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コミュニケーションの基盤としてのBOM=部品表

拙著『BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)』(日本能率協会マネジメントセンター刊)が増刷になり、累計5,000部の出荷となった。専門書としては堅実な部類に入る数字だ。これまで読んでいただいた多くの方に深く感謝したい。執筆に着手した段階では、BOMを主題とした本はほとんど出ていなかった。今では何冊も出版されているので、おそらく読者ニーズの時宜にかなったのでは、と思う。

本書は山崎誠氏との共著だが、全体構成と本文の8割を私が執筆した。2000年に出版した『革新的生産スケジューリング入門―“時間の悩み”を解く手法』の続編という位置づけで、同じ登場人物の「矢口先生」が、今度は大学ではなく企業に出張講義するスタイルで書かせてもらった。私はなぜか、一方的な叙述よりも、対話的な文章の方が書きやすいのである。

ところで、本書の執筆には1年ほどかかったが、書くにつれて、自分自身BOMに関する認識の深化していくのを感じていた。じつは、書き始めたときは、ERP技術者向きの本にするつもりだったのだ。それなのに、書き終わる頃には、まったく別の意図をもった本になっていた。そのメッセージとは、こうだ:「BOMデータを、特定のパッケージや外部コード体系に依存するべきではない」。なぜなら、広義のBOMとは、生産に関する企業内コミュニケーションの基盤であり、製造業のすりあわせ的統合の要(かなめ)となるからだ--

BOMの問題に気づいたのは、生産スケジューリングの仕事にいくつかたずさわるようになってからだった。じっさい、多くの企業でスケジューラ導入時にぶつかる主要な困難が、BOMデータの構築なのだ。スケジューラはお金を出せば一応、買える。しかし自社の部品表データは、世の中のどこにも売っていない。だから自分たちで整理するしかない。上の方の偉い人は、“そんなのソフトウェア・ベンダーにやってもらえばいいだろう”などと無責任に発想するが、現実を知っている技術者はそうはいかない。まして、「設計部門と製造部門で持っているBOMが違っているんです」なんて、コワくて報告できたものではない。

MRPⅡをベースにしたERPパッケージの生産管理システムの場合、ある意味で問題はもっと深刻だ。MRPのスケジューリングは、タイムバケットと標準リードタイムと無限負荷計画が生み出す、ラフな近似でしかない。近似は近似として使いこなせばいいのだが、困ったことにERPは原価管理に主眼がある。ERPのもつ奇妙な厳格さが、ここでは足かせとなってしまう。たとえば、製品を構成する部品を全部きちんとリストアップしないと、正しい原価がつかめない。購買オーダーも出てこない。つまり、おなじ部品表というマスタを見る視点が、違う粒度を持っているのだ。

一つの会社の中で、相矛盾する複数の部品表が生まれてしまう原因は、複数の機能部門が、異なる目的と粒度でBOMを見ているためである。BOMはもともと、資材購買の必要性から生まれ、ついで生産計画の主要概念になった。そこから派生して、設計・生産技術・生産管理・購買・在庫・製造・物流・保守・サービス・IT・営業・財務と、あらゆる部門が大なり小なり関わるハブ的な存在となっている。

そこで、『BOM/部品表入門』では、各々がいかなる視点からBOMをながめ、そこにどのような要件を持っているかを解説することで、BOMをとりまく課題を多角的に示そうとしたのである。そして、その結果としてたどりついたのが、「BOMプロセッサの発想である。企業内コミュニケーションの基盤情報をコントロールするための、アプリケーションから独立した一種のデータベースが必要だ、というのが私の結論だ。

一種のデータベースであるから、できれば標準スキーマを示すべきなのだろう。しかし、いろいろ考えた末、本書ではスキーマを書くのはやめてしまった。製造業は多様である。BOMはプロセス生産から切替型連続生産をへて組立加工生産まで、あらゆる生産形態に存在する。それらの最大公約数的なスキーマを提示しても、誰の役にも立たないからだ。むしろ、その企業固有の思想を反映するかたちで、各企業がスキーマを自分で考えるべきだと私は信じる。
(とはいえ、何かテンプレートとなるものがあると助かる人は多いと思う。この点で、私は渡辺幸三氏の仕事=Conceptware 生産管理に期待している)

この本では、まだ書き残した部分も多い。たとえば:
・設計ブロックと製造ユニット
・トランザクションBOMデータの内容とマスタからの変換
・個別受注生産のBOMの問題
などだ。こうした点については、どこかでおいおい書いていきたい。

企業内のBOMとマテリアル・マスタの統合は、今日のサプライチェーン問題を解決する最重要課題である。そのためには、企業内に、BOMの登録とライフサイクルをつかさどる、クロス・ファンクショナルな機能が必要になる。BOMに関してだけは、どこからか『解決策』を買ってくることはできない。自分たちで解決するしかないのだ。拙著が、そのわずかな助けにでもなれば幸いである。

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by Tomoichi_Sato | 2008-01-23 23:20 | サプライチェーン | Comments(0)

コミュニケーション・ツールとしての生産スケジューラ

10年以上前に開発して納品した生産計画・スケジューリングシステムを、昨年、再度作り直して顧客におさめた。さすがにサーバ等のインフラが古くなってサポート切れになったことと、業務内容も昔とは変わったことが作り直しの理由だ。同じ生産スケジューラを(部分的には改善したとはいえ)10年もの長きにわたり使い続けていただいた顧客には感謝の言葉もない。

ところで、新しいスケジューラでは、旧い機能を大幅に削ったところと、新規に機能を追加したところがある。削ったのは、主に「最適化」したスケジュールを自動生成する部分だった。つけ加わったのは、計画部門/生産部門と営業部門が生産スケジュールを共有し、相互にその内容を編集し段階的詳細化していく機能だった。昔のバージョンでは、生産計画・スケジューリングシステムは、計画部門の担当者のほんの数人が使うシステムだった。今や大勢のユーザが複数部門からログインして、見たり触ったりしている。

大勢の人間が計画にアクセスできるようになって、スケジュールはより『最適な』ものに近づいたか? それはわからない。より現実的なものに近づいた、とは言えるかもしれないが。しかし、そもそも「最適」なスケジュールとは何だろうか。与えられた生産オーダーと製造資源の組合せの中で、リードタイムが短く(=期間あたりの生産額が大きく)、製造原価・物流原価の小さなスケジュール、すなわち一言でいうと、「よりお金の儲かる」計画のことだろうか。それが「最適」といえるのだろうか。

最適とは、可能な解空間の範囲内で、目的関数が極大となる点のことだ。いいかえれば、ある生産スケジュールが最適といえるのは、計画対象範囲の生産オーダーの組が与条件として決められており、かつ目的(評価)関数もゆるぎないときだけである。しかし、この二つの前提は、現実にはどちらもあやしい。生産数量も品種も、急な追加変更でころころ変わる。今日、向こう1月分の完全な計画をつくっても、明日になればあちこちに修正が必要になる。おまけに、生産額ははたして本当に売上に確実になるといえるのか。工場から出荷しても、流通在庫を積み増しているだけなのではないか。さらに納期遅れが生じたら、売りそこないの機会損失はどう金額評価するのか。釣りのがした魚の重量測定法を発明した人は、いまだにいない。

こう考えると、最適スケジュールというのは、ある理想状態にのみ存在しうるものだとわかる。それは需要(ないし受注)が確定していて、追加も変更もない仮想的世界である。だから私は以前からずっと、生産スケジューラは最適スケジュール作成の道具ではないと主張してきた。そんなものを営業部門は許さないからだ。

それでは、スケジューラは何のためにあるのか? それは、今述べたことの逆を考えるとわかる。需要が確実にわかっていないとしたら、それを推測するために仮説が必要である。そして、多くの企業では、この仮説が部門ごとにバラバラで、だれも明確に口にも出さず、誰も調整しない。おまけに、納期最優先か、生産効率優先かで、目的関数(戦略)までくいちがう。その結果は? むろん、在庫過剰と欠品の山である。なぜなら営業の販売予測と工場の生産予定と物流の手配見込がずれているからだ。

だとしたら、関係部門がみなで、仮説共有できると素晴らしいだろうと考えられる。生産スケジュールと、その結果としての品目別需給表を見て、互いの見方を調整できる。最新のスケジュールが見えれば、納期回答も素早く正確になる。納期が正確になれば、顧客からの内示や注文もブレが減るし、販売額自体も増えるだろう。良循環が期待できよう。

生産スケジューラは、情報共有の道具なのである。どういう情報かというと、品目別生産量や着手完了日時だけではない、そのもとにある需要に関する仮説、実行のための評価尺度(戦略)を互いに確認し了解するための、道具である。つまり、コミュニケーション・ツールなのだ。ネットワークがこれだけ発達した現在、10年前や20年前のスタンドアローン型の視点で生産スケジューリング問題をみてはいけない。これが昨年私の学びなおした教訓である。
by Tomoichi_Sato | 2008-01-08 22:48 | サプライチェーン | Comments(0)

Chirstmas メッセージ--運命共同体として

私の勤務先は70-80%が海外向けの仕事だ。20年以上前に入社したときから、この比率はあまりかわっていない。ずっと、世界市場で直接の競争を生き延びてきた。しかし、仕事のやり方はそれなりに変わってきたと思う。一番の変化は、海外企業との共同プロジェクトが増えたことだ。昔は一社単独で元請けになり、国内や海外のメーカー・工事業者をつかうやり方だった。いまでは半分以上のプロジェクトが、海外のエンジニアリング会社との共同遂行で行われている。

こうなった理由はいろいろある。プロジェクトの規模が大きくなりすぎて、単独で請け負うにはリスクが大きくなりすぎたのも一因だ。プラントの値段はこの10 年間で2倍以上にはね上がり、1案件2000億円以上のジョブが珍しくなくなってしまった。それ以外に、日本人エンジニアのマンアワー単価が高いため、南欧や中進国の比較的安価な会社と組んで価格競争力をねらう、という面もある。

こうした海外企業との共同プロジェクト遂行におけるリスク因子については、今年の初めにプロジェクトマネジメント学会誌に同僚の秋山氏と論文を書いたので、興味のある方は読んでいただきたい。そこで私たちが強調したのは、「文化の差は主要な問題ではない」ということだった。

カルチャー・ギャップが主要な問題でなければ、何が問題なのか。それは、一口で言うと『フォーメーション・デザイン』である。もう少し具体的に言うと、相互の協力関係をいかに契約とスコープ分担に反映させるか、という問題だ。

同一プロジェクトを共同遂行するときに大事なことは、参加する会社が利益共同体の関係になり、同じ方向を向くことだ。全員が同じボートに乗って、利益の浮沈をともにする。そのためには、内部で利益背反がおこらないよう、協力関係の仕組みを最初にうまく設計する必要がある。

共同遂行には一般に、ConsorciumとJoint Ventureの二種類がある。Consorciumは、お互いが別々の財布を持ち、分担を切り分けて遂行する。いわば独立採算制だ。この方式は単純でよいが、残念ながら、プロジェクト遂行の途中で発生した境界線上の問題は、互いに押し付け合いになりがちだ。パートナーが損をしても、自社が得をすればよい--こんな風潮が許されると、プロジェクトは難関を乗り切れなくなる。

そこで生まれたのが、Joint Venture(J/Vと略す)による、profit/loss shareの考え方だ。これは、複数の会社がプロジェクトで共通の財布をもち、得をしても損をしても、お互いにシェアしましょう、という仕組みである。J/V体制の元では、プロジェクトに問題が発生した場合、たとえ原因がどちら側にあるにせよ、それを解決するために協力して動くようになる。皆が一つの方向を向くのである。つまり、真の利益共同体になるのだ。

最初にこのJ/Vによるprofit/loss shareの契約方式を知ったとき、ずいぶん感心した。なるほど、これが欧米流の大人の考え方というものか、と思ったものだ。実際にJ/Vを遂行するとなると、いろいろと方式や思惑など面倒なセットアップがあるのだが、それでも複数の会社を一つの利益共同体にすることのメリットには代え難いと感じる。

ところで、私が生産スケジューリングやサプライチェーン・マネジメントの分野に取組み出してから常々思うのは、この方式を一つの会社の中でも使ってみたらどうか、ということだ。なぜなら、製造業ではしばしば、部門間がちっとも利益共同体として働かないからだ。生産と販売、需要と供給を同期化することがサプライチェーン・マネジメントの根幹である。それなのに、たいていの会社では、この両者は仲が良くない。なぜか? それは、両者が別々のモノサシで、いわば別会計で動いているからだ。そこで、つねに問題の押し付け合いが生じてしまう。 Consorciumと同じだ。

それならば、営業と生産がJoint Ventureと同じように、Profit/Loss shareを取り決めればよいはずである。売価から、仕入れた値段を差し引いた、会社で産み出した付加価値総額を、営業部門と生産部門がシェアする。比率は50:50でもいいし、40:60でもいい。それは社内の取り決めである。営業が高い値段で販売できたら、その利益を工場も甘受する。だから技術部門は客先のニーズや悩み(ペイン)をうまく解決できるような製品機能を工夫する。また、工場が生産性を上げたら、営業も成績がアップする。そこで、営業は無理な割込み注文をとって生産計画や購買手配を混乱させない。そう動ければ、ベターではないか。

いや、そもそも会社というのは、そういう風に動くはずのものではなかったか。それなのに、なぜ営業はシェアと売上高ばかりを追い、工場はサプライヤーに単価低減/短納期の無理難題を押付ける存在になってしまうのか? なぜ、問題を、自分のいるサイロの外側に投げ出すだけでこと足れりとしてしまうのか。

それは、「自分たちは利益共同体である」という基本的な事実を忘れて、部門業績ばかりを追いかけるからである。また、それを促すような、評価基準や成果主義がはびこるからである。これを断ち切るには、一度ためしに、各部門から人を出して、部門横断的な小さなプロジェクトを進めてみると良い。プロジェクトの成果は、参加者全員の成果とする。そうしたら、部門間で経費の押し付け合いをしている暇はなくなる。互いに、相手の立場で考えることができるようになるはずだ。そう。同じボートに乗った仲間ならば、みな運命共同体なのだ。

さて、ここまで考えてみて、気づいたことがある。それは、私たちの地球もまた、運命共同体ではないか、ということだ。それを、目に見えもしない地表の境界線で分断して運営して、本当に皆が満足し納得できるのだろうか。

今年、日本はまた「記録的な気象異常」をあちこちで記録した。それは日本ばかりではなく、今年ばかりでもない。私たちは今、ちっぽけなボートに一緒に乗っていて、その船には何かきなくさい煙が立ちこめはじめている。もう一度言おう。私たちは、同じ船に乗っている。運命共同体なのだ。ならば、世界がひととき活動を休めて平和を願うこの季節に、さまざまな国に住む人々が、分断されずに、同じ目的を目指して生きるにはどうすべきかを、せめて考えたいと願うのである。
by Tomoichi_Sato | 2007-12-22 23:51 | サプライチェーン | Comments(0)

ATO、BTO、CTO

生産管理の本を読むと、最初に生産形態の分類が出てくる。「受注生産」と「見込み生産」だ。受注生産はさらに、個別受注生産と繰返し受注生産に分けられる。

見込み生産は、たいていの人が思い浮かべる生産方式だろう。需要を見込んで、製品を生産し、販売していく。商店街のパン屋も、横町のお団子屋も、見込みで商品を生産している。食品、飲料、衣料、書籍、雑貨・・こうした、我々が日常生活で買う商品はほとんどすべて、見込み生産で作られる。携帯電話や自動車も、そうだ。こうした一般消費財をつくるメーカーは、TVでも新聞でも、たくさん広告を打つ。知名度を上げて、皆に買ってもらいたいからだ。だから私たちが「大企業」といわれて思いつく会社は、たいていが消費財メーカーだ。

そのせいだろうか、日本では生産形態は見込み生産が普通で、受注生産は特殊だと思っている人が多い。じつはとんでもない間違いである。自動車を考えてほしい。トヨタ自動車の下に、系列部品供給メーカーが何百いるだろうか。こうしたメーカーは、みな受注生産だ。ただし、生産財を作っているから、業界の人以外には知られていない。この間、何人もの大学生にたいして、日本を代表する超優良電子材料メーカーの名前をいくつか上げて知っているかたずねてみたが、ほとんど誰も知らなかった。これから就職活動にいそしむ3年生なのに、消費財メーカーにしか目が向いていないのだ。これでいいのだろうか?

いや、思わず脱線してしまった。私が言いたいのは、日本では受注生産の形態の方がずっと多くて、普通であるということだ。

その受注生産は、さらに2種類にわけられる。繰返し受注生産は、すでに設計の決まっている製品を、注文を受けてから作る。寿司屋のカウンターで注文するようなものだ(回転寿司は、見込み生産である)。本格的な鰻屋もそうだ。客の顔を見てから作る。一方、毎回、ゼロから設計して作る形態も、少なくない。たとえばオーダーメードの服屋さんを思い出してほしい。あるいは、注文住宅の大工さん。基本的に、建設業は個別受注生産だと思って間違いない。そして、SIerの業界もそうですね。個別受注生産は、お客の細かな希望/要望をすべてくみ上げることができるのが長所だ。

見込み生産のことを、英語ではMake to Stock=MTSと呼ぶ。作って在庫にする、の意だ。一方、繰返し受注生産は、Make to Order=MTOという。注文にたいして作る。そいして、個別受注生産を、Engineer to Order=ETOと略す。

ところで、この3種類にたいして最近、新しい生産形態があらわれ、急進してきている。それが、ATOなのである。ATOとは、Assemble to Order。日本語で、『受注組立生産』という。

受注組立生産とは何か? それは、部品あるいは中間製品やモジュールの段階まで、あらかじめ需要を見越して作って在庫しておく。そして、顧客から注文が来たら、即座に部品/モジュールをあつめて組立て、出荷する形態だ。

こんなやり方がなぜ注目を集めているのか。それは、このATOが、MTSもMTOもETOも抱えていた悩みを、かなり解決できるからだ。それは、リードタイムと在庫のバランスの悩みである。

ETOは何しろ、注文してから設計をはじめる訳だから、納品までのリードタイムがやたら長い。洋服でも3週間、住宅なら3ヶ月、プラントなど3年もかかってしまう。その間にお客の要望も懐具合も、どんどんかわっていってしまう。MTOは既に設計図がある分だけリードタイムは短いが、やはり注文してから材料を買って加工し始める。今日の明日、というわけにはいかない。

これにたいして、MTSは注文・即・納品。なにしろ在庫がある。そのかわり、売れ残りや陳腐化の在庫リスクを、つねにメーカーは抱えている。そうしたリスク費用が、すべて乗せられて値段が決まる。客の好みは多様だから、ひどくたくさんの種類の製品在庫を積んでおかなければならない。そのコストは半端ではない。

ここで、ATOの出番である。ATOでは、顧客の要求する仕様に応じた製品を、その場で、中間部品やモジュールの組合せで実現する。これを最も早くから見事に実行したのがDell Computerである。PCのたぐいは、仕様やオプションのバリエーションがとても多い。そこで、Dellは客が自分で「お好みメニュー」を選べるようにしたのである。そして、部品在庫はもっておく。だから注文して数日のうちに、好みの商品が送られてくる。

Dellではこの方式をあえて、BTO=Build to Orderと呼んでいる。だから、受注組立生産のことをBTOとよぶ人も多い。また、客先の希望に応じてコンフィギュレーションしていくわけだから、Configure to Order=CTOとよぶこともある。

ATOが巧みなのは、きわめて多様な顧客の要求仕様を、部品組合せのかけ算によって実現している点である。たとえていえば、1,000種類の要望があっても、それをCPU 10種、メモリ10種、ディスク10種の組合せで対応する。だからモジュール部品在庫は水準を低く保てる。たとえていえば、麺のかたさやトッピングを好きに選べるラーメン屋のようなものだ。

そのかわり、ATOには前提条件がある。それは、モジュール化に対応した設計になっているということだ。BOM(部品表)もその設計に応じた構成に整備しなければいけない。つまり、ATO生産のためには、設計の根本から対応を要求されるのである。

それでも、なおMTSやMTOからATOを目指す企業は多い。それは、やはりリードタイム短縮と在庫低減の効果が、非常に魅力的だからである。今後も、ATO生産形態を目指す製造業は、増えこそすれ減ることはないだろう。
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by Tomoichi_Sato | 2007-11-09 00:31 | サプライチェーン | Comments(2)

高い買い物をする方法

「安い買い物をする方法」についての解説は、インターネットにたくさん出ている。と思う。誰もが安い買い物をしたいと思っている。“ウチの店なら安い買い物ができます”という情報は、もっと多いに違いない。

そこで、このサイトでは差別化のために、「高い買い物をする方法」を教えようと思う。おっと、“高価なブランド品・高級品を買う方法”ではないので、誤解なきよう。あくまでも、本来ならもっと安く買えるものを、あえて高いお金を払って買う、非常に社会貢献度の大きな方法である。もちろん、経営者から怒られたりはしない。むしろ、誉められたりする。その方法である。

まず、買うべき対象のものであるが、自社仕様品でなければならぬ。世の中にあふれているコモディティ(日用品)で、店に行けば棚に並んでいるようなモノでは、誰でもどこが安いかわかってしまう。これではいけない。そもそも、自社のビジネスのために購買するものである以上、自社の要求にぴったりとフィットしていなければならぬ。とうぜんながら、求める仕様も、細かく微妙だが多岐にわたる。これは、過去の経緯や実績をふまえ、かつ社内各部署の便利を考えた上で、同業他社との差別化がはかられた仕様であるから、当然の結果である。「ニーズにあった、最適なものを買う」--こう主張すれば、役員会でだって、胸を張って説明できよう。(ただし、決して“特注品”などと呼んではならぬ。言葉づかいには注意すべきだ)

ところで、この「仕様」を決める際に、重要なポイントが一つある。それは、できるならば『構成・構造』ではなく『性能』で定めるべき、ということである。何気筒何千cc排気量のエンジンを積んだ自動車、などと指定してはいけない。時速200kmで何時間突っ走っても平気な乗り物を、というべきだ。解説は不要だと思うが、ユーザというのは基本的に、生産財であれ消費財であれ、機能にたいしてお金を払うものだからである。

製品の性能は、内部構成・構造の設計結果から生まれる。だから買い手は、メーカーがいかに部品構成を設計するかなどに口出しすべきではない。もし、「何気筒何千cc」的な仕様でモノを買って、それが200km/hで走れなかったら、誰が責任をとるのか? 仕様を満たす責任は、必ずメーカーにとらせるようにしなければ、賢い購買とは言えない。設計はメーカーの仕事であって、見積はそれをタダでやらせる絶好の機会である。設計の結果生まれたアイデアは、無論もらっていいのだ。

さて、個別仕様品を購入することが決まったら、次は見積引合である。当然ながら、たとえ形式的にでも、3社以上から競争見積をとるべきだ。同じモノをくりかえし買う場合でも、頻繁に競争をさせる。こうすると、ベンダーの営業に刺激を与えるから、とても良いサービスを引き出すことができる。なお、打合せにはなるべく大勢の人間がぞろぞろ出てくるような会社を選ぶのが望ましい。こういう会社は、管理システムがしっかりしていて、専門分化した職種間で誰もお互いにリスクをとらないようできている。だから販売管理費もとても高くなる。

リスクといえば、自社にとってリスクとなる部分は、すべてベンダーに押しつけることが肝要である。これはリスク・マネジメントの観点からみて、当然すぎる処置だろう。したがって、仕様書はなるべく曖昧な文章で、かつ詳細に多岐にわたって明文化すべきである。そうすれば誰が見たって立派な購買プロセスである。できれば引用文献や標準図書などを多数オマケに付けてあげるべきだ。そうすればベンダーの設計部も喜ぶだろう。

見積引合をとるときには、なるべく短期間で出させること。これは案外見過ごされているが重要なコツである。2週間より1週間がよく、3日よりも「明日まで」がいい。こうすれば、ベンダーの営業マンは徹夜であなたの会社に誠意を見せてくれるし、しかもコストダウンを検討する余地などなくなる。ただし、注意。建設業の世界では、700万円以上の想定価格のものを、3日以内に下請けに見積もらせると、明確な法律違反になる。コンプライアンスの観点から、こういう場合は口答で指示して、下請けの「自主的営業努力」にまかせなければならない。なに、同情など不要だ、なぜならあなたは高い買い物をしてあげているのだから。

また、購買組織を本社に集中化するのも、ぜひともとりたい手段である。集中購買の担当者はたいてい文化系で技術は知らないから、「この材料をこう変えればコストダウンになる」などという知恵を出す心配はない。彼らの仕事はバイアウトであり、値切り率が勲章である。だから、あなたもベンダーの営業マンに対しては、“購買部門に値切りシロをのせて持って行きなさい”と耳打ちすることができるだろう。こうすれば、5%アップでオファーされた見積書を、3%値切って買うことができる。かくて、あなたもベンダーの営業マンも本社の購買マンも、誰もがハッピーである。かつ、ベンダーに恩を売ることもできたわけだ。

発注量は、ぜひ多めにしたい。大量購買の方が効率的だと、誰もが信じている。品質問題だってある。鋳物にスが入っていたら、どうするのだ! 欠品は誰もが嫌がる。それに今どき、在庫金利なんてゼロ同然ではないか。多めの注文を、なるべく短納期で発注しよう。それも、ときどき急な変更や飛び込み注文も出して、ベンダー側が怠惰にならぬよう刺激を加えるべきだ。製造直前の変更は、目に見えにくいコストがとてもかかるが、それは営業のせいでも設計のせいでも工場のせいでもないから、誰も傷つかない。たんに、高コスト「体質」のせいになるから、全体にうっすら価格が上がるだけだ。

では、おさらいをしてみようか。高い買い物をする秘訣は、次の通りである:

●自社仕様品を買う
●あいまいな性能要求で見積もらせる
●分厚い引合い書類をわたす
●設計をさせる
●アイデアをうばう
●形式的にでも競争見積にする
●短期間に見積もらせる
●集中購買にする
●短納期で多めの量を注文して直前に変更する・・・

こうすれば、必ずやメーカーでは設計費や販売管理費がかさんで、高い買い物をすることができる。そして手続きは購買管理の教科書にのるぐらいに適正である。

読者諸賢。これこそ、日本の製造業が大きな内需を生み出す秘密である。2010年には、中国のGDPが日本を抜くのは、ほぼ確実だろう。しかし、一人あたりGDPではまだしばらく差があるはずだ。だから、高い買い物は当分つづけられるはずである。え? この秘密を海外メーカーも知ったらどうしようかって? --心配はご無用。このサイトには、英語版は(まだ)存在しないから。
by Tomoichi_Sato | 2007-10-23 22:44 | サプライチェーン | Comments(0)

BOMとは何か

BOMとはBill Of Materialsの略、日本語では『部品表』とよばれる概念であり、製造業においては、生産管理とスケジューリングの中核に位置するデータである。BOMではなく、B/Mと略す会社もある。

BOMについては、私はまるまる1冊の本を書いた(『BOM/部品表入門 (図解でわかる生産の実務)』日本能率協会マネジメントセンター、2005/4刊)。それくらい、BOMについてはさまざまな視点から多面的にとらえて理解するべきポイントが多い。しかし、その内容をあえて一言でいえば、

 「BOMとはマテリアル間の数量的な関係を示した一覧表である」

と総括することができる。ちなみに、英語のbillとは、明細書ないし一覧表の意味である。英語圏を旅行した方は、レストランでウェイトレスが各テーブルに裏返して置いていく勘定書伝票もbillとよぶのをご存じだろう。あれは料理というモノの名前と数量が、勘定書として特定のテーブルに関係づけられている、一覧表だ。したがって、あれは立派なBOMであるといっていい。

製造業では一般に、BOMは製品がどの部品いくつから構成されるかの関係を示すのに使われる。だから部品表というのだが、ならばなぜ、私は上に述べたような「マテリアル間の数量的関係」云々と回りくどい表現を使うのか?

それは、「部品」という日本語の守備範囲の狭さに起因している。BOMはあるけれども部品表を持たない業界が存在する、といったたら、読者は信じられるだろうか? しかし、あるのだ。製鉄・化学・医薬品・化粧品・食品・飲料・ガラス・プラスチック成形・金属材料・繊維・アパレル・出版・・・等々、非常にたくさんの業界が、「部品表」という言葉を使わない。なぜなら、こうした分野では、製造に原料・材料・素材はあれど、『部品』という概念がないからだ。

英語でマテリアルMaterialとは、部品だけでなく、素材・原料・材料・資材・中間品・アセンブリ、そして製品までのすべてを包含する用語である。決して部品(英語ならparts)のリストではないのである。ちなみに、製品か部品かのちがいは、BOMの観点からは相対的なものでしかない。

BOMとは定型化されたデータの集合であり、コンピュータ内ではデータベースに格納されることが多い。BOMデータベースの中には、マテリアルのコード、員数、製造の各段階に必要な工順リソース(資源)と標準リードタイム、といった属性情報が記述される。表現としては構造型・サマリー型・マトリクス型などがある。

BOMのデータ形式と内容は、MRPの発展とともに拡充されてきた。とくに、MRPⅡ以降では、工順・リソースなどのデータ項目が重要視されるようになってきた。

BOMはまた、マテリアル・マネジメントの中心に位置するデータでもある。今日の製造業におけるマテリアル・マネジメントの課題は、「モノはたくさんあるのに、必要なモノが見つからない」という悩みである。この問題の改革の視点から考えるならば、BOMを単なる部品表(マテリアル・リスト)以上の、大きな概念としてとらえるべきである。すなわち、BOMの概念には「狭義のBOM」と「広義のBOM」があるのだ。

広義のBOMとは何かというと、「マテリアル・マスタを中心とした製品構成と製造工程にかんする基準情報、ならびに、そこから派生する履歴情報」と定義できる。狭義のBOMに加えて、マテリアル自体のマスタや、工順(工程表)のマスタ、設計図面、製造指図や製造実績報告などの履歴情報などの要素からなる、マテリアルに関連する大きな情報の体系を指している。

これに対し狭義のBOMとは、マテリアルの数量的な関係を示した一覧表、という上記の定義でしめされる。それは製品と部品の関係を示す表でもありうるし、1卓の顧客の消費によって一時的に関係づけられ払出されたレストランの勘定書でもありうる。倉庫で使用するピッキング・リストも、構造的には同じである。

企業の中には、用途に応じて、さまざまなBOMのデータと、表現型がある。それらはことなる運用の局面とライフサイクルがあるから、すべてを一元化する必要は、かならずしも無い。しかし、BOMが多様化しすぎてコントロールを失い、相互に矛盾したデータの集合となってしまう事例も多い。その結果生じるのは、在庫の混乱、製品開発の遅延、購買の無駄、製造納期遅れと欠品といった現象である。マテリアル・マネジメントを実践するためには、BOMの理解とコントロールが不可欠なのである。
by Tomoichi_Sato | 2007-10-16 23:04 | サプライチェーン | Comments(0)

マネジメントを科学する

マネジメント論の系譜をさかのぼると、いまからちょうど100年前、アメリカのF・テイラーが提唱した『科学的管理法』にいきあたる。鉄鋼会社の技師長であったテイラーが考えたのは、工場における労働者の生産性を上げるにはどうしたらよいかという問題だった。テイラーは労働者の作業動作を時間の観点から分析することからはじめた。ストップウォッチを片手に、どのような動作をおこない、どのようなタイミングで休憩をとるのが一番生産性を高めるか、さまざまな観察と実験をおこなう。そして、そこからベストの作業手順を編み出すのである。

彼が実際に示した有名な例は、工場で銑鉄(ズク)のかたまりを運搬する作業だった。それ以前の現場では、労働者がどんなに頑張っても一人一日あたり12.5トンが限界だった。しかしテイラーは時計で時間を計りながら観察と実験をくり返し、作業を改善していく。そしてその結果、労働者の運搬量はなんと1日47トンまで増大した。しかも彼は休憩の頻度と長さについても改善し、1時間のうち働いている時間が平均25分、休んでいる時間が35分がベストであることを見いだした。つまり、労働時間の半分以上は休憩しているのである! 究極の時間管理術だといえよう。

テイラーの時代、労働者の賃金は日給や時間給ではなく、出来高払い制が多かった。すなわち、彼の科学的管理法のもとでは、労働者は前よりも多く休んで、かつ高い賃金をもらうことができるようになったのだ。また経営者の側も、4倍もの生産性向上を得ることができたのである。今で言うWin-Winの関係だ。

テイラーの手法は、タスク(Task=課業)の概念、作業の分解と標準化、そして計画と実行を分離した機能組織からなっている。とくに時間研究と作業研究は科学的管理の中心手法として発展した。これを、IE=Industrial Engineeringと呼ぶ(日本語では「経営工学」とよばれる分野である)。そして、この手法は米国産業が大量生産時代に突入するとともに、どんどん普及していった。

ところで、ここまで読んだ人の中には、「マネジメントとは、単なる動作の改善よりももっと広い仕事だろうに」と思った人もいるにちがいない。そのとおりだ。では、その広い仕事とは、いったい何をさすのか。どうすればうまくいくのか?

ここに、アンリ・ファヨールというフランスの鉱山会社の社長が登場する。この人はテイラーとほぼ同時代の、手腕ある経営者だったが、抽象思考も得意だったらしく、『管理過程論』という考え方を提唱する。マネジメントの仕事とはプロセス、すなわち「何を」でなく「いかに」を組み立てることだ、とファヨールはいう。そのために彼は、今日でいうPDCAに相当するマネジメント・サイクルを定義する。さらに、組織における「ライン」と「スタッフ」の分化を明らかにし、また、マネジメントにおいて従うべき原理原則を定義した。

エンジニアリング(工学)的観点にたつテイラーに対し、ファヨールは組織とルールという社会科学的な切り口から問題をみている。しかし、この二人に共通しているのは、「マネジメントは科学的でなければならない」という意識だ。経験や慣習や勘や度胸だけでなく、合理的なアプローチで改良されるべきだ、という信念だ。トップの出身階級や性格や人徳だけでは、人はうまく動かないと、彼らは考えた。だからテイラーとファヨールは、今日の経営学の創始者とよばれている。

ちなみに、テイラー以前のアメリカの産業界では、マネジメントとは労働者を命令と賃金と罰則で動かすことと同義語だった。これはすなわち、奴隷制のプランテーション経営の発想である(アメリカの産業革命を支えた労働力は、南北戦争の結果として奴隷状態から「解放」されて都市に流入してきた黒人労働力だった)。このような奴隷労働的な経営思想は、現代に至るまで米国流マネジメント観の底に流れていてることも忘れてはならない。彼はこうした思考法に変革を起こそうとしたのである。

さて、戦後日本は、機械や電子など要素技術の導入には熱心だった。が、管理技術には(統計的品質管理を除けば)あまり関心がなかったようだ。だから今でも、IE屋が全く居ない工場、原理原則を学ばないプロジェクト・マネージャー、管理過程論のことを何も知らない経営者が少なくない。

今日のマネジメントは素人がやっている」と100年前のテイラーはなげいた。それから1世紀たった今、我々はどれだけ前進したのだろうか。世間の経営流行をおって右往左往していないか。彼らの残した宿題を、我々はまだやり終えてはいないのである。
by Tomoichi_Sato | 2007-09-15 23:57 | サプライチェーン | Comments(0)

クールなSCM専門企業ベスト10社とは

ARC Advisory Groupは、米国の製造業向け調査会社の老舗である。とくにオートメーション業界の動向に強い。そのARCが7月に、ちょっと面白い記事を流していたので紹介しよう。それは、"10 Coolest SCM Boutique Consultants" すなわち、「今、一番クールなサプライチェーン・マネジメント専門企業10社」という内容だ。

SCM関連業界を洋服業界にたとえるならば、IBMのような大型百貨店、SAPやi2 Technologiesのような大手メーカーがいる。しかし、記事を書いたSteve Banker氏が対象に選んでいるのはboutique、すなわち専門店に相当する、小粒だが個性のある企業だった。どの会社とどの会社が選定されているのか、くわしくは原文を見ていただくとして、ここでは興味深い何社かをあげてみよう。

たとえば、Clarkston Consultingというコンサルティング会社がある。Clarkston社は、特定業界にフォーカスすることで特色を出している。得意分野は消費財とライフサイエンス分野である。これらの分野では、SCMそれ自体の確立に負けず劣らず、製品戦略の策定が重要になる。それは商品企画やイノベーションの領域までを含む。彼らはしかし戦略を策定するだけでなく、システムの導入までもおこなう。実績で一番多いのはSAP(APOを含む)だが、CASやOracleが選ばれることも多いという。コンサルタントとしてベンダー中立な点がポリシーの一つであるようだ。

あるいは、Chainalyticsも面白い。この会社は主にサプライチェーン・ネットワークのデザインを主力としている。すなわち、どことどこに物流拠点を置き、どのような輸送手段を用い、どこにどれだけ在庫を持てば最適か、といった問題を専門にするのだ。これは広大な米国では、中規模以上の企業にとって、つねにつきまとう悩みである。(この種の問題は私たちもトライしたことがあるが、日本は狭くて道路網が発達しているため、アジア広域で水平分業しているような大企業を除けば、ニーズが少なくてビジネスとして成り立たない)。同社の強みは、全米および海外での、ロジスティックスに関するコスト・データをかなり持っていることである。

enVista社は、SCEシステム(サプライチェーン実行ソフト)導入の専門企業だ。SCEシステムが何であるかについては、『SCE(Supply Chain Execution)ソフトとは何か』(生産計画 ワンポイント講義)を参照されたい。いわゆるWMS(Warehouse Management System=倉庫管理システム)や輸送管理・作業者管理などのソリューション構築にたけている。彼らもまた輸送コストに関する独自データベースをもっていて、顧客の実際の物流コストをオーディットし、どれくらいの節約が可能かを分析するサービスもおこなっている。

しかし、一番おどろいたのは、リストにOliver Wight Internationalが入っていたことだ。故オリバー・ワイトといえば、'70年代に「MRP十字軍」の名前のもとに、全米の製造業にMRP Ⅱの思想を普及して回った人物ではないか。彼の、米国における生産管理思想への貢献はきわめて大きい。その彼のコンサルビジネスを継承して、計画系のプラクティスを支援する会社が30年後にも生き残っているのだ。これは、米国におけるMRP Ⅱが、ERPに支えられながら、いまだに主流として継承されていることを意味している。

こうした専門コンサルティング・ビジネスの会社が米国で成り立つことは、日本とは大きな違いだと言えるだろう。日本では、コンピュータ・メーカー、大手会計系コンサル、金融系SI総研などが、大企業の信用力とブランドで市場を系列化してしまっており、知恵だけでビジネスを立ち上げて伸ばすのは容易なことではないからだ。

とはいえ、よく考えてみると、それは米国産業のあり方の変化にも、関係しているのかもしれない。たとえば、別の老舗調査会社AMR Researchが最近の記事に書いているように、3PLやロジスティクスの世界にも、業界内合併や投資銀行による買収の波が押し寄せてきている。たとえばSchenkerによるBAX Global買収($1.2B)、Deutsche Post/DHLによるExel Logistics買収($6.6B)などは前者の例だし、Apollo ManagementがTNT logisticsとEGL Global Logisticsを買収したのは後者だろう。

こうした合併や買収の後には、必ず物流ネットワークの整理、拠点の集約化、情報システムの共通化、そして人員削減などがおこなわれる。そのとき、プランを出すのは誰だろうか。合併や買収をリードするのは本社にいるMBAあがりのマネージャーや財務マンたちで、彼らは現場の状況をよく知らない。しかも米国企業はある意味でトップダウン、上意下達の組織であって、現場の知恵に上層部が耳を貸す風習はない。そうなると、呼ばれるのは外部のSCM専門家たちである。かれらが現場に分け入ってデータを収集し、分析検討の結果、案を出す。

かくして米国では、複数の企業・地域のデータを保有するコンサルビジネスが成立する、という具合である。たしかに、これにより横断的な比較とベンチマーキング、ベスト・プラクティス確立が促進されるといっていい。それは一つの知恵ではある。日本企業にときおりあるように、自社内の経験知だけでものを考える内向きなスタイルには、いらいらさせられるのも事実だ。しかしその一方で、エンジニアとしての私は、現場の知恵を計画や設計にフィードバックできる、統合された組織の姿に、より大きな価値を感じるものだ。スマートでクールなコンサルが軒を並べる米国の姿に、多少の違和感をぬぐえないのである。
by Tomoichi_Sato | 2007-09-06 21:51 | サプライチェーン | Comments(0)

経済的ロットサイズを考える

以前書いたように、購買手配には、見込み購買と確定購買の二種類がある。確定購買の場合、生産に必要な(需要に紐づけられた)所要数量分をちょうど手配する。しかし見込み購買では、近いうちに必要になりそうな分を見込んで買うわけだから、いくつ手配すべきかの悩みが、つねについてまわる。

見込み購買の対象品は、繰り返し消費される「見込み」がたつ部品材料であって、その需要量の平均値は最近の消費実績からおよそ分かる。たとえば手配してから納入されるまでの調達リードタイムが20日だとしたら、20日分の需要量より多くを手配するのが普通だろう。あるいは、生産計画の対象期間が2ヶ月で、そのうち1ヶ月がほぼ確定期間だとすれば、1ヶ月分以上の需要量を手配するのが常識だろう(もっとも、確定期間など無視して営業から注文が飛び込んでくるのがこの国の「常識」かもしれないが、そのことはさておく)。

発注数量の最低線はそれで決まるとして、では、実際にそれよりどれだけ余裕を見て発注すべきだろうか。ここで登場するのが、「経済的ロットサイズ」(EOQ=Economic Order Quantity)の公式である。これを最初に定式化した人の名をとって、『Wilsonの公式』とも呼ばれる。在庫理論の基本中の基本ともいえる考え方だ。

この経済的ロットサイズ理論では、こう考える:まず、あまりたくさん注文すると、在庫量を多く抱えることになってしまう。一方、あまり小刻みに少量多頻度注文すると、平均在庫は減るかもしれないが、今度は毎回の発注のたびに発生する手間が増えてしまう。そこで、在庫量と発注の手間を、それぞれ金額で評価する。つまり、在庫費用と発注費用に換算する。その上で、「在庫費用+発注費用」を発注数量の関数と見なして、それを最小化する発注数量を求めるのである。

いま、単位期間あたりの平均需要量をu、1回あたりの発注費用をc、部品1個あたりの在庫費用をkとしよう。発注数量をxとおくと、単位期間あたりの発注回数はu/xだから、発注費用はcu/xだ。また平均在庫量はx/2だ(在庫量はxと0との間を定期的に往復する)から、在庫費用はkx/2となる。つまり、cu/x+kx/2を最小化するxを求めればよい。その答えは最下段の式のようになる(式の導出は高校レベルだから省略する):

では、この経済的ロットサイズにしたがって、製造業では発注購買しているだろうか? あいにく、たいていの場合、答えはノーだ。

その理由は、ふたつ考えられる。まず、生産管理部門がこの公式を知らないケース。Wilsonの公式は在庫理論の基本中の基本だと書いたが、そもそも大学の工学部や経済学部の中で、在庫理論を教えているケースが少ない。知らないものは、使えまい。

しかし、仮に経済的ロットサイズ理論を知っていても、使えてない企業も多い。なぜなら、上記の式の中に出てくる定数が分からないからだ。たとえば、在庫費用。買ってきた材料は、工場の資材倉庫の中においておく。自社の建物だから、別に倉庫代は要らない。在庫金利も、この低金利のご時世ではほとんど無視できる・・そう考える人が多いのだ。

発注費用となると、もっと曖昧模糊としている。1回発注をかけたって、せいぜい注文書のプリントアウトの紙代と、FAXの電話代くらいしかかからないような気がする。そりゃ、購買部門の手間もかかるかもしれないが、所詮、人件費は固定費なのだ・・。

むろん、そんなことはない。まず、社有地の自社建物だって、タダではない。無駄に資材を置けば、その分のスペースを有効活用できる可能性が減るのだ。つまり機会損失である。さらに、在庫品が陳腐化して価値ゼロとなるリスクもつねにつきまとう。これが在庫金利の本当の意味である。私の経験からこれら項目を評価すると、おおざっぱにいって、在庫品1kgあたり、毎月1-3円程度はかかるものだ。

発注費用も、自社の発注事務の手数だけを考えるから、ゼロみたいに思えるのだ。1回の注文にたいして、サプライヤー側の受注事務もかかる。製造記録の手間もかかる。さらに、物流搬送の費用がかかる。そして、自社の在庫管理部門の受け入れ・検品・伝票発行・仕分け・入庫の手間がさらにかかるのだ。こうしたことを考えると、1回あたりの発注コストは、(たとえそれが小さなボルト数本でも)数千円程度かかっていると想像される。

そこで、ためしに試算をしてみよう。いま、ある部品が月に平均50Kgずつ使用されるとする(u=50 Kg/月)。k=3(円/月・Kg)、c=3000(円/回)と想定しようか。すると、EOQ=316 Kg、となる。つまり、ほぼ半年分である。需要がもう少し大きくて、u=100 Kg/月だったら、EOQ=447 Kg(約4.5ヶ月分)になる。u=1 ton/月だったら、どうなるか? 自分で計算してみていただきたい。

これを「意外と多い」と思うか、「意外に少ない」と感じるかは、ケース・バイ・ケースだろう。ただ、毎月生産計画をたて、毎週のようにそれを修正し、毎日割込みや欠品で現場とやりとりしている多くの生産計画担当者にとっては、随分と多いと感じられるかもしれない。発注量が多いということは、発注回数が少ないということ、すなわち「もっと手間をかけないでもすむ」ことを示している。

と同時に、uやcやkといった係数は、すべて定期的に見直して評価すべき項目であることも、忘れてはなるまい。そして、こうしたチェックをすることこそが、真の生産管理の仕事なのである。
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by Tomoichi_Sato | 2007-08-21 21:28 | サプライチェーン | Comments(0)

購買リードタイムとは何か?

知人が調剤薬局に薬をとりにいった。やや特殊で高価な薬である。順番がきたので窓口にいったら、担当の人が「申し訳ありません。この薬は今、在庫が無くて取り寄せになりますが、2~3日お待ちいただけますか?」という。知人が、手元に数日分あるから待てます、と答えると、「もし定期的に購入されるのでしたら、在庫しておきますので次回からはお待たせすることはありませんが、どうしますか」とたずねられたそうだ。

医薬品はふつう見込み生産されている。だから、メーカー在庫は必ずある。かりに薬局に在庫が無くても、2~3日で取り寄せられる。医薬品は人の命にかかわる場合もあるので、メーカーは『供給責任』の名のもとに、必ず在庫をもっておくものなのだ。ちなみに医薬品は国が価格を決める特殊な商品で、どこの調剤薬局にいっても値段はかわらないのが原則だ。だから、その薬局に格別不満がないかぎり、知人が定期的な利用をコミットすれば、購買リードタイムは数日間から数十分に短縮できる。つまりほぼゼロになるわけだ。

このエピソードを紹介したのは、購買リードタイムを決める要素が、短いやりとりの中にすべてあらわれているからだ。製品在庫、定期的な消費、コミット(約束)、価格、見込み生産、取り寄せ、輸送・・。

リードタイムとは、何らかの指示(オーダー)を出してから、それが完遂(フルフィルメント)されるまでに要する期間のことである。調達においては、購買オーダーから納品までの期間をさす(なお、購買と調達を区別する場合もあるが、ここでは説明を省く)。注文してから、手元に届くまで。

生産管理システムやスケジューリング・システムでは、購買リードタイムを標準日数(固定値)としてマスタに登録する場合が殆どである。では、この日数は、誰がどのように決めるべきか。また、その日数の信頼性や、その短縮方法はどう検討すべきか。こうした問題は、従来の生産管理理論があまりフォローしてこなかった領域と思われる。

たとえば、ある部品の購買リードタイムが2ヶ月とマスタに登録されているとする。ところで、その部品はじつは毎月買っているものだとしよう。このリードタイムの値は正当だろうか、それともおかしいだろうか?

集中購買を行なっている会社では、購買部門がリードタイム日数を登録・メンテしているケースが多い。購買部門はその品目の取引を新規にはじめた際、サプライヤーに引合いをして価格と標準納期を決め、登録する。価格は年に1回くらいネゴを行なって見なおすだろう。だが、リードタイムはそのままにされる場合が少なくない。納期は、個別には催促することもあるが、標準値をネゴって短縮できるものではない(また効果も少ない)と購買部門は考える。なぜなら、購買リードタイムとは、サプライヤー側にとって見ると、注文を受けてから出荷するまでの生産リードタイムに相当するからであり、旋盤で4時間かかるものを3時間にまけておけ、と言ったって現実的ではないはずだ・・。

ところが、これは大間違いなのである。冒頭の調剤薬局の例を思いだしてほしい。定期的に消費がコミットされるものは、製品在庫として置いておくことが可能になるのだ。コミットというと、なんだか『引取り保証』のようなものを連想されるかもしれないが、それは極端な例である。サプライヤー側にとって、“見込みが立つ”商品は、(よほど高価な部品でないかぎり)見込み生産ができるのである。

つまり、購買リードタイムを決めるのは、サプライヤー側の見込みと購買側の予定(思惑)とを、どれだけ一致させられるかという事である。購買予定が継続的で平準化されていれば、それだけサプライヤーは見込みで先行生産が出来るから、リードタイムは短くなる。購入が断続的だったり、購入量のアバレが激しい場合は、こわくて見込みでは作れない。いきおい受注生産になるから、リードタイムは生産に必要な期間より短くはできないことになる。新規部品の場合は必ずこのケースだから、納期は長くなる。

もし、毎月購入する部品があったとして、それが比較的平準化されているならば、標準リードタイムは2ヶ月どころか2日でも納入できるように交渉可能なのだ。しかし量が毎月ひどくバラバラなら、在庫を置いておけとは言えないだろう。もっとも、半期や年間でならせば平均的というのなら、まだ多少の交渉の余地はある。

これは言いかえるならば、購買リードタイムの値を実質的に決めることができるのは、購買部門ではなく生産計画部門だ、ということを意味している。当初の登録は購買部門でも、それを見なおして短縮できるのは生産計画部門なのだ。なぜなら、購買部門は部品消費予定を決める立場にないからだ。集中購買方式をとる日本の少なからぬ企業が、ちっとも納期競争で海外に勝てないのは、こうした事情に対する無理解が生んでいる可能性も高いと私はにらんでいる。
by Tomoichi_Sato | 2007-07-01 15:07 | サプライチェーン | Comments(0)