「プロジェクト・マネージャー」という職種のイメージは、人によってまちまちだ。ある時、職場で専門誌の記者に取材を受けていた。会社の総合受付を見下ろす場所の会議室で、沢山の人が出入りするのが見える。しばらく話した後、帰りがけに、その記者はいった。「あんまり、プロマネ的なタイプの人を見かけないですね。」 ーーえ、そうですか? と、わたしは聞き返した。プロマネ・タイプって、どんな人を想像されていますか。 聞いてみて分かったのだが、この人はプロマネというと、赤ら顔で、声が大きくて、威嚇的な態度をしていて、すぐに他人を怒鳴りつけそうな、いわゆる「現場監督」タイプの人だと思っていたようだ。そういう人がわたしの勤務先にゼロだとは言わないが、決して多くないし、プロマネには少ない。 わたしの知る限り、エンジニアリング業界で優秀なプロマネとして知られる人たちは、海外企業を含め、例外なく紳士的である。知的で、物腰柔らかく、相手の話をちゃんと聞く。相手の話も聞かずに、いきなり怒鳴り倒すような人はめったにいない。 そもそもプロマネの仕事は、自分たちの目的を達成するために、人に働いてもらうことだ。怒鳴りつけるだけでは、他人は望むとおりに動かない。人びと(それも多くの人びと)に、自発的に動いてもらうためには、相手と共通目的を持っていて、協働意識のもとで働いてくれるよう、コミュニケーションしなくてはならない。 この人と一緒だったら安心でき、この人について行けば、良い事がある。そう、皆に感じてもらわなければ、プロマネはつとまらない。だから、紳士的な物腰が必要になるのだ。むろん、柔らかい態度と、優柔不断は別である。決めるときはちゃんと決め、主張すべきときは主張する。丁寧な言語だが、少し考えると結構手厳しい内容のことも、言う。タフな交渉者だ。
昼下がり、あるベンダーのオフィス。チーム・メンバーでの打合せを終えて、帰国便に向かう前に、わたしは相手側のプロマネの個室に招かれ、机をはさんで座った。儀礼的なあいさつを交わすと、先方ほこう切り出してきた。 「さて、ミスタ・サトウ。あなたは、午前中のミーティングで、これこれこんな風におっしゃった。我々の見解は、しかし、こうです。あきらかに、我々の間にはギャップがありますね。」 ——うん。そのようだね。 「じゃあ、このギャップをどう埋めるか、一緒に考えませんか?」 ——いいですよ。 出発便までに残された時間は、約1時間ほど。このタイミングをつかまえて、先方は、わたしにネゴをかけてきた訳だ。目の前に居るうちに、発注者である我々から、何らかの譲歩を引き出したいのだろう。わたしも懸案事項を残したまま、本社に戻りたくない。ポイントは、我々が持ち出した新しい要求事項にあった。 ——ダン。今回の件についてだったら、我々は妥協するつもりはないですよ。 「まあ、そう結論を急がないでください。わたし達はお互い、この仕事をうまくやり遂げたいし、納期通りに御社の客先に収めて、満足していただきたい訳です。いや、もう少し率直に言えば、あの治安の不安定な国の現場に、あまり長くエンジニアを貼り付けておきたくないのです。そこは、御社も同じじゃあないですか?」 ——そりゃあ、もちろんそうです。 「だったらお互い、どうすれば一番早くシステムを納品できるか、考えてみませんか。今回の仕様を追加すると、新規のハードの調達を含めて、10週間も納期が延びることになります。我々のシステムだけでなく、御社のプラントの立ち上げ納期にも影響が出るでしょう」 ——それはもちろん、こまる。何とか急げませんか? 「ハードの外部調達期間は、ご承知の通り我々ではコントロール不能です。これが6週間はかかります。その後の実装・調整・試験が4週間ですが、人数を投入しても3週まで縮められるかどうか。そして我々の客先との、出荷前の工場立会検査もリスケジュールが必要です。」 ——リスケはお互い、客先からの信用をなくすから、避けたい。・・そうだ、御社の手持ちのハードを、いったん出荷前検査まで借りられないですか? 客先サイトへの最終納品時には、本物のハードを納めることにして、工場検査は代替機でしのぐ、と。実装調整だって、手元の代替機だったら早く始められるでしょう。 「まあ、代替機を借りられるかどうか、工場にチェックしてみましょう。ただ、いずれにせよ調整試験の時間が必要で、1-2週ほど遅れますが。」 ——出荷前試験はどうせ2週間以上かかるんだから、この仕様のテストは最後に持っていきませんか? そうすれば試験期間も並行して作業できるでしょう。 「考えてみましょう。たしかに、それならなんとか納期は守れます。ただ、代替機の貸与も含めて、金額的なインパクトは残りますが」 ——わかってますよ。そして、時刻同期はMESの基本仕様だ、追加ではない、というのが我々の理解です。しかし金額については、他の追加請求も含め、後で再度話すことにしませんか。
前回の記事「おじさん的議論に負けないために」(https://brevis.exblog.jp/30189360/) で、わたしは、プロフェッショナルな議論の対極を、『おじさん的議論』と名付けて紹介した。おじさん的議論(じっさいには男女・老若の区別なく陥りがちなのだが)の特徴とは、定性的・実感的で、かつ、妙に断定的なことだと書いた。言っている本人は自分で納得しているのだが、相手を説得できているかはお構いなしである。 では、説得力とは何で決まるのか。ネゴシエーションの能力とは、すなわち説得力に他ならない。では、それはどうしたら構築できるのか。 これについては以前、「なぜ事実と意見を区別して話すべきなのか」(https://brevis.exblog.jp/21221308/) (2013-10-20)で取り上げたことがある。かなり前の記事なので、もう一度、再掲させていただこう。こんな対話があったとする: 「中東の社会って、女性の地位が低いのよ。」 最初の発言「中東の社会って、女性の地位が低いのよ」は、意見(推測)の陳述である。正しいかもしれない。正しくないかもしれない。ただ、ここには主観的な印象や、そうした社会への評価感情、そして同意への期待などが込められている。同意するの? しないの? という訳だ。 それに対して、「サウジアラビアじゃ、女性は車の運転さえ禁止されているのよ」という発言は、検証可能な事実だ。これが正しいか、正しくないかは、調べてみれば分かる。そして調べてみれば、この発言は昨年までは正しかった事がわかる(今年、法律が改正されて、ようやく女性の運転が解禁された) そして「サウジでは、高級車レクサスの所有者の6割は女性だそうだよ」という発言は、数値的な事実である。この数字自体は、わたしが10年前にサウジのトヨタ系ディーラーの幹部から聞いたものなので、今はもう変わっているかもしれないが、こちらはより精度の高い事実を表している。そして、自分でハンドルは握れなくても自動車は所有でき、そうしている女性が実は多いことも分かる。 中東におけるジェンダー不平等を論じるのが当サイトの目的ではないので、これ以上の議論の深入りはしない。ここで言いたいことは、相手への説得力は以下の順に大きくなる、という不等式だ。
意見とはなにか。それは、主観的な判断、推測・印象、良し悪しの評価、自分の損得や優劣といった事柄を含む。こうしたものは、人によって変わりうるからだ。変わりうる物事は、無条件に同意しにくい。 事実とは、すなわち検証可能な叙述である。むしろ、検証可能な形で述べたものが事実だと言っても良い。検証は、客観的なもので、第三者に頼みうる。 そして数値に基づく事実が、もちろん、もっとも強い。「うちのお父さんは背が高い」は、事実かもしれないが、背が高いとはどこからを言うかで、多少、議論の余地がある。だが「うちのお父さんは背丈が182cmある」となると、議論の余地はない。 議論の余地が大きいほど、言い合いの種になりやすい。だから、交渉は数値的な事実に基づく事実認識から出発する、が定石なのである。上の会話で、「仕様追加は10週間の納期インパクトが有る」と相手が言っているのは、そのためだ。10週は、検証可能である。 そして、その点に入る前に、相手が「納期を短くするのが共通の利益だ」と言った点に注目してほしい。共通目的の再確認から、入る。ここは合意しやすい。次に、事実認識から出発する。ここで数値的な事実を述べる。そして両社が共通認識の土俵に立った上で、解決案を模索するのである。 交渉のネタとなる問題は、たいてい、性能・金銭・納期・信用など、さまざまな側面を持っている。1つのモノサシ(たとえば金銭)だけに着目し続けると、ゼロサムゲームに陥ってしまい、解決不能な水掛け論に陥る。だから解決可能な面から、先に考える。こう考えると、上の会話での相手方の進め方は(実際はもっと込み入っていたが、要点だけを簡略化した)、じつに交渉の定石をふまえたアプローチだったと感じる。 「ネゴシエーションとは、共同の問題解決である」という見方を初めて知ったのは、『ハーバード流交渉術』(https://amzn.to/3HIFekO) という本だった。ただ、もっと前から言われていたことなのかもしれない。交渉を、金銭を巡る単なる綱引きだと考えると、工夫の余地の少ない、力自慢の場になってしまう。それを、もっとプロフェッショナルな、知恵を駆使する議論の場にすることもできるのだ。 そして話は交渉に限らない。協力して問題解決に当たる場合、大事な出発点は、客観的な事実認識の共有なのである。 <関連エントリ> →「おじさん的議論に負けないために」 (https://brevis.exblog.jp/30189360/) (2022-12-05) →「なぜ事実と意見を区別して話すべきなのか」(https://brevis.exblog.jp/21221308/) (2013-10-20)
by Tomoichi_Sato
| 2022-12-14 17:45
| プロジェクト・マネジメント
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