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クリスマス・メッセージ:サンタは存在するか?

Merry Christmas !!

白髪。白い頬髭。男性。年齢は70歳以上かと思われる。白色人種だが、赤ら顔。真っ赤なウールの外套と帽子をかぶっていることが、目立った特徴である。職業、住所は不詳。ただしフィンランド国ロヴァニエミ市宛てに、郵便を出すことは可能らしい。トナカイの引く雪橇という、北国風の珍しい移動手段を使う。それで空を飛ぶという噂もあるが、目撃者は皆無だ。

家の屋根におりて、煙突伝いに暖炉から侵入するらしい。ただし暖炉のない家にも訪れるという。侵入経路は不詳である。そして、眠っている子ども達に、おもちゃなどのプレゼントを贈る。それもなぜだか、靴下に入れておくらしい・・

子ども達が、「サンタさんなんていない」と思い始めるのは5歳から小学校の低中学年の頃である。幼稚園や小学校の年上の子から、「あれって、両親がこっそりプレゼントを寝てる間におくんだよ」という『真相』を教えることが多いらしい。それでも、小さい子は半信半疑だろう。小学生になると、「両親の手前、信じたふりをしておく」くらいの演技もすることがある。

サンタさんを信じなくなる頃は、『幼児』が『子ども』に変わるときだ。荒唐無稽から、理性の時代に入るわけだ。

かくして、みんな大人になる。

それなのに、いまだにサンタさんの話が街に溢れているのはなぜだろうか? だって、大人は、そして多くの青少年だって、サンタは存在しないことを知っているのだ。だとしたら、なぜ、一代限りで『サンタ伝説』はしぼんでしまわなかったのか?

そりゃあ、小さな子ども達の夢を奪わないためさ、というのは寸足らずの説明でしかない。だって、夢を保つなら、もっと信憑性のある別のやり方だって考え得るではないか。空から雪橇でやってきて暖炉から忍び込む、というストーリーは、あまりにも反証がたやすすぎる。それならせめて、「夢の国からやってきて」という方が、まだしも「寝ないで起きて確かめる」を防止できる。

「売らんかな」のコマーシャリズムがサンタ像を利用しているんだ、というのも一理ありそうでいて、必然性のない理由付けだ。だって元々、クリスマスはプレゼントの季節である。クリスマス商戦を盛り上げたいなら、ツリーやらイルミネーションなど、道具立てはいくらでもある。今の、赤い服着たサンタ像は、たしかに20世紀前半にアメリカのコマーシャリズムが補強したものだ。幼児向けのマーケティングだったのかも知れない。だが、なぜそれが世界中に広まり受け入れられているのかが、分からない。

ただ、子どもを育てていて、分かったことが一つだけある。それは、人間が育っていくためには、「物語」が必要だと言うことだ。それも、神話的な物語である方が、「物語力」が高い。

理性の発達しない小さな頃は、それこそ夢と現実の混ざり合った中で育つ。でも、多少は分別のつきはじめる歳になっても、まだ自分を支えるには「物語」を必要としている。自分が成長した先を準(なぞら)えるために、モデルやエピソードとして参照するのだ。そのためには、時代を経た、神話的な色を帯びた物語が良い。豊富なキャラやエピソードの供給源となってくれる。

そして、現代ではTVなどメディア産業が、新しい物語の配給に余念がない。たとえば勇壮な音楽とか、光る武器とかが飛び交う物語などだ。ただ、わたしはそうした消費型商品としての物語が、なぜか奇妙に痩せて平板になっていることが気にかかっている。それは、子ども達にどのような影響を与えているだろうか。

大学でプロジェクト・マネジメントを教えるようになって、もう9年目になる。この間、いささか気になる微妙な変化を感じてきた。教えにくくなってきているのだ。学生たちの学力、とくに書き言葉を含む知的能力自体は、とくに低下していないと思う。低下しているのは、学ぶ力=学びに対する態度である。

わずか一週間前、全員で手を動かして理解したはずの事を、翌週たずねると、もう忘れている学生が、少しずつだが増えている。授業は単位の取得が第一の目的だ。だが、せっかく受けるなら、何かを蓄積し、自分のできる事を増やそうと、望んでいるか。そこが奇妙に希薄になってきた。目の前、その一瞬の課題だけを、頑張ってやり過ごせば良い。一部の学生は、そう考えているらしい。

授業で、「あなたは卒業後5年後に何をしていたいか?」という質問を出すことがある。プロジェクトとは、個人と組織が成長するための最良の手段だと思うからだ。そこまず、自分の近未来の成長の姿をイメージしてもらう。だが近頃は、「会社で命じられる仕事をこなして、あとはプライベートな生活を守りたい」という回答がいくつも出てくる。わたしは複数箇所で教えているが、いずれも有名大学・一流校といわれるところだ。それなのに、日本で最高峰と言われる学校の大学院でさえ、そうした傾向が散見されるのだ。

彼ら学生にとってどうやら、勉学・仕事とは報酬を得るために与えられる苦役である、らしい。世界は次々と、自分たちに課題や苦役を与えてくる。それを、いかにしのいで、自分らしさを守るかが、二十歳そこそこでテーマになっているようだ。だから、就活に向かう学生たちは、ブラック企業かどうかを問題にする。

もちろん、労働搾取的な経営は重大な社会問題だ。そこに議論の余地はない。だが、ジョブズの下でMacintoshを開発していたチーム、Bill Joyと一緒に寝食を忘れてSUNを開発していた創始者達。あれは長時間労働の、ブラック企業だったのか? 彼らは、自分たちが世界を変えられると信じて、働いていたのだ。

ブラックとは、労働時間だけで計れるものではない。「自分たちが世界を変えられる」と信じる度合いと、投入する労働時間の比率で、ブラックかどうかは決まる。自分たち自分たち自身の主人であるかどうかが大事なのだ。希望なき奴隷制度の下で働く人達の下では、たとえ1日6時間労働でもブラックに違いない。

わたしが最近の学生の傾向について心配を述べると、それは「ゆとり教育世代だから」という解説がかえってくることがある。だが、ゆとり教育とは何だったのか。わたし自身の子どもが、まさにゆとり世代だったから、その実相については多少知っている。

ゆとり教育』と呼ばれた制度は、2002年から2011年までの期間、続いた。ゆとり教育が本当に学力低下をもたらしたかどうか、という事実についてはまだ、論争に決着がついていない。だが、学校の授業時間が減らされるときいて、真っ先に浮き足だったのは親達だった。このままでは「良い学校」の受験に通らないと焦った都市圏の父母は、子どもを学習塾に通わせるようになった。

数値的データは示せないが、この10年くらいに目立って増えたのは、小学生の夜の塾通いだ。夜8時、9時に電車に乗っている子ども達の姿を見かけるようになった。あの子達は、いつ、誰と夕食をとっているのだろうか。すでに勤め人の父親は、平日は家で夜、家族と食事をとれなくなっている。それで子どもも夕食を外でとるのだとしたら、家族はバラバラではないか。そして受験教育と、繰り返される模擬試験。そのように育って得られた世界観とは、子ども達にとってどのようなものだったのか?

それはいわば、会社用語に翻訳すると、KPIと査定の繰り返しとしての人生であろう。あるいは、≪自動販売機としての世界≫といってもいいかもしれぬ。そこでは、労力というコインを投入すると、投入額に比例して、お目当ての商品が出てくる。投入しない者には、与えられない。そこから生まれるのは、何も持たぬ者、貧しい者は、「投入しなかったのだ」という結論である。努力を投入しなかった奴がいけない、という自己責任論。それが≪自動販売機的な世界観≫の、脅迫的な帰結である。

もう一つ、付け加えたいことがある。それは『談合』の存在だ。今、メディアでは巨大な公共的工事をめぐって、談合が行なわれていたというニュースが流れている。だが、わたしの知るところでは、問題の某業界のみならず、〇〇業界でも××業界でも、受注調整の相談がこっそり行なわれている。公共事業だけでなく、私的取引の分野でも、だ。わたし達の社会はそのようにして、目に見えない既得権と参入障壁の網の目が、がんじがらめに取り囲んでいる。新参者がイノベーションを持ち込めないようにできている。

公式にはダメなはずの談合が行なわれ続けているのは、受発注の双方に、それなりの社会的なメリットがあるからだ、という議論も非公式には存在する。だが、そういう主張に仮に三分の理を認めたとしても、談合社会には一つ明らかな弊害がある。それは、若い人から参入と成長の希望を奪うということだ。すでに頑丈に出来上がった社会、先行者の既得権に穴をうがち入り込む隙もない社会に、どうやって希望を持てるというのか?

どんなに経済的に立派であろうと、若い人が希望を持てない社会は最悪だと、わたしは思う。自動販売機としての世界とは、投入とその結果が、すべて予見可能な世界である。何か驚くような、思いもかけぬ、しかし良いことなんか起こりようのない人生。それは、サンタクロースが表象する世界観とは正反対だ。サンタが教えているのは、この世には、何か予見できない、しかし驚嘆すべき、うれしいことが起こりうるという感覚である。それは自動販売機ではない世界だ。

学生達に教えていると、それを、多少感じることはある。「将来は結婚して、家庭生活を守ります」などと言っていた学生に、ていねいに教えていると、「プロジェクトで人と何か作り上げていく体験は、面白いと感じました」などと、最後に感想を述べてくれることもある。ほんのちょっとでも、人が変わりうるということ、成長しうると言うのは、ありがたい(有り難い)ことだ。

そうした成長への意欲は、とくに女子に多く感じられるのも、最近の傾向である。今の世の中は、なぜか男の子が育ちにくいのだと思う。男はどうしても社会的動物としての性格が強い。だから社会の目が詰まっていて息苦しいと、希望を持ちにくいのかも知れぬ。彼らはまさに、オトナ達が作り上げてきた「教育という名の管理」の犠牲者である。

ただ、犠牲者と言っても、まだ若い。だから、本当は復元力がまだある。そのきっかけになるのは、『信じること』である。この世には何か良いことがありうると、信じること。それと同時に、逆に教えたり管理したりする側のオトナたちも、彼らを「信じる」ことが必要なのだ。信じないから、取り締まり的な「管理」をしたくなる。だが、人を育てたかったら、「信じて」「待つ」ことが一番大切なのだ。すぐに相手を査定し選別・排除しないで、じっと可能性を待つこと。それはずいぶん忍耐心のいる仕事だ。だが、それをあきらめたら、結果として「人が育たない」「人手不足」という形でツケが回ってくるのは自明だ。

今から2千年前、完成し煮詰まってしまったようなローマ帝国の片隅で、変わらぬ支配下にあえぐ下層民の間に、「この世はもっと良くなりうる」という、不思議なメッセージを携えた人が生まれた。クリスマスとは、その人の生誕、この世への来訪を記念する行事としてはじまった。「あなた方の中で一番小さい者、弱い者に対してすることは、すなわちわたしに対してすることだ」と、その人は最後に言い残した。サンタクロースは、後年、その人にならって、現在のトルコで貧しい子ども達のために活躍した、聖ニコラオという人がモデルになっている。この世を少しでも住みよくしたければ、消費財としての夢物語を売るだけでなく、人の成長という不思議な物語を『信じる』ことから、はじめなければならない。


<関連エントリ>
 →「クリスマス・メッセージ:幸せな人」 http://brevis.exblog.jp/22671239/ (2014-12-23)



by Tomoichi_Sato | 2017-12-25 07:56 | 考えるヒント | Comments(0)

わたしはなぜ、「プロジェクト管理」という言葉を使わないのか

旅先ではいつも、その土地のものを食べるのが習慣だ。だが、ときおり、外国で日本料理屋に入ることもある。そして、たまに面食らうような体験もする。いつだったか、アメリカの日本料理屋で食事を頼んだら、まっさきに味噌汁だけが出てきた。ふつうの街にある店で、来客はアメリカ人が多い。どうやら彼らの概念では、味噌汁はスープだから(Miso soupとよばれる)、真っ先に出すのが当然だということらしい。味噌汁を飲み終えたら、メインのおかずとご飯が出てきて、妙な気分だった。

汁物をsoupと訳するのは、もちろん正しい訳だ。だが日本語で言う汁物と、英語のスープは微妙に違う。たとえば英語では、スープは食べる(eat)という。日本人で、「味噌汁を食べる」という人は滅多にいるまい。ふつうは飲む、を使う。そして、当たり前だが、ご飯と一緒にいただくものだ。

わたし達が言葉を翻訳をするときは、自国の文化にある似たものや、似た概念を対応づけている。だがスープと味噌汁に見るように、翻訳は近似でしかない。時には、けっこう違うことに注意が必要だ。

わたしは、このサイトでは原則として「管理」という言葉を使わないことにしている。拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』でも書いたように、わたしのモットーの一つは、言葉を大切にする、である。だから、このサイト内では、二つの原則に従うことにしている。第一に、このサイト内では、用語はできるかぎり整合性・一貫性を持った使い方をする。第二に、そうはいっても、世間での使い方からあまりかけ離れないようにすること、の二つだ。

以前も書いたが、日本語の「管理」に対応する英単語は三つある。
  • マネジメント(management)
  • コントロール(control)
  • アドミニストレーション(administration)
なお日本語では、「管理・監督」と並べて使うことも多い。「監督」の英語は、supervision, superintendenceなどだ。

英語では、これらは別の概念である。これを全部、「管理」と一括りに呼んでしまうと、どれのことをいっているのか、分からなくなる。それでは、言葉を大切にしているとはいえない。

ちなみに英語の”manage"には、「荒馬を乗りこなす」といったような語感がある。自分の意思ではなかなか動かない相手を、なんとか自分の目的にあうよう、使いこなす感じだ。

これに対し、”control"は、自分の意思の通りに動く対象について行う、もっと精度の高い行為である。たとえば機械を制御する、自分の思った方向や速度に持って行く、というように。あるいは、個別にきちんとチェックし記録する、という風に。だから、品質管理はQuality controlだし、在庫管理はInventory control、原価管理はCost controである。空港における入国管理官の仕事はパスポート・コントロールであって、これを「パスポート・マネジメント」といったら変だ。入国窓口担当官が、個別の旅行客のパスポート発行に、すごく裁量を持っている感じになる。

そして"administration"は、執務環境を整えるとか、事務手続きをするイメージである。総務的・行政的・庶務的な仕事といってもいい。あるいは、銀行や役所などの窓口業務と言えるだろうか。よくsystem administration(略称シスアド)と呼ばれる仕事があるが、ユーザを登録削除したり記憶領域をバックアップしたりメンテナンスしたりというのが内容だ。ある米国人が”housekeeping type of work”といっていたが、とても感じが出ている。

では、「プロジェクト管理」とは、一体このうち、どれに相当するのか?

わたしの働く業界では、大規模なプロジェクトになると、プロマネ一人では面倒見切れなくなるため、プロマネをサポートするスタッフ達からなるPMT(Project Management Team)が必要になる。このPMTの中には、
  • Project Manager
  • Project Controller (Project Control Manager)
  • Project Administrator
という役職が、それぞれ存在する。

Project Manager(PM=プロマネ)はもちろん、プロジェクトの成果に対して最終的な判断を下し、その責任を負う人物である。これに対し、Project Control Manager(PCM)は、プロマネの立てた戦略を元に、プロジェクトの詳細な計画を立案し、WBS・スケジュール・予算配分などを決め、その計画通りに遂行が行われているかをチェックする。もしコストや進捗について、予実の差異が生じて問題だったら、是正策を考え、プロマネに進言する。つまりプロマネが将軍だとしたら、PCMは参謀役である。Project Adminは、それに比べて、プロジェクト・チームの配員や執務環境のケアをしたりする、まあ総務課長的な役割だ。

これらを全部、「プロジェクト管理」といってしまうと、どの職の仕事を指しているのかわからなくなってしまう。もちろん、小さな規模のプロジェクトでは、プロマネがControlもAdminの仕事も兼ねるし、もっと小規模なら設計などの実務も片手間でやるだろう。ただ、それはConrolやAdminの仕事の要素がなくなる、という意味ではない。

で、日本語の「管理」概念(あるいは語感)は、三つの英語を全て包含するかというと、そうではなくて、もう少し狭い。

たとえば、何か大事な物品をあずけて、「ちゃんと管理しておいてくれ」という場合、それはモノをちゃんと保管し、位置や状態を把握しておくことを意味する。つまり「管理」とは、誰かや何かを、自分の指示下に置いて、細かく動かすことである。言いかえれば、コントロール下におくイメージだ。

同じように、部下を管理する、とは、部下の一挙手一投足を指示し把握することを、通常、意味しがちだ。それは部下の自由度を奪うこと、ないし、上司の権力(強制力)を誇示することにも、通底している。こういう「管理」とは、上官の指示で突撃する兵卒に対して使う言葉のニュアンスをもっている。実際、少なからぬ組織では、軍隊式が「管理」の暗黙のモデルになっているようだ。

逆に、「管理」という言葉は、目上や対等な相手については、使わない。「ステークホルダー(たとえば顧客主や官庁)を管理しておけ」、とはあまり言うまい。この点、英語のManageとは違う(ご存じの通り、PMBOK Guide第5版からは、"Stakeholder Management"という章が付け加わった)。このように、日本語における管理概念は、とてもタテ社会的な序列感覚に裏打ちされている。したがって、『管理』という語に反発心を感じる人も、現場には多い。
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さらに言うと、日本語の「管理」は語義が広いとは言え、英語のManagementの全領域をカバーしきれていない。たとえば「マネジメント・サイクル」という概念がある。Plan-Do-Seeのサイクルを回すことである(PDCAのデミング・サイクルの方が日本の製造業ではポピュラーだが)。あるいは、計画・組織化・統率という、ファヨールのプロセスでもいい。

仕事をきちんと回すとは、このサイクルを動かすことと同じである。であるからには、
  • ろくな計画も立てずに行き当たりばったり獲物を追いかけたり
  • フォーメーションや役割分担も考えずに自分が真っ先に走り
  • 終わったことについて記録もとらずふりかえりの反省もしない
  • もちろん標準化も考えず、改善も変革もしない
…こんな「突撃型」上司を持った日には、下の人間はたまらない訳である。これではマネジメントをしているとは、言えない。なのに、マネジメントの仕事をきちんと教育せぬまま、『管理職」につけて、部下を管理する権力を与えてしまう組織を、しばしば見かける。

ちなみに、知的な職種でも、『管理』という言葉をカッコいい、と感じる人は多いらしい。昔、中小企業診断士の勉強をしていたとき、教科書や教科書に、管理・管理のオンパレードで驚いたことがある。経営基本管理・販売管理・仕入管理・財務管理・労務管理・生産管理・・あらゆる項目名に管理がついていた。それどころか、労務管理のテキストを読んでいたら、「労務管理の管理」という章があって、頭が痛くなった。なんだそれ? である。

その説明によると、労務管理という仕事について、計画→統率→評価のプロセスを回せ、と書いてある。これ、英語ならHuman resourceに関する仕事のManagement cycleを回せ、と表現するだろう。だが、この先生の頭の中では、「労務管理」とは労働者への指示命令のことだけを指すらしい。だから「労務管理」の管理、などという、屋上屋を架す用語が出てくるのだ。こういうのは管理中毒と言うべきだろう。

だが、もっとこまるのは、『管理過剰症候群』という病気だ。この病気にかかった人や組織は、何かうまくないことが起きると、「管理を強化しろ」という。業績が不振になったり、プロジェクトがうまくいかなかったりすると、上位職の管理者が、事細かにプロマネや現場に指示を出し、報告を要求する。そして、ありとあらゆる判断に、承認手続きを義務づけ、現場の裁量を奪う。事細かに目標値や制約条件を設定し、押しつける。これによって、現場の暴走を止め、プロマネの無能力を補正するつもりなのだ。だが、結果としてプロマネは報告義務に追われ、落ち着いて考える時間を持てなくなりがちだ。

たいていの場合、トラブルに陥ったプロマネに対して必要なのは管理ではなく、支援であろう。プロマネの悩みとは、いつも相場が決まっている。それは、お金がないか、人が足りない、なのだ。だが部門の壁や、プロジェクト独立採算制の制約にはばまれて、こまっている。だから、会社の側は、そこをどうにかしてやる必要があるのではないか。仮にもし、それでもプロマネが無能力だったなら、それはそもそも、任命した側に責任があることになる。

マネジメントとは、適切な裁量を持たないとできないことを、管理過剰症候群の人達は忘れている。裁量とはすなわち、(わたしの好きな用語で言うと)『自由度』だ。いいかえると、自分で決められる、ということ、自分が自分自身の主人であることである。これが自由の意味だ。

適切な自由度を与えることで、はじめて現場の様々な環境変化に、自在に適応できるようになる。日本語の「管理」には、あいにく、この「適切な自由度」の感覚が足りない。だが、自由度を与えないと、現場の者に責任感が生まれない。責任感のある仕事をしてもらいたかったら、「管理」するだけでは不十分である。そうでなければ、どうして創意などというものが生まれるだろうか。

名著「自由を子どもに」 を書いた小児科医の松田道雄は、次のような意味のことを述べている。保育や教育という仕事は、いつの間にか、子どもの「管理」になってしまっている。子どもたちに問題が生じると、もっと管理を強化しろと、親も社会もいう。それほどまでに、今の大人は管理に自信を持っているのだ。だが、そのこと自体が、まさに子ども達を不幸にしているのに気がつかないのだ、と。

松田道雄がこの本を書いたのは、今から44年前の1973年だった。わたし達はそれ以来、少しは進歩しているのだろうか。もし仕事に責任感と創意を求めたかったら、まず「管理」を見直すことから、はじめるべきではないだろうか?


<関連エントリ>
 →「マネジメントと管理はどこが違うか」 http://brevis.exblog.jp/10625203/(2009-07-15)

by Tomoichi_Sato | 2017-12-18 06:04 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」(1月25日)開催のお知らせ

各位:

「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の2018年第1回会合を開催いたします。

新年第1回は、久しぶりに製品開発、とくに研究開発におけるプロジェクト・マネジメントについて、キユーピー(株)の元常務取締役・研究所長であった和田義明様に、ご講演いただきます。

ご承知の通り、企業におけるイノベーションの創出活動、とくに研究という仕事は、まだ誰も知らないものを生み出すことにあります。他方、マネジメントとは計画を立て、明確な目標イメージを持って統率していく行為です。誰も知らない目標に向かって、一体どのように組織をマネージすべきなのか? ここに研究開発マネジメントの本質的な難しさがあります。

今回は、実際の研究開発の実務を長年リードしてこられ、さらに研究開発の方法について博士号を取られた和田様から、R&Dのマネジメントについて実戦的なお話を伺う予定です。ぜひご来聴ください。


<記>

■日時:2018年1月25日(木) 18:30~20:30

■場所:三田キャンパス 研究室棟B会議室(1F)
 ※キャンパスマップの【10】
 (いつもの北館とは別の場所ですので、ご注意ください)

■講演タイトル:
企業における研究開発の活性化策(プラットフォームとブーストゲート法)

■概要:
 研究開発を活性化してイノベーションにつなげることを目的に、キユーピー㈱研究所にて取り組んだ手法を紹介する。具体的には、組織力を高めるプラットフォーム・マネジメントと、研究を事業につなげるブーストゲート法である。その方法、効果、事例について紹介する。

■講師:キユーピー㈱ アドバイザー 和田 義明

■講師略歴:
【学歴】
 1978年 東京農工大学農学部農芸化学科卒業
 2012年 東京農工大学専門職大学院技術経営研究科修了
 2014年 東京農工大学大学院工学府応用化学専攻博士後期課程修了
    博士(学術)
【職歴】
 1978年 キユーピー㈱入社(以後工場、研究所、マーケティング部門勤務)
 2000年 同社研究所部長
 2006年 同社執行役員品質保証本部長
 2009年 同社取締役研究所長
 2012年 同社常務取締役(ファインケミカル事業、研究開発本部、品質保証本部、商品開発本部、知的財産室管掌)
 2017年 同社取締役退任
【現在役職】
 キユーピー㈱アドバイザー
 上海海洋大学客員教授
 中央大学、関西大学、千葉工業大学非常勤講師
 東洋食品工業短期大学非常勤講師兼テクニカルアドバイザー
 国際プロジェクト・プログラム・マネジメント学会評議員
 タマゴ科学研究会理事、日本能率協会食品安全部判定委員

■参加費用:無料。
 ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金(¥2,000)は免除されます。
 参加を希望される方は、確認のため、できましたら当日までに三好副幹事までご連絡ください。

 以上、よろしくお願いいたします。

佐藤知一@日揮(株)

by Tomoichi_Sato | 2017-12-15 00:48 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)

プロジェクト計画のロジックとは何か 〜 やはりExcelで工程表を書いてはいけない (2)

前回の記事「ダイレクト・ガントチャート方式の問題点」http://brevis.exblog.jp/26231556/ で、世間ではそもそも「WBS」とか「Activity」という概念のレベルで、誤解や混乱があると書いた。

たとえば、WBS=「ガントチャートの線表に引いた線の集合」だ、と理解している人達を、よく見かける。ためしにネットで、「WBS スケジュール」の2キーワードで検索をかけてみると、よくわかる。上位の検索結果に、こういう説明が出てきたりする:

「WBSとはプロジェクトのスケジュール管理に使われるツールの1つ。作業工程を分解して示したものと、それをスケジュールにしたものを合わせてWBSと呼ぶことが多い」

この説明など、残念ながら逆立ちしている。WBSはスケジュール管理用のツールでもないし、もちろんガントチャートの線も含まない。WBS(Work Breakdown Structure)とは、プロジェクトのスコープを階層的に分解したものを指す。スコープを単位作業の集合として構成し管理番号を付番したもので、つまりスコープ管理用のツールなのだ。まずWBS作成が先にあって、最後にガントチャートや予算表ができる訳なのだから、逆立ちなのである。(なお、たまたまGoogle検索で上位にヒットしたので、上記サイトをやり玉にあげさせていただいたが、全体としては平易で良い記事が多いと思う。だからこそ、こうした誤解が残念なのだ)

ついでにいうと、タスクとアクティビティという用語も、しばしば混乱して使われているようだ。プロジェクトのWBSを構成する要素作業は、「タスク」とよぶのか、「アクティビティ」とよぶべきなのか?

世界で最も広く普及しているPM分野の標準書「PMBOK Guide」では、一貫して、プロジェクトの要素作業を”Activity"とよんでいる。これが、世界的な共通語である。ただ、わたしの知る限り、日本のIT業界では、プロジェクトの下位要素を「タスク」とよぶ人が非常に多い。まあ、一種の業界慣習(?)なのだろうか。むろん習慣に従うのは自由だが、外の人と話すときには、自分たちが方言を使っていることを意識しておいた方が良い。

ちなみにPMBOK Guideでは、タスクという用語は、"Daily task”の形で出てくる。日々の細かな宿題、課業である。すなわちTaskとは、To Doリストとか課題管理表で追いかけるべき、細かな作業を指す。

しかし、Activityは違う。これはプロジェクトを構成する単位作業で、ある意味、プロジェクトの縮小版であり似姿だ。Activityは、通常、完了条件を持つ。つまり、アウトプットとしての成果物がある。あるいは、ある状態になったら完了していい、との条件がある。

たとえば、要件定義というActivityは、『要件定義書』という成果物を生み出したら完了する。あるいは、テストだったら、試験完了の状態になれば終わる(まあ普通はテスト報告書も作成するけれど)。つまりActivityというのは、プロジェクトと同じく一過性の仕事なのである。じゃあ、週次ミーティングは何なのか? WBSには入れないのか? との疑問が浮かぶかもしれない。それはDaily taskです、というのが答えだ。

Activityには、必要なインプットがある。インプットは、部品・材料といったモノの場合もあるし、情報の場合もある。さらにActivityには、それを遂行するためのリソース(経営資源)も割り当てなければならない。つまり担当者であり、機械やツールであり、作業場所である。こうしたものは作業中は占有するが、終われば開放されて、別の仕事に使える。リソースは、Activityで消費されてしまうインプットとは性質が異なる。

そして、各Activityはその内容・種類に応じて、作業量(BoQ=Bill of Quantity)を推算しなければならない。これがコストやスケジュールのベースとなるからだ。

プロジェクトのWBSを構成する全Activityについて、そのインプット、アウトプット(完了条件)、リソース、そして作業量(BoQ)をまとめた表を、Activitlyリストとか、WBS Dictionaryとよぶ。たとえていうならば、WBSとは、日本全国を50都道府県に分解し、さらに各県を市町村に分割し、マネジメントしやすい自治体の単位に表示した、お仕事の地図のようなものである。この地図帳には、WBS Dictionaryという統計表がついている。これが、プロジェクト・マネジメント計画の土台なのだ。単なるスケジュール管理用のツールではないことが、お分かりいただけたと思う。

さて、「ダイレクト・ガントチャート方式」の問題点に話を戻そう。いうまでもなく、ガントチャートは、チームメンバーや顧客・外部協力会社とのコミュニケーション上、必須の道具である。PERT/CPMの計算に使うActivity Network線図など、誰も見たくないだろうし、見てもよく分かるまい。わたしの勤務先でも、PERT/CPMの計算の後、必ずガントチャートを作成して、プロジェクト・チームに配布する。それを元に、キーパーソン同士による「総合工程会議」を開いてレビュー・議論し、完成するやり方をとっている。

だが、頭の中にWBSもActivityリストもないまま、いきなりガントチャートの線表を書き始める「ダイレクト・ガントチャート」方式は、全然別物だ。アウトプットとしての線表は共通だが、背後にきちんとしたスケジューリングのロジックがないため、これをスケジュール管理用に使うのは、けっこう危険である。まあ「ロジック・ガントチャート」方式と「ダイレクト・ガントチャート」方式は、アウトプットの線表だけ見ると似ているので、両者の違いを知らない人が多いのかもしれない。

では、プロジェクトのロジックとは何か?

狭義には、Activity間の依存関係やスケジュール上の制約条件を示したものを指す。たとえば、あるActivityのアウトプットが、他のActivityのインプットやリソースになる場合、両者の間に先行→後続という、依存関係が生じる(Finish to Startの略でFS関係とよぶ)。あるいは、ペンキ塗装のように、あるActivityが開始してから一定日数後に、別のActivityを開始できることがある。これをStart to Startの依存関係とよぶ(略してSS)。

こうしたロジックは、Activity Networkを組むベースとなるだけではない。あるActivityが予定から変化(遅れた・早く完了した)場合に、他のActivityにどう影響するかの予測を、可能にする。

なお、スケジュール・ロジックは広い意味では、Activityの所要期間の推定根拠(何で決まるか)も含む。つまり、作業量(BoQ)と、投入リソース量と、生産性である。所要期間は、以下の式で計算する。

所要期間=作業量÷(生産性×投入リソース量)

リソースが人間の場合は、所要期間=作業量÷(生産性×人数) になる。作業量は、ソフトウェア開発の場合なら、たとえばFunction Point(FP)だとか画面帳票数だとかLOC(コード行数)などのパラメータで測ることが多い。

かくして、WBSを構成する各Activityについて、作業量(BoQ)と投入リソース量と生産性から、所要期間が決まる。もっとも中には外部調達機器の納期のように、外から与えられる所要期間も無論ある。

そして、ロジックを元にActivity Networkを組んで、はじめてクリティカル・パスがわかり、プロジェクト全体工期が計算できるのである。全体工期がわかって、はじめてプロマネの工数を積むことができる。だから、計画立案は必ず、スコープ→WBS作成→スケジュール計画→コスト見積の順番になる。

ところが、ダイレクト・ガントチャート方式は、途中を中抜きして、いきなりスコープからガントチャートを作ってしまう。家を建てるのに、土台や柱の骨組み抜きで、壁を立て屋根を乗せているようなものだ。途中で倒れなかったら、まあ幸運である。

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ダイレクト・ガントチャート方式をとる人には、しばしばもう一つの問題がつきまとう。それは、ガントチャート上に、フロートを表示しないことである。フロートとは、そのアクティビティがどれだけ遅れると、プロジェクト全体の納期に影響を与え始めるかを表す数値だ。無論、クリティカル・パス上のアクティビティのフロート日数はゼロである。

たとえば4月開始で、実質の所要期間は3ヶ月のActivityがあるとしよう。ただし、並行する別の作業があるために、8月末までに完成すればいい。このとき、本来ならば3ヶ月間の実線と、2ヶ月分の余裕日数(フロート)を表す点線を、横に並べて引くべきだ。

だが4月から8月末まで、5ヶ月分、バーの実線を引いてしまうケースが多いのである。ロジックをよく理解していない人は、フロートの概念があいまいだからだ。こうすると、そのActivityの正味の所要期間が見えなくなってしまう。

こういう線をあちこち引いたガントチャートを見て、さて、プロジェクトの最長の経路(見かけ上の最長経路)をクリティカル・パスだと判断したら、当然おかしなことになる。クリティカル・パスとは、フロートを差し引いた正味の経路長が最大のものを指す。プロジェクトの全体工期を制約する最長の経路である。プロマネは、納期を守るために、クリティカル・パスが遅れないよう、注意を集中すべきだ。だが、フロートが見えないと、間違ったAcitivityに注意を向けたりしかねない。

ちなみに、プロジェクト・マネジメントという特殊なActivityについても、注意を向けておきたい。これをWBSにいれていない大企業を、見かけたことがある。思わず、「プロジェクト・マネジメントはしないんですか」、と口走ってしまった(苦笑)。もちろん、プロジェクト・マネジメントには確実に工数がかかるので、見積に必要である。プロマネだけでなく、書類事務などが多い場合は、アシスタントもつける必要もある。だからWBSに無いのはおかしい。

ただしプロジェクト・マネジメントというActivityは、固有の成果物と、固有の所要時間を持たない点が特殊だ。その期間は、プロジェクトのクリティカル・パスの長さに依存する。
だからガントチャートでは、省略されることも多い。うっかり線を引くと、それがクリティカル・パスみたいに見えてしまう。だが、WBSの一部である。このように、WBSとガントチャートは、一致しない点がある。

以上、ダイレクト・ガントチャート方式を批判してきたが、じつはわたし自身、直接ガントチャートを引くことがある。それは、身近で数人が関わる程度で、期間も数週間程度のごく小規模なプロジェクト的業務の場合である。役割分担を決め、やる事とタイミングを決めたら、あとは走りながら考える。必要に応じて、微調整していく。その程度で十分な仕事が、確かにある。え? 線表は何で引くかって? もちろんExcelでだ(笑)

無論、きちんとWBSを作りプロジェクト計画を立てるべき仕事もある。当たり前だが、規模によって、マネジメントのやり方は変えなければならない。3人のお客様を呼ぶパーティーと、300人のお客様を呼ぶパーティーでは、段取りから何から全て違うのだ。あるいは、先ほどの家を建てるアナロジーでいうと、犬小屋なら地面にすぐ壁を立て屋根を乗せても大丈夫だ。だが普通の木造家屋では、そうはいかない。そして10階建てのビルなったら、そもそも材料も構造も変える必要がある。

つまり、規模とマネジメント手法の相関が大事なのである。少しでも複雑化した仕事、規模の大きなプロジェクトでは、それに見合うやり方を選ばなければならない。なぜなら、小さなスケールの仕事で「分かっている」と思ったやり方が、通用しなくなるからだ。本格的なやり方を知った上で、小さな場合には適時省略する、のは構わない。だが、本式のやり方を知らないのでは危うい。

現在のPMBOK GuideやPMP試験の問題点は、ここにある。プロジェクトの規模や複雑性によって、適切なマネジメントのやり方を選ぶべきだ、という事をハイライトしていない。たとえ規模は変わらなくても、海外プロジェクトは、パートナーやステークホルダーと契約関係が、複雑性を増大させる。なのに国内と同じ簡略化した進め方が通用すると思ってはいけない。規模が大きくなったり、プロジェクト構造が複雑化したら、より精度の高いプロジェクト計画が必要なのだ。

ちなみに、上に挙げた図の中で、点線で囲まれた部分は、わたしの主催するプロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会が開発中の、初級者向け研修コースのカバー範囲である。わたし達の研修プログラムの最大の特徴、他との違いは、PMにおける「システムズ・アプローチ」の涵養にある。受講者には最初に手を動かして、ロジック・ネットワークを作成してもらう。それを通じて、「プロジェクトとはActivityからなるシステムであり、そこには独特のロジックと動力学がある」という感覚を得てもらうことがポイントだ。ここが身につかないと、どこを簡略化すべきか、分からない。

Excelで工程表を書くべきではない、というのは、こうしたロジックが磨かれないからだ。それは、本当はツールの問題ではない。MS ProjectでもPrimaveraでも、やろうと思えば「ダイレクト・ガントチャート方式」は可能だ。まずいのは、ツールではない。ツールを使う条件、使える範囲を知らずに、いつでも使うことだ。

知らないことは、別に恥ではない。知ろうとしないことが、恥なのである。


<関連エントリ>
→「ダイレクト・ガントチャート方式の問題点」http://brevis.exblog.jp/26231556/ (2017-12-02)
→「仕事の最小単位ーーアクティビティの構造を学ぶ」 http://brevis.exblog.jp/13992804/ (2011-01-16)



by Tomoichi_Sato | 2017-12-10 06:21 | プロジェクト・マネジメント | Comments(4)

ダイレクト・ガントチャート方式の問題点 〜 やはりExcelで工程表を書いてはいけない (1)

このほど、自分で「マイ・ベスト・セレクション」なる本を編んでみた。過去17年間に書いてサイトに公開した数百の記事の中から、自分が気に入っているベスト12を選んで、ePub形式の電子書籍をつくってみたのだ。まあ書籍といっても、素人のつくった手製(手編み?)の本で、いってみればβバージョンではある。ベスト・セレクションの中には、アクセス数の多かった記事も入れたが、目立たないけど愛着のある記事も選んだ。多少は文章に手を入れたつつも、なるべく発表当時のスタイルを残している。

ところで、わたしのサイトには、アクセス数で言うとダントツ1位の記事がある。「Excelで工程表を書いてはいけない」(http://brevis.exblog.jp/9052344/)という、2008年11月24日の記事だ。もう9年前の記事だが、いまだに毎週のBlog記事ランキングのトップに位置し続けている。

そして、実を言うと、これほど評判のわるい記事もない。それは、コメント欄を見ていただければ分かる。当サイトのコメント欄は、明らかに広告宣伝と分かるもの以外は原則、消さないことにしている。コメントの8割以上が、まあ、ぼろくそな批判である。

批判の主旨は、「お前はExcelを批判しているが、かわりの提案をしていない」というものが多い。たしかにその通りで、これは批判者の方が正しい。「Excelのかわりにこのツールを使えば大丈夫だよ」というソリューションを書いていないから、記事の前半で提起した問題意識が、後半で腰砕けになっている、という風に読める。かわりにわたしは、「自分で考えましょう」みたいな書き方をしているからだ。

しかし、そんなに程度の低い記事だったら、なぜあっという間に忘れられてしまわなかったのか。なぜいまだに、毎日かなりの数の閲覧があるのか。そして、なぜ皆、Excelのかわりを求めて読みに来て、回答が書かれていない、と怒って帰って行くのか? −−もちろん、Excelで描く工程表が、やはり不便だからだ。

では、わたし自身は、実際の仕事では何を使っているか。

わたしは現在、経営企画部門におり、プロジェクトのライン部門は5年前に離れている。ライン部門にいた時は、じつはPrimavera Project Planner(略称P6)をつかっていた。Primavera P6は、いわゆる大規模なエンジニアリング系プロジェクトでは、ほとんど国際的な標準ツールになっている。

今でもわたしは、ちょっと込み入ったプロジェクトのスケジュールを考えるときは、Primaveraを使いたくなる。それだけ便利だからだ。

ただし、これはプロのツールである。

プロとは、"Project Control Manager”とか"Schedule Engineer"とか呼ばれる職種・ポジションの人達を指す。そもそもこういう職種自体、多くの業種には馴染みがないと思う。大規模プロジェクトをつねに遂行している組織でなければ、こういう専門職種は必要ないからだ。ちなみにプロジェクト・マネジメントはゼネラリストの仕事だと思っている人が多いが、じつは、スケジュール、コスト、品質、ドキュメントなどの要素別に専門分化している、プロマネのためのスタッフ職種があるのだ。米国PMIには資格試験まである。

それはともかく、Primaveraというソフトウェアは、きちんとトレーニングを受けなければ、使えないし、使っても意味がない(出力の意味が読み取れない)。値段は1本約30万円。まあ、プロの道具としては安いとわたしは思う。

参考までに、Primaveraの画面の一つ(典型的なガントチャート表示と、各Activityの属性を示すサブペイン)のスナップショットをつけておく。Primaveraでは、Activityには自由にカテゴリーと属性を定義でき、その順にソートしたりフィルタリングしたりできるようになっている。もちろん、リソース負荷山積みによるヒストグラム表示なども、よく用いる。
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では、それほど大きくない、もっと日常的なプロジェクトを組む場合、わたしは何を使うか? −−じつは、Excelで工程表を書くことが多い。

なんだBlog記事の主張と矛盾してるじゃないか! とお怒りの読者もいるかもしれない。いや、だが元の記事を、よく読んでほしい。別にわたしは、ガントチャートを画くのにExcelを使うこと自体がわるい、といっているわけではない。「Excelで工程管理してはいけない」と書いているのだ。

『工程管理する』とはどういう意味か。それはもちろん、工程(日程とかスケジュールと読み替えても良いが)の計画とコントロールである。

  • プロジェクトのスタートにあたり、工程表(ガントチャート)を作成し、定期的にアップデートすること
  • 進捗上の問題を検知し、対策を立てて問題解決をすること
  • それによって、プロジェクトの最終納期を目標通り収まるようコントロールすること、そして
  • 社内・社外の関係者に、先々の予定を立て準備できるようにすること

これが工程管理だ。そして、こういうひとまとまりの仕事を、Excelの絵1枚だけで済まそうとすると、相当に苦労するよ、と申し上げているのである。

2008年に書いた問題のサイト記事では、Excel工程管理について、とくに実行段階に入ってからのトラッキングとアップデートが大変だと書いた。しかし、もう一つの問題があることに、最近気がついた。それが、「ダイレクト・ガントチャート方式」である。

3ヶ月ほど前のことになるが、研究会仲間のY氏からメールをもらった。Y氏は、問題プロジェクトの火消しのために、海外に駐在されているところだった。この時期、わたしは「プロジェクト&プログラム・アナリシス研究部会」の仲間とともに、新しいPM教育のプログラムを作成していた。それに際して、Y氏がコメントを送ってくれたのである。

わたしたちのつくった研修カリキュラムでは、最初にプロジェクトのWBS構成と、アクティビティを表すカード数十枚を、受講者に配る。受講者はグループを組んで、各アクティビティのインプットとアウトプットを見ながら、アクティビティ間の順序関係(ロジック)を理解する。そして、アクティビティ・カードを模造紙の上に並べて、ロジック・ネットワークを作成する。ここは手作業で、ワイワイ言いながら、結構時間のかかる部分だ。その上で、PERT/CPMの計算をして、余裕日数(フロート)=0となるクリティカル・パスを見つけ、納期を予測する、という段取りになっている。

コンピュータソフトを使わず、あえて紙の手作業、それもグループ単位の演習にしたのは、言葉にして話し合う方が、より頭に残りやすいからである。

そしてこの演習では、プロジェクト計画立案の本来のプロセス(の一部)を、順を追って理解してもらうことに主眼がある。本来のプロセスとは、

(1) スコープ定義
(2) WBSの作成
(3) Activityリスト(WBS辞書)作成 →アウトプット(成果物)とインプットの定義
(4) ロジック・ネットワーク作成
(5) クリティカル・パス法(PERT/CPM)計算
(6) スケジュールの決定
(7) コスト見積

という流れである。このプロセスをきちんとやるのは面倒で、時間がかかるが、計画の精度が高まり、うっかりした見落としがなくなる。

ところで、Y氏はメールの中で、しばしば現実には「ダイレクト・ガントチャート方式」が行われている、と指摘された。ダイレクト・ガントチャート方式とは、プロマネがプロジェクト計画をつくる際に、WBSやアクティビティ・ネットワークを作成せず、いきなりスケジュール・ガントチャートを描き始めるやり方である。

「プロマネのハンドリングでさばける範囲であれば、Activity Networkを作成するより、ダイレクトにガントチャートを作成する方が負担にならない」とY氏は指摘する。しかし、「その範疇を超えた、(より規模の大きな)プロジェクトに対して、Activity Networkとクリティカルパスの概念を理解していないプロマネが、ガントチャートでマネジメントしようとすると、失敗プロジェクトに陥る。」−−これがY氏の経験から見た観察であった。

ちなみにY氏は、「ソフトウェア業界ではActivity Networkを作っていないケースが非常に多い」とも書いている。これは、そうだろうと感じた。いや、わたしの見るところでは、その前にそもそも、「WBS」とか「Activity」という概念のレベルで、誤解や混乱があるのである。

(この項続く)


by Tomoichi_Sato | 2017-12-02 15:05 | プロジェクト・マネジメント | Comments(0)