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ラインビルダーとは何か、なぜ今、必要なのか

平田機工という会社を初めて訪れたのは、一昨年の夏だった。熊本の企業で、熊本市の本社の近くに、いくつもの工場が隣接・点在している。いや、本当は東証に上場している全国区の企業であり、年商はその当時すでに600億前後あったと思う。だが、3年前の熊本地震を機に、わざわざ本社を東京から発祥の地・熊本に戻していた。紹介いただいたのは、野村総研でサプライチェーンやロボティクス専門家として著名なF氏である。

平田機工は、業種分類的には、機械メーカーということになるのだろう。事実、自社で機械を設計製造している。だが、その本当の業態を表すならば、「ラインビルダー」という言葉がふさわしい。ラインビルダーとは、高度に自動化された製造ラインを、機械も制御もITも含め、丸ごと一式作って、顧客の工場に納める仕事である。

たとえば、あの米国の自動車会社GMの最新式製造ラインを、平田機工は熊本の工場で作っている。米国から技術者がきて、工場出荷前の立会検査を念入りに行い、それから機材をばらして米国に送るのだ。行って、自分の目で見て、仰天した。こんなことが日本の地方で行われているとは、ほとんど誰も知るまい。

自動車の製造ラインだけではない。加えて、半導体と、家電の製造ラインが、平田機工の三大得意分野だ。それも主要な顧客はすべて、海外の著名大企業である。英国の家電メーカー・ダイソンの新しい「ウルトラソニック」ヘアドライヤーの自動組み立てラインも、平田機工が作った(YouTubeに画像がある)。平田社長のところには、創業者ダイソン氏からも、故スティーブ・ジョブズからも、そして現在アメリカの自動車業界を大変にぎわしている某M氏からも、直接電話がかかってくる。この3人から直接、相談の電話がかかってくる人物など、日本の政財界広しといえども、他には居るまい。

平田社長によると、会社には営業マンは実質、3人しかいないのだそうだ。営業本部などというものは、存在しない。顧客がいわば門前に行列をなし、その中から好きな仕事を選べるからだ。それは、同社にしか作れない、非常にユニークな技術を多数持っているからである。事実、2~3年先まで、もう注文で仕事は埋まっているという。同じ受注ビジネスの世界に生きる者なのに、自社とのあまりの違いに頭がクラクラした。

そして、一括請負形態なのに、きわめて高収益である。いまでも返す返す残念なのは、このとき帰ってすぐ、同社の株を買っておかなかったことだ。たしかまだ5千円台だったのではないかと思う。今ではすでに倍以上である。東証で一番、過去数年間の株価上昇率が高い企業の一つなのだ。ただ、仕事の9割近くが海外で、国内ではあまり知られていない。本当に、知れば知るほど、不思議な魅力をもった企業である。

ところでその後、再度同社を訪問したわたしは、単なる一介の会社員であるにもかかわらず、上場企業の経営者である平田社長に向かって、研究会を立ち上げたいからご協力をいただけないか、とお願いした。ずいぶんと図々しい懇願だったにもかかわらず、快く応じてくださり、昨年夏から研究会組織化の活動が始まった。

平田機工に参加してもらって、いったい何をはじめたのか? それは、「次世代スマート工場の設計論」に関する研究会である。次世代、と名前につけたのは、現在の我が国の「スマート工場」には、いささか足りぬ点があると思ったからだ。それについては、先月、「『スマート工場』はスマートか?」(2018-05-26)に要点を書いたとおりだから繰り返さない。

そしてこの問題意識を、国に対し、つまり経産省に対してアピールしなければ、と考えた。研究会は民間の存在だが、わたし達の社会では、お上が何か言わないと、皆あまり聞く耳を持たない。

ところで、この動きはどうやら、とてもタイミングを得たものだったらしい。というのは、経産省自身が、日本の製造業のあり方に対して、かなり深い疑問=問題意識を持ち始めた様子だったからだ。

その問題意識は、この5月に発行されたばかりの、2018年版「ものづくり白書」に明瞭に表れている。こうした省庁発行の白書を読む習慣のない人は、多いと思う。だが、今年のものづくり白書は、非常に注目すべきである。過去に比べて、トーンが完全に変わったからだ。端的に言って、このままでは日本のものづくりは衰退する。その根本原因は、かなり根深い「思考習慣」にある、という危機感が、深層に流れているからだ。

(ちなみに「ものづくり白書」は書店でも購入できるが、経産省のサイトから無料でダウンロードできる)
2018年版ものづくり白書(PDF版)

白書は冒頭の総論で、「抜本的な変化を実現する上では、ビジネス全体を俯瞰して全体最適化を図るシステム思考の強化が」必須だ、といきなり述べる(P.2。以下、強調太字は筆者が引用時につけたもの)。

今日、景況が回復し売上増の傾向にありながら、我が国の多くの製造業は、納期遅れや品質問題にかなり苦しんでいる。なぜなら、製造現場で積み重ねてきた改善活動は、ものづくりに関わるバリューチェーン全体の中で、部分最適にとどまっているからだ。「個別の現場が主導する部分最適」は、しかし、「『現場力』の再構築を『現場』に丸投げ」した結果、生じたものだ。本来はそうではなく、「経営層主導により、バリューチェーン全体で全体最適化を図った現場力の再構築が重要」だと、白書は断言する。(P.86)

今年のものづくり白書の議論は、これまで「日本の現場力」を称賛してきた経済メディアなどの従来の論調と、完全に切れていることがお分かりになるだろう。

第1章3節で、白書はこう整理する。

 「過去:経営環境の変化が小さい時代 ⇒ 部分最適の積み上げが全体最適に」
 「今日:経営環境の変化が激しい時代 ⇒ 部分最適を積み上げても全体最適とならない」(P.170-171)

そして、「システム思考、及び学問としてのシステムズエンジニアリング(システム工学)習得の強化が求められる」(P.169)とも書く。

なんだか、まるで誰かさんのブログを読んでいるようだ(苦笑)。

また、「経営資源としての『データ』の重要性は著しく高まって」いるのに、「我が国においては、現在の状況を単に2000 年前後のIT ブームの再来と受け止める向きも一部には存在するなど、必ずしも、デジタル化のもたらす本質的な産業構造、社会構造へのインパクトが理解されていない」(P.3)という。

人材不足は昨今の課題だが、「人材育成で成果があがったとする企業においては、(中略)自社でIT人材を育成する割合が高い」(P.4/P.205)など、驚くべき指摘ではないか。別にIT業界の話を書いているのではない。ものづくり企業において、全体として人材育成が進んでいる会社は、自社でIT人材をも育てている所なのだ。

総論の中ではもう一つ、大事なことが書かれている。
「技術革新のスピード、課題の複雑化などが進む中、いわゆる『自前主義』の限界が露呈しており、全てを『競争』領域として捉えることなく、『協調』領域の拡大により、真の『競争』分野への投入リソースの集中を行うことが求められてきている」(P.3)

「競争領域と協調領域」という用語は、経産省が以前から使っていた言葉だ。日本企業はすべてにおいて互いに競争するのではなく、共通性の高い業務部分は、外部化することによって、コアの競争領域に経営資源を投入すべきだ。また外部化によって、最新の技術や知恵も利用できるようになる、と。

これは、工場における生産ラインづくりにおいても、言いうることだ。

そして、その文脈の中、第1章3節で、わたし達の「次世代スマート工場の設計論」研究会の成果も紹介されている。(P171~172)

研究会での議論の成果のうち、白書で特に強調されているのは、我が国に「ラインビルダー業界」を確立すべきだ、との提言部分である。つまり、工場づくり、あるいは生産ラインづくりを、協調領域として、もっとアウトソースするように考えるべきだし、その受け皿として、平田機工のようなラインビルダー企業をもっと認知し育てるべきだ、との提案である。

日本には、ロボットメーカーや工作機械メーカー、制御システムベンダーが多数存在し、かつ世界的にも技術レベルが高い。これらは、すべて生産ラインを構成する重要な要素、あるいは部品である。しかし、それを組み合わせて高性能な生産ラインを構築し、さらに工場全体を作り上げる「生産システムズ・インテグレーター」というべき企業は少なく、業界団体も存在しない。最近ようやく「ロボットシステム・インテグレーション協会」が立ち上がるようだが、わたしが以前指摘した「インテグレーター不在という深い谷間」は、まだまだ埋まっていない。そこで、あえてラインビルダーという言葉で、その社会的必要性をハイライトしたのである。

なお、「ラインビルダー」という言葉は、2年前のものづくり白書にも登場したが、どうやらこれは和製英語らしい(少なくとも欧州ではあまり通じなかった)。また、2016年版白書の記述を読むと、どちらかというとMESレベルの情報系インテグレーターを指している印象がある。しかし、ここでわたし達が言っているのは、もっと具体的・物理的な機械装置も含む、インテグレーションである。

日本の工場づくりには、大きく三つの問題点がある、とわたしは考えている。
(1) 空間・レイアウト・環境制御に関する考慮が足りないこと
(2) ITのインテグレーションが欠落していること
(3) 生産のスケーラビリティ(拡張性)・ポータビリティ(海外移植性)を最初から考慮して設計していないこと

上記の問題については、個別にこのサイトで触れてきたから、ここではあえて繰り返さない。しかし、それらを生み出した根本問題がある。それは、製造業における生産技術部門の弱体化である。いろいろな有識者の意見をきくと、どうも10年前のリーマンショックがきっかけで、日本の製造業は大幅に生産技術者を切ってしまったらしい。そのツケが、好況になってきた現在に、回ってきたのである。

結果として生まれたのが、全体性(システム思考)の喪失、縦割りと分業病だろう。そして、このトーンは上記の白書の記述とも合致している。むろん、もっとさかのぼれば、工場の成長と改善を担う中核の生産技術の役割を、十分理解せずに切り捨ててしまった経営者の側に責はあるのだが。

いずれにしても、今から急に生産技術を社内に再建する時間はない。だから、工場づくりの「自前主義」からの脱却こそ、解決策である。そしてアウトソース先としての、ラインビルダー業界の確立と認知が、急務であろう。これがわたし達の提言だ。

まあ、工場自前主義の脱却といっても、まだ社内にたっぷり人を抱えている超大手は別である。ここでは主に準大手・中堅企業を考えている。だが、大手でも、他社の知恵をまなぶべきときに来ていると、わたしは思う。白書にも引用されている図を見てほしい。製造業にとって、集中すべき「競争領域」は、本当に核となる自社製品の製造技術と、そのための人材育成である。それを支える周辺要素、すなわち物流・建築・ITシステムなどは、業種をまたいで共通性が高い「協調領域」であって、アウトソースする方が効率性がいい。
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そして、協調領域の要素を提供できる企業は、すでに日本国内に多数存在しているのである。それをまとめるインテグレーション業界が、必要なのだ。それがラインビルダーである。加えて言うと、こうしたラインビルダー的なビジネスは、顧客の個別要求とのすり合わせが必要とされる。相手の要望を聞き、まじめに構築する仕事だから、じつは日本人に非常に向いている。だから、ラインビルダーは新しい輸出産業となる可能性さえ、秘めているのである。

え? そもそも工場なんて自分で持たず、製品開発に特化したファブレス企業になり、製造はコストの安い中国あたりに委託する方がいい? スマイルカーブが示すように、製造などそもそも、お金の儲からない仕事だから、それが一歩進んだ製造業の経営戦略だって?

やれやれ。「スマイルカーブ」論は、さかのぼると、じつは台湾の受託製造業者が言い出した、マーケティング用の概念である。それを日本のメディアや外資系コンサルあたりが、普遍的真理であるかのように持ち上げるのは、どうかと思う。スマイルカーブが成立するのは、ある特定の条件が成り立った時だ(この話は始めると長くなるので、別の機会にしよう)。ただ、ものづくりと自社製造が本当に儲からないかどうか、ためしに冒頭にあげた平田機工の例を見てみたらどうか。

今わたしはこの文章の最後の部分を、ドイツのハノーバーに向かう飛行機の機内で書いている。海外の製造業の進展状況を見聞きするにつけ、日本の製造業が技術的にリードできる時代は、もうあまり残されていないと、よく感じる。我々に残された最後のチャンスを、できるだけしっかりつかむためにも、ラインビルダーという名のインテグレーター達が育つことを、心から願っている。


<関連エントリ>
 →「『スマート工場』はスマートか?」 https://brevis.exblog.jp/27295851/ (2018-05-26)
 →「『インテグレーター不在』という深い谷間」 https://brevis.exblog.jp/27172645/ (2018-04-01)


by Tomoichi_Sato | 2018-06-09 23:56 | 工場計画論 | Comments(0)

「スマート工場」はスマートか?

先日、大阪で日本学術振興会の「プロセスシステム工学143委員会」という名前の会合に参加し、スマート工場に関する短い講演を行った。日本学術振興会には、産学協力のための研究委員会というのが多数あり(https://www.jsps.go.jp/renkei_suishin/index2_2.html)。プロセスシステム工学はその中で143番という番号になっているので、関係者は頭文字をとって「PSE143委員会」と略称で呼んでいる。

プロセスシステム工学といっても、なじみがない読者も多いと思う。これは化学工学の一領域である。『化学工学』(Chemical engineering)とは、化学プラントの設計論を研究する工学である。そのうち、『プロセスシステム工学』とは、プラントの全体システムの設計と制御に関わる技術分野だ。わたし自身も若い頃はその分野に携わっていたが、すでに実務から離れて随分経つ。それなのに久しぶりに呼ばれて講演などをしたのは、今回の議論のテーマが「スマート化技術で変わるプラント・工場」だったからだ。

「スマート化技術」とは何か。それが今回のテーマだが、先に少しだけ、化学産業に関連する話題に触れておく。

今回の委員会では、わたしを含め3人の講演があった。わたし自身の講演タイトルは
次世代スマート工場の新しい設計手法 ~ 生産システムズ・エンジニアリングを目指して ~
で、最近の組立加工系の工場に起きている新しい技術的な流れについて、紹介するものだった。その上で、過去10年ほどの間に起きている、日本の化学産業の大きな構造的変化についても触れ、今後の化学プラントの設計手法も変わって行かざるをえないだろう、と言うお話をした。

その変化とは、簡単にいって、大量生産的なバルクケミカルから、多品種化した機能性素材に、日本の大手化学企業の収益源が移っていることだ。扱う製品が流体から固体に変わり、さらに生産形態が大量見込み生産から、少量多品種の受注生産にシフトしている。この変化は過去15年ほどの間に顕著になった。このことが化学工場の操業のあり方にも、設計のあり方にも、大きなインパクトを及ぼすだろう。しかし従来の化学工学・プロセスシステム工学は、その変化の準備が十分できていないように思われる。

化学産業は下流への進出とともに、離散的な『ディスクリート・ケミカル』というべき生産システムへと変貌していく。その工場の操業の中心には、MES/MOMの発展系として、『中央管制システム』が来るだろう、とわたしは予測している。その上で「ディスクリート系にも適用できる、新しいプロセスシステム工学が望まれる」と話を結んだ。

この話が、参加された委員諸賢にどれほどアピールしたかはわからない。

一般の組み立て加工系の機械工場では、機械装置などにセンサーや通信機能を取り付け、状態監視や予防保全に活用すると動きが数年前から活発になっている。またロボットを導入して、人手の作業を極力自動化したり、AIでパターン認識を活用する動きも盛んだ。こうした動きを総称して、「スマート工場」とか「スマート化技術」とよんだりしている。高度な連携制御やMES(製造実行システム)の話題も増えてきた。

しかしそもそも、化学プラントの世界では、機械装置や配管のそこかしこに、流量計や圧力計などのセンサーを設置して、その信号を中央制御室に持ち込み、原料や製品の状態をリアルタイムに監視統制する仕組みを、もう何十年も前から実現している。センサーと制御システムは、ベンダーが違っても通信できるのが当たり前で、誰もつながるかどうかの心配などしない。人手による作業も極端に少ない。

そのような意味では、機械加工組立て系の分野が、ようやくプロセス産業のプラントに、工場のスマート化の面でようやく追いついてきた、とも言える。AI技術の活用については、化学系でもまだまだこれからだが、それはどの産業にとっても似たり寄ったりの状況であろう。

ではなぜ、今さら化学産業でスマート化技術についての討議が行われるのか? それは端的に言って、スマート化と言う言葉が流行語のように技術の世界を席巻しつつあるからだ。

しかし、わたしの知る限りでは、『スマート』の公式の定義は、存在しない。

ある調査によると、スマート工場に関連する研究論文数は、2014年ごろから急激に増えている。これはドイツが2013年に、「インダストリー4.0」を推進する白書を公開したことが、きっかけになっていると思われる。この白書の中には、スマートな機械とスマートな製品、との概念が二本立てで出てくる。

ところで、「スマート工場」とか、スマートな製造など言葉の源流をたどっていくと、「スマートシティ」という言葉が先行したいることに気づく。

では、スマートシティという概念が生まれるきっかけは、何だったのか? それは、実は「スマートメーター」だった。それまで、各家庭に据え付けられていたのは、単純な電力計、あるいは水道やガスの流量メーターだった。そうした電気式・機械式のアナログメーターに、小さなチップが装着され、計量した結果を蓄積したり、通信で報告できる機能を持つようになった。これがスマートメーターの始まりだ。

スマートメーターは、確かに従来の単なる計測メーターに比べれば、スマートだろう。ではスマートシティーとは、従来の都市に比べて、どこがスマートなのだろうか。

繰り返すが、「スマート」という言葉には、広く受け入れられた学問的定義があるわけではない。みんな思い思いの意義づけを込めて、勝手に使っているのだ。

単純なアナログの機械や計器にチップをつけてデジタル化し、記録や通信機能をつけることを「スマート化技術」と呼びたい気持ちは、よくわかる。そうなった機械は、古い機械よりもスマートではある。あるいは、単なる据え置き型の工作機械よりも、カメラの視覚センサーを備え、多機能的に動くロボットも、たしかにスマートではあろう。だからロボットを導入することが、スマート化技術だという。たいへん結構。

だが、一つおうかがいしたい。産業ロボットは、本当にスマートなのだろうか?

鉄腕アトムほどの知能を誇るなら、確かにスマートだといえよう。だが鉄人28号のように、リモコンで人が操作するだけならば、上手に使わない限りスマートとは言えない。

昨年見学した、ある工場を思い出す。そこでは双腕ロボットを何台も並べて、ある精密な計量的作業にあてていた。双腕ロボットは、胴体に両手がついていて、なんとなくとても人間的に見える。そして賢そうだ。だが、工程をしばらくじっと見ていると、一つの動作中に動いているアームは、つねに1本だけなのだった。一緒に行った機械屋が、「これって、何で双腕ロボットを使っているんでしょうね」とつぶやく。かりにロボットがスマートだとしても、そこの双腕ロボットの使い方は、ちっともスマートに思えなかった。

スマートとは何か。それを知りたければ、「スマートでないもの」を考えてみると、多少のヒントになる。そして、ここでは道具や機械などの単体ではなく、人間をその要素に含む仕組み、すなわち「第2種のシステム」(法政大・西岡教授の命名による)のふるまいを対象に考えてみよう。工場などは、典型的な第2種のシステムである。

スマートではない、とは、たとえばこんなことである:

(1) 現状が分からない:ふるまいの全体状況が、リアルタイムでわからない。例えばドアをバタンと閉めて部屋の外に出てしまうと、中で何が起きているか、働いているか止まっているのかすら、わからない。これではスマートとは、言えない。

(2) 過去は忘れる:過去のふるまいの記録が残っていない。あるいは、記録は残されていても、簡単に検索や分析ができない。これではスマートとは、言えない。

(3) 先を予見しない:先にどうなるかを予見しないで、ふるまう。そんなことをすれば障害につきあたるのは明らかなのに、やってしまう。そんなことをすれば障害にぶち当たるのは明らかなのに、やってしまう。これではスマートとは、言えない。

(4) 目的意識なく、受動的で後手後手:主体的な意図や、目的意識を持つことが、スマートさの1つの条件であろう。リモコンで命じられたかのように受動的で、ただその場その場で降りかかるリクエストに、後手後手で応じているだけでは、スマートとは言えない。

(5) 問題に気づかず放置する:何か局所的に問題が生じても、全体としてそれに気づかず、放置されたままになってしまう。あるいは正常であるかのように、ふるまいが続く。その結果、当然ながら解決に時間がかかり、影響がさらに波及してしまう。これではスマートとは、言えない。

(6) 価値に結びつかぬ無駄な動きだらけ:先ほどの双腕ロボットの例のように、立派なリソースを持っていながら、価値を生み出すような働きは何もしない。立派なリソースを持っていながら、価値を乱すような働きは何もしない。ムダについては、世の中に言説がたくさんあるから、これ以上は深入りしないが、無駄なふるまいは明らかに、スマートとは、言えない。

(7) 学びの枠が狭く、似たような失敗を繰り返す:経験に学び、そこから改善すること。あるいは先人の知恵や技術に学び、それを自分のふるまいに活かすこと。これが賢さの源泉である。ところが、「学び」の枠組みが狭く、視野や注意が固定されてしまうと、自分の失敗から上手に学ぶことができない。そして似たような失敗をくりかえす。こうした例を、周囲で見かけたことはないだろうか? これではスマートとは、言えない。

以上の7点について、反対概念を考えてみると、スマートさの中核が見えてくる。それは、次のようなことだ。

1. 現在を正確に把握
2. 過去を記憶
3. 将来を予見
4. 意思と目標を実現すべく計画
5. 問題にすぐ気づき解決する
6. 無駄なことはしない
7. 経験から学び、学びの枠を柔軟に拡げる

一言でまとめるなら、「全体を考えて判断し、自律的にふるまう」である。こうした人がいれば、賢い人だと思うだろうし、こうした仕組みを見たら、スマートだな、と感じる。

こうした基準を元に、たとえば工場ならば、「指示のスマートと実行のスマート」、あるいは「機械のスマートと、製品(もの)のスマート」といったテーマを敷衍することができる。が、例によって長くなってきたので、また別の機会に書くことにしよう。

「全体を考えて判断し、自律的にふるまう」のだから、部分部分が自律的でも、全体を見て判断できる仕組みがなければ、スマートとは言えない。つまり部分的なスマートを積み上げたって、全体がスマートになりはしないのである。そして、たとえ全体を見て判断する仕組みがあっても、自律性、すなわち自分自身のビジョンがなければ、やはりスマートとは言えない。

こうしたことを含めて、あらためて「スマートさ」を考え直すべきときに来ているのではないだろうか?


by Tomoichi_Sato | 2018-05-26 11:24 | 工場計画論 | Comments(1)

人が働く場としての工場

「あんな人の使い方をすべきではないな。」

駐車場を出たとき、車の後ろの席で、P社の社長はそうつぶやいた。わたしは関西にあるPという株式会社を訪問して、工場を見学させていただき、そこの社長さんと何人かの方と一緒に、車で新幹線の駅へと向かう途中だった。車は途中で一旦、とある屋外駐車場による必要があった。

駐車場の入り口には、昔の電話ボックス位の大きさの小屋があり、そこに番人が座っていた。顔にシワの刻まれた、中高年だったと思う。彼はそこに来る日も来る日もたった1人で座り、車の出入りや場所の移動等の作業をしていくのだ。同僚との会話もなく、明確な休憩時間もない。暑さ寒さも厳しい。自動ゲートの機械を入れれば済むのだが、駐車場のオーナーは単純労働者の低賃金で済ましているのだろう。

後ろの座席でのP社長のつぶやきを聞いて、わたしは、「人が働くとはどういうことか、人をどう使うのが良いのか」について、つねに自問している方だと思った。わたしは今、見てきたばかりの工場を思い出した。P社は関西のメーカーで、中堅企業である。生産財を作るB2Bの企業なので、普通の人は知らないが、業界では比較的名の通った存在だ。どこの工場でも使う、目立たないが必須の設備を製造している。その品質、とくに信頼性と静音性はたいしたものだった。

この会社は、タイムリーなアイデアの新製品投入で、着実に成長してきた。工場はきちんと整理され、流れがある。危険性のある作業は自動化されていた。工場内に無駄な仕掛りや滞留品が置かれている様子もあまりない。空調までは記憶が無いが、外気開放でなかったことは確かだ。良い製品を、リーズナブルなコストで作っている。「中国製なんか出てきたって、負けやしませんよ。」社長は自信を持ってそう言っていた。

前にも書いたが、工場とは、「人が働くとはどういうことか」について、その会社の思想が具現化された場所である。人が働くことは創造的な行為だ、と考えていれば、それにふさわしい場所を作る。労働者は消耗品だ、と信じていれば、それにふさわしい場所になる。

工場作りが、わたし達エンジニアリング会社の仕事だ。どんな工場でも、お客様のご要望に従って作る。だが、どうせ作るなら、明るく働ける工場作りに携わりたいと考えてきた。

最近、親しい大学の先生と見学したQ社の工場は、いたく感心できる場だった。工場は10年ちょっと前に、都市郊外に集約されたらしい。主に量産型の機械加工組立工場で、まだ新しい建屋に入っている。清潔と清掃も行き届いている。大型のプレスラインと、中間品を置く自動倉庫と、組立ラインからなる構成だ。

驚いたのは、大型のプレス機の金型交換が、わずか80秒で済むと言う。普通、10分以内でできたら、「シングル段取り」と言って褒められる作業である(ゴルフ用語でシングルとは、ハンディが10以内の腕前を指す)。だからロットサイズを小さくでき、中間在庫の量も驚くほど少ない。組立ラインへの部品供給は、AGVを使って自動化されている。

さらに驚いたのは、アッセンブリー・ラインだ。複数台のロボットと加工機が柔軟に組み合わさっていて、人手の作業は最後の外観検査だけだった。ここだけは消費者に直接届く部分なので、細かな塗装の傷なども目視検査が必要だと言う。だがQ社は、最後の検査工程も、なんとか自動化できないかと工夫を重ねている。人の眼による検査は、どうしてもムラが出るからだ。

Q社の工場は、全体が空調されている。大型のプレスラインのような機械をいれた建屋を空調するのは、なかなか費用がかかる。念のため、なぜ工場を空調しているのか、たずねてみた。「やはり、その方が人間の仕事が安定しますから」だった。これが他所の企業だったら、「精密なロボット群を入れてますから」という答えになるところだ。ロボットのためなら、空調する。人間が働くなら、空調はいらない。これが多くの会社の感覚なのだが、Q社を見ると、いかに「普通の常識」が逆立ちしているかが分かる。

この会社は、「自分の使う設備は自分で作る」というポリシーで経営されている。だから高度に自動化された組立ラインも、80秒で型替えできるプレスラインも、自社で工夫しながらインテグレーションしてきた。ロボットは外部購入だが、それをどう組み入れ、どう制御し、どう使うかはすべて自分たちが設計して組み上げる。製品の品種数が多いが、それをロボット群が扱いやすいよう、顧客の製品開発にまで入り込んで、ともに工夫するのだという。

こうした事例を見ていて、あらためてわたしは、現代の経営思想には二つの異なる方向性がある、と感じた。一つめは、この会社のような、垂直統合志向である。自社の使う設備は、自分で作る。これは「内製化」志向と言ってもいい。さらに、部品や材料の製造まで、自社で手を伸ばす企業もある。日本でその代表例は、ファスナー製造のYKKだろう。安くて良いファスナーを作るためには、布地も自分で作る、金属の地金も自分で作る。そういう風にして、世界の市場を席巻してきた。

一方、まったく逆の方向を向いた経営思想もある。それはいわば、専門分化志向である。自社は、コアの競争力に特化する。それ以外の機能は、すべて外注化する。その方が結局は、外部の専門業者から、安くて品質の高いものを手に得られる、と考える。「外注化」志向と言ってもいい。あるいは、さきほどの垂直統合志向を「インテグラル型」企業とよぶならば、こちらは「モジュラー型」企業と呼んでもいい。

現代では、こうした外注化志向・モジュラー型の経営思想の方がメジャーになってきているように感じられる。少なくとも、米国企業の方向性は、多くがこのタイプであろう。こういう思想の元で、外注加工が進み、あるいは工場にも構内外注業者を取り入れ、さらには工場全体を子会社化したり、製造委託会社(EMS)に売却する、といった流れができる。コアの競争力は、あくまで製品開発とマーケティングにある、と考えるからだ。

では、内製化志向・インテグラル型と、外注化志向・モジュラー型と、どちらを選ぶべきだろうか? どちらにより多くの利点があるのだろうか?

ここでわたしは、かつて日立製作所の生産技術部門を率いた、吉田朋正氏の教訓を思い出すのである。吉田氏は日立のOBで、もう80歳になられるが、最近その講演を聞く機会があり、とても印象深かった。ちなみに氏の経験は、「事業再生のイノベーションモデル」(吉田朋正・田辺孝二共著、言視舎・刊)という本にまとめられているから、興味がある方は参考にされると良い。

吉田氏は現役の頃、日立の本社に生産技術部を作り、各工場から俊英を集めた。そして彼らを、赤字事業再生のタスクチームに送り込むのである。日立は数多くの事業部門と製品群を抱えており、その中には赤字で苦しむものも、ときどきある。それを再生するのが、このチームのミッションである。事業再生の期限は3年。もちろん、ご自分でも3年で黒字化を多数達成している。

吉田氏の方針は明確だ。黒字化のためには、コア技術の根本見直しと、設備内製化を軸にする。他所の会社から買ってきた製造設備だけで、差別化製品は作れない。この方針は、言われてみると確かにそうだ。だって、ライバル企業だって同じ設備を買える訳だから。そこで吉田氏は「設備開発」を重視する。

氏によると、製造業の総原価は、ざっくりいって
・直接コスト 6割(そのうち、直接人件費は5%)
・間接コスト 4割(減価償却・間接経費)
からなる。これはたぶん日立の全体平均で、会社によってもちろん異なるだろう。だが、とにかく直接コストを下げたかったら、優位となる固有技術開発をするしかない。そして間接コストの方は、リードタイム短縮が効く。リードタイムを半分にすればざっくりいって2割、原価が下がる。

だが、「優位となる固有技術開発」とは、具体的にはどうするのか? それは、生産方式の単純化であると吉田氏はいう。それは、3つの「無」からなる。
・無調整化 → 高精度技術(ユニット単体で精度が出るようにする):この効果は大きい
・無組立化 → 部品数減:これの効果は中くらい
・無加工化 → 工程数減:効果は小
そして、顧客に近いところ(下流工程)から改善していくべきだ、という。

ライバル企業の製品を買ってきて分解・分析すれば、その設計は大体分かるし、真似ることもできる。だがコアとなる優れた製造技術は、分解してもすぐは真似できない。それはプロセスだからだ。

氏によると、日立のように多品種生産の企業では、製品設計部門が幅をきかせるらしい。「赤字にならない限り、設計屋は他人の言うことを聞かない」のだそうだ。だから、赤字に陥ったところで生産技術屋が助けると、価値が理解されるという。そして、その核は、上に述べたように、無調整を実現する高精度技術で、このためなら新しい加工装置を開発するくらいの覚悟が必要だ。「キー・コンポーネントを持てない製品は作るべきではない」とまで、吉田氏は語っていた。吉田氏の思想は明らかに、内製化志向・インテグラル型だ。

ところで、内製化か外注化かは、設備に対する場合も、働く人に対する場合も、同じではないかと、わたしは思う。コア部品の設備の内製化を進める会社が、働く人だけは外注で良いと考えるだろうか?

現在の日立製作所が、吉田氏の思想に従っているのかどうか、わたしはよく知らない。あれだけの巨大企業でもあるし、いかに傑出した技術者であっても会社全体の向きを決めるのは難しいかと思われる。わたしの見たところ、日本の電機業界は全般として、あまり内製化志向は強くない。半導体だけは自分で手がけたが、それ以外の部品材料はサプライヤーから買って、最終組立だけ自社内で行うパターンが多かったのではないか。

部品はサプライヤーから買う。じゃあ、工場で働く人も派遣で良い、という風に論理は続きそうだ。いや、いっそ製造工場自体を委託してしまえ。これがEMS化の流れである。後押しをしたのは、生産に価値なんかない。コストがかかるだけだ、という「スマイルカーブ論」かもしれぬ。その行き着く未来像は、製造業を捨ててサービス業に、ビジネスモデルをシフトするべきなのだという近年の論調だろう。(もっとも、そのお手本だったGEがこけて、みんなロールモデル探しに最近こまっている様子だが)

最後にもう一つだけ、別の事例を出そう。それは富士フイルムの教訓だ。銀塩フィルム業界は、デジタルカメラの普及と共に、急速に市場が失われていった。このおかげで米国の老舗企業コダックは倒産したが、富士フイルムは液晶・医薬品などに業態を転換して、見事に生き延びた。なぜ、この2社はかくも異なる命運をたどったのか? 

これもわたしが講演で業界の人から直接聞いた話だが、富士フイルムは製造ラインを自社でかかえていて、高分子フィルムや表面技術といった幅広い技術の蓄積があった。そこから、新しい製品への展開がなんとか可能になった。ところがコダックの方は、米国流で、自社の製品企画開発以外の部分は、どんどん外注化していったらしい。わたしもエンジニアだから言うのだが、技術というのは外に出して3年もたつと、もう自分ではうまくできなくなる。そういうものなのだ。市場が失われたときは、もう自分を新たに支える柱が見つからなくなってしまう。

コア技術の強みは、自社が大切に保持しなければならない。それが、以上に並べた4つの事例からくみとった教訓だ。そして自社のコアの強みが、もし特許申請書の紙ではなく、働く人にあるのなら、よろこびを持って働ける場としての工場を作らなくてはならない。



by Tomoichi_Sato | 2018-02-05 23:32 | 工場計画論 | Comments(2)

『生産統制』の三つの課題

3年ほど前から、大阪府工業協会のご依頼で、『生産統制』をタイトルにした1日セミナーを行っている。といっても、メインのテーマは納期遵守とリードタイム短縮であり、内容的には生産の計画と統制の両面を含んでいる。いや、話としては、むしろ計画面での話の方が、ウェイトが大きい。というのも、受注生産における納期遅れの問題は、無理な受注や計画が起点となることが多いためだ。

部品材料も手配してある。ちゃんと能力的に無理のない計画も立てた。必要な図面もある。それなのに製造が遅れました・・というような事は、日本の優秀な製造現場ではあまり起きない。機械が老朽化してチョコ停が多かった、人手が足りなくて作れませんでした、という事象が起きることはあろう。だが、そうだとしたら、そうした現実を無視した生産計画の方に、ムリがあるのだ。適切な指示手配を出したのに、統制(コントロール)がきかずにモノが作れないような会社は、そもそも今までの競争に生き残れていないだろう。

計画・指示の方向と、実績・統制の方向は車の両輪である。製造業では、この二種類の方向の情報が行き交っている。生産の計画と統制は、英語で言えば、PlanningとControlである。この二つは、より大きな概念であるManagementの機能に含まれる。

ところで、「生産統制」という用語・概念をはじめて学んだのは、今からもう25年も前、中小企業診断士の勉強をしているときだった。生産管理の教科書に、生産計画と生産統制が並んで書かれていた。そして、今でも覚えているが、生産統制の3つのポイントは、(1)現品管理、(2)進捗管理、(3)余力管理、だと習った。診断士の一次試験は暗記物だから、そのままオウム返しに記憶したのである。ネットで「生産統制」と検索すると、今もこの3つのキーワードがすぐに上がってくる。

だが、不思議に思うのだが、なぜ、この3つなのか? 計画を立て指示を現場に出した後、生産管理担当者としてやるべきことは、他にもあるではないか? 誰がこのような「生産統制」の教科書的概念を決めたのか? 米国から輸入したのだとは、思えない。「現品」などの用語が英語的でないからだ。

英語で生産統制に相当するのは、Production ControlないしShop Floor Controlであろう。しかし、アメリカの生産管理の本、たとえば手元にあるK. Sheikh著”Manufacturing Resource Planning II”の該当する章を見てみても、そんな3大ポイントは見当たらぬ。かわりに、APICS(米国生産在庫管理学会)の辞書にある6項目、すなわちオーダーの優先付け、仕掛品の数量把握、といった事柄が紹介されている。

もう一つ、「生産統制」に関して不思議なことを指摘しよう。それは、「生産統制部門」が企業には存在しないことだ。もし教科書がいうように、生産計画と生産統制が生産管理の二本柱だとしたら、それに相当する部門(課なり係なり)があるはずだ。実際、生産計画の担当部署はいろいろな会社に存在する(課や係ですらなく、担当者一人の場合もあるが)。しかし、いろんな機会に多くの人にたずねたが、生産統制と名のつく部署があると答えた方は一人もいなかった。

もちろんそれは、単に名前の付け方の問題だ、という見方もあろう。工程管理部門とか、工務部門とか、あるいは単に「追っかけマン」などが、専門職として存在する企業は、たしかにある。でも、もしそうだとしたら、教科書の用語の方が、現実に寄り添うべきではないのか。どうして誰も使わない用語が、いつまでも資格試験には通用するのか。

だが、話を元に戻そう。製造業には、指示と報告の二つの情報の流れがつねに存在する。計画を立て、指示を出すことは、未来方向についての情報であり、現場への流れである。進捗や実績を報告するのは、現在や直近の過去についての情報であり、現場発の情報である。では、そのその後半について、やるべき仕事の全体像は何だろうか。わたしは、大きく分けて3つあると考えている。
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第一は、トラッキングである。具体的にいうと、タスク(作業)とモノと情報のトラッキングだ。一番大切なのは、指示された作業が、その通り行われたかを、逐次おいかけて確認することである。ちなみに『トラッキング』とは、移り変わっていく物事を、逐次追いかけることを指している。「逐次」とわざわざ書いたのは、作業のプロセスが大事だからだ。製造業は、決して「結果オーライ」ではない。モノさえできあがれば、あとはどうでもいい、という訳にはいかないのだ。

ただし、指示のトラッキングを行う前提条件は、まず、指示が現場に対して明示されていることである。製造オーダー(あるいは「製造指示」、「指図書」、「仕掛けかんばん」等、呼び方は何でも良いが)が、現場に対して出されていなければ、そもそも追いかけようがない。

指示が出されていない所なんてあるの? と思われるかもしれないが、現場に対しては、ざっくりしたバーチャートの工程表が示されるだけで、あとは班長の裁量で着手したり中断する、という職場も実はけっこう存在する。もちろん、現場にも裁量や自由度を持たせることは、責任感という意味からも大切だろう。だが、現場の班長にきかないと、どの注文がいつできるのかサッパリ分からないようでは、それこそ「統制がとれていない」状態である。作業指示の統率と現場の自由度とを両立させるためには、現場の着手・中断の裁量範囲を決めるとか、指示の完了期限をタイム・バケット付きで与えるといった方針が必要である。

トラッキングの対象は、しかしタスク(作業)だけではない。そもそも現場は、モノ(ワーク)と情報(製作図面・仕様書)がそろっていないと、製造ができない。そこで、工場内における、仕掛品を含めたモノのトラッキングが重要になるのである。つまり「現品管理」である。もちろん、工程の中間にどれだけ仕掛かり(ワーク)が滞留しているか、といったことも、つかんでおくべきである。無論、これはなかなか簡単ではない。が、ともあれ、工場内における、モノの位置と流れの交通整理が大切なのだ。

わたしが工場見学に行く際、いつも注目しているのは、工場内の物品にきちんと『現品票』が添付されているかどうかである。そして、そのモノが何なのか、どの製造オーダーのためのモノなのか、どの顧客向けなのか、そして本来あるべき定位置はどこなのか。そういったことが現品票に明示されているかどうかを調べる。出庫や使用予定が2ヶ月も前のモノが、通路脇に無造作に置いてあったりしたら、この工場は何かおかしいな、と分かる。

図面や仕様情報についても同じである。個別受注生産の形態では、製造着手時点で詳細設計が固まりきっていなかったり、途中で設計変更が生じることが、ままある。その場合、現場に正しい最新版の図面が配布されているか、の追いかけが必要だ。つまり情報のトレーサビリティである。

ところで、こうした追っかけのために、どのような管理番号の方式(トラッキングのためのキー)をとるかは、企業によってまちまちだ。たとえば受注生産形態ならば、日本ではしばしば製番管理方式が用いられる。作業指示に、製番(受注番号)が付番される訳である。

しかし、繰り返し性の高い生産形態や、内示とかんばんによるプル型生産の場合は、製番よりも流動数管理の方式が適している事が多い。流動数管理は別名、「追番管理」ともいい、零戦の生産で有名な中島飛行機が発祥だともいわれている。製品・部品に連番をとって、累積生産数量を追っていく方式である。いずれの方式でも、モノの管理番号としては、シリアル番号が用いられる。

さて、三つのポイントの2番目は、製造資源の状態のモニタリングである。「指示と作業」は一過性の物事であり、経過をたどって消えていってしまう。だから追いかけの対象になる。しかし製造資源、すなわち人とか機械設備とか治具・金型などは、永続的である。一つの作業が終わったら、別の作業に向かうことができる。そこで、どれだけの資源が利用可能なのか、その能力はどれほどかを、モニタリングしておく必要がある。

「人」に関しては、多くは日報単位の把握が行われている。それは半日とか1日遅れの情報であり、致し方ない面もあろうが、リアルタイムなモニタリングとはほど遠い。まあ人は組織の中にいるので、上長がつねに監視・統率しているはずだから、それでいいと考えられてきた。また、小うるさく管理されたくない、という感情面の配慮もあろう。

しかし機械設備に関しても、じつは組立加工系の多くの現場で、状態はよく把握できていない(プラントや半導体など、高度に自動化された工場は除く)。もちろん、機械のそばにいて使っている担当者は、状態は見てわかっている。しかし、生産管理側から見ると、それこそ、工場の扉を閉めて、建屋の外に一歩出たら、もう中の機械が動いているのかと待っているのかさえ、分からないケースがほとんどである。立派なマシニングセンタでさえ、PLCが外部に持っている通信インタフェースは、この21世紀にRS-232Cのままだったりするのである。だからこそ、機械のモニタリングは、IoT技術が一番試されている部分なのである。

ツール・金型・治具も製造資源だが、こちらになると、モニタリングはもっとあやしくなる。管理番号(ID)さえついているかどうか、心許ない。こうした金型類も、状態と履歴の把握が必要だし、それが結構なコストセーブにつながる可能性がある。

そして、電力や用水や圧縮空気などの用役も、一種の製造資源であり、その供給状況(使用状況)と原単位の把握はしておく方が良い。

三番目のポイントは、製造ラインあるいは工場全体の生産パフォーマンスの測定である。つまり、工場の実力を、モノサシを当てて測る仕事だ。指示した仕事もした、資源の状態も把握した、だが全体としての実力の程を評価しなければ、改善改良を考えることができない。

パフォーマンスの測定は、端的にはQCD(品質・コスト・納期)の達成水準であろう。ただし、工場には普通、品質管理部門があって品質を専門にチェックしている。またコストについては、生産着手時点にはもう、だいたいのコストは決まってしまっているものだ。だから生産管理の視点からいえば、納期並びに進捗の測定が中心となる。だから、納期遵守率の概念などが大事になる。そして昨今、納期遵守率を左右する最大のポイントは、生産能力と負荷(あるいは余力)レベルであろう。

とはいえ、工場にはQCD以外にも、在庫量だ生産性だリードタイムだ労働安全統計だ、とモノサシがいっぱいある。その全てを、なかなか同時には満たせない。そこで、どの尺度を重視して工場を運営するかは、その企業の「コアの競争力」を、どうとらえるかにかかっている。ここがけっこう、あいまいな工場が多い。

以上、「生産統制」の観点から3つのポイントをあげた。こうした作業を支援するITシステムの仕組みは、MES(製造実行システム)と呼ばれる。とくにUpper MESとよばれる仕組みの機能領域である。

ただ、生産管理においては、上記の3つの作業で生産の実態を把握することが、最終目的ではない。生産実態に付随する問題発見と解決こそが、生産のコントロールの一番の目的なのである。そして、上記のリストをふりかえってみると、中でも、能力負荷と余力の判定が一番難しい、と感じられる。多品種を切り替える工場での「能力」について、定義も理屈も明確になっていないことが多いのだ。
 
このままではUber的な工場の「余力取引」だとか、Industriy 4.0だとかの対応など、どこの国の話だ、ということになってしまいかねない。だからこそ、日本の製造業が今一段の飛躍を遂げるためには、生産のコントロールのレベルを上げるMESが重要になってくるはずなのである。いや、それよりもっと前に、そもそもこうした複雑で広範にわたる生産管理という仕事の全体像をきちんと理解して、「生産管理を統率する」人材こそ、日本の製造業には必要なはずなのだ。

なぜ、世の中には、単なる入門書・教科書より一歩奥の、実務家のために役立つ情報源が少ないのか。理由は不明だが、ニーズは明らかだ。さればこそ、わたしのこのサイトが、そのささやかな一助となることを願って、こうして書き続けているのである。


<関連エントリ>
 →「IoT時代のMESをもう一度考え直す 〜 (3) MESの未来像とは」 http://brevis.exblog.jp/26026181/ (2017-09-04)

by Tomoichi_Sato | 2017-11-23 00:59 | 工場計画論 | Comments(0)

すべての工場は空調を付けるべきである

前にも書いたような気がするが、冷房が苦手である。20代の終わりころ、南国で冷房病にかかった。以来、冷たい人工の風にあたり続けると、次第に首肩の筋が緊張し、頭痛がする体質になってしまった。電車は、だから弱冷房の車両を探して乗る。職場でも、なるべく冷房の風があたらない席をありがたがる。

この数日間、台湾で休暇を過ごした。街は活気にあふれ、見どころも多く、食事も美味しい。とても良い所だと思ったが、一点、どこでも冷房がきついのには閉口した。盛夏は過ぎたとはいえ、日中の気温が34℃にもなるこの時季、むろん冷房なしで客を迎えるなどありえない。

それは分かるのだが、蒸し暑い陽当たりを汗だくになって歩いた後、冷房の効いた建物や乗り物に入ると、汗が急冷されて、体温のフィードバックコントロール系が混乱していくのを実感する。防護のために上着を持っているが、そんな物では追いつかない近代技術の暴力である。一日出歩くと、クタクタになった。

もちろんこういう困惑は、台湾に行かずとも、住む街でいくらでも体験できる。わたしがよく利用するT電鉄は、冷房をガンガン効かせることが顧客サービスの第一だと心得ているらしく、春の連休くらいになると待ち構えたかのように冷房を入れ始める。せっかく上着がいらない気節になったのに、用心のために持ち歩かなければいけない。冷房がT社のサービスポリシーの産物であることは、車両が乗り入れ先のS鉄道に入ると急にゆるくなることで分かる。もっともS社は、冬は暖房の効きがわるくて寒いので、これはこれで閉口だが。

というように冷房嫌いで虚弱体質(?)なわたしが、なんでこんなタイトルの、しかもある意味で挑戦的な記事を書こうとしているのか、賢明なる読者はいぶかっておられると思う。でも、もう少しだけ我慢して、個人的な思い出話に付き合ってもらいたい。

子どもの頃、両親に連れられて初めて東海道新幹線に乗った。夏休みに東京から熱海に行くつもりだったのだが、列車の中で両親は気をかえて浜松まで足を延ばすことに決めた。新幹線はまだ開通したばかりだった。日本が資金調達のために世界銀行から大枚を借りて、結局その借金が国鉄を潰す遠因となった、戦後の一大近代化プロジェクトの成果である。

その最新鋭の列車の席に座ると、車両の天井から冷気を出す仕掛けをさして、うれしそうに「エアー・コンディッショニングだ」と父親は言った。亡き父はエンジニアで、そういう進歩的な仕組みが好ましかったのだろう。わたしは子どもだったので、両親と一緒に海に行けるだけで楽しかったから、暑くても気にならない。でもこのとき父親が胸中、何を考えていたのかは、ずっと後になるまで分からなかった。

その頃の公共施設は、冷房なんてかかっていないのが普通だった。学校もそうだ。小学校から大学院まで、わたしが通った学校は(たまたますべて公立だったかもしれないが)、冷房なしだった。今では信じられないだろうが、某県立高校に至るや、冬の暖房さえなかったのである。「一冬我慢すれば慣れる」と、ベテラン教師はうそぶいた。同じテニス部のK君(後に台湾駐在を経験し、わたしに見どころを紹介してくれた)が、教室内でコートを着て震えていた姿を、今でも覚えている。

会社に入ると、さすがに冷房がかかっていた。入社当時のオフィスは、横浜郊外の住宅地にある、築30年は越した古い鉄筋の建物だったが、それでも空調はあったのだ。エンジニア達が働く職場で、図面を引きながら汗がポタポタ、紙の上に落ちるようじゃまずい、という配慮だったのかもしれない(当時は図面は製図台で引いていたし、仕様書なんか全部手書きだったものじゃよ、お若いの)。とくに電子計算機サマなぞ、室温20℃という尋常ではない部屋に置かれていた。

週休二日制で、大学と同じ最新鋭の電子計算機を実業務に使用し、職場にはちゃんと冷房のかかっている会社は、ものすごい大企業とはいえないけれども、少しだけ誇らしかった。

つまり、冷房というのは、ながらく近代化の象徴であり、また贅沢品でもあったのだ。これが昭和時代に育った人たちの、頭の中の概念なのである。平成になってもう30年近くになるというのに、私たちの社会はいまだに、昭和の概念で、しばしば動いている。

さて、以前、「工場レイアウト設計の典型的問題と、そのエレガントな解決法」 http://brevis.exblog.jp/24532084/ という記事で、工場のレイアウトについて、あえて2階に製品出荷口を設けることで、多層階ながらシンプルなモノの流れを作ったN社の例を挙げた。そして実はもう40年以上も前の事例だ、ともつけ加えた。実はこのプロジェクトをリードした人は、新工場を作るにあたり、どのような設計思想で取り組んだのかを、技術評論社から出版した「実践的NCマネジメント入門」という著書に書き残してくれていた。

その中心となる生産システムの構想については、ここではあえて触れない。ただ、この人は新工場を作るにあたり、「この日本に町工場を一つ、いまさら増やしても仕方がない」と考えたのだった。そして、きわめて先進的な生産システムづくりとは別に、実現したことが一つあった。それが、全館空調の機械工場である。

N社は金属加工と機械組立を仕事としている。まあ、鋳物のドンガラを削る仕事である。知っての通り、金属加工は切削油のモウモウたる煙漂う職場であり、その工場は鉄骨スレート葺の建屋、外気開放型の仕事と相場が決まっていた。夏暑く、冬寒い。そして危険だ。今で言う3K職場である。

この人はそういう職場を変えようとした。だが、ことは簡単でない。まず、切削油はどうするのか。彼は水性の切削油に変えることに決めた。もちろん、そんな事をしたら、工作機械の刃物の切れ味が、全く変わってしまう。今まで工場の職人達が、慣れて蓄積してきた加工のスキルが、全部チャラになってしまう。

この人の方針変更はしかし、それだけではなかった。切削に使うバイト(刃先)をすべて、使い捨てのスローアウェイに変えさせた上に、種類を50本に制限した。新しい工場ではNCマシンを全面的に採用する。そこで、これを期に加工条件の標準化を図り、データベース化しようというのが、ねらいだった。それは、従来、職人の各個人が抱え込んでいたノウハウの共有化だった。

それにNCマシンならば、それまでの人間の手作業ではできなかった加工条件を試せる。その際は、チップの寿命を無視しよう、と決めたのである。そして設計図を作る技術部には、この50本のセット内で加工できるように、部品図面を作り直すよう依頼した徹底ぶりである。

しかし、こうした急進的な方針は、当然ながら現場の職人の反発を招いた。ある日、彼のところに、現場の職長代表が20人くらい、談判にやってきた。そして、「こんな切れないバイトじゃ生産性ガタ落ちだ」という。

これに対し、この人はなんと答えたか。以下、技術評論社刊「実践的NCマネジメント入門」から直接引用しよう。

「わたしはこの時、2つのことを話したように記憶している。1つは、個人個人がそれぞれ自分流の研ぎ方でやっていたら、いつまでたっても個人であって、全体の能率が上がる可能性はない。それで組織的に統一して集中研磨に移っているのであるが、この集中研磨を担当している『トギ屋』に一生なってもいいと言う人は手を上げてもらいたいということ。

第2に、スローアウェイは切れないというが、NCはスローアウェイで問題なく作業を行っている。スローアウェイを使いこなす自信のない人は、NCに切削条件を習いにいったらどうだ、という2つであった。NCに習いに行けということは、とりもなおさず前年入った新入り(NCの加工プログラムを作成した)に習いに行けと言うことである。

現状ではいくら能率が落ちても過渡期だから一向かまわぬ。5年先で、どちらが良いか判断しようではないかと。」(同書p.96-97)

結局、この方針のまま押し通してして、新工場建設プロジェクトは進められた。そして工場への全面的空調の導入も、行った。ただ、新工場の建屋の費用や新しい機械の購入費はともかく、けっこう大きな費用となる空調費用だけは「どうやってソロバンを置いたらよいのかすら、わからなかった」と書いている(p.56)。つまり、今風に言えば、投資の費用対効果、ROIが計算できないということだ。

ともあれ、N社の新工場は、斬新なレイアウトから大胆な生産システムの構築まで、「多品種少量・受注設計生産の機械工場はこうあるべき」との理想を、既存のこだわりを捨ててゼロから発想して作ったものとなった。建物は建築学会賞を受賞した。

では、全館空調の効果はいかなるものだったのか? それは、直接には測れない。それまで冷房なしでやってきて、特に問題があったわけでもない。自分たちが『快適』に仕事をしようというにすぎぬ。 だが、「こうした環境整備とそれによる不断の整理整頓、モラールの向上によって、新工場建設後、かすり傷を含めて労災件数が10分の1以下に激減し、不就労災害がほとんどなくなった」ことは事実だ(p.57)。

それで? ながながと、40年以上も昔の事例のことを書いてきたのは、理由がある。N社の工場を設計したのは、じつはわたしの父親なのだ。

父親が新幹線で「エアー・コンディッショニングだ」といったとき、考えていたのは工場のことだったはずだ。言うまでもないが、空調とは冷房のことではない。空調は「空気調和」の略で、"Air Conditioning"の訳である。人が快適に過ごせるよう、建物全体の空気の純度や湿度・温度を調整すること。これが空調の意味である。もちろん、空調は冷房とイコールではない。多くの人が不快になる冷房だったら、それは空調として機能していない。

だが、なぜそんなものが工場に必要なのか。それは、工場とは人が働く場所だからだ。近代化の象徴でもなく、贅沢でもない。人が働いて、そこで価値を生み出す以上、少なくとも技術的に可能である限り快適な空間・環境であるべきだ。働くことには苦心も忍耐も伴うが、しかし、それ自体が「面白い」ことでなければ、良い仕事は生み出せない。

工場の労働が、一生をかけてやる甲斐のある仕事であるためには、どうあるべきか。どうあってはいけないか。著書の中では、「シビルミニマム」という言葉を使っているが、話は空調だけの問題ではない。細分化された仕事を延々繰り返すあり方が、望ましいのかどうか。チップのスローアウェイ化について、「工場全体をスローアウェイ化しようとしたのは、NCの問題を除けば、来る日も来る日もバイト研ぎをやっている『トギ屋』を廃止しようとしたのが主要な理由である。」という。それに比べれば、空調化などたやすい事だったろう。

むろん、こういう主張を書けば、いろいろな反論が寄せられよう。先回りして予見しておくと、
(1) そんなことをしたらコスト競争力を失い、結局は中国やアジアに仕事全体を奪われかねない、
(2) 工場の製品特性や製造レイアウトから考えて、建屋の空調化は現実的に無理、
(3) 工場労働以外にも寒暖激しい労働環境はいくらもあるのに、なぜ工場だけ空調するんだ
くらいに大別できるだろう。

(1)については、その程度で失われるような競争力ならば、しょせんビジネスとしては長続きしまい、と答えよう。だって本社のオフィスは空調しているのでしょう? だったら空調は必要経費ではないか。いや、そんなにコストが心配なら、いっそオフィスも空調はやめて経費を節約したらいい。そもそも、そんな事をいっていたら、人手不足が深刻化する昨今、働き手を確保できなくて立ちゆかなくなるに違いない。

エンジニアなら、(2)の理由もいろいろ思いつく。フォークリフトが内外を頻繁に出入りする、大型の資機材を搬出しなければならない、火を使う作業である、天井が高くて空調効率がわるい・・。だが、そうしたことは本質的ではない。水性の切削油と同様、やろうと思えばいろいろな工夫がありうるのだ。それを講じるのがそもそもエンジニアの仕事ではないか。

間違ってほしくないが、空調=冷房、ではない。働く環境をできるかぎり快適かつ衛生的にすることが、空気調和の目的なのだ。その目的を理解した上で、必要なら局所冷却とかミストシャワーとか成層空調だとかを取り入れればいい。

では、(3)はどうか。わたしは建設業の人間なので、屋外作業がゼロにならないことは重々知っている。建設業だけではない、農業も、警備業などサービス業も、屋外で働かなければならない。こういう人達がいるのに、なぜ工場労働者だけが空調にあたっていられるのだ? 他の業種を差別するのか?

答えは、逆である。他に屋外作業があるから、工場も空調不要なのでは、ない。厳しい屋外作業に対しては、むしろハードシップの費用を上乗せして払うべきなのである。それが市場原理ではないか? 自営業の農家はともかく、給料をもらって働く職場である限り、厳しい環境の方がフィーが高いのは当然である(スキルへの報酬差は別として)。今、もしそうなっていないのだとしたら、現状こそ差別されているのだ。

こういう発想が出てくるのは、結局、地方が低賃金労働者を出稼ぎの形で無尽蔵に送り出していた、昭和時代の意識の名残なのだろう。40年以上も前に、小さめの中堅製造業が実現できていた全館空調の工場を、多くの企業がいまだに思いつきもしない。わたしのこの議論だって、今はたまたま人手不足だから聞く人も多少いるだろうが、また景気が低迷すれば逆戻りする可能性大であろう。空調など贅沢だ、と。

工場というのは、「人が働くとはどういうことか」の思想を具現化したものである。どんな工場も、それを見るだけで、その企業が「働くこと」をどう考えているのか、分かってしまう。工場を見た人が、すごい、是非ここで働きたい、と感じる場所にしたいのか。それとも、自分の息子や娘には、働かせたくない場所なのか。あるいは、こうたずねてもいい:工場とは、働く人が知恵や技を育てて価値を生む場所なのか、それとも金が金を生むための道具でしかない場所なのか。

もし日本企業が後者のような経営観を是としないならば、工場には空調をつけるべきである。




by Tomoichi_Sato | 2017-09-12 23:56 | 工場計画論 | Comments(3)

欧州におけるIndustry 4.0 − その虚像と実相(2)

知り合いの人が最近、車を買った。人もうらやむドイツの有名な高級車である。ディーラーで購入を決め、さてオプションを選ぶ段になって、驚いたという。種々の選択肢から自由に選べないのだ。いくつかのオプション群がお仕着せのセットになっていて、そのどれかを買うしかない。高い値段を払ったのに、顧客の自由な選択権がないのだ。

「ドイツの提唱するIndustry 4.0の目標の一つが『マス・カスタマイゼーション』となっていますけど、当然だと思いました。」とその人は語った。「だって全然、お客の個別の注文に応じられる状態になってないんですから。日本の製造業の方がはるかに先を進んでいますよ。」

マス・カスタマイゼーションとは、大量に生産しつつも、個別の要望に応じたカスタマイゼーションができる生産形態のことを指す。日本ではどの自動車メーカーでも、色や内装や電装品まで多数あるオプションを、個別に自由に選べて、それできちんと納品してくるのが普通である。それに比べて、このドイツメーカーは何だ。Industry 4.0なんて、ドイツ人が日本に追いつくための活動じゃないのか? 知人はハノーバーメッセにも足を運ぶ人だけに、その思いが強かったらしい。

ただし日本車メーカーだって、海外では似たような状況かもしれないと、わたしは思った。たとえばアメリカ市場である。あの国では、顧客はディーラーにいって、店頭に現物のある車を選んで、その場で乗って家にかえる。ナンバープレートは、あとで家に郵送されてくる。そういう習慣の国である。日本のように注文から納車まで何週間も待つことはしない。だから日本車メーカーでさえ、米国にはかなりの流通在庫を置いてある。在庫は無論、個別オプションの選択肢がかなりせばまっている。

ものごとを比較するときは、ある部分だけの優劣を論じるのではなく、仕組みの全体像を理解して比べる必要がある。そういう前置きをしてから、では、前回の話を続けよう。

フィンランドのMPD 2017では、ドイツにあるGE Energy Connections社の工場刷新に関する発表があった。講演者はC. Kantner氏で、Brilliant Factory Leaderという肩書きを持つ、まだ若い中堅のエンジニアである。氏の講演は動画中心で、あいにく発表資料が公開されていないため、手元の聞き書きで再現するが、まず彼はGE社の”Brilliant Manufacturing"というコンセプトについて、

Brilliant factory = Lean + Digital

という定式化で説明した。そしてデジタル化については、"don’t digitize waste”(ゴミまでデジタル化するな)というモットーで、注意深く対象を選択すべきという(いかにも「選択と集中」のGEらしい)。その上でベルリンの自社工場の事例にうつり、工場内ロジスティクスの刷新の説明になった。部品の「倉庫をスーパーマーケットに転換する」という取り組みで、箱にRFIDを取り付けてトラッキングできるようにする。そして個別に数を数えるのでなく、フォークリフトが感知ゲートを通過すると出庫処理が自動的に完了するシステムにした。

一括ピッキングから個別フローにかえ、またフロアでもiPadでバーコードを読み取る仕組みを入れたおかげで、リードタイムは5日短縮し、在庫は約10億円削減、生産性も30%アップしたのだという。

その取り組みの動画は素晴らしい。だが説明を聞いているうちに、ちょっと不思議に思った。刷新する以前は、倉庫係に対し出庫5日前にピッキング・リストがバッチで指示されていたというのだ。5日前? 日本の製造業の常識からいうと、のんびりすぎないか。送変電設備の部品だから大きくて重たいのは分かるが、それにしても随分ゆっくりしている。彼の話はさらにERP - MES - PLM連携や、図面管理システムのアジャイル開発に進んでいったが、わたしの頭の中には「え? この程度がドイツの工場の実態なの!?」という疑問符が残ったままだった。

ともあれ、週の後半、わたしはフィンランドからドイツに飛び、ある企業のご厚意で工場を見学させていただいた。B2B製品を作る、部品工場と製品組立工場の2箇所である。この会社は年商1千億に満たない中堅規模のメーカーだが、特色ある製品を作り、毎年成長を続けている。

期待を胸に工場に入ったが、あまり自動化されていないな、というのが第一印象である。部品工場は一応、かなり機械化されたラインで構成されている。しかし手作業も残っている。組立工場の方は、日本と同じく、人間の作業が中心である。ただしベルトコンベアの流れ作業ではなく、個人単位のセル生産方式に近い感じといえば、分かっていただけるだろうか。

ちなみに、紙の現品票が部品を入れたトレイに貼付されている。見ると、作業の工順が印刷されていて、各工程作業ごとに、作業者の完了サインと日時が手書きされている。日本でもよく見かけるやり方だが、つまりアナログである。まあ生産量から見て、無理して自動化するメリットはまだ小さいのだろう。量が今の3倍になったら、もっと進捗コントロールの仕組みが必要だ。ただ工場はどこも整理がきちんと徹底されていて、とても清潔感があり、整頓も行き届いている。歩いていて気持ちが良かった。ちなみにこの企業でも「5S」概念が存在し、それは日本から学んだらしい。

それにしても、日本の工場関係者が見学したら、「なんだこんな程度か」と思うだろう。そして、日本にかえってからレポートするに違いない、「ドイツのIndustry 4.0など恐るるに足らず。日本の工場と大きな差はない」、と。

ところで、その工場は面白いレイアウトを採用していた。全体は平屋だが、中央に大きな部品倉庫があり、その周囲に作業区がぐるりと配置される、Warehouse-centered Layoutである。そして部品材料の倉庫が、ずいぶん大きい。聞くところによると、かなりの在庫日数分を保有している。日本の工場の方が、明らかにもっとずっと少ない在庫量でやりくりしているし、サプライヤーからのJIT納品などの仕組みも活用しているだろう。

なぜ、こんなに部品材料の在庫を持っているのか?

じつは「日本の教訓から学んだ」のだという。つまり、3.11の東日本大震災時の、サプライチェーン途絶の問題を見たのだ。部品メーカーの工場が被災したため、別の地方にあった完成品メーカーのラインが止まってしまった。

B2B製品を作るこの会社は、自分たちは顧客への供給責任がある、と考えた。そこで、普通よりもずっと多くの部品材料在庫を、リスクもコストも承知で抱える事に決めたのだ。

そうした思い切った決断ができたのは、この企業がオーナー企業だからである。ドイツにはどうやら、こうしたオーナー企業や同族企業形態の、中堅製造業がかなりあるようだ。そして、それぞれが特色ある製品を作っている。逆に、競合の多いレッドオーシャン的な商売には、乗り出さない。それが彼らの特徴だ。

もう一つ面白かったのは、見学した部品工場は、以前は受託製造(EMS)を行う別会社だったという事実だ。それをわざわざ買収合併して、傘下に収めたのである。日本では、工場を切り離して別会社化したり、安価な外部企業に製造を委託する動きが強い。このドイツ企業は、その真逆をやっている。なぜか?

彼らは研究開発・設計機能をもつ本社と同じ町に、自社の工場を集中させている。つまり、本社の目の届く範囲で、ドイツ人の手で、ものづくりをしているのだ。それはこの会社が、信頼性を何より要求される産業用製品を作っているからだ、と思われる。高機能を実現する製品アーキテクチャーを設計し、またインタフェースは標準化して外部に公開している。でも、高信頼性・高品質にこだわって、ものづくりをしているのだ。

高性能・オープン性・高信頼性=それがこの企業の高収益の源泉である。三つのどれか一つでも欠けたら、コアの強みが薄れてしまう。そのことを経営者が自覚して、経営している。わたしには、そう思えた。この会社にとって、安い賃金を求めて東欧あたりに工場移転することは、あまり意味がない。むしろ、高い職人仕事(マイスター)の能力をもつドイツ人の雇用を、いかに確保するかが命題と思われる。

それは、ドイツ政府のはじめたIndustrie 4.0の発想とも通底している。

Industrie 4.0は周知の通り、ドイツ科学技術アカデミーAcatechが2013年にまとめ、メルケル首相に提出した最終報告書に端を発している。元はドイツ語なので-rieというスペルになっている。報告書の説明を受けるメルケル首相の写真を見たことのある人も多いだろう(AcatechのWebサイトより引用。ちなみに隣で怪訝そうに書類を眺めているのは、ロシアのプーチン君である)。これを受けてドイツ連邦政府は、産官学共同のためにかなり巨額の予算をあてる。ついでながらメルケル首相は、理系で博士であることも書き添えておこう。
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Industry 4.0の概念が日本に伝わるにつれ、いろいろな解釈が出回った。これは無人化工場を目指すものだ、という解説もあった。いや、裏にはドイツの労働組合対策があるのだ、という指摘もあった。Cyber-Physical System (CPS)で、製品や工場の「デジタルツイン」を作る技術が中核だ、ともいわれた(ただしCPS自体はアメリカ発の概念だが)。工場内通信規格であるOPC-UAの標準化推進で主導権をとる狙いだともいわれた(ただOPCは元々Microsoftの提案だが)。米国GE社の提唱するIndustrial InternetやPredixプラットフォームの対抗馬だ、という見方も根強い。

だが結局、皆で目をつむって巨象を部分的に撫でているような感じで、訳が分からない(つまり虚像だ、というダジャレですが^^;)。

もっともドイツ人にだって、まだ「これがIndustry 4.0の生み出す結果だ」というのは分からないに違いない。なぜなら、これから(第4次)産業革命をしようとしているのだから。蒸気機関を工夫中だったJ・ワットに、将来これで鉄道も船も工場も、社会全体がかわると思いますか、とたずねたら彼は絶句したに違いない。

一つだけはっきりしているのは、彼らはドイツあるいは欧州の製造業と雇用を守るためにやっているのだ、ということだろう。

かつて聞いた話だが、ドイツから日本に視察団が来て、いろいろな工場を見学して回った。どこでも、乾いた雑巾を絞るような、徹底した現場カイゼンの実例を見せてくれる。一同は感心して見ていたが、最後にポツリと引率者にたずねたんだそうだ。「まことに素晴らしかった。だが、なぜ彼らは、わざわざ他社と同じようなモノを作って、価格競争で消耗する道を選ぶのか?」と。

工場で働く技術者や技能者にとって、一番大切なことは、じつは工場の外側にあるのだ。それは、経営における工場の位置づけである。ちょうど、プロジェクトの一番肝心な部分は、受注時点でもう決まってしまっているように。そこがズレてたら、現場でどんなにカイゼンしても追いつかない。

わたしが見学したドイツの工場についていうと、その場に行って肌に感じないと分からないことが、一つだけあった。それは工場の中の雰囲気が、明るく、かつリラックスしていたことだ。誰も、「いつ、この仕事がなくなるか分からない」「近いうちに工場移転で失職するかも」といった心配を抱えていないと感じた。むろん、数値的なエビデンスは示せない、まさに百聞は一見にしかずの、個人的印象である。

だが、その事が一番大切なのだと、わたしの直感は告げている。明るい職場、すくなくとも安心して働ける職場からしか、本当に良いものは生まれてこない。それが道理ではないか。

工場は利益のための道具なのか。それとも利益が職場を良くするためにあるのか。技術革新云々の前に、問われているのはそこなのだ。人が働くことについての思想のあり方こそ、次なる産業革命を乗りこえる鍵なのである。


<関連エントリ>
 →「欧州におけるIndustry 4.0 − その虚像と実相(1)」 http://brevis.exblog.jp/25872533/ (2017-06-25)
 →「マス・カスタマイゼーションとは何か」 http://brevis.exblog.jp/12287846/ (2010-03-10)


by Tomoichi_Sato | 2017-07-01 19:56 | 工場計画論 | Comments(0)

欧州におけるIndustry 4.0 − その虚像と実相(1)

「フィンランドの大学では、受講している科目は何度でも試験を受け直せる、ってホントですか?」−−先月、ヘルシンキで会ったA先生に、わたしはたずねてみた。答えは、”yes”だった。毎月、試験日がある。事前に登録しておけば、会場で、複数の科目の試験を受けられる。そうして、自分が納得いく成績を取れるまで、何度でも繰り返しチャレンジすることができるのだそうだ。ただし教授の側は毎月、試験問題を出す訳だから、大変だろう。それでも、納得できるまで学べる。随分と教育を重視した制度だ。

そもそもフィンランドの大学は、4年で卒業する制度ではないらしい(年限は一応10年以内とか)。学費は交通費も文房具代まで含めて、無料である(小学校から大学まで)。だったら皆が大学に殺到するかというと、そうでもないようだ。卒業はそれなりに難しい。また、大学以外にポリテクニックなど職業訓練校の存在もある。フィンランドの教育制度は近年、日本でとみに話題になったが、良し悪しや比較の議論以前に、教育に関する考え方がかなり違う、としかいいようがない。単線のエスカレーターではなく、乗り降り自由な複線みたいな印象だ。少なくとも、日本の東大・京大を頂点としたピラミッド構造とは、随分違う。

こうしたことは、現地に行って、いろいろ見聞きしてみないと分からない。よく「百聞は一見にしかず」というが、とくに社会的な仕組み(システム)のことに関しては、そうである。

5月末から6月にかけて、ドイツとフィンランドに、短い出張に行ってきた。その時に見聞きして考えたことを、報告したい。まさに百聞は一見にしかず、の旅であった。出張の目的は、次世代の工場のエンジニアリングに関する我々のビジョンを発表すること、ならびに『Industry 4.0』の震源地であるドイツでの実相を調べること、の2点だ。

最初の目的のために、フィンランドで開催された"Manufacturing Performance Days 2017”(略称MPD 2017) https://mes.eventos.fi/event/mpd2017/pages/programme というカンファレンスにまず参加した。場所は、フィンランド第二の都市、タンペレ(Tampere)である。ここは首都ヘルシンキから高速鉄道で1時間半、東京と静岡くらいの距離にある工業都市で、湖水地帯にある。この町をはさむ二つの大きな湖の間に6mの落差があり、これを利用した水力発電設備が、町の発展の基礎となった。
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本カンファレンスには、昨年、自分が主催する研究部会のメンバーであるKさんの紹介で、来日したタンペレ工科大学のTuokko名誉教授にお目にかかったご縁があって、発表枠を得ることができた。このMPD 2017とは、小さな規模ながらレベルが高い国際会議と展示会で、今回が10年目である。ちょうどフィンランド建国100周年に当たるとかで、過去最高の約800名が参加した。主な参加者は:
- 大学および国立の研究機関(たとえばドイツのフラウンホーファー研究所や中国科学院)、
- 産学連携組織(欧州には各国にあり活発)、
- 企業:地元フィンランド企業に加えて、Siemens, SAP, Daimler, Bosch, Beckhoffらドイツ勢。さらに米GE, 仏Dassault, 米McKinsey, 英Rolls-Royce, スウェーデンのVolvoなど錚々たる企業が参加している。

ちなみに日本からは、我々日揮と、IVI(「つながる工場」で知られる日本の組織"Internet Valuechain Initiative")のエバンジェリストとして、富士通の高鹿さんが参加された。

それで、佐藤が何を講演発表したかというと、およそ以下のような骨子の話である:

(1) IoT技術の進展、およびIndustry 4.0に代表される社会的要請の二つの導因(ドライバー)により、これからの工場のあり方は大きくかわる。
(2) すなわち、中央制御室を持つ、より統合された「システムとしての工場」に進化する。
(3) そうなると、「工場のシステムズ・エンジニアリング」が必要になる。
(そして、そこにはプロセス産業での教訓も活かされるだろう)
(4) そこで、我々はその確立を目指して活動していく。

といった主旨だ。詳しくはいずれ項を改めて書くつもりだが、講演資料はネットからすべて公開されているので、興味がある方はご参照いただきたい。
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カンファレンス全般の感想を少し書いておこう。まず印象に残った発表・展示としては、
- Siemens社のIoTプラットフォームであるMIndSphereの発表デモ
- タンペレ工科大学のMinna Lanz教授によるMESの連携システム構想
- アールト大学によるIoTを使ったクレーンのスマート化実験
- GEのドイツ自社工場における"Brilliant factory"実践取組みの報告、
などを代表例としてあげておきたい。

ただし、IoT技術レベルのテクニカルな話題と、Industry 4.0関係のハイレベルな議論が多く、中間の「工場レベル」の話が少なかった。強いてあげるなら、GEの事例に加えて、我々日揮とIVIの日本勢の2発表くらいかもしれない。ここは一種のミッシング・リンクになっていると、わたしは感じた。

最終日には、タンペレ工科大学の見学もさせていただいた。人口20数万人の工業都市の大学ながら、工学系研究のレベルが高いのには目を見張った。キャンパスに着くと、完全自動運転のマイクロバスが構内を走っているのに気がつく。すでにこのレベルでは実用に供しているのだ。いくつか研究室を見せていただき、院生達とディスカッションもしたが、実験設備も研究内容も世界レベルである。ここでわたしは、はじめて金属3Dプリンタの実物を見た(院生が実験で使っていた)。

たまたま見学したのが機械系学科だったこともあるだろうが、ロボティクスや建機の自動運転研究などが面白かった(写真は多軸ロボットとヒューマンインタフェースの研究を解説するLanz教授)。フィンランドは林業の国でもあり、建機メーカーもあって実際的である。ちなみにカンファレンスでは、英Rolls-Royceと共同した、船舶の自動運転研究がトピックになっていた。フィンランド政府が、海面での規制を緩和し、船の自動航行の実験を可能にしたのである。(ついでにいっておくと、日本ではロールス・ロイスを超高級自動車メーカーだと思っている人が多いが、むしろ英国の三菱重工みたいな存在だと思えばいい)
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またタンペレ工科大学を含むフィンランドで、生産マネジメント分野の研究もしっかりしている点に感心した。スコープが広く、製造業全体の問題として考えている。これに対し日本では、近年この分野の専門家がほとんど大学にいなくなってしまった。品質管理や在庫・スケジューリングといった個別の専門家は、いるにはいるのだが、Industry 4.0のような広い文脈で、全体を語れる研究者がいないのだ(たぶん論文になりにくいからだろうが)。

大学は企業とも距離が近く、共同研究を多く行っている。上記の設備なども、企業(フィンランドだけでなくドイツ企業なども含め)との共同研究で購入しているようだ。企業は資金と機材を提供し、大学は人手と知恵を提供するサイクルが、うまく回っている。もっとも、フィンランドという国は現在、「ノキアの次」を、皆が探している感じがする。ノキアは世界市場を相手にした大企業であったから、それだけ喪失感も強いのだろう。

ところで、MPD 2017でいろいろな講演者や出展企業の人びとの話を聞くうちに、わたしはあらためて、欧州製造業におけるドイツの影響力の大きさを実感するようになった。北欧の辺境に位置するフィンランドだけでなく、スウェーデン、フランス、ベルギー、スペイン、オランダなどからの参加者とも話したのだが、その感は強い。それはたぶん、ドイツの製造大国としての存在感としてよりも、むしろ、Industry 4.0に代表される構想力と、システマティックで重厚な進め方のためだろうと感じる。

ドイツの重厚な進め方とは、どんなものか。たとえば、少し前に英国で「人工知能は将来、人間の47%の仕事を置き換える」というショッキングな研究が出された。これは日本でも話題になったが、欧州でも当然、驚きを持って受け止められた。ところでドイツでは、この問題に関して、追検証のスタディを複数の研究機関に委託した(ドイツは連邦制なので、各地の州政府が独立して動く気風がある)。

その追試研究の結果の数字はまちまちながら、ドイツでは「せいぜい1割程度」という答えとなった。それでも、その報告を重く見て、ドイツは「雇用(Arbeit) 4.0」という次の国家プロジェクトを始動した。同じ時期、日本では、この研究を客観的に再評価する指令を、国や財界が学会に下したという話を聞かない。むしろ47%という数値を、あちこちの人が我田引水や威かしのために、メディアで触れ回った印象しかない。

この例でも分かるとおり、ドイツではどうやら産→官→学のサイクルがきちんと回っている事と、総合的で実証的なアプローチによって、説得力があるのである。行く前は、正直言ってそんな風には想像していなかった。この点は自分の不明だった。しかし、それならドイツにおける製造業の実態はどうなのか?

それを知るために、カンファレンスの後、わたしはドイツに向かったのである。だが長くなってきたので、この話の続きは、また書こう。


by Tomoichi_Sato | 2017-06-25 22:54 | 工場計画論 | Comments(1)

講演発表のお知らせ:「ディスクリート型工場におけるプロセスシステムの設計」

直前のお知らせになり恐縮ですが、来週6月21日(水)に、東大で講演をいたします。
化学工学会の研究部会であり、かつ日中の開催ですが、製造業の今後を考える上で超重要なことをお話ししますので(大げさ? ^^;)ご都合がつく方のご来聴をぜひお待ちしております。非会員でも参加できます。また、いわゆる化学プラント業界以外の方のご参加もお待ちしております。

主催:化学工学会 システム・情報・シミュレーション部会 統合化工学分科会
日時:平成29年6月21日(水)10:00~12:00
場所:東京大学工学部3号館大会議室3(6B04号室)
会議室は建物の6階です。

テーマ:「ディスクリート型工場におけるプロセスシステムの設計

プログラム:
(1) 10:00 - 10:10 総合案内 平尾雅彦・杉山弘和(東京大学)
(2) 10:10 - 10:40 話題提供
日揮株式会社 佐藤 知一氏
「ディスクリート型工場におけるプロセスシステムの設計」
(3) 10:40 - 12:00 ディスカッション

講演要旨:
エンジニアリング会社の立場から、通常のプロセスプラントと、固体の加工組立を行うディスクリート型工場を比較すると、種々の際だった違いを見いだす。これをシステム工学の見地から分析し、両者が「密結合なシステム」と「モジュラーな集合体」と見なせることを示す。
さて、最近のIoT技術の進歩と、Industry 4.0の要請などのインパクトは、ディスクリート型工場に根底的な変化をせまる契機となっている。将来、どの工場も中央制御室を持つようになるだろう。このような変化に対応するためには、工場設計の手順を再考する必要がある。その上で、人工物のシステムの分類と、システムズ・エンジニアリングの(再)構築について論を進めたい。

ディスカッションの時間を多めに取っているのは、研究会の方向性についても議論する場とするためです。
参加を希望される方は、できましたら今週中に佐藤まで(勤務先へのメールにて)ご連絡ください。

よろしくお願いします。


佐藤知一@日揮(株)


by Tomoichi_Sato | 2017-06-14 07:28 | 工場計画論 | Comments(0)

なぜ、製造業のIT化が進まないのか? 〜お金をちゃんと投資しよう

わたしが中小企業診断士の資格を取ったのは、もう20年以上も前のことだ。その頃、診断士の試験は「鉱工業」「商業」「情報」の3コースに分かれていた。どの試験を通っても、おなじ診断士の資格を名乗れる。わたしは情報系を選んだ。「情報」コースには、さらに専門試験科目が「流通情報」と「生産情報」の二種類あったので、わたしは「生産情報」を選んで試験を受けた。工場づくりをビジネスとするエンジニアリング会社に勤める人間としては、当然の選択であった。

ちなみに診断士試験に「情報」コースができる前は、「鉱工業」と「商業」の二種類しかなかった。これはちょっと不思議である。だって、まるで中小企業には製造業と流通業しかないみたいではないか(鉱業も入っているが、石炭産業の盛んだった戦後ならいざ知らず、鉱業にはほとんど大企業しか残っていない)。しかし、たとえば運送業にも建設業にも、中小企業はたくさんある。それなのに専門試験も、もっぱら製造業と流通業の話ばかりが出題されるのだ。

この事情はどうやら、中小企業診断士の資格を監督する「中小企業庁」が、経産省(以前の通商産業省)の下にある関係らしい。だから建設省や運輸省が管轄する業種はまあ、スルーしていたとしか思えない。実際の診断士は、どんな業種でも支援するのだが。ついでにいうと通産省は、さらに昔をさかのぼると「商工省」という名前だった。つまり、商業と工業を所轄するのだ。だとしたら診断士の資格試験とぴったり一致するではないか。

まあ、そんな裏事情はどうでもいい。とにかくわたしは、「情報」コースの、それも生産情報科目をとって受験した。資格を取った後、ちょっとだけ、後進の受験指導を頼まれたことがあった。担当科目は「生産情報」である。ところが、この科目、受講者が圧倒的に少ないのである。数回コースの講義だったが、受講生が一人も現れず、やむなく自然休講になった日さえあった。

なぜこんなに「生産情報」は人気がないのか? たしかに、受験指導をしてくれた先輩達のアドバイスも、「流通情報の方が受けやすい」だった。理由は、覚える知識範囲が少ないから、である。診断士の試験は、広く薄く知識を問う(日本の試験って、たいがいがそうだ)。そして生産情報、すなわち製造業の情報化に関わる分野は、カバーすべき範囲が広いのだ。受注管理システムから始まって、生産計画、BOM(部品表)、製造指示、在庫管理、品質管理、出荷管理、進捗管理、現物管理、POP、設計情報管理、と際限がない。それに比べ、流通情報で覚えるべきなのは販売管理、仕入在庫管理、カードくらいでよかった(当時はまだインターネットは普及していなかったのだ)。

どうして同じ情報システムに関わる科目なのに、製造業と流通業でかくも守備範囲の広さが違うのか? それは、「製造業の方が業務プロセスが多くて複雑だから」である。流通業のメインの業務プロセスは、基本的に、販売・仕入・在庫管理・顧客管理、くらいしかない(どの業種にも共通する人事・給与・会計といったバックオフィス系業務は除く)。広告・マーケティングも大事な仕事だが、ネット時代以前にはあまり情報システムの登場の余地がなかった。

ところが製造業はふつう、営業も購買部門も持っている。つまり、流通業と同じに販売・仕入・在庫管理が必要なのだ。その上に、設計と生産に関わる深くて長い業務プロセスが社内にある。試験範囲が広いのも道理であろう。これは大企業だろうと中小企業だろうと同じだ。大企業だからフルセットの業務があり、中小企業だから営業や購買や在庫管理は要らない、という訳にはいかない。どんな小さな製造業でも、フルセットの業務プロセスがある。わたしはいつも、「燕に五臓あり」という中国の古い諺を思い出す。手のひらにのるくらい小さな生き物も、すべての臓器を持っているのだ。

である以上、製造業は流通業やサービスその他の産業に比べて、より多くの情報システムを抱え、より沢山のIT費用を負担しているはずだ、と考えるのが自然であろう。ところが事実は、その逆なのだ。調べてみると、製造業は、他の産業よりも、かなり金額的に見てIT化が遅れているのだ。まず、図を見てほしい。
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これは、従業者一人当たり情報処理関係諸経費を、製造業とその他の産業とで比較したグラフである。数字の出所は、経産省の「平成26年情報処理実態調査結果」(2015年6月4日公表)よりとったものだ。
製造業が、年間一人あたり約48万円を使っているのに対し、非製造業は約59万円である。つまり、製造業は非製造業に比べて8割くらいしか、ITにお金を使っていないのである。

え? 製造業は工場に、パソコンなんか関係ないブルーカラー労働者を大勢抱えているから、従業員一人あたりの金額が薄まっているのだろう、って? そんなことはないはずだ。小売業だって運輸業だって、同様にブルーカラーの人たちをいくらでも雇っている。その点、大差はあるまい。

念のため書いておくと、日本で製造業に従事している人の総数は、1,035 万人である(2015年)。ちなみに日本の全就業者数=6,376万人だ。日本の人口は、約1億2700万人だから、ちょうど二人に一人が仕事について働いている勘定である。そして、就業者のうち、製造業で働いている人は全体の16.2%ということになる。数字の出所は、総務省「労働力調査(基本集計)」 平成28年(2016年)9月分である。

この「製造業の従事者=16.2%」という数字は注目した方が良い。およそ働く人の6人に一人が、製造業に働いている。逆に言うと6人に一人しか、製造業で働いていない。え、そんなに少ないの? 日本はたしか「ものづくり大国」なんじゃなかったの?

そう。その自称「ものづくり大国」ニッポンでは、GDPのうち製造業の占める割合がすでに2割を切り、最新の数字では18.5%である。働く人の比率16.2%に比べて、GDPすなわち付加価値を稼ぐ比率は18.5%だから、一人あたりで比較すれば多少は稼ぎがよいとも言えるが、ダントツという訳でもない。つまり製造業は、客観的に見て日本ではすでにマイナーな業種なのである。
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こういう話は、「ものづくりが日本を救う」といったメディアに流布するキャンペーンや、経団連などの団体が発信する情報になれている人たちには意外に響くだろう。ついでにいうと経団連のトップは、製造業、それも重厚長大の製造業の経営者が就任する、との不文律があるという話だ。だからといって製造業がいつまでも日本の経済界の親玉だと考えるのは、ミスリーディングなのである。

もちろん、マイナーだからダメだとか非難しているのでもない。事実を述べているだけだ。念のため海外と比較すると、ドイツの製造業GDP比率=25%である。EU平均=20%、米国=12%であるから、欧州よりやや低いが米国よりは上である。中韓は30%台だ。

ITに話を戻すが、そのGDPの2割弱を支える日本の製造業が、じつは他の産業よりもITにお金を使っていないことを問題にしたい訳だ。いったいその理由は何なのか?

ITの費用は会社ごとに定義がまちまちだから、そこが製造業と他とでぶれているのじゃないか、という当然の疑問はあるだろう。ただ、前述の「情報処理実態調査」はその点では明確で、コンピュータ・周辺機器関連費用 + 通信機器関連費用 + その他の情報機器関連費用 + ソフトウェア関連費用 + 処理サービス料、運用保守委託料、その他サービス関連支出 + その他費用、と費目ごとに個別に求め、集計している。だからモノサシは一律なはずだ。

いや、それでも、製造業の場合、現場に制御システムや自動化機械やロボットなど、かなりIT的仕組みがはいっているじゃないか、それが算出から抜け落ちているのではないか、という疑問もある。たしかにもっともである。化学プラントにおけるDCS(中央制御システム)などはまるっきりコンピュータだが、工場設備費用側に計上されて、上記の算定から漏れている可能性はある。機械制御盤のPLCなどもそうかもしれない。

しかし、では1千万円のロボットを購入したとして、それは全部IT費用なのか? そうは言えまい。ではその何割がIT費用かというと、難しい問題である。それに、そんなことを言い出したら、オフィスだって、入退室のカードシステムからビル空調・電気管理システムまで、けっこうな自動化機器が見えない場所に配置されているものだ。そうした費用だって、上記には計上されていまい。だから「機械設備に付属した制御システム」はどちらからも公平に除外されていると思っていいだろう。

だとしたら、IT費用の落差はなぜなのか。そこで、冒頭にあげた例を思い出していただきたいのだ。製造業は業務プロセスが深くて複雑である。カバーすべき範囲が多い。それを情報システム化しようとすると、いきおい、開発費用がかさむことになる。データベース設計の例にたとえると、製造業系の情報システムは、沢山のテーブルから構成され複雑なリレーションをはったようなE-R図を要求する。部分的着手もやりにくい。他方、たとえば流通系では、トランザクション量(レコード数)は多いがテーブルは少数ですむような構造だ。構造がより単純なのである。少なくとも、着手がたやすい。

ということは、同じ売上規模の企業で比べると、どうしても製造業の方が、初期開発費用がふくらむということになる。これがかえって、経営者の投資意欲をそいでいるのではないか、と想像される。そんなにお金がかかるのか? もう、製造現場は紙の帳票で回せばいいじゃないか。昔からそうやってきたんだし、「今、動いているんだからいいじゃないか」http://brevis.exblog.jp/24909011/ という訳だ。いやいや、製造業はもっとちゃんと情報化にお金を投資しよう!

・・と、ここまで書いたが、自分の中にはまだ割り切れないものがある。投資額が大きいから、かえって投資意欲が減退する、というのは本当なのだろうか? 「日本の経営者はITへの理解度が低い」というのはIT業界でずっと言われ続けてきた不満だが、それは別に業種にはかかわるまい。他方、日本の経営者の一つの特徴は、「世間がやっているならウチもやろう」と判断する点だ。だったら、なぜ製造業だけが世間から遅れていても焦らずにいられるのか? 上記調査によると、製造業のIT費用の対年間事業収入比 は0.6%だ。つまり売上の0.6%をITに使っている。ところが非製造業の平均値は1%である。明らかに世間水準から遅れていると分かるはずだ。

それなのに製造業だけIT費用が少ないのだとしたら、そこには何か別の、もっと“人間的”な要因があるのではないか。

わたしの想像だが、ITエンジニアが「製造現場を敬遠している」ためではないかと思える。わたしは仕事柄、いろいろな工場を訪れているが、工場に情報システム部がある所は少ない。「情シス」はたいてい「本社」にいて、もっぱらバックオフィス系を守備範囲としているのだ。あるいは、設計開発部門が本社にある場合は、設計系もサポートしている。だが、工場となると範囲外だ。なにせ工場は地方にあるし、行くのは遠いし、おまけになんだか3K職場でごちゃごちゃしていて、スマートでない。ハイテクの最先端技術の好きなITエンジニアが、好んで働きにいきたい場所ではなさそうだ。

そんなわけで、わたし達が生産情報システム構築で顧客と打合せをする段になると、相手は情シス部門ではなく、製造部か生産技術部の人が多いのだ。それもたいていは、「あいつ、ちょっとパソコンに詳しいから」程度で選ばれた若手エンジニアという感じである。こういう方々が、本社の情シス部門の守るERPとか、現場の頑固な職長とか、ITが苦手な工場長とかの間で板挟みになりながら、製造管理や物流管理システムの構築の仕事をしていくのである。しかもそれが最終的な自分の本業になるということでもない。これでは力を込めるのも難しいし、まして業務の全体を見通してシステムを構想するといったこともやりにくいだろう。

こうなると、心配されるのはIoT技術の行方である。機械と情報のレイヤーをつなぐIoTの技術は、欧米を中心に加速度的に進展してきている。しかし、どうみても製造現場に入り込んで、機械とダクトの間を這い回らなければ、工場にとって意味のあるIoT技術の果実は得られまい。経営トップが、「何やらモノのインターネットだとかIndustry 4.0だとか世間では注目されているが、ウチの会社はどうなっているのか?」とたずねるとき、それは現場にとっては久々の、投資への追い風であるはずだ。こんなとき、本社の「現場苦手なITエンジニア」に命題がおりたら、“えーと、IoTとかより、これからは人工知能ですよ、人工知能。顧客データにAIを応用して・・”みたいな話にねじ曲がりかねない。

むしろわたしはIT業界の側に、上記のような情報費用のギャップがあることを認識してもらう方が早道であるように思える。製造業には、一人あたり年間、59 - 48 = 11万円分の費用が足りていないのだ。300人規模の工場で、ざっと年間3,000万円である。この分がまだ、未開拓の沃野として残っているのである。人の生産性が労働装備率と共に上がることはよく知られているが、それは情報投資でも同じである。そして最初に述べたように、生産情報システムは複雑であるが故に、いったん入り込んでしまえば、他社との参入障壁も高い。競争は少なく、かつ継続的に仕事を得られるチャンスがある。おまけに製造業のよいところは、○○業界とか××業界と違って(^^;)、理屈さえ通れば一応、ちゃんと費用を払ってくれる体質があることだ。

である以上、心あるITベンダーが、再度日本の製造業の情報化のために、IoTの追い風を受けて立ち向かってくれても良さそうに思うのである。


<関連エントリ>
 →「見えない非効率 ー 今、動いているんだからいいじゃないか」 http://brevis.exblog.jp/24909011/ (2016-11-13)
 →「労働装備率とは何か」 http://brevis.exblog.jp/8897754/ (2008-11-04)

by Tomoichi_Sato | 2016-11-27 18:21 | 工場計画論 | Comments(5)

全体像を見るために 〜 インテグレートされた工場の作り方

前回、『最適解を組み合わせても、良い生産システムは作れない』というテーマの話を書いたら、知り合いの方から「専門じゃないので理解しにくいが、面白そうなので簡単にわかりやすく教えてほしいい」という主旨の質問をいただいた。その方は音楽好きなので、わたしはこうお答えした。

「例えば音楽にたとえてみます。合唱では、あるパートが最初から最後までずっと全力で歌ってもダメですよね。休むところは休み、手を抜くところは上手に手を抜く。それで全体としては、流れのある良い音楽になるのです。」

合唱では(オーケストラなどでも同じだと思うが)、すべてのパートが常に全力で歌っていたら、やかましくて音楽としては聞くに堪えない。「全力で」のところを、「ピアノ・フォルテの強弱はつけるが、一つひとつの音符にすべてきっちり気合いを込めて」にかえても、結果は似たり寄ったりであろう。やはり全体としては、力んだだけで陰影に乏しい演奏になる。強弱だけでなく、間合い、リズム、音程、音質など、すべてが各声部の間でちゃんと調和して、はじめて美しい音楽が生まれるのである。

だから、よく素人が錯覚するように、「才能ある上手な歌い手が集まれば、良い演奏ができる」という訳にはいかない。曲の全体像を見て、ここはソプラノが主役だから中声部は和声の支えに回るべし、とか、テナーがテーマの旋律を歌い始めたら女声は動きを目立たせるな、といった協力関係が必要になるのだ。こうした指示を与えるのが指揮者の役割なのである。指揮者の仕事とは、全体の中で部分を位置づけ、部分のできることを見て全体を構築していくことにある。これをインテグレーションの能力とよぶ。アンサンブルが小さければ、あるいは皆が知っている短い曲ならば、指揮者なしでもなんとか音楽をまとめることはできる。だが楽曲が大きくなり、メンバーが多くなると指揮者が必要になる。

ただ、ここで素人にはしばしば、第二の誤解が生まれる。それは、「全体の構想は指揮者だけが分かっていれば良い。あとの大勢は、指揮棒にしたがって動けば十分だ」という誤解である。誰かスーパーマン的なリーダーがいて、その指示と命令のもと、大きな組織が機敏に動く。これが組織の理想像だ、という思い込みは結構根強い。こうした組織の動かし方を、”Command and Control”という。軍隊的な組織はその典型である。

しかし、こういうモデルは現実にはうまく機能しない。それは別にリーダーの能力不足のためではない。そもそも「指示と命令」型の組織では、“指示されない限り自分では何も動かない・考えない”タイプの人間が量産される傾向が強い。現場の末端が先を読んで行動しないので、問題はすべてリーダーが対処することになる。しかしリーダーが強烈であればあるほど、その周辺にはイエスマンばかりが集まり、都合の悪い情報は上がらなくなる。だから問題の数がある臨界値を超えてしまうと、組織は急激に機能不全に陥っていく。普段は良くても、大変なときに限ってぽっきり折れやすい、レジリエンシーの低い組織モデルなのだ。

だから実際には、組織の構成員が、皆ちゃんと全体を理解した上で、自分の役割を果たすべきだということになる。合唱のたとえに戻すと、一人一人が、楽曲全体の構造を分かった上で、自分のパートを歌うのが望ましい、ということになる。全体像を示し、各人に伝えるのは、指揮者の役目である。また逆に、歌い手側の中にも、全体像に対する独自の意見を持つ者がいるだろう。中には、指揮者が気がつかなかった提案だってあるかもしれない。だからそうした意見を聞くことも大事である。採用するかは、最終的には指揮者の判断になるだろうが。

こうした点を踏まえた上で、前回紹介した、典型的な(下手な)工場の作り方を見ると、「指揮者のいない演奏会」のような状態になっていることに気がつく。製造機械と、周辺設備と、建築の三つのパートが、全体像を見ないまま並行して進んでいく。だから途中で手戻りが多くなりがちだし、できた者に一貫性が欠けているため、見えない非効率の温床になりがちなのだ。

どうしてこういう仕事の進め方になるかというと、「工場という名の生産システム」の全体像を見て、それを最適化しようという視点が足りないからだ。工場を、システムではなく、「機械」と「周辺設備」と「建屋」の単なる集合体としてとらえている。各部分を別の部署で担当し、足し算の論理で作り上げようとしている。

では、より良い工場の作り方は、どうすすめられるのか? ここで、エンジニアリング会社が得意とする、石油や化学といったプロセス産業でのやり方を、参考までにご紹介しよう。それはこんな風に進む:
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(0) まず、工場要件の概要から出発する。ここは前回紹介したディスクリート型工場とほぼ同様である。ただ海外企業の場合、ここに「デザイン・フィロソフィー」文書が加わることが多い
(1) 次に、プロセス設計部門のエンジニアが、工場全体の『プロセスシステム』の基本設計を行う

プロセスシステムの基本設計を担当する専門職を、「プロセス・エンジニア」とよぶ。この業界では世界共通の用語であり、わたしの勤務先にも100人単位で技術者がいる。このプロセスシステム設計は、もう少し詳しく言うと、二段階からなっている

 (1-1) 工場内を流れる物質の流量バランス(物質収支)と熱エネルギー収支の最適化
 (1-2) 制御方式の設計(測定点の決定と制御ロジックの決定)

さて、このようにシステム全体の機能と流れが確定すると、次にシステムの構成要素の設計に進む。

(2) 機械設計部門が、要素機器の詳細設計を進める

システムの機能構成と要素が決まったら、そのつながりにしたがって空間的配置を設計しなければならない。そこはさらに二段階に分かれる:

(3) 配管・建築・シビル設計の各部門が、空間設計を順に協力して進める(通常、3D-CADを利用する)
 (3-1) まず、機械エンジニアが配管レイアウトの最適化を行う
 (3-2) ついで、架構・建築・基礎設計などの構造設計が上物→基礎の順に行われる

そして、設計から具体的なものづくり段階へと進んでいく。

(4) 調達部門・工事管理部門が、資機材の調達と建設・試運転 を行う(時間的にはこの段階が一番長い)

おわかりだろうか。(0)〜(4)まで、仕事は「要件→システム→構成要素→空間配置→調達→建設→試運転」という風に、一本の線として順に進む。そして、こうした全体の流れに齟齬がないよう、リサイクル・ワークが発生しないように管制塔の役割を果たす存在がいる。

(5) プロジェクト・マネジメント部門のプロマネとそのスタッフからなるチームが、全体の流れを統括する

管制塔機能とはすなわち、指揮者であり、インテグレーションの仕事である。プロマネ配下でプロジェクト・マネジメントに専門的に関わるチームを、Project Management Team = PMTとよぶ。小さな工場案件では、プロマネが一人で面倒を見るケースもあるが、大規模案件では複数人が必要になるからだ。

前回紹介した工場づくりのワークフローとの最大の違いは、工場全体が「システム」であるという概念が存在すること、そして「プロジェクト・マネジメント」という管制塔機能が存在することである。

まあ、上で示した流れは、実際には1,000以上のWBSアクティビティからなる流れをかなり簡略化したもので、現実にはもっと複雑だし、リサイクル・ワークも発生しがちだ。だが、全体の流れを統括して、妙な手戻りは極力無くそうと最初から努力はしている。そのためにPMTのメンバーは、設計上しばしば発生する小さな変更が、他の設計・調達・建設を通じて、どのような影響を及ぼし、コスト・スケジュールでどれほどインパクトを生じるかを、つねに予測しながら判断を行う。

そして、このような流れは、わたしの勤務先だけではなく、世界的なプロセス産業全体での共通理解になっている。発注者側も、これを求めるし、これを実現するために、エンジニアリング会社という業種が存在する。そして、そこにはプロセス・エンジニアや、プロジェクト・マネジメントの専門家が多数いる。こうした人材を、工場のオーナー企業が雇っても、数年に一度しかないプラントの新設・拡張だけに従事させるのでは非効率だから、アウトソースするのだ。

もちろん、こういう仕組みだから、すべてのプロジェクトがうまくいく、などと言うつもりはない。我々も正直、手痛い失敗をいくつも経験している。ただ、プロジェクトにとって最大の失敗は、コスト超過でもスケジュール遅延でもない。使い物になる成果物が生み出せないことである。そして、少なくともプロセス産業では、「非効率で使い物にならない工場ができあがった」という失敗はない。全体システムの最適設計を最初に行うからだ。

こういう手順を踏むため、プロセスプラント系の工場の作り方は、必然的にウォーターフォール型になる。最初にとにかく、全体像を決める。今回は反応系、次は回収系、という風に、部分部分を計画しては継ぎ足していくようなやり方はできないのだ。プラント系のプロジェクトにアジャイル型が不向きなのは、決して実物の工事があるためではない。プラントが単なる機械装置の集合体ではなく、インテグレーションされた密結合のシステムだからだ。

わたしがこのところ、ずっと「仕組み」だとか「システムズ・アプローチ」だとかにしつこくこだわっているのも、結局のところ、わたしのキャリアの出発点がプロセス・エンジニアだったことに由来しているのかもしれない。わたしの入社した頃の仕事は、石油リファイナリーの工場全体を、線形計画法を使って最適化設計し、経済性評価する仕事だった。その後いろいろなキャリアの紆余曲折はあったが、どの分野の仕事でも「システムの全体像」にこだわり続けているのは、その影響なのだろう。

ただ、そうだとしても、これまでずっと専門分野を深掘りしてきた中堅エンジニアが、「全体像を見る」ためには、どうしたら良いだろうか? いまさら畑違いのプロセスシステム工学など、学んでいる暇もあるまい。

わたしがおすすめするのは、二種類の『見方の練習』である。最初の練習はまず、「上司の上司の立場になって仕事のあり方を考えてみる」ことである。自分の上司の立場を想像することは、それほど難しくない。居酒屋談義でサラリーマンが「俺が課長だったら・・」みたいなセリフを吐くシーンは、珍しくあるまいし、ある程度は正鵠を得ているものだ。だが上司の上司となると、難しい。あなたが主任だったら、課長ではなく、部長になったつもりで、仕事をどう変えるべきか、考えてみる。あなたが課長だったら、本部長の立場で、どう仕事の仕組みをつくるか、考える。これは簡単ではない。かなり視点を背伸びして、高い位置から関連する仕事の全体を見なければならないからだ。

そしてもう一つの練習は、「顧客の顧客の要求を考えてみる」である。自分の目の前の顧客の要求は、毎日接しているし、闘ったりもしているので、良く知っている(つもりになりやすい)。ところが、その顧客だって、じつはさらに顧客がいるのだ。そして彼らだって、顧客の要求に悩まされている。たとえばあなたが部品メーカーで、顧客はセットメーカーだとしよう。顧客はあなたに、つねに無理なコストダウンやJIT納品を要求してくる。

だが、その顧客だって、じつは流通側のチェーンストアや量販店から、めまぐるしい需要変動への対応を要求されているのかもしれない。だから、あなたは「顧客が要求して言ってくること」の背後に、顧客自身が悩んでいる「隠れたペイン」を見通すべきなのである。それはいいかえると、「サプライチェーンの中で、自社の位置を理解する」ことにも通じる。そういう視点を獲得できれば、あなたが日々直面している問題に対しても、別の見方、別の解決策が見えてくるかもしれない。たとえ見えてこなくても、感情的なフラストレーションは、少しは薄まるはずだ。相手を、同じ手足のついた人間として見ることが、相互リスペクトの第一歩ではないか。

こうした二種類の見方を、折に触れて練習してみること。これが「全体を見る」能力を育てるための方法だと、わたしは信じている。そうした能力は、今すぐには無用に見えても、長いキャリアの中では、きっと役立つときが来るはずなのだ。


<関連エントリ>

 →「設計思想(Design Philosophy)とは何か」 (2012-03-26)
 →「最適解を組み合わせても、良い生産システムは作れない」 (2016-07-25)
by Tomoichi_Sato | 2016-08-02 22:24 | 工場計画論 | Comments(0)