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カテゴリ:サプライチェーン( 154 )

R先生との対話--アメリカ製造業の教訓

久しぶりに、またR先生を訪ねた。かつては企業経営にタッチし、現在は半ば引退した経営コンサルタントだが、今でも教えられることは多い。

「元気かい。出張に行っていたみたいだが、最近の景気はどうだね?」

--厳しいですね。半月ほど欧州の地方都市に行っていたんですが、今回の米国発金融危機は、想像していたよりずっと速く影響が出てきてます。我々の業界でも、世界中であちこちのビッグ・プロジェクトが中断ないし立ち往生をはじめました。向こうではしょっちゅう“今回の経済危機の影響はどうだ。日本はどう立ち向かうのか”と聞かれました。聞かれても、これといっためぼしい政策もないし、答えに困るんですが・・。

「そうだな。自動車や消費財業界はもう影響が出始めているが、生産財その他の業種はまださほど危機感がなく、“日本は金融危機の影響が小さいおかげで、円高になって困る”という程度の認識のようだ。まるドメ企業が多いからなあ。」

--なんですか、その『まるドメ』って?

「“まるっきりドメスティック”、つまり国内しか頭になく、世界のつながりが見えていない経営者や企業のことだ。元は商社の隠語らしいが。」

--これだけ輸出やら海外生産が当たり前の時代に、そんな経営者がいるのですか? 中小企業ならいざ知らず。

「とんでもない。中小企業よりむしろ、中堅・大手といわれる方が、井の中の蛙だったりする。輸出販売は商社や代理店任せ、海外調達や海外生産では日本企業が買い手の立場だから、向こうが合わせてくれる。製品は世界に通用するが、経営はそうではないな。トップもミドル・マネジメントも。日本は島国で、人口が多いぶん国内市場が大きいから仕方もないが。」

--なんだか耳が痛いですね。

「もともとここ3~4年の好況は日本の内需よりも、アメリカの消費と、中東の石油バブルと、中国のオリンピック景気が生んだものだ。どれも長続きしそうもないことは見ていれば分かる。とくにアメリカは消費が経済の中心になってしまった。これが成り立ったのは、輸出元の日本や中国が米国債を買うという形で“掛け売り”(信用供与)をしていたからだ。アメリカの製造業は、とうとうGDPの15%を切ってしまった。資産家だが働かない奴を相手に商売をしてきたわけだ。」

--たしかに、米国製造業の凋落は目を覆うものがありますね・・

「君の会社なんかは、アメリカからまだプラント資機材を買っているのかな?」

--いや、発注量は減りましたね。今やライセンスに守られた一部の分野のみです。しかも、米国に注文しても中南米の工場から出荷してきたりする。品質も感心しません。」

「アメリカの製造業の空洞化は、すでに70年代から少しずつ始まっていた。'70年代は日米繊維摩擦の時代だ。その頃はアメリカのスーパーでは日本製の衣類が並んでいたものさ。そして、『メード・イン・ジャパン』といえば安かろう悪かろうの代名詞みたいなものだった。君なんか知らないだろう?」

(私は、ロックバンドのDeep Purpleが'70年代に出した日本公演のライブ2枚組のオリジナル・タイトルが"Made in Japan"だったことを思い出した。当時あれはかなりの皮肉だったのだ)

「そもそも、アメリカの国力の源泉は製造業にあった。今からちょうど100年前、テイラーという技師長が、ストップウォッチと動作研究を元に『科学的管理法』という論文を書いた。インダストリアル・エンジニアリング(IE)のはじまりだね。階級社会だった欧州には、マネジメントが科学だ、なんてことを言い出す人間はいなかった。しかし彼は実験的事実を元に、労働者の生産性を数倍に高める手法を見いだした。その考え方は、すぐヘンリー・フォードに取り入れられる。そして、これが近代工業の米国流大量生産の基礎になったわけだ。そして近代工業は、石油利用の発展とともに、アメリカの軍事力を押し上げたというわけだ。
 第二次大戦後も、アメリカ製造業は自分たちの優位性を疑わなかった。でもオイルショックで燃費の良い日本車が売れはじめると、米国の経営者達は焦りはじめた。彼らは、“日本は低賃金長時間労働で原価が安い。技術は猿真似だ。労組も力が弱い”--だから価格差で負けるんだ、と考えた。そこで、同じように賃金の安い、中南米や東南アジアに工場を移転しはじめたんだ。」

--なんだかそれって、今の日本の中国観ににていますね。

「まったくだな。内実は、必ずしもその通りではない。賃金差という面はたしかにあったが、競争力は人件費単価だけが生むわけではない。日本の製造現場はそれなりの努力を重ね、技術部門もかなりの工夫をこらした。トヨタがGMのポンコツ工場を買って共同運営し見事に再生したNUMMIの事例などを見て、そのことに気がつく人たちも出てきた。MITは『リーン生産システム』という概念を命名して、これが競争力を生む源泉だと理解した。
 80年代はアメリカが巻き返しをはかろうとした時期だ。彼らが考えた方針は二つ。
ハイテクで対抗しよう。MAP, CIM, MRPだ”(そしてERP, APSと続く)。それと、
知的財産権で対抗しよう。”
 どちらも彼らは実現した。前者は技術屋の、後者は法律屋の考え方だね。だが結局、法学部出の方が幅をきかせる社会だ。ERPやe-CommerceはIT業界の商売道具になったが、製造業を救いはしなかった。」

--今は欧州の製造業の方が良いですね。クオリティが高いです。価格も高いですが、そこでしか作れない製品を作っています。特殊な産業機械なんか、ドイツの独壇場です。イタリアの製造業も良い製品を比較的安価に作ります。

「どちらの国も職人気質を受け継いでいるからな。」

--それで思い出したんですが、知り合いの生産スケジューラ・ベンダーの人から聞いた話です。なんでも、ドイツの経営者むけに、日本の工場視察見学ツアーを実施したんだそうですよ。ジャスト・イン・タイムで、カラ雑巾を絞るようなムダとりを重ねた現場を見せて歩いたわけです。でも、彼らは一応感心はするけれど、心底感激したという風はない。それで、最後に感想を聞いてみたら“あの努力には敬服する。だが、なぜライバルと同じような製品を作って価格競争に向かうのか?”というんだそうです。
 彼らの考え方によれば、経営者の仕事というのは、他社ができないような製品・サービスを作り出して優位性を守ることだ、と。ドイツでは、他社が発明してすでにやっているような領域には、手を出さないみたいですね。だから、優秀な中堅企業が、値段が高くても生き延びているんでしょう。ちょっと、考えさせられました・・。

「なるほどな。それじゃあ、かんじんの日本はどうなのか、考えてみようじゃないか。」
(この項つづく)
by Tomoichi_Sato | 2008-12-01 23:42 | サプライチェーン | Comments(0)

Web連載記事のお知らせ

IT MediaのWebマガジン「@IT MONOist」(ものづくりスペシャリストのためのポータル)に、第3回記事
納期と在庫のトレードオフを解決する知恵とは?
を掲載しました。どうぞご覧ください。
by Tomoichi_Sato | 2008-11-29 23:57 | サプライチェーン | Comments(0)

超入門・在庫管理 在庫ゼロは危険な目標

Kさん。丁寧なご返事、ありがとうございました。しだいに工場の生産部門になじんで、活躍を開始されているご様子、何よりです。また、生産管理とは何かという問題について、ホワイトカラーの役割は命令でなく支援である、という小生の考えに賛同いただき、うれしく思っています。

さて、前回の「超入門・生産管理」にも書きましたとおり、私は在庫量ないしリードタイムが生産システムの重要な性能指標である、と考えています。最小の在庫(ならびに最小の欠品)で、顧客の需要にミートすることは、まさしく生産管理の重要課題です。そして最小の在庫量はすなわち、着手から完成までのリードタイムを短縮する重大な手段です。しかし、この課題認識と、「在庫をゼロにすべきだ」という目標設定は、似て非なるものだというのが私の考えです。

あらたに副工場長として赴任されてこられた方が、『在庫ゼロ』を目標として掲げられたとのことですが、Kさんの感じられた“一抹の不安”、私も文面から同じ様に感じました。この方は技術畑出身で、IT関係の実績はお強いけれども、あまり製造現場のキャリアをお持ちでないとのこと。それだけで判断すべきとは思いませんが、『在庫ゼロ』目標が、ご自身で現場を見て歩かれた判断として出てきたのではなく、どこかよそのセミナーやコンサルタントから聞いて持ち込まれたスローガンだとしたら、たしかに心配です。

その副工場長さんがおっしゃるように、「旧来からの慣習の元に、何かを“必要悪”だと規定してしまうと、それ以上改善する意欲がなくなってしまう」という見解それ自体は、まことにごもっともなことと思います。日本の会社ではあまりにも多くのことが、形骸化したまま慣習として墨守されてしまいます。「だから“在庫は必要悪だ”という思い込みを捨てなさい。」という主張も、その通りかと思います。

ですが、さらに「工場は在庫ゼロを目指すべきだ」とつづく論理には、私はまったく賛成しかねます。その方とちがって、私は意図的に置く適正な最小限の在庫は「必要」であり、「善」である(必要悪という言葉と対比するならば)と考えるからです。私が排撃するのは、意図せざる在庫、いわゆる“できちゃった在庫”のみです。では、その必要善の在庫とは、どのようなものでしょうか?

そもそも在庫(棚卸資産)には、製品在庫・仕掛在庫・原材料在庫の三種類があること、これはご存じだと思います。このうち、個別受注生産品には製品在庫(作りだめ)はあり得ませんから、製品在庫があるのは見込生産品か繰返し受注生産品のいずれかだ、ということになります。(繰返し受注生産に製品在庫があるのはおかしいとお思いですか? しかし、生産に必要とするリードタイムを顧客が与えてくれない場合は、ある程度作りだめをしておかなければ急な注文に応じられません。よければ拙稿『受注生産という名前の見込生産』をご覧ください)。

それで、需要見込を元に作りだめした製品在庫は、工場の判断のみで生じるでしょうか? 多めの需要を見込んで、生産依頼を出してきた営業部門にも責任はあるのではないでしょうか。さらに、製品在庫をゼロにして、本当に営業活動が成り立つかどうかも疑問です。需要は変動するものだ、という基本認識に立てば、その変動に適正な範囲内で対応すべく、製品在庫を持つことは決して責められるべきことではない、と考えます。つまり、在庫の第一の意義とは、予期せぬ需要の変動に対応するためのバッファーなのです。

ただしこの「適正」の範囲については、いろいろ議論はあるでしょう。在庫管理理論の教科書をひもとけばわかるとおり、「需要のばらつき」(分散)をどう見るか、がここでのポイントです。また、「予期せぬ」需要の変動と書いた点にもご注意ください。需要をすべて完璧に予期できる企業なら、たしかに製品在庫は不要になります。

仕掛在庫はどうでしょうか。いうまでもなく、材料部品に対して何らかの作業に着手してから、製品として完成するまでの間のモノは、それが中間品倉庫に鎮座ましましていようが組立場にころがっていようが、すべて仕掛在庫です。加工・製造時間がゼロでないかぎり、仕掛在庫はゼロにはなりません。ときどきこの点を誤解して、うちはコンベヤを捨てて一人屋台生産すれば仕掛ゼロになるはずだ、などという方を見かけますが、生産管理の基礎的な概念をご存じないのでは、と思ってしまいます。

つぎに、原材料在庫に目を転じてみましょう。外部から仕入れる部品類も同じです。これらはどうでしょうか。工場で使う原材料や部品は、発注手配してから納品されるまで、ものにもよりますが日数がかかります。サプライヤーがKさんの会社の系列で、かなりの量を継続して仕入れている場合ならば、今日言って明日持ってこさせる、あるいは数時間単位での納品も可能かもしれません。が、そんな材料部品ばかりではありません。いま、手元のストックが底をついたとします。そこであわてて発注する。入ってくるのは一週間後だと仮定しましょう。その一週間の間に、この部品を使う製造オーダーが一つでも飛び込んできたら、材料欠品になりますね。製品の納期遅れは必定です。

原材料は、最低でもリードタイム期間の日数分は確保しておく必要があります。その日数分を切ったら、発注する。いいかえるなら、原料在庫は、仕入れの発注リードタイム期間中のストック切れを防ぐためにあるのです。

ちなみに、在庫量をはかるときは、個数や金額も大事ですが、いつも「日数分」ではかる習慣を持つことをおすすめします。在庫数量を、毎日の平均使用量(平均需要)で割って得られる値です。これは、在庫回転数や発注点の計算が楽になるだけではなく、“継続的に平均需要をチェックしなおす”習慣にもつながるからです。

そして、在庫にはもう一つ重要な意義があります。それは、在庫によって、注文を受けてから納入するまでのリードタイムを短縮する機能を持つことです。いいかえれば、在庫とは需要の読みにもとづく「時間の缶詰め」なのです。よく、食堂で注文した品が遅いと、「おーい、材料の魚を釣りに行ったのかな」などと冗談で冷やかすことがありますね。注文のたびに、すべて元から作っていたのでは、リードタイムが長くなってかないません。だから需要を見込んで在庫するのです。

まとめましょう。在庫の意義は三つあります。
(1)在庫とは、予期せぬ需要の変動に対応するためのバッファーである
(2)在庫は、手配リードタイム期間中のストック切れを防ぐためにある
(3)在庫とは、需要の読みにもとづくリードタイム短縮を可能にする「時間の缶詰め」である

おわかりですか。在庫は必要なのです。需要に関して完全な予知ができず、かつ、市場の変化速度より生産システムの追随速度が遅い場合は、在庫なしでは済まされません。在庫とは、ある意味では保険です。だれしも保険は払いたくない。しかし、保険なしで自動車を運転することは許されません。あるいは、在庫とは潤滑油です。気まぐれな市場と御社の生産システムをつなぐギアボックスの潤滑油です。Kさん。あなたは潤滑油なしでギアボックスを回せますか? 副工場長さんが指示しているのは、そういうことではありませんか。

むろん、上に述べた3つの意義に対応する在庫は、「意図して置く」在庫です。しばしば工場においては、「意図した結果」なのか「できちゃった結果」なのか、区別せずに議論されます。どうか、適正な意図在庫を配置し、意図せざる在庫はボクメツするよう、努力されることを望んでやみません。
by Tomoichi_Sato | 2008-11-13 18:53 | サプライチェーン | Comments(0)

労働装備率とは何か

生産システムの効率性は生産性付加価値生産性)によって測ることができ、生産管理の一つの目標は生産性を向上させることにある、と私は何度か書いてきた。では、目標達成のために、生産管理の担当者はなにをすべきか。具体的にどのようにしたら、付加価値生産性は上げることができるのだろうか。そこがわからないと、生産システムの議論など単なる抽象論、絵に描いた餅に終わりそうである。付加価値生産性=(付加価値額)/(従業員数)で定義されるが、この分子・分母とも、そう簡単には変えられそうにないように思われるからだ。

むろん、正社員の労働者の首を切って、派遣労働者に入れ替えれば、見かけ上は分母である雇用数は下がる。しかし、分子の付加価値額とは、(製品の売上額)-(外部支払額)で定義されている。この外部支払額には、社内人件費や減価償却費など、社内の<リソース>にかかわる固定費(社内振替費用)は入っていないことに注意して欲しい。もし正社員を派遣労働者に切り替えると、それは社外への支払額を増やすことになるから、すなわち付加価値額が減ってしまう。つまり分母と分子の間にはトレードオフの関係があって、そう簡単に一方だけをかえることはできない相談なのである。

また、今日の多くの製造業では、工場の人員よりも、営業部門の販売員や本社人員がずっと多いため、直接工の首を多少切っても、分母はたいして減少しない(さらに言えば、こういう無意味な数字操作の影響を排除するため、分母を「従業員数」ではなく「従事者の総労働時間数」で分析する方法もとられるようになってきた)。分母が大して変わらないのに、分子だけが小さくなるのだから、派遣労働者への切り替えによる原価低減策は、あきらかに生産性向上には逆行する施策だということができそうだ。

ちなみに、ご存じかどうかは知らないが、わが政府はつい1年半ほど前に、経済財政政策担当大臣が「今後5年間で労働生産性の伸び率を50%アップさせる」と経済財政諮問会議で発表した。たいしたものである。我が国の過去10年の年平均伸び率は1.6%だから、2.4%にしたいということらしい。1980年代は平均3%だったから、その水準まで戻りたい、ということだろう。だが、その大臣の国会答弁によると、付加価値生産性の中に技術進歩率が入っていると思っているらしい。なんだか定義自体が曖昧な、不思議な経済政策ではある。

IE的手法を用いて製造労働者の動作時間のムダとりを行い、総労働時間数を下げる、というのが、ふつうは生産性向上の王道である。しかし、そこで削減された分だけ、すぐさま人減らしできなければ、結局分母はかわらないことに注意して欲しい。動作時間のムダとりは、ボトルネックとなっている工程以外では生産性向上にはあまり寄与しないのだ。

では、どうするべきか。ここで登場するのが『労働装備率』である。労働装備率とは、(有形固定資産額)/(従業員数)で定義される指標だ。製造業の場合、有形固定資産とは、工場の建物や機械設備などが大きな割合を占めている。つまり、この指標は、労働者一人あたり、どれほど機械化が進んでいるかを大まかに示すと考えて良い。

じつは付加価値生産性は、労働装備率と密接な関係がある。同一の業種に属する日本の製造業数社をとり、横軸に労働装備率、縦軸に付加価値生産性をとって、グラフにプロットしてみると、両社の間には有意な正の相関があることが見て取れる。付加価値生産性の高い企業は、面白いことに労働装備率も高いのだ。

これは、ある意味では当然のことかも知れない。同じ製品を作る場合、より機械化され自動化された工場の方が、労働者は少なくてすむ。従来人間がやっていたことを、機械装置がやってくれるのだから、一人あたりの生産性は高くなるはずだ。そういう意味で、この「労働装備率」という言葉はいささかミスリーディングな用語であって、本来ならば、たとえば「機械装備率」とか「資本装備率」と呼ぶ方が分かりやすい。

そして、この労働装備率は、計画的に変えていくことが可能だ。たとえば、それまで人間が手作業で箱詰めしていた包装ラインがあったとする。ここに、自動包装機を導入する。あるいは、包装材料を倉庫から人間が運んで補充する作業を、天井走行車による自動供給にかえる、といった施策は労働装備率をアップさせ、それで手の空いた労働者を、よりマンパワーがタイトな工程に適切に配置転換すれば、付加価値生産性の向上にも寄与するはずである。

こう書くと、二つの疑問が浮かぶかもしれない。まず第一に、よくJITコンサルタントが“コンベヤラインや自動倉庫を捨てろ、人間を活かして使え”という指導はどうなのか、という点。また、機械化するとしたら、どの部分を機械化するのが良いのか、という点。

じつは、この二つの疑問は、同じ問題を両面から見ているのである。'90年代の初め頃、バブル経済に浮かれていた頃の日本の工場は、「人減らし・機械化」をスローガンに、むやみやたらとコンベヤや自動機械を導入した。しかし、頭の中は「見込・大量生産」時代の発想のままに行ったのである。大量高速生産の機械装置は、たいてい融通がきかない。その結果、単一製品をずっと作るには良いが、需要変動には弱い工場ができあがった。生産システムの機能は「需要情報を製品というモノに変換しアウトプットする」ことなのに、ひどく有効性の低いシステムができあがったのである。人間は柔軟だから、人間力を使え、というのはその意味では正しい。

ただし。いくら人間が柔軟といえども、工場の中には人間がやりたくない/やるべきではない作業がある。危険・汚い・きつい、いわゆる3Kの仕事である。判断基準としては、あなた自身が(あるいはあなたの子ども達が)、その作業を一生続けてやっても良いと思えるかどうかがポイントだ。工場の中の作業を分類すると、

A 人間しかできない、かつ人間がやりたい作業
B 人間しかできない、しかしやりたくない作業
C 機械でもできる、しかし人間がやりたい作業 (←これはあまりない)
D 機械でもできる、かつやりたくない作業

がある。機械化するならば、まずDから着手し、それからBにチャレンジする。これが本来の生産技術というもののあり方であろう。そのようにして労働装備率を改善していくことが、最終的に付加価値生産性の向上につながっていくのである。
by Tomoichi_Sato | 2008-11-04 23:22 | サプライチェーン | Comments(0)

生産システムの性能を測る

製造業における生産活動をささえる仕組み全体を、私は『生産システム』とよんでいる。生産システムの機能とは、何か。それは「需要情報というインプットを、製品というモノ(あるいは製品に実現された付加価値)に変換してアウトプットする」ことである。そのための副次的なインプットとして、原料・部品と用役・副資材などを利用する。また人員・機械設備・作業空間などは、生産システムを構成するリソースの要素である。さらに計画指示および実績情報の伝達ルートがあり、これらをもとに「判断」する機能がある。これが生産システムの成り立ちだ。

生産システムの中心には、人間系がある。ここが、機械的な仕組みとちがって、一筋縄ではいかないところだ。人間系を中心としたシステムをつくり、運転し、維持する仕事を総括してマネジメントと呼ぶ。人間系のない、機械的なシステムの運転は、たとえそれがジャンボジェットや原子力発電所のように複雑なものであっても、「マネジメント」とはいわない。運転、制御、あるいはコントロールと呼ぶのがふさわしい。

マネジメントの目的とは何だろうか? 世の中の外部環境が安定して変化が少なく、システムが一応のアウトプットを出しているときは、マネジメントの目的はシステムの安定維持だけになる。組織の存続だけが自己目的化する--これは、多くの硬直化した古い組織に見られることだ。こういう組織では、機能的な見方は、あまりいらない。このシステムは良い性能を発揮しているか、といった疑問は、よけいなことだ。前例と慣習にしたがって動いていればよい--これを別名、官僚主義ともいう。官僚主義においては、過去の経験をたくさん知っているかが能力のすべてだ。だから、年功序列だけが幅をきかせる。そして、ピーターの法則にしたがって、組織全体が次第に機能不全に陥っていく。

機能不全に陥りかけた生産システムに、外部環境(市場)の急な変化が襲いかかったら、ひとたまりもない。需要情報というインプットに、製品というアウトプットがついていけないのだ。これが10年以上にわたる長い不況の間、日本の製造業が直面した問題だった。技術も人材もあり、立派な製品や資産を持ちながら、多くの企業が苦しんだのは、生産システムのマネジメントという基本的な理解が欠けていたからだ。何かの仕組みをマネージしたかったら、その仕組みの性能を測る尺度を持たなければならない。では、生産システムの性能を測るものとは、いったい何なのか? 製造ラインの能力か? あるいは原価率か、はたまた在庫レベルか?

いずれの答えも、直接にはNOである。こうした問に答えるには、一度問題を抽象化してとらえる必要がある。この抽象化というのが、多くの日本の企業人には苦手らしい。だが技術屋にとって、問題解決の一番のヒントは、『抽象化』と『類推』だ。管理技術もその例外ではない。

システムの性能を測る尺度として最低必要なものは、三つある。有効性と、効率性と、安定性の三つである。それは、自動車のような仕組みを考えてみればわかる。思った方向に早く進めるか(有効性)、燃費よく走れるか(効率性)、そしてすぐに揺れたりこわれたりしないか(安定性)、の三つだ。これらのどれか一つでも満たさないものは、自動車として実用の役に立たない(飾っておくだけの趣味なら別だが)。それでは、これらを生産システムに適用すると、どのような尺度になるだろうか。

有効性(Effectivieness)とは、あるべき方向に向かっているか、また向きをすぐに変えられるか、を示す。これは、生産システムにおいては、需要にたいして供給が数量・タイミングともにうまく一致しているかどうか、に相当する。これは、横軸に時間を取り、縦軸に製品数量(累積値)をとって、需要と供給のグラフを書いてみたときに、需要カーブと供給カーブが極力一致することをしめしている。供給カーブが需要を大きく上回れば、それは在庫過剰(作りすぎ)を意味する。供給カーブが需要を下回れば、それは納期遅れ(欠品)を意味する。両者が常に一致していることが、理想だ。二つのカーブの差は、それを数量軸で見れば、在庫量になるし、時間軸で見れば、リードタイムになる。

したがって、リードタイムの短さが第一の指標:有効性の尺度だといっていい。

効率性(Efficiency)とは、燃費の良さを示す。これはすなわち、投入量(リソースの消費量)に対する産出量の比率を表すといってもいい。生産システムの主要な投入リソースは人間であり、主要なアウトプットは、製品の付加価値(販売価格マイナス外部購入費)である。つまり、いわゆる「付加価値労働生産性」が効率性の指標になることがわかる。もっとも、生産システムに機械設備の占める割合が高い業界(よく「装置産業」などと呼ばれる)の場合は、投入リソース量を補正するために、「労働装備率」を同時に参照すべき場合も多い。

さて、三番目の指標が安定性(Stability)、あるいは別名頑健性(Robustness)だが、これは生産システムの何に相当するのだろうか。工場の機械設備がこわれないことか? --たしかに、それも必要なことだろう(とくに、この頃のように保全活動が軽視されている時代には)。

しかし、もっとずっと大事なことがある。生産システムの中核をなすのは人間、それも直接作業に従事する、ふつう「労働者」と十把一絡げにされる人間達である。この人達が、安心して快く働き続けられなかったら、生産システムなどすぐにバラバラになる。人間を交換可能な部品としてしか見ない“モダンな管理思想”が幅をきかす今日、人が最低限のよろこびを持って働けるようサポートすることが肝要だ、などと主張したら時代遅れ扱いされかねない。しかし、私はあえてここで書いておきたい。人はパンのみに生きるにあらず、である。生産システムの頑健性とは、その職場の事故率や離職率の逆数で測られねばならない(「誰のための生産管理」2007/5/6)。

そして、この生産システムの頑健性は、有効性や効率性とは相反する、トレードオフの関係にあるのだ。有効性や効率性は、短期的に上げることも一応可能だ。だが、そのような方策は頑健性を長期的には損なってしまう。だから、マネージャーは、これらの同時の実現とバランスに、細心の注意を払わなければならない。三本脚の鼎は、どれか脚の一本でもひびが入ったら、倒れてしまう。私たちは、立体的な視野の中で、生産というものをとらえる必要があるのである。
by Tomoichi_Sato | 2008-10-27 08:14 | サプライチェーン | Comments(1)

Web新連載記事のお知らせ

IT MediaのWebマガジン「@IT MONOist」(ものづくりスペシャリストのためのポータル)に、連載『こうすればうまくいく生産計画』を開始し、第1回記事「生産計画はなぜ必要か? ズバリお答えしよう」を掲載しました。どうぞご覧ください。
by Tomoichi_Sato | 2008-10-14 21:44 | サプライチェーン | Comments(0)

超入門・生産管理

Kさん。今月から工場勤務に移られたそうですね。本社の企画部と比べて、工場の住み心地はいかがですか。たまには都会の混雑をはなれて通勤するのも、わるないでしょう。

さて、ご質問の件、生産管理の良い入門書は、というおたずねですが、なかなか答えがむずかしいですね。それなりの本はいくつかあるのですが、Kさんの要求にぴったり、とまではいきません。ご希望の条件は(1)文系でも読めて、(2)御社の工場にフィットし、かつ(3)業務改革のヒントに満ちているもの、と理解しました。せっかく工場勤務になるのだから、生産のあり方を改革したい--その心意気はなかなかご立派です。

一般に生産管理の本というと、「生産形態と生産方式」からはじまって、「工程管理」「在庫管理」「現物管理」「作業管理」「日程計画」・・・という風に4文字漢語がならんでいく章立てのものが多いのですが、私はあまりこうした本をおすすめする気になれません。生産の全体像を理解するのに、あまり適当とは思えないからです。

要素をいくら並べ立てても、全体の働きや機能は見えてこない点が、「システム」というものの特徴です。ここで私が「システム」と呼んでいるのは、単なるコンピュータを使った情報処理のからくりのことではなく、工場の人や機械やからなる生産の「仕組み」のことを指しているのはおわかりだと思います。生産管理への入門とはすなわち、この見方への“入門”でなければならないと私は信じるのです。

ところで、生産管理とは実際にはどんな仕事だと想像しておられましたか。え、生産全般を管理する仕事、ですって? すると、たとえば工場長を管理するのも生産管理課の仕事なのでしょうか? むろん、これは冗談ですが、生産管理課長の上に製造部長がおられ、さらにその上に工場長がいるのは何のためでしょう。

これは結局、マネジメントとは何のために存在するのか、という問題にかかわってきます。この点をおろそかにしてどんな生産管理の本を読んでも、ゴールとずれた方向にさまようばかりでしょう。私がこれまでにもときおり書いてきたように、「管理」と「マネジメント」は区別すべきことがらです。というのも、日本語の『管理』に対応する英語は3つないし4つあるからです。

英語にはManagementの他に、管理に相当する言葉としてControl、Administration、Supervisionがあります。Managementという語が、どちらかというと“暴れ馬を乗りこなす”ようなイメージがあるのに対して、Controlは「制御」という訳語もあるように、きちんと記録し正確に計数化して、順序や方向を指示していく事をさします。Traffic controlを「交通管制」と呼びますが、これが語のイメージです。

これに対して、Administrationはもっと行政手続きないし作業環境整備にちかく、会社でいえば「総務」の仕事です。またSupervisionとは監督指導であり、実地訓練というニュアンスがちょっとあります。

こうしてみると生産管理というのはあまりにもアバウトな訳語で、実際にはその部門の仕事の内容に応じて、生産管制課・生産総務課・生産指導課・・という風に命名する方が実態を表すかもしれません。“ここは生産雑用課さ”と先輩が自嘲気味におっしゃったとのことですが、これはつまりAdministrationの仕事が多いからでしょう。

では、生産のManagementはどこにいったのだ、と思われるかもしれません。マネジメントはPDCAサイクルを回すことであるはず、とKさんは書かれていましたが、私は生産についてはPDCAサイクルを考えてもわからないと思います。なぜなら、Doは生産管理課とは別の人達がやるから、です。

じつは、マネジメントとは「仕事を他の人たちにやってもらうこと」を示す言葉なのです。そして、他人にやってもらうからには、まず、気持ちよくやってもらう必要があります。上手にやってもらう必要もあります。また適切にやってもらう必要もあるわけです。

気持ちよくやってもらうためには、作業環境の安全や清潔、保険や厚生などの気配りがいりますね。これがAdministration=生産総務の部分になります。また、上手にやってもらうためには、やり方・ツール・治具の整備や作業の訓練評価が大事です。Supervision=生産指導(あるいは生産技術)の課題ですね。そして、適切なタイミングに、適切なモノをつくってもらうことで、無駄な在庫や欠品を出さないよう、プロンプトを出すことがControl=生産管制のポイントになります。

一つの会社全体の生産とは大きなシステムであり、巨大な仕組みです。まるで船団を組んで海をゆくかのごときもので、それなりの秩序はあっても、船体も積荷もちがい、方向もばらばらになりがちです。舵を切ろうとしても急に全体の方向は変えられません。このような大きな集団をマネジメントしていくために大事なことは、適切な評価尺度をあてはめて測りながら具体的にリードすることです。人はモノサシによって動かされます。

仕組みのパフォーマンスをどう測るか、から学ぶのが、入門の最初の入口です。これが船団の指揮だったら、船の速力・燃費・方向が大事でしょう。生産の場合、これに相当するのは、
 船の速力 = 付加価値(スループット)
 船の燃費(効率性) = 労働付加価値生産性
 船の方向(有効性) = リードタイム、または在庫・欠品量の差違
となります。

こうしたことを理解できるかどうかは、文系/理系にかわりはありません。設計や製造の技術的な詳細を知らなくても、生産管理は十分可能です。ただし、「管理技術」=マネジメント・テクノロジーは存在します。こうした独自の技術領域があることだけは頭に入れておいてください。そうすれば、設計の固有技術を知っているだけの技術屋に、大きな顔をされなくてもすみます。

生産はシステムである、ということをつねに意識してください。システムは二つの性質を持っています。ミクロな最善を積み上げてもマクロな最善にならないこと。そして、制御・判断の仕組みがいること。制御は計算機にやらせても良いですが、判断には人間が必要です。なぜなら、マネジメントとは先読みが必須だからです。

生産システムの具体的な要素としては、マテリアルリソース・情報があり、またオーダーと作業とレポートがあり、さらにスケジュール・品質・コストという制約があります。これらを支えるツールとして、在庫管理とか品質管理とかスケジューリングなどの理論などがあるのです。道具を学んだってマネジメントを知ったことにはなりません。

そして何よりも、生産管理とは製造ラインで働く直接工の人たちを支える仕事だということを忘れてないでください。この人達が、明日も気持ちよく、整然と、やりがいをもって働けるかどうか。自分の子供達にも、同じ仕事を自信を持ってすすめられるかどうか。そうなってはじめて、生産管理は役目を果たしたといえるのです。

Kさん。人が他の人間を「動かす」のはむずかしいことです。お互いに相性も感情もあります。唯一の正解はなく、スキルと経験が必要です。でも、みな同じ船の上に乗っているわけです。ゴールを忘れなければ、多少の波風は超えていけると信じております。
by Tomoichi_Sato | 2008-10-07 23:17 | サプライチェーン | Comments(2)

BOQとは何か

BOQ(Bill of Quantities)とは、タスクの作業量をあらわす指標を指す。この用語には、まだ確たる訳語がない。強いて訳せば「作業量表」ということになりそうだが、エンジニアリング業界などではすでにそのまま3文字略語として、あるいは「B/Q」の2文字略語として流通しており、訳語の定着しないままつかわれる言葉の一つになる公算大である。

BOQは製品の原価企画ならびに生産計画において重要となる概念である。周知の通り、製造原価とは「材料費」「人件費(労務費)」「経費」の三つの部分からなっている。このうち、外部から購入する材料費の推算については、<BOM>(部品表)が基礎データとなる。製品をBOMに展開すれば、各部品(マテリアル)の所要量がわかるから、それに標準単価をかけて合計したものが、その製品の材料費になる。

それでは材料費とならんで原価の柱となる人件費は、どう推算すべきか? これは業種および生産方式によって異なる。たとえば化学産業のようにプロセス生産方式をとる業種では、基本的にオペレーターの数は、製品種別ではなく装置ライン構成に応じて決まる。個別のどの製品について何時間働いたか、というような集計はしにくい。したがって、総生産量の中の比率によって、固定した人件費を配賦することになる。

また自動車部品業界や電子部品業界のように、量産性の強い組立加工生産方式をとる分野では、生産量は製造ラインのサイクルタイムやタクトタイムによってきまる。このタクトタイムは、労働者の行う「繰返し動作」の数や種類に密接に関わっている。右腕を伸ばして部品を1個とる→横に1ステップ移動→左手でボルトをはめ込む→目視確認→・・・といった具合だ。それぞれの単位動作について、何秒かかるかがわかれば、1サイクルの作業時間がわかる。こうしたことを研究し改善するのが、IE(インダストリアル・エンジニアリング)分野におけるタイム・スタディであり、また生産スケジューリングも、工程の標準作業時間をマスタとして計算することができる。。

ところが、製品により個別性の強い業種では、こうはいかない。たとえば造船・航空機・産業機械といった産業である。また、建設業も、現場組立を行う一種の巨大組立加工生産だと考えることができる。こうした製造の現場では、サイクルの閉じた繰返し動作ばかりではない。そもそも、個別受注生産が主であるため、製品ごとの標準構成を決めることが難しい。では、原価推算や生産スケジューリングはどう行ったらよいのか?

そこで登場するのがBOQの概念である。BOQとは、労働時間を左右する作業量の指標である。たとえば、ある程度の量の金属配管を溶接する作業を考えると、溶接箇所や配管径など個別に見れば様々だが、全体の直接工の労働時間は、ほぼ溶接長さの合計に比例することがわかっている。そこで、配管溶接作業では溶接長がBOQの単位となる。配管製作図が決まれば、溶接箇所と径を拾い出して表とし、BOQ合計を算出することができる(溶接長合計は、配管材料の材料費には必ずしも比例しないことに注意してほしい)。

あるいは、電源ケーブル敷設の作業であれば、レイアウトがどうこみいっていようと、直接労働時間はケーブル長の合計にほぼ比例する。すなわち、ケーブル長がBOQの単位である。そこでレイアウト図からBOQ合計を求めれば、作業に必要な労働時間が次の式で計算できる。

「直接工の作業時間」=「BOQ」×「単位BOQあたりの作業時間」=「BOQ」÷「生産性」
タスクの所要期間」=「直接工の作業時間」÷「投入人数」

BOQという概念は、19世紀末に英国で開発されたと言われている。そして、長らく建設業の世界で用いられてきた。しかし、あいにく日本の生産管理では、材料費としての物量と、作業量としてのBOQを区別して用いる習慣がうすい(モノと労働が一体に扱われている)。そのため、いったん生産方式が量産的な枠組みをはみ出すと、うまく製造原価がつかめなくなる現象が生じがちである。

今後、多くの製造業では、総合原価から個別原価へ、そして製品群単位の採算性に注目するPLM(Product Lifecycle Management)の思想が広まっていくと思われる。またこれと平行して、情報システム産業では、期間と進捗にもとづく進行基準原価管理が求められつつある。このような時代において、BOQの概念の重要性はこれからますます高まっていくと考えられる。
by Tomoichi_Sato | 2008-09-21 23:54 | サプライチェーン | Comments(0)

少しずつコントロールのレベルを上げていく

「マネジメント」という仕事を問うと、それは“PDCAのサイクルを回すこと”と答えがすぐ返ってくるくらい、近年PDCAによる継続的カイゼン活動の概念は浸透し、広まっている。PDCAはもちろん、Plan - Do - Check - Actionの略だ。

Plan, do, checkと動詞が三つ並んで、そのあといきなりActionという名詞が来るあたり、なんだか和製英語ではないかという疑いが晴れないが、“いやこれはデミング・サイクルと言って、品質管理で有名な米国人デミング博士の提唱によるもので”などと力説する人も多く、世界共通の概念ということになっている(ちなみにWikipedia英語版のW. Edwards Demingの項を見ると、"also known as Plan-Do-Study-Act or PDSA"とも書いてあって、こちらの方が英語らしく感じる)。

しかし今日の話題は、私のあやしげな英語センスの是非ではなく、PDCA(ないしPDSA)が直接業務からどうdevelopしていくのか、についての考察である。間接業務であるところのマネジメントやコントロールが何も存在ないような、直接ライン業務ばっかしの職場があるとしよう。その地平から、PDCAの4文字が、いかなる順序で、どう立ち上がってくるのか、という問題だ。何も存在しないというのは、むろん、「何も意識されない」という段階である。

そりゃむろん、Do(実行)が最初にあるんじゃないか、というのが当然の意見だろう。だったら私の質問は、Doの次に来るのは何か、と言いかえてもいい。それはPlan(計画)だろうか? 製造業はまず計画ありき、と信じている人たちはそう思うかもしれない。しかし、もう少し具体的にイメージしながら検討してみると、違う像が見えてくる。

たとえば、あなたがパン屋の跡継ぎだったとしよう。先代の親父から店とパン焼き工房を受け継いだ。手伝いの職人と店員が数人ずつ。ところで、あなたは古くさい商品のラインアップを見直し、店のレイアウトもお洒落に少し化粧直しして、次第に売れ行きが増加していったとする。このとき、パン粉をこねたり釜から出し入れしたりする以外に、あなたが工房でやるはずのことは何だろうか?

いま、まだ何も生産のコントロールといえる機能がない状態だ。あなたは漫然と、いつも通りの商品構成で、毎日決まった数量のパンを作り続けてきた。ここであなたは、いきなり生産計画(P)に着手するだろうか? ちがう。まず最初やることは、ときどきパンの焼き上がり具合や、店の商品棚の残りの数を見ることだろう。そして、焼き上がりにムラがあれば材料や釜の温度や職人のやり方をチェックするにちがいない。店に売り切れや売れ残りがあれば、何をつくり何を止めておくべきかチェックするだろう。つまり、貴方が最初にすることは、「チェック」(C)であるはずだ。

次の段階は? あなたはチェックした結果を、ノートか何かに書き付けるだろう。つまり、記録の段階に進むわけだ。これで、後日になっても反省の材料ができる。季節が変わっても、前はどうだったか調べることができるようになる。

さて、あなたはもう少し先に進みたい。お客が喜んで買っていくものをたくさん作るのが、まずは繁盛の秘訣だ。そこであなたは、出来具合や売れ具合を、定期的に、おそらく毎日チェックするようになるだろう。ここでもあなたの仕事は、まだチェック(C)だ。さらに、あなたは定期的なチェック結果を、ノートに記録するようになるはずだ。記録レポートの出現である。

記録レポートのスタイルがだんだんと整ってくると、あなたはパンの出来具合や売れ具合を記録するだけでなく、その数字を元に、明日は何を焼き、来週は何を作るべきか考えて、それをも書き足すようになるだろう。今まで、毎日カンを頼りに、無意識に進めてきたプロセスが、ここで初めて形になって立ち現れる。ようやく計画(P)の始まりだ。

そして、あなたはこの定期的記録レポート(今や記録のみならず計画表も兼ねている)を、自分のスタッフにも見えるところに、センターファイル化するようになるはずだ。そうすれば、あなたが商用で外出している際にも(そう、あなたは今や商売繁盛で忙しい)、右腕の者に代行を任せることができるようになっている。

さらにあなたは--いや、もうよい。とりあえず、ここまでのところを整理してみよう。というのは、多くの製造業の「生産管理」は、じつはこのレベルのところをうろうろしているからだ。

0 なりゆき(何もしない)
1 随時、チェックする(Check)
2 チェック結果を記録する(Check)
3 定期的にチェックする(Check)
4 定期レポートを記録する(Check)
5 定期レポートに翌日の計画を書く(Check-Plan)
6 センターファイルを作る(Check-Plan)

ここにはCが8割と、あとPが2割程度あるきりだ。Dは? パン屋の二代目と違って、たいていの工場の生産管理屋は、自分ではモノはつくらない。それは現場の職工に任せる決まりになっている。つまり、PDCAのうち、Dはあなたの仕事ではない。ついでにいうと、上にかいたCheckという作業は、業務改善をよびおこすための反省作業とは言えない。実際にやっているのは、Monitoring(状況把握)である。

それで、CとAは? これは、もっと先のレベルだ。なぜなら、工場というのは、Aが無くても、M→P→Mで生産のサイクルが回るのである。

まず、M。それから、少しP。これがたいていの工場の生産システムについて行われているコントロールの実態である。私はそれがわるいとか、不十分だ、とか言うつもりはない。それは、当事者が、自分の望むレベルに応じて、決めるべきことだ。誰もがトヨタのレベルに一足飛びになれるわけでもないし、そうすべきとも思えない。ただ、私は「Do」「Check」という言葉の曖昧さが、PDCAサイクルの確立、という錯覚ないし自己幻想を生んではいないかとの懸念を感じる。だから私は、Wikipediaのヒントを借りて、「PMSA」(Plan - Monitor - Study - Act)と、内心、呼ぶことにしているのである。
by Tomoichi_Sato | 2008-08-27 23:53 | サプライチェーン | Comments(0)

生産システム-その目的と機能は何か

最近会った、あるIT系コンサルから聞いた話によると、この頃は顧客が"As-Is"の現状業務フローを描けなくなってきている、という。ご存じの通り、ERPをはじめとする業務管理のための情報システム構築は、現状業務の姿(As-Is)と、あるべき業務の姿(To-Be)を考えるところから出発する。業務が現状どうなっているかは、ふつう顧客自身がよく知っており、業務フローの描き方さえ説明すれば、顧客が自分で作成できる、というのがこれまでのやり方だった。

「ところが、業務の一部にレガシー・システム(既存の古い情報システム)が組み込まれているのに、誰もその内部のロジックをきちんと理解していないケースが多いんです。」と、彼は言う。「開発した担当者も退職していたりする。だから、何がどうなると、自動補充オーダーがかかるのか、どこをどう押すと、在庫引当にロックがかかるのか、よく知らないまま、習慣で業務を流していたりします。これを改善するのは容易じゃありませんよ。」

私たちは、職務分担によって細分化された機能組織の中で働いている。分業の壁のために、受注から出荷までの生産業務の大きな流れが見えにくくなっている。その上、担当する現業すら完全には理解できないとしたら、自社の生産システムの全体像など、分かるわけがない。『群盲、象をなでる』の状況に近いといえよう。

以前、私はこのサイトで、日本の製造業が共通に抱える問題点について、『特別な我が社』(「考えるヒント」2001/2/03) の中でこう書いた。

(業種ごとの特殊性にもかかわらず)日本の製造業が抱えている問題点というのは驚くほど共通性が高い。それは、非常に圧縮した形で表現するならば、『大量・見込生産の体制を残したまま、多品種少量の受注生産に移行しようとしている』ということになる。だから調達から販売までのサプライチェーンのあちこちで、プルとプッシュが混在している。

それからもう7年半もたつが、私の考え方は基本的にかわっていない。では日本の製造業を取り巻く状況の方はどうかというと、不況のトンネルはいったん抜け出したものの、問題点はまだ残ったままだ。むしろ工場の海外展開が広まった分、プッシュとプルの混乱は拡大したとも言える。トヨタ生産方式は多くの会社が導入を試み、現場改善に関しては一定の成果を得たが、受注から出荷までの全体改善としては、必ずしも成功していないように思える(『あなたの会社にトヨタ生産方式が向かない五つの理由』タイム・コンサルタントの日誌から 2008/06/30参照)。

どうしてこうなってしまったのか。それは、我々が自社の生産システムというものを、全体像としてはっきり把握できなくなっているからだ。

私はここで、「生産システム」という語を意識して使っている。JIS の定義では、「システムとは、多数の構成要素が有機的な秩序を保ち、同一目的に向かって行動するもの」(JISZ8121)である。製造業において生産という目的を達成するための統合された仕組みは、まさにこの定義に当てはまる。生産システムは、要素としては、人々と、製造機械と、作業空間(建築)と、そして情報をやりとりするための仕組み(ITシステムや帳票類)から成り立っている。

私が「生産システム」といい、あえて「工場」や「製造部門」などの語を使わない理由は、この方が“機能を持つ仕組み”として意識しやすいからである。我々会社員は、ともすると「組織」や「工場」を恒久的な実体概念として考える傾向がある。これらは会社員としての身分・地位に直結するからだ。しかし、本来、会社組織とか、工場建屋や製造装置などのもろもろは、道具でしかない。機能にフィットするよう、デザインすべきだし、もしもうまくフィットしなければ、デザインしなおすべきものである。

では、その生産システムの機能とは、何か。それは「需要情報というインプットを、製品というモノに変換してアウトプットする」ことである。そのための副次的なインプットとして、原料・部品と用役・副資材などを利用する。

ここで大事なことは、需要情報が主要なインプットである、と理解することだ。これは、高度成長期の見込生産のころの考え方、古き良き時代の「工場」像とはずいぶん違う。昔は、「工場とは原料・部品のインプットを、製品に製造して出荷する仕組みである」というセンスだった。ここには需要情報がない(影が薄い)ことに注目してほしい。作れば売れる時代には、需要情報は重要ではなかったのだ。供給が需要を作り出したからだ。

現代は、もはやそうではない。物不足からモノ余り時代に突入し、市場における競合相手がたくさんいる状況では、生産は需要に同期することが求められる。だからメインのインプットは需要情報なのである。これはすなわち、ほとんどの業種が、今や「受注生産」の形態になってきていることを意味している。家電や一般消費財のような典型的見込生産品でさえ、チェーンストアの毎週めまぐるしくかわる出荷要求に応じて製造することを求められる。

であるとすれば、これに対応する生産システムも、またリデザインされなければならないはずである。当然、その全体像を理解できる人が必要である。理解できないものは、改善できない。だが、それはいったい誰なのだろうか。ミクロを積み上げても、マクロにはならない。「各人がその持ち場で最善を尽くせば、会社全体も良い結果を得る」という局所最適と分業の論理に、ながらく私たちは慣らされすぎてきた。今こそ必要なのは、『生産システム全体のアーキテクト』の登場なのである。
by Tomoichi_Sato | 2008-08-04 22:29 | サプライチェーン | Comments(0)