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リスク回避的な行動傾向は、どういうメカニズムで生じるのか

今、ここに二つの壺がある。左のツボには、白い碁石だけが入っている。右の壺には、白黒に種類の碁石が同数だけ入っていて、よく混ざり合っている。

さて、あなたが左の壺に手を入れて石を一つ取り出し、それが白い碁石だったら、1万円もらえる。つまり、確実に1万円だ。あなたが右の壺に手を入れて一つ取り出し、それが白い碁石だったら、あなたは2万2千円もらえる。黒い碁石だったら、何ももらえない。いわば、半々の賭けである。

あなたは左の壺を選びますか、それとも右の壺を選びますか?

たぶん、多くの人は、左の壺を選ぶと思う。わたしも同意見だ。もちろん、決める際に、一瞬は頭を働かせるだろう。左の壺は1万円得られる。右の壺で得られる金額の期待値は、1万1千円になる。だから期待値で言えば、右のほうが少し高い。それでも(その日の気分にもよるだろうが)、たぶん左を選ぶ。

つまり、多くの人は「確実」を好むのである。少なくとも、ほぼ同等の結果が期待されるときには、賭けよりも確実を望ましいと感じる。だが、なぜそう感じるのか?

この問題に取り組んだ研究者は、けっこう古くからいる。18世紀、つまり今から300年近く前に、スイスのダニエル・ベルヌーイは、人間は金銭的な額そのものではなく、その金額に対する主観的な価値にもとづいて判断するのではないかと考えた。この主観的な価値は、現在の経済学では『効用』Utilityと呼ばれる。

横軸に金額を取り、縦軸に効用をとると、その関数形は直線的ではなく、おそらく上に凸のカーブになると思われる。つまり、主観的な価値は、増え方が次第に緩やかになっていく(経済学的な用語を使えば、限界効用は逓減していく)。そして、複数の状態がありえて、それぞれに確率が見積もれる場合は、確率で重み付けした効用が(つまり効用の期待値が)、判断基準になる。
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図を見てほしい。赤いカーブの線が、効用を表している。横軸1万円のところの高さが、左の壺を選んだときの効用である。右の壺を選ぶと、半々の確率で、ゼロと2.2万円の結果が得られる。その状態は、ゼロの効用値と、2.2万円の効用値のちょうど中間の点にくる。

ところで、効用は上に凸のカーブのため、横軸2.2万円のところの高さは、1万円の値の2.2倍よりも小さくなる。だから、右の壺を選ぶ「賭け」で期待できる効用は、1万円の確実な効用よりも小さくなってしまう。このために、多くの人は、リスクのある賭けを回避して、確実を選ぶのである。

ちなみにベルヌーイは、効用の関数形を、金額の対数だと考えた。たしかに対数関数は、ずっと上に凸だ。そして、これは、音量などの感覚信号の強さと、その主観的な影響をしらべたフェヒナーの法則にも合致する(ウェーバーとフェヒナーによる、この法則の発見は19世紀だが)。

対数ということは、つまり差ではなく、比で感じる、という意味だ。1万円が2万円に増えるときのありがたみの方が、2万円が3万円に増えるときのありがたみよりも強い。なぜなら、前者は2倍だが、後者は1.5倍に過ぎない。同じだけのありがたみは、2万円が4万円になったら、感じるだろう、と。

ちなみに、人間のリスク回避的な傾向を説明するためならば、別に対数関数でなくても、上に凸な関数ならば(つまり「限界効用逓減の法則」が成り立てば)、どんな形でもいい。だから今の経済学は、ベルヌーイの対数法則には依拠していない。

限界効用逓減の法則については、別の有名な問題を使っても、説明される。昔、どこかの大学の経済学部で出された試験問題だそうだが、

「街で売っているオレンジには、『普通』と『上等』の、二種類の商品種がある。ところで、オレンジの産地であるフロリダと、大消費地であるニューヨークを比べると、ニューヨークの方が、上等の品種の売れる比率が高い。これはなぜかを説明せよ」

この問題を見て、「都会であるニューヨークの人たちのほうが、所得レベルが高いから贅沢なんだろう」など単純に答えると、間違いになる(まあ、放っておくと、メディアやネットでは今でもこうした「解説」が流通しそうだが)。

実は、ここで価格と「効用」の関係を考えなければならない。オレンジは、産地フロリダからニューヨークまで運ぶと、当然ながら輸送費がかかる。その分、販売価格に反映しなければならない。ところでオレンジ1個あたりの輸送費は、普通だろうが上等だろうが同じ金額になる。かりに、元の産地フロリダでの価格が、「普通」は1個2ドル、「上等」が3ドルだったとしよう。ここに運賃が、たとえば1個あたり50セントかかる。するとNYでの価格は、普通が2.5ドル、上等が3.5ドルになる。

期待効用逓減の法則から考えると、NYでの価格差は、フロリダでの価格差よりも小さく感じられる。つまり、消費地での「上等」オレンジの方が、産地よりも、コストパフォーマンスが高く見えるのだ。だから、上等の売れる比率が大きくなる。こう、答えなければ、経済学での正解とは言えない。

なお、複数の状態があったときには、その効用の確率的な期待値で決まるという考え方(期待効用仮説)を打ち立てたのは、「ゲーム理論」の創始者である物理学者フォン・ノイマンと経済学者モルゲンシュテルンだった。現代経済学の「期待効用理論」は、この前提からできあがっている。

ところで、3百年前のベルヌーイは、上記の効用の考え方を用いて、損害保険というビジネスがなぜ成り立つのかも、考察した。彼の対象は、当時の大きな問題であった、輸送船の沈没に伴う保険だった。外航船が沈没すると、商人は積み荷と財産をすべて失う。シェイクスピア「ベニスの商人」にも出てくるリスクである。

損害保険というのは、基本的に、損失が出たら保証してくれる代わりに、保険代金を支払う。かりに船の10隻に1隻が沈没するとしよう。保険会社は、船荷の金額の10%以上を保険料としてもらわなければ、割に合わないはずである。海上保険会社が成立し、損害保険ビジネスが成立している訳だから、単純な期待値としては、支払う側が損をする。それなのに、なぜ保険にカネを払うのか?

理由は、損失のインパクトが、保険をかける側と引き受ける側で違うからである。たとえば1000万円分の損失は、資産総額1200万円しか持たない人と、資産10億円の人とでは、全然違う。当然ながら、前者のほうが、ずっと効用からみたインパクトが大きい。

ベルヌーイは、だから、小さな資産しか持たぬ商人がリスク回避のために保険をかけ、大きな資産をもつ商人が、その保険を引き受ける仕組みが成り立つのだ、と説明した。いいかえると、リスクを抱える普通の人たちから、お金が少しずつ富豪に集まる構図になる訳だ。

そして、余談だが、おなじ傾向が、COVID-19をめぐるワクチン問題に対しても、当てはまるのだろう。

わたしは以前から、なぜワクチンに皆があれほど期待を寄せるのか、疑問に思っていた。コロナウィルスというのは変異が多く、一つのワクチンを開発しても、効かない新種の出る可能性が常に残る。じっさい、おなじコロナウィルスであるインフルエンザにはいろいろな型があって、毎年流行が変わり、予防接種をしても効かないケースがけっこうあるではないか。

しかも、ワクチンの対象者は人口の全員だから、日本だけで1億2千万本からのワクチンを用意しなければならない。それくらいならば、COVID-19に感染して発症した患者を、有効に治療する治療法の開発に集中するほうがいい。感染者数は今日現在でも30万人に過ぎない。この人達が重症化しないような治療薬や治療法を開発するほうが、ずっと経済的ではないか。感染してもちゃんと治るのなら、安心して街を歩ける。

じっさい、インフルエンザに対しては、わたし達はそうしている。インフルエンザは、日本では診断書ベースで毎年3千人が亡くなっている深刻な病気だ(WHOの計算手法では1万人ということになっている)。それでも、わたし達がインフルエンザをあまり深刻に恐れていないのは、すでにタミフルを始めとする治療薬が発達しているからだ。

発熱して医者にかかっても、その場の検査でインフルかどうかはすぐ判別でき、薬をもらうと、多くはごく短期間で治まってしまう。インフルが怖いから電車に乗らない、職場にも行かない、という人は滅多にいない。そして、COVID-19の重症化を抑える効果のある医薬品も、すでに複数の候補があるのだ。

それなのに、なぜ、皆ワクチンの話ばかりするのか。それは一種の保険だから、なのかもしれない。米ファイザー社のワクチンは、有効度が95%だそうだ。つまり、ほぼ確実に近い印象である。

年末に、医療関係者と話したら、その人は「ワクチンは決して100%万全ではないし、副作用だってゼロではあるまい。それは分かっているけれども、患者に接する立場として、まず自分たちが接種を受けてみるしかないのだろう」と、非常にリアリスト的な見方をしていた。しかし、多くの人は、もっとふわっとした期待を込めているように思われる。

それは、わたし達の社会の多くの人にとって、『リスク最小化の原理』で行動することが身に染み付いているからなのだろう。不確実な状況下では、損失リスクを回避する方向を選ぶ人が多い、ということだ。

有効な治療法をはやく確立すること、そのために専門の治療体制を各地に作ることが急務であるし、結局はずっと経済的だと思う。感染症の専門医が、「今こそ治療法の開発に集中すべき大事な時期だから、感染症病棟を患者で溢れさせるようなことはしないでほしい」と、昨年TVで発言していたことも思い出す。

だが、いつもは社会的にコスト・コンシャスな経済学者も、あまりこういう趣旨で発言する人がいないように感じられるのは、なぜだろうか。まあ、カーネマンが「ファスト&スロー」で指摘したように、経済学者も結局は人の子、経済価値だけで判断するわけではない、ということかもしれない。

そして、期待効用理論に対しても、批判や反証がある。長くなってしまったので、これについては稿を改めて、別の機会に、また書こう。


<関連エントリ>
 →「安全と危険の境目をはかる」 (2011-04-21)


by Tomoichi_Sato | 2021-01-17 14:48 | ビジネス | Comments(0)
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