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経済学を疑う — 価格リスクと豊作貧乏は本当に不可避か?

随分前のことだが、北フランスのシャンパーニュ地方を列車で通ったことがある。車窓の外に広がる、なだらかな丘陵地帯には、整列したような緑の低木がずっと連なる。葡萄畑だ。有名なシャンパンは、この地で栽培され、収穫されたブドウだけから作られる。それ以外の土地でできたものは、「発泡性ワイン」と呼ばなければならない。

シャンパーニュ地方の中心地エペルネは、パリを抜いて全国で最も一人あたりの収入の多い、豊かな町だという。ふーん、そうですか。ただ、美しく広がる田園地帯の風景を見ながら、「ここに住む人々は、きっと毎年、天気に一喜一憂しているんだろうなあ」と思った。

農産物とは、天の恵みと、労働の実りとが、かけ合わさってできるものである。どちらも、必要だ。そして天候は、太古の昔から、決して人の願いだけでは左右できない、気まぐれなものだ。つまり、今風に言えば「リスクが大きい」のである。リスクとは、自分たちが簡単にコントロールできない事象の可能性を言う。そして、農業収穫のリスクは、近年の温暖化と異常気象のせいで、さらに抑制が難しいものとなっている。

農業生産物は、需給の面では、もう一つの難しさをもっている。それは、ある季節に一度にできてしまう性質だ。もちろん、稲作の世界で、「早稲(わせ)」「晩稲(おくて)」という言葉があるように、多少のシフトは可能である。また同じ作物でも、品種により、収穫できる季節が違ったりもする。とはいえ、どうしても作物ごとに『旬(しゅん)』の季節がある。

このため、農業ではどうしても、労働力の需要に、山と谷が生じる。仕事のピーク時、つまり「農繁期」には、立って動ける者が総出で働かなければならないし、村中で互いに協力する必要がある。「村八分」という言葉があるが、これは10種類ある交際のうち、「火事」と「葬式」以外の付き合いを、すべて断つ、という意味らしい。これをされると、農家は、非常にこまる。日本は横並びで協調原理の強い「ムラ社会」だ、とよく言われるが、その根底には農業社会における労働需要の問題があった。

農産物は、1年間をならして「平準化生産」したりすることは、できない。ここが工業製品との最大の違いだ。市場に対する供給量に、波があるということだ。

他方、人間は毎日、お腹のすく生き物である。ある季節だけたらふく食べて、あとは寝て過ごせたりすると楽なのだが、そうはいかない。市場への需要量は、比較的一定だ。むろん、季節によって食べたいものの種類が変わる、ということは多少はあるだろう。だが、とんかつ屋は付け合せのキャベツを、季節によって白菜や水菜にかえたりするだろうか? 時季によって主食をお米から、パンやうどんにかえる家庭があるだろうか? 

だから、農産物の市場には、基本的に需給のギャップが生じやすい。

需給にギャップが生じたら、どうなるか? 経済学は、よく下のような図を描いて、価格メカニズムを説明する。横軸には、市場を通じて取引される商品の量をとる。縦軸は、価格だ。そして需要線と供給線の、2本の線を描く。
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需要線は、右下がりの、下に凸のカーブである。価格が安ければ、買いたいと思う人が増え、高ければ、逆に買いたいと考える人が減る。いわば、需要者全体のお財布の中の金額は一定だから、需要量と価格は、おおむね反比例の関係にある、とするわけだ。(ふつうの数学の感覚では、横軸に独立変数をとり、縦軸に従属変数を取る。上記の関係は、価格が決まると需要量が定まるのだから、縦横の軸が逆のような気もするが、昔からこう書く習慣である)

供給線は、逆に右肩上がりのカーブである。つまり、価格が高くなれば、供給量が増える(それを作って売りたい人が増える)、という傾向を表している。

そして両者の交わるところが均衡点であり、市場価格はそこで決まる、と考える。売り買いは、当たり前だが同じ価格で合意するのだし、需要量と供給量が一致する点だから、という訳である。これが通常の経済学の価格モデルである。

これに従うと、市場に対する供給量が全体として増えた場合は、供給線が右にずれることになる。そうなると、均衡点は現在よりも右下に動き、価格が下がってしまう。逆に供給量が下がると、均衡点は左上にずれて、市場価格が上がる。このように、需給量のギャップは、価格によってコントロールされる、というのが、経済学の教えるところだ。

以前、農業生産者の方に話を伺ったことがある。農業をやっていて、何が一番つらいかというと、「豊作になりすぎて、価格が暴落するとき」だという。ひどいときは、それこそ、できた作物を収穫せずに、畑で潰したりすることもある。天の恵みと労働の実りで得た産物を、捨てなければならない。これほど情けないことはない、という。聞いていて、たしかにそうだろうな、と感じた。

そして、それは農業が本質的に、気候に左右されやすい生産量の不安定な仕事であることに起因しており、経済学でいう市場価格のメカニズムがある限り、それはかわり得ないと、普通は解釈される。これに従うと、農業はつねに「せつない産業」であり続ける宿命を背負っていることになる。

だが、それって何だかおかしくないだろうか? いや、別に農業を批判しているのではない。わたしが変だと言っているのは、経済学の方である。

今、ある工業製品の市場取引量が、だいたい1日1万トンだったとしよう。そして価格は、簡単のため1トン10万円とする(キロ100円である)。取引額は1日あたり10億円だ。年間で3千億円の商品市場である。

さて、ある日、何らかの理由によって、供給量が1割増えて、1.1万トンになったとする。で、生産側はどうするか。値段を1割下げてでも、売り切ろうとするか? ふつうの経営者なら、そんな事はしない。余剰の1千トンは、『在庫』にするのだ。在庫1千トンはずいぶん多いように見えるが、各社の持つ在庫の送料だ。そして日数基準で測れば、0.1日分、つまり2時間ちょっとの間に、消費されていく量である。需要も供給も、実際には日々、小さな変動がある。だからこの程度の量ならば、1週間か2週間も経てば消化されて、価格は均衡点のあたりに留まるだろう。

逆に、供給量が1割落ちたとする。すると、どうするか。需要量に対して、供給量が足りない訳だ。これ幸いと、価格を釣り上げる? そうは問屋が下ろすまい(ここは市場だしね)。おそらく需要家の方は、「じゃあ、足りない分は明日以降に持ってきて」と言うだろう。つまり、「納期」が延びるのだ(バックログが増えると表現してもいい)。

市場で需給にギャップが生じたら、「在庫」と「納期」で調整する。これが、ふつうの企業における取引の方策である。そして価格が、妙にブレないようにコントロールする。

ちなみに納期とは、一種の「マイナスの在庫」である。だから、サプライチェーンにおける需給のギャップは、短期的には在庫によって調整されるのだ。そして、在庫(納期)がかなり大きくなりすぎて、短期的な調整の範囲を超えるとき、いいかえると需給変動の通常の時定数をかなり超えてしまった際に、価格による調整メカニズムが働きだす。

ミクロ経済学の教科書に書いてある需給曲線の図は、株式や債券のような金融資産の取引から発したのだろう。金融資産は、実質的には一種の権利の取引だから、移動は即時性があって、「出来すぎちゃったから在庫しておく」「不足分は後で届けます」といった、通常の在庫・納期の概念があてはまらない。同様に、サービスの取引の場合も、同時性の原則により、在庫できないため、需給ギャップは価格のみで調整される。

さて、農産物の話に戻ろう。従来の農業の仕組みでは、農業生産者は取れた作物をJA(農協)に納める。JAはそれを集積して青果市場に送る。青果市場では仲買を中心に取引が行われ、一日に入荷された商品は原則、その日のうちにさばいて、売り切る。そして食品の一次卸、二次卸、あるいはスーパーや一般の八百屋さんを通して、消費者の手に渡る。もちろん、一部は飲食業に卸される。

問題は、このサプライチェーンの中に、自らのリスクで在庫を持ち、需給調整の役割を受け持つプレイヤーが、どこにもいないことだ。いや、そもそもその前に、葉物野菜を中心とした多くの農産物は、鮮度が命だ。収穫から消費までの賞味期限が数日しかない。物流の時間を差し引くと、ほとんど在庫できない種類の商品である。

おまけに、ふつうの消費者は、納期(バックログ)も許してくれない。え、キャベツが品切れなの? じゃあ、今日は別の料理にするわ、という訳だ。

つまり、既存の農産物のサプライチェーンには、基本的に「在庫・納期」による調整機能が存在しないのである。だから、生産量が変動し、需給にギャップが生じると、価格変動が最上流までさかのぼって、生産者を直撃する仕組みになっている。天候にも恵まれ、頑張ってたくさん作ったのに、その結果が自分に全部、逆向きにはね返ってくる。豊作貧乏が起きたりして、農業は引き合わない仕事と言われる根本理由は、このようなサプライチェーンの姿にあるのだ。

それでは、どうすべきか? 解決の方向性は、三つほどあるのではないかと思う。

(この項つづく)


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by Tomoichi_Sato | 2020-09-28 12:48 | サプライチェーン | Comments(0)
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