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リスク回避か、リスク追求か、それが問題だ

人がお金に対して感じる価値は、金額それ自体に比例する訳ではないらしい。たとえば1万円しかない財産が2万円に増えるのと、1,000万円の財産が1,001万円に増えるのとでは、同じ1万円の増加ではあるが、前者のほうがありがたみが大きい。

つまり、金額の増加に対して感じる価値は、金額が大きくなるほど、少しずつ鈍くなっていく。グラフの横軸に金額を取り、縦軸に「感じる価値」をとったら、それは右上がりだが、上に凸のカーブになると思われる。

経済学では、この「感じる価値」のことを『効用』と呼び、金額が1単位増えるときの効用の増え方を「限界効用」と呼ぶ習わしだ(数学的に言えば微係数である)。つまり、限界効用は少しずつ小さくなっていく。これを「限界効用逓減の法則」という。現代の経済学では、この考え方に従って、人間の財貨に対する様々な行動を予測し説明する理論が構築されている。

そして、複数の選択肢があって、それぞれ実現される確率が推定できる場合には、全体の効用は、各々のケースの効用を、確率の重みで足したもの(=つまり効用の期待値)で測ることができる、と考える。これを『期待効用理論』と呼ぶ。経済行動の結果は不確実な場合も多いから(その典型は株式を買ったときだ)、期待効用を最大化するように、行動を決めるべきだ。経済学では、そう教えている。

効用のカーブが上に凸なので、同じ金銭的期待値を得られる場合でも、人は、確実な結果を得られる行動の方を、リスキーで不確実な「博打」的な行動よりも好むことになる。人間の「リスク回避的」な性質を、経済学ではこのように説明してきた。これは前回も書いたとおりだ。

芝居のハムレットは、「生か、死か、それが問題だ」と悩む。このまま、何事もなかったかのように生き続けることもできる。あるいは、亡き父王の雪辱を晴らす復讐に踏み込むか。その場合は結構な確率で、自分の命も危険にさらされるだろう。リスク回避か、リスク追求か、それが問題だ、と。そして多くの人は、リスク回避を選ぶのだ。

ところで、この期待効用理論に対しては、ときおり疑問が投げかけられてきた。その一つが、下のような問題だ:

「ここに、碁石の入った二つの壺がある。壺Aには、黒石と白石がちょうど50個ずつ入っている。壺Bにも碁石が100個入っているが、黒と白の比率はわからない。
 今、あなたはどちらかの壺を選んで、そこから1個碁石を取り出し、それが白石だったら1万円もらえる。あなたはAとBの、どちらの壺を選ぶだろうか?」

多くの人は、ここで壺Aを選ぶ。だが、それはなぜなのか? 数学的に見たら、どちらにも差はない。白石を選んで掛け金を得る期待値は、ともに5千円だ。もし差があるとしたら、壺Aは「確実に50%の確率」だが、壺Bは「確率50%と考えるしかない」という違いである。おかしなことに、人は、同じ確率50%に、確実か推測かという違いをつけたがるのだ。そして、確実な方を選ぶのである。

この問題を考えたのは、ダニエル・エルズバーグという経済学者なので、「エルズバーグのパラドックス」と呼ばれている(ただし上の例は、オリジナルより簡略化している)。ちなみにエルズバーグはランド研究所RAND Corporationという、米軍が設立したシンクタンクに働いていた。ランド研究所は、作戦研究(のちのOR研究)のメッカとして知られ、フォン・ノイマンやジョン・ナッシュなど、錚々たるメンバーが関わっている。

(ちなみにエルズバーグは後に、国防総省のベトナム戦争に関する秘密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を持ち出して、新聞に対しリークしたことで知られる。同名の映画にもなったが、つい先日、彼の協力者であった元記者が亡くなり、久しぶりにその名をメディアで見ることになった)

もう一つ、例をあげよう。後にノーベル賞を受賞するフランスの経済学者モーリス・アレは、1952年に次のような問題を提出する。

「A: 確実に100万円もらえる
 B: 10%の確率で250万円を、89%で100万円をもらえるが、1%は賞金ゼロ」

どちらを選びますか? 
たぶん、多くの読者はAを選ばれたに違いない。では、次の問題。

「C: 11%の確率で100万円もらえるが、89%は賞金ゼロ
 D: 10%の確率で250万円もらえるが、90%は賞金ゼロ」

どちらを選びますか? 
明らかに、Dの方が有利に見えるに違いない。事実、期待値を計算すると、C=11万円、D=25万円だから、Dをとるのが合理的だ。

だが、そうだとしたら、期待値はA=100万円、B=114万円なのだから、Bの方が有利ではないか。しかも、AとBの差は、CとDの差と同じ14万円なのである。なのに、なぜ多くの人はAを好んだのか?

これは、「アレのパラドックス」と呼ばれる。どちらも、期待効用理論とは異なる答えを、人々は選ぶ。わたし達はどうやら、確率の絡む問題については、なんだか数学の教えることとは違う方向を、選びたくなる傾向があるらしい。

これを単に、「理論の逸脱現象(Anomaly)だな」とか、「世の中には、合理的に考えられない連中もけっこう多いのさ」と片付けてしまっては、知識の進歩はなくなってしまう。こうした傾向の背景には、なんらかの一定したパターンと、それを生み出すメカニズムがあるはずだ、と思うほうが、知的であろう。

そういうアプローチの一つの成果が、行動経済学と呼ばれる分野の『プロスペクト理論』であった。これを確立したのは、実験心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーである。トヴェルスキーは50代の終わりに亡くなるが、カーネマンは後に心理学者としてはじめてノーベル経済学賞を受賞する。

プロスペクト理論が提案する、金銭に対する心理的な価値のカーブは、下の図のようになっている。図の右上の部分は、上に凸のカーブで、前回示した図とほぼ似ている。しかし、左下の部分は逆に、下に凸のカーブであり、しかも勾配が右側に比べて急になっている。左右非対称なのだ。
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図の中心は、「参照点」と呼ばれる。これは、別に金額ゼロを意味するわけではない。意思決定を行う人が、心の中に持っている、期待する現状=「参照」の点である。まあ、普通の場合は、現在持っている財産だろうが、あるいは、同僚が受け取る給料が参照点になる場合だって、大いにありうる。

そして、マイナス(損失)側のカーブの勾配が急である、ということは、損失の方が「強く感じられる」ことを意味している。これは心理的な傾向であって、おそらく脳に起因するメカニズムから生まれてくる。

カーネマンは、「コインを投げて、裏が出たら100ドル失うが、表が出たらXXドルもらえる」というギャンブルに乗るかどうか、という問いを多くの対象者相手に実験した。その結果、利得がほぼ200ドルになる点が、100ドルの損失と釣り合う、という事がわかった。損失は利得の2倍の心理的な感度がある、ということだ。これを「損失回避倍率」という。

損失回避倍率は、1.5〜2.5の範囲にあることが分かっている。よく、「部下を育てたかったら、1回叱って、3回ほめろ」と言われるが、この法則に確かに合致している。1回叱ったら、その心理的マイナスは、2回誉めても埋まらないことが多いのである。

かくて、人がリスク回避的な思考習慣や行動傾向を持つメカニズムは、かなり明確になった。同時に、単純な期待効用理論は適用範囲に限界があることも、明らかになったわけだ。

ただ、カーネマンはプロスペクト理論が万能だとは言っていない。その一つは、「フレーミング効果」と呼ばれる現象だ。カーネマンの著書「ファスト&スロー」から引用しよう(邦訳下巻 P.201)

「アメリカはいま、アジア病という伝染病の大流行に備えていると想像してください。この流行の死者数は、放置すれば600万人に達すると見込まれています。対策として二つのプログラムが提案されています。正確な科学的予測によれば、効果は次のとおりです。
・プログラムAを採用すると、200万人が助かる
・プログラムBを採用すると、1/3の確率で600万人が助かるが、2/3の確率で一人も助からない」

この問題では、圧倒的多数の人がAを選ぶ、という。ギャンブルより確実を選ぶのである。
ところが、この問題は、次のようにもフレーミング(枠組み設定)できる:

「・プログラムAを採用すると、400万人が死ぬ。
 ・プログラムBを採用すると、1/3の確率で一人も死なずにすむが、2/3の確率で600万人が死ぬ」

こう出題すると、大半の人間が、Bのギャンブルを選ぶのだ。すなわち、「選択の結果がどちらも好ましい場合には、ギャンブルより確実性を好む傾向がある。つまり、リスク回避的になる。しかし、どう転んでも結果が悪いときは、ギャンブルを容認する。つまりリスク追求的になる」という(同書 P.202)。

(ちなみに、上の引用文は、元は「400人」だったものを、「400万人」に変更した。しかし、その他は「アジア病」という言葉まで含めて、原訳文のとおりだ。なんだかカーネマンは、今の世界的大流行状況と対策決定の論争を、まるで予見していたかのようだ)

フレーミング効果とは、ある意味では、参照点をずらす効果だと考えてもよさそうだ。だとすると、わたし達が一括請負型プロジェクトのような、一種ギャンブル性のあるビジネスになぜ、引きつけられるかも見えてくる。

SI業界でみても、受託開発の多くは一定の利益を上げるが、稀に大きな損失を出すことがある。それは、わたし達のフレーミングがマイナス側にあるからなのだろう。すなわち、「この案件に応じなければ、確実に競争相手が仕事を得てしまう。応じれば、損もありうるが、儲かる可能性のほうがずっと高い」と信じているからだ。

逆に、わたし達が、たとえば顧客や上司に何かを説得し、二つの選択肢から一つを選んでもらう場合、どちらのフレーミングを使うか、上手に考えるべきだ、ということが分かる。それによって、リスク回避的になったり、リスク追求的になったりしがちなのだ。

たとえばあなたが、成功する確率は小さいが、当たれば大きい新規提案をもっているとする。あなたは上司に、リスク追求的になってほしい。そういうときには、「投資額はかかりますが、うまくすれば儲かります」などと言ってはいけない。そしたら上司は、「もっと確実に儲かる案をもってこい」というに違いない。

むしろ、
「・この案を実行すれば、一定の確率で市場のプレゼンスを維持できます。ただ失敗すれば☓☓を失う可能性もあります。
 ・しかし、この案を実行しなければ、我々は確実に市場で○○を失います。」
という風な、損失ベースのフレーミングを提起すべきなのだ。

わたし達は合理的にふるまいたいと思っている。ただ、ふつうは経済学の理論が前提するほどには、合理的ではないのだ。もちろん、全く非合理な存在でもない。わたし達の複雑な脳が命じる程度に、複雑系的な行動をする人間たちによって、組織も社会もできあがっているのである。


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  (2021-01-17)


by Tomoichi_Sato | 2021-01-25 07:15 | リスク・マネジメント | Comments(0)
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