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製造業のトリレンマ・QCDを決めるのは誰か

  • トリレンマとしてのQCD

トリレンマという言葉をご存じだろうか。トリレンマとは、満たすべき目標が3つあるのに、そのうちの 2つしか選択できず、残りの1つは諦めるしかない状況を指す。2つの選択肢に矛盾がある場合をジレンマというが、トリレンマはその3点版だ。

ちょっとネットで調べると分かるが、有名なのは「国際金融のトリレンマ」らしい。これは(1) 独立した金融政策、(2)為替相場の安定、(3)国際資本移動の自由化、の 3つのうち、2つしか選べない、という。

製造業で、このトリレンマに相当するのは、QCDのパフォーマンス指標だろう。いうまでもなく、Quality(品質)・Cost(コスト)・Delivery(納期)の頭文字だ。この三つは、まるで三角形の三辺のように関係し合っていて、他に影響を与えずに、独立にコントロールすることが難しい。

たとえば品質を上げたければ、その手段の一つとして検査を徹底する必要がある。しかしそうすると工程が増えて、コストが上がり、納期も長くなりがちだ。コストを下げるために安価な材料を選ぶと、品質が落ちることもよくある。納期を短くしようと、製品や中間部品の在庫を増やすと、コストが上がってしまう。

知人で研究会仲間である渡辺薫氏は、以前アメリカかどこかで見かけたピザ屋のポスターのことを、先日の『スマート工場人財育成セミナー』で話しておられた。このポスター曰く、お客様はQCDの三つの内、二つまで選ぶことができる。すなわち、

  • 安くて早いピザ(その場合、味=品質は落ちる)、
  • 美味しくて早いピザ(むろん値段は高くなる)、
  • 安くて美味しいピザ(時間はかかる)

という訳で、三つとも満たす事はできない。無論このポスターは教育目的のジョークで、本物のピザ屋の宣伝ではないが、まさに製造業のトリレンマをうまく言い表している。


  • 製造はシステムであって、足し算ではない

そして、このような教育用ポスターが作成されるのは、あの米国でも、QCDは独立して操作・達成可能だと信じる人間が、結構大勢いることを示している。こういう人たちの頭の中は、単純な足し算でできあがっているんだろうなあ。まあ楽観的で単純なアメリカ文化らしいとは思う。

ちなみにアメリカに限らず西洋文化のアプローチは、「分解と分析」による問題解決である。対象をこまかな要素に分解して、分析していく。そしてそれぞれの要素を操作することで、問題を直そうとする。臓器ごとに専門分化していく西洋医学など、まさにこのアプローチだ。分析思考と楽観性が合わさると、QCDを別々に分担する、という仕組みができあがる。

実際、米国企業の中には、設計図面や仕様書に、Quality ControlとSchedule Controlのチェック欄があるケースがある。日本企業の常識では、図面の作成・検討・承認欄というのは、担当者→係長→課長、みたいなタテの職位でハンコを押していく。だが、設計レビューにおいて、本当に上司の係長が、製造品質やスケジュールなど、ヨコに並んだ機能の観点で、きちんとレビューできるのか。問い詰められると答えに窮するに違いない。

とはいえ、こういうチェック欄を見ると、「品管とスケジュール屋が、真逆のコメントをしたら、一体どうするんだろうなあ」といった観想もわいてくる。まあ、そのためにマネージャーがいるんだ、と米国人なら答えるのだろう。部分に機能分解した後、全体を統合して判断するのは、マネージャーの仕事である。それが米国経営の論理だ。

ところで、日本型経営の感覚(というのがあるとして)は、似て非なるものである。仕事は縦割りに機能分化した部署間を、バケツリレーのごとく受け渡されて進んでいく。問題が見つかったら、それぞれの部署内でローカルに解決が図られる。問題を後続工程に流さない。いわゆる「自工程完結」である。設計部門は設計品質を、製造部門は製造品質を担保し、生産管理は納期を、調達は材料コストを、生産技術は生産性と賃率を担保する、と。それでも問題が起きたら、隣接する部門同士で相談・調整する。これはこれで、立派な足し算の論理である。

米国流の経営論理に従うと、実行部隊は平凡でもいいが、マネージャーは優秀で頭が良いことが要求される(実際にアメリカ人のマネージャーが皆優秀だ、と言っているのではないよ、それが要請だということだ)。他方、日本の経営感覚では、実行部隊が優秀であることが望ましく、その場合、管理職はお飾りでも良いことになる。逆から見ると、米国企業では細かな現場問題が多発しがちで、日本企業はマクロな経営問題が放置されがち、とも言える。


  • コストとスケジュールはどこの段階で決まるか

さて、海外のことはおいて、日本の製造業での問題構造を少し見てみよう。

製造コストはそもそも、材料費+労務費+外注費+その他、と分解できる。これらの内で、まず材料費については、製品に必要とする部品材料の構成と数量、すなわち部品表(BOM)が定まり、その工程設計が決まり、そして各部品材料の購入単価が決まれば、ほぼ決定されてしまう。つまり材料費は、設計・生産技術・調達部門がほとんど決めるわけで、製造や生産管理や品管部門が左右できる余地は少ない(もちろん良品率向上による廃棄コスト低減などはあり得るが)。

労務費は? これは手作業が多い場合、たしかに人の習熟度で所要時間が変わる。とはいえ日本の製造現場で、人によって倍半分も違うようなケースは少ないだろう(労働者の入れ替わりが激しい海外工場と違い、人が年単位で働き続ける日本の現場で、そんな生産性のムラを放置しているようでは生き残れない)。労賃(賃率)も年間でほぼ決まる。まして工作機械などを多用する加工工程や、装置産業的な業種の工場では、そう大きく変える余地はあるまい。つまり、ここも製造現場側で工夫する余地は多くない(ただし、ムダな段取替えや不適切ななどによる時間ロスは、生産管理部門の責任だと言えよう)。

外注費も同様だ。どの工程を外注するか、その単価はいくらかは、概ね製造着手段階で決まっていることが多い。急な納期変更や能力あふれで、現場判断で外注に出すケースはあるだろうが、外注費の大部分は現場努力で減らせないと思う。そして、その他費用としてのエネルギー費用・金型費・機械賃率(減価償却費)等も、現場がその場で工夫できる余地は小さい。

だから結局、製造コストは設計と調達段階で大方が決まってしまう訳である。設計・生産技術・調達部門が本社にあるか工場にあるかは、企業によってまちまちだが、いずれにせよ製造に着手する前の段階(ISA-95のレベル風にいうならば、Level-4のビジネス業務)でコストはかなりが決まるのである。ITシステムでいうと、PLMやERPの領域だ。

ではスケジュール(納期D)は? これはさすがに、現場側、とくに生産管理の采配で決まる。無論、基本的なリードタイムは目安があり、それは営業を通じて顧客に納期回答しているのだろうが、スケジュールは生産管理部門と、彼らの使う生産管理システムが握っている。つまり工場の中二階にいる、製造スタッフの人たちの責任範囲だろう。


  • 品質はどこで決まるか

じゃあ、トリレンマの最後の一齣・品質(Q)はどうか。ここでは、設計品質は脇に置いて、製造品質を考えよう。これはさすがに、設計でも調達でも生産管理でもなく、現場のショップフロア側の責任範囲だと言えよう。

ただし、トリレンマの中で品質がやっかいなのは、コストやスケジュールと違い、品質が数値化しにくいことだ。良品率や直行率など、マクロな指標で代表的に言える業種と、そうでない業種がある。

品質問題が起きたとき、その理由を調べるためには、素材(マテリアル Material)それ自体と、使った機械設備(マシン Machine)と、作業方法(Method)、そして担当した作業者(HuMan)、いわゆる4Mにドリルダウンしていく必要がある(余談だが、最後のMは、昔はManだったけれども、やはり昨今の事情を鑑み、HuManのMだということになってきている)。

そして、個別のマテリアル(ワーク)の識別IDや、作業者のIDプレートや、機械のタグNo.や、作業IDを示すSOP(標準作業手順書)のデータなどは、多くの場合、生産管理システムの埒外で、しいていえばMES(製造実行システム)の領域である。

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まとめよう。QCDのうち、コストCは本社的な上流部門で決まる。納期Dは工場中二階の生産管理スタッフで決まる。品質Qは現場フロアの4Mで決まる。じゃあ、これらの間で矛盾や相克が生じた場合、誰がどう調整するのか?

答えは、組織の力関係で決まるのだ。まず本社やエリートの配属される上流部門は、お金も握って発言権が強い。工場では、現場と中二階は対等かもしれないが、納期は客先の意向の反映なので、後ろに営業部門が控えている。一般に日本の製造業では営業の方が製造よりも強い。だから、しわ寄せが来るのは現場で、その結果は品質に表れる。

おわかりだろうか。これが過去10年も20年にもわたって、日本の製造業を悩ませている品質偽装問題の正体なのである。コストは決まっている。納期も無理を言われる。だから品質をごまかすしかない。この事情は、以前書いた物語的な記事「パン屋問題の解決、または中小製造業の生き残る道」 にも描いた通りだ。

あのパン屋は、ギリギリのところで我に返って、パン屋の魂を捨てずにすんだ。それは、ちゃんとした製品を、お客さんに食べてもらう事だった。それが日本的経営の、そもそもの原点でなかったか。

米国式経営は「分析的思考」のために、QCDのトレードオフに気づけず、日本的経営は「現場頑張り主義」のためにトリレンマを解決できない。どちらも、製造業をダメにしている。誰か幻のピザ屋のポスターを再現して、経団連の会合で配ってくれないか。わたし達は根本のところで、大切なものを見失っているのである。


<関連エントリ>
「パン屋問題の解決、または中小製造業の生き残る道」 https://brevis.exblog.jp/28109443/ (2019-03-23)


by Tomoichi_Sato | 2024-11-19 20:16 | サプライチェーン | Comments(0)
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