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第5のリスク対応戦略を考える

皆さんはギリシャ神話に出てくるカサンドラの物語をご存じだろうか? カサンドラはトロイアの王子パリスの妹で、予言の能力を持っている。しかし彼女には、アポロンの呪いがかかっていて、誰も彼女の予言を信じない、という状況にある。

有名なトロイア戦争は、王子パリスが、スパルタ国王の王妃で絶世の美女ヘレネーを、故国トロイアに連れ帰ったことから始まる。カサンドラはこの事件が、トロイアの滅亡を招くと予言するが、残念ながら誰もそれを信じない。

カサンドラは、トロイの木馬を市民たちが受け入れたことに対しても、破滅を招くと警告する。しかしこの時も誰も信じず、結局トロイアは敗北する。そしてカッサンドラ自身も、ヘレネーの双子の姉クリュタイムネストラの手にかかって命を落とすのだ。

どんなに正確に未来を予見できても、人々がそれを信じて対応行動を取らなければ、何の価値もない。危険を予知しても、避けられなければ、もはや運命と言うしかない。ギリシャ神話は運命論の色調が強いが、カサンドラの話は、これをよく示している。

さて、以前もちょっと書いたことだが、リスクマネジメントの研修をする際に、私が必ず最初にする質問がある。それは、
「あなたは世の中に、運・不運があると思いますか?」
という問いである。

多くの人は、「あると思う」と答える。そこで私は言葉を継ぐ。「もし世の中に運・不運があるのなら、リスクマネジメントなんて、意味があると思いますか?」

運・不運があると答える人の比率は、3·11以後、とくに今回のパンデミック禍以来、かなり増えてきている。当然だろう。自分の意思だけでは左右できない、大きな世の中の出来事が、自分の仕事や生活に降りかかって影響を及ぼしてくる。そういう経験を私たちはしてきた。

それなのに、運・不運という、いわば人生観や世間知のレイヤーの概念と、近代的なはずのマネジメントや経営論の問題意識が、結びついていないのだ。そこでわたしは、運・不運という言葉を、「外乱」という、制御理論的な言葉に置き換えてみる。そうすると理科系的教育を受けてきた人は、少しだけ両者につながりを見つけられるようになる。

逆に言うと現代の経営学は、パフォーマンス的な成果が、環境条件の変化にいかに依存するか、との視点が弱いのかもしれない。ビジネスの成果は、リーダーや経営者の意識的な努力や能力によって、達成可能だ。そういう信念が、アメリカ流経営学の背後にある。なぜなら、自らの能力と努力によって、学問的競争に打ち勝ってきたと信じる人たちが、ビジネススクールで経営学者をやっているからだ。

「運・不運などない。どんなことも、自分の意思と能力で達成することができる」と考える人達にも、わたしは同じ質問を投げる。「もしもあらゆる事が『やる気』で達成可能なら、リスクマネジメントなんて、学ぶ意味はないですよね?」

プロジェクトにおけるリスクマネジメントとは、わたし達の行動能力が、環境変化や外乱によって毀損されないよう、対応をとることである。対応には、事前的な対策と、事後的な対応があり、この2つは車の両輪である。外乱と書いたが、実際にはリスクの源は、外部から降りかかることもあるし、プロジェクトチームの内部に発生するものもある。

そしてもし、わたし達が予言する能力を持ち、全てを予見できれば、リスクは存在しないことになる。もちろん中には、自分たちでは対応しきれないような、リスク事象もあり得るだろう。だが全てを予見するとは、自分側の行動の予見も含むはずである。自分が対応しきれない環境変化は、受け入れるしかない。それはある意味で確定した事実であり、リスクではない。リスクとは不確実な、すなわち予見し難い事象の可能性だからだ。、

リスクとは自分の行動能力が毀損される事象の可能性である。これがプロジェクトマネジメントにおけるリスク理解の原則だ。自分が目的に向かって主体的に進むための行動能力を毀損される。そのために目標を達成できなくなる。あるいは活動自体を、断念せざるをえなくなる。こうした可能性を最小化するために、プロジェクトのリスクマネジメントはあるのだ。

プロジェクトとは、自分が何らかの成果物を生み出したり、何らかの状態に到達するために、主体的に行動するものだ。現状のままで良いなら、変化したくないなら、プロジェクトはいらない。プロジェクトとは行動である。正確に言うなら、複数の人が協力して行う活動だから、互いに強調された行動の集合と言っても良い。

これに対して、守りのリスクマネジメントと言うべきものもある。それは、何らかの資産とか資金とか、人びとの健康とか、ITシステムとか、知的財産とか、あるいは環境といったものを、外乱から守るのが、守りのリスクマネジメントである。変化しないためのマネジメント、変化を嫌うための防備である。

この2つの指針や性格が異なるのは、当然のことだ。

なお、リスクを考える際には、リアルタイム性の概念が重要になる。なぜならリスクマネジメントは、ある種の適応行動だからだ。

リアルタイム性とは何か。これについては、以前このサイトでも説明したことがある。元は2000年刊行の「MES入門」第3章に書いた内容だが、リアルタイム性とは、対象系の時定数よりも、有意に速い反応(行動能力)のことである。

例をあげよう。住宅街の中を時速30キロで運転していたら、道の10mほど前方を、ベビーカーを押した若いお母さんが横切ろうとした。もちろんこの程度だったら、十分にリアルタイムによけることができる。だからこれは、リスクではない。

ところが、住宅街の中の夜道を60キロで飛ばしていたら、物陰から小学生の男の子が、ぱっと走り出てきた。これは避け切れない可能性が高い。リスクである。

両者の違いは何かと言うと、自分の車が、リアルタイムによけきれるかどうかだ。リスク源を検知してから、緊急避難行動をとって、間に合うかどうか。時速60キロだと、10m走るのに、0.5秒もかからない。これが前方の歩行者と、自分の車を含めた系の時定数だ。

系の時定数は、対象だけでなく、自分の側の速度や俊敏性、すなわち自分の行動能力に依存している。世の中には客観的なリスク事象と言うものはない。ある事象がリスクかどうかは、自分の側の反応速度ないし対応能力に依存しているのだ。

したがって、 自分の対応能力を上げることが、リスクマネジメントにおいて重要な要素になっていると分かる。

プロジェクト・リスクマネジメントに関する現在の標準書や教科書が述べているリスク対応戦略について、わたしが不満を感じのは、この点だ。回避・転嫁・軽減・受容の4種類が、戦略としてあげられているが、ここには自分の側の対応能力を上げる、という視点が欠けている。しいて言えば軽減戦略の中に含まれる訳だが、あまり明示的ではない。だから、対応策を考える際のガイダンスとして使いにくい。

「あのプロジェクトの最大のリスクは、プロマネが某さんだってことだよ」——こういう言い方が成り立つのは、対応能力の側に不安があるからだ。プロマネはもう決まってしまっているので、そこに不確実性は無い。確率100%だ。

では対応能力を上げるとは、具体的にどんなことなのか。そのためには問題発生時の対応行動のプロセスを考えてみればいい。具体的には5段階になるだろう。
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1 検知
 問題事象を検知する。場合によっては、事象それ自体ではなく、その前兆を検知する。なんだかポワンとするな、と感じて熱を測ってみる。うーむ、37度以上ある。これが検知である。検知のためには、何らかのモニタリング手法と、測定ポイントが確立していなければならない。

2 予測
 原因を特定し、事象の展開を予測する(場合によっては自分自身の行動予測も含まれる)。熱がちょっとあるから、風邪かもしれない。喉がひりひりして、鼻もつらい。お腹の調子も少しおかしい。まさかとは思うが、コロナ感染だろうか。いつもの風邪なら、布団をかぶって一晩寝れば、だいたい熱は収まるのだが。

3 決断
 取るべき選択肢を洗い出し、評価して、どれをとるか決定する(決断はプロマネの重要な仕事だが、組織内では権限範囲を決めてメンバーにも委譲しているはずである)。今日ははずせないミーティングがあるな。しかし熱があるからには、やはり職場には出られない。リモートで会議に参加しようか。いや、ここは医者に行って診てもらうことにして、発熱外来のある医療機関を探そう。

4 伝達
 選んだ決断を、チームメンバーに伝達する。プロジェクトは複数の人間が協力して進める活動だから、人にも動いてもらわなくてはならない。自分一人の病気とは言え、休むことは職場に伝える必要があるし、しばらく自分の仕事をカバーしてもらわなければならない。家族にも熱があるから、接触を控えるよう、伝えなければ。

5 行動
 伝達された決断に従い、組織内の各担当者が仕事上で実際の行動に移す。医者にいって検査と診察を受け、もらった薬をとりあえず飲んで半日寝たら、幸い夜には平熱に戻った。まだ鼻と喉がつらいが、明日は落ち着きそうだ。疲れが溜まっていたのかもしれない。休めと体が言ったのかな・・

検知→予測→決断→伝達→行動、をスムーズに動かすためには、良い組織づくりが必要である。検知した情報を上に伝える事と、決断・指示を各担当者に伝える事では、双方向のコミニケーション能力が大切になる。

一番クリティカルなのは、3番目の迅速な決断である。そのためには、各人の権限範囲がはっきりしている必要があるし、プロジェクトチーム自体が会社から任された責任範囲も明確になっていなければならない。もちろんプロマネその人の決断能力も問われる。だがしばしば、プロマネの権限範囲を狭めておいて、かつ、プロマネが相談できるスポンサーも不明確な組織があるのである。

とは言え、決断・伝達・行動は、リスク対応策と言うよりは、本来あるべき組織作りと言えないこともない。そこで対策として重要になるのは、検知能力と予測能力を向上することになる。

検知には、モニタリング手法と測定ポイントの確立がいる。そして予測のためには、過去のデータや経験値・教訓(L&L)へのアクセス、ならびに簡単なシュミレーターなどが必要になる。これらを合わせて、わたしは「監視」戦略と仮に名付けている。

たとえばプロジェクトで外部から購入する資機材について、予算設定時よりも高い見積がでてきたら、報告をすぐ発信するようにルール化する。あるいは、その原料相場自体が高騰してきている事を、ニュースアラートで知るよう設定する。こうしたことが監視戦略の対応策である。

市場価格それ自体は外部環境で、自分たちでコントロールすることはできない。それでも早めに検知できれば、打つ手を考えられる。

あるいは、外注した業者の品質問題や進捗遅れなども、なかなかコントロールしがたい。しかし定期的にミーティングをもってウォッチしておけば、早めに問題を検知できる。また過去のその業者の納期パターンも参考にできれば、もっと良い。こうしたモニタリングの仕組みも、リスク対応策の一つだ。

実際のリスクアセスメント・セッションをやってみると、こうした監視型の対策が、けっこう多く出てくる。従来の分類で言うと「軽減」になるが、軽減戦略はリスク事象の発生確率を抑えたり、影響度を下げるために冗長化・頑健化するイメージが強い。だが予見(=検知+予測)能力をあげる事も、俊敏な対応を可能にする点で、有用なリスク対応戦略なのである。

ギリシャ神話のカサンドラは完璧な予言能力を持ちながら、誰もそれを信じなかった(「伝達」が機能しなかった)ために、トロイアのリスク対応能力はまったく機能しなかった。カサンドラがアポロン神に呪いをかけられたのは、もともと彼女が、言い寄ってきたアポロンの心変わりを予見して拒絶したからだ。

予知するだけは危険は防げない。トロイアの対応能力を超えた悲運を見通したとき、彼女は覚悟を決めたはずだ。そこでわたしは、かつて人生の師と仰ぐR先生から聞いた言葉を思い出すのである。リスクマネジメントについて得々と語るわたしに、R先生はこう言われたのだ。

「君は覚悟を決めて、それを選ぶのか。覚悟してやらないものは、戦略ではない。たとえ裏目と出ても、その結果を自分で引き受ける。そういう覚悟ができる人のことを、真の大人というのだよ。」——一体わたしは、本当の意味で自分を大人と呼べるだろうか。予見と成熟について考えるわたしの耳の底に、いつもこの声がよみがえるのである。


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by Tomoichi_Sato | 2021-11-27 23:36 | リスク・マネジメント | Comments(1)
Commented at 2021-12-01 11:22 x
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