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  <title>タイム・コンサルタントの日誌から:A4 コスト・品質・安全</title>
  <category scheme="http://brevis.exblog.jp/i20/" term="A4 コスト・品質・安全" label="A4 コスト・品質・安全"></category>
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  <modified>2026-04-14T10:29:19+09:00</modified>
  <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
  <tabline>タイム・マネジメントとSCM専門家のエッセー・批評・考察集</tabline>
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    <title>あらためて、設計の品質を考える</title>
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    <issued>2026-04-14T10:29:00+09:00</issued>
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    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[設計とは何か、とくに魅力的設計とは<br />
<br />
<br />
「一流の大学を出た優秀な新入社員は、設計開発部門に配属する」というポリシーを持つ製造業の企業は多い。一流の大学とは何か、優秀な新入社員とはどういう意味か、という謎には、ここでは深入りしない。とにかく、デキる人間には設計を（それも基本設計を）させる、との方針である。<br />
<br />
<br />
もちろん、こういうポリシーはふつう、言葉にはされない。もし明文化してしまうと、製造とか品管とか物流に配属された人間は、“なんだ、俺たちは会社から優秀じゃないと思われてるのか”と、へそを曲げかねないからである。会社というところは、全員にとにかく馬車馬のごとく働いてもらうべし、という論理でできている。最初からモチベーションを損なうようなことは避けるのだ。<br />
<br />
<br />
それでも、なぜ優秀な人間を基本設計部門に働かせたいかというと、魅力的な製品を作ってほしいからである。顧客を引きつけ、売上を伸ばし、競合他社に打ち勝てる製品が欲しい。そう願うからだ。優れた製品は、成長のエンジンだ。平凡な製品では、価格競争に巻き込まれ、生き延びるだけでカツカツだ。経営者はたいてい、そう思っている。<br />
<br />
<br />
魅力的な製品を作れるのは、設計部門である。設計が決まってしまってから、営業や製造や品管やらが寄ってたかって努力しても、今さら製品の魅力度をぐんとアップするのは、難しい。だから設計部門が大事なのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
設計能力を改善するには<br />
<br />
<br />
そこまではまあ、納得するとしよう。問題は、良い設計、魅力的な製品を生み出す設計能力を、どう確保するのか、である。優秀な人間を注ぎ込めば、それだけで実現するのか？　それはちょっと楽観的に過ぎよう。仕事のパフォーマンスを改善するためには、何らかの尺度で測って標準を設定し、それに影響する因子を攻めていくのが、常道である。<br />
<br />
<br />
ではそもそも、設計の良し悪しは、どのように測るのか？　つまり、設計の品質はどう定義するのか、そして、それをどう改善するのかを考えていく必要がある。<br />
<br />
<br />
たとえば、設計ミスというのは、明らかに品質問題だ。長年エンジニアリング会社で働いてきた身にとっては、シリアスな問題である。設計は人間のやることなので、ミスのない設計は無い。そして設計ミスは、製造や建設のフェーズになって表面化するのが普通だから、修正に多大なコストがかかる。それを設計段階でどれだけ減らせるか、が重要な課題になる。そして「設計レビューの徹底」などの対策が講じられる。<br />
<br />
<br />
しかし、ちょっと考えてみてほしい。ミスを減らすことは大事だ。だが「ミスのない設計＝魅力的な設計」なのだろうか。ミスはないが、平凡な設計というものも考えられるだろう。つまり、ミスがないことは良い設計の必要条件だが、十分条件ではないのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
品質とは何か、とくに魅力的品質とは<br />
<br />
<br />
このような問題に対し、品質管理論はどのような解決策を教えてくれるか。結論から言うと、あまりめざましい提言はない。現代の品質管理論の根幹は、「品質はプロセスで保証する」である。これは、「品質は検査で担保する」という昔風の考え方をオーバーライドしたものだ。<br />
<br />
<br />
ということは、設計における検査＝「設計レビュー」だから、レビューで品質を向上するというアプローチは、一時代まえの方法論ということになる。検査・レビューは必要だ。だが、それだけでは十分ではない。ちなみに、品質管理論ではフィードバックを重視する。検査（レビュー）結果を、作業者（設計エンジニア）に、できるだけ迅速にフィードバックせよ、と。はいはい。それはまあ、設計レビューでは普通やってるよね（形骸化していない限り）。<br />
<br />
<br />
もう一つ。統計的品質管理論では、成果の平均値だけでなく、ばらつきを問題にする。したがって、設計プロセスを標準化せよ、属人化させるな、ということになる。こういう話題は大抵、ツールや方法論とセットになる。だからCADやPLMベンダーの売上が成長するのだし、要求工学だシステムズ・エンジニアリングだMBDだ、という舶来思想の導入になっていく。で、設計の質は向上したの？<br />
<br />
<br />
統計的品質管理論からは、魅力的品質は生まれない。「魅力的」は、平均値ではないからだ。正規分布の山の頂上に、魅力点がある訳ではない。右の方の、ずっと外れた方に生まれるのだ。だとしたら、標準化して個人差をなくすのは、望ましいことなのか。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
魅力的とは何か<br />
<br />
<br />
もっとも、品質管理論の中にも、「魅力的品質」という言葉は存在する。前向き品質（Forward Quality）と呼ばれたりもする。この概念は、「当たり前品質」（後ろ向き品質=Backward Quality）とセットで論じられることが多い。<br />
<br />
<br />
「魅力的品質」とは、それが備わっていると顧客満足がとても高まるが、なくても満足度が下がるわけではないような、品質特性である。「当たり前品質」はその逆で、あって当然、と顧客が思っているが、ないと満足度がはなはだ下がるような特性だ。液晶ディスプレイは、全部のドットが表示されて当然、どこか数カ所に黒い欠落があったら商品価値が急激に下がる。これが「当たり前品質」である。<br />
<br />
<br />
では、液晶ディスプレイの魅力的品質とは何か。画素数とかディスプレイのサイズ・広さとか解像度とかリフレッシュレート、だろうか？　そうではない。それらは皆、カタログに性能・仕様として明記されている。顧客が普通、あるとは期待していないが、あると急に満足度が高まるもの。これが魅力的品質である。画素数も解像度も、無いとは誰も思わない。<br />
<br />
<br />
「品質」という言葉のあやふやさについては、ずいぶん前になるが、すでにこのサイトで書いた。品質管理論は、「品質とは顧客の満足度で測られる」というテーゼにのっとっている。しかし品質という言葉の用法を冷静に調べてみると、それは正しくない。なぜなら「価格」や「納期」や「性能」が顧客の最大の要求事項なのに、それらは品質特性ではないからだ。<br />
<br />
<br />
その時のわたしの概念分析では、品質とはむしろ「ユーザが暗黙のうちに持っている期待を満たす程度」なのだった。言語化された機能要求、数値化された性能や材質を満たすこと自体は、品質ではない。100Wの電球が60W電球より「品質が高い」とは、誰も言わない。明言された約束を果たすことは「当たり前」である。100W電球が点らなかったら、たしかに品質問題だが、それは点って当然だからだ。<br />
<br />
<br />
つまり我々が品質うんぬんを論じる場合、それは「当たり前品質」のことであって、しかもそれは「言語化されていない（ないし、数値化しにくい）品質特性に対する期待値」なのである。ITシステムの分野には「非機能要件」という概念があり、あまり他の工業製品分野では使われないが、「当たり前品質」とは、非機能要件を満たす程度、だと言いかえても良いかもしれない。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
魅力的な設計を実現するために<br />
<br />
<br />
では、「魅力的品質」とは何か。液晶ディスプレイだったら、その魅力的品質とは何だろうか。それは、ユーザの思いもよらない機能性かもしれない。たとえば、縦横に回転可能なディスプレイを初めて見たときは、本当に驚いて、飛びついて買ったものだ（実際にはそんなに頻繁に、縦横にチルトしたりしないのだが）。あるいは、ハードウェア製品としての「美」の魅力などもあるだろう。工業製品にも、美がある。単に機能すれば良いはずの工業製品に、美があると、たしかに魅力は増す。<br />
<br />
<br />
こうしてみると、魅力的とはまさに、従来の品質管理論の枠の外側にあることが分る。品質は顧客満足であり、顧客要求を満たす程度だ、というのが品質管理論だ。だが、魅力は違う。魅力とは、「顧客が思ってもみなかった機能や美の実現」なのだ。これは明らかに、要求分析やシステムズ・エンジニアリングでは、出てこない。だって思ってもいないのだから。もちろんCADやPLM導入でも、実現はしない。<br />
<br />
<br />
「美」は明らかに、魅力の重要な一部だ。だがよく考えてみてほしい。美は非属人的な、普遍性があるのか。むしろ美とは、個性的なものではないか。たとえばダ・ヴィンチ「モナリザ」や王羲之「蘭亭序」は、見たら誰もが美に恍惚とするのか。バッハ「マタイ受難曲」は聞いたら誰もが涙を流すのか。そうとは限るまい。美には個性があり、必ず好き嫌いがあるからだ（ちなみに最後の例については、そのような演奏がいかに困難か、わたしは体験的によくよく知っている：笑）。<br />
<br />
<br />
こうしてみると、最初の問いに戻ってくる。魅力的設計のためには、一流大学を出た人材が適切なのか。日本の高等教育は、減点主義だ。最近こそAO入学の普及とともに変わりつつあるようだが、旧センター試験に象徴されるマークシート問題は、ミスのない秀才を選ぶための仕組みだった。個性的な人間は、加点主義でないと生き残れない。そして企業内の設計部門でも、個性的人材を加点主義で評価しなければ、個性ある設計はできまい。<br />
<br />
<br />
そして、魅力的設計とは、顧客が思ってもみなかったような製品の設計なのだ。ということは、市場調査では出てこない、雑誌によくある各種性能の比較表をはみ出すような、新しさが必要だ。つまり、新たなカテゴリーの製品である。新たなカテゴリーの製品を生み出し、顧客は指名して買いに来るようになる。少なくともそれが基本設計の目標でなければならない。あなたの会社では、そのようなテーゼで設計部門は動いているだろうか？<br />
<br />
<br />
と同時に、どう作り、どう売るかの方法論がなければ、新カテゴリーの製品は生きない。つまり製造や営業や物流など、関係する全部門の協力が必要だということになる。魅力的設計は、設計部門だけの取組みではなく、クロス・ファンクショナルな統合が大事なのだ。<br />
<br />
<br />
顧客・市場の要求に忠実に従い、継続して改良している――それはそれで、結構だ。だがそれは設計の「当たり前品質」でしかない。それなりの差別化技術を有し、価格競争よりも性能やユニークな機能で勝負している？　その方がベターではある。だが、その差別化のポイントは魅力だろうか？<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202604/14/47/e0058447_10283316.png" alt="_e0058447_10283316.png" class="IMAGE_MID" height="564" width="322" /></center><br />
写真はダイソン社の扇風機だ。このような扇風機が可能だとは、誰も思わなかった。ユーザの誰も、このような機能・構造を定義しなかった。創業者のジェームズ・ダイソンは設計技術者で、彼はあえて自社のCEOにはならず、チーフ・エンジニアの職に留まっている。ダイソンの製品は高い。それが高利益の源泉だ。だが利益を出すだけのために、彼は会社をやっているのではない。利益は企業が存続し、次の投資ができるための必要条件でしかない。何の投資か？　もちろん、次の技術である。新しいカテゴリーの技術開発を実現するために、彼は会社を回しているのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
「品質とは（本当は）何だろうか　－　(1) 問い」 (2012-04-18)<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>MESはむしろ品質のためにある（＋経営工学会シンポジウムのご案内）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brevis.exblog.jp/33893960/" />
    <id>http://brevis.exblog.jp/33893960/</id>
    <issued>2026-02-16T19:56:00+09:00</issued>
    <modified>2026-02-16T19:56:11+09:00</modified>
    <created>2026-02-16T19:56:11+09:00</created>
    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[サイトのカテゴリー分類について<br />
<br />
<br />
<br />
当サイトの以前からの読者はお気づきかもしれないが、最近、記事のカテゴリー分けを見直した。「A 生産マネジメントとSCM」「B プロジェクト・マネジメント」「C システムとしての工場」「D 情報システムのマネジメント」「E ビジネス・マネジメントと管理技術」「F 考えるヒント」「G 書評」の、実質7カテゴリー・23分類に詳細化したのである。これで、話題の広がりが見通せると同時に、関連記事が少しは見つけやすくなっただろう、と信じる。<br />
<br />
<br />
そう言いながら、自分の記事の分類に自分で悩むことも結構ある。例えば今から書こうとしている本記事にも、その一つだ。なぜなら、2種類のトピックに関して、その関連性を考えようという記事だからだ。2種類のテーマとは、 次世代スマート工場の必須の道具であるMESと、製造における重要なKPIである『品質』のことである。前者には、カテゴリーC2「スマート工場」があるし、後者はカテゴリーA4「コスト・品質・安全」に属する。<br />
<br />
<br />
今回はそれでも、後者のカテゴリーA4に分類しようと思う。 なぜなら、品質について改めて考え直してみたいからである。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
品質偽装の蔓延と、その原因<br />
<br />
<br />
<br />
こんなことをネットで書くべきではないのかもしれないが、最近気になることをある製造業に詳しい知り合いの法務専門家から聞いた。この方によると、品質偽装はかなり多くの企業で起きていて、もはやそれを前提に色々と対策を考えざるを得ない、という。 かつての品質大国ニッポンは風前の灯だ、とのことだ。<br />
<br />
<br />
たしかにちょっと振りかえってみても、数多くの偽装問題が新聞を賑わせた。たとえば：<br />
<br />
<br />
D工業（自動車メーカー）による道路運送車両法の認証不正問題（1989年頃〜／2024年問題化）<br />
K重工業による海上自衛隊向け潜水艦のディーゼルエンジンの燃費・性能データ偽造（1988〜2021／2025年問題化）<br />
Pインダストリー（電子材料事業）で、複数種類の半導体材料・電子部品関連の材料データにおける改ざん・認証関連不備（2000年代後半〜／2024年問題化）<br />
K製鋼所によるアルミ・銅・鉄鋼製品などの強度・耐久性データ偽造（1970年代後半?〜／2017年問題化）<br />
<br />
<br />
<br />
・・などなど。どれも防衛・鉄道・自動車・半導体など社会の基幹インフラに関わる事案で、なおかつ人も知る（社会的信用もあるはずの）大企業によって行われていた。なお、新聞沙汰になったのだから実名を書いてもいいのだが、個別企業の経営批評が目的ではないので伏せ字にしておこう。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
なぜ品質偽装が表に出てきたのか<br />
<br />
<br />
<br />
偽装のはじまりが1980年代の終わり頃、つまり高度成長が終わったバブル時代くらいにまでさかのぼるケースも多い。偽装は近年に始まった話ではないのだ。ただ、それが近年になって発覚した事例が多い。なぜだろうか？　内部告発等があったにせよ、ではなぜ、長い間だれも声を上げずにきて、急に最近増えたのか、疑問が残る。<br />
<br />
<br />
え？　コーポレート・ガバナンスが浸透したから？　金融庁関係者ならそう思うかもしれないが、どうだろう。だったら架空取引とか売上偽装事案だって、もっと出てきてもいいはずではないか。なぜ品質偽装ばかりが多いのか。<br />
<br />
<br />
<br />
そこには二つの要因があるのではないかと、わたしは推測している。すなわち人手不足と、製造現場へのデジタル技術の浸透である。これらはまさに、コロナ禍の時代に前後して、製造業に共通して進んだ事象だ。人手不足は、熟練工の引退と若手の採用難、そして派遣労働者への依存と歩を合わせて進んだ。若手や中堅の転職も増えている。偽装には、その秘密を守れる仲間意識が必要だ。だが、自分は職場と運命共同体という感覚を、次第に持てなくなってきている訳である。<br />
<br />
<br />
<br />
そしてもう一つが、現場のデジタル化である。従来は、生産管理システムがあっても、現場の差配は紙の帳票ベースが主体だった。ところが、ITは生産管理から現場の製造管理までおりてきた。それがMESである。現場の検査機や製造装置の数値を、そのままI/F経由で読み取ってデジタル製造記録に残すのが、MESの主要な役目だ。そうなるとMESの検討段階で、「おい・・やばいなこれ、どうすんだ？」という内緒の会話が始まるのである。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
MESとは品質保証のシステムである<br />
<br />
<br />
<br />
そもそも、なぜ品質偽装なのか。それは簡単に言うと、QCDのしわ寄せが現場に来た結果である。製造業の三つの主要指標、QCDはトリレンマの関係にある。トリレンマは三すくみ、つまり他の2つに影響を与えずに1つだけいじることができない関係を表す。コストを下げたら、品質か納期に影響が出る。納期を早めたら、品質かコストにしわ寄せが来る。<br />
<br />
<br />
ところで、製造業では誰がその三つを決めるのか。実は、別の部門が決めるのだ。図は以前、「製造業のトリレンマ・QCDを決めるのは誰か」(2024-11-19)にあげたものの再掲である。コストはそもそも、製品設計や工程設計や調達など、製造に入る前の段階で（多くは本社で）、大半が決まってしまう。納期は、生産管理業務を受け持つ工場の製造マネジメント層（中二階）が決める。そして製造品質は、現場が作り込む。でも、会社の力関係は、本社＞マネジメント＞現場、となりがちだ。だから、コスト＞納期＞品質、の順にしわ寄せがくるのである。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202411/19/47/e0058447_20145690.png" alt="_e0058447_20145690.png" class="IMAGE_MID" height="375" width="500" /></center><br />
<br />
MESとは製造管理システムともよばれるように、主に現場の業務を支える。それもふつうは、製造指図が上位系のERP/生産管理システムから下りてきた所が起点となる。MESは詳細な手順を現場の作業員に表示し、あるいは物品にバーコードラベルやRFIDを発行してロット識別し、機械と通信I/F経由で指示値や実績値をやりとりする。<br />
作業者が間違えてロットを投入しないよう、ラベル照合したり、機械に応じた設定条件を通信で送ったりといった、いわゆる「ポカよけ」は、MESの得意分野である。正しい標準作業手順SOPにしたがって、モノづくりをするようガイドする。つまりMESとは、納期を司る生産管理よりも、品質を保証する役割の方が強いのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
スマート工場とMESの役割とは<br />
<br />
<br />
<br />
「スマート工場とはMESを活用する工場である」 と、わたしは言い続けてきた。単なる機械単位・工程単位のデジタル化・IoT化も結構だけれども、工場全体が賢さを得なければ、本当の意味で製造業の問題解決にならない。そのためには、まずMESが必要だ、と。だから部分的なスマート化と区別したくて、あえて「次世代スマート工場」という言い方を選んできた。そのポイントは、工場レベルでの賢さの実現である。そして「賢さ」には、偽装のような悪だくみに陥らない、という意味もこもっている。<br />
<br />
<br />
誰だって、やりたくて偽装をやってるのではない、と思う。最初は誰かがやむなく命じ、時間がたつと次第に職場の「習慣」となっていく。だが、やる当人は気持ちのいいものではない。少なくとも、自分の子どもに向かって、胸をはって話したい事ではない。働く人が、働くモチベーションを失ったら、良い製品ができるはずがないではないか。それは「賢さ」とはほど遠い。<br />
<br />
<br />
今こそ、「なぜスマート工場なのか」を議論すべき時なのだと信じる。たまたまちょうど、信頼する研究会仲間である松本卓夫氏から、経営工学会が主催する、次世代スマート工場に関するシンポジウムの案内を頂戴した。内容は下記の通りである。<br />
<br />
<br />
テーマ：「次世代スマート工場の運営と管理を考える」<br />
日時：3月14日（土）13:00〜17:00<br />
場所：青山学院大学（青山キャンパス17号館17810教室）。オンラインあり<br />
費用：無料<br />
詳細：経営工学会HP　https://www.jimanet.jp/wp-content/uploads/1291d4db4d21d2e590c4b5ace6da3cb8.pdf<br />
<br />
<br />
ちなみにエンジニアリング協会の「次世代スマート工場研究会」からは、太田裕文氏が工場物理学（Factory Physics）について講演される予定だ。また神奈川大学からはリチウム電池再利用のビジネスモデルの提案、大手自動車部品メーカーからは労働集約型工場の海外・日本での運営について、講演が予定されている、という。<br />
<br />
<br />
あいにく日程の関係から、わたし個人はオンラインで部分的に視聴するだけだが、こういった場でぜひ、製造業のあるべき姿と、現状の悩みについてディスカッションすべきだ、と思う。ちゃんと議論できないこと。それこそが、今のわたし達の社会の、一番根底の問題なのだから。<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
「製造業のトリレンマ・QCDを決めるのは誰か」  (2024-11-19)<br />
「スマート・ファクトリーとはMESを活用する工場である」  (2023-12-02)<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>人間主義のプラスとマイナス</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brevis.exblog.jp/27064188/" />
    <id>http://brevis.exblog.jp/27064188/</id>
    <issued>2018-02-14T23:48:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-31T11:04:28+09:00</modified>
    <created>2018-02-14T23:31:41+09:00</created>
    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[「よくこんな非効率で危険な現場運営を、A社は許しているな。」<br />
<br />
<br />
思わずわたしは、つぶやいた。もう10年近く前、ある中東の大国で、科学技術施設の建設現場を訪れたときのことだ。顧客との打合せが目的で、現場視察のために行ったのではない。だが、どうしても仕事柄、現場のことが目に入ってしまう。建設工事を請け負っているのは、中東エリアで名の知れた大手建設会社2社。巨大な建設現場で、大勢の労働者が投入されていた。<br />
<br />
<br />
その施設の建設は国の威信をかけたプロジェクトだったのに、例によって納期に遅れつつあった。そこで、国営石油会社であるA社が政府の依頼で、発注側に立ってテコ入れをしているときいていた。A社は国際的に準オイルメジャー級の企業であり、その国で本当に巨大なプロジェクトのマネジメント能力を持つのは、A社くらいしかない。畑違いだが、やむを得ない対策と思われた。<br />
<br />
<br />
ところで、国際メジャー級の企業は、建設現場におけるHSEの要求も厳しい。HSEとはHealth, Safety &amp; Environmentの略で、つまり労働安全衛生と環境保護の要請だ。以前も書いたことがあるが、メジャーの建設現場では、安全教育を受けずに現場入りしてはいけないし、ヘルメット・防護グラス・安全帯などの装備を身につけることが必須である。ちょっとでも高所作業をする際には、ハーネスをかけて落下予防をする、といった基本動作が事細かく求められる。<br />
<br />
<br />
ところがその現場は違った。2階以上の高さでも安全帯をかけずに作業をやっているし、地面を掘った穴には十分な安全柵が立てられていない。とにかく及第点以下なのだ。それどころか現場に、図面も持たず材料・工具も持たぬ労働者が大勢うろうろしている。<br />
<br />
<br />
当たり前だが、直接作業に従事する者は工具や材料がなければ仕事ができないし、監督者（スーパーバイザー）は施工図面を持たなければ仕事にならない。だとするとあの大勢の手ぶらの連中は何のためにいるのか。何の生産性にも貢献していないことになる。いくら突貫工事で大勢を追加動員したといっても、これでは効率が上がらぬ。そればかりか、万が一大きな労働災害事故が発生したら、現場周辺は作業を一切とめて対応せざるをえない。ますます仕事が遅れるのだ。大手顧客がHSEをやかましく言うのも、無事故が作業の生産性に直接つながるからでもある。<br />
<br />
<br />
ところで同じ時期に、わたしの勤務先は、中東エリアの別の場所で、建設現場における全く新しい取組をおこなっていた。"Incident and Injury Free"の頭文字をとって『IIF活動』とよばれるこの取組は、建設現場の安全性とパフォーマンス向上に画期的な成果を生み出しつつあった。もっとも、これはわたし自身が直接関わった活動ではないし、その詳細について開示する自由を持たないので、具体的には以下のUrlなどを参照いただきたい。<br />
<br />
<br />
日揮のIIF活動<br />
  http://www.jgc.com/jp/06_csr_hsse/pdf/2013/section/03_02iif.pdf<br />
  http://www.jgc.com/jp/06_csr_hsse/pdf/2014/section/03_02hse_ks14.pdf<br />
JGCのIIF活動（英語だがより詳しく書いてある）<br />
  http://hsse.jgc.com/web/corporate/index.html<br />
<br />
<br />
その活動のエッセンスだけを紹介すると、以下のようになる（もちろん、これはわたしの勤務先のことなので、宣伝半分じゃないかと疑う読者諸賢もおられよう。その場合は、バイアスを割り引いて読んでほしい）：<br />
<br />
<br />
IIF活動とは、現場のHSE向上を目的として、安全文化の構築と啓蒙を中心とする活動である。プラントの建設現場というのは、基本的に、誰もが出稼ぎのために故郷を離れて働きにやってくる。そこで、「建設工事に携わる誰もが、無事故で元気で家に帰る」ことが、皆に共通する一番の願いとなる。そのために、「お互いをケアする」（Respect &amp; Care）ような安全文化を、組織(集団) 全体に構築していく。<br />
<br />
<br />
具体的には、現場で働く作業員の気持ちを掴み、個々のモチベー ションを高めるための活動をする。たとえば現場責任者が、率先して毎朝欠かさず建設現場内を歩き、現場作業員たちに「おはよう。元気ですか」などと声をかけ、握手するなどスキンシップをとり、人間関係の壁を取り除く訳である。<br />
<br />
<br />
また、互いの出自の紹介をして、名前を持つ人間同士として関係をつくることに取り組む。つまり、お互いに名前を覚えるのだ。大きな建設現場となると、数十の工事業者が関わり、労働者は5千人とか1万人以上になる。そこを、分け隔て無く実践するのである。<br />
<br />
<br />
あるいは、分かりやすい図面パネルを制作して現場に持って行き、作業員達に、彼らが今、作っている装置の役割の説明をする。プラントは複雑で、見ただけでは何をする装置か分からないし、そもそも建設労働者達にそんな説明をする習慣はなかった。だが、そうした意義の説明を通じて、誇りとやりがいが生まれるし、全員が同じ目標に向かって作業している「仲間」である意識ができてくる。<br />
<br />
<br />
こうなると、お互いが安全に向けて声をかけ合い、注意し合うカルチャーが醸成されてくる。現場作業には思わぬ危険が潜んでいるし、人間には必ず不注意やミスもある。それを、近くにいる他人（他の会社の人間かも知れない）が、声をかけて防げるようになってくる。<br />
<br />
<br />
一般に労働安全活動は、「警察取締り型」と、「相互扶助型」のタイプがある。ふつうは、前者だ。危険を見つけたら注意し、繰り返しても改善されなければ、現場退去を命じる。しかし、警察型の活動は、いろいろな事故防止のテクニカルな対策を併用しても、事故発生率の低下に、ある壁があった。IIF活動は相互扶助型によって、その壁をブレークスルーすることを目指している。<br />
<br />
<br />
結果として、たとえばUAEで遂行したIGD Habshan 5プロジェクトでは1億時間以上にわたり、LTI（Lost Time Incident＝休業災害）ゼロを実現したし、カタールでのBarzanプロジェクト建設現場では、なんと1億 3,000 万時間超の休業無災害を記録した。1億時間といってもピンとこないだろうが、中東の建設現場は1日10時間・週休1日で月260時間勤務が通常なので、つまり約40万人月以上の無災害である。たとえば2万人の労働者が、丸20ヶ月、一人のケガによる休業も出さなかった、という規模がこの数字である。<br />
<br />
<br />
しかし、生み出した成果はそれだけではない。相互扶助型のIIF活動は、結果として、工事における品質向上と生産性アップの効果を生み出した。それは、皆が自分の仕事の意義を理解し、また周囲と協力しやすくなったことから生まれた結果だろう。<br />
<br />
<br />
IIF活動は、人を人として遇することの大切さを、わたし達に教えた。目の前の労働者を、無名の、いつでも取り替えのきく存在として見るのではなく、名前もあり家族もある一人の人格＝対等な仲間として遇すること。中東の現場を終えて数年ぶりに帰国した幹部が、「あの活動に取り組んで良かった。この歳になっても、まだ学ぶことがあるんだと分かった」といっていたのが印象的だった。<br />
<br />
<br />
こうした、異国の途上国の労働者を「対等な人として遇する」点は、日本企業の方が、欧米系よりも自然にできるかも知れない。日本人に差別意識が薄いなどと言うつもりはないが、 社長も平社員も同じ食堂で食べる日本企業の文化（少なくともわたしの勤務先は、社員食堂がある時代はそうだった）に、現れているのではないか。1950年代のアメリカ映画「アパートの鍵、貸します」には、「役員専用のトイレ」の鍵というものが、象徴的に出てくる。役員専用のトイレなどない企業の方が、現場労働者を人として扱う『人間主義』に近いのではないか。<br />
 <br />
だが、物事にはつねに、両面がある。日本企業の人間主義には、マイナスの面もある。<br />
<br />
<br />
最近、聞いた話だが、現場改善や経営指導に長い伝統のある某団体が、企業向けに各種研修セミナーを行っている。ところで、その頂点に当たる経営者用コースの内容というのが、たとえば「禅の心」とか「先達の型の伝承」といったテーマであり、人心掌握が中心であるという。そういう話が、企業経営者には人気があるらしい。つまり、経営とは人だ、という認識が広くあると言うことだ。<br />
<br />
<br />
経営は人なり。なるほど、確かにそうなのだろう。だが、それをもう少し延長すると、どのような認識を生み出すか？<br />
<br />
<br />
いうまでもない。仕事で良い結果が出たのは、人が優秀だったおかげ、結果が出なかったのは、人がダメだったため、という説明が生まれてくる。仕事のパフォーマンスを決める要因には本来、外部環境もあるし、技術も仕組み（システム）もツールもあるはずだ。組織のルールもまた、制約条件の一種であろう。だが、そうした他の要因は捨象され、すべては、個人の人格だか人徳だかで説明されてしまう。これもまた、ある種の「人間主義」である。<br />
<br />
<br />
経営は人なり、という認識からは、当然ながら「経営者の使命は、すぐれた人物を見いだして育てること」という方針が出てくる。そこには、組織を安定して進めていく仕事の『仕組み』（システム）をつくること、という課題意識が抜けている。<br />
<br />
<br />
また、その経営セミナーの話は、かつて書評した、日経文庫の「はじめてのプロジェクトマネジメント」（近藤哲生・著）をも想起させる。本を読んで驚いたのだが、そこにはWBSもなければクリティカル・パスの説明もなく、EVMSも見積手法論もない。いわゆる近代的PMの技術論は一切無くて、いきなりプロマネの心構え論になってしまう。そしてひたすら説明されるのは、部下のモチベーションと掌握と問題解決への心構え、といった話だった。でも何より驚いたのは、その著者が日立の情報通信部門のベテランだったという事実だ。うーむ。そういう人間主義の会社だったんだ、と感心(?)した記憶がある。<br />
<br />
<br />
上記の経営セミナーの話をわたしにしてくれた人によると、英国と日本では、歴史教育に大きな差があるらしい。英国の歴史教育では、たとえば「産業革命」という事象を取り上げて、何がそれを可能とする条件なのか、なぜイギリスは世界に先駆けて産業革命を経験することになったのか、それによって及ぼした社会への影響は何か、といった構造的な説明がなされる。そして、その説明にはあまり固有名詞が出てこないのだそうだ。<br />
<br />
<br />
ところが、日本の歴史のテスト問題というのは、年号と人名の暗記問題である。ジェームズ・ワットが蒸気機関を発明、ついでスティーブンソンが蒸気機関車を開発、といった事は覚える。だが、産業革命一般とはどのような事象であるのか、どの国・どの社会で早く発生し、遅れたのはどのような地域だったか、といった、大きな歴史構造はよく分からぬままの場合が多い。大きな社会変化が起きるにはそれなりの条件が必要だ。だが、まるでワットとスティーブンソンという有能な個人たちの出現が、それを可能にしたかのような歴史像しか頭に残らない。それは明治維新などをめぐっても似たような認識になる。西郷隆盛やら勝海舟やらの大人物が織りなす、点と線としての物語。<br />
<br />
<br />
人と人とのドラマが、世界を動かしている。経営とは人である。仕事の成果を左右するのは、個人の能力である・・このような人間主義の世界観で、何がまずいか。それは、仕事の能力の「移転ができない」ことである。<br />
<br />
<br />
知識・技術というものは、基本的に移転可能だ。文字にして伝えることができるし、ツールを作って渡すこともできる。だが、個人に内面化された技能を他者が継承するには、長い時間をかけるしかない。そのために、徒弟制度風のOJTを重視する組織は多い。それでも、昭和世代と平成世代の間のギャップ問題は、どこでも悩みの種となっている。<br />
<br />
<br />
また、移転に時間がかかるということは、異なる製品やプロジェクトの間での、教訓（L&amp;L）の学びが効きにくいことを意味する。もちろん、海外工場をつくっても、すぐに仕事を移転できない。つまり、組織としてスケーラビリティがないということだ。<br />
<br />
<br />
そして、現代の世界市場規模での競争において、スケーラビリティがないことは、企業にとってほとんど致命的である。少なくともわたしの見る限り、欧米系ではどうやって仕事をシステム化し、展開可能とするかに、かなり注力している。だが、こうした危機意識が、わたし達の社会には非常に希薄だ。個人の能力（技能）を、科学の力を借りて客観化し、それを技術として移転する、という基本的な発想が、エンジニア達にも欠けているとしか思えない。そうした例は、ゲーム開発の分野からスポーツまで、あちこちに転がっているというのに。<br />
<br />
<br />
労働者一人ひとりを、人間として遇すること。そのことが、仕事へのオーナー意識を生み、「やらされ感」で働かされるよりは、ずっと高いパフォーマンスを示す。これが人間主義のポジティブな面だ。だが、それをずっと延長していくと、「経営は人だ」「すべては人間の技能と気持ち次第だ」という認識が出てくる。かくして、技術やシステムの軽視、スケーラビリティの喪失が起きる。これが人間主義のネガティブな面だ。しまいには、竹槍でB29戦闘機と戦おうとする、奇妙な精神主義にまで至るかもしれない。<br />
<br />
<br />
わたしは二つの違うものを、無理やり一つに並べているのだろうか？　もし、どこかに断絶点があるなら、教えてほしい。だが、もしそうでないなら、わたし達の社会の人間主義には、両面があることを、意識すべきなのだ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>忙しいそば屋とヒマなそば屋 ～ 経済性工学とは何か、それは原価管理とどう違うのか？</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brevis.exblog.jp/23131878/" />
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    <issued>2015-05-18T21:52:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-31T11:04:28+09:00</modified>
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    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[技術屋は数字に強い、といわれている。たしかに数字アレルギーで電卓もさわれないような人は、技術的な設計作業には向かないだろう。技術で扱う数字は、仕様や長さや物性に関わるもので、kgだとかcmだとかいった物理単位系で測られる。わたし自身は（正直に言うと）けっこう粗忽な人間で、ときどき計算間違いもするが、さすがに数字が苦手だと思ったことはない。<br />
<br />
しかしある意味で、「技術屋は数字に弱い」とも言える。少なくとも、数字に追われ、数字を見ながら生きている。こちらの『数字』は、コストに関する数字であり、単位は円やcentで測られる。物理単位系の数字は指先で自在にさばくエンジニアが、通貨単位の数字には頭を下げねばならない。通貨単位の数字は経営者の武器であり、その番人は財務や会計のプロ達だ。<br />
<br />
通貨単位の数字は、判断に使われる。いや、物理単位系の数字だって判断には使うのだが、それは技術的な判断である。そのサイズじゃこの内径に収まらないとか、こちらの方が動力は少なくて済む、といった判断だ。それに対し通貨単位の方は、『経営判断』用である。この製品よりあの製品の方が原価が安いから生産を優先しようとか、東南アジアで作る方が人件費が有利だから国内工場は縮小しようとか、そういった判断だ。そうした数字を目標に掲げられ、あるいは横目で見つつ、技術屋は仕事をしている。<br />
<br />
ところで、この経営判断用の数字を、きちんと技術屋の手中に取り戻そう、少なくとも技術屋の理解できるものにしよう、との目的を掲げた学問が存在する。『経済性工学』と呼ばれる学問分野だ（英語ではEngineering Economicsという）。経済性工学の基礎を知っているかどうかで、わたし達はずいぶん、経営数値に対するスタンスがかわってくる。<br />
<br />
一例を挙げよう。これは経済性工学の古典的な教科書である、千住鎮雄・伏見多美雄著『新版 経済性工学の基礎―意思決定のための経済性分析』（日本能率協会マネジメントセンター）の例題をもとに、一部わたしが改変した問題だ。<br />
<br />
ある観光地にそば屋があった。名物はもりそばで、この一品種しか作っていない。売値は1杯500円。もりそばの材料費は1杯150円だ。また、おしぼり代（業者に頼んでいる）が15円かかる。人件費と、諸経費（光熱費・店舗家賃等）は固定費だが、月間の平均販売数量で割って計算すると、それぞれ1杯あたり100円と75円になる。差し引き、1杯あたりの利益は、 500 - (150 + 15 + 100 + 75) = 160円ということになる。<br />
<br />
さて、ある忙しいシーズンのこと。一人のお客さんがやってきてそばを注文したのだが、おしぼりを使い終わったときに、店の裏で飼っていた犬が店に入ってきたため、犬嫌いのお客は店を出て行ってしまった。ただし、この客のそばはまだ作り始めていなかった。このとき、店はいくら損をしたことになるか？——これが第1問。第2問は、同じ日に今度は店員が粗相をして、そばを一杯落としてしまい、作り直すことになった。そのとき、店はいくら損をしたことになるか？　そして第3問。今度は閑散期に、また店員がそばを落としてしまった。今度は、いくらの損になるだろうか？<br />
<br />
念のために注記しておくと、そば屋は一種の製造業である（販売もしている）。材料を加工製造し、販売して、利益を得ている。そばを落としたことは、製造の品質不良を意味する。犬でお客を逃がしたことは、（おしぼりを営業経費と考えれば）失注を意味している。<br />
<br />
数字を整理すると、こうなる：<br />
売価　　　500円<br />
材料費　　150円<br />
おしぼり　 15円<br />
人件費　　100円<br />
諸経費　　 75円<br />
利益　　　160円<br />
<br />
答えを見る前に、ちょっとだけ考えてみていただきたい。とくに第2問と第3問に注意。なぜ、まったく同じ失敗について、わざわざ季節をかえて質問しているのだろうか？<br />
<br />
ともあれ、順に考えてみよう。第1問。<br />
<br />
おしぼり代の15円を損しただけ、と思うかもしれないが、正解ではない。この場合はすでに注文を受けていて、見込み客ではなく実際の顧客になっていた。犬さえこなければ、500円の売上を得たはずだ。ただし材料費150円には手をつけていなかったから、損にはなっていない。とすると、経済性工学では500 - 150 = 350円が損だった、と考える。<br />
<br />
第2問。これも、材料費の150円だけを損した、と答えるのは正しくない。これは繁忙期のことだった。客は次々に来て、作るはしから売れていく。だとすると、そばを2個つくり、2人に売れたはずの時間内に、作り直しをしたおかげで1人分しか売上を得なかった。だから、500円の損失になる。<br />
<br />
そして第3問。閑散期にそばを落として作り直したら、どうなるのか。この場合、店はがらがらで、たまにしか客は来ない。だから、倍の時間をかけたって、売上が減るわけではない。単にそばの材料費150円を損しただけになる。いや、へたをしたら毎日、材料を余らせて捨ててるのかもしれない。もしそうなら、損はゼロ円である。<br />
<br />
なんだか奇妙だって？　そう感じるかもしれない。じつは、経済性工学が教えるところは、普通の会計学とは違うのだ。その違いは、第2問と第3問の差に表れている。会計学では、その月が忙しいか暇かなんて、誰も問わない。<br />
<br />
同じ金銭的数字を扱いながら、なぜ経済性工学は会計学と違うのか。それは、目的が違うからだ。会計学は基本的に、会計が適正に行われることを保証するために発達してきた。納税のためにも、また投資家への情報開示のためにも、正しい数値の集計と扱いが行われること。ところが経済性工学とは、経済的に有利な方策を比較評価し選択するために生み出された理論で、先々の意思決定の支援が目的である。<br />
<br />
いいかえると、会計学は過去の金銭出納の分析報告に主眼があるのに対し、経済性工学は未来の意思決定に資することを目指している。したがって経済性工学では、つねに比較論が意識され、比較の対象をどこに置くかが問題になる。<br />
<br />
繁忙期の場合、つねに製造を続け、作ったはしから売れていく状態が、比較の基準となる。製造資源（店員やそばをゆでる釜など）は稼働率100%のフル回転で働いている。大量見込生産状態といってもいい。製造資源が少しでもロスをすると、それは売上のロスに直結する。ところが、閑散期の場合は違う。閑散期は基本的に、製造資源が余っている。釜の中はたいていお湯だけで、店員はあくびをしている。こういう状態の時に、ロスが生じたからといっても、その分、見込顧客の売上を失うわけではない。不況期の受注生産と似た状況である。だから失うのは、外部に直接出ていく材料費だけだ（人件費や諸経費は、最初に書いたとおり固定費だから、売れても売れなくても変わらない）。<br />
<br />
そして、気がつかれたかもしれないが、この例題における経済性工学の答えには、材料費やおしぼり代などの、変動費の分だけしか計算に出てこない。じつは1杯あたりの人件費や諸経費は、固定費を販売数量で割り戻して計算した値、いわば振り返りの（retrospectiveな）値である。だから、これから先の意思決定を考える場合は、あまり縁がないのだ。<br />
<br />
ちなみに、上の三つの問いは、TOC（制約理論）のスループットの考え方を使えば、もっと直接的に答えられる。ただし千住・伏見『経済性工学』は1982年が初版で、ゴールドラット博士がスループット会計を言い出して普及するよりも、ずっと前に書かれていたことには注意してほしい。日本人にも独創的な学者はいるのだ。（ただし、そういう先駆性は国内ではあまり知られず、海外から輸入された学説の方が脚光を浴びるというのも、いかにも日本的ではある）<br />
<br />
話がそれたので戻すが、繁忙期にこの店が失った金額は、会計学（原価管理）でいうコストではない。では、何なのか。それは『機会損失』である。英語で言うとOpportunity costだ。機会損失は普通、個別工程の製造原価よりもずっと大きい（そば屋の例をみればわかる）。品質不良や段取り替えで工程の生産能力を止めると、非常に高くつく。だから本当の経営判断は、機会損失を勘案して、行わなければならない。会計課が報告してくる製造原価の数値だけに頼って判断しては、いけないのである。<br />
<br />
ところが機会損失は、会計の財務諸表には決して現れない。会計の数字は現実に立脚した数字、つまり事実起きたことの数字であるのに対し、機会損失は「つり逃した魚」の大きさを示す数字だからだ。<br />
<br />
逆に、ある状況下では、売上や製造原価ではなく、変動費だけで判断すべきときもある。比較のための評価尺度は、目的と基準状態によって変わる。こうしたことを、技術者は知っておくべきである。そうしないと、他人から与えられた数字に、無条件に従ったり、踊らされたりする可能性がある。<br />
<br />
前回わたしは、工場で製造マンが現場を離れてモノ探しに行くようなムダを批判した。しかし、より正確に言うと、これが直接のムダ（損）となるのは、この製造工程が『繁忙状態』にある場合に限られる。もし、この工程の稼働率が5割とか7割程度だったら、製造マンの生産性が下がったからといって、企業全体の損にはつながらない。<br />
<br />
むろん、だからといってムダを放置していいという訳ではない。生産性を上げれば、製造マンが別の工程と掛け持ちにできるかもしれないし、少なくとも、もし繁忙状態になった場合に全体の足を引っ張るリスクを下げることはできる。ただ、ムダ取りの優先順位は、繁忙状態でなければ（＝ボトルネック工程でなければ）少し下がることになる。ムダを取っても、直接は製造原価は下がらないだろう。リスクが（つまり機会損失の可能性が）下がるのみだからだ。<br />
<br />
わたしは技術系の人にも、もう少し経営数値に強くなってほしいと思う。そのためには、経済性工学＝Engineering Economicsを少しは勉強するべきだ。そのための初歩的な本だってある（たとえば伏見多美雄「おはなし経済性分析」など）。金銭の数字は、だれか得意そうな他人に計算してもらえばいい、という姿勢のままだと結局は、そのブラックボックスの数値に操られる結果に陥るだろう。<br />
<br />
ただし、経済性工学を正しく使うためには、もう一つ、自分たちの生産システムの『基準状態』を見る能力が必要だ。基準状態は、自分の担当、自分の部署だけを見ていては、必ずしも分からない。全体像と、あるべき姿のイメージが必要だからだ。大局観と、適切な評価尺度の選択。そうした事柄を非技術部門や経営層に対しても説明・説得し、積極的にプロモートできるようになって、はじめて真の意味で技術者が主導権を得ることが可能になるのである。]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>原価の秘密　－　なぜ、黒字案件だけを選別受注すると赤字に陥るのか</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://brevis.exblog.jp/22177257/" />
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    <issued>2014-07-06T19:56:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-31T11:04:28+09:00</modified>
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    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[かつての古き良き時代、右肩上がりの高度成長の頃は、なにごとも単純明快で分かりやすかった。製造業は、生産量を上げることにひたすら邁進した。「作れば売れる」時代だったからだ。昭和40年代や50年代の日本企業の多くは、欧米先進国から技術を導入しつつ、自分でもそれを改良し、使いこなしていった。その時の工場運営でキーとなる指標が、機械の稼働率だ。<br />
<br />
たとえば、あなたの会社が3億円の大枚をはたいて、海外から高価な製造機械を導入したとしよう。15年間の寿命を想定すれば、減価償却費は毎年2千万円だ。それでも、旧式の機械＋手作業に比べれば数倍以上の生産能力を上げられるし、より高品位な製品も作れる。だからソロバン勘定に合うはず、と考えて導入に踏み切るわけだ。<br />
<br />
当然ながら、社長は工場長に対して、この機械を最大限活用しろ、とハッパをかける。機械は動いていても止まっていても、同じ減価償却費がかかる。だとしたら動かさなければ損である。他方、社長は営業部門に対しても、もっとたくさん売ってこい、と号令をかける。工場は見込生産で大量に作るのだから、放っておくと工場倉庫に製品在庫が積み上がってしまう。これを流通チャネルに卸すのが営業の仕事である。多少値引きしたっていい、薄利多売、大量生産が経営のポリシーであった。<br />
<br />
工場の側は、どうやって高価な機械の稼働率を向上させるか考える。稼働率とは、次の式で定義されている。<br />
　　　　　　　<br />
　[稼働率]＝　年間の実稼働時間 ÷ 年間の総操業時間<br />
　　　　　　　<br />
稼働率を阻害する要因はいくつかありうる。たとえば、<br />
　(1) 段取り替えやセットアップに手間がかかり、実稼働にすぐ入れない<br />
　(2) 機械の故障で稼働できない<br />
　(3) 機械は動かせるのだが、資材手配の不手際で、加工すべき部品がこない<br />
　(4) 加工手順やツールがまずくて、1個を加工するのに余計に時間がかかる<br />
等々。いずれも、技術的な問題である。工場長は各部に指示を出して、問題に対処するよう命じる。<br />
<br />
さて、原価管理には『賃率』という概念がある。単位時間あたりの労務費をいう。もし製造工程が機械中心で人手の関与が少ない場合は、労務費よりも減価償却費などのウェイトが原価の中で大きくなる。そこで「機械賃率」を同様に定義して、原価計算に使う。機械賃率は以下のような計算になる。（お手数ですが、等幅フォントで見てください）<br />
<br />
<br />
　　　　　　　　　設備の減価償却費　　　　　　設備の減価償却費<br />
　[機械賃率]＝　－－－－－－－－－－＝　－－－－－－－－－－－－<br />
　　　　　　　　　年間の実稼働時間　　　　年間の総操業時間×稼働率<br />
<br />
<br />
あなたの工場では、年間の総操業時間は2,000時間である。そして導入した機械の減価償却費は毎年2,000万円だ。だから、機械が100%フル稼働できれば、機械賃率はちょうど1時間あたり1万円になる。部品を1時間加工したら、1万円の原価がかかる勘定だ。もし80%稼働率ならば、賃率は1万2500円になる。つまり、同じ製品を同じように加工したとしても、年間全体の稼働率を上げれば、機械賃率は下がり、したがって原価が安くなる。だから、工場は機械の稼働率を最大限上げるよう努力すべし、ということになる。<br />
<br />
ただし、機械の本当の実稼働時間は、その年度が終わって締めてみないと分からない。それでは意思決定に支障をきたすので、ふつうは期初に「今期の推定稼働率」を決めて、それで製品の標準原価を計算する。そして、期末になったら「今期の実稼働時間」を集計し、最初の想定と違いが出た場合に、「原価修正」をかける。<br />
<br />
これが、見込生産時代にできあがった工場運営、原価管理の考え方だった。<br />
<br />
それから、時代は下った。長い不況を経て、「作れば売れる」時代から、「顧客の望むものでなければ売れない」時代になった。プロダクト・アウトから、マーケット・インへと、市場環境は変貌した。製造業の多くは、見込生産から受注生産形態へと、変化せざるを得なかった。生産設備も業界全体で過剰となり、フル稼働で製品を作ることなど望みにくいご時世となった。<br />
<br />
さて、あなたは今や工場長である。当時は最新鋭だった機械も一度買い直した。それもいささか古くなったが、まだ現役で、工場の中核の製造機械である。減価償却もまだ残っていて、あいかわらず年間2000万円かかる。これが、あなたの頭痛の種だ。<br />
<br />
ところで、営業部門が今年度の有力受注案件として、3つの案件を持ってきた。<br />
　案件A: 受注金額＝1,200万円、製品数量＝400個　（販売単価＝3万円）<br />
　案件B: 受注金額＝1,250万円、製品数量＝500個　（販売単価＝2.5万円）<br />
　案件C: 受注金額＝2,500万円、製品数量＝1,000個　（販売単価＝2.5万円）<br />
<br />
顧客も違えば、作る製品の品種も違う。あなたは、それぞれの案件の原価をあたってみた。以後の話を簡単にするため、あなたの工場は、(1)機械による加工製造、(2)外注による仕上げ梱包、の2工程だけとしよう。また社内の人件費は、どの案件でも一律なので無視することにする。あなたは生産技術部門や資材購買部門に確認した上で、それぞれの製品1個あたりの単価を以下の通りと見積もった。<br />
<br />
　案件A: 材料費単価＝10,000円、外注費単価＝2,500円　機械加工時間＝0.8時間<br />
　案件B: 材料費単価＝ 7,000円、外注費単価＝4,000円　機械加工時間＝1時間<br />
　案件C: 材料費単価＝12,500円、外注費単価＝3,000円　機械加工時間＝1.2時間<br />
<br />
ここで、機械加工1時間あたりの機械賃率が問題になる。過去数年間の平均を見ると、稼働率は80%だった。したがって、1時間あたり1万2500円である。これを使うと、各案件の原価と利益が明らかになる。<br />
<br />
　案件A: 受注金額＝1,200万円、製造原価＝900万円　利益＝300万円<br />
　案件B: 受注金額＝1,250万円、製造原価＝1,175万円　利益＝75万円<br />
　案件C: 受注金額＝2,500万円、製造原価＝3,050万円　利益＝▲550万円<br />
<br />
案件Aはそれなりの利益、Bはかつかつだが、Cはかなりの赤字と見積もられた。社長主催の生販会議で、あなたはこの数字を報告する。社長は、「赤字はもうたくさんだ。案件を選別しろ。案件Cは捨てて、AとBの受注に全力をつくすこと」と営業部長に指示を出した。努力の結果、無事にAとBの2案件は受注にこぎつけ、あなたも工場で奮闘した結果、予定どおり製造出荷させることができた。<br />
<br />
ところで、年度末になって、本社から呼び出しがかかった。経理部門から社長に「今期は赤字になります」と報告が上がったのだという。そこで社長が怒って、工場長を呼べ、と命じたのだ。たいへんな剣幕だという。－－そんな馬鹿な。黒字案件だけを受注したはずではないか？半信半疑のあなたが本社に行くと、まず社長に怒鳴られた。「工場は何をやってるんだ！　赤字だと報告が上がっているぞ！」<br />
<br />
訳が分からないまま、あなたは経理に説明を求める。経理課長の説明はこうだ。「今期の実稼働時間は、集計によると、<br />
　A案件：　0.8×400＝320時間<br />
　B案件：　 1×500＝500時間<br />
で、合計820時間のみでした。そこで、機械の実際賃率を求めると、<br />
　　2000万円÷820時間＝2.44万円/時<br />
になります。そのため、原価修正が、<br />
　　(1.25-2.44)×820＝－975万円<br />
となるため、修正後の利益は<br />
　　300＋75－975＝▲600万円<br />
の赤字ということになりました。」<br />
<br />
あなたは頭がくらくらしてくる。黒字案件だけを選別受注したのに、なぜ赤字になるのか。経理課長は、「機械の稼働率が想定よりずっと低かったためです。原価を下げるためには、もっと稼働率を上げてください。」<br />
<br />
あなたの横顔にむかって、社長が追い打ちをかけるように怒鳴る。「こんな高コスト体質でどうするんだ！　さっさと工場に戻って、全力でコストダウンに取り組め！」<br />
<br />
*** *** ***<br />
<br />
さて、どうしてこんなことになってしまったのだろうか？　あなたは（あなたの会社は）、本当はどうすべきだったのだろうか？<br />
<br />
そもそも案件がA, B, Cと三つあった訳だから、受注戦略としては、三つとも全部を狙うか、あるいは二つを選別受注するかで、A+B, A+C, B+C, A+B+Cのの４つの組合せが考えられる。それぞれのケースについて、売上・利益・機械の実稼働時間・機械の実際賃率・原価修正、そして修正後の利益を求めてみると、表1のようになる。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/06/47/e0058447_1946040.gif" alt="_e0058447_1946040.gif" class="IMAGE_MID" height="192" width="500" /></center><br />
<br />
これをみると、黒字案件のみを選別受注する「A+B」は、実は修正後利益が一番の赤字となることが分かる。一方、AやBに赤字案件のはずのCを組み合わせる方が赤字は小さく、全部受注した「A+B+C」の場合に、はじめて黒字になることが分かる。その差は、原価修正額の違いからくる。「A+B」だとマイナス975万円だが、「A+B+C」だとプラス535万円なのだ。このような結果になる最大の原因は、機械の稼働時間が、「A+B」では820時間しかないのに、「A+B+C」では2,020時間になるためである（これは年間操業時間の2,000時間をわずかに超えているが、残業すれば対応可能な範囲だ）。<br />
<br />
4つのケースで、年間の実稼働時間と、機械賃率の関係を示したのが、次のグラフだ。経理課長のいったことは、ある意味では正しい。機械の実稼働時間を増やすほど、原価は下がるのだ。<br />
<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/06/47/e0058447_19464681.gif" alt="_e0058447_19464681.gif" class="IMAGE_MID" height="271" width="274" /></center><br />
<br />
だが、それは工場の努力で改善できることだろうか？　そもそも不況のため、工場はフル稼働できずにいるのだ。上にあげた4つの稼働率阻害要因を、もう一度見てほしい。セットアップ時間や故障時間を減らしても、部品をタイムリーに手配しても、実稼働時間それ自体は増えはしない。まして、生産技術を工夫して製品1個あたりの加工時間を減らしたら、どうなるか？　実稼働時間が減って、稼働率が下がってしまうのだ！<br />
　<br />
受注生産の最大の特徴は、生産量を自分の好きに増やせないという事である。受注生産では、機械の稼働率や、工場全体の操業率は、受注した仕事量に依存する。あなたが工場長としてできるのは、むしろ稼働率を下げること（＝生産性を上げること）なのだった。だから、「稼働率を上げろ！」と社長が号令をかけるべき相手は、工場ではなく営業なのだ。営業が仕事をとってきて、はじめて年間の稼働率が上がる。大量見込生産の時代には、稼働率は技術的課題だった。受注生産では、稼働率は営業の課題なのだ。<br />
<br />
おわかりだろうか。わたしがいつもくりかえしている主張、「大量生産時代の社内ルールや評価を残したまま受注生産に移行したことが、今日の製造業における問題の根底にある」の一例が、これである。工場を稼働率で目標管理する事は、大多数の製造業には、もはやフィットしないのだ。<br />
<br />
では、どうしたらいいのか？　現実には、年間の案件が期初に全部見えている訳ではないので、上のような表を作って受注戦略を考える事は不可能だ。どの案件を受注すべきか、またいくらの受注金なら受けるべきか、個別に決めるための簡単な方法が必要である。<br />
<br />
そして、それを可能にする指標は存在するのだ。それは「スループット」である。<br />
<br />
　[スループット]＝　受注金額－変動費＝　受注金額－材料費－外注費<br />
<br />
あなたの会社で発生する『原価』は、大きく分けて、生産量に直接リンクして発生する変動費（材料費・外注費）と、固定的に発生する費用（減価償却費・社内人件費・水道光熱費等）である。スループットという尺度は、このうち変動費だけを差し引いて得られる、一種の「粗利」であり、製造業会計では「粗付加価値額」に、ほぼ等しい（厳密には少し違うが説明は略す）。そして会社は、この「スループット」（受注金から材料費・外注費を差し引いて手元に残った金額）から、さらに人件費・減価償却費その他の固定費を払って、プラスならば利益が出るのである。上記各案件のスループットは次のようになる。<br />
<br />
　案件A: 受注金額＝1,200万円、変動費＝500万円　スループット＝700万円<br />
　案件B: 受注金額＝1,250万円、変動費＝550万円　スループット＝700万円<br />
　案件C: 受注金額＝2,500万円、変動費＝1,550万円　スループット＝950万円<br />
<br />
あなたの会社の固定費は年間2000万円だ。少なくとも、これをカバーして上回るだけのスループットを、積み上げなければならない。だとしたら、「A+B」では1400万円しかないのだから、赤字になるのは明らかではないか。三つ全部受注する「A+B+C」で2,350万円となり、黒字になるのはこのケースしかないのだ。<br />
<br />
また、年度内の案件が全部見えていなくても、個別の案件ごとにスループットは計算できる。したがって受注戦略としては、スループットの累計が、なんとか年度の固定費を上回るように案件を狙っていくべきだ、ということになる。競争環境下では、もし必要なら多少の値引きをしてでも、スループットを確保する。たとえば上記の例で案件Cは、2,500万円の代わりに2,150万円までは値引きしてでも、受注する方が会社のためになる。<br />
<br />
機械の減価償却費は、固定費である。それを、「稼働率」と「機械賃率」を用いて変動費化して原価計算に組み入れる、というのが、通常用いられる製造業の原価管理だ。この手法は、機械の能力が制約であり、作れば売れる大量生産時代は有効であった。しかし上の例で見たとおり、受注生産で仕事量が不足気味のときには、かえってミスリードになる。<br />
<br />
上の例は分かりやすいように極端な例を用いた。ただし、非現実的かもしれないが、非論理的な計算はしていない。そしてこの程度ならば、社長がもう少し落ちついて考えれば、案件Cを切り捨てるのはまちがいだと分かったはずだ。だが現実のビジネスでは、原価の計算はもっとややこしい要素と過程をへて、行われる。ERPシステムを入れて、計算を精密化しようとしたりする。だからかえって、怖いのである。誰も原価の全体構造や動的メカニズムを理解しないまま、単に数字だけに追われることになる。その結果、黒字案件だけを選別受注しようとしたりしがちだ。そして、いつの間にか赤字に陥る企業が、現実に存在しうるのだ。そうならないためには、あなた自身も、工場長も、営業部長も、そして社長も、マネジメント全員が、もっと原価の秘密を理解しようと努力しなくてはならない。<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
　→「もう一度、付加価値とは何か？」 （2010/06/06）<br />
　→「書評：『受注生産に徹すれば利益はついてくる！』　本間峰一・著」 （2014/06/21）]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>品質とは（本当は）何だろうか　－　(2) 応答</title>
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    <issued>2012-04-24T23:56:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-31T11:04:28+09:00</modified>
    <created>2012-04-26T00:14:44+09:00</created>
    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[先日、あるプロジェクト・マネジメント関係の研究に目を通していたら、要件定義段階における「顧客要求の品質」という表現に出会って、ちょっと驚いた。周知の通り、ＩＴ系プロジェクトにおける要件定義とは、顧客のもつ『要求』を引き出し明確化するプロセスのことを言う。ここで作成される要件定義書が、その後のシステム設計の基礎となっていく訳だ。ところが、この顧客の提示してくる要求内容が、しばしば曖昧模糊としており、また部門や担当者の間で相矛盾していたりする。受託側としては非常に悩ましい問題で、たしかに、これ自体がプロジェクトの成否を左右すると言っても過言ではない。<br />
<br />
そこでこの発表者は、要求工学やIEEE standard 830: "Recommended Practice for Software Requirements Specifications" などを引用しつつ、正当性・明瞭性・完全性・一貫性・追跡可能性などを、要求仕様が満たすべき『品質特性』と呼び、それを満たす程度を『要求の品質』と考えたらしい。もちろん、この人の言いたいことはわたしも分かる。とくに一部の顧客が、それこそ「不当・不明瞭・部分的かつ矛盾した要求」を後出しジャンケンのように次々と繰り出してくるときには、「なんて品質の低い要求だ！」と言いたくなるし、あるいはISO 9000の品質保証コンサルが、“こんな品質の要求を出したらダメですよ、お客さん”と諭してくれたら、さぞや気が晴れるだろう、とも想像する。<br />
<br />
しかし、このような物言いはJISやISOの思想には合致しないのだ。なにしろ品質とは「本来備わっている特性の集まりが、要求事項を満たす程度」なのだから、要求そのものの品質を議論すること自体が、ISOの枠組みを超えてしまう。現行のISO 9000では顧客重視が第一原則であり、要求とは顧客から来るもの（自社組織が勝手に想定し押しつけるものではない）と読み取れる。そもそもISOの定義によれば、要求事項（Requirement）とは、「明示されている、通常暗黙のうちに了解されている、または義務として要求されているニーズもしくは期待。」ということになっているのである（3.1.2節）。だから『顧客要求の品質』の議論は、いわば“メタ品質”ということになってしまう。<br />
<br />
（ところで、上記の要求事項の定義文章は、なんだか日本語としてちょっと分かりにくい。正確には、「明示されているか、あるいは通常暗黙のうちに了解されているか、または義務として要求されている、ニーズもしくは期待）と補って読むべきであろう。JIS制定委員の人たちは、日本語の品質について少しは考えなかったのだろうか？）<br />
<br />
ともあれ、わたし達が顧客要求の「質」を論じたくなるのは事実である。また、上記のような顧客にあたったら、それこそ「質のわるい客だぜ！」と嘆くだろう（質という漢字は「たち」と訓読みする）。それはいったい何故だろうか。<br />
<br />
前回、コンビニで売っている60Wの電球と100Wの電球を例に、「100Wの方が60Wより品質が高い」という物言いを普通はしない、と述べた。また同じ型の自動車で、1600ccの車種の方が1300ccより「品質が高い」とは言わないとも書いた。たしかに両者は重要な特性が違い、だから価格も違う。なのにわたし達は、品質の差違ではなく、「仕様が違う」と認識するのである。<br />
<br />
そのポイントは実は、「明示」にある。電球のワット数も自動車の排気量も、主要な性能特性（仕様）としてメーカー側から「明示」されている。これは、顧客の側から義務として要求される事柄についても、同様に当てはまる。ステンレスを使え、と指定された機械部品に、もし腐食しやすい通常の炭素鋼を使ったら、それは「品質が低い」のではなく、もはや「不適合(non-conformance)」なのである。QualityのLow-Highではなく、ゼロの問題になってしまう。契約で明示された義務を怠ったからである。<br />
<br />
つまり、逆に言うならば、わたし達が品質の高低・よしあしを問題にするときは、「明示されない暗黙の期待」を満たす程度、について論じるのである。「1300ccクラスの車なのに、この足回りの加速性はどうだ！」と感心するとき、わたし達は期待したよりも高品質だな、と感じる。ところが100W用と明示された電球を、100Wのソケットにつけてちゃんと点灯しても、それは当たり前だ。明示された特性は、合致するのが当たり前である。たまに合致しなければ欠陥で、そこにはYesかNoしかない。品質の高低が大事になるのは、「明示されない期待」の時だけなのである。<br />
<br />
あるいは、「一応は言葉で明示されているけれども、数値的に検証不可能な特性」も、品質の高低で語られる。その良い例は、前回挙げた化粧品である。“お肌が若返る”といった効能書きは、個々の消費者にとっては事実上、検証が不可能である。こうした商品に対しては、品質の高低という、ある意味ひどく感覚的な言葉でしか語れない。<br />
<br />
そこでもう一度、設計の品質という問題に戻ってみよう。品質管理論では、「前向き品質」（forward quality）と「後ろ向き品質」（backward quality）という言葉が使われることがある。そして設計行為などの品質は「前向き品質」とよび、製造段階での品質を「後ろ向き品質」と呼ぶ。あるいは、このかわりに、「魅力的品質」と「当たり前品質」と呼ぶこともある。設計で作り込むのは主に魅力的品質で、製造で実現するのは当たり前品質という訳だ。<br />
<br />
設計図に明示された事項を、製造が実現するのは“当たり前だ”と、皆が考えている（少なくとも日本では）。「製造部門は設計図どおりに作ること！」などという標語を、大きな文字で掲示している工場はない。製造の当たり前とは、つまり、製造に対する明示されない暗黙の期待である。そして当たり前品質の特徴は、「それが欠落しているときにのみ論じられ、合致しているときは意識されない」ことにある。だから不良や欠陥の発生（当たり前品質の欠落）が、工場の品質管理の主な仕事なのだ。<br />
<br />
だが設計の成果物のレビューは、そうはいかない。設計とは、要求事項や仕様を、部品やソフトの「機能と構造」に変換し、製造可能な仕組みに落とし込む作業だからである。明示された要件定義書がある場合は、もちろん組み込まれていなくてはならない（設計における「当たり前品質」）。しかし明示されていない期待についても、それを想定し、考慮に入れる必要がある。ここが設計の「魅力的品質」の部分である。<br />
<br />
顧客がすでに明示したもの、それは魅力ではない。顧客が自分でうまく表現できないもの、でも実際に現前したら価値あると感じるもの、それが魅力なのである。たとえば「魅力ある異性」とは、まさにそんな存在ではないか。<br />
<br />
日本の品質管理は、戦後の復興期における、統計的品質管理手法のアメリカからの輸入ではじまった。それは高度成長期に普及し、日本的な現場の小集団活動と結びついて、ＴＱＣ活動となった。'80年代はまさに品質管理全盛の時代だったと言っていい。品質はすなわち利益に結びついた。ところが'90年前後のバブル景気時代から、しだいにＴＱＣは色あせてくる。かわりに入ってきたのは、英国発のISO 9000の品質保証思想であった。ここで、品質とはペーパーワークである、という誤解が広く受けいれられた。<br />
<br />
つづく「失われた20年」の不況の時代は、工場切り捨てと海外移転の時代だ。この時代、日本企業が本当に必要としたのは『前向き品質』『魅力的品質』を創出する仕組みだったはずだ。だが、そのためには品質の遂行主体を、工場の品質管理課から、営業も企画も技術も巻き込んだクロス・ファンクショナルな体制に移す必要があった。わたしの知る限り、このような思想を持って進んだ企業はきわめて少ない。<br />
<br />
それでも、前向き品質をなんとか確保したいと願う技術者は多いだろう。そのためには、どうしたらよいか。一番良いのは、創造性のある人間を揃えて自由度を与えることだが、それは決して簡単ではない。そこで、次善の策として、「前向き品質を後ろ向き品質に変換する」ことを考える。つまり、意識されざる・表現されざる特性を、まずは言葉で表現するのである。具体的には、上にあげたような、正当性・明瞭性・完全性・一貫性・追跡可能性など“メタ品質特性”を「設計思想」の形でドキュメント化し、意識化するのである。もちろん、設計の途上では、完全性や一貫性を阻害するコストとのトレードオフ要素が沢山出てくる。それに対しても、優先順位の考え方を明確化する。<br />
<br />
設計の品質を上げたければ、「設計思想」（design philosophy）を固めることが、結局は必須の条件なのである。おかしなことに、わたしたちは「思想」という言葉に対して身構える習性をもっている。だが、この苦境を乗り越えたかったら、もう一度、原点にかえって思想と格闘するしかなさそうである。]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>品質とは（本当は）何だろうか　－　(1) 問い</title>
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    <issued>2012-04-18T23:29:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-31T11:04:28+09:00</modified>
    <created>2012-04-18T23:29:23+09:00</created>
    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[わたしのつれあいは長い間、あるフランス製の化粧品を愛用していた。日本でも売っている店はあるのだが、少ないし、値段も高い。だから海外出張に出たときは、かえりに免税店でその会社の製品を買うのが習慣になっていた。化粧品は用途と色と型式で複雑なラインナップになっているから、出がけに手渡されたメモを頼りに、読みにくいフランス語表記の製品を店頭から探し出すのが、わたしの任務だった。<br />
<br />
ところがあるときから、その依頼がぱたりと来なくなった。つれあいに理由をたずねると、“なんだか最近、あそこの製品って品質が落ちたのよ。ブラシとか安物でペナペナになってきたし、パフのケースもすぐガタが来ちゃう。きっと中国生産とかでコストを下げて来てるんじゃないかしら”－－という答えだった。でも、仮にそうだとしても、化粧品自体の性能に変わりはあったのかい、と聞き返したが、“そんなとこで手を抜く会社の製品が信用できると思う？”と、あきれた顔をされるだけだった。<br />
<br />
化粧品に『性能』という概念が当てはまるものなのか、わたしはよく知らない。当てはまらないのかもしれない。あれほど多くの女性達が（一部は男性も）、あれほどの情熱と金銭をかけて選ぶ商品に、客観的な性能指標がないというのも不思議な気がする。まあ、きっと、そう思うわたしの方がおかしいにちがいない。ただし、化粧品の性能は論じられなくても、『品質』なら語ることができそうだ。このフランスの化粧品メーカーは、品質が問題で、長年の顧客を一人、失った訳だ。では彼らは、社内の品質管理部門や品質保証体制をきちっとすれば、この問題を解決できただろうか？　なんだか疑問に思える。でも、だとすれば、そもそも品質管理とか品質保証とかは、何の役に立つのだろうか。<br />
<br />
ちょっと別の話をしよう。設計の品質はどうやって確保あるいは改善したらよいのか？　－－この難しいテーマをめぐって、ある会社のエンジニアリング部門に招かれて、講演をしたことがある。もう10年前のことだ。精一杯準備してのぞんだつもりだが、残念ながら上出来な講演だったとは言い難い。引き受けてからずっと考え続けても、「十分レビューする」くらいの事しか思いつけなかったのだ。相手の担当の方には、申し訳ない気持ちが今も残っている。でも、設計の品質とは何なのか？　製造の品質とは何が本質的に違うのか？<br />
<br />
それから何年か経った後、別のある顧客の工場を見学させてもらった。偶然にもそこは、かつてわたしが講演をした会社が設計・建設したものだった。ディスクリート系の工場である。加工機械や測定器や自動搬送機械がずらりと並んで、整然とした連続処理を行う立派なシステムだ。しかし、その工場の立ち上げ時にはトラブル続出で、相当苦労した、と顧客の担当の方は言われた。機械も設計し直し・作り直しが多く、納期は遅れ、結局かなり赤字プロジェクトだったろう、と。わたしは機械エンジニアではないから、個別のマシンの設計の良しあしはわからないが、たしかに全体のレイアウトや、搬送のバッファーの置き方など、システム全体で観ると疑問な点がいくつかある。あの講演の題が「設計の品質」だったのは分かる気がした。<br />
<br />
品質とは何かについて、もちろんJISやISOに定義はいろいろある。現在のJIS Q 9000:2006『品質マネジメントシステム』では、こうだ：「品質（quality）とは、本来備わっている特性の集まりが、要求事項（requirement）を満たす程度」。これは元々ISO 9000規格の翻訳だから、ここではあえて原語をカッコに入れて並記した。また、日本オリジナルの規格であるJIS Q 9005:2005『質マネジメントシステム』では、「質とは、ニーズまたは期待を満たす能力に関する特性の全体」となっている。<br />
<br />
ちなみに後者では、「品質」から“品”の文字が抜けて「質」になっている点に注意してほしい。理由は、「品質」ではモノの質のみを表す感じが強い点を嫌ったためだ、と聞いた。たしかに「物品」や「製品」などの言葉を見ると“品＝Goods” と感じるかもしれない。だが、品という漢字は元々、「品格」「上品」などのように、クラスが上だという意味も持っていたはずだ。まあここらあたりは言葉の好みかもしれないが。<br />
<br />
さて、上記のJISの定義によると、品質とは特性が顧客の要求またはニーズを満たす程度だ、となる。ところで、顧客が商品やサービスに求める最も重要な要求・期待とは、いうまでもなく『価格』である。できる限り低価格であること、あるいはせめてリーズナブルな価格であること、を第一に望まない顧客はいないだろう。それでは、“価格とは品質の一要素だ”と言うべきだろうか？　価格決定は品質管理部が決めるべきなのか？　もちろん、価格は品質特性の一部などと考える専門家は誰もいないだろう。<br />
<br />
では、顧客が価格に次いで要求・期待する『納期』はどうだろう。短納期であることは高品質を意味するだろうか？　－－これも、なんだか違う気がする。納期遅れ問題の解決に、品質保証部が取り組むという話もついぞ聞いたことがない。短納期が品質の重要な一部だという事になったら、さぞやスケジューラ・ベンダーも商売が伸びてうれしいだろうが、そうなりそうな気づかいは今のところ無い。納期は品質に含まれないのである。<br />
<br />
もちろん、JISやISOの規格屋さんは、こう指摘するかもしれない。「価格や納期は、対象に“本来備わっている特性”ではない。製造や販売の都合で、後付けで決まる特性だ」と。たしかに、ISOの文章はそう慎重にもそう記述している。<br />
<br />
だったら、『性能』はどうだろうか？　これこそ、顧客が望み、かつ要求する主要な特性ではないか。しかも販売部門や製造部門が恣意的に付与する特性でもない。すなわち、品質の中核である、と。<br />
<br />
すると、こうなる：わたし達は例えば、同じ車種でも、1300ccのエンジンを搭載した車より、1600ccのものを搭載した車の方が、「品質が高い」と認識する、と。これは本当だろうか？　あるいは、100Wの電球は、60Wの電球より「品質が良い」。そんな言い方を、わたし達はするだろうか？　品質管理の仕事は、より高性能な製品を出すことにあるのだろうか？　はっきり言って、こうした差は「性能が良い」状態であって、「品質が良い」のとは違うことがわかる。そういう言葉づかいを、わたし達はしない。性能は品質の一部ではないのだ。<br />
<br />
それじゃあ、『素材』はどうだ？　いくらなんでも、素材こそ品質の重要な要素であるはずだ。－－では、あなたが「綿100%」の表示のついた外国製衣服を買ってきて、実はポリエステル混紡だったと知ったら、低品質をなげくだろうか。“詐欺だ！不良品だ！”と怒るのではないか？　もしステンレス鋼を指定したポンプに炭素鋼が使われていたら、エンジ会社はメーカに突き返し再製作を要求するだろう。「重大な不適合だ」と言って。決して「もっと品質を上げろよ」とは言うまい。<br />
<br />
では、硬度や透過性や摩擦係数などの『性状』はどうだ？　あるいは耐久性や賞味期限や保証年数などは？　・・もう賢い読者の皆さんは帰結を想像できただろう。もう一度、100Wと60Wの電球を思い出してほしい。両者の違いを品質の差と誰が思うだろうか。どんな特性項目であれ、それがユーザの主要な要求事項であり、価格に密接に関係し、かつメーカが表示・保証するものである限り、それはもう「品質が高い・低い」を評価する対象ではなくなるのだ。100Wの電球は、100W仕様であるだけだ。そこにあるのは、「合格」あるいは「不合格（欠陥）」の判断でしかない。なるほど、生産者の側からすると、不合格品の比率を下げること、あるいは不合格品を間違って出荷させないことは、品質管理部門の課題だろう。しかし、購入者の立場からは、買った電球が使えればそれでいい。100Wだから高品質、などと評価したりはしないのだ。<br />
<br />
かくして、品質という言葉をめぐってさまざまな特性を吟味してきたが、引き算の結果、おどろいたことに何も残らないことになった。わたし達は『品質』を議論したがるが、これは実体のない中空の概念だ、と。したがって、「設計の品質」を論じるなども無意味なこと－－なのだろうか？　わたし達の議論は、一体どこで道に迷ってしまったのだろうか？　<br />
<br />
次回は、この問題にまったく別の角度から答えを与えてみたい。<br />
<br />
（この項つづく）]]></content>
  </entry>
  <entry>
    <title>コストのものさし　～その表面と本質</title>
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    <issued>2012-02-12T11:36:00+09:00</issued>
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    <created>2012-02-12T11:36:29+09:00</created>
    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[先日、TKK セミナーというところで依頼されて在庫管理の話をする機会があった。少人数だが熱心な受講者の人達と一緒に懇親会で話す事ができ、楽しい時間を持てた。その中で出た話の一つに、ある方が若い頃勤めていた会社でボールペンの芯まで管理しているというエピソードがあった。その会社ではボールペンを使いきると、資材のセクションはまで歩いて行って、ボールペンの芯だけ補充してもらったという。ペンの外側は、まだ使い続けられる。全部捨てるより芯だけ取り替えた方が安いのだ。<br />
<br />
随分と節約した話だ、と皆が感心した。だが、私はこれを聞いて少し疑問に思った。たとえ今から20年以上前の話としても、当時の大卒社員の給料から考えて、人件費は平均で時間単価1,800円くらいにはなっただろう。つまり1分30円である。3分も歩けば、その人件費はボールペンの芯よりも高くついてしまうだろう。これでほんとに会社全体として節約になっているのか。<br />
<br />
こうしたことは、落ちついて考えれば、誰でも分かるはずのことである。それなのに、なぜかくも奇妙なコスト管理が会社に横行するのか。<br />
<br />
「それは資材部門が部分最適で動いているからさ」といった理由づけは、一応可能だろう。だが、結論を急ぐ前に、もう一つのエピソードを紹介しよう。わたしが以前所属していた部署の上司は、月末の金曜日5時になると、部員全員に号令をかけて仕事の手を止めさせた。止めて何をさせるかというと、「書類整理の時間だ」と宣言するのである。部員は全員、(その場にいないものを除き)自分の机の周りにある書類を整理しなければならない。<br />
<br />
整理といっても、その中心作業は「捨てる」ことだった。ただし机の上にあちこち散乱している書類は、ほとんど全てが遂行中の仕事に関するものばかり。だから手元に「仮置き」しているのだ。捨てられるものではない。でも仮置きが増えてくると、次第にどの書類をどこに置いたか分からなくなってくる。使うときに探したり、へたをすればもう一度印刷したりしなければならない。それでも机上に「仮置き」してしまうのはなぜか。それは、ファイリングの手間が面倒くさいから、というよりも、ファイリングしたいけれど、ファイルにそのスペースがもう無いため、机に置くことが多いから、なのだ。駐車場が一杯のため、“ちょっと路上駐車”という訳である。そして路上駐車の車の列があふれてくると、こんどは肝心の仕事の「中心道路」で交通渋滞が起きてくる。仕事と都市の交通事情は、よく似ているのだった。<br />
<br />
この問題は、だから「駐車場が満杯」という状況をなんとかしない限り、解決しない。そのために、ファイルを開けて、古い・もう不要になった書類を、捨てるべきなのだ。これが上司の指示の要点だった。そして駐車場（つまりファイルのスペース）に余裕ができると、机上に仮置きしていた書類をきちんとしまおう、という気持ちの余裕が生まれる。目的別に整理できれば、余計な探し物の時間を浪費せずにすむ。<br />
<br />
それにしても、なぜ、月1回、強制的作業なのか。各人の自主性にまかせればいいではないか。そう思うかもしれない（わたしも当時はそう思った）。しかし、わたしの勤務先はエンジニアリング会社である。受注ビジネスの仕事をしている。つまり客先の要求に追われる日々なのだ。しかも自分の勤務時間はプロジェクト別・WBS別にタイムシートで記録し、その「稼働率」で管理される。顧客向けのライン業務が優先し、そうでない仕事（書類整理なんかその典型だ）は後回しにされる。稼働率100%、すべて顧客向けの仕事をしていれば誇らしい、そういうマインドセットになりがちだ。<br />
<br />
上司はそこを、あえて止めさせたのだ。稼働率を下げてもいいから、身の回りを整理しろ。それを命じないと、半年でも、1年でも、整理しないまま書類の山が増えていく。それが見た目に見苦しい、というよりも、それで実は目に見えぬ能率低下がおきてくる。それを止めたのである。月に1，2時間ならせいぜい稼働率1%の低下に過ぎない。それよりも探すべき書類がすぐ出てくる方がいい。<br />
<br />
稼働率というのは恐ろしい指標である。稼働率とは、プロジェクトに従事している時間（顧客に対してChargeableなMan-Hour)の全体に対する比率で定義される。ところで、顧客要求に関連した書類を探し回っている時間は、稼働時間だと認識されている。書類が10秒で出てきても、15分探し回っても、どちらも稼働時間だ。前者の方が能率がいいことは誰にもわかるだろう。ところが、おかしなことに、後者の方が自分の全体の稼働時間が長くなるから、稼働率は上がるのだ。稼働率100%といったって、その内容を吟味しない限り、本当に誉めるべきかどうかは分からない。低能率で稼働100%の人と、高能率で稼働率50%で残業もせずにさっさと帰ってしまう人の、どちらが賢いか。<br />
<br />
稼働率管理は、製造業では機械に対して適用される。これを人に対して適用するやり方は、建設業会計からはじまったらしい。そしてエンジニアリング業界や、IT（ソフトウェア）業界まで拡がった。原価を決める際に、年初に社員・常勤協力会社員の人件費（コスト）総額と稼働率を想定し、標準の時間単価を計算する。実際の仕事では、各プロジェクトごとに稼働した時間をタイムシートで記録して、その時間に標準単価をかけた金額が、個別人件費原価として計上される。そして年度末に、実際の稼働率を調べて、当初の想定と違う場合は原価差額を調整する。この方式に従うと、会社全体の稼働率が高いほど、人件費の原価（稼働時間あたり）は安くなる。だから稼働率向上を管理目標にしたくなるのである。<br />
<br />
でも、よく考えてみよう。残業の多少の増減を無視して考えるなら、雇っている社員・常勤協力会社員の数は年間を通じて、ほぼ一定である。つまり人件費の総額は固定費なのだ。稼働率が50%でも、75%でも、会社から出ていく全体のお金は変わらない。稼働率を使った標準原価方式は、この固定費を、各プロジェクトあたりの変動費として擬似的に割り当てるための便法に過ぎない。変動費として賦課できなかった分は、間接費（不稼働損）として落ちるだけである。会社の利益（スループット）＝収入－支出で、人件費支出の総額は変わらないのだから、利益を上げたければより収入を上げることが先決である。むしろ高能率化で稼働率は下げて、同じ期間内にできる仕事の量を増やした方が良い。だから月末の書類整理は、とても理にかなっているのだ。<br />
<br />
わたし達は見かけ上のコスト管理に踊らされている。お金の世界は数字で分かりやすい（ように思える）。だが、その数字の奥にあるロジックは見落としがちである。とくに、人件費は注意が必要である。エンジニアの人件費を上記のように個別原価で管理している会社では、時間数だけでなく、その内容（能率）に注意しなければ意味がない。書類探しに終わる1日は、稼働時間かもしれないが何の付加価値も生まない1日である。他方、エンジニアはすべて販管費扱いの会社も多いが、そうした企業では、人の時間（の浪費）はそもそもコストとして意識されない。<br />
<br />
では、最初のボールペンの例では、本来どうすべきだっただろうか。いちいちエンジニアに芯を取りに行かせるくらいだったら、ボールペンの芯を各部署に少しずつストックしておき、使い切ったらその場ですぐ取り替えられるようにする方がいい。そして資材部門は、定期的に各部を回って、消費された分の芯だけを補充して行くのだ。いわば、富山の薬売り方式である。在庫管理の用語でいえば、定数補充だ。もちろん、ボールペンの芯だけを対象とするのではなく、オフィスの事務消耗品全部を対象にする。補充の作業は、単純労働だからパートにやらせてもいい。わざわざ給料の高い大卒社員が往復の時間を無駄にするよりも、ずっと安くつく。使用者と補充者を分業することも、在庫管理の定石の一つだ。<br />
<br />
コストを見たら、その表面だけでなく中身も見る力を育てるべきだ。一番大事なのは、人の時間を含む全体像を理解することだ。これ自体は、その気になれば格別難しいことでも何でもない。高度な理論も数式も不要だ。難しいのは、わたし達の頭の中にある慣習的な「思考の枠組み」をとりはらう努力なのである。]]></content>
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  <entry>
    <title>小ロット化はほんとうに製造コストを上昇させるか</title>
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    <issued>2011-10-23T18:48:00+09:00</issued>
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    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[数回前に書いた「長すぎる製造リードタイムの悩みを考える」 というエントリに対し、H.Kさんとおっしゃる読者の方から、以下のような質問を頂戴したのでお答えします。<br />
<br />
&gt;生産管理の実務者です。いつも興味深く読ませていただいています。<br />
&gt;<br />
&gt;『部門間の「責任感」による確約のマージンをけずる』には納得です。<br />
&gt;しかし、もうひとつの『計画立案サイクルを短縮する』事は、立案コストだけでなく、<br />
&gt;生産ロットを小さくする事になるので製造コストも上がりますが、どう解決すべきで<br />
&gt;しょうか？<br />
&gt;リードタイムと在庫、製造コストの変化を、金額で評価して最適値を算出する事に<br />
&gt;なるのでしょうか？<br />
<br />
これは、小生が書いた以下の節に対する疑問だと思います。<br />
<br />
『標準リードタイムが長くなるもう一つの要因は、月次計画サイクルの存在だ。月次サイクルは技術的理由から決済の慣習まで、いろいろな事情に支えられて存在している。だが月次サイクルとは、いいかえれば1ヶ月間のタイム・フェンスを生産計画に設定しているのと同じだ。月次計画のスパンで順序繰りを決めて原価を最適化するのは素晴らしいように思えるが、コストの代償として生産のフレキシビリティーを捨てていることになる。』<br />
<br />
むろん、生産計画立案のコストは、おっしゃるとおり2倍にアップします。ただ、ご質問の趣旨は製造コストです。所属する業種が書かれていませんので、ここではとりあえず、もっとも一般的な組立加工系の製造業と想定します。<br />
<br />
さて、ご存じのとおり製造原価は以下のような要素から構成されています。<br />
（１）材料費<br />
（２）人件費・労務費<br />
（３）その他経費（用役費・保全費・減価償却費等）<br />
<br />
仮に今、工場内のすべての製造ロットを半分にしたと仮定します。上記の項目のうち、どの項目が影響を受けるでしょうか。<br />
<br />
（１）の材料費は、つくる量が変わらない限り、増えも減りもしません。（２）はどうかというと、社内人件費は基本的に固定費ですから、残業時間が延びない限り、増えません。外注労務費は契約次第ですが、派遣形態の場合は社内人件費と同じで、人数や労働時間が増えなければ変わりません。外注（材料支給）形態の場合、ほとんどは加工数量の出来高で精算しているはずです。数量は変わらないのですから、外注費も増えません。<br />
<br />
（３）のうち、用役費は、セットアップ・段取り替え作業に非常に水道光熱を要する場合は増える可能性がありますが、それは例外ケースでしょう。ふつうは加工・製造のために機械を動かす方がずっと、エネルギーも水その他用役も消費するはずです。保全費は？　これも、機械部品の消耗は段取り替えよりも稼働時間にほぼ比例するはずですから、あまり変わりません。減価償却費も、年間に決まった金額が帳簿上消えていくだけですから変わりません。<br />
<br />
つまり、製造ロットを半分にしても、原価はとくに上がらない、ということになります。<br />
<br />
ちょっと待て、人件費はほんとうに上がらないか？　セットアップ作業の時間が倍になるのだから、必ず増えるはずではないか！　－－そう、反論される声が聞こえそうな気がします。<br />
<br />
それは、現時点で常時100%稼働している工程・作業区に対してのみ、YESです。もし人の稼働率が80%とか、70%以下である場合、多少のセットアップ作業時間が増えても、残業も人員追加も不要です。<br />
<br />
いや、うちの工場に遊んでいるヤツはいない。不況下の人減らしもあって、ギリギリの人数で操業している。そう、再反論されるかもしれません。<br />
<br />
言うまでもないことですが、人はつねに仕事を作り出す存在です。工場でただあくびをしながら立っている労働者など、（日本である限り）わたしは一度も見たことがありません。加工する材料がなければ、ツールの整備や機械の点検調整やモノ探しや改善活動など、必ず何かの仕事を見つけてしています。とくにモノ探しについては、以前も「『探し物』という名前の時間泥棒」 でも書いたように、一所懸命に働いているように見えながら、じつはちっとも付加価値に貢献していない作業です。これは物流・配膳の不備やレイアウトの不便から生じる余計な作業時間だからです。<br />
<br />
工場の中の各工程できちんと時間分析をしてみれば分かりますが、製造リードタイムの中に占める「正味作業時間」（＝付加価値を生んでいる作業時間＋付加価値は生まないが必要な作業時間）の比率は、案外小さいものです。それ以外の時間は待ち時間です（その中でもロット待ちが結構な比率を占めることはご存じのとおりです）。これを作業者の側から見ても事情は似ています。たとえば材料待ちのために、ある部分だけチョロっと組み上げて脇に置いておき、次の製品の組立をはじめ、また材料がそろったら元の組立に戻る、こうした状況では、時間は使っていても生産性が落ちるので、正味作業時間比率は上がりません。<br />
<br />
むろん、もしかするとH.Kさんの工場はこんなだらしない状態では無く、各人が多能工化して複数工程をフレキシブルに持ち合い、全員が助け合って正味作業時間比率がみな十分に高いのかも知れません。そうだとしたら、たしかに残業や人員増がおき、製造コストは多少アップするでしょう。そのことは否定しません。<br />
<br />
もう一つ、ありうる再反論として、「小ロット化で段取り時間が2倍かかり、機械自体の占有時間が増えるのだから、チャージコストが増えてしまうはずだ」という議論があります。たしかに、ある機械のチャージ・レートが1分100円で、それまで1ロット＝段取り10分＋加工50分＝6,000円ですんでいたものが、ハーフサイズになれば2ロット＝段取り20分＋加工50分＝7,000円になる、と思えるかもしれません。<br />
<br />
ですが、これは典型的な誤解です。機械の標準チャージ・レートは、その機械の年間減価償却費を、占有時間（稼働率）で割って決めます。もしロットサイズを半分にすることで機械の占有時間（稼働率）が上がったら、原価計算の中では「原価差額」を求めて標準値と実績値の差を下方修正します。つまりチャージ・レートが安くなるので、結果としては原価は変わらないのです。（ただ、この仕組みを生産部門の人がよく知らない、あるいは会計部門の中だけで計算してしまうので原価差額が知らされないケースは、ままあります）<br />
<br />
以上、長々と書きましたが、まとめますと、原価とは固定費と変動費（材料費）の和です。生産数量が変わらない限り、変動費は変わりません。固定費は、文字通り固定的です。だから、ロットサイズを半分にしても、ほとんど増加しないのです。例外は、工場の全ての工程が、常時フル稼働状態であるケースです。このような慶賀すべき状態である際には、まず検討すべきは生産キャパシティの拡張であり、小ロット化ではないでしょう。<br />
<br />
そして、まずそもそも、「生産計画のサイクルタイムを月次から月2回に短縮したとしても、必ずしも全製品の製造ロットが半分になる訳ではない」ことはご理解いただけると思います。工場で作る製品の多くは、1～2ヶ月分の需要をまとめて作ればすむようなタイプの、少量生産品でしょう。これはそもそも注文が少ないのですから、わざわざ2度に分けて計画する意味がありません。<br />
<br />
まあ、この分析はいわゆる加工組立のディスクリート系工場に対するもので、半連続のプロセス生産や、わたしのいう「切替型連続生産」では、もう少し別の分析が必要になります。ただ、その場合でも、かりに製造コストが上がるとしても、需要確度の向上、在庫量の減少などの効果をみて、その得失を総合的に判断すべきだと思います。「総合的に」というのは、製造だけのコスト最適化計算ではなく、製造と販売を含めて、もっとも機会損失が減って利益（粗付加価値）が増えるやり方はどちらか、という意味ですが。]]></content>
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    <title>技術力とは何か？</title>
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    <issued>2010-08-17T23:21:00+09:00</issued>
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    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[「おーい、この間買ってきた鷹の爪、こっちの入れ物かい？」<br />
「そうよ。あ、それ結構辛いから気をつけて！」<br />
「わかった。・・あれ、でも丸ごと1本入れても、ちっとも辛くならないよ。どうしてかな。」<br />
「あ、たいていのはあんまり辛くないの。でも、たまに、とびきり辛いのが混じってるのよ。」<br />
「そ、それじゃ“結構辛い”ことにはならないじゃない。」<br />
「でも、ときどき、ほんとにとびきり辛いんだから！」・・・<br />
<br />
たまに「とびきり辛い」のと、たいていが「まあ辛い」のと、どちらが本当に『辛い』唐辛子だと言えるだろうか？<br />
<br />
別の話題。今度はコーヒーの話である。私がかつてフランス企業に駐在して仕事をしていたことは前にも書いたと思う。その会社は立派なキャンティーンを持っていて、みな昼食はそこに食べに行く。さらに食堂の外には、コーヒーを飲んでおしゃべりするためのたまり場がある。そこも会社経営で、とても安くエスプレッソが飲める。フランスの常として、単純作業はたいてい有色人種の労働者がやっているわけで、そのカフェでエスプレッソをいれるのも、二人の黒人のおばさんが交替でやっていた。<br />
<br />
ところが同僚のH君がある日、不思議なことに気がついた。同じコーヒーなのに、片方のおばさんがいれた方が、もう一人のおばさんよりも美味しいというのだ。そういわれて注意して飲んでみると、たしかに太めのおばさんのコーヒーの方が、やせたおばさんより美味しい。これはとても奇妙なことだった。なぜなら、二人は同じエスプレッソ・マシーンでいれているからだ。コーヒーの粉をだって、同じ仕入れに決まっている。あとは小さな容器に粉を入れて蒸気の出口にセットし、それをデミタスカップで受けるだけである。どこにも技量や個人差が入り込むすき間はなさそうに思える。なのに確実に味が違うのだ。<br />
<br />
後日この話を、ある光学機械メーカーのＯＢの方にしたところ、「いや、自動化された機械でも、オペレータによって出来上がりの品質が違うことはしばしば起きる」と教えられた。樹脂材料を箱形装置にいれて加熱変成するだけの自動化工程であっても、その時の材料の性状、その日の気温や湿度、そして昇温時間や加圧時間等々、微妙なセッティングによって結果の品質が変わってくると言う。そして、熟練したオペレータは、その結果にばらつきがなく安定しているのだ。「すごいんですね。」と私が感心すると、その方は「工場にいるベテランのレンズ職人になると、球面を手で撫でただけで、ミクロン単位の歪みを言い当てますよ」と答えた。<br />
<br />
『技術』という言葉を使うとき、世間の人は、このようなミクロン単位を手で感知するプロの職人芸を連想するか、または、高度に先端的な自動化マシンのようなものを想起するらしい。ある人が、トヨタの人に向かって、「きっと御社ではすごいプロの職人さんが大勢いらっしゃるんでしょうねえ。」とたずねた。聞いた方はごく無邪気に質問したのだろう。しかし、自動車会社の人の答えは「NO」だった。「個人的な技能に頼るような工程は設計しません」というのが回答なのだ。<br />
<br />
『技術』と『技能』という言葉は、ときに混同して使われるが、別の概念である。技能は人に属する。手でミクロン単位を感じ取る職人芸は、技能である。技能は、適性と、長年の修練によって身につけられる。技能は、簡単に人に渡したり譲ったりすることができない。だから、ベテランの技能に頼る工程は、そのベテラン職人が何かの都合でいなくなったりすると、とたんに機能しなくなる。<br />
<br />
他方、技術とは、その成果を万人に移転可能なものである。属人的な技能に頼らず、誰がやっても均質な結果を得られるようにする方法、それを技術と呼ぶ。文字を美しく書くのは技能である。一方、活字を乗せたタイプライターの発明は、技術である。それによって誰もが、均質な、非個性的な、美しい文字を打つことができるようになる。<br />
<br />
無論、タイプライターでも、打つ人によってスピードも違うし、字の濃さの均質性も異なる。自動化された技術の道具を使うにあたっても、そこには多少の技能が左右する要素があるのだ。ちょうど食堂のエスプレッソ・マシーンのように。しかし、技術はなるべくそのような技能の左右する領域を減らすように、進展していく。技術は、誰もが達成できる、均質性を追求する。技術は文明の申し子だからだ。たまに「とびきり辛い」のではなく、どれもが「それなりに辛い」が目標なのである。<br />
<br />
ときどき、メディアや官庁などが技術政策を語るとき、この点を誤解しているのではないかと感じるときがある。彼らは「先端技術」と言ったワーディングが、とても好きだ。その方が新鮮でかっこよく、ニュースバリューもある。ニュースバリューとはすなわち特異性、珍しさを意味する。だが、技術に関する判断基準は、技術全体にも適用される。ある組織や社会に「技術力がある」とは、たまに「とびきり先端的」ではなく、だれもが「それなりに技術を持つ」ことを指すのだ。建物の塔の高さではなく、建物全体のボリュームと安定性。そこを見なければならない。一握りの突飛な天才ではなく、大勢の技術者の百花繚乱の豊かさ、多様性。そこから生まれる、組合せの創造性－－こうしたことこそ、技術力の母体である。技術力とは個人ではなく、組織の能力なのだ。<br />
<br />
世間で時折提案される、特殊な理系エリート教育のような仕組みに、わたしが批判的なのもこのためである。欧米やら、あるいは韓国やらで、そうした仕掛けが役に立つように見えることもあるのだろう。だが、たまに「とびきり優秀」な人間を作るために、ボリュームゾーンに属するほとんどの学生を疎外していって、良い結果が得られるようにはわたしは思えない。すでに、この国の教育制度は、「それなりのレベル」をだれもが達成することに失敗しつつあるではないか。大学生レベルが降下中なのに、企業だけレベルが上がる訳がない。『技術立国ニッポン』の将来を明るいものにするために、もう一度考え直すべき時であろう。]]></content>
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    <title>もう一度、付加価値とは何か？</title>
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    <issued>2010-06-06T19:04:00+09:00</issued>
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    <created>2010-06-06T19:04:38+09:00</created>
    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[経済産業省が先頃、「韓国室」という部署をつくったらしい（関連記事）。昨年、UAEの原子力発電所の商談で負けて以来、日本の産業界は急にお隣の国の存在感を意識しはじめた様子だ（まさかオリンピックのフィギュアスケートに勝てなかったからじゃないとは思うが）。私たちはとにかく何であれ海の向こうの流行りものには弱いらしく、いまやサムソンに学べだの、ガラパゴス化で世界の孤児になるだの、メディアはかまびすしい。中には韓国に負けないために日本も財閥を再結成せよだとか、徴兵制をしいて若者を鍛え直せとか、真顔でいう方もおられるらしい（自分で実際に兵役を経験した人など、今や経済評論家にもほとんどいないと思うのだが）。<br />
<br />
伝統的に日本の産業界は欧米に顔を向けてきた。基礎技術は欧米から輸入し、お得意の改良をほどこして、製品をまた欧米市場に輸出する。アジア・中東・中南米等はどちらかというと、原油原材料の輸入や部品加工のための足場という扱いだった。このような世界地図の歪みに早く気がついた企業だけは、肌色が白くない人達も、顧客として（またライバルとして）応対してきた。だが、多くの企業は『新興国』という単語が新聞を賑わすまで、世界の変化に鈍感だったと言っていい。<br />
<br />
東アジアが競争力を増してきた現在、多くのビジネスマンの頭の中にあるキーワードは、「高付加価値化」であるらしい。価格競争力では、相手に勝てない。なんとなれば日本は人件費も土地代も材料費も物流費も高いからだ。おまけに（なぜだか）円レートまで高い。そこで、お得意の技術力を活かし、高機能・高付加価値の製品を開発して勝負すべし、という結論になるらしい。<br />
<br />
でも、ちょっと待ってほしい。高付加価値って、何のことだかみな理解しておられるのだろうか。<br />
<br />
いま、かりに文房具業界に私が勤務しているとしよう。私の部署は万年筆やボールペンなど筆記用具を製造し販売している。安いものでは、1本100円のボールペン、高いものでは1本1万円の高級万年筆だ。ちなみに、ボールペンの材料購入費は1本あたり30円、万年筆は材料購入費が6,000円になっている。さて、どちらがより高付加価値だろうか？<br />
<br />
こういう質問の出し方をすると、賢明なる読者の方は一瞬警戒して、「ふつう万年筆の方が高付加価値と思うが、コイツはいつものごとく裏のある問題を出してきているんじゃないか？」などと疑われるかもしれない。そして、「じつはボールペンが正解だろう」と考えられるかもしれない。<br />
<br />
答えは、万年筆でも、ボールペンでもない。「正解は、わからない」である。なぜなら、それぞれの製品が、何本売れているのかが不明だからだ。<br />
<br />
付加価値（粗付加価値）とは、「売上高－外部購入費」で定義される。いま、私の会社は、製造工程はすべて自社内でやっているとしよう（外注費はゼロだ）。そして、万年筆は年産1万本、ボールペンの方は年産100万本だと仮定する。すると、簡単な計算で、<br />
<br />
万年筆の生む付加価値＝（10,000－6,000）× 1万本＝4千万円／年<br />
ボールペンの生む付加価値＝（100－30）× 100万本＝7千万円／年<br />
<br />
という結果になる。ボールペンの方が、万年筆よりも大きな付加価値を生むのだ。むろん、この比較は、製品それぞれの生産本数の大小に依存する。いや、正しくは「販売本数」の大小に依存するわけだ。<br />
<br />
とにかく私の会社は、ここで生み出された付加価値の中から、人件費、生産設備の減価償却費、販売経費、その他間接費等を払っていかなければならない。人件費は付加価値の中から捻出するしかないことを忘れないでほしい。高級万年筆製造に必要な高度な職人作業の賃金であれ、ボールペン製造機のパネルの操作オペレータであれ、給料の元はそこにしかないのだ。<br />
<br />
では、この二つから、どのような結論を引き出したらいいのだろうか。アジアとの競争に打ち勝つために高付加価値製品にシフトすべきだとしたら、万年筆は捨ててボールペンに「経営資源を集中」すべきなのだろうか？　いや、それは早計である。問題は、それぞれの製品の市場の大きさはどの程度で、自社の競争力の源泉はどこにあるのか、にある。それを忘れて、単に付加価値だけで判断してはいけない。<br />
<br />
もし私の会社が、価格の安さしか取り柄のない製品ばかりを作っていて、かつアジアの競争相手の製品が、“安かろう悪かろう”で攻めてくるのだとしたら、品質で差別化するのも一つの手段である（もっとも、品質では直に追いついてくると思うが）。でも、納期や品揃えの的確さ、アフターサービスの柔軟性などで競争すべきかもしれない。あるいは、もしかしたら、万年筆の市場で得た付加価値を原資にして、ボールペンでの価格競争にそなえるという戦略もあるかもしれない。とにかく、競争力の源泉を間違えずに理解して対応すれば、販売数量は減らないだろうし、結果として付加価値も落ちないだろう。<br />
<br />
世間の誤解は、「高付加価値製品」＝「高価な商品」という点にある。単価で比較すれば、そう思えるだろう。しかしビジネスは、いくつ売ってナンボの世界である。1個1000円もする高価な日本産リンゴが、上海の高級スーパーマーケットで売れている、というニュースを見て、“やっぱり農業もこれからは高付加価値化が”などとコメントするのは、早計に過ぎる。たしかに、そういう行き方もあるだろう。だが、リンゴのクラス別販売数量を見れば、それはニッチな戦略であることがわかる。そうでない平凡なリンゴも、世の中では大きな需要があるからだ。<br />
<br />
日本企業は、国内市場の赤字を、海外への輸出利益で補っているのに対し、韓国企業は国内で設けた分を海外で安く輸出するのに使っている。だから海外市場で日本製品は高価なのに韓国製品は安価なのだ、という説明がある。私自身は、どこまでこの説明が正しいのかは分からない。しかし、企業においては、複数の製品がつくり出す付加価値を、どこに再配分するかがマネジメント上の重要な戦略である。なぜなら、付加価値こそが経営資源の源泉だからだ。そして、前回の書評「コストダウンが会社をだめにする」でも引用したように、国レベルでも付加価値こそ経済の源泉なのである。できるならば、より多くの人が、このことを理解されることを望むばかりだ。]]></content>
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    <title>採算をとる、とはどういうことか</title>
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    <issued>2009-01-21T23:21:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-31T11:04:28+09:00</modified>
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    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[画期的な発明をした。自動車に取り付けると周囲の車の距離と速度を測定し、安全な方向と速度を割り出して自動運転してくれる制御装置だ。カーナビと組み合わせれば、運転中に熟睡していても目的地に到達できるだろう。ドライブと睡眠不足解消を同時に楽しめる。ぜひ商品化して製造したい。ヒットすれば億万長者も夢ではあるまい。<br />
<br />
かんじんの製品価格だが、1台20万円というところでどうだろうか。必要な原材料・部品代は、ちょっと見積もってみたら10万円程度で済みそうだ。ただし、この製品を作る製造装置だが、どう考えても100万円くらいかかる。まあ貯金をはたけば無理して買えない金額でもないと思う。置き場所はとりあえず車庫にしよう。文字通りガレージ・カンパニーの誕生である。<br />
<br />
さて、意気込んで事業をはじめたが、世界初の商品というものは、なかなか売るのが簡単ではない。知り合いの売込み先3人に断られ、4人目のトラック会社社長にコンタクトしようというときになって、これはやはり設定価格が高すぎたかな、と思いはじめた。でも、いくらが適当なのだろうか。それを決めるためには、少なくともこの製品の原価を考えなくてはならない。<br />
<br />
製造機械は大枚はたいて買ったものだが、寿命は2年くらいか。月あたりに直すとほぼ4万円だ。それに人件費。いくら社長兼開発製造部長だといっても、霞を食って生きてはいけない。光熱費を含めて月20万は必要だ。とすると、月に24万円はかかることになる。月産4台のペースなら、1台あたり6万円である。材料費との合計は10＋6＝16万円だ。2割以上値引きしたら、赤字になる。そう計算して商談にのぞんだ。<br />
<br />
交渉は厳しかったが、何とか成約にこぎつけた。価格は17万円。15％の出精値引である。ようやく1台売れると、はずみがついたのか、2・3台目も売れた。同じ価格での販売だ。これで新会社の最初のひと月が終わった。わずか3万円だが黒字の筈である。<br />
<br />
ところが、よく考えて見るとたいへんな思い違いをしていたことに気がついた。今月の販売台数は3台。売上高は51万円。ここから部品代30万、製造機械の原価消却費4万円、自分の人件費20万を差し引いたら3万円の赤字ではないか！　1台あたり1万円の赤字である。ということは、１台18万円で売らねばならなかったのだ。どうしてこんな違いが生じたのか?<br />
<br />
むろん、頭の良い方はおわかりだろう。私は月産4台で製造機械や人件費の原価を計算していた。それが3台しか売れなかった。ということは、24÷3＝8万円の原価が賃率として各製品にチャージされてしまう。これが実際原価である。一方、私は4台作れるベースで標準原価を計算していた。この、標準原価と実際原価の差異を、原価差額という。別のいい方をすると、月4台分生産の見込みが3台だった。その1台分の「不稼動損」が6万円、という見方にもなる。<br />
<br />
さて、次の商談にはいくらで臨むべきか。18万円が現実の製造原価なのだ。ということは、1割引が譲れぬ線になる。その心がまえで進めたら、破談になってしまった。相手は15万ならいくつか買っても良いという。15万！　これでは、作るだけ赤字が増えてしまう。とてもやっていけない。翌月は売上ゼロだった。<br />
<br />
しかし、3ヶ月目、頭を冷やしてゆっくり考えて見たら、別の知恵が出てきた。不稼動損が出たということは、稼動率を上げれば逆に原価が下がることを意味しているではないか。たとえば、頑張って今の2倍、月産6台作れば、１台あたりの原価は10＋24÷6＝14万円に下がる。とはいえ、販売をやりながら月6台生産するのは無理だ。セールスマンをもう一人雇うしかない。ただし、かれの取り分は成功報酬で売上の2割とする。20万円の定価販売なら4万円だ。それでも製造原価14万なら、2万円は利益が出る。<br />
<br />
セールスマンはそれなりに頑張ったが、翌月売れたのは18万円で4台・計72万円だった。原価16万円に販売費用3.6万をたしたら、まだ1台あたり1.6万の赤字である。もっと売上を上げないと利益が出ない。そういってセールスマンにはっぱをかけたら、彼は意外な動きをはじめた。中国から模造品（あきれたことに、もう出現した）を輸入して売りはじめたのだ。仕入価格8万円。それでも「社長のガレージ工場で作るよりずっと安いじゃないですか」と指摘されると、反論できない。彼はそれを15万で売りさばいた。2割のコミッションを引いて、社長である自分にも15－3－8＝4万円残る。月6台うれたので24万円の見入りだ。やっと赤字から脱出しトントンまできたので私はほっとした。顧客から、次々「すぐ壊れた」と品質クレームをつきつけられるまでは・・・<br />
<br />
この話、どこがおかしいのかおわかりだろうか？　もし私が2ヶ月目に、“15万なら買おう”といった客に自社製品を売っていたら、どうか。3台売ったら45－30＝15万、4台売れたら60－40＝20万、手元に残ったはずだ。なのに、現実は赤字を恐れて値を下げなかったため、一銭も入らなかった。それどころか、もし5台売れた場合、75－50＝25万が入って、今より良いではないか。いまや私の会社は月間売上90万円だが、手元には24万しか入らない。<br />
<br />
もともと最初に投資した製造機械はもう支払ってしまったお金、「埋没コスト」である。また、私の生活費は、仕事があろうと無かろうと、減らせない固定費なのである。だから、実入りがゼロ円より、実入り15万円や20万円の方が良いに決まっているではないか。つまり、固定費を、「売上－原材料費」の分で少しずつでも回収していくしかない。それなのに、固定費を1台あたりの標準単価に割り振って、変動費のように扱うから話がおかしくなる。「赤字だから受注しない」などという逆立ちした判断が出てくるのだ。そんなのは、仕事が有り余って選択受注できる贅沢なときの判断だ。<br />
<br />
この例は単純だから、おかしいことは皆すぐ分かる。しかし、現実の話になると急に惑わされる人が増えてしまう。「わが社の人月単価は150万円だから、それ以下の仕事は受注すると赤字になる」だとか、「あの材料は円安時代に50万円で海外から仕入れた物だから、50万以下で売ったら損になる」などなど。おかしいことはおわかりだろう。仕事が全く無いよりも、人月100万円でも収入がある方が良い。材料を在庫したまま腐らせておくより、40万円であっても買ってくれる客をみつけて、少しでも回収した方が良い。<br />
<br />
「売上－原材料費」のことを、製造業の「付加価値」と呼ぶ。付加価値の計算には、人件費も減価償却費も入っていないことに注意してほしい。そして、製造業において採算をとるとは、すなわち付加価値合計が固定費を上回る状態に持っていくことを指す。私の会社の例では、たとえ同じ15万円の販売価格でも、内製すれば付加価値は5万円だったものが、中国調達したら付加価値は4万円になってしまう。優劣は明白だろう。<br />
<br />
それなのに判断を間違えるのは、「付加価値額」ではなく「売上」だとか「単価」だとか「稼働率」などの代替指標を用いるからである。受注戦略を立てるときは、「付加価値額」対「固定費」で見ていく方が単純で、間違えない。今のような不況の時代では、なおさらなのである。]]></content>
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    <title>変動費原価管理のすすめ</title>
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    <issued>2007-07-17T21:35:00+09:00</issued>
    <modified>2025-12-31T11:04:28+09:00</modified>
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    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[<br />
現代の企業経営は、目標管理と分業主義を軸として動いている。企業に経営目標や経営計画があるのは当たり前だと、皆が考えている（少なくとも株主はそれを要求する）。そして経営目標は、分業化された縦割り組織に、個別に与えられ下ろされていく。ま、「下ろされて」とかいたが、現実の日本の企業は、完全にトップダウンで動くケースは少ない。経営者といえども、下の人間の意見をきかないで勝手に数字を設定したりはしない（できない）のが普通だ。<br />
<br />
それはともかく、多くの企業組織は、機能的分業化ないしは分野別分業化で区画されている。機能的分業とは、販売・マーケティング・設計・生産・物流・購買・サービス・人事・経理・財務・・といった分類による区別だ。分野的分業とは、製品カテゴリーだとか、顧客業種だとか地域だとかによる区別で、その内部は事業部として自己完結する。現実には、両者がある程度入り混じった形が多い。とはいえ、事業部の中もたいていは販売・製造・サービス・・といった機能別にさらに細分化されるのが普通だから、結局企業は機能中心の組織が一般的だといっていい。<br />
<br />
さて、このような分業組織を動かすにあたっては、ふつう、機能別の目標尺度を与えることが多い。たとえば製造業では、販売は売上高、生産は製造原価で管理することが当然だと思われている。つまり、<br />
<br />
　販売高－製造原価＝営業利益（粗利）<br />
<br />
という理解だ。営業部門は売上高の最大化をねらい、生産部門は原価の最小化を心がける、という寸法だ。これでたいがいの会社はうまく回っているし、不都合もないと考えられている。今回は、それに疑問をさしはさもう、という趣向だ。<br />
<br />
（ちなみに、この式には販売機会損失による逸失利益が入っていない。つまり、在庫過剰による保管費は原価に計上されるのに、欠品や納期遅れによる損失は計上されないのだ。この一点を見ても、この式には問題があるのは分かるだろう。が、その話は別の機会にして、今回は原価管理のことをとりあげたい）<br />
<br />
さて、たいていの企業では、上記を次のように個別に展開した式で目標設定をしている：<br />
<br />
　営業利益＝販売高－製造原価＝販売数量×（販売単価－1個あたり製造原価）<br />
　<br />
　1個あたり製造原価＝材料費原単位＋（労務費＋減価償却費＋間接原価）÷生産数量<br />
<br />
そして、じつはこの式ために、要らぬ誤解や無用な判断ミスがしばしば入り込む。たとえば原価を下げるために労賃の安い海外に移転すべきだとか、工場は設備稼働率を上げて原価を下げるべきだとか、自社で部品加工すると高くなるから外注先から購入するとか。こうした方策は、中期的には企業の付加価値生産性をそこない、競争力を低下させる。たとえば中国生産で懲りて国内回帰してきた会社などでは、この問題にうすうす気づきはじめている。しかし、その原因は相手側の品質不全や文化の差異などのせいにされて、上の式に問題があるからだとはなかなか理解されない。<br />
<br />
ご存じの通り、こうした原価計算をじっさいに行うのは財務部門である。ライン部門は、その結果を後から知らされて、自分の目標値との差違を知り、業績評定を受けるだけで、原価計算の中身までは理解していない。しかし、原価計算（とくに個別原価計算）の方法には、恣意性があるのだ。それは固定費配賦において典型的に現れる。「恣意性」という表現をしたのは、妥当な範囲の中で、自由度があるからだ。それは科学や規則ではなく、ポリシーの問題なのである。そして、たいていの企業では、この原価管理に関するポリシーが明確でない（だから日本のSAP R/3導入企業の中で、COモジュール活用例がひどく少ないのである）。<br />
<br />
固定費配賦計算の罠とは何か？　その良い例が稼働率計算である。ある生産資源（機械でも人員でもいいが）の年間コストが固定費で２千万円だったとしよう。工場の年間稼働時間を2,000時間とする。すると、1時間あたり1万円の単価になる。ところが、製造日報を調べてみると、この資源は実際には年間1,500時間しか稼働しなかった。稼働率＝75%だ。すると、稼働時間あたりのコストは2千万÷1,500時間＝1.33万円/時になる。同じ仕事を外注したら1.1万円でできたと仮定しようか。すると、外注した方が原価が安くなる。<br />
<br />
ところが、よく考えてみてほしい。外注したら、その生産資源はどうなるのか？　保有機械ならば、減価償却費は使おうと使うまいと変わらない。人員も、おいそれと首は切れまい。他の仕事にすぐ転用できればいいのだが、これもそう簡単ではない。その結果、固定費は残ったまま、外注費が増えることになる。したがって、企業の付加価値総額は減少してしまうのである。<br />
<br />
あるいは外注のかわりに、「稼働率を上げる」という対策はどうだろうか。でも、もう少し考えてほしい。機械や人員の効率を下げて、同じ量の仕事を年間1,900時間かかるようにかえれば、稼働率は95%にあがる（稼働時間あたりの原価は1.05万円に下がる）。外注より安くなる。これで企業は儲かるようになるか？　NO！　年間固定費は同じままだ。<br />
<br />
なぜこのような勘違いが生まれるのか。それは、原価配賦計算が、固定費を変動費のように「見せかける」からなのだ。変動費は、生産数量に比例するように見える。しかし、配賦された原価はそうではない。<br />
<br />
では、正しくはどうすべきか。答えは簡単である。上の式のかわりに、「付加価値総額」という指標をとるようにすればよい。付加価値は以下の式で定義される。<br />
<br />
　付加価値総額＝販売高－材料費－副資材用役費等<br />
　<br />
この式自体には、どこにも労賃や減価償却費が入らないことに注意してほしい。というのは、これらは固定費だから、生産管理ではほとんどコントロールできないのである。コントロールできないものをモノサシの指標に持ち込むから、おかしな誤解があまた生じるのだ。<br />
<br />
このように、変動費のみに注目する管理方式を、変動費原価管理ということもある。また、すべての企業の付加価値総額を合計したものが、その国のGDPであることも忘れずにいてほしい。<br />
<br />
企業組織は、モノサシで動く。かつて「モノサシを疑え」（『タイム・コンサルタントの日誌から』2004/04/03 ）でも書いたように、本当にあるべきモノサシはどんな尺度なのか、いつも注意が必要なのである。]]></content>
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    <title>付加価値生産性とは何か</title>
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    <issued>2006-07-21T23:10:00+09:00</issued>
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    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[付加価値とは、企業が生産を通じて新しく生み出した価値であり、端的に言えば販売額から材料購入費を差し引いたものだ。材料購入費はサプライヤーに対して支払う金額であり、そのサプライヤーにとっては販売額になる。したがって、付加価値の計算は、買い手と売り手の分を合計すると、取引額が相殺されていく関係になる。もし、ある企業が工場を分社化して子会社とし、そこから製品を仕入れて販売する形態に変わったとしても、親会社と子会社の付加価値の合計額は変わらない。<br />
<br />
この計算を、サプライチェーンのずっと源流までたどって集計していくとどうなるか。ちょっと考えればわかるはずだが、これは国民総生産（ＧＤＰ）に等しくなるのである。つまり、一国のＧＤＰとは、その国が生み出した付加価値の総計になるのである。だから、計算上は儲かるからと言って、製造やサービスの仕事を単価の安い海外にアウトソースしてしまったらどうなるか、容易に想像がつくだろう。その国の経済全体がしぼんでいくのである。これはすでに米国で起こりつつある現象だ。<br />
<br />
さて、生産管理の主要なテーマは、最小の在庫で納期を守ることである。納期を守るというのは、顧客との約束を守ることであり、それ自体は“できて当たり前”のことだ。納期厳守を実現するために、どれだけ費用を使ってもいいなら、誰も苦労はしない。問題は必要最小限の在庫で、の部分である。在庫とは、その期に外部から購入する材料の結果であるから、材料購入費に集約される。言いかえれば、生産管理の主要なテーマとは、納期通りの出荷を達成し、外部からの材料購入費を下げること、つまり付加価値の増大にあるのだ。<br />
<br />
生産管理の主題が付加価値の増大にある、ということは特筆されて良い。なぜなら、この基本中の基本が、どうやらしばしば生産現場で忘れられているからだ。その典型例が生産性の定義をめぐる混乱である。<br />
<br />
最新鋭の機械を導入した、あるいは、一人屋台方式やセル生産を導入した、だから生産性が何割上がりました、といった議論をよく見かける。生産性とは何か。生産高を人員数で割ったものなのか。つまり、人が減れば生産性向上なのか。それだったら、最終組立工程以外は全部外注員にしてしまえば、労賃は元のままでも生産性が上がることになる。いや、工場長以外、全員外注にしてしまえば世界一の生産性であろう。これが生産管理の目標とは、誰も思うまい。<br />
<br />
あるいは逆に、一人屋台生産にして直接作業比率が上がり、仕掛り在庫が減りました、という議論はどうか。部品を配膳・供給する仕事は分業させて、誰か別の人間に振り分けた訳であろう。これも、最終組立工程の能力を最大限活用する面では有意義だが、工場全体の人数は（とくに自社内で材料部品加工まで行なっていれば）動線をぐっと短縮しない限り大きく減ることはない。<br />
<br />
こういう、社員一人あたりの生産額（販売額）の議論を続けていく限り、かならず行き着く先はアメリカと同じ、全面アウトソーシングである。そして、国内の失業率増大と国民所得減少ばかりに貢献することになる。<br />
<br />
それでは、生産性を何で計るべきか。答えは、労働時間あたりの付加価値額なのである。労働人員あたりの付加価値額で計算する場合もあるが、派遣社員やパート比率が大きくなると、比較できなくなるので、最近は時間あたりの方が良く用いられる。つまり、作業者一人１時間あたり、どれだけ付加価値に貢献しているかを測るのだ。<br />
<br />
こうすると、単なる外注化では、生産性向上ができなくなる。内製工程を丸ごと外注すれば、材料購入費にはねかえって、全体の付加価値が落ちてしまう。工場労働者を派遣社員に切り替えても、労務費は付加価値の計算に影響しないので効果がない。<br />
<br />
そこで、まじめに生産を計画し、需要と必要在庫を予測し、指示を同期化し、不良率を下げ、レイアウトと工程作業を工夫して、地道に一人１時間あたりの付加価値を上げて行くしかない。つまり、普通にいわれている生産管理を実行するしかないのだ。もし外注化で生産性を向上したければ、賃金の低いものを出すのではなく、「付加価値への貢献の低いもの」を出した方が良い。<br />
<br />
ちなみに、一人１時間あたりの付加価値額と、１時間あたりの労働賃金の比率を、『労働分配率』という。労働分配率は、日本の全企業平均では50%程度だが、製造業では60%近い（つまり生産性が低い）。これが100%を超えたら、賃金を払えず事業が成り立たないない訳であるから、付加価値生産性は、その事業が人を養う力があるかを示すことになる。だからこそ、これをいかに大きくするかが、工場の最大のテーマなのである。]]></content>
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    <title>付加価値－－問題な日本語</title>
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    <issued>2006-07-13T00:02:00+09:00</issued>
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    <author><name>Tomoichi_Sato</name></author>
    <dc:subject>A4 コスト・品質・安全</dc:subject>
    <content type="html"><![CDATA[いつだったか、「タクシーはとても付加価値の高い乗り物です」という広告を見たことがある。マンガ風の絵で、自動車がお客さんをおぶって走っている。タクシーは楽だ、と言いたいのだろう。しかし、私は可笑しくて吹き出したくなった。付加価値が高いとは、売値に比べて儲けの比率が高いことを意味する。これでは、宣伝の意図とは逆に、“タクシーは実はとても原価の安い乗り物です”と主張してることになるからだ。<br />
<br />
『付加価値』という言葉は、かくのごとく誤解されやすい。付加価値が高いというのは、売り手にとって重要なことだが、買い手は商品の価値そのものしか興味がない。買う価値のあるモノだから、買うのだ。だから上の広告は、本来なら「タクシーはとても価値の高い乗り物です」と書くべきだった。いや、もしかしたら、低賃金を抗議するために、運転手がわざとそんな広告を貼ったのかもしれないが。<br />
<br />
こんな誤解がまかり通るようになったのは、長かった不況の時代に、“いかにして製品の付加価値を上げるか”という議論を皆がしてきたからだろう。その結果、付加価値を上げることが善であるばかりか、買い手にとっても善であることになってしまったらしい。そもそもの目的や意義を忘れて手段ばかりを議論しがちな、我らが社会ではよく見かける現象である。<br />
<br />
さて、製造業における付加価値とは、簡単に言うと次の式で定義される：<br />
<br />
　付加価値＝販売高－材料購入費<br />
<br />
製造業とは、マテリアルを加工し、付加価値を付けて販売するビジネスだ。付加価値こそ、利益や賃金や設備投資をはじめとする全ての資金の源泉なのだ。だから、この式の左辺をいかに大きくすべきかを、必死に工夫しなくてはならない。<br />
<br />
その付加価値の源泉とはどこにあるのか？　反応や精製だ、と化学工業の人は答えるかもしれない。加工や組立だ、と機械工業の人は考えるだろう。いずれもモノの形や性質を変える製造工程が価値の源泉だと信じている。<br />
<br />
一方、搬送だの保管だの検査だのといった作業は、モノに直接の影響を与えない。だから、物流や品管部門は付加価値を生み出さない、余計者のように扱われがちだ。事実、物流部門はまっさきにアウトソーシングと人員削減の対象にあげられる。<br />
<br />
ところで、よく考えてほしい。顧客に製品を販売するとき、その製品が消費地から500km離れた地点にあったら、顧客は買ってくれるだろうか。その製品が壊れやすかったら、誰が喜んで買うだろうか。だから、顧客が必要なときに、必要な場所で、必要な信頼性を提供する物流や品管の仕事は、あきらかに価値を付加しているのだ。<br />
<br />
付加価値はふつう、製品仕様の差別化で生み出されると考えられている。それは確かに事実だ。しかし、提供場所と時間（納期）や、安心料（保険料）もまた、付加価値をつける有力な手段なのだ。<br />
<br />
そして、もうひとつ、誰もが忘れがちな点がある。それは、販売業務それ自体は、製品に価値をほとんど付加しないという点である。だから、営業部門が物流部門を下に見るような組織があったら、その企業はどこかおかしいと考えた方が良いだろう。]]></content>
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