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おじさん的議論に負けないために

「奈良旅行に行ってきましてね。お土産です、一ついかがですか。」

——ほほう、お煎餅ですか。じゃあ、いただきます。(ぱりっ)ふむ、歯ごたえがありますが、美味しいですな。・・うっ・・むむっ、こ、こりゃ辛い!

「ちょっと辛口なんです。」

——よく見ると、この裏側の赤い色、唐辛子の粉じゃないですか。こりゃ辛いはずだ。奈良の人って、こんな辛い物好きなんですか?

「(キッパリと)そうなんです。行ってみて分かったんですが、奈良の人たちは、あれは渡来人系ですな。だから辛いものにも強い。」

——それはまた初耳です。どうしてそう思われるんですか?

「奈良の町を歩いていますとね、女性が案外、美人が多い。それも鼻筋が通って、目鼻立ちがキリッとしている。あれは日本人の顔じゃない。渡来系です。」

——・・・。


わたし達は日々、議論を繰り返している。多くはさほど、大層な議論ではない。会話の中での、ちょっとした意見交換だ。相づちを打つ代わりに、軽く反論してみる。すると相手も言い返してきて、ちょっとの間、キャッチボールになる。だが特段、新たな気づきや結論もないまま、過ぎていってしまう。普段の対話でも、ネットでも、それを繰り返している。

ただ、仕事における議論は、それだけではまずい。会議をしたが結論も出ないまま散会、という訳にはいくまい。何かを共通認識し、何らかのアクションを決めるために、わたし達は議論をする。仕事の場での議論の多くは、問題解決を目的としているからだ。

とはいえ仕事の場で散見されるのが、冒頭にあげたような、ひどく雑な議論である。かりにこれを、「おじさん的議論」と呼ぶことにしよう。その特徴は、定性的かつ経験(実感)ベースなことである。さらに断定的で、一足飛びに判断を下す。しかも頑固で、意見を変えたり引っ込めたりするのは「負け」だと思っている。

「おじさん的」と書いたが、無論、中年男性だけがやっている訳ではない。若くても女性でも、この種の議論を得意とする人は少なくない。おそらく学歴や教育、理系文系にかかわらないのではないか。

おじさん的議論の対極にあるのは、「プロフェッショナルな議論」の態度だ。医師や弁護士なら、仕事では実証的で丁寧なロジックを積み上げる。技術者だって、自分の専門領域については、より論理的で慎重なはずだ。ただ、いったん専門分野を外れると、急におじさん的議論を始める人は、少なくない。

もちろん冒頭の問答くらい乱暴なロジックだと、さすがに同意してついていく人は少ない。でも、わたし達が目にするのは、もう少しだけ丁寧な、あるいは「巧言令色」的な物言いによる主張だろう。たとえば、こんなのはどうだろうか:


「世の中は不確実性の高い、VUCAの時代に入っています。こんな中、御社が取られるDX戦略には、二つのポイントが必要です。」

——ほお、と言うと?

「一つ目はアジリティ、すなわち俊敏性です。市場とユーザの変化に、敏感に追随できるシステムが必要でしょう。そのためには、アジャイル開発の手法の導入が必須です。」

——それは、今までのやり方と、何が違うんです?

「これは2週〜1ヶ月程度の短いサイクルで設計と開発を回し、ユーザからのフィードバックを得て改善し、機能追加をしていくやり方です。顧客のインボルブには、UXすなわちユーザ・エクスペリエンスが最重要なのです。それにアジャイル開発ならば、失敗してもすぐに軌道修正できます。イノベーションでは失敗を怖れぬフェイル・ファーストの態度が大事ですから。」

——なるほど。で、もう一つのポイントとは?

「製品アーキテクチャのモジュール化です。これがデジタル化によるイノベーションの鍵だと、我々は信じます。」

——モジュール化した設計、ですか。

「はい。これまで御社の製品は、顧客の要望に沿って、ゼロから『すり合わせ型』で設計されてきました。個別設計ですから、たしかに最適化はされているでしょう。しかしその分、設計も購買も納期が長くなります。

——たしかに。

「しかも数値制御など、いくつかの機能部分は、技術革新の速い分野です。ですが、一部機能だけを入れ替えるのは、設計的には至難の業だったはずです。しかしモジュール化したアーキテクチャなら、他の部分とのI/Fさえ互換性を担保すれば、入れ替えによる進化が圧倒的に速くなります。」

——理屈は確かにそうだが・・

「実例もあります。半導体製造装置の業界をご存じですか。かつてステッパーと呼ばれる露光装置は、日本のキヤノンとニコンの独壇場でした。しかしオランダのASMLという会社は、モジュール型のアーキテクチャをひっさげて登場し、市場をさらってしまったのです。レンズやステージなどのモジュールは専門企業に外注し、自社はプラットフォームとソフトウェアに特化する戦略で、オープンイノベーションの見事な成功例と言っていいでしょう。御社もぜひDXで、この戦略を見習うべきです。」

——なるほど。そうかもしれないな・・


どうだろう。こちらはなんとなく、説得力がありそうな気がする。少なくとも、「奈良=渡来人説」に比べ、専門用語に満ちていて実例もついているではないか。

だが、落ち着いて考えてみると、いろいろと腑に落ちない点が出てくる。顧客のインボルブ(巻き込み)にはUXが最重要、というが、それは消費者向けのB2Cビジネスならば、そして無償提供のアプリ等ならば正しいだろう。だがB2Bや企業内システムでは、機能や信頼性など、別のファクターがきいてくる。また複雑で深い業務プロセスや、多数のDBの連携など、アジャイル開発向きでない要件を持つシステムも存在する。

製品アーキテクチャの議論も同様だ。ステッパー市場に当てはまる事が、すべての市場に当てはまるのだろうか。また比較的構造が単純な製品では、モジュール部分に分けることが困難なものも多い(あなたの会社の製品がアルミ缶だったら、どうモジュール化するだろうか?)。

もちろん、わたしがここで論じたいのは、アジャイル開発やモジュール化設計全般の是非ではない。どちらも必要な場所に適切なタイミングで正しく適用すれば、優れた効果を上げることは分かっている。方法論とは、そういうものだ。

ここで注意を向けてほしい点は、結論に向かうスピードの速さ、議論での前提条件や論証のすっ飛ばし方である。「おじさん的議論」の特徴の一つは、定性的なくせに、結論にいやに自信があることだ。わたし達は不確実性の時代を生きている、で始まるのに、結論だけは不思議と断定的である。なぜなら、相手を説き伏せて、その方向に動かすことが、議論の目的になっているからだ。

さまざまな外来語や最新のキーワードがちりばめられているのも、この種の議論の特色だ。世の中のものごとに、キーワードをぺたぺたとラベルのように貼って、分類・思考したがる、一種のキーワード依存症である。さらに、相手が知らないことを自分が知っていると、「自分の方が頭がいい → だから自分の議論の方が優位だ」、という風につながっていくらしい。知識偏重教育の弊害だろうか。

その一方で、エビデンス=検証の少なさも、特徴の一つだ。製品アーキテクチャであれ何であれ、重要なテーマの甲乙を論じるなら、少なくとも双方3つぐらいずつ例証をあげるのが、客観的な態度というものだろう。だから実は、すごく主観的かつ定性的な議論の進め方になっている。

ちなみに上の対話は架空のものだが、わたしが2年前、当サイトで4回にわたって連載した、製造業のDXをめぐる対話劇を補足するものだ。あの対話劇では、その場に登場しない「専務」と「戦略系コンサルタント」が、当事者であるDXチームの悩みは全部すっ飛ばした形で、急に方向性を決めてくる。その専務とコンサルが、オフラインで交わしていた会話を、再現してみたものだ。

といっても内容的には、この数年来、勤務先のIT戦略立案を担当していたわたし自身に対し、来訪したコンサル企業や大手ITベンダーが、入れ替わり立ち替わり提案してきた事柄を、煎じ詰めて書いている。皆がみな、あきれるほど同じ話をするのだ。一種の世界宗教であるに違いない。

くりかえすが、議論というのは、共同で問題解決にあたるために、するものである。なので、良い結論が出るか、少なくとも、より明確な共通認識に立てれば、議論は成功と言える。最終結論を誰が出したかとか、反対者を折伏できたかとかは、関係のない話だ。議論はバトルではない。だから、そもそも議論を「勝ち負け」で考えること自体が、おじさん的なのである。

おじさん達にとって、議論は勝つためにあるらしい。そこで「理屈の通るフィールド」では知識で優位を示し、「理屈のないフィールド」では、自分の実感を、権威によって押し通してくる。

わたし達は、そんな相手と議論で「勝つ」ことを、目指すべきではない。単に「負けない」ようにすること。すなわち、より多くの客観的な事実やデータを用意しようと提案すること、最新知識やキーワードには敬意を示しつつも鵜呑みにはしないこと、実際の現場をよく見る(見せる)こと、などが肝要だ。

ちなみに、わたしがここに書いている主張自体、かなり定性的だし、統計的なエビデンスなどは示せていない(ビジネスにおける議論についての調査統計が沢山あるかどうかは、脇におくとして)。そしてわたしが年齢・性別的に「おじさん」であることは、ゆるぎない事実だ。だから読者諸賢がどう評価するかは、お任せするしかない。

とはいえ、別に読者に勝とうと思ってこれを書いている訳ではない。単に『議論の仕方』というものに、光を当てたかったのである。議論の仕方こそが、わたし達の思考や発想を導いていく。それがあまりに、個人や組織間の優位性競争に陥りがちな現状を、少しは打開してみたいのである。


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by Tomoichi_Sato | 2022-12-05 14:42 | 考えるヒント | Comments(2)
Commented by おじさん1 at 2022-12-05 18:42 x
例に上げているような乱暴な議論(議論をしようとしていないので「主張」という単語のほうがしっくりきますが)は日常生活でよく見かけるようにおもいます。
これもデータに基づいていないですが団塊の世代と話をしているとよく目にする気がします。
根拠が薄弱なのは言うまでもないですがその発言の目的は「断定的で切れ味の鋭い」自分の演出にあるのかなと思っていました。

ただ、一部の人たちにこういった傾向があることを「おじさん」という言葉を使って表現をするのは、あまりに容易にミスリードを起こし得るので控えたほうが良いのではないかと思いました。
Commented by 予備軍 at 2023-02-22 06:16 x
「おじさん」という言葉に限らずですが、ある特定のグループを指す言葉をつかってある特質を表現することに危うさを感じました。

「おじさんはだいたいそうなんですよ。主観的で議論に勝つことが目的になっていて、そもそも議論をする気なんて無いんですよ。」
どうでしょうか、この記事に挙げられている人が言いそうな言葉そのものではないでしょうか。

私自身はまだおじさんと呼ばれるような年代ではありませんが、表現として誤った形で広まりやすい「キャッチーさ」を感じたのでコメントしました。
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