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工場はコストセンターか? そしてIT部門はコストセンターか?

先週の9月1日(木)に開催したオンライン・シンポジウム『工場スマート化のための製造実行システム”MES” ― 広がる導入と実例に学ぶ活用方法』には、おかげさまで大勢の方にご参加いただけた。まずは深くお礼を申し上げたい。昨年10月に続き、MESをテーマとする2回目のシンポジウムで、ほぼ一日という長丁場だったにもかかわらず、たくさんの来聴者があったことは、この主題に対する関心の高さを示すと思われる。

わたしは(財)エンジニアリング協会「次世代スマート工場のエンジニアリング研究会」の幹事という立場で、今年の企画に関わった。昨年はどちらかというと、MESベンダーさんによる最新の製品情報提供が中心だった。そこで今年はよりユーザ側に立ち、具体的な先進事例を中心に、活用のベストプラクティスを紹介したいと考え、プログラムを組んだつもりだ。

幸い、どの講演も非常に中身の濃いもので、ねらいはある程度達したと思う。でも、反省点もあった。全体に時間が短かったのである。本当は各講演に、もっとお話しいただきたいポイントがあったと思うのだが、十分伝わりきれなかったように感じる。

そこで、当日もアナウンスしたが、今回の参加者を対象に、オンライン形式の「MESに関するQ&Aセッション」を別途、企画しようと思っている。参加者の方々にはアンケートにご協力をいただき、その返礼という形で今回の講演資料をお送りしている(9/06より順次送付予定)。その資料を読み込んでいただいた上で、ディスカッションする機会を作りたい。

ちなみに当日はわたし自身も、経産省製造産業局の松高課長補佐のご講演に続いて、基調講演をさせていただいた。だが、時間の関係でスキップせざるをえなかった箇所があった。そこで、本サイトで補足しておこうと思う。それは下記のスライド「MES/MOMの提供価値」の、第1行目に書いている箇所だ。すなわち、

工場はコストセンター。品質と納期を守って、コストダウンを果たせ」

が日本の普通の経営感覚だろう、という点だ。だが、まさにこの意識が、今の製造業の問題を、ひどく難しくしているのである。
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  • 日本の工場は投資不足である

これは月刊誌「工場管理」で連載開始した記事「ゼロから始める新工場づくり」にも書いたことなのだが(記事はこちらからダウンロードできる)、とにかく日本の工場は投資不足である。

どこの工場に行っても、20年前、30年前の古い設備を、保守しながら使っている。その努力には頭が下がるが、現代では欧米どころか中国・東南アジアの工場でさえ、もっと最新鋭の機械を入れ、空調だってちゃんと入った建物の中で使っている。ましてIT面の投資不足については、言うに及ばず、である。

 投資不足
  → 老朽化・生産性低下
   → コスト競争力不足
    → 利益が得られない
     → ますます投資不足 →・・

という悪循環がそこでは起きている。そしてこのサイクルの根源にあるのは、「工場はコストセンター、コストだけで管理するべし」という経営の通念にある、と言いたかったのだ。


  • コストセンターという概念

「コストセンター」とは、元来は会計用語であり、かつ、中立な(価値判断を含まない)概念のはずであった。収入がなく、費用だけが集計される部門単位を、英語でCost centerと呼ぶ。「原価中心点」と訳されているが、皆カタカナでコストセンターとよんでいる。

コストセンターの対義語は、「レベニューセンター」で、収入のみが集計される部門だ。だが、こちらの用語は殆どの人が知らない。なぜなら多くの人は、コストセンターの反対は『プロフィットセンター』だと信じこんでいるからだ。

プロフィットセンターという概念は、じつはP・ドラッカー(日本では神格化されている経営学者)が提案した。プロフィットセンターは、収入も費用も集計される部門単位と、理解されている。まあ収入のみで費用が一切発生しない部門など現実世界では存在しないので、世の中の部門はプロフィットセンターかコストセンターのどちらか、ということになる。

ところが、この概念はドラッカーの意思を離れて、一人歩きをし始める。中立だったはずの会計概念が、経営論の世界では、いつのまにか、

プロフィットセンターはコストセンターよりも偉い

という話に変化していく。会社の中では、収益を生まぬコストセンターのマネジメント(部門長)は、発言力が弱い。結果として、コストセンターの所属では出世できない、などの傾向が生じてきた。


  • 「コストセンター=重荷論」の登場

こうした経営論の文脈では、コストセンターの評価尺度は、コストである。コストセンターとは、コストに管理責任を持つ部門である。コストだけが財務KPIとして集計されるのだから、コストが安ければ安いほど、ほめられる。

そして、コストセンターは価値を生み出さない、と考えられるようになった。あるいは「付加価値」を生み出さない、という言い方をされることもある(日本では価値と付加価値をちゃんと区別する人は、残念ながら少ない)。なので、コストセンターのプロフィットセンター化を、などと提言するコンサルタント諸子も、あちこちにいる。

いずれにせよ、企業にとって、価値を生み出さぬコストセンターは重荷である。だから軽ければ軽いほどよい。できれば切り離したい、という理屈が生まれる。これを「コストセンター=重荷論」とよぼう。

切り離すと行っても、日本では従業員の首を簡単に切れないから、まずは子会社化する。それによって給与水準を下げる。また、子会社から提供される物品・サービスには、何らかの価格(移転価格)をつけるが、それは原価+アルファ程度にとどめる(原価の数字は親会社にも見えている)。そのアルファが子会社の利益分になる訳だが、何せコストダウンが使命の会社なのだから、これは可能な限り薄くする。

このために、子会社は十分な内部留保を持てず、自分だけの判断では投資ができなくなる。現場の事情もろくに知らない親会社が、財務諸表のP/Lの数字だけをみて、投資判断することになる。これが、製造子会社となった多くの日本の工場で、起きていることなのだ。


  • 「コストセンター=重荷論」の犠牲者たち

こうしたコストセンター=重荷論は、日本の高度経済成長期には見られなかった。この議論がはびこるのは、長い不況に突入する90年代以降である。ついでにうとERP(とくにSAP)が、この「コストセンター=重荷論」を強めたという風に、筆者は見ている。だがこの話をし始めると長くなるので、別の機会に触れよう。

ともあれ、「お前たちはコストセンター」と名指しされ、重荷論のくびきを負わされた代表的部門が、以下の4つであった:
・生産部門(=工場)
・IT部門
・研究部門(R&D)
・物流部門

工場の投資不足のサイクルについてはすでに述べたので、例として、2番目のIT部門に対し、この重荷論がいかに作用したかを見てみよう。いいかえると、日本企業のIT投資不足はいかに生じたのか、いや、もっというと、なぜ日本のIT業界がダメになってきたのか、の経緯である。

昔はどこの企業内にも情報システム部門があり、かつ、それなりに内製化もしていた。開発も運用も自社でやっていたのだ。ところが、90年代頃から、「ITはコストセンターだから切り離せ」で、情報子会社化されるようになってきた。

それでも本社内には、情報企画的な仕事は残った。まあ、当然である。業務は変化していくし、その業務変革をすすめるためには、ITツールが必要だからだ。という訳で、いつのまにか本社内に、ITエンジニア風の視点を持つ人間が増えていった。だが増えると目立ってくるので、「いつのまに何で増えたんだ」「こいつらも子会社に移せ」とあいなった。

これを2〜3回繰り返すと、IT企画や要件定義の仕事など、こわくて誰も近づかなくなる。業務プロセスを情報とデータの観点から切り取って、改革を考える人間は、ユーザ企業からいなくなった。

情報子会社の方は、どうなったか。なにせ「コストセンター」だから、人件費切り下げが、会社の管理目標だ。優秀な人間が長く居続けるだろうか? 我こそは、との気概があり、腕に覚えのある人間は、ユーザ系企業から、IT専業に移っていく。

だがIT専業の業界は、大手ITゼネコンが仕切る、多重請負構造だった。一括請負というSIビジネスは、発注者のプロジェクト・マネジメントのレベルが高くなければ、受注側にリスクがしわ寄せされるだけで、決して儲からない。で、その発注側は誰か? 先ほど述べた情報子会社である。ここに高いPMのレベルを期待できるだろうか。

そこに、突然という感じで、欧米発のAIブームが来た。IoT・スマート工場ブームも来た。その後は、DXブームだ。

DXブームに火をつけたのは、欧米の大手ITベンダーと、外資系コンサルティング会社の面々である。カッコいいので、経済メディアも大いにかついだ。メディア産業は元々、ヒットとブームには抵抗できないのだ。

その結果が、今日である。誰もどこにも、新しいデジタル技術を業務の中核に取り込んだグランドデザインが存在しない。グランドデザインが不在だと、何をしたら良いのか分からないので、できそうなところからちょっとだけPoCと称して手をつけてみる。支払い能力の多少ある大企業は、外資系コンサルに「戦略プラン」を外注する。おかげで今やマッ○○ゼーもボス○○もアク○○○○も、バブル状態で人員急増、報告書の品質が心配される状況と相成った。情報化の現場自体は、置いてきぼりである。

本来ならば、社内および情報子会社にしかるべき人材を育て、あるべき業務の姿を作るために粛々とITシステムを構築し回していなければいけないはずなのに、IT投資に回るはずのお金は、高額なコンサルフィーとして消えていく。あるいは彼らのプランに従い、大枚はたいて入れたERPは、「世界標準のベストプラクティス」だそうだが、オペレーションの現実に合わないので、山のようなアドオンを追加して運用している始末である。業務プロセスとITの双方に精通した人間が居なければ、そうなるのも必定であろう。

これが、「コストセンター=重荷論」のもたらした帰結である。いったい、なぜこうなったのか? どこで間違ったのだろうか? この問題に答えるのは簡単ではないが、それでも次回、考察してみよう。

<関連エントリ>
 →「コストセンターとは何か」 (2013-03-11)

by Tomoichi_Sato | 2022-09-04 11:50 | ビジネス | Comments(1)
Commented at 2022-09-09 08:20 x
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