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コンサルタント嫌い、について

ジェラルド・M・ワインバーグが今月初めに亡くなった。享年84歳。’97年にコンピュータ殿堂入りを果たした彼は、物理学博士で元IBMの技術者だが、むしろコンサルタント兼エッセイストとして知られる。機知に富んだ、ひねりのある文章と、システムに関するユニークな視点にあふれる彼の著書は、けっこう好きで、何冊も読んだ。

最初に出会ったのは、『一般システム思考入門』だったと思う。まだ学生だった頃のことだ。この中で彼が提起した「中数の法則」とは、システム工学における問題の難しさの所在を論じるものだ。たいていのシステムは、個別に要素を分析・予測するには数が多すぎるが、大数の法則による統計をあてはめるには要素が少なすぎる、と彼は喝破する。また、システムの状態空間をグラフに描いてみて、その軌跡が交差するときは、次元が足りない(隠れたパラメータが存在している)、という見方は、今でも良く覚えている。

70年代に書いた『一般システム思考入門』と『プログラミングの心理学』とが、彼の出世作で、今ではどちらも、コンピュータ科学書の古典とみなされている。しかし、その後、より一般向けでわかりやすい著作を何冊も出し、それが彼の名望を高めたといえるだろう。『ライト、ついてますか―問題発見の人間学』は薄いけれど楽しい読み物だったし、とくに『スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学』と『コンサルタントの秘密―技術アドバイスの人間学』は、後年の彼が得意とした「××の法則」の連発で、読み手の思考を刺激してくれた。

『コンサルタントの秘密』は、最初、こういうテーゼから始まる。

秘密第一番
コンサルタント業は、ちょっと見たほど楽じゃない。

そして、読者を「コンサルタント業に関する三つの法則」に誘う。その最初の二つは、こういうものだ:

コンサルタントの第一法則
 依頼主がどういおうとも、問題は必ずある。
コンサルタントの第二法則
 一見どう見えようとも、それはつねに人の問題である。

この二つの法則を、わたしはいつも胸に刻みつけている。どんな組織にも必ず問題はあって、それは常に人間の問題なのだ。これは、すべてのマネージャーが、理解しておくべきテーゼだと思う。

ちなみに、このサイト(Blog)は「タイム・コンサルタントの日誌から」と題しているが、現在のわたしは社内の企画部門におり、コンサル業で身を立てている訳ではない。このサイトを立ち上げた時には、ソリューションの事業部にいたので、こういう名前をつけ、それ以来、たまたま変えていないだけだ。ただまあ、一応、中小企業診断士だし、昔SAP認定コンサルタントの資格なんかもとったりしたので、コンサル・ビジネスについて、多少は論じられると信じている。

さて、ついでながら、社会人としてのわたしが、はじめてコンサルタントなる人種に接した時の体験をお話ししておこう。まだほんの駆け出しの頃のある日、役員の命令で、みんなが大会議室に集められた。壇上には、トヨタ系だかの現場改善コンサルタントがいて、自分があちこちの工場で、いかに指導し納期短縮やコストダウンを行ったか、という話をした。

その話自体は、面白かったと思う。とくにある大手重工メーカーで、各セクションの管理職が口を揃えて、この製品の製造納期はどうしても3ヶ月以上かかる、と主張するのに、彼が手順を変えて、半分以下にしてしまったエピソードは印象的だった。工程間を、ロット単位で輸送していたのを、彼はもっと小さな部品単位で運ばせたのだ。当然、ロット待ちによるリードタイムの浪費は激減する。

しかし、その後がいけなかった。役員はそのコンサルの助言をいれて、エンジニアリング会社の設計業務の劇的なムダ取り・削減を目指した。「その作業はやめられないか」が、合言葉になった。だが、工場のような剛構造の業務と、エンジ業務のような柔構造な仕事に、同じアプローチを取るのは無謀に近かった。

結果として、たいした改善効果は出なかったと記憶する。しかし、実力派の役員が言い出したことだ。皆の意識改革が進んで、活動は成功ということになった。この活動に積極的に協力した部長は翌年、昇進した。

こういう経験があったせいかどうか知らないが、その後、わたしの勤務先では、外部のコンサルタントを呼んで、社内の業務改革をする、という動きはずっと少なくなった。コンサル嫌いになったのだ。

だが、後にソリューション事業部の一員として、顧客にいろいろ接するうち、この「コンサル嫌い」は、かなり広く見られる傾向だと知るようになった。全ての会社が、コンサル相手にむなしい経験をした訳ではあるまい。むしろ、コンサルは一度も入れたことがない所が、過半数だった。だが、多くがコンサルタントという商売に、強い疑念を持っている。

ただし、中には全く逆に、「コンサル好き」というべき会社もあった。あちこちの部署で、次々にコンサルを入れるのだ。ただ比率的には、20社に1社もないとは思う。

コンサルタントは、なぜ嫌われるのか。それが今回のテーマだ(ああ、いつも話の前置きが長い)。

嫌われる理由は簡単だ。コンサルは高い。そして偉そうだ。何も知らないのに、ひとの会社に来て勝手な指導をする。いらぬ仕事を増やす。そのくせ、何も役に立たない。現場がそれでも頑張って、何か成果を出すと、コンサルの手柄にしてしまう。だが上の人間が連れてきたので、簡単に追い出せない。上の人間のメンツがかかっているので、失敗でも成功ということになる。何より癪なのは、自分が馬鹿みたいに見られる事だ。

そのくせ、世の中には不思議な事実がある。かくもコンサルは不人気なのに、メディアや書店では、「元マッキンゼー」みたいな肩書きの人間の文章が、もてはやされることだ。就職・転職先としても人気が高い。それだけ不人気なら、なぜ市場を闊歩し、高い給料をもらえるのか?

事実、帝国データバンクの2014年の調査『急成長する経営コンサルタント業』 http://www.tdb.co.jp/report/specia/pdf/140101.pdf によると、こんな調査結果が得られている:

過去5 年間で経営コンサルタントを営む企業数はで約 1.9 倍、 経営コンサルタント利用者数は約 3.7 倍に増加した。

経営コンサルタント利用数が多い産業大分類の上位 3 業種は、サービス業、製造業、卸売・小売業・飲食店

経営コンサルタント利用企業の割合は、サービス業が1.6%、製造業が0.8%、卸・小売業・飲食店が0.6%


という訳で、日本では全企業の1%内外が、経営コンサルタントを利用している事がわかる。もちろん、まだ小さな数字だが、かなり伸びているのも事実だろう。

マッキンゼーについては、知人が皮肉なことを言っていた。世の経営者たちがマッキンゼーを好んで使うのは、彼らが大したレポートを出せないからなのだ。だから、一度使ってみて、「やっぱりマッキンゼーも大したことはないよ。」と重役が偉そうに発言できるようになるために、使うのだそうだ。

でも、本当かなあ、とも思う。というのも、その知人自身がコンサルタントだからだ。彼は、コンサルという職業自体は、否定しない。ただ、世の中には支払う値段に見合うコンサルばかりでは、ないと言いたいのだろう。あるいは、良いコンサルとダメなコンサルがいるのだ、と。

そこで、コンサルタントの定義について、ふりかえってみるのも、無駄でははあるまい。上記のワインバーグは、コンサルタントの仕事をこう定義している。

人びとに、彼らの要請に基づいて影響を及ぼす術

過不足のない、良い定義だ。人びとの要請がなければ、コンサルは動かない。押し売りはしないし、できる商売でもない。また、「問題を解決する術」ではなく、影響を及ぼす術、としている点も、含蓄が深い。コンサルタントというのは、クライアントの要請に応じて、クライアントの変化を助けることが、仕事なのだ。

そして、経営コンサルと技術コンサルを区別しておくのも、大切だろう。技術コンサルタントというのは、通常、クライアントが抱えている、直接顧客と接する技術問題について、助けを出す。ここでの技術という言葉には、科学技術だけでなく、法律上の技術や税務上のそれも含まれる。そして、こういった技術コンサルを雇うことには、それほど強い抵抗はないと思われる。わたしの勤務先でも、セキュリティや契約交渉などで、コンサルタントを頼んでいるし、それは当然だと皆が考えている。

(なお、技術コンサルの亜種として、ERPコンサルと、ISO-QMSコンサル、とよばれる職種がある。複雑なERPソフトウェアの設定を助けたり、ISOの審査に通るよう、QMS文書作りを指導したりする。きわめて特化した形態だ。顧客に影響を及ぼす、とさえ言えるかどうか微妙で、経営コンサルタントの中には、「あんなのはコンサルという名前にふさわしくない」などという人もいる)。

では、経営コンサルタントを雇うときに、ターゲットとなるのは、どのような種類の問題なのか。それは、わたしが「パフォーマンス問題」とよぶ種類の問題である。つまり、具体的・個別的な製品や案件でのトラブルというよりも、なんだか全体として、会社の売上がふるわないとか、利益率が下がっているだとか、離職率が増えて品質が落ちているとかいった、組織の主要な業務に関する、マクロなパフォーマンスの問題なのだ。

こうした問題の解決のために、外部の経営コンサルタントを呼ぼう、とすると、しばしば社内から反対の声が上がる。問題解決は、ホワイトカラーの本来業務である、という信念が、たぶん、そこにはある。外部からプロの問題解決屋をよぶというのは、つまり、自分の「頭が悪い」と言われているのと、同様なのだ。

会社の主要な業務に、問題はあってはならない。売上や利益率やリードタイムといった、組織のパフォーマンスを示すKPIは、達成できるべく設定している。そしてホワイトカラーの仕事は、問題解決である。以上3点が、黄金則である。それでも、もし問題が生じるなら、それはもう、担当者の個人的無能の証明に他ならない。ゆえに、職場へのコンサル導入は、管理職に対し「無能」の烙印を意味する。

おまけに、コンサルなどは役に立たない。彼らは決して、解決策を持ってこない。持ってくるはずがない。なぜなら、自分の業務は特殊だからだ——これがまあ、決め手となる反対理由だ。

どこが特殊か? たとえば、わたしの勤務先なら、LNGプラントのような超低温・高圧の特殊な製品を扱っているし、そもそも専業エンジニアリング会社などという業態自体が日本には数少ないし、仕事の8割以上は海外だし、と、いくらでも特殊性の理由は続く。

でも、ここがホワイトカラーの智恵の見せ所らしく、どんな会社に行っても、そこの仕事が「特殊だ」「特別だ」、「他社とは違う」という理由説明が可能なのだ。読者諸賢も、ためしに自分の会社が特殊である点を、列挙してみられるといいと思う。自分の会社が平凡で普通だ、という説明よりも、ずっとたやすく、かつ心にもストンと落ちるはずだ。

かくて世の中は、個別で特殊な会社ばかりである。では、経営コンサルタントの人たちは、どうやって、そんなところで仕事をしているのか。そもそも、経営コンサルタントという業種が成り立った理由は何なのか?

(この項つづく)


<関連エントリ>
 →「特別な我が社」 https://brevis.exblog.jp/2641571/ (2001-02-03)


by Tomoichi_Sato | 2018-08-27 23:48 | ビジネス | Comments(0)

書評:「アンナの工場観光」 荻野アンナ・著

アンナの工場観光 」(Amazon.com)

1993年。日本がまだ、バブル経済後の余熱の中にあった頃である。全国の新聞社に記事を配信する共同通信社は、芥川賞をとった新進気鋭の作家・荻野アンナに依頼して、月1回「アンナの工場観光」なる記事を書いてもらうことになった。ごくお堅い「工場」と、お遊び気分の「観光」という、ある種、相反する二語をワンセットでタイトルに掲げるあたりが、この作家の稚気の表れだろう。ともあれ、編集部の小山さんと、イラスト担当の影山女史との3人コンビで、毎月全国の工場を見学して回ることになる。

本書は、その取材を元にあらためて書き下ろした、かなり笑える楽しい連続エッセイである。そして、笑いのかたわら、25年前の日本の製造業の姿、考え方、そして社会のあり方が透かし模様のように、見事に見えてくる。第一級のルポルタージュでもある。

「試供品、もらえないかしら。」−−最初の工場見学先が決まると、さっそく著者はこう、所望する。それもそのはず、記念すべき第1回は、東京王子にある大蔵省印刷局・滝野川工場であった(組織名は全て当時のまま)。もちろん、お札を製造する工場である。ちなみにコインを作るのは造幣局で、お札は印刷局になる。この工場で、年間33億枚製造されるお札の、ほぼ1/3を印刷している。彫刻技師による原版のデザイン、つまり製品設計も行っている。

工場見学の最初に、紙幣印刷工場を選んだのは、とても慧眼の選択であったろう。典型的な量産型工場だ。二階建てアパートくらいに見える、特製の「ドライオフセット凹版印刷機」で、1ロット500枚ずつ、製造される。そして、厳しい品質管理が要求される。人による目視検査もある。量産だが、すべてにシリアルナンバーを印字し、トレーサビリティを記録しなければならない。そして模造が困難であるような、高度な製造技術が要求される。まことに当時の日本製造業を象徴するような、工場ではないか。

工場の人は、製造した紙幣を「お品」と呼ぶ。そして、できた1万円札を、1枚22円で日本銀行に売る。まあ、ほぼこれが製造原価だと思えばいい。製品としてのお札の寿命は、わずか2〜3年である。市中のお札が銀行経由で戻って日銀を通過する際に、自動監察機でより分けられ、古いものは廃棄されるのだ。ともあれ短い時間の見学で、お札の世界の良品とは、目に美しく、偽造が困難であることだと、著者は本質を喝破する。

この調子で、著者の一行は、全国12箇所をめぐる。京都のマネキン工場、静岡・袋井のポーラ化粧品工場、相模原の特殊自動車(霊柩車)工場、横浜の小さな煎餅工房、山形のシャンパンワイナリー、岩手県一関市・富士通ゼネラルのワープロ工場(あの時代には専用ワープロという商品があってかなり売れていたのだ)、東京池上の食品サンプル工場(デパートの食堂の店頭に飾ってあったりした、あのロウ細工である)、三重県松坂の養豚場、名古屋の三菱重工宇宙ロケット工場、山口・宇部の制服工場、そして最後は目黒清掃工場である。

ややB2C系の、消費財製造の分野に偏っているきらいはあるが、それでも良い目配りだ。お金の工場からはじまって、最後にゴミ処分工場に終わる、という構想もなかなか気が利いている。そして、どれも非常に面白い。

目黒の清掃工場では、「こちらでは何が原料で何が製品にあたるのか、考え出すと頭が痛い」(P.308)と書く。だよね。ゴミを燃やして出た煙から有害物質を除去するため、「まずは冷却し、ススとチリを取ってから、水で洗う。煙の水洗い。まさに煙に巻くような技術である。」(P.316)。だから巨大な煙突からは、無色透明な煙(?)だけが外気に輩出されていく。

この工場は、収集したゴミを原料に、千度近い焼却炉で燃やし、熱や電気という「製品」にかえる。そして、副産物の灰は、東京湾の埋め立て地に送られる。著者達一行は、その埋め立て処分場にまで、車に同乗して出かけていく。この、東京ディズニーランドを対岸に望む人工島の、文明の果てともいうべき滑稽かつ荒涼とした場所の描写は、さすが文学作家である。

ところで、この清掃工場には、中央制御室がある。機械化・自動化が進んでいるからだ。当然といえば当然だが、この本に登場する工場の中で、中央制御室らしきものがあるのは,他に化粧品工場くらいだろう。あとは、すべて人間の紙による指示か、あるいは伝票もなしに、現場の人の判断で動いていくのだろう。だから工場建屋から一歩外に出ると、中で動いているのかトラブっているのかさえ、よく分からない。25年前も今も、そうだ。こういう点での進歩のなさのおかげ(?)で、この本は現代でもちゃんとリアリティーを持って読めるのだ。

著者は、しきりに自分は文系だ、と強調する。たしかに「セラミド」や「固体燃料」といった専門用語は、その分野の技術者でないとわからない。だが、目の前に見える現実を、いろいろな角度から多面的に見て、その本質を理解する能力は、別に文系理系にかかわらない。

たとえば、作家にとって商売道具であるワープロの工場にいく。部品や配線と聞いて著者がイメージした、昔のラジオの中と違って、プラスチック下敷き3枚分の「基板」を走る細い筋が配線で、チップマウンターで実装される板チョコ状の「CPU」が、全体の頭脳となる部品だと知る。そこで著者は急に、名優ジャン・ルイ・バローと日本の能役者が「鐘をつく」動作をしてみせるときの、その差を思い出す。バローの筋肉を動かすリアリスティックな演技に対し、能役者は最小限の動作で、観客にその意味を伝える。

「記号化によるエネルギーの節約で、(中略)最小限の動作と空間へ切り詰めていき、そこから最大限の機能を引き出す。この言い方なら、能とICを横並びに置くことも可能だ。」(p.158)

こういう風に、物事の本質をズバリと抽象化して理解する知性を、この作家はもっている。同時に、効率よく自動化されたマウンターのすぐ後の工程で、女性達が並んで基板を目視検査しているのも見逃さない。工場内の物流を担うAGVを、「ロボット君」と呼んでかわいく描写するが、「不健全在庫低減」の標語を叫ぶウルトラマンの職場ポスターも見つける。この会社がが基板やICチップに見せた『記号化と機能化』を、工場の生産マネジメントにも発揮しているかどうか、著者は何も批判的なことは書かないが、よく見ているのだ。

それにしても、ここに取り上げられた工場のいくつかは、すでに業容をかなり変えているだろう。なくなっている所もあるかもしれない。この当時は外国人労働者も少なかっただろうし、派遣労働者制度も工場は適用外だった。

バブル時代の前、日本の工場は「追いつけ追い越せ」「高度成長」で生産量増大に燃えていた。バブルの最中は、「高付加価値」なる言葉で、要するに贅沢品志向に変わった。バブルがはじけると、一転して工場は「コストダウン」「人件費低減」の嵐だ。そして「海外移転」へと、多くの経営は舵を切っていった。本書に描かれているのは、不況へと転じる入口の時代だ。

しかし当時の工場と、今の工場と、本当にどこがどれだけ変わっただろうか? ‘90年代の製造設備を使い続けている工場は、ごまんとある。職人芸的な手作業に依存する部分も、少なくない。全品目視検査の工程も、ザラだ。バブル時代には一時はやりかけた自動化設備も、その後は緊縮予算で増えていない。

こうした工場のあり方を支えてきたのは、二つの理念だ。まず、きちょうめんで忍耐強く優秀な労働者を、比較的低価格の賃金で、いつまでも雇い続けられる、という信憑。とくに注意力を要する職場には、多く女性が割り当てられる(このことを、著者はやんわりと描き出している)。そしてもう一つは、大量生産における全品目視検査といった、非常に単調な仕事でも、機械より安ければ人間にやらせるのが当然だ、という価値観である。

「人が働くとはどういうことか」に関する、その企業の思想が露骨に現れる場所が、工場なのだ。来る日も来る日も、基盤の欠けや札の印刷の汚れだけを、チェック続ける。機械のミスを人間がチェックする。そんな仕事に、人は一生をかけられるだろうか。親戚の子どもがその仕事に就いたら、「おめでとう」と言えるだろうか。25年前にはまだ、画像検査装置は高価だった? その通りだ。性能も低かった。では、そうした工程は今やすべて自動化されているだろうか。「人間の方が機械より正確だから」という理由をつけて、相変わらず大勢の女工を並べている工場も、あるのではないか。そうした会社が、他の従業員をどう扱うか、推して知るべしではないか?

この本の中で、やはり読んでいて面白いのは、小さくて個別性が高く、全体をある程度見通せるような職場である。養豚場とか、ワイナリーとか、霊柩車とか、マネキンの工場だ。工場というよりは、工房かもしれない。そうした世界では、働く人は生き生きしている。日本人の職人気質なところが、長所として出ている。だったら、こういう中小企業を、より大切にするべきではなかったのか。

そういえば、職業的小説家もまた、職人的手工業の世界である。だから、作り手の気持ちが、より通じているのかも知れない。そういう点で、本書は、村上春樹の『日出る国の工場と並ぶ、作家による工場ルポルタージュの傑作である。ぜひ探してでも読むことをお勧めする。


by Tomoichi_Sato | 2018-08-20 23:12 | 書評 | Comments(0)

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(8月31日)開催のお知らせ

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2018年第4回会合を開催いたします。


今回は、元フジテレビ海外特派員、テレビ静岡会長で、現在は一般社団法人静岡アジアパシフィック協会理事長の曽根正弘様に、メディアから見た世界の転換点と、その取材とについてご講演いただきます。


ご存じの通り、現在のマスメディアは時間的な媒体であり、とくにTVの場合は取材におけるリアルタイム性の高さが求められます。そして、対象とするのは、繰り返しのない一過性の出来事で、かつライバルとの激しい競争もあります。
そのような現場を抱える中、どのような形で世界的な出来事にかかわり、それをレポートしているかについて、貴重な体験をベースにお話しいただきます。


他では聴けない、興味深いご講演は、暑い夏の夕べ、一服の清涼剤となるはずです。

大勢の皆様のご来聴をお待ちしております。


<記>

日時:2018831日(金) 18302030

場所:慶応大学三田キャンパス

 北館会議室21階)(定員:28

 https://www.keio.ac.jp/ja/maps/mita.html

 キャンパスマップ 【1


講演タイトル:

タイトル「TV特派員が現場で見た世界の転換点」


概要:

フジテレビ特派員としてモスクワ、ワシントン、ニューヨーク、ロンドンと転任する中で、東西冷戦の終結、ソ連のクーデターに端を発する体制崩壊を千載一遇の機会を生かして現場レポートをすることができた顛末を語る。


講師:一般社団法人 静岡アジアパシフィック協会

理事長 曽根正弘(そね・まさひろ)


講師略歴:

略歴:

静岡県出身

1964年早稲田大学卒、()フジテレビジョン入社。

1970-71 米国ミシガン大学、MITに短期留学。

1982-85 モスクワ特派員・支局長。

1989-90 ワシントン特派員・支局長、FCI報道担当副社長。

1990-94 ロンドン特派員・支社長。

1994-98 フジテレビ総合調整局長、社長室長、取締役国際局長

1998 ()テレビ静岡移籍

1998-2017 同社専務取締役、代表取締役社長、会長、相談役、顧問

(この間、静岡商工会議所情報文化部会長、静岡交響楽団理事長、静岡市

 行財政改革推進審議会会長ほか兼職多数)

現在:()TOKAIホールディングス社外取締役、東京音楽大学特任教授、

 静岡県ニュービジネス協議会統括副会長ほか。


参加費用:無料。

 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥2,000)は免除されます。

 参加を希望される方は、確認のため、できましたら前日までに三好副幹事までご連絡ください。



佐藤知一@日揮(株)



by Tomoichi_Sato | 2018-08-18 17:58 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

生産マネジメント手法の系譜を考える(3) 90年代以降の発展とこれから

--ちょっとこれまでの流れをおさらいします。生産マネジメントの手法は20世紀前半に、米国の自動車産業が牽引する形で誕生・発展しました。複雑な機械製品を、大量生産することが主眼でした。60年代には計算機を利用するMRPという計画手法が開発され、需要に合わせてロット生産のタイミングを調整し、工場全体を采配する事が現実化します。

「集中管理の実現ですね。」

--そうです。そしてMRPはその後も、発展を続けます。資材調達だけでなく、人員や資金など、製造に必要な経営資源全体の計画ツールにまで拡大し、80年代にはManufacturing Resource Planning = MRP IIという概念が生まれます。そして、これにヒントを得て、ドイツのSAPという名の企業が、Enterprise Resource Planning = ERPという用語を作ります。こちらは皆さんご存じですね。

「ERPって、元は生産管理用語から来たんですね・・」

--はい。だから、今でも主要なERPパッケージは、その生産マネジメント部分にMRP IIのロジックを実装しています。
 ところで一方、日本では70年代ごろから小ロット・多品種で、市場の需要にきめ細かくより添う、トヨタのような生産方式が主流になります。かつての「メード・イン・ジャパン=安物」の汚名をそそぐべく、また現場のモチベーション向上も込めて小集団活動を中心としたTQCが盛んになり、石油ショックも手伝って、日本製品は米国市場で力をふるいます。そして80年代後半には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」、日本型経営礼賛の時期が来ます。

「なんだか遠い昔の話を聞いているような気がします。」
「でもこれ、今も変わらぬ現実だと思ってるオジサンたちも多そう・・」

--かもしれません。ところで、この間、米国も指をくわえて見ていた訳ではありません。あなたがアメリカ企業の経営者だったら、どうしますか?

「ええと。関税をかけるよう政治家を動かして、輸入をブロックします。」

--なるほど。政治に頼る解決ですね。実際、そういう動きもあって、日本の自動車会社は米国での現地生産に取り組みはじめます。しかも、部品の現地比率その他の規制までかかって、単に部品を全て米国に持って行って、現地で最終組立だけするような生産方式は通じなくなります。部品の調達からやらざるを得ない。かくして米国企業は、日本の工場マネジメントのやり方を間近に見ることができるようになります。そして気がつくんです。これは単に、安価な労働力を人海戦術的に使ったやり方ではないのだ、と。

「当たり前ですよ!」

--また、日本にも盛んに調査団を送ります。その結果を、MITが’90年代の初めに報告にまとめ、こうした日本企業の生産方式を「リーン生産」と名付けます。Leanとはお肉の赤身のこと。贅肉のない、つまり徹底して在庫を減らした生産マネジメント方式です。また品質問題についても考え直し、「シックス・シグマ」という概念に至ります。徹底した品質追求から、生産のムダやムラをあぶり出す方法論です。

「日本のやり方を、呼び名を変えて真似しただけじゃないか。」

--そうとも言えません。彼らは概念の体系化に長じていますし、技法も生み出します。それに日本のQCだって、もともと米国の統計的品質管理から学んだのです。

「たしかにITマネジメントの世界でも、アメリカではLean Six Sigmaという言葉を時々見かけます。」

--ところで、少し話は戻りますが、貿易摩擦と関税による障壁は日本企業だけでなく、米国企業をも悩ませることになりました。すでに部品製造を安価な外国にかなりシフトしたしまった会社は、同じく関税に直面します。それだけではありません。米国内での生産と、中米やアジアでの部品製造を、どう上手につなぎ、どうタイミングを合わせるか、という問題に直面します。そしてここから、『サプライチェーン・マネジメント』という重要な概念が登場してくるのです。

「SCMですね。」

--そうです。サプライチェーンという言葉や、供給連鎖という概念は、古くからあったものです。しかし、その全体をマネージしよう、との発想は’90年代以降のものです。最初は流通業における企業間の取り組みからスタートし、製造業にもその概念が波及します。そしてSCMとともに、個別最適 vs. 全体最適、といった問題意識が出てくるのです。

「へえ。全体最適とか、昔からある議論かと思ってました。」

--80年代後半はちょうど、計算機が汎用機からPCへとシフトし、かつ計算能力も通信速度も、飛躍的に伸びていく時期でした。そこでサプライチェーン・マネジメントを実現するために、ITを利用した、新しい発想による技術が生まれます。それが、Advanced Planning & Scheduling = APSでした。APSは、MRPの難点であった負荷計画問題を克服し、最適な生産スケジューリングを可能にしたのです。そして90年代には、実用の時代に入ります。
関税が政治に頼る解決だとしたら、こちらは論理とITに頼る生産マネジメントの改革法です。

「マネジメントのIT化、ですか。うーん」

--同時期にもう一つ、米国では重要なマネジメント理論が現れます。イスラエル出身の物理学者ゴールドラットが、制約理論(Theory of Constraints = TOC)を提案するのです。彼は最初、OPTというAPSソフトウェアを開発していたのですが、ソフトよりも生産マネジメントの考え方の変革の方が重要だと考え、’84年に『ザ・ゴール』という、ベストセラーになったビジネス小説を書きます。これがSCMの概念とマッチして、90年代には生産マネジメントの世界に多大な影響を及ぼしました。TOC理論は、MRP IIなどの持っていた、計画偏重・中央管理のやり方とは一線を画す思想から生まれ、それがSCMにマッチしたのです。ポイントは何だったと思いますか?

「え、何だろう。現場の自主性を尊重するんですか?」
「私、TOCのクリティカル・チェーンという、プロジェクト管理の方法を聞いたことがあります。現場尊重っていうより、なんか、バッファー・マネジメントとかって話だったような気がします」

--そうです。TOC理論では、現場にはいろいろな変動要因があり、計画通りになかなか進まない、という認識がベースにあるのです。生産マネジメントでは、DBRとかDBMといった方法論が提案されます。これらは、工場にある「ボトルネック工程」へのコントロールに集中して、工場全体のスループットを最大化しよう、との発想が中心にあります。複数のサプライヤーをまたぐSCMでは、こうした変動への対処が、さらに重要になるのです。
 でも、日本の製造業は、こうした新しいマネジメント手法には、馬耳東風だった・・。

「え?」

--アメリカから日本に、MRP IIやSCMなどの考え方が紹介されるのは、じつは10年近く遅れたのです。わたしは’98年に、仲間と共著で『サプライ・チェーン・マネジメントがわかる本』を出版しました。この中でAPSやTOC理論の紹介もしたのですが、これは日本語で書かれた入門書としては、かなり早いものでした。なぜ、そんなに情報が遅れたのだと思いますか?

「わかりません。いつもアメリカの情報はすぐ入ってくるのにな。」
「バブル崩壊と関係があるんじゃないですか?」

--バブル崩壊よりも、バブル経済それ自体に関係があります。つまり、’80年代の半ばから’90年代の前半まで、日本人は鼻高々の絶頂期にあった。日本型経営、日本のものづくり、これは世界最高である、と。「もうアメリカに学ぶものはない」--そういう標語さえ、世間を闊歩していたのですよ。

「嘘みたい・・」

--この時期を、わたしは「生産マネジメントの失われた10年間」だと考えています。90年代、バブル崩壊で日本の製造業は、困難に直面します。工場も海外移転し、サプライチェーンが長くなってしまった。でも、日本の生産現場や、経営それ自体の考え方に、ITの重要性がすこしずつ認識されるようになるのは、ようやく2000年代に入ってからでしょう。

「それって、IT開発プロジェクトの世界も、似ているのかもしれません。米国でPMBOK Guideが初めて出たのは90年代前半とききました。でも、日本のIT業界が、PMに真剣に取り組みはじめるのは、2000年代の半ば頃からだったそうです。」

--たしかにね。90年代中頃までは、半導体もPCも、日本の計算機メーカーが世界市場を制覇していました。日本のIT技術は世界一である、とメーカーが思っていたとしても、不思議はありません。

「それってハード製造の分野だけの話で、ソフトウェアが弱いのは昔からなんですけれど。」

--そうですか。まあ、ともあれ、21世紀に入っても、日本からは新しい生産マネジメント思想が生まれません。「現場力」が大事で、職人的な技を磨く「ものづくり」が企業を支える、みたいな考えが強く、あとはヒットする新製品をどう生み出すかが、話題の中心になりました。トヨタは相変わらず強いので、トヨタ生産方式の表面的な真似をする人たちは、たくさん出ましたが、最初に申し上げたように、生産形態も需要特性も違うところに、技法だけ持ち込んだって活きないのです。

「2000年代に、欧米から新しい考えはでてきたのですか?」

--いい質問ですね。二つあげましょうか。米国の「工場物理学」と、ドイツの「Industry 4.0」です。米国では、MRP II・APS・SCMといったメインの流れに沿って、大学にも生産マネジメント学を教育する学科があります。その中からW・ホップという学者が、Factory Physics(工場物理学)という考え方を提唱します。これは待ち行列理論を出発点として、工場内のモノの滞留現象を解析し、リードタイム短縮をねらうとともに、より効率性の高い生産ラインを設計しようという考え方です。これまでの生産マネジメント思想は、すでにある工場を、どう効率よく運用するか、という問題意識でしたが、こちらは一歩踏み込んで、より効率的な工場の生産ライン設計にまで踏み込んでいきます。

「それと、例のインダストリー4.0、ですか?」

--そうです。これは2013年に、ドイツの科学アカデミーが国策として提唱した概念です。最初はかなり抽象的でしたが、だんだんと具体的な技術論に発展してきました。こちらは世界でも高賃金で労働時間の短いドイツが、それを維持しながら国内製造業の競争力をどう向上すべきか、という問題意識が底流にあります。賃金の安い国に工場を移転すればいい、という風には彼らは考えません。かわりに、彼らは市場の要求にきめ細かく対応できるような生産マネジメント能力を作る必要がある、とします。このための手段として、スマート機械とスマート製品の二本立てで、フレキシブルなバリューチェーンを構築すべきだ、と構想します。

「バリューチェーンって、サプライチェーンと違うものですか?」

--バリューチェーンは本来、同一企業内の価値連鎖を指す経営学の言葉ですが、Industry 4.0では複数企業間をまたがるようなケースも想定しています。製品の個別仕様ごとに、違った経路を部品が渡り歩く、というイメージです。ドイツも自動車産業の国なので、量産型機械のイメージが強いのですが、単なる大量ロット生産ではなく、顧客の個別の要求にあわせた製品を作る必要があります。これを、「マス・カスタマイゼーション」といいます。

「日本では、当たり前に実現していることじゃないですか!」

--ですが、それは下請け部品メーカー達の、相当な努力と犠牲で成り立っていることを、忘れてはいけません。それと、機械加工系の工場では、従来、各工程の進捗をつかむのが大変でした。工作機械は皆、スタンドアローンで動いているからです。生産スケジュールをどんなに精密に立案しても、現実の進捗をちゃんとフィードバックしてあげないと、工程表はすぐ絵に描いた餅になります。日本はこれを、現場の職長達の判断でフォローしています。
 ドイツは、IoTなどの技術を使って機械をよりスマート化し、リアルタイムに状態を把握できる仕組みをつくればいい、と考えました。また、CAD/CAMの設計データを、工作機械に直結して流せるよう、あらゆる機械のインタフェースを標準化できる「管理シェル」を作っています。こうしてERPから現場の機械までを垂直統合する「スマート工場」が生まれます。

「あの、スマート工場というのは、何となく分かる気がするんですが、スマート製品って何ですか?」

--部品や製品自体に、たとえばチップか何かが載っていて、自分が何か、今どこにいるか、次にどこに行くべきかを、自分で判断できるような仕組みをつけたものです。組立加工系の工場の悩みは、モノの場所探しにあります。それを、複数企業からなるサプライチェーンの中でも、行き先不明にならないよう、スマート化しようという訳です。さらに顧客の手に渡っても、どのような使い方をされているかを逐一、記録し報告することで、さらなるサービス価値を生み出せる,という訳です。

「それだって、コマツの建機などはもう実現していますよ!」

--製品的には、おっしゃる通りです。日本企業は個別には、Industry 4.0の目指すところを実現している例があります。ですが、システム化とか標準化になると、突然弱くなる。特定個人や企業の強みが、日本全体の強みに共有されません。なぜだか、分かりますか?

「え! ・・産業界にリーダーシップが足りないから、ですかね。」

--ほお。トヨタさんにも、リーダーシップが足りない、と?

「それは違うような気がします。・・でも、分かりません。」

--わたしの答えを言いましょうか。マネジメントに関する科学的・体系的思考が弱いからです。科学として考えないから、技術として定着できない。体系的でないから、個別事例で終わってしまう。あるいは、もっと皆さんに分かりやすい用語を使うと、「システム思考が弱い」になるかもしれません。マネジメントの問題を、リーダーや現場の「人間力」のレベルだけで説明する考え方など、その典型です。

「でも、人間力のどこがいけないのですか?」

--じゃあ皆さんは、デスマーチに陥ってしまったITプロジェクトの問題を、プロマネ個人の人間力不足として、人事評定されたら満足ですか? そうじゃないからこそ、こうやってわざわざ生産マネジメントについて、勉強しにいらしたのでしょう?

「それはそうですが。でも、そうしたら私たちは、この表にあるいろいろな考え方の、どれを学べばいいのでしょうか?」

--どれかを学べば、それがすぐ皆さんの役に立つとは考えない方が良いです。というのも、マネジメントの手法というのは、それぞれ、その時点で直面していた課題を解決するべく、開発されたものだからです。(わたしはボードの表に欄を書き加えて説明した)
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--フォード・システムは連続大量生産の実現が課題でした。それができるようになったら、次は多品種での大ロット生産の在庫適正化のために、MRPが生まれます。他方、より少量生産で、かつ多品種混流でのコストダウンのために、トヨタ生産方式が工夫されます。TQCは品質向上と現場のモチベーションアップが課題でした。
 リーン・シックス・シグマは同じく在庫最小化と改善活動を、米国の企業文化の中で実現することがねらいです。APSはMRP IIの生産計画をより現実的なものとし、SCMを可能にしようとしました。TOCはスループットの最大化と変動へのフレキシブルな対応が、問題意識の中心でした。工場物理学はリードタイム短縮と工程設計論を目指し、インダストリー4.0は先進国の製造業における生産システムの将来形を構想し、マス・カスタマイゼーション実現をターゲットとしています。
 こういう風に、マネジメントの方式は、それぞれ課題意識があって生まれているのです。世の中には今のところ、完全無欠な生産マネジメント手法はありません。それぞれ、何を主要なねらいとするかによって、とるべき手段がかわるのです。

「じゃあ、私たちがトヨタ生産方式に学べるところは、ないのでしょうか?」

--多くの日本企業がトヨタに学ぶべきところは、生産と販売が同じ計画で動くことを徹底している点です。彼らは月度計画と呼びますが、とにかく、実行可能な計画を立てて、それを生産側も販売側もきちんと守る点が、あの会社の最大の強みなのです。つまり、トヨタのやり方は、実は「トヨタ生産販売方式」と呼ぶべきだと、わたしは思っています。ところが、多くの企業では、生産と販売の両輪がかみ合っていない。とくに多くの企業では、販売側が弱い。

「僕の会社では、営業の方が強いですけど。」
「IT系企業を見ると、たいていそうですね。お客様の会社でも、営業の方が強いところが多いです。」

--わたしが言っているのは、社内の発言力の強さのことではありません。計画を立てて、その通り実行できる能力のことです。計画なのか精神目標なのか分からない数字を立てて、そこからズレたら全部、製造側に変動を押しつけるようなやり方は、能力が高いとはいいません。生産と販売が共同で立てる計画のことを、英語ではSales & Operation Plan = S&OPと呼びます。この概念は、MRP IIの中で80年代に生まれたものです。皆さんの会社にS&OPと言える計画はありますか?

「・・ないと思います。」
「しいて言えば、半期の予算計画かなあ。あれも当てにならないけど」

--ITは分かりませんが、製造業では最低でも月サイクルで回していかなければ、S&OPとは言えません。ここがブレると、まずリソースに余計な負荷がかかります。調達にも影響が出て、サプライヤーをこまらせることになります。納期も延びコストも上がるでしょう。

「IT分野でも、人ごとには聞こえません・・」

--さらに物販の場合は、製品在庫が過大になったり欠品したりします。これらは全部、製造と販売がリンクしないために起こります。それを避けたければ、リソースに無理やムラが生じないように、営業側も販売努力しなければならない。

「ですが、営業部門の事なんて、私たちの手に余ります。技術の側で、学ぶところはありませんか?」

--ありますよ。仕事=作業+改善、というのも、トヨタの考え方です。改善におけるPDCAサイクルの概念は、TQC以来、広く普及しています。ですが、業務に必要な作業をしているだけでは、仕事をしたとみなさない、というトヨタの徹底ぶりは学ぶべきです。

「受注したプロジェクトのために、設計や実装作業をしているだけでは、たとえそれが新しい技術要素を含んでいても、改善とはいえない、ということですか? 厳しいですね。」
「でも、自分から新しい方式にチャレンジすることだって、やっていますよ!」

--標準なくして改善なし、というのも、トヨタの標語です。だから先ほど皆さんに、改善活動による効果についてご質問したのです。バグ数でもいい。生産性指標でもいい。何か、これが標準、と定めた上で、その標準をどうやって持ち上げていくかを考えるのが、改善の姿です。
 いや、この考え方は何もトヨタにはじまったものではありません。もっとずっと前、フォードとほぼ同時代に、米国で初めて「科学的管理法」という概念を打ち出し、近代経営学の基礎を作ったテイラーも、それを実践しました。彼の方法論を受け継いだInustrial Engineerng = IEの人たちも、同様です。

「でも、ITの仕事は、工場の労働者とは本質的に違います。繰返し性が少ないんです。」

--プロジェクトはすべて個別だから、比べられない、と皆さんはおっしゃる。たしかに表面的にはその通りです。ですが、その違いの下にある共通プロセスを明らかにして、そこに科学の光をあててこそ、マネジメントが技術となるのではないでしょうか?
 仕事のパフォーマンスを測定し、数値化し、原因を分析して、工夫を加える。これがマネジメントに関する科学的・体系的思考の姿です。それを全部、リーダーや経営者の人間力のせいにしていたら、何の進歩もなくなってしまいます。皆さんがもし、エンジニアとしての自負をお持ちなら、ぜひ、仕事を科学する意識をもっていただきたいのです。


<関連エントリ>
→「生産マネジメント手法の系譜を考える (1)」 https://brevis.exblog.jp/27426439/ (2018-07-23)
 →「生産マネジメント手法の系譜を考える(2) 日本型生産思想のあり方」 https://brevis.exblog.jp/27462519/ (2018-08-02)

by Tomoichi_Sato | 2018-08-11 23:24 | サプライチェーン | Comments(0)

生産マネジメント手法の系譜を考える(2) 日本型生産思想のあり方

「’73年の石油ショックについては聞いたことがあります。石油の値段が急に上がったんですよね。」

--そうです。それまで中東アラブ諸国の原油生産は、事実上、欧米の石油メジャーが支配しており、バーレル$3の超安値で、原油を欧米に輸出していました。しかしイスラエルとの中東戦争に端を発し、ナショナリズムに目覚めた各国が団結し、輸出を止めると脅したので、原油価格は$10以上にはね上がったのです。それが、アメリカの製造業にどう影響を与えたと思いますか?

「エネルギー価格が上がって、製造原価が高くなったんじゃないでしょうか。」

--たしかに、それもあります。でも、一番影響を受けたのは、消費者の側でした。米国の自動車市場で、それまで常識だった、安いガソリンを湯水のごとく消費する、大型のアメ車に頼ったライフスタイルが、ピンチに瀕しました。消費者はやむを得ず、燃費の良い中小型車に目を向けることになります。その市場に入り込んできたのが日本車でした。そして、またたく間にシェアを伸ばしていった。

「高性能・高品質な日本車が、米国市場を席巻したんですね!」

--いや、それは現代から振り返って考える人の錯覚です。’70年代の前半まで、日本製品は、「安かろう悪かろう」の代名詞でした。そして当時の米国への最大の輸出商品は、衣料品と雑貨です。今日のメード・イン・チャイナが持っているイメージと同じですね。

「そんな馬鹿な!」

--信じにくいでしょうけれども。まあ、その時代のことを覚えている人は、もう現役引退の世代ですからね。Deep Purpleという英国の人気ロックバンドが、’72年に日本公演のライブ盤を二枚組LPで出したとき、原題は”Made in Japan”でした。皮肉なタイトルだったのです。日本車も、当時はそういう目で見られていました。そして事実、安かった。まだ固定相場制度で、1ドル360円の時代でしたから。こうして、日本車は米国市場のスキマに侵入し、少しずつ地歩を固めていくのです。

「それで、どうなるんですか?」

--70年代は、アメリカが自信喪失に陥っていく時期でした。石油ショックの後、’75年にはベトナム戦争に最終的に敗北します。アジアの小国ベトナムが、超大国アメリカに史上初めて勝利し、自国から追い出すのです。’70年代は米国の製造業が企業買収で多角化したり、工場を労賃の安い中米に移転したりする動きが、目立ちはじめた時期でした。70年代はまた、あるサービス業種がのびた時期でもありました。何だと思いますか?

「さあ・・鉄道か通信業でしょうか。」

--経営コンサルタントという業種です。彼らの主要な仕事は、経営者にかわって首切りリストラと、コストカット計画を立案することでした。工場の主要問題は立地で、生産管理やMRPではなくなってしまいました。そしてこの時期、日本に対して怒っていた米国人も多かった。皆さんは知らないでしょうが、ハンマーで日本製品を打ち壊すパフォーマンスを、TVカメラの前で議員がやったりしました。彼らの多くは、日本は不公正に安い通貨レートで輸出しているし、何より日本国内の安価な労働力を酷使して、大量に製品を作っているから価格競争力があるんだ、と本気で信じていました。

「なんだか、今、世間の経営者の人たちが、中国製造業に対して抱くイメージと、よく似ていますね。」

--いいポイントです。歴史の皮肉ですね。ただ、日本の製造業が実際に考えて、取り組んでいたやり方は、すいぶん違っていました。自動車産業で言えば、トヨタは’70年頃から、独自の生産方式を築き上げてきました。その発想の原点はきわめてはっきりしている。それは、「トヨタの会社の規模では、フォードやGMみたいに大量生産で安く作ることはできない」でした。

「え? トヨタの規模じゃ小さすぎる、ということですか?」

--そうです。フォードやGMは生産台数が非常に多く、生産ラインを単一車種専用にできました。ラインは同じモノを繰り返して作るわけですから、きわめて生産効率が高い。しかし、当時のトヨタの規模では、一つの生産ラインに複数の異なる製品を流さざるを得ません。小ロット生産の中で、いかに安く効率よくモノを作るか。これがトヨタ生産方式を引っ張った、大野耐一という人の問題意識の原点なのです。

「その答えがカンバン方式ですか!」

--いえ。かんばん方式はツールの一つでしかありません。トヨタ生産方式については、どうも「群盲象を撫でる」的な誤解が多いのです。が、根幹にあるのは、生産と販売が同じ一つの計画で動くこと、その中で徹底した平準化を行うことです。月度計画で、まず大きな線を引く。細かな変動は、かんばん方式などで調整・同期化する。だからかんばんは従であり、ツールなのです。

「・・トヨタって、計画生産だったんですね。」

--そうです。生産と販売がバラバラの計画で動いていたら、良いことはない。80年台前半には、別会社だったトヨタ自工とトヨタ自販が合併します。一体化を進めることも、目的の一つだったんじゃないでしょうか。そもそも営業部門が、製造現場の事情など無視して、勝手に仕事をとってきたらどうなると思いますか?

「ウチの会社なんか、営業がムリな納期や値段で仕事を取ってきて、あとはプロマネに押し付けています・・。」

--工場の生産は、一定のペースで進めるのが一番効率が良い。多品種であっても、月度の中で均等に作っていく。これがトヨタの平準化で、販売もこれを意識するのです。「ムラがあるから、ムリをする。ムリをするから、ムダが出る」という標語があるくらいです。そのために小ロットでも、切り替え時間を短く工夫する。自働化といって、不良が出たら機械が自分で止まるようにする。こういった現場の工夫と改善を引き出すため、あえて中央管理による指示の形を避けるのです。皆さんの職場では、改善はどのように位置付けられていますか?

「ぼくらITの世界では、技術進歩が激しいので、日々、開発のやり方を改善して、生産性を上げる工夫を重ねています。」

--そうですか。それは、すばらしい。それで、過去10年間で、御社では何%くらい生産性がアップしたのですか?

「いや、僕らのは考えるタイプの仕事ですから、生産性は簡単に数字では表せません。」

--なるほど。では品質はどうですか? 品質の改善効果なら、バグの数などで係数化できるでしょう。

「それは、計量化できなくはないですが、開発環境自体が進化していますからね。比較は難しいんです。」
「あの、システム開発は個別設計ですから、量産品のように効果測定はできませんので。」

--なるほど、なるほど。それでも皆さんは、仕事を改善したいという熱意を持って、こうして勉強会をされているんでしたね。すばらしい。日本の現場は、皆さんのような優秀かつ士気の高い人たちが支えているのだと、よく感じますよ。工場に行っても、そうです。
統計的品質管理の手法は、もともと米国から輸入したもので、デミング博士などが指導者として有名です。デミング・サイクルという言葉はご存知ですか?

「たしか、PDCAサイクルのことですね。」

--その通りです。マネジメントとは、PDCAサイクルを回し、改善を積み上げていくこと、との認識が日本の製造業に定着しました。さらには、この品質管理による改善を、職場の小集団活動に結びつけて、TQC (Total Quality Control) という独自の手法に発展させました。「品質は工程で作り込む」。つまり、品質は検査係の仕事ではなく、製造に携わる全員の責任と考えられました。

「まあ、たしかにバグはテスターの責任ではないですね。」

--また小集団による改善活動には、現場の人材育成とモチベーション維持という意義もあります。部門ごとに目標KPIを決め、自分で考えて仕事を改善していく訳です。MRP的な集中管理の排除、品質重視、現場の自主性尊重と責任移譲。これは80年代を通じて、日本の生産管理に広く見られた考え方です。日米を比較すると、こんな感じです:

米国:中央集権。計画重視。現場の人間はただ、マニュアルと命令に従うだけ。
日本:分権的。実行重視でフレキシブル。現場の裁量と自主的改善活動にまかせる。

--こうした比較から、日本型経営は人間重視だと自賛する声も、よく聞きました。ただ、こうした特徴には、裏の面もあります。何だと思いますか?

「うーん、こうして比較を見ると、やはり日本の方がずっと優れているように見えますが。」
「ええと、日本型は、現場に優秀な労働者が揃っているから可能だ、という面はないでしょうか。移民社会の米国では、文字も読めない人が案外いると聞いたことがあります。」

--そうですね。日本型の生産管理は、たしかに分権的ですが、現場の優秀さに依存している面があります。現場の人の会社へのロイヤリティ(忠誠心)は、ある程度、終身雇用制に裏付けられていました。米国の北部、デトロイトあたりの工業は、もともと奴隷解放で南部から大量に来た黒人労働者で成り立った時期がありましたが、彼らに会社への忠誠心は希薄です。改善しても会社が儲けるだけで、自分たちの給料に反映されないなら、誰が進んでわざわざ時間外に改善活動などするでしょうか。
それと、分権的であることにマイナス面はないでしょうか?

「中央集権より、良いと思いますが。」
「リーダーシップが、弱いと思います。」

--リーダーシップは、なぜ必要なのですか? あるいは、こう聞きましょうか。リーダーシップを必要とされるのは、どんな時ですか?

「そりゃ、無いより、ある方が良いに決まっているじゃないですか!」

--あなたは、電車の運転士や、航空機のパイロットに、リーダーシップを期待しますか? ジャンボジェットの席に座ったら、アナウンスが流れたと想像してみましょう。「皆様、ご安心ください。当機の機長は、強いリーダーシップを持っております。どんな変化や苦境も見事乗り越えて進むことができます…

「(笑って)それは、いやですね。席を立って逃げたくなります。」
「そうすると、リーダーシップって、変化が大きくピンチの時に必要なんですね。」

--その通りです。それだけではありません。分権的で現場任せの組織は、意思決定が縦割りで、皆が部門単位の利害を求める、いわゆる『局所最適』マインドになりがちです。この、局所最適・全体最適という言葉自体、米国で、90年代ごろからポピュラーになってきます。それは、ある重要な概念が米国で生まれて来たからです。

(この項つづく)



<関連エントリ>
→「生産マネジメント手法の系譜を考える (1)」 https://brevis.exblog.jp/27426439/ (2018-07-23)


by Tomoichi_Sato | 2018-08-02 22:32 | サプライチェーン | Comments(1)