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書評: 「採用基準」 伊賀泰代

採用基準 地頭より論理的思考力より大切なもの

「マッキンゼーの採用マネジャーを12年務めた著者が初めて語る - 地頭より論理的思考力より大切なもの」が表紙の惹句である。これだけで、出版社がどのような読者層に何をアピールしようとしているか、よく分かる。『マッキンゼー』という、外資系コンサルの中でも最高級のブランドにあこがれ、その採用の基準を知ってみたいと感じる読者がターゲットであろう。

ところで、実際に読んでみると、採用基準に関する話題はこの本のボリュームの4割程度で、あとの6割は『リーダーシップ』に関する説明である。著者も、もっぱらこちらを訴えたかったにちがいない。日本ではリーダーシップの概念がうまく理解されていない、と繰り返し著者は書く。しかしマッキンゼーが採用にあたって最も重視するのは、地頭の良さでも論理的思考力でもなく、「将来、グローバルリーダーとして活躍できるポテンシャルである」(p.34)という。

では、そのリーダーシップとは何か。ごく一部の人間だけでなく、組織の構成員全員に求められるリーダーシップとは、どのようなものなのか。

著者は、事故で電車が止まったとき駅のタクシー乗り場にできる、長い行列の例で説明する。「海外ではこういう場合、必ず誰かが相乗りを誘い始めます。」(p.198) これがリーダーシップの発揮なのである。しかし日本人はもくもくと列に並び、一人ずつタクシーに乗っていく。誰かに指示されれば、たぶん素直に相乗りを始めるだろう。ただ、そういう役割を自分でやろう、という気が全く無いのがこの国の人の特徴だ、と指摘する。

マッキンゼーでは、「全員がリーダーシップを発揮して問題解決を進める」(p.75)前提で仕事が進む。「全員がリーダーシップをもっているチームでは、議論の段階では全メンバーが『自分がリーダーの立場であったら』という前提で、『私ならばこういう決断をする』というスタンスで意見を述べます」(p.128)- だからこそ、高いパフォーマンスをもった組織が生まれる、という。なんとなれば、「わたし達が職場でしばしば目にする、リーダーに対する建設的でない批判の大半は、『成果にコミットしていない人たち』によって」なされるからである。

ちなみに、著者によれば、「実はリーダーシップと常にセットで考える必要があるのが『成果主義』なのです」「成果主義とは、『努力でもプロセスでもなく、結果を問う』という考えであり、成果主義を原則とする環境でなければ、リーダーシップは必要とされません。」(p.87)という。これは、通常の日本企業の成果主義よりもはるかに厳しい要請である。

では、リーダーとは具体的にどのようなアクションをとる人なのか。著者は「目標を掲げる」「先頭を走る」「決める」「伝える」という4点をあげ、さらにマッキンゼーでそれをどのように育てていくかを語る。リーダーシップは生まれつきの資質ではなく、学んで向上させることができる技量である、という強い信念があるようだ。

著者のいうリーダーシップを、読者として自分なりに言いかえてみると、すなわち、目的志向で、目標達成に主体的にコミットし、問題を解決するために自らチャレンジし、また人を動かしていく態度と能力のことだろう、と想像する。それは確かに、とても大切な技量だ。それは、その反対の条件を考えてみると、よく分かる。

主体性  ←→ 指示待ち
目的志向 ←→ 形式(手続き)主義
影響力  ←→ 従順、無批判、付和雷同
チャレンジ精神 ←→ 事なかれ主義

でも、考えてみると、左側の条件を満たす人材は、日本のどこの会社だって求めているのではないだろうか。「ウチは従順で事なかれ主義の、指示待ち人間だけを採用するから」などと公言する経営者はいるまい。

それならば、日本にはなぜ、リーダーシップを持つ人の総量が足りないのか。著者は、今の日本の問題は「カリスマリーダーの不在ではなく、リーダーシップを発揮できる人数の少なさにある」(p.180)とする。そして、その理由を、日本企業の中央集権型ガバナンスで説明する。「中央集権体制とは、求められるリーダーシップ・キャパシティがきわめて少ない、上意下達を旨とする体制なのです」「日本でそういった体制が長く続いてきたひとつの理由は、経済が発展途上期であったということです。中央集権型のシステムは、ニーズが画一的な世界に向いています」(p.209)

だが、そのような体制が、逆に飽和市場社会となった日本を苦境に追い込んだ。だから現在の日本を救うには、もっともっと多くの人が、リーダーシップを身につける必要があり、そのために企業も公教育も仕組みをととのえるべきだ、というのが主張である。

本書の主張は非常に明確で、かつ具体例も多く、面白い。著者のいうリーダーシップというものも、身につけられればとても素晴らしい、と読んでいて率直に感じた。しかし、この後は少しだけ批判を述べさせていただく。

まず、このような「全員がリーダーシップを発揮する」仕事の組織は、経営コンサルティングという業態に一番マッチしていることを、指摘しておきたい。経営コンサルタントの仕事は普通、クライアントの依頼をうけて、特定の課題解決のための調査と提案を行う、個別性の高い業務だ。リーダーの元、何人かのコンサルタントがチームを組んで行う。チーム内は各人の得意分野に応じて、緩やかな分業で仕事が進む。階層はフラットで、知的で創造的な仕事ぶりがむしろ求められる。チームの総人数が1ダースを超えるような大規模な仕事は、あまり多くない。仕事のスパンも数ヶ月単位が多い。すなわち、すぐに成果(売上や顧客の評価)が得られる業態なのである。

逆に、非常に大規模な人数の組織が必要で、結果として階層的な指示系統が必須で、かつ軍隊的な規律が必要とされ、全体の成果が出るまで何年もかかる種類の仕事というのも、世の中には存在する。そうした組織で、末端が皆、独自の考えと主張をもち、指示された内容も自主的に自由に選択して動かれたら、メリットよりデメリットの方が大きくなりそうだ。「自分がリーダーだったらこう決断する」、という表明も、必要な情報の全体像が得られない下位ポジションの人間が主張したら、独りよがりで滑稽なだけである。

日本企業の苦境が、リーダーシップの総量の不足によるものだ、という説明も、本当だろうか、と疑問を持つ。というのも、米国の大企業でも、社員が事なかれで形式主義で、上の顔ばかり見ている組織を知っているからである。リーダーシップを持ち優秀な人間は、ほんの一握りしかいない。それでも、非常に大きな利益をあげている。ビジネスモデルのおかげか、政治的権益のおかげか、それとも一部の優秀な人間のおかげか、判断は微妙である。

また逆に、1970年代後半から80年代にかけては、日本企業が光り輝いて見え、逆に米国企業は利益と自信を失っていた時期だった。だから、まさにこの時期、マッキンゼーに代表される経営コンサルティング業界が米国で成長したのであった。では、あのときは、米国のリーダーシップの総量が少なく、日本には沢山あったのだろうか? そうでもあるまい。だとしたら、リーダーシップと組織の成果(業績)は、必ずしも一致しないことがあるように思われる。

とはいえ本書は、示唆するところも多い。社会福祉の仕組みについて、人々がリーダーシップを発揮してともに助け合うような世の中の方が、結局は経済的だという主張は賛同できる。「共助システムが増えれば増えるほど、公助への負担は少なくなります。反対に、リーダーシップの総量が不足する国では、何もかもお金と公的な制度で解決せざるを得なくなり、とめどなく予算が必要となります」(p.187)

コンサルタントに必要な頭の良さとは、分析力よりも、問題解決案を考える能力だというのも、重要な指摘だ。とくに、著者が『知的体力』と呼ぶ、(正解のない問題を)何時間でも何日でも考え続ける能力は、ほとんどの人が見落としている、大事なポイントだと思う。ほんの数時間のケース面接でふらふらになってしまうような知的体力の乏しい応募者では、先々こまるのだ。そうした若者は、いつも正解のある問題ばかりに取り組み、記憶のストックの中から正解を探し続けてきたのだろう。わたし達に必要なのは、著者のいうリーダーシップとともに、この知的体力の向上だろうと考える。
by Tomoichi_Sato | 2013-05-11 09:48 | 書評 | Comments(3)

書評:「その未来はどうなの?」 橋本治

その未来はどうなの? (集英社新書)

昨年の8月に出たばかりの橋本治の近著。あとがきによると彼は重い病気でしばらく入院しており、やっと退院した後で出した最初の本らしい。そういう状態で書かれた本書は、しかし、彼の最近の著作の中でも最も出来の良い優れた評論集だと思う。

連続したエッセイの形でテレビ、ドラマ、出版、シャッター商店街と結婚、男女、歴史などの未来について論じている。テーマの選び方がいかにも橋本流であり、そしてどれも非常に面白い。

たとえば彼はTPP (環太平洋パートナーシップ協定)に加入した後の未来について論じているが、加入後にどうなるかは分からないと、最初にはっきりと書く。しかし「どうすべきか」という問題の立て方をしなければいけないのに、「どうなるのか」というパッシブな思考方法では、出発点からして間違っている訳だ。

「『初めに結論ありき』のこの国では、考えられるメリットとデメリットをあらかじめ提示して、その後に判断を仰ぐという習慣がないので、賛成側が一方的に賛成意見をいい、反対側が一方的に反対意見を言うだけ」だと彼は指摘する(p142)。

「(双方とも)前向きな結論だけを求めていて、その結論にいたるのを妨げるものは、『ない』にしてしまう傾向があります。だから、本当の問題が何なのかは見えなくて、いざというときにはこうすればいいという危機対策もいい加減になってしまう傾向があるのです。」(p146) ー だから想定外の事象に立ち向かえないのだと、彼は断じる。

その同じ傾向は、ドラマの未来を考える局面でも現れる。近代日本のエンターテインメントの源流の1つに講談がある、と彼はいう。今でもその名を冠する大出版社があるくらいだが、「講談は、近代前期の日本人の中に、どんな無茶なことでもなんとかしようと思えば何とかなる、と言うとんでもなく前向きな世界観を確立してしまいます。」(p36)。

その流れを受け継いだ典型は、吉川英治の「宮本武蔵」だったし、現代においては「少年ジャンプ」のマンガ群かもしれない。それは人々のニーズから生まれ、人々に簡単な『人生の指針』を与えもしただろう。しかし「『めんどくさい事を抜きにして前向きでありたい』ーそんな日本人の獲得した前向きな民力が日本の近代化を達成し、そのあまりにも単純な世界観が日本人を戦争に向かわせたんじゃないかと、私なんかは思っております。」(p36)

ある意味で講談とは対極にある種類の文学に立脚する橋本治は、面倒臭い事をめんどくさいなりに受け入れて考えようという立場だ。民主主義の未来を論じる最終章で彼はこう書く。「民主主義が何も決められない状態に陥ってしまったのは、自分の利益ばかりを考える自由すぎる王様を放逐して、国民が『自由すぎる王様』になった結果です。」(p200)

だとすれば、解決策は1つしかない。国民が王様の立場を辞めて、自分のためだけではなく、みんなのための考えるようにすることだ ー 「自分もみんなの1人なんだから、というのは、結構新しい考え方で、これからのものだと思いますがね。」(p201)

これが病み上がりの橋本治による、本書の結論だ。非常に自由で柔軟な思考に満ちた評論で、かつ文章も平易で読みやすい。最近のおすすめの一冊である。
by Tomoichi_Sato | 2013-04-23 23:15 | 書評 | Comments(0)

書評:The Quiet American(物静かなアメリカ人) / Graham Greene



昨年の夏、80歳の母と二人で、母の知人の結婚式に出席するため、ベトナムのホーチミンに旅行した。数多くの留学生の世話をしてきた母と、これが最後の旅行になった。

一緒に戦争証跡博物館に行った後、市内の目抜き通りを歩いていると本屋を見つけた。いかにも外国人旅行者向けに、洋書などがおいてある。その中にこの本があったので、すぐに買いもとめた。前から読みたいとは思っていたのだ。ベトナムを舞台とした話だから、平積みされているのは当然かもしれない。Penguin Classics Deluxe Editionで、うす緑色の洒落た表紙である。

ロンドンで2年暮らした母の話によると、グレアム・グリーンはやさしい英語で文章を書く名文家として知られ、イギリスの英語学校で初級の読み物によく使われているという。英語上達の秘訣の一つは、辞書を引かずに本を何冊も読み通すことだ。そうして、英語のリズム感や、前後の文脈から単語の意味を類推する力をつけるのだ。その修行には、たしかにグリーンの文章は格好の材料である。そのことは、本書の冒頭にある米国のRobert Stoneによる解説と読み比べてみると、よく分かる。いかにも大学人の書くインテリ臭い文章で、たくさんの難しい単語を使う。ちょうど漢語を多用した日本語のようなものだ。ついでにいうと、このイントロにはネタバレ的な記述も含まれているので、読者は飛ばしてまず本文から読んだ方がいい。

その本文は、英国人でベトナム特派員の私(Fowler)が、本書の主人公である若い米国人Alden Pyleを夜、部屋で待つシーンからはじまる。約束の10時をとっくに過ぎても彼は来ない。通りに出ると、同じようにPyleを待って立っている、Phuong(鳳)という名のうら若いベトナム女性を見つけるので、上がって待つようにいう。しかし真夜中をすぎてやってきたのは警官だった。警察署に召喚された二人は、Vigotというフランス人警察官の質問を受ける。本書が発刊された1955年、サイゴン(現ホーチミン)はいまだフランスが支配する領域だった。Pyleはどんな人物だと聞かれ、Fowlerはこう答える。「年齢は32歳、経済援助ミッションで働いている米国市民だ。真面目な男だよ、彼流にね。コンチネンタル・ホテルにたむろする騒がしい連中とは違う。物静かなアメリカ人だ。」

しかしVigotは皮肉な目をFowlerに投げかけ、若いPhuongをめぐってPyleと争っていたのではないか、君はこの女性と2年間一緒に暮らしたが、つい最近、彼女をPyleにとられたはずだ、といい、昨晩のアリバイをたずねる。こうして彼は、Pyleの身の上に何か重大な事が起き、自分が疑われていることを知る・・

ここまでわずか数ページ。主要な登場人物が現れ(あるいは不在が明らかになり)、彼らの関係や複雑な感情が、異国の夜の映画のようなシーンの中から浮き上がってくる。まことにグリーンは小説の名手である。主人公Pyleの行動の謎と、警察に疑われながらそれを追う語り手Fowlerのサスペンス、そして美しいPhuongをめぐる三角関係。ラブ・ロマンスで読者をぐいぐい引き込みながら、時おり神とか世界についての哲学風の問答を文中にちりばめ、読者の知的満足感をくすぐることも忘れない。

グリーンは登場人物の名付け方が暗示的で巧い、とR. Stoneは冒頭の解説で書いている。たしかに、若く率直で大柄の米国人Pyleの名は、なんとなく「ウドの大木」みたいな感じを受けるし、屈折した英国人で中年の語り手Fowlerは「ズルをする奴」とも聞こえる。しかし、本書の題名もグリーン一流のjokeで、“静かなアメリカ人は、死んでしまったアメリカ人だけだ”との皮肉だというのは、うがちすぎの解釈だと思う。物静かなアメリカ人は、(少数派だが)もちろんいる。主人公Pyleはハーバード大学で政治を学んだ、若い理想主義者だ。

その彼の理想は、古いヨーロッパの植民地支配でもなく、かといって北部ベトナムの共産主義でもない、民主主義を実現する『第3の勢力』がこの国には必要だ、というものだ。だが、その思想が、彼という人間に体現された米国人の無邪気な良心と、米国の巨大な政治力に結びついたとき、あわれな恋人Phuongをはじめ、罪のない多くの現地人を巻き込んだ不気味な歯車の回転につながっていく。語り手Fowlerは、親米でも親仏でもなく、かつ、祖国に残してきた不仲の妻との諍いが表すように英国本位でもなく、ある意味で中立な、ある意味では誰にもコミットできない孤独な特派員として、事態を追い続けていく。

グリーン自身は1950年から2年間にわたり、何度かに分けてベトナムに滞在して本書の構想を得たらしい。そのころはちょうど朝鮮戦争の時期で、世界の目はそちらに釘付けになっていた。1945年に日本が第二次大戦に負け、旧植民地だった地域に支配権の空白ができる。独立運動と旧勢力が争い、そこにソ連と米国がそれぞれ軍事援助をして争う構図は、しかしそのままベトナムの構図でもあった。そして“民主主義の国家が出現すれば、それは必ず親米的なはずだ”という米国の奇妙な思い込みは、当時も今も不変である。

グリーンはカトリック作家で、別段左翼でも反米主義者でもない。とはいえ本書が発刊されたとき、米国では当然ながらごうごうたる非難の声が巻き起こったという。当然だろう。これは純然たるフィクションだが、米国が今のまま進めば、ベトナムで新たに巨大な悲劇が生まれかねないとの警告書でもあったからだ。しかしそれは、赤狩り時代の米国では到底受け入れられないアラームだった。

わたしは知人の結婚式に参列して、あらためてベトナムという国が仏教と中国文化の影響の色濃い、ある意味で東アジアの国である(東南アジアというより日韓台湾に近い)ことを実感した。その東アジアの人間としてこの小説を読むと、英米人の読者とは少し違う視点に立つことになる。それは、若いPhuongや、その姉、あるいは名もない多くのベトナム人側の感情への移入だ。この巧みな小説の中で、不思議にもPhuongは内面を感じさせない、はかりがたい登場人物として描かれている。セリフも少なく、王室や映画スターのゴシップ、そして欧米の都会への漠然としたあこがれなどが断片的に語られるだけである。愛Loveという言葉が、彼女にとって具体的な意味を持つのかさえ疑わしい、とFowlerは語る(Loveはいかにも西欧的な個性や自我と結びついた概念なのだ)。たぶんその事こそ、西洋人男性が東アジアの女性に惹かれる最大の理由なのかもしれない。

彼らの基準から見ると、わたし達アジア人には内面がない。それは、後半、戦闘の前線に赴いたFowlerが見た、運河の水面に浮かぶおびただしい数のベトナム農民達の死体にも通じている。小さな息子をかばった姿勢のまま浮かぶ母親。見張り塔で吹き飛ばされて死ぬ若い兵士たち。彼らは何も語らぬ。何も語らぬ者には、感情や肉体はあっても、精神はないのだ。そういう奇妙な信憑の世界に、西洋人は立っている。わたし達が黙って座っているとき、わたし達には何の知識も意見もないのだろうと、彼らは思う。であるならば真理を教えてやろうと、彼らは無邪気に、ほとんど善意で思うらしい。

善意と無知と偏見が「信念」という名の衣をまとい、その後ろを巨大な財力が押しはじめたとき、『狂信的武力』という恐るべき怪物が生まれる。それは憎悪を燃料として動く戦争機械である。地域にも人種にもイデオロギーにも関係なく、どこにでも生まれる可能性がある。そして手当たり次第、人を巻き込んでいく。わたし達はその怖ろしさを、つい最近も見たばかりだ。

本書が発刊された前後、ベトナムがどうなったかだけを、最後に簡単におさらいしていこう。

1945年、日本軍の崩壊と共に、ホー・チ・ミンが独立を宣言する。ところがフランスが失地回復にやってくる。「18ヶ月で片付く」はずの紛争は6年以上も長引き、ついに1953年末、ディエン・ビエン・フーでこてんぱんに敗北を喫して、しかたなく交渉の席に着く。ジュネーブ協定が取り交わされ、総選挙が行われる予定だった。

しかし、仏軍の空白を補うようにアメリカ軍がやってくる。アイゼンハワーの演説では、「錫とタングステンの資源」がねらいだった(!)というのだから驚きではないか。そして1955年、ゴ・ジン・ジェム傀儡政権を立て、南にベトナム共和国をでっち上げる。このとき政変を支援した空軍准将でCIA工作員のE・ランズデールが、本書のPyleのモデルだったのではないかと言われている。

これに対し、南ベトナム解放戦線が結成される。その補給を絶つため、やがてアメリカは北爆を開始する。彼らも最初は2、3年のことと高をくくっていたのだ。マクナマラ国防長官(MBAにして元フォード社長)の精緻な計画と、米軍の巨大な物量作戦にもかかわらず、戦線は泥沼と化していく。ついにニクソン大統領は72年に北爆を停止し、パリでの交渉につくと演説。73年に米軍が南から撤退すると、南ベトナム政権は持ちこたえきれず、ついに75年に崩壊する。

これが歴史だ。フランスが去ってから20年間、ベトナムはずっと戦場だった。誰のために? 何のために? その答えは簡単ではない。ただ一つ分かるのは、物静かで無邪気な善意が、すべてをお膳立てしたということだ。
by Tomoichi_Sato | 2013-02-12 21:32 | 書評 | Comments(0)

書評: 「TN君の伝記」 なだ・いなだ

「TN君の伝記」 (福音館文庫 ノンフィクション) なだ・いなだ著

本書は、今年読んだ中で最も感銘を受けた本だ。1976年発行の福音館文庫で、裏表紙には「小学校上級以上」と明記されている、子どもむけの本だ。漢字には、すべてルビがふってある。だが、これほどの読みごたえがある本は、近頃すくない。

本書は明治の思想家、中江兆民の自伝である。ただし文中では終始、「TN君」とだけよばれていて、中江の名前はどこにもない。でも、ルソー『民約論 』の翻訳家で、『三酔人経綸問答』『一年有半』などの著者だとあるから、誰のことかは分かる。

中江兆民の生きた「(19世紀後半の)50年間は、ながい歴史をもった人類が、大きく生き方を変えた、まがりかどのような時代だ」(p.13)との記述で、本書は始まる。鉄道、自動車、無線電信、電話の出現、病原菌の発見と注射器の発明。そして南北戦争、社会主義の誕生・・。これが背景だ。

その江戸時代末期に、かれは土佐の足軽の子として生まれる。古い身分制度の中の、奇妙な末席である。「明治維新のあと、戸籍がつくられたときも、足軽は士族にいれられなかった。卒族と書きこまれ、しばらくすると大部分は平民に格下げされてしまった」(p.16)ことを、わたしは初めて知った。

だが明治維新は、その下級武士、それも僻地の下級武士たちが主役であった。なぜそうなったのか。じつは黒船(外国軍)の襲来は、それまで僻地だった土佐を、太平洋防備の最前線に逆転した。それだけではない。それは(今日の製造業風にたとえるならば)『現場』の復権を引き起こし、砲術など現場技能のフォアマンであった下級士族たちが、有効な指揮のできぬ『本社』(お城の重役たち)との力関係の逆転劇を演じさせる契機となったのであった。

兆民はそんな中で長崎に留学し、坂本龍馬に出会う。自分も倒幕に参加したいとのぞむと、坂本はこう答える。「『革命家は商売とちがうのや。革命家は、世の中から、およびがかかって革命家になる。それまで、勉強していなされや』」(p.49)。その言葉通り、江戸に出て勉強し、さらに維新後の岩倉使節団に参加する。米欧を回り、とくにフランスに留学して帰るのである。

ところが、帰国した彼を待っていたニュースは、江藤新平の佐賀の乱、萩の乱など、いわゆる不平士族の反乱であった。それはやがて、西南戦争につながっていく。西郷たちの「勝てば官軍、負ければ賊よ」というスローガンは、かれらの行動が単なる懐古と不平の爆発だけではなく、政府の圧政的改革への抵抗権としての意義も含んでいる。「西郷は、忠臣などではない。反抗的人間だったのだ。ただ、明治維新では、反抗した彼が、たまたま勝ってしまっただけなのだ」(p.190)と兆民は評価する。

足軽の子に生まれた兆民らが、維新と世直しに期待していたのは、古い制度にしばられてきた生活からの解放の期待、自分たちのための日本をつくる事だった。それは多くの平民たちの望みでもあった。大久保や木戸など明治政府の権力者たちも、新しい日本をつくろうとはしていた。だがそれは新しくしないと、諸外国に対抗できないためだった。日本をヨーロッパ風の強国にする目的だと、すりかえられてしまっている。

このすりかえに、兆民は厳しい目を向ける。かれにとって、自由と進歩とは、車の両輪のようなものだ。自由とは「より進歩することでも文明開化することでもない。ひとりひとりが、より自己に目覚めることだ。だれもたよりにせず、だれに支配もされずに生きることに目覚めることだ」(p.163)。そうした意識の変革こそが必要なのだった。

西南戦争の失敗は、その変化を待ちきれずに起きたことだ。「その日が来て、その時が来ておこるのが革命だ。ではない。乱とよばれるのは、きたるべき時よりも前におこった革命だ。」(p.195)

西南戦争の後、暗殺された大久保利通を継いで内務卿の権力を握ったのは、伊藤博文だった。大久保よりも人望の劣る彼は、強権によって政治の混乱を乗り切ろうとする。批判的新聞の発行停止、天皇親政を進言した侍補の解任、政治集会の制限と監視。そして仕上げは、「軍隊を政府から切り離して独立させ、参謀本部が、すべての作戦の命令をだすことにした。参謀本部は太政大臣とおなじ力をもつ」(p.228)ことになった。こうして、憲法発布前に、すでにガバナンス体制の骨格が(つまりその後の日本の運命が)決められてしまったのである。

在野の兆民らは、自由民権運動を起こして政府の専制にブレーキをかけようとした。国有地払い下げスキャンダルで政治が混乱すると、切れ者の井上毅は、事態を収拾すべく、国会開設の詔勅を岩倉具視に進言する。「井上の頭の中では、天皇も、詔勅も、まったく政治の道具だった。井上は、自分では天皇の権威をまったく信じていなかった。だが、反対派の中にひそんでいる天皇の権威にたいする弱さを完全に読み取っていた」(p.278)。

こうして下された詔勅は、国会開設を10年後と定めた。だが、「十年後に国会をひらくという約束は、うらがえせば、今後十年間、政府に国会なしで勝手なことをやれといってるのも同然なのだ。」(p.266)と兆民は見抜く。しかし民権運動は板垣派と大隈派に分裂し、やがて改進党と自由党の政争として延々続き、その間に起きた日清戦争によって、世論はむしろ帝国主義へと傾いていく。そして奔走の果てに病に倒れた兆民は、余命の宣告をきき、ベストセラーとなった『一年有半』と、無神論を説いた日本初の哲学書「続一年有半」を書き残して、この世を去るのである。

本書は、西南戦争から日清戦争頃までの時代の日本を活写している。明治の中間期は、ある意味とても分かりにくい。この近代日本形成の中間期に、世の中に何が起きていたのかが、見事に描かれている。この本を読んでわたしは、なだ・いなだの作家としての力量に、あらためて関心した。なだは芥川賞候補最多回数という不思議な記録(?)をもつ作家だが、むしろエッセイストとして有名だ。わたしも、「トンネル」「れとると」など若い頃の中編、そして「カペー氏はレジスタンスをしたのだ」など短編集は読んだことがあるが、得意の精神分析的なシチュエーションを題材にした特徴はあっても、文章家だと感じたことはなかった。しかし、これはわたしの見過ごしだったのだろう。「TN君の伝記」は伝記文学の傑作とよぶにふさわしい、しっかりとコクのある大人の読み物である。司修の挿絵も、素晴らしい。
by Tomoichi_Sato | 2012-10-13 23:00 | 書評 | Comments(0)

書評: 「源実朝」 吉本隆明

筑摩書房から出ていた『日本詩人選』の一冊。吉本隆明は批評家として、また反体制的思想家としてカリスマ的人気を一時は誇っていた人だが、わたしは若い頃の詩人としての仕事が一番良いと感じる。もともと詩人的資質をもって生まれた人で、東工大の応用化学を出ているといっても、あまり理科系的な文章を書く人ではない。

その詩人としての彼が、鎌倉幕府の三代将軍として生まれ、若くして暗殺された天才的歌人の詩論を書くのである。面白くないはずがない。古書店でたまたま見つけた本書であるが、集中して一気に読んでしまった。

実朝の兄、二代将軍源頼家はかれが物心つくころに伊豆修善寺で惨殺される。それも、かれを擁立した北条時政の刺客の手によってである。愚管抄や吾妻鏡の文章を引用しながら、吉本はこう書く。「頼家の殺されかたからかんがえて、じぶんだけは別ものだとおもえるような条件はなにひとつなかったはずである。」(p.12)

それにしても、実朝たち兄弟はなぜ、執権である北条氏に一旦は将軍位につけられながら、後に捨てるように殺されなければならなかったか。吉本はまず、鎌倉幕府という奇妙な<制度>の構造分析からはじめる。鎌倉幕府は律令制の日本における国家内国家ともいうべき位相にあった。ところで、その「関東武門の固有制度ではどうしても血縁よりも惣領制のほうが重かった。(中略)この<惣領>は世襲ではなくて、一族一門のうち器量優れたものに<惣領>の指名によって継承される慣例がおこなわれていた。そして<惣領>は武力権と一門の祭祀権をあわせもつものであった」(p.37)は卓見であろう。惣領の支配が血縁の外にあるため、ともすると親子兄弟が互いにせめぎ殺戮し合う不安定性を内包していた。これを抑えるに、上位律令制の権威とのインタフェースとして源家の貴種性が当初は重要だった。しかし北条氏がライバルを次々と滅ぼし、鎌倉体制が安定化して行くにつれて、武家層は独自の倫理をつくりはじめ、やがて貴種は不要に、むしろ邪魔になっていくのである。

北条氏の飾りであることを自覚していた実朝が、我意を押し通したわずかな一つが、京都から貴族の娘を嫁迎えしたことである。当時、まだ「<一族>や<家門>の重さにくらべれば、<家族>はまだ比べものにならぬほど低い位置しかなかった。家父長家族が成立していたともいえず、また、妻女は実家の<族>に属しているといってよかった」(p.92)状態である。実朝という文学青年は、そのような境遇に生まれてしまったのだ。

吉本隆明はさらに、<和歌>とよばれる詩形式に論を進める。万葉の東歌「筑波嶺のをてもこてもに守部すゑ 母い守れども魂ぞあひにける」等は、上句と下句が明確に区切れ、かつ上句は下句を引き出すための隠喩(それ自体に強い意味はない)の形をしている。これは、対になった人々による掛けあいの和唱の場の即興のように生まれるもので、和歌の初原のあたりに近い、と彼は推測する。実朝の

 しら雪のふるの山なる杉村の すぐる程なき年のくれかな

などはこうした万葉調の古形を保持している。しかし

 秋ちかくなるしるしにや玉すだれ 小簾(こす)の間とほし風の涼しさ
 くれなゐの千入(ちしほ)のまふり山の端に 日の入るときの空にぞありける

などは、(単純な叙景だから)(万葉に類似の本歌があるから)というだけで「万葉調」と断ずるにははるかに遠いのである。事実、和歌は古今集の時代に入って明確に変容し、「雪のうちに春はきにけり鶯の 凍れる涙いまやとくらむ」のような<象徴>の地平にうつっていく。

 梅の花さけるさかりをめのまへに すぐせる宿は春ぞすくなき
 我が袖に香をだにのこせ梅の花 あかでちりぬる忘れがたみに

こうして並べてみると、実朝の歌が独特な心をもっていることがよくわかる。和歌はさらに『後拾遺集』で変容する。俗語の大胆な導入とともに、「詩的な<規範>のたががゆるんで、<象徴>性が崩壊しはじめたことを意味している」(p.197)と吉本は断ずる。いわばJ-POPの歌詞のように、平明だが単純な歌になるのである。「個々の詩人の感性に基礎をおくために、(中略)<景物>はほかにどんな習俗や伝承にしたがうものでもない」(p.198)ことになってゆく。和唱の場の共同体は不要となったのである。

こうしてとうとう和歌は新古今の岸辺にたどり着く。「吉野山花のふるさとあと絶えて むなしき枝に春風ぞふく」(藤原良経)「花は散りその色となくながむれば むなしき空に春雨ぞふる」(式子内親王)--こうした秀歌は、すでに目の前の景色とは何の関係もなく、すべて詩人の繊細な心の内にあるものを、技巧的な形で彫塑したものである。

 このねぬる朝けの風にかほるなり 軒ばの梅の春のはつ花
 吹く風は涼しくもあるかおのづから 山の蝉鳴きて秋は来にけり

十三歳で将軍職となって以来、実朝は鎌倉幕府の<象徴>的な頭領にすぎず、ただ祭祀権のみを履行する人形であった。かれが晩年望んだことは、宋に渡ることと、京都の律令王権から位階の昇進を得ることだけであった。そして二十七歳のとき、かれはとうとう右大臣に任ぜられる。その上は太政大臣しかなく、そうなると彼を取り除くことは困難になる。実朝が就任の拝賀のために鶴岡八幡宮に出たとき、だから彼を守る役目のはずの北条義時は「体調」を理由にそこに参列せず、かわりに兄頼家の子・公暁が暗殺者として木陰で待ち構えていたのであった。そうした顛末を、彼は何年も何年も前から、ある意味で心の中では見通していたともいえよう。

 神といひ仏といふも世の中の 人のこころのほかのものかは
 うつつとも夢ともしらぬ世にしあれば 有りとてありと頼むべき身か
 萩の花暮々までもありつるが 月出てみるになきがはかなき

ところで、吉本が指摘しなかったことで、一つ気がついたことがある。それは、歌人実朝は非常に耳の良い人だった、ということである。たとえば百人一首にとられた有名な

 世の中はつねにもがもな渚こぐ あまの小舟の綱手かなしも

は、たしかに吉本の言うように不安定な将軍職にうえにいるじぶんの<心>をあらわしていよう。ただ、それはこの歌の「な」「も」の音の繰り返す不安なリズムの上に、あやうく揺れてきしむ音が示しているのである。あるいはまた、もっとも有名な

 大海の磯もとどろによする波 われてくだけて裂けて散るかも

うっかり武家風だとか勇壮だとか誤解され、また詩人のひどく孤独な心が暗示されているようにも感じられるこの歌は、しかし下句の音をたどっていくと、まさに磯を打つ大波の低音の轟きが次第に周波数の高いしぶきに変わっていくさまを、見事に音自体で表象している。まさに、<和歌>という形式の中にこめられた、見事な<音楽>だった。そのような奏者を若いうちに失う事態こそ、日本における和歌の頂点の終わりを暗示していたのである。
by Tomoichi_Sato | 2012-04-14 21:22 | 書評 | Comments(0)

書評:「エル・スール」 アデライダ・ガルシア=モラレス著

エル・スール (Amazon.com)


ビクトル・エリセ監督の『エル・スール』は、わたしの最も好きな映画の一つだ。画面全体に漂うみずみずしい詩情、小さな娘の目から見た、魔術師めいた父親の不思議さ(イタリアの名優オメロ・アントヌッティが好演している)、スペインの静かな激しさを描いて、強い印象を残す。本書はその原作小説であり、かつエリセ監督の元・夫人が著者ときいて、興味深く手にとった。

ところで、比較的短いこの小説を読んで驚いた。小説としてはとても緊密に、よくできている。だが、映画とまったく印象が違うのだ。原作と映画が違うのはよくある話だが(そして事実、主人公の女の子の名前も違う)、ここではストーリーやキャラクターの問題を言っているのではない。父と娘の距離感が、微妙に、しかし決定的に違うのだ。この小説では、娘はつねに父親に対して奇妙な違和感を抱いている。それが物語を回転させる原動力となっている。ところが、映画の方は、お父さんべったりに描かれるのだ。それは初聖体のお祝い(これはカトリック社会では子どもが一人前になる重要な通過儀礼だ)で、父と娘が踊る"En El Mundo"(「世界中で」)の美しいシーンに象徴されている。ところが小説では、そんな風に一体感をもっていない。かわりに、父の孤独と苦悩に謎を感じて、近寄りがたく思っている。

その謎は、やがて南部(エル・スール)の街セビーリャを訪れて、ようやく解けることになる。ここで、いわば別れた自分の半身と再開し、それを通じてやっと、亡き父とも和解しようと心が解かれるのだ。タイトルの意味はここにある。娘の側の、いわば成長の物語が本小説の主軸なのである。映画が娘の目を借りつつ、父を主題に描いていたのとは、非常に対照的になっている。映画では、(おそらく予算の関係で)このセビーリャのシーンの撮影ができず、それ故にやや唐突に、娘が突き放されたような形で結末を迎える。

同じ登場人物、同じタイトル、同じ地方の景色でありながら、小説と映画はこれほどまでに異なっている。著者とエリセ監督が結局別れることになったのは、このような解釈のすれ違いがあったからかもしれない。もちろん、どちらも素晴らしい作品ではある。ただ、片方は男が苦悩を描き、他方は女性が成長を語るのだ。
by Tomoichi_Sato | 2012-03-15 23:59 | 書評 | Comments(0)

書評: 2011年に読んだ本 ベスト3

皆様、明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。

このところ多忙で、あまり書評が読んだものに追いつかずにおります。そこで、昨年1年間に読んだ中で、もっとも感銘を受けたベスト3を、短評をつけてここに掲げる次第です。
いずれも三つ星です。

★★★ リアル・シンデレラ 姫野カオルコ
リアル・シンデレラ (Amazon.com)
2011/02/12 読了

最近、いやこの10年間に読んだ中でもっとも優れた小説。読んで本当に良かった。姫野カオルコという作家は誤解されやすい人だが、じつは知的で誠実なモラリストだと前から思っている。本書は、その彼女が個人的にもっとも辛かった時期に書かれたようだが、小説には苦難の片鱗も感じさせない。昭和時代の地方都市を舞台にした、ごく普通の人々による、魂の浄化の物語である。強くお薦めする。

★★★ 137 - 物理学者派売りの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯 アーサー・I・ミラー
137 物理学者パウリの錬金術・数秘術・ユング心理学をめぐる生涯 (Amazon.com)
2011/06/17

著者は(有名な劇作家とは別人で)イギリスの物理学者・科学史家。ヴォルフガング・パウリは20世紀現代科学における知的巨人の一人だが、非常に謎めいた人でもある。パウリの排他律原理、ニュートリノの予言、そしてCPT対称性定理など、彼の輝かしき業績を無視して現代の物理学は語れないが、ユダヤ人キリスト教徒として生まれた彼の魂の彷徨は誰も知らなかった。その迷いからの導き手になったのは、意外にも同時代のスイスの心理学者ユングであった。著者は残された手紙や文献を丹念に追いかけて、この二人の互いの影響をさぐり、パウリが生涯をかけて追いかけた微細構造乗数「137」への執念を描く。良書である。

★★★ わたしの名は「紅」 オルハン・パムク
わたしの名は「紅」 (Amazon.com)
2011/07/24

現代トルコ文学のトップ・ランナーであり、2006年度ノーベル賞受賞作家であるオルハン・パムクの代表作。最盛期を過ぎつつある16世紀のオスマン・トルコを舞台に、イスラム細密画家たちの間で起きる謎の連続殺人事件を追う。細密画をめぐり、イスラム原理主義(この当時からあったのだ)の脅迫と、西欧美術からの影響の桎梏に引き裂かれる魂の悲劇を、著者は共感を込めつつ緻密に描く。それにしても作家の想像力とはここまでの拡がりを持ちうるのか。トルコの枠を超えて、まさに現代文学の最先端である。
by Tomoichi_Sato | 2012-01-04 12:25 | 書評 | Comments(0)

新著のお知らせ:“JIT生産”を卒業するための本

このたび、中小企業診断士の仲間と共著で、新刊を出しました。

“JIT生産”を卒業するための本
(日刊工業新聞社)
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本日から書店に配布が始まりました(Amazon.comではまだ予約対象ですが、近日中に販売中にかわるはずです)。

本書の内容は、帯にある問いかけの文句が象徴しています:
「“トヨタ自動車の生産方式”と、うちの“トヨタ生産方式”は、どこが違うんだろう?」

本当に、どこが違うのでしょうか? トヨタ流のJIT生産を真似しようとしたのに、なぜうまく動かないのか、どうして儲からないのか? その答えが、ここにあります。
JIT生産に苦労している、すべての生産実務者に贈るつもりで書いた本です。書店で見かけたら、どうかお手にとってごらんください。


佐藤 知一
by Tomoichi_Sato | 2011-12-15 23:59 | 書評 | Comments(0)

書評:「マフィア - シチリアの名誉ある社会」 竹山博英

「マフィア - シチリアの名誉ある社会」 竹山博英・著

1987年3月。早春のパレルモは、街中が奇妙な緊張感ではりつめていた。通称「要塞法廷」と呼ばれる、異常なほど堅固な建物の中で、476人ものマフィアの大裁判が行われているのだ。その中には何人かの大ボスも含まれている。彼らの仲間であった一人の麻薬王が南米で逮捕されたとき、マフィアの鉄則であった「オメルタ」(沈黙の掟)をやぶって、組織の全貌を告白してしまったことがきっかけであった。

シチリア・マフィアの正式名称はCosa Nostra(我らのもの)という。「組織への入会者は事前に、『名誉ある男』にふさわしい勇気の持ち主であることを示さなければならない。ふつうは殺人か、大きな犯罪である。」(p.26)。そう、マフィアとは名誉ある男達の社会なのである。

マフィアの組織は、18世紀後半の農村から発しているらしい。地中海の肥沃なシチリア島は長らく、不在地主の支配する土地だった。農村部で、土地貴族の領地を守る武装集団として生まれた「名誉ある友愛会」が母体である、という。つまり、大土地所有者の農地管理人である。彼らはイタリア統一後の普通選挙制を背景に、暴力的な集票組織として政治とつながっていった。

ところで、面白いことにシチリアでは、ファシズム政党は大きな支持を得られなかった。「ファシズムは北イタリアで、社会主義を打ち破る暴力装置として、資本家や地主などの保守層に支持され力をのばした」(p.156)。そして政権を取ったムッソリーニは、将軍を派遣してマフィアの大弾圧に成功するのである。ところが皮肉にも、第二次大戦でアメリカ軍は「解放者」としてシチリア島からイタリア半島に侵攻する。そのときに、マフィアの武力を利用するのである。「シチリアの人々は、ファシズムの統治下で窒息状態にあった各地のマフィアのボスが、アメリカ軍によって復活するさまを驚きの目で見ることになった」(p.168)

そのマフィアは権力と結びついてシチリアで肥大化するが、その過程で次第に自らを変質させていく。似たような事情は、ナポリにおける同様の犯罪組織カモッラでもおきた。「キリスト教民主党は影でカモッラと手を結んで、(テロリストである『赤い旅団』に拉致された)人質解放を模索しながら、テレビや新聞では、テロリストと絶対に取引しないと言明していた」(p.224)。本書である意味、一番面白いのは、獄中のカモッラのボスとのインタビューである。「詩と思索」という著書さえある彼は、反カモッラ活動をしている神父を評して、こう言う。“盗むな、憎まず愛せ。確かに美しい言葉だ。だが美しい言葉は女をベッドに誘うときにしか役に立たない。”

マフィアやカモッラは、南イタリアが長くフランスやスペインの支配下にあって、不在地主と農民の二極分化した厳しい社会構造が歴史的に生みだした、圧政のための暴力装置である。彼らにはイデオロギーはない。あるのは名誉と金と力への執着だ。この三つの要素が支配する社会ではどこでも、ふつうの人々は、最低限の尊厳ある生活をするために、シチリアの人たちと同じように長く困難な闘いを強いられるのである。
by Tomoichi_Sato | 2011-12-08 23:53 | 書評 | Comments(1)

書評:「供述によるとペレイラは……」 アントニオ・タブッキ

供述によるとペレイラは… (白水Uブックス―海外小説の誘惑)

現代イタリア文学のトップランナー、タブッキの'94年の傑作。幻想的ないつもの作風とは異なり、リアリスティックな叙述で人間の生死と意思、そしてファシズム下の社会をまっこうから描いた本作は、伊文学最高のヴィアレッジョ賞を受賞している。

舞台は(なぜかイタリアではなく)ポルトガルのリスボン、それも、サラザール首相が長期独裁政権をはじめた1930年代のリスボンだ。隣国スペインでは共和国軍とフランコ将軍が内戦に突入している。そして社会全体を、ファシズムの不気味な影が覆い尽くそうとする時代だ。そのさなか、主人公の中年新聞記者ペレイラは肥満と持病の心臓に悩みながら、社会とは無縁の文芸面の主任として、紙面作りのために大学出の若い助手を雇おうとする。しかし、その助手と彼の婚約者との出会いは、ペレイラの運命を大きく変えてしまうことになる・・

ファシズム前期の社会とは、表向きは法と秩序と民主主義が支配しているように見えながら、じつは情報隠蔽の下、権力者のための暴力的別働隊が、警察の見て見ぬ振りの協力のもと、気に入らぬ人間を文字通り抹殺するために隠然と動く社会だ。タブッキはその不気味さを、落ち着いた筆致の中で描いていく。主人公の疑問に対して、大学教授の友人も、信頼する神父も、満足できる答えをくれない。ヨーロッパで何が起こっているか、隣国スペインで何が起こっているか不安に思わないのか、との問いに、「だいじょうぶ、ここはヨーロッパじゃないからね」と答える友人が象徴的だ。

この小説は、典型的な序破急の展開になる。最初はゆっくりと穏やかにはじまり、しかし半ば頃から主人公は目に見えぬ何者かに心を乱され、最後に物語は疾走する。心臓を気にしてずっとレモネードを飲んでいたペレイラが、決意の日、カフェで辛口のポルトを飲み干し、亡き妻の写真を鞄に入れて出発するシーンは感動的だ。彼と似た時代を生きる今日のわれわれにとって、必読の小説である。
by Tomoichi_Sato | 2011-12-01 21:26 | 書評 | Comments(0)