<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<?xml-stylesheet href="/assets/xslt/rss.xsl" type="text/xsl" media="screen" ?>
<rss version="2.0"
     xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
     xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
     xmlns:admin="http://webns.net/mvcb/"
     xmlns:rdf="http://www.w3.org/1999/02/22-rdf-syntax-ns#">
  <channel>
    <title>タイム・コンサルタントの日誌から:E4 ビジネスのソフト・スキル</title>
    <category domain="http://brevis.exblog.jp/i39/">E4 ビジネスのソフト・スキル</category>
    <link>http://brevis.exblog.jp</link>
    <description>タイム・マネジメントとSCM専門家のエッセー・批評・考察集</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
    <dc:rights>2025</dc:rights>
    <pubDate>Wed, 31 Dec 2025 11:07:45 +0900</pubDate>
    <dc:date>2025-12-31T11:07:45+09:00</dc:date>
    <sy:updatePeriod>hourly</sy:updatePeriod>
    <sy:updateFrequency>1</sy:updateFrequency>
    <sy:updateBase>2013-06-01T12:00:00+00:00</sy:updateBase>
    <image>
      <title>タイム・コンサルタントの日誌から</title>
      <url>https://pds.exblog.jp/logo/1/200508/25/47/e005844720050825233346.jpg</url>
      <link>http://brevis.exblog.jp</link>
      <width>80</width>
      <height>60</height>
      <description>タイム・マネジメントとSCM専門家のエッセー・批評・考察集</description>
    </image>
    <item>
      <title>問題解決への出発点とは</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/30196826/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/30196826/</guid>
      <description><![CDATA[優れたプロマネはどんなタイプか<br />
<br />
<br />
<br />
 「プロジェクト・マネージャー」という職種のイメージは、人によってまちまちだ。ある時、職場で専門誌の記者に取材を受けていた。会社の総合受付を見下ろす場所の会議室で、沢山の人が出入りするのが見える。しばらく話した後、帰りがけに、その記者はいった。「あんまり、プロマネ的なタイプの人を見かけないですね。」<br />
<br />
<br />
 ーーえ、そうですか？　と、わたしは聞き返した。プロマネ・タイプって、どんな人を想像されていますか。<br />
<br />
<br />
聞いてみて分かったのだが、この人はプロマネというと、赤ら顔で、声が大きくて、威嚇的な態度をしていて、すぐに他人を怒鳴りつけそうな、いわゆる「現場監督」タイプの人だと思っていたようだ。そういう人がわたしの勤務先にゼロだとは言わないが、決して多くないし、プロマネには少ない。<br />
<br />
<br />
わたしの知る限り、エンジニアリング業界で優秀なプロマネとして知られる人たちは、海外企業を含め、例外なく紳士的である。知的で、物腰柔らかく、相手の話をちゃんと聞く。相手の話も聞かずに、いきなり怒鳴り倒すような人はめったにいない。<br />
<br />
<br />
そもそもプロマネの仕事は、自分たちの目的を達成するために、人に働いてもらうことだ。怒鳴りつけるだけでは、他人は望むとおりに動かない。人びと（それも多くの人びと）に、自発的に動いてもらうためには、相手と共通目的を持っていて、協働意識のもとで働いてくれるよう、コミュニケーションしなくてはならない。<br />
<br />
<br />
この人と一緒だったら安心でき、この人について行けば、良い事がある。そう、皆に感じてもらわなければ、プロマネはつとまらない。だから、紳士的な物腰が必要になるのだ。むろん、柔らかい態度と、優柔不断は別である。決めるときはちゃんと決め、主張すべきときは主張する。丁寧な言語だが、少し考えると結構手厳しい内容のことも、言う。タフな交渉者だ。<br />
 <br />
<br />
<br />
<br />
ある交渉の現場から<br />
<br />
<br />
<br />
昼下がり、あるベンダーのオフィス。チーム・メンバーでの打合せを終えて、帰国便に向かう前に、わたしは相手側のプロマネの個室に招かれ、机をはさんで座った。儀礼的なあいさつを交わすと、先方ほこう切り出してきた。<br />
<br />
<br />
「さて、ミスタ・サトウ。あなたは、午前中のミーティングで、これこれこんな風におっしゃった。我々の見解は、しかし、こうです。あきらかに、我々の間にはギャップがありますね。」<br />
<br />
<br />
——うん。そのようだね。<br />
<br />
<br />
「じゃあ、このギャップをどう埋めるか、一緒に考えませんか？」<br />
<br />
<br />
 ——いいですよ。<br />
<br />
<br />
出発便までに残された時間は、約1時間ほど。このタイミングをつかまえて、先方は、わたしにネゴをかけてきた訳だ。目の前に居るうちに、発注者である我々から、何らかの譲歩を引き出したいのだろう。わたしも懸案事項を残したまま、本社に戻りたくない。ポイントは、我々が持ち出した新しい要求事項にあった。<br />
<br />
<br />
 ——ダン。今回の件についてだったら、我々は妥協するつもりはないですよ。<br />
<br />
<br />
「まあ、そう結論を急がないでください。わたし達はお互い、この仕事をうまくやり遂げたいし、納期通りに御社の客先に収めて、満足していただきたい訳です。いや、もう少し率直に言えば、あの治安の不安定な国の現場に、あまり長くエンジニアを貼り付けておきたくないのです。そこは、御社も同じじゃあないですか？」<br />
<br />
<br />
——そりゃあ、もちろんそうです。<br />
<br />
<br />
「だったらお互い、どうすれば一番早くシステムを納品できるか、考えてみませんか。今回の仕様を追加すると、新規のハードの調達を含めて、10週間も納期が延びることになります。我々のシステムだけでなく、御社のプラントの立ち上げ納期にも影響が出るでしょう」<br />
<br />
<br />
——それはもちろん、こまる。何とか急げませんか？<br />
<br />
<br />
「ハードの外部調達期間は、ご承知の通り我々ではコントロール不能です。これが6週間はかかります。その後の実装・調整・試験が4週間ですが、人数を投入しても3週まで縮められるかどうか。そして我々の客先との、出荷前の工場立会検査もリスケジュールが必要です。」<br />
<br />
<br />
——リスケはお互い、客先からの信用をなくすから、避けたい。・・そうだ、御社の手持ちのハードを、いったん出荷前検査まで借りられないですか？　客先サイトへの最終納品時には、本物のハードを納めることにして、工場検査は代替機でしのぐ、と。実装調整だって、手元の代替機だったら早く始められるでしょう。<br />
<br />
<br />
「まあ、代替機を借りられるかどうか、工場にチェックしてみましょう。ただ、いずれにせよ調整試験の時間が必要で、1-2週ほど遅れますが。」<br />
<br />
<br />
 ——出荷前試験はどうせ2週間以上かかるんだから、この仕様のテストは最後に持っていきませんか？　そうすれば試験期間も並行して作業できるでしょう。<br />
<br />
<br />
 「考えてみましょう。たしかに、それならなんとか納期は守れます。ただ、代替機の貸与も含めて、金額的なインパクトは残りますが」<br />
<br />
<br />
——わかってますよ。そして、時刻同期はMESの基本仕様だ、追加ではない、というのが我々の理解です。しかし金額については、他の追加請求も含め、後で再度話すことにしませんか。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
 <br />
説得力の不等式：意見 ＜ 事実 ＜ 数値的な事実<br />
  <br />
<br />
<br />
前回の記事「おじさん的議論に負けないために」(https://brevis.exblog.jp/30189360/) で、わたしは、プロフェッショナルな議論の対極を、『おじさん的議論』と名付けて紹介した。おじさん的議論（じっさいには男女・老若の区別なく陥りがちなのだが）の特徴とは、定性的・実感的で、かつ、妙に断定的なことだと書いた。言っている本人は自分で納得しているのだが、相手を説得できているかはお構いなしである。<br />
<br />
<br />
では、説得力とは何で決まるのか。ネゴシエーションの能力とは、すなわち説得力に他ならない。では、それはどうしたら構築できるのか。<br />
<br />
<br />
これについては以前、「なぜ事実と意見を区別して話すべきなのか」(https://brevis.exblog.jp/21221308/) (2013-10-20)で取り上げたことがある。かなり前の記事なので、もう一度、再掲させていただこう。こんな対話があったとする：<br />
「中東の社会って、女性の地位が低いのよ。」<br />
「本当かい。たとえば？」<br />
「サウジアラビアじゃ、女性は車の運転さえ禁止されているのよ！」<br />
「でもサウジでは、高級車レクサスの所有者の6割は女性だそうだよ。」<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202212/15/47/e0058447_06463005.png" alt="_e0058447_06463005.png" class="IMAGE_MID" height="325" width="500" /></center>最初の発言「中東の社会って、女性の地位が低いのよ」は、意見（推測）の陳述である。正しいかもしれない。正しくないかもしれない。ただ、ここには主観的な印象や、そうした社会への評価感情、そして同意への期待などが込められている。同意するの？　しないの？　という訳だ。<br />
<br />
<br />
<br />
それに対して、「サウジアラビアじゃ、女性は車の運転さえ禁止されているのよ」という発言は、検証可能な事実だ。これが正しいか、正しくないかは、調べてみれば分かる。そして調べてみれば、この発言は昨年までは正しかった事がわかる（今年、法律が改正されて、ようやく女性の運転が解禁された）<br />
<br />
<br />
そして「サウジでは、高級車レクサスの所有者の6割は女性だそうだよ」という発言は、数値的な事実である。この数字自体は、わたしが10年前にサウジのトヨタ系ディーラーの幹部から聞いたものなので、今はもう変わっているかもしれないが、こちらはより精度の高い事実を表している。そして、自分でハンドルは握れなくても自動車は所有でき、そうしている女性が実は多いことも分かる。<br />
<br />
<br />
中東におけるジェンダー不平等を論じるのが当サイトの目的ではないので、これ以上の議論の深入りはしない。ここで言いたいことは、相手への説得力は以下の順に大きくなる、という不等式だ。<br />
<br />
<br />
『意見』＜『事実』＜『数字に基づく事実』<br />
<br />
<br />
 <br />
<br />
<br />
交渉とは問題解決のための共同作業だ<br />
<br />
 <br />
<br />
意見とはなにか。それは、主観的な判断、推測・印象、良し悪しの評価、自分の損得や優劣といった事柄を含む。こうしたものは、人によって変わりうるからだ。変わりうる物事は、無条件に同意しにくい。<br />
<br />
<br />
事実とは、すなわち検証可能な叙述である。むしろ、検証可能な形で述べたものが事実だと言っても良い。検証は、客観的なもので、第三者に頼みうる。<br />
<br />
<br />
そして数値に基づく事実が、もちろん、もっとも強い。「うちのお父さんは背が高い」は、事実かもしれないが、背が高いとはどこからを言うかで、多少、議論の余地がある。だが「うちのお父さんは背丈が182cmある」となると、議論の余地はない。<br />
<br />
<br />
議論の余地が大きいほど、言い合いの種になりやすい。だから、交渉は数値的な事実に基づく事実認識から出発する、が定石なのである。上の会話で、「仕様追加は10週間の納期インパクトが有る」と相手が言っているのは、そのためだ。10週は、検証可能である。<br />
<br />
<br />
そして、その点に入る前に、相手が「納期を短くするのが共通の利益だ」と言った点に注目してほしい。共通目的の再確認から、入る。ここは合意しやすい。次に、事実認識から出発する。ここで数値的な事実を述べる。そして両社が共通認識の土俵に立った上で、解決案を模索するのである。<br />
<br />
<br />
交渉のネタとなる問題は、たいてい、性能・金銭・納期・信用など、さまざまな側面を持っている。1つのモノサシ（たとえば金銭）だけに着目し続けると、ゼロサムゲームに陥ってしまい、解決不能な水掛け論に陥る。だから解決可能な面から、先に考える。こう考えると、上の会話での相手方の進め方は（実際はもっと込み入っていたが、要点だけを簡略化した）、じつに交渉の定石をふまえたアプローチだったと感じる。<br />
<br />
<br />
「ネゴシエーションとは、共同の問題解決である」という見方を初めて知ったのは、『ハーバード流交渉術』(https://amzn.to/3HIFekO) という本だった。ただ、もっと前から言われていたことなのかもしれない。交渉を、金銭を巡る単なる綱引きだと考えると、工夫の余地の少ない、力自慢の場になってしまう。それを、もっとプロフェッショナルな、知恵を駆使する議論の場にすることもできるのだ。<br />
<br />
<br />
そして話は交渉に限らない。協力して問題解決に当たる場合、大事な出発点は、客観的な事実認識の共有なのである。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「おじさん的議論に負けないために」 (https://brevis.exblog.jp/30189360/) (2022-12-05)<br />
<br />
　→「なぜ事実と意見を区別して話すべきなのか」(https://brevis.exblog.jp/21221308/) (2013-10-20)<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 14 Dec 2022 17:45:30 +0900</pubDate>
      <dc:date>2022-12-14T17:45:30+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>ネゴ（交渉）が苦手な人のために(2)　〜　解決策のビジョンを導く3 x 3の質問</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/29573650/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/29573650/</guid>
      <description><![CDATA[交渉（ネゴ）は苦手だ、と悩む人は多い。しかし、わたし達が組織や社会で仕事をしている限り、上司や顧客・周囲の人などへ、自分の意見への合意や理解を求める場面は、数多い。自分のアイデアを理解してもらう事は、広い意味のセールス（売り込み）であり、交渉の一種である。そしてもちろん、相手の人達から、何らかの譲歩を取りつける必要だって、しばしばあるだろう。 <br />
<br />
<br />
わたしは大学や社会人相手に、プロジェクト・マネジメントの授業や研修を行うとき、できるだけ「交渉」に関するレクチャーを入れることにしている。プロジェクトを進める際には、必ず交渉の場面が出てくる。交渉能力は、プロマネの能力の重要な一部だ。だから拙著『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』 でも、交渉の練習をする場面を入れている。 <br />
<br />
<br />
だが、ネゴシエーションの技法や、交渉の戦略論を教えてくれる大学の授業は、滅多にない。だからたいていは、素人同然のまま社会に出てくる。先輩だってちゃんと教えてくれないし、実は教えるようなテクニックももっていなかったりする。仕方なく、見よう見まねで、ネゴに向かうことになる。これが海外相手のプロジェクトだと、向こうは交渉に百戦錬磨だったりするから、まあ結果はいうに及ばずである。 <br />
<br />
<br />
かといって、交渉の場面を避け続けると、どうなるか。自分がどんなに優れたアイデアを持っていても、その賛同者を得ることができないだろう。賛同者がいなければ、実現の可能性だっておぼつかない。まして、もっと具体的な交渉、たとえば追加費用の交渉などから逃げ続ければ、当然、赤字という結果に陥るだろう。 <br />
<br />
<br />
そうなれば、自分の評価・査定が下がってしまう。重要なポジションにつけなければ、面白い仕事にかかわるチャンスだって回ってこなくなる。そういう仕事にありつけるのは、陽気で押しの強い口達者な性格の奴だったり、あるいは生まれつき、他人や上司との交渉に長けた連中だったりする。能力や知識や技術でなく、持って生まれた「性格」が、チャンスを射止めるのだ。組織って、それでいいのだろうか？ <br />
<br />
<br />
それでいいじゃないか、とお思いの方は、この先の文章など読む必要はない。何せ、生まれつきで十分だという、ご意見である。いや、それではまずい、と考えられる方のみ、続きを読まれたい。交渉には方法論があり、ネゴの能力はトレーニング可能だ、という風に、わたしは考えるからだ。 <br />
<br />
<br />
そこでまず、基本的な理解からはじめよう。交渉（ネゴシエーション）とは、相手と共同で進める問題解決プロセスである。ここをまず、よく認識したい。 <br />
<br />
<br />
交渉とは、対決でも口喧嘩でもなく、「知的なレスリング」でもない。もちろん知的な相撲でもない（「知的な相撲」ってのがどんなものか、うまく想像できないが）。要するに、勝ち負けのかかった対立confrontationではない、という事だ。 <br />
<br />
<br />
ネゴは対決勝負だ、と考えるから、どうしても緊張感で、および腰になってしまう。でも、最初から逃げ腰では、よい交渉はできない。そうではなくて、これは相手側との共同作業だ、ととらえる。 <br />
<br />
<br />
相手と自分の間に、認識のギャップがある。越えるべき問題点がある。それを明らかにして、一緒にギャップを埋める解決法を探る。それが交渉なのだ。そう考えれば、ケンカが嫌いで平和主義のあなただって、まずは一緒にテーブルに座ろうかという気持ちになるだろう。 <br />
<br />
<br />
こちらが知っている事で、相手が理解していない事がある。その認識のギャップを埋めるためには、まず、相手のペイン（悩み）を推測し、把握する事からはじめるべきだ、と前回の記事で書いた。 <br />
<br />
<br />
ところで、顧客のニーズには、三段階がある。(1) 隠れたペイン → (2) ペイン → (3) 解決策のビジョン、の三つだ。そして、第1段階の『隠れたペイン』を、第2段階の『ペイン』に意識化して格上げするためには、「その悩みは解決可能である」という希望をもってもらうことが大事だ、と書いた。 <br />
<br />
<br />
次に、相手に、ペイン（問題）の解決は、「こうすればいい」とのビジョンをもってもらう。つまり、第2段階の『ペイン』を、第3段階の『解決策のビジョン』まで持って行く訳だ。そのビジョンには、自分が売りたいアイデア（ソリューション）が組み込まれている必要がある。 <br />
<br />
<br />
そのためには、どうしたらいいか。 <br />
<br />
<br />
前回紹介したボズワースは、３つのステップからなるプロセスを紹介している（『ソリューション・セリング』第2部）。それぞれのプロセスは、質問からなっている。プッシュ型の（押しつけがましい）相手への説明ではなく、プル型の（相手に主導権を持たせる）質問である点に留意されたい。 <br />
<br />
<br />
第1ステップ：「問題点の認識」（原因の特定） <br />
<br />
<br />
ここでは、まず、相手がペインと意識した問題点について、相手の思考と説明をうながす。そして、その問題点の原因は何かをたずねて、特定する。 <br />
<br />
<br />
第2ステップ：「影響の認識」（組織の力関係とビジネスケース） <br />
<br />
<br />
次に、そのペイン（問題点）が与える影響について、たずねる。質問の目的は、二つある。一つ目は、相手以外にも共通する悩みである事を、再認識してもらうと共に、そもそも一番解決を欲しているのは誰で、またその決定権を持つのは誰かを、探り当てる事だ。これは特に、社外の誰かと交渉するときに、重要だ。 <br />
<br />
<br />
そして二番目の目的は、影響を金銭的に評価してもらうこと。これにより、どれくらいの改善効果が見込め、逆にどれくらい問題解決に投資できるかを探る。会社では、何かのアイデアやソリューションを導入する場合、出費を正当化するために、投資対効果を求められることが多い。この投資対効果を説明したものを「ビジネスケース」ともいうが、影響に関する質問で、逆に相手が負担できる予算感を探れるのだ。 <br />
<br />
<br />
第3ステップ：「解決策の構築」（解決行動の所在） <br />
<br />
<br />
ここでようやく、問題解決の方向性について、質問する。ただしまだ、自分が売り込みたいアイデアや商品の名前は、出さない。最初の質問で確認した問題原因を、こんな風に解決できたら、2番目の質問で聞いた影響まで抑え込めるかどうかを、たずねる。これが、相手の意識の中での「解決策のビジョン」になる。同時に、問題解決のための行動が、相手側にある事も、自覚してもらう。 <br />
<br />
<br />
ビジョンを構築できたら、ようやく、ソリューション名やアイデアの中核を説明できるタイミングになる。相手のビジョンが明確になるまでは、質問だけで、説明を急がない。これが大事なところだ。誰も、自分で考えたことでなければ、実行できないのだ。 <br />
<br />
<br />
<br />
<br />
これだけでは分かりにくいと思うので、例を挙げて説明しよう。あなたは今、新しいタイプの社内コミュニケーション・ツールを導入したい、と考えている。説得の相手は社内関係部門のマネージャー層だ。あなたはすでに会話を通じて、相手が現在のEメールに問題（ペイン）がある、と意識してもらうところまでは、こぎつけた。次は、上記の3ステップだ。 <br />
<br />
<br />
——そうすると、現在の、Eメール中心の連絡のやりとりは非効率だと感じておられるのですね。なぜ非効率なんでしょう？ <br />
<br />
<br />
「まず、保存期間の問題がある。それに、検索機能がいまいちだ。でも、一番の問題は、応答のスレッドが分かりにくい事じゃないかな」 <br />
<br />
<br />
——一応、スレッド表示の機能もありますが、たしかに自分もあまり使っていません。何が足りないんでしょうか。 <br />
<br />
<br />
「結局ね、社内連絡の目的は、通知か、依頼か、依頼への回答じゃないか。ところがEメールって、依頼したアクションがクローズされたのかどうか、一目で分からない。開封確認だけでは、相手がよんだかどうかも不確かだし。」 <br />
<br />
<br />
——確かにそうですね。つまり、今のEメールとスレッド表示機能だけでは、社内へのアクション依頼と回答のステータスが分かりにくい、と。それって、問題を引き起こしていますか？ <br />
<br />
<br />
「連絡の不徹底が生じる。たとえば、設計で何らかの変更が発生したとき、それを関連部門に通知するよね。ところが、変更のフォローがちゃんと完了したのかが見えない。うっかりすると、その古い情報のまま、下流部門やサプライヤーに指示が流れたりする。」 <br />
<br />
<br />
——なるほど。つまり、変更通知のトレーサビリティがとれない、ということですね。 <br />
<br />
<br />
「そのとおり。」（注：ここまでが第1ステップ） <br />
<br />
<br />
——だとすると、依頼のステータスが分かりにくいことで、社内では他にも影響を受けている部門がありそうですね？ <br />
<br />
<br />
「当然だよ。設計部門だけじゃない。購買部門だってそうだし、営業だってそうだ。」 <br />
<br />
<br />
——範囲は広いですね。上の方、つまりマネージャー層はどうですか？ <br />
<br />
<br />
「誰が誰に何を頼んだかが分かりにくいから、部下のワークロードがつかみにくいのも問題だね。」 <br />
<br />
<br />
——それって結局、プロジェクトの混乱をまねきませんか。 <br />
<br />
<br />
「大いに招くね。知っての通り、ウチの某プロジェクトで、数千万単位の赤字を出したばかりで、事業部長がカンカンだ。あれだって結局、連絡の行き違いからトラブルに発展したっていわれている。」 <br />
<br />
<br />
——なるほど、コミュニケーションの行き違いの問題は深刻ですね。（ここまで第2ステップ） <br />
　ところで、社内のオフィシャルな通知や依頼・回答などの連絡ができて、そのステータスが整理して表示されるような方法があったら、この問題は解決しますか？」 <br />
<br />
<br />
「するだろうね。でも、それは、今のメールシステムを改造するってこと？」 <br />
<br />
<br />
——パッケージソフトですから、勝手な機能改造はムリでしょう。Eメールとは別のツールが必要かも知れませんが、問題はあるでしょうか？ <br />
<br />
<br />
「保存や検索の制約さえなければ、それもありかもしれないな」 <br />
<br />
<br />
——保存期間に制限がなくて、かつ、ちゃんと全文検索がきくならOKということですか？ <br />
<br />
<br />
「そうだね。」 <br />
<br />
<br />
——そういうツールがあったら、そちらの部門で使っていただけますか？ <br />
<br />
<br />
「試すくらいなら、いいだろう。」（ここまでで第3ステップ） <br />
<br />
<br />
ここまできで、はじめて、あなたは自分が導入したいと考えている新しいコミュニケーション・ツールの概要と、そのベネフィット、そして既存のEメールと比べたアドバンテージなどを説明できるのである。 <br />
<br />
<br />
<br />
<br />
なお、ボズワースは、各ステップで、相手をしずかに（押しつけがましくなく）誘導するために、三種類の質問形を使い分けろ、といっている。それは、 <br />
<br />
<br />
(1) 発想のためのOpen question: 「何でしょうか？」「どう思いますか？」といった、自由回答を求める質問 <br />
(2) 誘導のためのControl question: 「Aですか、Bですか？」のような、選択肢を限定した質問 <br />
(3) 確認のためのConfirmation: 「Aですね？」という、同意を求める質問 <br />
<br />
<br />
質問は、この順に、誘導的ないし強迫的になる。したがって、質問のエチケットとして、必ず、(1)→(2)→(3)の順に従え、という。 <br />
<br />
<br />
つまり、全体のプロセスは3ステップからなり、各ステップは3種類の質問から構成されるため、９つの質問で、相手と対話する事になる。ボズワースはこれを、縦横3 x 3の箱で表現して、「ナイン・ボックス法」とよんでいる。そして最初のうちは、手に持ったメモか、頭の中のイメージで、この9つのボックスを見ながら、会話を進める練習をすべきだとしている。非常に具体的、かつ実践的なアドバイスである。 <br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202106/26/47/e0058447_22581975.jpg" alt="_e0058447_22581975.jpg" class="IMAGE_MID" height="346" width="500" /></center><br />
読者諸賢も、交渉が上手になりたいとお考えだろうか？　苦手な理由は何だろうか。それは、メソッドを知らず、練習が足りないから、かもしれない。 <br />
<br />
<br />
そして、交渉が苦手であることの影響はあるだろうか？　もしかしたら、業績が上がらない、あるいは評価されない一因だと疑っておられるのでは？　それどころか、組織の成果にも影響が出て、利益を2-3割くらい損している、といったことは起きていないだろうか。 <br />
<br />
<br />
では、解決策は？　もちろん、自分が上手になるしかないはずだ（だって、部下にやらせたら、上司たる自分の立場が弱くなるのが、会社組織だから）。そのためには、交渉（ネゴ）の具体的なメソッドを学ぶべきではないだろうか。 <br />
<br />
<br />
前回の記事でも書いたとおり、わたしの先輩であるKさんは、ここで説明した技法を学び、実践を通して練習し、そしてセールスにおける一流の能力を身につけていった。繰り返し書くが、Kさんは高学歴の技術者である。だが、ゼロから交渉を学ぶ必要があると考え、それを実行したのだ。 <br />
<br />
<br />
この際はっきり言うけれども、日本では、高学歴の人は知識は豊富でも、交渉はむしろ下手なことが多い。交渉なんかしなくても、社会が優遇してくれたからである。そういう人達が産業界をリードしてきたから、わたし達の社会は今、こんなていたらくなのではないか。 <br />
<br />
<br />
コロナ後の社会はむしろ、知識ばかり豊富な高学歴な人よりも、自分の頭で「考える人」が逆転し、有利になれる世の中になるだろう。そうあってほしいと願っている。交渉（ネゴ）とは、すなわちリーダーシップの発揮である。リーダーシップとは、自分が命令できない相手を動かす力だからである。 <br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞ <br />
　 (2021-06-19) <br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 26 Jun 2021 23:06:33 +0900</pubDate>
      <dc:date>2021-06-26T23:06:33+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>ネゴ（交渉）が苦手な人のために　〜　顧客のペインを推測する</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/29565408/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/29565408/</guid>
      <description><![CDATA[Kさんは、わたしの大学の1年先輩である。大学院では同じ研究室で過ごした。Kさんは大手メーカーに就職し、地方の工場勤務からキャリアをはじめた。後に研究開発部門にうつり、社会人ドクターも取得したが、ある時、転職して外資系のベンチャーに入った。そこは優秀な技術を持っており、数年後に、もっと大手の外資系企業に買収された。当然、小さな日本法人も、その大手の日本支社に吸収合併されることになる。 <br />
<br />
<br />
このような状態で、その会社に働き続けるかどうか、先輩は迷ったらしい。大学時代の恩師に相談したところ、意外な助言を受けた。「君は営業マンになれ。外資系企業では、研究開発は結局、欧米にある本社の仕事だ。現地では、ローカライズやサポートが技術者の仕事に過ぎない。それでは上にあがれない。上がらなければ、面白い仕事もできないだろう。もし日本支社で上に上がりたかったら、セールスで実力を見せるしかない。」 <br />
<br />
<br />
繰り返すが、この人は博士号も持っている、生粋の技術者だ。それなのに恩師は、生き残りたかったら、営業の仕事をしろと言う。先輩は結局、この助言に従うことを決めた。そして本当に頭角を現し、この会社の日本支社長まで上り詰めた。 <br />
<br />
<br />
Kさんは人当たりの柔らかい、温厚で誠実な人だ。だが、いわゆる典型的な「営業マン」タイプではない。根っからセールスの才能に恵まれている人とは思えない。わたしは久しぶりにお目にかかったときに、思い切って、「セールスに成功する秘訣とは何ですか？」、とたずねてみた。というのも、わたし自身、仕事の限界というか、自分の殻を破って成長するためには、他人と交渉する能力が必要だと感じていた時だったからだ。 <br />
<br />
<br />
といっても、別にわたしが何か特定の商品を、誰かに売ろうとしていた訳ではない。わたしが「売り」たかったのは、自分の提案、ないしアイデアだった。相手は顧客であり、社内でもある。わたしは受注型プロジェクトの仕事をずっとしてきて、その途上では、顧客の追加要求だとか気まぐれな好みだとかに、しばしば振り回される。そのまま従うと、納期やコストにインパクトが出る。そこで対案を考えて、社内の合意を取り付け、顧客に提示して説得しなければならない。つまりネゴ（交渉）である。 <br />
<br />
<br />
世の中にはネゴが得意で、交渉が大好きな人も、たまにはいるのだろう。だが身の回りを見ても、わたし自身も、それほどではない。もちろん仕事で必要だから、交渉はする。だが、顧客の説得がもっと上手だったらなあ、といつも思っている。 <br />
<br />
<br />
さらに、受注プロジェクトの現場を離れてからも、説得の機会は減らない。たとえば社内のIT系プロジェクト。あるいは業務改革の提案活動。いずれも社内ユーザの仕事のやり方に変化をもたらす。当然、当事者の同意が必要になる。そして大抵の人は、慣れたやり方を変えたがらない。その相手に、こういう新しいやり方のほうが、会社全体としてはメリットが有るはずなんです、と説得しなければならない。 <br />
<br />
<br />
英語では、こういうとき、自分のアイデアを『売る』（sell）と表現する。すごく直接的な言葉だが、核心をついている。人を説得し、自分の提案に同意してもらう。それは、アイデアの販売であると、彼らは考える。だとすると、わたし達が何かを「売り込み」「営業する」機会は、思ったよりもずっと多いことになる。だから、わたしは先輩に、営業の秘訣を訪ねたのである。 <br />
<br />
<br />
するとこの先輩の答えは、とても意外なものだった。「米国のセリングに関する本で理論と手法を学び、そのまま実践した」と。理論と手法！　さすが理論派の技術者だとは思ったが、ふつう、セールスは人間系のスキルが決め手だと言われている。対人関係とか、熱心さとか誠実さとか、さらには根性とか。誠実さや根性がスキルなのかどうかは、かなりあやしいが、とにかく「文系」的な価値観が支配する世界だ。それなのに理論とは。 <br />
<br />
<br />
納得できない顔のわたしに、先輩は説明した。「ぼくが売るのは、ケータイやクルマみたいに、目に見える製品じゃない。目に見えないソフトウェア、つまりソリューションだ。『提案型営業』と言ってもいい。だから、ちゃんとした売り方の方法論が必要だ。」 <br />
<br />
<br />
そして先輩が紹介してくれたのが、『ソリューション・セリング』（M・ボスワース著）という本と、そこに書かれているエッセンスだった。とくに、顧客のペインをつかむ事の重要性を、教えてくれた。 <br />
<br />
<br />
著者ボスワース（と訳されているが、ボズワースと濁るのが正確な発音かと思う）は、顧客のニーズは3段階からなる、というモデルを考える。それは、 <br />
(1) 隠れたペイン <br />
(2) ペイン <br />
(3) 解決策のビジョン <br />
である。 <br />
<br />
<br />
そして、提案型営業（ソリューション・セリング）とは、顧客のニーズを(1)→(2)→(3)と掘り起こして導いていくプロセスで、これを経ずに、いきなり何かの「解決策」を提示しても、相手はそれを必要とは思わない、という。 <br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202106/19/47/e0058447_22555265.jpg" alt="_e0058447_22555265.jpg" class="IMAGE_MID" height="303" width="500" /></center><br />
<br />
<br />
たとえば（と、ボズワースは例を挙げる）ウォールストリート・ジャーナル朝刊に、「ジェネテック社が男性の禿げの遺伝子の分離に成功した。5年以内に米国男性のハゲという問題は解決するだろう」という記事が載ったとする。 <br />
<br />
<br />
頭のてっぺんの髪が薄くなってきている自分にとって、薄毛は問題（ペイン）だ。だが、解決方法がないとあきらめて、意識にはのぼらせてこなかった。つまり、「(1)隠れたペイン」だったのである。しかし、この新聞記事をよんで、にわかに「(2)ペイン」として意識化される。 <br />
<br />
<br />
もちろんまだ、この段階では、そのジェネテック社の新薬を買うとは決めていない。安全性も、値段も未知数だ。だが、この問題は意識化され、活性化された。そして解決策を真剣に考えはじめている。 <br />
<br />
<br />
「(1)隠れたペイン」と「(2)ペイン」の違いは、『希望』である。わたし達をとりまく問題は数多い。仕事でも、プライベートの生活でも。だが、人はあまり多数の事柄を、意識の前景におくことはできない。心理学によると、意識は同時に、7±2個、すなわち５〜９個くらいしか、注意すべき主題を保持し続けられない。だから多くの問題は、当面解決策がないと思われると、潜在意識の下に追いやられ、忘れられてしまう。 <br />
<br />
<br />
自分が相手に何かを売り込みたければ、無意識の中にしまい込まれ、忘れられていたペインを、相手の意識に登場させる必要がある。すなわち顧客に希望を与えることで、その一つの方法は、参照事例を示すことなのだ。解決の実例を見せて、その方法や状況は多少違っていても、自分の問題が解決可能らしい、と思ってもらうことが、セリング活動の第一歩である。 <br />
<br />
<br />
「しかし、一番難しいのは、相手のペインを知ることだ」と、先輩のKさんは言った。人は悩みとか問題といったものを、簡単に他人に打ち明けたりはしない。まして相手が部下とか他者の人間だったら、なおさらだ。自分には何も問題はない。そういうポーズを、誰だって自分を守るために、とっている。 <br />
<br />
<br />
相手が抱えているペインは様々だ。だが、自分が売りたいパッケージ・ソリューションの多くは、幸い、いろいろな機能を持ち、ユーザに対して多面的なベネフィットを提供できる。だから、相手のペインをなんとかして探り当て、その内容に応じて、売り方を変えるべきだ。どんな顧客に対しても、同じ売り方をしては、いけない。これが先輩のアドバイスだった。 <br />
<br />
<br />
この話を聞いて以来、わたしは顧客や社内他部門へのプレゼンテーションを作る際、必ず相手のペインを考えることから、はじめることにした。そのためには周到な情報収集と、想像力が必要だ。 <br />
<br />
<br />
プレゼンテーションを、自己（自社）紹介や最近のトレンドからスタートする人が多い。だが、わたしはそうではなく、相手の隠れたペインを想定し、それに類似するシチュエーションの説明からはじめることにした（ただし、押しつけがましくならないように、自分自身の類似トラブル体験を持ち出すこともある）。 <br />
<br />
<br />
そして、できれば、解決した参照事例の話を、さらりと紹介する。相手が興味を持ち、身を乗り出して聞いてくれるようになったら、問題の背景と、自分の提案について順を追って説明するようにする。 <br />
<br />
<br />
例えば自分が、IoTシステムの導入を社内で提案したいのだと仮定しよう。それによって機械設備の稼働状況と、人の動線を可視化し、工程改善に使いたい。説得する相手は、場合により、生産技術部かも知れないし、工場長かも知しれない。あるいは財務部門の場合もあろう。 <br />
<br />
<br />
この3者は、おそらく抱えている潜在的ペインが異なる。生産技術部は、機械の故障が悩みだろう。ただ設備投資は抑えられているので、古い設備を保守しながら、だましだまし使っている。じゃあAIで予知保全、などと考えるのは、いきなりジャンプしすぎだ。まず、「だまし運転の危険」で話を始めてみる。それが労災を引き起こした例、生産がしばらくストップした例、そして機械の深刻なダメージが起きた例をあげる。 <br />
<br />
<br />
大事なのは、機械の保守記録と、累積稼働時間だろう。でも今は、工場の建屋の外に一歩出てしまうと、機械が動いているか止まっているかすら、分からないのだ。では、それが遠隔でモニタリングできたら、どうだろう。こういう風に、ペインを構成してみる。 <br />
<br />
<br />
相手が工場長なら、機械故障よりも、生産性や稼働率の向上が悩みの種かも知れない。だが今は、製造部の配下の各現場リーダーに、「改善しろ」「頑張れ」と指示することしかできないのだ。受注生産の場合、営業が仕事を取ってきてくれない限り、稼働率は上がらない。これが、隠れたペインだ。 <br />
<br />
<br />
でも、工場内の重要な工程について、稼働率と余力が可視化されたら、どうだろう。工場にはまだ、これだけの能力が余っているから、もっとこういう種類の仕事を取ってきてくれ、と営業部門に働きかけることができる。人の配置も、無駄な偏りが毎日、具体的に見えれば、再配置を命じることができるだろう。そう考えると、稼働率や人の配置が可視化できていない、というペインが前景に浮かび上がる。 <br />
<br />
<br />
そして財務部門が相手の場合は？　もちろん、原価管理に訴えるしかない。今の状況では、どの機械にどれくらい人がはりついているのか、よく分からないのだ。ということは、真の原価がとらえ切れていない訳だ。すると・・<br />
<br />
<br />
このように、同じ仕組みを売り込むのだって、相手の立場や関心によってペインのあり方が異なるから、ハイライトすべきベネフィットも、よく考えて選ぶべきなのだ。<br />
<br />
<br />
もちろん、こういうアプローチが空振りすることもある。一種の賭けである。腰が痛くて悩んでいる人に、「あなたに必要なのは胃腸薬だ！」と提案したって、拒否されるに決まっている。わたしも後になって、相手は思いもよらなかったことに悩んでいた、と気づくこともしばしばだ。ただ、はずれることを怖れて、誰にも共通するような、薄まったペインを持ち出しても、なかなか多忙な相手をひきつけることは難しい。 <br />
<br />
<br />
そして、相手がペインを意識化したら、一緒に解決策のビジョンの構築をたどるべきなのである。これを飛ばして、いきなり解決策のビジョンだけ示したって、絵に描いた餅を買いたいと思う人は少ない。 <br />
<br />
<br />
ボズワースは、多くの広告はこの点を間違えている、という。「広告の80%は単に『ビジョン』を提示しているように思えます。しかし、これでは売れることにはつながらないのです。（中略）買い手の隠れているニーズを（意識の中に）運び込み、買い手に自分がそれを買えば、自分の問題は解決するのだとと思わせるものでなければなりません」（邦訳 P.86-87）。 <br />
<br />
<br />
「皆さんが大人になったとき、セールスマンになっていればいいな、と思っていたお母さんは何人くらいいたでしょう？」と、彼はセミナーの受講生にたずねるのだそうだ。だが皆、答えずに笑うらしい（アメリカ人が質問に答えず笑うのは、よほど恥ずかしいときだ）。セールスマンは、その程度の社会的尊敬しか受けていない。 <br />
<br />
<br />
だが、目に見えないアイデアのセールスは、想像力をフルに使う、非常に知的な仕事である。そして、技術者を含むわたし達全員が、そのための交渉能力を身につける価値がある。もしもあなたが、他人に同意してもらいたい、ブリリアントな技術的アイデアを抱えているなら、あなたはそれにもかかわらず、まずセールスマンになる覚悟とスキルを身につけるべきなのだ。 <br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞ <br />
　→「書評：『ソリューション・セリング』　マイケル・ボスワース著」  (2006-04-11) <br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 19 Jun 2021 23:14:10 +0900</pubDate>
      <dc:date>2021-06-19T23:14:10+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>「プロジェクト＆プログラム・アナリシス研究部会」（2月4日）開催のお知らせ</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/29380649/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/29380649/</guid>
      <description><![CDATA[各位：<br />
 <br />
「プロジェクト＆プログラム・アナリシス研究部会」の2021年第1回会合を開催いたします。大都市圏が緊急事態宣言下にあるため、今回もオンライン形式となりますので、ご了承ください。<br />
<br />
<br />
プロジェクトとは、(1)達成すべきゴールがある時限的な取り組みで、(2)利害の異なる複数の人間が協力する必要があり、(3)失敗するリスクを伴う、そんな活動だと定義することができます。そしてプロジェクトに成功したければ、活動全体を適度な段階や部分に分け、それぞれに応じた人と費用と時間を割り振って、進むべき条件を確認しながら、ことを運ぶ必要があります。<br />
<br />
<br />
「事業承継」も、そういう意味では、立派なプロジェクトの一つです。<br />
<br />
<br />
皆さんは「事業承継」という言葉をご存知でしょうか？　簡単に言うと、会社の経営を後継者に引き継ぐことです。次の経営者を選び、社の経営権だけでなく、資産や負債、対外的な契約関係など、会社の存続に必要なすべてのものを、有効かつ確実に引き渡していかなければなりません。経営とは社員の雇用に責任を持ち、ひいては社員の家族の生活基盤を支えることでもあります。ですから、従業員にとっても、スムーズな経営の交代が望まれます。<br />
<br />
<br />
しかし実際の会社において、経営者の代替わりはそう簡単ではありません。とくに規模がそれほど大きくなく、社長個人のリーダーシップで組織を引っ張ってきた会社ほど、後継者を選ぶのが難しく、トップの老齢化とともにビジネス存続のリスクが高くなっていきます。<br />
<br />
<br />
今回は、自動車雑誌に長年勤めて役員を経験された後、中小企業診断士として独立し、事業承継分野を専門にご活躍中の内藤博様に、プロジェクトとしての事業承継マネジメントについてお伺いします。<br />
<br />
<br />
「終わらないために努力する会社経営」と、「無事に終わるために努力するプロジェクト」の両面が交錯するユニークな事業継承の仕事を、どのように計画しアドバイスして、無事着地させていくのか。専門家ならではの知恵と経験に、学ぶところも大きいと思います。ぜひご期待ください。<br />
<br />
<br />
＜記＞<br />
<br />
<br />
■日時：2021年2月4（木）　18:30～20:30<br />
<br />
<br />
■講演タイトル：<br />
「事業承継プロジェクトの全体像」<br />
<br />
<br />
■概要：<br />
事業承継の本質的な理解を深めるためには、全体を俯瞰して見える化することが必要です。事業承継支援の体系を一枚の絵として捕まえておけば、現在の立ち位置もわかるようになり、出口の方向性を見失う事も有りません。現場で経営者と向き合ってきた事例をお話しします。<br />
事業承継のタイミングで、多くの専門家が介在して、課題解決を図っていきますが、その中心でコーディネーターの役割を果たすのが、私が育てている「事業承継士」です。<br />
専門家のリスキリングとして事業承継を追求する意味を、お知らせしたいと思います。<br />
<br />
<br />
■講師：事業承継センター(株)取締役会長　内藤博<br />
　　＜中小企業診断士・事業承継士・事業承継プランナー＞<br />
<br />
<br />
■講師略歴：<br />
「実家の廃業が元でこの道に志す。事業承継の伝道師」<br />
中小企業診断士。事業承継士。事業承継プランナー。1952年横浜生まれ。<br />
家業の6代目に就任せず、モーターマガジン社に就職。27年間勤務。取締役を経て50才で独立。<br />
事業承継の専門家として2,000件を超える相談と、500回を超えるセミナー実績を持つ。事業承継支援の第一人者として、日々難解な案件に全国を奔走している。事業承継士資格取得講座をスタートさせ、全国に1000人以上の事業承継支援のプロを輩出したパイオニア。<br />
多彩な支援技術と博識で顧問先多数。「PR・広報」「マーケティング」と「自動車とオートバイ」が専門分野。<br />
<br />
<br />
■今回は講師の希望により、zoomでの開催となります。参加希望者は、三好副幹事までご連絡ください。後ほどzoomのリンクをお送りいたします。<br />
<br />
<br />
■参加費用：無料。<br />
　なお、講演とQ&amp;A終了後、希望者だけで別途、オンライン懇親会を行う予定です。<br />
　ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金（¥1,000）は免除されます。<br />
<br />
<br />
　以上、よろしくお願いいたします。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
佐藤知一＠日揮ホールディングス（株）<br />
 <br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 21 Jan 2021 19:48:09 +0900</pubDate>
      <dc:date>2021-01-21T19:48:09+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>「プロジェクト＆プログラム・アナリシス研究部会」（2月20日）開催のお知らせ</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/28842302/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/28842302/</guid>
      <description><![CDATA[各位、 <br />
<br />
<br />
来る2月20日（木）に、2020年の「プロジェクト＆プログラム・アナリシス研究部会」第1回会合を開催します。今回は、PM教育のためのゲームを開発された、日立ドキュメントソリューションズの岡田様にご講演いただきます。 <br />
<br />
<br />
プロジェクト・マネージャーの人材不足にはどこも頭を痛めており、優れたプロマネの育成研修は焦眉の急です。しかし、プロマネに必要とされる知識とスキルの幅はけっこう広く、身に付けるのは簡単ではありません。 <br />
<br />
<br />
当研究部会でも3年ほど前から「PM教育分科会」を組織して、独自の研修カリキュラムを開発してきました。ただし限られた時間内に、PMのソフトスキルとハードスキルの両面を伝えるのは、至難の技です。 <br />
<br />
<br />
日立さんのアプローチのユニークな点は、モノポリー的なカードゲームを元に、主にソフトスキルにフォーカスした問題解決力の教育を組み込まれた点です。教育における「ゲーミフィケーション」の効果は、最近つとに指摘されていますが、短時間に集中して考える取組みとして興味深いものです。またファシリテーターによる丁寧な指導も、実践的な価値を高める工夫のようです。 <br />
<br />
<br />
プロマネの育成について悩んでいる多くの方に、役立つ内容になると期待しております。開催日の直前のご案内になってしまい恐縮ですが、ぜひご来聴ください。 <br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜記＞ <br />
<br />
<br />
■日時：2020年2月20日（木）　18：30～20：30 <br />
<br />
<br />
■場所：田町キャンパスイノベーションセンター　 <br />
　5F スペース：509AB <br />
　（JR田町駅の芝浦口から右方向の階段をおりて、50mほど先の右手の建物です） <br />
　　http://www.cictokyo.jp/access.html <br />
<br />
<br />
■講演タイトル： <br />
「ゲーミフィケーションを用いたビジネス人間力養成の取り組み」 <br />
<br />
<br />
■概要： <br />
プロジェクトの現場において、プロジェクトマネージャは発生する問題やリスクに対して限られたリソースの中でその都度適切な意思決定を行うスキルが求められる。これらのスキルは実践訓練などを通して習得できるものであるが、習得には多くの体験を経る必要があり時間を要す。そこで、ゲームを通してチームでプロジェクトを模擬体験する実践訓練手法を開発した。ここで得られるスキルは、プロジェクトマネジメント分野に限らず、ビジネス全般に必要なソフトスキルであると考える。講演では、プロジェクトマネジメント分野以外への展開可能性や、ゲーム中の振る舞いによるプロジェクトマネージャの特性評価の取り組み、ゲームの臨場感向上のためのデジタル化/ゲーム空間の開発に関する取り組みを紹介する。 <br />
●YouTube：プロジェクトマネージャの”感性”を磨くボードゲーム「プロ・トレZ」プロモーション映像リンク先 <br />
https://www.youtube.com/channel/UC8-Y7nlzYe9ycy1pV88fbVw<br />
<br />
* ダイジェスト版  ・・・・2分 <br />
* フル版           ・・・・21分 <br />
<br />
<br />
■講師：岡田　久子 <br />
　株式会社日立ドキュメントソリューションズ　EPCプロジェクト本部　本部長 <br />
<br />
<br />
■講師略歴： <br />
1998年日立製作所に入社。大規模発電所等の建設管理、および建設管理システムの運用・高度化業務を経て、 <br />
2014年より日立ドキュメントソリューションズへ移り、プロジェクトマネジメント支援業務の取り纏めに従事。 <br />
<br />
<br />
■参加費用：無料。 <br />
　ちなみに本研究部会員がスケジューリング学会に新たに参加される場合、学会の入会金（¥1,000）は免除されます。 <br />
　参加を希望される方は、確認のため、できましたら前日までに三好副幹事までご連絡ください。 <br />
<br />
<br />
　以上、よろしくお願いいたします。 <br />
<br />
<br />
<br />
<br />
佐藤知一＠日揮ホールディングス（株） <br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 12 Feb 2020 00:01:51 +0900</pubDate>
      <dc:date>2020-02-12T00:01:51+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>サービス業の生産性と、プロ意識との関係について</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/26720113/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/26720113/</guid>
      <description><![CDATA[<br />
<br />
久しぶりに首都圏に大雪が積もったので、いつもより朝早く起きだして、家の前の雪かきを、ささやかながら行った。既に空は晴れ上がって、少し働くと汗が出る。「雪の明日は裸で洗濯」と言う諺を思い出した。東京の下町、荒川生まれの人に教えてもらった言葉だ。関東では主に2月や3月に雪が降るが、降った翌日は良い天気になることが多い。<br />
<br />
<br />
雪かきという仕事は相互的だ。お互いに、ちょっとずつ汗をかく。そうすると通り道ができる。隣の家がやらないんだから、うちもやらない、などと言っていた日には、街の中はちっとも歩けなくなる。家の前は公道なんだから、雪かきは行政がやるべきだ、なんて批評して待っていても、問題は解決しない。<br />
<br />
<br />
まだ公共交通機関もうまく動いていないのに、積もった雪の轍を急ぎ足に出かけていく勤め人の人達も多い。どうしても時間通りに職場に着かなくてはならない立場なのだろう。サービス業的な職種の人達かな、とふと思った。とくに9時-17時といった時間枠を決めてサービスを提供する部門なのかもしれない。私の勤務先だってエンジニアリング会社だからサービス業だが、設計的な仕事はもう少し時間の融通が利く。<br />
<br />
<br />
ユーティリティー的なサービス業の辛さについては、3·11の直後に「休めない人々」http://brevis.exblog.jp/14417945/ と言う記事で書いたことがある。ユーティリティーとは、電気・水・通信・交通など、常に供給されているのが前提となる、都市のインフラサービスである。<br />
<br />
<br />
もともとサービス業の定義とは、リソースを提供する仕事である。『リソース』とは、仕事において必要とされ、その活動の間は占有されるが、活動が終わると解放されて、他の用途にまた再利用できるもののことを言う。金型・ツール・作業場所とはリソースである。コンピュータもリソースだ。また働く人も会社にとってのリソースである（Human resourceと英語では呼ぶ）。日本語では経営資源と呼ばれることもある。<br />
<br />
<br />
例えばホテルは部屋と言うリソースを宿泊客に提供する。交通機関は移動手段を提供する。通信会社は回線を提供する。これらは皆、サービス業だ。また床屋や、マッサージ屋は人による作業を提供する。サービス業は大きく、物的リソースを提供するものと、人的リソースを提供するものに分かれる。<br />
<br />
<br />
電力や水は、実際には消費されるが、常に供給され続けていつでも利用可能だと言う点で、こうしたリソースに準ずる。ユーティリティーがサービス業の一種なのも、この所以である。<br />
<br />
<br />
こうしたユーティリティ的サービス業のつらさは、それがいつも提供可能であると利用者が信じているところにある。だから供給が途絶すると、ひどく怒られる。提供している間は、皆が当然だと思って誰も何も言わない。怒られはするが、感謝されない。そういう仕事だ。<br />
<br />
<br />
特に最近は、消費者の立場になった途端、突然居丈高になる人も多い。お金と引き換えに、他人を気楽に批評し、一方的に要求する立場を、手に入れたと思っている。モンスター・クレイマーと呼ばれる人たちも増えている。それはわたし達の社会において、プロフェッショナル精神が衰弱していることの表れだと思う。売り手ではなく、買い手側のプロ意識が、である。<br />
<br />
<br />
世の中には、単にその仕事で給料をもらっているから、「俺はプロだ」と思う人が沢山いる。だが、英語のProfessionalはもう少し条件が厳しい。通常、それは知的な仕事であって、それなりの教育と収入を伴う。たとえば医師とか弁護士とか、牧師とか、建築家とかだ。何より、高い職業意識を持つことが資格である。<br />
<br />
<br />
でも、わたしはプロフェッショナルという言葉を、何も高収入の職業だけに限定するつもりはない。技術者だってお菓子職人だって、きちんとした職業訓練と能力をもち、プロ意識を持って行動する人が、プロフェッショナルだと考えている。<br />
<br />
<br />
年末、都内でタクシーを拾って四谷駅に向かった。四谷駅は交差点にあるが、JRと地下鉄で入口が確か違っていたように記憶していた。そこで「丸ノ内線の四谷駅に行ってください」と頼んだら、運転手は「地下鉄に乗ったことがないので、駅が分かりません」などという。そしてJRの駅前におろされたのだが、そこから交差点を渡って回り道をしなければならなかった。<br />
<br />
<br />
だが、そんな妙な言い訳があるだろうか。客の望むところに連れて行くのが、プロフェッショナルの仕事ではないのか。自分に小さな子どもがいなかったら、「○○小学校へ」と頼む客に、「分かりません」というのだろうか？　待ち合わせた連れ合いに、遅れた詫びを言い、タクシー運転手について文句を言ったら、「近頃はプロ意識がない人が多いの。ただ会社に使われるだけで、ちっとも将来に良いことがないから」という。思わずうなってしまった。<br />
<br />
<br />
プロフェッショナルは、自分の職業的能力をつねに磨こうという意識をもつ。プロフェッショナルは単なるワーカーではない。ワーカーとは、言われた通りのものを作る人、言われたことしかしない人たちのことだ。またプロフェッショナルは、アーティストでもない。芸術家は自分が作りたいものを作る。プロフェッショナルは依頼に基づき、作るべきものを作る。ただし依頼に対して、自分の考え・意見を持ち、それを提案する。「言われたことだけやる人」の反対である。「やるべき事をやる人」といってもいい。<br />
<br />
<br />
プロフェッショナルは、基本的にサービス業である。能力を売る人だから、当然だろう。特定のモノや成果物を売るのではない。医師は患者の回復を保証する訳ではないし、弁護士は顧客の勝訴を売る訳ではない。ただ、リソースとして、彼らの信頼するに足る能力を売っているのだ。どんな場合でも、つねに80点以上の仕事をする、というのがプロフェッショナルである。そこは、できばえにムラのある天才と違う。安定性と信頼を売っているのだ。<br />
<br />
<br />
プロフェッショナルになるには、かなりの勉強と継続的学習が必要である。大学出であることが多いが、必須ではない。むしろ、社会に出てからの学びの方が大切だ。<br />
<br />
そして、プロフェッショナルは、他の分野のプロフェッショナルを尊重する。なぜなら、専門知識というものの幅や深さを知っているし、一人前の職業能力を得るのがいかに大変か、熟知しているからだ。それを知らない人、プロ意識のない人ほど、他人の仕事に口を出したがる。わたし達の社会で、サービス業へのクレームが多くなる理由が、ここにある。<br />
<br />
<br />
なお、元々、西洋の概念におけるプロフェッショナルは自営が基本だ。医師・弁護士・建築家など、皆そうだった。英米ではエンジニアという職種もプロフェッションの一種であり、実際カナダでは技術者は労働組合に入れない。ワーカーではないからだ。<br />
<br />
<br />
だが現代では、専門性を持つプロフェッショナルの多くは、組織人である。たとえばエンジニアという職種は一人だけで仕事を完結できず、多の人たちとの協力連携が必要だ。まあオーケストラの音楽家のようなものだ。だが、このことが、いろいろな混乱の元となっていると、わたしは思う。たとえば、仕事はプロフェッショナルの流儀に従うのか、会社の慣習に従うのか。プロ意識が優先すべきなのか、それとも会社員の帰属意識が優先するのか？<br />
<br />
<br />
<br />
プロフェッショナルの概念と行動規範（倫理）について、最初に議論したのはギリシャ人だったろう。それ以降、いろいろな要件があげられた。たとえば、次のようなことだ：<br />
<br />
<br />
(1) 真実を尊ぶ（顧客に嘘はつかない。信頼が資本だから）<br />
(2) 自分の美学を持つ<br />
(3) 持論を持つ（思想とまではいかないにせよ）<br />
<br />
<br />
こうした行動規範に従う代償として、社会的な尊敬を得るのである。そしてプロフェッショナルは自分の職能集団の、社会的な信用を守るのだ （自社を守る、ではなく）。<br />
<br />
<br />
しかし、現代の企業には、経営思想にもよるが、「一部のスーパーリーダーが決めた仕組みに従って、ただ言われた通りのことだけやる人」を求める傾向がある。一方、プロフェッショナルは自分でやり方を工夫改良し、人にも教える。マニュアル通りにうごき、消耗したら部品のように交換可能な人、ではない。<br />
<br />
<br />
<br />
単なるワーカーはプロフェッショナルではない、と書いたが、もう一つ、プロフェッショナルに程遠いのは、「お役人」である。ここで言う「お役人」とは、公務員と言う意味ではなくて、官僚主義者のことだ。常に権力や規則を振りかざして、人を従わせたがり、また序列の上に上がることばかりを考える。そういう官僚主義者は、民間企業にも多い。<br />
<br />
<br />
彼らは2、3年ごとにポジションを変わって、ジェネラリストとして管理職に上がると言うキャリアパスを生きる。ふつう1つの職業的能力を得るのに、少なくとも10年はかかるはずだが、彼らはそうした成長への労力を、1つの専門分野につぎ込んだ経験がない。だから他人の能力に対する尊敬心も薄い。彼らが頼りにするのは、自分の能力ではなく、組織の中の自分の職位である。名刺の肩書きで仕事をしたがる。<br />
<br />
<br />
「ワーカーになれ」というトップダウン式の淘汰圧力と、「上に行きたければジェネラリストになれ」という組織の論理にはさまれて、プロフェッショナルの領域は狭まってきている。プロフェッショナルを目指すとは、実は「業界で通用する人間になる」＝「転職できるように自分の価値を上げる」だから、日本企業にとってはそもそも、両刃の剣なのだ。あまり皆に、プロ意識など持ってもらいたくないという気持ちが働く。<br />
<br />
<br />
それでも、プロ意識を持ちつづけて仕事をする人たちだって立派にいる。彼らが、他のサービス業者に対して臨む態度は、平凡なワーカーやお役人達と、どこが違うのだろうか？<br />
<br />
<br />
それは、「サービスとは相互的なものだ」との理解を持っている点である。サービスは、人的なものであれ物的なものであれ、信頼の上に成り立っている。その信頼は、じつはサービス提供者だけが責任を負うものではなく、相互信頼に基づくものだ。<br />
<br />
<br />
サービスの利用者は、自分が何を望んでいるか、きちんと理解して、伝えなければならない。そうでないと、相手は適切に動けない。そして利用者は、自分の要求と、自分のやる行動とが、ちゃんと整合性・一貫性をもたなければならない。相手が口で言うことと、相手の手が求めていることが異なっていたら、何を提供すべきかわからないではないか。プロ意識のある買い手は、この点をきちんと心得ている。<br />
<br />
<br />
そのような意味で、サービスとは協業なのである。売り手はプロフェッショナルとして、最良のサービスを提供する。買い手は、売り手の能力を最善に引き出せるよう、自分の過度な要望を制する。そして相手のやり方を尊重する。とくにサービスが不定型なものになればなるほど、相互性の度合いも増す。<br />
<br />
<br />
サービスを買う側と提供する側は、対等である。この「対等」という概念も、現代ではとても誤解されやすい。対等とは、単なる「平等」のことではない。必要に応じて、フェアに、応分の義務を負うという意味だ。高速道路を利用するドライバーは、高速の運転ルールに従う。医師が指示したら、患者はそれに従う。金を払ったのだから、後は何をしても勝手だ、とドライバーや患者が考えるのは賢い態度ではない。もちろん、提供者は報酬をもらう以上、適切な品質の道路や治療を提供する義務がある。<br />
<br />
<br />
道路や医師のたとえならば誰にも分かりやすいのに、設計や開発やユーティリティ提供などのサービスになると、すぐ忘れられてしまうのはどうした訳か。命じれば何でも出てくる、と思う人が増えると、サービス業全体の生産性が損なわれてしまう。それが、わたし達の社会の問題なのだろう。<br />
<br />
<br />
サービスとは、いわば「雪かき」のようなものである。誰もが応分に、少しずつ汗をかいて歩み寄る。そうすることで、通じる道ができる。そのような形で、わたし達の社会のプロ意識を再興する希望を、持てるだろうか？　通勤に急ぐ人たちの残した足跡を見ながら、わたしは魯迅の言葉を思い出していた。<br />
<br />
<br />
<br />
「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201801/24/47/e0058447_23524890.jpg" alt="_e0058447_23524890.jpg" class="IMAGE_MID" height="480" width="360" /></center><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「休めない人々」 http://brevis.exblog.jp/14417945/ （2011-03-12）<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 24 Jan 2018 23:54:43 +0900</pubDate>
      <dc:date>2018-01-24T23:54:43+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>Pushで教育し、Pullで成長する</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/25399287/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/25399287/</guid>
      <description><![CDATA[子どもがまだ小さかった頃、よく「きかんしゃトーマス」を一緒に見た。このイギリス製の人形劇は、どうやら英国社会を引き写しているらしく、階級制になっている。機関車はおおむね真面目で勤勉だが、彼らに引かれて走る客車はいつも適当な連中で、機会があればサボることを考え、しょっちゅう脱線事故などの面倒を引き起こす。つまり機関車（Engine）は、技術者（Engineer）のような中産階級を連想させ、客車はすぐにストやサボタージュをする労働者階級を思わせる、という具合だ。<br />
 <br />
あるとき主人公のトーマスが、例によって客車にトラブルを起こされ、手を焼いていた。すると、となりの線路をゴードンという機関車がちらとトーマスを横目で見て、「人生は勉強だな」といって通り過ぎるシーンがあった。きかんしゃゴードンは中年男を思わせる横柄なキャラなのだが、この台詞はなぜかぴったりと役にはまっており、見ていたわたしと連れ合いはその後しばしば、小さなトラブルに遭遇するたびに「人生は勉強だな」と言い合って笑ったりした。<br />
<br />
<br />
人はいくつになっても成長できる。逆に言えば、人は一生、学び続けなければならない。ゴードンの名台詞はこのことを表している。ところで、英国のコンサルタントであるMarcus Buckinghamの説によると、人間の学習スタイルには、「分析型」、「行動型」、「観察型」の三つのタイプがあるのだそうだ。それによると、<br />
・分析型は事前の学習時間を十分とる<br />
・行動型は早く未経験の環境に置く<br />
・観察型は手本になるベテランの傍らで、仕事を俯瞰的に見ながら模倣させる<br />
というのが、それぞれOJTのやり方としてふさわしいらしい。このことは、稲山文孝氏の「アプリ開発チームのためのプロジェクトマネジメント」http://brevis.exblog.jp/24117407/ という本で読んだ。<br />
<br />
<br />
なるほど、とは思ったものの、上記の3タイプはあくまで英米人の類型かな、とも感じる。わたし達の社会なら、このほかに「感情型」だとか「競争型」とかを付け加えたくなる。感情型は好きな人を手本にして感性や情に訴えて学ばせる、「競争型」は試験を課して成績で競わせる、と言う具合だ。<br />
<br />
<br />
まあ人間の類型論は医学・心理学から社会学まで、いろいろなバリエーションがある。だが、学びという点で見ると、大きく「受動型」と「能動型」に二分できるのではないかと、よく感じる。というのは、この区分は、育成・訓練におけるマニュアル整備の是非の論議に、しばしば登場するからだ。マニュアル論議といういうのは、仕事について伝えるべき一切合切、なるべくすべてをマニュアル化すべきか、という論争である。いや、親切すぎると相手の「学び」が働かなくなるのでは、という疑念や、緊急時対応はどこまでマニュアル化できるか、といった疑問もこれに近い。マニュアルがないと対応能力が下がる。しかし、あまりすべてをマニュアル化すると、今度は「想定外」に対応できなくなるパラドックスが生じる。<br />
<br />
<br />
こういう議論では、どうも意見に世代間ギャップがあるな、とわたしは感じている。おじさん世代（わたし自身を含む）にとって、知識は稀少資源だった。わたしが社会人になった頃は、パソコンというものすら存在していなかった（きっと日本昔話みたいに聞こえるだろうなあ）。知識はほぼ全て、紙の中にあった。そして、知識情報は自分の個人的資産として「囲い込む」（机の中にしまっておく）ものだった。人が知らないことを知っているのが、自分の優位性だ——そういう感覚が強かった。<br />
<br />
<br />
その時代、「技術は盗むもの」と信じられていた。教えすぎてはいけない、と。教えなくても優秀な人は、自然に身につけるものだ。何より、生まれつきのセンスが一番大事で、あとは「やる気」、気持ちの問題だ。つまり、自分から知識を取りに行く（Pull型）の態度が主流だったのだ。<br />
<br />
<br />
ところで、このような態度は時代とともにかわっていく。若い世代（定義は難しいがバブル時代以降か）にとって、知識は世界に氾濫しているものだ。知識はネットでふんだんに流通している。あとは自分で好きに探せばいい。知識は他者から与えられ（Push型）、選び取るものになった。情報整理とフィルタリングの感度が自分の優位性だ、と感じているのではないか。<br />
<br />
<br />
このギャップは、世代間で知識情報を伝達する「教育研修」において、重大な影響を与える。シニア世代は、若手が取りに来るのを待っている。若手は逆に、シニアが教えてくれるのを待つ。つまり「教育のデッドロック現象」が起きているのだ。こうなると、組織的な「学び」が働きにくくなる。それは、同じような間違いやトラブルを繰り返す原因になるだろう。<br />
<br />
<br />
このところPMの教育について、ずっと考えている。マネジメント能力の育成は、知識教育だけではまったく不十分だと、わたしは思う。そもそもマネージャーとは、教育すべきものなのか、それとも自己成長なのか？　「俺の背中を見て育て」というおじさん世代にとって、マネジメント能力は自分から取りに行く（盗む）のが当然という考え方が強い。おまけにその世代は、マネジメントの仕事を伝達可能な形で言語化していないことも多い。<br />
<br />
<br />
もちろん、マネジメントの能力には、言語化できる部分とできない部分がある。つまり属人的なソフト・スキル（技能）の部分と、軽量化し伝達可能なマネジメント・テクノロジー（技術）の部分とがある。そして後者は、先ほど述べたマネジメントの「マニュアル化」の議論につながりがちだ。どこまでマニュアル化できるのか、またマニュアル化すべきなのか？<br />
<br />
<br />
こうした育成をめぐるPushとPullの議論が混乱する理由は、いろんなレベルの知識情報をごっちゃに話していることにある。そこで知識のレベルを「基本」と「応用」に分けて考えてみよう。<br />
<br />
<br />
(1) 基本レベル<br />
<br />
<br />
仕事に必要な基本的知識は、伝える側＝先輩が、受け手＝後輩に教えこむべき（Push型伝達）ものだろう。そうでなければ、組織として効率がわるすぎる。基本レベルとはつまり、テクニカルで伝達可能な知識やハード・スキルである。そして、そのためには知識に関するPushのシステム（仕組み）を作り上げる必要がある。つまり、教科書化・マニュアル化する訳である。あるいは昨今ならば、 ITツール（e-Learning）も活用することになる。<br />
<br />
<br />
システム（仕組み）である以上、教える側の体制も構築しなければいけない。なぜなら、「人に教える」こと自体が学びにもなるからだ。組織としては、それを評価褒賞にも組入れる必要がある。<br />
<br />
<br />
(2) 応用レベル<br />
<br />
<br />
これに対し、応用的な知識やスキル（主にソフト・スキル）は、受け手が自分から学びに行く（Pull型）べきものである。そうでなければ、能力として本当には身につくまい。そのためには、Pullの知識獲得のための態度・思考習慣（OS）を持つことが必要だ。また、応用レベルは一般にマニュアル化に向かない。範囲が広く例外事象が多いため、教科書・マニュアルでカバーするには効率がわるすぎるからだ。<br />
<br />
<br />
そこで中心になるのは、学ぶ事自体の面白さだ。身につけば、仕事の幅を広げるのに役に立つ。いや、直接すぐに役に立たなくても、いつか役に立つ潜在的可能性があればいい。そして応用レベルの問題には、必ずしも正解はない。だから、自分の頭で考え、自分のスタンスや価値観を持つ態度が求められる。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
以上の二つのレベルのあり方は、ちょうど、学校教育でも実現されている。小中学校の基本レベルは、義務教育であり、先生が生徒に知識をプッシュで教え込む。子どもの側は、なんでこんなことを覚えなけりゃならないのか、などと疑問を持つこともあるが、そこは問答無用ということになっている。これに対し、大学・大学院というところは、（本来は）応用レベルを学ぶ場所だ。そこではいちいち、手取り足取り、教えたりしない。自分の頭で考えて、レポートや卒論などにまとめることが要求される。<br />
<br />
<br />
ただし、(1)の基本レベルと、(2)の応用レベルを結ぶために、大事なことがある。それは、基本レベルを教える過程の中で、同時に「自分で学びに行く態度」を育てなければならない、ということだ。これがあるからこそ、応用レベルで自ら成長していけるのだ。そのためには、教え手が見本（モデル）となって示す必要がある。質問されたら、誠実に答える姿。難しい問い（つまりよい質問）に対しては、必ずしも全知ではない姿。そして自分も新たに学んだ、学べて面白い、という姿を、見せること。これがあってはじめて、基本レベルの生徒にも「学ぶ態度」が少しずつ身についていくのだ。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201702/20/47/e0058447_23012569.jpg" alt="_e0058447_23012569.jpg" class="IMAGE_MID" height="207" width="500" /></center><br />
しかし現実を見ていると、どうやら「学ぶ態度を教える」ことが、ミッシング・リンクとなって 欠けていることがある。そうなると、基本レベルから応用レベルに壁を越えてジャンプできない。学校教育でも、高校から大学へはジャンプがある。これにつまづくと、昔なら五月病にかかった。今は、大学自体がPush型中心の、手取り足取りやたらと面倒見のいい(?)教育に、重心を移してきている。そうなると今度は、社会に出たときがジャンプになってしまう・・<br />
<br />
<br />
そこで大切になるのが、知識のナビゲーター（水先案内人）を組織の中にたてることではないだろうか。まだ十分にPull型の「学ぶ力」が身についていない人を、知識のある場所や、よく知っている先達に適切に導く役柄だ。わたしのこの小さなサイトも、及ばずながらマネジメント・テクノロジーへの水先案内役をしているつもりだ。<br />
<br />
<br />
もう一つ。これもわたしの仮説だが、Pull型を習慣化し身につけるのは、一人の意思だけでやるのはしんどい。そこで、上級レベルへと学ぶ人のためのコミュニティがいるのだ。その証拠に、だから大学はゼミ方式になっているではないか。<br />
<br />
<br />
思うに、Push型の教育は、ビジネス化できる。世に沢山、予備校だとか塾だとか資格学校だとかがあるのを見れば明らかだ。ところが、Pull型の成長は、ビジネスになりにくい。「学びに行く態度」を教えるには、マンツーマンの部分が必要であり、マスプロ教育の大量生産に比べるといかにも効率がわるいからだ。<br />
<br />
<br />
それと同じことで、今の世間のPM教育には「応用」への道筋が欠けているように感じられる。基本レベルは、たとえばPMBOK Guide(R)でカバーできる。そこには有用な知識情報がライブラリ化されている。そしてPMP資格のための教育プロバイダーも多い。だが、本当は「PMBOK以降」への準備が同時に必要なのではないか。PMPは出発点に過ぎない。PMBOK以降も自分で考え、学び続けるための方法と場所がいるはずだ。だからこそわたしは、研究部会の仲間とともに、PMを学ぶためのオルタナティブな仕組みを構想しているのである。<br />
<br />
<br />
最近、職場の大先輩が語っていたのだが、仕事はあるところから面白くなる、という。最初のうちは覚えることも多いし、担えるのは小さな役割に過ぎない。しかし基本レベルをマスターして、うまく先に進めると、Pushで与えられた専門の枠を超えて、周囲も巻き込んで大きな仕事をつくれるようになる。そして複利計算的に、自分を拡大再生産できるようになる。学ぶ能力自体が資産になるのだ。この大先輩は、基本から応用にジャンプするための、Pullで学ぶ力を身につけたからだろう。<br />
<br />
<br />
学ぶ力とは、潜在的な能力をみずから獲得するための力である。すなわち学ぶ力とは、能力を得るための能力だ。それを身につけることは、単なる「即戦力」などの教育よりも、ずっと大切なことなのだ。<br />
<br />
<br />
「教育の目的は、自分たちが聡明ではないことを教えることである。」（アラン・ケイ）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「学ぶ時間をどうつくるか」http://brevis.exblog.jp/24292367/ （2016-04-10）<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 20 Feb 2017 23:04:32 +0900</pubDate>
      <dc:date>2017-02-20T23:04:32+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>契約音痴は、まだ続いている</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/25358322/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/25358322/</guid>
      <description><![CDATA[10年ほど前のことになるが、プロジェクトマネジメント学会に呼ばれて「トワイライト・サロン」で講演を行ったことがある。テーマは「海外プロジェクトの共同遂行におけるリスク要因」で、海外の企業と組んで共同でプロジェクトを進める際に、どんなリスクが考えうるかと言う話だった。共同で組む場合、ジョイント・ベンチャーや、コンソーシアムなどいくつかの契約上のパターンがある。また、スコープをどう分担するかも問題だ。これらを考えた上で、最適なフォーメーションをデザインする必要がある。わたしは同僚のAさんと一緒に、来場者の前でこうした問題についての考え方をお話しした。<br />
<br />
<br />
講演の後質疑応答の時間になって、幾人かの方が質問に立った。ところで、PM学会の参加者は昔も今も、ほとんどがIT業界の人たちである。話題も、IT開発系プロジェクトがなぜかデフォルトになってしまう。その中の1つは、プロジェクトがスタートしたしばらく後になって、顧客がいろいろ要求上の変更を持ち出し、設計が混乱しスケジュールが遅延する場合、どうすべきかと言う質問だった。これ自体はどこの業界でも起こりうる典型的な問題だ。そして、特効薬も正解もない。<br />
<br />
<br />
正解はないが、状況に応じて、いくつかの選択肢を考え、プラスマイナスを評価して決める、というのがマネジメント問題の定石である。変更要求はコストにも納期にも影響を与えうるため、まずは顧客にそれを伝えて理解させる必要がある。ただ、その状況と伝え方次第で、対応策は変わりうる。一般論でいえる話ではない。わたし達は状況をより理解するため、質問者の方にいくつか質問を逆に返すことになった。どんな種類の成果物を作るプロジェクトなのか。規模はどれくらいか。技術的難易度はどうか、そして顧客の特性は。<br />
<br />
<br />
こうした質問を重ねて、少しずつ全体像が分かってきた。だが、相手はいささかじれてきたのかもしれない。わたしが最後に「どんな契約条件だったのですか？」とたずねたら、「いや契約の問題なんかじゃないんです！」とほとんど金切声で叫んだ。しかたなく、わたしはそれ以上の議論をやめてしまった。<br />
<br />
<br />
だが、もちろん、契約の問題なのである。おそらく顧客が最初に決めた一定金額以上の追加を払ってくれないから、この問題が生じているのだ。かかった費用をそのまま支払ってくれるならば、つまり今の用語で言う「準委任契約」ならば、むしろ相手が迷って要求をかえるたびに、自分の収入が増えるのだから、この質問者はむしろエビス顔だったに違いない。しかし、この人にとって、プロジェクトは技術の問題、ないし顧客の誠実さ、つまり信義の問題に思えたらしい。<br />
<br />
<br />
 今日のIT業界では、こんなこと言う人は随分減ったに違いない。要件定義と実装以降をフェーズ分けして別契約にすることは普通になったし、スコープや作業量が見積もりにくい場合は、一括請負ではなく準委任で契約することも、わりと当たり前の知恵となってきた。<br />
<br />
<br />
今さらとは思うが解説しておくと、「一括請負契約」とは成果物を納入して一定の対価を得る契約のことである。「委任契約」は元々は民法の用語で、依頼人が弁護士などに法律行為の代行を依頼する契約である。「準委任契約」はそれに準じた形の契約で、ただ、依頼するのが法律行為ではなく、通常のビジネス上の行為である場合に用いられる。委任契約も準委任契約も、普通は働いた時間に応じて対価が支払われる。<br />
<br />
<br />
長らく、わたし達の社会では、システム開発は一括請負契約がデフォルトであったようだ。これは元々、ソフトが計算機ハードウェアのおまけ扱いから出発したことや、元請けが計算機メーカーの場合が多かったという事情から来たのだろう。一括請負の方が、金額が最初に確定できるため、発注者側での予算措置がしやすいという面もあったに違いない。<br />
<br />
<br />
だが、ITの世界では要求が不明確で、あとから変更の発生するケースが少なくない。一括請負の場合、途中の追加変更に対して、請負側は追加請求の権利を有する。だがお金を払う発注者の方が「お客様は神様」で、取引で有利な立場に立つことが多い。その結果、受託側が追加費用をもらえず、コストだけ負担する赤字プロジェクトが生まれる。最初の質問者のケースは、まさにこれだったのだろう。<br />
<br />
<br />
ところで、長らくこのような状態が続くと、受託側のIT産業自体が弱ってきてしまう。そこで『カウンターベイリング・パワー』が働き、最近はIT業界の側が契約上で、いろいろな自衛手段を講じるようになった。その結果がフェーズ分けであり、また準委任契約の導入であった。これ自体は、ある意味、健全なことだ。<br />
<br />
<br />
ところが世の中の振り子は、ときどき逆に振れすぎることがあるらしい。1月に開催された「プロジェクト＆プログラム・アナリシス研究部会」では、コンサルタントの本間峰一氏を招いて『システムトラブル相談センターの概要と開設の背景』という講演をしていただいた。本間氏は一般社団法人アドバンストビジネス協会が開設した「システムトラブル相談センター」のキーパーソンでもある。いろいろなITプロジェクトのトラブルを見てこられたが、最近は逆にITベンダーに有利な契約のために、発注者側が難儀をするケースも出てきているという。<br />
<br />
<br />
ここで問題になるのが、準委任契約のあり方である。一般に、IT開発の最初の要件定義と、最後の総合テストないし運用テストは、準委任契約で行われることが多くなった。最後のテストでは、かかる工数が発注者側の運用環境に依存するし、また既存のレガシーシステムとのインタフェース・テストなども含まれることが多い。だからここを準委任でやること自体は一見、適正なことに思われる。ところが、ここで交わされる準委任契約が、ともするとITベンダー側に非常に都合のいいようにできているという。<br />
<br />
<br />
たとえば、瑕疵担保責任の所在である。実装は一括請負だが、ユーザにとって納品物を受け入れるかどうかは、最後のテストの結果を見て判断することになる。ところがそこは準委任契約だから、成果物に責任はありません、というケースがあるらしい。何かバグが見つかって直す必要があったら、ユーザがお金を払わなければならない。これでは実装の品質が低ければ低いほど、ITベンダーは収入が増えるというおかしなことになる。それに、納期の問題だ。準委任だから、完成義務はない、納期は保証しません、という。<br />
<br />
<br />
もう一つ問題の所在となるのは、System Engineering Service（略称SES）とよばれる契約形態である。これはIT会社の元請けから、下請け会社にSEを配員してもらうために発注するサービスだが、準委任契約の業務委託になっている。しかし、その実態は派遣契約にきわめて近い。IT業界は知っての通り多重下請け構造なので、SESの再委託もある。準委任の準委任という訳だ。どこの誰に責任があるのかさっぱり分からなくなる。<br />
<br />
<br />
ためしに質問してみた。「準委任契約というのは、プロフェッショナルなサービスを提供するための仕組みです。である以上、プロとして仕事の品質を保証する責任があるはずでは？」　だが答えは「そこが曖昧なんです」だった。<br />
<br />
<br />
わたしは驚いた。海外プロジェクトの契約の常識から、あまりにかけ離れているからだ。わたしは数年前まで、あるプロジェクトで海外企業と実費償還契約のもとで足かけ3年半ほど働いた経験がある。実費償還（Cost Reimbursable）契約というのは、日本の準委任にほぼ対応する概念で、人件費や経費など、つかった費用に応じて支払いを受けるようになっている。<br />
<br />
<br />
ところが、海外企業との実費償還契約というのは厳しいのだ。まず、プロジェクトへの配員は、顧客が経歴書を審査し、きちんとした経験・能力が認めることが条件だ。勝手に協力会社の人間をアサインするなど、もってのほか。また一旦、配員されても、仕事ぶりの質が低いと、欠格として解任（Disqualify）されてしまう。働いた時間に応じて対価が払われるが、毎週タイムシートを顧客に提出し、チェックと承認を受ける必要がある。出張も外出も、顧客の事前の承認がいる。<br />
<br />
<br />
それどころかプロマネは毎週のミーティングで、消費したMan-Hour（人時）と、作成し提出した設計成果物と、進捗率計算を報告しなければならない。顧客はこれを元に、生産性をモニタリングする。生産性が低いと叱責され、キャッチアップ・プランを出させられる。契約にはスコープと成果物が明記され、全体の契約金額にも上限（Cap）が設定されている。追加変更にかかわる作業は全て、書類で申請し承認である。自分たちのミスで余計な人時やコストを浪費したときはどうするか、納期に遅れたらどうするか、等々、ことこまかに契約書で決まっている。これが、世界の常識なのだ。<br />
<br />
<br />
契約というのは、発注者と受託者の間のリスク分担を決めるための仕組みでもある。だから、一括請負契約と実費償還（準委任）契約とは、あれかこれかの二者択一ではない。両者のあいだには、インセンティブやペナルティ、変更と単価精算など、様々なバリエーションと知恵が存在するのだ。全体として何らかの納品物にかかわるケースならば、納期条項も成果物の品質責任も、支払額の上限もついているのが当たり前というのが、わたしなどの感覚だ。<br />
<br />
<br />
これに比べると、本間氏の説明で聞いた日本のIT業界の準委任契約は、ほとんど派遣契約も同然のゆるさである。いや、派遣の場合、二重派遣は違法になるが、SESだと何重にも委託できてしまうから、もっとまずいとも言える。ひどいケースでは、ITベンダー側の営業が、こうした契約をたてに上手く立ち回って、弱り果てた顧客からどんどん金を搾り取っているという。<br />
<br />
<br />
こうした状況が不健全なのはいうまでもない。契約を盾にとれば、技術力の不足をごまかすことができると思うのは、明らかに間違いだ。契約を盾にとって信義にもとるようなことをするのは、契約の精神に反している。それに技術力がなければ、最終的に顧客の満足は得られない。顧客満足こそ、ビジネスの安定の最大の基盤ではないか。<br />
<br />
<br />
ただし、誤解しないでほしいのだが、わたしはIT業界全般を責めているのではない。むしろ逆だ。IT開発プロジェクトの発注者の側が、あまりに契約について音痴であることが、問題の根本だと考えている。一括請負契約なのに、後からどんどん追加変更を言い出す、最初の質問者の事例も、その一端だ。また逆に、準委任だからといって、ベンダーに妙に有利な条件をのんでしまうのも、やはり問題だ。私たちの社会では、長らく信義則で動いていたので、契約について弱い人が多い。だから準委任契約というと、成果物責任がなく、たんに「善良な管理者の注意義務」（「善管注意義務」）があるだけです、という説明に納得してしまうのだろう。<br />
<br />
<br />
米アリゾナ州立大のDean Kashiwagi教授はプロジェクトとアウトソーシングの専門家で、"Best Value Procurement”という方法論を創案し、数千もの顧客に対し成果を上げてきた。昨年フランスで会ったとき、彼は「外注に関わる問題の8割以上は、じつは発注者側の能力不足に起因している」と語っていた。彼の実践範囲はITに限った話ではない。だが、なかでもITプロジェクトは、どこの国でも、難しいのだ。ITの発注者側にこそ、よりきちんとしたプロジェクト・マネジメントの理解が必要なのだと、わたしも声を上げていうことにしよう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「契約なんかこわくない」（2008-07-17）<br />
　→「契約なんかこわくない（２）　契約を設計する」（2008-07-26）<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 13 Feb 2017 23:00:29 +0900</pubDate>
      <dc:date>2017-02-13T23:00:29+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>学ぶ人になりたいか、真似る人になりたいか</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/24774979/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/24774979/</guid>
      <description><![CDATA[ 先週の10月21日(金)に、わたしが主査を務めるプロジェクト＆プログラム・アナリシス研究部会（長いから以後はP&amp;PA研究部会と略そう）で、「プロジェクト・マネジメント教育への新しいアプローチ」と題する報告を行った。P&amp;PA研究部会では数ヶ月前から有志6名が集まって、（仮称）PM教育分科会をつくり、ディスカッションしてきた。その中間発表と、会員同士の意見交換が当日の主な内容だった。<br />
<br />
<br />
「新しいアプローチ」とはどういう意味か？　それは「教えない」ことだ。いや、より正確には「教えすぎない」ことというべきか。わたし達は、教育とは「正解の知識」を伝授することではない 、と考える。マネジメントという行為は、ほとんどの場合、正解のない問いに答えて決断していかなければならない。なぜ正解がないかというと、どのような意思決定であれ、それがプロジェクトにもたらす結果には不確実性がつきまとうこと、また複数の価値基準がしばしば錯綜してトレードオフが生じるからだ。<br />
<br />
<br />
である以上、「正解となる知識を暗記してすばやく問いに答える」風の受験勉強では、役に立たない。ただ、わたし達がくぐり抜けてきた受験競争では、ほぼ全ての問いに『正解』があり、それにどれだけ近づくかで勝敗が決まってきた。この教育のやり方は、行きすぎるとさまざまな弊害を生む。わたしは大学で定期的に教えているが、よくそうした「教育の害」を実感する。<br />
<br />
<br />
現代の学生達にとって、学ぶことは、しばしば「目の前に出される課題をなんとかやっつける」ことと同義語になっている。目前の課題を（教科書やネットや友達の答えを見て）なんとか真似てしのぐと、もう忘れてしまう。わたしは授業の初めに、前の週の復習をするのだが、少なからぬ学生の頭の中に、前回の記憶が残っていないので驚かされる。グループ演習で手を動かして理解させたはずの事柄さえ、印象は残っても、知識はきれいさっぱり抜けているのだ。見事なほどの記憶の断捨離である。<br />
<br />
<br />
そういうことを何年か繰り返したので、わたしは最近では極力、教える知識の量を減らすことにした。WBSとかPERT/CPMとかEVMSとか、さすがにプロジェクト・マネジメントの授業なのだから、話さない訳にはいかない。しかし知識伝達の量はなるべく少なくして、授業の中で考える課題を出すことに腐心している。知り得た知識を自分で吟味し納得しないうちは、身につかないからだ。また毎回、「今週のGood Question賞」を発表して、なるべく良い質問を教師に出すことを奨励するようにした。<br />
<br />
<br />
それにしても教育が知識の伝授でないとしたら、いったい何なのか。教育の目的とは、「自分の中の不足を知り、自分で『学ぶ力』を身につける」ことである 、というのが、現時点でのわたし達の共通認識だ。教えること（Push型）から、学ぶ力をつける（Pull型）に転換しなければ、少なくともPM教育は機能しないだろう。その観点から、<br />
<br />
<br />
「教育とは、成長を支援するプログラムのマネジメントである」<br />
<br />
<br />
と定義し、PM教育のシステム作りとは、PMに興味を持つ者の成長支援プログラムの『プログラム・マネジメント』として構想する。それがわたし達のアプローチである。<br />
<br />
<br />
分科会のメンバーは現時点で6名、うち1名が大学教員で、残る5名が実務家だ。業種もIT、通信、建設、エンジと多岐にわたる。この6人で、本当に役に立つPM教育のためのシステム（仕組み）を構想し、モデル研修の内容をデザインしている。<br />
<br />
<br />
後者については手始めに、初学者向けの二日間の集合研修カリキュラムを検討中だ。座学は半日で、残る1日半は「ミッション・インポッシブル」と題するグループ演習になる。詳細はまだ開発中だから省くが、対象者は、ようやく固有技術について目鼻がついてきて、これから人を率いてプロジェクトを進める立場につくような、若手中堅クラスである。業種分野は広く構えて、なるべく多くの専門に共通するPM技術を学んでもらう場としたい。<br />
<br />
<br />
それにしても、わたし達はセミナー屋でもないのになぜ、こんなことを考えるようになったのか。それはもちろん、皆が職場でプロマネの教育養成に悩んでいるからだ。現代の企業は、教育ということに対する取組みが、ひどくやせ細ってしまった。「会社は教育機関ではない」という言葉も聞かれる。また「業務多忙なときに、教育に割いている時間はない」という事もあるだろう（不況なのに多忙なのはたぶん、人減らしが進んだからである）。そして「即戦力」を求める風潮も強い。<br />
<br />
<br />
まあ、昔の日本企業はもっと社内教育が素晴らしかったのかというと、そこはまた別の事情もあった。昭和の高度成長時代には、先進技術は欧米から来るものであったし、皆が「先進国」の真似をして、追いつけ追い越せ、でなんとか成長した時代であった。その時代、欧米がまさに日本にとって「正解」であった。だから正解を知って真似ることが、大人から子どもまで国是だったのである。<br />
<br />
<br />
そのような時代はおよそ20年前、バブル崩壊と共に終わった。欧米を追い抜いて世界一、と鼻高々だったその時、わたし達の前にはもはや、真似をすべき正解は消え失せていた。自分の頭で考えなければならない状況がやってきたのだ。その壁をうまく乗りこえられないまま、真似るべきロールモデル探しで、ずっと企業も役所もメディアも、時間を空費してきたのではないか。<br />
<br />
<br />
わたしはここで、「学ぶ」ことと「真似る」こととを、区別して使っている。真似ることは、乳児の時からできる。脳にはミラー・ニューロンというものがあって、他者の動きをそのまま真似ることができる仕組みがファームウェアとしてビルトインされているのだ。真似ることで、赤ちゃんは運動能力を身につけ、育っていく。ただ、そこには本能はあれども、目的意識はない。<br />
<br />
<br />
学ぶことや習うことには、目的意識がある。そして学びには、必ず言語による伝達が伴う（真似には言語は必須ではない）。<br />
目的意識 ＋ 基本的な概念理解（言語化）＋ 繰返し練習<br />
これが「学びの基本構造」だ。<br />
<br />
<br />
学びは、自分の中の不足や未熟を自覚することで起動される。ただ、ここで気をつけなければいけないのは、「学ぶ」つもりで、無意識に「真似る」体勢になることだ。<br />
<br />
<br />
たとえば、よく他の業界の方から「エンジニアリング会社ではどうPMを教育されているのですか？」とたずねられることがある。PMが確立された業種というイメージが強いからだろう。エンジ会社だってプロマネ育成に悩んでいる点ではかわりがないのだが、まあ、自分の勤務先を例に挙げて、まず、我々のところでは「プロジェクト・エンジニア」という、いわばプロマネの見習いの職種があります、その経験を何年か重ねて、はじめてプロマネに抜擢される訳ですが、もともとプロマネ志向を持って入社する人も多いから、若い段階からそうした職種に配属する訳です・・というようなお話をする。<br />
<br />
<br />
するときいている人の3人に2人はため息をついて、「ウチじゃプロマネになりたいと思って就職してくる人間なんて皆無です」といわれる。ベースが違いすぎて参考にならない、という訳だ。そこで問いをやめてしまう。あるいは、問いをかえて、PM用のソフトウェアは何をお使いですか、といった質問になり、この業界ではデフォルトで世界的にPrimaveraですよ、英語版ですが、とお答えするとまた、問答は行き止まりになる。簡単に真似られる点が見つからないためらしい。<br />
<br />
<br />
だが、学びたかったらそこから先が大切なのだ。たとえば、「じゃあ佐藤さんもプロマネになりたくて今の会社に就職されたのですか？」ときいてくる人は滅多にいない。わたしも設計部門に最初入ったのだし、プロマネ志向でない新入社員はたぶん半数以上だろう。そういう人たちを多数抱えてプロジェクトを回す仕組みはどうなっているのか、プロジェクトの効率性やモチベーションを維持するにはどう工夫しているのか、PMO組織はあるのか。そういう点こそ、探るべきだろう。そして、自社とどこが共通してどこが違うのか、何をすべきか考える。<br />
<br />
<br />
つまり学ぶということには、「共通性を洞察し、言語化する力」が必須なのだ。「学ぶ力」の基礎は抽象化能力だといってもいい。ここが弱いと、学びが真似に陥りやすい。<br />
<br />
<br />
自分の勤務先の話だと面はゆいから、別の例を挙げようか。たとえばあなたが製造部の人だとする（製造業に興味のない読者は、続く数段落は飛ばしてもいいが）。そしてトヨタかその直系の工場を見学に行ったとする。整理整頓の行き届いた工場、数々のカイゼンの工夫、極小化された仕掛在庫、そして噂に聞くかんばんや自働化やアンドン・・かなわないな、ウチとレベルが違うや、と思う。説明員の人は、壁に張り出された顔写真付き技能マップの前で、トヨタ生産方式の話をする。そして「仕事＝作業＋改善」という概念で、改善をしないと一人前の仕事をしていることにならないから、皆が職場の問題の見える化を進めて、解決できるようになるため「物づくりより人づくり」に取り組んでいるのです、等と語るだろう。<br />
<br />
<br />
あまりにもレベルが違うから、一気に自社をその状態にもっていくことは難しい。その時、真似る人は、じゃあどうしようかと考える。そして、カンバン方式だとか、定位置停止だとか、あるいは壁への掲示物だとか、取り入れやすそうな技を真似ようと考えるだろう。<br />
<br />
<br />
では、学ぶ人はどう考えるか。まず、トヨタは生産計画にもとづいて大枠を決め、平準化で日々の指示を出し、かんばんや自働化を使って日々の細かな変動に対応しているらしいと考える。つまり大きな構造をまず、見るのである。なぜ、ウチと違って、トヨタでは生産計画が成り立ちうるのか。それは自動車という季節性の小さい商品の特性、そして輸出を含む販売力により、出荷量が計画しやすいからだろう。おまけに、日単位の指示についてきてくれるサプライヤー群がいる。だからこそ、在庫を絞って問題を表面化するという曲芸みたいな改善方法が可能になる。<br />
<br />
<br />
そして、それを支えるのは「仕事＝作業＋改善」の概念を人々に徹底化したことだと気づく。一方、ウチはどうか。個別性の強い受注生産だ。出荷量は月単位では読みにくい。おまけに、現場の人たちに問題解決をしろといっても、それだけの素地を訓練してこなかった。問題が起きると怒     られた。だから問題が表面化しないよう、むしろ沢山の在庫を抱えることを推奨してきたようなものだ・・。そういう所で無理にカンバン方式を導入しても、現場は回らなくなる。じゃあせめて、組立工程の能力と日々の指示をバランスするところからやってみようか。「ミズスマシ」までは無理としても、まず部品の配膳作業だけでも分業化して、生産の停滞が材料によるものか組立工の技量によるのかくらいは、分かるようにしてみよう・・<br />
<br />
<br />
学ぶ人は全体の構造を見る。そして自分との違いを考えた上で、取り組むヒントを探す。一方、真似る人は、すぐ取り入れやすいものを探そうとする。つまり、学ぶ人は大技を学ぶ。そして、自分ならどうするかを考える。真似る人は、小技しか真似られないのだ。少なくとも、マネジメントの技術については、そうだ。<br />
<br />
<br />
<br />
お分かりだろうか？　マネジメントの分野で、学ぶ力を得るためには、「学び方を学ぶ」必要があるのだ。学び方は一種のソフト・スキルで、練習が必要である。集まって演習できる場が望ましい。だから（話を元に戻すと）わたし達はPM教育の場とカリキュラムみたいなものを構想しようと考えているのだ。教育の目的が、「自分で『学ぶ力』を身につけること」、とはそういう意味である。<br />
<br />
<br />
そして、わたし達がこんな取組みをはじめた理由は、そもそも企業における教育がやせ細ってしまっているためなのだ。だとしたら、技術者の側が、自分の身を守るために手を結び、互いの学びの場を作っていくべきだろう と、わたしは考える。ベテラン技術者も、そうした動きを側面支援するべきである。<br />
<br />
<br />
わたし達の今回のチャレンジが、どこまで進めるかは分からない。だが心意気としては、会社にも頼らない。国にも頼らない。そして自分で自立できる能力を作る。それがわたし達に必要なことなのではないだろうか？<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「『わかる』ことと『知る』こと」 （2010-02-24）http://brevis.exblog.jp/12208254/<br />
　→「プロジェクト・マネジメントの教育について」 （2014-01-27）http://brevis.exblog.jp/21619967/<br />
＜参考＞<br />
　「“JIT生産”を卒業するための本―トヨタの真似だけでは儲からない」　中小企業診断協会生産革新フォーラム・著<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 30 Oct 2016 12:35:34 +0900</pubDate>
      <dc:date>2016-10-30T12:35:34+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>国際人として最低でも守るべきたった一つのルール ～ 「ありがとう」と家族に対してでも言う</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/24651921/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/24651921/</guid>
      <description><![CDATA[じつをいうと、「国際人」だとか「国際的」だとかいう言葉が嫌いである。<br />
（えーと、そういえばネットでは、何かを「嫌いだ」というセンテンスで文章を書き始めない方がいい、と聴いたことがある。好き嫌いは人それぞれだし、ネガティブな気持ちを発信すると、他人のネガティブな気分を引きつけるかららしい）<br />
それでは、言い直そう。わたしは「国際人」とか「国際的」といった言葉が苦手である。・・ま、これで何かが変わったかどうかは不明だが。<br />
<br />
<br />
でも、国際人とは一体、何を指すのか。わたしはそこが今ひとつ、分からない。ちなみに、国際人という言葉は、英語で何というのだろうか。International person？　Cosmopolitan？　どちらも、なんだか日本語で言う「国際人」とはフィットしないような気がする。たぶん、そういう概念は存在しないのだ。無論、”international"という形容詞はもちろんあって、意味も確立している。ただし人に対しては、あまり使わない。活動だとか、カンファレンスだとか、組織に対して形容することが多いと思う。最近は国際人と呼ぶかわりに「グローバル人材」という言葉が大はやりだが、こちらもGlobal human resourceでは何のことだか分からない。<br />
<br />
<br />
さよう、その概念や実態はよく分からないのだが、そういうことを言いたくなる気持ちの方は、少しだけ理解できる。なぜなら、わたし達は、他の国と、少なくとも仕事の面では、随分違うからだ。<br />
<br />
<br />
ご存じの通り、ちょうど1年前、わたしは「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」という著書を世に問うた。とくに海外プロジェクトの進め方について、勘所をまとめた本だ。幸い洛陽の紙価を高め・・とまでは至っていないが（笑）、それなりの評価はいただいている。でも、ときおり、疑問に思われる方もおられるようだ。なぜ、「海外プロジェクト」とひとくくりにできるのか、と。<br />
<br />
<br />
海外といっても、アメリカ、中国、ベトナム、タイ、インド、英国、ドイツ・・とばらばらではないか。皆、それぞれに文化が違う。個性も癖もある。それを一括りに「海外」と言ってしまっていいのか？　同じ処方箋を書けるのか？−−そういう、もっともな疑問である。<br />
<br />
<br />
だが、海外プロジェクトについては、ほぼ同じ処方箋で、どこでも適用できるのである。世界各国それぞれに個性的なのは事実だが、日本のビジネス文化だけは、他と飛び抜けて違うからだ。これは数字で証明できないが、長年それなりにいろいろな国で働いてきた、わたしの実感である。<br />
<br />
<br />
ちなみにホフステッドという研究者は、多国籍企業IBMの従業員の分析を通じて、国民性が4つの次元からなることを明らかにした。その研究結果を見る限り、日本は他から飛び抜けて離れてはいないじゃないか、という反論が聞こえそうだ。<br />
<br />
<br />
それは承知している。それでも、わたし達は違うのだ。どこが？　それは、自他の関係性と、言葉に対する態度において、である。その結果として、契約と取引に関する考え方が、ほとんど180度くらい違う。だからビジネス上では危ないのだ。比較文化論的には、全体の違いはたかがしれているだろう。だがビジネス文化だけを取り上げると、大きく異なる。<br />
<br />
<br />
もう一つ。個人の対等性の概念が薄いのも、わたし達の文化の特徴である。この点は東アジアにある程度共通しているかもしれないが、個人間の鋭い対立を好まない特性とあいまっている点が違っている。その結果、わたし達の社会では、「場」とかグループ・団体への帰属と、人間の上下関係が、行動や判断基準の中心になる。これも自他の関係性のあり方から来る、一つの帰結である。そして、これはマネジメントのあり方に大きく影響している。「日本的経営」といわれる、タテ社会とコンセンサス（責任不在）によるマネジメント・スタイルである。だれもこれを、「アジア的経営」と一般化して呼びはしない。日本と他のアジア諸国とはかなり違っていることを、多くの欧米人は気づいているからだ。<br />
<br />
<br />
という訳で先日も、サプライチェーン戦略研究部会で海外プロジェクトの進め方について講演した際、野村総研の方から「日本だけ、なぜかくもマネジメントのあり方が違うのでしょうか？」とご質問をいただいた。だが、それは質問する方が逆です、とわたしはお答えした。そういう質問はむしろ、エンジニアリング会社の社員が、シンクタンクのコンサルタントに聴くべき問いでしょう、と。わたしこそ理由を知りたいです、と。そう。この違いに気づいている人は、気がついているのだ。<br />
<br />
<br />
さらに、他国をよく知らず、自国の枠内でのみ考えたがる点も特徴だ、という声もあろう。だから国際化が課題なのだ、と。だが、これは大きな人口と文化を抱えた大国なら、共通する特徴だとわたしは考える。アメリカだって、中国だって、大衆レベルでは似たようなものなのだ。だから日本のみの問題ではない。<br />
<br />
<br />
だがそれにしても、もしあなたが国際人だとかグローバル人材にあこがれるのだとしたら、どうしたらいいのか？　わたしは「国際人」や「グローバル人材」が何かはよく理解できないのだが、とにかく、日本の国境を一歩でも超えて活躍したいのなら、英語教育家の故・中津燎子氏が、かつて海外に行こうとする若い女性に与えたアドバイスを紹介したい。中津氏は、その娘さんにおっしゃったのだ。<br />
<br />
<br />
「もし、朝食の席であなたのお母さんが、お茶か何かを食卓にいるあなたに出してくれたら、必ず『ありがとう』と口に出して言うようにしなさい」、と。<br />
<br />
<br />
 <br />
それはひどく単純な一言（行動）だ。だが、それを言うことで、母親は自分とは別の人間であることをあらわしている。感謝の言葉は、対等な人同士の時に使うものだ。それは、相手に対するディセンシー（謙虚さ）を示す。他人に何かをしてもらって、それで無言のままだったら、その行為は「あたりまえ」だ、という態度を意味している。いや、もしかしたら、内心ではあなたも感謝しているかもしれない。が、それは相手に確実には伝わらない（ついでに余計な話だが、「ねえ、わたしのこと愛してる？」と『言語による確実な伝達』を要求する^^;のは、ふつう女性の側だ、ということになっている）。だから、言葉にして伝えることを、自分のルールとする。 それを、習慣として自分の中に刻み込むのである。<br />
<br />
<br />
「他人に何かをしてもらって」と今、書いたが、母親は他人だろうか？　他人とは、家族の外、身内の外、ムラの外をいうのだ、というのがわたし達の文化的習慣である。それに、そんなのいちいち水くさいじゃないか。<br />
<br />
<br />
だが、たとえ親子で、上下関係があっても、なおかつ根本では対等な、別個の人格である。だから感謝の気持ちは、言語化して確実に伝えなければ伝わらない−−こうした論理で、世界の8割以上の国の文化はできあがっている。<br />
<br />
<br />
それと同じように、取引において、売り手と買い手は、根本では対等である。そういう論理が、多くの国ではデフォルトである。現実には、立場の強弱もあるし、多くの場合、買い手の方が強い。だが、買い手が王様のようにワガママで、売り手は奴隷のようにふるまうのは「フェアでない」（公正の原理に反する）、というのが西洋社会の通念である。だから、両者の権利と義務をはかりの左右において、公平を期す。それを言語化した「契約」をたてよう、ということになるのだ。<br />
<br />
<br />
そんな「契約」を、なんと神様が人間との間においたりする。でもって、人間がさらに神様とネゴシエーションしようとしたりする。こういう神話的な物語を小さいときから学んで育ってきたのが、世界の多数派なのだ。まあ、アジアの東側やアフリカのサハラ以南では、そんな神話はあまり見当たらないが、しかし、そのかわりマネジメント層はたいてい欧米で教育を受けてきた人たちであることを忘れてはならない。だから結局、世界のほとんどは契約社会である、という風にできている。<br />
<br />
<br />
じゃあ、家族に「ありがとう」と言ったら、それですぐ国際人になれるのか？ もちろん違う。ただ英語を喋る前に、英語の根底にあるOSを理解しようと言っているのだ。私は礼儀やマナーの話をしているのではない。そうした振る舞いの根底にある思考や行動の習慣（OS）のことを言っている。何も欧米人が家庭でしている事を、そのまま真似ろと言っているのでもない。尊大で、家族に礼も言わない人間だって、きっと中国やアメリカにはごろごろいるだろう。そうではなくて、普段家族に礼を言う習慣がない私たちが、自覚してそれを習慣つけるといいと言ってるだけだ。そしてそれは、手始めに過ぎない。<br />
<br />
<br />
上に述べた拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」では、わたし達が海外でビジネスに取り組む際、身につけるべきOSの要素として、<br />
『S+3K』<br />
をとりあげた。一番中心にあるのは、<br />
・システム的な見方をする（Systems approach）<br />
ことである。それにつづいて身につけるべき習慣は、<br />
・言葉を大切にする（言語化）<br />
・契約と責任を重んじる（契約責任制）<br />
<br />
・かならず計画をたてる（計画重視）<br />
である。システム・言葉・契約・計画の頭文字をとって、『S+3K』とよんだのである。この最初の2つのKが、今回の話に関係している。<br />
<br />
<br />
わたしは、エンジニアにとって今後必要となるPM教育やリーダー教育に、こうしたS+3Kの要素をぜひ入れなければいけない、と考えている。誰もが遠くない将来、海外と何かの形で関わる可能性が大だからだ。そのときトラブルになってから、<br />
 「え？　目下のベンダーのくせに何で対等に要求してくるんだよ？」<br />
 「契約書に書いてあるって、あんなの形だけのセレモニーだったんじゃないの？」<br />
などと、慌てふためいても遅いのだ。<br />
<br />
<br />
だから、別段、国際人向けの教育コースなどをとらない人にも、申し上げたいのだ。小さな習慣から、自分の中に刻み込んでおいた方が良い。母親がお茶をくんでくれたら、配偶者がコップをとってくれたら、「ありがとう」と声を出して言おう。それで損することは、何もない。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
（追記：中津燎子氏が上記のアドバイスをされた話は、「再びなんで英語やるの? (文春文庫 (195‐2))」の中だったように記憶しているのだが、今、書棚にその本がないため確認できない。もしかすると「未来塾って、何?―異文化チャレンジと発音」だった可能性もある）<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 11 Sep 2016 22:14:48 +0900</pubDate>
      <dc:date>2016-09-11T22:14:48+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>『なぜ』からはじめよう － 仕事の目的を設定する</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/24334345/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/24334345/</guid>
      <description><![CDATA[たしか林達夫の西洋史に関する論考だったと思うのだが、「古代ギリシャは豊かなイメージがあるが、社会的な生産性はじつはかなり低かった。ギリシャ社会を支えていたのが、奴隷労働だったからだ」という説明を読んだことがある。林達夫はわたしの尊敬する思想家で、平凡社の『世界大百科事典』の編集長をやった博学の人だ。<br />
<br />
人を動かすということが、技術リーダーとして面白い仕事をする必要条件だと、前回書いた。では、具体的に、人は何で動くのだろうか？<br />
<br />
一番すぐに思いつくのは、給料などのお金だろう。お金という報酬で、人を動かす。会社というのは、そうなっている。業務上の命令通りに働けば、給料がもらえる。上司の覚えも良くなる。そむけば、叱責されて給料が下がったり、首になったりするかもしれない。つまりアメ（給料・昇進）と、ムチ（罰則・失職）で動かす訳だ。<br />
<br />
ここで人を動かすために使われているのは、「強制力」（権力）である。強制力を使うことができるのは、マネージャー職種（＝上司）という立場にあるときだ。動かす相手は、部下である。部下以外には、この手はきかない。業務命令と、統制。このような仕組みで組織を動かすことを、英語で"Command and control”という。軍隊が、その典型だ。そして組織の成員が、この中で仕事の代償として期待することは、給料と生活の維持である。<br />
<br />
部下でない他人に対しては、直接の命令権はない。給与を左右することもできない。しかし、もう少し別の報酬で動かす方法がある。それは、「貸し借り」で動かす方法だ。人に仕事上やプライベートでの貸し（恩義）を作っておく。そして、あとで「借りを返して」もらう。これは「影響力」と呼んでもいい。職場で上手に貸し借りを利用する人は、あなたの周りにもいると思う。<br />
<br />
ほかに人を動かす方法はないだろうか？　ある。それは、仕事を通じた成長や、自己実現への期待によって動かすことだ。「この人についていけば、自分も腕が上がるかもしれない。いい仕事ができるかもしれない」、と思えば、命令や貸し借りなしでも、人は動いてくれるだろう。これは、同種の職能から現れるリーダーや、上司という立場にはないプロマネが、もしもそれなりの腕前の人であれば、ふるえる力だ。これも影響力の一種だから、第二種の影響力とよんでおこうか。この場合、チーム員が期待するのは、自分の能力向上や、仕事の成果への満足感である。<br />
<br />
そして、さらにその上がある。それはリーダーの信念や、他人への貢献意欲で人を動かすことだ。これはもう、カリスマか教祖の域であろう。そこに加わる人の期待は、他人を助けるという仕事への使命感・達成感だ。<br />
<br />
かくして、人はいろいろな理由で動く。まあ、一番最初のレベルというか、デフォルトは「言われたから」「命じられたから」やることである。その最低次元が奴隷労働だ。これに、どれだけ他の要素が混ざるかで、パフォーマンスに差が出る。それはちょうど、三人の職人のたとえ話のようなものだ。<br />
<br />
三人の職人の話をご存じだろうか？　いくつかのバリーションがあるが、ともかく出だしは旅人が働いている職人たちのそばを通りかかるところから始まる。旅人は職人の一人に、何をしているのですか？　とたずねる。最初の職人は、答える。<br />
「見ればわかるじゃないか。レンガを積んでいるのさ。」<br />
旅人がさらに、なぜレンガを積んでいるのですか、とたずねると、その職人は面倒くさそうに<br />
「親方に言われたからさ。そのとおりにすれば、給金がもらえる。さあ、どいた、どいた！」<br />
<br />
旅人はつぎに、別の職人に同じ事をたずねる。何をしているのですか？<br />
二人目の職にの答えは、こうだ。<br />
「壁をつくっているんです。どうです、立派でしょう？　親方のところに来たすぐの頃は、こんな風にまっすぐ積めなかったけれど、いまはここまでできるようになった。壁の高さは、この街で一番ですよ。」<br />
<br />
さらに旅人は、三人目の職人にたずねる。何をしているのですか？<br />
年老いた職人は、こう答える：「大聖堂を作っているんじゃよ。これが完成した暁には、大勢の信者が集まって、日照りの夏も寒い冬も、一つ屋根の下で祈ったり、ありがたい神様の話をきいたりして過ごせるじゃろう。尊い仕事じゃないか！　まあ、完成までにはあと百年近くかかるかもしれんがの・・。」<br />
<br />
なぜその仕事をしているのか？　—それが出発点である。わたし達が新しいことにチャレンジするとき、まず目的を明確にすることからはじめよう。そう、わたしはPMの授業などで教えている。それが賃金や貸し借りのためなのか、自分の成長のためなのか、あるいは他人や信念のためなのか。べつに給料のために働くことを卑しむつもりはない。それは最低限必要なことだ。だが、それ以上の成果を上げたかったら、「言われたこと以上」を考えて自分から動いてもらわなくてはならない。<br />
<br />
目的とは、なんのためにその仕事をするのか、つまり英語の”Why”を示す。どのような期待や価値観によって、一人ひとりが動くのか。よく組織の壁だとか「サイロ化」といったことが問題になるが、Whyを皆で共有することは、サイロ化を防ぐはたらきがある。大きな目的を共有すると、自分や自部門を守ることよりも優先すべきことがある、と分かるからだ。<br />
<br />
じつはプロジェクトで一番恐ろしいのは、ゴールが自己目的化することである。ゴール地点にたどり着くこと、決められた成果物を作ること、それが最終目的になってしまう。大学に進学する目的は、大学に入っていろいろ新しい学問を身につけ、成長することであるはずだ。だが、大学受験の勉強を続ける内に、いつの間にか大学合格自体が目的になってしまう。その大学になぜ入るのか、入ってから何をしたいのか、考えないまま、ただ点数競争に駆り立てられる。そうして、自分の適性と大して関係もない学部に、点数ランクの都合だけで進んでしまう。ばかげたことではないか。<br />
<br />
同じように、組織で一番恐ろしいのは、存続が自己目的化することだ。組織はもともと、なんらかの目的のために結成されたものであるはずだ。「組織は戦略に従う」という言葉もあるくらいだ。だが、組織ができあがり、大きくなると、いつの間にか「組織を守る」ために仕事を作ったり、仕事をねじ曲げたりするようになってくる。あちこちの官庁や公共団体で、そういう例を見かけないだろうか？<br />
<br />
手段が目的化する、というのは、あまりにも陥りがちな罠であろう。ゴールは遠い目的地への、中間地点にすぎない。プロジェクトが何かの成果物を作るとき、それはふつう、なにかの手段なのである。成果物が新製品なら、それはマーケットを拡大するための手段である。成果物が新工場なら、それは生産能力を拡大するための道具であり、成果物が情報システムなら、業務を刷新するための手段であるはずだ。より遠い目的を目指すためにプロジェクトを進めないと、おざなりな成果物を形だけ作って、ユーザが気に入ろうが気に入るまいが一件落着、といったへんてこなことが起きるのだ。それでインパクトのある、面白い仕事ができるはずがない。<br />
<br />
目的を明らかにし、皆で共有することが大事である——それは、わかった。だが、具体的に、どうしたらいいのか？　我々は（少なくともわたしは）カリスマではない。仕事だって、大聖堂を建てるような崇高な仕事ばかりではない。そういう時、どうしたら人の心をつかみ、同じ方向に動かせるのか？<br />
<br />
Simon Synekという人は、ゴールデン・サークル＝『黄金の輪』というモデルを使ったコミュニケーション論を提案している。モデルは単純で、三つの同心円からなる。一番外側はWhat、その内側がHow、そして一番中心にWhyがくる。<br />
<br />
Synekによれば、普通の人や企業がやりがちなアプローチは、外側から内側に向けた順番で、物事の意義を説明することだという。つまり、<br />
(1) What「こういう製品です」<br />
(2) How「こんな風にすごいんです」<br />
で、多くのプレゼンや広告は(3)のWhyまでは説明しない。<br />
<br />
しかし、本当に人の心を動かしたいのなら、順番は逆で、中心から外側に向けた順序にコミュニケーションしなければならない。それは、<br />
(1) Why「我々はこうあるべきと信じます」<br />
(2) How「だからこんな風にしたんです」<br />
(3) What「それが、この製品です」<br />
である。傑出したリーダーや、優れた企業はこういう話し方をする。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201604/27/47/e0058447_6595117.jpg" alt="_e0058447_6595117.jpg" class="IMAGE_MID" height="552" width="500" /></center><br />
Synekはその例として、たとえばジョブズ時代のアップルや、キング牧師や、ライト兄弟とそのライバルだった男をとりあげる。彼はこの理論をわずか18分間にまとめてTED Talkで講演しているが、非常にプレゼンの巧い人だし、翻訳字幕もついているので、試しにぜひ見ることをおすすめする。<br />
「サイモン シネック: 優れたリーダーはどうやって行動を促すか」<br />
http://www.ted.com/talks/simon_sinek_how_great_leaders_inspire_action.html<br />
<br />
Synekは、このゴールデン・サークルを、人の脳の構造から説明している。つまり一番外側に大脳新皮質があり、ここが言語や理知で「What」を判断している。しかし、一番真ん中には古い大脳辺縁系があり、そこは言語化されないが、人の信頼感や行動を決定する。人が決断し行動するのは、理性ではない。もっと深い場所にある、感動や信念が一番強いのだ。（それはたとえば異性に惹かれる時を考えてみれば分かる）。ただ、人に理由をたずねられたら、理屈を後付けすることはできる。（「だって、優しい人だから。」）<br />
<br />
まあ、Synekはプレゼンが上手すぎるので、ライト兄弟のライバルの例など、後からよく考えてみると本当に彼の理論で説明できるのかな、という気もするけれど、説得力があるのは事実だ。コミュニケーションは、Whyからはじめる。なぜ、この仕事が必要なのか。なぜ、これには意義があるのか。イノベーターとよばれる人々（100人に2.5人しかいない）は、そうした信念を共有することによって、彼の言う”Early Adaptor”（人口の13.5%）を集める。そして賛同者が20%を超えれば、あとは勢いがついてくる。それによって全体を変えていくことができるのだ。<br />
<br />
もし、わたし達がイノベーティブな成果を生みたかったら、なぜその仕事に意義があるのかを知らなければならない。そして、その目的を高く掲げるのだ。今、もし自分のやっている仕事のWhyが明らかでないなら、よく考えて他人と共有するべきだ。考えるのに遅すぎるという時はない。ぜひ、明日からでも考えよう。<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「スペシャリストか、ジェネラリストか？」 （2016-04-18）]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 27 Apr 2016 06:59:37 +0900</pubDate>
      <dc:date>2016-04-27T06:59:37+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>スペシャリストか、ジェネラリストか？</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/24313514/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/24313514/</guid>
      <description><![CDATA[わたしが就活をしたのはもう大昔のことだが（当時は「就活」なんて言葉はなくて、みんな「就職活動」といっていた）、エンジニアリング業界志望だったので、今の勤務先のライバル会社も当然、訪問した。そのときたしか先方の人事部長さんと会ったのだが、自分の会社には「42歳定年制」という仕組みがあると言われていたのを今でも覚えている。<br />
<br />
当時はどこの会社も定年は55歳だった。ところが、その会社では42歳になったとき、退職するか、勤務を続けるかを選び直すことができるという。「42歳くらいになると、自分が会社で将来どこまで行けるかが漠然と分かるようになる。そのとき、独立して自分の道を選び直せるように会社も支援する」ことが制度の意図だと、たしか説明されたと記憶している。<br />
<br />
現在その会社のホームページにいっても42歳定年制では検索にかからないから、すでにその制度はないのかもしれない。しかし、この説明は長く記憶に残った。<br />
<br />
「まだ歳も、四十であれば面白き」という江戸時代の川柳がある。40歳というのは、自分はすでに若くないと自覚するときである。世に出て職に就き、それなりに生きてきた。ただ、自分の能力や境遇、そして行く末もなんとなく想像できるようになる。それはまた、迷いの時だ。今までのルートをまっすぐ歩むか、別の道を行くか、思案のときということだろう。<br />
<br />
42歳というと、昔はそろそろ課長になろうという年齢だ。主任や係長は経験し、人を使って仕事をする立場に近づく。そのとき、技術系ならば専門技術の現場から離れて、管理職という名のジェネラリストであることを求められる。それでいいのだろうか。技術への未練もある。自分はまだ本当のプロとはいえないのではないか。スペシャリストの道を続けるのか、ジェネラリストの道を選ぶのか、選択を迫られるというわけだ。<br />
<br />
キャリア関係のウェブサイトを見ると、スペシャリストかジェネラリストか、などという問いがけっこう出てくる。若い人、とくに技術系の人には、ジェネラリストという職種はピンとこないし、よく分からない。ジェネラル工学なんて言う学科も大学になかったし。だから憧れる人は少ない。<br />
<br />
結果として、若手社員のほとんどは、スペシャリストを目指す。<br />
<br />
ところで、そんな職種だって、一人前のプロになるにはだいたい10年かかる。医師も、弁護士もそうだ。業界で一流の相手とそれなりにやりあえるまでには、15年かかるという人もいる。しかし、早く専門技術を身につけたい若者には、その時間がもどかしく感じられる。はやく業界に通じるプロになりたい、いざというときは転職しても拾ってもらえるようになりたい。このままでは技術を深掘りするどころか、会社的な雑用ばかりだ、という不満の声もきこえることがある。<br />
<br />
そうやってスペシャリスト志向をもつエンジニアにとって、ジェネラリストという言葉が頭に浮かんでくるのは、専門分野を何年間か走ってきて、「はたしてこのままでいいんだろうか？」という迷いを感じたときだ。42歳というのは一つの曲がり角なのだろうが、もっと前から感じる場合もある。どちらを選ぶかは、本人の適性によって決めるべきだ、みたいなアドバイスをキャリア関係のサイトなどは書いている。<br />
<br />
ところで、本当に組織はジェネラリストを求めているのだろうか？　求めているとしたら、組織内にどれくらいの比率で必要としているのだろうか？<br />
<br />
これは、組織によっていくつかのタイプに分かれるだろう。ある種の組織では、専門家を（種類も人数も）多数抱え、それをごく少人数のスーパー・ジェネラリストがマネージする。中央集権的な形態だ。オーケストラと指揮者の関係と言ってもいい。ジェネラリストの比率は数％以下だ。こういう組織では、権限が集中しているので、即断即決。いろいろなことが機敏に決まる。ただし部下に権限がないので、組織横断的な中規模問題、たとえば品質問題などへの対応に手間取るという弱点がある。お分かりだろうが、米国企業にはこうしたタイプをよく見かける。<br />
<br />
これに対比するような書き方をするなら、日本企業の多くは、もっとジェネラリスト比率が高い。社内にミニ・ジェネラリストを多数抱えて、各人が隣接部門とコーディネートする、分散協調型の組織である。コンセンサス（合意形成）型なので、変化に対する意思決定が遅いという弱点がある。そのかわり、現場改善はまあ、得意だ。全体を見通す大局観のある人材がいないため、大規模なシステム作りはへたと言ってもいい。<br />
<br />
まあ、現実には両者の間にいろいろなバリエーションがある。とくに、日本の官庁や、官庁に準ずる組織形態をもつ企業では、幹部候補のエリートを、２〜３年単位でいろいろな部署に回す習慣がある。当然ながら、一つの専門知識やスキルを身につけることはできない。最初からジェネラリストとして育てるのである。そして早い段階から管理職ポジションについていく。こういう組織では、そうしたキャリア職種と、ノンキャリア職種がくっきり分かれている。ノンキャリアは局所的には異動があっても、基本は同じ職種を続けていく。キャリアの人数比率は少ない。そういう意味ではまあ、アメリカ型の中央集権に近いと言えなくもない。<br />
<br />
ただし、アメリカ型の組織と日本型の官庁組織は、大きく異なる点が一つある。先ほどアメリカ型で采配をふるう人材は「スーパー・ジェネラリスト」だ、という言い方をしたが、じつはそれは正確ではない。正しくは彼らは「マネジメント人材」であり、米国流の考え方では、マネジメントというのはスペシャリティー（専門職）の一種なのである。だからビジネススクールみたいな学校で集中的に学ぶことができるし、学ぶべきだと考えられている。日本流の考え方では、特定の専門分野を持たないジェネラリストであることと、マネジメントができるということが、どこかでごっちゃにされている。<br />
<br />
たとえていうならば、オーケストラの指揮者はジェネラリストなのか、専門職なのか、ということだ。最初はビオラを弾き、それからフルートに異動させ、第一バイオリンでコンサートマスターを経験させれば、指揮者になれるだろうという考え方は、たしかにちょっと奇妙である。<br />
<br />
だが、ふつうの日本企業の話に戻そう。たとえばある程度、同一分野で経験を積んだエンジニアには、少しずつ隣接する周囲の業務分野も理解させ、ミニ・ジェネラリストにしようと仕向けるようなところも多い。だが、当のエンジニア達はこうしたプレッシャーに、しばしば反発を感じる。それは技術屋の看板を外して、管理職として生きろ、と言っているようなものだ。<br />
<br />
たしかに昭和のように、年齢別人口ピラミッドが正三角形で、職位のピラミッドと相似形だった時代なら成り立った策だろう。しかし、今はミドルになっても管理職のポジションがたりないし、仮になっても部下がいなかったりする。おまけに終身雇用だってゆらいできている。だから、専門技術の現場から遠ざかることの代償が「ちょっと出世」では、納得できなくなっているのだ。しかも年齢ピラミッドがゆがんでいるせいで、42歳どころか、もっと若い時分からジェネラリスト圧力がかかるようになってきた。<br />
<br />
では、中堅のエンジニアはどうすべきなのか。それを考えるには、エンジニアにとって、「出世」以外に本当に望ましい報償は何か、を問い直す必要がある。それは、「技術屋として面白い仕事をする」ことではないだろうか? 　仕事それ自体が、報酬である。なぜなら、技術が好きだから、そして技術が面白いから、エンジニアを選んだ人がほとんどだからだ。<br />
<br />
でも、「面白い仕事」とはどんな事だろうか。それは当然ながら、今の仕事のあり方を変えるようなインパクトを持つ何かを、作り上げることだろう。それは魅力的製品かもしれないし、画期的設備やシステムかもしれないし、あるいは業務プロセスそれ自体かもしれない。ただし、それは専門的技術領域を深掘りしていくだけで実現できるのだろうか？<br />
<br />
著名なシステム・コンサルタントであるジェラルド・ワインバーグは、かつて成功したシステムと不成功に終わったシステムを比べて、「成功のほとんどすべてが、少数の傑出した技術者の働きに依存していることに気づいた」と書いている。そうした技術者たちは、理工学部出の純粋エンジニアでもなければ、経営学科出のよくあるMBAでもなかった。『問題解決型リーダー』というべき存在であり、彼らに共通する特徴は、他人を動機づける能力、組織化する能力、そして独創的アイデアへのこだわりであった、と書いている（「スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学」）<br />
<br />
このことは、いいかえると、本当に面白い仕事をしたければ、アイデアだけでなく、他人を動かす能力をもて、ということになる。それは、「隣接業務を知るミニ・ジェネラリストになれ」とは、ちょっと違うことなのだ。<br />
<br />
してみると、中堅技術者にとって、選ぶべきキャリアの道は、専門分野に職人的にこだわり続けるのか、あるいは、他人を巻き込んで新しい仕事を作る道を選ぶのか、二つに一つということになる。後者の場合、面白いことにワインバーグは、上に述べた能力は、あまり技術分野にかかわらず適用可能だという。そして、適切な気づきとトレーニングがれば、自分で伸ばせるとも書いている。<br />
<br />
もしかするとわたしは、こういう事ではないかという仮説を持っている。どんな専門分野でも、かなり深掘りして突き詰めると、汎用的な方法論の地下水脈に行き当たるのではないか。そして、いったんそれを手にすると、井戸の壁を抜けて、水脈沿いに、いろいろな場所に行けるのではないか。絵にすると、前々回の「Ｔ字型人材像」に通じるのだが、ただし上下が逆で、垂直に底までいくと急に水平に広がる姿である。これこそ、いわゆる「一専多能」といわれる人材像ではないか。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201604/18/47/e0058447_2346838.jpg" alt="_e0058447_2346838.jpg" class="IMAGE_MID" height="585" width="477" /></center><br />
ただ、このような水脈を掘り当てるには、専門をそうとう掘り下げる時間と努力が必要ではないのか？　いや、実はもう一つ別の道があるのだ。それは、一カ所をある程度掘り下げ、何となく達成感ないし行き詰まりを感じたら、別の場所（専門分野）にうつって、あらためて縦堀りしてみる道である。そうしてみることで、「三角測量」的に、元いた技術的専門の距離感や制約が見えるとともに、共通に使える道具立てがあることを気づけるのだ。それはわたし自身の経験でもある。<br />
<br />
「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」にも書いたように、わたしは39歳のとき、思い立ってそれまでの設計専門部を離れ、海外プロジェクトの分野に転出した。それはわたしにとって大きな転機だったが、同時に、自分がそれまで何を学んできたかを再認識する機会でもあった。ずいぶん遅い転身ではある。だが、（この点だけは日本の終身雇用制の長所だと思うのだが）専門能力が低いからといって、会社はすぐにはクビにせずに使い続けてくれるのだ。こうした転身は、たぶん米国では難しいチャレンジだったろうと思う。<br />
<br />
ちょうどここまで書いたところで、畏友・渡辺幸三氏がBlog「設計者の発言」に、『適用分野と実装手段の組み合わせ戦略』http://watanabek.cocolog-nifty.com/blog/2016/04/post-01b8.html　という面白い記事を書かれているのを読んだ。ITの世界で、適用対象の業務分野と、実装技術の縦横の軸で、技術者がどのような戦略をとるべきかを論じている。これはちょうど、音楽で言えば「レパートリーの幅」と「楽器の幅」に対応しているともいえる。最初は楽器になじむまで、ずっと一つのジャンルで修練を続ける。それから、別のレパートリーにトライしてみる。そうするとある時点から急に、楽器の使い道が、そして他人とのハーモニーの仕方が見えてくる。そうすると急に、技術的な自由度が増すのだ。<br />
<br />
それは決して、何でも屋の「ジェネラリスト」になることではない。一専多能の「問題解決のスペシャリスト」になる道なのである。<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「組織のピラミッドはなぜ崩壊したか」　（2010-09-16）<br />
　→「見えない壁に突きあたった中堅エンジニアが学ぶべき、三つのこと」　（2016-04-04）]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 18 Apr 2016 23:54:07 +0900</pubDate>
      <dc:date>2016-04-18T23:54:07+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>変わりたいですか？</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/24020786/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/24020786/</guid>
      <description><![CDATA[変わりたい、と思ったことはおありだろうか？　今の自分から脱皮したい、殻を割って変わりたい、“あの人は変わったね”と他者からいわれたい、と切実に思ったことは？——わたし自身は、もちろん何度もある。年の初めにあたって、今年こそは、と決心したことも一度や二度ではない。もしかしたら、新年にあたり、同じような抱負や希望を考えた人も多いのではないかと思う。<br />
<br />
では、「あの人は変わったな」と感じた経験はあるだろうか？　他人を見て、ああ、あの人は以前と比べて随分変わった、そんな風に思ったことは？　その場合、ふつうは外見とか職位とかの変化ではなく、内面やふるまい方のちがいを指すはずだ。髪型を変え新しい衣服を着たって、あるいは新しい名刺を振り回したって、それで他人から変わったと思われることは少ない。むしろ、話す内容が変わったとか、ふるまい方が随分ちがうとか、そうしたときに人は変化を感じる。<br />
<br />
もちろん、「あの人は変わったな」にも裏表の両面がある。良い変わり方と、まずい方への変化だ。「アイツも変わっちまったなあ」には、あまり感心しない響きがある。でも、「アイツは変わったなあ、見ちがえたよ」なら、良い変化に違いない。だれだって、良い方に変化したい。<br />
<br />
それはつまり、成長したい、ということだ。<br />
<br />
昨年の秋に久しぶりに上梓した新著は、『世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書』という、まあそれなりに気宇広大な、というかちょっと大げさな（笑）タイトルがついている。このタイトルは出版社からいただいたもので、執筆の段階では、副題にある『チャレンジのOS』という仮のタイトルで呼んでいた。プロジェクト・マネジメントでは、知識（コンテンツ）や技法（アプリケーション）なども大切だが、その底にある思考体系や行動習慣（OS）のレイヤーが一番重要だ、という考えを多くの方に伝えたかったからだ。<br />
<br />
人が成長するには、新しいことにチャレンジしなければならない。チャレンジだから、成功することもあるが失敗の可能性もある。しかし失敗を怖れ、守りに入るだけでは、人は成長できない。ちょうど、スキーやスケートは、転ばずには上達できないように。<br />
<br />
絶対転ばないためには、滑らないことだ。滑らなければ、うまくなるわけはない。だから、転ぶことを覚悟で滑ってみるしかない。ただ、へたに転ぶと怪我をする危険がある。だから、スキーやスケートでは、最初に安全な転び方を徹底的に教える。そして転んだら、なぜ転んだのか、どんなときに転びやすいかを考える。これがスキーやスケートを学ぶための「OS」の大事な一部である。<br />
<br />
成長とは、能力を得ることである。できなかったことが、できるようになる（できる確率が上がる）ときに、人は成長を実感する。では、成長するためのカギとは何か。小さな子どもは、放っておいても無我夢中で成長する力がある。なのに大人になると、その勢いが薄れる。ならば、大人にとっての『成長ホルモン』とは何なのか。<br />
<br />
ついでにいうと、わたし自身はもう、けっこういい歳にもなったので、部下や後輩の成長にも同じくらいの関心を持たねばならない立場だ。そこで必須なものは何なのか？<br />
<br />
これに関して、新著を出す半年ほど前になるが、ある方からメールで質問をいただいたことがある。その方は職場における育成について研究をしておられ、たまたまこのサイトに2年前に書いた「プロジェクト・マネジメントの教育について」（2014-01-27）をよんでメールを寄せられた。質問は、「『入職後、人が成長する』ということの定義をどうすればよいのか、『自分でふり返ってみて《成長した》と思えること』とは、いったい何を見ているのでしょうか?」というものだった。そこで、ふりかえりをかねて、その時に書いた返事を、少し長くなるが引用してみたい。<br />
<br />
----------------<br />
<br />
メールどうもありがとうございます。拙サイト、楽しんでよんでいただければ何よりです。<br />
<br />
さて、ご質問の件ですが、成長という言葉は、「成長ホルモン」に代表されるように、非常に幅広い分野で様々に使われています。したがっておっしゃるように、研究を進められる際には『成長』なる語で何を意味しているか、明確にする必要があります。<br />
<br />
わたしの場合、サイトにも書きましたように、成長とは能力を増大することだと考えています。今ある能力を伸ばすこと、あるいは新しい能力を獲得すること、です。<br />
<br />
では『能力』とは何か。能力とは、「意識・無意識に期待された成果を、繰り返し達成できる度合い（または成功の確率）で測られる」、と定義しています。能力の中には数学的能力のように確定的で、つねに再現可能なものもありますが、確率的なものもあります。<br />
<br />
たとえば昨日はヒットを打てた。今日の試合では打てなかったけれど、今シーズンを通せば2割5分の打率になっている。これが今の能力です。昨シーズンは1割9分だった。だから自分は能力が高まり、成長したと言えるわけです。あるいは、これまでホームランを一度も打てなかった人が、はじめてホームランを飛ばした。これも成長かもしれません（まぐれ当たり、という可能性もありますが）。<br />
<br />
もう少し堅苦しくいうと、能力とは、ある資源の状態（比較的長期的・永続的な状態）を表します。その資源を構成する諸要素資源の組織化の度合いと、それを動かす制御系統の働きが、目的に合致して整合的かつ緊密である状態を示します。また、その状態がつねに維持保守され新陳代謝・再生されていることも補足的条件です。こう定義すると、チームや組織としての能力も考えることができます。ちなみにHuman resourceという言葉があるように、人間は典型的な資源の一種です（経営工学的には）。<br />
<br />
個人の能力を構成する要素としては、知識・感覚（センス）・身体的スキル・創造性などがあります。一人前のプロフェッショナルには、このいずれもが必要なことはおわかりでしょう。またこれ以外に、個人の能力を向上する手立てとして、「技術」があります（ツールやシステムは技術に属します）。通常、これらの要素は組み合わさっており、たとえば医師ならば「内視鏡という技術と、それを使いこなすスキル、そして検査に関する知識」がバランスして、はじめて能力が発揮されます。そうなることで『成長』が実感できるのです。<br />
<br />
そして、他者の能力を高める方法として、知識の伝達と、技術の移転があります。ちなみに知識は、さらに辞書的知識と経験知に分けることもできます。この中で、他者が言語的に伝達可能なのは辞書的知識だけです。これ以外の要素であるセンスやスキルや創造性は、自分で主体的に獲得するしかありません。ですから、あとは環境と練習台を提供して、自発的に『学ぶ』ことを助けるしかありません。そのためにプログラムや場や報酬系が必要なことは、サイトに書いたとおりです。<br />
<br />
というわけで教育では、教える側の努力と、育つ側の「学ぶ力」のかけ算によって、成立します。ただ、一点注意すべき事は、職場では先輩の側が、たとえ職務面では高い能力を持っていたとしても、「教える能力」がないと、ちゃんと伝わらない点です。わたしはエンジニアですが、技術訓練は受けたものの、「教える能力」の訓練は受けた記憶がありません。ここがボトルネックになって、育成がうまく進まないケースは、案外多いのではないかと思っています。<br />
<br />
----------------<br />
<br />
相手が研究をされている方だったので、つい理屈っぽくカッコつけて書いてしまったきらいはあるが、いいたいことは二つである。<br />
「成長とは自分の能力、すなわち成果の達成度合いが高くなること」<br />
「他者を育成するには、知識の伝達と技術の移転が必要だが、とくに後者は学ぶ側の主体性が大切」<br />
<br />
である以上、自分が変わりたい・成長したいと願うなら、誰かによって「変えてくれる・育成してくれる」と受動的に白馬の王子の助けを待っているだけでは、決して実現しないわけだ。同様に、何か知識を「知る」だけでは変われないことが分かる。知ったらそれを、練習し試してみる場が必要なのだ。この『場』というのは、空間的な場所の意味もあるが、むしろ励まし合う仲間とか環境という面が大きい。転んでも助け起こしてくれる、そういう場である。<br />
<br />
以前書いた記事を補足しまとめると、自分が成長するためには、以下の７つのことが必須であるとわかる。<br />
<br />
１　優れた先生につく、あるいは良い手本やロールモデル（なりたい姿）を見つける<br />
２　学ぶための姿勢や習慣を身につける（＝チャレンジのOS）<br />
３　対象とする専門能力について、基本的な原理原則の知識を得る<br />
４　繰り返し練習し、あるいは真剣勝負にチャレンジする<br />
５　自分の経験（失敗を含む）から学ぶ<br />
６　互いに応援しあう仲間と良い環境を得る<br />
７　学びの途中で、まだ成果の出ない自分を支える、報奨系を持つ<br />
<br />
まあ、世にある道場とか運動部とかは、こうしたことを無意識に知っていて、サポートする仕組みなのだろう。ただ、そうした場も、競争意識が強すぎたり精神主義になりすぎたりすると、十分には機能しなくなる。<br />
<br />
ひるがえって、企業の場はどうか？<br />
<br />
一番むずかしいのは、４の練習の場を提供することだろう。練習には、失敗がつきものである。だがOJTと称して、実地の場しか与えないと、仕事で失敗させることができなくなる。失敗する前に先輩や上司が手を出してしまうか、ないしは失敗しそうな仕事はそもそも任せなくなるか、二つに一つだ。そうでなくとも、OJTではちょうど良い機会に、ちょうど育成に向いた仕事が来るとは限らない。<br />
<br />
わたしが、自分の主宰する「プロジェクト＆プログラム・アナリシス研究部会」で、新しくPMの自己育成のためのツールを共同で作ろう、と発案したのはこのためである。プロジェクトの状況を把握・分析し、その評価・シミュレーションを行い、自分の決断を複数人との協業の中で検証できるツール。まだ漠然とした構想の段階でしかないが、こうした道具立てと場を、研究部会で持てたらいいと思うのだ。<br />
<br />
これまで、研究部会では外部講師を招いて、ためになる知識を勉強してきた。それはそれで大事だから続けていくが、もっと参加者にとって実質的な、実になること、成長のきっかけになれること——そんな機会を少しでも提供できる場にしたいと思う。<br />
<br />
・・これが今年の、わたしの抱負の一つなのでした。<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「プロジェクト・マネジメントの教育について」（2014-01-27）]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 04 Jan 2016 11:36:45 +0900</pubDate>
      <dc:date>2016-01-04T11:36:45+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>人を使うということのオーバーヘッド</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/23592157/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/23592157/</guid>
      <description><![CDATA[なんだかひどく忙しい。そう、あなたは感じている。やらなければならない仕事が山のようにたまってしまった。このままでは期限までにアウトプットが出せそうにない状況だ。自分の下に誰かつけてもらって、やるべき仕事量を分担して進めるしかない。<br />
<br />
あなたは上司に窮状を訴え、一時的な手助けのために、なんとか若手を一人つけてもらえることになった。この部に入ったばかりの、まだ右も左も分からない新米だ。しかし贅沢を言っていられる状況ではない。周りも皆、忙しいのだ。儲かってもいないのに、ウチはなぜこんなに忙しいんだ？　　あなたは独り言をつぶやきつつ、そもかくその新米を席に呼ぶ。頼みたい仕事を説明するためだ。<br />
<br />
頼む仕事は、比較的単純だ。あなたが作ったExcelシートに条件の数字をインプットして、何種類かケーススタディをしてほしい。あなたは、ある案件の原価と収支を計算して、売価や条件を関連部門に連絡しなければいけないのだが、その計算の一部を新米に頼む訳だ。本当は、必要な資材数量や外注価格も調べて、インプットの数字も作ってほしいのだが、それには過去の実績を調べたり、関連部署に問い合わせたりしなければならず、ある程度経験がなければこなせない。だから自分で以前作成した計算用シートへのインプット作業だけを頼む訳だ。とはいっても、検討すべき条件にバリエーションがいろいろあるため、ケーススタディの数もけっこう多い。だから、そこだけでも分担してくれれば少しは助かる。<br />
<br />
・・と、思ったのだが、何なんだこの新米。端末で表を見せて説明してやっても、眠たそうな顔をしているだけで、分かったのか分からないのか不安だ。質問もしてこない。打てば響くように、即、作業に向かってくれるのを期待していたのだが、心許ない。「分かった？」と念を押しても、「はあ・・」と頼りなげに答えるばかり。いったん席に戻ったが、しばらくするとまたあなたのところに来て、「それで、インプットのデータはいつそろうんですか？」という。まだ全部はそろわないから、できている基本ケースから着手してくれと言ったじゃないか。すると次は、「このセルに入力しても、結果がすぐ出ないんですが。」という。だからそこはマクロを呼び出すんだよ。<br />
<br />
あなたは内心、舌打ちをしながら、しかたないので指示書を書くことにする。インプット諸条件の表（まだほとんどは空欄だが）、Excelの入力セルとマクロの起動、出すべきアウトプットとケーススタディの諸条件。ケーススタディ数は、結果によってはさらに増減する可能性がある。ともあれ最低限のケース条件を決めて、その新米に渡した。指示書を作成するだけで、2時間以上もかかってしまった。これじゃ何のために手助けを入れてもらったのか、わからない。<br />
<br />
半日後、新米が最初の計算結果を持ってきた。あなたは数字をちらっと見るが、なんだか変だ。表の入力欄を追いかけてみると、案の定、インプットの場所を間違えている。自分でチェックもできないのか！とあなたは叱って、もう一度やり直しを命じる。その後もまごまごして、結局、最初の答えが出たのは夜になってからだった。あなたが自分でやれば、たぶん1時間以内に終わるはずの仕事だったのに、指示書を作りアウトプットをチェックしていたおかげで、二人で半日、つまり1人日もの工数がかかってしまった。<br />
<br />
教訓１：人を増やしても、生産性はすぐには上がらない。指示や教育に必要な余計な手間（オーバーヘッド）が生じるためである。<br />
<br />
明くる日の夕方、あなたは数ケースの計算結果を新米から受け取る。ところで、横並びの表を見ているうちに、原価に関しては期待した傾向が出ていないので、少し疑問に思う。中身を再度、一つひとつ追いかけていくと、新米の間違いに気づく。計算ミスではない（そもそもExcelなんだから）。だが原価計算に関して、配賦の考え違いをしているのだ。使えない奴だなあ！　あなたは内心、毒づく。人事部も、もっと戦力になる人間をとってくれよ。だいいち、大学でもっと即戦力になるよう、教育すべきじゃないの？<br />
<br />
（ここでちょっと一言。大学で、ほんの少しだが教えている立場から弁明しておきたい。学校で教えておくべきことと、企業で社内研修で教えるべき事の線引きは、どこが適当だろうか？　答えは簡単である。社会において共通性の高い、汎用的な知識・スキルは学校で教え、企業ごとに違う、個別化されたスキル・能力は企業内で育てるべきなのだ。たとえば簿記の知識などは汎用的だ。だから会計や簿記教育のコースが成立する。しかし、原価の基本原理はともかく、配賦となると、企業ごとに違う。経営方針を反映しているからだ。<br />
<br />
「即戦力」という言葉が、企業内業務の個別性を含んだところまで意味するなら、それを学校教育に求めるのはおかしい。逆に、学校教育に多くを期待したいなら、自社内の業務をなるべく社会や業界の標準にあわせていく必要がある。むろん後者は、多数の企業が同じマインドで協力しなければ実現しないわけだ。<br />
<br />
この関係はちょうど、情報システムにおける手作りとパッケージ利用の違いに似ている。業界で共通性の高い仕事は、パッケージソフトが存在するし、それに任せておけばいい。他方、他社とは差別化した業務は本来、競争力の源泉だ。当然ながらそれをサポートするパッケージソフトなど、世の中には存在しない。<br />
<br />
問題は、競争力の源泉でもないのに、他社とは違う個別化された特殊業務が、あちこちに存在していることだ。それは確実に生産性の足を引っ張っている。そういう状態に無自覚なまま、「即戦力」だとか「クラウド活用」だとか叫んでも無意味であると思う。だが話がそれたので元に戻そう）<br />
<br />
ともあれあなたは、自社の原価に関する配賦基準を説明し、計算のやり直しを命じる。正しい答えが出てきたのは3日目になってからだった。今度からこの種の計算は、ちゃんと指示書をマニュアル化しとかないとまずいなと、あなたは思う。Excelももうちょっと表を分かりやすく作らねば。バカでも間違えずにインプットできるようにしないと、あぶない。<br />
<br />
教訓２：人を使って効率が上がるのは、より標準化・定型化された業務である。個別化され臨機応変が要求される業務は、他人に外注するにはあまり向かない。<br />
<br />
さて、あなたはいくつかのケーススタディの結果を携えて、企画会議に臨む。その場で議論が発展し、さらに検討すべきことが出てきた。あなたは自分の部署に戻り、新米に指示しなければいけない。口頭で背景を説明し、指示書を改定・追加するわけだが、ひどく面倒な作業に感じる。最初から、新米君も一緒に会議に連れて行けばよかったのか。少なくとも、こんな二度手間は不要になるはずだ。<br />
<br />
だがその三日後、次なる企画会議に新米を参加させてみると、2時間の会議の中で、かれに関係ある話題は5分ちょっとで、あとの時間はぼおっとして座っているだけだということが分かった。ただ、その話題がいつ出てくるかが、なかなか事前には読めないのだ。しかも会議に参加している間は、確実に新米君の作業が止まってしまう。<br />
<br />
だが、少なくとも会議に出させたおかげで、あなたがなぜこんなケースを追加したのか、どういう結果がほしいのか、了解はさせられたと思う。つまり、仕事の「コンテキスト(文脈)」を新米君にも共有させたのだ。しかし、やっかいなことに、コンテキストを理解したらしたで、こんどは新米が「こうすべきじゃないでしょうか？」などと言い出すようになった。お前さんの中途半端なアイデアなんぞ、期待しとらんのよ。いわれたことだけ、きちんとやってくれ。あなたは、そう言いたくなるところを、ぐっと飲み込んで、ただ聞き流すことにした。<br />
<br />
そうこうするうちに、ようやく企画も方向性が決まってきた。あなたが彼にやらせたケーススタディも20を超えたが、やっとミスが減ってきた感じだ。企画会議でも、少しはぴりっとした顔つきになってきた（思いつくアイデアは相変わらず的外れだが）。いろいろ忍耐もしたが、少しは育ったかなと思う。「育成とは忍耐だ。」と先輩が言っていたセリフを、あなたは何となく思い出す。<br />
<br />
・・というところで、思わぬ展開があった。この案件自体が、海外生産で対応することになったのだ。競争力を出すため、という命題なのだが、おかげで原価計算から何から、全部やり直しである。しかしトップの指示だから、しかたがない。あなたは、この新人にやらせた計算作業を、今度は海外子会社にやらせなければならない。となると、まずExcelの表も指示書も、英語に翻訳する必要がある。それはまだ我慢できるとしても、あの、多部門を巻き込んだ企画会議のドタバタを、こんどは子会社と繰り返すのかよ、とあなたは思う。案件の企画というのは、クロス・ファンクショナルな、相互調整と交渉の仕事である。やるべきケーススタディの条件も、すべて最初から決める訳にはいかない。20のケースを決めて、まとめて「計算してくれ」と依頼するなら、まだしも楽だ。だが、結果を見ながら条件を微調整して、といった進め方を、言葉も働く時間帯も違う相手と、うまくできるだろうか。<br />
<br />
案の定、企画の仕切り直しは当初の倍以上の期間がかかってしまった。とにかく海外子会社あてだと、何を頼むにも一から十まで事細かく説明し文字にしないと伝わらない。いや、文字に書いたって、あちこちで誤解と混線が生まれるのだ。結果が出るまで任せきりにできないから、途中経過も逐一チェックし、軌道修正をかけてやらなければならない。本当にこんな事やっていて、コストダウンにつながるの？　むしろエンジニアの手間が増えるばかりじゃないの。何せ相手は、話のコンテキスト（文脈）を共有していないのだから。<br />
<br />
教訓３：コンテキスト（文脈）を共有しない海外相手の作業外注は、同じコンテキストを共有する日本人同士より、余計なオーバーヘッド（手間）が倍以上かかる。<br />
<br />
「コンテキスト・レベル」というのは、アメリカの文化人類学者Ｅ・ホールが言い出した概念だ。社会の中でのコミュニケーションにおいて、どれほどお互いがコンテキスト（文脈）を共有しているかに関する、無意識の前提である。ハイ・コンテキストな社会では、お互いが「言わずと分かる」以心伝心・暗黙の了解が、コミュニケーションの基本的スタイルになる。ロー・コンテキストな社会では、すべてを言語化して伝えないと分からないはずだ、というコミュニケーション・スタイルが基本になる。ホールは調査の結果、アメリカ先住民はハイ・コンテキストだが、白人社会はロー・コンテキストであるという意味のことを述べている。アメリカに比べて北欧社会はもっとロー・コンテキストだ、とも。<br />
<br />
先日、訪日したスペインのPM学者Dr. Javier Pajaresさんと話していたら、同じヨーロッパ内でもコンテキスト・レベルに差があり、たとえばスペインに比べてドイツはずっとロー・コンテキストだが、旧ソ連のCIS国家はかなりハイ・コンテキストに思える、と言われていた。国際会議で、たまたま旧CISの教授が、ドイツ人の教授と、1対1の会食を希望した。他人のいない場所で、本音で話したいことがあったらしい。しかし、それを遠回しな形でしか伝えなかったために、ドイツ人はPajaresさんをはじめ、知人のイタリア人やら誰やらをみんな呼んでいたので、やってきた旧CISの教授はびっくりしてしまったという。「ドイツ人に何かを伝えたかったら、そのものズバリを言わなきゃダメだよ。ドイツ人にとってYesはYes、NoはNoなんだから」というのが、彼の解説であった。<br />
<br />
何度も書いていることだが、「人に働いてもらって目的を達すること」が、『マネジメント』という行為の中核である。人を動かすのだから、テレパシーでも使えない限り、言語化して伝えなければならない。ただし、その手間は、相手と共有する文脈、そして相手がよって立つ文化のコンテキスト・レベルに依存する。日本は非常にハイ・コンテキストな社会である。だから、あまり事細かく言語化しなくても、下にいる人間は、上の意向を忖度（そんたく）して動く。<br />
<br />
このやり方に慣れていて、これがそもそも当然であると思っている人が、いったん国境を越えると、あまりに指示に手間がかかるといって驚くことが多い。驚くだけならまだしも、怒ったりあきれたり、さらに「相手はバカだ」と思ったりする。そうなると、ビジネス的コミュニケーションのはずが、感情的なやりとりに転化してしまう（ここに、人種的偏見が微妙に影響したりするから、ますます始末におえない）。そうなったら協力的仕事などうまくいくはずがない。<br />
<br />
でも、落ち着いて考えてみると、わたし達の普段の仕事でも、コンテキストを共有しない相手とか、世代が離れていて感覚の違う相手とかだと、やはり大小の違いはあれど似たようなギャップがあるはずなのである。それに気づいて、落ち着いて対処できる態度が身についているかどうかが、じつは大事なのだ。<br />
<br />
どんな業界でも職場でも、仕事量には山と谷がある。そして個人の能力にも限界がある。それを超えて仕事量を柔軟に増大したければ、他者を使うときの原理と、コミュニケーションに必要なスキル・態度を身につけなければならない。そして、人を使うときには、それにともなう手間＝オーバーヘッドが余計にかかるのだ。一人を二人に増やしたって、生産性は2倍にはならない。3割か、よくてせいぜい5割増し程度だ。それを8割増しくらいに持って行くためには、きちんとした標準化等の準備が必須である。<br />
<br />
あいにく、わたし達は、そうしたことをあまりきちんと教育されていないようだ。少なくともわたし個人は、人の使い方を体系立てて教わったり、コーチングを受けた記憶がない。だが、「人を使う」という行為は、課長やマネージャーの地位に就くはるか以前から、実務では必要になる。とくに海外とやるときは、組織的な習慣化（＝ＯＳ化）が望ましい。だから「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」みたいな本を書いた訳だが、たとえ国内とやるときだって、相手が社内にいるときだって、最低限、知っておかなければいけないことがあるのだ。上にあげた3つの教訓などは、その代表例だろう。こうした集合的な知恵とスキルを、わたし達はもっと組織内で蓄えるべきではないかと思うのである。]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 23 Aug 2015 14:52:08 +0900</pubDate>
      <dc:date>2015-08-23T14:52:08+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>YesとNoのゲーム　－　コミュニケーションを教えるということ</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/23508591/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/23508591/</guid>
      <description><![CDATA[最初に、『Yes/No』ゲームについて説明しよう。Q&amp;A（質疑応答）ゲーム、ともいう。４、５人ずつのグループでやるゲームだ。大人でも、子供でも、むろん学生でもできる。<br />
<br />
ルールはとても簡単である。出題者は、何か具体的で、目に見えて手で触れる、形のあるもの（人でもいい）の名前を紙に書いて、隠しておく。回答者はグループに分かれて、順番に、出題者に対して１つずつ質問をしていく。このとき、質問についてのルールが２つある。一つ目は、質問は必ず、相手が「Yes」か「No」か、または「どちらでもありうる」の三種類のどれかで答えられるような質問であること。二つ目のルールは、誰かが既にした質問を繰り返してはいけないこと。基本はこれだけだ。<br />
<br />
たとえば、出題者が「ビーチボール」という答えを用意していたとしよう。質問する側の最初のグループが、<br />
「それは食べられるものですか？」とたずねる。答えは「No」だ。<br />
二番目のグループは、「それはどこの家にもあるものですか？」と聞いてみる。出題者は「うーん、Noかな。」というだろう。<br />
さらに三番目のグループが、「手で持てる大きさのものですか？」と質問し、「Yes」の答えを得る・・といった具合である。こうして順番に質問を浴びせていき、最後に、「それはビーチボールですか？」とたずねて「Yes」の答えを得た班が勝利者になる。<br />
<br />
「それは何ですか？」「それはどうやって作るものですか？」といった質問ではなく、必ず「Yes/No/どちらもありうる」で答えられる質問、というところがミソだ。このように、答えの選択肢が限定されている質問のことを、コミュニケーション論の分野では、Closed Questionと呼ぶ。他方、「それは何？」のように答えに限定がない質問は、Open Questionという。このゲームは、いいかえると、有限の数のClosed Questionをつかって、どれだけ早く正解に絞り込めるかを競うゲームだといってもいい。<br />
<br />
むろん、このとき、他の班の質問と答えも利用していい。というか、利用しないと、競争に勝てない。しかもルールの二番目、「同じ質問を繰り返してはいけない」が厳然としてあるので、他の班の質問をちゃんと聞いていなかったら、失格になる可能性がかなり高くなる。<br />
<br />
わたしはこれを、大学でプロジェクト・マネジメントを教える講義の中で、何度か演習に使ってみた。そして、非常に効果があるという実感を得ている。学生から毎回提出してもらう出席シートでの反応も、概して良い。ゲームとして面白いだけではない。何となく、コミュニケーションの勉強になったという実感があるのである。<br />
<br />
「コミュニケーション」はプロジェクト・マネジメントの中核にあるスキルだ。そもそも『マネジメント』という言葉の中核的な原義は、「人に仕事をしてもらって目的を達すること」である。他の人を動かすのには、テレパシー能力でも持っていない限り、言葉にしてコミュニケートする必要がある。「言葉にして伝えること」は、マネジメントの第一歩なのだ。だから、PMBOK Guide(R)などでも、コミュニケーションは10個の知識エリアの一つに組み込まれている訳だ。<br />
<br />
ちなみに、IT技術の分野でも、もっとも重要視されるスキルは「コミュニケーション」である。IPA（情報処理推進機構）のアンケート調査によると、IT企業と教育機関とが重視したい教育項目のトップは、ともにコミュニケーション能力だという（次表参照）<br />
<br />
IT企業が重視してほしい教育　トップ５          <br />
(1) コミュニケーション能力     61.2%         <br />
(2) 問題解決能力               42.6%      <br />
(3) 文章力・文章作成能力       30.7%      <br />
(4) チームワーク・協調性       25.5%      <br />
(5) プログラミング技術         22.2%      <br />
<br />
教育機関が重視している教育　トップ５<br />
(1) コミュニケーション能力     59.4% <br />
(2) 問題解決能力               29.3%<br />
(3) チームワーク・協調性       24.7%<br />
(4) 文章力・文章作成能力       20.1%<br />
(5) プログラミング技術         19.2%<br />
　（情報処理推進機構　IT人材育成本部編「IT人材白書2013」p.41より抜粋して引用。マルチアンサーなので合計は100%を超える）<br />
<br />
どちらも、「プログラミング技術」は第５位にすぎない点が面白い。コーディングの能力より、まず人と話し合える能力を、というわけだ。３位の「文章力・文章作成能力」も、コミュニケーション能力の一部だと考えれば、その重要性はもっと高いことになる。<br />
<br />
（ついでながら、「プロジェクト・マネジメント」はIT企業側で7位・11.7%、教育機関側で11位・8.8%しか重視していない。どうやらPMの知識教育は、IT業界ではろくに期待されていないらしい）<br />
<br />
なお、上の数字と、新卒採用時に重視する観点（同書 p.83）を比較すると、さらに面白い。<br />
<br />
「新卒採用時に重視する観点」<br />
(1) コミュニケーション能力     75.9%<br />
(2) 主体性・積極性             63.7%<br />
(3) チームワーク・協調性       40.1%<br />
(4) 潜在能力・成長可能性       29.3%<br />
(5) 社風との適合性             22.5%<br />
(6) ITに関する技術力           22.3%<br />
<br />
「ITに関する技術力」については、入社後習得・育成が可能であると考えられているためか、「コミュニケーション能力」等の資質的な項目よりも下位に位置づけられる結果となっている（p.83）。つまり、「コミュニケーション能力」、「主体性・積極性」、「チームワーク・協調性」などは入社後の習得・育成が可能でないと企業は考えているわけだ。<br />
<br />
これほど期待されているにもかかわらず、わたし達の社会では、うまくコミュニケーションができない場面をしばしば見る。また、どうやったらコミュニケーションのスキルを高められるかについて、社会的な合意もないようだ。本来、学校教育の場では「国語」がその任に当たっているはずだ。だが、わたし自身の記憶を振り返っても、現国・古文・漢文の三教科を通して、自身の的確な意思疎通能力を鍛えられたという実感がない。なにか美的な、文学鑑賞能力を問われた記憶はある。漢字の書き取りもずいぶんやらされた（今やワープロを使っているのでほとんど忘れたが^^;）。だがリアルタイムの、切実な意思疎通を、上手にできる教育をうけたとは思えぬ。<br />
<br />
コミュニケーションには大雑把にいって二種類のモードがある。おしゃべりモードと切実モードだ。おしゃべりモードは、対話自体が目的のようなもので、何かを伝達することは副次的である。ところが仕事上のコミュニケーションや、日常生活でもある種のコミュニケーションでは、「これをどうしても伝えたい」という切実モードが主体になる。伝達媒体は、対面の会話のこともあるだろうし、メールや、あるいは文書の場合もあろう。ただし文書やメールでうまく伝わらないときは、結局、対面での説明に持ち込まざるをえないから、結局、会話での伝達が一番ボトムラインになるのだ。<br />
<br />
ところが、この対話的なコミュニケーションが、教えるのも学ぶのも、案外難しい。時間と手数がかかる上に、相手によって会話の筋道がかわり、再現性が低いから、一定の型を真似ればすむ訳にはいかない。ペーパーテストができないから、教室でのマスプロ的な教育カリキュラムにも乗りにくい。<br />
<br />
対話的なコミュニケーションにおいて大事なのは、相手の話を聞きながら、同時に考えることである。聞くことと考えることが、同時にできなくてはならない。そして、相手が知っていることと自分が分かっていることのギャップを、常に意識する必要がある。説明とは、両者の間にある知識・認識のギャップを埋める行為だからだ。<br />
<br />
このトレーニングのために、最初に述べた「Yes/Noゲーム」が有効なのである。このゲームにおいては、<br />
→注意して聞く<br />
→聞いたことを覚えておく<br />
→同時に考える<br />
の三つのことをリアルタイムに実行しなければいけない。しかも、勝つためには、それを数人の仲間と一緒にやらないといけないのだ。<br />
<br />
もっとも、「Yes/Noゲーム」のルールを説明すると、そんな効率の悪いClosed Questionでは、いくら質問を重ねても、正解に到達するには際限もなく時間がかかるのではないか、と批判する学生があらわれる。だが、実際にやってみると分かるのだが、大学生レベルの知的能力をもっていれば、普通の出題ならだいたい20問以内に正解にたどり着く。Closed Questionという道具は、賢く使えば、かなり効率よく相手を追い込むことができるのだ。<br />
<br />
そして、これができる人は、交渉が上手な人である。交渉（ネゴシエーション）こそ、プロマネに求められる能力の中でもトップクラスのものだろう。人を説得し、動かすことこそ、PMの仕事なのだから。そして交渉においては、きわどい局面ではOpen Questionは役立たない。価格交渉で「じゃあ結局いくらまで払っていただけますか？」などと問うても、相手がまともに答えてくれるはずはない。このとき、「でも、何か得るものがなければ、お互いに帰れませんよね？」「やはり納期よりも金額ですか？」「それって、たとえばベンツ１台より高いですかね？」・・といった風に、相手の刃を避けつつ、鎧の隙間を狙っていく能力が必要だ。むろん、笑顔や声色やボディランゲージも、巧みに取り入れながらだ。<br />
<br />
こうした交渉の基礎的能力づくりとして、Yes/Noゲームは有用なのである。このゲームについては昔からなんとなく知っていたが、あらためて学んだのは、英語教育家として著名な故・中津燎子氏の著書（「英語と運命」）からだった。本来このゲームは子どもの教育用だが、わたしはあえて学生相手に試してみた。<br />
<br />
試してみて驚くのは、ルールの二番目、「他と同じ質問を繰り返してはいけない」を破って失格になる者が、ときどき現れることだ。なぜか。他人の発言を、よく聞いていないのだ。上の空で聞き流して、自分の中だけで考えている。これでは良いコミュニケーションができるわけはない。そして、おかしなことに、こうした傾聴の態度・姿勢は、初等中等教育では、ちっとも訓練されていないのだ。つまらぬ教師の話を聞き流すのは、分からんでもない。だが、聞き流したら即、失敗となるゲームの場で、なぜ集中して聞かないのか。<br />
<br />
「相手の話を聞いていない」人は、わたし達のビジネスの場でも、しばしば出会う。何を話しても、どうしても聞いてくれない。自分の側の論理だけを、一方的に繰り返す。その相手が権力があったり、顧客だったりしたら、もうお手上げに近い。だが、その相手だって、最終的には聞かないことで損をしているのだ。当然だろう。この世は取引と協力、ギブ・アンド・テイクでできている。テイクしかしない人と、誰がまともな関係を取り結ぶだろう？　だれが本当の情報を奏上するだろう？<br />
<br />
Communicationという英語は、本当は「伝達」という意味で、一方向にむかった動詞である。相手に着実に伝えること。これがCommunicationなのだ。そして、伝えるためには、逆説的なようだが、聞く耳を持たなければならない。日本ではなぜか「コミュニケーション」は双方的で、だからお互いに責任のない、ふわふわしたもののように理解されがちだ。それはおしゃべりモードの場合だけである。わたし達が何かマネージしたければ、切実モードのコミュニケーション・スキルを身につけるしかないのだ。<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「書評：『英語と運命』　中津燎子・著」（2014-06-08）]]></description>
      <dc:subject>E4 ビジネスのソフト・スキル</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 02 Aug 2015 10:48:17 +0900</pubDate>
      <dc:date>2015-08-02T10:48:17+09:00</dc:date>
    </item>
    <supplier>
      <url>
        <excite>https://www.excite.co.jp/</excite>
        <exblog>https://www.exblog.jp/</exblog>
        <idcenter>https://ssl2.excite.co.jp/</idcenter>
      </url>
    </supplier>
  </channel>
</rss>
