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技術屋として上にあがりたかったら、外資系企業で働いてはならない

  • 海外で働くということ


1ヶ月ほど休みを取って、その国に行き、仕事を探すつもりだ。そういう意味のことを、その人はいっていた。そして欧州のある国の名前を挙げた。知的で真面目そうな風貌。それなりの年代だろうか。そして続けた。日本で求職活動をしても、時間ばかりかかって、埒が明かない。やはり現地に行った方が早い、と。


近くのテーブルで耳に入っただけだから、わたしが何かコメントする立場にはない。しかし思った。(この人は中年過ぎて外国人労働者になるのか。それがどういう事なのか、分かっているのかな。家族も居るようだが、どう思っているのだろうか)


外国人労働者』という言葉は、日本ではなぜか、単純労働者のことだけを指すようだ。だが大学出の知的職業だろうが何だろうが、自営業のプロフェッショナルでない限り、組織に雇われて働くものは労働者だ。そして外国、とくに欧米で働いて、なおかつ一定のリスペクトを受けて自分の地位を確保するためには、最低限二つの条件がいる。


一つ目は、その国の言葉が読み書きできて、ちゃんとしゃべれることだ。というのは、仕事で回ってくる情報も、職場の外で銀行や役所に提出する書類も、普通はすべて、その国の公用語で書かれているからだ。


もちろん国によっては(とくに北欧などは)、自国語のほかに、かなり英語が一般市民でも通じるところがある。だから英語ができれば、短期的な日常生活は困らない。もしかすると仕事も、かなり英語で切り回せるかもしれない。だが、短期的にしのげることと、長期的にその社会の一員として暮らすことは、別のことだ。


ちなみにわたし自身、もう20年以上も前になるが、フランスで1年間、働いていたことがある。勤務先から派遣されて、合弁相手企業のオフィスに駐在していたのだ。あいにくフランス語の教育を受けたことはなく、もちろん会話もできない。ただ、プロジェクトの仕事はすべて英語であり、大きな街にはそれなりに英語の通じる店もあるので、何とか過ごせた。


しかし、それは1年かそれくらいの話だ。しかもわたしが最終的に帰属している組織は、基本的に日本企業だった。だが、わたしがもし、相手先の企業に就職して長年働く、というのだったら、仏語ができることは最低条件である。それはフランスだろうがオランダだろうがルーマニアだろうが、同じ事だ。社会に所属するというのは、周囲とちゃんとコミュニケーションができることが必要条件なのだ。



  • 高等教育を受けていることの意味


そしてもう一つの条件とは、その国の高等教育を受けていることだ。知識労働者ならば大学か大学院、もう少し技能的な労働者でも、高校か専門学校相当の学校を卒業していること。これが条件だ。


なぜか。結局、社会に属して働くには、その社会が持っている思考習慣や文化や価値観、そして人間関係のスキルを体感していることが必要だからだ。とくに、人の評価の仕方と、人間同士のつながりについては、重要だ。そのあり方は、社会によって大きく違う。その基本を学ぶ場所は、何より学校である。


また欧米は、基本的に学歴資格社会である。だから学歴を持ち資格を有することが必要なのだ。日本は学歴社会と言われるが、それは大学入学歴の事でしかない。入学したら、たいがいは卒業できる。しかし欧米では(国にもよるが)そうではない。学期ごとにハードルがあり、また卒業試験だって簡単ではない。


そして就職では組織ごとに職務記述書があり、それに応じた職務仕様書の要求する資格や経歴をクリアしなければならない。高貴な階級の生まれだったら別だが、わたしのようなどこの馬の骨ともわからない外国人の場合、学歴資格は人物のクオリティを裏書きする必須の項目である。日本社会は人物や能力で(つまり面接での印象で)採用評価をする傾向が強いが、人格や能力がいかに秀でていても、欧米では書面審査を通過しない可能性が高い。


無論、業界では誰もが一目を置くような、傑出した成果・業績を上げていれば、別である。きっと言葉の問題も資格云々も無視して、招聘してくれるだろう。でも、そうでなければ、上記の二条件は必須だと思った方がいい。


それに、(こんなことは書きたくないが)事実なので書いておくと、開明的に見える欧米社会にだって、歴然と人種差別はある。わたし達日本人は、見た目からして明らかに彼らとは違う。無論、この人自身と接点のある人たちには、露骨に差別的な人物はいないのだろう。だが社会の中には、歴然と白人至上主義者たちがいて、陰に陽に(とくにプライベートの面で)嫌がらせをしてくる。この人自身は良いが、家族もその覚悟ができているのだろうか。


そんな風に思っているうちに、あるエピソードを思い出した。以前少しふれたこともあるが、昔のことなので再度紹介させてもらおう。



  • 技術屋として上に立ちたかったら、外資系企業で働いてはならない


わたしの大学の先輩Kさんは、工学部の修士課程を卒業し、一流メーカーに就職した。勤務先は地方の工場だったが、後に、勤務先に近い一流大学で、働きながら博士号も取得する。非常に知的で優秀な技術者である。


この方が、あるいきさつからキャリア転換を考えた。そして日本に支社を持つ、外資系企業への転職を検討した。IT中心の技術的な会社で、本国では急成長中であり、技術領域もこの方の専門分野に重なっている。給料だって、日本のメーカーより高い。そこで転職を決意した上で、大学院(修士)時代の恩師に、報告に行った。


するとその恩師は、思いもよらぬアドバイスを、この方に与えた。「もし外資系企業で上にあがりたかったら、技術屋であることをやめて、営業職に徹しなさい。」


意外な言葉に、なぜですか、と先輩は問い返したという。答えは、こうだった。「技術開発の中心部分は、どこの会社だって本国に集中し、本社が直接、掌握したがる。技術志向の強い会社ほど、そうだ。現地で行う技術的仕事は、せいぜいローカライゼーションか、個別案件に対応するための設計業務でしかない。日本支社だって、本国から見たら現地法人の一つだ。」


「だから君がもし技術屋として出世したかったら、本国に直接就職する以外の手段はない。できるかい?」——考えてもみませんでした、が答えだったろう。「日本法人で、本社から一目置かれ、上に登っていきたかったら、日本市場で良い仕事をたくさん、取ってくるしかない。現地法人に一番期待されるのは、その役割だ。そしてそれは、営業職の仕事だ。だから転職するなら、営業になる覚悟を決めて、行きなさい。」


この先輩のすごい所は、本当にこのアドバイスを受けて、外資系に入り営業に転じたことだ。工学博士だった人が、である。彼はそのためのセールスの方法論もきちんと勉強し(ここがまあ、いかにも技術者らしいところだ)、実績を積み上げて、最後には日本支社長にまで上り詰めた。



  • ガバナンスと権力集中について


恩師のいわれた事が、いつでも当てはまるのかどうか、わたしには分からない。外資系で機嫌良く働いている技術者だって大勢知っているし、それなりの規模にまで成長した日本法人なら、人事制度も配員も自治的に行っているだろう。それに、「じゃあ日本企業なら、技術職は順調に出世していけるのかよ」、という逆の反論だってありうる。


ただ、人事権はサラリーマンを従わせる権力の根源である。そのような権力は、企業が大規模化し、M&Aなどでグローバル化すればするほど、集中化していく。そして人事権には、必ず「人の評価」が結びつく。冒頭の人のつぶやきで分かるように、人の評価は本当は会ってみないと分からない。つまり人事はローカル性の要素を外せない仕事なのだ。


ところが企業のグローバル化は、これに逆行する動きだ。つまり国境をまたぐ企業グループには、つねにローカル(分散)化とグローバル(集中)化の、双方向のテンションがかかっていると思った方が良い。その際に力になるのは、ローカルに期待される役割への合致だ。合致して成果を出せば、本社も無視できない。かといって、ローカルが力を持ちすぎて、独立王国化するのも避けたい。そこで結局、ローカルの上に立つ人間(マネージャー)を、どう決めるかという問題になる。


マネージャーをマネジメントする事を、『ガバナンス』という。本社の仕事とは、結局このガバナンスである。わたし達が会社を選ぶとき、そして自分を正しく評価してほしいと思うとき、大切になるのは、その組織のガバナンスのあり方を見極める力である。技術が好きだから、そして技術に秀でているから、といって自然に上に立てるなら、誰も苦労はない。


技術者は基本、組織人である。旧弊で鬱屈した日本の組織に閉口して、外に出たいという、冒頭の人の気持ちも、もちろん分かる。だが組織人は、正しく評価されてなんぼだ。その組織がどういう評価とガバナンスの基軸を持っているかを知らずに、異文化の地に入っていくのは、猟銃を持たずにジャングル探検に出かけていくようなものである。



<関連エントリ>

「書評:『ソリューション・セリング』 マイケル・ボスワース著」 https://brevis.exblog.jp/3203216/ (2006-04-11)



by Tomoichi_Sato | 2024-07-29 18:41 | ビジネス | Comments(0)
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