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書評:「そうか、君は課長になったのか」 佐々木常夫


好著である。まず、題名がうまい。「そうか、君は課長になったのか」というタイトルからは、課長というマネジメント職の仕事の心得を書いた本、というメッセージが自然に伝わってくる。おまけに、この口ぶりは上から目線だから、書いた人は会社社長か、少なくとも経営層の一員であることが分かる。それも、大企業のだ。

なぜ、大企業か。それは、君(たぶんかつての部下)が課長になったことを、著者が知らずにいて、気付かされたことを示すからだ。それは大きな会社でないと起こり得ない。経営者が部課長の顔と名前まで、すべてそらんじているような会社は、(売上や上場にかかわらず)中小企業と呼ぶべきなのである。著者は、大企業の経営層にいる。これが、読者に無意識な信頼度を与える。

本書は、「石田君」という架空の相手に向かって、アドバイスを送る形式になっている。文体は、「ですます調」だ。これも好ましい。ていねいな文体、漢字とかなの比率、専門用語の取り入れ(かなり少ない)など、著者が読みやすさを意識して書いていることが、よく分かる。

著者は最初の方で、こんな風に説明を始める。「会社の中でさまざまな役職に就いてきましたが、課長ほどやりがいがあって、面白い仕事はないと考えています。」 

これはなかなか、意表を突く言い方である。大抵の人は、部長は課長より偉く、役員は部長より、社長は役員より偉いから、その順に仕事も面白く、やりがいがあるはずだ、と考える。だが著者は、あえてそれを否定してかかる。

その理由も明確だ。課長は仕事の現場にいて、普通の部下を相手にしているからだ。

「部長の場合であれば、相手にする部下(課長)は通常4人とか5人とかいう少人数です。しかも、一般社員から勝ち上がってきた人たちですから、優秀な人材が多い。」——だから部長の仕事のほうが、ある意味では楽なのだという。少なくとも、難しさの質が違う。

ちなみに、わたしがこの本を読んだのは、自分が部長職をおりてからのことだった。もっと前に、それこそ課長職になりたての頃に、読んでいればよかった(もっともそんな時代にはまだ出版されていなかったが)。それくらい、本書はわかりやすく、面白い。そして課長職になった人を、その気にさせる内容を持っている。

ついでにいうと、わたし自身は「課長」になったことはない。わたしの勤務先は、新入社員で入ったときから、部長の下は「マネージャー」という職名だった。今も基本的にはそうだ(一部例外はある)。この呼称は、課長レベルの仕事が、マネジメントだということを意識させる。リーダーではないのだ。

リーダーとマネージャーと何が違うかというと、それは野球部のキャプテンと監督の関係に似ている。キャプテンはチームを率いているが、自分もプレーする。監督はプレーしない。だが作戦を立てて指示をする。ちなみに、監督とプレイヤーを兼ねた人間を、「プレーイング・マネジャー」と呼ぶ。

そして、まさに著者は第1章の中で、「プレーイング・マネジャーにはなるな」という節を書いている。理由は明確である。課長が自分で仕事をしてしまったら、本来はその仕事をまかせることによって「部下を成長させるという課長の責務を放棄してしまっている」からだ。ここには、マネージャーの責務とは、仕事を完遂することと、部下を育成することの二つを、両立させることだとの認識がある。

そしてここがいつも、難しい。まず、人に仕事をやらせるより、自分が手を動かしてしまう方が手っ取り早いことが多いからだ。指示を出す手間、結果をチェックする手間、途中での問題解決の面倒を見る手間。これが余計に発生する。まだ仕事のスキルが低い部下・後輩なら、プロダクトの品質にも問題がある。

だがマネジメントとは、人を動かすのが仕事なのだ。著者は、課長に要求されることとして、(1)方針策定、(2)部下の監督と成長、(3)コミュニケーション業務、(4)政治力、の4つをあげる。そしてこれらは本書の骨格の構成にもなっている。(ちなみに最後の政治力というのは、「社内外の関係者を自分の目標どおりに導いていく」ことを指している。プロジェクト・マネジメントの用語で言えば、『ステークホルダー・エンゲージメント』の仕事である)

それにしても、本書はマネジメントの基本を学ぶためだけでなく、「ビジネス書はどう書くべきか」について知るためにも、教科書としての価値がある。たとえば、著者は最初の方で、自分自身の境遇や家庭環境を書く。

「6歳で父を亡くしていました」
(はじめて課長職についた頃)「妻が入院し、自閉症の長男を含む3人の子どもたちを世話するために、毎日18時には退社する必要に迫られた」
そこで「部下全員が定時に帰れるように仕事の効率化を推し進め」るかたわら課長職の真髄について考え続け、「幸運なことに部長、取締役と昇進し、現在は東レ経営研究所の社長を務めて」いると続ける。

これは実践家の書いた本であって、たんなる批評家や学者の文章ではない、と読者に伝えている訳だ。

そして第1章のタイトルは、「まずはじめに、『志』をもちなさい」である。「たった一度の人生で何をしたいのか、どのような人間になりたいのか、どう生きたいのか、その『』さえ高ければ、スキルなど自然と後からついて来る」。なかなか、読者にぐっとくる言葉ではないか。

読者に希望を与え、読者のモチベーションを高めることこそ、ビジネス書に求められる要点だ。読者はみんな、仕事に悩むからビジネス書を読むのだ。悩まなければ、読まない。単なる知識欲だけなら、専門書で十分だ。

実際にスキルを身につけるには、それなりに時間がかかる。だが「志」を持つ事なら、今すぐにできる(ような気がする)。日本人の殆どは、技術主義ではなく、「気持ち」主義者である(もう少しマイルドな言い方なら「モチベーション主義者」だろう)。気の持ち方が、仕事の成果を決める。こういう信念で生きている。その方が、希望が持ちやすいからだ。

ついで第2章は、「課長になって2ヶ月でやるべきこと」である。これもテーマ設定が素晴らしい。最初の数十日が大切なのだ。ただし1月ではあっという間なので、2ヶ月とする点が実際的である。ビジネススクールにいくと、「優れた企業はM&Aをしたら、最初の100日に買収先企業を統合し支配下に組み込む」みたいなことを、MBA志願者達に教える。

課長になったら、「最初に君の信念を示す」べきだと著者は書き、それに続いて、「仕事の進め方10か条」を明らかにする(p.31)。これは著者のオリジナルで、「課長として異動するたびに、必ずこの10か条」を示したそうである。内容をいくつか紹介すると、

❶計画主義と重点主義:すぐ走り出してはいけない。優先順位をつける。
❷効率主義:通常の仕事は拙速を尊ぶ。
❺シンプル主義:事務処理、管理、制度、資料はシンプルをもって秀とする。すぐれた仕事、すぐれた会社ほどシンプルである。複雑さは仕事を私物化させやすい(=属人化の意味だろう)
❿自己中心主義:自分を大切にすること→人を大切にすること。

などである。10項目あり、かつ、どの部署どの業務にも共通するような、あるていど普遍的なことをあげている点が、優れていると思う。

なおかつ、「方針や考え方は、必ず文書にして渡すことを心がけてください」という。これはマネジメントとして、非常に重要なことだ。マネジメントは人を動かす仕事で、人を動かすためには、(テレパシーでも仕えない限り)言葉で伝える必要があるからだ。これは、以心伝心、あうんの呼吸などを大事にする文化圏の我々にとって、とても難しいが重要なことだ。

また、最初にすべての部下と面談するよう、著者は進める。各人の考え方や特徴を知るためだ。それも、課の中で一番若い人から順番に話を聞け、と実際的なアドバイスをする。「若い人はキャリアが短い分わりあい無防備ですから、あまり慎重にならず好きなことを話してくれる」のが理由である。

また、面談を通じて、前任課長の仕事を評価せよ、という。引き継ぎ事項を鵜呑みにしてはいけない、とも書く。

そして、続く第3章は「部下を動かす」である。ここが本書の中で一番項目が多い。当然だろう。

「部下は与えられるものです。その与えられた戦力を最大限高めるのが課長の仕事です」——部下は課長の私物ではないし、また仕事の直接の戦果を高めるために、能力があって使いやすい部下だけを使い、後を放置するようなことをしてはいけない、むしろ優秀な人間に仕事が集中しないよう業務配分を調整せよ、という。

上に書いたこととも重なるが、短期的な成果を出すことと、長期的な戦力を作ることの、両面をマネジメントは求められる。この両立が、いつも難しい。今の世の中は短期志向に傾きがちだ。それが実は、格差拡大を通じて、社会経済の底力を下げ、景気が良くならず、結果として短期志向をさらに強める。この負のサイクルをどこかで破らなくてはならない。

また、部下は「8割褒めて、2割叱る」というバランス感について、「要するに、褒めるも叱るも本気でなければダメ」というのは本当だろう。とくに人事評価において、「人を好きになるのも技術があります。ぜひ身につけて、ひとりでも多くの部下をすきになってもらいたいものです」と書くあたり、とてもこの著者の考え方の特徴が出ていると感じる。そして「部下のうつ病には十分に気を配ってください」というのも、うつ病の家族を持った著者ならではの言葉である。

さて、第4章は「社内政治に勝つ」である。うーん、このような章のタイトル、技術主義者のわたしは、決して思いつかないなあ。

でも本章はわたしにとって、一番学びになった。たとえば上司に2週間に一度くらい、30分のアポイントを入れ、定期的に報告し相談する機会を作った、という。これはとても有用なやり方だと思い、早速取り入れている。こうすると何が良いかは、ぜひ本書にあたってみて欲しい。

また、「私は、社内キーマンごとに入社年度、出身大学、趣味、家族構成などを記してすべて暗記していました」というのも、すごい。こちらはまだ、実践できていない。

マネージャーは、部下に対しては人事評価や業績評定、内部ルールの設定、そして予算の決済などを通して、動かす強制力を持っている。つまり『権力』がある訳だ。権力がある人間には、基本、誰もが従う。ところで、自分の上司や他の部署の人、そして顧客や社外の人などには、強制力を持ち得ない。強制して動かし得ない他人を、どう動かすか。そのためには、多くは良好な関係を作り、ギブ・アンド・テークなど互恵的な行動を通じて、影響力を発揮するしかない。

人を動かす力の獲得と配分のプロセスを、政治という。財貨の交換プロセスである市場経済とは異なり、政治というのは目に見えにくく、また経済合理性には従わない。そして組織で働く人には、多かれ少なかれ、権力欲がある。でも仕事とは、他者の協力がないと成功しない。このことがはっきり見えている著者は、だから「社内政治に勝つ」を、課長の大事なポイントとしたのだろう。

ちなみに本書の最後の方に、14人抜きで常務から東レの社長に抜擢された前田氏とのエピソードがのっている。56歳の若さで社長になって毎日大変でしょう、とたずねた著者に対して、

「私は30代のときから社長になるつもりで仕事をしてきた。いつも社長ならどう考えるか、どう行動するかを考えてきたから、もう20年間社長をしてきたようなものだ」 (pp.119-120)

と答えたという。さすがにスケールが違う、と感心し、せめて上司の上司の視点でモノを考えようと著者は説く。このエピソードは、本書冒頭の「まずはじめに、『志』をもちなさい」と呼応している。

本書の最後は、家族を大切にしよう、というメッセージで閉じられる。いかにも障害を持つ子どもと病気の配偶者をもって苦労した著者らしい締めくくり方である。でも、絆を強めるのは一緒に過ごした時間ではない、「家族のことを心底、愛していれば大丈夫なのです」と、忙しい読者に希望を与えて終わる。日本の読者にとっての希望はつねに、やはり『気持ち=志』の形なのである。


by Tomoichi_Sato | 2023-02-13 11:31 | 書評 | Comments(0)
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