カテゴリ:書評( 79 )

書評:「センス・オブ・ワンダー」 レイチェル・カーソン著

珠玉のような、という形容詞は,この本のためにあるのだろう。

少し前、久しぶりに熱を出して数日間寝ていたとき、病床でこの本を読んだ。小さくて薄く、持ちやすい装丁。活字は少なく、美しい自然の写真にあふれている。ベッドの中、熱に浮かされた頭で、ポツリぽつりと読み継ぐのにちょうど良かった。そして、疲れていた心も、静かに慰められるようだった。

「ある秋の嵐の夜、わたしは一歳八か月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇のなかを海岸へおりていきました。
 海辺には大きな波の音がとどろきわたり、白い波頭がさけび声をあげてはくずれ、波しぶきを投げつけてきます。わたしたちは、まっ暗な嵐の夜に、広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。
 そのとき、不思議なことにわたしたちは、心の底から湧きあがるよろこびに満たされて、いっしょに笑い声をあげていました。」(P. 7)

・・この本は、こんなふうに始まる。著者のレイチェル・カーソンは海洋生物学者で、著名な作家だ。自然を深く愛した彼女は、米国の最北東端メイン州の海岸にある、小さなコテージ風の別荘に、毎夏数ヶ月を暮らしている。そして、幼いときに母を亡くした小さなロジャーと共に過ごした時間を、この短いエッセーにまとめた。

R・カーソンといえば、『沈黙の春』(The Silent Spring)が有名だ。1962年に出版されたこの本は、人間の文明活動が、見えぬ間に引き起こす環境破壊について、史上初めて、明確な形で警鐘を鳴らし、ベストセラーとなった。環境問題はその後、公害反対やエコロジー運動と結びついていくのだが、彼女自身には別に活動家という意識はなかった。ただ彼女は、自然を愛していただけなのだ。

“The Sense of Wonder”が、本書の原題である。定冠詞のtheがついている。それは、誰もが知っているはずの、あるいは知りうるはずの、ものである。「センス・オブ・ワンダー」という言葉は、SFなどの評論でよく使われたりもした。読者に驚異の感覚を与える、という程度の意味だ。でも本書では、

「センス・オブ・ワンダー = 神秘さや不思議さに目を見はる感性」

との意味で使われる(P. 23)。それは対象が自分(読者)に働きかける力ではない。自分から、対象に感じ取るべき能力、自分の中に育てるべき感受性のことを指している。目で見る視覚だけでなく、鳥の声や虫の音を聞きとる聴覚、いつまでも自分の中に忘れ得ぬ経験として残る嗅覚、ふかふかの苔の絨毯を踏んで走り回る触覚など、五感のすべてを動員して、気づき、受け入れる力だ。こういうセンスを、すべての大人達が持ってほしい、そして子どものときから育んでほしい、と著者はいう。

自然についての知識、たとえば鳥や木々の名前を知ること、星の巡りや潮の満ち干の法則を理解することは大事だ。だが彼女は、「『知る』ことは『感じる』ことの半分も重要ではないと固く信じています」(P. 24)と書く。

『美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます」(P. 26)

これを読むと、著者のレイチェル・カーソンが(書いたときは50代に入る頃だったはずだが)、いかに深く豊かな感情を心に抱いていたかが、よくわかる。感情とは、人の心の中の資源である。それを掘り起こして、価値あるものに実らせるかどうかは、生きることの質に大きくかかわっている。

そうした感覚を育てる最良の教師は、自然とふれあうことだ、というのが著者の信じることだ。これは米国のナチュラリストの系譜に通じる考え方だろう。米国はきわめて人工的な文明を発達させた国だが、その一方で、手つかずの自然の美を大切にするナチュラリスト達の、細いけれども絶えざる流れがある。彼らの存在が、現代アメリカ文化に、ときおり細やかな陰影を与えている。

そして著者は、ナチュラリストの感性を、美しい言葉のつらなりに表現する才能に恵まれていた。ほとんど散文詩のように書かれた本書は、その結晶であろう。『沈黙の春』完成後、すぐ56年間の生涯を閉じたレイチェル・カーソン晩年の遺稿をまとめたのが、本書「センス・オブ・ワンダー」であった。

自然は驚くべき優しさをもって、小さな子どもや、傷つきやすく疲れた人びとの魂を癒やしてくれる。そういう彼女の信条を歌い上げた、最後の絶唱が、この本だ。憂うつなとき、ひどく疲れていると感じたときに、手にとって読むことをおすすめする。写真もとても美しい。


by Tomoichi_Sato | 2018-11-17 15:24 | 書評 | Comments(0)

書評:「デザインのデザイン」 原研哉・著

デザインのデザイン」 原研哉・著 (Amazon.com)

美ということについて考え直したくて、本書を手に取った。信頼する職場の友人が勧めてくれた本でもある。そして事実、読む価値のある本だった。

普段のわたしは、美とは縁遠いところで仕事をしている。別に醜いものを作っているという意味ではなく、機能だとか効率だとかコストだとかいった尺度でもっぱら測られる業務、という意味だ。

それでもエンジニアリングという仕事に携わっている以上、『設計の品質』という問題にもしばしば、直面する。設計は英語でDesignである。だが、デザイナーと設計者は、日本語では違う。どこの何が違うのだろうか。設計という営為には、「サイエンス」の面と「アート」の面がある。では、工業設計におけるアートの面とは、何だろうか。それは品質と、どう関わるのか。

さらにいうと、マネジメントという仕事も、サイエンスとアートの両面を持つ、といわれる。日本ではマネジメントに科学があるという観念自体が薄いので、こういうことを言うのは主に欧米人である。ただし英語の”Art"という言葉は、日本語の「アート」や「芸術」よりもずっと守備範囲が広くて、やり方という意味もある(だから、いわゆる芸術をさす場合はあえてFine artと限定詞をつける)。だがもちろん、artは美と強く関連づけられた概念である。

マネジメントは意思決定の連続だ。ところで、人が何かを決めるときは、その人の価値観にしたがう。では、人間の価値軸には、どのようなものがあるのか? もちろん、ビジネスでは損得が真っ先に来るだろう。あるいは、ライバルとの競争では勝敗(序列)も大事だ。社会的な意識の高い人は、善悪にもこだわる。研究者なら当然、真偽も重要だ。さらに誰だって、好き嫌いというものもある。

損得、勝敗(序列)、真偽、善悪、好き嫌い・・そして、美醜。もまた、人間の価値観の大切な要素だ。損得や勝敗で決めているように見えて、じつは美意識(=美学、美に関する価値観)にしたがって動く人びとが、意外に多いのではないかと、最近のわたしは考えている。分かりやすくいうと「カッコよさ」である。

損得・勝敗・真偽・正邪などは、合理的にほぼ説明可能な基準だ。そこには一応の客観性がある。しかし美醜の判断基準は、個人差が大きい。美醜は合理性からは遠いのだ。

わたしたちが商品、とくに高額だったり身につけて大切にする商品を選ぶ場合、その機能(使用価値)の他に、美しさ(美的価値)も大事な判断材料になる。たとえばスティーブ・ジョブズは、そうした点にこだわった人だった。でも、商品における「美しさ」とは、何なのか? 設計とデザインは別のことなのだろうか。「デザイナー」とは美大の教育をうけた人のことか。工学部を出た人は「エンジニア」だが、工学部の教育に美学論は不要なのか? ・・疑問はつきない。

本書の帯には、「デザインを分かりたい人達へ。」とある(プロダクトデザイナーの深澤直人氏の推薦文)。そして本文は「デザインを言葉にすることはもう一つのデザインである」と、はじまる。これは、まさにそうした問いに向き合う本なのだ。

「21世紀を迎えた現在、テクノロジーの進展によって、ものづくりやコミュニケーションにおける価値観がゆらいでいる」(P.1)。ここではまず、デザインとは「ものづくりやコミュニケーション」のためにある、という主張がある。

「デザインの発生は、社会思想家のジョン・ラスキンやウィリアム・モリスの思想がその源流と考えられている。その源流を辿ると150年ほど前にさかのぼる。」(P.3)と、著者はまず歴史を振り返る。それはちょうど、産業革命時代の英国だった。「生活環境を激変させる産業の(機械的量産)メカニズムの中に潜む鈍感さや不成熟に対する美的な感受性の反発、これがまさに『デザイン』という思想の発端となったのである」(P.4)

そのあとデザイン史は、モダン・デザインに進んでいく。そして、その行きすぎに対抗して、ポストモダンの運動がでてくるのだが、「ポストモダンはデザイン史の転換点にはなり得ていない」(P.18)と著者はいう。

そして著者自身が中心的に関わった「リ・デザイン展」や「デザインの原形展」、そして田中一光から引き継いだ無印良品に、話は続いていく。例となる写真も多く、どれも内容は非常に面白い。

だが、相変わらず分からない点も多い。一番、自分のような技術者との違いを感じるのは、「美」が最初から、仕事の目的意識に、無条件にある点だ。その違和感は、読み続けても、なかなか消えない。

わたしがたとえば蒸留塔を設計する場合、段数とか、内径とか、温度圧力材質などを決めていく。そこで「美」が前景化することはない。デザイナーと、なぜそこが違うのか。

「デザインは問題解決である」という言い方は、時々見かける。だが、これも奇妙な定義だ。技術者だって、問題解決はしている。そればっかりの毎日だと言ってもいい。でも、美とは疎遠である。

美の概念は、ふしぎと数学の問題解決には使う。「エレガントな解法」「美しい方程式」など。でもそれ以外の理学では、あまりお目にかからない。

デザインという言葉は、ふつう音楽の作曲にはつかわない。たまに「音のデザイン」と形容してみることはあるが。詩や小説など文芸創作にもつかわない。言語(概念)操作による問題解決(法的解決や哲学など)にも、ふつうは使わない。

こうして考えてみると、デザインとは「形をつかった問題解決」であることに気がつく。

工学では、具体的な創造物(人工物)に対して、美の概念が立ち現れることはある。タービンのブレードとか、住宅建築とか、ジェット機の翼とか。どれも形による問題解決だからだ。宮崎駿の映画「風立ちぬ」で、主人公のエンジニアが、食堂で魚の骨をとりあげて、その形状の美しさに感心するシーンがあった。航空工学では、「形」は力学的構造と機械的機能の両方を満たさなければならない。機能と構造の結節点に「形」がある。

形といっても、物質的なものでなくてもいい。組織図もその一例だ。良い組織デザインという言葉には、違和感は少ない。

「デザインは『形と機能の探求』という理想主義的な思想の遺伝子をその営みの内奥に抱えており、経済というエネルギーで運動しながらもクールな求道者のような一面をも維持してきている」(P.23)と著者はいう。なるほど。

さらに著者は、「デザイナーは本来、コミュニケーションの問題を様々なメディアをどうしたデザインで治療する医師のようなものである」(P.204)ともいう。コミュニケーションは、聴覚、視覚、触覚など五感を通じて人に働きかける。理知のほかに、感覚の路を通る。感覚路を設計するのも、デザイナーの仕事なのだ。

さらに著者は、「あったかもしれない万博」として、没になった愛知万博の初期計画に関して、こう語る。

「古来より日本人は、叡智は自然の側にあり人間はそれを汲み取って生きていると考えてきた。これは人間を神の視点に近いところに位置づけて、叡智を人間の側のものとし、荒ぶる野生としての自然を人間の知性で制御しようとした西洋的な思想風土とは異なる発想である」(P.179)
「中心に人間を置いて世界に向き合うという西洋的な発想は、生きる主体の意思と責任を表明する態度であり、それなりに説得力を持ってきた。」(P.179)

だから日本のデザインは西洋のそれとは異なる解決を提供する事になるはずである、と。

それは分かるが、この本を読んでいくとデザイナーという人種には、奇妙な被害者意識と不思議なエリート意識のないまぜになった感覚がある事に気づく。これはなぜだろうか。

文明は人間に利便性をもたらし、文化は人間にアイデンティティを与えるシステムである。文明の仕組みは、標準化・規格化・単純化を志向する。大量生産は文明の生み出したものだ。しかし、アイデンティティの基礎は、他者との違い、差別化である。

規格化され単純化されたものにも、「美」はありうる。ただし、人間の感受性は、繰り返しに対して鈍感になっていく。最初は美しいと感じたものも、次第に見慣れて、当たり前になっていく。だから、本質的に「美」は差別化と個別性を志向する。ただ、それは、あまり経済的ではない。美は贅沢の要素である。

巨大化した文明は、その歯車の中に、美を作り出すデザイナーを取り込もうとする。とくに「高級感のある商品」に、美は不可欠である。商品には使用価値(期待する機能を満たす程度)の他に、美的価値(感覚的なよろこびを与える程度)も、確かに持ちうる。

しかし、それは美を、商業の目的(損得の価値基準)に従属させようとする動きだ。美醜は損得とは独立した価値だと信じ、とくに美に殉じたいと願う人達には、屈辱である。

構造と機能を取り結ぶのが、「形による問題解決」としてのデザインだ、と先ほど書いた。文明の持つ普遍性と、文化的な個別性の狭間で、両者をなんとか調和させようともがいているのが現代のデザイナーなのだ。それを知ることができただけでも、本書を手に取る価値はある。


<関連エントリ>
 →「映画評:『風立ちぬ』」 https://brevis.exblog.jp/21064033/ (2013-09-14)


by Tomoichi_Sato | 2018-10-08 22:04 | 書評 | Comments(0)

書評:「アンナの工場観光」 荻野アンナ・著

アンナの工場観光 」(Amazon.com)

1993年。日本がまだ、バブル経済後の余熱の中にあった頃である。全国の新聞社に記事を配信する共同通信社は、芥川賞をとった新進気鋭の作家・荻野アンナに依頼して、月1回「アンナの工場観光」なる記事を書いてもらうことになった。ごくお堅い「工場」と、お遊び気分の「観光」という、ある種、相反する二語をワンセットでタイトルに掲げるあたりが、この作家の稚気の表れだろう。ともあれ、編集部の小山さんと、イラスト担当の影山女史との3人コンビで、毎月全国の工場を見学して回ることになる。

本書は、その取材を元にあらためて書き下ろした、かなり笑える楽しい連続エッセイである。そして、笑いのかたわら、25年前の日本の製造業の姿、考え方、そして社会のあり方が透かし模様のように、見事に見えてくる。第一級のルポルタージュでもある。

「試供品、もらえないかしら。」−−最初の工場見学先が決まると、さっそく著者はこう、所望する。それもそのはず、記念すべき第1回は、東京王子にある大蔵省印刷局・滝野川工場であった(組織名は全て当時のまま)。もちろん、お札を製造する工場である。ちなみにコインを作るのは造幣局で、お札は印刷局になる。この工場で、年間33億枚製造されるお札の、ほぼ1/3を印刷している。彫刻技師による原版のデザイン、つまり製品設計も行っている。

工場見学の最初に、紙幣印刷工場を選んだのは、とても慧眼の選択であったろう。典型的な量産型工場だ。二階建てアパートくらいに見える、特製の「ドライオフセット凹版印刷機」で、1ロット500枚ずつ、製造される。そして、厳しい品質管理が要求される。人による目視検査もある。量産だが、すべてにシリアルナンバーを印字し、トレーサビリティを記録しなければならない。そして模造が困難であるような、高度な製造技術が要求される。まことに当時の日本製造業を象徴するような、工場ではないか。

工場の人は、製造した紙幣を「お品」と呼ぶ。そして、できた1万円札を、1枚22円で日本銀行に売る。まあ、ほぼこれが製造原価だと思えばいい。製品としてのお札の寿命は、わずか2〜3年である。市中のお札が銀行経由で戻って日銀を通過する際に、自動監察機でより分けられ、古いものは廃棄されるのだ。ともあれ短い時間の見学で、お札の世界の良品とは、目に美しく、偽造が困難であることだと、著者は本質を喝破する。

この調子で、著者の一行は、全国12箇所をめぐる。京都のマネキン工場、静岡・袋井のポーラ化粧品工場、相模原の特殊自動車(霊柩車)工場、横浜の小さな煎餅工房、山形のシャンパンワイナリー、岩手県一関市・富士通ゼネラルのワープロ工場(あの時代には専用ワープロという商品があってかなり売れていたのだ)、東京池上の食品サンプル工場(デパートの食堂の店頭に飾ってあったりした、あのロウ細工である)、三重県松坂の養豚場、名古屋の三菱重工宇宙ロケット工場、山口・宇部の制服工場、そして最後は目黒清掃工場である。

ややB2C系の、消費財製造の分野に偏っているきらいはあるが、それでも良い目配りだ。お金の工場からはじまって、最後にゴミ処分工場に終わる、という構想もなかなか気が利いている。そして、どれも非常に面白い。

目黒の清掃工場では、「こちらでは何が原料で何が製品にあたるのか、考え出すと頭が痛い」(P.308)と書く。だよね。ゴミを燃やして出た煙から有害物質を除去するため、「まずは冷却し、ススとチリを取ってから、水で洗う。煙の水洗い。まさに煙に巻くような技術である。」(P.316)。だから巨大な煙突からは、無色透明な煙(?)だけが外気に輩出されていく。

この工場は、収集したゴミを原料に、千度近い焼却炉で燃やし、熱や電気という「製品」にかえる。そして、副産物の灰は、東京湾の埋め立て地に送られる。著者達一行は、その埋め立て処分場にまで、車に同乗して出かけていく。この、東京ディズニーランドを対岸に望む人工島の、文明の果てともいうべき滑稽かつ荒涼とした場所の描写は、さすが文学作家である。

ところで、この清掃工場には、中央制御室がある。機械化・自動化が進んでいるからだ。当然といえば当然だが、この本に登場する工場の中で、中央制御室らしきものがあるのは,他に化粧品工場くらいだろう。あとは、すべて人間の紙による指示か、あるいは伝票もなしに、現場の人の判断で動いていくのだろう。だから工場建屋から一歩外に出ると、中で動いているのかトラブっているのかさえ、よく分からない。25年前も今も、そうだ。こういう点での進歩のなさのおかげ(?)で、この本は現代でもちゃんとリアリティーを持って読めるのだ。

著者は、しきりに自分は文系だ、と強調する。たしかに「セラミド」や「固体燃料」といった専門用語は、その分野の技術者でないとわからない。だが、目の前に見える現実を、いろいろな角度から多面的に見て、その本質を理解する能力は、別に文系理系にかかわらない。

たとえば、作家にとって商売道具であるワープロの工場にいく。部品や配線と聞いて著者がイメージした、昔のラジオの中と違って、プラスチック下敷き3枚分の「基板」を走る細い筋が配線で、チップマウンターで実装される板チョコ状の「CPU」が、全体の頭脳となる部品だと知る。そこで著者は急に、名優ジャン・ルイ・バローと日本の能役者が「鐘をつく」動作をしてみせるときの、その差を思い出す。バローの筋肉を動かすリアリスティックな演技に対し、能役者は最小限の動作で、観客にその意味を伝える。

「記号化によるエネルギーの節約で、(中略)最小限の動作と空間へ切り詰めていき、そこから最大限の機能を引き出す。この言い方なら、能とICを横並びに置くことも可能だ。」(p.158)

こういう風に、物事の本質をズバリと抽象化して理解する知性を、この作家はもっている。同時に、効率よく自動化されたマウンターのすぐ後の工程で、女性達が並んで基板を目視検査しているのも見逃さない。工場内の物流を担うAGVを、「ロボット君」と呼んでかわいく描写するが、「不健全在庫低減」の標語を叫ぶウルトラマンの職場ポスターも見つける。この会社がが基板やICチップに見せた『記号化と機能化』を、工場の生産マネジメントにも発揮しているかどうか、著者は何も批判的なことは書かないが、よく見ているのだ。

それにしても、ここに取り上げられた工場のいくつかは、すでに業容をかなり変えているだろう。なくなっている所もあるかもしれない。この当時は外国人労働者も少なかっただろうし、派遣労働者制度も工場は適用外だった。

バブル時代の前、日本の工場は「追いつけ追い越せ」「高度成長」で生産量増大に燃えていた。バブルの最中は、「高付加価値」なる言葉で、要するに贅沢品志向に変わった。バブルがはじけると、一転して工場は「コストダウン」「人件費低減」の嵐だ。そして「海外移転」へと、多くの経営は舵を切っていった。本書に描かれているのは、不況へと転じる入口の時代だ。

しかし当時の工場と、今の工場と、本当にどこがどれだけ変わっただろうか? ‘90年代の製造設備を使い続けている工場は、ごまんとある。職人芸的な手作業に依存する部分も、少なくない。全品目視検査の工程も、ザラだ。バブル時代には一時はやりかけた自動化設備も、その後は緊縮予算で増えていない。

こうした工場のあり方を支えてきたのは、二つの理念だ。まず、きちょうめんで忍耐強く優秀な労働者を、比較的低価格の賃金で、いつまでも雇い続けられる、という信憑。とくに注意力を要する職場には、多く女性が割り当てられる(このことを、著者はやんわりと描き出している)。そしてもう一つは、大量生産における全品目視検査といった、非常に単調な仕事でも、機械より安ければ人間にやらせるのが当然だ、という価値観である。

「人が働くとはどういうことか」に関する、その企業の思想が露骨に現れる場所が、工場なのだ。来る日も来る日も、基盤の欠けや札の印刷の汚れだけを、チェック続ける。機械のミスを人間がチェックする。そんな仕事に、人は一生をかけられるだろうか。親戚の子どもがその仕事に就いたら、「おめでとう」と言えるだろうか。25年前にはまだ、画像検査装置は高価だった? その通りだ。性能も低かった。では、そうした工程は今やすべて自動化されているだろうか。「人間の方が機械より正確だから」という理由をつけて、相変わらず大勢の女工を並べている工場も、あるのではないか。そうした会社が、他の従業員をどう扱うか、推して知るべしではないか?

この本の中で、やはり読んでいて面白いのは、小さくて個別性が高く、全体をある程度見通せるような職場である。養豚場とか、ワイナリーとか、霊柩車とか、マネキンの工場だ。工場というよりは、工房かもしれない。そうした世界では、働く人は生き生きしている。日本人の職人気質なところが、長所として出ている。だったら、こういう中小企業を、より大切にするべきではなかったのか。

そういえば、職業的小説家もまた、職人的手工業の世界である。だから、作り手の気持ちが、より通じているのかも知れない。そういう点で、本書は、村上春樹の『日出る国の工場と並ぶ、作家による工場ルポルタージュの傑作である。ぜひ探してでも読むことをお勧めする。


by Tomoichi_Sato | 2018-08-20 23:12 | 書評 | Comments(0)

書評:「読めるが話せぬ人の英会話」 渋谷達雄・著

読めるが話せぬ人の英会話」 日本能率協会・刊 (Amazon.com)
e0058447_19112029.jpg

あなたが知り合いの英米人の結婚式に呼ばれたとしよう。あるいは、その知人が日本に来ていて、「じつは、もうすぐ結婚することになったんです」と、あなたに言った場合でもいい。その時、相手に何というか。

相手が男性なら、”Congratulations!"(おめでとう!)で良い。しかし、相手が女性のとき、”Congratulations!”と言ったら、ずいぶん失礼になる。それでは、

「あなたはいろいろと旦那探しにご苦労されましたね。苦心の結果ようやく相手の承諾を得られ、ご結婚の運びに漕ぎつけられたことをお祝い申します」

という言外の意味になってしまうからだ(本書P.89)。どうやら英語圏の世界では、男性が苦労して女性を探して射止める、という暗黙の物語が文化の構造の中にある、らしい(たとえ現実は違ったとしても)。だから、女性に対しては、本当は
“I hope you will be very happy.”(お幸せにね!)
と言うべきである。

そして、こういう点が、英語でコミュニケーションするときの難しさなのだ。英語を上達したい、英会話が上手くなりたい、と願う多くの日本人(わたしもその一人だ)にとって、最も注意すべきな点は、こうした文化・習慣・発想の違いである。つまり、わたし風の言い方を許してもらえれば、『OSの違い』なのである。だから、一番学ぶべきは、こうした違いを良く知っている人から、その差分に特化したトレーニングを受けることなのだ。

ところが、たいていの人は、「ヒアリングさえできれば」「ボキャブラリー(語彙)がなあ」「文法を間違えやすくて」「発音が大事だから」といった事が、いちばんの壁だと考えている。それはもちろん、そうだろう。だが、日本人の多くの人は、中学・高校そして大学まで、長い期間にわたって英語に努力を注いでいる。だから、『読めるが話せぬ』状態にある人が、ほとんどなのだ。

「もともと、”話す、聞く”のはやさしく、”書く、読む”のはむずかしいのです。(中略)どこの国の子どもでも、まず話し、聞くことができるようになり、そしつぎに、書いたり読んだりするようになるのが当然です」(P.15-16)と、著者は書く。そして、

「現在いわれている英語習得のメソッドとしては約五十種類くらいありますが、どれも似たりよったりで、(中略)たいてい他国の人は言葉に対して赤ん坊である、という前提の教え方である」ために、「日本の中堅幹部や経営者のかたがたの"話す英語力の再建”には、必ずしも適していないと言ってよいでしょう」(P.17)

という考えの基に、著者は独自の「渋谷メソッド」と呼ばれる方法論を作り上げる。著者・渋谷達雄氏は、幼時を英人家庭で育ち、英語発音学を専攻、そして戦後、米軍司令部行政官を経て、以来30年以上にわたり、一貫して日本の財界・官僚のトップクラスを対象とする英会話講座を担当してきた。本書の後ろ見返しには、土光俊夫氏をはじめとする錚々たる大物たちによる「渋谷達雄先生」への感謝状の写真がのっている。

ちゃんとした知的教育を受けた日本人にとって、「九分九厘は、多少奇妙で国際場裡に通用しにくいが、すでに学校英語としてできている。わたしはただ、一厘お手伝いするに過ぎない」(P.20)というのが著者の主張だ。

その「一厘」の第一は、発音を徹底的に正しく、よくすることだ。「発音さえ正しければ、多少言葉が前後していても、相手にはよく通じます。何しろ相手にとっては、自分の国の言葉なのですから」(P.21)というのは、自分たちの日本語の経験に照らしても、うなづけることである。

「ヒアリングのチャンスがないから、ヒアリングができない、と言われる方が多いようですが、これもおかしいのです。(中略)自分が正しい発音ができ、英語らしいリズムで言えるようになっていれば、相手が正しい発音をしていたら、分からない方がおかしいのです。」(P.23)。これと似たことは、英語教育家だった故・中津燎子氏も言われていたと思う。

著者はそこで、毎日英語で1から50までone, two, three, .. fiftyの発音を、声を出して練習することをすすめる。この50語の中には、英語の重要な発音要素が全部入っているからだ。所要時間はせいぜい、3分。「一日に2,3分の発声発音練習もしないで上手にしゃべるようにしろといっても、あまりに無理なことです」(P.27)

ただ、そこで発音の基本的な理解やコツが大事になる。よく、LとRの区別が問題になるが、「LとRは全くのアカの他人で、Lの兄弟はTなのです。したがって、waterはワーラーとくずれやすい。littleはリルにくずれやすい」(P.26)。またRは先に"ウ"をつけて練習する。rightはウライトと言ってみる。「英語では日本人の想像以上に唇を突き出す発音が多いのです。唇を突き出して発音することになれる必要があります」(P.39)。またthirtyを「セーティ」と発音せよ(つまりir, erをエーで代用する)、というのも著者独自の工夫だろう。

しかし、発音の基礎の上に築くべき大切なことは、欧米人のものの考え方、礼儀やマナーの理解だ。本書の多くはその点に割かれている。

たとえば挨拶の最初は、"How are you?"だが、
「日本人の全部といってもよいほど不得意なことは、"How are you?”のあとに、挨拶する相手の名前を言えることです」(P.65)。
"How are you, Mr. Brown?”と、相手の名前を入れることによって、はじめて、日本語でいう「ございます」調の丁寧感がでる。これを知って、会得できるかどうかで、ずいぶんと商売上での相手の印象が変わるのだ。

あるいは、違いはお礼の言い方にも現れる。誰かにご馳走されたら、翌朝また会ったときに「昨晩はご馳走様でした」というのが日本の普通の礼儀だ。しかし、欧米人はそれをしない。そのかわり、食事の最中や終わりに、日本人の何倍となく礼を言ってほめます。「いってみれば礼の言い方が、日本人の場合は月賦払いで、むこうのは一度に現金払いというわけです」(P.86)

最後の章は、「これが英語で言えたなら…」<すぐに役立つビジネス用語集>で、とくに交渉(negotiation)に必須な言い方がたくさん載っている。これだけでも自分の身につければ、有用な武器となるだろう。たとえば、

「それはちょっとオーバーですね」 I think you’re exaggerating.
「値段については、折れ合ってもいい」 We are ready to meet you half-way regarding the matter of price.
「あなたとはどうも意見が合いませんね」 I just can’t see things your way.
「あいつは図々しい」 He (she) has a nerve.
「この契約はお互いのためになりましょう」 This contract will benefit us mutually.

こうした一つひとつに、簡単な解説がつく。それがまた簡潔明瞭で、しかも日本風と欧米との発想の違いを的確に教えてくれる。非常に有用である。さすが、日本人のビジネスマンや官僚を相手に、長らく教えてきた人だけのことはある。

実を言うと本書は、わたしが30年以上も前に、亡き父の書棚から借りたまま持っていたものである。大半は読んでいたのだが、今回、英国出張の機会に全部を読み直したので、書評を書くことにした。奥付の発行年は昭和53年。だから今では古書としてもなかなか手に入れにくい(Amazonでは書影さえないため、自分でとった表紙の写真をつけておく)。

こう書くと、「内容が古いんじゃないの?」「ブリティッシュ英語じゃ米国相手には使いにくいし」みたいな反応が、出てくるかも知れない。だが、著者も指摘するように、知的教育を受けた「頭のいい」日本人は、どんな教師教材にも何らかの批判点を見つけた上で、なぜか我流にカスタマイズし応用したがる。それによって、自らの知的優位性を確保したいのかもしれぬ。誰か他者のいうことを、そのまま受け入れて真似るのは、沽券に関わると思っているかのようである。

しかし、著者も引用する独語学者・関口存男氏の言葉にもあるように、言葉の習得というのは、ザルで水を汲むようなものである。最初は、すべて流れ落ちて、何も残らない。しかし辛抱して何百回、何千回とすくっていると、いつかはザルに苔が生え、ザルの目がつまってくる。そうしてはじめて、水をすくえるようになるのである。何かスキルを学びたかったら、良い教師を得て、原理原則を学び、あとは繰り返し練習するしかない。そこには知的背比べゴッコの入る余地はない。

すべて無益な教科書というものはない。有益にできるかどうかは、読んだ後の行動にかかっているのである。


by Tomoichi_Sato | 2018-06-24 19:24 | 書評 | Comments(0)

書評:「自由人物理」 西村肇・著


自由人物理―波動論 量子力学 原論」西村肇・著(Amazon.com)


1927年10月。数年に一度開かれる国際的な科学者の会合であるソルヴェイ会議に、錚錚たる物理学者たちが集まっていた。ニールス・ボーア、アインシュタイン、ハイゼンベルク、シュレーディンガー、パウリ、ド・ブロイ、ディラック・・。会議のテーマは原子内における電子と光について。だが、議論の内実は、量子力学の主流派であったボーア、ハイゼンベルク、ボルンらの「コペンハーゲン解釈」の主張と、それに反対するアインシュタイン、シュレーディンガーらの批判だった。

ハイゼンベルクらが行列力学と不確定性関係を提唱したのも、シュレーディンガーが波動力学を提案したのも、その会議のほんの1〜2年前のことで、原子内部の物理像については百家争鳴の状態だった。しかし、数日間の猛烈な論争は、主流派の勝利に終わった。そしてこの時以来、「粒子と波動の相補性」「不確定性原理」「波動関数の確率解釈」を中心とした物理現象の説明が、アカデミアと教科書を支配するようになる。

しかし、コペンハーゲン解釈を柱とした説明は、物理モデルとして奇妙な(直感的に理解できない)問題をいろいろと残した。それは、たとえば電子線の2スリット干渉問題であり、内部構造を持たないはずの電子の「スピン」(自転)だったりした。後に、シュレーディンガーは確率解釈を皮肉って、有名な「シュレーディンガーの猫」という思考実験を披露した。

主流派の武器はハイゼンベルクの行列力学だった。対する波動力学も、数学的には等価であると証明されたのだが、シュレーディンガー側の不備もあって、論争には負けた。ただ、ここには奇妙な現実がある:じっさいには誰も、行列力学なんか計算に使わないのだ。とくに、量子化学の分野では。

物理学は科学の帝王である、純粋科学である、という自負を、物理学者たちは内心抱いている。物理学では、すべては原理から演繹的に・連続的に導出されるよう構成されている。知識の暗記など、本来は不要である。たとえば化学はディスクリートな学問で、沢山の知識を要求する。物理はそうではない。だから物理学者は単純な基礎現象に集中したがる。素粒子を多数組み合わせた原子や分子の挙動など、「あとは化学の問題に過ぎない」と彼らは言った。

ところで、個人的なことになるが、わたしは大学入試で、物理と化学を理科の選択科目とした。そして物理は最後の1問を除き満点だったと思っているが、化学はほぼ白紙回答で提出した。それほど化学嫌いで、物理が好きだったはずなのに、大学に入ってしばらくすると、いつのまにか物理学への興味も情熱も失ってしまった。点数は赤点スレスレ。いったい、どこで道に迷ってしまったのか?

大学の物理の授業は、沢山の数学(数式)はあるが、背後の思想の説明がない。今にして思うと、それが原因だったような気がする。いったい何を目指し、どうしたいから、そんな数学的手法をつくるのか。その目的意識が分からぬまま、いわば行き先不明のまま、先人の後をついて山登りをするような気がした。当時はそんな風に言語化できず、ただ自分は理系の劣等生なのだと感じていたのだが。

たとえば、大学初年でラグランジュの解析力学を習う。ニュートン力学の微分方程式問題が、最大最小問題(変分問題)と等価であることを習い、また一般化された座標系の使い勝手を知る。だが、なぜそんな面倒な定式化を考えるのか、なぜラグランジュアンが運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの差なのか、納得がいかないまま、授業はどんどん先に進んでしまう。わたしが知りたかったのは、研究の「いかに How」だけではなく、「なぜ Why」だったのかもしれない。

研究者とは、思想を持つ存在である。優れた研究者とは、学問における戦略性と体系化にたけている人だ。アインシュタインとか、数学のグロタンディークを思えば良い。まだ未解決の中核問題をみつけ、巧みなアプローチで攻める。また優れた学者は、概念の体系、ゴシック建築のような美しい構造物を作り上げる。それが本来の姿だろう。

しかし、現代の科学者は基本的に大学人であり、アカデミアの中で生きて競争している。その結果、支配的なパラダイムに適応する必要がある。また論文になりやすい研究をする。研究費を稼ぐ必要があるからだ。とくに、現代物理学は巨大な実験装置を必要とする学問である。研究費も組織も役職も大切である。そして、ここに一種の「淘汰圧」が働く。主流のパラダイムに適応して生き残るための、淘汰圧だ。つまり、職業人の物理学となりがちなのだ。

自由人物理』とは、独立研究者による物理学である。ただひたすら、真理の探究と理解を目的とする、物理愛好者の学問だ。どこからも研究費も報奨も出ない。発見自体が面白い、という事だけが唯一の報奨である。巨大実験を排して、思念(と数式)だけでどこまで到達できるか、が問われる。

その到達点を示すのが、本書「自由人物理 〜波動論 量子力学 原論」である。

著者の西村肇氏は、物理学者ではない(少なくとも社会的には)。氏は東大工学部の名誉教授だが、機械工学出身で、東大宇宙研で工学博士の学位をとった。そして化学工学科(現・化学システム工学科)で終生勤め上げ、とくに学会ではプロセスシステム工学のパイオニアとして著名だ。

しかし、アカデミアの分類でいえば、物理学には「素人」である。ついでながら、この人の大学での最後の10年間はバイオテクノロジー研究だったが、生物学にも素人だ。Natureに論文まで載ったが、農学部からは「生物の素人がなぜ学生に教えているのか」と抗議が来たという。

そして、定年退官後はまったくの自由人として、2001年に「水俣病の科学 増補版」を研究・執筆し、毎日出版文化賞を受賞する。

水俣病研究の最後の鍵は、工場の反応器内でのメチル水銀の生成過程だった。それまで、有毒なメチル水銀は、水俣湾の環境中で生成するという推測が多数派だったが、著者はそれをくつがした。厳密な量子化学の問題として、新しい発想で解決し、共同実験で確認した。それは「水俣病の科学」の最後の部分に書かれている。ただ、その探究の中で、著者の頭には、分子軌道(Molecular Orbitals)論とは何なのか? 電子の存在確率、そして排他律を支配する量子数=スピンとは何か? という根本的な疑問がわいてきたらしい。

著者の学風の特徴は、大胆なモデル化を用いた、複雑な系の解明と予測にある。元々、化学工学Chamical Engineering自体が、モデル化を多用する学問である。そこに、技術物理(機械工学)の発想を持ち込む点が著者のユニークな点だ(ちなみに、本書で初めて知ったのだが、旧ソ連では、物理と技術は地続きであって、純粋物理が学問として偉い、という思考は薄いらしい。著者は英語の他にロシア語も堪能だから、若い頃そちらからも影響を受けたのかもしれない)。

モデル化を武器とする学風を持つ著者が、物理学の発展という、長く複雑な対象系を分析し、「量子力学の混迷」と著者が呼ぶ中核問題に挑んだのが本書である。すなわち、非常にユニークな物理学史の記述、再構成になっている。その際に用いるのが、物理学者の思想・学風を「数学派」「物理派」に二分する大胆なモデルである。

著者によれば、数学派の代表格は、古典力学ならばニュートン、量子力学ではハイゼンベルクやフォン・ノイマン、となる。日本ならば朝永振一郎だろうか。他方、物理派の代表格は、古典力学のラグランジュ、マックスウェル、また量子力学ではシュレーディンガー、ド・ブロイ、ディラック、であるという。日本ならば武谷三男、もっと後ならば南部陽一郎だ。

そして1927年のソルヴェイ会議は、数学派と物理派の格闘であり、数学派が勝利して主流の地位を得た、というドラマであった、と解釈される。なお、ここでいう数学派・物理派とは、数学が得意だとか実験物理が得意といった、研究者の資質による分類ではない。そうではなく、この世界を数学的秩序で記述することを求めるか、それとも物理像(物理モデル)を重視するか、という基本的な思想の違いだと、著者は言う。

話は、古典力学からはじまる。

ニュートンの「プリンキピア」は、ギリシャ幾何学にならった、宇宙の公理論的な記述方法であった。しかし同時に、ニュートンという人の底意地の悪さについても、かなり詳しく書かれている。

ちなみに、著者は可能な限り原著・原典にあたり確認する姿勢を怠らない。そこはさすが学者であって、安易な孫引きに頼った、素人の印象批評ではない。ここには書斎で安楽椅子に座りながら、資料だけで事件の全容を解明していく探偵小説のような面白さがある。

ニュートンの力学から、ラグランジュの方程式(最小作用の原理)、そしてハミルトンの正準方程式というのが、大学授業での普通の説明コースである。これは、単なる数学的発展のように見える。しかし、その背後には思想的なドラマがあったことが、本書を読んではじめて理解できた。ラグランジュが、先人モペルテュイの提案した最小作用量の原理を、変分問題に発展させたのは、「質点系(剛体)の問題を、静力学と動力学を統合した形で記述したい」、という目的意識があったからだ。

それだけではない。ラグランジュが活躍したフリードリヒ大王の宮廷が、当時の啓蒙時代(著者によれば「理性革命」時代)のヨーロッパ大陸の思想界にあって、どのような地位を占めていたのか。イギリス経験論哲学からフランス革命につながる縦糸の、どの結節点に位置していたのかを、著者は大きな見取り図の中で示してくれる。数学・物理学・哲学・社会思想は、すべて一つの大きな知的活動の部分的様相にすぎないし、当時の学者はそういう意識の中で生きていた。こうした記述論的な部分こそ、本書の真骨頂であろう。
(ちなみに数式の説明もあるが、どこもごく簡略になっていて、わたし程度ではとても追い切れなかった)

古典力学は、ラグランジュによる作用量関数の定式化を経て、ハミルトン=ヤコビの方程式へと続く。ここでのポイントは、力学と光学の並行関係である。光の進む道は、最短時間の経路をたどるという「フェルマーの原理」が、光学の基礎にある。ハミルトン=ヤコビの方程式と、電磁気学のマックスウェル方程式が、量子力学への架け橋になる。

ここから本書は第2部・量子力学に入る。そして、まず「量子」概念の発見者は、プランクなのかアインシュタインなのか、という問題が提起される。実はこの論争をしかけたのはアインシュタインなのだが、彼が自分で矛を収めたため、現代ではあまり知られていない。この論争は、量子化される物理量の原像はエネルギーか、作用量か、という事を問うている。

プランクの発想のきっかけとなったのは、黒体輻射問題だった。著者はこの問題を、マクスウェルの電磁波理論・ハミルトンの正準変換・調和振動子の統計力学を援用して丁寧に分解し、作用量の離散性こそが本質であると論証する。「作用量子論は運動法則に素量を認める立場です。(中略)量子を実体の性質とみるか、運動法則と見るかで、結論は大きく変わってくる筈です」(p.151)−−これが、第2部を通した大きな布石となる。

第2部では、著者はハイゼンベルクの交換関係(pq - qp = h/πi)の発見と、ボルン、ジョルダンによる「行列力学」化についても、同じような再構成を試みている。つまり、研究者の目的意識からみた、発見の手順である。位置pと運動量qの積が可換ではない、ということは、量子力学の世界での物理量は、演算子(操作)であることを示す。これはわたしにとって、ずいぶん新鮮な学びだった。

ただ、「数学派」のハイゼンベルクらは、数学的な無矛盾性さえ達成できれば、原子内部の物理的描像については無頓着だった。「粒子でありかつ波である」とか「内部構造のない電子が自転する」といった説明が、人間の直感に反していても、「そういうものだ」で済ませてしまうのだ。

これに対し、貴族で素人物理学者だったド・ブロイの発想は違っていた。彼は、フェルマーの原理にしたがって、粒子の運動を先導する物質波というものを構想する。ある変換によって、電子の運動に対するフェルマーの原理が、モーペルテュイの最小作用量原理とまったく一致することに気づいたのだ。彼の構想を、シュレーディンガーは波動方程式へと発展させる。さらにそれを相対論化した、ディラックの波動方程式へと続く流れである。

「物理派」のアインシュタイン、ド・ブロイ、シュレーディンガー、ディラックに共通する思想とは、波動による物理像(モデル)である。それはコペンハーゲン解釈への批判でもあった。

著者はさらに、パウリの「スピン」論とディラックのスピン解釈へと、考察を進める。ここから、いよいよ分子軌道論の話になる。そして、物理学者達が「化学の問題に過ぎない」といった分子構造論について、ハイトラー・ロンドンの共有結合(波動関数の交換積分)、化学結合におけるウッドワード・ホフマン則を経て、著者による“化学と物理を結ぶ”分子軌道に関する新モデル(「分子内ド・ブロイ・モデル」)になる。ここでは、電子の「スピン」の著者流の再解釈が披露される。

「物理派」と「数学派」の対立軸で、量子力学台頭期の論争を読み解く視点は非常に面白い。ただ、「物理派」と「数学派」の対立軸を、著者は「無神論(Atheist)」と「キリスト教」の区分で捉えている。その面もあるかもしれないが、この対立はもっと深い(古い)問題に根ざしているのではないかと、わたしは思う。それは、「宇宙は単純で美しい数学的秩序から生成しているべきだ」という信念をもつかどうかの違いである。

たとえば、つい先日、物故した物理学者ホーキングを例にとってみよう。彼は先輩筋に当たるロジャー・ペンローズの著書「心は量子で語れるか」に反論を寄せて、こういう。

「私(ホーキング)は恥知らずな還元主義者であると、まず最初に言っておきます。(中略)基本的にペンローズはプラトン主義者で、唯一の観念の世界が存在すると信じている。一方、私は実証主義者で、物理理論は私たちが構築する数学モデルにすぎないと思っている。」

数学派のペンローズは、彼のツイスターという純粋に数学的着想を中心に、量子重力論という宇宙像を描き出そうと努力している。その彼を、ペンローズは「プラトン主義者」と呼ぶ。プラトン主義とは、イデアの世界の実在、ここではシンプルで美しい数学的原理から宇宙は生じた、と信じる思想だ。

ただし、このような思想は、歴史上プラトンが創始者という訳ではない。バートランド・ラッセル「西洋哲学史」によると、実はもっと古く、紀元前6世紀に活躍したピタゴラスにさかのぼる。

「ピタゴラスと共にはじまった数学と神学との結合は、ギリシャ、中世、そしてカントに至る近代における宗教哲学を特色づけた。プラトン、トマス・アクィナス、デカルト、スピノザおよびカントにおいては、宗教と理性との、無限なるものへの倫理的渇望と論理的賛美との、内密な結合があって、これはピタゴラスに発している。
プラトン主義と見えているものは、本質的にはピタゴラス主義である。感覚にではなく知性に対して啓示された永遠の世界という全概念は、彼に由来している。」(林達夫・訳より)

このような「数学と宇宙観との結合」は、ギリシャから欧州に流れ込み、西洋的な思想の一つのルーツ、あるいは特徴となっている。キリスト教は中東の片隅で誕生した宗教だが、ヨーロッパで大きく育ったため、こうした感覚を色濃く受け継いでいる。著者はハイゼンベルクを例にひいて、「数学派は必ずしも数学能力が高い人ばかりではない」といっているが、そもそも数学派とは「宇宙の基礎にはシンプルで美しい数学的原理があるはずだ」と信じる人たちなのだろう。一方、物理派とは、「数学モデルは物理現象の近似モデルに過ぎない」と考える人たちである。

あるいはW・パウリを考えてみてもいい。ユダヤ系キリスト教徒の家に生まれ、幼児洗礼ではエルンスト・マッハが名付け親になった。だが大人になり、最初の結婚に失敗した頃から、キリスト教会を離れ、「半分ユダヤ人」と自称する。ただ、彼は数秘術みたいなものに関心を持ち続け、微細構造定数が素数137の逆数である理由を、生涯探求した。そういう点で、彼はキリスト教徒ではないけれども、数学派だった。

数学的秩序が宇宙の基礎にあるはず、という感覚は、われわれ東アジアの文化圏には乏しいものだ。日本にも数学的能力の高い物理学者はいるが、彼らを単純に数学派といいきれないないのはそのためだろう。たとえば日本生まれで後に米国に帰化した南部陽一郎は、一般書「クォーク」第2版18章で、こんな風に書く。

「神が宇宙の設計をしたとき、重力、電磁力、強い力などの構成について公式に従って正確に図面をひいた。しかし弱い力に来たとき計算ちがいをしたのか、物指しを読みちがえたのか、図面のところどころにくいちがいが生じてしまった。直線は垂直に交わらず、四辺形はうまく閉じない。そして弱い力の骨組みが他の力の枠に対して少し傾いている。けれども遠くから見たのではあまり目立たないので、神はそれをそのまま使って宇宙を建ててしまった。」(p.222)

しかし南部は、宇宙がかくも不整合で美しくないからといって、当惑している様子もない。同じ著書の別の箇所で、南部は「超弦理論」を批評して、

「超弦理論だけですべてが解決するかどうかは、少なくとも私には大いに疑問である。自然はわれわれの想像以上に複雑豊富なものであると思うからだ。」(p.309)

とも述べている。ハドロンの弦モデルはもともと南部が考案したものだが、現代の超弦理論はある意味で、数学派の権化のようなところがある。南部は明らかに、そのような思考には組みしていない。

そのような訳で、著者が指摘するように、日本の物理学は式と計算に熱中する割に、あまり根っからの数学派は多くないように思われる。まあ、西洋人のいうことを信奉しやすい日本人は多いので、数学派風のパラダイムで仕事をすることに、さして疑いを持たないのだろうか。批判すべきとしたら、むしろこの点だと思う。

数学を単なるモデル化や近似の手段であるとする態度は、数学を宇宙の構造の中心におく信念とは、正反対のものだ。前者は現象から帰納的に物理法則や原理を発見しようとし、後者は原理から演繹的に物理現象を予測する。健全な科学にとって、この二つのアプローチは車の両輪だ。しかし論争となると、帰納派は演繹派よりも分がわるい。帰納は完全にロジカルではないからだ。単純で説明力の高いモデルを構築するのは、一種のアートでもある。

著者が本書で描いた二つの対立軸、
 <数学派 = コペンハーゲン解釈学派 = キリスト教> と
 <物理派 = 波動関数学派 = Atheist>
も、一種のモデルだ。こういうモデルを用いると、混迷を理解し整理しやすい。わたしはキリスト教かどうかよりも、ピタゴラス主義かどうかというパラメータを使う方が便利だと考えるが、どちらを採用しても、いろいろな例外は生じよう。しかし、例外があっても、モデルは有用なのだ。我々の理解と予測を助けるからだ。"Models are all wrong, but they are useful."という格言があるように。

わたしが西村研究室に入ったしたのは1980年。修士1年のときだった。そして、考えてみると、モデル化を重んじつつも、それに酔わない態度は、西村さんの学風に影響されて、わたし自身、身につけたものだと思える。だから、こうした態度を教えてくれたこと自体が、わたしにとって一番の財産ではないかと思う。

別にわたしが弟子だったから、本書をほめている訳ではない。本書は高度に論争的だが(そして論争的なのも西村さんの学風なのだ)、理路整然としていて内容的に非常に面白いのだ。そして、本書の一番の長所は、読むと「もっと物理を勉強したくなる」ところだろう。

ただ、本書は仙台の出版社から上梓されているが、事実上の自主出版であり、プロによる編集が足りない点が、いささか残念ではある。やはり、編集者はだてに編集をしている訳ではないのだ。

本書の最後の章は、著者自身の半生を(あるいは戦闘歴を)一瀉千里に振り返っている。東大紛争をきっかけに、化学プロセスのシステム工学から、社会システムの問題(公害)の研究に踏み出すのだが、その結果、東大を追い出される寸前までいく。しかし、著者は別に、社会運動家でも左翼思想家でもない。ただ単に、権威や権力に依存した人間の、非合理性を憎むだけだ。つねに、物理(モノのコトワリ)にこだわる人なのだ。

だからこそ、「自由人物理」なのである。


by Tomoichi_Sato | 2018-04-23 22:14 | 書評 | Comments(0)

書評:「小水力発電が地域を救う」中島大・著

小水力発電が地域を救う」 (Amazon)

最近読んだ中で、最も面白かった本だ。わたしはあまり新刊書を批評しない(というか、読んだけれど書評を書けずに溜まっている本が沢山ありすぎる^^;)。だが、この本はできる限り多くの人に読んでもらいたいので、あえて順番を飛び抜かして取り上げよう。

タイトルを見ると、本書はたんに再生可能エネルギーの一分野である「小水力発電」を紹介し、宣伝するだけの目的に思えるだろう。だが著者は、この一見地味な技術について、もっと広いパースペクティブ(ほとんど文明論的な視野)に立って、日本社会に与えうるポテンシャルを論じる。いやあ、頭の良い人が書いた本は面白いなあ、と読みながら久々に感じた。お勉強のできる人や知識の豊富な人は、たくさんいる。だが、広い視野からものごとを多面的にとらえて考えられる人は、滅多にいないのだ。

著者は、全国小水力利用推進協議会の事務局長。経歴を見ると、’85年に東大の物理学科を卒業するが、その後は官庁や大企業にいかず、ベンチャー企業をへて、2005年に非営利の協議会組織を立ち上げ、リードしてきた人だ。

思い出してみると、2005年頃と今では、再生可能エネルギーをめぐる状況は、まったく変わってしまっている。その供給量も価格競争力も、世界的にここまで進むとは、誰も思わなかったろう。日本では2011年にFIT(固定価格買取制度)が制定され、以来とくに太陽光発電がブームになった。

だが、わたし達が最も古くから利用してきた再生可能エネルギーは、水力なのだ。日本は気候と地形に恵まれ、水力利用の適地だという事情もある。だが、著者が指摘するように、ヨーロッパの産業革命も、じつは水力からはじまった。アークライトの水力紡績機は、ジェームズ・ワットの蒸気機関よりも先に現れ、機械工業化の火付け役となったのだ(p. 150)。

水力発電のメリットとは何か。それは、発電量が安定していることだ。太陽光が、日周変動を不可避的に持つことはいうまでもない。では、風力発電はどうか。じつは、風力の発電量は、風速の3乗に比例するという物理法則がある(流体の動圧=運動エネルギーは流速の2乗に比例し、かつ発電の能力はタービンを通過する風量に比例するから)。大気乱流のスペクトル分布を考えれば、風力発電がいかにブレやすいか容易に想像がつく。

水力発電も風力発電も、基礎原理的には同一だ。なのに、発電量の安定度が違うのは、水力は発電機のタービンの前に、堰・ダム・水路などのバッファーをたっぷり持っているからだ。さらに、天からふる降雨量を、山それ自体が平準化して流出してくれる。本書が対象とするのは、1000 kW未満の小水力だが、それでも全国の開発可能量(経済性を考慮した数量)は数千箇所、合計100万kW程度と見込まれている(p.21)。ほぼ原発1基分である。これだけあれば、足下の山間地の需要はおおむね満たすことができる、という。

ただし、第8章「歴史の中の小水力発電」に詳しく書かれているように、日本には小水力発電が育ちにくい不幸な事情があった。現在、小水力発電を計画しようとすると、肝心の水車を、欧州やアジアから買ってこなければならない。発電用水車を安価に製造できるメーカーが、日本にほとんど無いからだ。なぜ、この技術大国で、水車程度を作れる企業が存在しないのか。それは、そもそも市場がなかったからだ。

戦前の日本では、水力発電事業を行う鉄道会社や自治体も、それなりに沢山あった。しかし、「戦争に伴う挙国一致体制を築くため、小水力も含めて、発電所・電気事業は日本発送電という国策会社に統合されてしまいます。そして敗戦後も、元に戻すのではなく、(沖縄を除く)9社の電力会社に分割再編することになり、地域の小水力発電所もその電力会社に帰属することになりました」(p.158)

地域独占となり、経済成長で巨大となった電力会社にとって、「戦前から引き継いだ小水力発電所はコストパフォーマンスがわるいため、だんだんと廃止され」ていった(p.159)。たとえば東電管内の山梨県では、300kW以下の発電所は廃止の指示が出た。こうなると、機器を製造するメーカーも生きていけなくなってしまう。

ところがヨーロッパでは事情が違った。もともと歴史的には、日本も欧州も、大都市向けの大規模水力の開発と、村落向けの小水力の増加が並行して進んでいた。だが敗戦国ドイツでさえ、小水力発電所の統合は行われなかった。今でも村営の発電所が多数残って、馬鹿にならない量の電力を安定供給している。かくして、今でもドイツやイタリアに、安価で優秀な水力機器メーカーが生き残っているのである(p.159-161)。

ただ、歴史の面白いところは、このような状況にもかかわらず、民間が自由に水力発電事業を営める形態が、ほんの一筋の水脈のように、残ったことだ。それも、なぜか中国地方に残っていた。織田史郎という人物のおかげだった。彼は中国電力の前身にあたある中国配電会社の役員だった。彼は、戦後まだ残っていた「無点灯地区」(電気の来ない村)では、自力で発電事業をやればいいと考えた。そして将来、配電線が村に届いたら「電力会社に電気を売って、地域振興の財源にすればいい」とまで見通した(p.164)。

こうして彼らの働きかけにより、「農山漁村電気導入促進法」が1952年に制定される。織田の努力が実り、中国地方には最盛期には200ヶ所もの小水力発電所があった。事業主体は農協や漁協、土地改良区などだ。水力発電設備は寿命が長いから、今も50ヶ所が事業を続けているという。ただ、全国的には衰退していく。「その原因を一言で言えば『挙国一致体制で国策会社に統合した』ことにつきます」、と著者は書く(p.167)

しかし、まだ「促進法」自体は生き残っている。これを活用する形で、この10年ほど、全国にぽつりぽつりと、地域振興をかねて小水力発電が復活しはじめた。その代表例は、第1章に詳しく書かれている岐阜県郡上市石徹白(いとしろ)地区の事例だ。岐阜市出身で一時は外資系コンサル会社に勤めていた平野彰秀氏が、一種のUターン(正確にはIターン)をし、地域づくり協議会として、マイクロ水力、ミニ水車をつくっていく。ついには発電目的の農協を組織し、125kW出力の発電所を建設するのである。

「FIT制度が始まった今は、小水力発電に良い時代です」と著者の中島さんは書く。「農産加工品などの市場開拓は簡単ではありません。ところが、小水力発電の電気は、FITのおかげで必ず売れるという利点があります」(p.47)。

石徹白の取り組みの原動力になったのは、じつは小学校が廃校になってしまうかも知れない、という危機感だった。「小学校の存続は、地域が存続するかどうかの先行指標と言っても過言ではありません。子育て環境の悪化で若い夫婦がいなくなるだけでなく、子どもたちの帰属意識が薄れ、高校・大学を卒業した後戻ってくる動機が弱くなるからです」(p.38)-- このように、過疎に悩む限界集落にとって、発電事業による収入の確保は、地域の生き残りのカギになりうる。

そればかりではない。日本の里山では、農業用水路の維持保守が、死活的に重要だ。しかし近年の農業人口の減少により、一人あたりの維持費用負担が高くなり、ますます離農が増えるというダウンスパイラルが、あちこちに起きている。そこで、農業用水路を活用した小水力発電と、それに伴う現金収入は、農業それ自体を維持する上で重要なのだ。

ここで、農業用水路の『空き断面』を活用した水力発電、という新ビジネスモデルが、にわかに登場する。空き断面とは、水路の余裕となる流量だ。農業用水は田植えなどの時期を除くと、じつはかなり流量を絞っている。10の容量があっても、1の水量しか流れていない状態は珍しくない。そこで、ここに10の水量を流して、9の分は発電に使うのだ(p.57)。発電に使った後の水は、農地ではなく川に戻す。こうした話は、本書を読むまでまったく思いもかけなかったアイデアで、とても面白い。

もう一つ、なるほどと思ったのは、「山村の土建会社は小水力発電で生き残れ」(第3章)だ。近年、地方の小規模な土木業者たちはつぎつぎと廃業している。しかし、山村ではいったん大雨や災害が起きると、土建業者が対応してくれない限り、ライフラインが復旧しない。だから地方の土建会社は必要なのだ。ところで小水力発電所の建設と運営は、土木技術の固まりである。だから公共事業の減った今日、土建会社にとって良い副業になる。

おまけに土建会社の経営者は、当たり前だが経営感覚に優れている。発電所の設置と運営は、やはり経営感覚のある人がいるかどうかが、成功の鍵なのだ。第3章には、富山県の土木経営者だった、故・古栃一夫の獅子奮迅の働き(当時は監督官庁の、言いがかりに近い無理解があり、それと闘った)が、いきいきと描かれている。

というわけで、本書は具体事例をふんだんに盛り込みつつ、地方活性化のために小水力発電事業がいかに有用かを、多面的かつ客観的に書いている。副題に「日本を明るくする広大なフロンティア」とあるが、地方の山村を明るく事こそ、著者(ご本人は都会生まれだと書いているが)の強い願いなのだ。

その信念は、序章と終章によく表れている。序章で著者は書く。「日本の山の木材の価値を死なせてしまったのが、1964年の木材輸入自由化でした。海外から木材を安く輸入できるようになったため輸入材が急増し、日本の林業は壊滅状態になってしまったのです。このことは山村から主要な価値が失われたことを意味していました。(中略) 木材が燃料であり建築材であった20世紀の半ばまでは、ものの価値と言う意味で見れば、山は価値の流れの上流にあったのです。ところが山は、価値の流れの下流、しかも最も末端になってしまったのです。こうして、山村から人がどんどんと里へと移動し、過疎化が進んだわけです。」(p.14)

このような流れを止め、できれば逆転させる力となりたい、というのが著者の望みなのだろう。今日風のグローバリズムの観点に立てば、そんな経済効率の低い辺境地域などうち捨てて、人口は都市に集中させ、そこに資源を集中させる方が効率的だ、という結論しか出てこない。だが、著者の意見は違う。

「町育ちの人ばかりになると、社会が脆くなります」(p.177)

効率性は脆弱性と裏表の関係にある。効率性の高いシステムは、冗長性が乏しく、外部条件の変化に対して脆弱になる、と著者は指摘する(同頁)。このテーゼは、わたしが最近ずっと考えている、システムに固有なトレードオフの問題と同じで、その点でもとても共鳴してしまった。

小水力発電事業は、たぶんわたしの勤務先のビジネス領域には重ならない。多くの読者にとっても、同じだろう。だが、それでも、日本の地域の文化が生き生きと存続することを願うならば、一人でも多くの人にこうした活性化のビジネスがあり得ることを知ってほしいと思う。


by Tomoichi_Sato | 2018-03-14 23:48 | 書評 | Comments(0)

書評:「ななめの音楽」(Ⅰ・Ⅱ) 川原由美子・著

ななめの音楽1 (ソノラマコミックス)」 「ななめの音楽Ⅱ (ソノラマコミックス)」(Amazon)

現代マンガの一つの到達点を示す傑作。それが川原由美子の「ななめの音楽」である。

2017年の個人的ベスト3は、「怒りの葡萄」(スタインベック・著)、「ケセン語訳 新約聖書 【マタイによる福音書】」(山浦玄嗣・著)、そして本書「ななめの音楽」だった。本書の実際の発刊は2011年だが、わたしが読み終えたのはたまたま昨年なので、ここであえてとりあげたい。

現代日本のマンガはきわめて豊穣だ。そのバラエティの幅広さ、表現の深さ、作者・読者層の多様さ、どれをとっても第一級の文化的ジャンルと言える。その中で、あえて本作品を「一つの到達点」と呼ぶのはなぜか。それは、この作品が、手塚治虫以降に発明されてきた現代マンガの主要な技法を、あえて捨てたところで表現を作っているからだ。

こうした話は、実物を見ないとうまく伝えられない。そこで、本書のII巻にある1ページをここに掲載することにする。(こういうことをすると著作権者から抗議されるのかも知れないが、その場合は画像を削除し取り下げることにする)
e0058447_14004871.jpg
見ていただくと分かるとおり、1ページが正確に4つの同じ大きさの長方形のコマに分割されている。本書は全頁がこのようになっている。つまり、どのページも黒地に4コマで、大小のコマ割りもなく、斜めのコマ分割や枠線の消失もない。手塚治虫が「新宝島」で導入した、映画的でダイナミックなコマ割りを一切、使っていないのだ。

それだけではない。空中を飛んでいる飛行機に、その動きを表すような線が一切、描かれていない。そして爆音も描かれていない。つまり、いわゆる「漫符」がないのである。動きの線、心理状態を表す模様、「シーン」といった沈黙音の表現、その他マンガ特有の一切の補助表現が、ここにはない。まるで江戸浮世絵か西洋絵画を見ているようだ。ただ、本当に目に見えるものしか描かれていない。

そして、会話を表す吹き出しに、吹き出し線がないことにも注目してほしい。このため、このマンガでは誰がしゃべっているセリフなのか、言葉の内容のみから推測するしかない。一コマ目、

 「こゆるさん ひとつお話ししておきたいことがあります」
 「はい」

この対話から、最初の話者が、「こゆる」(主人公の名前)以外の人物であること、これに対して、こゆるが相づちを打っていること、などがわかる仕組みになっている。吹き出し線抜きで、空の上でのこうした対話を描写することが、実際にはいかに難しいか、想像にかたくない。

このような制約を自らに課すことで、作家・川原由美子が表そうとした世界は、いったい何か。

「美しい機体と少女たちが 蒼い空を翔る 近未来ドラマティック スカイ・ストーリー」
と、帯のアオリ文句にある。戦闘機と、空中戦と、そして戦う美少女たち、というのは、実に現代日本のマンガが大好きな題材だ。しかしここに展開されるのは、きわめてシリアスな心理ドラマだった。

主人公の高校生・伊咲こゆるは、大好きな先輩・光子を追って、北ヨーロッパの空で展開される航空機レースに一緒に参加する。そして光子の祖父(ドイツ系の貴族)に仕える女性ラウラ・シュミート、日本からTV局の中継のために訪れているアイドル歌手の久永まな希らと出会いつつ、奇妙で複雑なバトルレースに巻き込まれていく。その中で、こゆるは、なぜ光子がいつも笑わずにいるのかを次第に知るようになり・・

タイトルの「ななめの音楽」Shrage Musikとは、どういう意味か。「ジャズのことですよ。」と、I巻でラウラは、こゆるに説明する。アメリカからジャズが輸入されたとき、ドイツの音楽家たちは、歪んでズレた音感(と彼らには聞こえたのだろう)を、そうよんで揶揄した、という。ただし、「ななめの音楽」にはもう一つの意味があった。それはII巻をよんでいただくとして、無邪気で美しく見えた世界が、すこしずらすと深刻で悲劇的な意味を持ち始める、というテーマは、本書に繰り返し現れてくる。

本書の扉には、”Based on non existent novel written by Michiaki Sato”というクレジットが書かれている。イラストレーターでメカデザイナーの佐藤道明氏による、刊行されていない小説を原作としているという意味だ。ネットの情報によると、佐藤道明は一時、川原由美子のアシスタントだか助手だかをしていたことがあり、実際、同じタイトルによる作品を’90年代に共作で発表しているらしい。ただ、その時は光子が主人公であったようだ。本書は視点を、こゆるという後輩の少女に移している。つまり佐藤道明のストーリーをベースにしつつ、20年後に川原由美子が一人でリライトしたのが、本作品なのである。

ちなみに川原由美子氏は高校を中退して漫画家になったらしい。1960年生まれだから、ずいぶん長いキャリアである。わたしは本書がはじめて読む作品だったが、初期の本の書影を見ると、じつにまあ、ごく普通の正統的少女マンガである。絵も単純に見える。近年は寡作のようだが、本書のような造形はそうスピード生産できるものでもない。そして絵も信じられないくらい、巧い。本書の次に刊行された「TUKIKAGE カフェ」も読んだが、こちらも美的に見事である。たとえ中卒であっても、職人芸をつきつめて、ここまでの表現レベルに達する作家がいるのだ。それが、現代マンガの豊穣の証左かも知れない。

戦闘機の飛び交う世界でありながら(第II巻の巻末には、ご丁寧に「ラウラさんの翼くらべ」と題する航空機解説ページがおまけについている)、しかし本作品は、伊咲こゆるという主人公の成長の物語であり、まことに正統派の少女マンガになっている。

正統派の少女マンガの主題とは何か? それは、「自分が女性であることを選択する」物語である。

男女の性別は、生まれついたときから備わっているが、子どもの時はだれもが無性な存在だ。しかし、この世界は基本的に男性中心にできあがっている。その中で、自分自身が女性になることを、女の子たちはある段階で、自分から選び取らなければならない。これが少女マンガの中心にあるテーマなのだというのが、わたしの仮説だ。

だから、こゆると光子との二人の魂の、変転と成長を描くこの物語は、まことにこの作者にふさわしい正統な少女マンガなのである。この伊咲こゆるというキャラの視点がよほど気に入ったのだろうか、作者は後に、こゆるとの共作名義の本も出しているくらいだ。(ちなみに男性中心に出来上がりすぎた社会は、結局、男の子をも不幸にする。だから最後の方で作者は、「つぎの世紀は男性につらい時代になるはず」と、光子のセリフを借りて予言している)

美しく静謐な画面と、劇的な序破急のストーリー。それに加え、魅力的なキャラクター、意外な結末、そして鮮やかな幕切れ・・本書は、じつに多彩なマンガの魅力を持っている。まことに傑作である。


by Tomoichi_Sato | 2018-02-18 14:30 | 書評 | Comments(1)

書評:「怒りの葡萄」(上・下) ジョン・スタインベック著

このところ、書評を書くペースが遅くなって、なかなか読み終わるスピードに追いつかない、と昨年はじめの「書評 2016年のベスト3」 に書いた。その事情は変わっていないが、2017年は読む本の冊数自体も随分減ってしまった。これはスマホでなんとなくだらだらと、ネットを見ているからだと気がついた(わたしは主に移動時間に本を読む習慣なので)。そこで、最近は電車では可能な限り、紙の本を読書ようにしている。まあその方が情報内容に読み応えがあるし、ピンチの出版業界の助けにもなるし、何より目にも良い。

昨年読んだベスト3の内、1冊は「ケセン語訳 新約聖書 【マタイによる福音書】」(山浦玄嗣・著)だったが、これは書評をすでに書いているので、残りの2冊について早めに紹介しておきたい。もっとも2冊というのはどちも上下2巻本なので、実質的には4冊だが。「怒りの葡萄」は、そのうちの一つである。


怒りの葡萄〔新訳版〕(上)」・「怒りの葡萄〔新訳版〕(下) 」 (Amazon.com)

1930年代、アメリカ中西部から南部にかけて走る「グレート・プレーンズ(大平原)」の農業地帯は、厳しい日照りと砂嵐に見舞われる。通称「Dust Bowl」とよばれた現象である(本書では純粋に天災として書かれているが、実際には、生態系を無視した収奪的な開墾農業に起因する、人災の面が強かったことが分かっている)。

アメリカ社会はすでに1929年から、大恐慌時代に入っており、多くの農民は借金を抱えていた。そこに、この砂嵐が追い打ちをかけた。結果として彼らの多くは、借金のカタとして土地の所有権を奪われた。さらに貸し手の金融業者達は、機械化トラクターを使って、容赦なく農民たちを半暴力的に住み家から叩き出した。生活の糧を得るために、彼らは仕方なく州外に逃れなければならなかった。

この小説は、そのような難民達の物語である。そう。100年近く前の米国には、国内に、多数の経済難民を輩出していたのである。彼らの多くは、仕事がある豊かな地というイメージにひかれて、カリフォルニア州を目指した。とくにオクラホマ州は多くの農民が放浪状態になり、「オーキー」と蔑まれてよばれた。オーキーの小作農出身であるトム・ジョードが、本書の主人公だ。

彼らの多くは、自家用車を改造したトラックにありたけの荷物を積んで、ルート66と呼ばれる道路を西に向かう。そこにはアメリカの農民たちのバイタリティと、自動車のエンジン部品まで自分で修理するDIYの精神が息づいている。

だが、彼らを待っていたのは過酷な運命であった。カリフォルニアの農業は、すでに土地の大土地所有化が進み、さながら大企業かプランテーションのように、安い労働者を搾取することに慣れていた。彼らは中西部に無際限に労働者募集のビラをまいて、集まった労働者同士で競争させ、単価をさらに下げると言う方策をとっていた。加えて豊かな土地の住民にありがちな、貧しい余所者のへの差別。そして難民収容所さながらの、劣悪な生活。

その中で、貧しい者同士が団結して、単価の値上げを要求しようとするリーダーが生まれてくる。しかし大農地の所有者たちは、彼らを「アカ」と呼び、保安官を動かして彼らを逮捕、あるいはこっそり殺そうとする。この辺もまことに米国的である。

主人公のトムも、そうした中で保安官に追われる身となる。彼が母親に別れ際に言う有名なセリフ、「俺の魂はそこら中の暗闇の中にいる。飢えるのはごめんだと言って喧嘩する奴がいたら、俺はそこにいる。おまわりが誰かをぶちのめしていたら、俺はそこにいる。」--これは実は新約聖書にあるイエスの言葉、最後に弟子たちに向かって別れ際に言う言葉のもじりだ。『怒りの葡萄』というタイトル自体、この世の終わりを描写した「ヨハネの黙示録」からとられている。

本書は1939年に出版されるやいなやベストセラーとなって、賛否両論の激しい渦を巻き起こし、いくつかの州では発禁となった。またジョン・フォード監督、ヘンリー・フォンダ主演で映画化され、さらに多くの人に知られるようになる。この重厚な名作によって、後にスタインベックはノーベル賞をもらう。昔から翻訳は出ていたが、スピルバーグが再映画化するというので、出版社は新訳を出したのだろう。わたしはそちらの方で読んだ。

それにしても、ぎりぎりの賃金で苛烈な生活を送る、最下層の貧しい人びとの果敢な精神と、彼らを容赦なく利用・簒奪し、かつ差別する富める者たちという二分法の構図は、100年前どころか今も既視感のある情景である。本書はジョード一家の個別の物語と、特定の人称を持たないアメリカ社会の描写を交互に配した重層的な構成だが、話が重たいだけに、結末の不思議な、しかしある意味、苦難を超越した幕切れが印象に残るのであろう。100年前の出版ながら、いまだに今日的な意義を持つ小説である。


by Tomoichi_Sato | 2018-01-31 08:40 | 書評 | Comments(0)

書評:「ケセン語訳 新約聖書 【マタイによる福音書】」 山浦玄嗣・訳

ケセン語訳新約聖書 〔1〕マタイによる福音書 (Amazon)

これは、岩手県大船渡市に居を構える医師・山浦玄嗣氏による、ケセン語訳新約聖書の第1巻である。「ケセン語」とは、山浦氏が住む東北・気仙地方の言葉を指す。いわゆる東北弁であり、普通なら気仙方言、あるいは“ズーズー弁”などとしばしば蔑まれる自分たちの言葉を、氏はあえて標準日本語(明治以降に成立した)と対峙する一つの言語として宣言する。それだけではない。彼はケセン語の表記のための独特の変形仮名を創案し、1996年にケセン語文法書を上梓、さらに2000年には「ケセン語大辞典」まで編んだ。

それもこれも、生涯の夢である「故郷の言葉ケセン語で聖書を作る」ための準備であった。そして2002年に、まずこの「マタイ福音書」が出版される。もっとも、これは日本語訳のタイトルであり、ケセン語の正式タイトルは「マッテァがたより」である。福音書という語は、もとのギリシャ語では、良い知らせという意味であり、だからケセン語の語彙にこだわって、「たより」と訳した。マタイと普通呼ばれる著者の名前も、ケセン語の音韻規則に従って変形し、マッテァとなる(その後の「が」は所有格を示す)。

新約聖書の4福音書は、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの順に並べられているが、執筆年代は違う。短いマルコが一番古く、ついでマタイ、長いルカときて、独特なヨハネが最後である。ちなみにわたしは山浦氏のケセン語訳シリーズを、「マルコ」「ルカ」「ヨハネ」と何年間かにわたって読み継いできて、とうとう最後に「マタイ」を読み終えた。氏はさらに震災の後の2011年秋に、日本語訳新約聖書四福音書「ガリラヤのイェシュー」を上梓している。これも非常にユニークな翻訳で、読み終えたらまた紹介したい。

本書のシリーズは、いずれも書籍とオーディオCDがセットの箱入りになっている。CDの中には、山浦氏が自分で朗読した音声が収録されているのだが、これが実に良い。自分で劇団を立ち上げたというだけあって、声もいいし、情感がこもっている。ケセン語訳は漢字かな交じりではあるが、読むには慣れが必要だ。だから、本を眺めながら、朗読を聞くというスタイルが一番いいだろう。そして、それでこそ、土地に密着した言葉の力が直接、心に届くのである。心に訴えかけることこそ、こうした宗教書の一番大切な役割なのだから。

たとえば、有名なイエスの『山上の垂訓』冒頭は、ケセン語訳では、こうなる(ただしケセン仮名はネットで表示できないので普通の仮名で代用する):

「頼りなぐ、望みなぐ、心細い人ァ幸せだ。
 神様の懐に抱がさんのァその人達(ひだつ)だ。
 泣く人ァ幸せだ。
 その人達ァ慰めらィる。
 意気地(ずぐ)なしの甲斐性(けァしょ)なしァ幸せだ。
 その人達ァ神様の遺産(あとすぎ)ィ受げる。
 施しにあだづぎそごねで、腹ァ減って、咽ァ渇ァでる人ァ幸せだ。
 満腹(くっち)ぐなるまで食ァせらィる。
 情げ深(ぶげ)ァ人ァ幸せだ。
 その人達ァ情げ掛げらィる。
 心根(こごろね)の美(うづぐ)すい人ァ幸せだ。
 その人達ァ神様ァどごォ見申す。
 お取り仕切りの喜びに誘う人ァ幸せだ。
 その人達ァ神様の子だって語らィる。
 施すィ呉(け)ろ、呉ろって攻めらィる人ァ幸せだ。
 神様の懐に抱がさんのァその人達だ。」(p.47-49)

もう25年以上も前のある時、山浦氏が教会でこの山上の垂訓のケセン語版を朗読披露した際、聞いていたサクノさんという老婦人がかけよって、「いがったよ! おら、こうして長年教会さ通(あり)ってね、イエスさまのことばもさまざま聞き申してたどもね、今日ぐれァイエスさまの気持ちァわかったことァなかったよ!」と、目に涙を浮かべてよろこんでくれた、という。これが、ケセン語訳新約聖書を作りたい、という気持ちの原点になったそうだ。

ところで上の1行目は普通、「心の貧しい人は幸いだ。」と日本語に訳される。しかし、これではケセン語の話者にとって意味が分からない。「心の貧しい」は、想像力が乏しく気高い心が欠如している、思いやりのない人を指すからだ。山浦氏の巻末解説によると(p.238)、もとのギリシャ語は「プネウマにおいてプトーッソーしている人々」である。プネウマは息・魂で、プトーッソーは貧弱な・乏しいを意味する。そこであえて、『頼りなぐ、望みなぐ、心細い』と内容を訳すことにした、という。

これでは意訳しすぎだ、超訳だ、という批判は(方言の使用云々以前に)あるだろう。そんなことは山浦氏は承知している。そして意訳した箇所は必ず、巻末解説で理由と解釈を説明している。これが実に面白いのだ。彼独自の解釈、いわば『山浦神学』の面目躍如である。

そもそも、翻訳という行為は解釈そのものである。現代は機械翻訳が発達してきたため、かえってこの本質を見失っている人が多い。単に誠実に逐語訳的に単語を置き換えれば、それが中立客観的な翻訳になるはずだ、と信じている。だが、原語に対応する訳語が複数ある時、どの訳語を選ぶか決める時点で、すでに翻訳者の価値観や美学が入るのだ。

その一つの例が「」である。キリスト教は愛の宗教だ、とか、神は愛なり、といった言い方をするクリスチャンが多い。だが山浦氏が指摘しているように、もともと日本語の『愛』という字は、慈愛という言葉で分かるように、上位者から下位者に抱く感情を指す。ペットを愛玩し、蒐集物を愛蔵し、家臣を寵愛し、顧客が店を愛顧する。ギリシャ語の『アガペー』を明治時代の先賢が、愛という言葉で訳してしまったが故に、「人間が神を愛する」という倒立が生じてしまった。

ところで昔のキリシタンは「お大切にする」という言い方をしたという。これはアガペーの本質を見事に表した言葉である。「汝の敵をも愛せ」より、「憎い敵であっても、その人間を大切にしろ」という方がずっと伝わってくるし、また立派なことにも思える。そこでケセン語訳では「大事(でァず)にする」となっている。

似たような、しかしもっと違和感のあるキリスト教特有の言葉に、「主(しゅ)」がある。「主なる神」といった風に使う。神は人間の主(あるじ)だ、というのはユダヤ教の旧約時代からの概念・感覚である。だが現代日本で「主」といって意味の分かる人が、どれだけいるだろうか。まして、イエスが布教に行った先の村で、はじめて出会った婦人が、(まだクリスチャンでもないのに)イエスに向かって「主よ」と呼びかけるのは明らかに奇妙ではないか。

この「主」は、スペイン語ならセニョール、ドイツ語ならヘールで、どちらも普通の男性への呼びかけだ。だからケセン語訳では「旦那(だな)様ァ」という呼びかけになる。この方がずっと、わたし達の腑に落ちよう。

むろん、「こんな翻訳は冒涜行為だ」との批判をかなり受けただろうことは、容易に想像できる。その底流には、東北方言に対するいわれなき偏見も、しばしば沈潜していたに違いない。しかし誰も両親を選べないように、母語も選べないのだ。である以上、自分の言葉に誇りを持ちたい、心に響く言葉を使いたい、という感情も当然ではないか。それに、そもそもイエスだってガリラヤ出身で、なまっていたのだ。一番弟子のペトロが、イエスの審問の行われている大祭司邸に忍び込んだとき、「お前もあの男の仲間ではないか、その訛りで分かる」と言われたのが、何よりの証拠である。

本書の冒頭に、カトリック仙台司教区の溝部教区長が跋辞を寄せており、その中で、キリスト教の『土着化』のことが論じられている。これは初代教会の時代からの問題で、1998年のアジアの司教会議でも、“土着化されないといけない”という抽象的結論は出たものの、具体的にそれが何を指すのか誰にも分からず、試行錯誤が続いている、という。だが山浦氏の労作はそれを具体化しようと実践している。だから「日本司教協議会は本書を試行錯誤の過程にあるものと理解して、出版を励ましております」(p.3)と書かれている。

そういうわけで、わたしもこのケセン語訳のシリーズを非常に面白く読み、また大いに考えさせられた。キリスト教はヨーロッパで発達してから近代日本に再輸入されたため、どうもひどくバタ臭いところがある。それは一部の人には魅力になっただろうが、多くの人はむしろ敬遠する理由になったのではないか。そういった違和感を超えるべくなされた努力には、敬服である。キリスト教という宗教に多少興味のある人だけでなく、言語とは何か、翻訳とはどういう行為か、を考えたい全ての人にお勧めできる良書である。そして、このような困難な書籍の印刷発刊を行い、じつに美しい装丁で提供してくれた版元のイー・ピックス社にも敬意を捧げたい。


(追記)
 なお本書セット(書籍とCDの箱入り)自体はすでに絶版状態だが、書籍はオンデマンド出版で、また音声はダウンロードで、それぞれ版元のイー・ピックス社から入手可能である。




by Tomoichi_Sato | 2017-04-15 10:21 | 書評 | Comments(0)

書評:「スティル・ライフ」 池澤夏樹・著

スティル・ライフ」 池澤夏樹・著 中公文庫(Amazon)


「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。」

この不思議な小説は、こんな風にはじまる。『スティル・ライフ』というタイトル、そして冒頭の文章の主語の選び方とセンテンスの結び方、抽象的な叙述の仕方などから、この作者はよけいな湿り気のない、透明度の高い文体で物語をつむごうとしていることを、読者はまず感じる。

続く最初のシーンでは、バーの高い椅子に座る「ぼく」と友人の、静かな対話が描かれる。その友人は、水のグラスをじっと見ている。何を見ているのかとたずねる「ぼく」に対して、彼は、ひょっとしてチェレンコフ光が見えないかと思って、と答える。宇宙から振ってくる微粒子が、グラスの水の原子核と衝突すると、かすかな光が出る。それを待って、というのだ(これはスーパーカミオカンデの観測原理だが、この小説発表当時はまだ存在していなかった)。

わたしは池澤夏樹という作家について、ほとんど何も知らぬままこの小説を買って読み始めたのだが、どうやら理科系的な資質の人らしいと、この辺で感じる。たしかに本の見返りの作者紹介には、北海道で生まれ、国立大学の物理学科を中退した、とある。もちろん、理系文系の区別など、便宜的なものでしかない。東工大を出た吉本隆明より、青山学院の英文を出た姫野カオルコの方が、よほど非情緒的でクラリティの高い文章を書く。でも、どうやらこの小説は理系読者に好ましい、何か不思議な魅力を持っている。

主人公の「ぼく」と、友人の佐々井は、ともに染色工場で働いていて知り合いになった。工場で働く主人公というのも、今どき珍しい。色番号を指定して糸を染める工場の工程を、作者は「ロットサイズ」などの言葉を使いながら淡々と、正確に記述する。その仕事で何がカギになるのか、何に人々は悩むのかを、手短な文章とエピソードから描いていく筆致は、なかなか達者だ。

「染色なんて、分子と分子が勝手にくっつくのに、人は少々手を貸しているだけなんだ。」——人には手の触れられない領域がある。人が全てをコントロールすることはできない。この小説には、分子とか星とか、他の小説には滅多に出てこないような単語がときおり登場して、主人公や読者たちの視線を、ふいに遙か遠い所へと誘う。『遠い視線』、これこそが池澤夏樹の小説の魅力だろう。

物語はその後、佐々井の提案によって意外な方向に展開していく。それは、ふつうなら欲望とスリルにあふれた、波乱含みのストーリーになるはずの話だ。だが、遠い視線から語るこの小説では、どこか淡々と、ひどく静かにことが運んでいく。そう、まるでタイトルの示す「静物」のように。

「大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
 たとえば、星を見るとかして。」

冒頭の文章に続くこの段落こそ、透明な叙情性に満ちた本作品の方向性を決定づける道しるべ、記念碑なのだろう。その後、同じ作者のエッセイも少し読んでみたが、やや理屈っぽく生硬な部分があって、必ずしも読みやすいとは感じられなかった。だが、この作品は本当に素晴らしい。端正で静謐な、若い文学としての美しさに満ちている。本作品は1988年の中央公論新人賞と芥川賞を受賞した。



by Tomoichi_Sato | 2017-02-25 16:56 | 書評 | Comments(0)