旅先の小都市で、食事をしようと町の中を歩いた。駅から少し歩くと、市役所や高校やホールが並ぶ街道沿いに、商店街が広がっている。しかし、午後早くだったのに、しまっている店ばかりだ。シャッターを見ると、何の店だったか分かる。電気屋、本屋、八百屋、眼鏡時計店・・それでも食べ物屋は何軒か残っており、そこでその地方の名物料理にありついた。 その小都市自体が寂れてきているとは、言い切れない。むしろ町おこしの事例として有名なくらいだ。たしかに人口は減っているようだ。しかし広い市域に農地と住居が分散しており、モータリゼーションにともなって、旧街道と鉄道の駅を中心とした市街地への集中がなくなったのかもしれない。買い物も食事もバイパス沿いのショップやレストランで事足りる。ネットで注文すれば配達してくれる。商店街は必要ない存在になってしまった。 電気屋、本屋、時計屋と並べてみると、いずれも昭和時代のビジネスモデルだと気づく。昭和のモデルとは何だったのか。そこで生きた人々が支えた経済社会の構造は、どうなっていくのか?
商店街に並んでいるのは、ほとんどが小売店だ。そこで販売(小売り)の機能を考えてみよう。もちろん、まず商品(モノ)自体の提供がある。店に行って、モノを買って帰る。あるいは(昭和時代の昔はよくあったのだが)家まで配達して届けてくれる。 つまり商店は、販売機能に加えて、ラスト・ワンマイルの物流配送機能も提供していた。さらに電気屋を考えてみると分かるが、商品提供にまつわる据付工事等の付帯サービスもある。TVを見るには屋根にアンテナをたてる必要があった。洗濯機なども簡単な据付工事がいる。それらを販売店が担った。 情報仲介機能という面もある。お客さんに、商品自体の情報や、それを利用した生活の姿のイメージを提供する。商店もそれなりに、商品仕入れにおける目利き・評価の能力がある。そして昭和時代にはネットという便利なものはなかった。新聞・テレビは広告情報を流すが、個別の商品の特性比較、使い方などは小売店が提供したのだ。 逆に、客側のニーズ、需要情報をメーカーに届ける機能もあった。昔の電気屋は、ナショナル・サンヨー・東芝など大手メーカーごとに系列取引になっていて、メーカーは毎年定期的に全国のサービス店を集めて、軽井沢など有名な観光地で研修大会を開いた。これは新商品の紹介と、ニーズの吸い上げ、そして慰安の提供でもあった。 最後に、小規模金融(決済・売掛・債権回収・保険等)の役目も担った。これらが地方商店街の小売店の機能だったのだ。
では、それらを束ねる組織構造は、どうなっていたのだろうか。それはいわば、商品を全国に提供する大企業のブランドによる、自営小企業のネットワークの形であった。電気屋に「ナショナル」のカンバンがかかっていても、別に松下電器の子会社ではなく、特約店契約だったと想像する。大企業は全国を地方や県などに分け、地域的ツリー型のネットワークによって、店舗(拠点)と消費者(利用者)の固定的な結びつけを維持していた。これによって、小売店の経営安定化と、余計な価格競争の排除を図ったのである。 書店などはもちろん、複数の出版社の商品を扱っていた。出版社には中小零細も多い。そのかわり、書店流通は日販・トーハンなど大手取次店と呼ばれる大企業が全国のサプライチェーンを掌握して、書店と出版社をつないでいた。八百屋や魚屋など生鮮食料品店は、地域の青果市場を通じて、生産者とつながっている。エンド・ツー・エンド、N:Nの直接取引ではなく、地域別のチャネルを通じて集約されていた。 基本的に、商店街の各店舗は、独立自営した小規模企業である。そして必要な初期投資や参入障壁は、それほど大きくなかったはずだ。それでなければ、あれほど多数の商店が、全国に存在できたはずはない。そして店舗の経営者や従業員が、高度な専門知識やスキルを持たなくても一応成立するビジネスモデルになっていた。つまり、フツーの人が真面目にやれば、できる商いなのである。 似たような事情は、エレクトーン教室などにも共通だ。昔、「中の人」だった知人に聞いた話では、エレクトーン教室に通う女の子達にとって、上手になれば自分も教室を開いて先生になれる、経済的に自活できる、というのが夢だった(女性の職業選択は今より遙かに狭かった時代だ)。エレクトーンのメーカーの高収益率は、じつにこの昭和的なビジネスモデルが支えていたのだ。 昭和のビジネスモデルを支えた柱は何だったろうか。第一に、それはブランドによる商品と情報の供給だった。まだ「モノあまり時代」に突入していなかったので、商品供給はパワーだ。プロダクトアウトといってもいい。ブランドの有名さが、情報の権威を裏付ける。ちなみに権威とは、真理を決める力を付与されている状態をいう。売り手と買い手の情報の非対称性が、このモデルのベースにある。だから必然的に、大衆向け広告とマスメディアが大事になる。 第二に、大手メーカーによる小売店のネットワーク化。商品供給のみならず、研修も、慰安旅行も、そして経営面のアドバイスや金融面のサービスまでも提供した。第三に、公共交通機関と徒歩を中心とした、地域交通の構造。商店規模の大きさよりも、住まいへの近隣性が重要だった。
このような、よくできた経済モデルがなぜ機能しなくなったのか。それはネットとデジタル技術の登場にある。インターネット・Web・一人1台のパソコンが普及するのは平成に入ってからだ。ネットは情報の非対称性による「情報仲介」サービスへのニーズをくずした、それだけではない。貸付・決済や物流などの機能も、商店を介さずにできるようになった。 第二の変化は、モータリゼーションの進展による交通流の分散化である。鉄道・バスと旧街道から、自動車と新バイパスへ。そして第三の変化は、人口構成の変化、とくに高学歴化だろう。知識大衆化といってもいい。昭和時代には「知識人」とか「インテリ」という言葉があった。今の人には、意味も分かるまい。 業種業界により濃淡はあるが、この四半世紀に進んだビジネスモデルの変化はこれだった。情報は手に入りやすくなり、非対称性は減った。その代わり、独立自営で食べられる選択肢も減って、商工業では、みなが雇われ人になる道しかない。逆に大手メーカーの力も、平場の価格競争にされされて、大きく損なわれた。サプライチェーンを一番マージンが大きいのは、今やチェーンストアである。 経済分野では、この変化はすでに終盤に入っている。教育分野でも、もう個人が塾や学校を開ける時代ではないかもしれない。それ以外の分野では、どうだろうか。たとえば農業、たとえば司法、あるいは宗教、そして政治・・ 昭和的なビジネスモデルの特徴は、いくつかある。大手ブランドによる信用と利権、(機能別ではなく)地域別なツリー型組織、それらを支える中央集権的イデオロギー、デジタルと情報への感度の低さ、そして構成員の高齢化・・あなたの周りに、こうした特徴を持つ組織があったら、その行く末を注視した方が良い。それが滅びるのか、無くなるのかは、もちろん予言できない。だが、いつの間にか別種の仕組みに、一番大事なところを奪われていくからだ。 <関連エントリ> 「組織のピラミッドはなぜ崩壊したか(2) 学歴社会の矛盾」 (2010-09-19) 「システムが崩壊するとき」 (2009-12-15)
by Tomoichi_Sato
| 2025-10-31 19:50
| F3 組織・経営・戦略論
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