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生産管理は事務屋の仕事か

  • 技術屋と事務屋

以前も書いたことだが、私がまだ駆け出しの頃ついた先輩は、文系出身のエンジニアだった。一流大学の経済学部を出て、システムエンジニアを志し、製油所の基本計画をLP(線形計画法)で最適化設計するような仕事のセクションの、リーダー格だった。わたしは一応、工学部の修士卒だったが、もちろん知識でも能力でも、その先輩にはかなわない。おまけに粗忽な性格だったから、痛い思いをしながら色々と学んだ。

世間ではよく、理系と文系と言うような対比をするが、わたしはこの区分をあまり信じていない。高等教育の人格への影響が大きい事はもちろん認めるが、そもそも専門科目を選ぶきっかけは、単に特定科目の好き嫌いや、先生との相性だったりする。持って生まれた資質から必然的に決まる人間類型だ、とは到底言えないだろう。外的環境、つまり運不運で決まる要素が大きいのだ。

理系・文系とよく似た区分で、技術屋・事務屋という言い方がある。 前者が教育の分類を示すなら、後者は職種の違いを表している。上に書いたように、わたしの 勤務先では、文系の教育を受けたエンジニアが結構いる。つまり教育と職種は一応独立と言うことだ。

もっとも、私の職場は(あるいは「エンジニアリング業界は」と言い換えてもいいかもしれないが)、他の日本企業に比べて若干例外的かもしれない。と言うのは、この業界では、エンジニアという言葉が差し示す範囲が、比較的広いのだ。

エンジニアと言うと普通は、何らかの設計に関わる業務をしている人、のイメージだろう。だがエンジニアリング業界では、設計、調達、建設、そしてプロジェクト・マネジメントが、業務の4本柱だ。 これら主要業務に携わる人たちは、皆エンジニアと言うことになっている(補助的事務職は除く)。だから、文系出身のプロマネも、文系出身の調達のバイヤーも、エンジニア職種に分類されている。この業界では、世界的に共通のことだ。

もう少しだけ補足する。我々の業界では、プロジェクト・マネージャーになる前に、「プロジェクト・エンジニア」と言う職種をキャリアパスとして通過するのが普通だ。 この職種はプロマネの下について、プロジェクト・マネジメントの様々な業務に専従する。

製造業を見ていると、基本設計部門のベテランが、大型案件のプロマネになったりするケースがある。だがエンジニアリング業界では、そういうのは例外で、普通はプロジェクト・エンジニアを何年も経験した上で、プロジェクト・マネージャーにようやく任命される。

それは、たとえて言うならば、オーケストラの指揮者と作曲家との関係のようなものだ。基本設計のリーダーは作曲家である。だが、指揮者に求められる能力・資質は相当に異なっている。作曲家が上手に指揮をできるとは限らない。癇癪持ちのベートーベンや、 気まぐれなモーツァルトは、 作曲家としては天才だったろうが、上手にオケを指揮できたかどうかは怪しい(もちろん、中にはマーラーやブーレーズのように 、両方にたけた人だっているが)。


  • エンジニアであることの条件

でも、世間一般に話を戻そう。 エンジニアと言う職種は、通常、以下のような特性を持っていると考えられる。

(1) 対象とする領域の科学法則をよく理解し活用している
(2) 有用なプロダクトの設計が本務である
(3) プロダクトの質の高さが、自分の仕事のプライドの源泉である

3番目は結構大事な条件だと思う。金銭的報酬以外に、その仕事がどのような事によって評価され、当人が自尊感情を持ちうるかは、仕事を続けていく上でとても大切だからだ。 エンジニアのプライドは、主にプロダクトの質によっている。

これに対して、事務屋という職種では、どうだろう。経理も営業も人事も、ふつうは事務屋の領域に分類される。共通の特性はあるだろうか?

(1') 科学法則よりも、人々の人間関係やルール・前例などの知識が求められる
(2') 直接目に見えるプロダクトを作る仕事には携わらない
(3') そのため仕事の質が、自分にも他人にも比較評価しづらい

事務職のアウトプットはたいていの場合、何らかの伝票とか(例:売上伝票)、帳票とか(財務諸表)、リスト(採用者一覧)とか、発令書や報告書の類いである。文字と数字の集合、つまり情報であって、目に見えて手触りのあるプロダクトがない。だから、本人でも質を「比較評価しづらい」のがポイントである(だから、出世競争や社内政治に関心が向きやすい、という傾向もありそうだ)。

もっとも営業職は、(しばしば)売上の数字で比較評価されるから、(3')はあてはまりにくいように思えるかもしれない。でも、新規顧客か既存顧客か、どの製品ファミリか、国内か海外か、などの区分を考えていくと、やはり比較は簡単ではない。なので比較対象は、ほぼつねに「前例」ということになる。大事なのは(科学)法則ではなく、前例なのだ。


  • 生産管理の仕事とは

さて、ようやくここからが本題である(笑)。生産管理の仕事は、技術屋の仕事なのだろうか、それとも事務屋の仕事なのだろうか? こういう問いを立てるのは、案外多くの製造業で、生産管理部門が「事務屋」に分類されると聞いて、違和感を持ったからだ。

エンジニアリング業界では、プロジェクト・マネジメントはエンジニアの領分とされる。 もともとエンジニアリング会社の多くは、製造業の生産技術・工務部門が独立したものである。エンジ会社のプロジェクト・マネジメントは、製造業の生産マネジメントに相当する。それなのに、なぜ製造業では生産管理が事務職とされるのか。そこで、あらためて生産管理屋の仕事の中身を、検討し直してみよう。

通常、生産管理とは、本社・営業部門から降りてきた受注情報や需要、予測情報をもとに、工場の各関連部門・工程・作業区に対する指示を出し、指示に対する進捗及び実績を把握する仕事だ。 指示には、通常、品種・数量・ 着手予定日・期限 等の情報が必要とされる。

生産管理の仕事は、ある種、レストランのフロア係の役目に例えられる。直接の接客はしないが、次々に入る顧客からの注文をもとに、工場と言う名の厨房に対して、順序建ててタイミングよく指示を出す。

生産管理の仕事が上手だと、工場の中はスムーズに仕事が流れ、必要な時に材料部品が揃っており、顧客の望む納期通りに順序よくプロダクトが出ていく。生産管理が下手だと、あちこちの工程で欠品が生じて製造作業が滞り、使わない部品在庫が倉庫に溢れ返り、生産順序があべこべになって、顧客をひどく待たせたかと思うと、いりもしないものがあっという間に出来上がる。ロットサイズもバラバラで、無駄な段取り替えが多い上に、製造の効率も品質も落ちてしまう。そして働く人たちは皆、イライラしたりがっかりしたりする。

生産管理の仕事には、帳票以外の具体的なプロダクトがない。手触りのあるプロダクトは、製造部のものだ。そうすると前述の特性(2')があてはまる。そしてほんとうに事務的(=機械的)にやるなら、単なる伝票・情報の交通整理屋ということになる。

しかしたいていは、それ以上の役目がある。それは、部門間・工程間の利害調整役である。計画通りに事が運ばなかった際に、問題解決のために、いろいろな調整をする。そこで、あちらの顔を立てたり、こちらに貸しを作ったりして、なんとか進める。これも、科学法則とはあまり縁がなさそうだ。だとしたら、やはり事務屋の仕事ではないか?


  • 仮説検証とテクノロジー

でも、単純にそうは言えないと思っているから、この記事を書いているのである。なぜか。

生産マネジメントの仕事は本来、計画立案・実行コントロール・評価改善の三本柱から成り立っている。

まずは、適切かつ正確で、実行可能な生産スケジュールを立案し、指示手配をかける。これが1本目の柱だ。生産計画業務とも呼ぶ。

次に現実の進捗状況をモニタリングし、計画からの乖離その他の問題が生じたとき(特にその問題が複数の職場間での調整と協力を必要とするとき)、問題解決をリードする。これが2本目だ。生産統制業務という言い方もある。

そして計画立案時に立てた仮説を、現実の結果で評価検証し、次の計画立案に活用する。これが3本目の柱だ。だが、実を言うと、これが大事な柱になっている企業は、わたしの経験では、それほど多くない。

なぜか。それは、そもそも「計画の背後に仮説がある」「仮説を立てて計画を立案する」という意識が希薄だからだ。たとえば、これからは需要増の時期を迎える。だから極力、納期優先で順序計画を立てよう、熟練者を配置しようとか、逆にこれからは稼働率が下がってくる、だからコスト優先で段取り替えを最小化しよう、教育のために未経験者を配置しよう、といった采配が、仮説ベースの計画なのである。

ところが多くの組織では、この仮説検証の働きが弱い。仮説を立てて検証するトレーニングが、学校教育でも企業内研修でも、ろくに行われていない。事実と意見の区別がなされず、状況判断と感情的反応がごっちゃになったまま、物事に対処する。事実を客観的・正確に把握する前に、問題解決に飛びつこうとする。このような傾向は、理系の教育を受けたエンジニアにも、文系の教育を受けた事務職にも共通する問題点だ。わたし達の社会の、共通問題だといってもいい。

仮説検証のアプローチは、じつは科学の基礎である。科学教育は(それがちゃんとしたものであれば)仮説を立て、予測し、検証するサイクルを身につけさせる。そして仮説がある確度で検証できれば、それは方法論に昇格する。方法論になれば、組織としての継承も、他部門や他国への移転も、可能になる。つまり、テクノロジーに近づいていくのだ。

マネジメントにテクノロジーがあるとはどういう意味か。それは方法論が数字と法則性に基づき、属人的ではなく移転可能になっていることを示す。これを希求するのが、本来の技術屋の職分であろう。もちろん、利害調整など人間系のソフト・スキルを要する仕事も、必ず残る。その重要性は、なくなりはしない。

そういう意味でマネジメントとは、技術屋と事務屋の両面を兼ね備えた、独立の職務領域なのである。(ここであえて率直に書くが)、今の多くのエンジニアには、真の意味での仮説検証のマインドセットが不足していると、わたしは感じる。自分の狭い専門領域を一歩でも外れると、急に「居酒屋のおっさん談義」みたいな論調になったりする。

マネジメントは理系だから適職、文系だから適職、という仕事ではない。科学とハートと、両方を持ち得た人でなければ上手に回せない職能なのである。


<関連エントリ>
「わたしが新入社員の時に学んだこと​​」 https://brevis.exblog.jp/12569297/ (2010-05-01)
「仮説検証のトレーニング」 https://brevis.exblog.jp/11562183/ (2009-11-11)


by Tomoichi_Sato | 2024-11-10 23:10 | サプライチェーン | Comments(0)
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