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製造業のデジタル・ディバイド現象を心配する

デジタル・ディバイド』という言葉は普通、個人や社会階層の比較に関連して使われる。総務省の情報通信白書によれば、「インターネットやパソコン等の情報通信技術を利用できる者と利用できない者との間に生じる格差」をいうのだそうだ。実際、インターネットの利用度は、高齢者および低所得世帯ほど低い、とのデータが示されている。また地域間や国の間にも、差がある。ちなみに日本語版Wikipediaは、デジタル・ディバイドを『情報格差』と訳して(リダイレクトして)いる。

ただしDivide(分断)という英語には、格差(difference)以上に強い響きがある。これは人間が2つのグループに分けられて、他のグループには簡単に移れない状態を示している。階級や人種のように、社会的に固定されてしまうのである。

ネットやPC・スマホを活用して、情報を瞬時に得られる者は、市場の取引などでも、うまく立ち回る。経済的に利益を得たら、さらに情報収集に投資する。拡大再生産である。逆に情報を得られぬ「情弱」の人間は、雇用でも不利な扱いを受ける。収入が乏しいので、ネットやPCも買えない、だからますます情弱になる、という悪循環が成立し、両者の格差が固定化される。これをデジタル・ディバイドと呼ぶ訳だ。たとえ格差が大きくても、違いを自助努力で乗りこえられるなら、ディバイドとは言わない。

さて。昨年、わたしが幹事を務める「次世代スマート工場のエンジニアリング研究会」では、経産省からの受託事業として、我が国製造業におけるMES(製造実行システム)の実態調査を、野村総研と共同で行った。MESに関するこの種の調査としては、おそらく日本で初めてのものである。調査報告書は、いささか大部だが、以下のURLから読むことができる。
(前半は野村総研の5G利用に関する調査であり、MESに関する報告はP. 66以降にある)

調査は、アンケートによる定量分析と、デプス・インタビュー形式による深掘り分析からなっている。アンケート調査では、300名を超える回答を得たのだが、製造業の回答者の約4割(企業数ベースで)が、MESを何らかの形で導入・利用していると答えた。これには個人的に大変、驚いた。実は、もっとずっと少ないと思っていたのだ。ちなみに今回調査は、昨年10月に行ったMESに関するオンライン・シンポジウムの参加者を対象としており、日本のすべての製造業の平均値を表すとは言えない。だが、思ったよりもMES導入への関心が進みつつあることを示している。

と同時に、アンケート調査からは心配な事実も見えてきた。残る約6割の企業はまだMESを導入していない訳だが、3~5年以内に導入する具体的計画もなく、とくに導入を推進すべき組織も存在しない、という状況が半数以上であることが、分かったのだ。

ここでちょっと、MESについて簡単に解説しておこう。このサイトでも何回か書いているが、MES = Manufacturing Execution Systemとは、製造現場におけるオペレーション・マネジメントをデジタル化するシステムである。もっとわかりやすく言うと、工場の中で、複数工程を横断して使う仕組みである。特定の設備や工程だけの、自動化や制御のシステムはMESとは呼ばない。

MESという用語は'90年代はじめ頃から使われている(その前は、CIM = Computer Integrated Manufacturingといった、もう少し大雑把な用語の中にくくられていた)。ただ、その後、国際規格ISA-95の制定の中で、あらためてMOM = Manufacturing Operation Managementという、より抽象化した概念が提案された。だから今日では、MESとMOMという2つの用語が併用されている。MESよりもMOMの方が広義の概念だ、との主張もあるが、呼び名は業界ごとの慣習もあるため、上記報告書ではMES/MOMと併記した。

繰り返すが、MESは工場レベルで使うシステムであり、工場の中で行われる、製造、検査、物流、保全などのオペレーションを統括・支援する。それって生産管理システムとかERPと何が違うの? と思われるかもしれないが、ERPは販売・受注や製品物流・請求、そして財務・人事まで、企業全体レベルの基幹業務を回すシステムだ。生産管理システムも、多くは複数工場を対象にしている。そのかわり、個別の機械装置や作業単位までは、通常見ていない。MESの方が、もっと粒度が細かい。

MESはERP/生産管理システムなど上位のIT系から指示を受取り、その実績を報告する。またMESは、製造現場にあるPC端末やPLCなど制御系(今日的な呼び方ではOTの領域)ともインタフェースをとって、必要なデータをモニタリングする。この部分は従来、製造スタッフによる紙の記録やExcelなどを経た、手作業で行われてきた。MESはそこをデジタル化し、製造指示や履歴データを蓄積してくれる。このため、いわゆる「スマート工場」には必須の道具立てである。

さて、話を調査の方に戻す。MESを導入し積極的に活用している企業が、それなりの比率で存在するのに対し、他方で導入をリードする組織もなく、導入計画の目処も立たない企業が、多く存在している。これはどういうことか。

一般の商品には、普及のサイクルがあって、初期には冒険心に満ちた「イノベーター」や「アーリー・アダプター」が使い始めるが、普及率が20%台に入ると、加速度的に広がると言われている。事実、携帯電話もスマホも、そういう道を辿った。だが、MESシステムはすでに普及期に入りつつあると思われるのに、マジョリティにはまだ、全く動きが見えてこない。

これは製造業における、一種のデジタル・ディバイド現象を示しているのではないか。それが調査結果を見て、気づいたことだった。

なあに、日本企業の腰が重いのはいつものことさ、MESも周りがみんな入れ始めたら、遅れまいと導入するようになるよ。ERPシステムの時を見れば明らかじゃないか。そういう意見もあるだろう。あるいは、MESシステムはまだ高価だ。だから導入率は企業規模に比例するはずだ。そんな推測も可能だろう。

だが、20社以上への詳細なヒアリングを進めるにつれて、どうやらそんな単純な話ではないことが見えてきた。導入の進め方は、必ずしも企業規模だけでは決まらない。類似する業種間で比較しても、かなり先進的な使い方をする中堅企業もいれば、まったく関心のなさそうな超大企業もいる。経済力だけでなく、デジタル化に対する企業のスタンス自体に格差があるようだ。

このことは、売り手側であるMESベンダーのヒアリングからも裏付けられた。国内・外資系の複数社から聞いた話では、「製造現場からスタートしたMES導入の商談は、途中で止まって、なかなか進まない。他方、本社主導で、全社レベルのものづくり改革の一環としてMES導入が決まったものは、すんなり前進する」との傾向があるらしい。つまり、工場側が製造マネジメントをデジタル化したい、と提案しても、本社レベルでの決済がおりない企業が多数ある、ということなのだ。

調査の回答を見ると、MES導入の予算承認を上げても、本社の決済が通りにくい理由は、その投資対効果(ROI = Return on investment)が説明しにくい点にあるらしい。「MESを入れたら、いくらコスト削減につながるんだ。いくら儲かるんだ?」という本社の質問に、うまく答えられないのである。

それはそうだろう。MESを入れたって、すぐに現場の人が減るとか、在庫が少なくなるとかいった効果は期待できない。そこが、工程レベルの自動化投資と異なる点なのである。自動機を入れました、それで人が減りました、原価が下がりました、は分かりやすい。他方、MESを導入したって、工場レベルでの製造マネジメントの明確度(クラリティ)は上がるが、すぐ何かが減るようには見えない。

たとえて言うならば、MESとは、船につけるGPSのようなものである。GPSは現在の位置や速度を正確に教えてくれる。従来の工場の生産活動は、アナログ系で構内いっぱいに拡散しているから、何がどこまで進んでいるかは、現場を走り回って班長に訪ねないと、「現在位置」がわからなかった。それを瞬時に、正確に教えてくれるのがMESなのである。だが、そのような情報の精度と速度に、どのような『価値』を見出すのか。

今どき、船にはGPSを必ずつける。GPSを装備していないような船には、乗りたくない、と思う。だがGPSをつけても船の燃費が上がるわけでも、運転操舵が上手になるわけでもない。じゃあ、GPSの価値とは何なのか・・?

結局この問題は、大げさに言うなら、企業の経営思想に関わる問題だと分かる。企業経営や工場運営が、より正確なデータによって向上すると考えるのか。そんなことより、現場のやる気で決まると考えるのか、の違いである。あるいは、情報化投資とは、効率化とコスト削減だけが目的なのか、それとも他にも価値がありうると考えるのか、の違いだろう。

投資対効果だけを言い続けるなら、船にGPSを買う決断はない。その代わり、目視航海できる優秀な人財がつねに確保できなくては、仕事は続かない。ことは、事業継続性の問題なのだ。たしかに、日本の製造業の人財は優秀だ。あるいは優秀だった。だが今や、どこの会社も人手不足で嘆いているではないか。デジタル化とは、属人化を避けるための最良の道具なのである。

かくて、世の中には、デジタル化に邁進する製造業と、投資対効果にこだわりながら事業継続も危うい製造業の二手に分かれていくようだ。同じ業界内でも、ディバイド現象が起きつつある。

また、社内にMES導入をリードする組織がないのも、重要な問題だ。多くの企業の情報システム部門は本社にあって、主に本社系のシステムの開発運用をしている。工場内のシステムは生産技術や製造部の所管だ、との認識が主流であろう。

ところで今、わたしはこの文章を出張先のドイツで書いている。そこでためしに、ドイツ人の技術者にたずねてみた。貴国ではふつう、情報システム部門と製造部門との切り分けはどうなっているのか?

答えは明瞭だった。「ITシステムは情シス部門が運用し、現場のOTシステムは製造部門が見る」と。だからドイツでは、MESは情シス部門の所管であり、当然ながら工場にもその組織(の一部)があるのである。まあ日本でも、医薬品業界などのように工場にMESがあるのが当たり前の業種では、たしかにそういう会社が多い。そして技術的に見ても、IT/OTで区分するのが合理的に思える。

だが大多数の企業では、工場にITシステムを開発し運用できる組織がない。ITの費用対効果が分からないからだ。あるいは、そもそも経営者がそうした生産現場の問題に、関心が薄いのかもしれない(要検証だが)。

日本の製造業は、デジタル・ディバイド現象で、全体として競争力が薄れていく。もともと日本の製造業は、一種のスケール・ディバイドの構造があった。ただしデジタル化の中を上手に動けば、中堅中小が逆に伸びる可能性もある。だが世界的には、いわゆるLeap frog現象で、日本が中進国に更に追い抜かれかねない。これが上記MES調査レポートをまとめる際に、気づいたことだった。

この文章は、最初「製造業のデジタル・ディバイドを乗りこえる」というタイトルで書き始めた。しかし、乗りこえるためには、経営層の理解が必須であることを、書きながら、あらためて考えざるを得なかった。そのための処方箋は、簡単ではない。

今週の前半、わたしはアムステルダムで、石油ガス業界のデジタル化に関するカンファレンスに出席した。そこでも問題は、デジタル化を阻害する最大の要因として、組織文化が挙げられていた。言いかえれば、価値観の問題である。欧米企業では経営者がトップダウンでDXを進めています、みたいな言説をよく聞くが、現実を見ると結構皆、苦労している。技術上の課題も大きいが、価値観の課題も大きいのだ。

本サイトの読者諸賢は、ほとんどが実務家であって、経営者ではあるまい。そして、データと情報の価値については、前向きな方が多いことと想像する。今のところわたしが言えるのは、こうしたROIを超える価値観を、経営層に繰り返し訴えかけることしかない。もちろんわたし達の国のことだから、「黒船が来たら」いきなり価値観が180度転じる可能性もあるだろう。だが、そんなものが来る前に、自分たちで変わることを期待したいのである。

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  (2021-09-17)

by Tomoichi_Sato | 2022-06-12 23:12 | サプライチェーン | Comments(0)
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