人間の脳が最もエネルギーを消費しているのは、じつは眠っているときらしい。それも、夢を見ているときではなく、いわゆる夢を見ないノンレム睡眠の時である。レム睡眠とノンレム睡眠は1時間半程度の周期でくり返すが、われわれが多少とも覚えているのは夢を見ているレム睡眠の間にすぎない。これはまことに不思議なことだ。脳が一番活発に活動しているのは、自我も意識も無い時らしいのだ。
眠っている間に脳が何をしているのか、まだほとんど分かっていない。一説によると、覚醒時に習得した情報の中からパターン抽出をして(つまり情報圧縮)、海馬経由で長期記憶に保存するのだという。休憩中の脳はガーベジ・コレクションをしているのさ、というのがシステム・エンジニアうけする説明だが、脳のなかのメモリ空間がリニアアドレスであるはずもなし、たとえ話以上のものではあるまい。 ところで、ここから連想ゲームみたいに話が飛ぶのだが、休んでいる間が一番忙しい、ときいて、私は自分の顧客である石油ガス業界やガラス業界の工場を思い出す。製油所勤務の人たちが一番忙しいのは、生産していないときなのである。工場を止め、製造装置をストップして、こうした業界では定修を行なう。「定修」とは定期修理の略だ。工場にもよるが、たとえば1ヶ月弱、生産をストップして、プラントのあらゆる装置・計器・配管をメンテナンスするのである。機械はばらして消耗部品を交換し、内部を洗浄して汚れを取り、配管系統の溶接箇所を点検し、計器を更正し、必要ならば小規模改造や新装置の導入をして・・ 石油プラントの場合、機器・配管の総数は数万点あるから、やることはたくさんある。工具も場所も限られているから、適当に目についたところから手をつけていたのではいつまでたっても終わらない。かなり詳細な手順計画を立てて遂行していくのである。人手もたくさんかかる。プラントでは大量の可燃物や高圧ガスを扱う。法規制の関係で、日本ではタンク類の開放点検が年1回義務づけられていた。つまり、年間の1/12は生産ストップというわけである。これが日本企業の競争力を大幅に阻害しているという指摘があがり、規制緩和で隔年になり、最近は4年に1回になった。しかし、これが思わぬ問題を呼び起こしているのである。 その問題とは何かというと、定期修理・大規模メンテナンスのスキル継承の困難である。なにせ4年に1回しかない。大卒で会社に入っても、へたをすると現場を1回か2回経験しただけで係長や課長クラスになってしまう。現場をよく知らないまま、中間管理職として計画立案や監督をすることになる。なまじ大卒で頭のいい人は、見ていただけでわかった気になってしまう。しかし、技術的スキルというものは、現場でくり返し学習しなければ、身につかないものだ。そして・・ 米国ミネアポリス州で、高速道路の橋が落ちた事件は、その少し前ニューヨーク市でおこった地下埋設蒸気管の爆発事故(かなりのアスベストが飛散した)とあわせて、あらためて保守を軽視した社会のもろさを皆に知らせることになった。日本だって、対岸の火事ではない。ここ数年、どれだけ工場や鉄道で大小の事故が起きていることか。これらは保守をぎりぎりまで切りつめた「現場の不眠症」の産物といえないだろうか? 工場とは秩序をもったシステムであり、企業の生産システムの中核をなす。ところで、生物というものも、複雑な秩序をもった有機的システムだと言える。この生物という名前のシステムは、補食活動や同化作用といった活発な時期に体内にエネルギーをたくわえるが、その後かならず休息の時期が来る。このとき、実は活動期に体内に増えたエントロピーを下げて、体内組織を修復し直す。生命がサイクルをもつということは、かなり本質的な事象だと考えられる。カルノーサイクルや内燃機関の原理を見てもわかるように、最大の効率をあげたければ、サイクル的な構成が必要になるらしい。 だとしたら、企業という有機的(?)システムにも、エネルギーとエントロピーのサイクルが必要なのではないか。休みなく絶え間なく成長し続けるというモデルは、むしろどこかでエントロピーを噴出することにならないだろうか。季節性や景気循環はどの業界でもおこる(たとえば半導体サイクルや液晶サイクルなど)。大事なのは、下降期に向かったときの過ごし方なのだ。そのときこそ、生産ラインを止め、不要物を捨て、保全改良をほどこして工場のエントロピーを下げてやる必要がある。人間を休養させ、再教育を行ない、「人的資源」の再生をはからなければならない。つまり積極的に下降期をすごし、それをチャンスととらえるべきなのだ。 前回、私は、「眠っている時間、非活動的な時間は、人生にとって価値ゼロだ」という思想」に反対だと書いた。それはなにも、休養すれば生産性が上がるから、という理由ではない(そういう功利的な説明の仕方は、俗耳には受入れやすいだろうが)。私はむしろ、意識中心の考え方、すなわち“自分とは意識・自我である”というデカルト的西洋的考え方がきらいなのだ。この論理は、“だから意識がない時間は無価値である”とか、“自分の体は自分(=自我)のものである”とか、“身体を短時間睡眠に馴致させるべく改造しよう”という風につながっていく。 だが、よく考えてほしい。生物進化の歴史を見ればわかるように、意識と脳は、身体が必要に応じて創り出してきたものである。それなのに、あたかも身体を脳の道具のごとく考えるのは、まったくの転倒であろう。 この構図は、会社にも全くアナロジーとしてあてはまる。MBAか何かをとって、本社で戦略的ビジネス計画をたてる頭のいい連中は、会社組織は自分たちのものであり、好きなように動かしたり切捨てたりしてかまわないと考えているかのようだ。ちょうど、ゲーム理論の『計算する独房の理性』のように。だが、以前「誰のための生産管理」(「タイム・コンサルタントの日誌から」2007/05/06)でも書いたように、本当はマネジメントとか本社とかいうものは、生産や販売の現場がスムーズに動くように、サポートする立場にある。つまり、マネジメントとは現場の必要から生まれたものなのだ。 眠っている間、意識や自我が消え去っても、生物としての人間の一貫性は継続するし、むしろ身体の統合性は再生される。意識は身体の下僕である。もうそろそろ、我々の頭の中にある転倒を正すべき時期なのかもしれない。
by Tomoichi_Sato
| 2007-08-12 00:18
| E6 メンタルと働き方のマネジメント
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