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強すぎるリーダーシップは、その人自身にとって危険である

その手紙を見つけたのは、父の執務室の机の中だった。わたし達はその日、遺品を整理するため、亡き父が通っていた本社のオフィスを、初めて訪問していた。机の広い引き出しの奥のほうに、他の文房具などに混じって、小さな封書入りの手紙があった。切手も、宛先住所もない。おそらく職場で人づてに、あるいはもしかしたら直接、渡されたのだろう。

父は機械屋だった。大学で機械工学を学んだが、学生運動に加担していたため、大企業ではなく、創業したばかりの小さな機械メーカーに入った。創立時のメンバーは6、7人ほどだったと聞く。幸い戦後復興と高度成長の追い風もあって、次第に中堅メーカーへと成長していった。まだ50代の若さで病没した時、父はその会社の常務になっていた。

わたしの考え方は、父に非常に影響されている。化学工学を専攻したわたしに、就職するならエンジニアリング会社が良い、と勧めてくれたのも父だ。人が生きていく上では哲学が必要だ、という考えも、ビジネスの仕組みを「システム」と捉える観点も、全て父から学んだ。

東京の西郊にあった小さな工場を、近代的な機械工場に作り直したのも父の功績だった。個別受注生産で、極めて多品種少量な産業機械を、いかに生産性高く、合理的に作るか。その鍵は、モジュール化とGT(グループ・テクノロジー)化、以外にない。そのためには設計自体の見直しが必要だ。本社技術部で設計のリーダーだった父は、そう、見定めていたらしい。

それまで、米国企業のライセンス技術で生産していた製品ラインナップを、自社設計モデルで一新した。技術上の斬新な創意工夫もあった。だが、再設計を進めていた2年間は、東京オリンピック後の泥沼のような不況の時期でもあった。損失の責任をとり、社長以外の役員は全員降格、会社が生きるか倒れるかの瀬戸際だった。何とか開発し世に出した新製品を見て、米国企業はライセンス継続を断念し、日本市場から去っていった。

父が東京郊外に作った新工場は、当時ようやく普及期に入ったNC加工機械を1ダースも並べた、最新鋭の自動化工場だった。ほとんどの会社が、おっかなびっくり1台か2台のNCマシンをテスト評価用に入れている時期に、父はNCを生産ラインの中心に置いた。「NCマシンの本質的な革新性を生かすには、1台や2台では全く足りない」が父の考えだった。

さらに生産管理と部品の購買・在庫管理を目的として、当時はまだ珍しいコンピュータを工場に導入した。メインメモリ512KB、ディスク34MB x 2、紙テープ入力という、最新鋭の電子計算機である。GT化した部品群を、部分形状単位にロットまとめし、NCマシンに加工させるには、それが必要だったのだ。父はそれ以外の用途、給与計算や経理計算にはコンピュータを使わせなかった。そんなことをすれば導入の意図がぼやける、従業員数百人の工場経理などソロバンで十分、と言ってのけた。

父は生前、一冊の本を書き残している。技術評論社から出た佐藤隆一・著「実践的NCマネジメント入門」である。父の思想はこの本の中に集約されており、わたしも随分この本から学んだ(あいにく機械エンジニアでないため、まだ十分理解しきれぬところがあるが)。「標準化とは、標準以外のものの使用を断固禁止することだ」など、徹底した、ほとんど過激とさえ聞こえる父の主張は、かなりの程度まで自分の骨肉となっている(ちなみにわたしの最初の単著「革新的生産スケジューリング入門」の題名は、お気づきの通り、父の本にならったものだ)。

父が亡くなったとき、わたしはまだ30代そこそこだった。病床で父は、自分が残した仕組みについて、「これで会社の将来は心配がない」と語っていたという。手紙を遺品の中に見つけたのは、しばらく後のことだ。中を読むと、元部下からのものだった。おそらく、父が嘱望していた若手だったらしい。

文面は、会社を辞めていくことへの陳謝にはじまり、それから、職場について述べていた。強すぎるリーダーには、イエスマンが取り巻いていく、そんな意味のことが書かれ、最後に、新職場では工場作りの仕事に携わる予定で、自分が飛躍できるかどうかを賭けたい、といった言葉で、手紙は短く終わっていた。

わたしはその手紙を捨てずに、ずっと机の中にとっておいた父の気持ちを思った。父は傑出した人間だったと、ひいき目を抜きにして、今も考えている。あれだけの仕組みを構想し、開発し、実現し、会社を引っ張って成功に導いたのだ。ただし工場には、「常務のワンマン会社」という声もあったことを知っている。

強すぎるリーダーの周りには、イエスマンだけが取り巻いていく。これはある程度、やむを得ない、自然な成り行きだといえる。だが、その結果どうなるか。組織では現場から、良い情報もまずい情報も、上がっていく。だがイエスマン達は、良い情報しか上に伝えなくなる。正しい情報が入ってこなくなったら、どんなに優秀で傑出した人間であっても、正しい判断ができなくなる。そして組織を、間違った方向に連れて行く。これが、強すぎるリーダーシップの危険性なのだ。

ワンマン経営者がどのようなものか、わたしも経験上、多少は知っている。ワンマンになれるのはすなわち、それなりの実力があるからだ。だが組織の力学は恐ろしい。権力とはすなわち、強制力である。部下の人事評価や昇進や配置や、予算執行の権限を左右することで、部下を強制的に動かす。

相手が自分の考えに同調しているかどうかは、関係ない。自分こそが、正しい答えを知っている。ワンマンは、そう考える。だからこそ、自分の考えに同調する部下を、重宝に思うのだ。そうした組織で上に行きたければ、トップの考えに「イエス」というしかない。

今の世の中には、強いリーダーシップを待ち望む声が充満している。変革期や緊急時には、それも必要だろう。平時なら、凡庸なトップが御神輿に乗っていても、なんとか日常は回っていく。でも何かを決めて賭けなければいけないときは、それではこまる。みな直感的に、そう感じているのだ。

しかし強いリーダーシップが長期化すると、次第に見えない弊害が出てくる。長期とはどれくらいの期間か。それは組織のポジション入れ替わりのスピードにもよる。とはいえ米国大統領が2期8年以上の再選を禁止しているのは、参考の指標になるのではないか。連邦政府よりずっと小さな企業では、もっと短い年数かもしれない。取締役会や株主総会のガバナンスがききにくい日本企業は、トップの在職期間も長くなりがちだ。

そんなことは余計な心配だ。真のリーダーなら、情報の偏りにだって適切に対処できる。そうした反論もあるかもしれない。だがそれが「役員会でオープンな議論を」みたいなかけ声だけなら、実効性に疑問がある。まして、独裁国における秘密警察や密告制度のようなものだとしたら、わたしはノーサンキューである。情報の偏り問題を修正したければ、客観的批判的な立場の意見を、制度的にビルトインするしかないのではないか。

その手紙のことは、一緒にいた連れ合い以外、これまで誰とも話したことはなかった。だが今や、当時を知る人々もすでに同社にはおられないと考え、あえてこの話を書くのである。

父の遺徳を述べたたえる文章を、このようなタイトルの下で綴ることは、まことに申し訳ないと思う。だが世の中に、完全な人間はいない。そして父の信じていたとおり、どんなシステムも、それ自身への矛盾をはらむものである。だからこそ、父は強すぎた自分への教訓として、またそれ以上に、うぬぼれの強い不肖の息子・わたしへの警告として、この手紙を残しておいてくれたのかもしれない。


(追記)
父の著書「実践的NCマネジメント入門」はすでに入手困難だが、わたしは手元にスキャンした電子版を個人的に持っている。上梓から40年以上たつが、内容のエッセンスはまだ有益と感じられる(その分、日本が進歩していないのだ)。ただ上に書いたとおり、機械分野に明るくないわたしには、理解しきれぬ箇所も少なくないため、いつか、機械工学に詳しいエンジニアを交えて、少人数の私的な勉強会を開催したいと考えている。そういった機会にご関心のある方は、どうかご連絡いただきたい。


by Tomoichi_Sato | 2023-11-11 18:12 | 考えるヒント | Comments(2)
Commented by Tatsuo Murase at 2023-11-12 12:33 x
 いい話ですね。 日揮時代に何故か分からず某外資メーカーの日本工場の生産管理システム構築のコンサルを経験無いのに COPICSの理論だけで 後はアドリブでやった経験あります。その後、独立して今は業種特化した生産支援システム屋やって 是非勉強したいですね。
Commented by Tomoichi_Sato at 2023-11-15 12:40
村瀬さん、コメントありがとうございます。勉強会を開催する時は、ぜひお声がけさせていただきます
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