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プロジェクト・マネジメントをマネジメントする 〜プログラム・マネジメントとは何か

「マネージャーをマネジメントする事」がガバナンスであると、前回の記事 で書いた。

それでは、部長が課長をマネージすることも、ガバナンスなのか? 課長だって、立派なマネジメント職である(ちなみに、わたしの職場では課長職のことを、昔から「マネージャー」と言う職名でよんできた)。

答えから言うと、それは違う。確かにガバナンス的な側面も、少しはある。だが、課長は部長にマネジメントされている。部長の指示には強制力があるからである。強制力を伴う計画・指示と報告・評価のサイクルをマネジメントと呼ぶ

強制力とは何か。それは簡単に言うと、賞罰の力である。指示に従った場合には、褒賞を与え評価する。従わなかった場合には、罰を加え、あるいはその地位から追放することができる。また、重要な経営資源の運用に関する決裁の権限も持つ。具体的には、特に金銭である。費用の支出には、承認が必要となる。それがマネジメントの強制力だ。

これに対して、取締役会が会社の執行役員や経営者に対して用いる権限は、影響力でしかない。取締役会はなるほど、役員や社長の首を切る権限がある(株主の同意が前提だが)。また、重要な予算に関しては、承認の権限もあるだろう。だが、ほとんどの決裁事項は、執行側にゆだねられている。そのかわり、大きな指針や基準を与える。これがガバナンスのあり方だ。

さて、プロジェクト・マネージャーはどうだろう。プロマネにも普通は上司がいる。課長だったり部長だったり役員だったり、その規模や役割に応じて様々かもしれない。

プロマネを任命し、プロジェクトに予算枠を与える権限を持つ者を、「プロジェクト・オーナー」ないし「プロジェクト・スポンサー」と呼ぶ。普通、プロジェクト・オーナーないしスポンサーは、執行権限のほとんどをプロマネに譲渡し、あまり日々のオペレーションに口を出さない。ただし、重要な判断や予算・配員等については、相談に乗り、プロマネを支援する義務がある。

もっとも、こうしたオーナー制(スポンサー制)を充分きちんと認識し、確立していない日本企業は、非常に多い。が、日本企業だけでなく米国企業でも、実際はその弊害をしばしば見かける。

ところで、プロマネを任命し、プロジェクトに予算枠を与え、そのスタートを承認する権限を持つ職種が、もう1種類ある。それは「プログラム・マネージャー」である。

プログラム・マネージャーとは誰か。それはプログラムをマネジメントする責任者である。・・じゃぁ、プログラムってなんだ?

プログラムとは、その配下に複数のプロジェクトを持ち、互いに調整して動かすことで、共通の事業目標を達成する活動の集まりである。

例えば、アポロ計画の英語は、Appolo Programであった。アポロ計画は、60年代のうちに人類を月に送り込む、と言うケネディ大統領の'61年の演説で公式にスタートした。そして、複数ロケットの製造と打上げを経て、次第に技術開発と実証を繰り返しつつ、最後に'69年のアポロ11号で、本当に乗員3人を月に送り込んだ。

アポロ計画では、個別のロケット打上げミッションが「プロジェクト」と呼ばれた。つまり、複数のプロジェクトを組み合わせることで、月面制覇という最終目的を達成したのである。もちろん、個別のロケット打上げ以外の活動として、地上側設備の構築、ロケット乗員の育成訓練、様々な技術開発などが並行して進められた。これらも皆、ある意味プロジェクトである。

アポロ計画を構成するプロジェクトは、最初から全て決まっていたわけではない。難しい技術開発を組み合わせた困難なチャレンジであるから、その途上で、新たなプロジェクトの必要性も生じてくるだろうし、中には不要となったプロジェクトもあったかもしれない。ただ、全体としては、相互にコーディネートされた複数のプロジェクト群によって、アポロ計画は一応見事に遂行された。

プログラムとは、何らかの目的(多くは能力獲得や価値創出)を達成するための活動で、複数のプロジェクトを組合せ、調整しながら進める。プロジェクトとは、それぞれが明確なゴールと目標をもつ、期限のある営為で、複数のActivityを組み合わせて調整しながら進める。そしてActivityとは、特定のインプットとアウトプットをもつ任務である(プロジェクトを構成する期間を表す場合は「フェーズ」とも呼ばれる)。
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そしてプログラムの達成のために、配下のプロジェクトをアウトカムと価値の視点から絶えずウォッチし、ガバナンスを効かせる仕事を「プログラム・マネジメント」と呼ぶ。それはプロジェクトを起案し、発進させ、完了を見届け、あるいは途中で中止させることをも含む。

プログラムマネジメントとは言いかえるなら、配下のプロジェクトの間に、全体目的に合致したシナジーを生み出す働きである。この「シナジー」と言う用語は、あまりPMIやPMAJの標準には出てこないが、プログラムを理解する上で非常に重要である。

このような「プログラム・マネジメント」の概念は、残念ながらわが国にはほとんど輸入されなかったようだ。もともと、プロジェクト・マネジメントの概念自体、20世紀の間はロクにかえりみられなかった社会だから、当然と言えば当然かもしれない。

わたし達の社会で何かが広まり、受け入れられるためには、わかりやすい物語、スター的なカッコいい人物や企業の存在が必要だ。抽象概念だけが、世の中に広まる事は滅多にない。目に見えないことには、あまり興味を示さない人々が、大多数なのだ。

でも、当サイトのミッションは、その抽象概念を少しでもわかりやすく提供することにある(笑)。プログラム・マネジメントは、その典型例であろう。

そこでもう一つ、プログラムの例をあげよう。英国のロンドン五輪開催の事例である。彼らがオリンピック競技場を作った際のやり方は、どうだったか。2020年を目指した東京五輪の国立競技場建設の際のドタバタを思い出しながら、比較すると分かりやすい。

ロンドンのメイン・スタジアムは入場者数8万人で、規模は東京と同じだが、じつは本設2.5万人、仮設5.5万人のスタンド形式になっていた。総工費は4億8600万ポンド=日本円でわずか644億円である(2011年のレートで換算)。それも納期内に、予算より1000万ポンドも安く完成した。

推進母体のオリンピック開発公社(略称ODA)は当初から、プログラム・マネジメント方式による取り組みを決めていた。ODAはスタジアムなど遺産(Legacy)の五輪後の活用計画を最初に作成し、本設2.5万人の構想はそこから生まれた。そして彼らは、五輪準備のためのプログラムおよびプロジェクト・マネジメントを、外部の専門家人材に委託した。かれら専門家は、配下の請負業者たちのマネジメントに携わった。

さらにODAは、他の競技場を含むプログラム全体を一元的にマネジメントするチームを設置した。このチームは、複数プロジェクト間のスケジュール、コスト、変更、そしてリスクなどを横断的に調整し、コントロールした。特に複数箇所の工事で物流が輻輳するため、物流センター3カ所の建設など、効率的なロジスティックスも考案した。

じつはロンドン五輪の準備期間は、2008年のリーマン・ショックの金融危機に重なる時期だった。業者の倒産や資材価格値上げに見まわれ、環境問題対策のための大幅設計変更もおきた。だが、適切なマネジメントと十分な予備費の設定によって見事に乗り切っている。

これに対して、日本の新国立競技場建設プロジェクトはどうだったのか? 新国立競技場整備計画経緯検証委員会は、一連の騒動の後、2015年に「検証報告書」を発表した。それによると、プロジェクトの方向性を見直すべきタイミングは、全部で3回あった。ザハ・ハディド氏の設計が最優秀案と決まった(同時にその工費が懸念された)12年11月と、下村文科相が工費3000億円に達する見込みと国会で表明した2年後の13年10月、そしてゼネコン2社が技術協力者として見積り直した、4年後の15年1月。最後の時点で、予算も納期も危いことが、あらためて明らかとなった。

にもかかわらず政府は、当初予算枠からの超過を、事後的にずっと承認し続けた。新競技場自体がライフサイクル全体でどれだけの価値をもたらすのかも、十分な評価を行わなぬままだった。

上記の検証報告書は「プロジェクト・マネージャーが不在だった」ことを問題原因の一つに挙げている(p.59)。しかしプロマネには原則として、プロジェクトを途中で中止させる権限はない。正しくは、プロマネに中止を命じる職能、すなわちプログラム・マネジメントの不在を指摘すべきであった。

プロジェクトは普通、何らかの成果物(アウトプット)を目指して動く。ただし、そのアウトプット自体は、より大きな目的を実現するための手段であることが多い。ちょうど競技場がスポーツ振興や親善という目的のための、手段であるように。

だが、わたし達がいったん、プロジェクトに配属されると、手段だったはずのプロジェクトが、いつの間にか目的にすり替わりやすい。そしてゴール到達のために、必死に頑張ることになる。あるいは、プロジェクトを提起した責任者のメンツのため、さらにこれまでプロジェクトに投入した労力と費用のために、意義の薄れたプロジェクトが無理やり続けられる。こうしたことを、わたし達はあまりにも多く眼にしてこなかったか? それはプロジェクトに対するガバナンスの不在である。

わたしは何も、英国が日本よりすぐれているとか、東京五輪に関わった人々が無能だとか主張するためにこの記事を書いているのではない。新国立競技場に関わった多くの人が優秀で有能だったろうことは、疑いがない。だが、担当者が優秀で有能なだけでは、足りないことがあるのだ。その有能さが、価値を生み出す活動に関わるように振り向ける仕組みが、わたし達の社会には断じて必要なのである。
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建設中(当時)のロンドン五輪スタジアム

<関連エントリ>
「プロジェクトのオーナーシップとは何か」 https://brevis.exblog.jp/27925736/ (2019-01-17)
「企業経営のガバナンスとシナジーを再考する」 https://brevis.exblog.jp/30433520/ (2023-09-04)


by Tomoichi_Sato | 2023-09-20 22:56 | プロジェクト・マネジメント | Comments(2)
Commented by 三好 at 2023-09-25 13:06 x
今回のコロナもまさにプログラムマネジメントが機能しなかった典型ですね。
https://gendai.media/articles/-/116678?utm_source=yahoonews&utm_medium=related&utm_campaign=link&utm_content=related
Commented by 雅彦 土屋 at 2023-11-27 10:52 x
複数プロジェクトを管理する立場としてのプログラムマネジメントもそうですが、プロジェクトとオペレーションを統合したプログラムマネジメントにおいては、更に我が国には根付きが乏しい様に感じます。
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