「スマート工場とは、MESを活用する工場である」と発言しはじめてから数年たつ。もちろんMESを入れてさえいれば、自動的にスマート工場になれる訳ではないが、MES抜きで製造指図も製造記録も全て手書きでは、あまりスマートとは言えない。 なぜなら、自分の現在・過去・未来をちゃんと把握し、事実とデータに基づいて判断する、というのが「スマートさの条件」だからだ。生産の現状は現場の各工程を回って追っかけなければ分からず、過去は手書きの記録ばかりでデータになっていないので、何事も勘と経験と度胸で決める、ではスマートにはほど遠い。 そして、スマートでない職場で働くのは楽しくない。そういう職場では、何か想定外のトラブルが起きたり飛び込み注文が入ったりすると、バタバタ状態に陥りやすいからだ。普通の業務を毎日、定常的にこなすだけなら、まあスムーズに流れる。ちょっとした問題なら現場が解決する。だがマクロな問題が生じると、各工程・各部門が、全体の状況も分からぬまま、バラバラに勘で判断する結果、相互調整や実行不能な指図が飛び交う状態に、陥りがちだ。 そんな工場にはしばしば、つまらぬ力仕事も残っている。しようと思えば機械化できるのだが、「採算が合わないから」人手のままだ。アホくさくなって、若手から順に辞めてしまう。そういう楽しくない職場から、良い製品など産まれてくるはずはない。その一番根本のところを、たぶん経営が忘れているのだろう。
「全体は部分の総和に勝る」とは、その昔ギリシャのアリストテレスが語った言葉だ。だが2千年以上たった後でも、わたし達の社会では、「部分の総和が全体である」会社が少なくない。部門ごとに役目を切り分け、KPIの目標値を与え、あとは「各人持ち場で最善を尽くせば」全体で最良の結果が得られるはず、と信じている。 だから、全体を見て考える立場の部署や、人がいない。工場を訪問して、「原料が入ってから製品が出るまでの、全体の工程の流れを教えてください」と質問しても、全部を答えられる人がいない。しかるべき図もない。工場長さんだって、自分の出身部門の事には強くても、全体を把握できているとは限らない。 ところで、ITシステムの特徴とは何か、ご存じだろうか? それは、部門を横断して働くことが多い仕組みだ、という事だ。製造も品管も生産技術も生産管理も、それぞれ時部門の持ち場で最善を尽くすことだけが求められる。だが、ITシステムは違う。データとは、他のデータと組み合わさることで、価値が何倍にもなる性質を持つ。だからITシステムは必然的に、部署や機能を越境して広がろうとするし、その方が望ましい。 ところが、その段階で『全体を見る人がいない』問題が立ちはだかってくる。日本の製造業は真面目で優秀な人が多いので、各部門単位でそれなりにITシステムを入れて、立ち上げていく。だが部門を越境できない。頑張って越境しても、なんだかモザイク的な温泉旅館的つながりしか実現できない。全体のあるべき姿のデザインがないからだ。MES=製造実行システムの導入に立ちはだかるのは、そうした問題である。
MESベンダーさん達と話していると、共通して出てくる意見ないし感想がある。それは、「本社レベルでの『ものづくり改革』的なプロジェクトから派生してくるMES導入は比較的スムーズに進む。しかし、工場の製造現場発で動くMES導入の案件は、途中で止まってしまうことが多い」という状況だ。これが本当だとしたら、なぜだろうか? 本社レベルのプロジェクトの方が、予算申請の決裁が通りやすい、という面はあるだろう。しかし、工場発のMES導入の方が、現場ニーズに即しているはずではないか。なのになぜ、止まってしまうのか。 それは、「MES導入で実現したい業務のTo-Be像が、意外に不明確だから」ではないか、というのがわたしの推測である。なぜか。それは(繰返しになるが)工場業務の全体像が見えている人が、ほとんどいないからである。業務のAs-Isの姿があり、明確なTo-Be像があって、そのギャップを埋めるためにITシステム導入をする。そんな風に、システム・アナリストの教科書などには書いてある。住みたい家のクリアなイメージがなければ、建築家に設計を頼むこともできないではないか。だが、そのイメージが部門毎に、バラバラなのである。 スマート工場とか製造DXの仕事をしていて実感するのは、「IoTとかAIとか、面白そうな技術があるから、これを何かに使えないか」という発想で動く人たちと、「こういう業務を実現したいから、こういう技術がないものか」と考える人たちがいることだ。そして前者の、いわば「技術シーズ先行型」が大多数で、後者の「業務ニーズ主体型」は少数派である。しかし何かの仕組みをちゃんと構築するためには、後者のアプローチが絶対に必要だ。PoC止まりになってしまうのは、たいていが前者である。このMESで何ができるか、ではなく、MESで何を実現したいのかを、まず考えるべきなのだ。
こうした壁を突破するために、わたし達「次世代スマート工場のエンジニアリング研究会」では、2年前から、一つの標準リストを作成することにした。それは、製造業における工場内業務の全体像を示すリストである。日本には組立加工系(ディスクリート型)工場が多いので、それを念頭に置きつつ、500あまりの単位業務をExcelの表にリストアップした。 その中には、「大日程計画立案」のように、工場スタッフ層が行う情報処理的な仕事から、文字通り「製造」のように、ショップフロアの現場で機械や手を動かす仕事まで含まれる。ちなみに、それぞれにはA-10-10-01とかB-30-30-03といった整理用のインテックスもついている。そして業務オペレーションの内容説明や補足記述がついている。 そして、業務全体のAs-IsとTo-Beを考えていただくために、それぞれの単位業務をMES/MOMで行うべき対象かどうかについて、○×のリコメンデーションをつけた。MES/MOMではなく、他のITシステム(ERPとかPLMとか)で行うのが通例のものは、そう記述した。もちろんこれは推奨なので、ユーザは独自の考えを持っていただいても、全然構わない。 昨年、このリストのパブリックコメント版を公開した。そしていよいよ今月、正式版をリリースできる運びとなった。ちなみに昨年はこれを「標準テンプレート」と呼んでいたが、今回の正式版からは「標準業務一覧」と呼ぶことにした。もちろんExcelのリストだけでなく、これをどう使うべきかについての、丁寧な解説もつけている。 リストは、(財)エンジニアリング協会の下記のHPから誰でも無償でダウンロードできる。 たまたまだが、この公開タイミングと前後して、Webメディア「Koto Online」からMESと標準業務一覧について、取材を受けた。その記事も以下から無償でアクセスできるので、ぜひ大勢の方にお読みいただきたい。 念のために書き添えるが、この標準化活動は、研究会メンバーによるまったくの手弁当である。わたし自身も他のメンバーも、誰からも一銭も受け取っていない。ただ、日本のMESをとりまく状況を良くしたい、この国にスマート工場、すなわち面白いと感じながら働ける工場を一つでも増やしたい、との思いから、これを作ってきた。とはいえ、内容の不足面や偏った面は、いろいろあるだろう。だから一人でも多くの製造業の方に、これを見ていただき、前向きなご批判やご意見をいただけるなら本望である。 佐藤知一@日揮ホールディングス(株)
by Tomoichi_Sato
| 2025-10-09 10:29
| E1 製造業のITシステム
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