今でもよく覚えているが、浜松駅の新幹線のホームでのことだった。東京行きの列車に乗ろうと、ステップに足をかけた瞬間、突然わたしは、プロジェクトにおける「失敗のリスク確率」という概念に思い当たったのだった。新製品開発プロジェクトにおける仕事の難易度を、確率の概念で表せれば、貢献度は期待値の計算に帰着できる。このアイディアは、それまで2週間あまりの間、自分を悩ませてきた問題への、解決の突破口となった。 その問題とは、当時、巨額の賠償金判決が出て話題になっていた、『青色ダイオード』開発プロジェクトをめぐる貢献度の訴訟だった。発明者の貢献は、事業化した会社の得た利益額の半分以上ある、というのが一審の判決だった。だが、この問題は、「半分以上」といった定性的な判断ではなく、きちんとした定量的な計算が可能なのではないかと、わたしは考えた。 それは、プロジェクトを構成するアクティビティが、プロジェクト全体に対して、どれだけの貢献価値を持つのか、という問題だった。そして、浜松駅のホームでの着想と、その後の数日間の展開で、きちんと数式で解けることが明らかになった。そればかりか、このアイディアを中心テーマに、数年後には自分が博士論文(「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究」)を書くことになるほど、重要な思いつきだった。 でも、その思いつきは、わたしが机の前でウンウンうなっている時に、生み出したのではない。出張先の、ふとした瞬間に、とつぜん訪れたものだ。それと似たような経験は、何度もある。夕食後に皿を洗っているとき、会社への道すがら電柱をふと迂回したとき、あるいはスポーツクラブで風呂に入って汗を流した瞬間。大事な発見が、天からふったように、突然おりてきたのだ。 ただし。自分のことだからよく知っているが、アイディアが「天から」下りてくる前に、わたしは解きたい問題について、かなり長い時間、考え続けていたのである。考え続けて、疲れて、ぼんやりしながら別のことをしている時に、急に解決策を見いだすのだ。その前にずっと考えていなければ、アイデアは降ってこない。先に考え続けることは、投資のようなものだ。投資しなければ、リターンは来ない。ただ、ぼおっとして新幹線のホームに立ち続けたって、何も思いつくはずはないのだ。 わたし達は毎日、「考える」という行為を続けている。このサイトの読者は、知的労働に従事している方がほとんどだろうから、毎日、考えることが仕事の中心にあるはずだ。 もちろん、知識労働者でなくったって、誰もが毎日、何かを考えながら暮らしている。今夜の晩ご飯は何にしましょうかとか、進学先はどの学校にしようかとか、もっと楽して簡単に儲ける方法はないのか、とか、あの人にどうやって思いを伝えようか、とか。 ただ、その「考える」には、2種類のモードがあると思う。それは、「素早く考える」のと、「じっくり考える」との2つである。 素早く(速く)考える、とは、なるべく短時間に結論を出すような、考え方のモードである。比較的、時間に期限のあるようなタイプの問題や、納期に追われる種類の仕事などでは、必然的に、このモードが求められる。「ファースト型思考」と言ってもいい。 ファースト型の思考では、問題が、自分の知っている解決パターンのどれに合致するかを、瞬時に判断することが求められる。そのためには、ある程度たくさん、解決方法を覚えておいて、すぐに記憶から取り出せる能力が必要だ。その一番の典型は、入試問題である。 ファースト型の思考が得意な人は、「割り切り」も上手な傾向がある。たとえば、XはAなのかBなのかを問う判別型の問題とか、式の計算のような論理展開型の問題も、ある程度まで考えて、結論らしき点に到達したら、あとはすぱっと割り切ってしまう。いいかえると、比較的、シンプルで単純化された論理を好む。 これに対して、じっくり考えるモードは、探索型のアイデア創発や、デザイン型の問題、切り口の見えにくい複雑で悪構造な問題を解く際に、必要となる。こちらを「スロー型思考」とよぼうか。わたしが浜松の駅で抱えていたのは、スロー型でとりくむ種類の問題だった。スロー型は、文字通り、考える時間を必要とする。 (なお、本記事での、ファースト思考・スロー思考という呼び名は、D・カーネマン著「ファースト&スロー」にヒントを得たものだが、必ずしもカーネマンの言うシステム1・システム2に対応しているものではない。むしろ、仕事におけるファースト型思考は、それなりに論理的な手数を要するので、脳におけるシステム1と2の両方の領域にまたがった作業であろう) この2種類の思考モードは、誰もがいろいろな局面で求められる。どちらか片方だけですむ訳ではない。だから皆、「両利き」であることが求められる。ただ、人によって、得意・不得意はあるだろう。 わたし自身はスロー型思考の人間である。つまりまあ、じっくり考えるタイプで、それが好きだ。もちろん、ファースト型思考が得意な、即断即決タイプの人もいる。組織には、両者が必要なのだ。あえて分類すれば、ファースト思考は演繹や決断が上手であり、スロー思考は帰納(気づき)・発想が得意だと見ることもできる。 このうち、ファースト型の思考の方は、わたし達の住むような学歴社会では、誰もが試験勉強で鍛えられることになる。そして、記憶術や、暗算・推理や、決断などの技法については、それなりに参考書もたくさんある。 それに対して、スロー型の思考については、あまり学ぶ機会が多くない。しいて言えば、日本生まれのKJ法などは、ある種の情報整理と発見のための技法になっているが、アイディアを生み出す部分が、やや弱い。 わたしが知る中で、アイディアを生み出すスロー型思考のプロセスを、一番丁寧に解説しているのは、ジェームズ・W・ヤング著『アイデアの作り方』である。薄い本だが、帯カバーの文句にあるとおり、 「60分で読めるけれど、一生あなたを離さない本」 だと言える。著者のヤングは米国の広告業界で長く活躍した人で、アイデアを核とした広告の第一人者だった。ヤングは最初の方でこう書く: 「アイデアの作成はフォード社の製造と同じように一定の明確な過程である。(中略)その作成に当たって私たちのの心理は、習得したり制御したりできる操作技術によってはたらくものである。そして、なんであれ道具を効果的に使う場合と同じように、この技術を修練することが、これを有効に使いこなす秘訣である」(P.18) つまり、じっくり考えるモードによって、新しいアイディアを得るプロセスは、コントロール可能な技術であって、練習によって身につけられる、という。また、彼はこうも書く。 「どんな技術を習得する場合にも、学ぶべき大切なことはまず第一に原理であり、第二に方法である。これはアイデアを作り出す技術についても同じことである」(P.25) では、その具体的な方法とは何か。それは、5つのステップからなっている。 (1) 資料集め: 課題のための「特殊資料」(製品や顧客などについての資料)と、世のあらゆる興味深い事物に関する「一般的資料」を、広範に集める。 (2) 資料の消化・組合せの探求: 集めた資料に目を通しながら、様々な要素の組合せについて、探求する。新しいアイデアというのは、既存の要素の組合せから生じるからだ。これを、飽きるまで徹底的に行う。 (3) 孵化段階: 探求をいったん放棄し、問題を意識の外に移す。ちょうどシャーロック・ホームズが急に音楽会に行くように、想像力や感情を刺激するものに心を移す。 (4) アイデア誕生: その結果、思いもよらない時に、突然アイデアが訪れてくる。真夜中に目覚めたとき、ひげを剃っているとき、風呂に入っているとき、など。 (5) 具体化・展開: 生まれたアイデアを、現実の過酷な条件に適合させるために、忍耐強くたくさん手を加えて育てる。 上記が創造までの5ステップである。言うまでもないが、最初の2つの段階は、かなり時間を要する。しかし、ここを大急ぎで通り過ぎても、よい結果は生まれない。つまり、「じっくり考える時間」が必須なのである。 なお、上記のプロセスはごく単純化し、はしょって説明している。できれば同書の、いきいきとした実例を見て、もっと具体的にはどんなツールを使い、どんな風に頭の中を動かすのか学んでほしい。そうすることで、わたし達は自分の『思考体力』を、向上させることができる。 思考体力とは、考え続けるための、一種のスタミナである。じっくり考えるべき問題を、十分に取り組まずに途中で諦めて、手近な解決に取りすがる例を、わたし達はしばしば見かける。それはとても、もったいない。本当は、上記のような思考の技術を、高校や大学などで教えて、皆が身につけるべきなのだ。あるいはせめて、「スローに考える」モードの大切さを、世の中が広く認知すべきだと思う。 わたし達が、途中で諦めずに、十分じっくりと考えられるようになるためには、いくつか必要な条件がある。 ・自分には考える能力が(人並みかそれ以上に)ある、と信じること ・考えれば、必ず、道は開ける、と信じること ・考える時間を作り、あきらめずに、考え続ける習慣・態度を身につけること ・考えるという行為それ自体を、好きになること 教育という仕組みの本来の目的は、こうしたことを身につけることにあるのではないだろうか。 もちろん、ファースト型とスロー型には、適性があるから、自分の適性を知ることも大切だ。また、あなたがマネージャー職にある人なら、適性にあった仕事の配分をする工夫も、重要だ。 知的労働が中心となる職場では、ファーストとスローの使い分けも考えるべきだろう。たとえば、中心部分のアイデアはスロー思考で作り上げ、その展開と実現化はファースト思考で進める、といった具合である。職場では、リーダーは即断即決・割り切りタイプの人が、任せられることが多い。だが、全体を統括する立場にあるリーダーは、スロー思考も大切にしてほしい(自分が不得意な場合は誰かにやらせるのでも良い)。手足となって働くメンバーは、逆にファースト思考を訓練する、なども必要だろう。 「両利き」が理想だといっても、皆が多忙なわたし達の社会では、どうしてもファースト型思考の方が中心になりがちだ。そしてもちろん、ファースト思考の利点は多い。だが、ファースト型思考の最大の問題点は、「システム」をうまく扱えないことだ。 現実の、ある程度以上の規模のシステムは、複雑な要素間の依存関係や、多重のフィードバック・ループを持つ。たとえば、「工場という名のシステム」を考えてみれば分かる。ファースト思考は分解と割り切りが得意なので、システムを縦割りにして、各部分に目標やKPIを配って、あとは足し算で成果が出る、と信じがちだ。だが、単純な足し算だけで結果を予想できないのが、システムというものの特性である。 わたし達の社会が、ある程度以上の規模のシステムを作り上げる仕事になると、急にパフォーマンスが落ちる現象を、あちこちで見かける。最近の、コロナウィルス・ワクチン接種の仕組みをめぐるゴタゴタ騒ぎなどは、遺憾ながらその実例に思われる。 優秀なエリートの集まる中央省庁がリードしていながら、なぜ、そうなるのか。それは、ファースト型の思考に慣れた人たちが、時間に追われながら仕事をしているためかもしれない。だが、あいにく、大規模なシステムの基本設計段階を、大急ぎで走り抜けたら、たいていは後から面倒なツケが回ってくるのだ。少数でもいいから、組織にスロー型思考の人材を配員して、マクロな視点からじっくり考えることも必要である。諺にも言うではないか、「急がば回れ」と。 <関連エントリ> (2021-02-22) (2021-02-14)
by Tomoichi_Sato
| 2021-03-01 23:41
| 考えるヒント
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