先週の金曜日に、東京・浜松町で開催された「ストラテジックSCMコース」の終了発表会に参加してきた。これは日本ロジスティクスシステム協会が主催する、社会人向け半年コースのセミナーで、今期からわたしも講師陣の一員としてお手伝いをしている。3月の卒業式シーズンにしては、雨が降る寒い天気だったが、3年ぶりにリアル発表会とのことで、発表する受講生の皆さんも熱がこもっていた。 このコースは今回で第26期になる。1期は半年制なので、13年前の2010年から開始したことになる。2010年と言えば、日本経済はまだ、リーマンショックの落ち込みから脱出しようと、もがいていた時期だ。受講者数は毎回約30人。それが26期だから、SCMに理解と見識のあるOBOGを、合計で650人以上育てたことになる。これはなかなかの成果だと思う。 コースは全体で20回の講義と、課題研究発表会の集合研修からなる。社会人向けなので、講義は全て、金曜日の夜7時から9時の2時間だ。加えて、後半からはグループ練習が始まるから、それなりに参加者への負荷は高い。修了者には、日本ロジスティクスシステム協会から認定証が与えられるが、MBAだとかPMPとかいった資格のような、世界的な通用力はない。それでもこれだけ大勢の人たちが受講するのは、やはり世の中に類似した研修コースがほとんど存在しないからだろう。 参加者の半数くらいは、製造業で働く中堅エンジニア層だった。他に、物流業界の企業に所属する人々が3分の1程度、IT業界が1〜2割という構成だろうか。理系だけでなく文系の方もおられたように思う。SCMは、理系と文系の中間領域なのだ。というか、そもそも、マネジメントと言う仕事自体が、文系、理系といった縦割りの枠組みを超えた業務なのである。 もっとも、この講座を始めた13年前、参加者はほとんどが外資系企業か、コンサルティング会社ばかりだったと言う。それを考えれば、SCMの概念は、ようやく、日本企業にも普及段階にあると感じられる。SCM部という部署名も、名刺交換で時々見かけるようになってきた。
修了発表会では、5つのグループが、同じテーマをめぐって発表を競いあった。お題は「なぜ日本のSCMはうまくいかないのか」である。なかなか大きなテーマだ。おまけに、「うまくいかない」と決めつけてしまって本当にいいのか? でも各グループはそれぞれ、SCMの現状に強い問題意識を持っているらしく、その原因分析とブレイクスルーアイディアを述べていた。 ところでそもそも、SCMとは何なのだろうか。APICS Dictionaryをちょっと調べると、こんな定義がされている: 「サプライチェーンの諸活動を、設計し、計画し、遂行し、コントロールし、モニタリングすること。その目的は、ネットの価値創造、競争力あるインフラの構築、世界規模のロジスティクスの活用、供給と需要の同期化、そしてグローバルなパフォーマンスの計測である。」(拙訳。原文は“The design, planning, execution, control, and monitoring of supply chain activities with the objective of creating net value, building a competitive infrastructure, leveraging worldwide logistics, synchronizing supply with demand, and measuring performance globally.” ) わかったような、でもよく考えるとわかりにくい抽象的定義である。ともあれ受講者たちは、このSCMが日本でうまくいかない理由を分析し、解決策を発表しあった。問題分析にはCRT (Current reality tree)と呼ばれる図式化技法を応用したものが使われた。この分析手法は、問題設定とともに、第1回から共通してずっと用いられているという。 ちなみにCRTとは、故ゴールドラット博士が提唱したTOC 理論(Theory of constraints)における思考プロセスの道具立ての一つである。ごく簡単にいうと、問題事象(UDE=Undesirable effect)から、その背後にある原因の構造をたどって、全体の問題構造を俯瞰し、根本原因と中核問題を同定し、ブレークスルーアイデアを導出するための手法だ。詳しく知りたい方は、ゴールドラットの " It’s not luck" (邦訳「ザ・ゴール2〜思考プロセス」 )を読むことをお勧めしたい。 CRTのサンプルを図に示す(ただしこれは当日の説明資料の引用ではなく、わたしが勝手に再構成したものだが)。実際のコースでのCRTの使い方は、横浜国大の鈴木定省先生が指導されたという。多くのチームは中核問題として、「経営にSCMへの理解がない」と「SCMの実務人材が足りない」ことをあげていた。
日本の経営手法の主流は、組織を機能別・事業別に縦割りにして、KPIを与え、互いに競わせるものだ。後で述べるように、SCMはプロセスの横のつながりや協調を生かすものだから、経営層の無理解を言いたくなる気持ちはわからないでもない。でも、経営者を急に取り替えるわけにもいかないのだから、これを根本原因にしてしまうと、ブレイクスルーアイデアがなかなか生まれにくい恨みはある。 とはいえ、個別の分析の良し悪しを採点するのがセミナーの目的ではない。そもそも、このような大きな問題設定には、唯一の正解もない。むしろ大事なのは、業種業界の異なる受講者たちが、お互いの立場を超えて議論することで、より大きな視点を得る事にある。それと、自分たちが実務で直面している問題が、いろいろな業界でいかに普遍的かにも気づく。 こうした対等な議論の場を持ち得ることが、このストラテジックSCMコースの最大の意義だろう。サラリーマンには議論できる場がない。組織内には、上下関係があり、利害関係もあるため、完全に自由な議論はしにくいものだ。しかし、1人の視点には限りがあるため、思考力は議論を通じて育つ。 そしてだからこそ、このコースの卒業生OB OGたちが、SSFJと言うバーチャルなコミュニティーを形成し、交流を続けているのだろう。コースの受講生には、しばしば転職者も現れる。今回も修了発表の場で、「実は4月から新しい職場に移るのですが」と話していた人がいた。異業種の人との議論が刺激となって、そういう動きも現れているに違いない。
元々、このストラテジックSCMコースは東工大のMOTで始まったものだった。中心となったのは、経営工学科の大御所・圓川隆夫先生(現名誉教授)と、プログラムコーディネーターの高井英造先生(日本OR学会フェロー)である。途中、いろいろないきさつから日本ロジスティクスシステム協会(JILS)にプラットフォームを移した。 終了発表会の最後は、その圓川先生が講評として、ごく簡単なレクチャーをされたが、内容はさすがだった。圓川先生はSCMの目的を、コストダウンだとか利益の最大化といった、ありがちな単純な事に求めない。利益を上げる事は、単にビジネスを継続させるための必要条件でしかないからだろう。そうではなく、SCMの目的は顧客を含むサプライチェーン関係者に提供できる価値を最大化する事、と定義された上で、日本のSCMの来歴と課題、そして方向性を提示されていた。 その中には、ジャスト・イン・タイム(JIT)から、ジャスト・イン・ケース(JIC)へのシフト、と言う指摘もあって、新鮮だった。従来の在庫削減一本槍から、昨今の国際的なサプライチェーンの混乱下において、万が一(just in case)のリスクヘッジが重要になってきているとの見方だ。 ちなみに発表会の中で、ある参加者の方から、「日本のSCMがうまくいっていないと言うが、元々SCMなる概念は、トヨタ生産方式を米国が学んで作り上げたものでないか」というコメントがあった。ただ、それは事実の半面でしかないように思う。 米国がトヨタのマネジメントのやり方を見てショックを受け、MITが中心となって"Lean Production"という概念を90年代初めに作り上げたのは事実だ。だが、トヨタのやり方で日本の産業がみな、うまくいっている訳でもない。現にトヨタ自身だって、昨今は部品供給途絶などに難儀しているではないか。
ところで、サプライチェーンは、日本語では「供給連鎖」と訳されている。ではSCMとは供給連鎖管理、と訳していいのだろうか? わたし達は、供給連鎖を本当に管理できるのか? 先日、ちょっと風変わりなSFマンガ家八木ナガハルの連作短編集「惑星の影さすとき」 をよんでいたら、ちょうどサプライチェーンのことが書いてあった。この作家は、各短編の後に、1ページの科学解説コラムをつけていて、これがまことに面白いのだが、「鳩の餌を作っている会社だけど、何でも質問に答えます」という短編の後には、『自由経済』というタイトルの解説があり、こんなことが書かれていた: 「ごくありふれた鉛筆を作るために、鉛筆の材料、材木には、カナダ産のまっすぐな木目の杉を使う。ガソリンで動くチェーンソー、運搬用の鉄道、それらを生産するための工場群、維持するための電力。 鉛筆の芯には、スリランカの黒鉛が使われる。黒鉛は鉱山から掘り出され、船で運搬、精錬される。さらに黒鉛は粘土と混ぜて炉で焼き、硬さを調節される。 地球のあらゆる場所から集められた材料が、ここでようやく芯と軸を合わせて鉛筆の形になる。さらに、1本1本に油を塗りニスを塗り、文字を印刷していく・・。 これらの工程には、膨大な人数と高度な技術が必要であるが、誰かが『計画』をして生み出したものでもなければ、命令を出している人間もいない。また船も鉄道も電気も『鉛筆を作るために』開発されたわけではない。」(『惑星の影さすとき』P.165) おわかりだろうか。1本の鉛筆を作るためのサプライチェーンは地球の果てまで延びていて、システムとして一応ちゃんと機能している。だが、それは個別企業間の自由市場での取引が、数珠つなぎに連鎖して形成された仕組みであって、誰かが設計したものでも集中的に管理運営しているものでもない。じゃあ、SCMとは何なのか。
SCMを論じる場合は、対象とするサプライチェーンが自社内のものなのか、企業をまたがった連鎖なのかを区別する方が良い。 どんな会社も、物的実体を顧客に届ける仕事をしている限り、社内にサプライチェーンを持っているものだ。サプライチェーンとは、出荷・保管・供給・輸送など、実体を持つ諸プロセスの集合体である。しかし自社のサプライチェーンでさえ、マネジメントできている会社は少ない。バラバラなプロセスの集合体が、ハーモナイズされていない状態で、お互い摩擦しながら動いている。 サプライチェーンとは、いわばオーケストラのようなものだ。各楽器は自分で音を奏でることができる。だが皆がバラバラにメロディーをひいたら、生まれるのは雑音と頭痛にすぎない。これをどう指揮するかが、SCMの課題である。 そして自社のサプライチェーンは、直接マネジメントすることができる。しかし、サプライヤーやディーラー・顧客を含む、より広範囲なサプライチェーンは、直接マネジメントできない。なぜなら自由経済社会では、他の会社に指示命令を出す権利がないからだ。 とは言え、得られる効果は、対象とするサプライチェーンの範囲が広いほど大きい。これは自明の理だろう。したがって、取引関係にある他の会社とどのような協業関係の仕組みを築きあげるかがポイントになる。 まあ、他社に命令・管理はできないと書いたが、よほど取引上で力関係の大小があれば別である——そして、『系列』という特殊な力関係でこれを実現してきたのが自動車業界だった。だからこそEV化の潮流にともなって、系列の関係にゆらぎが出始めて、みなが迷っているのではないか。
社会的ニーズ、あるいは社会課題があり、それを解決できる道具としての物的商品を供給するのが、サプライチェーンの機能だ。 だからこそサプライチェーンと、サプライチェーン・マネジメントを区別することが、問題認識の第一歩である。サプライチェーンの個別プロセスをきちんと改善することと、全体をハーモナイズするSCMの仕組みをつくることとは、別のことだ。この2つのことを、同じ「マネジメント」という言葉で呼んでしまうから訳が分からなくなるのではないか。個々の楽器演奏が上手になるのと、全体で調和した音楽を生み出すことは違う。 圓川先生は講評の後で、日本にSCMを普及させるためには、本当はこの100倍の人数規模が必要だ、とおっしゃっていた。上場企業だけで数千社あるこの国で、10年以上かけて650人育成では、圧倒的に足りないのだ。 ここから先はわたしの考えだが、わたし達の社会では、目に見えない概念や仕組みは、あまり理解も普及もされない。何か、具体的で目に見える仕組みや成功事例が、必要なのだ。この国の人たちは、目で見え手触りのあるものでないと、本気にはならない。だから、そういうものを一つでも増やしていくために、微力を尽くせたらと思っている。 <関連エントリ> 「価格リスクと豊作貧乏を解決する、サプライチェーン・マネジメントの知恵」 https://brevis.exblog.jp/29206896/ (2020-09-28) 「トヨタのグローバル・サプライチェーン・マネジメントを理解する鍵」 https://brevis.exblog.jp/23353228/ (2015-07-01)
by Tomoichi_Sato
| 2023-03-22 09:12
| サプライチェーン
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