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知能は決断のためにある

  • 日本社会の低迷の理由

1997年のある日、わたしは出張先の中東の産油国・カタールで、衛星テレビを見ながら1人で夕食をとっていた。インド人のコックが作った日本食で、味噌汁はやたらと濃厚な、謎の味がした。見かけだけは日本風だが、断じて和食ではない。味噌汁を生活の中で味わったことのない人には、味噌汁の「イデア」=本質はわからないのだろう。レシピをなぞり、外側を真似ることができるだけだ。

テレビをつけて、日本語放送にチャンネルを変えると、背広姿の年配の男性の泣き顔が大写しになっていて、仰天した。山一証券社長の記者会見の様子だった。名門証券会社が何兆円もの負債を抱えて、経営破綻したのだ。日本のバブル崩壊を象徴する出来事だった。蒸し暑い中東ドーハの宿舎、謎のインド味噌汁、そしてテレビカメラの前で泣いている、日本人社長。この異様な組み合わせを、わたしは決して忘れない。それはピースがはまらなくなって、崩れ始めたジグソーパズルの絵を思わせた。

日本のバブル期の馬鹿騒ぎを、わたしも少しは覚えている。拝金主義の時代だった。だが、もっと馬鹿げていたのは、人が努力して学んだり働いたりすることの価値よりも、運良く生まれつくことの方がずっと得になると、皆が思い始めたことだった。『東京家付き娘を探せ』という週刊誌の連載コーナーがそれを象徴していた。

日本のバブル時代は1988年頃から始まり、92年頃にはピークを過ぎる。95年の阪神淡路大震災で崩れ、97年の大手金融機関倒産が決定的に終わりを告げた。絶頂期は短かったのに、その後の低迷期はひどく長い。30年経っても未だに抜け出せずにいる。

長引く日本社会の低迷の理由は何か? いろいろな説明が行われてきた。だが定説と言えるものはない。だから、わたしがここで自分流の説明を、もう一つ付け加えても、誰にも咎められはするまい。わたしの説明はこうだ。

「日本社会の低迷の理由は、2つの能力の低下にある。それは、考える力と、決断する力だ」


  • 決める力とは何か

マネジメントという語のコアの意味は、人を動かすこと、人に働いてもらって結果を出すことだ。 その事は本サイトで繰り返し何度も書いてきた。そしてマネジメントを担う者の一番大切な仕事は判断、決めることである。

『判断』はさらに、『判別』と『決断』に因数分解することができよう。 このうち判別とは、一種のパターン認識に基づく推論能力である。男性の顔と女性の顔を判別する、良品と不良品を見て識別する、求人の応募者に自社の求める能力があるかどうかを判定する。 これらはいずれもパターン認識に、多少の測定やルールを組み合わせて行われる仕事だ。

パターン認識分野は10年ほど前から、深層学習を用いたAI技術によって、機械の能力が飛躍的に向上した。 今では人間のパターン認識能力をはるかに超える、人工知能の応用分野がたくさんある。これをもって、「マシンの知能は人間を超えた」と考える人たちも少なくない。判別と推論が知能の中核だったら、その主張は正しいだろう。

これに加えて2年ほど前から、生成AIが時代の寵児として踊り出た。生成AIは自然言語の入出力インターフェースを備えて、ネットで手に入る言語情報・非言語データを膨大な知識ベースとして蓄え、パターンと確率に従って「自然な」(人間風の)出力をすることができる。 世の中に流通している言語的な知識を検索し判別し、集約・編集して、推論として出力してくれる。 だから、このような種類の仕事をしてきたホワイトカラーの人たちの仕事はかなりの程度、生成AIによって代替可能となった。

ただし繰り返すが、AIが上手にできるのは「判別」の部分であって、「決断」ではない。決断のためには、別に必要となるものがあるからだ。


  • 決断はなぜ重要か

日本社会は高度に工業化した社会である。そこでは主に「会社」という集団が単位となって、生産や流通の仕事をになっている。 かつての素朴な農業社会の時代、働く人はせいぜい、自分の家族の生活維持を考えればよかった。何を作り育てるかは、土地と気候とでほとんど決まり、選ぶ余地は少なかった。

しかし工業化社会は違う。何を作るか、いつ作るか、 どこでどれだけ作るか。技術のおかげで、選択肢は非常に広がった。そして、どの選択肢を選ぶかによって影響を受ける人の数も、桁違いに大きい。決断の重要性は、飛躍的に高まったのだ。

仕事における問題解決も同じである。何事も全て予想通り、何の問題も生じないビジネスなど存在しない。マネージャーの仕事の半分は問題解決にある。問題に直面した時、私たちはどうするか? このまま進むか、止まるか。 Aの手段を用いるか、Bの対策に頼るか。右に行くか、左に行くか。いろいろと考えて頭を絞って出てきた複数の選択肢の中で、最善と思われるものを選び出して、それで人を動かす。これが決断だ。

前例があり、ルールにのっとった行為なら、決めるのは難しくない。 新しいチャレンジ、先の見えない問題解決こそ、決める力がいる。決めたことに従い、実行して、うまくいけば新しい経験や能力を身に付けることができる。うまくいかなかったら、そこから学びを得る。だから決断しない人間や組織は、学びも成長もない。

考える力がなければ、進歩も成長もない事は自明だろう。しかし、たとえ頭が良くて、知識も豊富で判別能力や推理能力が高くても、決める力がなければ、どうなるか。新しいことに踏み出す決断ができなければ、人も組織も社会も、同じところを堂々巡りし、低迷を繰り返すのみになる。あの証券会社だって、もっと早く簿外債務の対策を決断していたら、廃業に追い込まれずにすんだかもしれない。低迷から抜け出したかったら、わたし達の「考える力」と「決める力」を高めなければならない。


  • 決断力に必要な二つの事

そこで改めて、読者諸賢に問おう。 皆さんはご自分の「決断力」を、5点満点で採点したら何点だと思われるか? そういう角度から、自分や他者の能力を評価しようとしたことが、あったろうか?

わたしの自己評価は、正直に言って、残念ながら相当に低い。だが低いままで、社会人を終わりたくはないと思う。では、どうしたら「決める力」を高めることができるのか?

そりゃあ、わたしだって人並みに、決断には直面してきた。仕事上のことも、進学も、住む場所を決めるのだって、そうだ。もちろん勤務先を選ぶのだって、結婚だって、決断だ。そうした決断に直面して、決められずに迷うシチュエーションを思い返してみると、二つ大事な要件があったように思えてきた。

その一つは、価値観である。迷いは、トレードオフ関係が生じるときに、おきやすい。お金か、時間か。評判か実質か。利便性か快適性か。成長性か安定性か。あちらを立てればこちらが立たず、トレードオフ関係があると、決めるのに悩む。そうした迷いの糸の「結ぼれ」を断ち切るのが、価値観である。

何が自分にとって一番大切なのか。何が家族にとって、社会にとって、大切なのか。そのつながり、まとまりを、価値観と呼ぶ。決断力には、価値観が必要なのだ。

そしてもう一つ。決めるには、『勇気』が必要なのだ。勇気というのは、理性の回路からだけでは、決して出てこない。頭が良くても臆病で気の弱い人間は、いくらでもいる。勇気は一種の感情的能力だ。

ただし、後先構わずに何でも決めてしまうのは、「蛮勇」と呼ぶ。蛮勇と勇気は違う。勇気をもつ人には、自己に対する信念と、他者への信頼がある。だから、リスクある決断を下すことができるのだ。

『知能』とは、過去の知識や自己の経験から学んで、自分のできること=能力を拡大し、自分の属する家族や社会集団の生存確率と価値を上げるためにある。つまり、知能とはより良い決断のためにある。犬や猫を見て、知能が高いと感じるのは、彼らがより賢い判断と行動をしたときだ。決断の役に立たなかったら、どんなに判別や推論が上手でも、どんなに見かけ上は自然な文章を作れても、ムダに知能が高いだけとしか思われないだろう。

無論、誰でも決断を間違うこともある。間違ったら、次は賢くなろうと努力すれば良い。人工知能は自分が間違ったことを言っても、恥ずかしいとも、自分は無能だとも考えない(そういう意味で、AIはある種の人間に似ている。頭の良い、自己中な人たちだ)。それでも問題構造がシンプルで評価も単純な問題なら、AIに決めてもらうのもありだろう。だが、複雑で重要な問題には、向かない。いかに人間の知能の外見を真似ることができても、自らの生存の中で決断が磨かれなかったら、「知能」のイデア=本質に近寄ることはできないからだ。決断力は現実世界に生きる人が、自ら獲得すべき領域なのである。


<関連エントリ>
決める力、決めない力​​」 (2012-11-09)


by Tomoichi_Sato | 2025-05-03 22:03 | G1 思考とモデリングの技法 | Comments(0)
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