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わたし達には安心して議論できる場が必要だから(+オンライン・セッションのご案内)

わたし達には安心して議論できる場が必要だから(+オンライン・セッションのご案内)

  • AIに関する、ある対話(の不成立)

一昨年のことだが、ある方のご紹介で、東京・本郷にあるT大学(特に名は秘す)発のAI系ベンチャー企業数社の方々と、Webで面談した。先方から保有技術や事例の紹介を、まず受けた。当方がプラント系企業だからか、異常予兆やロボット系の事例が中心だった。異常予兆は自社内にも開発実績があるし、実はそれほど注目していなかった。こちらとしては、エンジ会社として設計問題の自動化(先月書いた開発プロジェクトの件)についてアイデアを求めたのだが、議論はすれ違いだった。

相手はみな、AI=深層学習こそ万能の道具と信じていて、実績データを分析すれば答えが見つかるからやらせてくれ、という。機械学習なんてパターン認識に過ぎないんだから、科学法則の支配する設計問題には向かない、と説明したが理解できない風だった。探索的な強化学習なら可能性があるので水を向けてみたが、それは制御問題のツールだろう、という理解しかなかった。本当は離散的組合せ問題への強化学習などの可能性を議論したかったのだが、まったくかみ合わない。

全員とも、「AI=機械学習」「プラントへの適用=故障予兆保全問題」「強化学習=制御向け」という、問題設定の枠組み(思い込み)が強くて、その外の観点から問題をとらえる気が無いらしかった。まあいかにも、試験問題を解いて優秀大学に入った人達らしいな、と思いつつ、Web会議を終えた。

  • 長い不況の根本原因 〜 考える力の低下

頭の良い人たちは、世の中にたくさん居る。頭の良さには色々な種類があるが、ともかくこの国には考える能力の高い人が大勢いる。それなのに、いつまでたっても経済は低迷状態から抜け出すことができずにいる。なぜなのか。自分たちを重用しないからだ、と頭の良い人達は言うかも知れないが、わたしの考えは少し違う。

前回の記事で、コンサルタントの故・今北純一氏と日本の長い不況について話した時のことを書いた。では、不況の根本原因は何だと佐藤さんは思われますか、とたずねられた。わたしの答えは、考える力が落ちている事です、とお答えしたと思う。考える力が落ちている、あるいは時代にそぐわなくなっている。それがわたしの認識だ。

頭が良いと言っても、世を見渡すと、多くは与えられた問題を解決する『問題解決型』の人ばかりで、自分から課題を設定する『課題設定型』の人が少ない。別の言い方をすると、解決へのアプローチには、問題事象に近寄ってクローズアップし細かく分析して解決する方法と、カメラを引いていって最初の枠組みよりも大きなフレームで考えるやり方の、二種類がある。どちらも必要なのだが、どうも前者を得意とする人ばかりが多いようだ(統計的エビデンスまでは示せないが)。

問題解決型の思考は分析や手順化が中心であるのに対し、課題設定型は構築的ないし発散的な思考が必要だ。だが、多くの人は、与えられた問題の枠組みの中で考えることは上手でも、枠組みを広げ、あるいは枠組みを疑って、もっと高い観点から問題を捉え直すことが下手だ。

高度成長期までは、問題の枠組みが決まっていた。戦後復興から、先進国に追いつけ追い越せで社会は動いていた。だから目前にある(せいぜい1〜3年の)課題解決を考えればよかった。

しかしバブル崩壊後は、新しい産業社会の姿を探さねばならなくなった。だが、各社各人は自分の生き残りに必死だった。そうなると直近・目の前の問題視か見なくなる。そのためには、内外に適切な「ベスト・プラクティス」を探して、真似れば良い。与えられた試験問題を解いて、正解を答えれば報奨される教育制度が、このような思考習慣を強化したのだろう。

  • 日本の教育制度の問題

日本の教育制度は、富国強兵時代にできあがった仕組みで、主に『競争と選別の論理』でできている。問題を与えて解かせ、ペーパーテストの成績で進路を決める。旧来の企業では、ながらく大卒と高卒でキャリアが隔絶していた。だから大学入試合格が教育の最終目的になった。

大学教授達の意識の中では、大学は主に学問研究の場であって、教育の場ではなかった。大学教育とは、大講義室での一方的な知識の伝達か、「学問する教授の背中を見せる」式の徒弟制度しかなかった。

しかも産学間で人材の行き来が乏しいため、学問研究と実務分野とが乖離していった。そのため企業は大学の教育機能を信頼せず、新卒採用してから社内教育を行ってきた。そのうち不況が続くと企業の体力も衰え、社内教育ができなくなって、「即戦力」を求めるようになった。

といっても企業側でも業務プロセスを業界内で標準化する、といった努力を怠ってきた(というか、そういう方向に頭を使わなかった)。このため、たとえ同一職種でも業界内で用語・手順がバラバラで、共通の育成カリキュラムなど組みようがない。「即戦力」がどういう意味で、社会でどう育てるべきかを、産業界は真剣に考えてこなかった。教育界に丸投げした形である。

その結果、就活生向けの、社会人としての基礎的トレーニングは、民間教育産業(=受験産業)の格好の草刈場になった。念のために書いておくが、「社会人基礎力」なる概念は、2006年に経済産業省がご親切にも提唱した言葉であり、「『前に踏み出す力』、『考え抜く力』、『チームで働く力』の3つの能力(12の能力要素)から構成」されているのだそうだ(https://www.meti.go.jp/policy/kisoryoku/参照のこと)。「なんだか自分は会社の中で評価されていないなあ」と感じている方は、ぜひこの「社会人基礎力」を学び直されると良い。ちゃんと検定試験制度まである。きっと社内で出世できること請け合いである・・んじゃないかと、思う。

  • 考え抜くためには、他者との議論が必要である

この経産省・産業人材政策室の「社会人基礎力」には、素晴らしいことに『考え抜く力』が含まれている。資料によると、その要素として以下の3つがあげられている。

  • 課題発見力:現状を分析し目的や課題を明らかにする力
  • 計画力:課題の解決に向けたプロセスを明らかにし準備する力
  • 創造力:新しい価値を生み出す力

最初に課題発見力がきて、それは現状から出発し、分析し目的や課題を明らかにする力だ、と書いてある。ものすごく問題解決型・分析型の思考方法であることがお分かりいただけるだろう。自分の意思を持って目的や目標を設定し、そこから行動を導き出す、といった課題設定型の思考習慣は、あまり求められていない。

(なお、以前このサイトで書いたように、わたしは「問題」と「課題」という言葉は、区別して使っている。しかし世間ではそうではないため、ここではそのまま引用した)

わたしにとって「考え抜く」とは、カメラを引いたり寄ったりしながら、ある一つの問題を3日でも1週間でも1ヶ月でも、考え続けることだ。ブレークスルーが見つかるまで、仕事をしているときもメシを食っているときも、歯を磨いているときも寝ているときでさえ、意識か無意識かを問わず考え続けることだ。

それをやるにはまず、体力がいる。睡眠不足が続いたら、できない。感情的な負荷が高すぎても、できない。何もせずにじっと考え続けている(=はたから見ると「何の仕事もせずぼおっとしている」)時間を取れる職場環境が必要だ。

そして何より、他者との対話を通じた思考の活性化が必須なのだ。答えは自分が見つけるかも知れないが、それでも他者の存在と、知的・感情的な両面での刺激やサポートが大事になる。

  • なぜ議論(対論)が必要か、なぜ難しいのか

囲碁に「岡目八目」という言葉がある。傍で見ている人間の方が、よりすぐれた手を思いつきやすい、との意味だが、至言だと思う。なぜなら、戦っている当事者はしばしば、これまでの自分の思考の経緯にしばられ、枠組みに しばられるからだ。

したがって、本当に思考を活性化したかったら、他人と議論することが必要なのだ。ただし、そのためには、互いに自由に考え発言できる、「心理的安全性」が必要だ。だが、これがむずかしい。

というのも、議論は優劣を競う競争の場になりやすいからだ。知識の多さ、口のうまさ、頭の良さの比べっこに陥りやすい。問題解決と創発が目的なのに、勝ち負けに目的がすり替わってしまうのである。さもなければ、居酒屋談義の無責任にもなりがちだ。

対等な立場での創発的な議論を、ここではあえて「対論」と呼ぶことにしよう。優劣に基づかない、優劣を決することが目的ではない議論=対論が、わたし達には必要なのだ。

そして、会社の中では議論(対論)が難しい。タテ社会においては、「対等な関係」で話し合うことが困難だからだ。どうしても職位が上の、あるいは発言力の強い方が、議論を仕切っていってしまう。だとしたら、わたしたちは、自社のサイロの外に、対論の場をもとめていかなければならない。

  • 対論の場を作る試み

わたしが5年ほど前から、(財)エンジニアリング協会で「次世代スマート工場のエンジニアリング研究会」を始めたのも、一つには、そのような場を作りたかったからだ。それが成功しているかどうかは、分からない。だがとりあえず、いろいろと議論して、少しは何かを生み出してきたことはたしかだ。

研究会を始めて3年目に、コロナ問題による都市封鎖の時代がやってきた。今それは終わりつつあるが、顔を合わせた自由闊達な議論を、オンラインによるやりとりに、置き換えるしかなかった。オンラインには良い点もいろいろとあるが、時間差による発言のタイミングの取りづらさ、相手の表情の分かりにくさなど、制約も多い。

とはいえ昨年10月と今年9月には、MES/MOM(製造実行システム)に関する大規模なオンラインシンポジウムも企画し、数百人もの方にご参加いただいた。ただ、今年はほぼ丸1日の時間を取ったが、やや盛りだくさんすぎて、肝心のQ&Aに十分な時間を取れなかったとの反省がある。

そこで当日も案内したことだが、フォローアップのためのオンライン・セッションを別に企画することにした。具体的には、以下の日時に開催する予定である。

11月10日(木)17:00-18:30 Zoom形式
(申込みはhttps://forms.office.com/r/X74w9i6C2uよりお願いします)

本当は、シンポジウムの講演者の皆様をお呼びできれば理想的だったが、それはなかなか難しい。そこで研究会の主要メンバー(何人もおられるが、ここでは野村総研の藤野直明氏・藤浪啓氏、平田機工の神田橋嗣充氏、エンジ協会の川村武也氏のお名前をあげさせていただこう)が中心になり、皆さんからのご質問やご意見に応対する、という形にする。

なお、当日に多数のご質問を受けると対応が難しいため、できれば上記申込フォームに、質問や意見を事前に書いていただく形にした。ただし、内容を当日ご紹介する際には、お名前やご所属は出さないようにする。なので、「こんな質問をすると自社の実情がライバル会社にわかってしまうのではないか」「ベンダーの売り込みが来るのではないか」などのご心配は無用だ。まあ、社外コミュニティのための心理的安全性の試み(笑)である。多くの方のご来聴をお待ちしている。

(注:ちなみに今回は、9月のMESシンポジウムに申込みをされた方を原則対象とするが、都合で申込みできなかった方は、個別にご相談ください)


<関連エントリ>
「意思を持つために――未来はわたし達の意思がつくる」 https://brevis.exblog.jp/30153969/ (2022-10-25)
「超入門・問題解決力 - 問題とは何か、課題とはどう違うか」 https://brevis.exblog.jp/12188859/ (2010-02-21)
「Auto Plot PATHFINDER ~ 多目的最適化エンジンを用いたプラント・レイアウトの自動設計 (1)」 https://brevis.exblog.jp/30133387/ (2022-09-26)


by Tomoichi_Sato | 2022-10-31 09:32 | 考えるヒント | Comments(0)
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