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書評:「哲学入門」 戸田山和久

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哲学入門」 (honto)

今年の前半で読んだ本の中で、一番面白かった1冊。何よりも、文体がいい。

「『哲学入門』って本を書いてて忙しいんだよ、といったら、妻は『あんたいつの間にそんな偉そうな本を書く身分になったのよ』と答えた。じつにその通り。確かに偉そうだ。どうせ偉そうなんだから、ついでに言ってしまう。本書は、哲学の中核にみなさんをいきなり誘い込むことを目論んでいる。わっ、言ってしまった」

これが冒頭の一文である。このスピード感で、新書版とはいえそれなりのボリュームを疾走していく。なかなか楽しい。

著者の言う哲学の中核の問題とは、「ありそでなさそで、やっぱりあるもの」だという。それは、「意味」「機能」「情報」「表象」「目的」「自由」「道徳」、そして「人生の意味」——などだ。これが、各章の表題になっている。

いずれも、わたし達が日常よく使う言葉で、その意味だって、よく分かっているつもりである。だが、じゃあ「意味」ってどういう意味なんだ、と問われると、立ち止まって、説明にぐっと詰まったりする。かといって、「意味」という言葉や概念をうち捨てて、それで日常生活や知的作業が成り立つかというと、たしかにそうもいかない。

著者はこれらの概念の意味を、しかも、神だとか世界精神だとかいった、高邁な天下り的概念を用いず、純粋に唯物論的に、かつ発生的(進化論的)に、そして生物学や脳科学などの最新科学の成果を援用しながら、解き明かそうという。その意気や良し、ではないか(元々、著者の戸田山和久氏は科学哲学の研究者である)。

そして本書には、いわゆる有名な西洋哲学史の有名人たち、プラトンもデカルトもヘーゲルもニーチェもウィトゲンシュタインも、ほぼ一切、出てこない(これも著者が序で宣言している)。代わりに、デネット、ミリカン、ドレツキといった、現代哲学の最前線で活躍している研究者たち(読むまで誰一人知らなかった)の仕事が紹介され、また精緻に批判されている。いいねえ。

もっとも、一箇所だけ、カントの名前が傍証風に出てくる。「有名な『純粋理性批判』は、感覚を入力するとニュートン力学を出力するシステム(主観)を想定して、(中略)どんな構造(アーキテクチャ)をしているはずかを考えた本だ。」(P.271)。つまり、機能から構造へさかのぼる逆問題をカントは解いたのだ、という。これは秀逸な指摘だ。この一文を読んだので、もうカントの本自体は読まなくても良いかな、って気分にさせてくれる(笑)。

ついでにいうと、末尾のあとがきで著者は、「哲学とは概念工学である」と規定する。これも出色の概念規定だと思う。分かりやすく、使い勝手の良い、世の役に立つような、新しい概念をデザインすること。これが哲学の役割、機能である。つまり(わたし流にリフレーズすると)、哲学とは概念を用いた世界のシステム・モデリングなのだ。

モデリングなので、そこには客観性・正確性の他に、美的なバランス感が必要になる。サイエンスとアートの両面が必要になる。ここも、面白い。

なお「概念工学」は、20世紀英米哲学の主流だった分析哲学の方法論である「概念分析」とは、少し違う。その点も第2章「機能」で、結構詳しく論じている。まあ、要求分析でAs-Isをいくら分析したって、To-Beの良いデザインは自動的には出てこない、って感じかな(少し違うかも知れんが・・)。

そもそも哲学は、言葉を用いた世界のモデリングなので、ある意味、言葉にこだわっているし、言葉にしばられてもいる。だから本書の第1章は、「意味」から始まるのだろう。意味を理解するとは何なのか。

しかも、意味を(神とかイデアなどの超越的エージェントを持ち出さずに)唯物論的に、説明しなければいけないのだ。「アンドロメダ星雲」という画面上の文字の並びと、230万光年離れた星雲との間に、何か物理的な相互作用がある訳でもない。それだと「言葉がモノを意味するのに230万年もかかってしまう」(P.15)。

そこで本書は、チューリング・テストと、「中国語の部屋」の検討から始まる。「中国語の部屋」は哲学者ジョン・サールが1980年に提案した思考実験である。

部屋の中に、英語しか分からぬ人がいる。彼は中国語は分からないが、漢字の形は識別できる。そして、部屋の中には英語で書かれた分厚く完璧なマニュアルがあって、「こういう漢字のインプットがあったら、こう漢字のアウトプットを出せ」との指示が並んでいる。さて、彼は中国語を理解していると、言えるのかどうか?

(この問題は、AI研究の自然言語処理でも有名だ。実際、最近Microsoftが巨額投資をして話題のGTP-3 など、まさに、適当な質問文をインプットすると、いかにも自然で良くできた一連の文章をアウトプットしてくれる。Microsoftはこれを、ローコード開発の推進のために使うという。ユーザが要件を言葉で入れると、Power Appsのソースコードを吐き出してくれる。じゃあ、GTP-3はユーザの自然言語やプログラミング言語を「理解」しているのか?)

著者はサールの議論を再検討して、言語の処理が、そのシステムの問題を解決し、生存を助ける場合に限って、意味理解と言える、と考える。「意味という概念が、目的といった概念と密接な関係を持つ」(P.64)と論じる訳だ。さらに認知科学の検証を経て、生物哲学者ルース・ミリカンの「目的論的意味論」(2007年)を紹介する。ここで、進化や機能の概念と結びついてくるのだ。だから、次の第2章は必然的に、じゃ「機能」って何だ、ということになっていく。

そして第3章は「情報」である。意味→機能→情報、ときたら、まるきりITエンジニアの世界だなあ。この章では、今や古典的な、シャノンの情報理論(1948年)の定義からはじまる。そして認識哲学者フレッド・ドレツキの、条件付き確率を用いた情報内容の定義:
「信号rが、対象sは状態Fであると伝える ⇐⇒ rという条件のもとでの『sがFである条件付き確率』が1である」
を紹介する。

(ちなみにわたしはここで、途中で失われた情報量=「エキヴォケーション」の概念を、はじめて知った。例によってエントロピーと同様、対数で定義する)

哲学という学問には原則として、実験による検証がない。以前、友人の心理学者・北村英哉氏にP&PA研究部会で講演してもらったとき、「心理学は哲学と違って、ちゃんと実験で検証する」という意味のことを強調しておられた。(「実験哲学」という流派もあるが、内容はアンケート哲学である)

ただ、そのかわり(?)哲学の検証では、奇想天外な設定による「思考実験」がたびたび、登場する。先ほどの「中国語の部屋」もその一つだし、デイヴィッドソン(1987)が提案した「スワンプマン」なんてのもそうだ。あやしげな沼のほとりを訪れたら、なんたる不思議か、落雷が沼のガスに作用して、その人の分子レベルのレプリカが生まれてしまった・・これがスワンプマンである。

スワンプマンには過去の歴史がない。経験もない。進化の経緯もない。ただ、物理的条件は本物と全く同じだ。じゃあ、スワンプマンは全く同じ心理状態にあるのか。同じ意味を共有できるのか。

ドレツキは、「解釈者」を情報の定義から除外することで、この問題を解決しようとする。そして因果的世界を「情報の流れ」として解釈してみせる。ただ、快適なテンポで進んできた本書は、第4章「表象」のあたりで、少しダレてくる。というか、どうも哲学の表象概念が、わたしの目からは、あまりに西洋的偏りに満ちていて、問題設定に疑問が残る、というべきかもしれぬ。

しかし、科学哲学者ダニエル・デネットが登場して、生物を「ダーウィン型」「スキナー型」「ポパー型」とカテゴリー分類してみせるあたりから、また面白くなる。ダーウィン型は遺伝子で適応度(生存する能力)が決まってしまう。スキナー型(スキナーは米国の行動科学者)は、試行錯誤と学習ができる。つまりAIでいう強化学習の能力があるのだ。

そしてポパー型(ポパーは反証可能性を科学進歩の根幹とした哲学者)は、頭の中で事前にシミュレーションをする能力を持つ。ここから目的手段推論を経て、「自由」は存在するのか、そして「道徳」とは、という問題に移っていく。

著者の後半の議論はいささか、デネットの進化論的な見方に頼りすぎている感じが無くはない(著者自身もそう思ったのか、一応批判もしているが)。だが唯物論・自然主義の立場から、なんとかして最後の「人生の意味」論まで、たどり着こうとする思考の射程距離の長さは、敬服に値しよう。また、巻末の読書案内も、とても充実している。

くりかえし書いていることだが、現代のITというのは西洋哲学の非嫡子である。そしてITエンジニアは、いや、エンジニア一般も、哲学を、多少自分流でも良いから、学ぶべきだと思っている。哲学は、真理に至る方法論を研究する学問で、モデリングの道具として言語を使う。だが、哲学から派生した諸概念は、わたしたちの社会制度と世界観を、非常に強く規定している。

わたし達が世界を理解したいとしたら、そして世界をより良くしたいと少しでも思うなら、道具としての哲学を知っておくべきなのである。


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by Tomoichi_Sato | 2021-08-14 20:36 | 書評 | Comments(0)
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