拙著「世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書」https://amzn.to/3ZTfx8g にも書いたことだが、自分が海外プロジェクト部門に出たのは、39歳の時だった。それまでは主に国内向け業務の部門におり、半分はIT系の、残り半分は新規分野の事業開発的な仕事をしていた。しかし「このままでは、せっかくエンジニアリング会社にいるのに、本流であるプラント系の海外プロジェクトを知らないままになる」と、自分のキャリアに危機感を抱くようになり、思い切って手を上げ、全く未経験の部門に移ったのだった。翌年は不惑。遅すぎるかもしれないとの不安をいだきつつの決心だった。 移った先では、すぐにプロジェクト・チームに配属された。英国・米国と自社の3社ジョイント・ベンチャーで、ある中東の大型LNGプラント案件の基本設計と見積を行っていた。右も左もわからないど素人が、プロジェクトの真っ只中に放り込まれたのだった(それだけ人が足りなかったのだと、ずっと後になって気がついた)。 移った先の状況は、今でもよく覚えている。アマルガム(合金)チーム方式、と呼ばれ、米国人と我々日本人が、文字通り机を並べて、隣合わせで仕事をするのだ。彼らは我々の横浜オフィス(当時、上大岡にあった)に駐在していた。座った初日から、米国人のプロマネに呼ばれ、小さな4人がけのテーブルで(彼らは体が大きいので狭そうだった)、この先の仕事の流れとわたし自身のアクションを打合せた。もちろん英語である。 大型プラントの基本設計と見積は、それ自体で1年以上かかるプロジェクトだ。基本設計は一応、有償で受託して英国で実施していたが、プラントEPC(実装)は国際入札と決まっていた。その見積作業自体、数億円の費用がかかる。競争入札で受注できなければ、丸損である。しかも提出期限は厳しい。1日を争う仕事だった。読み書きするメールも、作成する書類や図面も、すべて英語。そうでなければ、海外の顧客やベンダーとやり取りできない。 このときの1、2年ほど、自分の英語力が伸びた時期はなかった。実を言うと、20代の終わり頃、会社から派遣されて1年間、米国で暮らしたことがあった。大学に隣接した連邦政府設立の研究機関だ。しかし、お勉強で行った20代の1年間より、仕事で攻められた40歳前後の1年間の方が、はるかに実力がついた。真剣勝負だからだ。 「英語をきちんと仕事で話せるようになるには、およそ700時間の勉強が必要だ。」そう、若い時に聞いたことがある。毎日1時間ずつ勉強して、約2年。まあそんなものだろうな、と今でも思う。読み書きや文法に関して、中学から大学まで一応勉強している訳だが、それでも実地の訓練が必要なのだ。それは聞いて理解し、考えを組み立てて話すことを、リアルタイムに行わなくてはならないからだ。 外国語の会話能力はスポーツの運動技能ににている。筋力トレーニングと同じで、訓練すれば誰でも能力が上がる。もちろん生まれ持った筋力の差とか、運動神経の違いはある。しかしスポーツだって、それぞれ動きの型や使う筋肉にちがいがあり、生まれつきの素質だけではプレイできない。生まれつき言葉を喋れる人がいないように。 外国語会話も、スポーツ同様、しばらく離れて使わないでいると、能力が落ちる。しかし落ちても、またトレーニングすれば、少しは元に戻る。 言葉の習得に王道は無い。言葉はある種、ディスクリートな存在で、文字1つ違っても、前置詞1つ違っても意味が変わってしまう。一つ一つ覚えるしかない。だから反射神経的に使えるようになるまで、時間がかかる。 さて、ここに朗報がある。生成型AIの登場である。文章を書かせると、もちろん自然でスムーズな英語を書く。翻訳もしてくれる。リアルタイムの翻訳も、かなり能力が上がってきた。 だとしたら、700時間もの訓練を積まなくても、手元の画面に同時通訳が表示されるようになるではないか。世界中の人とウェブ会議ができる今日、どこの国の誰とでも意思疎通ができ、仕事もできるようになる。もう海外プロジェクトで言葉の壁に苦労することもなくなる。そう考える人も多いだろう。 だが、わたしはそこまで楽観的ではない。言葉の壁の向こうには、もっと高くそびえる壁がある。それは思考習慣の違い、という壁である。この壁は、半透明で目に見えづらく、言葉の壁と隣接して立っているので、我々はなかなか気がつきにくい。 思考習慣の違いとは何か。それは例えば「事実」ということに対する認識・態度の違いだ。西洋の思考習慣では、事実とは誰にとっても共通で、皆の主観の外側に、つまり客観的に存在している。だから事実を認識することが、皆の共通の議論の土台になる、と考える。 したがって彼らの議論は、まず事実の客観的かつ正確な記述から始まる。ここには話し手の感情や、聞き手の損得は介在させない。その上で、問題解決なり交渉なりに話を進めていく。 事実は、数字で記述する方がより正確だと彼らは考える。そこで「先週の来客数は114人でした」「この種の事故が前年より23%も増加しています」みたいな話し方をする。広告宣伝さえ、「お客様の81%が、このサービスに満足しています」風の言い方を好む。 ところが、わたし達の思考習慣はそうではない。物事の記述は、まったりと円滑な形が好まれる。「先週もたいへん大勢の来客がありました」「最近は、事故が急増しているように感じます」と言う方が、自然に聞こえる。細かい数字をあげつらうのは、どことなく角が立つ。 そして日本で問題解決を話し合うときには、困っている自分たちの感情を込めて話を始める。好調なときには嬉しさの感情、不当なときには怒りの感情を込めて、物事を表現する。「心がこもった言い方でないと伝わらない」と信じるからだ。結果として事実と話し手の感情・損得が、混然と不可分になる。だが、こういう表現を聞いた西洋人は、何だかイライラするだろう。「それは貴方の主観ではないか」と。 他にも違いはある。疑問・質問に関する態度だ。西洋や中洋(中東・南アジア等)の人たちを相手にスピーチやレクチャーをすると、最後に必ず大勢の手が上がり、いろいろと質問をしてくる。しかし同じ内容を日本人相手にした場合、おとなしく聞いているだけで、ほとんど質問が出ない。 これは日本人の方が理解能力が高いから、ではない。その証拠に、後で感想やレポートを提出させると、いろいろと質問が出てくるのだ。だが、人前では聞きたくない。なぜなら、我々の社会は「受信者責任の原則」、理解するのは聞く側の責任、という習慣で動いているからだ。また、質問=批判だ、という見方も強い。だから皆の前で質問する人は、講師に批判的であるか、そもそも頭が悪いか、あるいは自己顕示欲の強い奴、と思われがちだ。 もう一つだけ例を挙げよう。西洋の思考習慣では、個人は皆、対等ということになっている。無論、社会には力関係の差が、歴然とある。だが弱い側にも、一応なにかを主張する権利はある、と考えられている。なぜそういう思考習慣なのかは、知らない。一神教の影響なのか、それとももっと昔からそうなのか。ともかく、どちら側にも主張する時間は与える。 ところが我々には序列ないしタテ社会の論理が、無意識に染み付いている。商取引にだって、対等という感覚は、あまりない。発注者は受注者より、上だ。そして階層が下の者に与えられるのは、「権利」ではなく「分際」である。・・こういうスタンスの差は、リアルタイム自動翻訳がいくら発達したって、消すことはできない。 (念のために言っておくが、世界中どこでも、だいたい発注者の方が受注者よりビジネスでは強いのである。だが西洋では、弱い立場の側も一応主張はした上で、たいていは強者が弱者をなぎ倒す結果になる。でも主張の「事実」は残るので、本当にフェアだったかどうかは、検証可能になると考えられる) こうした思考習慣の違いについての洞察は、上記の700時間の学習に含まれるのか? そこは微妙だろう。誰について、どう学ぶかが重要になる。39歳のわたしにとってラッキーだったのは、一緒に仕事をした米国人メンバーたちが、単にロジカルなだけではなく、文化・思考習慣のことなる外国人とのプロジェクトに慣れていたことだった。 現代の世界では、好むと好まざるとに関わらず、英語がメジャーな言語である。ビジネスの英語は西洋的な思考習慣、つまり論理重視のモードで話される。ただし一つだけ、はっきりしていることがある。自分の母語できちんと論理的に説明ができない人は、外国語でできるわけがないのだ。かりに自動翻訳AIが発達しても、リアルタイムで論理性までは補ってくれない。だからわたし達に本当に必要なのは、発音やリスニングの訓練ではない。思考習慣の方のトレーニングなのである。 <関連エントリ> 「海外プロジェクトの障壁は文化や言語ではない」 https://brevis.exblog.jp/30456889/ (2023-10-07)
by Tomoichi_Sato
| 2023-10-14 17:51
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