なぜか知らないけれど、リモートで在宅勤務が増えて以来、マンガを読む機会が少し増えた。わたしは書店が好きで、リアル書店に入ると支援のつもりで紙の本をつい、買ってしまうのだが、マンガだけは場所ふさぎなので電子書籍で買うことが多い。紙の本は電車の中で読む習慣だが、電子書籍は自宅でスキマ時間に読んだりするから、かもしれない。 今年の年末年始の連休は短い。ここではあえて、あまり世に広まっていないマンガを3冊(というか3セット)取り上げる。もしよかったら、手にとって読んで見てほしい。 「世界の4大聖人」(手塚治虫・編) 中央公論社版(Amazon) 「手塚治虫・編」とあるが、実際には手塚プロダクションの制作した伝記マンガ集である。実際の著者(作画)は、以下の4人だ。 キリスト:すずき清志 マホメット:原田千代子(現在の、はらだ蘭) 孔子:堀田あきお 釈迦:石原はるひこ 皆がみな、手塚プロ的な画風でもなく、個性的というか、まあバラバラである。だが、別にその点で価値が下がる訳ではない。 わたしが一番興味深く読んだのは、「マホメット」だった。イスラム教の創始者にして預言者マホメット(ムハンマド)の生涯については、わたし自身ほとんど知識がなかった。だから、西暦570年の「象の年」にメッカで片親の元に生まれ(マホメットの父は彼を見ることなく旅先で死んだ)、母親も6歳の時に亡くなってからは祖父の元で育てられた、といった生い立ちについても、はじめて知った訳だ。 また40歳の時、聖なる月(ラマダーン)にヒラー山にこもり瞑想中に、神の啓示を受ける。宗教家としての活動はそこから始まるのだが、中年以後になってようやく頭角を現し(当時の40歳はかなりの年齢だ)、世界史にあれだけ巨大な足跡を残した、というのもすごい。 ところで、マホメットの章を描くに当たって、作家の原田千代子はそうとうな苦労をしている。というのも、イスラムの偶像崇拝禁止の教義によって、そもそも預言者マホメットの顔を描くことが禁止されているからだ。したがってこのマンガでは、プロフィル(輪郭)や斜め後ろからの横顔、光線による逆光など、苦心惨憺して彼の姿を書いている。こんな苦労をした漫画家は彼女くらいだろう。 また、このマンガを読むまで、マホメット登場以前から、メッカにはカアバ神殿があった(アラブ人は多神教を信じていた)とか、ラマダーン月があったとか、イスラム教成立の背景についても学ぶところ大だった。マホメットは日本の聖徳太子と同時代人だが、太子の没した西暦622年に、有名なメディナへの逃避行=「ヒジュラ」(聖遷)を敢行する。彼のこの勇断が、結局イスラムの共同体を救い、最終的にはメッカの奪還につながって、中東一帯に新しい宗教が広がっていくのだ。 マホメットについで、自分にとって新鮮だったのは「孔子」である。まあ、孔子の生涯についても、あまりに知らなすぎたからだろう。あるいは、もっと正直にいうと、学生の頃読んだ諸星大二郎の『孔子暗黒伝』 の印象が強すぎたかもしれない。彼は教育者兼政治家であって、この4人の中では一番、宗教家くさいところが少ない。神霊について語らないからだ。 孔子は55歳に故国・魯の国を逃れ出て、仕官先を求め14年間、放浪する。しかし最終的には失意の内に帰郷し、さらに息子と最愛の弟子・顔回と子路も失って、理想とする聖人政治を実現できぬまま、没する。ある意味で社会との格闘の連続であった孔子に比べ、ほぼ同時代人である釈迦(ガウタマ・シッダールタ)は、29歳に妻と幼い子を捨てて出家して以来、一貫して世を離れて修行と布教に生きた。 (ちなみに、石原はるひこの描く釈迦の悟りの場面の方が、手塚治虫「ブッダ」 の同じシーンよりも、わたしには素直で良い出来のように思える) 最も時代の早い孔子(B.C. 551年生まれ)から、マホメット(A.D. 632没)まで、約1千年以上の開きがある(釈迦の出生年には諸説あるが、千年以上である点は変わらない)。しかし古代の偉大なる覚醒者たちには、いくつか共通する点がある。多くは片親で幼少期に苦労があること、一応結婚して子もいたこと(イエスは例外)、宗教改革者として既存秩序と軋轢があること、そして多くの弟子を育てたことなどだ。 もちろん一番の共通点は、苦難と偽りと不正の多い古代の世の中で、人びとの救いとなる理想と真理を生涯求め続けたことだろう。この人達の伝記を読んでいると、この2千5百年間、人類は文明の点ではたしかに進歩したが、文化と霊性の点でどこまで成長したのだろうと、思わずにはいられない。 「追伸」(森雅之) 新装版(Amazon) 漫画家の森雅之をはじめて知ったのは、80年代に発刊されていたマンガ情報誌「ぱふ」だったかと思う。北海道在住で、比較的寡作な森雅之の本は、たまにみかけるたびに買っていた。本書も横浜の古書店の店頭で、同じ出版社からでた旧版で手に入れた。 描かれたのは90年代で、まだ主人公たちは携帯電話も持っていない。東京と北海道に分かれ住んで、遠距離恋愛する彼らは、主に固定電話と手紙でやりとりするのだ。 森雅之の絵はいつも丁寧で、かつ、色付けがとても美しい。コマ割りやアングルにもケレン味がなく、ある意味、フランスやベルギーのBDのように、淡々としている。このスタイルが若い頃からほとんど変わっていない点も、驚きだ。 その分、彼のマンガではネームが大切になる。わたしは日本漫画家協会賞を受賞した「ペッパーミント物語」が好きなのだが、90年代前半に書かれたこの連作集では、途中から、微妙に作風が変化していく。40代の中年期にさしかかり、若い詩情だけで話を作っていくことに、少しずつ違和感を感じたのかもしれない。 本書はそのような時期に描かれた。遠距離恋愛という、危うい綱渡りのエピソードをつなげて、一応満足できる読後感に持っていく手腕は、すごく意識した作家性を感じる。この物語の主人公は版画家で、途中から就職するのだが、まさに彼は作家自身の、無意識の分身なのだろう。 東京に住み、大学を途中でやめて書店のアルバイトをするようになる、相手役の女性主人公(彼女はスッピンで、あえて色っぽくない女性として描かれる)も、しかしある意味で、作家のもう一つの分身なのだ。遠くに住んで、めったに出会えない女性性との出会いを描くこの短い物語は、おそらく、森雅之という作家における、内心の再統合のドラマだったのかもしれない。 「バリ島物語」(さそうあきら) 電子書籍版 バリ島には一度だけ、5年前に友人と一緒に数日間、行ったことがある。皆が言う通り、とても心地よい場所で、でも、とても不思議な場所だと思った。しかし、本書を読んで、バリ島というインドネシアの島の歴史と文化について、自分は何も知らなかったのだと、あらためて知らされた。 インドネシアはオランダの植民地であった。1600年頃からジャワ島の一部は東インド会社の支配下だったが、8つの王国に分かれていたバリ島の全域がオランダ支配下に入ったのは20世紀に入ってからだ。この物語は、1906年に、バドゥン王国がオランダの侵略で崩壊するまでを描く。 原作はヴィキイ・バウムの1935年の著作。冒頭、オランダ人医師の彼の元に、二人の客が訪れる。礼儀正しい接客のあと、医師はようやく一人の子供が高熱を発して生死の境をさまよっているのを知り、その家に急行する。なんとか子供の命を救い出したあと、旧友のバリ島人と出会い、今や遠い記憶となっているバドゥン王国の誇り高き「終末」のありさまを書き残すのが、年老いた彼の義務だと思い定める。この第1話を読んで、次の頁をめくりたいと思わぬ人はいないはずだ。 それにしても、バリ島人の忍耐強さと気高さは、わたし達の想像を超えている。我々極東の民族は、西洋人に比べて忍耐強く礼儀正しいのだと、日頃うぬぼれ自認してきたが、いやいや、バリ島人の足元にも及ぶまい。島の舞踊、音楽、美術などのレベルの高さは、その宗教性の深さと相まって、世界でも第一級のものだ。 そうした高い文化を生み出したバリ島の封建制社会と、武力と利権で版図を広げてきた西欧・オランダ人(このマンガの中では、それでも比較的フェアに描き出されている)との対立。これこそまさに、近世から20世紀前半にかけて、アジア一帯が体験してきた歴史的悲劇である。 (Amazon) 21年度の個人的ベスト3 最後に、マンガだけでなく、活字本で今年読んだ中から、3冊選びたい。なお、「今年読んだ」であって、「今年出版された」ではないのでご留意を。わたしはめったに、新刊書を読まない。新しい情報の前に、味わうべき熟成された情報がたくさんあるからである。 「アポロンの眼」 G・K・チェスタトン著 J・L・ボルヘス編纂/序文 「哲学入門」 戸田山和久 「沈黙」 遠藤周作
by Tomoichi_Sato
| 2021-12-15 18:07
| 書評
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