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書評(はかない連休のための、3つの短い物語):「二週間の休暇」「鉄の門」「リチャード三世」


今年のゴールデンウィークは、比較的短い。おまけに、パンデミックのために、外出や旅行も制限されている。なんとなく鬱屈した思いを抱えながら、家にいなければならない人も多いだろう。そんな連休のために、3つの短い物語を紹介したい。立派な理論や上手に飾られた業績の紹介ではなく、また長くて分厚い夢物語でもない、割とすぐに読み通せる、でも人生の洞察に満ちた3冊の本だ。


『二週間の休暇』 フジモトマサル著

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何もかも忘れてのんびりしたい。ーー仕事に疲れ、日々の退屈な繰り返しに飽きて、そう思った事のない人は少ないだろう。

この物語はごく何気ない、日常的なシーンから始まる。主人公はまだ20代の、若い女性だ。団地の部屋で目覚め、午後の街に買い物に行く。コロッケを買って、外で夕日を眺めながらそれを食べる。

近所の住民も、店家の主人も、街を行き交う姿も、皆、人間のように歩き話す鳥たちだ。でも、フジモトマサルの独特の、ちょっとほのぼのした絵柄から、それをちっとも不思議と感じさせない。

しかし主人公は、近所の住民とお茶を飲みながら話すうちに、自分が10年前のことも、いや1週間前のことも、覚えていないのに気がつく。自分は誰で、どこから来たのか。

ただ1つ、ふと思い出したのは、子供の頃、友達が教えてくれた「時計が4時44分を指したときに、白い壁に触れると、壁の中を通り抜けて4次元の世界に行っちゃうんだって」と言う言葉だった・・。

フジモトマサルと言う漫画家のことを、わたしは残念ながらこの本を読むまで知らなかった。とても優れた、良い作家だと思う。そして絵も、とてもうまい。素朴に見える描線だが、物事の陰影と、3次元的な奥行きをくっきり描いて、読み手の心を惹きつける。

そしてこの物語の不思議さ。ある種のファンタジーだが、おとぎ話と言うよりも、現代的で、かつ奇妙に身近だ。その点、ちょっと村上春樹を思わせる。事実、フジモトマサルは村上春樹の本の挿画も描いている。でも春樹よりも、もっと細やかな手触りに満ちていて、清々しい。

珠玉のような、という形容詞はこういう本のためにあるのだろう。振り返ってみると、この書評で「珠玉」と言う言葉を使ったのは、レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」(→書評)と、池澤夏樹「スティル・ライフ」(→書評)以来かもしれない。

買うなら講談社から出ている新装版がおすすめだ。装幀が、とても美しい。おまけに、巻末に「給水塔占い」がついている。作中で主人公が、古本屋から買ってきて、自分の性格を占う本だ。これがまたとても面白い。ちなみにわたし自身は、「砂漠鉄塔型」らしい(苦笑)。

作者フジモトマサルは2015年に、40代半ばで病没する。本当に惜しい作家をなくしたと思う。ただしオフィシャルサイト はまだ生きていて、ちょっと不思議な気がする。生と死、この世とあの世を行き来する、この物語の作者らしい味が、まだこの大地にはかすかに残って漂っている。


『鉄の門』 マーガレット・ミラー著

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それは、1940年代の米国ならどこにでもありそうな、幸福な家庭だった。父親は経験を積んだ信頼できる医師、その妻は美しく知的な主婦。息子と娘も成人しており、兄は雑誌の文芸記者。妹はその日曜日、軍人の婚約者がやってきて両親に挨拶し、週のうちに挙式をあげる予定になっていた。そして同居している、父親の未婚の妹。

ただし、妻ルシルは後妻だった。先妻ミドレッドは16年前に、隣接する公園の中で変死を遂げていた。状況から見て、物盗りだったが、犯人はわからず凶器も発見されていない。

その日曜日の朝、ルシルはなぜか、死んだ先妻ミドレッドの夢を見て目覚める。心を抑えて、彼女は大事な1日の暮らしをはじめる。16年間、決して心から打ち解けることのなかった、義理の子供たちと、義妹を前に。

だが彼らの平和な生活は、その日の夕方、風采の上がらない小男が小さな小包をルシルに届けた時から一変する。部屋で叫び声をあげた彼女は突然、失踪。警察が彼女を見つけたときには、錯乱状態に陥って、精神病院の鉄の門の向こうにとどめられ、何者かに怯え続ける状態になっていた・・

マーガレット・ミラーは心理的スリラーを得意とする推理作家だ。夫は同じく推理作家のロス・マクドナルドで、2人が高校で同級生だったらしい。

ロス・マクは最初は普通のハードボイルド探偵小説から始めて、中期以降、次第にアメリカの家庭を舞台にした心理的悲劇に焦点を当て、文学のテイストを増していく。マーガレット・ミラーは夫より作家としてのデビューが早く、最初から心理的な描写と繊細な文体で、文学性の高い作品を次々発表している。

比較的初期の作品である本書もそうだ。しかも終盤のたたみ込むようなサスペンス、結末の意外性など、非常に優れたミステリー作家であることがわかる。

わたしは古本屋で買った、昭和32年刊行の早川ミステリ(松本恵子訳)を読んだが、幸い現在は、新訳が出ている。ただしこの古い本には、江戸川乱歩のかなり丁寧な解説がついていて、面白い。もっと広く読まれて良い作家だと思う。


『リチャード三世』 W・シェイクスピア著(福田恒存訳)

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「やっと忍苦の冬も去り、このとおり天日もヨークの身方、あたり一面、夏の気に溢れている、一族の上に低く垂れ込めていた暗雲も、今は海の底ふかく追いやられてしまった。」

この劇は、こんな風に始まる。独白するのは、グロスター公リチャード。後のリチャード3世である。明るい口調で始まる彼のセリフは、途中で急に屈折を始め、

「ああ、俺と言う男は。(中略)歪んでいる、びっこだ、そばを通れば、犬も吠える。そうさ、そういう俺に、戦も終わり、笛や太鼓に踊る懦弱な御時世が、一体どんな楽しみを見つけてくれると言うのだ。」

とつぶやく。言い伝えによれば、リチャード3世はせむしでびっこだった。そこで彼は続ける。「そうと決まれば、道は一つ、思い切り悪党になってみせるぞ、(中略)2人の兄、王とクラレンスの仲を裂き、互いに憎み合うように仕向けようと言うわけだ。」かくて彼は、残忍な陰謀によって、兄や、その幼い王子たちを次々に葬り去り、イングランドの王座に手を伸ばしていく。

『リチャード三世』は、シェイクスピアの描いた2番目の戯曲である。まだごく初期の作品だ。1592年から93年にかけて、ロンドンはペストに襲われ、都市はロックダウン、あらゆる劇場が封鎖された。この劇はおそらくその間に書かれ、封鎖の開けた劇場で初演されたらしい。そして大当たりを取り、彼の出世作となった。

リチャード3世が即位したのは、1483年。つまりシェイクスピアの史劇が書かれたのは、そのわずか100年ちょっと後のことである。観客にとってはまだ、生々しい直近の歴史であったに違いない。比較的短い話なのに、かなり大勢の登場人物がある。観客がついていったのは、まだ語り継がれて間もない歴史だからだろう。そして重要な登場人物は、次々にリチャード3世の毒牙にかかって、殺されていく。

だが、とうとう国王の座を手にした彼は、次第に自分の味方や手下への猜疑心に、さいなまれていく。身内を裏切り続けた彼は、誰も信用できなくなっていくのだ。こうして頂点に向かって駆け上がり、恐ろしい速度で墜ちていく。対称形になったドラマの前半と後半の対比が、作者の腕の見せ所である。そして有名な最後のセリフ、

馬をくれ、代わりに王国をやるぞ。」
で事実上、彼のドラマは締めくくられる。

英国で最も上演回数の多いシェイクスピアの劇は、「ハムレット」でも「ロミオとジュリエット」でも「リア王」でもなく、この「リチャード3世」なのだそうだ。希代の悪役を主人公にした、この険呑な劇が、なぜイギリス人のお気に召すのかは、よく知らない。

だが確かにここには、権力というものを目の前にした人間の恐ろしさと、徳無き権勢のはかなさが、満ちあふれている。それが疫病と都市封鎖のため、忍苦にじっと頭を垂れていた人々の心を打ったのだ。彼らの中に次第に広がっていったのは、なにより徳と公正さへの想いなのだったから。



by Tomoichi_Sato | 2021-04-29 23:24 | 書評 | Comments(0)
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