人気ブログランキング | 話題のタグを見る

管理のシステム化は可能か?

「管理不行届」という言葉がある。時折、新聞などをにぎわす言葉だ。通常は人間を対象にした問題が生じた際に使われる(危険物などの保管で使われる場合も、ないではないが、かなりの問題を起こした場合に限られよう)。多くの場合、組織の構成員が、社会問題になるような不適切な行いをした際に、上長とか代表者などの「管理責任」を問うために使われる。管理のかわりに「監督不行届」という場合もある。

「不行届」という漢字を、「ふゆきとどき」と音訓まぜた読み方にして、しかも送り仮名をつけないスタイルから見て、かなり古い時代から使われている言葉らしい。実際のところ、江戸時代などでも、家中で不祥事があると、大名や重役が幕府から管理責任を問われ、蟄居閉門だのお家断絶などを命じられたようだ(ただし、管理責任を厳しく問いすぎると、問題発生を隠して偽装する、という別の問題行動が生じるのは、江戸時代も今も変わらない)。

ちなみに、国士舘大学の杉野隆氏の研究「『管理』という言葉」(情報システム学会, 2011 )によると、管理という言葉は元々、「管轄辨理が略されて成立した」という。「管轄」は、皆が知っている通りの意味だ。「辨理」という言葉は、「事務を処理する」(新漢語林)あるいは「弁別して処理する」(広辞苑)ことだという。「管理」の語は、清朝では17世紀末に成立し、日本には18世紀に到来したが、現在のような意味で広く使われるようになったのは、明治以降らしい。

本サイトでは、前々回の記事「管理とは何か、を明らかにする12の質問」 (2021-03-16)と、前回の「管理という仕事をスケールアウトするために」 (2021-03-28)で、それぞれ、「モノの管理」「人の管理」について、そのありようを考えてみた。その結果、両者はよく似た相似形のサブタスクからなる仕事であることが、見えてきた。

さて、「経営資源は人・モノ・金」と、よく言われる(ただし、こういう言い方が通用するのは日本だけらしく、わたしの知る限り、英文の文献では、あまりこの3要素の列挙は見かけない)。ともあれ、モノと人の管理については、考えてみた。お金の管理は、どうだろうか?

お金の管理は、モノの管理と比較的相似形だと考えられる。管理対象を認識し、その数量と状態、そして出入りを把握する。

ただし、お金がモノと違う点は、紙幣・貨幣を個別に追う必要がないことだ。10円玉10枚と、100円玉1枚は交換可能であり、合計した数値だけを「管理」すればよい。お金というのは預金・株式・債券を含めて、ある種の「権利」の表象だからである。

工場などでモノをきちんと管理する場合は、個品を追いかけるために、ロット番号やシリアルナンバーなどを把握する必要がでてくる。しかし、紙幣の番号をいちいち記録しながら出納している会社など、(金融機関の一部業務を除けば)見たことがない。そして紙幣や貨幣には、消費期限がない。修繕の必要も、ほぼない。それは国家が、必要に応じてやってくれる。とても世話なしである。

だから、お金の管理はモノの管理よりもずっと簡単である・・などというと、「それは違う!」と怒る人が大勢出てくると思う。お金の管理が簡単だなんて、とんでもないことだ。お前はお金で苦労したことがないのか?

いやいや、ここでいう「管理」には、「運用」の仕事は入っていないことに注意してほしい。「モノの管理」には、モノを調達したり加工したり消費したり、といった直接業務は含めないのだった。同じように、お金を貸し付けたり投資したり稼いだり消費したりする行為は、ここでいう「お金の管理」には含まない。

もちろん、お金には「利息」や「配当」、さらに市価上昇による「キャピタルゲイン」など、それ自体が時間と共にお金を生む仕組みがある点が、単なる物品の保管とは異なっている。でも物品だって、消費期限や劣化や陳腐化など、時間と共に数量が変化する場合があるから、本質的にひどく差がある訳ではない。

むしろ、お金について、気を遣わなければならないのは、法律で「管理」が要求される点である。課税のための会計が求められるのだ。そして、会計においては、数字の正確性と記録性、そして一貫性などが要求される。これがゆえに、お金の管理=すなわち経理という仕事に、専門職が発生するのだ。

冷蔵庫や工場倉庫の中が、いかに散らかっていても、そして数量が現実とあわなくても、誰も文句は言われないが、経理の数字が違っていたら、税務署に怒られる。だから「お金の管理は難しい、大変だ」と、多くの人が感じるのである。

かくして、モノ・人・お金の管理業務を、比較して見てきた。そして案外、共通性が高いことが分かった。管理においてやるべき事をまとめて、やや強引に抽象化すると、こんな要素になる:

(1) 対象のリスティング ・・・ 現在
(2) 位置・状態のモニタリング・・・現在(位置・属性)
(3) 動きのトラッキング・・・過去
(4) 当面のフォアキャスティング・・・直近の未来
(5) あるべき姿のデザイニング(個別対象)・・・要求・評価
(6) もっていきたい姿のプランニング(全体)・・・意思・目標

これをよくよく見ると、管理という業務の中は、2つのレベルに分かれそうだ。

一つ目は、(1)〜(3)に表される、管理対象の現在・過去の把握、である。さらに(4)の、確定した直近の予定・見込みも含む。つまり現在と過去と近未来に関して、正確な情報をつかむことだ。

いいかえると、管理という仕事の第一層は、ある意味、情報を処理する仕事=情報処理業務なのである。

だからこそ、「管理システム」という名前のITシステムが、世の中に生じることになる。対象業務は、生産管理だったり在庫管理だったり、あるいは労務管理・出納管理・文書管理などなど、「人・モノ・金」の範疇を含んで、いくらでも広がりうる。

こうした「管理システム」を構築する際は、とりあえず、情報をやりとりするための画面・帳票が規定される。また、業務手順(プロセス)も、一応規定される。さらに、ふつうは、なんらかの台帳も共有される。つまり、ある程度、業務の手続きに関するルールが形式化されるのである。

さらに、多くの場合は、「管理レポート」なる帳票の類いも出力できるようになっている。この管理レポートとは、まあ履歴のリスティングや多少の集計、そして統計分析などが主体である。統計することを「管理」と呼ぶに値するかどうかはさておき、しばしば、何らかのKPIが測られ、計算出力される訳だ。

もっとも、そのKPIに、標準値があり、正常値の範囲(すなわち問題の検知の基準)と、さらに目標値があるかどうかは、別問題だ。そこまでついていたら、たしかに「管理」の名前に似つかわしいと感じるかも知れぬ。昔、わたしの勤務先で、ある管理職の方が、社内開発した「ドキュメント管理システム」の内容を見て、

「これって、単なる『ドキュメント・ステータス・トラッキング・プログラム』に過ぎないではないか。これでドキュメントを管理できる訳ではない。正しい呼び名で呼ぶべきだ」

と主張していたのを思い出す。情報を正確に処理するだけでは、管理として何かが足りない。そう、その管理者は考えた訳だ。では、その足りないものは何なのか?

そこで、上のリストに戻ってみよう。管理の第二層は、(5)と(6)に表されるように、管理対象を望ましい方向に動かすこと、だと分かる。そして、ここには要求や意思・目標、などの要素が入ってくる。つまり人間に起因する要素だ。

では、誰の要求や意思なのか? 直近のことだけを考えるなら、その直接のトリガーは、上から(あるいはユーザや顧客から)課された、要求・指示であろう。管理担当者は、それを管理対象に翻訳して伝達する訳だ。「対象を動かす」と言ってもいい。

しかし、「あるべき姿」「持っていきたい姿」が、誰か外部からの直近の(納期付きの)要求ではなく、自発的な、より中長期的な将来像である場合こそ、より本来の意味で『管理者』の仕事にふさわしい、と言えるだろう。そういう風に、管理対象を構造化・組織化して、動かすのが、管理業務の第二層、より上層の仕事である。

対象を動かすといっても、対象が単なるモノの場合は、「保管」という言葉がふさわしい。また、対象が機械の場合は、運転とか操縦とか制御と呼ぶ。やはり、人間を動かす場合が、一番難しい。対象が人間の場合、あるいは人間を含む「仕組み」の場合は、結果に不確実性も伴う。

ここでいう不確実性とは、「情報の不正確性」とは違う。だから、管理業務の第二層は、情報システムだけでは片付かない。むしろ、伝え方・動かし方の問題になる。そして、動かし方を全体として見た場合の、有用性・効率性・再現性などが、評価尺度になる。だからこそ、管理者側の価値観と意思が問われるのである。

ところで、以前わたしはこのサイトで、「スマートさ」について、7つの基準を用いた定義を紹介したことがある。それはこんな内容であった。

スマートさ:「全体を考えて判断し、自律的にふるまう
1. 現在を正確に把握
2. 過去を記憶
3. 将来を予見
4. 意思と目標を実現すべく計画
5. 問題にすぐ気づき解決する
6. 無駄なことはしない
7. 経験から学び、学びの枠を柔軟に拡げる

このリストを、上の6項目と比較すると、(1)〜(4)がほぼ、1.〜3.に対応していることが分かる。(5)(6)はもう少し詳しく4.〜7.に展開されている。だが、どちらも2つの層からなっている。つまり、「管理」という仕事は、上層の部分まで含めれば、「スマートである」ための条件を満たすのだ。

ITによる管理システムは、もちろん管理の仕事のためには必要だ。だが、それだけでは、第1層をカバーしているに過ぎない。それはスマートであるための必要条件だが、十分条件ではない。賢くなりたかったら、自分の側に、主体的な意思と価値観が必要となるのである。


<関連エントリ>
  (2021-03-16)
  (2021-03-28)


by Tomoichi_Sato | 2021-04-05 23:56 | ビジネス | Comments(0)
<< 書評掲載のお知らせ お知らせ:工場設計に関するオン... >>