人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『月を売った男』に学ぶ、設計とマネジメントの分業

  • 月を売るとは

久しぶりに(たぶん何十年ぶりかに)、ロバート・A・ハインラインの『月を売った男』を読み直した。1953に書かれた本作は、20世紀米国を代表するこのSF作家の、初期の代表作である。

そして、『月を売った男』こそ、ビジネスとマネジメントの本質を理解したい人にとって、いや、少なくとも米国のビジネスを知りたい人にとって、必読の書だと、あらためて感じた。もしあなたが米国企業と一緒に仕事をしようとしている立場の人なら、世のビジネス書を差し置いて、真っ先に読むべき本である。

ハインラインは「未来史」と呼ばれる独自の史観に沿って、多数の作品を発表している。日本ではおそらく『夏への扉』が、一番人気の高い作品だろうと思う。わたし自身は『月は無慈悲な夜の女王』がもっとも好きだ。主人公が自らの才覚を駆使して、世の荒波を乗り切っていく、というのが米国好みのストーリーだ(これに対し、身分制社会を経験した欧州は、人生をもう少し複雑ととらえている)。ハインラインは、このアメリカ流の王道を行って、しかも科学技術自体がキラキラした光を発していた20世紀中盤の空気感をとらえて、力強い。

『月を売った男』自体は中編である。D・D・ハリマンという主人公の実業家は、自分が月に行くという夢のような計画(小説の書かれた1953年にはまだ宇宙飛行自体が実現していなかった)を実現すべく、それに必要な資金と人材を、あらゆる手段を使ってかき集める。そのために、月に関わるあらゆる権利やリスクやらを、世界中の利害関係者に「売って」いく。前半の白眉は、この部分だ。

ハリマンは無論、月ロケットの設計と建造も並行して進める。その仕事のために、優秀と評判の技術者ボブ・コスターを雇って、ロケット基地に送り込む。この後、この小説では、プロジェクト・マネジメントの観点でとても印象的なエピソードが入る。

  • 経営者はエンジニアをどう遇したか

ハリマンは、雇ったコスターのロケット設計の進捗が遅れているときく。そこで自ら基地に乗り込んで全体を見て回り、それから技師長の机で書類の山に埋もれているコスターに向かって、こうたずねる。(以下、拙訳でご紹介する)

「君は仕事で組織のトップになったのは初めてかね?」コスターは、ちょっとためらってから認めた。

「月ロケット現場を成功に導けるエンジニアは君だと、あのファーガソンが信じたから君を雇ったんだ。(中略)だが、トップとしての管理の仕事は、設計とは違う。(中略)この頃、ちゃんと設計の仕事はできているかい?」

「やろうとはしているんです。」コスターは図面を広げたもう一つの机を指差した。「あっちで、夜遅くに仕事しています。」

「そいつは良くないな。エンジニアとして君を雇ったんだ、ボブ。今のこの組織は間違っているよ。各部署は活発に動いてなきゃいけないのに、動いてない。そして君の部屋こそシーンとしているべきだ。だが、君の部屋ばっかりやかましくて、各現場は墓場みたいだ。」

「わかってます。なんとかしなきゃならないんですが、私が技術的な問題に取り組むたびに、どこかの阿呆が、トラックだとか電話回線だとか、あらゆる雑用について、決めてくれと言ってくるんです。すみません、ハリマンさん。自分でなんとかできると思っていたんですが。」

ハリマンは優しく言った。「そんなことに揺さぶられちゃだめだ。このごろよく眠っていないだろう?(中略)君の頭脳は、反作用ベクトルとか燃料効率とか応力設計を考えるはずで、運送契約なんかに使うべきじゃないんだ。」
(そしてハリマンは本社に電話する)「ジム、お前の部下のジョック・バークリーはいるか? 今抱えている仕事を外して、すぐにこっちに来るよう言ってくれ。」

(中略、その当人が到着する)「ボブ。ジョック・バークリーを紹介しよう。彼は君の新しい直属の部下だ。君はチーフエンジニアとして、組織のトップであり続ける。ジョックは他の雑用を引き受ける摂政殿下だ。これからは、月ロケットの細部の問題以外、君は何にも煩わされる事は無い。」

2人は握手する。「コスターさん、1つお願いがあります。」バークリーが真面目にいった。「あなたは、技術的なことに集中しなければいけないのですから、私をバイパスして誰に連絡してもらっても構いません。ただ、お願いですから、何が起きているかは、必ず私にもわかるようにしておいてください。(中略)それから、技術的なこと以外で何か必要なことは、決して自分でやらないでください。マイクのスイッチを入れて口笛を吹けば、後は全部、私がやりますから。」

バークリーはハリマンの方を見た。「じゃあ、ハリマンさんはあなたと本当の仕事について話したそうですから、自分は失礼して、雑用に務めます。」

ハリマンは椅子に座った。コスターも腰掛けて「ひゅう」と言った。「どうだ、気分は良くなったかね?」

  • 技術とコマーシャル(ないしビジネス)の分業

さて、ご存じかも知れないが、欧米流のビジネス慣習では、仕事は「技術面」Technicalと「商業面」Commercialに分けられる。国際入札では、提案書は「技術提案書」Technical proposalと、「商業提案書」Commercial proposalを、分冊にわけて入札するのが普通だ。前者は成果物の仕様とか図面、そして実装方法といった技術面の提案説明からなる。後者は見積価格とか納期とか役務分担など、お金と契約に関わる事がかかれる。

両者は提出の締め切り日も違う。先に技術提案書を出して、入札審査に合格しないと、商業提案書を受け取ってもくれない。関わる部署も異なる。前者に関わるのは技術部門で、後者に関わるのは、財務・法務・営業・調達といった(日本風に言えば「事務屋」ないし「文系」の)部門だ。

この後者に関わるような仕事の面を一般に、commercialと呼ぶ。これをカタカナになおして「コマーシャル」と言ってしまうと、TV広告のような全然別のものを指してしまうので、やむなく「商業」と訳しているのだが、これも無理な訳語だ。

でも、上で紹介した『月を売った男』のバークリーが、技術者コスターから引き取った仕事こそ、まさにこのCommercialな業務だった。

ところで、この物語のポイントは、全体のボスであるハリマンが、技術者コスターの下に、事務屋バークリーを置いたことだ。通常のやり方では、あるいは日本の我々の常識では、お金や契約を握っている人間は、技術者の上に立って、技術者を「管理」することになる。だがハリマンは、いや、作者ハインラインは、通常とは逆の配置にした。その方がより機能することを知っているからだ。

なぜ逆の方が、より機能するか。それは、月ロケットの設計が、技術開発的な要素の強い仕事だからだ。技術開発と言うのは、ある意味、問題解決の連続であって、最初にきちんとしたプランが立てにくい仕事だ。全体の予算枠はあるだろうが、何にどれだけお金を使い、どこを節約できるかは、技術的な問題解決がかなりを左右する。

逆に、列車の運行や、役所の窓口業務のように、計画があって、なおかつ、仕事が比較的精度高く、コントロールできるようなタイプの業務では、技術者が左右できる範囲は少ない。そうした分野で組織を作れば、常識の通り、財務家が技術屋の上に来るようなスタイルになるのだろう。欧米企業で、本社の財務部門が強いのも、財務に明るいMBAが出世コースなのも、そうした背景があるからだ。

ちなみに『月を売った男』のバークリーのように、組織のトップではなく、トップに対するスタッフ的なポジションにある場合、これをBusiness Managerといった職名で呼ぶことが多い。これも翻訳しにくい用語なので、我々の業界では仕方なくビジネス・マネージャーとカタカナで表記している。まあCommercialもBusinessも、この文脈では似た意味である。

  • マネジメントとは雑用の集合である

「腕の良い技術者が何よりも頭にくるのは、小切手帳を持ったぼんくらが、ああやれこうやれと仕事の指図をすることです。」という台詞も、『月を売った男』には出てくる。作家ハインラインは、技術開発に起こりがちな問題を、よく洞察していた。だからこそ、技術者の下にビジネス・マネージャーを置く布置にしたのだ。

仕事が大きくなると、分業していくのが効率的である。プロマネの仕事もそうだ。技術者コスターは月ロケット製造プロジェクトのトップ、すなわちプロマネだ。そして彼の一番能力を発揮する仕事は、技術開発だった。それ以外は、彼にとって雑用だった。それは分業して、誰かに受け持ってもらうのがいい。

「雑用」とは何か。それは当人にとって、必要ではあるが、自分の価値につながらない仕事という意味である。したがって、何が雑用であるかは、その人によって違う。

財務マンから見たら、予算管理は雑用ではない。法務マンから見たら、運送契約は雑用ではない。どれもプロジェクトを成功に導くには必須の仕事である。だが、設計主任技師のやるべき仕事ではない。だから、作者はコスターの仕事から、こうしたビジネス・マネジメント的な業務を抜き出して、バークリーに分業させたのだ。

何が雑用かは、その人の見方によって違う。つまり「雑用」とは、客観的なカテゴリーではないのである。逆にいうと、他者は雑用と感じているが、自分にとっては能力発揮の場と思える仕事は、そうしたニーズを満たすことで価値にかえることができるのだ。

わたしの働くエンジニアリング業など、その典型かも知れない。我々の顧客は、要するにプラントの産出する製品やエネルギーが欲しいのであって、プラントを作り上げるまでの果てしなく煩雑な手順など、あまり優先度が高くない。だからそうした雑用は、それを得意とするエンジニアリング会社にアウトソースする方が、ベターだろう。少なくとも米国企業はそう考えたから、エンジ産業は米国発なのだ。

これに対して、極東に位置するわたし達の社会では、どうしてもマネジメント=「人の上に立つ」という理解が強い。儒教的な伝統から来た思想なのかも知れない。そしてまた、「理系と文系とどちらが上か」といった二分法的議論も、好きな人が多い。だがそれこそ、資本主義が続く限り、金を握った文系職種の方が上に立って管理する、という思考になりやすい。

繰り返すが、それは定常業務ではなりたっても、非定常性の強い技術開発的な分野ではうまく機能しない。また、非技術的な(ビジネス・マネジメント的な)役割を分業して、トップの下にスタッフとして置くやり方もあるのだ。マネジメントというのは、地位の上下ではなく、役割分担だ。そしてわたし達はもうそろそろ、2千年前の儒教的な思考を抜け出しても良い頃だと思うのである。


<関連エントリ>


by Tomoichi_Sato | 2023-02-06 11:53 | プロジェクト・マネジメント | Comments(1)
Commented by 山下 史 at 2023-02-08 10:04 x
初期のハインラインは好きです
月を売った男も読んでましたが経営的な観点では読んでなかったので再読してみようと思います。
<< 書評:「そうか、君は課長になっ... 恵方巻きとB2Cビジネスの混沌 >>