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書評:「千利休」 清原なつの・著

千利休」 (Amazon)

今年に入って読んだマンガの中で、いや、すべての本の中でも、ピカイチのインパクトを持つ傑作。刊行は20年前の本だが、Amazonを見ると、幸い、まだ手に入る。わたし自身は鎌倉・六地蔵近くの古書店で見かけて、即刻購入した(古本だが美本だった)。著者が千利休に取り組んでいるという話は、昔の短編集のあとがきで読んでいたのだが、本当に出したのかどうか、実は知らなかったのだ。

本書は、『』に関する本である。「 私が生きた戦国時代は、自分の才覚で、身分という宿命からさえも、自由になれた時代だ。私は私の美意識にしたがうことにした」と、表紙にある。主人公・千利休が冒頭のエピソードで語る言葉だが、本書全体を通したテーマだ。では、彼の美意識とは、そして美とは、いったい何なのか?

恥ずかしながら、わたしは茶の湯については、全く何も知らない。ティー・セレモニーにも、参加したことが無い。日本の伝統文化を何一つ知らずに、それで日本人と言えるのかとも思う。だが、技術者としての会社員生活には、茶道も美学も、まるで無縁だった。

ただ若い頃、蔵本という友人の新居を訪れたとき、聞いた言葉だけは今も記憶に残っている。新婚ほやほやの彼の家に、小さな茶道の道具一式が置いてあった。奥様も彼も、茶を嗜むらしい。彼いわく、お茶を点てるという所作は、それなりに心を落ち着ける効果がある。だから忙しい日の夜、なんとなく気分が苛立っているとき、二人でお茶を点てて一服すると(どうやらそれ自体、30分くらい時間がかかるらしい)、すっと気持ちが静まる、と。それは素晴らしい習慣だと、聞いて思った。

茶の湯は、ただ湯をわかして飲むだけ」と、千利休は言う。だがその割に、茶の湯にはいろいろな道具立てや決まりが顔を出す。そしてその道具、とくに「大名物」(おおめいぶつ)と呼ばれる茶道具は、単に美しいだけでなく、ひと財産としての価値がくっついている。

その大名物を巡る、戦国大名たちの駆け引きとドタバタ劇が、あの時代を動かす大きな原動力だったことを、本書で初めて学んだ。

千利休は、堺の商人の生まれである。家は納屋衆、すなわち貿易用の貸し倉庫業者で、今で言えばロジスティクス業だ。同時にととや(魚問屋)も営んでいた。本名は与四郎、姓は田中だが、この時代の商人の名字は屋号かもしれない。祖父は足利将軍に仕える文化人だった。

病弱な父が没すると、彼は若くして家業を継ぎ、商才を発揮してビジネスを伸ばしていく。このビジネス・マネジメントのセンスは、後に「北野大茶湯」などの一大イベントのプロデューサーの仕事に、活かされていくのだ。

とはいえ本書は、利休の若い頃の感受性を、丁寧に(女性マンガ家らしく)描いている。帳簿付けの傍ら、近所の先生に、習い事として「茶の湯」を習いに行く。つまり、彼の子ども時代に、茶の湯はすでに文化・儀礼として成立していて、ゆとりのある町人が習う事だった。そして茶の湯は、社交のための作法、今で言えばゴルフみたいな、人脈作りに必要なスキルになっていたのだ。

彼は18歳の時に、茶の湯の大家・武野紹鴎(たけのじょうおう)に弟子入りし、生涯の師と仰ぐことになる。そして口切りの茶事のために、大徳寺で剃髪、「宗易」という号をもらう。その後ずっと、彼は世間からは「千宗易」と呼ばれることになる。「千利休」という号は、晩年(切腹の6年前)に、禁中茶会のために天皇から下賜されたものだった。

ところで本書を読んで、初めて学んだことがある。それは、堺という町の性格である。堺は戦国時代の自由貿易港として知られていたが、なぜそれほどまでに財が集まったか。それは、鉄砲という新時代のハイテク武器のおかげなのだ。堺には以前から鋳物師たちが集まって農機具や武具を作っていたが、機を見るに敏な堺商人たちは、鉄砲が戦争のあり方を一変させると見抜いて、その製造販売を一手に引き受けた。つまり武器商人として財をなしたのであり、利休もその一人だったのだ。

(鉄工業の町としての性格は、今でも堺に残っている。日本製鉄の製鉄所をはじめ、クボタ、ダイキン工業など、大手中小の工場が軒を連ねている訳だ)

話を戻す。武野紹鴎の茶の湯の弟子の一人が、松永久秀(松永弾正)だった。彼は下剋上を体現した人物で、山城の商人から出発し、大名三好家の家老になり、さらには将軍足利義輝まで殺してしまう。彼のある意味、俗物的なキンキラ趣味を、作者はマンガでよく描き出している。そして彼が執着したものが、茶の湯の大名物だったのだ。

日本の美意識について書いた、橋本治の優れた論考「風雅の虎の巻」 で、彼は『真・行・草』の違いについて述べている。それによると『真』は本格・正統な様式であり、『行』はそれを少しカジュアルにしたものである。ところで『草』は、『行』をさらに崩したものと思われがちだが、実は『真』をプライベートにしたものだという。

それに従えば、茶の湯の『真』は、中国にある。茶はそもそも鎌倉時代の初めに、栄西禅師が中国から持ち帰ったものだ。彼が宇治で、持ち帰った茶の木の栽培に成功したので、宇治茶は今でもブランドとして残っている。中国直輸入の茶の葉を、中国の茶道具で淹れる。これが真で、だから足利将軍は中国製の名物を多くコレクションした(東山御物)。茶をたしなむ場所は書院である。

『行』は日本製の道具を使うが、“本場物に引けを取らない”お道具、という事になる。これに対して、茶の湯の『草』は、プライベートな茶室を建てて行う、佗(わび)茶である。佗茶は紹鴎の師である村田珠光が始めたと言われている。

この佗茶の「枯れかじけた」美意識こそ、利休が目指したものだったはずだ。だが、だとしたら、「北野大茶湯」(秀吉の聚楽第落成記念)のような一大イベントや、有名な黄金の茶室に、どうつながっていくのか。

ここに登場するのが、織田信長である。彼は風流だの風雅だのには、関心が無かった。だが、人々を動かすものが何であるかについては、卓越した感覚を持っていた。信長は戦国武将たちが、ゴルフ代わりの茶の湯の名物道具に執着していくのを見て、「名物狩り」を行う。所有する民間人からは無理やり買い上げ、征服した大名からは徴用した。そして、戦功を上げた部下に対し、知行地の代わりに下賜していくのである。これを「茶湯御政道」と呼ぶ。

だから信長に城を攻められた松永弾正は、大名物を渡すくらいなら、と、道具と共に爆死する。また信長に謀反を起こした荒木村重は、名物を手に、妻子を残して逃げる。怒った信長は村重の親族家臣500人以上を殺す。この辺り、作者は信長の苛烈さと共に、武家たちの茶の湯の名物道具への執着心の恐ろしさを、見事に描き出す。

同時に信長は堺商人たちの利用の仕方についても、十分な知恵を働かせて交渉していく。そして天下人となった信長に、堺茶人のトップ・利休は、茶頭として仕えることになる。かくて、佗茶を希求しているはずの利休は、政治の中心に入っていくのである。

それにしても清原なつのという作家は、信長の人物を利休に評させて、「この人はなんと禁欲的で厳しい合理主義者なのだろう」と述べているのは、実に卓越した感覚である。信長を、残酷で利己的な独裁者、と評する人間はいくらでもいよう。だが、彼をストイックで理知的な、頭の良い人間だと見抜く作者の洞察は、敬服に値する。

その信長が、わずかな手勢と共に本能寺に出かけたのも、実は茶の湯の名物道具を公家に披露する茶会のためだった。明智光秀が信長を討ったと聞いた秀吉は、まさにこれこそ千載一遇のチャンス、と思ったに違いない。信長が生きている限り頭の上がらない秀吉にとって、光秀を討ち取ってしまえば天下は自分の手に入るのである。

そして利休は、以前から親交のあった秀吉が天下人となってからも、その第一の茶頭として仕える。秀吉は彼のパトロンとして、財力と権力を惜しみなく与える。かくて黄金の茶室と、聚楽第落成へとつながっていくのである。それは利休の美意識が、名物の鑑定相場を左右する力を持つということだった。しかし、秀吉の成金的な好みと、佗茶への希求とに、利休の内面は次第に引き裂かれていく・・

ところでこのマンガの一つの大きな魅力の一つは、登場人物が皆、自分たちの方言丸出しの口語でしゃべることである。信長は「こんなでぇすかな雪ん中、松永のじいさまは来んでもええわ」といい、秀吉は「わっちが育った美濃の田舎のたんぼの中の家を思い出すぎゃあ」と語る。どこまでリアリティがあるのか、わたしにはさっぱり判断がつかないが、岐阜出身の作者のことだから、きっとそれなりに確信を持ってのことなのだろう。

清原なつのという作家は、昔からファンだった。そう、70年代に『りぼん』でデビューした頃からで、今でも書棚に何冊も短編集を持っている。マンガ家は何より絵が大事だが、人物の輪郭線が優しく、かつ、瞳の描写が美しい。とても少女マンガらしい絵柄である。

と同時に、この人の作品は、なぜか理系の男性読者を引きつけるところがある。作者自身が、たしか金沢大学の薬学部出身で、医薬品企業の研究所勤務という風に、理系の人でもあるのだが、それ以上に、SFと歴史昔語りを中心としたテーマの選び方、エピソードの切り取り方に、それを感じるのだ。ちなみにペンネームも平安初期の貴族・清原夏野から取っているあたり、古典と歴史への憧憬を強く感じさせる。

本書「千利休」は、清原なつのという作家の長いキャリアの、一つの頂点を示す傑作だ。この人は本質的に短編作家だが、あえて分厚い長編に挑み、成果はまことに素晴らしい。本書を通して、あらためて日本文化を考え直す、大事なヒントを得た気がする。

本書は電子書籍でも手に入るが、できるなら紙の本をおすすめする。本は、とても装丁が美しい。装丁デザイナーの名前が見当たらなかったので、あるいは作者自身の装丁なのかもしれない。


by Tomoichi_Sato | 2024-08-19 00:19 | 書評 | Comments(0)
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