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本システム導入の目標は、生産性向上なんかじゃありません

  • 不安感情のコスト

「 ありがとうございました、こちらがタイヤ交換サービスの領収書です。でも、プントって、なかなかおしゃれな車ですね。」 オートバックスのサービス員は、そう言いながら、キーをわたしに返した。お世辞だろうが、言われて悪い気はしない。

——まぁ、ずいぶん古い車ですけれどね。そう、わたしは答えた。 誇張ではない。わたしが乗っているフィアットの『プント』という車は、ほぼ20年前に買ったものだ。プント Punto はイタリア語で「点」を意味する。小さなコンパクト・カーだ。でも、たまに街乗りをするだけのわたしには十分である。そして気に入って、使い続けている。

わたしは基本的に、ひどく壊れない限り、工業製品は買い替えないポリシーである。世間では、数年ごとに車やコンピューターを買い換えるのが、常らしい。だが、 壊れてもいないものを手放すのは、なんだかもったいない気がする(単にケチなだけかもしれないが)。

とはいえ、20年間の走行距離が2万5千キロというのは、あまりにも利用回数が少なくて、車がかわいそうかもしれない。機械は、それなりに使ってあげる方が、機嫌良く動いてくれる。「機嫌良く」という、擬人化した感情的形容詞を、機械モノに使うのは奇妙だが、それが多くの技術者の実感でもある。あまり使わないと、かえってトラブルが起きやすい。

今朝もそうだった。連れ合いを送っていく予定だったが、「車、ちゃんと動くかしら?」と聞かれた。冬の間、動かさないのでバッテリーが上がってしまった事があるからだ。「先週も乗ったから、大丈夫だと思うよ」そう答えたが、何のことはない、ガレージに行ってみるとタイヤがパンクしている。このタイヤも10年前に買ったものだから、まあ経年劣化だったろう。

しかし、いざ使おうとするたびに、「ちゃんと動くだろうか?」と不安になるのは、小さなストレスである。別に時間を取られる訳でもない。具体的にお金がかかる訳でもない。だが不安感情は、確実にわたし達にとって、コストになる。金銭を想起させる「コスト」という用語が適切でないならば、リスクとでも呼ぶべきだろうか。

連れ合いを送っていく予定の場所も、初めていく所だった。でも道順は、カーナビのアプリで、事前に確認できる。そちらの不安感情は、地図アプリというITシステムが、低減してくれるのだった。


  • ITシステムのもたらす価値

ITシステムのもたらす価値とは、何だろうか。いきなり話がデカくなったが、 たまたまこの1週間、何度かこの問いに直面したのだ。一度は、次世代スマート工場に関する研究会の議論の席上だった。MES(製造実行システム)などの、工場スマート化のための仕組みを導入する際に、しばしばネックになるのは、投資に経営層の同意を得る段階である。

我々の調査では、IT投資のROI(Return on Investment=投資収益率)を示すことが、多くの場合、求められる。平たく言うと、「それ入れたら、ナンボ儲かるねン?」という、経営者からの問いである。これが、難しい。

工作機械やロボットを導入する場合だったら、計算は比較的簡単である。 それで、どれだけ生産能力が増大する、あるいは手作業が減る、などを推計できるからだ。ところがMESを 入れて、現場の作業進捗が見える化されたとしても、それで生産量が上がるだろうか? 在庫が減るわけでもない。現場の人員削減にもつながらない。ただ、「可視性」が良くなるだけだ。 その効果を、どう経済評価するべきか?

別のある日、社内のITガバナンスに関する委員会でも、似たような問いに直面した。 議題は、業務系システムの導入・稼働後の投資対効果のモニタリングだった。もちろん、投資対効果の評価が必要であることについて、反対するものは誰もいなかった。 プロジェクトの出発時に、目標を設定して、それが達成されたかどうかをチェックすべき、と言う点でも異論はなかった。 だが、本当に客観的に数値化できるのか?

わたしの勤務先のビジネスは、大規模プロジェクトを中心に回っている。プロジェクトに適用した際の効果を測定するといっても、本当の意味で結果が出るまでに、2年も3年もかかったりする。おまけにプロジェクトの成果は、外部環境に大きく影響されやすい。コロナ禍で国際サプライチェーンが分断された時、良い結果が出なかったと言って、情報システムの評価を下げるのは適切なのか。

プロジェクトにはリスクがつきものである。情報システムによって、リスクが減少したとしても、その結果は、当初のプロジェクト計画通りにプロジェクトが進行した、ということで示される。でも計画通りに進行するのは、当たり前ではないか、と言われたら、反論しようもない。


  • 生産性という名前の呪縛

そして三番目は、あるIT系の研究会に呼ばれて、マテリアル・マスタの話をしたときだ。マテリアル・マスタ(品目マスタ)とは、企業のBOM=部品表マネジメントの中核になる、重要な基準データである。

その品目コード改革に関する事例を紹介した際に、「この改革を行ったからといって、業務プロセス自体は大きく変わっていないので、生産性は向上していません」と説明したら、参加者からかなり質問が出た。「どうして上がらないのか?」「生産性が上がらないのだったら、なぜ改革に承認が得られたのか?」という、驚きとも当惑ともつかない反応だった。

それでも、システムが何か新しい機能や業務を実現できるなら、まだ受け入れ可能なのだろう。だがマテリアル・マスタをきれいに整合性を取ったからといって、特段素晴らしい、画期的なことができる訳ではない。もちろんITエンジニアなら、その意義は共感できる。だが本当に、それで上の承認が得られるのか?

結局、3つの場面に共通する暗黙の仮説は、こうらしい:

「 ITシステムの効果は、生産性向上というモノサシによって測られるべきだ」

日本企業の生産性が低すぎるという認識は、この数年間、 ほとんど呪縛のようにビジネス界を支配しているらしい。企業の付加価値労働制を上げるべきだとの見解には、わたしも異存がない。 しかし本当に、モノサシはそれ1本でいいのか。 特に、ITシステムの価値を、「生産性」(もう少し広く捉えて、効率性や正確性を加味してもいいが)だけで評価していいのか?

それは言いかえると、「スマートである」とは、どういう意味か、との問いでもある。 スマート工場とは、生産性だけが高い工場でいいのか? だったら高性能な機械とロボットばかりを並べて、単一製品だけを大量生産すれば、生産性は極大になる。それが本当にスマートなのか?

最近は「データ・ドリブン経営」なる言葉も、流行りはじめている。それはつまり、データによって、生産性が最高の経営が実現される、ということを意味するのだろうか? じゃあ、経営の生産性とは、いったい何のことなのか?


  • 価値には3つの側面がある

ここで冒頭の話に戻る。フィアット・プントの話である。20年前、安価なモデルとはいえ、イタリアからの輸入車を買うことには、故障などの面で不安もあった。だが最後に決め手となったのは、「ミッション系は富士重工製です」というディーラーの一言だった。だったらまあ、信頼できるかな。そしてこの20年間、電装系などのトラブルはあったが、駆動系自体はちゃんと動いてくれた。

ユーザの不安感情を取り除く事は、とても重要な価値なのである。たかが感情、されど感情だ。人は感情に基づいて決断し、理性でそれを正当化する、という〔英語の)標語もある。

ちなみに20年前に車を買ったとき、カーナビはまだ標準装備ではなかった。だから別に購入して付けてもらった。運転の上手でない自分には、カーナビは必須だと思ったからだ。

カーナビは何の役に立つのか。少なくとも、燃費向上のためではない。燃費はむしろ、わずかだが下がる。加速性や積載重量も上げない。つまりカーナビは、「クルマの生産性」を一切、上げないのだ。ブレーキやハンドルさばきなど、運転のスキルも助けてくれない。

だが、カーナビはGPSを通じて現在位置を地図上に示してくれる。つまり現状の「可視性」を上げるのだ。通ってきた場所を記憶してくれる。そして、知らない場所でも適切なルートを提案してくれる。さらに渋滞状況を加味して、到着時刻も予測してくれる(「予見可能性」の向上)。

すなわち、現在・過去・未来について、事実に基づく判断の根拠を示してくれる。それによって、我々運転者の不安感情を取り去り、「判断の質」を上げてくれるのである。質の高い判断ができること——これが、「スマートである」ことの意味なのだ。

こうしてみると、ITシステムの価値には、大きく3つの側面ないし目標があることが分かる。

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一つ目は、たしかに生産性(効率性・正確性)の向上である。すでに保有し実現している自分たちの能力を、増強してくれる。これが、世間では一番強調され、期待されている事だ。

二番目は、新しい能力の獲得である。今までできなかった事を、可能にしてくれる。瞬時に計算する能力は、新しい設計プロセスを生み出しうる。正確な幾何学的画面表示は、CADからゲームまで、あたらしいビジュアル体験を創出できる。そしてこれもまあ、近年はUXなどの言葉で、よく語られてきたことだ。

そして三番目はリスク〔不確実性)の低減を通じて、判断の質を向上することだ。判断は「判定+決断」と分解することもでき、自動判定はAIの普及でかなり可能になった。ただ、『決断』はどうしても、人間の領域として残る。そして人の決断力は、つねに不安感情と表裏の関係にある。ITシステムは、データに基づくサジェスチョンの形で、決断を支えることができる。

とはいえ判断の質は、計測するのが簡単ではない。たとえば、プロジェクトのキーパーソンに誰を当てるべきかは、とても重大な判断だ。だが、仕事は一回限りで、環境条件に影響されやすい。判断の質の善し悪しを、数字で測れるだろうか? それでも、組織の決断力は向上させなければならない。そして、そのためにこそ、情報システムの最大の価値があるのだ。決断こそ、マネジメントの一番大事な仕事だからである。


by Tomoichi_Sato | 2024-09-08 13:50 | ビジネス | Comments(0)
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