々其ノ所ヲ得」という言葉で象徴させている。

「日本人を理解しようとするならばまず、彼らのいう「各々其ノ所ヲ得」ということが何を意味するかを考えてみないといけない」(p.60)。日本では、上位者に対して下位の者は礼儀に従ってお辞儀をし頭を下げる。「頭を下げる方は、相手が自らやりたいことを好きなようにやる権利を認め、その代わり頭を下げられた方は自分の『其ノ所』にともなう責任を受け入れる」(p.67)。この秩序を守ることが、日本人にとって安全の重要な要件なのだ。

そして日本人は、「国内ばかりか、国際関係における諸問題まで、彼らなりの階級序列との関わりで見てきた」(p.60)。かくて、八紘一宇というスローガンのもと、日本を頂点とした東アジア秩序概念を輸出しようとしたことが、日本の破滅のきっかけとなったのだ。真珠湾奇襲の当日にも、日本は米国のハル国務長官に、同じ言葉遣いで「惟フニ万邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ」るのだと伝えた。その無礼な主張に、多くの国は憤慨した。国々は互いに対等であるべしというのが、世界的な常識・通念だからだ。

ところが「日本の将兵は、占領した国家で住民に歓迎されないといっては、その都度いつまでも驚愕を繰り返した」(p.118)。其ノ所の感覚が、日本以外では通用しないことを知らなかったのだ。

さて、ルース・ベネディクト達にとって特に問題となったのは、日本人の戦争の勝敗に対する感情である。日本の軍隊は、簡単に降伏しない。「西洋国家の軍隊では、兵力の四分の一から三分の一が戦死すれば、軍隊が降伏するのはほとんど自明の理となっている」のに対して、「ホランディアで初めて相当数の日本兵が降伏した時、投降の割合はおよそ戦死5に対して降伏1だった」(p.55)。

これほどまでに頑強に抵抗し、しかも、赤穂四十七士による主君の仇討ちの物語を大切にする日本人たちは、たとえ戦場で米国に敗北しても、その後ずっと怨念を抱き復讐を誓う存在であるように思われた。

ところが驚いたことに、一旦降伏を受け入れるや否や、日本軍の「古参兵や長年の国粋主義者が、味方の弾薬集積地の場所を探し出し、日本軍の配置を念入りに説明し、わが軍の宣伝文を書き、わが軍のパイロットと爆撃機に同乗して軍事目標まで導いたりした」(p.58)のである。こうした「敗北した日本人の180度の方向転換は、アメリカ人には額面通り受け取ることが難しい。私たちにはそんなまねはできないからである」(p.213)。彼ら日本兵は、「鬼畜米英」を放逐し、「東亜新秩序」を打ち立てるという大義のために、命を懸けて戦ったのではなかったのか?

だが、そうではなかったのだ。そして、このような敗北後の180度方向転換は、別に太平洋戦争の特殊事情ではなかった。同じことは幕末時代にも起きた。薩英戦争に負けた薩摩藩、下関戦争に負けた長州藩は、いずれも「英国に永遠の復讐を誓う代わりに、英国との友好を求めたのである。その相手から学ぼうとしたのだ」(p.215)。もっとも先鋭的な尊皇攘夷の藩だったはずの薩長の、この変貌は、現代のわたし達自身にさえ、なんだか奇妙に思える。

しかし、それこそまさに「各々其ノ所ヲ得」という日本人の序列感覚が生んだ現象だと、ベネディクトは説明する。太平洋戦争に負けて、日本人は「アメリカ当局を自分たちの国における階級序列の最高位として受け入れた」のだった。「日本人は、持てるすべてを一つの行動方針に投入し、それに挫折すると、別の行動方針を採用する。・・それはあたかも、人生のページを真新しくめくったかのようだった。」(p.58-59)。

逆にいうと、日本人は何かの絶対的な観念や哲学に従って行動するのではなく、常に相対的な序列に応じて、実利的に行動するのだ。それこそまさに、善悪の絶対基準による罪の文化ではなく、名誉を基準にした恥の文化のパターンが示す行動規範である。

なお、翻訳について一言いっておきたい。訳者の越智敏之・越智道雄(どちらも大学教授で、父子と思われる)は、丁寧かつ手厚い翻訳を行なっているが、しかし同時に本書が「数多くの事実誤認を含む」として、詳細な、ほとんど教師が学生のレポートを添削するがごとき訳注を付している。一例を挙げると、生麦事件が薩摩藩内で起こったかのように書いているのは、確かにベネディクトの誤りに違いない。しかし、生麦という小さな町が神奈川県にある、と知っている日本人は何割いるだろうか。また、「ビルマ」に訳注をつけて「今日のミャンマーをさす」と書かないと、読者は分からないと考えているらしい。いささかお節介にすぎると思われるのだが。

ともあれ、それなりに読みやすい新訳で出されている本書は、日本人が日本を理解する上で、必須の文献であると改めて思った。ルース・ベネディクトは、決して勝者米国の人間として、日本文化を裁いて見下すような書き方はしない。彼女はプロの文化人類学者であり、文化の相対論者である。だがそれ以上に、本書を通して感じられるのは、研究対象である日本への、率直な驚嘆と愛情である。

そして驚きと愛こそ、異文化理解の最大の原動力なのだ。



by Tomoichi_Sato | 2019-02-06 23:15 | 書評 | Comments(0)