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再び、モノサシを疑え

モノサシを疑え」という記事を書いたのは、2004年春のことだった。4月なので、世の新入社員向けに訴える形にした。世の中が勝手に押し付けてくるモノサシ、つまり評価尺度を鵜呑みにして、それに自分を合わせようとしない方が良いよ、という趣旨だ。

わたしが自分の書いたすべての記事の中で、1本だけ選べ、といわれたら、この「モノサシを疑え」をとるだろう。アクセス数の面では、とくにヒットした訳でもない。比較的短い記事で、図表もない。だが、思考のアプローチ、価値観の持ち方、製造業を例に取ったシステムに内在するトレードオフ、そして文章のリズム感など、わたしのこだわる要素が、こもっている。

ちなみに当時わたしは、「革新的生産スケジューリング入門」というサイトをメインに運営していて、まだExciteのブログである「タイム・コンサルタントの日誌から」は始めていなかった。この記事をブログに転載したのは、2010年になってからのことである。当時のメインのサイトは、元々、2000年の4月に、同名の拙著『革新的生産スケジューリング入門』の正誤表を含む、一種のアフターサービス・ページとして出発した。スタティックなHTMLで、文章もタグも全部自分で書いていた。

何年か後に、ブログという便利な仕組みが登場したので、併用することにした。それがExciteの「タイム・コンサルタントの日誌から」である。でも結構長い間、旧サイトとを並行運用した。ブログは複数の記事を構造化し、順番をつけて読者に提示するには不便だからだ。旧サイトは2017年に、プロバイダーのサービス停止をきっかけに、WordPressを使った別サイトに移行した。しかし、どうもWordPressが肌に合わず、結局そちらは更新を止めて、アーカイブ的な位置づけになっている。

ともあれ、わたしのこのサイトは、かれこれ20年以上も続いている訳だ。週1回ペースを心がけようとしてきたが、実際には平均8〜9日おきに1本、書いている。書き続けるネタがよく尽きなかったとも思うが、何よりも、読んでくださる読者の皆様のおかげと感謝している。

これまでを振り返ってみて、「モノサシを疑え」を書いた頃は、ちょうど自分にとって転機となる時期だったと感じる。その前までは、自分はテクノロジーの進展と世の進歩を、世間並みに信じていたように思う。2000年に生産スケジューラAPSの本を書き、同時期に共著で製造実行システムMESの本も出した。その前はERPやSCMの本も、共著で書かせてもらった。情報処理技術者試験のプロマネの参考書も、出していた。

ビジネスという競争社会の中で、本も書いて名も売ったし、テクノロジーに明るい専門家として、時流に乗って先端を行けるものと、楽観的に信じていたようだ。そして新技術を適用すれば、多くの企業の問題も不況も解決できるはずだ、と。だがこの記事を書いた頃から、だんだんとわたしは、そうした楽観論に懐疑的になってきた。

問題はテクノロジーではなく、むしろ、わたし達の考え方、思考習慣の方にあるのではないか。世の中の多くの人を導く、Guiding Principle=指導原理が間違っている。それは、おかしな価値評価尺度と、競争原理とが組み合わさった形で、わたし達を方向付けようとしてくる。そこに気づかないと、問題を解決するどころか、問題を深めてしまう。そういう風に、次第に思うようになった。

一つ例を挙げよう。成長率である。「経済成長」という言葉を世間が使うとき、それはGDP(国内総生産)の成長率を意味している。この数字が上がるかどうかで、政治家も財界もメディアも一喜一憂する。

だが、GDPとは何か。これは一定期間内に、国内で新たに生み出したモノやサービスの付加価値の総計である。「国内で」だから、日本企業が海外で生み出した付加価値は含まれない。トヨタやソニーがいかに海外で活躍しようが、それはGDPには算定されない。

そして、GDPは「売上」の合計でもなければ「利益額」の合計でもない。貴方の会社が今年10億円の売上増加を達成しても、その結果2億円の経常利益を上乗せしても、それ自体は経済成長=GDP成長率にはカウントされない。GDPとは「付加価値」の合計だからである。

じゃあ、付加価値とは何か。

「付加価値の高い製品を、消費者に提供しなければ」とか、「高付加価値なサービスは、お客様を満足させられる」とかいう言い方を、よくきく。だが、残念ながら、このような言葉の使い方は、完全に間違っている。付加価値とは消費者に渡したり、顧客が感じたりできるものではない。少なくとも、経済学的な付加価値とは、そういう種類のものではない。

国内総生産GDPが付加価値の総計だ、という場合、その「付加価値」とは、売上から外部コストを差し引いた金額を指す(より厳密には「粗付加価値額」とよぶ)。あなたの会社が、外部から100円のモノを買ってきて、自社内で見事に加工して、1,000円の製品として売ることができれば、それは1,000 - 100 = 900円の付加価値を生んだのだ。社内の労務費・人件費とか、機械設備の減価償却とかは、計算に入れない。外に出て行く原材料コストだけを、問題にする。

また、もしも加工作業を、3Kでめんどくさいし、ウチは「高コスト体質」だからと、外注に出したらどうなるか。もし外注費が250円かかったら、あなたの会社の付加価値は、1,000 - 100 - 250 = 650円で、前よりも減ってしまうのだ(ただし、外注加工を受託する会社は、売上増250円の何割分か、付加価値を増やすだろうが)。

こうしてみると、「消費者は付加価値の高い製品を選ぶ」などというのは、間違いだと分かる。だって消費者にとって、そのメーカーの外部コストなど知りようもないし、選ぶ際に考慮もしないからだ。「高付加価値なサービスなのでお客様が満足する」も、同様に嘘だ。だって、サービスの元ネタを業者がいくらで買ったかなど、分からないではないか。あなたは帝国ホテルがどんな出費をしているか、知っているだろうか。それでも、東京のゴージャスな宿泊先を選ぶのには、関係ないではないか。

つまり、上記の「高付加価値な製品・サービス」という文言は、じつは「価値の高い」製品・サービスと表現すべきなのである。消費者が買う製品やサービスの価値は、買ってみれば分かる。そして、あなたの会社が、いかにゴージャスで価値の高い製品を増やそうと、それだけでは経済成長には結びつかない。ゴージャスな製品で売上は増えたが、もし原材料の外部コストも同額だけ増えたら、付加価値は変わらないのだから。

ちなみに、日本のGDP(名目)は、年間540兆円程度である。日本の勤労人口は6,000万人強だから、一人あたりの付加価値額は、約900万円ということになる。

そして企業は、この付加価値から、社員の人件費や減価償却費や税金などを支払うのだ。付加価値の内、何%を人件費にあてるかを、「労働分配率」とよぶ。日本の労働分配率は全産業平均で、65〜70%程度ということになっている。

労働分配率と成長率は、直接は関係がない。分配率は付加価値の内訳に関する数字で、成長率は付加価値全体の伸びを示す。船にたとえてみれば、積み荷の前後のバランスと、航行速度みたいに、独立したものだ。だから、「成長なくして分配なし」とか、「成長が先か分配が先か」といった議論は、あまり意味がないことが分かる。もちろん国民経済という全体システムの中では、いろいろな媒介項をへて関係し合っているから、まったく無意味とは言わないが、あまり筋のよい問題の立て方とは言えまい。

話を戻そう。30年近い不況の間、わたし達の社会は、経済成長率を主要な「モノサシ」として、政策や景気を論じてきた。モノサシの計算結果だけ、第2四半期はマイナス0.3%だったとかいう風に、天下り的に公表される。

そしてたいていの人が(政治家や経営者も含めて)、そのモノサシが具体的にはどういう意味かを疑わずに、受け入れてきた。その事は、上に書いた外注化の損得や、分配率の議論の混乱を見ればよく分かる。

数字で測られ、目標値を与えられたら、あとはその理由は問わずに、馬車馬みたいに働く。なぜ、そのモノサシなのか、なぜ、その目標なのか。そこは考えない。そういうメンタリティが、この社会ではよしとされるらしい。受験競争など、その典型だろう。「良い学歴」という謎のモノサシを、疑わずに受け入れる青少年だけが、入試のための勉強という意味不明な苦行を乗りこえて、栄冠を勝ち得ることになっている。

良い学歴を得た人は、社会に出て大企業だの官公庁だのの主要ポジションを得る。そしてまた、売上やら営業利益やら経済成長率などのモノサシを、疑わずに受け入れて、しゃにむに頑張るのである。そのモノサシは、たいていの場合、ずっと以前に設定されたまま、受け継がれているだけだ。誰がいつ設定したのか、現在の状況ではどのような意義があるのか、といった事は検討されずに棚上げになっている。

誤解しないで欲しいのだが、わたしはGDPや経済成長率といった指標をやめるべきだ、と主張しているのではない。その意味と意義を再検討しよう、と言っているだけだ。そして、もしそのモノサシだけでは偏りが生じる心配があるなら、もう少し別の指標も併用を検討したら良いと思う。

たとえば(分配に関連する議論を続けるなら)、多くの企業の経営ビジョンやら経営計画を見ても、「社員の給料をもっとずっと上げる」ことをうたったものは、ほとんどない。経済団体もそんな事は言わない。むしろ、いかに「人件費を抑制するか」に、頭をひねっている感じだ。

しかし、もし真に優秀な人材を集めたいなら、そしてすぐ転職退社されたくないのなら、高い給料を払うべきというのが、市場経済の原則ではないか。事実、すでに管理職の給与水準は、韓国やシンガポールなどに追い抜かれている。現地ではもう、本社より高いお金を払わないと、有能なマネージャーを雇えなくなった。

言うまでもないが、この日本という小さな島国には、人財しか資源がないのだ。だとしたら、人財に投じる投資=報酬を高くするにはどうしたら良いか、それでも競争力を維持するには、どんな戦略を講じるかを、必至に考えるべきだろう。言いたくはないけれど、インダストリー4.0を提唱したドイツは、そういう問題意識で考えていたよ。

わたしは「モノサシを疑え」の記事の中で、入社式で訓示する経営者を皮肉った。だが別に、会社がお金儲けをする事自体は、悪い訳ではない(当たり前だ)。ただし、お金儲けだけをずっと追求し続けると、副作用を組織の内外にもたらすことが多い。だからステークホルダー資本主義とか、インパクト加重会計といった考え方が表れてきたのだ。これは建前とか美辞麗句の話ではない。企業が生き残るためには、お金儲けというモノサシ以外にも、別のモノサシが必要なのである。

もう少しシステム工学的な言い方をするならば、たった一つの指標だけでシステムを運営するのは良くない。システムには、トレードオフが内在する。だから一つの指標だけを追いかけると、必ず歪みが生じてくる。

内部に人間系を含むシステムの場合、人びとはその指標に合わせて行動するようになり、さらに事実認識や思考方法も、次第にその指標に都合の良い風にバイアスがかかるようになっていく。正しい情報が伝わらなくなったシステムは、適応性や永続性を失う。

そうしたことを、昔の人はすでに良く知っていて、「人は神とお金という二人の主人に、同時に仕えることはできない」というような事を言ったのだろう。単純な、単線的な価値観でなく、複雑で多層的な世界との共存。それがおそらく、成熟ということなのだ。

成長だけを追い求めるのは、成長期の青少年のすることである。モノサシを疑う人は、おそらく成長から成熟へと、曲がり角を曲がろうとしているのだ。わたし達にとって成熟とは何かを、本サイトでは引き続き考えていきたい。


by Tomoichi_Sato | 2021-11-17 23:56 | 考えるヒント | Comments(1)
Commented by ともき at 2021-11-21 15:04 x
10年ほど前から佐藤さんのブログのファンです。時間管理術・世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書・“JIT生産”を卒業するための本・マネジメントのテクノロジーを考える、 すべて大変興味深いです。この「モノサシ」のお話も、大納得です。私は小さな企業でマネジャーをしておりますが、会社の状況に応じて運営上の力点を変えていくことは度々あり、そのたびに精神的にけっこうな負荷がかかります。そういったときに佐藤さんの記事を拝見すると、考えが整理できて、展望を持てるようになることが多いです。今後も楽しみにしております。
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