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書評:「ロボ・サピエンス前史」(全2巻) 島田虎之介・著

(Amazon)

honto

今年読んだ、いや、近年読んだマンガの中で、もっともインパクトある読後感を与えてくれた傑作。そして異色作だ。

島田虎之介という漫画家は、この本ではじめて知った。1961年生まれというから、もう60代に入っている。デビューが2000年、39歳のときというのも、ずいぶん遅い。そして2008年に「トロイメライ」で、手塚治虫文化賞・新生賞。そして2019年に発表した本作で、文化庁メディア芸術祭マンガ部門の大賞を受賞する。まことに遅咲きというか、大器晩成型の作家である。

それにしても、この作品。どう紹介しようか。まことに説明の難しいマンガだ。
いや、別にストーリーが難解だとか、絵が複雑で読みにくい作品という訳ではない。タイトルから連想されるように、SFジャンルに属する。だが、なんだか単純なカテゴリー分けをしても説明にならないような、場合分けを拒絶するかのようなマンガなのだ。

島田虎之介という作家の描線は、あたかも製図用のロットリングで引いたような、強弱のないニュートラルな線である。そしてスクリーントーンも網掛けも全く使わず、白黒二値だけの画面を作る。コマ割りも垂直と水平のみの四角形だけで、必ず枠線がある。今日のマンガが得意とする、ダイナミックで凝ったコマ割りとは無縁だ。

そして構図もある意味、古典的だ。カメラの視線は遠近自在、俯瞰もあればクローズアップもあるが、大事なコマは安定感のある構図でできており、しかもこの作家は結構、シンメトリーを好む。

ふつうマンガでは、細い描線やシェーディングで、対象物の立体感や距離感を表す。しかし中太の均質な線と、白黒だけでグレーのない画面で、奥行きを表現するには、消失点のある遠近法を用いるしかない。この人の絵には比較的、直線が多く使われるが、ただし定規で引いた線ではなく、ハンドライティングの味をわざと残している。手書きの直線による、正確な遠近法。これだけでも絵描きとして相当な力量と分かる。

いわゆる「漫符」も、ほとんど全くない。漫符というのは、現代マンガで人物の気分やモノの動き、そして場面の状況などを表す、一種のシンボル記号である。顔の汗マークとか、頭からのぼる湯気とか、静寂を表す「シーン」という書き文字など。こうした記号は、普通の絵画では描かれないものだ。

漫符に頼らずに、人物の感情やモノの動きを表現するには、よほど注意深く、ある動的な瞬間を切り取る必要がある。島田虎之介というマンガ家は、そういう制約を課することで、本作を一種の心理的なファンタジーとして見せることに成功している。本サイトの書評で以前紹介した、川原由美子「ななめの音楽」も、漫符を一切使わない、非常にストイックな技法で、マンガのある種の到達点を示していたが、本作も別の意味で、ある種のマンガ表現の極点を見せてくれたと言っていい。

では、そのような描画が映し出すストーリーはどんなものか。出版社の宣伝文句を引用すると、

「ロボットの捜索を職とするサルベージ屋、誰の所有物でもない『自由ロボット』、半永久的な耐用年数を持つ『時間航行者』……。さまざまな視点で描かれるヒトとロボットの未来世界。時の流れの中で、いつしか彼らの運命は1つの大きな終着点に向かって動きだしていく」

となるのだが、うーん。たしかにその通りだけれど、この文章を書いたライターさんも悩んだろうな。

本作は全部で13のエピソードからなる。出てくるのは、人間とロボットたち。サルベージ屋とか、「時間航行者」ロボットの開発者とかは人間なのだが、ほとんどのエピソードは、ロボットの側の視点から描かれる。ロボットといっても、いかにもSF機械的な見かけのものばかりでなく、人間と区別のつかないアンドロイド風のものも多い。

人間とロボットの唯一最大の違いは、人間は老いることである。その事実を、このマンガは最初の方で繰り返し描く。時間の経過を描写する手腕は卓越している。本作は「時間」をテーマとした作品だと言ってもいい。

それを象徴するのが、半永久的な耐用年数を持つ『時間航行者』ロボットである。その一人、マリアと呼ばれるロボットは、原子力核燃料廃棄物最終処分場に入って監視を続けるミッションを与えられる。期間は20万年である。処分場の名前は「オンカロ」(これはフィンランドに実在する、地球上で今のところ唯一の最終処分場で、『洞窟』の意味)。マリアは処分場名にちなんで、「恩田カロ子」さんという新しい名前をもらい、施設に密閉される。

ちなみに人間はロボットと違い、原始的で、野蛮でもある。それも本作では繰り返し、暗示的に描かれる(とはいえ暴力的なシーンは一切無い)。もちろん原始的であることは、生命力にあふれる可能性の面も、持っている。しかし老いを怖れ、刹那的になる面もある。有限の時間の中を生きる人間は、その両面の中で、慎重にバランスを選ばなければならない。

これに比して、ロボットは理知的だ。そして少しは感情もあるらしい。感情は主体に、生きる意味を与えるものだ。だが、彼らは道具として作られたので、「ミッション」というものが与えられ、それに従わなければならない。彼らはミッションに、その感情を従属させることになる。

そして、SFとしてお定まりではあるが、野蛮な人間たちには、あまり明るい未来がやってこない。その宿命を予見した科学者が、『時間航行者』ロボットに与える秘密のミッションこそが、本作のストーリーの中心をなしている。老いない生命を持つ者に、本当に託すべきミッションとは何なのか。

ここでは人間は朽ちる身体を、ロボットは朽ちない心を、それぞれ象徴しているようにも見える。

人間であるわたしが、それなりの年数、生きてきて分かったことがある。それは、「心は老いない」という事実だ。いや、むしろ心は、幼いままなのだ。自分の中の気持ちは、いまだに10代半ばの頃とたいして変わらない。さほど成長もしていない。そりゃあ、知識や経験は増えた。また、年齢や地位や父母といった役割にふさわしい(はずの)ふるまい方も、身につけた。だが、肉体は成長し老いても、気持ちの中身は殆ど変わらぬままなのだ。

本作のロボットは、老いない。ボディの経年変化はするが、メンテナンスで入れ替え可能である。彼らは本質的に、老いない。なぜなら彼らの本質は、データ=記憶であるからだ。だからこそ、「身体は朽ちても、魂は永遠に生きる」というイメージに満ちたラストシーンが印象的なのである。

島田虎之介という作家は、2000年のデビューから今日に至るまで、出した単行本がわずか8冊。きわめて寡作である。ペンネームは江戸時代の剣豪の名から、とったのだろうか。途中で、琉球舞踊の「加那よー」を、(ロボットの)伊藤サチオが踊るシーンが、かなりていねいに描かれているのを見ると、沖縄と縁がある人なのかもしれない。しかし作風はアーシーというより、コスモポリタン的である。

そして何より、静謐な絵画空間の中に、ポエジーを感じさせる。言語的というよりも、視覚的な詩情である。そういうマンガ家は、そうそういる訳ではない。マンガというメディアの可能性に興味のあるすべての人に、本作を強くお勧めする。


by Tomoichi_Sato | 2022-11-22 12:41 | 書評 | Comments(1)
Commented by acsusk at 2024-05-01 00:07 x
この記事に惹かれ、上巻を拝読しました。

佐藤先生はこのような、世にあまり知られていないような漫画を、どういうルートで見つけるんですか?
(すみません、気になって参考にしたいだけです)
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