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    <title>タイム・コンサルタントの日誌から:G 書評</title>
    <category domain="http://brevis.exblog.jp/i2/">G 書評</category>
    <link>http://brevis.exblog.jp</link>
    <description>タイム・マネジメントとSCM専門家のエッセー・批評・考察集</description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
    <dc:rights>2026</dc:rights>
    <pubDate>Sat, 24 Jan 2026 19:48:02 +0900</pubDate>
    <dc:date>2026-01-24T19:48:02+09:00</dc:date>
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      <title>タイム・コンサルタントの日誌から</title>
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      <description>タイム・マネジメントとSCM専門家のエッセー・批評・考察集</description>
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    <item>
      <title>本を読む事、本を最後まで読むこと（＋ 書評：「ペスト」　A・カミュ著）</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/33877780/</link>
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      <description><![CDATA[わたしにとって読書とは<br />
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<br />
昨年（2025年）、ちょうど20冊本を読んだ。わたしが「本を読んだ」というときは、本を最初から最後まで、全ページ読んだ、という意味で使っている。一部の頁を読んだだけの時は、「見た」ということにしている。見た本はもちろん、もっと多い。だが、読み通すつもりのものが、ほとんどだ。辞書や一部の規格書・法律書など例外はあるが、基本的に読み通すつもりで、本は買う。<br />
<br />
<br />
月2冊程度だから、わたしは決して読書家ではない。学生の頃は年に100冊程度読んでいたが、働いて、家庭生活も持つと、読書時間は削らざるを得ない。わたしの主な読書タイムは電車の中である。しかし最寄り駅から勤務先まで3駅・10分足らずだし、外出や出張時には寝落ちしていることが多くて（汗）、ちっともはかどらない。<br />
<br />
<br />
わたしにとって読書は、仕事ではなく勉強でもなく、趣味である。自分ではビジネス書を書いているくせに、ビジネス書はほとんど読まない。仕事から離れたら、仕事以外のことを考えたいからだ。小説もあまり、読まない。自分はあまり、物語を好むタイプでは、ないらしい。物語が好きな人は、小説だけでなく、経営書にも物語を読み取り、スポーツにもドラマを感じるのだろう。感情的価値を、欲しているのだ。わたしはむしろ、知る喜びの方が、面白い。<br />
<br />
<br />
なぜ読み通すことが大切か<br />
<br />
<br />
<br />
本を読み通すのには、時間がかかる。近頃は有名書ならネットでサマリーを見ることができるし、あまり大部でなければ生成AIに要約してもらうことだって可能だ。しかし、わたしはそうしない。自分の本、たとえば「BOM/部品表入門」でも「時間管理術」でもいいが、そういう風に読まれるのを好まないからだ。<br />
<br />
<br />
書いている立場から言わせてもらえるなら、あれだけの長さと厚みになるのは、相応のロジックの流れと対話（＝多面的な検討）の積み重ねが必要だからだ。それをすっ飛ばしたら、肝心のメッセージがよく理解できなくなる。よく理解できなければ、結局、自分の身について使えなくなる。読書前と読書後で、自分が何も変わらないなら、読書は知的消費ではあっても、知的投資（学び）ではないことになる。知的消費にしたって、小説がそれなりの長さなのは、そうしないと表現できないことがあるからだ。<br />
<br />
<br />
どれほど短い時間で、知識と情報を得られるか、そのタイパを追求するのが今の流れらしい。知識は資産である。また、人より先に「知ってる」と、自己承認欲求も満足できる。しかし、「知ること」と「理解すること」の間には、大きな距離がある。<br />
<br />
<br />
人は知識と記憶力だけでは、賢くならない。複雑な社会で物事を判断するためには、構造を洞察し予測する力が、とても大切だ。またリーダーシップを発揮して人を動かしたかったら、他人の見方考え方を知る必要がある。こうした能力を得るためには、知的時間がいるのだ。それも、それなりの長さと深さで。読書はそのための、大事な階（きざはし）だ。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
長い文脈を理解する能力を得よう<br />
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<br />
<br />
また知的消費（別に消費はわるいことではない）の面を考えても、深い感情的体験には没入の時間、文脈の共有が必要である。長い文脈を、感情とともに体験し保持できる力。それは今のところ、普通の人間でも生成AIに決して負けずに持つ、知的能力の一つなのだ。<br />
<br />
<br />
せっかくそうした能力があるのに、切れ切れな知識情報ばかりを相手取って過ごしたら、どうなるか。いつの間にか、流れてくる情報に踊らされ、巻き込まれて搾取される側になる事だって、ありうるだろう。<br />
<br />
<br />
何年か前、ある著者の方が、有名な書評ブロガーに会った際の話を読んだ。そのブロガーさんは、進呈された本をパラパラと15分ほど目を通した後、さっそくブログに書評をアップしたのだそうだ。そういう芸風なのだろう。だが、そのまねは自分にはできない。わたしは基本的に、書評は全頁を読んだ本しか、書かないことにしている。本は最後まで読むこと。それが、零細ながら著者でもあり読者でもある、自分の信条なのだ。<br />
<br />
<br />
ということで、今回は近年読んだ小説の中でも最良の一作、カミュの「ペスト」の書評をかかげることにしよう。<br />
<br />
<br />
<br />
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書評：「ペスト」　アルベール・カミュ著<br />
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<br />
「ペスト」（新潮文庫版　Amazon.com）<br />
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<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202601/24/47/e0058447_19471616.png" alt="_e0058447_19471616.png" class="IMAGE_MID" height="640" width="480" /></center><br />
本書を最初に読んだのは20年以上も前のことだったと思う。その時は、「重厚なSFだな」という感想をメモに残しているが、それ以上のことはなぜか、記憶に残らなかった。<br />
<br />
<br />
<br />
この小説を「SF」と分類する人はまず、いない。ノーベル文学賞作家アルベール・カミュによる純文学だ、と位置づけれらているからだろう。でも、思索上は可能だが、現実にはありそうもないと誰もが思うシチュエーションを、想像力をもとに科学的知識も加えてストーリー化し、その中で人間性の本質を描き出すのがSFだ。だとしたら、まさに直球ど真ん中の小説ではないか。<br />
<br />
<br />
物語は、北アフリカ・アルジェリアの地方都市オランで起きる。まだフランスの植民地だった時代だ。その街で、死んだ鼠が次々と見つかるようになる。そして、それを追うように、高熱で苦しむ患者が少しずつ増えていく。主人公の医師リウーが、最初の患者の死を看取るまで、わずか20頁あまり。押さえた筆致ながらぐいぐいと読者を引き込んでいく。<br />
<br />
<br />
街の医師達は、蔓延しつつある疫病がペストである、ということをなかなか認めようとはしない。だが政府（総督府）は電光石火、街を封鎖する。疫病と都市封鎖。これが西欧では歴史的にワンセットだという事が分かる。そして外部との交通も通信も事実上遮断され、その日を境に、家族や友人や恋人も突然分断されて、人びとのドラマはにわかに深刻化する。<br />
<br />
<br />
この小説には重要な登場人物として、バヌルー神父という宗教者が登場する。彼は最初、この疫病は神が人間の目を覚まさせようと与えた劫罰なのだ、と教壇から信徒達に説教する。しかしその後、疫病の最前線で患者達を、彼なりに助けて回ろうとすようになる。<br />
<br />
<br />
著者のカミュは神を信じない人間だ。それはフランス的社会の中では、キリスト教会とその権威に反対する、という意味である。だから、この登場人物のフェアな扱い方とその悲劇を通して、最も重要な問いを提出する。主人公の友人がこう言うのだ。「人は神によらずして聖者になりうるか——これが、僕の知っている唯一の具体的な問題だ」（P.307）<br />
<br />
<br />
政府の助けも、神の助けも、そして緊急輸入した血清医学の助けも十分に得られぬまま、それでも街の人びとは保険隊を結成し、医師リウーを中心に団結して、可能な限り疫病と闘い続ける。<br />
<br />
<br />
この小説は第二次世界大戦の終結直後、1947年に発刊され、瞬く間にベストセラーになった。「人間を絶滅させる悪との闘争を描く」と背表紙の解説にあるが、人びとは何年間も世界を覆い尽くし分断した戦争の災厄と、ペストとを重ね合わせて読んだだろう。<br />
<br />
<br />
わたし達はあの世界的規模のパンデミック禍、恐ろしくも奇妙な「新型コロナウイルスに閉ざされた数年間」を経験した。今や人びとは、まるで何事もなかったかのような顔をしている。だが、いかに忘れたふりをしようとも、決して忘れられぬ、息の詰まる時間だった。それをわたし達は、団結して乗りこえたと言えるのだろうか。次にまた災厄が襲ってきたとき、連帯して互いに助け合えるような賢さと勇気を、わたし達は本当に発揮することができるのだろうか？　ちょうどこの小説の中で、港町オランの人びとが示したように。<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 24 Jan 2026 19:48:02 +0900</pubDate>
      <dc:date>2026-01-24T19:48:02+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評（科学書2冊）：「インフレーション宇宙論」佐藤勝彦、「茶の間の生命科学」篠原兵庫</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/33792075/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/33792075/</guid>
      <description><![CDATA[「インフレーション宇宙論」佐藤勝彦著<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202510/01/47/e0058447_17110292.png" alt="_e0058447_17110292.png" class="IMAGE_MID" height="640" width="480" /></center>「インフレーション宇宙論 ― ビッググバンの前に何が起こったのか」  (Amazon)<br />
子どもの頃、講談社ブルーバックスを読むのが好きだった。理工系の大学を出て、技術系の職を得たのに、だんだんと読まなくなったのはなぜだろう。自分がその領域に慣れて鈍感になったのか。それとも科学というものが、昭和時代のようなワクワク感（＝感情的価値）を生み出しにくくなったのか？<br />
<br />
<br />
本書は久しぶりに、講談社ブルーバックスを読む楽しさを感じさせてくれる本だった。2010年の刊行だから、著者が東大を退官された翌年の本である。この方の本は初めて読んだが、素人にやさしく解説するのがとても上手なので、あたかも分かったかのような気にさせてくれる。とても素晴らしい本である。<br />
<br />
<br />
もっとも、分かりやすいと言っても、ゼロから宇宙が始まり、しばらくは虚数時間であったが、その後トンネル効果で実宇宙が誕生してから、ようやく実時間がスタート。その後、爆発的インフレーションと共に、真空の相転移が生じて、宇宙は火の玉になった…という話ではあります。でもなんか、面白いじゃん(^^)<br />
<br />
<br />
宇宙の始まりは「ビッグバン」であった、というのが世の通念である（わたしもそうなのだと信じていた）。宇宙が火の玉として始まり膨張し続けてきた、というビッグバン理論の骨格は、G・ガモフらが確立し、真空放射など多くの観測結果がそれを支持してきた。<br />
<br />
<br />
しかしビッグバン理論には数々の大きな難点がある。まず、アインシュタインの一般相対論の方程式では、宇宙の始まりは密度も温度も無限大の「特異点」になること。また、なぜ火の玉で始まったのか、なぜ宇宙の銀河団のような密度の濃淡ができたのか、なぜ膨張し続ける宇宙の曲率がほぼ平坦なのか、なぜモノポール粒子は見つからないのか・・などがそれだ、という。<br />
<br />
<br />
著者が81年に指数関数的膨張解として提出し、同時期に米国のアラン・グースが「インフレーション」と名付けた宇宙モデルは、これらの困難を解決できる、画期的新理論だった。その内容は、わたしなどが紹介するよりも、この易しくてページも厚くない本書をぜひ、読んでほしい（概要はまあ上に書いた通りだが、「真空の相転移」がカギらしい）。<br />
<br />
<br />
そして物理学の進歩がもたらすワクワク感を、少しでも体験してほしい。<br />
<br />
<br />
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<br />
「茶の間の生命科学」篠原兵庫著<br />
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<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202510/01/47/e0058447_17150803.png" alt="_e0058447_17150803.png" class="IMAGE_MID" height="640" width="480" /></center>「茶の間の生命科学」  (Amazon)<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
こちらは1983年刊行の本。著者は近畿大学医学部教授（当時）で、有名な英語教育者・中津燎子さんが、この方のパートナーだったので知り、手に取って読んでみた。他に著書として、講談社学術文庫「生命科学の先駆者: ホプキンス、ワールブルク、サムナー」もあるが、今はいずれも現在は古書でしか手に入らない。<br />
<br />
<br />
本書はなんだか軽いエッセイみたいなタイトルと装幀だ。だが、読んでみると実はとても本格的な生命科学（とくに分子生物学）の発達史の解説書で、非常に面白い。勉強になる箇所が多く、もっと早く出版当時に読んでいればよかったと感じる。<br />
<br />
<br />
近代的な生命科学の源流は、17世紀英国のフックによる、植物の「細胞」の顕微鏡による観察からはじまる。フックは王立アカデミーを設立し、ニュートンがその後を継ぐ。17世紀は科学革命の曙だったが、18世紀になるとなぜかいったん停滞する。顕微鏡も忘れられた道具となる。<br />
<br />
<br />
しかし19世紀中頃にようやく復活し、植物・動物を含むすべての生物の基本として「細胞説」が確立する。また19世紀の化学は、有機化合物が様々な「基」から合成されるという見方を生んだ。そして極めて多種多様なタンパク質は、20種類のアミノ酸からなる事も明らかになる。つぎはその立体構造の解明が研究対象になる。20世紀初頭には病原体としてのウイルスが発見される。スタンレーは煙草モザイクウイルスの結晶化に成功し、ウイルスが生物と無生物の間にある存在である事を示す。<br />
<br />
<br />
かくて20世紀中葉のワトソン＆クリックによる、DNA二重らせん構造の解明と、生物学の「セントラル・ドグマ」確立につながり、それは遺伝子工学の爆発的豊穣をもたらす。<br />
<br />
<br />
本書の特徴の一つは、各研究者の業績だけでなく、そのキャラクターを生き生きと描きだしす点にある。著者は、<br />
「分裂気質」（理論家で演繹的思考を好み、孤立や論争をいとわない）、<br />
「粘着気質」（帰納的思考を元に、こつこつと地道に実験や調査を積み上げる）、<br />
「循環気質」（流行に自らを合わせる）<br />
などのクレッチマー類型を説明につかう。さらに自己顕示欲の強さなどを加味して、その仕事の成果と性格がいかに関連しているかを示す。<br />
<br />
<br />
また科学研究という営為が、客観的に見えながらも、いかにアカデミアや社会に流されて運不運に左右されるかも、目配りを忘れない。科学史・科学研究論としても、非常に興味深い本である。<br />
<br />
<br />
それにしても明日香出版社さん、このタイトルと装幀ではあんまり売れなかったんじゃないの？　たぶん、こうしたハードな科学系の内容を理解できる編集者がいなかったのだろう。そうした意味でも、ほんとに研究者には運不運があると言うべきなのだろう。<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 01 Oct 2025 17:19:30 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-10-01T17:19:30+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評2冊：「ダライ・ラマ般若心経を語る」ダライ・ラマ（取材・構成 大谷幸三）、「ごまかさない仏教」佐々木閑・宮崎哲弥著</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/33701862/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/33701862/</guid>
      <description><![CDATA[「ダライ・ラマ般若心経を語る」 ダライ・ラマ（取材・構成 大谷幸三）<br />
「ダラ・ラマ般若心経を語る」 ダライ・ラマ  (Amazon)<br />
<br />
<br />
「色即是空、空即是色」という言葉は、たいていの日本人が聞いたことがあるに違いない。しかし、その意味をちゃんと言えるかというと、あやしいと感じる人が8割以上ではないか。わたしもそのひとりだ。『色』という言葉が、色気とか色事とは別の概念だ、ということくらいは、何となく知っている。でも、それでは『色』とは何なのか。それが『空』であるとは、どういう事なのか？<br />
「色即是空」は、般若心経に出てくる言葉である。仏教のお経が全部でどれだけあるかは知らないが、般若心経はその中でもピカイチに有名で、実際に触れたり唱えたりする人はかなり多いと思う。それは日本だけの現象ではないらしく、だからこそ、こういう本が出るのだろう。般若心経は比較的短いし、簡潔明快ズバリと本質を説いている（・・のじゃないか、と想像される）。<br />
しかし。わたし自身も機会があって、数回は唱えてみたりしたことがあるのだが、これがさっぱり理解できないのだ。まあ当然かもしれぬ。なにせ、わたし達が朗唱しているのは、玄奘三蔵が今から1400年も前に、原典のサンスクリット語から、唐代の中国語に翻訳したテキストである。それをまた、南方経由の呉音（ごおん）で読んでいる。我々がきいてもサッパリ分からないが、現代中国人だって、分からぬに違いない。<br />
それでも、たとえ意味は分からなくても、一心に信じて唱えれば、仏の功徳があるのではないか。在家の多くの人は、こう考えて読経したり、あるいは写経しているのだろう。<br />
ところが、この点に関して、ダライ・ラマの見解ははっきりしている。「経典に書かれた意味内容にまるで無知なまま、単に般若心経を唱えるだけでは、功徳があったりはしない。（中略）無論、教えに対する畏敬の念を持って般若心経を 唱えることには、それなりの価値はある。だが、そのような捉え方でことたれりとするのは間違いである。（中略）そこからより深く学ぶことを試みなければならない。」(p.21-22)<br />
さて、なぜ般若心経を、チベット仏教のダライ・ラマに学ぶべきなのか。実は般若心経とは、深い瞑想に入った仏陀のそばで、観世音菩薩が、知恵ある弟子として知られるシャリプトラ（舎利子）に対し、真理と真言を教える、という構成になっている。そしてダライ・ラマは、観音菩薩の生まれ変わり、なのである。だから、この人以上にふさわしい語り手は、いないことになる。ところで本書は、まるでダライ・ラマの著書みたいな装幀だが、実際にはインタビューした大谷幸三氏の構成・編集・著作でである（きっと出版社の販売戦略でこうなっているのだろう）。ただ大谷氏はノンフィクション作家だが、サンスクリットから現代インドのヒンディまで、非常に良く調べていて、感心する。むろん学者ではないから不正確な箇所もあるのかもしれないが、その代わり一般人の気持ちとニーズと疑問を共有している。だから入門書を書くにはふさわしい人だろう。<br />
研究者によれば、般若心経の成立は起源300〜500年の間で、釈尊の時代から900年近くたった後の著作である。また、本書を読んで初めて知ったのだが、般若心経には長短2つのバージョンがあって、我々が漢語訳で読んでいるのは短縮版だという事だ。著者によるロングバージョンの日本語訳もついていて、そちらは舞台設定も登場人物達も、よりカラフルで具体的である。さて、問題の「色」だが、サンスクリットの原語はルパで、物質一般、目に見える現象をさす。「カラーという意味も辞書にはあるが、実際に使われることはない」ようだ（p.83）。なおサンスクリット語は古代からある文語だが、別に死語ではなく、インドでは現代でもまだ、日刊新聞が4紙も発行されているという。<br />
そして「空」とは何か。ダライ・ラマによると、「独立して存在するものは無い」という意味であって、「何もないというのではない」（p.109）。だから色即是空とは、「一切の現象には、独立して存在するものはない」・・ということになる。ちなみに巻末にE・コンゼによる英語訳がついているが、そこでは"Form is emptiness, emptiness indeed is form"となっている。Formは西洋哲学で言う「形相」のことである。<br />
ただし、ここから先が大事なのだが、こうした「言語と概念による真理の知的理解」だけでは十分ではない、と仏教では考える。悟りには、言語を超えた直観的な把握、真理との一体化が必要であって、そのために修行があり、また瞑想・悟りによってはじめて解脱に至る、とする。<br />
修行とは、心身両面での研鑽によって、悟りの高みに至る方法論である。こうした「修行論」がある点が、インド宗教の共通した特徴らしい。キリスト教にも修行的なものは多少あるが、信者の必須の行ではない。身体面の鍛錬抜きでは救済に至れない、という事もない。そこが中東より西側と、南インド・東アジアの宗教観を分かつところなのだろう。<br />
ともあれ、いろいろな事を考えさせられ、様々な学びのある本だ。おすすめである。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
「ごまかさない仏教」　佐々木閑・宮崎哲弥<br />
<br />
「ごまかさない仏教：仏・法・僧から問い直す (新潮選書)」　佐々木閑・宮崎哲弥  (Amazon)<br />
なかなか、論争的な本である。佐々木閑氏は1956年生まれ、仏教学者で花園大学教授（京大の工業化学を卒業後、文転したという点が面白い）。宮崎哲弥氏は1962年生まれ、評論家で仏教関係の著述も多い。ふつう、この種の本は、碩学に対して若手が質問し答える、という風に展開するのだが、本書はインタビューアー格の宮崎氏が、かなり自説を先回りして展開する（そして知識も相当なものだ）。<br />
<br />
<br />
ところで、どこが論争的なのか。それはタイトルに現れている。「ごまかさない仏教」というのだから、「ごまかしている仏教」が世に存在していることになる。何を、どう、ごまかしているというのか？<br />
<br />
<br />
序章で佐々木氏はこう述べる：「『仏・法・僧』、 この三つの要素がそろった宗教活動のことを仏教と呼びます。この定義は日本だけではなく、あらゆる仏教界に共通して通用する唯一の定義です」(p.18)。 そして、本書は、全体として仏・法・僧の3つの部から構成され、それぞれを論じていく。仏は仏陀（ブッダ）のこと、法はダルマ（ダンマ）で、その教えのことである。<br />
<br />
<br />
ところが問題になるのは、僧なのだ。佐々木氏は僧（サンガ）について、こう述べる。「 これは一人ひとりのお坊さんのことを指すのではなく、4人以上の比丘あるいは比丘尼が集まって作る修行の組織のことを意味します」（p.19）。このサンガ組織は、「律」と呼ばれる規則に従い、運営される。律は釈尊が最初に制定し、受け継がれてきた、非常に古い体系である。そして佐々木氏は元々、この「律」の研究者だった。<br />
<br />
<br />
釈尊は「四門出遊」のエピソードで知られる。王子だった彼は自分の城の四つの門で、それぞれ貧者・老人・病人・死者を見て、この世では老病死の苦を避けられぬ事を知り、身分も家族も捨てて出家する。ところで彼の出家とは単に世を捨てて森の中に入ったのではなく、そこにいる修行者の集団に入った事を意味する、という。つまりサンガ的組織はもっと古くから、バラモン教の伝統と共にインドに存在してきた訳だ。<br />
<br />
<br />
釈尊は7年間の苦行を経た後に苦行を捨て、瞑想によって悟りを得る。そして梵天勧請を経て布教を志し、いわゆる初転法輪をはじめる。彼の元に集まった修行者の集団のために仏教のサンガ組織を作るのである。そして律の重要な部分は、悟りを目指す修行組織の規律であり、かつ、独身主義である。<br />
<br />
<br />
だから佐々木氏はこう述べる。「浄土宗系の教団には、修行のための組織であるサンガなどというものはありえないのに、そのサンガに帰依するとは 一体どういうことを意味するのでしょう？」(p24)。浄土宗だけではない。日本仏教にはどの宗派も、それに類する出家者組織がない。だから、「サンガを持たない日本の仏教は、極めて特殊な、変形した仏教なのです」(p.242)となる。<br />
<br />
<br />
仏教には、大きく分けて、初期に起源を保つ上座部（小乗）仏教、釈尊死後500年後くらいから出現する大乗仏教、そして千年後くらいに現れる密教、の流れがある。P.27に仏教伝播の地図が載っており、これは非常に有用である。インドで興った仏教は、西域で大乗化する。中国には、最初から両方が一緒に渡るが、大乗が優勢として受け入れられる。そして日本にもチベットにも、それが7世紀頃伝わる。ところがスリランカやミャンマー・タイには、上座部仏教のみが伝わった。これが世界仏教の構図である。<br />
<br />
<br />
佐々木氏は学者であり、文献批判が仕事である。したがって「聖典は疑わない」では仕事にならない。そして源流を追いかけるので、当然初期仏教の姿に関心が強い。初期仏教は、あきらかに自力本願の修行の宗教であった。宮崎氏は龍樹（ナーガルジュナ）に傾倒する人で、その意味では大乗系の信徒であるが、仏教哲学に関心が強い。<br />
<br />
<br />
かくて、この本の圧巻は「法」をめぐる第2部の解説にある。ただし何せ哲学の世界だから、ふつうの読者にとっては、なんだか些末な抽象的論争にも感じられるだろう（哲学とはそういうものだ）。<br />
<br />
<br />
では日本仏教に、なぜサンガ組織が定着しなかったのか（奈良時代には中国から律の専門家の鑑真まで招聘したのに、である）。これについて明確な解説はない。といっても、著者の二人が日本仏教を否定しているのでは、もちろんない。価値を認めるからこそ、お二人とも仏教徒なのだろう。だが、日本仏教は「特殊」なのだ。その強い認識が、本書を貫いている。<br />
<br />
<br />
そして本書を読んで感じるのは、ちょうど聖書研究が20世紀に西欧でかなり進歩したように、仏教研究もかなりのスピードで進歩中らしい、ということだ。それは、とても良いことに思える。わたし達は日本社会とその文化の中で育った以上、仏教の伝統を離れて暮らすことは無理である。だとしたら、その実相について、より理解を深めることが必要だ。だからこそ、仏教の真の姿について「ごまかさない」探求を語り合う本書に価値があるのである。<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 29 Jun 2025 11:10:13 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-06-29T11:10:13+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評：「ゲノム医学入門」西村肇・著</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/33657751/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/33657751/</guid>
      <description><![CDATA[<br />
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「ゲノム医学入門」 西村肇・著(Amazon)<br />
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名著である。ずいぶん前に著者から拝領したのだが、前半少し読んだだけで本棚に置いたままにしていた。ゲノム（分子生物学）と医学の本だから、自分の専門とはあまりにかけ離れていて、読んでも分からないだろうと思っていたのだ。しかし今回、機会があったのであらためて手に取り、全部を読み通して、自分の不明を恥じた。これは、自分の身体や生物学に多少の関心があり、病気の治療のあり方がどの方向に進むかを理解したい人すべてにお勧めできる書物だ。いや、医学には無縁でも、システム工学に関心がある人はぜひ、読むべきだ。高度な前提知識はいらない。そして文章も構成も上手く、面白い。<br />
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ところで、上述した「機会」とは何か。じつは、さる4月12日、東大本郷キャンパス山上会館で、故・西村肇東大名誉教授を「偲ぶ会」が行われた。昨年11月に91歳の天寿を全うされた故人の遺徳を慕って、全国各地から弟子達（多くは現役の大学教授ないし名誉教授だったが、わたしのような実務界の人間も含む）が参集した。わたしは幹事の一人として開会の挨拶をすることになり、そのために改めて著書を再訪したという次第である。<br />
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ちなみに偲ぶ会では、皆が故人を「西村先生」ではなく「西村さん」と呼んでいた。教員になった若い頃から、対等な「さん」づけを好み、「先生」と呼んだ人からは100円の罰金を取る、という研究室のポリシーがあったからである。<br />
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西村さんの大学人としてのキャリアは、大きく3つの時期に分かれる。最初は、東大の機械工学を卒業し、化学工学で修士をとってから、航空宇宙研究所で博士号を取得し、化学工学科に呼び戻されて、初期のプロセスシステム工学を確立するまでの第一期。その後、東大紛争を転機として公害と環境の研究に転じた、第二期。そして東大から公害の研究を事実上禁止され、バイオテクノロジーと生命工学の研究分野を新たに切り開いた第三期。それぞれ、ざっくりと10年くらいずつの期間である。<br />
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（ちなみに東大から公害の研究を禁止され、地方大学に追い出されそうになった時のいきさつは、最後の著書「気品あるアタマと冒険ある実践」  に記されている。ただし、この事件のあった当時は研究室の誰にも告げることができず、弟子達は、“なぜだか分からないが方向性の急カーブを切っている”と感じていた）<br />
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本書「ゲノム医学入門」は定年退官後しばらくたった2003年の発刊で、内容としては第三期の仕事の系譜に属する。『医学入門』とタイトルにあるが、著者は無論、医学者ではない。東大工学部で初めてバイオテクノロジーの研究の先駆けとなり、数年間で雑誌Natureに論文を載せるまでになったが、工学博士である。ではなぜ、彼はこんな本を書くことを思い立ったのか？<br />
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それは西村肇という学者が、終始一貫して、システム工学の人だったからである。東大に、『システム工学科』という学科はない。ずっと無かった（システムという言葉が入っている学科はあるが）。東大とは、国の文部科学行政の考え方を映す鏡だ。だから日本では、システム工学という学問は正式に認知されていない、という事が分かる。仮にもしもそれが確立されていたら、西村さんは確実にそのリーダーのひとりだったろう。<br />
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そして本書は、人間を対象とした医学という分野を、システム工学の観点から分析したら、こんな見取り図になるという、類例のない解説書である。医学はもちろん、数千年にわたる長い歴史をもつ学問であり、また実技の体系でもある。ただゲノム解析という革新的な道具を手にしたのは、20世紀も終わり近くになってからだった。それは医学の考え方も、医薬品のあり方も、根本から変革する力を持っている。著者の言い方を借りれば、それは「医学がエンジニアリングになる」事である。<br />
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だが、そうした医学の重要な変革を、大所高所から（もう少し戦略用語を使うなら「管制高地から」）記述した本は、内外にほとんど無かった。なぜ、戦略用語を使うか。それは西村肇という人が、学者として極めて優れた戦略家だったからである。良い学者・研究者に必要な資質はいろいろとあるが、戦略性は優れた業績を上げるための必須の能力である。戦略性とは何をターゲットにどのようなルートからアプローチすべきかを、長い射程距離から考え、順に決めて進んでいく力である。そのことは初期のプロセスシステム工学でも、中期の公害研究（たとえば柳沢幸雄氏と進めた大気汚染研究など）でも、遺憾なく発揮された。<br />
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その医学のシステム工学的な見取り図として、本書では具体的に、肥満症・糖尿病・ガン・アルツハイマー病・スキゾフレニア（統合失調症）が取り上げられる。序章として「ヒトゲノム解析」の経緯と意義が語られ、最終章は「全体像をつかもう」となっている。<br />
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システム工学的な見取り図とはどんなものか。著者は「遠景・近景・拡大図」という言葉を使って、それを説明する。具体例を挙げた方がわかりやすいと思うので、第3章から「図3-1　化学プロセスとしての糖尿病」を見てみよう。<br />
<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202505/19/47/e0058447_11580480.png" alt="_e0058447_11580480.png" class="IMAGE_MID" height="279" width="500" /></center>（西村肇「ゲノム医学入門」日本評論社(2003)・第3章 P.55より引用）<br />
これは人間が糖尿病の状態に陥るかどうかを決める、物質と情報の流れを記したフロー図である（化学エンジニアならば、Process Flow Diagram = PFDと呼ぶだろう）。無論、ここには定性的な関係があるだけで定量的な記載は無いし、腸と筋肉と脂肪組織など、本来は同じレベルにならない要素が並んでいる（著者はそれを承知で、わかりやすさのために描いている）。<br />
だが個別の要素、たとえば脂肪組織を見ると、それはグルコース（ブドウ糖）をインプットとして受け入れ、それが脂肪というアウトプット、遊離脂肪酸という副生物、さらに発熱というエネルギーに変換することが分かる。またグルコースの受け入れには、インスリンがコントローラー信号として関与している。<br />
糖尿病とは血液中のグルコース濃度（＝血糖値）が、正常範囲を超えて上がる状態を言う。それが起きるメカニズムを知るためには、グルコースの身体の中での物質収支を考えれば分かる。その物質収支に主に関与する要素が、この見取り図の中に表現されているのだ。治療のためには、脂肪組織をはじめとする各要素における生化学反応と、それを左右する酵素（触媒作用を持つタンパク質）の近景を見ていく。そして酵素はゲノムの中に、遺伝子でコーディングされているから、ゲノム配列の拡大図を手がかりに、分子レベルで医薬品をデザインしていく。これが「エンジニアリングとしての医学」である。<br />
この糖尿病の見取り図や、近景・拡大図を把握するために、著者が典拠とするのは、生命科学系で最高峰の学術誌Natureの、総合レビュー記事である。そして一つ一つ、原典の論文に当たって、そのポイントを確かめていく。ここら辺が、いかにも学者らしい仕事ぶりである（最高の学術誌、総合レビュー、原著論文の代わりに、手近の資料の孫引きで済ませる自称「専門家」はいくらでもいる）。そして、それぞれの病気について何が分かっていて、どこが分かっていないか、今後のアプローチはどこが重要か、などを説明していくのである。<br />
本書は、日本評論社の雑誌「からだの科学」（現在は休刊）に連載された記事をもとに書き直したものである。日本評論社は「数学セミナー」「法学セミナー」など専門的で硬派な雑誌・書籍を出版する会社で、「からだの科学」誌は、難解になりがちな医学知識をわかりやすく、かつできるだけ正確に読者に伝えることを目的とした医学教養誌であった。このため本書は、臨床の現場に働く医師や医療従事者（ただしアカデミックな論文などは追いかける時間の無い人たち）を主なターゲット読者層として、書かれている。しかし、そのおかげで医学に素人である人間にとっても、ある程度の理系的なバックグラウンドさえあれば理解できる入門書に仕上がっている。<br />
本書では肥満・糖尿病からはじまり、ついでガンと、それに重要な役割を果たすガン抑制遺伝子p53に1章ずつを割いている。ガンが医学にとって重要な戦略対象である上に、著者が99年に出版した「見えてきたガンの正体」  （ちくま新書）の続きに位置づけられるから、ある意味当然とも言えよう。<br />
本書の後半部分は、しだいに精神医学の領域にシフトしていく。まず、アルツハイマー病。それからスキゾフレニア（今は「統合失調症」と呼ばれるが、英語の語義は「精神分裂病」なので、著者はあえてカタカナ語を使っている）。そして精神障害とドーパミンを取り上げる。じつはこちらの分野の方が、ミクロ（分子レベル）にもマクロ（症状レベル）にも、未解決の領域が多い。そのため「エンジニアリングの医学」の姿も、やや茫漠としがちだ。<br />
ではなぜ、著者はこの領域を取り上げたのか。脳科学に興味があったから？　むろん興味はあっただろうが、戦略家の西村さんは、決して自分の知的好奇心だけで研究領域を決めたりは、しない。そこが彼と凡百のアカデミシャンとの違いなのだ。彼にとって、何か、重要な動機があったはずだ。<br />
それは実は、水俣病の問題だったのではないか、というのが、わたしの推測だ。学者・西村肇の出世作が「化学プロセス工学」 だったとすれば、彼の後年の最高峰の仕事は、毎日出版文化賞を受賞した「水俣病の科学」 だった。東大で禁止された公害研究を引退後に独立研究者として進め、メチル水銀の発生プロセスと蓄積の機序を解明した本書は、会心の仕事だったはずだ。それでも、なぜメチル水銀が患者の精神までダメージを与えるかまでは、分かっていない。そこを何とか、解明したかったのではないか。<br />
毎日出版文化賞は、じつは著者だけでなく、その出版社に対しても贈られる賞だ。わたしは西村さんの受賞記念講演を、今は亡き経営コンサルタント・今北純一さんと一緒に聴きに行った。水俣病の本を出してくれる出版社を、西村さんはいろいろと探した（東大出版会にも打診したが断られたという）。そして、最後に引き受けてくれたのが日本評論社だった。担当した編集者は黒田敏正氏。そう、雑誌「からだの科学」編集長で、後に同社の社長になった方だ。<br />
だから日本評論社のためにも、西村さんは受賞をたいへん喜んだ。本書を同社から出したのも、その関係があったからに違いない。そして何よりも、将来の医学が、水俣病の残された謎を解決してくれるのを願ったのではなかったろうか？<br />
西村肇さんは現役時代・引退後を通して、たくさん本を書いた学者だった。その多数の著書の中で、小宮山宏・前東大総長は、同じ化学工学科で西村さんの同僚だったが、本書をもっとも高く評価したときく。それだけ面白い本なのだ。せめて今からでも多くの方が手に取られることを強く望む。<br />
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]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 19 May 2025 19:21:16 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-05-19T19:21:16+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評：「オールド台湾食卓記」洪愛珠・著、「何が『いただく」ぢゃ！」姫野カオルコ・著</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/33536367/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/33536367/</guid>
      <description><![CDATA[という訳で（笑）、料理本2冊の書評です。<br />
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「オールド台湾食卓記」洪愛珠・著、新井一二三・訳<br />
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「オールド台湾食卓記」洪愛珠・著  (Amazon)<br />
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なんて幸せな本だろう！　この本を読むと、台湾人がどれほど食べることと生きることに情熱を傾け、そして楽しんでいるかが分かる。そしてまた台湾に行きたくなる。<br />
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本書の原題は『老派少女購物路線』。老派少女という語がどういうニュアンスを運ぶのかはよく分からないが、著者は1983年生まれのデザイナーで、原著出版当時は38歳だった。訳者によると、古臭いという意味の「老派」の語を一種ポジティブに使うようになったのは、この10年ちょっとの事らしい。著者自身の装幀を再現した日本語版の表紙にも、古くからある桃饅頭が赤い表紙の真ん中に鎮座して、レトロだが親密な感じを醸し出している。<br />
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「祖母、母、私の行きつけの店」と副題のついたこの本は、著者の記憶の中にあるちょっとだけ前の世代の台湾の暮らしが、その雰囲気や匂いと共に行間から立ち上がってくる。著者は台北郊外の五股（ウーダー）、蘆洲（ルージョウ）地域に生まれ育つ。そして育った家の台所と、亡くなった母の大事にしていた台所道具の話から始まる。これがいい。土鍋、フライパン、玉杓子。嫁入り道具だという中国包丁とまな板。これらは著者による写真がついている。そして京都の錦市場でわざわざ買ったという毛抜き（魯肉を煮るとき、皮付き黒豚から毛を抜くのに使うのだ）。<br />
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蘆洲は切仔麺発祥の地らしいが、とくに観光名所でもなく普通の町だという。でも幼少の頃は祖母が切り盛りする大家族の台所を見て、育つ。そして近くの永楽市場での買い物について回る。第2部は、麺と、粥と、ちまきなど米食の話だ。もちろん多数のバリエーションがある。この人は福建系で潮州の家系に属するらしく、塩気の強いおかずと一緒に粥を食べる（雑鹹というらしい）。<br />
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<br />
第3部はメインのおかずの話。魯肉（ルーロー）は台湾の代表的家庭料理だが、一族の中で魯肉を煮るのは自分一人になってしまった、と著者は書く。こうしたところに、豊かになった台湾社会の少子化と、とても手間のかかる台湾料理とのギャップが透けて見える。<br />
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そして著者の家族に、日本から作家の乃南アサさんがたずねてくるので、歓迎するための宴席の準備が細かく描かれる。ああ、なんて美味しそうなんだろう！　そしてまさに、手間の極致である。ちなみに本書には数え切れないほど沢山の料理の名前が、複雑な漢字で独特の読みガナつきで紹介されるが、訳者が都度、かっこ書きで簡潔適切な説明を入れてくれるので、とても助かる。<br />
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<br />
第4部は香港や留学先のイギリスを含めた、お茶とお茶菓子の記憶。そして第5部は東南アジアの旅行先で出会う潮州料理の話。どのページを読んでも、ため息が出そうなくらい、美味しそうな食べ物に満ちていて、そして食べることに愛情を注ぎながら、溺れずに一歩引いて自分を見つめる著者の姿がある。<br />
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本書は全編の底に、病気で早世した母君への、著者の哀悼の気持ちが強く流れている。その、いわばノスタルジアに近い感覚が、『老派少女』の回想を色づけているのだろう。日本統治下で生まれた祖母も、国民党統治下を生きた母も、苦難の時代を女性という不利な立場で忍耐しながら、家族愛を持って生き続けた。その二人から、そして親族や父祖達から受け継いだ「思い」こそが、複雑な現代台湾の人生の味を生み出しているのだ。<br />
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「何が『いただく」ぢゃ！」　姫野カオルコ・著<br />
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「何が『いただく」ぢゃ！」姫野カオルコ・著  (Amazon)<br />
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姫野カオルコは直木賞作家で、ひいきにしている小説家である。代表作『リアル・シンデレラ』 や『昭和の犬』、話題作『彼女は頭が悪いから』など、ゆがんだ現代日本において、普通の人びとがいかにまっすぐ生きていくかを、あまり鋭角になりすぎず情緒的にもなりすぎぬ筆致で描き出す。日本には数少ないモラリストの作家だと思う。<br />
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同時にこの人は若い頃から、ウィットあふれるコラムニストとしても確かな腕前をもっていて、『みんな、どうして結婚してゆくのだろう』  とか『すべての女は痩せすぎである』とか、ときにシャープな喩えで、またときに抱腹絶倒な形容詞で、世にあふれる陳腐を笑い飛ばし、読者の頭の中の澱みをクリアしてくれる。<br />
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その著者が、男性向けの食と料理の雑誌「Danchu」に連載したコラムを、まとめたのが本書である。でも、もちろん高級料理店やら貴重食材などにウンチクを傾ける話には、ならない。冒頭の話題は「ふきのとう」である。ちょうど今頃のシーズン、出回りはじめる早春の山菜ですな。ごく普通の、どちらかと言えば地味な食材。<br />
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<br />
ただ、ふきのとうのほろ苦い美味しさを味わうのは、子どもには無理だ。だから著者は、地方自治体は『ふきのとう条例』を出すとよい、という。「成人式の会場の受付で、ふきのとうの料理を出して、 おいしく味わって食 べられた者だけを、中に入れることにする。『大人になりましたね、おめでとう』と」(P.8)。最初からヒメノ節炸裂である。<br />
<br />
<br />
でも、それだけではない。天ぷらか味噌和えくらいしか普通は思いつかないふきのとうの、新しいレシピを著者は提案する。豚の赤身の挽肉を、ごま油で炒めて甘辛に味付け、それに、軽く蒸し上げたふきのとうをそえて、一緒に食べる。そしてよく冷えたビールを飲む。読んでいるだけで、口の中に苦みと香りのハーモニーが感じられるではないか。<br />
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<br />
ちなみに上の例でも分かるとおり、この人は料理を考える際に、お酒といっしょに食べておいしいように、まず考える。お酒に弱い人を「下戸（げこ）」というが、著者はその逆の「上戸 (じょうご)」である。下戸は、ごはんと食べて美味しいように考える、という(P.30)。たしかに料理屋にはいると、そこの主人がどちらに属するかは、よく注意すると分かるような気がする。<br />
<br />
<br />
そのためだろう。ある意味、本書で最も有用な提案は、実はレシピではなく、日本酒のクラス分類に使う「大吟醸」「特別本醸造」といったネーミング用語に関する部分かもしれない。酒税法の税金は同じだが、作り方を区別するための「特定名称酒」。これについて、違いは二点だ、と著者は言う。<br />
<br />
<br />
・米粒をどれくらい削っているか<br />
・醸造アルコールも入っているか（これは味をデザインするために使う）<br />
<br />
<br />
そして、女性モデルに喩えた用語を代わりに提案する。<br />
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<br />
◇米と米麹だけで造った酒＝ソロ。<br />
◇醸造アルコールも入っている酒＝デュエット。<br />
<br />
<br />
o米粒をほっそり削った＝スリム。<br />
o米粒をガリガリに削った＝スキニー。<br />
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<br />
そうすると、純米大吟醸は「ソロ・スキニー」だし、特別本醸造は「デュエット・プラス」である（「特別」＝「プラス」）。うーん。確かに、この方がずっと分かりやすい。<br />
<br />
<br />
それに、米を削る方が必ず美味しい、醸造アルコールを加えない方が美味しい、とは必ずしも言えない。それは作り方の、あるいは味のデザインのポリシーだからである。ぜひ、世の中の酒店もこう表記してくれないかな。<br />
<br />
<br />
この例で分かるように、この著者は（作家だから当然かもしれないが）言葉や文法についても潔癖である。だから謙譲語であるべき「いただく」を、世のメディアが誤用している状況を許せないのだろう。書名の「何が『いただく」ぢゃ！」は、そうしたおかしな言葉が、そしておかしな判断や通念がまかり通る世の中で、モラリストの女性作家がブレない不動点を示す、見事な象徴なのである。<br />
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＜関連エントリ＞<br />
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「書評：2011年に読んだ本　ベスト3」（「リアル・シンデレラ」を含む） https://brevis.exblog.jp/17166005/ (2012-01-04)<br />
「書評：『昭和の犬』 姫野カオルコ・著」 https://brevis.exblog.jp/21911187/ (2014-04-22)<br />
「書評：『彼女は頭が悪いから』　姫野カオルコ・著」 https://brevis.exblog.jp/28752713/ (2019-12-17)<br />
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]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 03 Mar 2025 19:46:24 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-03-03T19:46:24+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評：「感情を知る〜感情学入門」福田正治・著</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/33508463/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/33508463/</guid>
      <description><![CDATA[「感情を知る〜感情学入門」福田正治・著　 (Amazon)<br />
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前回の記事でも書いたことだが、「知的な人間はフェイクニュースや陰謀論に騙されない」といった意見を、わたしはあまり信じない。と言うのも、人を騙そうとする言説は、受け手の理性よりも、むしろ隠された感情の回路に、訴えかけるようにできているからだ。<br />
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わたし達は自分の感情の状態や、その無意識な反応の癖について、よく自覚していないことが多い。仕事においては、それが知的職業と言われるものである限り、理性に基づいて進めるべきものだと信じられている。「感情的になるなよ」といったアドバイスも、よく見かける。 家庭や趣味の世界ならいざ知らず、職場では感情を強く表出したり、感情のままに流されてはいけない、と考えられている。<br />
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かくして、わたし達は自分の感情を自分自身から遠ざけ、それをある意味、疎外しながら生きている。「自分は知的だ」と信じる人たちも案外、自分の感情面には無頓着である。だから、他人を動かしたい、説得したい、さらに他人を騙したいと思う人間は、他者の隠された底流の感情に訴える。 そのようにして、他人から操作されるのを避けたければ、自分自身の感情を知り、そのあり方や仕組みを理解しなければならない。<br />
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<br />
ところが不思議なことに、この『感情』という代物に真正面から取り組もうとすると、案外頼りになる道標がないのだ。感情については、心理学を始め、精神医学・脳科学・社会学・哲学など、 様々な学問が関わっている。その上、 小説・演劇・映画・音楽などなどの文化やアミューズメントが、題材にし舞台にしている。<br />
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<br />
にもかかわらず、じゃあ感情とは基本的に何種類あるのか、どのような相互関係や構造になっているのか、どんな生成プロセスや動力学に従っているのか、改めて問うてみると、答えはなかなか見つけにくい。不思議なことである。 感情は人類の歴史とともにあり、いや、それどころか進化論的には動物にだってあって、 行動に大きく影響しているのだが、あまり明確に分析した論述を知らない。<br />
<br />
<br />
そのような中で、本書は感情を真正面から取り上げ、「進化論的感情階層仮説」を提出し、感情の問題を総合的に解明しようという、希有な書物である。 著書の福田正治氏は、神経生理学と行動科学の専門家で、富山大学医学薬学部の教授である（2003年出版当時）。<br />
<br />
<br />
本書は、まず感情の分類から始まる。 西洋哲学における分類として、ギリシャ哲学・スコラ哲学・デカルト・スピノザなどに触れ、ついで中国・仏教思想の見方を紹介する。 喜怒哀楽という言葉は、儒教の「礼記」の言葉だそうだ。 仏教には感情を表す言葉は無いが、しかし苦しみの感情の原因は欲望である、という構造論を持っている。<br />
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<br />
さらに著者は心理学、動物行動学、臨床精神医学などをレビューするが、現時点では感情分類の決定打は存在していないようだ。<br />
<br />
<br />
そこで著者は、動物を基準に「基本情動」が存在すると考え、進化論を手がかりにその階層構造をモデル化する。 マクリーンは原始爬虫類脳・旧哺乳類脳・新哺乳類脳からなる「脳の三位一体説」を唱えた。このうち、人間のみが発達した大脳新皮質を持つ。そして著者は、動物にもあるレベルの働きを『情動』、人間のみのレベルにある複雑な働きを『感情』と呼んで区別する。<br />
<br />
<br />
図を見てほしい。一番下にある、原始情動は「快・不快」である。そして中間にある基本情動は、「喜び・愛情・怒り・恐れ・嫌悪」だとする（これらは脳の中で異なる神経回路に基礎を持つ）。そして最上層部にあるのは、人間の複雑で多様な感情である。なお、「驚き・注意・興味」は、脳の中でかなり異なった進化の系列をたどるため、図の左側に分けて描かれている。<br />
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<center><img src="https://pds.exblog.jp/pds/1/202502/07/47/e0058447_11481921.png" alt="_e0058447_11481921.png" class="IMAGE_MID" height="438" width="500" /></center>さらに著者は感情と欲望（心理学では欲求）との関係を論じて、「欲望自体は感情を伴わない。欲望が感情を引き起こす原因になっても結果ではない」(p.29)とする。つまり、感情の下部構造として欲望があると考える訳で、わたしも同意見である（わたしはこの見方を、セドナ・メソッド で初めて知った）。<br />
本書はその上で、感情の発生と発達、特に赤ん坊から成長する途上における感情の分化を調べ、また進化論（特に進化ゲーム理論）による、感情の意味付けの紹介へと進む。 第3章は、脳科学に依拠した感情の動力学的なメカニズムの研究を紹介する。また、情動・感情と身体の相互作用についても触れる。<br />
そして心理療法などによる感情のコントロール方法、さらに共感の発生・進化、特に「心の理論」などに触れてまとめとなる。著者は、結びのセクションで、今後の研究領域として、ロボットの感情、についても触れている。本書の出版は2003年で、その時点ではまだAIブームは到来していなかったが、今ならばむしろ「AIの感情」と書くだろう。そして実際、その後の著書「人工感情」  (2018)で再び、この問題を論じている。<br />
本書は医学部教授の著作だが、専門書と一般書の中間を行く、きわめてユニークな本だ。そうなった理由は結局、脳科学や神経生理学から、哲学・宗教まで、かなり幅広く知見を紹介しているためだが、それほど、この『感情』の問題は、まだ研究の枠組みが確定していない、ある意味では未開の沃野にも似た領域なのである。<br />
そうした訳で、非常に総合的に感情の問題に取り組んだ本書だが、読み終えて一点だけ疑問が残った。それは「美」についてである。わたし達は、自然の景色や人の作った作品に接して、美を感じる。これは感情なのだろうか。感覚器を通じて得られる知覚的体験であることは間違いない。だが、美を感情とするのは、何か落ち着かない。ただ、快・不快には結びついている。食物を味わうときだって、「美味しい」と書くように、そこには美の要素と、快の感覚がある。美と感情の関係はまだ、本書ではカバーし切れていない。<br />
感情は我々の生活の中心をなす。それなのに、まだ十分、対象化され研究されていない。まことに不思議である。本書はその不思議な対象にアプローチする、コンパクトだが中身の濃い、真摯な探求の道しるべである。感情を知りたい、全ての人にお勧めできる。<br />
<br />
＜関連エントリ＞「情報の裏目読みをする人のために」 https://brevis.exblog.jp/33503277/ (2025/2/1)<br />
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]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Fri, 07 Feb 2025 12:04:18 +0900</pubDate>
      <dc:date>2025-02-07T12:04:18+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評：「ガンディーの真実」間永次郞・「ガンディーの真理」（上下）E・H・エリクソン</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/33211715/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/33211715/</guid>
      <description><![CDATA[ガンディーの「サッティーヤグラハ」<br />
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10月2日はインドの祝日だった。独立の父・ガンディーの生誕記念日である。我々は学校で、彼の名前をマハトマ・ガンジーと習う。だが、これは元々の名ではない。マハーは「大いなる」、アートマー（アートマン）は「魂」で、マハートマーとは「偉大な魂」「聖者」というほどの意味だ。これは、国民会議等から賜った名である。<br />
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<br />
彼自身は、しかし、この呼び名をありがた迷惑なものと考えていたらしい。本名はモーハンダス・カラムチャンド・ガンディーで、幼い頃は「モニヤ」、少年時代は「モーハン」、青年時代は「モーハンダス」と呼ばれた。エリクソンは彼のライフ・ヒストリーを、この名前で象徴的に記述している。<br />
<br />
<br />
ここにあげた2種類の本は、彼の思想を扱っている。もっとも、インド文化では、思想と実践と修行は地続きなので、いずれの本も、彼の具体的な行動に分け入って、分析を含めている。<br />
<br />
<br />
そして、2冊はとてもよく似たタイトルになっている。なぜなら、ここで真実とか真理とか呼ばれているものは、ガンディー自身が『サッティーヤグラハ』と名付けた思想=実践=修行を指しており、その意味は「真理の把持」（間永次郞氏はあえて「真実にしがみつくこと」と訳している）だからである。この言葉自体、サンスクリット語の「サッティヤ（真実）」と「アーグラハ（把握する）」からガンディーが作った造語だ。<br />
<br />
<br />
そしてこの『サッティーヤグラハ』が、英語ではnon-violenceと呼ばれ、日本語では非暴力と訳される。Non-violenceという英単語はとても新しく、自覚的にこの語を使い始めたのは、英国人でも米国人でもなく、じつはガンディー自身だったと間氏は指摘している。それまで、非暴力という概念は、西洋世界には存在しなかったのだ。<br />
<br />
<br />
ところでわたしは1年ちょっと前、「RRR」  という映画を見た。時代は今から100年前、英国支配下のインド。そしてインド映画らしく、まるで頭からしっぽまであんこの詰まったタイ焼きのように、とても面白い娯楽映画だった。<br />
<br />
<br />
しかし、映画の描写がとてもバイオレントなことに、驚いた。無論、英国人のインド支配が、極めて苛烈なものだったのは事実だ。この事は決して、軽く見るべきではない。だが、その英国人に反抗し、観客に快哉を叫ばせる主人公らの活躍も、相当にバイオレントである。描かれた時代は、ちょうどガンディーが独立運動に駆けずり回っていた時だが、映画にはその姿など微塵もない。<br />
<br />
<br />
一体、名高いインドの非暴力・無抵抗主義はどこに行ったのか？　ガンディーから百年たって、彼の思想も運動も、インドの主流思潮からは消え去ってしまったのか？　そもそも彼の思想とは何だったのか。<br />
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「ガンディーの真理」（上下）E・H・エリクソン<br />
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「ガンディーの真理　〜　戦闘的非暴力の起源」（上）E・H・エリクソン著、星野美賀子訳 <br />
https://amzn.to/3Ylb8Lh （Amazon）<br />
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<br />
「ガンディーの真理　〜　戦闘的非暴力の起源」（下）E・H・エリクソン著、星野美賀子訳 <br />
https://amzn.to/4dB8CWI （Amazon）<br />
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<br />
<br />
E・H・エリクソンは、『アイデンティティ』の概念を確立した、名高い心理学者である。彼は1960年代の初めに、セミナーのためにインドのグジャラート州アーメダバード市を訪れ、地元の名望家であるサーラーバーイ家の知遇を得る。アーメダバードは、古代から織物産業の街として知られ、サーラーバーイの当主アンバラールは、大手工場主であった。<br />
<br />
<br />
このアーメダバードで1918年に、大規模な労働争議が起きた。その背景は複雑だが、当時インドの「余剰生産物」はすべて、英国が排他的契約によって持ち去ることができた。英領インドの判事は全員、英国人だった。そして英国人は、伝統的にインドに無かった概念、すなわち「地主制度」と「地代（生産物の一部を上納させる）」を、法律的に彼らに強制させたのだ。<br />
<br />
<br />
その支配概念は農業だけでなく、すべての産業に及ぶ。長らくインドの重要な伝統産業だった織物は、ほぼ一方的に東インド会社だけが、言い値で生産物を引き取れる制度にされた。かくて独立した自営業だった織物職人達は、自活の方法を奪われ、さらに機械化の進んだ英国からの逆輸入にさらされて失職し、住処のないプロレタリアートに没落し餓死していった。<br />
<br />
<br />
さて、アーメダバードで織物工の労働争議が激しくなったのは、1917年頃からだった（これはちょうど第一次世界大戦末期で、英国は植民地から少し注意が離れたのだろう）。その中心に居たのがサーラーバーイ家で、当主の姉のアナスーヤは労働者の福祉のために尽力していた。そしてこの争議に割って入って、両者を和解させようとしたのがガンディーだった。<br />
<br />
<br />
ガンディーは小国の宰相の子として生まれ（カーストとしては商人階級だった）、英国に留学して法廷弁護士資格を取っていた。彼は、ある事件のために南アフリカに渡って、現地で苛烈な人種差別を目の当たりに体験し、自分の使命に覚醒する。そこで人びとをリードする指導原理として、サッティーヤグラハ（非暴力・非協力運動）を確立する。そして22年もの間、南アに居て、帰国した彼が拠点として選んだ地が、アーメダバードだったのだ。<br />
<br />
<br />
エリクソンは60年代にこの市を訪問したとき、まだ生き残って1918年の事件を記憶している当事者達に会い、さらに国外では得がたい様々な記録を調べる。そうして、このガンディーという、偉大だが、ある面では理解しがたい非凡な人物の精神を、精神分析家の眼と歴史家の手法で、記述・分析していくのである。<br />
<br />
<br />
争議において労働者側は、インフレ下で40%の賃上げを要求していた。これに対し工場主側は、どのような手を打ったか。これは今日でも共通して学べる点だから書いておくと、工場を強制的にロックアウトしてから、25%の賃上げに同意した労働者だけを、工場の職場に入れるよう許可する、と告げた。つまり労働者の切り崩しである。労働者側には資金も生産手段も何もないから、ストライキを打っても、収入ゼロの日が続けば生きていけなくなる。<br />
<br />
<br />
ガンディーは市内に道場（アシュラム）を持っていて、南アの時と同様、非暴力・非協力を労働者に説いていた。しかし工場主達の一方的なやり方に、激怒する労働者も少なくなかった。そうなれば暴力的な行為に出る者もいるだろう。ガンディーが親しくしていたサーラーバーイ家も、当主と姉が、経営者側と労働者側にそれぞれ分かれて、争う状態になった。<br />
<br />
<br />
窮地に陥ったガンディーが、最後の調停手段として持ち出したのが、『断食』であった。彼は後に生涯で17回も断食を行い、48年に暗殺されたときも、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の内戦状態を止めるために、断食に入っていた。だが、彼がこのやり方を初めてとったのが、アーメダバードの事件だったのだ。『ガンジー自伝』  ではほとんど触れられていない本事件を、エリクソンが彼の生涯の重要な転換点としたのも、この点が大きい。<br />
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「ガンディーの真実」間永次郞<br />
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「ガンディーの真実　〜　非暴力思想とは何か」　間永次郞・著 <br />
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ガンディーの『サッティーヤグラハ』は普通、非暴力・不服従運動として「民衆運動」と捉えられている。しかし上に述べたとおり、これは一種の思想であり、かつ修行でもあった。彼自身は自伝の中で、これを『実験』だと述べている。つまり、自分の生き方を通して、試行錯誤しながら確かめている、仮説検証だと。では、彼の仮説とは何だったのか。<br />
<br />
<br />
「ガンディーの真実」の著者・間永次郞氏によると、彼の長い生涯の中で、ドラマティックな大衆抗議行動に直接関わっていた時期は、合計で4年しかなかった。それ以外の時期は、サッティーヤグラハの思想を深めるべく、日常の生活の中で実験を続けていたことになる。<br />
<br />
<br />
その実験とは、食事・衣服・性・宗教など多岐にわたる。たとえば食事について言うと、彼は独自の菜食主義をとっていた。菜食主義自体は、インドでは珍しくない。非殺生（アヒンサー）のための菜食の伝統は、古代からある。ヴィシュヌ派に属する彼のカーストも、生まれついての菜食（ただし乳製品は許す）だった。<br />
<br />
<br />
だがガンディーは、「暴力とは、他者を自らの欲望を満たす手段とすること」のすべてだ、と定義する。そして彼は、食品を得るサプライチェーンの中の暴力的要素を、どんどん排除していく。チョコレートの中にさえ、植民地の黒人の奴隷労働を見る。かくて香辛料も減らした、かなり厳しい食のあり方を、道場（アシュラム）で皆と実践した。<br />
<br />
<br />
衣服についても同様だ。若い頃は、パリッとした一流のスーツ姿に身を固めた、英国弁護士だった。しかし、そんな装いの彼が、初めて訪れた南アフリカの鉄道で、一等の客席の切符を所持しているのに、「褐色の肌の色」だけの理由で警官によって客車から放り出され、凍える駅で一夜を明かすことになった。<br />
<br />
<br />
後に「あなたの人生で最も創造的な経験は？」と問われ、この駅で明かした一夜をあげる。それは、この社会の巨大な病、人種差別と戦うことを決意した夜だったからだ。それも、差別者個人だけでなく、システマティックに人びとを差別していく、白人至上主義の社会や文明そのものを「巨大な病」ととらえた。<br />
<br />
<br />
だから彼が後に、有名な「塩の行進」でインド洋の海水から自ら塩を作って、英国の製塩専売法と戦い、また手紡ぎの綿糸による白い布（カーディー）を身にまとって人前に現れるようになったのは、当然の帰結だった。菜食もカーディーも、彼にとっては「真実にしがみつく」実験の一部だったのだ。<br />
<br />
<br />
彼は性においても、非常に独自な取組をする。ガンディー夫妻には4人の息子がいたが、1906年（36歳）のとき、「ブラフマチャリア」（禁欲）の誓いを行い、生涯にわたって妻との性交渉を絶ち、すべての時間を公益のために捧げると宣言し、実行した。<br />
<br />
<br />
ガンディーの性については、南ア時代のドイツ人男性カレンバッハとの奇妙な同居生活や、晩年のマヌという若い女性との同衾の実験などが、批判的に取り沙汰されることもある。著者の間氏は、性欲に対する彼の否定的な見方に、タントラ学派などの影響を見る。ちなみにエリクソンはフロイト派の分析家らしく、ガンディーの少年時代（彼は13歳で結婚した）のトラウマ的経験を指摘する。彼のような禁欲実践に、誰もがついていける訳ではない、と。<br />
<br />
<br />
その、ついて行けなくなった人間の代表格が、彼の家族、とくに長男ハリラールだったのだろう。20歳の頃はマハトマの跡継ぎとして発言し活動したハリラールは、父が社会的尊敬を集めるのに反比例するように、転落していく。最後にはイスラム教に改宗したあげく、アル中になって、極貧のうちに世を去る。ガンディー暗殺からわずか数ヶ月後のことだった。<br />
<br />
<br />
そして妻のカストゥールバーは、つねに長男ハリラールの味方だった。そんな妻子に対して、ガンディーは決して包容力のある優しい夫とばかりは言えなかった、と間氏は書いている。ハリラールと反目していた最晩年、ガンディーは禁欲実践を通した自己浄化によって、外界も変化するという思想に強く傾斜していった。まさにこれが、彼の実験していた仮説だった、という訳だ。<br />
<br />
<br />
ガンディーは、目の前のヒンドゥー対イスラムの殺戮も、長男ハリラールの離反も、自分が禁欲と自己浄化で解脱すれば、変わりうるのだと信じていたのではないか。だとすればそれは、究極の自己中心性ではないか。そう間氏は断じる。<br />
<br />
<br />
「ガンディーの真実」著者の間永次郞氏は、1984年イタリア生まれ、滋賀県立大学講師・兼マックス・プランク研究所シニア・フェローの、新進気鋭の社会学者である。この人はグジャラート語を含むインドの諸言語にも精通しているらしく、最近の現地語の出版物まで丹念に目を通して、学者らしく優れた仕事をしている。そして礼賛一辺倒か、逆に冷笑的批判だけになりがちなガンディー研究を、冷静な複眼的視野で行っている。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
非暴力思想とは何か<br />
<br />
<br />
それにしても、非暴力思想とはいったい何なのか。ガンディーは言う。<br />
<br />
<br />
「もし臆病か暴力のどちらかしか選択肢がないならば、わたしは疑いなく暴力を選ぶよう助言するでしょう」<br />
<br />
<br />
「非暴力は決して臆病者の盾に用いられるべきではありません」<br />
<br />
<br />
「インドが弱者であるから非暴力を実践せよと懇請しているのではありません。私は自身の強さと力に自覚的になった上で非暴力を実践してもらいたいのです。」<br />
<br />
<br />
これを読むと、彼の「非暴力」は暴力の絶対的否定ではないことが分かる。彼には目指すべき真理なり大義があり、そのための最善の方法として、非暴力の実践ないし実験があるのだ。<br />
<br />
<br />
じっさい、インドの紙幣にも描かれた有名な「塩の行進」では、ダラーサナー製塩工場に迫った、無防備なデモ隊の群衆を、武器を持った警官隊が片端から殴りつけた。だが、次々に押し寄せる人の波。警官隊は、そして彼らを動かした英国権力は、局地戦には「勝った」かもしれないが、威信を失って結局、独立運動には「負ける」のだ。<br />
<br />
<br />
なぜなら無防備な人を武器で打ち倒すような行為を、大多数の人は、目的に関わらず許さないからだ。まあ、ごく一部、異常に政治的な人たちは、「手段は選ばない」「目的は手段を浄化する」というような考え方をする。だが世界の普通の人々は、そんなことはすべきでないと感じる。そして人々の感情的な受け取り方が、世論を作るのだ。ガンディーの「断食」が奏功するのも、彼を死に追いやるような「暴力」には、加担したくないと人々が感じたからだ。<br />
<br />
<br />
そのような意味で、非暴力・不従順は、強大な権力を前にした人々の、重要な戦略である。ただし、製塩工場の例を見れば分かるとおり、それは命がけの行為になる。そして、大勢の賛同者が必要だ。<br />
<br />
<br />
そのためには、命をかけるべき大義と、清廉無私な指導者が必須である。それこそ、現代に最も欠如しているものなのだ。ガンディーを拳銃で撃った男は、RSSという団体のメンバーだった。そして、現代インドのモディ首相が率いるインド人民党こそ、このRSSの流れをくむヒンドゥー至上主義政党なのだ。<br />
<br />
<br />
21世紀は、20世紀よりもさらに権力が集中する時代である。だが「自己利益の経済的最大化」が主要な指導原理であるこの時代において、無私無欲なリーダーが頭角を現せるだろうか。インドでも、その他の世界でも、ガンディーの非暴力思想を受け継ぐ人が少ないのは、そのためなのだろう。<br />
<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Thu, 10 Oct 2024 18:00:00 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-10-10T18:00:00+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評：「千利休」　清原なつの・著</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/32690905/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/32690905/</guid>
      <description><![CDATA[「千利休」　(Amazon)<br />
<br />
<br />
今年に入って読んだマンガの中で、いや、すべての本の中でも、ピカイチのインパクトを持つ傑作。刊行は20年前の本だが、Amazonを見ると、幸い、まだ手に入る。わたし自身は鎌倉・六地蔵近くの古書店で見かけて、即刻購入した（古本だが美本だった）。著者が千利休に取り組んでいるという話は、昔の短編集のあとがきで読んでいたのだが、本当に出したのかどうか、実は知らなかったのだ。<br />
<br />
<br />
本書は、『美』に関する本である。「 私が生きた戦国時代は、自分の才覚で、身分という宿命からさえも、自由になれた時代だ。私は私の美意識にしたがうことにした」と、表紙にある。主人公・千利休が冒頭のエピソードで語る言葉だが、本書全体を通したテーマだ。では、彼の美意識とは、そして美とは、いったい何なのか？<br />
<br />
<br />
恥ずかしながら、わたしは茶の湯については、全く何も知らない。ティー・セレモニーにも、参加したことが無い。日本の伝統文化を何一つ知らずに、それで日本人と言えるのかとも思う。だが、技術者としての会社員生活には、茶道も美学も、まるで無縁だった。<br />
<br />
<br />
ただ若い頃、蔵本という友人の新居を訪れたとき、聞いた言葉だけは今も記憶に残っている。新婚ほやほやの彼の家に、小さな茶道の道具一式が置いてあった。奥様も彼も、茶を嗜むらしい。彼いわく、お茶を点てるという所作は、それなりに心を落ち着ける効果がある。だから忙しい日の夜、なんとなく気分が苛立っているとき、二人でお茶を点てて一服すると（どうやらそれ自体、30分くらい時間がかかるらしい）、すっと気持ちが静まる、と。それは素晴らしい習慣だと、聞いて思った。<br />
<br />
<br />
「茶の湯は、ただ湯をわかして飲むだけ」と、千利休は言う。だがその割に、茶の湯にはいろいろな道具立てや決まりが顔を出す。そしてその道具、とくに「大名物」（おおめいぶつ）と呼ばれる茶道具は、単に美しいだけでなく、ひと財産としての価値がくっついている。<br />
<br />
<br />
その大名物を巡る、戦国大名たちの駆け引きとドタバタ劇が、あの時代を動かす大きな原動力だったことを、本書で初めて学んだ。<br />
<br />
<br />
千利休は、堺の商人の生まれである。家は納屋衆、すなわち貿易用の貸し倉庫業者で、今で言えばロジスティクス業だ。同時にととや（魚問屋）も営んでいた。本名は与四郎、姓は田中だが、この時代の商人の名字は屋号かもしれない。祖父は足利将軍に仕える文化人だった。<br />
<br />
<br />
病弱な父が没すると、彼は若くして家業を継ぎ、商才を発揮してビジネスを伸ばしていく。このビジネス・マネジメントのセンスは、後に「北野大茶湯」などの一大イベントのプロデューサーの仕事に、活かされていくのだ。<br />
<br />
<br />
とはいえ本書は、利休の若い頃の感受性を、丁寧に（女性マンガ家らしく）描いている。帳簿付けの傍ら、近所の先生に、習い事として「茶の湯」を習いに行く。つまり、彼の子ども時代に、茶の湯はすでに文化・儀礼として成立していて、ゆとりのある町人が習う事だった。そして茶の湯は、社交のための作法、今で言えばゴルフみたいな、人脈作りに必要なスキルになっていたのだ。<br />
<br />
<br />
彼は18歳の時に、茶の湯の大家・武野紹鴎（たけのじょうおう）に弟子入りし、生涯の師と仰ぐことになる。そして口切りの茶事のために、大徳寺で剃髪、「宗易」という号をもらう。その後ずっと、彼は世間からは「千宗易」と呼ばれることになる。「千利休」という号は、晩年（切腹の6年前）に、禁中茶会のために天皇から下賜されたものだった。<br />
<br />
<br />
ところで本書を読んで、初めて学んだことがある。それは、堺という町の性格である。堺は戦国時代の自由貿易港として知られていたが、なぜそれほどまでに財が集まったか。それは、鉄砲という新時代のハイテク武器のおかげなのだ。堺には以前から鋳物師たちが集まって農機具や武具を作っていたが、機を見るに敏な堺商人たちは、鉄砲が戦争のあり方を一変させると見抜いて、その製造販売を一手に引き受けた。つまり武器商人として財をなしたのであり、利休もその一人だったのだ。<br />
<br />
<br />
（鉄工業の町としての性格は、今でも堺に残っている。日本製鉄の製鉄所をはじめ、クボタ、ダイキン工業など、大手中小の工場が軒を連ねている訳だ）<br />
<br />
<br />
話を戻す。武野紹鴎の茶の湯の弟子の一人が、松永久秀（松永弾正）だった。彼は下剋上を体現した人物で、山城の商人から出発し、大名三好家の家老になり、さらには将軍足利義輝まで殺してしまう。彼のある意味、俗物的なキンキラ趣味を、作者はマンガでよく描き出している。そして彼が執着したものが、茶の湯の大名物だったのだ。<br />
<br />
<br />
日本の美意識について書いた、橋本治の優れた論考「風雅の虎の巻」  で、彼は『真・行・草』の違いについて述べている。それによると『真』は本格・正統な様式であり、『行』はそれを少しカジュアルにしたものである。ところで『草』は、『行』をさらに崩したものと思われがちだが、実は『真』をプライベートにしたものだという。<br />
<br />
<br />
それに従えば、茶の湯の『真』は、中国にある。茶はそもそも鎌倉時代の初めに、栄西禅師が中国から持ち帰ったものだ。彼が宇治で、持ち帰った茶の木の栽培に成功したので、宇治茶は今でもブランドとして残っている。中国直輸入の茶の葉を、中国の茶道具で淹れる。これが真で、だから足利将軍は中国製の名物を多くコレクションした（東山御物）。茶をたしなむ場所は書院である。<br />
<br />
<br />
『行』は日本製の道具を使うが、“本場物に引けを取らない”お道具、という事になる。これに対して、茶の湯の『草』は、プライベートな茶室を建てて行う、佗（わび）茶である。佗茶は紹鴎の師である村田珠光が始めたと言われている。<br />
<br />
<br />
この佗茶の「枯れかじけた」美意識こそ、利休が目指したものだったはずだ。だが、だとしたら、「北野大茶湯」（秀吉の聚楽第落成記念）のような一大イベントや、有名な黄金の茶室に、どうつながっていくのか。<br />
<br />
<br />
ここに登場するのが、織田信長である。彼は風流だの風雅だのには、関心が無かった。だが、人々を動かすものが何であるかについては、卓越した感覚を持っていた。信長は戦国武将たちが、ゴルフ代わりの茶の湯の名物道具に執着していくのを見て、「名物狩り」を行う。所有する民間人からは無理やり買い上げ、征服した大名からは徴用した。そして、戦功を上げた部下に対し、知行地の代わりに下賜していくのである。これを「茶湯御政道」と呼ぶ。<br />
<br />
<br />
だから信長に城を攻められた松永弾正は、大名物を渡すくらいなら、と、道具と共に爆死する。また信長に謀反を起こした荒木村重は、名物を手に、妻子を残して逃げる。怒った信長は村重の親族家臣500人以上を殺す。この辺り、作者は信長の苛烈さと共に、武家たちの茶の湯の名物道具への執着心の恐ろしさを、見事に描き出す。<br />
<br />
<br />
同時に信長は堺商人たちの利用の仕方についても、十分な知恵を働かせて交渉していく。そして天下人となった信長に、堺茶人のトップ・利休は、茶頭として仕えることになる。かくて、佗茶を希求しているはずの利休は、政治の中心に入っていくのである。<br />
<br />
<br />
それにしても清原なつのという作家は、信長の人物を利休に評させて、「この人はなんと禁欲的で厳しい合理主義者なのだろう」と述べているのは、実に卓越した感覚である。信長を、残酷で利己的な独裁者、と評する人間はいくらでもいよう。だが、彼をストイックで理知的な、頭の良い人間だと見抜く作者の洞察は、敬服に値する。<br />
<br />
<br />
その信長が、わずかな手勢と共に本能寺に出かけたのも、実は茶の湯の名物道具を公家に披露する茶会のためだった。明智光秀が信長を討ったと聞いた秀吉は、まさにこれこそ千載一遇のチャンス、と思ったに違いない。信長が生きている限り頭の上がらない秀吉にとって、光秀を討ち取ってしまえば天下は自分の手に入るのである。<br />
<br />
<br />
そして利休は、以前から親交のあった秀吉が天下人となってからも、その第一の茶頭として仕える。秀吉は彼のパトロンとして、財力と権力を惜しみなく与える。かくて黄金の茶室と、聚楽第落成へとつながっていくのである。それは利休の美意識が、名物の鑑定相場を左右する力を持つということだった。しかし、秀吉の成金的な好みと、佗茶への希求とに、利休の内面は次第に引き裂かれていく・・<br />
<br />
<br />
ところでこのマンガの一つの大きな魅力の一つは、登場人物が皆、自分たちの方言丸出しの口語でしゃべることである。信長は「こんなでぇすかな雪ん中、松永のじいさまは来んでもええわ」といい、秀吉は「わっちが育った美濃の田舎のたんぼの中の家を思い出すぎゃあ」と語る。どこまでリアリティがあるのか、わたしにはさっぱり判断がつかないが、岐阜出身の作者のことだから、きっとそれなりに確信を持ってのことなのだろう。<br />
<br />
<br />
清原なつのという作家は、昔からファンだった。そう、70年代に『りぼん』でデビューした頃からで、今でも書棚に何冊も短編集を持っている。マンガ家は何より絵が大事だが、人物の輪郭線が優しく、かつ、瞳の描写が美しい。とても少女マンガらしい絵柄である。<br />
<br />
<br />
と同時に、この人の作品は、なぜか理系の男性読者を引きつけるところがある。作者自身が、たしか金沢大学の薬学部出身で、医薬品企業の研究所勤務という風に、理系の人でもあるのだが、それ以上に、SFと歴史昔語りを中心としたテーマの選び方、エピソードの切り取り方に、それを感じるのだ。ちなみにペンネームも平安初期の貴族・清原夏野から取っているあたり、古典と歴史への憧憬を強く感じさせる。<br />
<br />
<br />
本書「千利休」は、清原なつのという作家の長いキャリアの、一つの頂点を示す傑作だ。この人は本質的に短編作家だが、あえて分厚い長編に挑み、成果はまことに素晴らしい。本書を通して、あらためて日本文化を考え直す、大事なヒントを得た気がする。<br />
<br />
<br />
本書は電子書籍でも手に入るが、できるなら紙の本をおすすめする。本は、とても装丁が美しい。装丁デザイナーの名前が見当たらなかったので、あるいは作者自身の装丁なのかもしれない。<br />
<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Mon, 19 Aug 2024 00:19:04 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-08-19T00:19:04+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評：科学の終焉（おわり）　ジョン・ホーガン著、筒井康隆監修・竹内薫訳</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/30899337/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/30899337/</guid>
      <description><![CDATA[<br />
<br />
『科学の終焉』　(Amazon)<br />
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<br />
1994年の春、アリゾナ州フェニックスにあるサンタフェ研究所で「科学的知識の限界」をテーマにした、3日間の研究会合が開かれた。参加したのは、数学者のキャスティ、計算機科学者トラウプ、情報理論のチェイティン、カオス理論のカウフマン、天体物理学者ピエト・フット、情報物理学者ラウダウアー、経済学者アーサー、生化学者ロスラー、といったそうそうたる面々。著者のジョン・ホーガンもこの会合に参加し、その有様を生き生きと伝えている。<br />
<br />
<br />
活発な議論が交わされ、とても生産的な会議だったと、参加者たちは評価した。だが、著者の意見は少し違うようだ。このような会議が、学際的な複雑系研究のメッカである、サンタフェ研究所で開かれたこと自体、現在の科学が直面している。難しい状況を示している、と。<br />
<br />
<br />
難しい状況とは何か。それは、現在の科学において、偉大な発見が生まれにくくなりつつあり、経済学で言う「収益逓減の法則」に似た、スローダウンの時代に入ってきているらしいことである。<br />
<br />
<br />
その前年にあたる93年、米国議会は、超伝導超大型加速器SSCの建設予算承認を拒否した。このプロジェクトは、既にその時までに約1700億円の費用を投じて、テキサスの平原で掘削工事を行っていたにもかかわらず、中止されたのである。理由は、金がかかりすぎるから、そして得られる科学的成果に対して、それだけの価値を米国として見出せないから、であった。<br />
<br />
<br />
現代科学は、少なくとも素粒子物理学は、ビッグサイエンスと化し、次第に巨大な研究施設と大勢の人員を必要とする方向に進化してきた。だが投下した資本に、見合うだけの巨大な研究成果が生まれているのだろうかというのが、社会からの問いだ。<br />
<br />
<br />
とはいえ、著者のパースペクティブは、単なる資本効率の問いよりも、もっと広い。著者ジョン・ホーガンは、米国を代表する科学雑誌の一つ『サイエンティフィック・アメリカン』のベテラン・サイエンス・ライターだ。本書で彼は、膨大な数の科学者・研究者とインタビューし、彼らの科学に関する楽観主義の裏側にある焦りや戸惑いを、見事にあぶり出す。<br />
<br />
<br />
その戸惑いとは、科学には結局、究極の答え＝「最終理論」が存在するのかどうか、そして存在するのだとしたら、それを見つけた後、科学は一体何をやればいいのか、と言う問いだ。逆に、それがもし存在しないのなら、科学とは何に向かって進むべき営為なのか？　これらが現代の最先端の科学者の胸の内にある、ひそかな疑問らしい。<br />
<br />
<br />
この問題に関する、物理学者ロジャー・ペンローズとの対話から、本書が始まる。ペンローズは、一般相対論の特異点定理とブラックホールの予言で有名なノーベル賞物理学者だが、インタビューの時点では、脳科学と心の問題について、非常に独特な角度から研究していた。究極の答えはあるはずだ、だがそれを発見してしまったら、科学者のやることは終わってしまうだろう、とペンローズは考えていた。<br />
<br />
<br />
分子生物学者のステントは、もう少し別の面から、科学のスローダウンについて警鐘を鳴らしていた。生物学の究極の問いは、生命の発生、多細胞生物への発現、脳の情報処理機能、の3つだ。そして科学の進展スピードは、すでに発見された成果に比例しつつ、対象領域に残る未知の部分に制約される。分子生物学はもちろん有用だが、もうすぐ減速期に入るかもしれない。それが彼の見通しだった。<br />
<br />
<br />
情報理論学者のチェイティンは、最終理論について、もう少し理論的な面から疑問を投げかける。チェイティンは「与えられたコンピューター・プログラムが、ある問題を解決するのに1番『簡潔』なものかどうか、誰も決定できない」ことを証明していた(p.452)。これはすなわち、「真の最終理論、すなわち、最も簡明に自然を説明できるような理論を発見したかどうか、物理学者が確信する事は決してない」（同）、という意味を内包する。<br />
<br />
<br />
本書のすばらしいところは、こうした問いかけを、極めて広い分野の科学者たちと、それも世界のトップクラスの天才たちと交わしつつ、多角的に、科学のスピードダウンについて描いていることだ。扱われる分野は物理学、宇宙論、進化論生物学、社会科学、神経科学、カオス・複雑系量、などである。<br />
<br />
<br />
無論、足りない分野をあげつらうことはできよう。例えば、化学がない、生態学がない、医学がない、など。数学はどうなんだ、と言う問いだってあろう。著者の関心が、やはりなんといっても物理学にある事は、隠しようもない。物理学こそ科学の中心、学問の女王である（と物理学者たちは内心思っている）。<br />
<br />
<br />
したがって、監修者の筒井康隆が序文で指摘しているように、第3章「物理学の終焉」が本書の白眉と言える。「物理学は、絶対に実証不可能な理論の発明（「発見」ではなく）をして以来、（中略）誰かが安上がりで高エネルギーを作る方法を見つけるまで、何もすることがなくなってしまった」(p.4)。筒井康隆は監修者としては殆ど何も貢献していない、と書いているが、にもかかわらずこの序文は秀逸で、さすがである。<br />
<br />
<br />
ちなみに、わたしの個人的な感想だが、物理学における『超ひも理論』、言語学の『チョムスキー言語理論』、多くの『新古典派ミクロ経済学』、そして一部の『数理生態学』などは、ほとんど実証の手段を欠いている、ないし実証に興味を示さない点が、共通している。これらは論理的に美しい構築物だが、科学ではない、というのが、わたしの素人的な偏見である。<br />
<br />
<br />
それにしても、じつは本書でわたしが最も心惹かれたのは、科学哲学者たちを扱った第2章であった。科学の終焉を扱うに際して、科学論を研究してきたポパーや、トマス・クーン、ファイヤアーベントなどに語ってもらうのは、とても重要だろう。<br />
<br />
<br />
著者の叙述のスタイルは、インタビュー相手の発言を記すのみでなく、相手の身なりや表情、癖、さらにパートナーとのちょっとした対話なども含む、文学的で奥行きのあるものだ。特に、反骨の科学哲学者ファイヤアーベントと、そのパートナーであるイタリア人物理学者グラツィア・ポリーニの描像など、忘れがたい印象を残す。<br />
<br />
<br />
ちなみに最終章で著者は、目立たぬ形ながら、自分の一種の神秘体験について触れている。神秘体験というのは、いわば、宇宙の真理なり啓示（つまり「究極の答え」）と、言語を超えて直接一致を体験することである。これは若い頃の体験らしいが、長い間著者のうちにあって、科学の終焉という問いの形で、あらためて発芽したのだろう。しかし、アメリカのジャーナリストらしく、この問題に対して極めて真摯に、時間をかけ、多数の人との意見交換を通じて、取り組んでいる。<br />
<br />
<br />
原書は1996年に発刊され、翌97年に邦訳された。竹内薫氏の若い頃の訳業だが、これだけの浩瀚な内容を、稚気のある文体で、非常に良くまとめている。2000年に文庫化されているが、現在は品切れのようで、わたしは古書店で入手した。しかし、非常に面白い本である。<br />
<br />
<br />
そして、本書発刊から30年近く経った今、物理学者をはじめとする多くの科学者や、科学ライター・編集者たちが、科学に本当にスローダウン現象が起きているのかについて、どう考えているか、ぜひ意見を聞いてみたいところである。<br />
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]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 16 Apr 2024 19:12:47 +0900</pubDate>
      <dc:date>2024-04-16T19:12:47+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評（冬休みの課題図書）3冊：「サーチ・インサイド・ユアセルフ​​」「『SCM計画立案・遵守』の疑問」「経営改革大全」</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/30527659/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/30527659/</guid>
      <description><![CDATA[もうすぐ待ちに待った、年末・年始の冬休み。ということで、今回はビジネスマン必読、というと言い過ぎだろうが、読むと少しは得するかもしれない3冊をご紹介します。冬の夜長のお供にどうぞ。「サーチ・インサイド・ユアセルフ」　チャディー・メン・タン著Amazon<br />
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honto<br />
<source srcset="https://img.honto.jp/item/1/98/134/27867059_1.webp" type="image/webp">サーチ・インサイド・ユアセルフ ― 仕事と人生を飛躍させるグーグルのマインドフルネス実践法<br />
<br />
「 Googleの陽気な善人」——これが著者チャディー・メン・タンの、名刺に書いてある肩書らしい。 なかなか面白い肩書きではある。 従業員番号が107と言うのだから、同社のかなり初期からのメンバーだったのだろう。そのITの専門家が、なぜ瞑想＝マインドフルネスに関する本を書くのか？<br />
<br />
<br />
それはもちろん、瞑想が、理知的な仕事に携わるエンジニアの生産性や心理的安定性に、非常に良い効果をもたらすからだ。 そのことが数値的なデータとして実証されているのでなければ、Googleが会社として取り組むはずはない。<br />
<br />
<br />
本書のタイトルとなっている「Search inside yourself」(SIY)は、 著者が中心となってGoogleで開発した、マインドフルネスとEQ（情動的知能）の自己育成プログラムだ。 自己の内面をサーチせよとは、いかにも検索エンジンの巨人らしいネーミングではないか。 <br />
<br />
<br />
ちなみにEQとは 心理学者ゴールマンが『EQ こころの知能指数』 で提唱した概念で、Emotional quotientの略だ。Emotionとは感情・情動のことだから、その活用能力を示す指数という意味になる。これは通常の知能指数 IQ (Intelligence quotient)と対比して使われる。<br />
<br />
<br />
わたし達人間は、実はとても感情的な存在だ。それにもかかわらず、ビジネスは、特にテクノロジーに関わるビジネスは、合理性だけで進められているかのような感覚（錯覚）がある。 実際には仕事は人と人との間で協力しながら進めなければならない。そこに情動の果たす役割は大きい。<br />
<br />
<br />
ところが、わたし達を内部からつき動かす、この感情・情動に関する「取扱い説明書」に類するものは、なかなかお目にかからない。というのも感情は、押さえ込もうとすると、別の場所から噴出したり、無視しようとすると、かえって注意を奪われたりと、なかなかコントロールしにくい厄介な性質があるからだ（なお、本書ではemotionを感情ではなく情動と訳しているが、ほぼ同義の言葉としてここでは使っておく）。<br />
<br />
<br />
ではどうしたらいいのか。心を静めて、感情や思考の波が通り過ぎるのをゆっくりと観察し、自然な流れに任せて、余計な心的エネルギーを放出するのである。これを「瞑想」とか「マインドフルネス」と呼んで、一種のプラクティスに発展させたものが本書のテーマだ。<br />
<br />
<br />
じつは、わたし自身、本書を読む以前から、3年ほどになるが、ほぼ毎日瞑想している。それで何か顕著な効果があったのか、素晴らしいひらめきでも生むようになったのか。実は自分でもよくわからない。あるような、ないような、である。ただ、以前の自分は、かなり怒りやすかったし、感情にしばしば動かされていたのに、自分でそれが見えていなかった。そのことに、自分で少しは気がつけるようになったのかもしれない。<br />
<br />
<br />
ともあれ、我流のやり方では限界がありそうだ。そこで本書を読んでみることにしたのである。さすが、アメリカのテック企業生まれであるだけに、「サーチ・インサイド・ユアセルフ」は、非常に構造化され、順序だてて身に付くよう出来上がったプログラムである。座って行う瞑想だけではなく、歩く瞑想や、「マインドフルな会話法」など、日常生活で役に立ち、感情的なレジリエンスを高める方法論がたくさん載っている。<br />
<br />
<br />
「マインドフルネスの練習を積むと、痛みと嫌悪が別個の経験であるのがわかる」(第5章）と著者は書く。これは賢帝マルクス・アウレリウスの言葉「なんであれ外界のものに苦しめられているなら、その痛みは、もの自体のせいではなく、それに対する自分の評価のせいだ。そして、その評価なら、いつでも取り消す力を私たちは持っている。」にぴったり対応している。<br />
<br />
<br />
また、著者は人間が求める幸福感について、<br />
・「快楽」<br />
・「情熱」(フローとも呼ばれる)<br />
・「崇高な目標」(自分より大きくて、自分にとって意味のあることの一部になる)<br />
の3種類に分ける。その1番の違いは、持続性の違いだ、との指摘はとても鋭い。<br />
<br />
<br />
瞑想と言うと、なんとなく宗教がかった、胡散臭いものに感じる人が多いと思う。だが、そうした捉え方は少しずつ変わっている。自分の心に向き合い、自分が制御しがたい感情とうまく付き合い、人との関係性を、よりストレスの少ないものにしていくためにも、ぜひ学ぶべきプラクティスだと思う。<br />
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「誰も教えてくれない『SCM計画立案・遵守』の疑問」　本間峰一・著Amazon<br />
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honto<br />
<source srcset="https://img.honto.jp/item/1/98/134/32786221_1.webp" type="image/webp">誰も教えてくれない「SCM計画立案・遵守」の疑問　あなたの会社の生販在（PSI）計画は機能していますか？<br />
良書である。著者の本間峰一氏は昔からの研究会仲間で、知人の本の批評をするのは難しいものだが、本書は安心してお勧めできる。<br />
<br />
<br />
もともと、本書はPSI計画をテーマにする本として企画されたが、出版社が「SCM」をタイトルに入れたいとの意向で、こうなったらしい。<br />
<br />
<br />
PSI計画とは、Production（製造）・Sales（販売）・Inventory（在庫）計画の略で、正販在計画ともよばれる。つまり製造業のサプライチェーンを横串に束ねた上位計画のことであるが、あいにく日本では、この用語や概念が、あまり普及していない。その一方で、コロナ禍や半導体問題など、サプライチェーンの混乱はかなり、ビジネス界の頭痛となっている。そこで、こうしたタイトルになったのだろう。<br />
<br />
<br />
もともと90年代後半に、「サプライチェーン・マネジメント」の概念を、日本に紹介した先駆けの1人が、著者・本間峰一氏であった。1998年に、中村実氏（日本IBM・当時）や、わたし自身との共著で、SCM研究会名義の『サプライチェーン・マネジメントがわかる本』（日本能率協会マネジメントセンター刊）を上梓した。<br />
<br />
<br />
しかし、米国発の需要予測や計画系ソフトウェアを中心としたSCMは、2000年の.comバブル崩壊とともにブームが去り、日本ではあまり語られなくなってしまった。「日本にはトヨタ生産方式という、立派なSCM文化がある」との思い込みもあって、海外での動向もあまり紹介されなくなった。<br />
<br />
<br />
しかし、トヨタを真似た大手企業らが、製品在庫や資材在庫の削減を、強引に追求した結果どうなったか。過去2、3年のサプライチェーンの混乱が、欠品と言う形で製造を直撃することになった。<br />
<br />
<br />
加えて著者は、販売計画の精度が、以前に比べ、かなり落ちたことを指摘している。その理由は、営業の仕事内容の変化である。第二章「販売計画を過信してはいけない」に詳しく述べられているが、商物分離の進展や、EDIの普及によって、卸売業者や営業マンが販売・物流に関与することが減り、そのため市場の需要に対する感度が、落ちたのである。加えて、大企業が出してくる先行内示の精度の低さ、さらにサプライチェーンのブルウィップ効果（半導体がその典型）等により、需要予測が極めて難しくなった。<br />
<br />
<br />
加えて著者は、日本の製造業が過度に多品種化してきていることを問題に挙げている。これは極めて重要な指摘だが、このことを言う論者はとても少ない。品種数が増えれば増えるほど、需要の予測は難しくなり、在庫のコントロールも、適切な発注も、困難になる。もちろん、製造における段取り替えや切り替えロスも、顕著に増えていく。この問題に早く気づき、適切な手が打てるかどうかが、実は製造業のパフォーマンスを大きく左右するのである。<br />
<br />
<br />
本書はさらに、一般的な生産管理システムが、実は日本の製造現場であまり有効に使われていない理由についても、わかりやすく説明している。ここら辺は姉妹篇の「誰も教えてくれない『生産管理システム』の正しい使い方」  のエッセンスを書いており、そういう意味でもお買い得な本である。<br />
<br />
<br />
トヨタを表面的に真似しただけの、「ジャスト・イン・タイム購買」の問題点については、以前から著者は警鐘を鳴らしてきた。それは要するに在庫リスクを、大手がサプライヤーに押しつけるだけであり、結果としては見えないコスト高と、需給変動への対応能力低下を招く。<br />
<br />
<br />
SCMのテーマは、「ジャスト・イン・タイム」から「ジャスト・イン・ケース」に移ってきている。それはグローバルなサプライチェーンの、予見不可能性が高まったからである。そこから身を守るためには、バッファーとして在庫を積極的に活用するしかない。そのための道しるべとして、PSI計画を学び、確立するべき時代が来たのである。<br />
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「経営改革大全」　名和高司・著<br />
Amazon<br />
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honto<br />
<source srcset="https://img.honto.jp/item/1/98/134/30192493_1.webp" type="image/webp">経営改革大全 企業を壊す100の誤解<br />
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<br />
わたしの信頼する、ある経営者から勧められて、本書を手に取った。読んでみるとたしかに非常に面白く、読み手の思考を刺激する、英語風に言えば“Inspiring”な本だ。<br />
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<br />
著者の名和高司・一橋大学教授は、元々マッキンゼー出身のコンサルタントである。その著者が、まず経営にまつわる「通説」を紹介し、それを「真説」で掘り下げ、論駁するというスタイルになっている。<br />
<br />
<br />
その通説がまた、巷間の旧来の経営論よりも1レベル上の、いかにも外資系戦略コンサルタントが言いそうな内容なのである。例えばESG投資を重視せよとか、ワーク・ライフ・バランスの実現が大切だ、とかいった主張だ。<br />
<br />
<br />
それらを的確に批評しつつ、より高い見地から結論づける所が、本書の真骨頂だろう。上の例で言えば、ESGのG〔ガバナンス〕はまだ他律的だ、もっとパーパス（志）を内在化しなければダメだとか、ワークとライフを切り分けて対置するのではなく、ワーク・イン・ライフの視点を持つべきだ、という。つまり、通常の経営論よりも、2レベル上まで読者を連れていく訳​​である。<br />
<br />
<br />
ROEを高めるためには、B/Sに現れない無形資産にもっと投資すべきだ、との議論も説得力がある。また、将来ビジョン策定では、2050年が重要だ、それは世界人口100億人とカーボンニュートラルとAIのシンギュラリティとの交差点だから、との指摘も虚をつかれた思いがする。<br />
<br />
<br />
ちなみに著者の思想の中核には、センター（中枢）よりもエッジ（周縁）、仮想・デジタルより実物・現場、という発想があり、そこが英米系との違いを際立たせる。本書を読むと、日本で通用している経営思想が、いかに流行りものの輸入品であるか、を感じてしまう。<br />
<br />
<br />
経営にはサイエンスとアートの二つの要素があると言われる（科学とセンスとも言い換えられる）。だが、コンサルはサイエンスのことを言いたがる。そうすると、どうしても中枢側・仮想側に引き寄せられるので、警鐘を鳴らしているのだと理解した。<br />
<br />
<br />
加えて、著者・名和教授には、システム・ダイナミクス（SD）の考え方が、発想のベースにあるように感じる。ローマクラブ『成長の限界』はSDに基づいているが、若い頃、SDに関わったと書いておられるので、その時の体験が根底にあるのだろう。<br />
<br />
<br />
本書は、先人の書物や発言への引用量がすごい点も印象的だ。もっとも、いささか言葉だけが踊っている箇所もあり、特に後半のリベラルアーツ的な内容の部分に、それを感じる。<br />
<br />
<br />
とはいえ、扱う範囲は広く、視点も高く、経営問題を勉強するにはとても有意義な本である。安心しておすすめする次第である。<br />
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<br />
<br />
]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 17 Dec 2023 00:16:21 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-12-17T00:16:21+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評2点:「高い城の男」フィリップ・K・ ディック、「ムントゥリャサ通りで」ミルチャ・エリアーデ著</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/30450095/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/30450095/</guid>
      <description><![CDATA[(Amazon)<br />
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   (honto)<br />
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<source srcset="https://img.honto.jp/item/1/98/134/25435189_1.webp" type="image/webp">高い城の男<br />
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フィリップ・K・ディックの代表作。ずいぶん久しぶりに再読した。若い頃に、いちど読んだはずなのだが、ごく一部のエピソードを除いて、内容はほとんど忘れていた。というか、よく理解できていなかったらしい。それだけ深い内容を秘めた話なのだろう。今回読み直してみて、改めてこの小説の価値に気づくとともに、ディックの作家としての技巧の高さに、舌を巻いた。<br />
<br />
<br />
周知の通り本作品は、日本とドイツが第二次世界大戦でアメリカに勝利してから15年後の、アメリカを舞台にしたSFである。反実仮想的なこの舞台設定の本書で、ディックは1963年度のヒューゴー賞を見事に受賞する。<br />
<br />
<br />
20世紀アメリカを代表するSF作家を3人選べ、という人気投票をしたとして、P・K・ディックがその中に入るかどうかは、よくわからない。ハインライン、アシモフ、ベスター・・優れた作家は、もちろん数多い。しかしディックも、一定数の強い支持層を持つ、独自の個性ある作家だ。<br />
<br />
<br />
何よりも、彼独特の、リアリティーが足元から次第に崩れていくような、不気味なサスペンスと、人間性のありか・根拠を問い直す独特の視点が、持ち味だ。<br />
<br />
<br />
それは例えば、逃亡したアンドロイドをハンティングする賞金稼ぎが、次第に、自分自身も人間かどうか自信がぐらついていく、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか？」 （映画「ブレードランナー」原作として有名）にも表れているし、傑作「ユービック」 の奇怪な時間退行現象が支配する世界もそうだった。<br />
<br />
<br />
ドイツと日本が戦争に勝ってから15年後。1960年代初めのサンフランシスコで、この物語は始まる。かつてのアメリカ合衆国は、3つの国に分断されていた。西海岸は、日本が事実上支配する「太平洋岸連邦」。それに隣接して、かろうじて中立的な立場を維持している「ロッキー山脈連邦」。そして、残る大半の地域が、ナチスドイツの支配する合衆国である。<br />
<br />
<br />
物語は、特定の主人公を持たない群像形式で進められていく。美術商のチルダン、ユダヤ系の職工フランク、フランクの別れた妻ジュリアナ、そして通商代表部の高官・田上信輔らの行動と独白が、交代する形で叙述され、読者は次第にそのグロテスクな第二次大戦後の世界の有り様を理解する。<br />
<br />
<br />
小説家としてのディックが非常にうまいなと感じるのは、それぞれの準主役級の登場人物たちが関わる、ディテールや小道具の扱いである。職工が手にする工具、女性が選ぶ服のスタイル、そうしたものを通じて、普通のアメリカ人の気分とメンタリティーが、現実味を伴って、読者に迫ってくる。<br />
<br />
<br />
そして戦争に負けた国民が、いかに心根とメンタリティーを傷つけられ捻じ曲げられていくかを、ディックは見事に描く。ある者は勝者に媚びへつらい、ある者は反抗して打ち捨てられ、ある者は勝者側の女をモノにしたいと思う。戦争に負けるとはどういうことか、ディックはよくよく分かっている。この小説世界では、アメリカ人が、日本人やドイツ人に対して、敗者として振るまうのだが、それはまるで歪んだ鏡に映った自分たちの姿を見せられているような感じである。<br />
<br />
<br />
そんな中で、ただ一人孤高の心を保つ、「高い城」に住む作家が、空想的な小説を書く。それは第二次大戦で、日本とドイツが、アメリカと英国に敗れると言うプロットの話だった。その本は当然ながらドイツの支配する合衆国では発禁処分になるが、登場人物たちはいろいろな手段で手に入れて読み、米英が戦勝国となった仮想の世界を知る事になるのだ・・<br />
<br />
<br />
第二次大戦で、ナチスドイツが勝つという設定の小説を書いた人間は、他にもたくさんいるらしい。しかしディックの独創は、そのような世界で、さらに裏返した物語の中の物語を作って、そこから第二次大戦後のわたし達の住む、リアルな世界の歪んだ有り様を、逆照射するところにある。<br />
<br />
<br />
ところで、この小説にはもう一つ、他にない重要な特徴がある。それは『易経』である。街角で易者が筮竹を手に、占いと称してする、あれだ。<br />
<br />
<br />
ただし正確には、易は占いではない。普通、占いと言うと、既に決まっている運命を先読みすること、ちょうど天気予報のように、将来予測をすることだと思われている。言い換えるなら、未来は既に確定して存在していて、占いはその姿を垣間見せてくれる、との世界観にのっている。<br />
<br />
<br />
だが中国で4千年前に成立した易は違う。易では、万物は変化し続けており、確定した未来は存在しないと考えている。では、筮竹やコイン投げによって現れる、「泰」「中孚」「剥」といった64種類の卦と呼ばれる状態(モード)は、一体何を表すのか？<br />
<br />
<br />
答えは簡単だ。占う人間が、今のその気持ちや考えを持ち続けていくと、そのような状態に至る、との予測なのだ。だから、卦を見て反省し、考え方を変えるならば、別の未来が立ち現れる。これが易なのである。<br />
<br />
<br />
この小説の主人公たちは、なぜか皆、易に詳しく、重要な決断の際には、易を立てて考える。実は作者のディック自身が、60年代初め頃から、易を立てるようになったらしい。神秘主義的な性格の強いディックにとって、易は東洋の英知が結晶したようなものに思えるのだろう。<br />
<br />
<br />
この小説に出てくる日本人には、イヤミな人間はほとんどいない。居丈高な、権力好きな、強欲な、暴力的な日本人も出てこない。ナチスドイツの高官たちとは、対照的な扱いだ。日本人は、理解しにくいが東洋の叡智に近い存在、であるかのように描かれる。だから我々読者にとっては、とても読みやすい。本物の日本人は、こんなに潔ぎよくも、かっこよくもないな、とは思うのだが。<br />
<br />
<br />
もっともそれは、我々がアメリカとの戦争に負けた存在だからなのかも、知れない。<br />
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「ムントゥリャサ通りで」　ミルチャ・エリアーデ 著、直野 敦訳<br />
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(Amazon)<br />
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昨年、所用で神保町を歩いていたら、東京堂書店のウィンドウに「ムントゥリャサ通りで」のポスターが貼ってあった。そのポスターは黒を基調とした、とてもアーティスティックなデザインだったが、著者の名前すら書いて無い。が、これを見て本を買う人なんているのかしら、と思ったが、たまたまわたしは著者を知っていた。ずっと気になっていた、宗教学者エリアーデの幻想小説だったからだ。思わず店に入って買い求めた。<br />
<br />
<br />
渋い小説だろうな。そう思って、しばらく積ん読にしていたが、今年に入って手に取り読み始めた。そうしたら、何と、めちゃめちゃ面白かった。「一読、巻を置く能わず」という言葉があるが、まさに一気読みの状態になった。<br />
<br />
<br />
この小説は意外にも、現代の「ほら男爵の冒険」である。いやあ、あの高尚かつ難解な宗教学者が、こんな話を書くんだなあ。<br />
<br />
<br />
主人公はさえない元小学校教員だ。彼の相手をするのは、非情で冷酷なルーマニア共産党の内務警察の面々である。ここらへん、共産主義独裁国ルーマニアから西側世界に亡命したエリアーデの人物造形は、いかにも冷静かつ的確だ。だが、主人公の取り留めのない物語が述べられるにつれて、いつのまにか彼らが端からバタバタとなぎ倒されていく。<br />
<br />
<br />
はじまりの場面は首都ブクレシュティ（ブカレスト）の、暑い夏の日。ムントゥリャサ通りという地名を地図で調べると、国会議事堂からも遠からぬ、街の中心部にある。主人公は拘束されてずっと街中にとどまるのだが、彼の語る物語は自在に広がり、遠く山岳地帯にまでのびていく・・<br />
<br />
<br />
幻想文学には悲劇的なものが多いが、これは読んでいて実に楽しい。まさに傑作である。<br />
<br />
<br />
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]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Wed, 27 Sep 2023 23:17:50 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-09-27T23:17:50+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title> 書評『データで読み解く中国経済』　川島博之・著</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/30427823/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/30427823/</guid>
      <description><![CDATA[「データで読み解く中国経済―やがて中国の失速がはじまる」Amazon<br />
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honto<br />
データで読み解く中国経済<br />
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社会にとって経済成長とか経済発展とは、どういうプロセスなのだろうか。そのことを時々考えている。そういうことを考えるのは、本来、経済学の仕事だろう。だが、この10年間ほど、経済学が人々からその信用を失った事はなかった、と感じる。<br />
<br />
<br />
なるほど、今でもエコノミストや経済学者は、論壇で活躍し、国の舵取りの指南をしている。でも、その結果、わたし達の社会は10年前に比べて、豊かになっただろうか。豊かさの方向に向かって、波しぶきを切って進んでいるだろうか。今ほど、わたし達の社会が、経済に関して自信喪失に陥った時期は無いのではないか。<br />
<br />
<br />
本書の著者・川島博之氏は東大農学部の先生である（本書執筆当時）。もともとの専門は化学工学で、工学博士の学位を環境工学の研究で得られた。専門はシステム分析、特に農業生産に関するシステム分析的な研究で知られる。経済学者ではない。<br />
<br />
<br />
そして本書の出版は、2012年11月。今から10年以上前の本だ。ちなみに本書の帯には、「中国は『失われた20年』へ突入した！」との煽り文句が、出版社によって描かれている。とりあえず今までのところ、この予言はあまり当たっていないように思われる。<br />
<br />
<br />
だとしたら、今、この本を読むのはなぜか。そして書評に書き、読者諸賢にも、手に取って見ることをお勧めする理由は何だろうか？<br />
<br />
<br />
答えは簡単だ。ここには普通の経済学者がやらない、経済成長に関するシステム工学的な分析が描かれているからだ。それも手に入りにくい、かつ信頼性に乏しいデータをもとに、いかに複雑な対象のシステムをモデリングしていくかについて、誠実かつ克明に記されている。この点が、本書の最大の価値である。<br />
<br />
<br />
ただし、ほとんどの読者は、この本を「中国論」の文脈で読むだろう。そして著者もそういう意図で書いている。今や中国を理解せずに、現代世界の動きを理解することはできない。だが「中国の理解」と言う時、これまでのほとんどの論者は、自分の得意とする分野や視点に限り、定性的に論じることがほとんどだった。中国政府が公開する統計データが信頼に足りないことも、大きな一因だ。それ故、多くの論者たちは、中国に対する自分たちの価値観や願望やら敵意をもとに、議論の弱さを補強してきた。<br />
<br />
<br />
しかし著者の川島氏は、あえてその方法をとらず、手に入り得る限りのデータをもとに、極めて多角的・多面的な分析を加えることで、立体的な中国像を描こうと努力している。<br />
<br />
<br />
その真骨頂は、第2章の、エネルギー消費量から始まる各種統計数字の分析である。90年代後半から2000年にかけての、中国のエネルギー消費量の数字には不自然な点がある。そこで一人当たりのエネルギー消費や、経済のエネルギー効率（石油換算1トンのエネルギーを使用して生産できるGDP）などのグラフを作って国際比較を行い、中国の石炭依存と、朱鎔基の国営工場改革から、実像を割り出していく。<br />
<br />
<br />
また、農業生産額・工業生産額やサービス生産額がGDPに占める割合と、一人当たりGDPの関係を他国と比較し、開発途上国としての中国における一人当たり農業生産が、都市住民に比べて、12.3%程度にしかならないことを指摘する。これはこの後の本書の論点に対する、重要なフックになっている。<br />
<br />
<br />
さらに、政府支出額がGDPに占める割合の分析から、社会主義国であるにもかかわらず、中国は大きな政府とは言えないことも指摘する。ただ、GDPに占める消費と投資の比率では、中国は44%が投資によっており、突出して高い比率であることを示している。「日本の高度成長も投資によって牽引されたものであったが、1970年頃になると低下し始めている。それに比べると、中国の投資の割合は高い水準を維持しており、（中略）奇跡の成長の秘密はここにあるようだ」（P.99）<br />
<br />
<br />
続く第3章では、著者は「中国統計年間」のデータをもとに、成長から取り残される農村社会について、いろいろな角度から分析する。周知の通り、中国の戸籍制度（「戸口」）は、都市戸籍と農村戸籍に分けられている。「農村戸籍の人は、年金制度や医療保険において、都市戸籍を持つ人よりも著しく不利になっている。」（p.109）。年金もなく、医療保険についても差別される。「都市に出た農民工が都市で、農民戸籍の女性と結婚しても、生まれた子供は農民戸籍になってしまい、都市の学校に通わせることができない」（p.109）。そのかわり、農民に対する農業収入には税金が課されない訳だが。<br />
<br />
<br />
中国における工業の発展と、農村生活が決して豊かとは言えないことから、農村から都市への人口流入が大きく続くことが見て取れる。では、その人達への住宅供給は、誰が行うのか？<br />
<br />
<br />
「中国の土地は公有制になっている。個人や企業が土地を所有することはできない。農地は多くの場合、村が所有している。農民は村から農地を借りて耕作を行う」（P.165）。ここに、もう一つのポイントがある。<br />
<br />
<br />
日中戦争の末期、日本軍が大陸から敗退し、「共産党は延安を根拠地にして、解放区と呼ばれる支配地域を少しずつ広げていった。解放区において、地主から土地を取り上げて、小作人に分配したのだが、このことは共産党が中華人民共和国を建国する上で、極めて重要な役割をになった」（P.167）<br />
<br />
<br />
何億人もの人口が農村から都市に流入する。その際の都市のインフラや住宅は、誰がどのように投資し供給してきたのか。それをコントロールしてきたのは、地方の共産党幹部であった。著者は土地開発公社が、100ヘクタール程度の都市近郊住宅造成の開発を行う場合の、不動産価格等の分析を行って、ほとんどタダ同然の値段で手に入れた農地が、1500億円相当の儲けを生み出すと推算している。ブルームバーグが推定する中国の裏マネーの総額は、この土地取引に関わる金額とほぼ同額になる。<br />
<br />
<br />
農業中心の社会が、近代化とともに、工業中心の社会に変わっていく時、農村から都市への大きな人口流動がある。そしてそれに伴って、鉄道、港湾、道路、河川等のインフラの整備が必要になる。教育、医療、スポーツなどのサービス施設も必要だ。それは高度成長期の日本でも求められたことだ。<br />
<br />
<br />
こうした実物資産、言い換えると社会資本がビルドアップしていく時、そこに経済価値が生まれる。このプロセスを整合性を持って進められるかどうか、また意思決定に透明性を持てるかどうかが、社会の成長や発展にとって致命的に重要になるのだろう。<br />
<br />
<br />
本来、これはまさに「プログラム・マネジメント」の領域である。そして、経済政策・産業育成政策は、投資プロジェクトのポートフォリオと、産業連関と、その効果測定によって計画され、コントロールされるべきなのだ。だが、これが一部の権力を持った政治家と開発業者たちの、私的な利潤追求の物語にすり変わってしまいがちなのが、現代社会の病根だろう。そうした権力者たちは、経済政策と言われると、不動産開発やイベントしか思い付かない、思考の欠乏症に陥りがちだ。<br />
<br />
<br />
本書の最後の部分は、中国における土地インフラ開発による経済成長が、ある種の踊り場にたどり着き、不動産のバブル崩壊が始まっていることから、中国の経済停滞が起きるだろうとの予測に紙数が使われている。ただし、中国共産党の支配体制は、そう簡単には崩壊しないと著者は予測する。<br />
<br />
<br />
「地方政府が農地の転用に際して、不当に手に入れた資金が奇跡の成長の原動力であった。しかしそれによる成長は行き詰まりつつある。それがバブル崩壊を引き起こしている」（p.301）――これが本書の基調をなす論点だ。<br />
<br />
<br />
しかし現実を見ると、著者が予言したような中国経済の失速は、あまり劇的な形では起きてこなかったように思う。コロナ禍による経済停滞はあったが、それは中国だけの現象ではない。<br />
<br />
<br />
このことは、システム分析による予測のある種の難しさを示している。システムがビルドアップしていくときは、比較的予測がしやすい。順々に発展していくからだ。ところがシステムの崩壊現象は、何らかのきっかけで短期間に突然起こる。こちらは具体的にいつ、どこが崩れるかを、正確に予測する事は難しい。ちょうどテーブルに荷重をどんどんかけていった場合に、いつどこの脚が重みで座屈するかを予測するのが難しいのに似ている。<br />
<br />
<br />
川島氏は、本書のいわば続編として、2015年に「データで読み解く中国の未来―中国脅威論は本当か」https://amzn.to/45LUSVC も出版しておられる（こちらは未読）。これもデータに基づくシステム分析のアプローチを展開しているようだ。川島氏には、わたしが主宰する「プロジェクト＆プログラム・アナリシス研究部会」でも、ずいぶん以前だが、一度講演をお願いしたこともある。その時のテーマは文字通り、『システム分析』であって、著書「戦略決定の方法」https://amzn.to/3PdBQ4X で展開された方法論を解説いただいた。<br />
<br />
<br />
システム分析とかシステム・アナリストといった職種・専門分野を名乗る人は多い。しかし、そのほとんどがIT分野における業務プロセスの分析とかITシステム要件の定義の仕事である。複雑でわかりにくい対象をモデリングし、価値観をもとにどのようなアプローチの戦略を立てるか、といった問題を論じられる人は少ない。まして、それをプログラム・マネジメントの視点に立脚して構築できる人は、ほとんど皆無に近い。<br />
<br />
<br />
だが、エコノミストの職分を含めて、私たちの社会で本当に必要とされるのは、結局のところ、そういった専門家＝本当のシステム分析家ではないだろうか？<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
＜関連エントリ＞<br />
「書評：「『戦略』決定の方法　〜ビジネス・シミュレーションの活かし方」　川島博之・著」 https://brevis.exblog.jp/22891611/ (2015-03-19)<br />
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]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sun, 27 Aug 2023 19:04:26 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-08-27T19:04:26+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評：「世界史とつなげて学ぶ 中国全史」岡本隆司・著</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/30359942/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/30359942/</guid>
      <description><![CDATA[「世界史とつなげて学ぶ 中国全史」<br />
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Amazon<source srcset="https://img.honto.jp/item/1/98/134/29762021_1.webp" type="image/webp">HONTO<br />
世界史をモデリングするーーシステム分析家やシステム・モデラーだったら、そういう課題に挑戦したいと思うかもしれない。そうでなくても、中国という隣国の成り立ちと行く末について、俯瞰的な立場から考えてみたいと感じる人は少なくあるまい。そういう人におすすめなのが、本書である。<br />
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<br />
著者は大学の先生で、歴史学者である。ふつうプロの学者というと、実証的で専門的な、ある意味で重箱の隅をつつくような、分野に特化した人を思う。分析的な、細かく分けて識別していくタイプの知的専門家だ。だが著者はまったく逆である。この人は、モデリングの人なのだ。<br />
<br />
<br />
著者のアプローチは、梅棹忠夫の「文明の生態史観」などに通じる。事実、冒頭の章で梅棹の文明的な地域区分の図が出てくる。ユーラシア大陸を、ざっくり東西に伸びた楕円形に模して、その中心を斜めに走る砂漠と周囲の乾燥地帯、そして両端のより湿潤な地域に区分した図である。乾燥地帯には遊牧が、湿潤地域には定着農業が生まれる。<br />
<br />
<br />
そして文明は、「農耕民と遊牧民の交流地帯から生まれた」(p.32)というのが著者の仮説だ。 この地域において交易が始まり、マーケットができた。その結果、「自然と言語が発達します。また紛争解決の手段として記録を残そうという話にもなるでしょう。」(p.39)という。<br />
<br />
<br />
中国の中心、とくに黄河流域の広大な平原を、『中原』とよぶ。中原はまさに、農耕民と遊牧民が行き交う場であった。中国史は中原の支配権をめぐる、農耕民と遊牧民のせめぎあいの歴史だったと言ってもいい。<br />
<br />
<br />
ちなみに「この国を『中国』と言う名称・固有名詞で呼ぶようになったのは、20世紀に入ってからです。」(p.52)という。とはいえ、本書では、他に呼びようもないからだろうが、中国の歴史を辿っていく。<br />
<br />
<br />
ユーラシア大陸の古代文明は、西方のオリエント（乾燥地帯と農耕の交わる場所）から発する。その社会は、城壁で囲まれた都市国家からなっていたが、古代中国の黄河流域でも同様であった<br />
<br />
<br />
この中原の地に、最初の大規模な国家を立てたのは秦であり、それを受け継いだのが漢王朝だった。当時北方では匈奴が、強大な遊牧民族国家を形成していた。万里の長城が匈奴の侵入を防ぐために建てられたのは、有名な話だ。<br />
<br />
<br />
著者は、漢王朝発展のプロセスは、時期的にもローマ帝国の発展と一致している、と指摘する。たしかにこうした並行現象に気づくと、世界史が見通しやすくなる。ユーラシアを東西に結ぶシルクロードを経由して、シルクなどの交易がすすみ、同時に文明的な制度も並行的に発達していく。<br />
<br />
<br />
この東西の帝国は、似た時期に隆盛から衰退に向かう。その理由として、著者は気候変動に注目する。「3世紀あたりから寒冷化局面が顕著になり、その底を打って温暖化に転じるのが、9〜10世紀頃である」(p.78)。このため、 「遊牧民は、生存のためにやむなく草原を求めて、南への移動を開始します。これが4から5世紀のヨーロッパを中心に各地で大混乱をもたらした。いわゆる『民族大移動』の契機をなすものです。」(p.81)という。<br />
<br />
<br />
匈奴の一部は南下して、中原に移り住み、中華と夷狄の雑居状態が出現する。また一部は西に動いて、フン族としてゲルマン民族大移動のきっかけを作り出す。これらは4世紀頃の出来事だ。<br />
<br />
<br />
寒冷化は、三つの変化を引き起こした。<br />
(1)城壁に囲まれた都市(邑)を中心とした社会から、地域の屯(村)への定住と自給自足的な社会への移行、<br />
(2)それに伴う貨幣経済と交易の衰退<br />
(3)政治軍事の中心（都市部）と経済生産の場所（農村部）との乖離、である。<br />
<br />
<br />
そして豊かな時代は一つの国だったものが、それぞれの地域で自給自足のブロック経済になっていく。その結果として、中国史は五胡十六国の時代に移る。続く南北朝時代には、支配階層として貴族階級が生まれてくる。<br />
<br />
<br />
この時代を支えたのが、一種の屯田制である。下層の人々を強制労働によって働かせ、農地を開墾し、生産性をなんとか確保する。軍人は中国では昔から、食い詰め者だったから、まさに屯田兵である。三国志で有名な曹操の政策は、まさにこれだ。<br />
<br />
<br />
さて、古代文明が栄えたのは、農耕のできる（灌漑可能な）高地だった。長安はその典型だが、水資源が枯渇すると、その地位が落ちていく。<br />
<br />
<br />
6世紀末に、300年ぶりに中原を統一したのが隋である。隋の煬帝は暴君として知られるが、彼は黄河流域と長江を結ぶ大運河を建設した。これにより、結果として隋以降は南方の開発が進む。これは大きな転換点であった。<br />
<br />
<br />
隋の跡を継いだ唐王朝の太宗・李世民は、中国史上屈指の名君とされる。彼の力量の源泉として、著者はトルコ系（突厥）の軍事力と、ソグド人（西域ウラル海地域のペルシャ系民族）の商業力を取り込んだことに求める。事実、唐はある意味、非常に多民族的な国家だった。<br />
<br />
<br />
ところで、多民族国家は、漢民族のための倫理規定である儒教だけでは、抑えきれない。そこに入ってきたのが世界宗教としての仏教だった。<br />
<br />
<br />
太宗の息子の嫁が、中国史上唯一の女帝・則天武后になったのも、仏教を利用してのことだった。しかしその孫、玄宗皇帝の頃になると、ソグド人の有力者・安禄山の乱などが起き、唐は次第に衰退に向かう。<br />
<br />
<br />
この8世紀から9世紀にかけてユーラシア大陸で起きていたのが、「中央アジアのトルコ化」だった。トルコが東アジアから西域に出て、交易などの支配権を持つようになるのだ。<br />
<br />
<br />
さて、唐から宋に王朝が交代する際に、『唐宋変革』という重要な概念が出てくる。「唐宋変革とは、唐と宋との間で起きた大きな社会変動であり、東洋史や中国史では必ず出てくる事象です」(p.183)。これは、唐の滅亡(907年)～五代十国時代～宋の建国(960年)あたりの出来事である。<br />
<br />
<br />
「中国では、この時期あたりから石炭の利用が始まりました。それも蒸し焼きにしたコークスにして、より強い火力を引き出していたようです。これによって木材の枯渇という局面を克服し、（中略）大量の金属生産が可能になります。つまりは工具や武器の生産が容易になるので、農業生産も戦争能力も高くなるわけです」(p.185)<br />
<br />
<br />
この時期、土木技術・農業技術の進展によって、低湿地を水田として利用できるようになった。これは古代の乾燥地の灌漑農業よりもはるかに、広大な農地を獲得できる。とくにその効果は長江下流の江南地域で大きく、ここが稲作地帯になる。実際、中国の人口の歴史的推移をみると、宋の時代から拡大を始め、14世紀や17世紀の揺り戻しはあるが、「巨大な人口を抱える中国」の基礎がこの時期にはじまることが分かる。<br />
<br />
<br />
この農業生産力が生み出した社会経済的効果は二つある。貨幣経済の拡大と、官僚制の発達である。経済拡大は、世界史発の紙幣発行につながる。また従来の生まれと血筋による貴族制度から、能力主義による官僚抜擢に比重が移っていく。<br />
<br />
<br />
この宋を滅ぼしたのが、モンゴルであった。「チンギス・カンの即位(1206年)から14世紀末までの200年弱を、世界史では『モンゴル時代』と呼んでいます」(p.230)。これはユーラシアの歴史の大転換だった。<br />
<br />
<br />
モンゴル帝国はユーラシアを東西に貫通し、実際に交通路や駅施設（ジャムチ）を設置した。元帝国は農業には税をかけず、商業の流通過程での徴収を財源にしていた。また宋では普及しなかった紙幣を広く流通させた。つまり、グローバル経済システムを構築していったわけだ。<br />
<br />
<br />
しかしモンゴル帝国の衰退を導いたのも、14世紀後半からの寒冷化だった。この時期、ヨーロッパでは「黒死病」（ペスト）が流行するが、悪疫は中国にも広がっていた。<br />
<br />
<br />
結局、モンゴル帝国崩壊後、ユーラシアは東西に分裂し、二度と統合されなかった。西にはチムールの帝国、東には明王朝が成立する。明は元の逆をいき、農業優先、そして鎖国政策（海禁）をしく。租税も農作物と労働力の提供で、貨幣を使わない現物主義の経済制度にする。<br />
<br />
<br />
しかし民間の経済・文化の隆盛とともに、流通貨幣としての銀の輸入に頼るようになり、鎖国政策は破綻していく。他方、都市化の進展と、旧来の官僚任命制度とのずれのために、官と民の関係がしだいに乖離していく。権力を持つ官の腐敗と、民間の勝手な行動。現代中国の社会意識の基礎は明朝時代に形成されるのだ。<br />
<br />
<br />
漢民族の国家だった明を最終的に打ち破ったのが、満洲民族の清である。最近の日本では「満州」とも書かれるが、正しくはサンズイの付いた「満洲」で、これは地域の名ではなく民族の名前だった。彼らは万里の長城の東端にある山海関をやぶって（というか関所の管理官が自分で開けて引き入れたのだが）、中原に侵入する。<br />
<br />
<br />
その清朝は、「究極の小さな政府」だったと著者は言う。少数民族の満洲が多数の漢民族その他を力で統治するのだから、それはある意味合理的な、あるいはやむを得ない選択だったのだろう。貨幣は各地域が独自に発行していた（雑種幣制）。<br />
<br />
<br />
その清王朝を揺るがしていったのは、じつは近代化した西洋諸国による侵入と植民地化だった。だが「小さい政府」では、国の近代化はできないのだ。そして日清戦争の敗北で、彼らにはじめて、「領土」の意識が出てくる。「もともとこの言葉（領土）は中国の漢語ではなく、日本語です」(p.417)。そして「中国」という国名を名乗ることも、この時期に明確になる。<br />
<br />
<br />
長くなったので、辛亥革命以後は、あえてふれないことにする。ただ、著者の問題認識は、とても明白だ。歴史の先生なのに、こんな事を書く「民間・経済から乖離した政治とは、単なる派閥争い・権力闘争で、コップの中の嵐というべきもの」だ(p.344)。だから、名前や出来事や年代など、覚える必要もない、という。<br />
<br />
<br />
また本書には、『中国人の国民性』による歴史の説明はない。わたし達がしばしば行う、文化や風土や民族性による歴史の解説は、著者のモデリング方法論にはないのだ。<br />
<br />
<br />
では、歴史社会のモデリングとは、どのようなアプローチで考えるべきか。それは、自然条件と気象が生態系を決め、生態系が人間の農業牧畜生産の形態を決め、農業形態が住居・社会の地理的構造を決めていく。それが経済と政治軍事のあり方を左右していく。こういう依存関係と因果の連鎖で、マクロな動きを見ていくのである。<br />
<br />
<br />
このような著者のアプローチには、もちろんいろいろと批判が可能だろう。乱暴な断定である、実証が乏しい、例外があれこれある・・等々。ただ、そうした批判は結局、「モデリング」という行為への違和感、無理解なのだと思われる。<br />
<br />
<br />
プラモデルを見て、「実物と違う」というのは簡単だ。だが、モデルとは現実を抽象化したものだ。それによって複雑な事象が理解しやすくなり、その動きを予測しやすくなる。それがモデルの効能なのである。英語の格言にある通りだ：”Models are all wrong. But they are useful.”<br />
<br />
<br />
歴史とは上に立つ人間、英雄や権力者の人格と感情のドラマだ、というのが多くの人の歴史観だろう。そしてこれは、中国古来の歴史記述のスタンスでもある。だがそこには自然環境や技術などの要素の入り込む余地が、きわめて乏しい。<br />
<br />
<br />
ユーラシア大陸では灌漑可能な乾燥地帯の高地に、古代文明が発生した。最初はオリエントで、それを遅れて追う形で、中原に文明が生まれる。その頃、湿潤な江南の地は未開だった。つまり南北格差問題があった。しかし運河の形成、そして火力や鉄などの技術開発は、次第に南をも豊かにしていく。<br />
<br />
<br />
中原の統一国家は、寒冷化により揺さぶられ、周辺の遊牧民族の侵入で揺さぶられる。そのピークがモンゴルだった。だが15世紀以後は大航海時代になり、東西のシルクロードの重要性が失われていく。かわりに出てきたのは、貿易で豊かな沿岸地域と内陸農業地域の格差、東西格差だ。これが現代中国にまで、難題として残っている。<br />
<br />
<br />
中国は、漢民族が多数派とはいえ、本質的に多元的・多地域的なエリアだ。そこを近代以降は「国民国家」としてまとめようとして、呻吟している。近代産業の時代、地域分権的な「小さな政府」では、発展のための戦略投資ができない。だから共産党が強権を握り続けているわけだ。<br />
<br />
<br />
だが、中国の統一国家が揺らぐ場合、決まったパターンが有る。それは「貧しい下層民が政権から乖離するとともに、富裕層が諸外国と結んで国家を顧みなくなること」(p.447)である。現代の中国の為政者が最も恐れているのは、まさにこの事態なのである。<br />
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]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 27 Jun 2023 10:44:41 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-06-27T10:44:41+09:00</dc:date>
    </item>
    <item>
      <title>書評2冊：河合雅雄「森林がサルを生んだ」、伊谷純一郎「チンパンジーの原野」</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/30317447/</link>
      <guid isPermaLInk="1">http://brevis.exblog.jp/30317447/</guid>
      <description><![CDATA[「森林がサルを生んだ―原罪の自然誌」　河合雅雄・著<br />
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「森林がサルを生んだ―原罪の自然誌」https://amzn.to/3M28hSd (Amazon)<br />
<br />
<br />
河合雅雄と伊谷純一郎は、日本のサル学を作り上げた今西錦司の高弟である。ともに京都大学教授となり、霊長類のフィールド研究と社会構造の理論構築に長年、従事してきた。<br />
<br />
<br />
河合雅雄「森林がサルを生んだ」は1979年、伊谷純一郎「チンパンジーの原野」は、1977年に出版された。どちらも学術書ではなく、一般書の位置づけで、雑誌「アニマ」の連載を元にしている。だが内容もアプローチも、とても対称的だ。2冊を読むと、ちょうど複眼視のように、人間社会の成り立ちが立体的に（ただし、まだ朦朧としているが）見えてくる。<br />
<br />
<br />
現代の生物学研究は、ネオダーウィニズムと分子進化論のパラダイムの中にあり、擬人的な解釈や表現は、科学にふさわしくないとして排除される。しかしサルは、社会的にも知的にも、かなり高度なものを持っている。その研究者は、彼らの感情や動機などを想像せざるをえない。だから河合雅雄は、（ゴリラが）「死んだゴリラの上に葉っぱをかけて去っていったという現象の中に、宗教に通じる何ものかを見出そうとするのは、擬人的に過ぎるという非難を甘受しなければならないだろうか」(P. 12)と書く。<br />
<br />
<br />
もっとも本書の主対象は文化現象ではない。もっと原初的なサルをふくむ霊長類の進化を、動物生態学のパースペクティブでとらえようとする。哺乳類は、爬虫類が開拓した生態的地位（ニッチ）をそっくり受け継いだが、「サルは森林の中に生活の場を開拓していった。爬虫類の中で、森林の樹上をすみ場所にしたものはなかった」 (P. 18)わけで、新しい開拓者なのである。そして、森林の樹上生活者を脅かす捕食者はほとんどなかったため、サル類は適応放散して分化していった、ととらえる。これが本書の出発点である。<br />
<br />
<br />
サルは森林の遊動生活を通じて、豊富な食物を手に入れ、食性により次第に個性化を強めていく。また樹上生活のため出産数を1頭にまでへらし、出産間隔を長くしていく。<br />
<br />
<br />
ところで、生まれてすぐに巣を離れる離巣性の動物は、行動を子孫に伝えるためには、遺伝しか方法がない。しかし群れ生活は、伝播できる行動のバラエティーを、大きく広げた。それにより、行動の模倣と、初期的な文化（有名なイモ洗い行動のような）が発生していく。無論、人間のような言語文化は、さらにそれを広げた訳だが。<br />
<br />
<br />
その先に続くのは、道具であった。「人類とは道具を使う動物である」とかつては言われたが、「野生チンパンジーの道具使用と製作が明らかにされたことによって、この定義はあえなく廃棄される運命になった」(P. 119)<br />
<br />
<br />
では、道具の主な目的は何か。欧米系の学者は、闘争における武器ではないか、と考えるようだ。ただ、著者は反論する。「ゴリラ、チンパンジー、ホエザルなどいくつかの種で、外敵に対して棒をふりまわす、木の枝を投げる、落とす、石をけとばすなどをして、威嚇や攻撃を試みることが観察されている。（中略）しかし、武器としての道具使用は、霊長類でも極めて貧困であり、むしろ食物獲得の問題に基盤を置いていると考える方が妥当なようだ」(P. 124)<br />
<br />
<br />
すなわち、道具の使用は、種としての食性的な適応能力の拡大にあった、との立場である。ある意味、たしかに適応能力の拡大こそが、進化の歴史だろう。もっとも、「適応は、生物の進化を可能にする原動力であるが、実は適応とは一体どういう性質のものなのか、生物学はまだその実態を明らかにしていない」(P. 142)とも釘を差している。<br />
<br />
<br />
さて、河合雅雄の研究上の大きな業績の1つは、ゲラダヒヒの社会が重層的な構造を持っていることを明らかにした点だ。ゴリラやチンパンジーなど霊長類でさえ、複雑だが単層的な社会構造しか持たない。しかしゲラダヒヒは小さな群れの上に、それを束ねた大きな群れ集団を持つ。まるで人間の氏族と地域社会みたいだ（無論、これは喩えである）。<br />
<br />
<br />
この社会構造のあり方は、「なわばり制」と関係があるらしい。「なわばり制を持つ種は、すべて単層の社会であることに注目する必要がある」(P. 181)<br />
<br />
<br />
なお、欧米の学者は、なわばりの原理をもとに、集団の形成から、人類の国家の起源までをつなげて考える傾向があるらしい。そこに貫通するのは、互いの生存競争と集団間の闘争の視点である。しかし著者はこの見解に批判的だ。狩猟採集民の調査によって、彼らの社会には、なわばり制がないことが明らかになってきたからだ。<br />
<br />
<br />
そして結局、本書の関心は、サルの集団構造と、個体間の闘争や殺し合いの問題に収斂していく。「集団を作る肉食獣は、仲間を殺したり食べたりすることがかなり一般的であるようだ。この理由はまだはっきりしないが、1つの解釈はポピュレーションの自己調節と言うことに求められるだろう」(P. 240)。本書の副題が「原罪の自然史」となっているゆえんだ。<br />
<br />
<br />
著者がなぜこのような問題意識で本を書いたかについては、あとがきでようやく明らかになる。当時、著者は日本政府の援助を得て、エチオピア南部に国立公園を建設し、調査を行うプロジェクトを進めつつあった。しかし、エリトリア及びソマリアとの内戦が激化し、涙をのんで中止の決断をせざるを得なかった。「私は効果不幸か、ウガンダとエチオピアの革命の際に現地にいた。そしてアフリカの政情や、今回のエチオピアの紛争でも、人間の計り知れない闘争性と権勢欲を如実に感じてきた。(中略)また、開発途上国と言われる国の人々が、西洋文明を摂取することによって、いかに素朴な人々の心をすさませて行くかを、肌で感じてきた」(P. 252)<br />
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人類という、様々な長所を持ちつつ、強い攻撃性も内包した生き物が、なぜ出現したのか。人類は霊長類から分岐して進化したわけだが、霊長類は他の哺乳類とはかなり異なった特性を内包している。その理由は、森林を生息場所にしているという生態学的背景から考察してみたいというのが、本書の目的意識である。その問いに、必ずしも決定打となる答えを出してはいないが、数多くのヒントが散りばめられている。そんな求心力のある本である。<br />
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「チンパンジーの原野―野生の論理を求めて」　伊谷純一郎・著<br />
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「チンパンジーの原野―野生の論理を求めて」　https://amzn.to/3VMb19O (Amazon)<br />
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伊谷純一郎の「チンパンジーの原野」は、非常に不思議な本である。サルに関する研究の本かと思って本書を開くと、第1章から第2章、第3章と、ずっと西部タンザニアの調査紀行が旅行記風につづられ、現地のトゥングウェと言う人々の文化人類学的な記述が続いていく。チンパンジーの話が出てくるのはようやく前半3分の1を過ぎてからである。<br />
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ただし、この文化人類学的な分析が、淡々と書かれている割に、半端な深さではない。著者はトゥングウェの言語と習慣に精通し、彼らの生活を取り巻く多様な動物・植物が、その言語空間の中でどのように定義され分類されているかを、学名との対比の形で、精緻に洗い出す。これは生物学者としての訓練を受けた研究者でなければ、できない仕事だ。<br />
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さて、4章からしばらくは、チンパンジー集団の観察方法と分析の実践がつづく。移動性の高い野生動物群の観察というのは、とほうもなく時間と工夫と忍耐力のかかる仕事だが、GPSもデジカメもない時代のアフリカで、著者らはそれを実現する。研究の主題はなにか。それは、サルと人間の、社会構造の分析である。<br />
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「霊長類の社会構造の発展の歴史は、より多くの個体との交渉を保とうという傾向と、特定の集団の安定した結びつきを達成しようという、背反する2本の糸に操られてきたということができる」(P. 148、傍線は筆者)と著者は書く。これはまさに、体系的理論家でもある伊谷純一郎がこの問題に対して引いた、見事な補助線であろう。<br />
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チンパンジーの社会構造を調べつつ、群れがオス同士の結びつきを媒介にして、安定して継承されていくことに着目する。それは世代間の継承のない、ゴリラなどとの違いでもある。<br />
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本書は第8章から再び、ムブティ・ピグミーという森に住む狩猟採集民との交流と記述になり、最後に「損失の社会学—孤猿・仔殺し・カニバリズム」「混交の社会学—混群・交雑・収斂」の2章の考察でまとめられる。<br />
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霊長類には子殺しや同族を食べるカニバリズムの現象も多くの観察が積み上がっている。「人類の祖先の化石の中に、おびただしいカニバリズムの痕跡が残されていることも思い起こさなければならない。(中略)同時に、この一連の現象が、高等霊長類に至って目立って増えていることにも注目する必要がある。それは、進化を遂げたが故に、本能の絆から半ば解かれたが故に、現れてきた現象だと言うことを意味している」(P.300)。そして、ローレンツらのエソロジーが、進化した霊長類に単純にその論理を外挿する傾向をいましめている。<br />
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<br />
著者はさらに、サルにはしばしば異なる種からなる群れが存在し、その交雑が見られることを手がかりに、「高等霊長類の進化は、種の分化だけではなく、いくつもの種の収斂が大きな役割を果たしてきた事はまず間違いがない。そして、我々人類も、混交に混交を重ねながら、ホモ・サピエンスへと収斂していった歴史をもっているにちがいない」(P. 319-320)と、かなり大胆な推論をする。<br />
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分子進化と自然選択によって生物のありようが説明できる、というのがネオ・ダーウィニズムのパラダイムである。しかし高度な知能を持つ霊長類の場合、記憶・判断・意思・推測・感情など複雑な脳の内部状態を持っているため、単純な外界反応のメカニズムだけでは行動を説明するのが難しい。とくに集団（社会）と文化（伝承される習慣）を持ち始めれば、なおさらである。そこを動物社会学の切り口で、ほとんど構造主義のような視点を持って挑み続けているのが、日本のサル学の面白さであろう。<br />
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それと同時に、河合雅雄や伊谷純一郎らの著書をよんで感じるのは、英米の研究者達が無意識に前提する、「生存競争となわばり闘争」中心の視点への違和感である。サルや人の社会に、様々な形での同族への攻撃性が存在するのは、研究からも明らかだ。しかし同時に、継承されサステイナブルな集団社会を形成する能力も発達してきたことも、見過ごしてはならない。おそらく、社会には存続と刷新の、両面の力がつねに必要なのだ。その両面を見る視点こそ、日本のサル学のポテンシャルなのだろう。<br />
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]]></description>
      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Tue, 09 May 2023 15:12:36 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-05-09T15:12:36+09:00</dc:date>
    </item>
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      <title>書評2冊：「対談 パウロを語る」（佐古純一郎・井上洋治）、「使徒パウロ 伝道にかけた生涯」（佐竹明）</title>
      <link>http://brevis.exblog.jp/30291583/</link>
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      <description><![CDATA[「対談 パウロを語る」　佐古純一郎・井上洋治著　　<br />
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『対談 パウロを語る』（Amazon）<br />
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パウロという人は、「キリスト教」を作った人だ。——こう書くと、「え、キリスト教ってイエス・キリストが始めた宗教じゃないの？」という疑問の声が上がりそうな気がする。それはYesでもありNoでもある。<br />
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ナザレのイエスという人は、ユダヤ教から出てきた宗教改革者だった。ローマ帝国支配下にあえぐユダヤ人社会にあって、かなりラディカルな改革の主張と宣教をし、結局はユダヤ人支配階層から憎まれて、首都エルサレムで十字架刑で亡くなった。だが彼は、自分がキリスト（これ自体はギリシャ語で、ヘブライ語のメシア＝油を注がれ聖別された者、に相当する）だと皆に言って回った訳でもなく、自分は神の子だと宣伝した訳でもない（自分は「人の子」だといっている）。<br />
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では、彼が神の子であり、人類皆の罪をあがなうために十字架上で亡くなった、という主張（信仰）は誰がはじめたか。それは彼の弟子たちだった。イエスに直接付き従った12人の弟子たちは、イエスが捕らえられた晩、全員が逃げてしまうのだが、後に「じつはイエスは復活された、わたし達が証人だ」と神殿などで言い出すようになる。ただ彼らは主にエルサレムにとどまり、ユダヤ人達にそのメッセージを伝えていた。そして、そのままだったら、キリスト教はきっと今日でも、パレスチナの一部地方にとどまって、中東の奇妙な宗教の一派と見なされるだけだったかも知れない。<br />
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キリスト教が現代のように広まったのは、広大なローマ帝国の、様々な民族の人達（ユダヤ人から見ると「異邦人」）に信じられ、後にはローマの国教となったからだった。そして、その基礎を作ったのが、パウロという人なのである。パウロ自身は元々、熱心なユダヤ教徒であり、若い頃はキリスト教徒を迫害する側だった。だがある時、（伝承によればダマスカスへの旅の途上で）劇的な回心を遂げる。そして、その後はきわめて精力的にローマ帝国の東半分を布教して歩き、最後にローマで殉教する。<br />
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イエス自身は、書いた物を一切残さなかった。しかしパウロは数多くの手紙を残している。キリスト教の聖典である「新約聖書」には、イエスの伝記である『福音書』4種類に加えて、10数通に及ぶパウロの手紙が収録されている。そしてパウロの手紙は4福音書よりも時代がずっと早く、そういう点では史料としての価値が高い。<br />
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だがパウロ自身は、生前のイエスには直接あったことがないのだ。なのに、「キリストとしてのイエス」の熱烈な弟子となり、今日のキリスト教の基礎を作った。不思議な人である。彼の思想や動機はいかなるものだったのか。<br />
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彼の手紙自体は、あまり具体的なエピソードや体験談やたとえ話が殆どなく、けっこう抽象度の高い説諭みたいな文体が続く。また主知的で霊肉二元論みたいなところは、今ひとつなじめなかった。とても分かりにくい人に、わたしには感じられてきが、今回あえて、2冊の本を取り上げ、よんでみた。そして確かに、この2冊はパウロという人の核心に、かなり迫る手がかりを与えてくれるものだった。<br />
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「対談 パウロを語る」は、プロテスタントの牧師である佐古純一郎師と、カトリックの神父・井上洋治師との対談である。二人とも学識の深い宗教者だ。<br />
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佐古師は最初の方で、弟子たちの中での「ヘブライストとヘレニストの対立」という視点を提示する。十二弟子たちは基本、エルサレムにいてユダヤ教の枠組みの中にとどまっている（ヘブライスト）。しかしギリシャ語を話すヘレニストの弟子たちは、神殿の権威と真っ向からぶつかるため、最初の殉教者ステファノのように厳しい迫害を受ける。そしてパウロは、このヘレニストの側に立っている、と。<br />
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ヘブライストとは、エルサレムを中心とするユダヤ地方にすみ、伝統的なユダヤ教、すなわち神殿に詣で、律法中心の暮らし方をしていた人達だ。他方、ヘレニストとはユダヤ地方を遠く離れて、地中海沿岸の様々な場所に暮らし、主にギリシャ語（当時の世界語だった）を話していたユダヤ人たちのことだ。パウロ自身はタルソスという（現在はトルコに属する）街の出身で、ヘレニストである。<br />
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エルサレム神殿から遠く離れていた彼らヘレニストのユダヤ人にとって、自分たちの義、正しさの根拠となるのは律法のみだった。かなり複雑な律法の細目にどれだけ忠実に従えるか。でもそれは多くの庶民にとっては困難な道だった。回心後のパウロは、そうした律法に依拠した自己義認をナンセンスと批判し、信仰によってのみ人は神から義とされ、救われると説いた。<br />
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回心したパウロの後半生で、一番大きな転換点となったのは、起源48年頃と推定される、「使徒会議（エルサレム会議）」であった。エルサレムにのぼったパウロは、そこでペテロやヤコブらヘブライストの使徒たちと話し合う。そして、ユダヤ人への布教は彼らが担い、パウロは外国とくに異邦人への伝道を主に行う、という分担が成立したのだった。パウロの長大な伝道旅行は、ある意味これに始まる。<br />
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<br />
パウロはすでにアンティオキアの教会に拠点を持っていたが、小アジアとギリシャ世界をせめていく。アテネでは失敗したようだが、交通の要所コリントにはしばらく滞在し、教会を作っていく。彼の遺した手紙の多くは、自分が築き上げて残した各地の教会コミュニティへの、フォローアップのメッセージだった。<br />
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<br />
唯一最大の例外は「ローマの教会への手紙」で、これはまだ訪れる前のローマにあてた、神学論を含むかなり長い文書だった。結局、ローマの市民権を持っていたパウロは、エルサレムで捕らえられた裁判への不服を皇帝に上訴するため、ローマに赴き、そこで殉教する。紀元61年か62年頃のことだ。<br />
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<br />
ちなみにパウロの生涯を知る手がかりとして、彼自身の手紙以外に、ルカが著した「使徒言行録」がある。これは成立がおそらく紀元80年代で、パウロの死後かなり経ってからのものだが、なぜかパウロがローマでも伝道に従事したと書いて結びとしており、殉教した事は書いていない。<br />
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<br />
「使徒言行録」も新約聖書に含まれており聖典だが、その記事にどこまで信憑性を求めるかで、著者らはかなり微妙な瀬踏みをしている。逆に言うと、ルター派の佐古師もカトリックの井上師も、聖書を文字通り一字一句真実だと信じる「キリスト教原理主義」からは、ほど遠いということだ。<br />
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<br />
本書の対談をよんで、いままで平板だったパウロ像が、少しは立体的に感じられるようになった。でも本書の一番面白いところはむしろ、後半の第4章・第5章あたりで交わされる、日本における布教の難しさに関する、お互いへの吐露だろう。<br />
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「北海道から沖縄までの中都市ぐらいはほぼ伝道に参ったのですけれども、行く先々で、牧師は大体皆、『佐古先生、この町が一番伝道が難しいんですよ』と言うんです、どこへ行っても」（佐古純一郎、P.156）。<br />
「結局、ヤソと赤（注：キリスト教と共産主義の蔑称）というのは、要するにヨーロッパの言わば『個』の文化を代表するようなもので、日本の『場』の文化を破壊するものであるという、非常に本能的な民族の直感があるんだと思うんです」（井上洋治、P.232）<br />
「日本人が一番優秀な民族だというような選民思想ですね、それをぶち壊すのがイエスの教えだと思うんですよ」（佐古純一郎、P.239）。<br />
「私はね、だいたい、『キリスト教』と言うよりも、『キリスト道』と言うべきだと思うんです。」（井上洋治、P.218）<br />
・・こうした発言は、生涯、日本での伝道に従事しながら、なかなかキリスト教が浸透していかないお二人の心情を表す発言だと思う。<br />
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<br />
だからこそ、地中海世界に伝道していったパウロの苦心と力量への、畏敬の念へとつながるのだ。なぜなら、彼が布教した相手は、ユダヤ教徒は全く異なる文化背景を持つ国々だったからだ。当時の地中海世界はローマ帝国が政治・武力面では支配していたが、知的な面ではギリシャ文化の影響が強かった。<br />
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そして、ギリシャには復活信仰という考え方がなかった。アテネでの宣教の失敗はその点が強かったらしい。「体というのは非常に問題なんですね、ギリシャ人にとっては」（井上洋治、P.149）。だが復活こそ、キリスト教信仰の中核にあるものなのだ。<br />
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その後のパウロは、「ユダヤ人のためにはユダヤ人になり、異邦人のためには異邦人になる、すべての人を得るためである」（コリント書第9章）とあるように、人を見て法を説くことに徹していく。著者二人が最も共感するのは、この点なのだろう。現代日本のキリスト教は、明治になってから、欧米人によって再び持ち込まれたものだ。それは舶来文明の後光を背負っていたが、日本人にはとても異質に感じられるものでもあった。その点を乗り越えて、日本人のためのキリスト教を見いだしたい、という強い思いを、対談の結びに感じるのである。<br />
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「使徒パウロ　伝道にかけた生涯」佐竹明・著<br />
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『使徒パウロ　伝道にかけた生涯』(Amazon)<br />
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本書はもともと、一般人向けの優れた入門書が多いNHKブックスの1冊として、刊行された。なので当初は何となく、信者向けの「聖人伝」みたいな本かな、と思っていたが、読み始めてまったく違うので襟を正した。これは本格的かつ客観的な記述による学術書である。（その後2008年に新版が新教出版社から出ている）<br />
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そのことは、弟子ペテロたちが復活したイエスに出会う、キリスト教徒にとって極めて重要な出来事を、ペテロらの「幻視体験」と書く点でも、明らかだ。同じように、キリストが亡くなって数年後（おそらく紀元33年頃）にあった、パウロの劇的な回心のエピソードについても、幻視体験と述べている。なお、「幻視体験そのものは、当時にあっては珍しいものではなかった。（中略）黙示思想家達は断食、祈りなどによって、そのような体験をする準備すらした」(p. 69)という。<br />
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著者は最初に、ユダヤ教の史的背景についてふれ、イスラエルの預言者の活動は前6世紀の王国崩壊の頃に終熄し、新約時代まで続いていた、との記述で始める。預言者達の沈黙・不在をカバーしたのが、律法主義であった。「神はもっぱら律法を通してその意志を人びとに伝達する」（P.14）というのが、パウロが生まれた頃のユダヤ教であった。<br />
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<br />
イエスはこのような時代に現れて、父なる神は直接人びとを、それも律法を守り得ないような下層の人びとをも招いていると説いた。律法主義を軽んじる布教活動ゆえに、ユダヤ教指導者と衝突し、最後は刑死することになる。<br />
<br />
<br />
ところでこの時代、ユダヤ教自体もローマ帝国内で積極的に伝道を行っており、それなりに成功していたらしい。ユダヤ教への改宗者もユダヤ人とされ、ローマ帝国内総人口の約7%、450万人に達していたという（P.96）。すでに領域内の多くの都市にユダヤ人は住んでいた。<br />
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<br />
パウロもその一人であった。パウロはギリシャ名であって、サウロというユダヤ名ももっていた。当時、そのように二つの名を持つのは一般的であったらしい。パウロは当初、熱心なユダヤ教徒として、新しく出現したユダヤ教からの逸脱者（ナザレのイエスが救世主メシアであったと信じる人達）の迫害に、シリアで従事していた。<br />
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その彼が突然、ダマスカスへの旅の途上で180度転換し、イエスこそキリストであると信じるようになる（もっとも回心後3年間はアラビアに隠棲して、しばらく宗教活動を控えていたらしい）。その回心の本当の理由は、直接資料も乏しく、我々には分からない。<br />
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<br />
パウロは、キリストの死と復活という出来事に、神の歴史への介入を見たのだ、と著者の佐竹明氏は書く。「神はまもなく歴史に介入し、その結果今の世は終わって新しい世が始まるとする、ユダヤ教の黙示思想」を下敷きとして、ただし神の介入は「全くちがう形で実現した」と受けとった、という（P.80）。すなわち、世界規模の（神による）歴史の転換、神の計画の変更としてキリストの十字架をとらえた点が、イエスの直接の弟子たちと違う、パウロのユニーク性かと思われる。<br />
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<br />
回心と同時に、パウロは「異邦人への伝道こそ神に与えられた自分の使命である」との確信をもつようになる（「召命」とよぶ）。最初はアンティオキアの（おそらくエルサレムを追放されたヘレニスト信者達が作った）教会を拠点とし、後に広大な東地中海世界を布教して回る。それは、多神教世界への伝道であった。ユダヤ教とキリスト教は、強烈な一神教である点が特徴になっており、偶像（様々な神の姿を作って拝む行為）の排除が、その布教伝道の中心になったと想像される。<br />
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<br />
ところで、「対談 パウロを語る」にもふれられているように、紀元48年のエルサレム使徒会議は、パウロの活動にとって重大なメルクマールであった。この会議で、パウロは異教徒への伝道を、エルサレム教会から正式に任せられる。この当時、エルサレム教会の指導的役割をしていたのは、（ペテロではなく）イエスの弟ヤコブであったらしい。ヤコブはより厳格な律法遵守の立場を取っていたようだ。<br />
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他方パウロは、イエス・キリストの復活は律法の終わりを意味する、と考えている。両者は律法問題、とくに割礼と食物禁忌で立場の違いがあらわになっていく。そして翌年のアンティオキアの衝突（訪問したペテロの中途半端な態度について、パウロが批判した）がおきる。この事件をきっかけに、パウロはそれまで後ろ盾だったアンティオキア教会とも疎遠になり、独立して使徒としての伝道活動に踏み出すのである。<br />
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<br />
ちなみに当時、「使徒」は身分称号であったようだ。そしてパウロは自分を使徒と呼んでいるが、ルカの「使徒行伝」は、彼を使徒と呼ぶことを避けている。ここらへんに、パウロの同行者であり協力者だったはずのルカの、微妙な立ち位置が知られる。ルカはキリスト教がローマ帝国を救済する宗教となる、との史観で記述しているらしく、著者の佐竹明氏は、ルカの使徒行伝の史料価値には、かなりの留保をおいて参照している。<br />
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<br />
パウロの没年は正確には分かっていない。本書では紀元59年ごろ、ローマに移送されて直後に処刑されたとしているが、遅い推定では67年頃との説もある。<br />
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<br />
パウロという人の書簡を読む際に、気をつけるべき点が一つある。それは、パウロが、世の終わりとキリストの再臨はもうじきに来る、と信じていた点だ。これは本書での学びの一つだった。「キリストの十字架と復活は終末の開始に他ならず——一般に、神の歴史への介入は終末期の出来事として期待されていた——、その終末はしかし、まもなく完成するはずのものであった。その点、それから2000年近く経ち、もはや十字架と復活を少なくとも時間的な意味での終末の開始ととらえることのできなくなったわれわれとは、受け取り方がちがう」（p.192）。<br />
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「悔い改めよ！　神の国の到来は近い」とのメッセージは、洗礼者ヨハネも、その弟子筋であったイエスも、さらにその（間接的に）弟子であったパウロも、共通して訴えていたことだった。以来、2千年。とりあえず、わたし達はまだ、世の終わりの到来を見ていない。<br />
<br />
<br />
それとも、すでに今の世は、末世の状態にあるのだろうか。わたし達はいつになったら、暴力と専横の歴史から学んで、多民族間の平和と互いへの尊重に生きることができるようになるのだろうか？<br />
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      <dc:subject>G 書評</dc:subject>
      <dc:creator>Tomoichi_Sato</dc:creator>
      <pubDate>Sat, 08 Apr 2023 16:18:13 +0900</pubDate>
      <dc:date>2023-04-08T16:18:13+09:00</dc:date>
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